アルノルト・ベックリーン(1827-1901) 《死の島》(第3ヴァージョン) 1883年 油彩・板 80×150cm ナツィオナール・ガレリー プロイセン文化財団国立美術館 ベルリン BÖCKLIN, Arnold Die Toteninsel 1883 Oil on panel 80×150cm Staatlichen Museen Preuβischer Kulturbesitz, Nationalgalerie, Berlin |
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Cf., | フランツ・ツェルガー、髙阪一治訳、『ベックリーン【死の島】 自己の英雄視と西洋文化の最後の調べ』(作品とコンテクスト)、三元社、1998、pp.12-16 原著は Franz Zerger, Arnold Böcklin. Die Toteninsel. Selbstheroisierung und Abgesang der abendländischen Kultur, 1991 『アルノルト・ベックリーン展 バーゼル美術館所蔵作品による』図録、国立西洋美術館、1987、pp.124-125 / cat.no.57 『19世紀ドイツ絵画名作展 プロイセン文化財団ベルリン国立美術館所蔵』図録、兵庫県立近代美術館、東京国立近代美術館、1985-86、pp.108-109/cat.no.39 Cf. の cf. 五十嵐太郎編著、『くらべてわかる世界の美しい美術と建築』、2015、pp.120-121:「死のイメージにとらわれた島 死の島×サン・ミケーレ島」 山田五郎、『楼閣 闇の西洋美術史〈9〉』(アルケミスト双書)、創元社、2022、pp.62-63 |
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おまけ | なお、『吸血鬼ボボラカ』のようにベックリーンの《死の島》をそのまま用いているわけではありませんが、通じるところのある島が登場したのが(→「怪奇城の画廊(完結篇)」の頁も参照); 『ビザンチウム』、2012、監督:ニール・ジョーダン (→こちらで触れました:「『Meigaを探せ!』より、他・目次」の頁の『セイント・モード/狂信』(2019、監督:ローズ・グラス)のところ) 触発源の一つがベックリーンの《死の島》だというのが*; 『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』、2005、監督:ブラザーズ・クエイ(→そちらも参照:「メソポタミア」の頁の「おまけ」) * DVD封入のパンフレット8ページ目、10ページ目(ページ付け無し) |
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他方ちらっと《死の島》の模型が登場したのが; 『デモンズ'95』、1994、監督:ミケーレ・ソアヴィ(→こちらを参照:『デモンズ3』(1989)の頁中) |
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《死の島》第1ヴァージョン(1880、バーゼル美術館)らしき画面がちらっと映るのが; 『ベビー・ルーム』、2006、監督:アレックス・デ・ラ・イグレシア(→そちらの2も参照:「『Meiga を探せ!』より、他」の頁) ちなみにその左、少し上にかかっているのは ブレイク、《獣たちに名前をつけるアダム》(1810、ポロック・ハウス、グラスゴー) です。 |
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さらに、《死の島》第5ヴァージョン(1886、造形芸術館、ライプツィヒ)らしき画面がちらっと映るのが(下の画面で右の方、右図はその拡大); 『ホーンティング』、1999、監督:ヤン・デ・ボン(→そちらの3を参照:「怪奇城の図書室」の頁) |
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『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)で、新たな根城に向かってオルロックが小舟で運河を渡る場面に、ベックリーンの《死の島》への暗示を、アンジェラ・ダッレ・ヴァッケは指摘しています(Angela dalle Vacche, Cinema and Painting. How Art Is Used in Film, 1996 / 1997 ; "chapter6. F.W.Murnau's Nosferatu : Romantic Painting as Horror and Desire in Expressionist Cinema", p.169)。 | ||
『タイタンの戦い』(1981、監督:デズモンド・デイヴィス)で、メドゥーサは「〝下界〟の入口 edge of Underworld 」にある「死人の島 isle of the dead 」に棲んでいるという設定でした(約1時間13分)。カローンの渡し舟でステュクス河を渡るのですが、向こうに見える〈死人の島〉は、ベックリーンのイメージに応じているのではありますまいか。 | ||
レイ・ハリーハウゼン/トニー・ダルトン、矢口誠訳、『レイ・ハリーハウゼン大全』(2009)によると、 「このシークエンスは、パリヌーロ海岸にあるアーチ型の岩(『アルゴ探検隊の大冒険』でタロスのシークエンスに使った場所)のそばで撮影した。死者の島そのものは、海岸沖にあるスコリオ・デル・コニッリオという島を撮影し、島をより大きく見せるための延長部分や神殿をマット合成した渦巻く霧もあとから二重焼きつけしたものだ」(p.282) とのことです。パリヌーロは「ナポリ南部のピショッタとサプリに挟まれた小さな海辺の村」(p.158)。 ちなみに再製作版『タイタンの戦い』(2010、監督:ルイ・レテリエ)でも、メドゥーサの棲処は「三途の川の向こう、冥界の端にある across the river Styx, at the edge of Underworld 」(約57分)という設定で、より豪勢になったカローンの渡し舟も登場しますが、ベックリーン風の島は見られませんでした。 渡辺啓助、「吸血花」(1934/昭和9)、日下三蔵:編、『怪奇探偵小説名作選2 渡辺啓助集 地獄横町』(ちくま文庫 か 35-7)、筑摩書房、2002 中に以下のくだりがありました; これ等の風景は、一見、アルプス画家のセガンチイニの絵に見られるような孤独で穏やかな透明さに満ちているが、だんだん見惚れていると、エドモンド・ムンクの怪奇画の持つ アラン・ムーア作、ジェイセン・バロウズ画、柳下毅一郎訳、『プロビデンス Act 3(ネオノミコンシリーズ 4)』、国書刊行会、2024 p.89、pp.102-103、pp.120-121 に出てくる施設は同シリーズ『プロビデンス Act 1(ネオノミコンシリーズ 2)』(2022)、 p.11、p.20、p.24 に続く再登場で、ただ『Act 1』では見られなかったベックリーンの《死の島》が、ちらっと見られました(p.102 3コマ目)。 なお『Act 1』には→こちら(「ギュスターヴ・モロー研究序説」[14]の「おまけ」)で触れたように、モローやヒエロニムス・ボスが引きあいに出される箇所がありましたが、それ以外にも、 「あの偉大な退廃画家ジャン・デルヴィルの『サタンの宝』」(p.110、訳注 p.169) は路線内だとして、 「デュシャンとかいう芸術家、リリーと一緒に見にいったアーモリーショーで騒ぎになっていた画家…(中略)…屋根瓦工場の爆発とか言われてた裸体画」(p.67、また訳注 p.167) といったくだりもありました。 アラン・ムーア作、ジェイセン・バロウズ画、柳下毅一郎訳、『ネオノミコン(ネオノミコンシリーズ 1)』、国書刊行会、2021 では 「ピックマンの絵…(中略)…ブリューゲルとボッシュからネタをもらって、…(中略)…アンリ・ルソーのスタイルを借りて」(p.40) と、 アラン・ムーア作、ジェイセン・バロウズ画、柳下毅一郎訳、『プロビデンス Act 2(ネオノミコンシリーズ 3)』、国書刊行会、2023 ではヒエロニムス・ボス(p,123)、ビアズレー(p.126、また訳注p.174)、シドニー・サイム(同/同)、ゴヤ(同)、ギルレイ(同/同)、ホガース(同/同)といった名が並び、p.165 に 「まるでデルヴォーの絵画に出てくる女性のようだったが」 というくだりも見られました。訳注 p.176 には 「デルヴォー(1897-1994)はベルギーのリエージ生まれの画家。遠くを見つめる瞳と裸体で、、夢のような場所を彷徨う女性たちの絵で有名な幻想画家」 と記されていますが、『プロビデンス』主要部分における主人公の日誌は1919年6月5日から始まり(『Act 1』、p.35)、当該部分は9月28日(『Act 2』、.p.163)の含まれます。とするとこの現実におけるデルヴォーの典型的な作風が成立するより早そうですが、それはそれということにしておきましょう。 |
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