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ウルトラQ 第9話 クモ男爵

    1966年2月27日放映、日本    特殊技術
 監督   円谷一   特技監督 小泉一 
撮影   内海正治  撮影 高野宏一 
編集   氷見正久  光学撮影 中野稔 
 美術   清水喜代志  美術 井上泰幸 
 照明   小林和夫  照明 堀江養助
    約25分31秒 
画面比:横×縦    1.33:1 
    モノクロ 

ケーブルテレビで放映
………………………

 いささか間があいてしまいましたが、昨秋豊田市美術館で開かれた『蜘蛛の糸 クモがつむぐ美の系譜 - 江戸から現代へ』展(2016/10/15-12/25)は何くれと面白い展覧会でした。蒔絵や着物などに蜘蛛の巣が登場するのは、文様・装飾というものをとらえるためにも勉強になったことです。
 〈土蜘蛛〉も欠けてはいませんでした。副題にある通り出品作は江戸時代以降のものですが、今村紫紅による南北朝時代の《土蜘蛛草子》の模写(cat.no.43)が出品され、江戸以前の捉え方も垣間見ることができます。それ以外に月岡芳年の《源頼光土蜘蛛ヲ切ル図》(cat.no.42)、また松岡緑堂《百鬼夜行之図》(cat.no.50)などが妖怪化した蜘蛛の雄姿を拝ませてくれました。
 ベラスケスの《織女たち - アラクネーの寓話》(1657年頃、プラド美術館蔵)やマン・レイの《クモの巣の上のヌード》(1970年、シルクスクリーン、1930年の写真《コンポジション》も参照)、ドラ・マールの《年月があなたをうかがう
Les années vous guettent 》(1932-35年頃、写真)はさておき、大蜘蛛といえばクラーク・アシュトン・スミスの「七つの呪い」で初登場(大瀧啓祐訳、『ヒュペルボレオス極北神怪譚』(創元推理文庫、東京創元社、2011)所収(→こちらも参照)、その内 pp.32-35)、以後クトゥルー神話の一柱となり、新庄節美『地下道の悪魔』(ファンタジック・ミステリー館、学研、2002)で主役を張ったアトラク=ナカ(ナクァ、ナチャ)も思い浮かびますが(森瀬繚、『ゲームシナリオのための クトゥルー神話事典』、ソフトバンク クリエイティブ、2013、pp.86-87 も参照)、より馴染み深いのは『世紀の怪物 タランチュラの襲撃』(1955、監督:ジャック・アーノルド)でしょう。
 今となっては最後の方にクリント・イーストウッドが爆撃機のパイロット役でちらっと出演していることで知られているのかもしれませんが、実写の蜘蛛と風景を合成したというその姿は、当時の技術のせいもあってか、もわっと輪郭の定まらなさがかえって、この世のものならぬ存在感を放っていました。細部まで克明に見えていたらこの感じは出なかったはずです。なお本作は、ヒロインが秘密を抱えた辺境の屋敷に到着するところから始まるという、古式ゆかしいゴシック・ロマンスの定番に則っています。
 思い起こせば朧気ながら、『ターザン砂漠へ行く』(1943、監督:ウィリアム・シール)にも大蜘蛛が出てきたような気がしますし、本サイトでとりあげた作品なら『バグダッドの盗賊』(1940)でちょこっと、また『惨殺の古城』(1965)と『悪魔の凌辱』(1974)にはとても情けない大きめの蜘蛛が登場しました。蜘蛛の巣だけなら、本サイト言及作のあちこちで登場人物の顔にひっかかり、巨大な蜘蛛の巣も『呪いの館』(1966)で主人公を貼りつかせています。この他大蜘蛛映画というのは思いのほかいろいろと製作されているらしいのですが、見る機会のあったものとして『スパイダーパニック!』(2002、監督:エロリー・エルカイェム)を挙げておきましょう。
 今となってはスカーレット・ヨハンソンがヤンキー娘役で助演していることで知られているのかもしれませんが、CGのさまざまな大蜘蛛がぴょんぴょん跳ねながらうじゃうじゃ出てきます。ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(1978)よろしくショッピング・モールがクライマックスの舞台となり、廃坑も登場、何にせよ景気のいい作品でした。
 他方日本の大蜘蛛に戻れば、『怪竜大決戦』(1966、監督:山内鉄也)や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967、監督:福田純)、たしか巨大化はしなかったような気がしますがよく憶えていない、『蜘蛛 現代怪奇サスペンス』(1986/8/11放映、監督:石井輝男、原作:遠藤周作)なんてのもありました。近くは黒沢清の『蟲たちの家 楳図かずお恐怖劇場』(2005)にCGの大蜘蛛が出てきました。しかし何といっても筆頭にあげるべきは『ウルトラQ』第9話、「クモ男爵」にほかなりますまい。お屋敷が舞台ではあり、同じく円谷プロが製作した『怪奇!巨大蜘蛛の館』(1978/8/26放映、監督:岡村精)とあわせ、再見することにしましょう。

 円谷英二率いる円谷プロダクションが製作、1966年1月から7月まで放映された『ウルトラQ』は、放映前に全28話の制作を終えており、当初SFから怪奇色の濃いものまでヴァラエティーに富んだ路線をめざしていましたが、途中から怪獣ものに舵を切りなおし、それがヒット、続く『ウルトラマン』(1966/7-'67/4)や『ウルトラセブン』(1967/10-'68/9)につながっていきました。制作順では13番目にあたる「第9話 クモ男爵」は怪獣路線に切り換える前の最後の脚本とのことで、大蜘蛛が登場するとはいえ、典型的な怪獣ものとは少し毛色が違っています。
 SF作家と航空会社のパイロットの二足のわらじを履く万城目淳(佐原健二)、その後輩戸川一平(西條康彦)、新聞社のカメラマン江戸川由利子(桜井浩子)をレギュラーとして、この三人が怪事件に遭遇するというのがシリーズの基本ですが、新聞社に所属する由利子はともかく、航空会社に勤める万城目と一平がなぜいつも首を突っこむのか・突っこめるのかというのは、気にし出せば毎回事件に出くわす名探偵以上に不自然と見なせなくもなく、それが『ウルトラマン』での科学特捜隊や『ウルトラセブン』における地球防衛軍およびウルトラ警備隊といった設定を引き寄せたのでしょうが、本作では、友人たちとパーティーに参加した帰りというところから始まり、仕事から離れた時間という点、他の友人三人といっしょにいるという点で、微妙に享楽的な雰囲気をかぎとれなくもありません。これは残り三人の内、沼に落ちて終始熱を出している竹原(鶴賀二郎)を除く、今日子(若林映子)と詩人の葉山(滝田悠介)によるところも小さくありますまい。
 今日子はとりたてて目立った動きを示すわけでもありませんが、何やら存在感を発しています。男性陣は「ちゃん」づけなのに、由利子だけは「さん」で呼んでいました。キャストで佐原健二の次、西條康彦と桜井浩子の前に並べられている若林映子は、本サイトでも既に『大盗賊』(1963)や『奇巌城の冒険』(1966)で出くわしていますが、『キングコング対ゴジラ』(1962、監督:本多猪四郎)や『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964、同)、何より『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964、同)でお馴染みです(ちなみに必ずしも評価の高くないらしい、とはいえ個人的には大いにお気に入りの『ドゴラ』について、次の原稿で触れたことがありました;「秋岡美帆『光の間01-1-15-4』(館蔵品から)」、『ひる・ういんど』、no.74、2003.3.31 [ < 三重県立美術館のサイト ]。→こちらでも言及しています:「怪奇城の地下」の頁)。
 細身で顎髭、縦縞の上着といういでたちの葉山は、ポーの詩を口ずさんだりします(下掲の小野俊太郎『ウルトラQの精神史』、pp.174-175 参照)。鋭敏だとか孤高だとかというにはいささか明朗快活です。彼らに何やらどろどろした陰が嗅ぎとれるというわけではない。にもかかわらずこの二人がいることで、レギュラー三人も服装を含め、普段とまったく同じ姿勢ではないようなのでした。


 こうした六人が道に迷った末にたどりついた無人の屋敷で、二匹の大蜘蛛に遭遇するという筋立ては、ゴシック・ロマンスの結構をなぞっています。蜘蛛たちが滅びるとともに炎上した屋敷が底無し沼に沈むという結末は、小野俊太郎がいうようにポーの「アッシャー家の崩壊」を連想させずにいません(『ウルトラQの精神史』、p.175)。館崩壊の視覚的な面では、エプスタンの『アッシャー家の末裔』(1928)といわないまでも、1960年9月に日本で公開されたコーマンの『アッシャー家の惨劇』は、なにがしか念頭に置かれていたのかもしれません。プロローグ部分と本篇との間に時間がどのくらい経ったのかはっきりしませんが、双方夜の出来事であり、少なくとも本篇は一夜の内に起こります。

 準備稿になく決定稿で追加されたプロローグは(脚本は金城哲夫。下掲のヤマダ・マサミ著、資料:西村祐次、『ウルトラQ 伝説』、pp.240-241)は灯台の中で繰りひろげられます。灯りに異常があるという通報を受けて灯台守が階段をあがっていくさまが下から見上げられる。鉄製の階段は上まで一続きではなく、塔の中は何階かに床で区切られていました。床のあるところには窓もついています。
 階段をあがる行動は、灯台守の悲鳴を聞きつけた台長によって反復されます。最初の灯台守の時より少し下から出てきて、やはりカメラが首を振るとともに下から見上げられる。中央に大きな円柱のあることがわかります。
 二人の人間が下から上へあがるのに対し、上からは大蜘蛛が降りてくる。階段映画のお手本というべきでしょうか。またいささか深読みになるかもしれませんが、灯台での上下構造は本篇での館のそれに対応すると見なせなくもありません。
二度目の際には下からの光で壁に階段の影が大きく映るさまも、本篇の館内の場面の最後近くで落ちる、階段の欄干の妙に歪んだ影に応じていました(追補:→「怪奇城の高い所(後篇) - 塔など」の頁でも触れました)。 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約1分:灯台の階段+影
 大蜘蛛のアップとともにタイトル・バックになりますが、その時映るのは蜘蛛の巣に覆われた館内の数カ所です。二台の車に乗った六人が道の迷った様子を描くところでは、霧の中、灯台の灯が見えると語られます。
 底無し沼の場面を経て、「灯りが見える」という今日子の台詞とともに、
『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約6分:館 カメラが右から左へ撫でると、木越しに館の外観が映されます。二階建てに屋根、屋根からは煙突が数本突きで、玄関ポーチが少し前にせりだしている。井上泰幸によるデザイン・スケッチが、安丸信行が作ったミニチュアの写真とあわせ、下掲の『総天然色ウルトラQ 公式ガイドブック』(2012、p.69)に掲載されています。それを見ると玄関のすぐ右は小塔のようになっていました。「目黒の辺りにあった建物をモデルにデザインした」とのことです(同上)(追補:→「怪奇城の肖像(完結篇)」の頁でも触れました)。
『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約6分:丸太の橋  スケッチにもある丸太を数本縦に並べ、途切れた先では横にずらしてまた丸太が伸びる橋を渡って、
一行は玄関の前にたどりつく。地面から玄関まで数段のぼるようになっています。

 中に入ると広間で、左に玄関、突っ切って右に上への階段がある。向かって中央奥、少しくぼまって暖炉があり、その上には肖像画らしきものがかかっているようですが、絵柄はよく見えません追補:→「怪奇城の画廊(中篇)」でも少し触れています)。広間は二階分の吹抜になっています。
 右奥の階段は壁に向かって半階分あがった後、左右に枝分かれします。 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約8分:広間の奥、左右に枝分かれする階段
万城目が右への上半階段をあがってくると、奥に左への階段が映り、あがった先では少し奥に廊下が伸びて突きあたりに扉、その少し前・右から光が射しているように見えます。
「今から90年くらい前」とクモ男爵の伝説を万城目が語りだす場面を経て(仮に1965年から数えると1875年=明治8年)、万城目は再び、薬を探しに階段をのぼります。 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約9分:広間の奥、階段の左側
今度は左に折れる。突きあたりではなく、右の壁にも扉があったようで、そこを開いて中に入る。廊下の天井に階段の欄干の影が落ちています。 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約10分:階段を上がって左の吹抜歩廊とその奥の廊下
 間に葉山の薪探し行をはさんで、万城目に戻ると、部屋にはカーテンと装飾的な窓がありました。カーテンは風に揺れ、霧笛の音が響いてきます。 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約11分:二階の部屋、飾りガラスの仕切りと左に窓のカーテン
窓から遠くに灯台が見える。ここは寝室で、天蓋付きの寝台がありました。

 万城目の行動が館の〈上〉に向かったのに対し、まずは葉山が〈下〉を目指します。広間の階段のわきあたりでしょうか、扉を開いて左から右へ向かう。左側で皿が並んでおり、台所らしい。右手は何もない無愛想な壁だけです。水の落ちる音と声が響きます。
 間に寝室での万城目の場面をはさんで、葉山は下への狭い階段をおります。
 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約12分:台所から地下への階段、下から 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約12分:地下への階段を降りた先、上から
酒蔵のようで、樽の上にオカリナが置いてありました。 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約13分:地下の酒蔵、真上から+大蜘蛛の頭部
 いったん広間に戻ると、 『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約14分:広間の奥、階段の右側 台所と地下へ
息が白くなっています。一平がオカリナでいささか起伏の乏しい旋律を奏で、女性陣にいやがられて口を離しても、音が鳴り続けるという素敵な一幕がありました。
 葉山がまた酒蔵へおりる一方、今日子は台所に向かいます。蠟燭を手に数段おりる。葉山の悲鳴に万城目たちが酒蔵に駆けつける際も、それぞれ蠟燭を手にしていました。


 寝室、酒蔵と台所での大蜘蛛の登場、広間での立ち回りを経て、一行が館から逃げだすと、丸太橋は沈みかけていました。熱を出していた竹原もなぜか動けるようになっています。追ってきたもう一匹の大蜘蛛との攻防を経て、
『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約24分:炎上・崩壊する館 館が崩壊する際に音楽はなく、軋む音と鳥の羽ばたきと鳴き声だけが響きます。
 現存する生物を大きくしただけの怪獣はとかく魅力を減じがちですが、石井清四郎の操演による大蜘蛛は、着ぐるみ怪獣ではえてして免れかたい二足歩行の擬人性から脱しています。脚の先が地面につくかつかないかという浮遊感も、これに与っているのでしょう。準備稿で登場した謎の女と老人は決定稿では削られました。このように大蜘蛛と人間を結びつける要素が廃されているにもかかわらず、今回あらためて見直すと、二匹の大蜘蛛にはある種の同情が寄せられているように思われます。大蜘蛛が人間大で、ナイフの一撃や車の体当たりで倒されてしまうという弱さもさることながら、人間たちこそが館への闖入者にほかならず、館内での襲撃は縄張りの防御にすぎず、館外への追跡は連れを殺された悲憤によるものと見える。「あなたの庭先で、夜蜘蛛に出会っても、どうぞそっとしておいてください」という結びの石坂浩二によるナレーションも、そうした基調に添うているのでしょう。
 これは子供向け番組という要請によるのでしょうが、六人の内誰も犠牲者にならないというのも、今となっては新鮮かもしれません。もっともプロローグでの二人がどうなったかは語られないのですが。


 余談になりますが、クライマックスで、館の外まで一行を追ってきた大蜘蛛は複数いたとずっと思いこんでいました。いつもの記憶違いであります。
 また関係のない話ですが、とある知人が、かつて古くて大きな家を借りていた頃、しばらく続いた出張から帰って部屋に入ると、たとえでも何でもなく、「蜘蛛の子を散らす」さまを実見したことがあるそうです。小蜘蛛の群れが波のようにざざっと引いたとか。その知人の話はとかく数割増しになる傾向があるともっぱらの評判なのですが、なにがしか核になる経験はあったのかもしれません。
 そういえば、当方も大蜘蛛の夢だか何かを見たことがあった - あるいは少なくとも、そういう記憶が残っています。この件については次の原稿に記しました;
とくべつふろく」、 『子ども美術館Part2 こわいって何だろう?』ガイドブック、1997.7 [ < 三重県立美術館のサイト ]

 
Cf.,

ヤマダ・マサミ著、資料:西村祐次、『ウルトラQ 伝説』、アスキー、1998、pp.58-59、240-241

『総天然色ウルトラQ 公式ガイドブック』、角川書店、2012、pp.20-21、69

白石雅彦、『「ウルトラQ」の誕生』、双葉社、2016、pp.175-176

小野俊太郎、『ウルトラQの精神史』(フィギュール彩 64)、彩流社、2016、pp.171-175

 篇中葉山が口にするポーの詩は日夏耿之介による訳(冒頭の5行);

日夏耿之介、『ポオ詩集 サロメ』(現代日本の翻訳)(講談社文芸文庫 ひE1)、講談社、1995、pp.111-118:「ユウラリウム - 譚歌」

 (『日夏耿之介全集 第七巻』、河出書房新社、1977 が底本とのこと、p.230。他に『ポオ詩集』、創元社、1950 などにも掲載か?、p.211)

 別訳が;


福永武彦訳、「ウラリューム - 譚詩」、『ポオ全集 3』、東京創元新社、1970、pp.154-159

原著は
Edgar Allan Poe, "Ulalume - A Ballad", 1847

 なおポーについては→「viii. エドガー・アラン・ポー(1809-1849)など」(<「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」<「宇宙論の歴史、孫引きガイド」)も参照

 第25話「悪魔っ子」に→『呪いの館』(1966)の Cf. で触れました。

おまけ

 そういえばフランスのプログレ・バンド、

Atoll, L'araignée-mal, 1975(邦題:アトール『組曲「夢魔」』)(1)
1.  『ユーロ・ロック集成』、マーキームーン社、1987/90、p.73。
 『フレンチ・ロック集成 ユーロ・ロック集成3』、マーキームーン社、1994、p.88。
 巽孝之、『プログレッシヴ・ロックの哲学』(serie 'aube')、平凡社、2002、p.124。
 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.27。
 2枚目のタイトル曲はB面全体を占めています、21分53秒。4部構成で、さらに;

I) Imaginez le temps(「思考時間」)、6分40秒
 «Une ombre étrange glisse»(「《謎の暗闇》」)
 «Sur l'onde limpide des étangs»(「《透明な湖上にて》」)
II) L'araignée-mal(「夢魔」)、5分05秒
 «Je suis l'idée abstraite»(「《睡眠思考》」)
 «Le phantasme figé»(「《冷凍幻影》」)
 «Dans vos cerveaux iniertes»(「《老衰頭脳》」)
 «Je suis la hyène mentale»(「《精神浸蝕》」)
III) Les robots débiles(「狂った操り人形」)、3分35秒
 «Mois je suis le robot débile»(「《操り人形》」)
 «Je cache sur les idoles sacrées»(「《神への冒瀆》」)
IV) Le cimetière de plastique
(「プラスチックの墓碑」)、6分00秒
 «La cité de plastique»(「《プラスチックの街》」)
 «N'est plus qu'un cimetière»(「《墓地》」)
 «Où nos enfants s'amusent»(「《不思議な子供たち》」)
 «A se chercher la nuit»(「《夜を求めて》」)

 と細分されています。フランス語の
araignée は蜘蛛を意味し、ギリシア神話でお馴染みのアラクネーに由来するのでしょう。mal は名詞なら「悪」や「害」、副詞として「悪く」などの意ですが、araignée-mal の形で何らかの慣用句などの言い回しをなすのかどうかは不勉強のためわかりませんでした。ともあれジャケット表面に大きく描かれた黒々としたものは、この〈蜘蛛-悪〉を表わすのでしょうか。そのお腹あたりに小さく、こちらは赤い蜘蛛が描いてあります。
 同じくフランスのバンドの唯一のアルバムが;

Arachnoid, Arachnoid, 1979(邦題:アラクノイ『アラクノイの憂鬱』)(2)

 手もとの仏和辞書には
"arachnoïde"の形しか載っていないのですが、そのかぎりで、形容詞として「クモの巣状の」、女性名詞として「()網膜」、他方"arachnoïdien"は形容詞で「蜘網膜の」、"arachnides"で複数男性名詞として「クモ形綱、(しゅ)形綱」とのことでした。
1.  『ユーロ・ロック集成』、マーキームーン社、1987/90、p.72。
 『フレンチ・ロック集成 ユーロ・ロック集成3』、マーキームーン社、1994、p.52。
 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.25。
 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.47、2010.11、p.77。
 暗黒風味系のシンフォニック・バンドです。
 CDで5曲目、もとのLPではB面2曲目(CDでの3曲目はもとのLPでは欠けていたらしい)の
"La guêpe"(「すずめばち」)の歌詞に関し、→こちら(「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「廊下など」の項)と、また→そちら(「階段で怪談を」の頁の「文献等追補」の「その他、フィクションから」の項)で触れました。 
 イタリアのプログレ・バンド、

Banco del Mutuo Soccorso, Come in un'ultima cena, 1976(邦題:バンコ『最後の晩餐』)(3)

 6枚目の2曲目が
"Il ragno"(「蜘蛛」)、4分54秒。
 この曲はライヴ・アルバム
 

Banco del Mutuo Soccorso, No palco, 2003(邦題:バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ『ノー・パルコ~30周年記念コンサート』)(3a)

でも3曲目に収録されています、5分19秒。手もとの日本版には歌詞とその邦訳も載っていて、

"Io sono il ragno"(「僕は蜘蛛」)と歌うほか、
"Labirinto senza uscite"(「出口がない迷宮」)
なんてくだりもありました。
3.  『イタリアン・ロック集成 ユーロ・ロック集成1』、マーキームーン社、1993、p.30。
 『ストレンジ・デイズ』、no.94、2007.7、p.83。
 アウグスト・クローチェ、宮坂聖一訳、『イタリアン・プログ・ロック イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド(1967年-1979年)』、マーキー・インコーポレイティド、2009、pp.117-122。
 岩本晃一郎監修、『イタリアン・プログレッシヴ・ロック(100 MASTERPIECE ALBUMS VOL.1)』、日興企画、2011、p.35。

3a.  『ストレンジ・デイズ』、no.94、2007.7、p.89。

 別のアルバムの曲→こちらで挙げました:「グノーシス諸派など Ⅲ」の頁の「おまけ
 

Brian Eno, Before and after Science, 1977(邦題:ブライアン・イーノ、『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』)(4)

 ソロ5枚目、Discreet Music (1975/12)をはさんで、歌入りアルバムとしては Another Green World (1975/9)に続く4枚目、そのラストとなる10曲目(もとのLPならB面5曲目)が“Spider and I”(「スパイダー・アンド・アイ」)、4分10秒。

 余談になりますが、このアルバムの3曲目、
“Kurt's Rejoinder”(「カーツ・リジョインダー」、2分55秒)の'Kurt'はクルト・シュヴィッタース(1887-1948)のことで、演奏者中に'Kurt Schwitters : Voice (from the Ur Sonata)'(音響詩《原ソナタ》(1922-32)より)と記されていました(5)。

 余談ついでに、ソロ第8作

Brian Eno, On Land - Ambient 4, 1982(ブライアン・イーノ、『オン・ランド』)(6)
のA面3曲目、
“Tal Coat”(「タル・コート」、5分27秒、器楽曲)のタイトルは、フランスの画家 Pierre Tal Coat (1905-1985、『新潮世界美術辞典』(1985)では「タル=コアト」(p.901)と表記)を指すとのことです→英語版ウィキペディアの本アルバムの頁"Track names"の項。

 それでは続く

Brian Eno with Daniel Lanois & Roger Eno, Apollo. Atmospheres & soundtracks, 1983(7)
のA面3曲目
“Matta”(4分15秒、器楽曲)のタイトルは、チリの画家ロベルト・マッタ Roberto Matta (1912-2002)のことなのでしょうか? 
4. The Bible. rock magazine 04、ロックマガジン社、1981、p.81。
 エリック・タム、小山景子訳、『ブライアン・イーノ』、水声社、1994、pp.174-176、p.181、p.198、p.351。
 『200CD プログレッシヴ・ロック』、立風書房、2001、p.137。
 「ブライアン・イーノを紐解く七つのキーワード」、『ストレンジ・デイズ』、no.72、2005.9、p.42。
 →あちらも参照:「中国 Ⅱ」の頁の「おまけ


5. 上掲エリック・タム、小山景子訳、『ブライアン・イーノ』、p.136 も参照。

6. 上掲エリック・タム、小山景子訳、『ブライアン・イーノ』、pp.228-229、p.349。

7. 上掲エリック・タム、小山景子訳、『ブライアン・イーノ』、pp.229-231、p.349。
 上掲「ブライアン・イーノを紐解く七つのキーワード」、『ストレンジ・デイズ』、no.72、2005.9、p.46。
 こちらは日本の80年代プログレ・バンド、

ページェント、『仮面の笑顔』、1987(8)

 1枚目『螺鈿幻想』(1986)と2枚目『夢の報酬』(1989)の間に出た12インチ・シングルのB面を占めるのが
「蜘蛛の館」(EXTEVDED VERSION)、8分34秒。
 「怪奇骨董ページェントの真骨頂大曲」とのこと(右掲『ユーロ・ロック・プレス』、p.71 のアルバム解説より)。
8. ヌメロ・ウエノ、たかみひろし、『ヒストリー・オブ・ジャップス・プログレッシヴ・ロック』、マーキームーン社、1994、pp.175-178。
 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.29、2006.5、pp.70-71。
 『ストレンジ・デイズ』、no.82、2006.7、pp.133-136。
 →こちらも参照:「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「おまけ

Frank Zappa, Sleep Dirt, 1974((邦題:フランク・ザッパ『スリープ・ダート』(9)

 CDでの3曲目が
"Spider of Destiny"(「スパイダー・オブ・デスティニー」)、2分34秒。
 ちなみに日本語版ウィキペディアの該当ページ(→こちら)によると、ジャケットに描かれているのはヘドラだそうです。そういえば


Frank Zappa / The Mothers of Invention, Roxy & Elswhere, 1974(10)

のCDで7曲目、元のLPではC面2曲目
"Cheepnis"冒頭のMCで

"I love monster movies"
とか言っていました。歌詞にも
"Can y'all see?
The little strings on the Giant Spider?
TheZipper from the Black Lagoon?"

というくだりがあります。ついでに、
"And the monster just ate Japan"
なんて箇所もありました(11)。
  
9. 岸野雄一、「フランク・ザッパ ディスコグラフィー」、『ユリイカ』、vol. 26 no.5、1994.5:「特集 フランク・ザッパ 越境するロック」、p.238。
 舩曳将仁監修、前掲書、p.12。和久井光司、『フランク・ザッパ キャプテン・ビーフハート ディスク・ガイド』(レコード・コレクターズ2月増刊号)、2011、p.73。
 →こちら(「エジプト」の頁の「おまけ」)も参照


10. →そちらを参照:「ギリシア・ヘレニズム・ローマ Ⅱ」の頁の「おまけ」。

11. なので→あちら(「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁の「おまけ」)や、またここ(「日本 Ⅱ」の頁の「おまけ」)にも挙げておきます。  

Dead Can Dance, Into the Labyrinth, 1993(邦題;デッド・カン・ダンス『イン・トゥ・ザ・ラビリンス』)

の9曲目
"The Spider's Stratagem"(「蜘蛛の計略」)、6分42秒。
 他のアルバムから、など→こちらに挙げました;『インフェルノ』(1980)の頁の「おまけの2

 再びそういえば、すっかり忘れていましたが

蜘蛛巣城』(1957)

 なんて素敵なタイトルの映画もありました。
 ただし蜘蛛も蜘蛛の巣も具体的な形では出てこなかったような。霧はやたらと這うのですが。
 
 2017/09/11 以後、随時修正・追補
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