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    怪奇城閑話
怪奇城の画廊(前篇)


 「怪奇城の地下」の頁で触れたように(→このあたり)、久生十蘭の「地底獣国」(1939)で、「岩廊(コリドール)」というルビ付きの語が見られました(『地底獣国 久生十蘭傑作選 Ⅲ』(現代教養文庫 893)、社会思想社、1976、p.54/第7章)。山田正紀の『ツングース特命隊』(1980)でも同じ形で用いられていたのは(p.240/第4章2節)、意識的なものととってよいでしょう。
 これも同じ頁で触れたのですが(→そのあたり)、リック・ウェイクマンの『地底探検~完結篇』(1999)には、3曲目(b)として"The Gallery"(「回廊」)という曲が含まれています。その中にナレーションで
 "… arch after arch, gallery after gallery …"
というくだりがありました。邦訳では
 「いくつものアーチをくぐり、道また道と」
となっています。同じくリック・ウェイクマンの『真説・地底探検』(2012)にも、4曲目「クリスタル」のナレーションで、
 "lava gallery"
という呼び方がされています。ちなみに同じ曲の出だしは
 "Admiring shades of lava which imperceptively passed from reddish brown to bright yellow"
で、終わりは
 "Through a succession of arches appearing before them as if they ware the aisles of a gothic cathedral"
でした。こちらは邦訳がついていないのですが、前者はやはり「怪奇城の地下」で引用した原作邦訳の同じ箇所(→あのあたり)、
 「赤褐色から黄色まで、次第に目にはわからないほどうすくなりながら光り輝くこの熔岩の色合いを?」
  (ジュール・ヴェルヌ、窪田般弥訳、『地底旅行』(創元推理文庫 606-2)、東京創元社、1968、p.146/第18章)
に、後者は別の箇所、
 「ときには、わたしたちの前方に、弓形のアーチがいくつもつづき、まるでゴシック様式の大寺院の本堂のようだった」(同上、p.152/19章)
に対応しています。さらに、原作邦訳を適当に繙いて、同じく「怪奇城の地下」で参照した原文で確認してみれば(→こちら)、たとえば、
 「すると、かなり強烈な光が、回廊の闇を一掃した」(同上、p.145/18章)
の原文は
 "et une assez vive lumière dissipa les ténèbres de la galerie"(p.199)
で、
 「のみこまれるようにしてこの暗い廊下に、これからはいろうとする瞬間に」(p.145/18章)
の原文は
 "Au moment de m’engouffrer dans ce couloir obscure"(p.199)
でした。一つ目の文で"galerie"が「回廊」、二つ目の文の"couloir"は「廊下」と訳されているわけです。リック・ウェイクマン版での"gallery"は仏語の"galerie"をそのまま置き換えたものです。原書をそうざらえするだけの余力はありませんが、仏和辞書を見ると、十蘭が用いた"corridor"という形も載っていました。ヴェルヌの原著でもどこかで出てくるのでしょうか?

 ヴェルヌの『地底旅行』で"galerie"と"couloir"がどう使い分けられているのかはよくわかりませんが、「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「廊下など」の項(→そちら)と「怪奇城の廊下」の頁と(→あちら)、すでに二度にわたって引用していて気が引けたりするものの、Mark Jarzombek, "Corridor Spaces"(2010)に、

「corridor では両側に部屋があるのに対し、gallerie では常に、部屋は片側だけで、もう一方は窓の列になる。gallerie は庭を眺めるための空間で、後には絵を見たり、楽しく会話したり、重要なこととして、ゆっくり歩きまわるための空間だった」(p.748)

とありました。こうした区別はどこまで意識され続けてきたのか、他方、"couloir"や"corridor"に劣らずというべきか、それ以上にというべきか、"galerie / gallery"は使い途が広いようです。手もとの仏和辞書には(1)から(11)まで記された内、(8)として
 「地下道;坑道(=~ de mine)」、
英和辞書に(1)から(5)までの内の(2)の(c)として
 「地下の通路((モグラの穴・鉱山の水平坑道・城の地下道・洞穴内の自然の通路など)」
とあって、ヴェルヌの用例はこれに当たるのかと、今さらながら気がついた次第です。『新潮世界美術辞典』(1985)の「ギャラリー」の項を見ると、

(1) イギリスの聖堂でトリビューンに同じ(階上廊。キリスト教聖堂において、側廊や玄関間(ナルテクス)の上に作られ、身廊に面して開口した2階部分)
(2) イタリア、ドイツ、フランスの中世の聖堂建築の外壁に見られる小アーケード
(3) プロテスタントの教会堂の二階会衆席
(4) 建物の内外壁上部に付加された浅い開放的なアーケードあるいは歩廊。劇場のギャラリー席二階桟敷および天井桟敷などもその例
(5) 美術品を陳列した細長い部屋、あるいは幅広い歩廊。イギリス、フランスの初期ルネサンスの邸宅・宮殿にしばしば現われ、イギリスではロング・ギャラリーと呼ばれた。
(6) 近代では形状と関係なく、美術品の展示スペースあるいは展示館。画廊
(7) スイスの山小屋(シャレー)およびアメリカの西部・南部の建物のヴェランダなど
(8) 工芸で家具の甲板(こういた)などを囲む欄干状の部分

が挙げられています(p.377右段)。美術史に多少とも馴染みがあるとどうしても(6)が真っ先に浮かぶのですが、これはあくまで近代限定らしい。(4)であれば、『バグダッドの盗賊』(1940)で楽師たちが(左下→ここ)、同様に『マクベス』(1971)でサード・イアー・バンドが演奏していた中二階桟敷席(右下→ここの2)が思いだされたりします。
『バグダッドの盗賊』 1940、約8分:中二階と金の格子 『マクベス』 1971 約28分:グラミス城、広間中二階のサード・イアー・バンド
 加えて、「キリスト教(西欧中世)」の頁の「おまけ」で挙げた、中間部でのエレクトリック・ギターによる展開が印象的な、ジェスロ・タルの Minstrel in the Gallery (『天井桟敷の吟遊詩人』、1975)のタイトル曲も忘れないでおきましょう(→そこ)。英語版ウィキペディアには"Minstrel's gallery"という項目がありました(→あそこ)。
 ちなみに 北原尚彦:文、村山隆司:絵・図、『シャーロック・ホームズの建築』(2022)の「CASE 11 バスカヴィル館(『バスカヴィル家の犬』より)」に、館の食堂について記す中で、
 「部屋の一方の隅には、(おそらく1.5階のような)高くなったところに吟遊楽士の席が張り出していた」(p.131。p.136 および p.212 の平面図も参照)
とありました。手もとの原作邦訳を見ると、
 「さらに一端には楽師たちの坐る席が一段たかく設けてあった」
   (コナン・ドイル、延原謙訳、『バスカヴィル家の犬』(新潮文庫 赤 134G)、新潮社、1954、p.94/第6章「バスカヴィルの館」)
で、もう一つわからないので原作の英文をウェブ上で探せば、
 "At one end a minstrel’s gallery overlooked it"
  ( < VI: Baskervilles HallTable of ContentsThe Hound of the Baskervilles [ < Standard Ebooks ])
なのでした。


 (5)で、「美術品を陳列した」を必須としなくてもよいのであれば、つまり「細長い部屋、あるいは幅広い歩廊」という、(6)の言葉を使えば「形状」に注目すると、『ノーサンガー・アベイ』(1987)の頁でも見かけた「長い廊下(ギャラリー)」となります(→こっち)。「怪奇城の廊下」の頁ではジャン・メスキの『ヨーロッパ古城物語』(2007)の「用語解説」から写し(p.156)、またくトレヴァー・ヨーク、村上リコ訳『図説 イングランドのお屋敷~カントリー・ハウス~』(2015) pp.84-85 に〈ロング・ギャラリー〉の項のあることを記しましたが(→そっち)、今回は田中亮三、写真:増田彰久の『図説 英国貴族の城館 カントリー・ハウスのすべて』(1999/2008)から引いておきましょう;

「ロング・ギャラリーは、通常二階または主要階に設けられた、幅6メートル、長さ50メートルもの細長い区画で、部屋と部屋をつなぐ通路として機能する廊下(passage, corridor)とはちがって、一個の独立した部屋なのです。…(中略)…
 「エリザベス朝からジェイムズ王朝初期にかけてつくられたロング・ギャラリーには、鏡板張りの壁、漆喰の天井、少なくとも片方の長い壁面の何か所かに大きな窓、しばしば、床から天井までの大きな張り出し窓(ベイ・ウィンドウ)がありました…(中略)…
 「17世紀末から、貴族や富裕階級の子弟たちの大陸への遊学『グランド・ツアー(Grand Tour)』がさかんになると、多くの絵画、彫刻の名品が土産として英国に持ち帰られ、ロング・ギャラリーは、それらの美術品を陳列するギャラリーになりました」(pp.36-37)。

 また片木篤『イギリスのカントリーハウス 建築巡礼 11』(1988)では、エリザベス朝のモンタギュー・ハウス(c.1590-1601)について、「ホールに代って、住宅の中核となった」(p.38)二階のグレート・チェンバー

「の階段を三階まで上がると、住宅全体を南北に横断する細長い部屋ギャラリー(gallery)に達する。ギャラリーとはもともと修道院の回廊(cloister)のような外部の廊下であり、雨天の時にはそこで体操が行なわれたと言う。が、単にそこを歩き回るだけでは面白くない。そこで、歩きながら眺められるようにその壁に何かを掲げるようになった。かかげられたのは主に肖像画で、先祖、親族、友人は言うに及ばず、国王や女王の肖像画まで集められた。…(中略)…かくして、ギャラリーは主人のステイタス・シンボルになり、より長く、より幅の広いものが競って作られるようになった。モンタギュー・ハウスのギャラリーは、全長172フィートもあり、その長い道程を歩いて端までたどりつくと、そこにはオリエル・ウィンドウ(oriel window)があって、庭園やはるかかなたの田園風景を眺めることができるのである」(p.39)

とありました。172フィート=約52.4メートル。『建築用語.net』によると「オリエル・ウィンドウ」は「張り出し窓。壁面が多角形に突き出ている窓をさす」とのことです(→あっち)。

 通路である以上に、あるいは通路であると同時に「一個の独立した部屋」だという点は、「怪奇城の廊下」の頁でも触れた(→あっちの2)、井上充夫の「廊について - 日本建築の空間的発展における一契機 -」(1956)などで取りあげられた平安・鎌倉時代の、〈(ほそどの)〉に通じるところもあるようです。

 ちなみに武井博美『ゴシックロマンスとその行方』(2010)を見ると、『ノーサンガー・アベイ』(1987の原作であるジェイン・オースティンの『ノーサンガー・アビー』(1798-1803頃/1817)での
 「幅の広い、長い回廊」
の原文が
 "a long wide gallery"
であることが記されていました(p.184)。ちなみに同じ頁には
 「長い湿った廊下 its long damp passages」
というのも出てきます。さらに『ヴァセック』(1786)の著者ベックフォードの旅行記から、
 「宮殿の秘密の回廊 the secret galleries of the palace」
云々というくだりが引用されていました(pp.78-79)。


 イギリスのカントリー・ハウスにおける〈ロング・ギャラリー〉が、ヨーロッパの他の地域にもそのまま当てはまるのかどうかは、確認しておいた方がよさそうですが、今のところ資料が集まっていない。とりあえずジャン・メスキの『ヨーロッパ古城物語』(2007)の、今回は本文から引いておきましょう;

ギャラリーは
「かならずしも城館の必要部品ではない。いわば無用の長物だが、それをいかに美しく飾るかに、城館を維持するほどの大領主たるものの評判がかかっていた。
 「12世紀の初頭、オーセールの司教館に、教会会議を開く大広間と、司教の居住スペースをむすぶ『ギャラリー』が建造された。その時以来、『ギャラリー』の建造はふつうのこととなった。14世紀半ばまでは、『ギャラリー』は通路だった。しかし、ちょうど『クール』が中庭と宮廷の両義を持つようになったのと同様、『ギャラリー』は住居スペースもふくめてそう呼ぶようにもなったのである。…(中略)…
 「通行する空間であった『ギャラリー』が領主みずからくつろぎ、客人をもてなす小(?ママ)を張り出していく。この『ギャラリー』の成長は、城の暮らしの日常を構成する部屋や日用品の増殖現象とリズムを同じくしていたのである」(pp.107-109)。


 また原著が1867年に刊行されたレオン・イザベ/ルブラン設計・製図、中島智章訳・監修、『VILLAS 西洋の邸宅 19世紀フランスの住居デザインと間取り』(2014)に掲載された55例から、「ギャラリー」と呼ばれる部分を含む平面図をひろいだしてみると;
plate ページ 見出し 図中の呼び名 幅(m) 長さ(m)
11 34-35 壮大なルネサンス風城館 ギャラリー  1 建物の奥の辺に添って、庭園に面して伸びる(中央に食堂をはさむ) 1.8 約6×2
34 80-83 ライン川流域の中世住宅 ギャラリー 1 建物奥の辺沿いに右半 1.45 5.0
35  82-83 イタリア風シャレ ギャラリーまたはテラス 1 玄関を入る前の屋外、左右へ伸びる 1.9 約8.5
39  90-91 オーストリア風住宅 絵画ギャラリー  1 建物の右辺に添って奥へ  2.7  11.6 
44 100-101 中世様式のドイツ風住宅 ギャラリー  1+2 玄関入ってすぐ左右へ伸びる、2階でも同じ位置 2.0  約10.6
46 104-105 前庭と庭園のある邸館 絵画ギャラリー 建物の左奥で突きでた部分、サロンをはさんで向かいに貴重品陳列室 6.35 14.35
49 110-111 古代ギリシア・ローマ風ヴィラ ギャラリー 2 建物正面左、玄関の上階、バルコニーの屋内に同じ長さだけ 約2.5 約8
50 112-113 近世ローマ風住宅 ギャラリー 1+2 建物中央の奥、庭園に面して左右へ、2階でも同じ位置 1.7  7.0
52 116-117 客人の集まるヴィラ ギャラリー 1 建物左辺沿いに奥へ 3.45 12.9

55例中の9件が多いかどうかはよくわかりませんし、そもそも本書に収められたのは「19世紀フランスにおける様々な様式による住宅建築の雛形」(「監修のことば」、p.4)であって、実例に基づいているにせよ、そのままとはかぎりますまい。「原書序文」には「開放的なギャラリー」(p.13)との言い方がされていますが、ともあれ、やはり通路にとどまらない空間として、細長いギャラリーが捉えられていたと、読みとることくらいはできそうです。
 他方、居間や客間、食堂、書斎などに比べると、ギャラリーが「庭を眺めるための空間で、後には絵を見たり、楽しく会話したり、重要なこととして、ゆっくり歩きまわるための空間」であるにせよ、そこにじっくり腰を落ち着けるというより、合間合間に立ち寄る、一時的な気晴らしのための空間といった性格があるのではないでしょうか。これを、細長さという形状自体が宿す、不安定性や流動性に応じたものと見なすこともできるでしょう。とすれば、ギャラリーには、「一個の独立した部屋」でありつつ、それ自体が目的ではない、通り過ぎるだけの通路としてのあり方の痕跡が、細長い形状の内に潜んでいるわけです。


 イギリスのカントリー・ハウスに戻ると、田中亮三+増田彰久『図説 英国貴族の城館』 pp.14-15 および p.37、トレヴァー・ヨーク『図説 イングランドのお屋敷』 p.85/図7.12、片木篤『イギリスのカントリーハウス』 p.40/zu35 に掲載された写真などから、カントリー・ハウスにおける〈ロング・ギャラリー〉の様子をある程度うかがうことができます。
 ところで本サイトで取りあげたほんの僅かな作品では、こうした〈ロング・ギャラリー〉は、あまり見かけなかったような気がします。
 右に引いた『バスカヴィル家の犬』の一場面のように(→こなた)、城なり館なり、あちこちに絵が飾られている様子であれば、何度となく見られたはずです。 『バスカヴィル家の犬』 1959 約3分:広間、階段と吹抜歩廊
右の場面で映っているのは大広間の、玄関側から見て奥の突き当たりで、右手の壁に沿った階段を上がると、「怪奇城の広間」の頁でも触れたように(→そなた)、ハマー・フィルムの作品で一度ならず見かけた、吹抜に面した歩廊を通り抜け、二階の各個室の区域へ入っていくことになります。とまれ吹抜歩廊の壁、その下の一階の壁、階段沿いの壁と何点も絵がかかっている。いずれも肖像画のようで、物語に関わるものもありました追補:→「怪奇城の画廊(中篇)」の頁でも触れました)。
  『レベッカ』(1940)では、先祖の肖像画が並ぶ細長い空間が登場しました(→あなた)。ただこれは廊下の性格が強く、「一個の独立した部屋」とは見なせますまい。やはり大広間の奥、こちらは中央から上る階段が左右へ枝分かれし、そのさらに奥、二階の高さで左右をつなぐ通路の一画にあたります(追補:→「怪奇城の画廊(中篇)」の頁でも触れました)。 『レベッカ』 1940、約1時間13分:肖像画の回廊 
 ちなみに原作の邦訳を見ると、「二階の陳列室」と記されていました(デュ・モーリア、大久保康雄訳、『レベッカ(下)』(新潮文庫[赤]2B)、新潮社、1971、p.63/第16章)。別の箇所では「客間の上の画廊」との言い方も見えます(同上、p.120/第17章)。「陳列室」や「画廊」は"gallery"の訳のような気がしますが、今のところ未確認。 
 『吸血鬼』(1967)でも、肖像画の並ぶ空間が見られましたが(→こちら)、やはり通路という性格が強かった。舞台となる城の玄関附近がどうなっているかはよくわからないのですが、中庭を右に見る廊下を奥へ進んだ先、半階分ほどあがって奥へ伸びる廊下でした。 『吸血鬼』 1967 約42分:肖像画の廊下
 突き当たりの前でまた半階分ほど低くなり、右に折れれば居間ないし広間となります。そこより半階分高いという点では、多少とも区別された空間と見なすこともできなくはないかもしれません(追補:→「怪奇城の画廊(中篇)」の頁でも触れました)。

 『アッシャー家の惨劇』(1960)で一族の肖像画が飾られていたのは、玄関と階段広間の間の部屋で、やはり「細長い部屋」ではありません。ただし、やはり「怪奇城の広間」の頁でも触れたように(→こちらの2)、角が直角ではなく、不等辺四角形ないし多角形だったようです。

 『新潮世界美術辞典』(1985)の「画廊」の項を見ると、「もともとギャラリーの訳語」とありました(p.332右段)。詳しいことは不勉強のため今のところわからずにいるのですが、「廊」の字が用いられているのは、〈(ほそどの)〉にも通じる「細長い部屋」という形状が含意されていたのでしょうか?
 同じ辞典の「ギャラリー」の項に戻ると、先だってとは逆に、(5)で、「細長い部屋、あるいは幅広い歩廊」という、(6)の言葉を使えば「形状」を必須としなくてもよいのであれば、つまり「美術品を陳列した」点だけをとれば、(6)にいう「美術品の展示スペース」は、呼び名はさておき、「近代」以前でも「形状と関係なく」、見出すことができます。〈小書斎(ストゥディオーロ)〉、〈珍品陳列室〉、〈驚異の部屋(ヴンダーカンマー)〉、〈愛好家の陳列室〉などがそれにあたり、「ホワイト・キューブ以前の展示風景:孫引きガイド 、あるいは吸血鬼の舞踏会のために」の頁でほんの少しばかり文献(→そちら)、またそうした部屋を描いた絵をいくつか挙げておきました(→あちら)。〈画廊画〉についての資料も少しだけ並べてありますが、ここではその内かっこうの入門篇として(→ここ);

島本浣・岸文和編、『絵画のメディア学 アトリエからのメッセージ』、昭和堂、1998
  pp.176-183:「③絵画流通を描く絵画 ギャラリー画(西洋)」(島本浣)
  pp.184-189:「同(日本)」(岸文和)


  こうした陳列室は館なりお屋敷の中にあったのでしょう。〈画廊画〉に描かれたような眺めが出てくる映画もあってよさそうな気はしますが、今のところ出くわしていません。あるいは少なくとも、憶えがない。
あえていえば、現代の話ですが、 『鑑定士と顔のない依頼人』(2013、監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)で見られた、主人公のコレクション収蔵室兼陳列室でもある隠し部屋が、壁一面に絵を掛けた、近世の画廊画の眺めを彷彿とさせるでしょうか。ともあれ他に見かける機会があれば、追補することとします。 『鑑定士と顔のない依頼人』 2013 約48分:コレクション陳列室
 さて、ここまでが前置きで、この後本題に入るつもりだったのですが、例によって長くなってしまいました。いったんページを閉じて、いつになるやら、続きを待つことにいたしましょう。
→ 「怪奇城の画廊(中篇)」へ続く

2022/02/22 以後、随時修正・追補
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