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怪奇城の広間


 『白い肌に狂う鞭』(1963→こちら)、『顔のない殺人鬼』(1963→そちら)、『幽霊屋敷の蛇淫』(1964→あちら)の三作では、舞台である古城の中枢となる広間ないし大広間の奥、その左右両端で階段が上へ、そしてのぼった先で吹抜歩廊が左右をつなぐという配置が共通しています。 『白い肌に狂う鞭』 1963 約5分:広間
『白い肌に狂う鞭』 約5分
『幽霊屋敷の蛇淫』 1964 約19分:広間、向かって中央
『幽霊屋敷の蛇淫』 約19分
『顔のない殺人鬼』 1963 約19分:広間、入口側から
『顔のない殺人鬼』 約19分
 アントニオ・マルゲリーティが監督した『顔のない殺人鬼』のイタリア公開は1963年8月15日、
 マリオ・バーヴァによる『白い肌に狂う鞭』は1963年8月29日、
 再びマルゲリーティの『幽霊屋敷の蛇淫』は1964年7月4日

でした。ただし『幽霊屋敷の蛇淫』の頁でも触れたように、マルゲリーティの二作の内、『幽霊屋敷の蛇淫』の方が先に製作されたと見なされています。またその際、セルジョ・コルブッチが監督した『モンザの修道士
Il monaco di Monza 』(1962)のセットを流用したとのことで( YOU TUBEで見ることのできた Il monaco di Monza の予告篇では、全3分43秒の約2分43秒あたりで、並行する二つの階段が映りました)、同じマルゲリーティが手がけた『顔のない殺人鬼』でも同じセットに手を加えて用いるのは不自然ではありますまい。
 実際、上の方と下の方で玉縁に区切られた円柱は、双方で同じもののように見えます。『白い肌に狂う鞭』では、上で三つ叉になる木製の角柱が広間の入口を縁取っていましたが、『幽霊屋敷の蛇淫』では吹抜歩廊の欄干に三つ叉柱が配されていました。『顔のない殺人鬼』ではこちらも円柱のようで、位置も少しずれています。
 とまれ、近い時期に製作された『白い肌に狂う鞭』でも、同じセットが用いられたのでしょうか?


 Tom Johnson and Mark A. Miller, The Christopher Lee Filmography, 2004 でも、 『顔のない殺人鬼』の

「大部分が撮影された美しい領主屋敷は、彼が『幽霊屋敷の蛇淫』で、バーヴァが『白い肌に狂う鞭』で用いたのと同じものだ
Video Watchdog #28」(p.127)

と記されていました。 クリストファー・リーはその自伝の中で、『白い肌に狂う鞭』の撮影後、

「スタジオを離れもせず、一息つく暇も報酬を受けとる余裕もほとんどないまま、『顔のない殺人鬼』における怯えたナチス親衛隊の男の役へと飛びこんでいった」
Christopher Lee, Tall, Dark and Gruesome, 1977/1997/1999, p.187

と述べています。
Jonathan Rigby, Euro Gothic: Classics of Continental Horror Cinema, 2016 によると

 『幽霊屋敷の蛇淫』は1963年3月18日から(p.128)、
 『白い肌に狂う鞭』は1963年5月7日から6月(p.130/
The Christopher Lee Filmography, p.123)、
 『顔のない殺人鬼』は1963年6月から7月13日(p.132/T
he Christopher Lee Filmography, p.127)

に撮影されたとのことです。
 なお『白い肌に狂う鞭』と『幽霊屋敷の蛇淫』の双方でオッタヴィオ・スコッティがプロダクション・デザインないし美術監督、リッカルド・ドメニチが『白い肌に狂う鞭』でセット装飾、『顔のない殺人鬼』で美術監督を担当していました。

 Tim Lucas, Mario Bava. All the Colors of the Dark, 2007 には、

「屋内の場面のほとんどは実際の
お城(カステッロ) 、住む者のいない地所で撮影された。壁紙や家具は異なるものの、2年前、ガスタルディが脚本を担当した『狂気の爪痕・牙男』でも屋内を提供したところだ(註5)。

 『
お城(カステッロ)は廃墟でした。映画の中で見えるようには美しくもなければ、居心地よくもありませんでした』と、ダリア・ラヴィは回想する。『映画に映る家具は、私たちがやっていた場面のために持ちこまれたものでしかありません;お城にもともと家具があったかどうかは憶えていません。そこにあったものは皆小道具で、建物自体はとても寒かった』」(p.524)

と、文中の註5として、

「『白い肌に狂う鞭』の翌年、同じ城でのロケーションが、アントニオ・マルゲリーティの『幽霊屋敷の蛇淫』(1964)の主な屋内場面のために用いられた」(p.525 no.5)

と記されています。この場合「翌年」とあるのは公開年を指しているわけです。

 Roberto Curti, Italian Gothic Horror Films, 1957-1969, 2015 中の『白い肌に狂う鞭』の項でも、

「同様に、メンリフ城の屋内のスタジオ - マルゲリーティの『幽霊屋敷の蛇淫』で見られるものとほとんど同じ」(p.108 note 10)

とありましたが、さらに、1963年6月6日イタリアで公開された『恐怖 ブランチヴィル(ブランシュヴィル)の怪物』(監督:アルベルト・デ・マルティーノ)の項に、

「屋内は、他方、ローマで撮影された。ブラックフォード城の広間は、同じ年に『白い肌に狂う鞭』で見られたのと同じステージ=セットである」(p.88 note 3)

とのことです。
「実際のお城(カステッロ)」なのか撮影所のセットなのか、もう一つすっきりせず、また『狂気の爪痕・牙男』(1961)についてはいったん置くとして、『恐怖 ブランチヴィルの怪物』の頁はまだ作っていないのですが、確認してみれば、城の玄関から入ったすぐ向こうで、やはり吹抜歩廊につながれた左右の階段が見えました。   『恐怖 ブランチヴィル(ブランシュヴィル)の怪物』 1963 約5分:玄関広間、奥左右に階段
『恐怖 ブランチヴィルの怪物』 約5分
 余談になりますが、Roberto Curti, Italian Gothic Horror Films, 1957-1969, pp.86-88 Jonathan Rigby, Euro Gothic: Classics of Continental Horror Cinema, pp.126-127 によると、本作のイタリア版タイトルは Horror、米国版では The Blancheville Monster で、伊版では字幕で示される舞台がスコットランドだったのが、米国版でなぜか北フランスに、主人公一族の名も Blackford (黒い浅瀬)から Blancheville (白い町)に変更されました。「ブランチヴィル」は英語読み、「ブランシュヴィル」は仏語読みとなるでしょうか。
 ともあれ、お話はポーの「アッシャー家の崩壊」を元にしたもので、寝間着姿の女性が燭台を手に暗い廊下、次いで塔の階段をのぼる場面があったり、『ワルプルギスの夜』(1971)や『エル・ゾンビ 落武者のえじき』(1972)に先だって、マドリード州の西、ペラーヨス・デ・ラ・プレーサ市
Pelayos de la Presa にあるバルデイグレシアスのサンタ・マリーア・ラ・レアール修道院 Monasterio de Santa María la Real de Valdeiglesias 址でロケされたという、とても印象的な廃墟の眺めを含んでいたりするのでした。
 最初の三作に戻りましょう。向かって右の壁に大きな暖炉があるのも三作で同じでした。暖炉の左右には扉口があります。 『白い肌に狂う鞭』 1963 約35分:広間、二階歩廊から
『白い肌に狂う鞭』 約35分
『幽霊屋敷の蛇淫』 1964 約51分:広間、吹抜歩廊から
『幽霊屋敷の蛇淫』 約51分
『顔のない殺人鬼』 1963 約2分:広間、左階段の上から 稲光による影つき
『顔のない殺人鬼』 約2分
 『白い肌に狂う鞭』では、暖炉の左、右奥の階段との間の扉口から、グラスを盆に載せて家政婦が出てきました。扉口の向こうに厨房や使用人の部屋があるのでしょうか。先立つ場面で食堂が出てきましたが、どこに位置するのかはわかりませんでした。
 『幽霊屋敷の蛇淫』では、暖炉の左の扉の向こうに、踊る男女がちらっと見え、そのすぐ後でチェンバロやハープを置いた音楽室であることがわかります。
 やはり向かって右に柱時計、その奥で地下納骨堂へ通じているのですが、これは暖炉のすぐ右の扉口より、さらに右に当たるのでしょうか。『顔のない殺人鬼』で展示室があったのも、同じ位置になるのか。


 三作いずれの場合も、左の階段をあがって左へ入った先は、住人の寝室ないし私室の区画でした。廊下は少しまっすぐ伸びた後、少なくとも一度は、さらに左へ折れます。
 『白い肌に狂う鞭』では、使用人二人を除く城の住人四人の内三人プラス帰還した放蕩息子に、それぞれ部屋が割り振られていましたが、なぜかヒロインの夫だけ、自分の部屋と関係づける描写が出てきませんでした。『顔のない殺人鬼』でこの区画に入るのはヒロインとその夫の二人だけですが、やはり夫の部屋がどこなのかは不明のままです。文字通り幽霊屋敷状態の『幽霊屋敷の蛇淫』では、部屋割りは描かれませんでした。

 戻って、右の階段をあがって右へ入った先は、『幽霊屋敷の蛇淫』でとば口からほんの数歩分入りはしたものの、他の二作では中へ進むことはありませんでした。セットを作っていないんじゃないかという気がしたりもする。他方、『顔のない殺人鬼』と『幽霊屋敷の蛇淫』では、必ずしも必要とも思われないのに、右の階段をのぼりおりする場面がありました。『白い肌に狂う鞭』では右の階段はまったく使われなかった。
 吹抜歩廊の下は、『幽霊屋敷の蛇淫』では扉があって中は書斎でした。『白い肌に狂う鞭』と『顔のない殺人鬼』の場合いずれも突きあたりで、窓が設けられています。ただ画面には映らないのですが、後者では、厨房や使用人区画のある下の階への階段があるという設定でした。 『幽霊屋敷の蛇淫』 1964 約1時間5分:左右階段の間・奥に書斎の扉
『幽霊屋敷の蛇淫』 約1時間5分
 『幽霊屋敷の蛇淫』と『顔のない殺人鬼』双方、玄関から入ってまっすぐ、少し進んだ先に広間が位置しています。また何れの場合も、吹抜の広間より玄関側は天井が低くなっているようです。手前部分は幅も狭い。
 前者では、主人公が通ってきた門から階段を上ってきた先に玄関があり、城自体が小高いところに建っているわけですが、広間は一階にあることになります。
 『顔のない殺人鬼』の玄関だか庭園側の入口は、庭園の地面から一階分あるかないか、やはり少し高くなっていました。広間は一階と数えるべきか二階になるのか。 『顔のない殺人鬼』 1963 約22分:玄関ないし庭へのバルコニーと階段
『顔のない殺人鬼』 約22分
 『白い肌に狂う鞭』の場合、広間の入口側は廊下に通じています。廊下は角で曲がるか枝分かれするかしています。 『白い肌に狂う鞭』 1963 約5分:広間の手前
『白い肌に狂う鞭』 約5分
 先立つ場面で城の外壁沿いに地面から半階分ほどあがる階段、そこに開いた開口部の向こうで、さらに上への階段が映ります。正規の玄関というより通用口のようにも見えますが、少なくとも映画の中では、人が出入りするのはここだけでした。 『白い肌に狂う鞭』 1963 約4分:城の玄関附近、壁に落ちた騎手の影が大きくなる
『白い肌に狂う鞭』 約4分
 角をはさんで右の壁に、幅が広い半円アーチのフランス窓が三つ並んでおり、これが一階だとして(その上に折れ曲がった格子が二つ見えますが、これはどこかから反射したものなのでしょうか?)、階段をあがった先でまた降りたりしていないのであれば、広間は二階に位置することになります。
 作中では、広間のある階のさらに下の階や、あるいはその存在を示す印は出てきませんでした。『幽霊屋敷の蛇淫』や『顔のない殺人鬼』と違って、少なくとも城本体に地下があるといった様子はありません。映画内の描写をあまり額面通り受けとっても詮方ないにせよ、仮にそうなのだとすると、三階にある城内の個室区域から、離れの礼拝堂の地下納骨堂までつながっている隠し通路はずいぶん長く、しかも上下にも延びていることになります。揚げ足を取っているのではありません。それどころか嬉しがらずにはいられないのでした。

 広間、大広間といっても、いろいろと変遷を経てきたようです。手もとの英和辞書で
"hall" を引いてみると、

(1)として「((大家の))玄関の広間;((普通の家の))玄関、入口の廊下」、米国英語として「((建物内の))廊下」、
(2)として「公的な建物、会館、公会堂、ホール」、
少し飛んで(4)として「((中世の王侯豪族の))大邸宅、(その中の)大広間」

等とありました。別に
"hallway" という単語があってこちらは

「((ビルなどの))玄関;廊下
(corridor)

とのことです。広間=ホールだと何となく思いこんでいたのですが、いつもながらの早合点だったらしい。

 片木篤、『イギリスのカントリーハウス 建築巡礼 11』(1988)には、

「中世の住宅は、ホール(
hall )を中心にして構成されている。ホールは、客を応接し、食事をとり、宴や舞踏会を催し、使用人が就寝する、今でいう多目的室であったが、そこから各機能を担う部屋が独立・分化していく過程が中世を通じて見られるのである。
 「ホールは一階から二・三階の高さまで吹抜かれた大空間であり、通常天井には屋根の小屋組が露出されている」(pp.20-21)

と、また田中亮三、写真:増田彰久、『図説 英国貴族の城館 カントリー・ハウスのすべて』(1999/2008)の「館内探訪」では、「大広間(ホール)
Great Hall 」(pp.7-9、pp.35-36)と別に「広間(サルーン) Saloon 」(pp.12-13、p.36)の項が設けられていました;

「急速にプライヴァシーが求められるようになった十六世紀後半からは、ホールは生活の場から宴会などもてなしの場に変わり、十八世紀以降はその壮麗さで訪れる人に感動を与える玄関ホールになる」(p.7)、

「ホールが本来の機能を失って、玄関ホール(
entrance hall )に変わっていき、十八世紀には、もてなしのための主要な広間をサルーンとよぶことが多くなりました」(p.36)、

「十八世紀から十九世紀には、玄関ホールにつづき、しばしば円筒形で階上まで吹き抜けで、円天井から外光を採り入れる広間がつくられ、サルーンとよばれた」(p.12)。

 トレヴァー・ヨーク、村上リコ訳、『図説 イングランドのお屋敷~カントリー・ハウス~』(2015)の「第7章 階上の部屋」では、「ホール」8pp.76-77)の次に「グレート・チェンバー」(pp.78-79)が続きます。ハードウィック・ホール(1591~97、p.15)に関し、

「『ホール』という部屋の名前から現在想像するような、奥行きのある細いエントランス用の部屋」(pp.76-77)

と記す箇所があり、〈グレート・チェンバー〉について、

「16世紀から17世紀の初めまで人気があった。通常は、メインの建物に交差する棟の2階になるか、あるいは、ホールに天井が挿入されて輪切り状に分割された場合、ホールの真上の階に置かれることも多かった」(p.78)、

しかし

「18世紀までに、グレート・チェンバーはふたつの部屋にとってかわられた。サルーンと正餐室(ダイニング・ルーム)だ」(p.79)、

「19世紀には、多くのサルーンがたんなる絵画展示室(ピクチャー・ギャラリー)になり、…(中略)…かつてのサルーンはどちらかというと美術館になったのであり、舞踏会や大きなパーティーをひらく場所としては舞踏室(ボールルーム)が使われるようになった」(p.81)

と、以上いずれもイギリスのカントリー・ハウスを扱う本から抜きだした片言隻語でしかありませんが、

 S.カンタクシーノ、山下和正訳、『ヨーロッパの住宅建築』(1970)や、
 イーフー・トゥアン、阿部一訳、『個人空間の誕生 食卓・家屋・劇場・世界』(1993)、
 マルコム・ヒスロップ、桑平幸子訳、『歴史的古城を読み解く』、(2014)中の「居住施設」の項(pp.180-189)、
 レオン・イザベ/ルブラン設計・製図、中島智章訳・監修、『VILLAS 西洋の邸宅 19世紀フランスの住居デザインと間取り』(2014)

などなどなどとあわせてご参照ください。

 ちなみに大和智『城と御殿 日本の美術 No.405』(2000)によると、「江戸時代の初めに成立した大工の木割書『匠明(しょうめい)』殿屋集」に、

「天正ノ比、関白秀吉公聚楽ノ城ヲ立給フ時、主殿ヲ大キニ広ク作リタルヲ、広間ト俗ニ云ナラワシタルヲ、爾今広間ト云リ」
(「豊臣秀吉が天正のころ京都の聚楽第を造営するにあたって造った大きく広い主殿が広間の始まりである」)

と記されているとのことです(p.17)。また、

「その後江戸時代の初期まで、城や武家の居館の中心殿舎としてひときわ大きな御殿が盛んに建設されるようになり、一般にこれを『広間』と呼び慣わすようになる」(p.46)。

 またしても余談になりますが、元の勤め先は一地方美術館で、一般の来館者が入口から入ったその先を、エントランス・ホールと呼んでいました。吹抜の空間で、入口から向かって奥に一階の企画展示室、多くの場合は右手が展示室入口となります。その手前、右に階段、左は中庭に面した大きな窓です。階段をあがると二階常設展示室で、その手前、右から左へ吹抜歩廊が伸びている。怪奇映画に出てくる古城の広間と引き比べつつ、こうして思い起こしてみると、なかなかに感慨深いものがあるのでした。

 話を戻しましょう。『白い肌に狂う鞭』では、広間の暖炉の前に父伯爵が陣取り、ヒロインが奏でるピアノが左右の階段の間に置かれています。『幽霊屋敷の蛇淫』の過去の場面には、広間で舞踏会が催され、幽霊屋敷状態の現在でも、長テーブルが配されて、複数の人が集まるのを待っていました。『顔のない殺人鬼』で広間は、もっぱら通り過ぎるばかりでしたが、これは現状で正規の住人がヒロインと夫の二人だけで、来客の機会もなかったからなのでしょう。
 ともあれ、人が集まり、また散っていく通過地点にして結節点というあり方を、これらの作品における広間の機能と見なせるかもしれません。この点については後に垣間見ることにします。

 さて、広間の奥、左右で並行する階段および吹抜歩廊という布置に、手本となる実例があるのかどうかは寡聞にしてわかりませんが、他方、映画の中にかぎるとして、広間に吹抜歩廊、ただし階段は左右どちらかの一つというパターンを、ハマー・フィルムのいくつかの作品で見ることができました。
  
 まずは毎度お馴染み、『吸血鬼ドラキュラ』(1958)です(→こちら)。冒頭で玄関から入ったジョナサン・ハーカーは、拳葉飾りつきアーチに区切られた、やや薄暗い部屋を通り抜けます。 石田一、『ハマー・ホラー写真集 VOL.1 ドラキュラ編』(2013)によると、すぐ次に出てくる広間のセットは、「最初の部屋(エントランス)と同じステージを模様替えして使っている」(p.4)とのことでした。  『吸血鬼ドラキュラ』 1958 約3分:玄関広間
『吸血鬼ドラキュラ』 約3分
 玄関広間からの扉を開くと、向かいに暖炉がある一方、すぐ左で壁に沿って階段が上へのぼっています。登った先で、右へ吹抜歩廊が伸びる。伯爵とハーカーがその先で左へ折れたかまっすぐ進んだのか、よくわかりませんでしたが、いずれにせよ、さらに上階への階段がありました。 『吸血鬼ドラキュラ』 1958 約4分:広間
『吸血鬼ドラキュラ』 約4分
 翌年の『バスカヴィル家の犬』(1959)でも広間の奥、ただし今回は右に寄せて上り階段があり、左へ吹抜歩廊が伸びます(→そちら)。歩廊の先で右へ曲がれば、各寝室だか個室の区画となる。 『バスカヴィル家の犬』 1959 約3分:広間、階段と吹抜歩廊
『バスカヴィル家の犬』 約3分 
階段や吹抜歩廊のある側の向かい側、その右端のアーチから少し奥へ入って右が、玄関でした(→あちら)。 『バスカヴィル家の犬』 1959 約28分:玄関から広間へ
『バスカヴィル家の犬』 約28分
 『バスカヴィル家の犬』での広間と上り階段、吹抜歩廊の布置は、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)でもそのまま踏襲されます(→ここ)。歩廊の左から入った先が各居室の区画なのも同様でした。 『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 1960 約14分:広間 ドラゴン型装飾が二つ
『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 約14分
 広間の入口および玄関との関係だけが変更されました(→そこ)。向かって右の階段の下、手前を少し右へ戻ると、階段と同じ向きで奥への扉口があります。その向こうは画面には映らないのですが、おそらく玄関ホールで、玄関から入ったところなのでしょう。 『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 1960 約11分:玄関口から広間へ 扉口の両脇に捻り柱
『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 約11分
 階段は映画にかぎらず絵画や演劇でも、使いでのある装置であることはことさらにあげつらうべくもなく、絵に描かれた階段に関しては「階段で怪談を」の頁で触れましたが、怪奇映画における階段についてはまた別の機会を待つとして、何よりそれは、上と下との間に開く隔たりと落差によって生じるエネルギーの動きに関わるものなのでしょう。そうした動きは、実際に登場人物がのぼりおりする場合と、視線のみが交わされる場合があります。また階段における上と下は、地面や床に対して垂直に上昇したり落下するのではなく、斜めの勾配をもって位置づけられます。しかも滑らかな斜面と違って、垂直な蹴上げと水平な踏面が交互に連なることで成りたつ。蹴上げとけ上げの間、踏面と踏面の間は不連続なわけです。この不連続性と不連続性との境には、瞬時に距離を飛び越えることを許さない、何らかの時間、というか時間の断裂がはらまれるのではないでしょうか。

 吹抜歩廊は、一方で吹抜の広間の一部でありつつ、広間の床と高さが異なるので、広間全体から遊離した別の空間でもあります。別の空間でありながら、たとえば階段とは違って、そこでの動きが水平になる点では、もとの広間と平行したものであり続けます。
 最初に挙げたイタリアの三作では、これも先に触れた『幽霊屋敷の蛇淫』における、主人公が殺人者を追って右手の区画の入口あたりまで追う場面で突っ切るのを除けば、吹抜歩廊上での往き来が重要な役割を果たすことはあまりなかったように思われます。また件の場面では、向かって左の居室区域から出て吹抜歩廊を通り抜けたので、その際階段の昇降とは組みあわされていませんでした。
 これに対しハマー・フィルムの上記三作では、階段を上り、吹抜歩廊を横切り、居室区域の廊下を進むという移動が、一組のものとして連なって描かれていました。広間の床での水平の運動、階段での斜めの運動、広間の床とは高さが異なる吹抜歩廊での水平の運動が組みあわされ、それに伴ってカメラも、広間に据えられるにせよ階段か吹抜歩廊に置かれるにせよ、首を上下左右に振ることになります。


 そして階段も吹抜歩廊も、途中で立ち止まることはあるにせよ、そこにずっと留まるような場所ではない、あくまで通り過ぎるべき通路なのでした。

 『吸血鬼ドラキュラ』で、階段の上にシルエットと化した伯爵が登場するのは、『魔人ドラキュラ』(1931)を受け継いだものであるにせよ、その存在の力が上下の落差によって表わされていると感じさせずにいないものでした。
 対するに『吸血鬼ドラキュラの花嫁』では、跳梁する吸血鬼はタイトルにあるドラキュラ伯爵ではなくマインスター男爵なのですが、あたかもそのゆえででもあるかのごとく、少なくとも映画の中では、男爵が広間の階段を上ることはありませんでした。それどころか彼が初登場するのは、隔たりを埋めようもなさそうな深淵をはさんで、上下に配されるバルコニーの下側でした。それでいてある場面では、やはり階段の下にいながら、階段の上にいる母親に対し、男爵は彼女を引き寄せるだけの力を発揮します。とはいえ、クライマックスにおいて、やはり距離を置いて上から見下ろされる位置に彼は配されることになるでしょう。何やら深読みせよといわんばかりであります。
 さて、ハマー・フィルムの作品でもたとえば『吸血鬼の接吻』(1963)では、階段は大広間ではなく、玄関ホールの向かって奥に配されます(→あそこ)。先の三作では踊り場があっても下の方で、壁沿いに奥へ延びる部分が主体をなしていたのに対し、ここでは踊り場の上と下が半々程度に分けられ、上半は広間の奥ではなく左へ上がっていきます。吹抜歩廊はありません。 『吸血鬼の接吻』 1963 約18分:玄関広間
『吸血鬼の接吻』 約18分
 いつも同じでいられないのはそれとして、先の広間・階段・吹抜歩廊のパターンはもう一度、『凶人ドラキュラ』(1966)に登場しました(→こっち)。玄関扉を開くと、数段低くなってすぐ広間です。正面に吹抜歩廊が見え、その手前右の壁沿いに奥へ上がる階段がありました。歩廊の左から寝室の区画へつながるのも変わっていません。 『凶人ドラキュラ』 1966 約21分:玄関から広間
『凶人ドラキュラ』 約21分
 ハマー・フィルムの作品では、『バンパイア・ラヴァーズ』(1970)や『鮮血の処女狩り』(1971)などで、広間-右に寄せた上り階段-吹抜歩廊-個室区域の廊下のパターンが変奏されていました。マルゲリーティの監督作で、先の二作から少し間を置いた『ヴェルヴェットの森』(1973)にも、同じパターンが登場します(階段は左)。
 その点では、『血を吸う人形』(1970)と『血を吸う眼』(1971)を忘れてはなりますまい(双方階段は右)。この二作、それに、吹抜歩廊はありませんが、『血を吸う』三部作のもう一作『血を吸う薔薇』(1974)では、階段を降りてくる住人が来訪者を出迎えるという点で、『吸血鬼ドラキュラ』に倣ったのではないかと思われます。
 他方、ハマー・フィルムの作品に戻れば、『妖女ゴーゴン』(1964)と『ドラキュラ血のしたたり』(1971)ではそれぞれに、特異な構成の広間を見ることができました。この点についてはまた別の機会を待つとして、ここでは1950年代後半から60年代前半にかけて、ハマー・フィルム製作の諸作、イタリア怪奇映画とともに焦点の一つとなった、AIPにおけるロジャー・コーマンのポー連作周辺を見ることにしましょう。


 一作目の『アッシャー家の惨劇』(1960)は後にふれるとして、ポー連作周辺での広間の範型となったのは、二作目『恐怖の振子』(1961)においてでした(→そっちや、またあっち)。
『恐怖の振子』 1961 約5分:広間 低い位置から
『恐怖の振子』 約5分
『恐怖の振子』 1961 約14分:食堂から広間 奥に玄関への通路
『恐怖の振子』 約14分
 玄関から入ってまっすぐ、廊下だか玄関ホールを少し進むと、その先に吹抜の空間が開けます。けっこう広く感じられる。最初はさらにまっすぐ横切ると、その先に格子戸をはめた地下への入口がありました。玄関ホール、地下への入口、それに食堂はいずれも、広間から歯車の歯か操舵輪のハンドルのように飛びだしているわけです。本作の場合さらに、壁に沿った幅の狭い階段があって、そこを上がった先が各寝室の区画になっていました。二階というには低いような気もする。とまれ、広間は実際には方形なのかもしれませんが、多角形のように感じられるのでした。
 やはり実際にどうなのかわかりませんが、イタリアの先の三作、ハマー・フィルムの先に見たいくつかの作品での広間に比べると、広く、また天井が高いように見えます。『魔人ドラキュラ』をはじめとする1930~40年代のハリウッド映画が同様でした。ここにハリウッド的な傾向を見ていいものかどうか。とはいえフランスの『アッシャー家の末裔』(1928)での二階広間や『乙女の星』(1946)の吹抜大広間もけっこうな広さに見えましたから、例によって一概に言えるはずもないのでしょう。


 『姦婦の生き埋葬』(1962)と「怪異ミイラの恐怖」(1962)では、玄関ホールの先に二つ以上の部屋が連なっているようで、その内の一つに主階段が配されています。『恐怖のロンドン塔』(1962)での大広間は、玄関とどうつながるのかはわかりませんが、上半で左右に分かれる大階段がありました。
 続く『忍者と悪女』(1963)で、『恐怖の振子』での広間が変奏されていることが見てとれます(→こなた)。玄関からまっすぐ玄関ホールがのび、その先に吹抜の広間が開ける。
『忍者と悪女』 1963 約37分:玄関から奥の広間
『忍者と悪女』 約37分
『忍者と悪女』 1963 約38分:広間、階段の上から
『忍者と悪女』 約38分
 ここでは広間の中央に大きな火床だか炉だか囲炉裏だかが配されています。その奥、玄関のちょうど向かいに上への階段があるのですが、この階段はかなり幅が広い。途中で右に折れています。上の階がどうなっているのかははっきりしませんが、おそらく後で出てくる各寝室があるのでしょう。
 広間に戻れば、やはりここから突きでる形で食堂が設けられていました。それ以外にもう一つ、奥への廊下が登場します。これらは入口から見てどちらも右に位置します。本作では人物たちが左へ動くことはありませんでした。この点、および幅の広い階段が奥の方で画面と平行に配されて、空間を落ち着かせるため、『恐怖の振子』における広間のように不規則な多角形であるよりは、安定した方形に感じられるのではないでしょうか。


 『忍者と悪女』のセットを続けて用いた『古城の亡霊』(1963)をはさんで(広間中央の炉は取り除かれました)、『怪談呪いの霊魂』(1963)では、広間は再び不規則な多角形であるかのように映ります(→そなた)。
『怪談呪いの霊魂』 1963 約20分:玄関附近、奥に広間
『怪談呪いの霊魂』 約20分
『怪談呪いの霊魂』 1963 約21分:広間 奥に二階への湾曲階段 右手前から玄関への廊下
『怪談呪いの霊魂』 約21分
 玄関から少し玄関ホールが伸び、その先に広間があるのはこれまでどおりです。真向かいには上に肖像画を飾った暖炉が位置します。右手に上への階段、左手に広間から突きでる形で食堂となるのですが、暖炉と階段の間には形や高さの異なるアーチが三つ並んで、空間を区切っています。階段は『忍者と悪女』でのように幅の広いものではなくなり、弧を描きつつ高くまであがっていくものの、幅が狭く手すりもない点では、『恐怖の振子』でのそれに近い。

 イギリスで撮影されたという『赤死病の仮面』(1964)では、広間と玄関の関係は画面に出てきません(→あなた)。その点では『恐怖のロンドン塔』(1962)での広間を思わせなくもない。いったん奥へ、それから右へ折れる階段が吹抜の途中まであがり、その先から左へ短い歩廊が伸びます。この点では『恐怖の振子』に通じている。歩廊の奥の壁は金色の格子で区切られており、向こうがどうなっているのかはわかりません。また階段の右手は隣の部屋へ通じていて、出入口のアーチの上にも歩廊があります。ただ階段の登った先と歩廊の左手はいったん途切れているようです。
『赤死病の仮面』 1964 約27分:広間、上から 左に四つの部屋の入口
『赤死病の仮面』 約27分
『赤死病の仮面』 1964 約37分:広間、暖炉の中から
『赤死病の仮面』 約37分
 階段の上から見下ろす視角では、広間は円形をなしているように見えます。階段の向かいに暖炉、その左に黄・紫・白・黒の間への扉がありました。

 やはりイギリスで撮影された『黒猫の棲む館』(1964)では、玄関らしからぬ通用口のような出入口から入って右へ少し進むと、広間です(→こちら)。 
『黒猫の棲む館』 1964 約12分:広間、入口側から
『黒猫の棲む館』 約12分
『黒猫の棲む館』 1964 約44分:広間、上から
『黒猫の棲む館』 約44分
 大きなアーチの連なりが中央あたり、食堂との間、窓の前などで区切っており、『怪談呪いの霊魂』の場合同様、全体の配置はもう一つわかりづらい。半階分の上り階段が二つ、扉口越しの上り階段、暖炉の右脇に数段おりて厨房へつながる扉などがあります。カメラが高い位置に来た時には、全体はやはり円型ないし多角形に見えました。
 ところで『恐怖の振子』に先立つ『アッシャー家の惨劇』(1960)に戻ってみれば、玄関から入ると、すぐ、左右から仕切り壁が伸びており、小さな控えの間をなしています。また少し向こう、やはり左右から、下に膨らむ黒っぽい木製円柱二つとその台座からなる仕切りが出て、その向こうが階段のある吹抜の間となります(→そちら)。 『アッシャー家の惨劇』 1960 約4分:階段広間、玄関側から
『アッシャー家の惨劇』 約4分
 この第二の控えの間だか玄関ホールでは、面白いことに角の一つは直角ではありませんでした。全体は不等辺四角形か多角形ということでしょうか。そのためすぐ向こうの階段広間もやはり多角形をなすことになるのか。
 後に出てくる一族の肖像画が飾られていたのは、この第二の控えの間ないし玄関ホールでした。居間がやはり後に出てきますが、その扉口の向こうに肖像画の間が少し見えました。もう一つ、食堂が登場します。後の場面で、玄関側から見て階段のすぐ左に開く扉口の向こうの部屋に、テーブルと椅子がちらっと見えた点からして、これが食堂か居間のいずれかにあたるのでしょうか。
 この扉口へは、後に厨房に向かう際入っていきました。さらに後、扉口の奥の部屋の、向かって右の壁に扉があって、厨房を出た主人公はこの扉から出てきます。隠し通路の出口もこの部屋にありました。
 階段の右、少し奥には礼拝堂への扉があります。その向かい、玄関側から見て左の方に、地下への入口があるようです。
 階段のある吹抜は、けっこう高く感じられます。階段は上で右に折れますが、水平の部分はごく短く、歩廊というよりは二階との間をつなぐ踊り場といったところでしょうか。そこから奥へ少し進み、左へ折れれば各個室の区域でした。

 この階段室も他の部屋へつながる交差点であるのは変わりませんが、階段の存在感が強いこともあって、『恐怖の振子』以降でのように、館の中枢としての広間ないし大広間といった趣はあまり大きくはないのではないでしょうか。あくまで通過するための中継点に、役割が限定されているように思われます。そしてこの点は、ハマー・フィルムの諸作品の内、先に見た『吸血鬼ドラキュラ』に先立つ『フランケンシュタインの逆襲』(1957)でも同様でした。
 向かって左の玄関から入ると吹抜の空間で、向かって右、まっすぐ奥へ進めば居間へ通じています。その途中、左側は数段高くなっており、すぐ先で奥へ階段があがっていきます。階段の上で左へ吹抜歩廊が伸びる。階段の手前の数段高くなった部分は、奥、歩廊の下ではまた数段低くなり、左の壁に近いところに扉口があります。その先は使用人の区域らしい(→あちらや、またここ)。 『フランケンシュタインの逆襲』 1957 約1時間2分:玄関広間、右に階段
『フランケンシュタインの逆襲』 約1時間2分
 この作品では各人の個室の位置などははっきり描かれませんでした。物語の中で重要な役割を果たす研究室は、三階以上だか屋根裏にあるようですが、そこに通じる階段も、建物のどのあたりにあるのかはわかりません。
 ともあれ吹抜の玄関ホールでは、上階への階段と奥の居間等へつながっているのが最大の役割で、ここで腰を落ち着けることは想定されていないわけです。

 ハマー・フィルムの諸作、コーマンのポー連作それぞれにおいて、『フランケンシュタインの逆襲』と『アッシャー家の惨劇』から『吸血鬼ドラキュラ』および『恐怖の振子』へ移るにつれ、当初の試行段階から、広間を中心に階段や他の諸空間への分岐と関係が整理されたのだと、思わず読みこみたくなるところです。もとより、物語上の要請や予算、スタジオの状況などいろいろな要因がからみあっているはずで、そう単純に割り切れるものではないのでしょう。

 それでは、『白い肌に狂う鞭』に先立つ、バーヴァの『血ぬられた墓標』(1960)ではどうだったでしょう?
 この作品には居間として、住人が集まって過ごす広間が登場します。この点では『白い肌に狂う鞭』などと変わらない。向かって左、奥の壁には暖炉があり、その反対側、向かって右端は数段高くなっています。欄干が渡され、そちらに向かって右が出入口でした。全体に細長い形のようです(→こちらや、またそちら)。
『血ぬられた墓標』 1960 約19分:城の広間、、暖炉側から、奥にピアノ
『血ぬられた墓標』 約19分
『血ぬられた墓標』 1960 約1時間2分:広間
『血ぬられた墓標』 約1時間2分
 ただこの広間の位置がもう一つよくわからない。主人公がはじめて城を訪れた時、玄関から入って少し進むと、先の居間としての広間とは異なる大きな部屋が、左に開けます(→あちら)。部屋の真ん中はあけてあり、奥で階段が右に上がっていく。階段をおりてきた住人が主人公に応対することになります。  『血ぬられた墓標』 1960 約51分:玄関広間
『血ぬられた墓標』 約51分 
 すぐ後に村人たちがこの玄関すぐの一階広間に集まってくる場面が続くのですが、その中にいた宿屋の娘を主人公が呼びつけるとともに、居間の広間に切り替わります。その点からして、切り替わりの間に階の移動が省略されているのではないとするなら、居間としての広間は二階にあると見なしてよいのでしょうか。
 また後の場面で、主人公に当てられた部屋から師の博士が飛びだし、主人公が追うと、居間状広間に切り替わります(右上の約1時間2分前後の場面)。ここでも切り替わりの間での省略を考えなくともよいのであれば、各寝室の区画と居間状広間は同じ二階にあるということになります。居間状広間の入口に向かって右側にある扉口が、各寝室の区画に通じているようです。
 他方、先立つ場面で、馬車の御者に身をやつした魔人に博士が案内される際には、城に入って居間状広間に着くまでの間に階段を上り下りするところは見られませんでした。居間状広間が二階にあるという設定が一貫しているとするなら、階段の通過は省略されたわけです。
 なおその続きで、居間状広間の暖炉にある隠し扉から、博士はいつの間にか隠し通路に導かれるのですが、そのまま城から離れた位置にある廃教会の地下納骨堂の裏口に達します。城は小高い丘の上に建っていた点からすると、やはり階段くだりが省略されたと考えないと、地下納骨堂との位置関係はどうなっているのか、いささか疑問が湧かないでもないところでした。


 ともあれ、若干の変遷や違いを含みつつ、これらの作品で広間ないし大広間は、玄関ホールや食堂等、また階段を介して各個室の区画、時に地下の空間などの配置がそこから組織される、城の中枢でもあれば中継点でもあるような位置を占めているととらえることができるでしょうか。
 それでいてただ、物語のクライマックスは広間で展開されるわけでは必ずしもありません。上で見たものだけでは充分な例とはとてもいえませんが、それにしても、その中でクライマックスになる出来事が大広間で起こったのは、『忍者と悪女』と『赤死病の仮面』だけでした。他の作品ではいずれも、『吸血鬼ドラキュラ』における図書室のように城内の別の場所か、『白い肌に狂う鞭』での離れの礼拝堂の地下納骨堂のように敷地内の別の場所、さもなくば『吸血鬼ドラキュラの花嫁』の風車小屋のように城から離れたまったく別の場所へと移動しなければなりませんでした。広間なり大広間はあくまで、あちこちに枝分かれする公的な交差点であって、重要な出来事はより濃密な別のどこかで起こるとでもいうのでしょうか。


 また、筋立てが、玄関から入るとその先でたどり着く場所でもあれば、そこを経由することで食堂や居間、階段を上って各個室の区画、あるいは階段を降りて地下などへ向かうことのできる中継点として、広間を要請したのでしょう。そのかぎりで、そうした広間が設定されることによって、玄関や食堂、居間、上階の寝室や地下などへ向かう登場人物たちと、それを追うカメラの動きを稼働させることになります。製作の過程では筋立てが先行するにせよ、筋立てに合わせて後ほど設定された空間の網の目が、あらかじめ決まっていたはずの筋立てにたえず働きかけるわけです。

 一般論はさておき、ここで挙げたのは1950年代後半から60年代前半にかけての、ほんの数例でしかありません。通り過ぎがてらいくつか後の作例にも触れましたが、やはり少しだけ、以前の先例を見ておきましょう。
 階段を中核に据えた玄関ホールであれば、『魔人ドラキュラ』や『フランケンシュタイン復活』(1939)が思い浮かばずにはいません。同様に廊下というには広くて、しかしあくまで通路として通り過ぎるべきものである玄関ホール、そこから広間も含めて、階段や食堂などにつながっていくという布置は、『月光石』(1933)や『ドラキュラとせむし女』(1945)、『らせん階段』(1945)などで認めることができました。
 これに対して、単なる通路ではない広間なり大広間がまずあって、玄関ホールも含め、そこから階段や食堂へ分かれていくという布置なら、『幽霊西へ行く』(1935)や『レベッカ』(1940)、『不死の怪物』(1942)に『乙女の星』(1946)などを挙げることができるでしょうか。
 もとより、玄関ホール誘導型と広間分散型という区別は、そんなにすっきり分けられるものではありますまい。空間のつながり方も、登場人物の動きやそれをとらえるカメラの配置ともども、作品ごとに違ってくることでしょう。

 ともあれそんな中で、はじめに見た広間-階段-吹抜歩廊というパターンに比較的近いものとしては、『魔の家』(1932)や『五本指の野獣』(1946)などがありました。


 『魔の家』では、玄関を開けるとすぐ前に上への階段に出くわします。階段は踊り場で左右に分岐、右は少し上がって吹抜歩廊がさらに右へ伸びる。右端で扉口となり、奥への上り階段がのぞいていました。吹抜歩廊の下、一階が広間・食堂にあたり、右端に暖炉があります。戻って主階段の踊り場で左に折れると、上への階段が二階三階と続きます。階段に上がる手前、一階左には扉口があり、廊下が左へ伸びていきます(→ここ)。 
『魔の家』 1932、約8分:玄関向かいの階段
『魔の家』 約8分
『魔の家』 1932、約8分:中2階歩廊と扉の奥の階段
『魔の家』 約8分
 『五本指の野獣』では、玄関から入るとすぐ吹抜の広間です(→そこ)。玄関の向かいで階段が右上へ、吹抜歩廊につながります。その先は各人の居室の区域でした。また一階広間からは、食堂や書斎に通じていました。 『五本指の野獣』 1946 約7分:広間、上から
『五本指の野獣』 約7分
 冒頭で見たイタリアの三作のように、階段が左右に配され、上で吹抜歩廊がつなぐというパターンも、『呪われた城』(1946)に先例がありました(→あそこ)。作中では向かって左の階段が使われることはなかったようなのですが。 『呪われた城』 1946 約15分:大広間
『呪われた城』 約15分
 類例は他にもたくさんあるとして、ここまで見てきたのはしかし、玄関から玄関ホールなり広間、そして階段などへという経路が比較的読みとりやすく映された作品でした。『赤死病の仮面』や、また『ハムレット』(1948)や『去年マリエンバートで』(1961)のように、そもそも玄関自体どこにあるのかわからなかったり、出てこなかったりする例もありました。バーヴァの『呪いの館』(1966)では、屋外から建物に入るや、すぐに螺旋階段を上り始めて、その周囲がどうなっているのか定かではありません。玄関ホールどころか、入ってきたのが玄関かどうかもあやしいところです。
 筋運びの上で必要がなければ篇中に映らないのは当然だとして、ただそれが『呪いの館』の場合のように、どこがどうともわからないまま登場人物とともに迷子になってしまった、そんな感覚をもたらすこともあったのでした。
 いずれにせよここで取りあげたのはほんのわずかな例にすぎません。また別のパターンに出くわした時、あるいはいつもながら忘れていたのを思いだした時は、適宜付け足すということで、いったん筆を擱くといたしましょう。

2021/05/15 以後、随時修正・追補
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