< 怪奇城閑話 |
ドラゴン、雲形、魚の骨 - 怪奇城の意匠より
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1 ドラゴン型装飾 『吸血鬼ドラキュラ』(1958)を見ていると、本筋に関わるような役割を果たすわけでもないのに、何やら気になるモノが映りこむ場面がいくつかあったということで、「カッヘルオーフェン(陶製ストーヴ)」、「捻れ柱」、「四角錐と四つの球」、そして「拳葉飾りとアーチ」の頁を作りました。気になるといっても単に不勉強のしからしむるところでしかないのですが、そこは見て見ぬ振りをするとして、今度は『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)に移るとしましょう。 |
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当作品の頁でも記しましたが(→こちら)、マインスター城の広間に入って、階段を右とすれば、上がった先から左へ中二階ないし二階の歩廊が伸びています。歩廊の欄干から手前の吹抜へ向かって、ドラゴンらしき石像が突きだしている。細長い首を円弧状にして、王冠をかぶっている。二枚の翼を上・後ろに上げています。脚は下方、歩廊を支えるアーチの境の柱の台座までおりてきます。 けっこう大きく、しかも一羽ではなく、間隔をとって三羽か四羽並んでいるのでした。 |
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気にしなければ気にならないのかもしれませんが、気にしだしてしまうと何とも気になります。といって、何かいわれがあるという話が出てくるわけでもない。深読みするなら、ドラゴンによって象徴される何かと、城およびその住人のあり方とが結びつけられているということになるのかもしれませんが、仮にこの三ないし四連ドラゴンがなかったとしても、筋運びにはいっさい影響はなさそうです。ただ、きわめて特徴的な形と大きさゆえ、どんな意味付けもはねのけて、ただそこにあるだけの存在感を発していると見なせるでしょうか。、 他方、ドラゴンが一体だけだったなら、ドラゴンと広間の空間との関係を図と地に引き裂いてしまったかもしれません。実際には三ないし四体横に反復されるため、特定の焦点に収束することなく、広間の空間全体に働きかけることになったわけです。 長い首の丸まり方など、幾何学的な円に合わせたかのようなその形は、文様なり紋章など何らかの装飾とのつながりをうかがわせます。何か具体的な手本があるのでしょうか? 今のところこれという図像には出くわせないでいるのですが、ともあれとりあえず、手近な範囲で、「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁の「龍とドラゴンなど」の項で挙げた何冊かの本の類、とりわけ、 金沢百枝、『ロマネスクの宇宙 ジローナの《天地創造の刺繍布》を読む』、東京大学出版会、2008 、「第3章 礼讃図の二匹の海獣-ケートスの系譜とドラゴンの誕生」 金沢百枝、『ロマネスク美術革命』(新潮選書)、新潮社、2015、「第5章 海獣たちの変貌」 などを、また; 鶴岡真弓、『装飾する魂 日本の文様芸術』、平凡社、1997、「第7章 龍」 鶴岡真弓、『装飾の神話学』、河出書房新社、2000、「第12章 驚異のドラゴン」 鶴岡真弓、『「装飾」の美術文明史 ヨーロッパ、ケルト、イスラームから日本へ』、NHK出版、2004、「第4章 フローラを超えた『 などを取っかかりにできるでしょうか。ちなみに、 荒俣宏編著、『12 怪物誌 ファンタスティック12』、リブロポート、1991 で、 コンラート・ゲスナー(1516-65)の『動物誌』(Conrad Gessner, Historiae Animalium, 1551-58) から図版を掲載した中に、5種のドラゴンを描いた頁があるのですが(pp.34-35)、その内に、「王冠をかぶる蛇型のドラゴン」(p.35上)が見られます。口から矢印状の下を出すその姿に、しかし、脚や翼はありませんでした。同種のイメージは ヨハン・ヨンストン(1603-75)の『禽獣虫魚図譜』(Johann Johnston, Historia Naturalis, 1650-53) にもバジリスクとして出てきます(p.130)。→→こちら( 『A-ko The ヴァーサス』(1990)のメモの頁)でも『12 怪物誌 ファンタスティック12』を参照しました。 また、『錬金術図像大全』に掲載された ミヒャエル・マイアーの『黄金の三脚台』(Michael Maier, Tripus aureus, 1618) からの一画面でも、冠をかぶったライオンやグリフォン、冠なしのドラゴンなどとともに、矢印状の舌を出す冠付きの蛇が並んでいました(p.144/図107、p.147)。 『怪物誌』に戻って、ヨンストンの同じ頁およびゲスナーからの先の頁のすぐ前には、七頭のヒュドラが登場します(pp.32-33。他に pp.72-73 も参照)。ゲスナーのヒュドラは七頭にそれぞれ王冠をかぶっているのですが、そこでの解説に記されているように、『ヨハネの黙示録』12-3 の、 「見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角があり、その頭に七つの冠をかぶっていた」 というイメージを連想させるのでした。『吸血鬼ドラキュラの花嫁』のドラゴンはそれぞれ首が一つなので、結びつきはしないのですが、ドラゴンや蛇に王冠をかぶせるのは、何か意味がありそうではあります。 ところで『吸血鬼ドラキュラの花嫁』のこの広間、階段の下の方の親柱に、おそらく同じ形で、サイズだけ小ぶりのドラゴンがのせてありました(→そちら。また、 石田一、『ハマー・ホラー写真集 VOL.1 ドラキュラ編』、2013、p.17 中段右、p.20 下段左、 石田一編著、『ハマー・ホラー伝説』、1995、p.161 に掲載の写真も参照)。そこでも記しましたが、小型版の方は同じハマー・フィルム製作の他の作品にも顔を出しています。 |
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まずは『吸血鬼の接吻』(1963)で、やはり階段の欄干親柱に(→あちらや、ここ)、 | |||||||||||||
次いで『凶人ドラキュラ』(1966)では、「四角錐と四つの球」の頁でも触れたように、城の玄関に向かいあって、二台ずつ二組のオベリスクが配されているのですが(→そこ)、終幕近くなって、オベリスクの頂に小ドラゴンがのせられていることがわかります(→あそこ。 上掲『ハマー・ホラー写真集 VOL.1 ドラキュラ編』、p.29 掲載の写真3点、p.33 上段左の写真 も参照。追補:→「怪奇城の肖像(完結篇)」の頁でも触れました)。 |
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英国では1966年1月9日に『凶人ドラキュラ』と同時公開された『吸血ゾンビ』と、やはり同じ年の3月6日に英国で公開された『蛇女の脅怖』は、ともに『凶人ドラキュラ』および『白夜の陰獣』(『蛇女の脅怖』と同時公開、監督:ドン・シャープ)のセットを改変して撮影されたとのことですが、屋敷の庭に小ドラゴン像をのせた台座が配されていました(→こっちや、そっち)。『吸血ゾンビ』でも映っていましたでしょうか。 | |||||||||||||
ここまで見てきた作品を始めとして、『宇宙からの侵略生物』(1957)以来ハマー・フィルムで美術監督ないしプロダクション・デザインを担当、『吸血鬼ドラキュラ』その他も手がけてきたバーナード・ロビンソンは、1970年3月2日、57歳の若さで歿してしまいました(1912年7月28日生まれ)。1971年1月17日英国公開されたという『恐怖の吸血美女』では、ドン・ミンゲイが美術監督を担当しています。プロダクション・デザインと美術監督の区別もよくわかっていないのですが、本サイトで取りあげた作品でも(ロビンソン→あっち:『フランケンシュタインの逆襲』の頁の「Cf.」、ミンゲイ→こなた:『吸血鬼の接吻』の頁の「Cf.」)、共同で取り組んだものもあり(『吸血鬼の接吻』、『妖女ゴーゴン』(1964)、『凶人ドラキュラ』、『吸血ゾンビ』、『蛇女の脅怖』)、だからというべきなのかスタジオの共有財産と化していたのか、『恐怖の吸血美女』でも小ドラゴン像に再会できたのでした(→そなた)。 | |||||||||||||
ここでは小ドラゴンは階段の欄干親柱の上という位置に復帰しています。また『蛇女の脅怖』の場合同様、奥を見通すための対比物として、手前、カメラのすぐ傍に配されるという、共通した用いられ方をしていました。 とはいえ筋運びに何ら関わらない点は変わりありません。意味付けに回収されることなく、いかにも特徴的なその形に、他の作品で出会えること、あるいはどこかで見落としていたことに気づくのをを楽しみにするというのも、一興でしょうか。 2 雲形持ち送り 戻って『吸血鬼ドラキュラの花嫁』から、気になった形をもう一つ(→あなた); |
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城へ行く前、村の酒場兼宿屋の場面で、入口の扉の両脇に、雲形定規風といっていいのか、曲線のシルエットを描く仕切りだか風除けだかが壁から突きでていました(追補:そのすぐ向こうにあるテーブルの脚も、うねうねと曲線を描いています)。 | |||||||||||||
そういえば『幽霊西へ行く』(1935)で、城の二階かそれ以上、住人の居室の扉の両脇に、やはり曲線を描く何やらがついていました(→こちら)。 | |||||||||||||
『吸血鬼ドラキュラの花嫁』では宿屋の屋内へ、『幽霊西へ行く』では部屋の外の廊下へ突きだしているわけですが、これは違いと見なせるのかどうか。ともあれ双方、上端に軒状の方形があり、そこから緩やかな弧がいったん膨らんでから壁の方へ戻る、その下で小さな膨らみを経て、上端が斜面になった台座状の方形に溶けいります。下方の小さな膨らみが『吸血鬼ドラキュラの花嫁』では二つ、『幽霊西へ行く』では一つと異なり、また前者は木製、後者は石製か土製らしいのですが、総じてよく似た形といってよいでしょう。前者の美術スタッフが後者を見てそれを真似た可能性も皆無ではないにせよ、双方何らかの手本に倣ったと考える方が自然な気はするのですが、いかがでしょうか?とするとこれは何のためのものなのか、何と呼ぶのか。いずれにせよ双方、話の筋にからまないのはドラゴン像と同じです。 追補:津で下1段目の眺めを見かけました。庇を支えている持ち送りが、何度かうねって出入りのある曲線を描いています。斗栱の外縁をなぞったのでしょうか? 持ち送りといえば、下2段目左はやはり津で、同右は伊賀上野で出くわしたものです。双方輪郭は、1段目のものほど複雑ではないものの、やはり有機的な曲線を描きつつ、網目ないし格子状に透かしてありました。 |
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津の何某かなど Ⅲ > |
< 津の外の何某かなど |
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こちらは松阪の岡寺山 継松寺の山門の前で見かけたものです。門の前、左右に立つ石柱に取りつけられていました。何かを告知する紙か板などをつけるためのものででもあるのでしょうか? ちなみに曾我蕭白の《雪山童子図》を所蔵されているお寺です。 | |||||||||||||
追補の2:まるっきり気に留まっていなかったのですが(図版をクリックした先の頁に載せた解説原稿でも触れていない)、右に挙げたラーションの作品で、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』や『幽霊西へ行く』で見られるのと同様の装飾が、中央の腰板のすぐ右側に配されています。奥が明るい緑なので曲線をくっきり浮かびあがらせています。 荒屋鋪透、『カール・ラーション スウェーデンの暮らしと愛の情景』(ToBi selection)、東京美術、2016、pp.28-29 に同じ場所を描いた別の作品が掲載されていました; 『わたしの家』(1899)より《玄関ポーチ The Veranda》、水彩・紙、32x43cm、スウェーデン国立美術館、ストックホルム 向かって右側にも雲形だか壺型だかの装飾が配され、向かいあっています。 「この玄関ポーチはラーションがデザインして作らせたもの」(p.28) とのことです。 |
カール・ラーション(1853-1919) 《玄関ポーチのスザンヌ》 1910 * 画像の上でクリックすると、拡大画像とデータを載せた頁が表示されます。 |
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他に、「『Meiga を探せ!』より・他」中の『虹男』(1949)の→こちらも参照。 3 魚の骨状桟 『幽霊西へ行く』に続いてハマー・フィルム製作の作品から離れますが、話に関わらない細部をもう一つ、オーソン・ウェルズの『マクベス』(1948)で、縦の軸から左右へ交互に、先の尖った横棒が少し上向き気味に突きだすというものが見られました。最初は窓の桟のような配置だったのですが(→そちら)、後には何本も並んでいました(→あちら)。 |
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最初の場面と右上の場面は別々の場所なのですが、それはさておき、この映画の城は岩山をくり抜いてできたかのような、きわめて特異な相貌を呈していたので、そこに出てくるトゲトゲの縦棒も、それだけであれば空想的な意匠ということで済ますこともできたかもしれません。 | |||||||||||||
ところが『ジャックと悪魔の国』(1962)でも相似たものがちらりと映りました(→ここ)。 | |||||||||||||
この場合も、前者の美術スタッフが後者を見てそれを真似た可能性が皆無ではないにせよ、やはり、双方何らかの手本に倣ったと考える方が自然な気がします。何か呼び名はあるのでしょうか? そしてこれもまた、話の筋にからまないのはドラゴン像や雲形仕切りと同じなのでした(尖っているので痛そうだ、というのは大きな要素かもしれないのですが)。 | |||||||||||||
追補;すっかり見落としていましたが、『フランケンシュタインの花嫁』(1935)でも、クライマックスの舞台となる見張り塔の窓に、さほどトゲトゲはしていないようですが、通じるところのある桟が見られました(→そこ)。 | |||||||||||||
2021/04/05 以後、随時修正・追補 |
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