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黒像式アンフォラ 《ヘーラクレースとレルネー沼のヒュドラー》 紀元前540-530頃 |
赤絵式コテュレー 《ヘーラクレースとレルネー沼のヒュドラー》 紀元前580-570頃 |
赤絵式スタムノス 《ヘーラクレースとレルネー沼のヒュドラー》 紀元前500-450頃 |
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《ベルヴェデーレのトルソ》 |
《ローマの石棺 海のティアソス》 ルーヴル |
《海のティアソスを表わした石棺》 ヴァティカン |
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《ザンクト・ガレン、修道院の理想的平面図》 816-836年 |
『ベアトゥス黙示録註解 ジローナ写本』より、 《太陽をまとう女と竜(『ヨハネ黙示録』12.1-16)》(fols.171v.-172r) 975年 |
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『ベアトゥス黙示録註解 ファクンドゥス写本』より、 《太陽をまとう女と竜(『ヨハネ黙示録』12.1-16)》(fs.186v.-187) 1047年 |
同上、 《獣と竜の礼拝(『ヨハネ黙示録』13.1-8)》(fs.191v.) |
同上、 《竜、獣、偽預言者の口から蛙の姿で汚れた霊が出て来る(『ヨハネ黙示録』16.13-14)》(fs.220v.) |
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ジローナの《天地創造の刺繍布》 11世紀末-12世紀初め |
『ベアトゥス黙示録註解 シロス写本』り、 《太陽をまとう女と竜(『ヨハネ黙示録』12.1-16)》(fols.147v.-148r) 1109年 |
《片輪車蒔絵螺鈿手箱》 平安時代、12世紀 |
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《最後の審判》のティンパヌム コンクのサント=フォワ修道院附属聖堂 12世紀頃 |
《レヴィアタンを釣る/エッサイの木》、 ランドスベルクのヘラデ(1125?-1195) 『逸楽の園』より 1159-1175(原本焼失) |
マイターニ(1275頃-1330) 《エヴァの創造》 1309-30 オルヴィエート大聖堂 |
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夏永(旧伝:李昇、五代) 《岳陽楼図団扇》 元 |
李容瑾 《漢苑図》 元 14世紀 |
《建章宮図》 元 |
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アンブロージョ・ロレンツェッティ(1285-1348?) 《市内における善政の効果》 1338-39 |
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タッデオ・ガッディ (1300-1366) 《マリアの宮詣で》 1328-30頃 |
タッデオ・ディ・バルトロ(1362/63-1422-23) 《地獄》(部分) 1393 |
フレマールの画家/ロベルト・カンピン(1380以前-1444) 《ウェルル祭壇画・左翼》 1438 |
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ランブール兄弟(1385頃-1416) 《ベリー公のいとも豪華なる時禱書》より《7月》 1413-1416 |
同《12月》 |
同《キリストの誘惑》 |
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ドナテッロ(1386年頃-1466年) 《ヘロデの宴》 1439頃 |
ドナテッロ 《悔悛する息子の奇蹟》 1447-50 |
『立昇る曙』より《両性具有者》 1410年代 |
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ヤン・ヴァン・エイク(1390頃-1441) 《アルノルフィーニ夫妻の肖像》 1434 |
ヤン・ヴァン・エイク 《宰相ロランの聖母》 1435頃 |
ヤン・ヴァン・エイク 《マルガレータ・ヴァン・エイクの肖像》 1439 |
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ヴァン・エイク 《化粧する女》 (ウィレム・ファン・ハーハト《コルネリス・ファン・デル・ヘーストの画廊》(1628)より) |
サッセッタ(1392頃-1450)あるいはアンブロージョ・ロレンツェッティ(1285-1348?)に帰属 《海に臨む街》 1400-1436 あるいは 1340頃 |
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ウッチェッロ(1397-1475) 《大洪水》 1446-1448 |
ウッチェッロ 《サン・ロマーノの戦い》 1456-1460頃 |
ウッチェッロ 《サン・ロマーノの戦い》 1456-1460頃 |
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ウッチェッロ(に帰属) 《マッツォッキオ》 |
ウッチェッロあるいはピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412頃-1492)に帰属 《高坏の透視画習作》 |
ウッチェッロ 《サン・ロマーノの戦い》(ロンドン) 1456-1460頃 |
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ウッチェッロ 《竜を殺す聖ゲオルギウス》 1430頃 |
ウッチェッロ 《竜を打ち倒す聖ゲオルギウス》 1430-35頃 |
ウッチェッロ 《聖ゲオルギウスと竜》 1470頃 |
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ジョヴァンニ・ディ・パオロ(1399頃-1482) 《天地創造と楽園追放》 1445頃 |
ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン(1399/1400-1464) 《聖母を描く聖ルカ》 1435-40年頃 |
ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンの工房 《婦人の肖像》 1460頃 |
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ヤーコポ・ベッリーニ(c.1400-c.1470) 《ソロモンの審判》 1430年代-50年代半ば頃 |
ヤーコポ・ベッリーニ 《ハンニバルの首のプルシアスへの提示》(あるいは《マギの礼拝》) 1430年代-50年代半ば頃 |
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ペトルス・クリストゥス(1410/15-73) 《聖エリギウス(自店の金細工師)》 1449 |
ペトルス・クリストゥス 《聖母の死》 1460-65 |
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ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412頃-1492) 《聖シジスモンドとシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ》 1451 |
ピエロ・デッラ・フランチェスカ 《ヘラクリウスとホスロー2世の戦い》 1452-66 |
ピエロ・デッラ・フランチェスカ 《ブレラの祭壇画》 1472-74頃 |
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ピエロ・デッラ・フランチェスカ 『絵画の遠近法について』よりマッツォッキオの素描 1482以前 |
ピエロ・デッラ・フランチェスカの周辺 《理想都市》(ウルビーノ) 1470-90? フラ・カルネヴァーレ(1420-1425頃-1484)に帰属(?) 《理想都市》(ボルティモア) c.1480-1484 作者不明(以前はフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(1439-1501)に帰属) 《建築透視図》(ベルリン) c.1495 |
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ディルク・ボウツ(1415頃-75) 《皇帝オットー3世の裁判》:《無実の伯爵の刑罰》 1473-75頃 |
《火による試煉》 1471-73頃 |
フーケ(1420頃-1480頃) 『エティエンヌ・シュヴァリエの時禱書』より《聖アポロニアの殉教》 1452-60 |
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クリストフォロ・カノッツィ、通称クリストフォロ・ダ・レンディナーラ(1420頃-1490以前) 《街の眺め》 1484-88頃 |
ピエル・アントニオ・デッリ・アバティ(1430頃-1504) 《街の眺め》 1487-89頃 |
ジェンティーレ・ベッリーニ(1429-1507)+ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430-1516) 《エジプトのアレクサンドリアの広場での聖マルコの説教》 1504-07 |
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イタリア(フェラーラ派) 15世紀第3四半世紀 《ソロモン王とシバの女王の会見》 1470-73頃 |
ビフザード(? - 1535/36) 《ズライハーに誘惑されるユースフ》 サーディー『果樹園』写本 第52葉裏頁 1488 |
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メムリンク(1430~40頃-1494) 《キリストの受難》 1470頃 |
メムリンク 《浴槽から出るバテシバ》 1485年頃 |
メムリンク 《ダビデ王と少年》 1485年頃 |
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メムリンク 《虚栄》 1485頃 |
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クリヴェッリ (1430/35頃-1495以前) 《聖母子》 1480頃 |
クリヴェッリ 《聖エミディウスのいる受胎告知》 1486 |
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マンテーニャ(1431-1506) 《園での苦悩》 1455-56頃 |
マンテーニャ 《聖セバスティアヌス》 1459頃 |
マンテーニャ 《聖セバスティアヌス》 1480 |
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マンテーニャ 《勝利の聖母》 1496 |
マンテーニャ 《マールスとウェヌス(パルナッソス)》 1497 |
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ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(1432-90)とベネデット・ダ・マイアーノ(1442-97)の工房 《グッビオのパラッツォ・ドゥカーレのストゥディオーロ》(部分) 1478-82頃 |
ベネデット・ダ・マイアーノ(1442-1497) 《マッツォッキオ、FEDE(信仰)と綴る文字のあるインクスタンド、アストロラーベ、天球儀のある戸棚》 1474-76 |
ブラマンテ(1444-1514)の下絵に基づくとされる銅版画 《都市景観図》 1490年代初めから半ば頃 |
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ジョヴァンニ・ベッリーニ(1435-1516) 《ペーザロ祭壇画》中央パネル《聖母の戴冠》 1471-74頃 |
ジョヴァンニ・ベッリーニ 《聖カタリナとマグダラのマリアのいる聖母子》 1485-90 |
ジョヴァンニ・ベッリーニ 《虚飾ないし賢明の寓意》 1490-95頃 |
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ジョヴァンニ・ベッリーニ 《総督レオナルド・ロレダンの肖像》 1501-02 |
ジョヴァンニ・ベッリーニ 《化粧する若い婦人》 1515 |
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伝バッチョ・バルディーニ (1436?-1487) 《テーセウスと迷宮》 |
ウルムの画家 《死せる恋人たち》 1470頃 |
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ボッティチェッリ(1444/45-1510) 《青年の肖像》 1470頃 |
ボッティチェッリ 《ウェヌスとマルス》 1483-84頃 |
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『ポリフィルス狂恋夢』への挿絵 1499、ヴェネツィア |
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ボス(1450頃-1516) 《快楽の園》 1500-05 |
ボス 《快楽の園》両翼外面 1500-05 |
ボス 《天国への上昇》 1500-1504 |
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ペルジーノ(1450頃-1523) 《ピエタ》 1483-1493頃 |
ペルジーノ 《アポローンとマルシュアース》1483-91頃 |
ペルジーノ 《聖セバスティアヌス》 1490-1500頃 |
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アリストテレス『ニコマコス倫理学』への挿絵 《スフィンクスと理性の擬人化》 南イタリア、1500頃 |
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519) 『アトランティコ手稿』よりマッツォッキオの素描 1478-1518 |
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カルパッチョ (1455頃-1525/26) 《リアルト橋での聖十字架の遺物の奇蹟》 1496頃 |
カルパッチョ 《聖ゲオルギウスと竜》 1502 |
カルパッチョ 《一万人の殉教者の磔刑と聖化》 1515 |
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フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ(1457/58-1525) 《多面体とタルシーアの道具》 1504-05 |
フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 《典礼器具、本、多面体のある戸棚》 1518-23 |
アントニオ&パオロ・モラ(1489から知られる、1532および1545歿) 《タルシーアB》 1506頃 |
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ピエロ・ディ・コージモ(1461/62-1522) 《狩りの場面》 1494-1500頃 |
ピエロ・ディ・コージモ 《狩りからの帰還》 1494-1500頃 |
ピエロ・ディ・コージモ 《老人の頭部の習作》 |
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クエンティン・マサイス(1465/66-1530) 《老婦人(醜い公妃)》 1513頃 |
クエンティン・マサイス 《両替商とその妻》 1514 |
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デューラー(1470-1528) 《アルコの谷の眺め》 1495 |
デューラー 《トレントの城》 1495 |
デューラー 《聖アントニウス》 1519 |
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ミケランジェロ(1475-1564) 《聖家族(トンド・ドーニ)》 1503-04 |
ミケランジェロ 《エッサイ、ダヴィデ、ソロモンについての帆型穹窿》 1511 |
ミケランジェロに基づきニコラ・ベアトリゼ(1510/15-1565/77) 《ガニュメーデースの誘拐》 |
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ミケランジェロ 《瀕死の奴隷》 1513-15 |
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セルリオ(1475-1554年頃) 『建築七書』の第二書(1545)より 《悲劇用の舞台背景》/《喜劇用の舞台背景》/《サテュロス劇用の舞台背景》 |
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マルカントーニオ・ライモンディ(1475頃-1534以前) 《聖ゲオルギウス》 |
ライモンディ(ラファエッロに基づく) 《思いに耽る若い娘》 |
フラ・ヴィンチェンゾ・ダッレ・ヴァッケ(1475頃-1531) 《聖歌隊席の背:科学と音楽の属性》 16世紀初頭 |
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アレッツォのジョヴァン・フランチェスコとプロスペロ工匠 《サン・マルティーノ修道院の回廊》と《街の眺め》 1514頃 |
《ザッハークの悪夢》 タフマースブのための『シャーナーメ』写本、第29葉裏頁 16世紀前半 |
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ジョルジョーネ(1476/78頃-1510) 《風景の中の聖母子》 |
ソードマ(1477-1549) 《アレクサンドロスとロクサーナの結婚》 1516 |
ソードマ 《聖セバスティアヌスの殉教》 1525 |
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アルトドルファー(1480頃-1538) 《聖ゲオルギウスの竜との闘い》 1510 |
アルトドルファー 《水浴するスザンナ》 1526 |
アルトドルファー 《王侯のような豪奢さの結果得られた裕福さの寓意(高慢と乞食)》 1531 |
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伝パティニール(1480/85~1524) 《ソドムとゴモラの崩壊のある風景》 1521頃 |
サヴォルド(1480/85-1548以後) 《鎧を着けた男の肖像》 1521頃 |
ヴォルフ・フーバー(1480/85頃-1553) 《ヴァッハウ渓谷のアックシュタイン城》 1542 |
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ペルッツィ(1481-1536) 《喜劇の舞台》 1515 |
ペルッツィ 《マリアの神殿奉献》 1523-26 |
作者不詳(以前はペルッツィに帰属) 《ローマの建物のある透視図舞台》 16世紀中葉 |
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ラファエッロ(1483-1520) 《聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ(美しき女庭師)》 1507-08 |
ラファエッロ 《パルナッソス》 1510-11 |
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バルドゥング・グリーン(1484/85-1545) 《女の三段階と死》 1510頃 |
アキッレ・ボッキ(1488-1562) 『シュンボルムの問題』 1555(1557年版) シュンボルム XLVII |
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ニコラ・ディープル(1495年から1531年にアヴィニョンで活動) 《マリアの宮詣で》 1500年頃 |
ニコラ・ディープル 《ヤコブの夢(ヤコブの梯子)》 1500頃 |
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ティツィアーノ(1490-1576) 《田園の奏楽》 1511 |
ティツィアーノ 《化粧する婦人の肖像》 1512-15 |
ロタ、ティツィアーノに基づく 《殉教者聖ペテロの殉教》(原画:1526-30) |
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ティツィアーノ 《マリアの宮詣で》 1534ー38 |
ティツィアーノ 《ダナエー》 1545ー46 |
ティツィアーノ 《鏡を見るウェヌス》 1555頃 |
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ティツィアーノ 《クピードーに目隠しをするウェヌス》 1565頃 |
ポントルモ(1494-1557) 《エジプトにおけるヨセフ》 1515頃-18 |
ボルドーネ(1500-.71) 《水浴するバテシバ》 1547-48年頃 |
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パルミジャニーノ(1503-40) 《凸面鏡の自画像》 1523-24頃 |
ブロンズィーノ(1503-1572) 《ビア・ディ・コジモ・デ・メディチ》 1524頃 |
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フルテナゲル(1505-1546) 《画家ハンス・ブルクマイアーとその妻アンナ》 1529 |
フォンテーヌブロー派《化粧する婦人》 16世紀中葉 |
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パッラーディオ(1508-80)+スカモッツィ(1552-1616) 《テアトロ・オリンピコ》 1580-84年 ヴィチェンツァ |
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ヤムニッツァー(1508-1585) 『正多面体の透視図』(1568)より |
モラーレス(1509/19-1585) 《糸巻棒の聖母子》 1570代 |
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サルヴィアーティ (1510-1563) 《ダヴィデのもとへ赴くバテシバ》 1552ー54 |
ダニエーレ・バルバロ(1513-70) 『透視図の実際』(1569)より |
ヤーコポ・バッサーノ(1515頃-1592)の工房ないし模倣者 《カナンへの出発(アブラハムの出発)》 1570-90頃 |
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ニコラ・ベアトリゼ (1515-c.1566)、ピッロ・リゴーリオ(c.1512/13-1583)に基づく 《ローマの壮麗さの鑑:キルクス・マクシムス》 1553 |
コンラート・ゲスナー(1516-65)、『動物誌』(1551-58年)より、ドラゴン |
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ティントレット(1518-1594) 《マリアの宮詣で》 1552頃 |
ティントレット 《ウルカーヌス、ウェヌスとマールス》 1553頃 |
ティントレット 《水浴のスザンナ》 1555頃 |
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ティントレット 《聖マルコの骸の発見》 1562-66 |
ティントレット 《聖マルコの骸の運搬》 1562-66 |
モローニ(1520/24-1579) 《仕立て屋》 1570頃 |
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アントワーヌ・カロン(1521-1599) 《夏の勝利》 1568-1570頃 |
アントワーヌ・カロン(1521-1599) 《アウグストゥス帝とティブルのシビュラ》 1580年頃 |
アントワーヌ・カロンの工房 《アモルの葬礼》 1566頃 |
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ブリューゲル(1525/30-69) 《悔悛のマグダラのマリア》 1555-56 |
ブリューゲル 《深い渓谷に区切られているアルプス風景》 1555-56頃 |
ブリューゲル 《キリストの冥府への降下》 1557-58頃 |
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ブリューゲル 《悪女フリート》 1562年頃 |
ブリューゲル 《死の勝利》 1562-63 |
ブリューゲル 《バベルの塔》(ウィーン) 1563 |
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ブリューゲル 《パウロの回心》 1567 |
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《世界を支えるもの》 カズウィーニー『被造物の驚異』挿絵 1595頃 |
ナポリのフェッランテ・インペラートの博物館 1599 |
ユベール・カイヨー(1526頃-1579頃) 《1547年のヴァランシエンヌでの受難劇の舞台》 1577 |
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フレーデマン・デ・フリース (1527- c.1606) 《舞台装置あるいは透視図法》より 1560 |
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フレーデマン・デ・フリース 《最初の書、ドーリス式およびイオーニア式の柱について》 フォリオE 1565 |
フレーデマン・デ・フリース 《オラニエ公ウィレム立像がある行列用の仮設建造物の草案》 1578 |
ハンス・フレーデマン・デ・フリース (1527- c.1606)&パウル・フレーデマンデ・フリース(1567-1617)/ディルク・デ・クヴァード・ヴァン・ラーヴェステイン(1565-1620) 《宮殿のある舞台装飾画(雅な場面と宴のある愛の園)》 1597-98 |
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フレーデマン・デ・フリース 《透視画》 (1604-05)より |
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アルチンボルド(1527-1593) 《冬》 1563 |
ド・ブリー(1528-1598) 『高雅寓意画集』より 「暗がりにて人待ち顔で横たわりつつ、ウェヌスは欺き、かつ欺かれる」 1593 |
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ヴェロネーゼ(1528-1588) ヴィッラ・バルバロのフレスコ 1560-61;十字の間/オリュムポスの間 |
ヴェロネーゼ) 《アレクサンドロス大王の前で跪くダリウス王家の人々》 1565-67 |
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《日月山水図》 室町時代、16世紀 |
《柳橋図》 室町時代、16世紀 |
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《宇治川柴舟図屛風》 室町時代、16世紀 |
《帚木図屛風》 桃山時代、16世紀 |
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アウグスブルクの工匠(16世紀後半活動) 木製装飾戸棚、いわゆる《ヴランゲルシュランク》 1566 閉じた状態/閉じた時の前面 左側面/右側面 背面/右扉の内側 |
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フランツ・イザーク・ブルン(c.1535-c.1610/20) 《メランコリア》 1560 |
シュテーア(シュトーア)(1540頃-1620頃) 『幾何学と透視図』(1567)より |
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エル・グレコ(1541-1614) 《聖パウロと聖ペテロ》 1587-92 |
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ハンス・フォン・アーヘン(1552-1615) 《バテシバの水浴》 1612-15頃 |
狩野吉信(1552-1640) 《職人尽絵屏風》より《番匠師》 1615年前後 |
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パントーハ・デ・ラ・クルス(1553-1608) 《ディエゴ・デ・ビリャマヨールの肖像》 1605 |
パシニャーノ(1559-1638) 《ミケランジェロがパウルス4世にサン・ピエトロ大聖堂の模型を見せる》 1618-19 |
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フランシスコ・リバルタ(1565-1628)の工房 《聖ビセンテ、聖ビセンテ・フェレル、聖ライムンド・ペニャフォルト》 1620代 |
ヨハネス・デ・ウィット(1566?-1622)によるロンドンの アレント・ファン・ビュヘル(1565-1641)による模写 1596 |
《王妃のためのバレエ・コミック》 1581 プチ・ブルボン宮、大広間 |
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ミヒャエル・マイアー(1566/68-1622) 『秘中の秘』 1614 |
ミヒャエル・マイアー 『逃げるアタランテ』 1618 寓意画VIII/XXVII |
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呉彬(? - 1576-1627? - ?) 《渓山絶塵図》 明、1615(万歴43) |
米萬鍾(1570-1628) 《寒林訪客図》 明、17世紀 |
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ヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)およびルーベンス (1577-1640) 《視覚の寓意》 1617 |
ヤン・ブリューゲル(父)およびルーベンス、他 《視覚と嗅覚の寓意》 1617-18 |
カラヴァッジョ(1571-1610) 《メドゥーサの首》 1598-99 |
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ケプラー(1571-1630) 『宇宙の神秘』(1596)より 太陽系のプラトン立体模型 |
グイド・レーニ(1575-1642) 《聖カタリナ》 1606頃 |
グイド・レーニ 《聖セバスティアヌス》 1615-16頃 |
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ルーベンス(1577-1640) 《ウェヌスの化粧》 1615-18 |
ルーベンス 《ミネルウァとメルクリウスがバッキンガム公爵を |
ルーベンスに基づく模作 《バッキンガム公の神格化》 |
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ルーベンスとスネイデルス(1579-1657) 《メドゥーサの首》 1617-18 |
ルーベンス 《エレーヌ・フルマンと長子フランソワ》 1632頃 |
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スタルベント (1580-1622) 《諸学と諸技芸》 1650頃 |
フランス・フランケン二世(1581-1642) 《美術・骨董品陳列室》 1636以降(1641?) |
ハルス(1582/3-1666) 《笑う騎士》 1624 |
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《阿国歌舞伎図屛風》 桃山時代~江戸時代初期・17世紀(慶長年間末頃) |
セーヘルス(1590頃-1640頃) 《三冊の本》 |
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《柳橋水車図屛風》 桃山時代、17世紀初頭 |
狩野杢之助 《扇面流図(名古屋城御湯殿書院一之間北側襖絵)》 江戸時代、c.1633 |
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《誰が袖図屛風》 桃山-江戸時代、16世紀末-17世紀半ば |
《柳橋扇面流図屛風》 江戸時代、17世紀 |
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《誰が袖美人図屛風》 江戸時代、17世紀前半 |
《婦女扇流図屛風》 江戸時代、17世紀初頭 |
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《水車図》 江戸時代初期、17世紀 |
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《築城図屛風》 江戸前期(慶長年間=1596~1615) |
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狩野山雪(1590-1651)/伝狩野山楽(1559-1635) 《梅花遊禽図襖》 1631 |
狩野山雪/伝狩野山楽 《朝顔図襖(籬に朝顔図)》 1631 |
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狩野山雪 《老梅図襖》 1646 |
グエルチーノ(1591-1666) 《怪物と農夫》 1620-30 |
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リベーラ(1591-1652) 《聖オヌフリウス》 1637 |
ウィレム・ファン・ハーハト(1593-1637) 《コルネリス・ファン・デル・ヘーストの画廊》 1628 |
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652) 《悔悛するマグダラのマリア》 1640頃 |
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モンス・デジデリオことフランソワ・ド・ノメ(ノーム)(1592/93-1623以降) 《聖ゲオルギウスの竜退治伝説ののある幻想的建築》 1622 |
モンス・デジデリオことフランソワ・ド・ノメ(ノーム) 《スザンナと長老たち》 17世紀前半 |
モンス・デジデリオことフランソワ・ド・ノメ(ノーム) 《神殿のソロモン》 17世紀前半 |
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モンス・デジデリオことフランソワ・ド・ノメ(ノーム) 《聖人の殉教》 17世紀前半 |
モンス・デジデリオことフランソワ・ド・ノメ(ノーム) 《油釜に投じられた福音書記者聖ヨハネ》 17世紀前半 |
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プッサン (1594-1665) 《バッカナーレ(ギターを弾く女のいる、またはアンドロスの人々)》 1627-1628頃 |
プッサン 《アシドドのペスト(ペストに襲われるペリシテ人)》 1630-31 |
プッサン 《サビニの女たちの掠奪》 1633-1634 |
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プッサン 《水から救われるモーゼ》 1638 |
プッサン 《蛇のいる風景(恐怖の効果)》 1648頃 |
プッサン 《オルフェウスとエウリュディケのいる風景》 1650頃 |
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プッサン 《サッピラの死》 1652頃 |
プッサン 《キリストと姦淫の女》 1653 |
プッサン 《アキレウスとリュコメーデースの娘たち(スキューロスのアキレウス)》 1656 |
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プッサン 《ディアーナとオーリオーンのいる風景》 1658 |
パウル・デ・ヴォス(1595-1678)とテオドール・ヴァン・テュルデン(1606-1669) 《狩猟をするディアーナ》 制作年不詳 |
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ベラスケス(1599-1660) 《マルタとマリアの家のキリスト》 1619-21 |
ベラスケス 《鏡を見るウェヌス》 1650 |
ベラスケス 《ラス・メニーナス》 1656 |
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クロード・ロラン(1600/04/05-1682) 《クピードーの宮殿の外にプシューケーがいる風景(魔法をかけられた城)》 1664 |
アタナシウス・キルヒャー(1602-80)『普遍音楽』(1650)のための挿絵(多声の木霊を作る方法) |
ヨンストン、ヨハネス(1603-75)、『禽獣虫魚図譜』(1650-53年)より、ヒュドラー |
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レンブラント(1606-1669) 《瞑想する哲学者》 1632 |
レンブラント 《トゥルプ博士の解剖学講義》 1632 |
レンブラント 《金貸しを寺院から追い払うキリスト》 1635 |
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レンブラント 《ダナエー》1636-50 |
レンブラント 《34歳の自画像》 1640 |
レンブラント 《キリストと姦淫の女》 1644 |
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レンブラント 《エマオの巡礼者たち》 1648 |
レンブラント 《自画像》 1660 |
レンブラント 《織物商組合幹事たち》 1662 |
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ダーフィット・テニールス二世(1610-1690) 《ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト=ヴィルヘルム》 1647頃 |
ダーフィット・テニールス二世 《ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト=ヴィルヘルム》 1650頃 |
アンドリース・ボト(1612頃-1641) 《画家の家の屋根裏部屋》 1624-40頃 |
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ムリーリョ (1617-1682) 《ヤコブを祝福するイサク 》 |
ムリーリョ 《窓辺のガリシア女たち》 1655-60年頃 |
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エフベルト・リーフェンスゾーン・ファン・デル・プール(1621-1664) 《階段の眺め》 1640-1664 |
オーレ・ウォルムのムーサエウム・ウォルミアヌム コペンハーゲン 1655 |
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ホーホストラーテン(1627-78) 《あるオランダの室内の眺めがある透視函》 1656-62頃 (右正面から) |
ホーホストラーテン 《スリッパ》 1655-60頃 |
フェルメール(1632-1675) 《音楽の稽古》 1662-65 |
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『偽りの狂女』第二幕 1645 プチ・ブルボン宮、大広間 |
『アンドロメード』第一幕 1650 プチ・ブルボン宮、大広間 |
ル・ポートル(1618-82) 《1674年における『アルセスト』の上演》 1676 |
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メルキオール・ハフナー 《北京古観象台(観星台)》 フェルディナント・フェルビースト『ヨーロッパ天文学』(1687)のための挿絵 |
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ポッツォ(1642-1709) 『絵画と建築の透視図法』 1693/1707頃 扉絵/第52図/第72図 |
バルヒューゼン『化学の元素』、第9図 1718 |
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デポルト(1661-1743) 《桃をいれた脚付き壺》 1733-34頃 |
クレスピ(1665-1747) 《図書館の本棚》 1710-15頃 |
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セバ、アルベルト(1665-1736)、 『博物宝典』(1734-65年)より、 ヒュドラー |
西川祐信(1671-1750) 《化粧美人図》 18世紀 |
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《屛風図屛風》 江戸時代、18世紀 |
《染分縮緬地紋蛇籠杭模様友禅染小袖》 江戸中期 |
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ジョン・ウートン(1682-1764) 《古典的風景》 1720-30年代 |
ヴァトー (1684-1721) 《シテール島での巡礼(シテール島への船出)》 1717 |
ヴァトー 《ジェルサンの看板》 1720 |
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パニーニ(パンニーニ) (1691-1765) 《アキレウスの墓の前のアレクサンドロス大王》 1730-40 |
パニーニ(パンニーニ) 《ローマのアルジェンティーナ劇場で1747年7月15日に開催された音楽祭》 1747 |
パニーニ(パンニーニ) 《シルヴィオ・ヴァレンティ・ゴンザガ枢機卿の蒐集品がある画廊室内》 1749 |
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パニーニ(パンニーニ) 《古代ローマの景観図の画廊》 1758 |
パニーニ(パンニーニ) 《近世ローマの景観図の画廊》 1759 |
ティエポロ(1696-1770) 《スキピオの自制》 1743-44 |
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ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナ(1696-1757) 『建築と透視図法』 1740 P.II, 8/P.III, 9/P.V, 10 |
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カナレット(1697-1768) 《ヴェネツィア、サン・ロッコの祝祭の日》 1735頃 |
カナレット 《大運河:南西を望む》 1738頃 |
カナレット 《ウォリック城:東面を望む》 1752 |
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ホガース(1697-1764) 《放蕩一代記》:第8図《精神病院》 1733/1735 |
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ブーシェ(1703-1770) 《オダリスク》 1743/45? |
ブーシェ 《マダム・ド・ポンパドゥール》 1756 |
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『プロゼルピーヌ』 1680/1758 第1幕/第5幕 |
ショケ・ド・ランデュ(1712-90) 《ブレストの劇場の断面図(細部)と舞台図の眺め》 1764年以前 |
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鳥山石燕(1712(正徳2)-1788(天明8)年) 『画図百鬼夜行』(1776(安永5)年)より 「猫また」 |
鳥山石燕 『今昔画図続百鬼』(1779(安永8)年)、「上之巻 雨」より「玉藻前 |
『怪奇鳥獣図巻』(江戸時代)より 「九尾狐」 |
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ルイ=ジョゼフ・ル・ロラン(1715-1759) 《1748年のキネーアの〈第一装置〉のための飾りつけ》 1748 |
ル・ロラン 《噴水とオベリスクのある建築幻想》 1746-49 |
ル・ロラン 《建築綺想画》 1740年代末頃 |
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ピラネージ (1720-1778) 『建築と透視図法、第一部』 1743/1750 《階段群》/《古代の神殿》 |
ピラネージ 《宮殿の内部:空飛ぶ二柱の |
ピラネージ 《牢獄》 1761 第2版14図/第2版15図 |
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ピラネージ 《アックワ・フェリーチェ城の景色》(《ローマの景色》より) 1751 |
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ピラネージ 『ローマの古代遺蹟 第三巻』より 《扉絵 アッピア街道から眺めたマルスのキルクスと隣接する諸モニュメント》 1756年 |
ピラネージ 『暖炉装飾の様々な手法』より 《二つの暖炉のためのデザイン》 1769年 |
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ベッロット(1722 - 1780 ) 《北西から見たケーニヒシュタイン要塞》 1756-58 |
ベッロット 《ドレスデンの聖十字架教会の廃墟》 1765 |
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サン=トーバン (1724-1780) 《1765年のサロン》 1765 |
サン=トーバン 《1779年のサロンの眺め》 1779 |
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鈴木春信(1725-70) 《坐鋪八景・鏡台の秋月》 1766 |
勝川春章(1726-93) 《楽屋内市川団十郎》 1782-83 |
春章 《楽屋の三代大谷広次》 1783頃 |
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バルトロッツィ (1727-1815) 《セント・ジェイムズ宮殿近くのグリーン・パークで展示されたコプリー氏の「ジブラルタルの包囲」》 1791 |
ブレー(1728-1799) 《王立図書館拡張のために計画された新しいホールの眺め》 |
ブレー 《カルーゼル広場のオペラ・ハウス計画案》 1781 断面図/正面からの断面図 |
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曾我蕭白 (1730-1781) 《唐獅子図》(左隻) 1765-68頃 |
曾我蕭白 (1730-1781) 《虎渓三笑図》 |
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シャルル・ド・ヴァィイ(1730-98) 《コメディー・フランセーズの新たなホールの内部》 1771年(1781年のサロンで展示) |
ヴィクトール・ルイ(1731-1800) 《ボルドーの大劇場の幾何学的断面図(細部)と監獄を描いた舞台の眺め》 1782年以前 |
ゾファニー (1733-1810) 《ウフィッツィのトリブーナ展示室》 1772-78 |
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ユベール・ロベール (1733-1808) 《ラ・ロシュ=ギュイヨン城の眺め》 1773-75頃 |
ユベール・ロベール 《ガイヨン城の眺め》 1773-75頃 |
ユベール・ロベール 《ガイヨン城の眺め、ノルマンディー》 1775 |
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ユベール・ロベール 《取り壊しの最初の日々におけるバスティーユ》 1789 |
ユベール・ロベール 《美術館のギャラリー》 1789 |
ユベール・ロベール 《サン=ラザール牢獄の廊下》 1794 |
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ユベール・ロベール 《ルーヴルのグランド・ギャルリー改修計画、1796年》 1796 |
ユベール・ロベール 《廃墟となったルーヴルのグランド・ギャルリーの想像的眺め》 1796 |
ユベール・ロベール 《グランド・ギャルリー、1801年から1805年の間》 1801-05 |
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磯田湖龍斎(1735-90?) 《今様芸婦風俗・身仕廻のてい》 |
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クロード=ニコラ・ルドゥー(1736-1806) 《ブザンソンの劇場(1775-84)断面図》/《ブザンソンの劇場の屋内を映す目》 1804 |
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マルティーニ (1738-1797) 《1785年のルーヴルのサロンにおける絵画の配置の正確な眺め》 1785 |
マルティーニ 《1787年のルーヴルのサロンにおける展覧会》 1787 |
マルティーニ 《ロイヤル・アカデミーの展覧会》 1787 |
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Ch.W.ピール(1741-1827) 《階段の群像》 1795 |
勝川春好(1743-1812) 《楽屋の初代中村仲蔵》 |
岡田米山人(1744-1820) 《雪中富士山図》 1787 |
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ゴヤ(1746-1828) 《マヌエル・オソーリオ・マンリケ・デ・スニガ(1784-1792)》 1787-88 |
ゴヤ 《妖術(呪文、魔法/魔女たち)》 1797-98 |
ゴヤ 《 |
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ゴヤ 《 |
ゴヤ 《戦争の惨禍(62) 死の床》 1810-20 |
ゴヤ 《戦争の惨禍(70) 行くべき道を知らない》 1810-20 |
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ゴヤ 《バルコニーの |
ゴヤ 《妄(8) 袋詰めの人々》 1815-24 |
ゴヤ 《妄(5) 飛行の妄》1815-24 |
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ゴヤ 《妄(13) 飛翔法》 1815-24 |
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ダヴィッド(1748-1825) 《ホラティウス兄弟の誓い》 1784 |
ダヴィッド 《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》 1801 |
ダヴィッド 《テルモピュライのレオーニダス》 1814 |
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鳥居清長(1752-1815) 《当世遊里美人合・橘》 1782 |
清長 《当世遊里美人合・多通美》 1783頃 |
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松好斎半兵衛(1795(寛政7)-1809(文化6)活動) 『戯場楽屋図会』(2巻2冊)、下巻11 江戸時代/1801(享和元) |
松好斎半兵衛 『楽屋図会拾遺』(2巻2冊)、上巻 江戸時代/1803(享和3) |
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喜多川歌麿 (1753-1806) 《青楼仁和嘉女芸者部・大万度 末ひろ屋しま富 とミ吉》 |
歌麿 《姿見七人化粧》 1792-93 |
歌麿 《玉屋内花紫 しらべ てりは 六玉川》 1793 |
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歌麿 《婦人相学十躰・面白き相》 1794頃 |
歌麿 《化粧二美人(髪結)》 1794-95頃 |
歌麿 《高島おひさ》 1795頃 |
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歌麿 《化粧美人》 1795-96頃 |
歌麿 《名所腰掛八景・手鏡》 1795-96頃 |
歌麿 《母と子》 1797 |
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歌麿 《遊君鏡八契》 1798-99頃 |
歌麿 《母と子の覗き遊び》 1799頃 |
歌麿 《恵恩芳子 児戯意乃三笑》 1802頃 |
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フラクスマン(1755-1826) 《ストーンヘンジにおけるブリトン人たちの虐殺》 1783 |
フラクスマン 《オレステースを追う復讐の女神たち》 1795 |
フラクスマン 《ホメーロスのイーリアス》図23《ユピテルの怒りから逃れる眠り》 1793-1805 |
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フラクスマン 《ホメーロスのオデュッセイア》、図1:《ユピテル、ミネルウァ、メルクリウスの会議》 1805 |
フラクスマン 《神曲地獄篇第23歌 偽善者たち》 1807 |
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ブレイク(1757-1827) 《エニサーモンの喜びの夜》旧称《ヘカテ-》 1795頃 |
ブレイク 《ネブカドネザル》 1804-05頃 |
ブレイク 《大いなる赤い龍と海から現われた獣》 1805頃 |
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ブレイク 《病の孔:偽造者たち(『地獄篇』第29歌46-84・第30歌49-99)》 1824-27 |
ブレイク 《ヨブ記》より第15図「ベヘモトとレヴィアタン」 1825 |
プリュードン(1758-1823) 《皇后ジョゼフィーヌの肖像》 1805 |
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ジロデ (1767-1824) 《フランスの英雄たちを迎えるオシアン》 1802 |
ジェラール (1770-1837) 《ローラの岸辺で琴の音によって霊たちを目覚めさせるオシアン》 1801以降 |
グロ(1771-1835) 《サッフォー》 1801 |
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張漢宗(1768-1815?) 《冊架図》 18世紀末 |
《ヴィシュヌ・ナーラーヤナ》 Eムーア『インドの万神殿』(1810) より |
《インドの亀蛇宇宙図(?)》 1822 |
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ターナー(1775-1851) 《光と色(ゲーテの理論)》 1843頃 |
ターナー 《ファイン入江のインヴレーリー埠頭、朝》 1845頃 |
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ルンゲ(1777-1810) 《一日の四つの時》 1805 |
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アングル (1780-1867) 《皇帝の座につくナポレオン1世》 1806 |
アングル 《オイディプスとスフィンクス》 1808-25 |
アングル《ユピテルとテティス》 1811 |
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アングル 《オシアンの夢》 1813 |
アングル 《ド・スノンヌ夫人》 1814頃 |
アングル 《シャルル・ルティエールの肖像》 1818 |
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アングル 《N.D.グーリエフ伯爵の肖像》 1821 |
アングル 《ドーソンヴィル伯爵夫人》 1845 |
アングル 《 |
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1855年の万国博覧会におけるアングル展会場写真 |
アングル 《坐するイネス・モワテシエ夫人》 1856 |
アングル 《ゴードリー夫人》 1864頃 |
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二代歌麿(1795頃-1831に活動) 《六玉川月眉墨・化粧》 |
千歌信(生没年不詳) 《娘に子供》 |
画登軒春芝(1820年代に活動) 《尾上多見蔵》 1827頃 |
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歌川国貞(1786-1865) 《木ひき町 森田座顔見勢楽屋之図》 江戸時代/1812(文化9)年11月頃 |
歌川国貞 《今風化粧鏡・合せ鏡》 1823頃 |
国貞 《当世美人合・身じまい芸者》 1827頃 |
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シュネツ(1787-1870) 《カイン》 1817 |
F-Jアイム (1787-1865) 《1824年のサロン閉会にあたり、美術家たちに褒賞を授与するシャルル10世》 1825 |
「真之築山之全図」 「行之築山之全図」 「草之築山之全図」 籬島軒秋里(秋里籬島)『築山庭造伝』後篇上巻より 1829(文政12)年 |
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ジョン・マーティン(1789-1854) 《吟唱詩人》 1817 |
ジョン・マーティン 《ベルシャザルの饗宴》 1821 |
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渓斎英泉(1790-1848) 《浮世四十八手・身仕舞の手》 |
モース (1791-1872) 《ルーヴル美術館の展示室》 1831-33 |
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歌川国直(1793-1854) 《夏》 |
コラン・ド・プランシー(1794-1881)『地獄辞典』(1863)への挿絵 - 悪魔アスモデウス |
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デュヴァル(1795-1889) 《ルーヴル美術館のグランド・ギャルリーの眺め》 1880頃 |
アリ・シェフェール(1795-1858) 《死者たちは速やかに行く(「レノーレ」より)》 1820-25頃 |
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ドラクロワ(1798-1863) 《ゲッセマネのキリスト》 1826 |
ドラクロワ 《モロッコでのユダヤ人の結婚式》1837頃 |
ドラクロワ 《狂人の家のタッソ(フェラーラの聖アンナ病院のタッソ)》 1839(?) |
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ドラクロワ 《墓場のハムレットとホレイショー》 1839 |
ドラクロワ 『ハムレット』第1幕第5場《テラスの亡霊》 1843 |
ドラクロワ 《ソークラテースとそのダイモーン》 1846-47 |
||
ドラクロワ 《ヘーシオドスとムーサ》 1846-47 |
ドラクロワ 《洗礼者ヨハネの斬首》 1846-47 |
ドラクロワ 《キリストの埋葬》 1848 |
||
ドラクロワ 《モロッコのライオン狩り》 1854 |
1855年の万国博覧会におけるドラクロワ展会場写真 |
ドラクロワ 《アンゲリカを誘拐するルッジェロ》 1860 |
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ドラクロワ 《花を摘むエウリュディケが蛇に咬まれる》あるいは《春》 1856-61 |
ドラクロワ 《バッコスとアリアドネ-の出会い》あるいは《秋》 1856-61 |
ドラクロワ 《ヤコブの天使との争い》 1861 |
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ユゴー(1802-1885) 《十字架のある城》 1850、額:1871 |
ユゴー 《二つの城》 1850 |
ユゴー 《公正(正義)》 1857 |
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ユゴー 《三つの塔がある城のシルエット》(切り抜き絵) 1855 |
ユゴー 《三つの塔がある城のシルエット》(型紙) 1855 |
ユゴー 《夜に照明された城》 1856 |
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グランヴィル (1803-1847) 《展示室》 『もう一つの世界』より 1844 |
グランヴィル 《展示画廊》 『もう一つの世界』より 1844 |
ヴィールツ(1806-1865) 《早すぎた埋葬》 1854 |
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ドーミエ (1808-1879) 《弁護》 1860-70頃? |
ドーミエ 《ドン・キホーテとサンチョ・パンサ》 1865頃 |
李宅均(李亨禄)(1808-1873?) 《冊架図》 1871以後 |
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作者不詳 《パリのオペラ座(サル・ル・ペルティエ)の舞台裏》 1856/11/15 |
《最後の仮面舞踏会》 『ジュルナル・イリュストレ』誌、1873/2/23-3/2 |
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シルマー(1807-1863) 《ロマンチックな風景(アルテナールの城)》 1828 |
レッシング(1808-1880) 《岩山の城》 1828 |
ルイ・スタネイユ(シュタインハイル) (1814-1885) 《鐘撞きカジモド》 (ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』第四編扉絵) 1844 |
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エウヘニオ・ルーカス・ベラスケス(1817-70) 《バルコニーの |
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シャセリオー(1819-1856) 《海のウェヌス》 1838 |
シャセリオー 《海のウェヌス(習作)》 1837-38頃 |
シャセリオー 《水浴のスザンナ》 1839 |
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シャセリオー 《水浴のスザンナ》 1838-39 |
シャセリオー 《ディアーナとアクタイオン》 1840 |
シャセリオー 《 |
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シャセリオー 《海に身を投げるサッフォー》 1840 |
シャセリオー 《ラコルデール》 1840 |
シャセリオー 《オリーヴの園のイエス(油彩大下絵)》1840頃 |
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シャセリオー 《エステルの化粧》 1841 |
シャセリオー 《屋外で腕を取り合う二人の女》 1841-42頃 |
シャセリオー 《二人の姉妹》 1843 |
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シャセリオー 上から:《エジプトの聖マリアの聖体拝領》、 《エジプトの聖マリアの回心》、 《エジプトの聖マリアの埋葬》 1843 |
シャセリオー 上:《エジプトの聖マリアが天に差しあげられる》、 下:《ゾシマがエジプトの聖マリアの一生と死を物語る》 1843 |
シャセリオー 《アポロンとダフネ》 1845 |
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シャセリオー 《沈黙、瞑想、研究》 1844-48 |
シャセリオー 《アリ・ベン・アーメド、コンスタンティンの |
シャセリオー 《羊を伴ったコンスタンティーヌの女性と少女》 1849 |
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シャセリオー 《サッフォー》 1849 |
シャセリオー 《砂浜に流されたサッフォーのための習作》 1849 |
シャセリオー 《バルコニーのユダヤ娘たち》 1849 |
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シャセリオー 《モロッコの踊り子たち》 1849 |
シャセリオー 《ハーレムでの入浴》 1849 |
シャセリオー 《タンバリンとともに描かれたムーア人女性》 1849? |
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シャセリオー 《デスデモーナ》 1849 |
シャセリオー 《ヴェネツィアのオセロとデスデモーナ》 1850 |
シャセリオー 《気絶したマゼッパを見つけるコサックの娘》 1851 |
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シャセリオー 《テピダリウム》 1853 |
シャセリオー 《エティオピアの女王の宦官を洗令する聖ピリポ》 1853 |
シャセリオー 《聖フランシスコ・ザビエルがインド人たちに洗礼を施す》 1853 |
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シャセリオー 《王たちの亡霊を見るマクベス》 1849-54 |
シャセリオー 《バンクォーの亡霊》 1854 |
シャセリオー 《マクベスと三人の魔女》 1855 |
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シャセリオー 《十字架降下》 1855 |
シャセリオー 《ガリア人の防衛》 1855 |
シャセリオー 《スザンナと長老たち》 1856 |
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シャセリオー 《ハーレムの内部》 1856 |
ヴィクトール・ナヴレ(1819-1886) 《パリ、オペラ座の階段》 1880頃 |
クールベ(1819-1877) 《凪、海》 1865-67 |
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ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898) 《洗礼者ヨハネを斬首させるサロメ》 1856 |
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 《洗礼者ヨハネの斬首》 1869 |
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 《女性の頭部》 |
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ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 《眠れるパリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ》(部分) 1898 |
モンティセリ(1824-86) 《公園での集い》 1875-80 |
シャルル・ガルニエ(1825-1898) 新しいオペラ座 縦断面、『挿絵入り新聞』誌(1875)による |
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ギュスターヴ・モロー (1826-1898)については→挿図一覧・モロー篇をご覧ください |
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ベックリーン(1827-1901) 《ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像》 1872 |
ベックリーン 《トリートーンとネーレーイデス》 1877 |
ベックリーン 《死の島》(第3ヴァージョン) 1883 |
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1926年のヴェネツィア・ビエンナーレにおけるベックリーン展の会場写真 |
ジョン・エヴァレット・ミレー(1829-1896) 《オフィーリア》 1851-52 |
カスティリオーネ(1829-1908) 《ルーヴルのサロン・カレ》 1861 |
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《四方箱》 箱根 江戸時代 |
《仕掛け箱》 静岡あるいは箱根 江戸時代後期 |
《糸駒》 湯島 麦わら細工 江戸時代 |
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ビアスタット(1830-1902) 《ヨセミテ渓谷》 1864 |
ピサロ(1830-1903) 《エルミタージュの景色、ポントワーズ》 1867 |
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ドレ(1832-1883) 《ダンテ・アリギエリの『神曲・地獄篇』第22歌124-126節》 1861 |
ドレ 《展覧会場の入口》 1861 |
ピフ 『シャリヴァリ』誌、1880年5月23日号より《サロンにて 作品をよくない位置に展示された画家が望遠鏡を設置する》 |
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マネ(1832-1883) 《ザカリー・アストリュック像》 1866 |
マネ 《『バルコニー』のための習作》 1868 |
マネ 《バルコニー》 1868-69 |
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マネ 《ピアノを弾くマネ夫人》 1867-68 |
マネ 《オペラ座の仮面舞踏会》 1873 |
マネ 《鏡の前で》 1876-77 |
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マネ 《カフェ・コンセール》 1878 |
マネ 《カフェ・コンセールの一角(ウェイトレス)》 1879 |
マネ 《テアトル・フランセ広場のカフェ》 1881 |
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マネ 《フォリー=ベルジェールのバーの習作》 1881 |
マネ 《フォリー=ベルジェールのバー》 1881-82 |
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バーン=ジョーンズ(1833-1898) 《欺かれるマーリンとヴィヴィアン》あるいは《マーリンとヴィヴィアン》1872-77 |
バーン=ジョーンズ 《黄金の階段》 1876-80 |
バーン=ジョーンズ、モリス(1834-1896)、ダール(1860-1932) 《聖杯伝説のタペストリー 2 武装し出発する円卓の騎士たち》 1895-96 |
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エドゥアール・リウー(1833-1900) ヴェルヌ『地底旅行』(1867版)の挿絵、第22章 |
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ドガ (1834-1917) 《ベッレーリ一家》 1858-67 |
ドガ 《オペラ座のオーケストラ》 1870頃 |
ドガ 《踊りの教室(稽古場)》 1871 |
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ドガ 《ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場》 1872 |
ドガ 《鏡の前のジャントー夫人》 1875頃 |
ドガ 《マイヤーベーアのオペラ『悪魔のロベール』のバレエ場面》 1876 |
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ドガ 《鏡の前で》 1889頃 |
ドガ 《薔薇色と緑の衣裳の踊り子たち》 1890頃 |
ドガ (1834-1917) 《腕を拭く裸婦》1891頃 |
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ドガ 《浴後、体を拭く女》 1895頃? |
ティソ(1836-1902) 《クローク・ルーム》 1885頃 |
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セザンヌ (1839-1906) 《デ・スールの池、オスニー》 1875頃 |
セザンヌ 《ベルヴュから見たサント=ヴィクトワール山》 1882-85 |
セザンヌ 《ジャ・ド・ブーファンの大きな樹》 1883頃 |
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セザンヌ 《エクス附近の家(ジャ・ド・ブーファン)》 1885-87 |
セザンヌ 《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》 1886-87 |
セザンヌ 《サント=ヴィクトワール山》 1887頃 |
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セザンヌ 《パイプをくわえた男》 1892-95頃 |
セザンヌ 《アヌシー湖》 1896 |
セザンヌ 《りんご、瓶と椅子の背のある静物》 1900-06頃 |
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ルドン(1840-1916) 『エドガー・ポーに』より《憂愁の黒い太陽の前にレノールが現われる》 1882 |
ルドン 《光の横顔》 1886 |
ルドン 《仏陀》 1905頃 |
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ルドン 《聖ゲオルギウスと竜》 1907頃 |
ルドン 《キュクロープス》 1914頃 |
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キャサット (1844-1926) 《桟敷席にて(オペラ座にて)》 1878 |
キャサット 《扇を持つ女(メアリー・エリソン嬢)》 1878-79 |
キャサット 《真珠の首飾りをつけた桟敷席のリディア》 1878-79 |
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キャサット 《腕の上に身を屈めた桟敷席のリディア》 1879頃 |
キャサット 《桟敷席》 1878-80 |
キャサット 《髪を洗う女》 1891頃 |
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キャサット 《髪結い》 1891頃 |
キャサット 《仮縫い》 1891頃 |
キャサット 《母親の肩ごしに見るシャルル(No.3)》 1900 |
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キャサット《ひまわりをドレスにつけた母親(母と子)》 1905頃 |
キャサット 《鏡台の前のアントワネット》 1909 |
アンリ・ルソー(1844-1910) 《婚礼》 1904-05頃 |
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ゴーギャン(1848-1903) 《ラヴァルの横顔の見える静物》 1886 |
ゴーギャン 《格闘する子供たち》 1888 |
ドゥターユ(1848-1912) 《パリのオペラ座の開場、1875年1月5日》 1878 |
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フォラン (1852-1931) 《フォリー=ベルジェールのバー》 1878 |
ルイ・ベルー(1852-1930) 《オペラ座の階段、1877年》 1877 |
マディスン・スクエア劇場、ニューヨーク 『サイエンティフィック・アメリカン』誌、1884年4月5日 |
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ゴッホ(1853-1890) 《星月夜》 1889 |
ゴッホ 《糸杉》 1889 |
ゴッホ 《糸杉と星の見える道》 1890 |
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カール・ラーション(1853-1919) 《片隅で(『わたしの家』より)》 1890頃-1899 |
カール・ラーション 《玄関ポーチのスザンヌ》 1910 |
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トーロップ(1858-1928) 《リサデルのアニー・ホール》 1885 |
トーロップ 《テニス・コート》 1890 |
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クノップフ(1858-1921) 《シューマンを聴きながら》 1883 |
クノップフ 《エミリー・ツェルステヴェンスの肖像》 1885頃 |
クノップフ 《ブリュージュにて - 教会》 1904 |
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スーラ(1859-1891) 《グランド・ジャット島の日曜日の午後》 1884-86 |
1884年のレ・ヴァン展会場写真 |
1914年サロン、『今日の芸術』展、ゴッホ展示室の会場写真 |
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スタンラン(1859-1923) 《ロドルフ・サリのシャ・ノワール一座巡業》 1896 |
クリムト(1862-1918) 《ポプラの巨木(Ⅱ)》 1903 |
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1908年『美術展』、クリムト展示室の会場写真 |
クリムト 《期待》 1905-09 |
クリムト 《水辺の館》 1908ないし09 |
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ヴァン・ド・ヴェルド(1863-1957) 雑誌『ヴァン・ニュー・エン・ストラックス』第1号 1893 |
ヴァン・ド・ヴェルド 《インク壺》 1898以降 |
ヴァン・ド・ヴェルド 《ピアノ用椅子》 1907 |
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ソローリャ(1863-1923) 《海辺の散歩》 1909 |
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マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ(1864-1933) 《沈黙の淵》 1913 |
セリュジエ(1864-1927) 《タリスマン(護符) 愛の森を流れるアヴェン川》 1888 |
ヴァロットン(1865-1935) 《ボール》 1899 |
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ヨーゼフ・フェラー『伝統的な鉄細工のデザイン』(1892-99/2005年)より(pp.75-77) |
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カンディンスキー(1866-1944) 《黒い弧》 1912 |
カンディンスキー 《黒い四角形の中に》 1923 |
キャバレー「 |
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ボナール(1867-1947) 《柵越しに》 1895 |
ボナール 《鏡の効果(浴槽)》 1909 |
ボナール 《化粧台と鏡(赤と黄色の花束のある化粧室)》 1913頃 |
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ボナール 《レーヌ・ナタンソンと赤いセーターのマルト・ボナール》 1928 |
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藤島武二 (1867-1943) 《カンピドリオのあたり(右幅)》 1919 |
藤島武二 《大王岬に打ち寄せる怒濤》(三重県立美術館版) 1932 |
藤島武二 《大王岬に打ち寄せる怒濤》(ひろしま美術館版) 1932 |
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チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928) 《ラダー・バック・チェア、ウィロー・ティー・ルーム》 1903 |
Ch.R.マッキントッシュ 《ドローイング・ルームの椅子、フースヒル》 1904 |
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ヴュイヤール(1868-1940) 《窓辺の女》 1898 |
アウグスト・ネター(ナッテラー)(1868-1933) 《驚異の牧人》 1919年以前 |
アウグスト・ネター 《驚異の牧人》 1919年以前 |
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岡田三郎助(1869-1939) 《富士ビューホテルの庭》 1938 |
ドニ(1870-1943) 《ペロ=ギレックのボートレース》 1892頃 |
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クプカ(1871-1957) 《宇宙の春 Ⅰ》 1913-1914 |
クプカ 《哲学的建築》 1913-24 |
トーレス=ガルシア(1874-1949) 《純色での構成》 1929 |
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デスピオ(1874-1946) 《ポーレット》 1909-10 |
鹿子木孟郞(1874-1941) 《ブルターニュの丘》 1917 |
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デュフィ(1877-1953) 《白い塔のある静物》 1913/1947 |
スピリアールト (1881-1946) 《めまい、魔術的階段》 1908 |
ガルガーリョ(1881-1939) 《ウラノス》 1933 |
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ブラック(1882-1963) 《ラ・ロシュ=ギュイヨン城》 1909 |
ブラック 《クラブのエースのある静物》 1914-18 |
ブラック 《円卓》 1921-22 |
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ブラック 《赤いテーブルクロスの上の静物》 1934 |
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萬鐵五郎(1885-1927) 《薬罐と茶道具のある静物》 1918 |
萬鐵五郎 《庭の花》 1919 |
アルプ(1886-1966) 《翼のついた実体》 1961 |
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フアン・グリス(1887-1927) 《洗面台》 1912 |
グリス 《静物》 1916 |
グリス 《静物》 1918 |
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安井曾太郎(1888-1955) 《桃》 1950 |
ヴァン・ダイン(1888-1939) 『グリーン家殺人事件』(1928)、 第3章より 「グリーン家二階の見取図」 |
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モランディ(1890-1964) 《静物》 1943 |
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古賀春江(1895-1933) 《涯しなき逃避》 1930 |
古賀春江 《深海の情景》 1933 |
村山槐多(1896-1919) 《湖水と女》 1917 |
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カタジナ・コブロ(1898-1951) 《空間的な構成(4)》 1929 |
ベン・シャーン(1898-1969) 《赤い階段》 1944 |
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佐伯祐三(1898-1928) 《立てる自画像》 1924 |
関根正二(1899-1919) 《信仰の悲しみ》 1918 |
関根正二 《子供》 1919 |
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バロ (1908-1963) 《精神分析医の診療を終えた女》 1960 |
バロ 《螺旋の運航》 1962 |
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山本敬輔(1911-1963) 《V-x-38.5》 1938 |
山本敬輔 《80-x-38》 1938 |
ヴォルス(1913-1951) 《題名不詳》 1938 |
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《寄木細工秘密箱 2寸 5回》 箱根細工 |
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