< 怪奇城閑話 |
怪奇城の高い所(前篇) - 屋根裏など (「怪奇城の三階、その他」から改称、2023/02/23)
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Ⅰ.一階:大広間、二階:寝室区画 「怪奇城の広間」の頁の冒頭で取りあげた『白い肌に狂う鞭』(1963)、『顔のない殺人鬼』(1963)、『幽霊屋敷の蛇淫』(1964)の三作ではいずれも、おそらく同じセットを使い回しているらしく、二階分だか一階半分だかの吹抜の大広間が、舞台である城なり館の中枢として配されていました。その奥、左右両端で階段が上へのぼります。のぼった先で吹抜歩廊が左右をつなぐ一方、左側の階段の上で左へ曲がると、各住人の寝室が並ぶ廊下へつながっているのでした。 『顔のない殺人鬼』と『幽霊屋敷の邪淫』では、大広間は玄関から入ったその先に位置しているようです。大広間は一階、寝室区画は二階と見なしてよいでしょう。 『白い肌に狂う鞭』の場合、劇中に出てくる入口は一箇所だけで、とても正規の玄関らしくは見えないのですが、ともあれ前庭だか中庭の地面から、おそらく半階分階段をあがった先にありました(左下→こちら)。入口の奥にも少し上り階段が見えます。この入口と大広間の間では廊下が曲がったりしていて、その先が大広間でした(右下→そちら)。途中で下へ降りてなどいないとすれば、大広間は二階、寝室区画は三階となります。ちなみに同じマリオ・バーヴァが監督した『血ぬられた墓標』(1960)でも大広間は二階にありました。そこでは寝室区画も同じ二階だったように思われますが、もう一つ定かではない。遡れば『アッシャー家の末裔』(1928)でも大広間は二階でした。 |
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『血ぬられた墓標』のこと、また『白い肌に狂う鞭』での大広間の階の件もいったんおくとして、大広間やその周辺の食堂や図書室が一階、寝室区画が二階という配分は、レオン・イザベ/ルブラン設計・製図『VILLAS 西洋の邸宅 19世紀フランスの住居デザインと間取り』(2014)や片木篤『イギリスのカントリーハウス 建築巡礼 11』(1988)などの随所に掲載された間取り図に照らすと、ある程度実際の屋敷類の実情に則ってあると見なせそうです。 こうしたパターンは他の映画、たとえば『呪いの家』'1944)や『らせん階段』(1945)、『そして誰もいなくなった』(1945)、『謎の狼女』(1946)、『五本指の野獣』(1946)、『恋人たち』(1958)、『アッシャー家の惨劇』(1960)などなどなど、少なからぬ作品でも見られました。 (追補:バーネットの『秘密の花園』に、舞台となるお屋敷につとめるメイドの言葉として、 「わたしは、おさんどんばっかりさせられて、今まで一度も、二階にあげてもらったことなんかなかったんです」 (バーネット、龍口直太郎訳、『秘密の花園』(新潮文庫 ハ 10-3)、新潮社、1954、p.38/4章) とありました。台所仕事より「二階」の方が、使用人の位が上と見なされていたわけです)。 ところで『白い肌に狂う鞭』における、左上に掲げた城の外観をあたらめて眺めると、少なくとも三階分映っています。その上にも階は続くようにも見えなくはない。大広間が二階だとすれば、三階より上の途切れた部分は、四階か屋根裏ということになります。ただ劇中にはそうした場所は出てきませんでした。 |
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これは今まで名の挙がった他の作品でも同じです。たとえば右に引いた『アッシャー家の惨劇』における館のマット画は(→あちら)、お屋敷タイプの典型というべきか、二階分+切妻屋根を示し、 |
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もとよりマット画や模型、あるいは別の場所の画像などで登場する城や館の外観と、多くの場合セットによる屋内とが、必ずしも一致しなければならないわけではなく、何らかの場面で必要が生じなければ、そもそも細かい点まで建物の内外の関係など想定しないかもしれません。それどころか矛盾したってかまわないという考え方もあることでしょう。 | |||||||
他方『アッシャー家の惨劇』では、上方向へのヴェクトルを削った代わりでもないのでしょうが、下方向、つまり地下へ空間はひろがっていきます。これはロジャー・コーマンによるポー連作の続く作品、『恐怖の振子』(1961)でさらに肥大することでしょう。右に掲げたのは舞台となる城の外観を描いたマット画の一つです(→ここ)。仰角ゆえもあって、ずいぶん高く伸びあがるかのごとくですが、劇中ではやはり吹抜の大広間と二階ないし中二階の寝室区画より上にはあがりません。その分地下は吹抜二層に振子+穽と掘り進められました。 | |||||||
『アッシャー家の惨劇』やポー連作第三作の『姦婦の生き埋葬』(1962)では納骨堂、本作では納骨堂に拷問室が加わり、第五作『怪談呪いの霊魂』(1963)では古代の祭祀場まで登場します。最初に挙げた『顔のない殺人鬼』と『幽霊屋敷の蛇淫』でもやはり、地下の納骨堂へ導かれます。『白い肌に狂う鞭』では、本館自体の地下は登場しませんが、離れの地下納骨堂と隠し通路でつながっています。 いずれも地下空間は冥界との接点をなすわけですが、他方『らせん階段』の場合は世俗化して、地下は倉庫や酒蔵でした。このあたりについては「怪奇城の地下」の頁を見ていただくとして、〈地下室〉と〈屋根裏部屋〉を対をなすものと見なしたのは、バシュラールの『空間の詩学』でした。 Ⅱ.屋根裏 「怪奇城の地下」の頁でも引いたのが(→こちら)、『空間の詩学』第1章「家 地下室から屋根裏部屋まで 小屋の意味」からの次のくだりでした; 「家は鉛直の存在として想像される…(中略)… 鉛直性は地下室と屋根裏部屋という極性によって裏づけられる。…(中略)…屋根の合理性と地下室の非合理性を対比することができよう…(中略)…屋根のあたりでは、思考はみな明快だ。屋根裏部屋では、むきだしの力強い骨組をみてたのしむ。われわれは大工の堅固な幾何学にあずかるのだ」(p.53)。 屋根はともかく、屋根裏が合理的かどうかはさておき、1946年版『オペラの怪人』において、後に怪人となる音楽家が、当初は集合住宅の屋根裏部屋に住んでいたのに(左下→そこ)、オペラ座の地下空間(右下→あそこ)を根城とするようになったことが連想されたりもします。 |
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屋根裏といえば、さらに、 吉屋信子、『屋根裏の二處女』(1919/大正8)、『吉屋信子全集 1 花物語 屋根裏の二處女』、朝日新聞社、1975、pp.357-512 江戸川乱歩、「屋根裏の散歩者」(1925/大正14)、『屋根裏の散歩者』(角川文庫 緑 53-14)、角川書店、1974、pp.5-50 スティーヴン・ミルハウザー、柴田元幸訳、「屋根裏部屋」、『十三の物語』(2008)、白水社、2018、pp.50-96 などが思い浮かびます。 V.C.アンドリュース、『屋根裏部屋の花たち』(1979) というのもあったそうですが、未見。まだまだあることでしょうが、たとえば; 種田和加子、「異界をつむぐ - 屋根裏・絵本・語る声 -」、『昭和文学研究』、第79集、2019:「特集 〈異界〉のコード」、pp.16-29 [ < J-STAGE ] DOI : https://doi.org/10.50863/showabungaku.79.0_16 菅原克也、「屋根裏という文学空間 - 比較研究の構想 -」、『The Basis :武蔵野大学教養教育リサーチセンター紀要』、10号、2020.3.1、pp.291-306 [ < 武蔵野大学学術機関リポジトリ ] Permalink : http://id.nii.ac.jp/1419/00001203/ 前者で上に挙げた吉屋信子の中篇、後者ではそれを含むさまざまな作品が取りあげられています。また、 |
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Aerosmith, Toys in the Attic, 1975(1) 3枚目のタイトル曲、A面1曲目、3分5秒。 英語の"attic"や"garret"、また仏語の"mansarde"、"combres"、"grenier"などについては、菅原克也の上掲論文 pp.292-295 を参照ください。 |
1. 『ヘヴィ・メタル/ハード・ロックCDガイド』(シンコー・ミュージック・ムック)、シンコー・ミュージック、2000、p.59 白谷潔弘監修、『アメリカン・ハード・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #015』、シンコーミュージック、2004、p.9。 |
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人間椅子、『怪人二十面相』、2000 9枚目の9曲目は「屋根裏のねぷた祭り」、7分22秒でした。さらに; 人間椅子、『新青年』、2019 21枚目の4曲目は「屋根裏の散歩者」、5分56秒でした。 『怪人二十面相』から→こちら:『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」(1966)の頁の「おまけ」 『新青年』から→そちら:「マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡」(1986)の頁の「おまけ」、 また同じバンドの別のアルバムから→あちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「おまけ」 |
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(追補:小林頼子著『フェルメールとそのライバルたち 絵画市場と画家の戦略』(KADOKAWA、2021)をぱらぱら繰っていると、《画家の家の屋根裏部屋》を描いたとされる素描が挿図として載っていました(p.121/図2-11)。風俗画家モーレナール(1609/10-68)が没した折りに作成された財産目録について述べる中で、 「上階の屋根裏部屋には、売り物と思われる絵画もないわけではないが、画材、コピー作品、制作途上の作品、さらには額に入っていない作品が目立つ。物置的な使用目的が推測される。ボトの描いた屋根裏部屋と似たような使い方がされていたのだろう」(pp.121-122) として、右図が挙げられていたのでした。奥左寄りに螺旋階段がのぞいています)。 |
アンドリース・ボト(1612頃-1641) 《画家の家の屋根裏部屋》 1624-40頃 * 画像の上でクリックすると、拡大画像とデータを載せた頁が表示されます。 |
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(追補の2: 沖田瑞穂、『怖い家 伝承、怪談、ホラーの中の家の神話学』、原書房、2022、pp.31-33 に「天井裏」という小見出しの項がありました。そこで参照されていたのが(『家屋と妄想の精神病理』として); 春日武彦、『屋根裏に誰かいるんですよ。都市伝説の精神病理』(河出文庫 か 17-4)、河出書房新社、2022 「本書は、1999年6月刊行の『屋根裏に誰かいるんですよ。』の改題増補版(2003年5月刊『家屋と妄想の精神病理』)を、元題に戻して文庫化」(p.236)したもの。 著者は精神科医で(「天井裏関係記事蒐集家」(p.218)でもあるという)、妄想としての「『屋根裏に誰かいるんですよ。』といった類型」(p.3)が本書のテーマなのですが、その際、第1章の冒頭で参照される乱歩の「屋根裏の散歩者」をはじめとして、さまざまな小説類に言及しています。 「おそらく我々の想像力には、秘密めいた空間と出会うことによって容易に活性化されるような『物語の胚珠』が、予め埋め込まれているのである」(p.64)。 「わたしは家というものが一種の妄想濃縮装置として機能しているのだなあといった感想を抱かずにはいられない」(p.175) とのことです。 同じ著者による→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」の項 次も参照; 山本陽子、「コラム 怪異が現れる場所としての軒・屋根・天井」、東アジア恠異学会編、『怪異を媒介するもの』(アジア遊学 187)、勉誠出版、2015、pp.94-99) 渡辺武信、『銀幕のインテリア』、読売新聞社、1997、pp.195-211:第12章「階段 地下 屋根裏」 さらに 小野不由美、『営繕かるかや怪異譚』(角川文庫 お 72-2)、角川書店、2018(2014年刊本の文庫化) に収録された6篇中、2篇目は「屋根裏に」と題されています。また 小野不由美、『営繕かるかや怪異譚 その弐』(角川文庫 お 72-3)、角川書店、2022(2019年刊本の文庫化) に収録された6篇中、6篇目の「まさくに」でも屋根裏が重要な役割を果たします。 同じ連作から別の作品→こちらを参照:《誰が袖図屛風》(桃山-江戸時代、16世紀末-17世紀半ば)の頁の「おまけ」 エマヌエーレ・コッチャ、松葉類訳、『家の哲学 家空間と幸福』、勁草書房、2024 の「5 キャビネット」中に、 「屋根裏部屋は、洞窟のごとく、家の物の墓場である。そこは、ありそうもないよみがえりのための待機場所であり、ほぼすべての物が終身刑に服す、懲役のための空間である」(p.67) と記されていました。 |
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さて、屋根裏部屋はまた、使われなくなったものが集まってくる場所です。『季節のはざまで』(1992)の舞台は廃ホテルで、何階もある、さらにその上へ昇る鋼の螺旋階段(右)を昇ると、屋根裏部屋でした(下左→こっち。追補:→(中篇)でも触れました)。低い梁が突っ切りつつも、けっこう広そうです。いろいろなものが溜めこまれているようです。屋根裏部屋といいつつ、さらに上の階があって、けっこう長い廊下の左右に、客室ではなさそうな小部屋が並んでいるのでした(下右)。 | |||||||
屋根裏部屋ではそこに片付けられた、あるいは隠された過去の何かが見つけだされたりもします。『季節のはざま』で主人公がホテルに戻ってきたのも、それが目的でした。「怪奇城の図面」の頁で触れた(→そっち)、『グーニーズ』(1985、監督:リチャード・ドナー)に出てきた宝の在処を記した地図は、屋根裏部屋で発見されます。 | |||||||
『ハンガー』(1983)では逆に、あるものをしまいに屋根裏へ上がる場面が、前半から後半への折り返し地点に配されていました(右→あっち)。 『淫虐地獄』(1971)での場合のように、惨劇が起こったりもする。 |
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『回転』(1961)では、おそらく二階の廊下から、途中で少し折れる、幅の狭い階段が上へ伸びています(右→こなた)。あがった先は狭い通路で(下左)、その先が何やかや溜めこまれた物置状の屋根裏部屋でした(下右)。 | |||||||
使われない物を溜めておく場所といえば、日本では屋根裏よりも蔵、土蔵のイメージが思い浮かぶでしょうか。横溝正史の「藏の中」(1935)やその映画化版(1981、監督:高林陽一)、津村節子原作(未見)のテレビドラマ『蔵の中』(1988/2/29、監督:田中登、関西テレビ放送)などなどを始めとして、枚挙に暇がないことでしょう。 何度となく映像化されたという『屋根裏の散歩者』(見る機会のあったのは1994年版、監督:実相寺昭雄)はさておき、屋根裏にこだわるならむしろ、屋根裏に潜む忍者、そこへ下から槍が突き上げられるといった場面は何度となく見かけたような気がします。いつ頃からこうしたイメージは広まったのでしょうか? 忍者が屋根裏で、天井板を踏み破らないよう身を支える梁に対応するといっていいものかどうか、『審判』(1962)に出てくるいくつもの空間は互いにどうつながっているのかよくわからないのですが、ともあれ法廷の手前にある部屋に接しているらしき、ゆるやかな三角屋根の下にキャットウォークがが設けられているのでした(下左→そなた)。奥から人物が進んできたりする。そのすぐ後で出てきた空間も、屋根裏めいていました(下右)。 |
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日本の建物に戻れば、『犬神家の一族』(1976)の舞台となる屋敷は和洋折衷で、ほとんどの場面が一階で展開するのですが、一階から上へ昇る階段があって(下左→あなた)、そこをあがった先は屋根裏でした(下右)。斜めになった屋根は迫るものの、中央なら背が立つだけの高さがあります。物は置かれていないようです。天窓があります。 | |||||||
屋根裏部屋は物置代わりばかりというわけでもありません。『袋小路』(1966)ではなかば倉庫化しているようでもありつつ、とりあえず城主のアトリエとして使われていたと見なしてよいでしょうか(右→こちら)。 | |||||||
『麗猫伝説』(1983)には屋根裏部屋が二つ登場します。一つは現世側のヒロインが住む部屋(下左→そちら)。もう一つは異界側のヒロインの屋敷のものでした(下右→あちら)。脚本家である男性主人公の作業場として、ここが当てられる。後に触れる『吸血鬼ドラキュラ』(1958)でジョナサン・ハーカーにあてがわれた部屋を連想させなくもありません(追補:→(中篇)の頁、また同じ頁の→そちらの2でも触れました)。 | |||||||
屋根裏自体にけっこうひろがりがあったのは、『乙女の星』(1946)です。後でまた触れますが、おそらく三階の一角、三段上がって半直角分折れ、六段上がった先は(下1段目左→ここ)、それ自体物置状の部屋でした。そこには天井へ上がる階段があります(下1段目右)。揚げ戸の上は 片側に半円状の梁が並ぶ部屋でした(下2段目左)。この部屋の別の出口からは、大広間吹抜の半円型天井の裏、やはり曲がった梁が並ぶ、その周囲をめぐる通路になっているのでした(下2段目右→そこ)。半円型天井にはところどころ窓が開いています。通路の別の出入口は、隠し階段に通じているようです。 | |||||||
さて、三階を飛び越して屋根裏まで昇ってしまいましtらが、例によって長くなりました。いったんページを閉じて、いつになるやら、続きを待つことにいたしましょう。 | |||||||
→ 「怪奇城の高い所(中篇) - 三階以上など」へ続く 2023/02/14 以後、随時修正・追補 |
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