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怪奇城の画廊(完結篇) - 実在する美術品より
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Ⅰ.各映画の総体に呼応する場合 幕間の頁でとりあげた『ファイブ・バンボーレ』(→このあたり)や後篇での『大反撃』(→そのあたり)などを始めとして、映画の中で、実在する額絵の複製の類が見られる例は、枚挙に暇がありますまい。思いついたわずかな作品は「『Meigaを探せ!』より、他」のコーナーでも挙げました。これらほんの少しばかりの例を見ても、その度合いはさまざまであるとして、出てきた絵が映画の筋立てに関係がありそうな場合と、とりたてて関わっていないように思われる場合がありました(当方が読みとれていないだけという可能性は大いにあります)。 |
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本サイトでとりあげた作品から、前者の例としてさらに、『私はゾンビと歩いた!』(1943)を挙げておきましょう。 ベックリーンの《死の島》第3ヴァージョン が映ります(→こちら/ベックリーンの作品の画像とデータの頁は→そちら)。映画の中でこの絵について話したりする場面があるわけではありません。ある人物の寝室の壁に飾ってあるのが、たまたま映ったという態です。ただこの映画は、ヴードゥーのゾンビを、単なる労働力ではおさまらない、生者の世界にあっても、死が常にどこにでも遍在していることを感じとらせずにいない、濃密な雰囲気をまとったものとして描いていました。TV放映時の邦題の一つだったという『生と死の間』ともども、冥界への入口を描いたベックリーンの絵は、いかにも似つかわしい。 |
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同じくRKOでヴァル・リュートンがプロデュースした『吸血鬼ボボラカ』(1945)の原題は Isle of the Dead =『死(者)の島』です。前回組みこんだベックリーンの絵を、映画全体の発想源としたのでしょう。今回はタブローの形では登場しませんが、オープニング・クレジットの背景として映され、さらに、舞台となる島の姿はベックリーンの絵をそのままなぞったものでした(→あちら)。 | |||||||||||||||||||
この島の全体像は定かではありませんが、さほど広いものではなさそうで、墓地が中核を占めているようです。 墓地とは別にある屋敷の広間には、 ベックリーンの《ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像》 がかかっていました(→ここ/件の絵の頁→そこ)。他にもベックリーンのものと思しき絵が見られますが、ともあれこの自画像の主題は〈 |
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《死の島》(第3ヴァージョン、1883)の頁の「おまけ」で触れましたが(→そこの2)、他にも、 『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』(2005、監督:ブラザーズ・クエイ) や 『ビザンチウム』(2012、監督:ニール・ジョーダン) など、《死の島》と関連のありそうな作品を見出すことができます。その内「怪奇城の図面」の頁に続いて(→あそこ)、 『デモンズ'95』(1994、監督:ミケーレ・ソアヴィ) に再登場願いましょう。《死の島》の模型が登場します(→こなたを参照:『デモンズ3』(1989)の頁中)。 |
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この模型は『デモンズ'95』の舞台である墓地の中にあります。この墓地では夜な夜な死者が蘇るのでした。やはり生者の世界と死者の世界との交差点に位置するわけです。 『私はゾンビと歩いた!』、『吸血鬼ボボラカ』、『デモンズ'95』のいずれでも、《死の島》はそれぞれの映画全体のテーマに呼応する絵として、映画の中に持ちこまれていました。 この点では、幕間の頁で触れた『ラビリンス - 魔王の迷宮 -』(1986)におけるエッシャーの《相対性》(1953)の位置もこれに通じると見なせます(→そなた、また当作品の頁→あなた)。 後篇の頁で見た『吸血魔のいけにえ』(1967)におけるボス《快楽の園》右翼、『デモンズ3』(1989)におけるタッデオ・ディ・バルトロ《地獄》を、それぞれに換骨奪胎した壁画も、加えることができるでしょう(→こっちや、またそっち)。 追補:比較的最近補足したばかりなのに - 2022年1月11日。ちなみに今日は同年7月31日 - すっぽり抜け落ちていたのですが、『私はゾンビと歩いた!』と同じく制作ヴァル・リュートン、監督ジャック・トゥルヌール(ターナー)による『キャット・ピープル』(1942)では、 ゴヤの 《マヌエル・オソーリオ・マンリケ・デ・スニガ(1784-1792)》(1787-88) が見られました(左下→そっちの2/ゴヤの件の絵の頁は→そっちの3)。かの映画の頁でも記したように、絵の左下部分、ペットの鳥を狙う猫たちの様子が、ヒロインと小鳥の関係に対応していると指摘されています。これも映画全体のテーマに関わるものと見なしてよいでしょうか。 一応の続篇である『キャットピープルの呪い』(1944)でもこの絵は続投しました(右下→そっちの4)。 |
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追補の2:猫といえば、『麗猫伝説』(1983)における スタンランの《ロドルフ・サリの もありました(→そっちの4/スタンランの件の作品の頁は→そっちの5)。これは載せようと思ったのを憶えているのに結局きれいに忘れていたのでした。ともあれ、このTV映画は化猫映画にまつわるお話で、そこにスタンランの黒猫を描いたポスターが挿入されるのは、やはり物語全体に呼応しているわけです。中篇の頁で触れた、同じ監督による『HOUSE ハウス』(1977)で、白猫を描いた掛軸や襖絵が見られたことが連想されたりもします(→そっちの6)。 ところで『麗猫伝説』では、スタンランのポスターが同じ屋敷の玄関先(右上)と別の部屋(右下)とに登場しました。後ほど触れる『血を吸う人形』(1970)で、ティツィアーノの同じ絵が二度別の場所に見られたというのは(→そっちの7)、今ひとつ自信がありませんでしたが、こちらははっきり映ります。ポスターはそもそも複数ばらまかれることを前提にした媒体だとはいえ、一軒の家の中に二点あるというのは、やはり気になるところです。テーマを強調するというより、化生と化した黒猫の神出鬼没ぶりを暗示してでもいるのでしょうか? |
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『世にも怪奇な物語』(1968)の第1話「黒馬の哭く館」では、いささか不手際ながら、 ウッチェッロのルーヴル版《サン・ロマーノの戦い》 をアレンジしたタピスリーが見られました(→あっち/ウッチェッロの件の絵の頁は→こちら)。原作同様タピスリーでも目を引く位置に配された黒馬は、燃えてしまうことで、主人公の前に実体化して現われることができたかのようです。しかもタピスリーの部分的焼失は、ある人物を襲った事故に対応しているのでした。 |
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ところで同じくロジェ・ヴァディムが監督、ジェイン・フォンダが主演した『バーバレラ』(1968)の冒頭、宇宙船内のドアだか衝立に スーラの《グランド・ジャット島の日曜日》 が写しとられています(→そちら/スーラの件の絵の頁→あちら)。近くに見えるディアーナの彫像ともども、装飾以外の役割は持っていないものと思われます。 |
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『Mr.バンピラ 眠れる棺の美女』(1974)で、ロンドンの屋敷の広間には、 クリムトの《期待》 を元にした装飾が見られました(→ここ/《期待》の頁は→そこ)。ただし人物の肌は黒人のものに換えられています。これもまた映画全体の状況に応じていると解せましょうか。 |
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ところでこの映画の始めの方、ドラキュラ城の居間だか書斎だかには、ヴィクトリア朝絵画風の作品が何点も飾られていました(→あそこ)。今のところ個々の絵の素性はわからずにいるのですが、ともあれこれらの絵は、雰囲気を出すため以外の機能を持たされていないように思われます。あえて深読みすれば、ドラキュラ伯爵たちが生きている(?)時間を表わすと見なせるかもしれませんが、これは雰囲気の言い換えでしかありますまい。 | |||||||||||||||||||
Ⅱ.局所的に呼応する場合 他方、映画全体というより、特定の場面の中で、美術品に何らかの役割を持たせる場合もあります。 |
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『フランケンシュタインの逆襲』(1957)で、舞台となる城の玄関ホールに面した吹抜歩廊には、 レンブラントの《トゥルプ博士の解剖学講義》 の縮小複製が見られました(→こなた/《トゥルプ博士の解剖学講義》の頁は→そなた)。最近手に入れたものだと、フランケンシュタイン男爵が客人の教授に見るよう誘うのですが、二人とも医学者ということで、教授が素直に従うのも自然に感じられる。 |
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今のところ素性がわからないでいるのですが、『奇妙な扉』(1952)において、広間の柵の向こうにかけてあった バロック風の聖女像は(左下→あなた)、 それを見つめるヒロインの心情に対応したものと受けとれます。対するに、やはりネタが割れない、 プットーの群像図は(右下→こっち)、 図像の意味の上では筋に何ら関わっていません。 |
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グイド・レーニ(1575-1642) 《聖カタリナ》 1606年頃 |
追補:バロック風の聖女像は、たとえば、左に載せた グイド・レーニの《聖カタリナ》 などと比べることができるかもしれません。右手のポーズが異なるので、左の作品が直接のネタというわけではありませんが、レーニ自身、その周辺、さらに前後の時代に、こうした作例は、あまたあるのでしょう。 |
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『たたり』(1963)に登場した、版画でしょうか、 ウィリアム・ブレイク風(?)の劫罰図は(→そっち)、 同じくネタのあるなしもわからないままですが、館のかつての主が娘の教育のために作ったスクラップブックに含まれるものということでした。 |
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後の場面でちらっと映るのも、同じスクラップブックということなのでしょうか、こちらは上に引いた場面(→あっち)で、下の頁の大きな画面は ギュスターヴ・ドレの《神曲・地獄篇》中の一点(右)、 上の頁の小さめの二点はともに ゴヤの 《 から、左が 48番《告げ口屋》(下)、 右が 63番《何と勿体ぶった奴らだ》(右下) でした。 |
ドレ(1832-1883) 《ダンテの『神曲・地獄篇』第22歌124-126節》 1861 * 画像をクリックすると、拡大画像を載せた頁が表示されます。 |
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ゴヤ(1746-1828) 《 1799 |
ゴヤ 《 1799 |
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ドレがとりあげた場面は地獄篇第22歌からのものです。先立つ第21歌で地獄の第8の圏谷、その第5の濠が舞台となります。そこでは 仮に同じスクラップブックに含まれているのだとすると、悪魔はまんまとしてやられるわけで、恐怖による教育という趣旨に適うかどうかはいささか疑問なしとはしますまい。むしろ宙から逆さに落下する構図の、ダイナミックさゆえ選ばれたのかもしれません。 ゴヤの 《 第63番《何と勿体ぶった奴らだ》では、2頭のロバの怪物に、鳥頭の人物とロバの耳をつけた人物が跨っています。 46番については『プラド美術館所蔵 ゴヤ - 光と影』展図録、国立西洋美術館、2011-12、pp.160-161 / cat.no.47、 63番は『ゴヤ 版画にみる時代と独創』展図録、国立西洋美術館、、1999、p.167 / cat.no.121 の各解説を参照ください。 なぜ他ではなくこの2点を選んだのかはさだかではありませんが、いずれも怪物を描いてはおり、また真似ようもなくゴヤに固有な、いや~な感じの迫真性を欠いてはいません。 なおスクラップブックのエピソードは原作では第6章2節に出てきます (シャーリイ・ジャクスン、小倉多加志訳、『山荘綺談』(ハヤカワNV文庫 NV18)、早川書房、1972、pp.202-207)。 図柄はわかりませんが、ゴヤの銅版画が含まれていました(p.203)。他に通称『フォックスの殉教者の書 Foxe's Book of Martyr 』こと、ジョン・フォックス John Foxe (1516-87)著『行ないと業績 The Actes and Monuments 』(1563)の挿絵(p.204)、そしてブレイクの作品が入っている。ただしブレイクのそれは天国を描いたものでした(pp.204-205)。また館の主ヒュー・クレイン自身が描いたによる絵も混じっているという(pp.205-206)。 『吸血ゾンビ』(1966)で、主人公が怪異の正体を探るべく調査する中で、 ブリューゲルの《キリストの冥府への降下》(左下/件の版画の頁は→こちら) や、 今のところネタを見つけられないでいる魔女を描いた図版(右下) が掲載された本が繰られます(→そちら)。ヴードゥーのゾンビとブリューゲルの冥府図に接点があるかどうかはさておき、超自然の領域が関わっていると暗示すべく選ばれたのでしょう。 |
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『影なき淫獣』(1973)の冒頭では ペルジーノの《聖セバスティアヌス》 がスライドで映され(左下→あちら/件の絵の頁→ここ)、 後の場面で 同じ画家の《ピエタ》 が登場します(右下→そこ/件の絵の頁→あそこ)。 これらは登場人物の一人が美術史の教員だという設定に応じたものでした。ただし《ピエタ》は、映画の舞台であるペルージャの教会ではなく、フィレンツェのウフィッツィ美術館が所蔵するものです。教会の撮影自体、ペルージャではなくローマで行なわれたという。そのサンティッシマ・トリニター・デイ・ペッレグリーニ教会に《ピエタ》の複製があるというわけでもないようです(→伊語版ウィキペディアの当教会の頁)。 |
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幕間の頁でも触れたように、後の場面では ブロンズィーノの《ピア・デ・メディチ》像 らしき額絵が映りますが(→こっち、また『影なき淫獣』の頁の→そっち/件の絵の頁→あっち)、こちらは筋にはからまない。 |
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本作では他にも、ペルージャのⅣ11月広場に面したプリオーリ宮1階にある 公証人広間の壁画など(右→こなた)、 あちこちに美術品のある眺めが見られます。美術品がなくても街や建物内外の眺め自体、意味を読みこむ気も失せさせようほどに、興味深い細部に満ちているのでした。 |
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『ハンガー』(1983)ではピアノの向こうの壁に、 フェルメールの《音楽の稽古》 らしき絵の下の方が見えます(→そなた/件の絵の頁→あなた)。屋敷に住む二人とヴァイオリンを教えている少女が合奏する部屋を飾るにふさわしい作品ということなのでしょう。 さらに《音楽の稽古》では、画面奥の方に位置する壁の手前にヴァージナルが配され、背を向けた女性が楽器に向かっています。右に引いた場面では、奥の壁に絵がかけられ、その手前にピアノを配する。ピアノを弾くミリアム(カトリーヌ・ドヌーヴ)はこちら向きで、あたかも奥の壁にかけた額絵を鏡に見立て、手前と画面の向こうで空間が反転しているかのごとくです。 |
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Ⅲ.いかにも訳ありげな場合 さて、何やら意味ありげに画面に映りこむのだけれど、その意味なり機能が一目瞭然に見てとれるわけではない、という場合もありました。ただし当方の不見識ゆえ、という可能性は大いに見積もっておかねばなりません。 とまれ、たとえば、『妖女ゴーゴン』(1964)における 《ベルヴェデーレのトルソ》 らしき彫像をその例に挙げることができるでしょうか(→あなた/件の彫刻の頁→こちら)。彫像は廃墟化した古城の玄関広間に置かれているのですが、この広間は面白いレイアウトを示しています。玄関に対して奥の方が、半階分ほど高くなっているのです。高壇ないし中二階は向かって正面と左の壁沿いに設けられているようで、右側奥から階段で上がることができます。 |
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彫像は手前の低い部分に配されています。おそらく、手前の低い部分がからっぽで締まりがなくなってしまうことを防ぐための、くさびのような焦点として置かれたのではありますまいか。その際普通の人物像では垂直性が勝ちすぎて、空間を分断してしまう。胸像であっても、頭部があれば、顔のある側と後頭部の側、つまり前と後、表と裏とに分極化した方向付けが生じずにいません。いささかずんぐりして、頭部のないトルソだからこそ、そのまわりを登場人物たちが動き廻っても邪魔にならず、それでいて空間のアクセントとして機能するのでしょう。直線的な垂直性を帯びた境界標として前後を区切るのではなく、丸めた背中の曲線は、視線をぐるっとめぐらせる回転軸として働くわけです。 またこじつけ気味に深読みするなら、頭部のないトルソは、メドゥーサがペルセウスによって首を落とされるという神話の顛末を、あるいは逆に、ゴルゴーンを見た者が石になるという事態を暗示しているとも見なせなくもないかもしれません。しかしそこまで言っていいものかどうか。 |
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ところで中篇の頁で挙げたように(→そちら)、本作の冒頭には画家のアトリエが出てきます。このアトリエはその後、登場人物の一方の陣営の拠点になるのですが、その際、アトリエの扉を開けた先は玄関の方へ通じているのでしょうが、すぐ向かいの壁に ラファエッロの通称《美しき女教師》 に基づくと思われる、ただし出来はよろしくなさそうな絵が描かれていました(→あちら/《美しき女教師》の頁→ここ)。 もっともこちらは、画家が住んでいた痕跡以上の意味はなさそうです。壁に直接描いたのだとすると、借家でしょうに、いいのか? という疑問が湧いたりもするのですが。 |
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『ヘルハウス』(1973)の舞台となる幽霊屋敷の二階、調査に来た登場人物たそれぞれに割りあてられた各部屋には何かと絵や小彫刻などが飾ってあるのですが、その中に ティツィアーノの《ダナエー》 がありました(→そこ/《ダナエー》の頁→あそこ)。いろいろある中で素性のわかったのはこれだけで、だからといって深読みするのはどうかという気もします。ただあえてこじつければ、人の姿をとらない神とダナエーの交渉に、調査団中の女性陣二人に対して悪霊が仕掛けたちょっかい、というかセクハラとの照応を読みこみはできますまいか。 |
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そこまで言えるかどうかは、やはりしかし、いささか覚束ないとの感が拭えません。他方『赤い影』(1973)における ジョヴァンニ・ベッリーニの《聖カタリナとマグダラのマリアのいる聖母子》 は、一度ならず大映しになります(→こっち/件の絵の頁→そっち)。 あきらかに強調されているわけですが、どんな意図で強調されるのかがあるのかわからない。舞台であるヴェネツィアという土地に関わるのか、主人公たち家族の運命とその救済を指しているのか? |
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Ⅳ.意味づけから解放された場合 『バーバレラ』におけるスーラの《グランド・ジャット島の日曜日》、『奇妙な扉』でのプットー群像図、『妖女ゴーゴン』でのラファエッロ《美しき女教師》などでも触れたように、映画の筋立てに対してとりたてて特別な意味を持たず、そうした美術品が飾られるような環境の雰囲気を伝えるためだけに絵や彫刻を配置する、そんな風に見える例も少なくありません(不勉強のため意味づけなり機能なりに気がつかないだけだという可能性は、常に忘れないようにしましょう)。 『そして誰もいなくなった』(1945)で舞台となった屋敷の居間には、 フランス・ハルスの《笑う騎士》 と思われる額絵がかけてありました(左下→あっち/件の絵の頁→こちら)。もう一点、 首の長い鳥でしょうか? 何やら不思議な図柄の絵 が見られますが、こちらは委細不明です(右下)。 いずれにせよ双方、「四角錐と四つの球 - 怪奇城の意匠」の頁で見た同作で屋外随処に配されたオベリスク(? →そちら)ほどにも、意味づけも機能も担わされてはいないように思われます。 |
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『五本指の野獣』'1946)での レンブラントの《34歳の自画像》(1640) ではないかと思われる絵(左下→あちら/1640年の自画像の頁→ここ)や、 『生血を吸う女』(1960)での同じく レンブラントの《自画像》(1660) らしき絵(右下→そこ/1660年の自画像の頁→あそこ)も同様でしょう。 |
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追補の3;『吸血鬼の接吻』(1963)で、広間の壁に掛かっていた絵は、 カナレット《大運河:南西を望む》(1738頃) に近いような気がします(左→あそこの2/件の絵の頁→あそこの3)。いずれにせよ、やはり話の本筋とは何の関係もなさそうです。 |
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ロジャー・コーマンによるポー連作の劈頭を飾る『アッシャー家の惨劇』(1960)には、中篇の頁で触れたバート・ショーンバーグの作品(→こっち)以外にも、セット内の階段室、二階廊下、各個室、礼拝堂など、少なからぬ額絵が飾ってありました。当該作品の頁でも引用したコーマンの『自伝』中のくだりから再度引けば(→そっち)、 美術監督のダニエル・ハラー(ホラー) 「はユニヴァーサルへ出かけて、2500ドルでありもののセットや背景を買いこんだ…(中略)…いろいろな映画会社をまわって、柱やアーチや窓や家具を集めた。…(中略)…そしてポーの作品を撮りおえるたびに、倉庫を借りてセットを保存した。だから一連のポー作品をくりかえし見ると、おなじセットや特定の道具が何度も登場しているのがわかるはずだ」 (ロジャー・コーマン、ジム・ジェローム、石上三登志・菅野彰子訳、『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか-ロジャー・コーマン自伝』、早川書房、1992、p.125) という、そうした品々の内の一部なのでしょう。 |
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実物なのか複製なのか、ほとんどは今のところ素性不明のままなのですが、一点だけ見当をつけることができました。主階段沿いの壁にかけられていたのは、 ルーベンスの《エレーヌ・フルマンと長子フランソワ》 にほかなりますまい(→あっち/件の絵の頁→こなた)。 |
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目だつ位置に配されたけっこう大きな絵となれば、何か意味が込められているのでしょうか? 最初に階段室の眺めが映った際には、シャンデリアの向こうでよく見えず(右→そなた)、シャンデリア落下という出来事が起きたために、絵柄が見えるようになった(右上)という点を思えば、なおさら、何やら読みこみたくなってしまいはしないでしょうか。 | |||||||||||||||||||
ショーンバーグによるいかにも禍々しげな一族の肖像画とは対照的に、ルーベンスのこの絵は、画家自身の家族のいかにも幸福そうな姿を描いたものと見なせましょう。とすると、ルーベンスの家族像は、ロデリックやマデリンらアッシャー家の末裔のありえたかもしれない、しかし実現することのなかった可能性を暗示していると解することはできないか。 しかしやはり、これはこじつけだろうとの感が否めません。そもそもルーベンスの絵が放つ雰囲気は、映画全体のそれとはそぐわない。いろいろかき集めた物品の中にこの複製が混じっていて、けっこう大きいので、真ん中に配し、両脇を小さめの絵ではさんだ、そして目立ちすぎないよう引きでしか映らないようにした、ととった方がありえそうな気がします。 というのも、続く連作第二弾の『恐怖の振子』(1961)でも、けっこう大きくて目だつけれど、何か意味があるとは思いがたい絵が見られたからです。 |
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舞台となる古城の大広間、その壁の上の方にけっこう大きな絵がかかっています。 モローニの《仕立て屋》 です(→あなた/件の絵の頁→こちら)。 とはいえカメラがきちんと捉えるわけでもなく、再生を静止させてじろじろ眺めでもしなければ、それと気づくものかどうか。 |
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モローニの《仕立て屋》はさらに、『忍者と悪女』(1963)で再登場しました。ヴィンセント・プライス扮する主人公クレイヴンに割り当てられた部屋で、クレイヴンが坐ったその斜め上にでかでかとかかっています(→そちら)。しかしこれも何か意味があるようではなく、その後出てくることもありません。その割りには『恐怖の振子』の際以上に目だっているのですが。 | |||||||||||||||||||
『忍者と悪女』におけるモローニの《仕立て屋》に劣らず目だつけれど、こちらも劣らず、何か意味を籠められているとも思えないのが、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970)における ティツィアーノの《クピードーに目隠しをするウェヌス》 です(左下→あちら/件の絵の頁→ここ)。階段を上がった先にあって、ある登場人物のすぐ右に見えます。階段の上の壁が淋しいので配したのではありますまいか。 なお斜めでよく見えないので確実とは申せませんが、後の場面で二階廊下にも同じらしき絵がかかっていたような気がします(右下→そこ)。 |
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この作品ではさらに、二階のある部屋にアトラース像らしきいやに大きな彫刻だの、何点かの肖像画を飾ってありました。他はわからないままですが、内一点は ヤン・ヴァン・エイクの妻の肖像 のように思われます(→あそこ/件の絵の頁→こっち)。洋館だから、ということでいろいろ並べたのかもしれませんが、いささか多すぎるような気がしなくもない。 |
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エピローグ 『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)では、まず、 ジョヴァンニ・ベッリーニの《総督レオナルド・ロレダンの肖像》 が登場しました(右下→そっち/ベッリーニの件の絵の頁→あっち)。 |
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この肖像画に関しては、描かれた目が秘密の覗き孔になっているという役割を与えられています。もっとも他の肖像画ではなくてこの絵でなければならないという理由はあるのでしょうか? ベッリーニが描いたモデルの面構えがふさわしいと判断されたのかもしれません。 | |||||||||||||||||||
他にもいろいろあるのですが、見当がついたものでは ヴァトーの《シテール島への船出(巡礼)》(左下→こなた/件の絵の頁→そなた) と ダヴィッドのダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》(右下→あなた/件の絵の頁→こちら) がありました。 この二点に何か意味づけが施されているのかどうか、こじつけるなら、ヴァトーの絵はヒロインの部屋の前にあるということで、ロココ的な優雅さ・柔和さ、つまりフェミニンさに、ダヴィッドの絵は伯爵が朝食をとっている場所ということで、男性的な剛毅さ、マッチョさに呼応しているのだ、と解していいものかどうか、しかしいささか怪しげな気もします。 |
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『長靴をはいた猫』(1969)では、 バーン=ジョーンズ、ウィリアム・モリス、ジョン・ヘンリー・ダールがデザインした《聖杯伝説のタペストリー》全5作中の第2作、《武装し出発する円卓の騎士たち》 をアレンジしたのではないかと思われる絵(左下→あなた/件の綴織の頁→そちら)や プッサンの《バッカナーレ(ギターを弾く女のいる、またはアンドロスの人々)》(右下→あちら/件の絵の頁→ここ) が見られました。 |
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前者への処理というのは、アニメで見られた状態から逆算すると、まず、画面を左辺から三分の一ほどのところで分割します。 | |||||||||||||||||||
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⇄ すると右側約三分の二は、色味は別にして、《聖杯伝説のタペストリー》第2番(右)とおおよそ一致します。残った左約三分の一は、左右反転すれば(上)、切り離した右側ないし原作の右から約三分の二ほどになるというわけです。 |
≒ バーン=ジョーンズ、モリス、ダール 《聖杯伝説のタペストリー 2 武装し出発する円卓の騎士たち》 1895-96 |
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後篇の頁で触れた『大反撃』(1969)における ピエロ・デッラ・フランチェスカの《ヘラクリウスとホスロー2世の戦い》(→このあたり) や ゴッホの《星月夜》(→そのあたり) の例が連想されたりもします。仮にこうした操作を加えたのだとすると、その理由として考えられるのは、横長の画面の背景をある程度の幅で覆いたかったという点でしょうか。 いずれにせよ、この絵もプッサンの《バッカナーレ》も、とりたてて特別な意味は与えられてはいないように思われます。 ともあれ、『Mr.バンピラ 眠れる棺の美女』におけるドラキュラ城の居間ないし書斎、『ヘルハウス』での二階各部屋、『アッシャー家の惨劇』ではそこら中に、他にも多くの美術品が映るけれど、相当によく知られた作品でもなければ、気づかずじまいのままという場合が少なくないことでしょう。 また多くの場合、絵など美術品は、登場人物の背後でちらっとかすめるだけです。なにがしかの雰囲気が得られればよしということで、過剰な意味を読みこむことは、そもそも製作者の側でも想定しているわけではありますまい。 最後に見たアニメーションの場合であれば、モノとしての複製を調達ないし作成する必要はないわけですから、選択の幅は広がると見ていいのかどうか(そうなのか?)。しかしであればなおさら、図像上の意味とは別に、あるいは意味づけに合う作品を探すのであったとしても、なぜ他ではなくこの特定の作品を特定の場面のために選んだのかが、大いに気になったりするのでした。 追補: ・「怪奇城の肖像(幕間)」の頁の「xii. 日本」の項で、 『虹男』(1949、監督:牛原虚彦)での、アウグスト・ネター(ナッテラー)《驚異の牧人》に基づくと思われる絵(→あのあたり)、 また 『ファミリー 真夏の恐怖劇場 2』(1999年7月19日放映、監督:水谷俊之)中に見られるアンリ・ルソーの《婚礼》(1904-05頃) に触れました(→あのあたりの2)。 ・「怪奇城の図書室」の頁の「6. 書架と隠し扉」の項では 『ホーンティング』(1999、監督:ヤン・デ・ボン)でのベックリーン《死の島》第5ヴァージョン(1886)(→あのあたりの3)、 同頁「7. 『薔薇の名前』映画版(1986)からの寄り道:ピラネージ《牢獄》風吹抜空間、他」の項で、 『薔薇の名前』(1986、監督:ジャン=ジャック・アノー)からピラネージ《牢獄》風空間の話とともに(→あのあたりの4)、 『ベアトゥス黙示録註解 ファクンドゥス写本』挿絵(→あのあたりの5)、 同頁「8. 『お嬢さん』(2016)より」の項で、 『お嬢さん』(2016、監督:パク・チャヌク)から藤島武二《大王岬に打ち寄せる怒濤》(1932)(→あのあたりの6)、 およびレンブラント《織物商組合幹事たち》(1662)(→あのあたりの7) ・『女ドラキュラ』(1936)の頁の「おまけ」で、『ナディア』(1994)に登場したピエロ・ディ・コージモの《狩りの場面》(1494-1500頃)および《狩りからの帰還》(同上)について、メモしておきました(→あのあたりの8) |
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2022/06/30 以後、随時修正・追補 |
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