Lady's Slipper, no.8, 1998.3, pp.10-16 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
階段で怪談を
石崎勝基 |
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どの建物に限らず、摩耶は階段にいることが多かった。 竹本健治、『眠れる森の惨劇』 |
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階段のめぐり逢い勤め先で開かれた『移動 − バレンシアの七人』という展覧会に展示されたラモーン・デ・ソトのインスタレーションで、階段をモティーフにした部分があって(図1)、そう思っていると、出品作ではないのだが、この展覧会に参加した他の作家の資料をくってみれば、やはり階段に想をえた作品を制作していたりした。一人はアンヘレス・マルコで、〈通行〉という連作にエスカレーターや階段をモティーフにした作品があり、〈空虚への跳躍〉の連作の一つでは水泳の飛びこみ板に付属した階段を型どっている。もう一人、ナティビダー・ナバローンは、階段や梯子が落とす影を実体化しようとした作品や、螺旋階段のある室内の床一面に鏡を敷いたインスタレーションを作ったことがある。出品作でもカルボの『中心で』の一部に、古びた踏み段が使われていた。そういえば、以前軽井沢の高輪美術館で開かれた『スペイン・アート・トゥデイ』展で、フアン・ムニョスがやはり階段をモティーフにした作品を出品していたらしい。もとよりスペイン人だけが特に階段好きというはずもなく、やはり以前勤め先で個展を開いたダニ・カラヴァンはしばしば階段を自作に組みこんでおり、残念ながら勤め先ならぬ他の巡回先いくつかで、階段をその一部とするインスタレーションを仮設した。近くは名古屋市美術館の『眼差しのゆくえ − 現代美術のポジション1997』展で、栗本百合子が階段室に仕掛けを施したことは記憶に新しい(本号8頁に図版)。愛知県美術館で開かれた『イタリア美術 1945-1995 見えるものと見えないもの』展には、鏡に螺旋階段のシルクスクリーン化した写真を貼りつけたピストレットの作品が出品されている。 ソトと栗本の作品については後にもどるとして、ソトが階段だけでなく橋やアーチないし門をもモティーフにしていること、マルコの連作の〈通行〉というタイトル、カラヴァンがやはり回廊など経路をくりかえしテーマに選んでいる点からして、階段という主題の所在も、勤め先の展覧会のタイトルを借りれば、〈移動〉なる主題系の内に位置づけることができそうなのはすぐ見てとれるが、ここではとりあえず、西欧絵画史階段めぐり特急に出かけてみよう。 |
図1 ラモーン・デ・ソト、『どこかへの階段』、1997 |
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天国への階段エリアーデのシャーマニズム論をひもとけば、シャーマニズムにおいてすでに、宇宙を相重なる層と見なし、樹や梯子のイメージで表わされた宇宙の階層を上昇して最高天にいます超越者と出会うことが、シャーマンの役割とされていたという。それがヨーガやネオプラトニスムをはじめとしたさまざまな宇宙論にひき継がれていくことはよく知られるとおりで、たとえばその一例でもあろう、創世記二八章十節以下の、いわゆる〈ヤコブの梯子〉が中世以来図像としての伝統を形成したわけだが(1)、動かすことのできる器具としての梯子と建築にすえつけの階段を形の上であえて区別するなら、そこでも階段のモティーフの例を見出すことはできるとして(2)、それが構図上より重要な機能を担って登場するのは、奥行きのある線遠近法的な空間が成立するルネサンス以降と考えてまちがいではあるまい(3)。これは、階段というものが梯子とちがって、斜めであることを生来の条件とする点による。上下にくわえ、前後左右あわせて三つの次元が必要なのだ。その際、バベルの塔を建立する工事の場面などを別にすれば、新約外典等を典拠とした〈聖母マリアの宮詣で〉の主題が、階段のモティーフを必ずともなうものとして構想されたが、わけてもモニュマンタルな成果として、ジオットやタッデオ・ガッディ(図2)とともに、ティツィアーノの作例をあげることができるだろう(図3)。 この時期のティツィアーノの作風に対し、批評は手放しでいるわけではないらしいが(4)、横長の画面左側で手前にそって、頭の高さをほぼそろえた群像をならべつつ、下辺両端寄りの扉のための切りこみがしめすように、見上げる位置で眺められることを想定して、右上に昇っていく階段をやはり画面と平行に配し、見る者の視線と少女マリアの昇っていく方向を一致させた構図は、マザッチオ風といえなくもない人体の充実したヴォリュームがもたらす重量感と、開けた青い空の開放感との交差に支えられ、同時に高揚した動きと安定を共存させたモニュマンタリテを感じさせずにいない。そうした中、左の群像からも右端の祭司からも孤立した少女は、神人的なスケールを獲得する。 ティツィアーノの先例をふまえつつ制作されたであろうティントレットの作品になると(図4)、ここでも仰角の螺旋状の構図がもたらすダイナミズムは、明暗の対比および、甲高い赤の輝きやハイライトによっていっそう強調され、スペクタクルの様相を呈している。ティツィアーノの構図と比べた時、その渦巻く空間はいかにもマニエリスムの典型としてあげるにふさわしいが、いずれの場合も階段上でマリアを迎える祭司が、上昇する動きに対してバランスをとっている点、ある種の古典的な統合性への意志を読みとれるかもしれない。 上昇と下降はつねに裏表をなしている。同じく仰視する構図を階段から見おろす視線と組みあわせたのはプッサンの『階段の聖母』(一六四八年)だが、階段からの下降に軸をあわせ、ブレイクの『ヤコブの梯子』(一八〇〇−〇三年頃/昇ってるのもいるけど)からバーン=ジョーンズの『黄金の階段』(図5)やドガの『舞踏の学校』(一八七三年)他へ、ドラクロワの『ヴェネツィア総督マリノ・ファリエーロの斬首』(一八二六年)からピュヴィス・ド・シャヴァンヌの『放蕩息子の帰還』(一八五五年)とアンリ・ルニョーの『グラナダのムーア王治下での裁判なしの処刑』(一八七〇年)へ、Ch.W.ピールの『階段の群像』(図6/昇ってるけど)からマイブリッジの写真(一八八五年)を経てデュシャンの『階段を降りる裸体』(一九一一−一二年)やリヒターの『エマ』(一九六六年)へ、といった糸を紡いでみることもできるだろうか。 |
1. Christian Heck, L'echelle céleste dans l'art du moyen âge, Paris, Flammarion, 1997. 2. また、cf. Christian Heck,‘L'iconographie de l'ascension spirituelle et la dévotion des laïc: le Trône de charité dans le Psautier de Bonne de Luxembourg et les Petites Heures du duc de Berry’, Revue de l'Art, no.110, 1995. 3. 松浦弘明、「ルネサンス絵画に見られる『階段』の表現」、『階段物語り』、INAXギャラリー、1993。 図2 タッデオ・ガッディ、『マリアの宮詣で』、1328-30頃 図3 ティツィアーノ、『マリアの宮詣で』、1534ー38 4. David Rosand, Painting in Cinquecento Venice, New Haven and London, Yale University Press, 1982, p.85-88. なお、同書 p.93-124 には、〈マリアの宮詣で〉の図像の当時のさまざまな作例が図版で掲載されている。 図4 ティントレット、『マリアの宮詣で』、1552頃 図5 バーン=ジョーンズ、『黄金の階段』、1876-80 図6 Ch.W.ピール、『階段の群像』、1795 |
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煉獄の階段〈マリアの宮詣で〉にもどれば、図7は、一四九五年から一五三一年までアヴィニョンで活動していたという記録を残すニコラ・ディープルの作例で、今は知らず、以前はルーヴルで常設されていたものだが、ティツィアーノやティントレットの統合性を帯びた構図に比べれば、多分に図式的との感を与えずにいまい。後者では、〈絵画的〉様式に支えられ、構図総体のヴェクトルがマリアから祭司へという向きに収束するのに対し、前者は、柱、階段、両親のいる部分と画面が横に三分割され、それらは並列するのみだ。しかも階段は、中央の区画からはみでることもない。しかし図式的なればかえって、人物などの大きさの尺度の不一致や目をひく影の描写と相まり、階段というもののはらむ空間が、充溢した運動に回収されることなく、上なり下という方向づけが定まらぬままの曖昧さを残すと感じてしまうのは、質的判断をおけば、多分に現在の趣味によるのだろう。ただ、ティツィアーノやティントレットにおいては、天と地がすでに分離してしまった中で、一方に地上での充足、他方天への憧憬が裏腹に重ねあわされるのに対し、ディープルでは、天と地の分離がいまだ強く実感されてはおらず、ゆえに横ならびが可能だったと、読みこむこともできなくはない。もっとも、こうした意味づけはイメージを何らかの理念に従属させるばかりで、あまり面白いものではあるまい。 とまれこうした図式性は、サルヴィアーティの『ダヴィデのもとへ赴くバテシバ』(図8)にも認められる。ここではあきらかに階段を昇っていく場面が描かれているにもかかわらず、異時同図法にのっとってバテシバを四つの時点でくりかえしたことが、階段の蛇状曲線に応じたその身ぶりと相まって、構図から動勢を奪っている。 かくして浮かびあがってくるのが、階段の上と下で、たとえば天と地といった、価値づけをともなわぬありようであろう。すでにタッデオ・ガッディの『マリアの宮詣で』(図2)における折れ曲がった階段は、モニュマンタリテを失なわないかぎりで、建築物によって積み木を組みあげるように、複数のヴェクトルを容れた空間を組織することに対する関心の増大を物語っていたが、レオナルドの『マギの礼拝』(一四八一−八二年)の背景の階段およびそのための素描は、前景の主題から自律しかけているとも見える。ポントルモの『エジプトにおけるヨセフ』(図9)では、やはり異時同図法にしたがった場面設定は、不協和な色彩と相まって、画面全体の空間をばらばらに分裂させており、その際右寄りの階段は、散乱した空間を何らつなぎあわせるわけでもなく、逆にその経路としての機能が空間の分裂を強調するばかりだ。 けだし、階段を作りなす要素は何かと整理してみるなら、上下にのびること、斜めに傾斜すること、段々をなすことの三点があげられるだろうか。即物的には水平(踏面)、垂直(蹴込)、傾斜の三項からなる(さらに手摺、踊り場など、何より、空間が加わる)。上下にのびながら斜めであらざるをえないため、それは、上昇下降する速度に制動をかけることになるし、段々である点も、飛躍を拒否するだろう。蹴込から踏面へ移る際には、必ず陰の溜まりが生じる。そこではたえず遅延が導きいれられ、階段を全体として、一瞥で瞬時に把握することを妨げる。絵の中の階段であれば、斜めのそれは、上下の枠に平行することなく、たえず絵の表面から緩慢に逃れようとする。階段は、一方で線遠近法による奥行きの模型をなしつつ、画面を統合するためには余剰となる他はなく、場合によっては全体をばらばらにしかねないのだ。もとより、近代以前においては統合に対する余剰を許容するのに何ら問題はなく、それを余剰と見なすこと自体、近代的な目から見た事後的な視点でしかない。ただ、少なくとも通常、虚空にかかる階段は住むための場所ではなく、ただ通過し移行されるのみで、そこで休らい、落ちつくことが原則としてないのだとすれば、一方で階段は超越と権力の指標でもありえながら、目的たるべき天と地が見失なわれた時点にあっては、余剰と分裂の表象としての階段もまた、階段自体のありようがはらんでいた一つの可能性なのかもしれない。踊り場ではつねに何かが待ちかまえ、時間でいえば逢魔が時にあたるのが空間における階段だとすれば、階段は時空が見た夢の軌跡なのだろう。 さて十七世紀になると、空間の統一性は回復される。レンブラントの『瞑想する哲学者』(図10)などをその例にあげることができ、それはこの場合、螺旋階段の軸が画面の枠に平行する垂直なものだからでもあれば、その枠内で螺旋が、光と闇の落差に位置エネルギーをえて求心的な旋回をひきおこすからだとして、他方、ジャンルの分化は、かつてカレル・ファブリツィウスに帰属されていた『階段の眺め』(図11)(5)のように、ジャンルの位階上は低い位置にあるかぎりで、建築画ないし室内画の一分岐として、階段を主役の位置に押しあげる作品を残した。図版で見るかぎりすぐれた絵とはいいがたそうだが、踊り場を介して、方向を異にする複数の空間が交差し散開するさまが描かれている。 |
図7 ニコラ・ディープル、『マリアの宮詣で』 図8 サルヴィアーティ、『ダヴィデのもとへ赴くバテシバ』、1552ー54 図9 ポントルモ、『エジプトにおけるヨセフ』、1515頃-18 図10 レンブラント、『瞑想する哲学者』、1632 図11 作者不詳(17世紀オランダ)、『階段の眺め』 5. Christopher Brown, Carel Fabritius, Oxford, Phaidon, 1981, p.135/R.16, fig.74. |
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階段地獄聖と俗、天と地のへだたりの大きさ・遠さに対する意識が強くなるにつれ、積みあげられる宇宙の階層は逆に増殖していく。イスラーム・イスマーイール派やユダヤのカバラにもそうした相は見出せるが、その極端な例の一つは、古代末のグノーシス諸派であろう(6)。そこでは、始源から流出する諸神性 − アイオーンが幾重にもうち重なり〈充溢〉 − プレーローマを形成するとともに、プレーローマと恒星天にいたる物質宇宙は連続したものとは見なされず、宇宙は、悪しき、ないし少なくとも劣れる神 − ヤルダバオートによって創造されたと物語られる。他方、小乗仏教の宇宙論は、こうした過程をさらに徹底したものと考えることができるかもしれない。ここでも、宇宙軸たる須弥山上に重なる天界は、欲界六天、色界十七天と増殖し、それにつれ須弥山世界自体も千×千×千と複数化される。天界の上昇は禅定による存在様態の上昇に呼応しているのだが、さらに無色界四処が待つとして、ただし、グノーシス諸派においてプレーローマをさかのぼれば始源に達したのに対し、仏教の宇宙論では天界をどこまで昇っても究極にはいたらない。それにつれ、前者では宇宙は少なくとも、ヤルダバオートによって実際に創造されたのだが、後者においては、梵天は創造してもいないのに自らを宇宙の創造者だと誤解するという始末である。無限に上昇する運動は、ただその無意味をあかすばかりなのだ。 こうした世界模型を、ピラネージの『牢獄』(図12)における錯綜した階段の迷宮と結びつけるのは、ほとんど紋切り型といってよいだろう(7)。仏教の宇宙論は、無我説 − 常住不変の実体の否定、あるいは少なくとも、その是非に関する判断停止 − 十四難無記説によって発動した相対化のプロセスを極限まで推しすすめることで、空観を経て逆説的に、極微が三千世界を容れ刹那が無量劫をふくむ蓮華蔵世界のヴィジョンに達するが、西欧でそれに平行するプローティーノスのヌース界の記述が、一匹のだにの血の中に宇宙があり、その中にだにがいて……というパスカルの幻視において世界の無限を前にした震撼に転じたように(8)、ピラネージの空間にあっては、上下のみならず前後左右いかなる方位も、焦点なり帰点をなしうべくもなく、階段は、どこにもいきつけず休らうことを許さない、永遠の徒労を累積し流謫に追いやるためにのみ機能する。 ところで焦点を形成しない空間といういいまわしは、抽象表現主義におけるオールオーヴァネスを経たことが前提となって導きだされたのかもしれないが、もとよりピラネージは線遠近法的な空間、すなわち、地面と垂直に立つ目から、地面と平行に奥行き方向へ視線を投げかけることによって形成される空間に規定されており、この点はさらに、腐蝕の深いハッチングの密度がもたらす重量感によって保証されている。他方一つに、オールオーヴァネスなり平面性の自覚が、画面とそれがはらむべき空間との間に開くへだたりを無化しようとつとめざるをえないことの内に表現成立のためのばねを得たとすれば、ここでは線遠近法的な箱型空間が宿すへだたり自体、ひいては時間の持続自体を、焦点なり帰着点から切断することで、その空間に亀裂を走らせたといえるかもしれない。そのために階段群は錯綜しなければならなかった。それでいて、階段やアーチのいかなる錯綜も、へだたりにおいてある以上、線遠近法的箱型空間とそれを支える視点の支配から逃れえず、だからへだたりの迷宮は、逃げ場もなくただ息苦しさの内に封印されるのだ。そしてさらに、こうした事態そのものをもって、線遠近法的な空間の危機の兆しと読みこみ、平面性の問題においてステラの〈黒い絵〉が占める位置に、線遠近法的空間についてピラネージを置いてみることは、しかし、いささか単線的な歴史化の作業となってしまうだろうか。 とまれ、たとえばスピリアールトの『めまい、魔術的階段』(図13)は、天に向かうべき階段がただ深淵を開くのみであるさまを物語っているが、ピラネージの階段の迷宮に連なるのは、表情の重い軽いのちがいはあれ、エッシャーをあげるに如くはない(図14)。座標軸の設定が自由でもあれば無根拠ともなることで堂々巡りを呼びこまずにいず、しかしメビウスの輪のようにいったん自閉することで、何かの表象をなすという意味づけから免れえたエッシャーの場合も、線遠近法的な空間が出発点をなすわけだが、この点で、エッシャーやピラネージ、またレンブラントなどが、ヤーコポ・ベッリーニのスケッチ帖などを先駆として、十六世紀以来出版されてきた透視図法の見本帖の類(図15)(9)に想をえているであろうことが思いおこされる。そこでもディープルやエッシャー同様、図式性ゆえの空虚さが、空間のさまざまな可能性を読みとらせ、どこにもいきつくことのない階段が氾濫したのだ。 |
6. cf. J.L.ボルヘス、「邪教徒バシレイデス擁護論」(土岐恒二訳)、『パイデイア』、no.10、1971春、p.40-41。 図12 ピラネージ、『牢獄』、第2版14図、1761 7. cf. ジョルジュ・プーレ、「ピラネージとフランス・ロマン派の詩人たち」、『三つのロマン的神話学試論』(金子博訳)、審美社、1975 ; ヨルゲン・アンデルセン、「巨大な夢 − 英国におけるピラネージの影響」(井出弘之訳)、『ユリイカ』、vol.15 no.3、1983.3 ; マルグリット・ユルスナール、『ピラネージの黒い脳髄』(多田智満子)、白水社、1985。 8. cf. J.L.ボルヘス、「パスカルの球体」および「パスカル」、『異端審問』(中村健二訳)、晶文社、1982。 なお、弥勒下生までの五十六億七千万年というへだたりの遠さを起点に、グノーシス的な反神論を経て、パスカル流の入れ子宇宙へ、という相似た思考の航跡は、後に光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』によって反復されることになるだろう。 図13 スピリアールト、『めまい、魔術的階段』、1908 図14 エッシャー、『相対性』、1953 * 追記→こちらでも触れました:『ラビリンス − 魔王の迷宮 −』(1986)の頁の「おまけ」 図15 フレーデマン・デ・フリース、『透視画』、第1部36図、1604-05 9. Pierre Descargues, Perspective, New York, Abrams, 1977. また、『空間の発見 ヴィアトールの透視図法 1505』(アール・ヴィヴァン叢書 1)、リブロポート、1981。 フレーデマン・デ・フリースについては、Vredeman de Vries, Perspective, New York, Dover, 1968 ; Jean Ehrmann,‘Hans Vredeman de Vries’, Gazette des Beaux-Arts, no.1320, 1979.1. |
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別れの階段「日本の美意識を考える時、その中で階段の占める位置を見つけることは難しい」とは藤谷陽悦のことばだが(10)、日本なり西欧以外の文化圏での階段のイメージがどのようなものであったかについては課題に残すとして、時代を下れば、ある到来ものの透視画集にもとづくという佐竹曙山の『二重螺旋階段図』(一七八〇年頃以前)(11)、またルノワールの『アルジェの階段』(一八八二年)やボナールの『ミモザのある階段』(一九四〇年頃)と色彩を軸に比べられそうな藤島武二の『カンピドリオのあたり(右幅)』(図16)などを見出すことができる。 またここでは、絵の中に現われた階段を大急ぎでたどってきたわけだが、見落としの多かろうことはもとより(12)、現実の階段にも、インドの階段池および階段井戸(13)やジャンタル・マンタル(天文観測所)(14)、日本ではさざえ堂(スロープだけど)(15)や赤瀬川原平らの〈超芸術トマソン〉におけるいくつかの階段(16)(内第一号はベン・シャーンの『赤い階段』(図17)と比較できる)をはじめとして、あまたの魅力的な例に事欠くまい(17)。さらに、トッド・ブラウニングの『魔人ドラキュラ』(一九三一年)の二つの階段など、舞台や映画に現われた階段も一つのテーマとなるはずだ(18)。 階段という形象が宿す具体的な魅力を多少ともことばに移せたとは遺憾ながらいいがたいとして、ただ最後に、十二弦ギターとメロトロン木管部*に彩られ階段状に展開するレッド・ツェッペリンの『天国への階段』を聴きながら、これまでのいささか粗雑な階段譜を念頭におきつつ、冒頭でふれたソトと栗本の階段を再訪して筆を擱くこととしよう。 ソトの階段は、サイズの小ささ、背の低さ、上下とかぎらぬ向きの設定などが、橋やアーチなど他のパーツとの関係の内で、まわりにひろがるからっぽの空間を、特定されることのないさまざまな方向への可能性でみたす。その際、背の低さは逆に、床に対して垂直方向への空間のひろがりを強調し、鋼など素材の硬質さと、建築的なモティーフを型どった形ゆえ、可能性をいったん封印したかのごとき静謐が充満することになるだろう。 栗本の階段室の場合、壁や窓を白で覆うことによって、空間全体が光にみちた浮揚感を獲得する。その中で踊り場から延長された細い階段は、いかにも天へと誘うようでありながら、天井に遮られることで、一方で無限に延長される可能性を暗示しつつ、他方上へとはかぎらぬ、空間全体の浮揚感そのものの一つの現われと化するのだ。 畢竟ソトにせよ栗本にせよ、ピラネージのどこへ導くこともない階段の系譜上に位置づけることができるとして、ピラネージの息苦しさに比してそれぞれの表情は、むしろ晴朗さをたたえている。またソトの空虚ゆえの充溢に対し栗本のさりげなさは、いわば化現的とでも呼べよう趣きを呈していた。さて、各々の階段は、どこからきてどこへ導くのだろう、あるいは、どこにかかっているのだろう? |
10. 藤谷陽悦、「日本の美意識と階段」、前掲『階段物語り』、p.42。 11. 小林文次、「曙山の二重螺旋階段図について」、『美術史』、no.88、1973.3。 図16 藤島武二、『カンピドリオのあたり(右幅)』、1919 12. cf. C.Baldon, I.Melchior, J.Shulman, Steps & stairways, New York, Rizzoli, 1989, chapter 16. 13. cf. 神谷武夫、『インド建築案内』、TOTO出版、1996、p.125、127、218-9、234、265-7、272-4、280、285-7、294、304、443、445、453、463、472。 14. cf. 神谷武夫、同上、p.96、222、352。 15. cf. 澁澤龍彦、「さざえ堂 二重螺旋のモニュメント」、『みづゑ』、no.931、1984夏。 16. 赤瀬川原平、『超芸術トマソン』、ちくま文庫、1987、p.13-17、162-174、260-267、291-301、354-363、366-368、384-394、418-421、458-460。 図17 ベン・シャーン、『赤い階段』、1944 17. 前掲『階段物語り』 ; C.Baldon, etc., op.cit.; John Templer, The staircase, 2 vols., Cambridge, The MIT Press, 1992 などを参照されたい。 また近現代の建築における階段を中心にしたものとして、 ジアンピエロ・アロワ、『階段 デザインとディテール』(内堀繁生・熊野保訳)、鹿島出版会、1976、 滝沢健児、『空間の演出 − 階段』、彰国社、1977。 18. 川本三郎、「階段の惨劇、階段の美女 − 映画のなかの階段」、前掲『階段物語り』所収。 Baldon etc., op.cit., chapter 17 * 追記;これは間違いで、『W』(1971)の時点ではメロトロンは用いられておらず、導入部分はアコースティック・ギターとバス・リコーダーで演奏されたという。 Cf., 「天国への階段 (レッド・ツェッペリンの曲 )」 [ < ウィキペディア ]。 また、デイヴ・ルイス、福田美環子訳、『全曲解説シリーズ レッド・ツェッペリン』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2002、pp.69-70。 『ザ・ジョンジー・ブック』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2022、p.50。 この曲に関して→こちらでも触れました;「近代など(20世紀〜) W」の頁の「おまけ」/ケンソー"A Song of Hope"の歌詞について |
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文献等追補 その後見かけた資料として; エヴリーヌ・ペレ=クリスタン、鈴木圭介訳、『階段 空間のメタモルフォーゼ』、白揚社、2003 序章// のぼることとおりること 階段と空間の征服;移動の場/征服の場/防御の場/出会いの場// 歩くことと測ること 階段、身体、幾何学;尺度としての身体/歩幅と法則/ 見ることと見られること 階段と演出;壇から円形劇場へ/舞台装置の中の階段/演出に関わるさまざまな芸術/権力の階段// 落下か上昇か 階段と精神;神話と精神性/冥府下りと昇天/約束の地// 終章など、 226ページ。 →こちらで少し触れました:「怪奇城の階段」の頁 註3、10、12、17、18 で挙げた文献の細目も並べておくと; 『階段物語り』、INAXギャラリー、1993 archives 発見への階段(桂英史)/beyond 天と地をつなぐ階段(飯島洋一)/ceremony 儀式と階段 − 身心変容の通路として(鎌田東二)// 階段物語り A to Z(村井敬);Art Nouveau/Baluster/Cascade/Doglegged Stairs/Escalator/Flight/Glass/Handrail/International Style/Juggle/Kaleidoscope/Lift/Monument/Newel Post/Orchestra/Post Modern/Quarter winding stairs/Riser/Slope/Terrace/Ultra Modern/Vernacular/Winder/Xylophone/Yard/Zigzag// detail ディテールと機能/effect 演出装置としての階段/futurism 未来派のオブセッション(鵜沢隆)/genius 日本の美意識と階段(藤谷陽悦)/handmade 手作りの階段/izumotaisha 古代の出雲大社(河東義之)/japan style 安藤忠雄の階段/kindness 人にやさしい階段/literature 文学と階段(鈴木隆之)/maze 迷路、錯視、階段/nonsense 階段は昇り降りのためにある(南伸坊)/ornament 装飾空間としての階段(下村純一)/psycho 階段の惨劇、階段の美女 − 映画のなかの階段(川本三郎)/quiet 本郷の家 − 静謐な階段/renaissance ルネサンス絵画に見られる「階段」の表現(松浦弘明)/skyscraper 空間装置としての階段 − ピラネージ、ロシア・アヴァンギャルド、自作(八束はじめ)/takarazuka 大階段・・・世界一華麗な二六段(編集部)/universe 世界模型としての階段(毛綱毅曠)/vital 生命・進化・階段(佐倉統)/way 意識の進化と踏み上がり − ベイトソンの階段(星川淳)/Xのかたちをした階段/year 高齢者と階段(狩野徹)/zero ゼロ度の階段(隅研吾)など、 84ページ。 註12、17、18 で挙げた文献の細目も並べておくと; ジアンピエロ・アロワ、内堀繁生・熊野保訳、『階段 デザインとディテール』、鹿島出版会、1976 204ページ。 「イタリアを中心に、イギリス、フランス、デンマーク、アメリカ、日本など各国の建築家、デザイナーの作品を集録」(「訳者のことば」)、それぞれ写真と図面を掲載 滝沢健児、『空間の演出 − 階段』、彰国社、1977 序にかえて// アプローチ// 平面の考察;直階段/折れ階段(鈍角)/曲り階段// 姿およびエレメント;姿について/段板について/保護と誘導// 空間の骨格// 表現のプロセスなど、 160ページ。 Cleo Baldon, Ib Melchior with Julius Shulman as photographic consultant, Steps & stairways, New York, Rizzoli, 1989 『階段と階段室』 序:定義された階段室/階段の初期の展開/階段室の素材/踏面と蹴上げ/手すり子と欄干/屋外階段/庭園の階段/水辺への階段/屋内階段/螺旋階段/階段のスーパースター/集いの場所/梯子/公園の昇降遊具/工業における階段/芸術における階段/劇場における階段/エスカレーターなど、 264ページ。 John Templer, The staircase, 2 vols., Cambridge, The MIT Press, 1992 『階段 歴史と諸理論』 序// 直階段;原型:昇降用の柱と梯子/元型 1:屋内階段の建築/通路としての階段/元型 2:屋外階段の建築// 螺旋階段;防御用の力/建築装置としての螺旋階段// 複合型の階段;踊り場/くの字型階段/方形親柱から帝政風の階段へ/庭園の階段の影響/形式上の入口階段から学ぶ/屋内の大階段の勃興/バロック的な栄誉の階段/19−20世紀など、 200ページ。 『階段 危険、落下、より安全な設計の諸研究』 階段での落下や傷害の諸特徴/快適さと安全のための蹴上げと踏面の幾何学/勾配、表面、滑り易さに対する抵抗/人混みに対する階段室と斜面のサイズ/階段での振る舞い/欄干、手すり、高欄/階段からの落下を避ける:傷害を減らすために設計する/責任と階段事故など、 216ページ。 註1 で挙げた文献に関連して; 小林久見子、「研究紹介 クリスチャン・エック著『中世美術における天の梯子 − 天の探求のイメージ −』」、『美学美術史研究論集』、名古屋大学大学院文学研究科美学美術史研究室、17-18号、1990-2000、pp.87-103 また一冊本として; 亀山慎一郎・佐藤昭五、『階段と玄関まわり 新しい住宅写真双書』、実業之日本社、1970 階段;階段の形/玄関ホールの階段/居間の階段/吹抜けにかかる階段/階段のデザインのポイント・手摺/階段下の利用/階段の照明・採光/階段の途中/変った階段// 玄関;玄関ホールの形/玄関ホールに応接スペースを設ける/げた箱・かさたて/玄関の照明/玄関のデザイン// 階段と玄関まわりの設計 階段;階段=立体的な通路としての階段/階段の位置=その位置による利害得失/階段の形=階段のつけ方/階段の勾配=踏面・蹴上の寸法など/階段の広さ=幅・おどり場・上り端の広さはどのくらい必要か/階段の占める面積=どれだけの平面スペースが必要か/吹抜け階段=階段のドラマチックな演出法/階段の上と下=階段の天井高と上下の利用法/手摺=高さ・形・材料・意匠など/階段の採光=窓や照明をどうするか/階段の意匠=段板・ササラ桁・ボーダー・ノンスリップなどの材料と意匠/変った階段=登呂遺跡からプロイヤーまで// 玄関;玄関=外部社会と住居との接続点/玄関ホールの形=各々の部屋とのつながりの形/玄関の寸法=広さ、各部分の寸法/玄関の意匠・材料=床・壁・天井など/玄関の付属品=げた箱・かさたて・ドアフォンなど/玄関の照明=照明方法・器具・スイッチなど/変った形の玄関=玄関の楽しいつけ方など、 100ページ。 フランツ・シュスター、大萱昭芳訳、『階段 世界のディテール』、集文社、1980 概論;蹴上げ寸法と踏み面寸法の関係/階段の勾配の算出方法/階段の有効幅/階段の水平長さ/踊り場/平面形態と所要面積/階段の天井高/防火対策/安全性/採光と照明/踏み板の断面形態/手摺/内部空間における階段の効果/手摺の形態/折り返し階段/静力学的分析/踏み板断面と折れ曲がり部の納まり/踏み板の変形/展開図法/半円分割図法/比例分割図法/踏み板の修正/回り階段と曲がり階段における踏み板/回り階段/回り階段の計算法/急勾配階段// プレハブ階段// 実例// 歴史的階段など、 168ページ。 『槇文彦のディテール 空間の表徴−階段』、彰国社、1999 序文(槇文彦)/作例(図面、写真、解説)/階段のある風景など、 128ページ。 『村野藤吾のデザイン・エッセンス2 動線の美学 階段・手摺・通路』、建築資料研究社、2000 階段をめぐる思惟と技法(長谷川堯)// 石製手摺/木製手摺/金属製手摺/樹脂製手摺// 村野藤吾を支えた人々A(村野潔)など、 144ページ。 eva jiricna, staircases, London, Laurence King Publishing, 2001 序/風景階段/ガラス階段/階段以外の何ものでもない/彫刻としての階段/技術的な階段/より少ないはより多い、など、 192ページ。 キャサリン・スレッサー、乙須敏紀訳、『現代建築家による 階段のデザイン』、産調出版、2001 歴史のなかの階段/革新的構造/ミニマリスト的優雅/階段と実用性/現代折衷主義など、 176ページ。 ニューハウス株式会社編、『階段 カイダンっておもしろい!』、ニューハウス株式会社、2005 素材;2つのコンセプト/計算されたナチュラル/和みと落ち着き/ズームイン/あたたかみ〈タイル〉/ヤスラギ〈木〉/日本古来の伝統工芸/古材と職人の伝統【匠】/住まいの中の階段(明野岳司+明野美佐子)// 空間;大人時間/スローライフ/大パノラマ/螺旋/上質なカジュアル/びっくり箱/コーディネート/リラックス/共用/自分流/ワイド/子供の目から見た「おうちの階段」(菊池武志)// 光;自然と語らう/ガラスブロック/サンシャイン/かげ/白・シロ・しろ/キイロBOX/道/陽の演出/光を導く/蜃気楼/光の質感(安井正)// 外;玄関へ/眺望を楽しむ/テラス団らん/モダンブルー/オープンデッキ/ナチュラル&スタイリッシュ/品格/機能性から空間力へ(鈴木信弘)// 活用;段差/暖炉/見せないこだわり/収納/カラー/キッチンを組込む/シンプル+存在感/スタイルで楽しむ/調和/天使のいる階段(松永基)// +機能;青いスロープ/取らないスペース/書斎で一休み/ブリッジ/階段箪笥+宙に浮く階段/ディスプレイ/スキップフロア/夢みる階段(柏木穂波)// 造形;禅/X型/無垢を組む/四季折々に溶け込む/曲線/木の香りに包まれる/オブジェ/見せる階段 隠す階段/アジアンミックス/日本的モダン建築/階段詳細図が書ければ一人前(杉浦英一)など、 162ページ。 松本泰生、『東京の階段 都市の「異空間」階段の楽しみ方』、日本文芸社、2007 プロローグ 東京の階段を歩く//美しい階段 階段がもつさまざまな「美しさ」//歩いて楽しい階段 歩くことで気づく階段の魅力//歴史を感じさせる階段 江戸から東京へ都市形成の歴史を階段に見る//なくなった階段・変貌した階段 消えていく街の記憶//階段四季折々 それぞれの階段がもつ「美しい瞬間」// 東京の地形と階段;東京都心周辺の地形と階段/階段の移り変わり/階段の分布/階段の所在地と利用状況/階段の傾斜/段々の刻み方と形/階段の素材/手摺、標柱・石碑// エピローグ 東京の階段歩きは終わらない、など、 226ページ。 中山繁信・長沖充、『階段がわかる本』、彰国社、2010 住まいの中の階段;スキップフロアで空間演出を/踊り場をステージに/吹き抜けをとり囲む回り階段/ゆるやかな斜面に設けた主役の階段/column 名作住宅の階段@ 軽井沢の山荘(吉村山荘)// 階段の種類;階段の種類を知ろう!/階段のもつイメージをつかもう!/column 名作住宅の階段A 管野ボックス// 階段の基礎知識;階段各部の名称/階段の勾配/階段の寸法/階段の上り下りの記号/カットライン/階段の構造/階段下のスペースの活用/column 名作住宅の階段B 住吉の長屋// 間違い階段;梁がじゃま?/2階の床がじゃま?@/2階の床がじゃま?A/段数は十分ある?/ねずみの階段?/ランダム階段?/学生の作品より@/学生の作品よりA// 階段の描き方;直進階段の描き方@(蹴上げ・踏み面を決めて描く)/直進階段の描き方A(勾配・段数を決めて描く)/階段室の平面図・断面図の描き方/折り返し階段の描き方/らせん階段の描き方/column 名作住宅の階段C サヴォワ邸// 間取りの中の階段;玄関に階段を置く@/玄関に階段を置くA/居間に階段を置く/廊下に階段を置く/まとめとバリエーション// 狭小住宅や変形平面をもつ住宅の階段;スキップフロアの狭小住宅の階段/長屋住宅の階段/三角平面の住宅の階段/コーナーの処理/column 名作住宅の階段D 塔の家// アイデア階段;合板組み合わせ階段/木材をそのまま利用した階段/収納階段// 階段を考えるトレーニング;問題/解答など、 168ページ。 稲田愿、『梯子・階段の文化史』、井上書院、2013 序// 梯子と階段の誕生;人類の進化と道具の発生時期/梯子のようなツール(手段)がどんな場面で必要になったか// 人は階段にどんな願いを込めてきたか;シンボルとしての梯子・階段/階段状の山を築く/天上をめざす階段// 世界の文明圏の梯子・階段の歴史;日本の梯子・階段(きざはし系)/海外の梯子・階段(基壇系)// 古代の梯子づくりと木工技術;梯子の基本形とその特徴/古代の梯子づくりと工法・製法/割り木工技術 − 木は割ることで強くなる/古代の梯子と加工工具/日本古代における梯子づくりの工具/梯子づくりに適していた竹// 階段にまつわる不思議な疑問点;階段の右・左論に入る前に/階段にまつわる疑問点// 生活分野における家具的な梯子・階段の歴史;家具的な階段 − 家具のステアロジー/踏み台からライブラリーステップへ/寝台へ上がるステップから多段寝台へ/風呂場の梯子・階段/戸棚など高所用の梯子/遊具としての梯子/視覚的な梯子// 変わり種の梯子・階段;登ることを拒む階段・梯子/人は通すが動物は通さない階段・梯子/だまし階段/ツリー・ハウスの階段/反転階段/デーイス(Dais)と呼ばれる段/橋の階段// 特殊用途の梯子・階段の歴史;火の見櫓の梯子/江戸時代の火消しの梯子/工場などの梯子/電柱や架線工事に用いる梯子/レスキュー隊の用いる梯子// 梯子と階段の安全性;事故からの教訓と先人たちの研究/図表で見る梯子の安全性の考察// 終章 梯子・階段の機械化と今後の展望など、 192ページ。 BMC(ビルマニアカフェ)、写真:西岡潔、『いい階段の写真集』、パイ インターナショナル、2014 いい階段40選 階段コラム;紅い階段/村野藤吾のいい階段/海外で見つけたいい階段// いい階段の見どころ;手すり/金物/踏板・床面/照明/階数表示/段裏/その他 階段のつくりかた;その1 曲がる木製手すり/その2 テラゾーのささら/その3 村野藤吾の鉄製階段など、 204ページ。 『世界の美しい階段』、エクスナレッジ、2015 名作階段/絶景の階段/街角の階段/一度は上ってみたい、ユニーク階段など、 208ページ。 田中智之、『階段空間の解体新書』、彰国社、2018 階段空間の解体新書;立体による額縁/点による額縁/部屋のような階段/階段のような部屋/平面のカーブ/立面のカーブ/ブリコラージュ/メタコラージュ/蟻の巣プロムナード/洞窟プロムナード/微分する階段/積分する階段/階段の孵化/孵化の階段/正対の杜/斜対の杜// 階段の 駅の階段空間;新宿駅/渋谷駅/東京駅など、 128ページ。 他に; 植村鷹千代、「中井幸一『階段』(新人紹介)」、『美術手帖』、no.81、1954.5、p.81、p.85 Madeleine Laurain-Portemer, “Mazarin, Benedetti, et l'escalier de la Trinité des Monts”, Gazette des Beaux-Arts, no.1199, 1968.12, pp.273-294. B.ルドフスキー、平良敬一・岡野一宇訳、「9 階段を讃えて」、『人間のための街路』、鹿島出版会、1973 横山正、「階段」、『透視画法の眼 ルネサンス・イタリアと日本の空間』、相模書房、1977 André Chastel, Fables, formes, figures 1, Flammarion, Paris, 1978, pp.455-469 : "25. L'escalier de la Cour Ovale à Fontainebleau"(1967) pp.473-484 : "26. Palladio et l'escalier"(1965) pp.485-488 : "27. Palladio et l'escalier à double mouvement inversé"(1960) パウル・フランクル、ジェームズ・F・オゴールマン編、香山壽夫監訳、宇佐見真弓・武澤秀一・越後島研一訳、『建築造形原理の展開』、鹿島出版会、1979、pp.163-181:「一、階段」 海野弘、「マニエリスムの部屋」、『ユリイカ』、11巻7号、1979.6、pp.154-165 (海野弘、『部屋の宇宙誌 インテリアの旅』、TBSブリタニカ、1983、pp.116-140) 「欲望という名の機械|下り階段(特集 映画楽入門)」、『美術手帖』、no.490、1981.12、pp.83-87 海野弘、「二つの階段 連載・部屋の宇宙誌 26」、is、no.26、1984.10、「特集 庭園」、pp.52-53 C.アレグザンダー、平田翰那訳、『パタン・ランゲージ 環境設計の手引』、鹿島出版会、1984、 pp.319-320:「125 座れる階段」、 pp.338-339:「133 舞台のような階段」、 pp.393-395:「158 青空階段」、 pp.475-477:「195 階段の容積」、 pp.569-570:「228 階段ヴォールト」 高山宏、「目の中の劇場 ゴシック的視覚の観念史」中の「3 ピクチャレスクとサブライム、廃墟と階段」、『目の中の劇場』、1985 寺島良安、島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳訳注、『和漢三才図絵 5』、1986、「巻第三十二 家飾具」の巻の pp..270-271:「 寺島良安、島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳訳注、『和漢三才図絵 14』、1989、「巻第八十一 家宅の用」の巻の pp..311-312:「 ホイットニー・チャドウィック、伊藤俊治・長谷川祐子訳、『シュルセクシュアリティ シュルレアリスムと女たち 1924-47』、PARCO出版、1989、p.203、p.206 (ピエール・ロワ《階段上の危機》(1927)のドロテア・タニング《小夜曲》(1946)への影響についての記述) Catálogo de la exposición El espacio privado. Cinco siglos en veinte palabras, Sala Julio González, Edificio del Antiguo M.E.A.C., Madrid, 1990, pp.149-162 : "Escalera" Liliane Hamelin, “L'escalier pivotant de l'hôtel Gauthiot d'Ancier à Gray (Curiosa)”, Revue de l'Art, no.94, 1991, pp.81-82. 中野美代子、「名山の階段」および「名山の階段ふたたび」、『龍の住むランドスケープ 中国人の空間デザイン』、福武書店、1991、pp.13-24、102-111 品田雄吉、「映画の中のさまざまな階段」 < 階段物語 < ヨコモリの階段とは [ < YOKOMORI ] 掲載年は記されていませんが、「最近見たフランス映画に『ジャック・ドゥミの少年期』というのががある」とあって、件の映画(監督:アニエス・ヴァルダ、1991)は日本では1992年公開なので、ここに挙げておきます。この他、『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(監督:スティーヴ・クローブス、1989)、『ウエスト・サイド物語』(監督:ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ、1961)、『風と共に去りぬ』(監督::ヴィクター・フレミング、1939)、『ホーム・アローン』((監督:クリス・コロンバス、1990)、『デリカテッセン』(監督:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ、1991)、『冬冬(トントン)の夏休み』(監督:侯孝賢、1984)などに触れています。 →こちらでも触れました:「怪奇城の階段」の頁 渡辺武信、『銀幕のインテリア』、読売新聞社、1997、pp.195-211:「第12章 階段 地下 屋根裏」 お年寄りには階段リフト 『情婦』/踊り場なしの階段の危険性 『風と共に去りぬ』/隠し階段と屋根裏部屋の秘密 『となりのトトロ』/地下と屋根裏にゆとりの空間 『さよならコロンバス』/都心の地下に住む 『暗くなるまで待って』、『日曜日が待ち遠しい!』/予備寝室にもなる屋根裏 『ホーム・アローン』/パジャマが洗濯室へ直行 『偶然の旅行者』 →こちら(「怪奇城の階段」の頁)や、そちら(「怪奇城の地下」の頁)、またあちら(「怪奇城の高い所(前篇) ー 屋根裏など」の頁)でも触れました 塩川京子、「木村荘八『牛肉店帳場』(働く女性十選(10))」、『日本経済新聞』、1997.12.19、第40面 磯野英夫、「階段の物語T」、『鳰 : 成安造形大学研究紀要』、no. 5、1998.12、pp.140-145 米田明、「Stairway from / to where? ル・コルビュジエの階段について」、『10+1』、no.16、1999.3:「特集 ディテールの思考 テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義」、pp.112-114 小玉齊夫、「ピラネージとフランス − 『カルチェリ』の螺旋階段を中心に −」、『論集』、no.52、2000.8、pp.139-168[ < CiNii Articles ] リチャード・H・ウィルキンソン、内田杉彦訳、『古代エジプト神殿大百科』、東洋書林、2002、p.68:「階段と屋上」 日本建築学会編、『空間要素 世界の建築・都市デザイン』、井上書院、2003、pp.156-171:「Elements 8 階段・スロープ」 内井昭蔵、『装飾の復権 空間に人間性を』、彰国社、2003、pp.155-163:第3章−5 「階段」 橋本文隆・内田青蔵・大月敏雄、写真:兼平雄樹、『消えゆく同潤会アパートメント』、河出書房新社、2003/2011、pp.68-71:「6 階段室・10階段」 Juan Antonio Ramírez, Architecture for the Screen. A Critical Study of Set Design in Hollywood's Golden Age, 2004, "chapter 12. Epilogue" 中の "Some Omnipresent Elements : Staircases, Bathrooms, Bedrooms" より pp.206-208 三津間康幸、「シリア・キリスト教における梯子物語 − マゴス・タフミズガルドによる梯子の幻視と悟り」、細田あや子・渡辺和子編、『異界の交錯 宗教史学論叢 10』(上巻)、リトン、2006、pp.105-124 はじめに/『カルカー・ド・ベート・スロークと、その地の殉教者達の歴史』/縁起譚としての「1万2000人の殉教」/「1万2000人の殉教」における悟り/おわりに 芦川智・金子友美・鶴田佳子・高木亜紀子・田中涼子・山口英恵、「階段とその空間特性 − アジアの歩行者空間に関する研究(その2) −」、『學苑・生活環境学科紀要』(昭和女子大学)、no.801、2007.7、pp.2-13 [ < CiNii Articles ] 『CUE+ 穹+(きゅうぷらす)』、vol.12、2007.10 荒俣宏+鈴木一義、「融通無碍かな、我がニッポン」 小池寿子、「上昇のセオリー キリスト教美術にみる梯子」 鹿島茂、写真:田原桂一、「天駆ける階段 パレ・ガルニエ」 村上輝久、「音階と調律」 松村秀一、写真:二川幸夫、「『ガラスの家』の階段 ピエール・シャロー設計 ダルザス邸」 三宅理一、「編集後記 きざはし=階段 あるいは階梯について」 増田彰久、『西洋館を楽しむ』、2007、pp.100-103:「階段」 →こちらで少し触れました:「怪奇城の階段」の頁 山本真由美、「廊下と階段の変奏 『三四郎』・『草枕』・『明暗』」、『實踐國文學』、no.74、2008.10 和泉雅人、「Scalalogie 〈階段学〉へのオマージュ」、『慶應義塾大学日吉紀要 ドイツ語学・文学』、no.45、2009 [ < CiNii Articles ] 篠田知和基、『ヨーロッパの形 螺旋の文化史』、2010、pp.146-160:第3部第3章3「階段」 吉田眸、『ドアの映画史 細部からの見方、技法のリテラシー』、春風社、2011、「第9章 階段の映画、映画への階段」 →こちらでも触れました:「怪奇城の階段」の頁 マルコム・ヒスロップ、桑平幸子訳、『歴史的古城を読み解く』、2014、pp.240-245:「階段室」 イントロダクション/螺旋階段/直線の階段室 鈴木了二、「ところで階段とはなにか 物質試行45『神宮前の住宅』」、『寝そべる建築』、みすず書房、2014 (同書「『ディテール。モデル』に関するいくつかの考察 『空洞三部作』」も参照) 栗田秀法、『プッサンにおける語りと寓意』、三元社、2014、「第6章3 《足萎えの男を癒す聖ペトロと聖ヨハネ − 信仰と救済の寓意》」 "Stairs", Rem Koolhaas et al., Elements of Architecture, Taschen, 2014/2018, pp.1726-2033 ( pp.0-307) 「階段」 軌跡/ブロンデルによる普遍的階段の定式/三人の親方:ウィトルーウィウス、アルベルティ、パッラーディオ/三つの位階:聖職者的、封建貴族的、中産市民的/ネーデルラント対それ以外の世界/劇場建築/ギャルリー・ラファイエット/大階段、取り壊された/オーダーメイド:ローラン階段とエルサの階段/手すりのデザイン/4インチ・ボール・テスト/安全対策/英国の火災避難装置の特許/プレファブ階段/ブティックの階段/9/11:英雄としての階段/お楽しみ理論/健康理論// 参考文献// フリードリッヒ・ミルケと階段研究について(Stephan Trüby)// ヴェネツィアでの声明(Friedrich Mielke, 2014)// ミルケさん、生涯でいくつの階段を測定されたのですか?(Stephan Trüby によるインタヴュー、2013/10/20)// 階段博物館// フリードリッヒ・ミルケ 階段文献 1956-2008:学位論文、20巻の『階段学』誌、5冊の小冊子、2冊の書籍;1. 学位論文(1956):『18世紀ポツダムのタウンハウスにおける階段』/2. 『ドイツの階段の歴史』(1966)/3a+b. 『ポツダムのタウンハウス』(テクスト篇/イメージ篇)(1972)/4. 『階段学』(1985):『階段調査についての論文集 第1巻』/5. 『階段学』(1986):『階段調査についての論文集 第2巻』/6. 『タウバー、レツァト、アルトミュールの間の階段』(1989)/7. 『階段学』(1986):『アイヒシュタットの階段』/8. 『階段学』(1990):『ブレスラウの階段』/9. 『階段学』(1990):『ウィーンの階段』/10. 『階段学』(1990):論文集 第3巻』/11. 『インゴルシュタットの階段』(1992)/12. 『階段ハンドブック 構成要素と類型の目録』(1993)/13. 『ポツダムの階段』(1994)/14. 『大地と天の間の霊的階段』(1996)/15. 『ゴシックとルネサンスの階段』(1999)/16. 『芸術における階段』(2000)/17. 『論文集 第4巻』(2001)/18. 『霊的な階段、虚構の階段』(2001)/19. 『トルコのミナレットにおける石造螺旋階段』(2002)/20. 『手すりと欄干』(2003)/21. 『階段模型』(2007)/22. 『ニュールンベルクの階段』(2008)/23. 『人と階段』(2008)/24. 『生徒たちは階段を見る』(2009)/25. 『階段への写真家のまなざし』(2009)/26. 『荒野の階段』(2010)/27. 『世界の階段』(2011) 他のセクションに通じる形で階段を扱ったのは通しノンブルで pp.1726-1765、セクションごとのノンブルでは pp.0-39 までで、その後の pp.1766-2033 / pp.40-307 は階段学 Scalalogie の研究者フリードリッヒ・ミルケ(1921-2018)の50年以上にわたる業績を紹介するという形になっています。ミルケの名は→「怪奇城の図書室」の頁でも見かけられました。 "Escalator", op.cit., pp.2034-2119 (pp.0-85) 「エスカレイター」 序/軌跡/エスカレイター≠階段/隠された世界/エスカレイター対階段/振り返る:『ハーヴァードのショッピング案内』(2003)/とられない径:螺旋/大いなる綜合/声明書対現実/幅が広い段のエスカレイター/力が戯れる/商標権消滅/目新しさ狂/アジアがエスカレイターに乗る/香港の巨大エスカレイター/途切れない勃興:カブール、平壌、アフマダーバード/幕間:動く歩道/エスカレイターの進行/エスカレイトする怠惰/右に立つ/エスカレイターの慣習/エスカレイターの懸念/維持管理/木製エスカレイターの終焉:キングズ・クロスの火災/立ち止まるために走る/法人合併/空いた段という現象/エスカレイターの規約/曲線の復活/空間を救う螺旋/速度を変えられるエスカレイター/囚われの聴衆/空間で迷子になる/モールを超えて:メデリィン// 地面のない街(Adam Frampton, Jonathan Solomon, Clara Wong)// エスカレイター対階段、再び// 参考文献 "Ramp", op.cit., pp.2242-2333 (pp.0-91) 「傾斜路」 序/ピラミッド/クノッソスの宮殿/バベルの塔:ユートピア / ディストピア/カンピドリオ(カピトリヌス/カピトリーノ)の切換: 傾斜路での人生T:ティム・ニュージェント(Stephan Petermann によるインタヴュー)// 採用された普遍性/カフカ的な車椅子用傾斜路// 傾斜路での人生U:クロード・パラン(Rem Koolhaas によるインタヴュー)// 建築原理(Claude Parent & Paul Virilio)// 芸術家たちとグッゲンハイムU/跋:ブラジリア// 参考文献 中川武、『日本の家』(角川ソフィア文庫 J 113-1)、株式会社KADOKAWA、2015、pp.195-203:「箱階段」 (原著は TOTO出版、2002) 河村英和、『ナポリ建築王国 「悪魔の棲む天国」をつくった建築家たち』、鹿島出版界、2015、pp.107-122:「階段と門枠の魔術師 − フェルディナンド・サンフェリーチェ」 「18世紀のナポリの 「…(前略)…階段の位置が手前にあるため、両脇のアーチが中心のものより高くなっている解放階段は、その形状から鷹が両翼を広げているように見えるので『鷹の翼(ali di falco)』と呼ばれている」(同上)。 この項以外にも、随所で階段が取りあげられています。 同じ著者による→こちらを参照:「怪奇城の外濠 U」の頁の「塔など」 トレヴァー・ヨーク、村上リコ訳、『図説 イングランドのお屋敷〜カントリー・ハウス〜』、2015、pp.73-74:「階段」 平出隆、「日は階段なり − 《遊歩の階段》の設計公式つき」(『遊歩のグラフィスム』、2007 より)、青木淳[選]、『建築文学傑作選』(講談社文芸文庫 あ W1)、講談社、2017、pp.267-279 選者による解説も参照のこと B.レック、A.テンネスマン、藤川芳朗訳、『イタリアの鼻 ルネサンスを拓いた、傭兵隊長フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ』、中央公論新社、2017、第9章「都市という形をとった宮殿」中の pp.219-221 ウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレを論じた章ですが、 「階段はウルビーノで初めて、自慢することのできる建物の一部となった」(p.219) と記されています。 杉山あかね、「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによる対作品《階段を下りてゆく女性》および《光の方へ上がってゆく女性》を巡る一考察」、『美術史』、第194冊、Vol.LXXII No.2、2023.3、pp.135-150 →こちらで少し引きました:「怪奇城の外濠 U」の頁の「廊下など」の項 * 註13:階段池および階段井戸について; 武澤秀一、『インド地底紀行 建築探訪 9』、丸善、1995 同、 『迷宮のインド紀行』(新潮選書)、新潮社、2001、pp.193-214。 『インド建築の5000年 − 変容する神話空間』展図録、世田谷美術館、1988、pp.31-35。 * 註14:ジャンタル・マンタル(天文観測所)について; Andreas Volwahsen, Cosmic architecture in India. The astronomical monuments of Maharaja Jai Singh U, Prestel-Verlag, London, New York, 2001. 『インド建築の5000年 − 変容する神話空間』展図録、同上、1988、p.54。 ジョゼフ・ニーダム、協力=王鈴、監修=東畑精一、藪内清、訳=吉田忠、高橋雄一、宮島一彦、橋本敬造、中山茂、山田慶児、『中国の科学と文明 第5巻 天の科学』、思索社、1991、pp.146-152。 写真=藤塚光政、文=毛綱毅曠、『不知詠人 詠み人知らずのデザイン』、TOTO出版、1993、 pp.20-39:「UFOも表敬訪問する天空階段 ジャイブールの星神社[インド・ラージャスターン州]」、 「宇宙感応システム幻体験」、「デリーの星神社[インド・ハリヤーナー州]」、 pp.331-332:「写真注記+参考資料 ジャイブールの星神社」 矢野道雄、『星占いの文化交流史』(シリーズ言葉と社会 T)、勁草書房、2004、pp.196-200。 * 註15: 藪下明博、「さざえ堂と岩窟ホテル − 或いは、幾何学とグロテスクの極致」、『幻想文学』、no.48、1996.10:「特集 建築幻想文学館」、pp.102-110 石山修武・毛綱毅曠、『異形建築巡礼』、国書刊行会、2016、pp.41-63:「螺旋・アニマ巡礼 − 建築の始原へタイム・トリップ」(蘭庭院栄螺堂、旧正宗寺三匝堂ほか); pp.42-51:毛綱、「江戸三大奇館その一 − 栄螺堂」;〈奇〉の位相/〈栄螺堂録〉/ pp.52-63:石山、「栄螺堂幻想辺」;博物館、パノラマ/パノラマ館幻想/栄螺堂幻想/栄螺堂暗闇行脚/正宗寺・円通寺三匝堂 [ 全国住宅産業協会 ] > 「社会貢献活動」 のページ中の「文化財保存活動」の欄から 「旧正宗寺三匝堂(通称:『さざえ堂』)構造調査報告会の開催について」、会津さざえ堂を愛する会、2009.11.11 のPDFファイルにリンクが張られています。 飯盛正日、「さざえ堂と飯盛家」、1996 とともに 「日本大学理工学部建築史研究室 円通三匝堂(さざえ堂)実測図」、1965 を再録、さらにその中の「五、解説」として 小林文次、「旧正宗寺三匝堂(さざえ堂)の建築」 註11に挙げた同じ筆者による論考とともに、あわせて; 小林文次、「羅漢寺三匝堂考」、『日本建築学会論文報告集』、no.130、1966.12、pp。53-61,64 [ < J-STAGE ] さらに; 椎名仙卓、「高橋由一の構想 した螺旋状の美術館 博物館事始め(39)」、『博物館研究』、no.254、1989.7.25、pp.8-9 北澤憲昭、『眼の神殿』、美術出版社、1989、pp.15-108:「第1章 『螺旋展画閣』構想」 〈富士塚〉に関して→こちらでも挙げました:「怪奇城の外濠 V」の頁の「綺想建築、その他」 中谷礼仁・倉方俊輔、「螺旋塔之圖と学会准員阿部今太郎について 日本近代における伝統的建築技術の継承,変質の研究」、『日本建築学会計画系論文集』、第491号、1997.1、pp.205-211 [ < J-STAGE ] DOI : https://doi.org/10.3130/aija.62.205_1 →こちらも参照:「怪奇城の外濠 U」の頁の「塔など」 追補の追補; 『天の橋 地の橋 いまは昔 むかしは今 2』、1991、pp.58-59 に〈従三十三天降下〉の作例として、久遠寺蔵《仏伝図》(部分)とバールフト遺跡出土のレリーフの部分(インド博物館蔵)の図版が掲載されていました。 前者は『天国への階段』(1946、監督:マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー)などを連想させずにいますまい。 この主題についてはまた; 肥塚隆、「『従三十三天降下』図の図像」、『待兼山論叢 美学篇』、no.11、1978、pp.29-48 [ < 大阪大学学術情報庫 OUKA(Osaka University Knowledge Archive) ] URL http://hdl.handle.net/11094/48124 秋山光文、「古代インドにおける飛天の図像」、林温、『飛天と神仙 日本の美術 No.330』、1993.11、pp.89-90 次のタイトルの論文がありました; 木史人、「第8章 怪談の階段」、一柳廣孝編著、『「学校の怪談」はささやく』、青弓社、2005、pp.197-246 「怪談」はどこにあるか/柳田國男と「怪談」 − 派生昔話という位置づけ/折口信夫と「怪談」(1) − お伽話の中心は怪談である/折口信夫と「怪談」(2) − なぜ夏に怪談をするのか/幽霊と妖怪と − 今野圓輔『日本怪談集』の可能性と限界/常光徹「学校の世間話」から始まったこと − 「怪談」の不在/〈口承〉としての「学校の怪談」へ − 怪談の階段 |
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「キリスト教(古代および東方正教会)」の頁の「iii. 教父神学など」の項で挙げた津田謙治、『神と場所 初期キリスト教における包括者概念』(2021)のカヴァーには、〈ヤコブの梯子(ヤコブの夢)〉を描いた絵の図版が載っていました。データは記されていないのですが、画像検索してみると、図7に挙げた《マリアの宮詣で》の作者であるニコラ・ディープルの作品でした。せっかくなので右に掲げておきましょう。 |
ニコラ・ディープル (パリ出身、1495年から1531年にアヴィニョンで活動) 《ヤコブの夢(ヤコブの梯子)》 1500頃 |
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その他、フィクションから; ホレス・ウォルポールとストロウベリ・ヒルを扱ったケネス・クラーク、近藤存志訳、『ゴシック・リヴァイヴァル』(2005)の「第3章 廃墟とロココ − ストロウベリ・ヒル」の中に、 「階段には常に何かしら劇的なものが存在する」(p.87) というくだりがありました(→こちらでも引きました:「怪奇城の階段」の頁)。他方、ディクスン・カーの『髑髏城』(宇野利泰訳、創元推理文庫 118-12、東京創元社、1959)の第9章では、 「考えれば、この事件はすべて、階段の悪夢といってよいであろう」(p.138) と語られます。『髑髏城』について→こちらでも少し触れました:「怪奇城の隠し通路」の頁。 またフランスのプログレ・バンド Arachnoid, Arachnoid, 1979(邦題:アラクノイ『アラクノイの憂鬱』)(→そちらで挙げました:『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」(1966)の頁の「おまけ」) の歌詞の邦訳を何の気なしに見ていたら、CDで5曲目、もとのLPではB面2曲目に当たる"La guêpe"(「すずめばち」)で、 「すべては階段で起こった」(佐藤美奈子訳) というフレーズがありました。原語では; "C'est dans les escaliers que tout s'est passé" 歌というより台詞ないしナレーション風なのが、個人的には苦手ではあるのですが。 とまれ; バーバラ・ヴァイン(ルース・レンデル)、山本俊子訳、『階段の家』(角川文庫 7927 レ 1-52)、角川書店、1990 パスカル・キニャール、高橋啓訳、『シャンボールの階段』、早川書房、1994 櫂末高彰、『学校の階段』全10巻+短編集『学校の階段の踊り場』(ファミ通文庫)、エンターブレイン、2006-2009 などもあり、 また 高橋留美子、「階段に猫が 奥瀬サキ、「幽霊階段」、『低俗霊狩り(上)』(小学館文庫 お A-1)、小学館、1998 坂田靖子、「階段宮殿」、『階段宮殿 自選作品集』(文春文庫ビジュアル版 V60-37)、文藝春秋、1996 なども忘れるわけには生きませんが、ここは「『怪談?』『階段』」(下記『1』、p.6)という台詞のあるこちらを; 紺野キタ、『ひみつの階段 1』、ポプラ社、2002 同、 『ひみつの階段 2』、ポプラ社、2002 なお、 同、『ひみつのドミトリー 乙女は祈る』(ポプラ社、2000) および 同、『つづきはまた明日 4』(幻冬舎、2013) に舞台を同じくする作品がそれぞれ4編、2編収録されています。 同じ著者による→こちらを参照(『Lily lily rose』) ちなみに、吉田秋生の『海街diary』(flowers comics、小学館、2007- )は、2013年5月現在5巻まで刊行されていますが、カヴァー表3巻分に階段が描かれています。カヴァー表の画面は、各挿話の表紙から選ばれたもので、数えてみれば19話中5回に階段が登場となります。 追補;2018年12月15日付け発行の9巻で完結となりました。そこで6巻から9巻までの分を足すと、カヴァー表にはその後8巻の1回であわせて全9巻中計4回(第8巻はカヴァー裏にも階段が登場します)、各話の表紙は4回で全36話+番外篇1話中計9回でした(第7巻のみカラー扉にも階段が登場します)。多いといっていいのかどうかわかりませんが、主な舞台となった鎌倉と結びつけていいのかどうかもわからないのでした。 田中ロミオ、『人類は衰退しました 9』(ガガガ文庫)、小学館、2014 のクライマックスで登場する階段はなかなか印象的でした。 おんちみどり、『古本海岸 おんちみどり作品集』、北冬書房、2016 pp.61-71;「階段町の人々」 2010 pp.83-98;「階段町かるた」 2013 pp.99-118;「階段町かるた その2」 未発表 p.195:「はみだし階段」 諸星大二郎、『BOX 〜箱の中に何かいる〜』(全3巻)(モーニング KC 2669/2721/2775)、講談社、2016〜2017 より第3巻収録の「第15話 階段には 諸星大二郎には他にも 「ヨシコちゃんと首たち」(1979)、『諸星大二郎自選短編集 彼方より』(集英社文庫 も 9-4)、集英社、2004、pp.167-174 を始めとして、印象的な階段の登場する作品があります。とりわけ 『グリムのような物語 トゥルーデおばさん』(ソノラマコミック文庫 も 16-4)、朝日新聞社、2009 所収の 「Gの日記」(2002)と「トゥルーデおばさん」(2004) は忘れがたいものでした。 川野芽生、「棲まうもの」、『月面文字翻刻一例』、書肆 には次のくだりがありました; 「目を閉じたままで、彼女は自分のいまいるはずの螺旋の空間を暗い目蓋に思い描きながら降りてゆくのだが、そうすると、階段とはなんと奇妙な場所なのだろうといういつもの思いがいっそうはっきりと形を取ってあらわれてくる。奇妙に広い頭上の空間、不思議と狭い横幅、そしてひどく細長い、人間が使うには適さないくらい細長い。…(中略)…ほんとうは人間ではないなにかほかの生き物のためにある場所なのではないか、と彼女はそのころ階段を使うたびに考えたのだった。…(中略)…しかしそう考え始めると、階段だけでなくたとえば廊下もそれに似ている。吹き抜けや広間というものも不可思議で、窓や扉さえ疑わしく思えてきて、つまりは建物というものそれ自体が、人間が使うために工夫されたのではないような気がしてくるのだった」(pp.89-90)。 同じ著者による長篇 川野芽生、『奇病庭園』、文藝春秋、2023 には; 「塔の内部は、以前来たときとは一変していた。のみならず、変転し続けていた。絡繰時計の中のように、あらゆるものが動いている。…(中略)…見上げればいくつもの回廊や螺旋階段が途中で切れ、それぞれの部分が別々に動いて別々の部分と接続する」(p.129) と語られています。変転する螺旋階段というイメージは、「怪奇城の図書室」の頁の「7 『薔薇の名前』映画版(1986)からの寄り道:ピラネージ《牢獄》風吹抜空間、他」で触れた『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)における階段ホールの眺めを(→このあたり)、また「怪奇城の地下」の頁の「」で触れた〈生成迷路〉(→そのあたり)を連想させます。 アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン、山田和子訳、『こうしてあなたは時間戦争に負ける』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ No.5053)、早川書房、2021 の中に、 「通い慣れた部屋への階段を登っている際にささやきかける大昔のフランスの階段の霊=v(p.216) というくだりがあって割註で 「l'esprit d'escalier。ある時、はっと、正しい答えに気づくが、その時にはもう遅すぎる≠ニいう意」 と記されていました。手もとの仏話辞書で"escalier"を引いてみると、 「avoir l'esprit de l'escalier ((話し言葉))後になって思いつく、後知恵である」 とありました。 マーク・Z・ダニエレブスキー、嶋田洋一訳、『紙葉の家』、ソニーマガジンズ、2002 のXI章のエピグラフとして引用されたボードレールの『悪の華』中の「『獄中のタッソー』に題す ウジェーヌ・ドラクロワ筆」に、 「 というくだりがありました(→こちら:「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「おまけ」)。 少し上でフランスのバンド、アラクノイの曲に触れましたが(→このあたり)、さらに、階段がらみの音楽; イエロー・マジック・オーケストラの『テクノデリック』(1981) には「階段 Stairs」という曲が (同じアルバムから→こちらも参照:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」)、 鈴木さえ子の『科学と神秘 Visinda og Leyndardómur』(1984) には「天国への螺旋階段」が収められています (→そちらも参照:『妖婆死棺の呪い』(1967)の頁の「おまけ」)。 また Prince & The Revolution, Around the World in a Day, 1985(邦題:プリンス&ザ・レヴォリューション、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』)(→あちらでも挙げています:「アメリカ大陸など」の頁の「おまけ」) には"The Ladder"(「ザ・ラダー」)という曲がありました。 CD裏には雲に伸びる梯子が描かれています。と思ったら表も左端に梯子が出てきていました。 マグダラ呪念、『何の因果でこうなった』、2008 * 全4曲中の最後が「冥土への階段」。 「和製ドゥームロック」、「女3人組怨念バンド2ndアルバム」とのこと(帯より)。 * 『ユーロロックプレス』、vol.39、2008.11、p.70 Rush, Permanent Waves, 1980(邦題:ラッシュ『パーマネント・ウェイブス(永遠の波)』)(→ここを参照:「近代など(20世紀〜)」の頁の「おまけ」) 7枚目の3曲目、元のLPではA面3曲目というか後半が"Jacob's Ladder"(「ヤコブの梯子(旧約聖書創世記より)」)、7分26秒。 Brad Mehldau, Jacob's Ladder, 2022 9[曲目から11曲目を占めるタイトル曲は "Jacob's Ladder I - Liturgy"(1分27秒)、 "Jacob's Ladder II - Song"(11分30秒)、 "Jacob's Ladder III - Ladder"(4分19秒) の3部構成で、この内"II - Song"はラッシュの上の曲に基づくものでした。始めの方と最後の方でメロトロンが鳴っていたりします。 |
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ちなみに、アルバム全体のプロローグめいた1曲目 "- Maybe as his skies are wide -"(3分43秒) および7曲目 "Tom Sawyer"(7分44秒) はともに、やはりラッシュの曲で、8枚目、 Rush, Moving Pictures, 1981(1) の1曲目、"Tom Sawyer"(4分33秒)をアレンジしたものでした。 |
1.舩曳将仁監修、『トランスワールド・プログレッシヴ・ロック DISC GUIDE SERIES #039』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2009、p.32。 『ラッシュ その軌跡と栄光』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2021、pp.64-65。 |
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また4曲目から6曲目も、 "Cogs in Cogsr I - Dance"(4分11秒)、 "Cogs in Cogsr II - Song"(4分02秒)、 "Cogs in Cogsr III - Double Fugue"(4分31秒) の3部構成で、 Gentle Giant, The Power and the Glory, 1974(2) 6枚目のB面1曲目"Cogs in Cogs"(3分07秒)より、 |
2. 大鷹俊一監修、『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・プログレッシヴ・ロック』、音楽之友社、1999、p.85。 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.8、2001.2、p.9。 深見淳・松崎正秀監修、『UKプログレッシヴ・ロック メインストリーム・エディション〜The Golden Era』(THE DIG presents Disc Guide Series #017)、シンコーミュージック、2004、p.37。 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.24、2005.2、pp.99-106。 『ストレンジ・デイズ』、no.67、2005.4、「Gentle Gaint Albums」、p.59。 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.27、2005.11、pp.102-104。 『ストレンジ・デイズ』、no.119、2009.10、「Gentle Gaint Discs」、p.91。 →そこも参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15〜16世紀)」の頁の「おまけ」 |
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8曲目の "Vou correndo te encontrar / Racecar"(5分05秒) は Periphery, Periphery, 2010(3) 1枚目のラスト、12曲目、"Racecar"(15分23秒)から、歌詞はブラジル・ポルトガル語で、 |
3. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.46、2010.8、p.60。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そしてラストの12曲目は "Heaven : I - All Once. II - Life Seeker. III - Würm. IV - Epilogue : It Was a Dream but I Carry It Still" (10分07秒)と、4部構成なのですが、この内"II"と"III"は、 Yes, The Yes Album, 1971(4) 3枚目のA面3曲目"Starship Trooper"が原曲で、この曲自体 "a. Life Seeker" "b. Disillusion" "c. Würm""(9分23秒) の3部構成だったのですが、その(a)と(c)を抜粋したのでした。 |
4. 『イエス ストレンジ・デイズ11月号増刊 Artists & Disc File Series vol.1』、ストレンジ・デイズ、2003、p.62。 片山伸監修、『イエス・ファイル』(Artist File 14)、シンコーミュージック、2005、p.150。 『イエス プログレッシヴ・ロックの奇蹟』(文藝別冊 KAWADE夢ムック)、河出書房新社、2016、pp.218-219。 →あそこも参照:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」 |
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日本のバンドに戻って; ケンソー、『天鵞絨症綺譚』、2002(5) 7枚目の7曲目が「夢想用階段」、2分27秒、器楽曲(とはいえテープによるものか、人の声だか歌だかが奥でループします)。右の(5)に挙げた「 Interview KENSO 清水義央」によると、 「実際にスタジオの階段で出来た曲で、スタッフが来なくてスタジオに入れず、仕方ないからブズーキを出してチューニングして出来た曲なんですよ。だから曲名そのまま(笑)。そこからイメージを膨らませて直ぐにレコーディングしました」(p.61)。 |
5. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.13、2002.5.31、pp.60-62。 『天鵞絨症綺譚』から別の曲→こちらを参照;「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」 またケンソーに関して→そちらも参照:「近代など(20世紀〜) W」の頁の「おまけ」 |
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ちなみに、→ 「津の階段など」 < おまけ → 「怪奇城の階段」 < 「怪奇城閑話」 < 「古城と怪奇映画など」 |
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