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怪奇城の肖像(完結篇) - 映画オリジナルの古城など:1950年代以降
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Ⅴ.1950~70年代より:ハマー・フィルムの作品 (幕間)の頁で触れたように(→こちら)、ハマー・フィルムの怪奇路線第1弾『フランケンシュタインの逆襲』(1957)では、舞台となる館の外観はほとんど見られず、せいぜいシルエット化した夜景くらいでした。そこで古城がきちんと映るのは第2弾の『吸血鬼ドラキュラ』(1958)からだと脳裡に刻まれていて、それは間違いではないのですが、今さらながら一応と確かめれば、全体の姿を見渡すショットは出てこず、部分のアップだけだったというのはまるっきり意識にのぼっていませんでした。当該頁でも「左や奥がどうなっているかまでは映らない」と記しているのに。 |
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その中で視野が一番広いのが左上に引いた場面です(→こちらの2)。右寄り中景にあるのは門で、十字状らしきプランや、こちら向きの破風の内側に沿った曲線、左に張り出した屋根を支える木製持ち送りの曲線など、けっこう凝っています。門の中、右手の壁には扉がついていました。 奥に見える城本体の内、画面左端、木の向こうに半円アーチの先端が二つ隠れていますが、そのすぐ右が玄関扉にあたります。 門から玄関までの間はゆるいのぼりの傾斜が少しあって、この部分はセットが組まれています(左下→こちらの3)。この傾斜に添っているのが、左上の場面で奥から右手前へ少し出て、上ひろがりの塔につながる翼なのでしょう。左下の場面では向かって左にあたる。翼は不定型な岩から直接はえでたかのようなさまであることが、玄関へ向かって進む場面でわかります。 城の外観がある程度見えるのは、何度か挿入されたこのショットだけでした。昼間の光景とあって、明快な塊量感やメリハリもある魅力的な眺めではあるものの、「左や奥がどうなっているかまでは映らない」ままです。 |
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石田一、『ハマー・ホラー写真集 VOL.1 ドラキュラ編』、2013 で「城門前ゲート」の写真に附して、 「城の上部はグラスペイントによる合成(背景も)なので、セットには作られていない」(p.3) と記されていました。同書には小さな図版ですが、下の二図も掲載されています(p.4)。左下は本篇で映るのとは別の角度から見た「城門前ゲート」で、使われなかった眺めです。ゲートの奥左にガラス窓のある棟が見えます。 右下も「城門前の別角度からの写真」で、やはり本篇では見られません。二階への外付け階段や屋根に鋸歯型胸壁がありますが、本篇で映された部分とどうつながるのでしょうか? |
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続く『バスカヴィル家の犬』(1959)でも、冒頭、夜景のマット画として映される館の全体像はもう一つ判然としません(左下→そちらの1)。他方本作でも玄関前附近はセットが組まれています(右下→そちらの2)。奥で左から少し右へ、それから手前へ伸びてくる棟の配置、その手前のゆるい坂道、『吸血鬼ドラキュラ』で玄関扉の左にあった二連半円アーチ、左上の未使用場面の写真で、ゲートの奥に覗いている少し張り出して持ち送りに支えられた二階などが一致します。[ IMDb ]によると『吸血鬼ドラキュラ』の撮影期間は1957年11月11日から翌1月3日まで、『バスカヴィル家の犬』は1958年9月13日から10月31日までと、少し間があくのですが、同じオープン・セットを模様替えしたのでしょうか? | ||||||||||||||||
『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)で、古城の全体像を表わした模型が登場します(→あちら)。立地こそ山の上という孤絶したものですが、何といっても特徴は壁の明るさでしょう。白か明るいグレーか。長年の呪いを背負っているのではなく、最近まで世俗的な生活の場だった雰囲気を留めていると見るべきか、白だからこそ逆に、この世からはみだしていると見なすこともできるのか。 | ||||||||||||||||
設定の上では『吸血鬼ドラキュラ』におけるドラキュラ城は、ながらく生者が住むこともなかったはずですが、生者の来訪を受け入れる態勢はできていました。『バスカヴィル家の犬』でのバスカヴィル館は、呪いにのしかかられているにせよ、映画内の現在まで人が居住していました。映画に登場する古城は、『魔人ドラキュラ』(1931)における城内の大階段のように(→あちらの2)、蜘蛛の巣まみれの状態にまで堕ちている場合の方がむしろ、少ないのかもしれません(「怪奇城の隠し通路」の頁で触れた『血ぬられた墓標』(1960)における隠し通路内のように(→あちらの3)、部分的に掃除の手が行き届かないことはあるのでしょう)。 『吸血鬼の接吻』(1963)の城もまた、居住者訪問者がわんさといます。その大半が生者ではないにせよ。ここでの城はやはり山頂に建てられていますが、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』のマインスター城よりは無骨そうです(左下→ここ)。模型ですが、クライマックスの蝙蝠の群れが来襲する場面では、向かって左手前の塔が低い位置から見上げられるような角度で捉えられていたのが印象的でした(右下→ここの2)。(幕間)の頁で触れた、『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)でのオラヴァ城の北の塔を見上げたショットを連想することもできるかもしれません(→ここの3)。 |
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ところでこの作品では、城の外観が夜の光景も含め(左→ここの4)、篇中何度か挿入されますが、それまでのハマー・フィルム製作作に比べ、微妙に頻度が多くなったような気がしなくもないかもしれません。 城の外観の眺めは舞台の呈示とともに、場面の切り換えなどの役割を果たすわけですが、そこにたとえば、後で触れる『恐怖の振子』(1961→ここの5)などの、影響といわないまでも、時期を同じくすることの兆しを読みとることもできなくはないかもしれません。 |
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さて、『吸血鬼の接吻』における古城の模型は、『凶人ドラキュラ』(1966)でそのまま再登場しました(左→そこ)。当該作品の頁では「よく似ている」なんて書きましたが、同じものでしょう。向かって左側の塔で、角に張り出した小塔があったり、半円アーチが連なる部分が段差をもって右奥の本棟へつながるさまなどが一致します。角度は微妙に横向きになったりもします。手前にゆるく曲がる木の幹を配した構図は残されました。 またこれまで同様、本作でも城の玄関前附近はセットが組まれています(下→そこの2)。頂に小ドラゴンをのせたオベリスクが二本ずつ二組立っています(→「四角錐と四つの球」の頁や、また「ドラゴン、雲形、魚の骨」の頁など参照)。 |
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『フランケンシュタインの怒り』(1964)のフランケンシュタイン城(左下→あそこ)と『妖女ゴーゴン』(1964)におけるボルスキ城(右下→こっち)も同じマット画だか模型を共有しています(玄関前附近のセットも同様)。 向かって右端に六角塔、三階建ての棟、左側は小塔のある入り組んだ構造で、下方はさらに左へ伸びています。岩山の上に建っており、六角塔の右は崖です。やはり手前に木立が配され、ルプソワールをなしています。 |
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よく見ると六角塔と三階建て部分との間に連結部があって、六角塔は三階建て部分より手前に位置しています。左の入り組んだ部分もやはり手前に突きでている。六角塔の先端は、『妖女ゴーゴン』では木の枝に隠れて見えませんでしたが、『フランケンシュタインの怒り』では頂は平らで、その下は丸味を帯びていることがわかります。平らなところは後に開閉し、稲妻を取りこむ装置が設置されていました(右→あそこの2)。すぐ隣に尖り屋根の塔がありますが、これは上の全体像では見えません。 | ||||||||||||||||
『フランケンシュタインの怒り』でも、ただ、塔以外は屋内の描写に対応する点は見あたらず、『妖女ゴーゴン』はなおさらでした。ただ後者にはより近づいて見あげた外観が見られます(左→こっちの2)。右端に切れていますが、多角形の部分、少し奥に三階建ての棟、すぐ左・手前に尖り屋根のずんぐりした方塔、その下に見えるのは玄関でしょうか。先の全景をぐしゃりと縮めたようでもありますが、さらに左奥へ伸びていて、一番奥は高くなっているようです。全景に対応していないともいいきれない。 | ||||||||||||||||
『帰って来たドラキュラ』(1968)でドラキュラ城は、玄関前まで行きながら誰も中に入らず、伯爵は中に入れなくなってしまうという、いささかカフカ的とでも呼びたくなるような不条理性を帯びていました。だからこそ城の姿は映されねばならず、大きな十字架を背負った司教の向こう、岩山の上に聳える城の眺めはなかなか印象的でした(→そっち)。高さが異なる左右の翼にはさまれた中央が少し引っこみ、左奥に尖塔が見えます。 | ||||||||||||||||
後にふれるコーマンの『恐怖の振子』(1961→ここの5)を思わせる、急な角度で仰視したマット画がすぐに続きます。中央の玄関のある部分と左右の翼の関係は、遠望した眺めと合致しています。 | ||||||||||||||||
『バンパイア・ラヴァーズ』(1970)のカルンシュタイン城(左下→あっち)と『ドラキュラ復活!血のエクソシズム』(1970)のドラキュラ城 (右下→こなた)も、よく似た模型だかマット画を共有しています。小高い岩山の頂に、城壁に囲まれた本丸が聳えるのは変わりません。本丸左手の塔から小塔が張りだしている点も同じです。ただ前者での高い位置にある鋸歯型胸壁や左下の尖塔が前者には見あたらないなど、微妙に違っていました。 | ||||||||||||||||
前者は1970年10月4日イギリス公開、後者は1970年11月8日イギリス公開です。この二作は双方ロイ・ウォード・ベイカーが監督していますが、上に挙げた『吸血鬼の接吻』はドン・シャープで『凶人ドラキュラ』はテレンス・フィッシャー、また『フランケンシュタインの怒り』はフレディ・フランシスで『妖女ゴーゴン』はテレンス・フィッシャーと、同じ模型やマット画を使っていても監督は別でした。他方最初の二作ではともに、プロダクション・デザインはバーナード・ロビンソン、美術監督はドン・ミンゲイのコンビで、後二作はやはりともに、スコット・マクレガーが美術監督をつとめています。スタジオでの製作のあり方など、気にならなくもないところでした。 | ||||||||||||||||
『バンパイア・ラヴァーズ』では、上の遠景以外に、墓地の奥に城が中景として見える場面が何度か挿入されていました。常に夜で、霧が這い、木立が手前にあって全体の配置はよくわからないのですが、幾本かの尖塔が目を引きます。 | ||||||||||||||||
『ドラキュラ復活!血のエクソシズム』では、城の模型がより接近したり角度を変えて映されるのを見ることができます。またおそろしく高そうな絶壁の上に建つ城壁を、これまたおそろしく斜めになった角度で見下ろしたマット画も登場しました(下二段目右→こなたの2)。 | ||||||||||||||||
『バンパイア・ラヴァーズ』に続くカルンシュタインもの第2弾の『恐怖の吸血美女』(1971)では、終盤の炎上する城の場面に、『ドラキュラ復活! 血のエクソシズム』からのカットがそのまま使われたりもしていましたが、他方、冒頭で見られる城の姿は、これまでのものとまたひと味違っていました(→そなた)。 | ||||||||||||||||
やはり山頂に建てられているのですが、屹立するのではなく、平べったくへばりついているかのようです。下の方へ城壁が伸びていて、(前篇)の頁で触れたデューラーの水彩《アルコの谷の眺め》(1495→そなたの2)が連想されなくもありません。 後の場面で少し近づいた眺めが出てきますが(左下→そなたの3)、城なのか近隣の村なのか、わからなかったりもしたのでした。 他方、玄関前附近のセットが組まれ(右下)、やはり『ドラキュラ復活! 血のエクソシズム』での城の前庭のセットに近かったりします。 |
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カルンシュタインもの第3弾『ドラキュラ 血のしたたり』(1971)でも、平べったい山城は踏襲されました(→あなた)。『恐怖の吸血美女』からの左上の近接した光景に見える、尖塔のある教会らしき建物周辺に合致するらしき組みあわせが、左の遠景でも認められます。 『恐怖の吸血美女』における、夜、下から見上げた城の外観(左下)が、そのまま使われていたりもしました(右下)。 ちなみに『恐怖の吸血美女』(1971)のイギリス公開は1971年1月17日、本作は1971年10月3日でした。 |
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同じ1971年の1月31日にイギリス公開された『鮮血の処女狩り』(1971)で舞台となる城の正門は、町の中にあるのですが、引いた視角では出てきませんでした。他方木立越しに数基の塔を見上げるショットが何度か、昼夜や角度を変えたりしつつ挿入されます(→こちら)。ずいぶん急な角度で見上げられることもありましたが、この点についてはまた別の機会に戻ることとしましょう。 | ||||||||||||||||
Ⅵ.1960年代前半より:コーマンのポー連作 『アッシャー家の惨劇』(1960)に始まる、AIPで製作されたロジャー・コーマンのポー連作では、模型よりはマット画が用いられることが多かったようです。またハマーの『吸血鬼の接吻』のところで触れたように(→そちら)、往々にして、各作品内で舞台となる城館の姿は何度となく挟みこまれます。とりわけ第二作『恐怖の振子』(1961)に登場した光景が他の作品にまでまたがって流用されたのはおくとしても(だから予算上の要因もからんでいる)、城館の姿の反復は、単なる画面転換の役割を超えて、城館自体を一つのキャラクターとして印象づけようとしているものと見なせるかもしれません。当該作品の頁でも引きましたが(→そちらの2)、『アッシャー家の惨劇』企画にあたって、 「だが、モンスターが出てこない」 と言われたコーマンは、 「屋敷そのものがモンスターなんだ」 と答えた、というエピソードが思い起こされます。 さて第一作『アッシャー家の惨劇』では、お屋敷タイプが見られました(左下→そちらの3)。霧が地面を這う中、いかにも暗澹たる澱みに浸されているかのようです。冒頭、そして末尾の炎上するさまをのぞけば、時間帯などを代えつつ5回挿入されました。それ以外に、ひびの入った壁を近い距離から、急角度で見上げるショットもありました(右下→そちらの4)。 |
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お屋敷タイプはこの後も出てきますが、続く『恐怖の振子』(1961)ではいかにも古城然とした姿が見られました。それも四種類です。まず、海辺の崖の上に建つ遠景(右→あちら)、少し近づいた中景(下)、近い距離で下から見上げた眺め(右下→あちらの2) - 窓に灯りがともったりする場合もあります -、そして急角度で見上げた全景(左下二段目→あちらの3)。海辺の遠景は1度、同じく中景は4度、近接仰角は3度、仰角全景は4度、それぞれ挿入されます。 | ||||||||||||||||
とりわけ仰角全景では、下から見あげる視線が、角度があまりに急なので、上昇に追いつけず、古城に超越性を帯びさせることになります。そのため見あげることは見下ろされることに反転する。見あげる者は圧迫されるように感じずにはいられますまい。 | ||||||||||||||||
こうした効果はしかし、あざといまでに効果を狙うことによってもたらされています。ただ冒頭の海辺の遠景および中景、近接仰角を二度経てから登場し、その後も海辺の中景、近接仰角をはさむことで、段取りの結果もたらされたものとして、その扇情性は多少とも許容されようとすることでしょう。二度目の登場の後も海辺の中景を二回置いて、三度目、そして最後の顔見せとなります。 城館を見あげることがそのまま見下ろされることに等しいというありさまは、(後篇)の頁で触れた『キャットピープルの呪い』(→あちらの4)や『ハムレット』(→あちらの5)でも認められました。ちなみに『ハムレット』や本作では古城に相対する登場人物は、少なくとも具体的には配されませんが、『キャットピープルの呪い』、そして何より『たたり』(1963)では、両者の視線の交差が描かれました(→あちらの6)。前者では共同監督でしたが、双方にロバート・ワイズが関わっていました。もっとも統計的に有意と見なせるほど他の作品を多く確かめたわけでもないので、今のところ深読みは控えておきましょう。 本作に戻ると、ただここでは、そうした効果を得られることがあらかじめ予想されているため、画面から受ける印象が、城館自体の存在感よりもそれが放つ効果に回収されてしまうという点で、通俗的というべきなのでしょう。しかし通俗的であるからこそ、そのイメージは頭にこびりついたりもするのでした。 |
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第3作『姦婦の生き埋葬』(1962)はお屋敷タイプです(左→ここ)。本作はあっさりしていて、屋敷周辺は常時霧に閉ざされているとはいえ、屋敷の眺め自体はもう一度だけの登場でした。そのかわりというべきか、『恐怖の振子』から近接仰角のマット画が流用され、二度挿入されます(→ここの2)。 | ||||||||||||||||
三つの短篇からなる第4作『怪異ミイラの恐怖/黒猫の怨霊/人妻を眠らす妖術』(1962)の中では、第1話「怪異ミイラの恐怖」がお屋敷を舞台にしています(左下→そこ)。この屋敷はつねに霧が棚引く海辺に建っており、約23分の短篇ながら四度に渡ってその姿を見せました。 | ||||||||||||||||
第3話「人妻を眠らす妖術」もお屋敷が舞台ですが、こちらは表情がそんなに仰々しくありません(右上→そこの2)。登場も約25分中二回だけでした。そのかわりというべきか、このマット画は、ポランスキーの『吸血鬼』(1967)のDVDに収録された「吸血鬼講座」で再登場することになるでしょう(→そこの3)。 『忍者と悪女』(1963)では冒頭、『アッシャー家の惨劇』におけるアッシャー館のマット画と『恐怖の振子』から近接仰視のマット画が出てきます(→あそこ)。序段の舞台であるクレイヴン邸を表わしているようです。 |
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中盤に入ってこの後の舞台となるスカラバスの城が登場します(→あそこの2)。海辺に建っている。これまでのマット画に比べると、やや手抜きの感がしなくもありません。 ただちに『恐怖の振子』の全景仰角、近接仰角が続きます。冒頭での近接仰角がクレイヴン邸だとすると矛盾するのですが、誰も気にするまいということで、目くじらは立てないようにしましょう。それともスカラバス城の予告だったのでしょうか。 |
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ポー連作の番外篇というべき『古城の亡霊』(1963)では、この映画のためのオリジナルの古城像は作られませんでした。お馴染み『恐怖の振子』からの全景仰角二回、近接仰角三回、海辺中景四回、海辺遠景一回に加えて、『アッシャー家の惨劇』でのひび割れた壁の仰視も一度挿入されます。 ただしタイトル・バックで、城内のいかにもな眺めを描いた絵が何点か映され、白い鳥が横切っていくのでした(→あそこの3)。 |
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『怪談呪いの霊魂』(1963)はお城タイプのようですが、水平のひろがりが強調されています(→こっち)。朝、夜など計五回出てきました。五回中四回は霧つきです。同じく四回、右手前にルプソワールとして木が配されました。玄関附近を除けば、細部がはっきりするほど近づくことはありません。海沿いに位置するようですが、その点が話の中身と関わるわけでもない。 なお『恐怖の振子』から仰角全景が一度だけ挿まれます(→こっちの2)。これが連作中最後のおつとめとなりました。 |
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『赤死病の仮面』(1964)では、主な舞台となる城はまず山頂に聳えるさまが遠景で(左→そっち)、次いで城門附近に近づいて捉えられます(下左)。双方後にもう一度繰り返される。この他、城門附近をそのまま一部として含みつつ、近づいたほぼ全景(下右→そっちの2)も昼間と夜間の二回映されました。 城門附近と接近全景はともに見あげられていますが、『恐怖の振子』での仰角全景ほど、急激な角度ではありません。シネスコの横長画面いっぱいに伸びるさまは、塊量感とひろがりを同時に感じさせます。疫病から守られた避難所という、本作での状況に対応していると見なせるでしょうか。 |
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ポー連作の掉尾を飾る『黒猫の棲む館』(1964)では、また少し異なるパターンが用いられました。当該作品の頁でも記したように、たとえば下左に挙げた場面で(→あっち)、二階分のアーチだけが残る左側の廃墟と、その右側、半円の小塔が張りだした、斜め屋根のある二階建ての建物は、 スワファムのキャッスル・エイカー に実在します。他方下右の場面で、右手の建物の奥に見え、火事が起こっている高い部分は実在しません(→あっちの2)。先立つ場面ではこの部分らしきあたりだけが見あげられました(下二段目左→あっちの3)。また後の場面では、炎が実在する部分まで燃えひろがっています(下二段目右→あっちの4)。全体の模型が作られたのでしょうか? |
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1950年代後半以降のハマー・フィルムやコーマンのポー連作における城館のイメージは、1930~40年代のユニヴァーサルを始めとする諸作品を引き継いだものでした。このような舞台をあらかじめ用意しておけば、何らかの怪奇な事態が起こることは保証されると見なされたわけです。こうした前提をいささか安直とも通俗とも捉えることもできるでしょう。 | ||||||||||||||||
コーマンのポー連作中前半の3作、『アッシャー家の惨劇』、『恐怖の振子』、『姦婦の生き埋葬』は、リチャード・マシスンやチャールズ・ボーモント、レイ・ラッセルらによる脚本によるところもあってか、超自然的というよりは、ニューロティックないしサイコ・スリラー的な比重が大きくなっていました。この点は1940年代のRKOでのヴァル・リュートン製作作品を受け継いだ部分もあるでしょうし、マイケル・パウエルの『血を吸うカメラ』(1960)やヒチコックの『サイコ』(1960)*といった同時期の作品と共振してもいるのでしょう。大時代で仰々しい舞台を要しないはずのそうした因子は、古城やお屋敷など大時代で仰々しい舞台と齟齬をきたしたりすると考えられても不思議ではありますまい。 それでいて、地下の納骨堂や隠し通路など、さまざまな他の諸点同様、いかにもいかにもな古城やお屋敷のマット画が、ポー連作では律儀なまでにきっちり呈示されていました。そんな中を、登場人物が往々にしてふらふらと歩き回ったりすることでしょう。 |
* 『サイコ』の屋敷について、ヒチコック自身、 「北部カリフォルニアあたりには、じつはあれに似た一軒家がたくさんある。〈カリフォルニア・ゴシック〉と呼ばれている古い造りの邸宅…(後略)…」 (山田宏一・蓮實重彦訳、『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー(改訂版)』、晶文社、1990、p.279) と述べていました。すぐ続けて 「あの屋敷は、なにも古いユニヴァーサルの怪奇映画のムードをだすためにこしらえたわけではないんだよ。わたしは、ただ、正確に厳密にやろうとしただけだ。あの屋敷は実際にあった家の正確な再現だった」 とも語っていますが、これは 「幽霊の出そうな屋敷とか、謎めいた無気味な雰囲気とか……」 というトリュフォーの言葉に対する返答でした。ゴシック・ロマンス的な要素の残滓はいやおうなくつきまとっていたわけです。 |
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ともあれ、技術的な点も含めて、世紀前半のイメージとの間に何か変化した点があるのかどうか、またハマー・フィルムの作品とポー連作との間に違いがあるのか、あるとしたらどんな風に特徴づけることができるのかは、現在の当方の見識では残念ながら、きっちり整理して言葉に落としこめるところまでいけません。今後の課題としておきましょう。 また、これらの城館のイメージ、何より屋内のセットを製作するにあたっては、低予算の怪奇映画だとはいえ、スタジオ・システムの存在が不可欠でした。ハマー・フィルムにおいてバーナード・ロビンソン、ポー連作でダニエル・ハラー(ホラー)たち美術監督ないしプロダクション・デザイナーが果たして役割も、スタジオ・システムに支えられたものでした。1940年代半ば以降のイタリアのネオレアリズモや1950年代末のフランスのヌーヴェル・ヴァーグなどに先導されつつ、1960年代後半のアメリカのニュー・シネマなどを徴候として、スタジオ・システムが相対化されて以降 - 具体的には、ハーシェル・ゴードン・ルイスの『血の祝祭日』(1963、未見)など一連の作品を先駆的な兆候にしつつ、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968、監督:ジョージ・A・ロメロ)および『ローズマリーの赤ちゃん』(1968、監督:ロマン・ポランスキー)あたりを経て、ということになるでしょうか -、怪奇映画や恐怖映画、というよりホラー映画の舞台がどうなっていくのかは、また別のお話となります。1990年代以降におけるコンピューター・グラフィックスの普及は、さらにまた一つの画期をなすことでしょう。 Ⅶ.1950年代以降より ハマー・フィルム製作作やコーマンのポー連作以外にも、フィクションとしての古城が出てくる映画があるのは、(後篇)の頁で見た20世紀前半と同様です。 |
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コロンビアが製作・配給した『シンバッド七回目の航海』(1958)では、「怪奇城の地下」の頁でも触れたように、地下の城が登場します(→こなた)。左に挙げた場面(→こなたの2)で見える以上の姿は出てこないのですが、手前の赤みを帯びた光と奥の青さ、岩など自然の不定型さ・有機性と壁の人工的な平滑さとの対比が効いています。 | ||||||||||||||||
『シンバッド七回目の航海』の柳の下の二匹目の泥鰌を狙ったとされる『ジャックと悪魔の国』(1962)は、エドワード・スモール・プロダクションズの製作になります。冒頭でコーンウォールの城が舞台となりますが、城門、城壁や中庭などのセット(右→そなた)以外に、全体像は映されませんでした。 | ||||||||||||||||
他方魔術師の城(左下→そなたの2)は、(後篇)の頁で触れた『オズの魔法使』(1939)における魔女の城と同じく(→そなたの3)、怪奇映画ならぬお伽噺ないしファンタジーの圏域に属するがゆえに、実際にありそうかどうかを斟酌することから解放されて、想像力の振れ幅を大きくする方へ舵を切ったものと見なすことができるでしょう(何をもってお伽噺なりファンタジーとするかはさておき)。『オズの魔法使』の場合同様、こちらも、超自然的な力を揮う悪玉の根城で、その点にこそ怪奇映画的な要素との接点が認められます。 全体像はマット画で、二つの岩を結ぶ橋と城門附近はセットが組まれました(右下)。 |
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(幕間)の頁で見たように、1960年代以降のイタリア怪奇映画では、舞台となる古城等の少なくとも外観に関しては、実在する城館でロケすることがしばしばでした。ハリウッドで撮影された作品はともかく、少なくともはたから見る分には、手近なところでお城の類が見つかりそうなハマー・フィルムの作品が、模型等を用いることが少なくなかったのとは、対照的と見ていいものかどうか。 やはり(幕間)の頁で挙げたマリオ・バーヴァの『白い肌に狂う鞭』(1963→あなた)や「怪奇城の画廊(幕間)」の頁で取りあげた『ファイブ・バンボーレ』(1970→あなたの2)のように、マット画や写真を用いた例も少なくはないことでしょうが、本サイトで見てきた作品の中では、アトランティカ・シネマトグラフィカ製作・配給の『顔のない殺人鬼』(1963)が、模型を用いていました(→あなたや、またあなたの2)。城の外観の比重が大きいとは言い難い本作ですが、左下の模型では、いかにも模型然としているものの、城壁は直角では曲がらず、左側はゴシック風の尖塔に加えて、角ごとに小塔を張りださせるなど、けっこう複雑な相を呈しています。 |
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ポランスキーの『吸血鬼』(1967)はカードル・フィルムズとフィルムウェイズ・ピクチャーズが製作、MGMが配給しました。雪降り積もる丘か小山の上に建つクロロック城は、模型でしょうか、いくつも尖塔を備えつつ、がっしりした感触を与えます(左下→こちら)。この外観は城に着いた時と去る時に出てくるだけで、作品の重点はやはり城内の空間が複数あってつながりあっていることに置かれています。これは屋根周りのセットも同様でした(右下→こちらの2)。 | ||||||||||||||||
フィルムウェイズ・ピクチャーズとアヴァラ・フィルムが製作、コロンビアが配給した『大反撃』(1969)は、怪奇映画とはいえますまいが、ゴシック・ロマンスではある戦争映画でした。当該作品の頁でも挙げたように、英語版ウィキペディアの該当頁(→そちら)中の"3. Production"の項に、監督のシドニー・ポラックの回想として、 「スタイロフォームで作られた城はウォルト・ディズニーと夢から想を得た Sydney Pollack recalled (……) that the castle which was made of styrofoam, was inspired by Walt Disney and dreams」 と引用されていました。 プロローグの後、空撮で捉えられる城の姿(→そちらの2)は、とてもスタイロフォームのハリボテとは思えませんでした。左下の場面では壁の角が直角より広く、裏側にあたる右下の場面では、主要部分から手前右の低い円塔へつながっているようです。いささか不規則な形状に応じて、屋内も複数の空間を擁しています。 |
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『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)はグルスコッフ/ヴェンチャー・フィルムズ、クロスボウ・プロダクションズ、ジュエ・リミティッドが製作、20世紀フォックスの配給でした。パロディーとあって、いかにもいかにもな山頂の城です(→あちら)。マット画でしょうか。 | ||||||||||||||||
『ラビリンス 魔王の迷宮』(1986)はヘンソン・アソシエイツ、ジム・ヘンソン・カンパニーおよびヘンソン・オーガナイゼイション、ルーカスフィルム、デルフ・V・プロダクションズ、トライスター・ピクチャーズの製作です。本Ⅶ節で見てきた作品では、最初の『シンバッド七回目の航海』以外は、もはやかつての大手製作会社によるものではなくなっていたわけです。 | ||||||||||||||||
とまれ、迷路に囲まれたゴブリン王の城(→ここ)は、『オズの魔法使』や『ジャックと悪魔の国』同様、お伽噺ないしファンタジー圏内にあって、誇張された相貌を見せてくれます。 城に辿りつくまでの道程に比べると、残りの上映時間の少ないこともあってか、屋内は空間の数も少ない。それを補ってあまりあるといえるかどうか、エッシャーの《相対性》に倣った、上下左右の向きが混乱した部屋がクライマックスの舞台となるのでした。 |
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Ⅷ.日本の映画より 東宝製作・配給の『蜘蛛巣城』(1957)では、城門の右手で、土地の傾斜に応じて段々になった多聞櫓が印象的でした(左下→そこ)。左下に引いた場面で、左上に見える建物は、日本の城と聞いて思い浮かぶ天守にあたるのでしょうか? 建物のすぐ下を城壁が囲っているようで、追手門のあるところからは一段高くなっています。いずれにせよこの部分は、お話とはからみません。 敷地内に入ると、物見櫓が清水寺の舞台下のような格子の上にのっていて、クライマックスの舞台となります(右下→そこの2)。 |
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同じく東宝製作・配給の『大盗賊』(1963)は、東南アジアらしき架空の国を舞台にしています。本作に登場する城は丘の上に建っています(左下→あそこ)。遠くから見た時の眺めはけっこうひろがりがあって、どこまでが城内でどこから城下町なのかはよくわかりませんが、城壁を伴う城門のセットだか模型だかも登場しました(右下→あそこの2)。 | ||||||||||||||||
『大盗賊』の姉妹篇というべき『奇巌城の冒険』(1966)は東宝と三船プロダクションの製作、東宝配給です。舞台は中央アジアでしょうか。左下一段目の場面(→こっち)はマット画で、主な舞台となるベシルの町を山上から見下ろした眺めです。この眺めの左下隅にあるのが王城で、右下に引いたのはその城門です(→こっちの2)。これはセットでしょうか。 町の俯瞰図でも、左下隅に曲線で囲われた黒い部分が見えます。この部分は池だか濠になっており、白っぽい王城の奥に、ずいぶん長い跳ね橋で結ぶことのできる、黒っぽい双子城が控えているのでした(左下二段目→こっち)。表の白い城は角が直角の、方形を基本にしたプランを示していますが、奥の黒い城では、四隅が膨らんで、波打つプランです。また白の城には、鋸歯型胸壁を戴く多角形の塔があるのに対し、黒の城の頂はドーム状の円蓋と、対照的な形状に作られています。 |
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ある時期までの東宝特撮映画の顔であり、『大盗賊』にも参加した円谷英二率いる円谷プロダクション初のテレビ・シリーズ『ウルトラQ』はTBSの製作で、その内第9話「クモ男爵」は1966年2月27日に放映されました。このエピソードはゴシック・ロマンスを由緒正しく受け継ぎ、人のいなくなった洋館が舞台となります(→そっち)。クライマックスではこの屋敷は炎上し、沼地に沈んでいくのでした。 | ||||||||||||||||
山本 |
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ちなみに連作第三弾『血を吸う薔薇』(1974)の頁で触れたように(→こなた)、25年後に『学校の怪談 春のたたりスペシャル』中の第四話として、三部作番外篇とでも位置づけられる「呪われた課外授業」が、1999年3月30日、関西テレビで放映されました。この短篇の主な舞台もお屋敷で、外観は模型によるものです。 | ||||||||||||||||
東宝映像製作、東宝配給による『HOUSE ハウス』(1977)の舞台となる屋敷は、山頂に建っています(→そなた)。模型の右半分は二階建てで洋館仕立て、左半分は一階のみの和風と、本篇中の設定に対応していました。 | ||||||||||||||||
「『Meiga を探せ!』」より、他」の番外篇ということで、「ギュスターヴ・モロー研究序説」[14]の頁に「追補」として、『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる~悪魔は女を美しくする』(1979年8月11日放映、ABC局、土曜ワイド劇場)中に登場したモロー他の作品を挙げました(→あなた)。そのくだりの頭で、分厚い古書を開くと、モノクロの古城の写真(?)、下には"Dracula Castell"との見出しでした。山頂らしき立地に建ち、幾基もの尖塔が聳えるさまは、実在するものというより、空想的な図のように見えはしないでしょうか。 | ||||||||||||||||
和風の城を始めとして、日本の映画に登場する城や屋敷のマット画・模型等はまだまだあることでしょうが、残念ながら見聞が大いに不足しています。本サイトではまだ取りあげていない作品から、ほんの少しだけ例を挙げておきましょう。 1994年、「RAMPO」製作委員会が製作、松竹=松竹富士が配給した『RAMPO』と題する映画は、黛りんたろう監督版と奥山和由監督版の二本あります。この間の経緯については日本語版ウィキペディアの該当頁(→こちら)などをご覧ください。美術監督は前者が西岡善信、後者が部谷京子とクレジットが変わっていますが、後半に登場する大河原侯爵邸の模型だかマット画は、同じものを用いていました(左下が黛版、右下が奥山版)。 |
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この屋敷は海辺の崖の上に建っているのですが、遠景のショットは奥山版でのみ見られました。 | ||||||||||||||||
ツインズジャパン製作、東宝が配給した『どろろ』(2007、監督:塩田明彦)の日本語版ウィキペディアの該当頁(→そちら)によると、この実写版映画の舞台は「架空の異世界」とのことです。異世界といっても日本風ではあるのですが、後半で登場する醍醐景光の城は、なかなか素っ頓狂なデザインでした。 通常の天守の上にいくつかの櫓を下の天守より広く散らし、さらに数層からなる多角形の楼閣をのせるという、むやみに高く伸びあがり、バランスがいかにも悪そうなデザインです。(幕間)の頁で触れた水木しげる「妖怪城」のタイトル・ロールが連想されなくもありません(→そちらの2)。外観に対応する屋内があまり出てこなかったのが残念なところです。 |
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Ⅸ.アニメーションより |
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東映動画製作、東映配給の『長靴をはいた猫』(1969)には二つの城が出てきます。『ジャックと悪魔の国』同様、一つがこの世の王城(左→あちら)、もう一つが魔界の王城です(左下→あちらの2)。前半の主な舞台となる前者は白っぽい壁に幾基もの尖塔を備えています。(後篇)の頁で『オズの魔法使』のところで触れた(→あちらの3)、ディズニーのアニメにでも出てきそうな感じといってよいものでしょうか。 | ||||||||||||||||
前半の城も廊下や階段、バルコニー、城壁附近など細部に富んでいましたが、後半の舞台である魔王ルシファの城は、『オズの魔法使』や『ジャックと悪魔の国』、『ラビリンス 魔王の迷宮』などにおける悪玉の根城をさらに展開させたかのように、化石化した巨樹めいた異相を誇っています。 そればかりでなく、屋内や外壁沿いの階段など、各空間をつなぐ通路が錯綜して、登場人物たちの動きを保証していました。城の内部のはずなのに巨大な空洞をなしているらしき空間(右→→あちらの4)や、円形アーケード(下)なども見られます。 |
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『長靴をはいた猫』の頁で触れた『空飛ぶゆうれい船』(1969)は(→あちらの5)、1969年3月の東映まんがまつり中の一本として公開された前者に続き、同年7月にやはり東映まんがまつり内で公開されました。その冒頭、海に面した崖の上の幽霊屋敷が出てきます。いかにもいかにもなお屋敷タイプでした。 | ||||||||||||||||
『長靴をはいた猫』の魔王城の部分に関わった宮崎駿が監督した『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)は、東京ムービー新社製作、東宝配給でした。 まず廃墟化した城館(下→ここ)、続いて四阿や時計塔を経て、湖の向こうにタイトル・ロールのカリオストロ城が登場します(右→ここの2)。かなり巨大な規模を誇るようです。ヒロインが幽閉される虚空の塔から、地下の冥界までのひろがりを有しいる。城下町とは橋で結ばれています。 ↓ |
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『BSアニメ夜話 Vol.01 ルパン三世 カリオストロの城』(キネ旬ムック)、キネマ旬報社、2006 に収録された座談会で唐沢俊一は 「お城のシーンとか、あのお城のシーンなんかは、本当にフランスアニメの『王様と鳥』とかいうのがあって、それとまるきしね、こう、塔にエレベーターが登っていくところも何も、最後に湖がというところも」(p.79) と述べており、『王様と鳥』に注119 が附され、簡潔に解説してありました。手もとのDVDソフトでは『王と鳥』の邦題で、 「1952年に公開された『やぶにらみの暴君』は、国際的に高い評価を受けたが、(ポール・)グリモー監督にとっては製作途中の不本意な作品だった。16年かけて権利を買い取ったグリモーは、脚本の(ジャック・)プレヴェールと共に大幅な増補改訂を施して1980年、遂に当初のイメージ通りの作品を公開した」 とカヴァーに記されています。宮崎駿やその盟友である高畑勲に影響を及ぼしたのは『やぶにらみの暴君』版の方で、もとは一冊の博士論文だった ステファヌ・ルルー、岡村民夫訳、『シネアスト高畑勲 アニメの ステファヌ・ルルー、岡村民夫訳、『シネアスト宮崎駿 奇異なものポエジー』、みすず書房、2020 の二部作でも、あちこちで『やぶにらみの暴君』と具体的に比較されていました(たとえば前者では『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)に関して pp.68-71 などなど、後者では『長靴をはいた猫』に関し pp.38-40 などなど)。 |
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本サイトではまだ頁を作っていませんが、とりあえず『王と鳥』版を見ると、タキカルディ王国そのものでもある城は、カリオストロ城以上に規模が大きそうで、城でありつつそのまま都市でもあるといった態をなしています。左二段目の場面で、真ん中あたりの黒っぽくずんぐりしたロケットのようなものはエレヴェーターです。左三段目では地下へ降りていく階段が連なっています。 マーヴィン・ピークによる〈ゴーメンガースト〉三部作の内第1作および第2作 マーヴィン・ピーク、浅羽莢子訳、『タイタス・グローン』(創元推理文庫 534-1)、東京創元社、1985(原著は1946) 同、『ゴーメンガースト』(同534-2)、同、1987(原著は1950) におけるゴーメンガースト城、また→そこ(「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「おまけ」)で挙げた ブノワ・ペータース作、フランソワ・スクイテン画、古永真一・原正人訳、「塔」(1987)、『闇の国々』、小学館集英社プロダクション、2011 や、→あそこ:「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「塔など」で挙げた スティーヴン・ミルハウザー、柴田元幸訳、「塔」(2007)、『十三の物語』、白水社、2018 が連想されたりもします。 |
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そこでアニメーションではありませんし、やはりまだ頁を作っていないのですが、本頁冒頭で見た『吸血鬼ドラキュラ』で伯爵役だったクリストファー・リーも出演している、BBC製作のTVシリーズ『ゴーメンガースト』(全4話、2000、監督:アンディ・ウィルソン)から、舞台となったゴーメンガースト城の全景(左下、第1話より)と部分の眺め(右下、同)を、最後に引いておきましょう。バベルの塔的な一かたまりの都市宮殿というよりは、高地に建つ城郭都市といったイメージでしょうか。 なお〈ゴーメンガースト〉三部作に関連して→こなた:「ユダヤ Ⅲ」の頁の「おまけ」でも触れました |
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言わずもがな、以上見てきたのは、怪奇映画などに登場した古城の内、たまたま接する機会を得ることができたほんの一握りの例でしかありません。これらの例をもって、なにがしかの傾向をある程度つかめると見なせるかどうかも、心許ないこと甚だしい。とりわけ1970年代後半以降はまだまだ作例不足です。とはいえ例によって、たいがい長くなってしまいました。他の作品についてはまたの折りに委ねるということで、ここはいったん筆を擱くことといたしましょう。 | ||||||||||||||||
2022/10/07 以後、随時修正・追補 |
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