《水車図》江戸時代初期、17世紀:右隻

《水車図》江戸時代初期、17世紀:左隻

《水車図》
江戸時代初期、17世紀
紙本金地着色
六曲一双 各:155.5 × 355.0 cm


Water Wheel
Early Edo period, 17th centuy
color on paper
pair of six-panel folding screens; each : 155.5 × 355.0 cm

Cf.,   『日本屛風絵集成 第9巻 景物画-四季景物』、講談社、1977、pp.78-79 / .nos.56-57, p.110、またp.168


 Cf.cf.

宋應星・撰、藪内清・訳注、『天工開物』(東洋文庫 130)、平凡社、1969、pp.11-12+26-32/図1-5~8(「水利」より)、pp.87-90+100-103/図4-8、4-40(「調整」より)

ジョゼフ・ニーダム、協力=王鈴、監修=東畑精一、藪内清、訳=中岡哲郎、佐藤晴彦、堀尾尚志、山田潤、『中国の科学と文明 第9巻 機械工学(下)』、思索社、1978、pp.450-583:(g)「水利工学(I)、揚水機械」、(h)「動力源とその供使(II)、水の流れと落下」、(i)「/来=水車と向=水車;東西の製粉船と外輪船」

『まわる、まわれ水ぐるま』(INAX BOOKLET Vol.6 No.2)、INAX、1986
 全国現役水ぐるまマップ(室田武・河野裕昭編)//
 水車から何が見えるか(室田武・河野直践・桝潟俊子)/「水車むら」繁昌記(臼井太衛)/朝倉の「重連水車」が古絵図にあった/600軒の水車小屋地図/「環境」としての水車をつくりたい - 山形でのこころみ(森繁哉)/幻の「左公車」を求めて - 中国・水車の旅(水上聡子)//
 臼の目に誘われて - 水車利用による製粉の歴史(三輪茂雄)//
 写真構成 水ぐるまを訪ねて(河野裕昭)//
 水車の技術文化をたどる(前田清志)//
 数こそ少ないけれど - 青森・岩手の水車(斎藤潔)/粉づくりは水車搗きに限る - 今市の線香用水車(半田慶恭)/低速が〝粘り〟を生む - 杉線香と水車(井坂順子)/扇状地に根づいた技術 - 富山の螺旋水車(田中勇人)/ 明治の創意 - 水車大工・藤原治郎吉の生涯(今津健治)/ 水の動きをとりだして - 私の作品(新宮晋)/陶磁器の原石を砕く - 東濃の水車(伊野重幸)/「トロンミル」について(伊野重幸)/戦後食糧難時代の落とし子 - 三重の超ミニ発電水車(黒川静夫)/瀬戸内の雑木の陰で - 中国地方の水車(篠原徹)/もっと長い眼で水車を(篠原徹)/重連水車を筆頭に - 元気ハツラツ九州勢(香月徳男)/なぜか水車から離れられない(豊原妙)/まだまだ現役、これからだ - 訪問・九州の水車大工三人衆(神谷杖治)/水車で川をさかのぼる - ネパールの交通手段として(小川鑛一)//
図版構成 水車と風車・西(にし)(ひがし)(川上顕治郎)など、
108ページ。


寺島良安、島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳訳注、『和漢三才図絵 8』(東洋文庫 476)、平凡社、1987、pp.120-122:「竜骨車」、「水車(みずぐるま)

T.S.レイノルズ、末尾至行・細川欯延・藤原良樹訳、『水車の歴史 西欧の工業化と水力利用』、平凡社、1989
原著は
Terry S. Reynolds, Stronger than a Hundred Men - A History of the Vertical Water Wheel, 1983
 序論/水力利用と水車の起源/中世における水車の普及と多様化・伝統的な水車の絶頂期/水車の理論/鉄製の工業用水車/水車の終焉など、
430ページ。


 第1章で水力装置に言及した古代の証言をいくつか挙げる中で、
「『事物の本性について』の中で詩人で哲学者のルクレティウス(前96-前55)は、天の回転を『車とバケットを回転させる川』にたとえて説明している」(p.23)
とありました(pp.28-29 も参照)。そこで邦訳を見ると、第5巻509-533 に;
「先ず第一に、天空の宏大なる円が廻転しているとすれば、空気がその軸を両方から押さえていて、外部からそれを支え、両方から閉ざして居り、而して或る別な空気が上方を流れ、悠久なる宇宙の星群が輝いて廻転して行くべきその方向に進んでいるのか、或いは又別な空気が下方を流れ、この円を反対の方向に、例えば河が水車や水揚げ車を廻す場合に見受けられるように、下から廻転していると云わなければならない」
(ルクレーティウス、樋口勝彦訳、『物の本質について』(岩波文庫 6440-6442)、岩波書店、1961、p.232)。
 レイノルズに戻ると、すぐ後でウィトルーウィウスが引用されていますが、これは
森田慶一訳註、『ウィトルーウィウス 建築書』(東海選書)、東海大学出版会、1979、pp.279-280:第10書第5章


伊藤哲夫、『器財の意匠 - 器物文様 日本の美術 No.517』、ぎょうせい、2009.6、pp.64-65/第89図

 本文中で挙げたデュシャンの《水車を内包した滑溝(隣金属製の)》(1913-15)について;

東野芳明、『マルセル・デュシャン』、美術出版社、1977、pp.348-349 註5

ジョン・ゴールディング、東野芳明訳、『マルセル・デュシャン 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも アート・イン・コンテクスト 8』、みすず書房、1981、pp.68-72


 そういえば、前の勤め先の所蔵品に、宇田荻邨の《淀の水車(下絵)》(1926/大正15年)という作品がありました;
 『没後40年 宇田荻邨展』、三重県立美術館、2020*、p.42/cat.no.A14
この作品は大倉集古館蔵の完成作(同書 p.42 に参考図版)の下絵に当たりますが、同書 p. 43 には部分習作(cat.nos.A14-i~v)とともに、1929/昭和4年頃の別ヴァージョン(p.44/cat.no.25、p.139)とその下絵(同頁/cat.no.A19)、制作年不詳のやはり三重県立美術館所蔵ヴァージョン(p.45/cat.no.26)が掲載されています。
* 2020年春に開催が予定され、そのための図録も制作されたのですが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のために中止となり、2年後の2022年春に、「開館40周年記念 宇田荻邨展」として開かれました。
 この図録から〈蛇籠〉を描いた荻邨の作品を→こちらに挙げました;《染分縮緬地紋蛇籠杭模様友禅染小袖》(江戸中期)の頁の「Cf. の cf.
 

 ちなみに、《柳橋水車図屏風(メトロポリタン美術館本)》の頁の「Cf.」で挙げた
玉蟲敏子、『俵屋宗達 金銀の〈かざり〉の系譜』、東京大学出版会、2012、「第4部第11章 柳橋水車図と宇治の川瀬の水車」
 によると、ある時点で、宇治の水車から淀の水車へと、地勢上のイメージの重心移動が起こったtのことです(p.346、p.349)。


 《片輪車蒔絵螺鈿手箱》(平安時代、12世紀)の頁の「Cf.」で挙げた
 河上繁樹、「片輪車をめぐる文様史」、『人文論究』、69巻3/4号、2020.2.20、p.13 および p.23 註24


 河原由紀子、「近世小袖文様 水車について」、『金城学院大学論集 家政学編』、第20巻、1980、pp.102-95

が挙げられていましたが、未見。



 おまけ

 水車にまつわるフィクションというのもいろいろありそうですが、

綾辻行人、『水車館の殺人』(講談社ノベルス ア 1-02)、講談社、1988

 同じ著者による→こちらを参照:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「おまけ
 
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