村山槐多《湖水と女》1917

村山槐多 (1896-1919)
《湖水と女》
1917(大正6)年
油彩・キャンヴァス
60.8×45.7cm
個人蔵


MURAYAMA Kaita
Lake and a Woman
1917
Oil on canvas
60.8x45.7cm
Private collection

Cf., 陰里鉄郎、『村山槐多と関根正二 近代の美術 No.50』、至文堂、1979、第11図

『生誕100年 村山槐多展』図録、福島県立美術館、三重県立美術館、1997、p.83 / cat.no.1-114

『関根正二展 生誕120年・没後100年』図録、福島県立美術館、三重県立美術館、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館、2019-20、p.141 / cat.no.R-41

 山に囲まれた湖を背にして女性を描いた画面に、とりたてて奇妙なところはない。にもかかわらず、画面が与える印象は、静かな、しかし一種異様な存在感を放っていはしないだろうか。
 これは、全体の色調が暗いという点だけによるのではあるまい。人物や風景の描き方はあきらかに、達者とはいいがたい。木炭素描では、木炭の柔らかさ・密度とそれを紙に押しつける手の圧力をコントロールして、熱を帯びた鋭さをもたらしえた槐多も、油絵具の重さは扱いきれなかったらしい。相似たポーズをしめすレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』と、たとえば組みあわせた両手の描写を比べてみれば、槐多の不得手は一目瞭然だ。
 ところで、左手は右手の指先を握っており、そこにある種の緊張を読みとることができよう。さらに、顔の能面のような無表情さとあいまって、流暢でないからこそ逆に、その場で石と化したかのごとき存在感が生じている。それは決して、声高に叫ぶようなものではなく、きわめて静謐だ。その点で、背景の湖と女性が呼応しあう。
 実際、湖のくすんだ青は羽織や空と同じ色で描かれ、また山と右の藁葺屋根の関係は遠近感をしめしていない。このため、女性の静けさと湖のそれはまさに一つの存在であるかのようにこだましあい、見る者を誘いつつ同時にこばむのだ。
 槐多に少し遅れ、入江波光や粥川伸二といった画家も山中の神秘的な湖を描いており、直接関係があったのか、大正という時代のもたらしたものなのかどうかはわからない。また、槐多の未完の散文詩『太古の舞姫』には、「月をも没するであろうと思はるゝ」湖が登場し、やはり、死という形以外での人間の介入を峻拒する自然の一相を物語っている。

(石崎勝基・県立美術館学芸員)
『朝日新聞』(三重版)、1997.6.14、「ガランス色の詩 生誕100年 村山槐多展 8」

『生誕100年 村山槐多展』(1997/6/7-7/13)より
こちらを参照 [ < 三重県立美術館のサイト
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