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 →「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「ii. チベットなど」や「iii. ネパールなど」等の項も参照

iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など

華厳経』等 
梵網経』等 
蓮華蔵世界 
蓮華蔵世界の図像表現 
華厳経、蓮華蔵世界等各論 
華厳教学等 
華厳と美術等 
華開世界起〉、〈芥子納須弥 

 華厳経や華厳教学についてはじめて出くわしたのは、

 多田智満子、『鏡のテオーリア』、大和書房、1977、「第1部 鏡のテオーリア」中の「大円鏡」および「因陀羅網」(pp.83-100)

でした(多田智満子について→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁内)。
そこで華厳経からの引用として記された

 「過去劫が未来劫に入る」、「未来劫が過去劫に入る」(p.90)、

 「一本の毛の孔に十方の世界を見る」、「一微塵のなかに(あまね)く三世一切の仏刹を現ずる」(p.92)

などとともに(下掲の荒牧典俊訳『大乗仏典 8 十地経』のところのメモなど参照)、何より

 「その珠は無量にして算すべからず」、「乃至是の如く(こもご)も映じて重々に影現し、隠顕互に顕はれて重々無尽」の〈因陀羅網(
indra-jala)〉(p.93)、

 「交々相映ずる因陀羅網の無数の摩尼宝珠」(p.95。これは地の文ですが、p.93 での鉤括弧にくくられた上の引用二つの出典はどこなのでしょうか?)

のヴィジョンは、

・プローティーノスにおけるヌース界の〈各中全〉の光景(→こちらの2を参照:「ギリシア・ヘレニズム・ローマ Ⅱ」の頁の「x. 新プラトーン主義」)

・ライプニッツのモナドロジー(→そちらを参照:「バロックなど(17世紀)」の頁の「viii. ライプニッツなど」)、

・ブレイクのヴィジョン(→あちらを参照:「ロココ、啓蒙思想など(18世紀)」の頁の「v. ブレイクなど」)

などとそれこそ映じあい、他方否定的な相に転じれば、

・パスカルのダニ(→ここを参照:「バロックなど(17世紀)」の頁の「vi. 個々の著述家など Ⅱ」)



・光瀬龍『百億の昼と千億の夜』のラスト・シーン、

あるいは『鏡のテオーリア』 pp.62-63 でも言及される

・ボルヘスの〈アレフ〉(→そこを参照:「近代など(20世紀) Ⅳ」の頁の「xviii. 個々の著述家など - 海外Ⅰ(20世紀前半等)」)

に至るものと見なすことができるでしょう。
→「宙吊りの形相」、また「階段で怪談を」註8、→あそこ(「世界の複数性など」の頁)、また→あそこの2(「ギュスターヴ・モロー研究序説」[8]の頁の「Ⅲ 3 iv」第2段落)でも少し触れました。

また

・牧野修の〈柘榴界〉とも比較できるでしょうか→こなたを参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「牧野修」の項

・イブン=アラビーについて論じた 小野純一、「無限と超越 - 無を無化する唯一性の直観について」、2017.、とりわけ「2 無限の重ね合わせと超越」も参照

そなた(「マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡」の頁の「参考文献追補」の「おまけ」)で引いた

 久保智康、「顕密仏教における『鏡』という装置」、2009

また

 K.ウィルバー編、『空像としての世界 - ホログラフィをパラダイムとして』、1984/1985、pp.56-57

での引用も参照。

 そういえば

 小川美潮、
4 to 3、1991

ソロ第2作の1曲目、「デンキ」(5分57秒)では、

 「一秒は 永遠に
  永遠は 一瞬に」

と歌われていました。


 竹本健治、『闇に用いる力学 黄禍篇』、光文社、2021

に、

 「無限に拡大された万華鏡。その(きら)めきのひとつひとつにさらに遙かなひろがりが織りこまれている」

というくだりがありました(p.580)。その際描かれる出来事は、物語の中で何度も起こります。一つだけ挙げれば、

 「万華鏡の映像を拡大していくと、きらめき躍る小さな断片がまたひとつの万華鏡になっているという具合だった」

というくだりを含むのが、

 竹本健治、『闇に用いる力学 青嵐篇』、光文社、2021、p.489

でした。その出来事と必ずしも一致するわけではないのですが、

 「世界の中心に繋がりたい、世界の中心に手を届かせたい」(同上、pp.43-44)

といった言い回しも何度となく登場します。


 宝樹(バオシュー)、稲村文吾訳、「九百九十九本のばら」(2012)、稲村文吾・阿井幸作訳、『時間の王』、早川書房、2021、pp.181-240

中に

 「インドラ神の網を飾る宝玉の一つずつすべてが、ほかの無数の数珠(じゅず)を映しているというように」(p.238)

というそのものずばりのくだりがありました。


小説版の

 円城塔、『ゴジラ S.P〈シンギュラポイント〉』、集英社、2022

中に

 「それらの持つ多数の目が、どこかあちら側に広がる空に見いだすのは、天蓋をなす金色のレースのような構造物で、それは朝露に水滴をとどめる蜘蛛の巣のようでもあり、互いに互いを映し合う無数の球形の鏡よりなるビーズ編みのようでもあった」

とのくだりがありました(pp.244-245)。華厳系の因陀羅網のイメージとともに、

 宮沢賢治、「インドラの網」
 
中の

 「いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました」(宮沢賢治、『インドラの網』(角川文庫クラシックス み 1-8)、角川書店、1996、p.12)

なるくだりを連想させました。
 
………………………

 ともあれ、まず華厳経/華厳教学の概略については;

鎌田茂雄、上山春平、『仏教の思想 6 無限の世界観〈華厳〉』、角川書店、1969
華厳思想の本質(鎌田茂雄);華厳思想の形成 中国仏教の展開、「即事而真」思想の成熟、『華厳経』を信仰した人々、華厳思想を形成した人々/華厳思想成立の基礎 『華厳経』のめざすもの、荘子より華厳へ、仏教思想よりみた華厳の位置、深まりゆく心/華厳思想の至境 真理の領域、融通無礙はなぜ可能か、現象円融論、仏の生命/華厳思想の役割 悟りへの道、華厳より禅へ、思想史における役割//
『華厳経』の特徴〈鼎談〉(塚本善隆、鎌田茂雄、上山春平)//
華厳思想への道(上山春平);仏教思想との出会い/大乗仏教の観点/仏教思想の現代的再構成/仏教と現代哲学/西田哲学から華厳思想へ/三界唯心の思想/十地品の位置づけ/三界唯心思想の位置づけなど、
284ページ。

 なお本書は文庫化されているはずです(未見)。

 さて、『華厳経』ですが;

江部鴨村訳、『口語全訳 華厳経』、全2巻、国書刊行会、2006、1141/1223ページ

 江部鴨村訳『全訳 華厳経』(上巻1934、下巻1935、篠原書店)の改題復刻版とのことですが、価格が45,875円とあって、未見です。

 というわけで手もとにあるのは漢文訓み下し;

衞藤卽應譯、『國譯大蔵經 經部 第五巻』、第一書房、1974(復刻版)
原著は1917。

 佛駄跋陀羅覚賢が訳した『六十華厳』(晋経)による。

大方廣佛華嚴經解題(衞藤卽應)/國譯大方廣佛華嚴經/漢譯原文、
820ページ。
 細目・索引なし、脚註あり。
巻の第一;世間淨眼品第一の一/巻の第二;世間淨眼品第一の二/巻の第三;廬舎那佛品第二の一/巻の第四;廬舎那佛品第二の二/如來名號品第三/巻の第五;四諦品第四/如來光明覺號品第五/巻の第六;菩薩明難品第六/淨行品第七/賢首菩薩品第八の一/巻の第七;賢首菩薩品第八の二/巻の第八;佛昇須彌頂品第九/菩薩雲集妙勝殿上説偈品第十/菩薩十住品第十一/梵行品第十二/巻の第九;初發心菩薩功徳品第十三/巻の第十;明法品第十四/巻の第十一;佛昇夜摩天宮自在品第十五/夜摩天宮菩薩説偈品第十六/功徳華聚菩薩十行品第十七の一/巻の第十二;功徳華聚菩薩十行品第十七の二/巻の第十三;菩薩十無盡蔵品第十八/如來昇兜率天宮一切寶殿品第十九の一/巻の第十四;如來昇兜率天宮一切寶殿品第十九の二/兜率天宮菩薩雲集讃佛品第二十/巻の十五;金剛幢菩薩囘向品第二十一の一/巻の十六;金剛幢菩薩囘向品第二十一の二

衞藤卽應譯、『國譯大蔵經 經部 第六巻』、第一書房、1974(復刻版)
巻の十七;金剛幢菩薩囘向品第二十一の三/巻の十八;金剛幢菩薩囘向品第二十一の四/巻の十九;金剛幢菩薩囘向品第二十一の五/巻の二十;金剛幢菩薩囘向品第二十一の六/巻の二十一;金剛幢菩薩囘向品第二十一の七/巻の二十二;金剛幢菩薩囘向品第二十一の八/巻の二十三;金剛幢菩薩囘向品第二十一の九/十地品二十二の一/巻の第二十四;十地品二十二の二/巻の第二十五;十地品二十二の三/巻の第二十六;十地品二十二の四/巻の第二十七;十地品二十二の五/巻の第二十八;十地品二十二の六/巻の第二十九;十明品二十三/十忍品二十四の一/巻の三十;十忍品二十四の二/心王菩薩問阿僧祇品第二十五/巻の第三十一;壽命品第二十六/菩薩住處品第二十七/佛不思議法品第二十八の一/巻の第三十二;佛不思議法品第二十八の二/巻の第三十三;如來相海品第二十九/佛小相光明功徳品第三十/巻の第三十四;普賢菩薩行品第三十一/寶王如來性起品第三十二の一/巻の第三十五;寶王如來性起品第三十二の二/巻の第三十六;寶王如來性起品第三十二の三/巻の第三十七;寶王如來性起品第三十二の四/離世間品第三十三の一/巻の第三十八;離世間品第三十三の二/巻の第三十九;離世間品第三十三の三など、
856ページ。


衞藤卽應譯、『國譯大蔵經 經部 第七巻』、第一書房、1974(復刻版)
巻の第四十;離世間品第三十三の四/巻の第四十一;離世間品第三十三の五/巻の第四十二;離世間品第三十三の六/巻の第四十三;離世間品第三十三の七/巻の第四十四;離世間品第三十三の八/巻の第四十五;入法界品第三十四の一/巻の第四十六;入法界品第三十四の二/巻の第四十七;入法界品第三十四の三/巻の第四十八;入法界品第三十四の四/巻の第四十九;入法界品第三十四の五/巻の第五十;入法界品第三十四の六/巻の第五十一;入法界品第三十四の七/巻の第五十二;入法界品第三十四の八/巻の第五十三;入法界品第三十四の九/巻の第五十四;入法界品第三十四の十/巻の第五十五;入法界品第三十四の十一/巻の第五十六;入法界品第三十四の十二/巻の第五十七;入法界品第三十四の十三/巻の第五十八;入法界品第三十四の十四/巻の第五十九;入法界品第三十四の十五/巻の第六十;入法界品第三十四の十六など、
824ページ。

 實叉難陀三藏による『八十華厳』(唐経)の國譯は;

衞藤卽應譯、『國譯一切經 華嚴部 一 大方廣佛華嚴經 一』、大東出版社、1929
大方廣佛華嚴經解題(衞藤卽應)/大方廣佛華嚴經、
366ページ。
 細目目次、索引つき。
世主妙嚴品第一(巻の第一・二・三・四・五)/如來現相品第二(巻の第六)/普賢三昧品第三(巻の第七)/世界成就品第四(同)/華藏世界品第五(巻の第八・九・十)/毘盧遮那品第六(巻の第十一)/如來名號品第七(巻の第十二)/四聖諦品第八(同)/光明覺品第九(巻の第十三)/菩薩問明品第十(同)/淨行品第十一(巻の第十四)/賢首品第十二(同・第十五)/昇須彌山頂品第十三(巻の第十六)/須彌頂上偈讃品第十四(同)/十住品第十五(同)/梵行品第十六(巻の第十七)/初發心功徳品第十七(同)/明法品第十八(巻の第十八)/昇夜摩天宮品第十九(巻の第十九)/夜摩宮中偈讃品(同)/十行品第二十一(同・第二十)/十無盡藏品第二十二(巻の第二十一)

衞藤卽應譯、『國譯一切經 華嚴部 二 大方廣佛華嚴經 二』、大東出版社、1930
昇兜率天宮第二十三(巻の第二十二)/兜率天中偈讃品第二十四(巻の第二十三)/十廻向品第二十五之 一(同)/十廻向品第二十五之 二(巻の第二十四)/十廻向品第二十五之 三(巻の第二十五)/十廻向品第二十五之 四(巻の第二十六)/十廻向品第二十五之 五(巻の第二十七)/十廻向品第二十五之 六(巻の第二十八)/十廻向品第二十五之 七(巻の第二十九)/十廻向品第二十五之 八(巻の第三十)/十廻向品第二十五之 九(巻の第三十一)/十廻向品第二十五之 十(巻の第三十二)/十廻向品第二十五之 十一(巻の第三十三)/十地品第二十六之 一(巻の第三十四)/十地品第二十六之 二(巻の第三十五)/十地品第二十六之 三(巻の第三十六)/十地品第二十六之 四(巻の第三十七)/十地品第二十六之 五(巻の第三十八)/十地品第二十六之 六(巻の第三十九)/十定品第二十七之 一(巻の第四十)/十定品第二十七之 二(巻の第四十一)/十定品第二十七之 三(巻の第四十二)/十定品第二十七之 四(巻の第四十三)/十通品第二十八(巻の第四十四)/十忍品第二十九(同)/阿僧祇品第三十(巻の第四十五)/如來壽量品第三十一(同)など、
400ページ。


衞藤卽應譯、『國譯一切經 華嚴部 三 大方廣佛華嚴經 (三)』、大東出版社、1931
佛不可思議法第三十三之一(巻の第四十六)/佛不可思議法第三十三之二(巻の第四十七)/如來十身相海品第三十四(巻の第四十八)/如來随光明功徳品第三十五(巻の第四十八)/普賢行品第三十六(巻の第四十九)/如來出現品第三十七之一(巻の第五十)/如來出現品第三十七之二(巻の第五十一)/如來出現品第三十七之三(巻の第五十二)/離世間品第三十八之一(巻の第五十三)/離世間品第三十八之二(巻の第五十四)/離世間品第三十八之三(巻の第五十五)/離世間品第三十八之四(巻の第五十六)/離世間品第三十八之五(巻の第五十七)/離世間品第三十八之六(巻の第五十八)/離世間品第三十八之七(巻の第五十九)/入法界品第三十九之一(巻の第六十)/入法界品第三十九之二(巻の第六十一)/入法界品第三十九之三(巻の第六十二)/入法界品第三十九之四(巻の第六十三)/入法界品第三十九之五(巻の第六十四)/入法界品第三十九之六(巻の第六十五)/入法界品第三十九之七(巻の第六十六)/入法界品第三十九之八(巻の第六十七)/入法界品第三十九之九(巻の第六十八)/入法界品第三十九之十(巻の第六十九)など、
420ページ。


衞藤卽應譯、『國譯一切經 華嚴部 四 大方廣佛華嚴經(四)外四經』、大東出版社、1932
大方廣佛華嚴經 入法界品第三十九之十一(巻の第七十)/入法界品第三十九之十二(巻の第七十一)/入法界品第三十九之十三(巻の第七十二)/入法界品第三十九之十四(巻の第七十三)/入法界品第三十九之十五(巻の第七十四)/入法界品第三十九之十六(巻の第七十五)/入法界品第三十九之十七(巻の第七十六)/入法界品第三十九之十八(巻の第七十七)/入法界品第三十九之十九(巻の第七十八)/入法界品第三十九之二十(巻の第七十九)/入法界品第三十九之二十一(巻の第八十)//
佛説菩薩本業經解題/佛説菩薩本業經;願行品第一/十地品第二//
佛華嚴入如來徳智不思議境界經解題/佛華嚴入如來徳智不思議境界經(全二巻)//
大方廣佛華嚴經不思議佛境界分解題/大方廣佛華嚴經不思議佛境界分//
佛説荘嚴菩提心經解題/佛説荘嚴菩提心經など、
276ページ。

………………………

 もともと独立した経典だったもの、サンスクリット語写本のあるものなどで、現代語訳されているのが;

荒牧典俊訳、『大乗仏典 8 十地経』(中公文庫 S 48 8)、中央公論新社、2003
原著は1973/1980。
序章/巻一 「歓喜にあふれる」菩薩の地/巻二 「垢れをはなれた」菩薩の地/巻三 「光明であかるい」菩薩の地/巻四 「光明に輝く」菩薩の地/巻五 「ほんとうに勝利しがたい」菩薩の地/巻六 「真理の知が現前する」菩薩の地/巻七 「はるか遠くにいたる」菩薩の地/巻八 「まったく不動なる」菩薩の地/巻九 「いつどこにおいても正しい知恵のある」菩薩の地/巻十 「かぎりない法の雲のような」菩薩の地/終章 この経の委嘱など、
430ページ。


 サンスクリット語写本からの訳。
 「巻三 『光明であかるい』菩薩の(くらい)」の中で無色界の禅定について述べられたり(pp.108-109)、「巻八 『まったく不動なる』菩薩の地」で、

「かぎりなく大きい仏国土を変じて微小であるように変現させ、微小なるものを変じてかぎりなく大きいように変現させる」(p.238)

とのくだり、同様に「巻十 『かぎりない法の雲のような』菩薩の地」に、

「如意なるままに、狭小な世界を変じて広大なものにすることも、自由自在である。
広大な世界を変じて狭小なものにすることも、自由自在である」(p.335)、

「如意なるままに、一つの原子の微粒子のなかに一つの世界をそっくりそのまま、まわりをとりま鉄囲山もろとも入れてしまうことも、自由自在である。そうしたからといって、その原子の微粒子を膨張させるわけでもなく、そのはたらきを他のひとびとに気づかせるわけでもない。
 そして、一つの原子の微粒子のうちに、二つ、三つ、四つ、五つ、乃至もはや言葉では言えないほど無数の世界をも、そっくりそのまま、まわりをとりまく鉄囲山もろとも入れてしまうことも、自由自在である」(p.336)

といったくだりが見られます。なお上の二つの文の間には、

「広大無辺なものであれ、かぎりなく大なるものであれ、無量無辺なものであれ、玄妙なものであれ、粗大なものであれ、左右逆倒しているものであれ、上下転倒しているものであれ、平面になっているものであれ、あらゆる世界を、無限に多様なしかたで実現することも、自由自在である」(pp.335-336)

とのくだりがはさまっていました。少し下の→こちらも参照。また同じ章には(以下適宜改行)、

「かの菩薩は、つぎのような諸如来のもとなるさまざまな劫のあいだの相互交入の知を、あるがままに如実にさとる。すなわち、
一劫に無数劫がはいること、
無数劫に一劫がはいること、
有数劫に無数劫がはいること、
無数劫に有数劫がはいること、
瞬間に劫がはいること、
劫に瞬間がはいること、
劫に劫ならざる時がはいること、
劫ならざる時に劫がはいること、
仏のいます劫に仏なき劫がはいること、
仏なき劫に仏のいます劫がはいること、
過去の劫に未来と現在の劫がはいること、
現在の劫に過去と未来の劫がはいること、
長い劫に短い劫がはいること、
短い劫に長い劫がはいること、
あらゆる劫にあらゆる思惟されるものがはいること、
あらゆる思惟されるものにあらゆる劫がはいること、
というような種々さまざまな無量無辺にして無数の劫のあいだの相互交入をすべて、あるがままに如実にさとる」(p.327)

とのくだりが見られました。

高崎直道訳、「華厳経如来性起品」、『大乗仏典 12 如来蔵系経典』、中央公論社、1975、pp.127-281
序章/如来出現の法門-総序/如来出現の原因-如来出現の第一相/如来の身-如来出現の第二相/如来の音声-如来出現の第三相/如来の心-如来出現の第四相/仏の知恵の対象-如来出現の第五相/如来の活動領域-如来出現の第六相/如来の明らかなさとり-如来出現の第七相/如来の転法輪-如来出現の第八相/如来の偉大なる死-如来出現の第九相/如来の見聞供養によって善根を生むこと-如来出現の第十相/結び

 チベット語訳からの和訳。
 他に
『如来蔵経』、『不増不減経』、『勝鬘経』、『智光明荘厳経』所収、
全428ページ。
 本書も上の『大乗仏典 8 十地経』と同じく、文庫化されているはずです。

 すっかり忘れていたのですが、如来出現の相を説くにあたって、さまざまな比喩が持ちだされ、その際しばしば、宇宙論-成劫や壊劫にまつわるイメージが用いられています。たとえば、

「3 如来出現の原因 - 如来出現の第一相」の「第一の比喩」から「第十の比喩」では、三千大山世界成立時の風輪や大雲雨などについて(pp.142-156)、

「5 如来の音声 - 如来出現の第三相」の「第一の比喩」では、壊劫における「四種の大音声」について(pp.187-188)、
といった按配です。

 また「6 如来の心 - 如来出現の第四相」の第十の比喩」には、次のくだりがありました;

「三千大山世界と等量なる大画布(経巻)があったとしよう。…(中略)…この三千大山世界ほどもある広さをもった同じ大画布が、極小なる一原子の粒子のなかに収められてしまう」(pp.224-225)。

岩本裕、『佛教聖典選 第五巻 大乗経典(三)』、読売新聞社、1976
解題;『華厳経』入法界品/『華厳経』と『入法界品』/五十四善知識とその分類/五十四善知識の地理/『普賢行願讃』/本書における特殊な訳語について//
茎の美事な景観;ジェータ=ヴァナにおける神変/スダナ童子の善知識訪問/普賢行願讃など、
358ページ。


 華厳経(入法界品)抄。サンスクリット語写本からの訳。
 「『ジェータ=ヴァナにおける神変』と文殊・普賢菩薩の登場を述べる前段と、
 後段からは(1)-(9)、(11)、(26)-(28)、(419と(42)の十五人の善知識を訪問する条と、
 末尾の『普賢行願讃』との訳を収めた」(p.15)。
 この他、部分的に割愛された箇所があります(p.39、p.95、p.145、p.163、p.189、p.315 など)。


 『入法界品』のサンスクリット語写本からの邦訳として;


丹治昭義訳、『さとりへの遍歴 ― 華厳経入法界品』(上下巻)、中央公論社、1994、453/465ページ

 があるとのことですが、未見。
 
追補:ありがたいことに文庫化されました;

梶山雄一・丹治昭義・津田真一・田村智淳・桂紹隆訳、『梵文和訳 華厳経入法界品』(上中下巻)(岩波文庫 青 345-1~3)、岩波書店、2021
上巻;凡例/善財童子が歴訪する善知識たち/訳語について//
序章 華厳世界の展開、普賢菩薩 - 獅子奮迅三昧の解説、文殊菩薩と善財童子の出会い/メーガシュリー比丘/サーガラメーガ比丘/スプラティシュティタ比丘/ドラヴィア人メーガ/ムクタカ長者/サーラドヴァジャ比丘/アーシャー優婆夷/ビーシュモーッタラ・ニルゴーシャ仙/ジャヨーシュマーヤタナ婆羅門/マイトラーヤニー童女/スダルシャナ比丘/インドリエーシュヴァラ童子/プラブーター優婆夷/ヴィドヴァーン家長/有徳の長者ラトナチューダ/香料商サマンタネートラ/アナラ王//
解説(梶山雄一)など、
360ページ。


中巻;マハープラバ王/アチャラー優婆夷/遊行者サルヴァガーミン/香料商ウトパラブーティ/船頭ヴァイラ/ジャヨーッタマ長者/シンハヴィジュリンビター比丘尼/遊女ヴァスミトラー/ヴェーシュティラ長者/観世音菩薩/アナニヤガーミン菩薩/マハーデーヴァ神/大地の女神スターヴァラー/第一の夜の女神ヴァーサンティー/第二の夜の女神/第三の夜の女神/第四の夜の女神/第五の夜の女神/第六の夜の女神/第七の夜の女神/第八の夜の女神//
解説(梶山雄一)など、
426ページ。


下巻;ルンビニーの森の女神/シャカ族の女ゴーパー/菩薩の母マーヤー王妃/天の娘スレーンドラーバー/ヴィシュヴァーミトラ童師/長者の子シルパービジュニャ/バドローッタマー優婆夷/金細工師ムクターサーラ/スチャンドラ家長/アジタセーナ家長/シヴァラーグラ婆羅門/シュリーサンバヴァ童子とシュリーマティ童女/弥勒菩薩/文殊菩薩/普賢菩薩 - 普賢行の誓願//
 解説(桂紹隆)はじめに/華厳思想と現代物理学/法界と神変/宝石の世界と力・富・女性/あとがきなど、
394ページ。


 上巻・中巻の「解説」(梶山雄一)は→こちらに収録:本頁内、『梶山雄一著作集 第三巻 神変と仏陀観・宇宙論』(2012)より

 「序章」の「2 普賢菩薩 - 獅子奮迅三昧の解説」中の「菩薩の百種類の三昧」の内、(91)として、

「インドラの網[
因陀羅網(いんだらもう)]によって衆生界を摂取するという誓願と修行の威神力を揮う菩薩の三昧」(上巻、p.100)

とあり、「インドラの網」に訳注25を附して、

「(25) 『インドラの網』は、華厳教学では、その網の結び目につけられた宝珠が相互に他の結び目の宝珠の影像を自分の中に映し合って『重々無尽』であることを示すが、その思想はこの経典では未だ熟していないようである。インドでは普通は『幻術』を意味するが、ここでは衆生界を包む網というのが直接的な意味のようである」(上巻、p.332)

と記されていました。「この経典」というのは、『華厳経』全体ではなく、もともと独立した経典だったという『入法界品』を指すととっておいていいのでしょうか。
 ともあれ、〈インドラの網〉の語は、本訳書中、上巻 p.112(「幻術[
帝網(たいもう)]」)、p.262(「幻術[帝釈網(たいしゃくもう)]」)、p.270(「幻術[因陀羅網]」)、p.325(「インドラの網[帝網]」)、下巻 p.67(「幻術[因陀羅網(いんだらもう)]」)、p.302(「インドラの網[因陀羅網]」)などで見られましたが、いずれも〈幻術〉を意味するようです。
 また下巻 pp.264-265 では、〈菩提心〉を列挙する、その(118)として、

「煩悩のアスラを誘引するからインドラの網[
因陀羅網(いんだらもう)]であり」

に続いて、

「(119)教化されるべき者を誘引するから(司法神)ヴァルナの捕縛であり」(同 p.264)、

をはさんで、

「(120)すべての
薫習(くんじゅう)や煩悩の余習や煩悩を焼き尽くすからインドラの火[因陀羅火]であり」(同上)

と、対をなすかのような言い方が見受けられます。


 ちなみに、上掲の荒牧典俊訳『大乗仏典 8 十地経』(1973/1980、中公文庫、2003)中の「第一 『歓喜にあふれる』菩薩の地」には、

「あるいは相互交入して『
帝釈天(たいしゃくてん)の網』のようになった十方のきわめて種々多様な諸世界」(p.48)

というくだりがありました。重々無尽のヴィジョンは成立しているようですが、インドラの網の具体的な姿はわからない。


 またすぐ下に挙げる鎌田茂雄『華厳経物語』(1991)中の「浄心の功徳 - 賢首菩薩品」の章には、「十種の三昧門」の第三として、「因陀羅網(いんだらもう)三昧門」が挙げられています(p.91)。残念ながらこの三昧門の説明は省かれているので、上掲の国訳六十華厳(左)および同八十華厳(右)に当たると(適宜漢字を現在のものに換えたり改行したりしています);
衞藤卽應譯『國譯大蔵經 經部 第五巻』(1917/1974)、p.219/299 衞藤卽應譯『國譯一切經 華嚴部 一 大方廣佛華嚴經 一』(1929)、p.212/228
或は微塵の諸の三昧に入り、
一三昧は塵に等しき定を生ず。
一塵の内に無量の刹を現じ、
而も彼の微塵亦増さず、
一塵内の刹に佛有ますことを現じ、
或は刹有りて佛無まさざることを現じ、
或いは刹有りて浄不浄なるを現じ、
或は大刹及び中下を現じ、
或は刹の伏し、住し、
或は随順し、或は野馬、
或は四方の如きあり。
或は国土有り 天の網の如く、
世界の成敗現せざること無し、
一微塵の示現する所の如く、
一切の微塵も亦是の如し。
是を三昧の自在力と名け、
亦無量称の解脱力という
一微塵の中に三昧に入りて
一切の微塵の定を成就し
而も彼の微塵も亦増さず
一に於て普く難思の
(くに)を現ず、
彼の一塵の内に衆多の刹あり
或は有佛有り 或は無佛あり
或は雑染有り 或は清浄なるあり
或は広大なる有り 或は狭小なるあり、
或は復成有り 或は壊有り
或は正住有り 或は傍住あり
或は曠野の熱時の焔の如く
或は天上の
因陀網(いんだもう)の如し、
或は一塵の中に示現する所の如く
一切の微塵にも悉く亦然なり
此れ大名称の諸の聖人の
三昧解脱神通の力なり
 やはり極小の中に極大が映じるというヴィジョンを認めることはできそうですが、インドラの網自体の具体的な描写は含まれていません。

 また下掲の鎌田茂雄『華厳五教章 佛典講座 28』(1979)では〈因陀羅網〉に脚註して(以下適宜改行)、
「『華厳経』に説くほか、四巻『楞伽経』巻一には

『 云何日月形
 須弥及蓮華
 師子勝相刹
 側住覆世界
 如因陀羅網』(大正16・481中)

とある」と記していました(p.93)。


 梵文和訳『入法界品』に戻ると、「第51章 弥勒菩薩」には、

「(この大楼閣は)劫の一つにすべての劫を入れ、すべての劫に一つの劫を入れる境地にいる人々(の精舎です)」(下巻、p.218)、

「また、その大楼閣の内部に、それとは別の、それと同じ様相の荘厳によって飾られた(楼閣)、(即ち)無数の宝石の傘蓋、幡、幡で飾られ、乃至、無数の功徳と色を完備した装飾を具えた幾百千もの楼閣を見…(後略)…」(下巻、p.291)、

「また毘盧遮那荘厳藏という大楼閣の中央に、より大きくより広い、それ以外のすべての楼閣の残りなきすべての荘厳をはるかに凌駕した荘厳に飾られた一つの楼閣を見た。彼はその楼閣の内部に三千大山世界を見…(後略)…」(下巻、p.298)、

「またそれらの円鏡の表面に、無量の影像(ようぞう)の荘厳が現れるのを見た」(下巻、p.301)、

「…(前略)…その瞬時を幾多の百千コーティ・ノユタ劫の期間と思う。たとえばあらゆる世界の至上の荘厳の藏(荘厳藏)という大梵天の大住宅があり、その中にすべての三千大山世界が影像の有り方で、すべての事物と混じり合わずに視界に現れるとしよう」(下巻、p.310)

といった描写が見られます。

 「第53章 普賢菩薩」より;

「普賢菩薩の一々の肢体から、…(中略)…風輪、(水輪、)地輪、火輪とともに、…(中略)…昼夜、半月、一月、年、中間劫、劫とともにこの三千大山世界が(化現するのを見た)。
 …(中略)…さらに、この娑婆世界に、過去の果てに属するいかなる世界の連綿たる連なりがあるにせよ、そのすべてもまた、普賢菩薩の一々の大丈夫の相から、一切の仏の出現、一切の菩薩の説法会、衆生たち、宮殿、昼夜、劫とともに(化現するのを)見た。同様に、未来の果てに属する仏国土の広がり(が化現するの)を見た。
 また、この娑婆世界において、過去の果てに至るまでに属するあらゆる世界の連なりを見るように、十方の一切世界において、過去の果てに至るまでに属するあらゆる世界の連なりが、普賢菩薩の身体から、一々の大丈夫の相から、一々の毛孔から、みごとに分かれ出て、互いに錯綜せずに(化現するのを)見た」(下巻、pp。332-333)。

 少し戻って「第41章 菩薩の母マーヤー王妃」では、

「また私の胎は虚空界のように広大となりましたが、しかし同時に人間の身体の大きさを超えることはなかったのです」(下巻、p.156)、

「しかし私のこの胎が、それほど多くの会衆(えしゅ)を受け入れることによって、大きくなったわけでもなく、あるいは私のこの身体があの通常の人間の身体とは特別に異なったものとなっていたわけでもありません」(下巻、pp.157-158)、

「しかし、私のこの身体が一つ以上に分かれたのでもなく、また一つのままで分かれないのでもありません。私の身体は、一の状態のままだったのでもなければ、多の状態になったのでもありません」(下巻、p.158)

等と述べたマーヤー王妃は、

「同様に私は、周辺も中央もない過去の如来たちの生母でもありました。(過去世の修行によって)この世に化生する菩薩が蓮華の中に生まれるとき、そのときは私は蓮池の女神となって、菩薩を受け入れます」(下巻、p.158)

と宣言します。
 楼閣であれ人であれ、相即相入のヴィジョンは繰り返し詠われるものの、やはりインドラの網の具体的な相とは関連づけられないままです。

 「序章」の「1 華厳世界の展開」中の「神変が見えない声聞たち」で、
「シャクラ[
帝釈天(たいしゃくてん)の住居であるスダルシャナ[善見大城]」
が描写される箇所がありますが(上巻、p.67)、そこにはインドラの網は登場しません(上巻、p.205、中巻、p.142、p.83、p.86 も参照)。善見城については、「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大山世界/四大劫・六十四転大劫」の各論のところで挙げた(→こちら)、
 外村中、「帝釋天の善見城とその園林」、2009
も参照ください。主に『立世論』によりつつ細部が詳しく記されますが、しかしインドラの網はやはり出てきません。

 また「第7章 アーシャー優婆夷」での「十百千の大きな宝石の網」(上巻、p.218)や、「第15章 有徳の長者ラトナチューダ」での「如意宝珠がちりばめられた黄金の網」(上巻、p.302)をはじめとして、宮殿楼閣を装飾するさまざまな宝石や「網」があちこちで記されますが、〈重々無尽〉の映現は見られないようです。
 なお下巻の「解説」(桂紹隆)によると、華厳経における宝石を扱ったフィリス・グラノフの論考があるとのことでした(下巻、pp.372-374)。またすぐ上で挙げた外村論文でも挙げられているように、こうした描写は『華厳経』にかぎらず、『無量寿経』、『阿弥陀経』、『観弥勒上生兜率経』などにも見られます(pp.4-5)。


 この他、〈インドラの網〉とは別に、上で引いた荒牧典俊訳『大乗仏典 8 十地経』(1973/1980、中公文庫、2003)の「あるいは相互交入して『帝釈天(たいしゃくてん)の網』のようになった十方のきわめて種々多様な諸世界」(p.48)のところで、「諸世界」に訳注42が附され、

「42 第八地(259ページ以下)や第九地(335ページ)にも、同様な世界についての記述が見られる」
と記されています。前者はもう一つよくわからないのですが、

「彼らひとりひとりの国土の本性である身体が、狭小であることをさとる。広大であること、無量無辺であること、垢れていること、浄らかであること、凸凹していること、彎曲していること、平面であること、他者の国土と相互に属しあっていること、さまざまな方向にひろがっていることをさとる」(.260)

というくだりあたりを指すのでしょうか。後者からは、上のこの本のところで(→こちら

「左右逆倒しているものであれ、上下転倒しているものであれ、平面になっているものであれ、あらゆる世界」(p.335)

という言い回しに触れましたが、上に引いた〈因陀羅網三昧門〉とともに、梵文和訳『入法界品』でも、「転倒した[不平坦]世界」、「逆倒した[覆]世界」(「第10章 マイトラーヤニー童女」、上巻、p.262)といった形容が見られます。 「第34章 第四の夜の女神」でも、

「そのすべての微塵の中の一々の微塵において、仏国土の微塵の数に等しい世界が生成し」(中巻、p.213)

とあるのに続いて、

「さらに、(善財は)それらの世界の多様性を見た。…(中略)…ある(世界)は地平が平坦であり、ある(世界)は基礎が上下転倒しており、ある(世界)は形が左右逆転している(のを見た)」(中巻、p.214)

と記されます。
 諸世界の形状の多様性に関する列挙は、決まり文句の域を出ないのかもしれませんが、なかなかに興味深い。
 すぐ下に掲げた中村元、『「華厳経」「楞伽経」 現代語訳 大乗仏典 5』(2003)でも、六十巻本「盧舎那仏品」から次の文を引用しています;

 「仏子よ、諸の世界海に種種の形あり。或は方、或は円、或は方円に非ず、或は水の洄澓(かいふく)するが如く、或は(また)華の形の如く、或は種種の衆生の形をなす者あり」(pp.33-34。国訳では衞藤卽應譯『國譯大蔵經 經部 第五巻』(1917/1974)、p.86/166)

本頁下の→そちらでも触れました


 「第7章 アーシャー優婆夷」や「第12章 インドリエーシュヴァラ童子」には、巨大な数を列挙する箇所が含まれています(上巻 pp.225-228、同 pp.275-278)。下掲の鎌田茂雄、『華厳の思想』(1983/1988)によると、

「数理哲学の
末綱恕一(すえつなじょいち)博士が、数理哲学によってこの華厳を応用した説を前に発表されていた」

とのことです(p.88)。下掲の
 末綱恕一、『華厳経の世界』、1957、pp.134-145:「第2篇第7章 華厳の数論」
とは別にあるのでしょうか?
すぐ下の
 鎌田茂雄、『華厳経物語』(1991)中の「無限の数と寿命 - 心王菩薩問阿僧祇品」の章、
またやはり下掲の
 兒山敬一、「華嚴經・如來光明覺品の數理 - その方法論的な序説 -」、1961
 兒山敬一、「華嚴經における數理的なもの(二)」、1962
 平嶋秀治、「華嚴經における大数について」、2000.
 望月海慧、「『華厳経』「阿僧祇品」「入法界品」に説かれる算法について」、2008
なども参照。


 「第27章 観世音菩薩」中には、

「さて、そのとき、アナニヤガーミン[
正趣(しょうしゅ)]という名の菩薩が東方から天穹を通って、娑婆(しゃば)世界の鉄囲山(てっちせん)の山頂に降り立った」(中巻、pp.123-124)

という文がありました。

 また「第34章 第四の夜の女神」では;

「その毘盧遮那威徳吉祥世界の東、鉄囲山の続きに、ラトナ・クスマ・プラディーパ・ドヴァジャー[宝燈華幢]という四大州があります」(中巻、p.223)。

 「第37章 第七の夜の女神」から;

「その世界海には、大地と山の微塵の数に等しい世界が広がっていることが明らかにされます。そのように広がった世界の一々には、世界系譜[世界種]の微塵の数に等しい世界があることが明らかにされます。そして、その世界系譜の一々には、世界の微塵の数に等しい劫があることが明らかにされます。そして、その劫の一々には、種々の連続した劫があることが明らかにされます。そして、連続した劫の一々には、種々の世界の差異が明らかにされ…(後略)…」(中巻、p.320)。

 同じ章から;

「水に浸された大地は、そのとき、そのすべてが平坦となりました」(中巻、p.341)。


 「第44章 長者の子シルパービジュニャ」には、

「私が字母表を
読誦(どくじゅ)するとき、(1)ア音の文字(a)を唱えると、菩薩の威神力により、純一無雑(じゅんいつむぞう)の境界[無差別境界]という般若波羅蜜門(はんにゃはらみつもん)に悟入する」(下巻、p.176)

とあり、以下「ラ(ra)字」、「パ(pa)字」……と全「42文字門」(下巻、p.355、訳注:第44章(1))が列挙されます。

中村元、『「華厳経」「楞伽経」 現代語訳 大乗仏典 5』、東京書籍、2003
はしがき//
真理の世界 - 『華厳経』(一)/菩薩行の強調 - 『華厳経』(二)/
善財童子の求道 - 『華厳経』(三);善財童子が道を求める/〈さとりを求める心〉/晋訳『華厳経』のめざすもの - 六十巻本の末尾の偈/「普賢菩薩行願讃」 - 四十巻本の末尾の偈/
唯心の実践 - 『楞伽経』//
付録 特論 人類の思想史の流れにおける『華厳経』//
あとがき(堀内伸二)など、
262ページ。


 通しの翻訳ではなく、選ばれた文章ごとに書き下し文や解説をつける形。『華厳経』(一)は主に六十巻本「盧舎那仏品」から+八十巻本「世界成就品」、(二)は主に「十地品」、(三)は「入法界品」まら。
 特論ではプローティーノス、プロクロス、エックハルト、ライプニッツなどが言及されます。

………………………

 なお、『華厳経』全体の概観として;

鎌田茂雄、『華厳経物語』、大法輪閣、1991
砂漠のオアシスに花開いた華厳経/讃仏の歌 - 世間浄眼品/世界の荘厳 - 盧舎那仏品/無辺の光明 - 如来名号品・四諦品・如来光明覚品/無礙の境界 - 菩薩明難品/生活のなかの仏教 - 浄行品/浄心の功徳 - 賢首菩薩品/清浄なる梵行 - 仏昇須弥頂品・妙勝殿上説偈品・菩薩十住品・梵行品/初発心の功徳 - 初発心菩薩功徳品・明法品/唯心の風光 - 仏昇夜摩天宮自在品・夜摩天宮菩薩説偈品/無人の宝蔵 - 功徳華聚菩薩十行品・菩薩十無尽蔵品/無量の廻向 - 如来昇天兜率天宮一切宝殿品・兜率天宮菩薩雲集讃仏品・金剛幢菩薩廻向品/歓喜の妙道 - 十地品(Ⅰ)/甘露の法雨 - 十地品(Ⅱ)/華厳力の発揚 - 十明品・十忍品/無限の数と寿命 - 心王菩薩問阿僧祇品/文殊菩薩の聖地・五台山 - 菩薩住処品/如来の光明 - 仏不思議法品・如来相海品・仏小相光明功徳品/普賢の行願 - 普賢菩薩行品/如来の出現 - 宝王如来性起品/清涼の心水 - 離世間品/善財王子の求道 - 入法界品(Ⅰ)/唯一の法門 - 入法界品(Ⅱ)/無限の求道 - 入法界品(Ⅲ)など、
292ページ。


  「無限の数と寿命 - 心王菩薩問阿僧祇品」に関し→こちらで挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ
………………………

 『華厳経』における〈蓮華蔵世界〉に関連するものとして、『梵網経』の〈蓮華台蔵世界〉が挙げられます(『梵網経』に二種あり、一は阿含経典、もう一つは大乗菩薩戒を説いた中国成立の偽経とされるもので、ここでは後者)。
 『梵網経』に関しては;


石田瑞麿、『梵網經 佛典講座 14』、大蔵出版、1971
序論;『梵網経』の偽撰と成立年代について/『梵網経』と他経典との関係/『梵網経』の流布/梵網戒と菩薩精神//
本論;序説/十重四十八軽戒/結文など、
304ページ。

 本書で扱われたのは『梵網経』巻下であるとのことですが(p.4)、序説 pp.37-48 に関連する記述があります。


白土わか、「梵網経研究序説」、『大谷大學研究年報』、no.22、1970.3.15、pp.105-153 [ < 大谷大学学術情報リポジトリ
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00005794/

白土わか、「梵網経の形態」、『佛教學セミナー』、no.16、1972.10.30、pp.30-42 [ < 大谷大学学術情報リポジトリ ]
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00007633/

白土わか、「梵網経と阿含部梵網経についての試論」、『大谷學報』、vol.53 no.2、1973.8、pp.14-24 [ < 大谷大学学術情報リポジトリ ]
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00002351/

 下掲の

松山俊太郎、「ロータスの環」(1997)、『松山俊太郎 蓮の宇宙』、2016

 によると、

「『華厳経』の説く〈宇宙蓮〉、〈蓮華荘厳世界海〉は、大宇宙を素粒子かクオークなみに格下げしてしまう、夢魔的な構造をもっている。
 この宇宙蓮を中国人向きに縮小したのが、偽経『梵網経』の〈蓮華台蔵世界〉という〈大蓮華〉で、一〇〇〇の花びらの一々に、〈三千大山世界〉という、直径五〇〇〇万キロの〈小世界〉の一〇〇〇の三乗箇の集合が収まっている。
 これを再簡略化した雛形が、東大寺の大仏の〈蓮座〉で、六メートルもない〈蓮弁〉に感嘆するのだから、日本人も肝が小さい」(pp.161-162)。

 同書所収「公開講演 芸術として見た仏典」(1994)、p.334、「インタビュー 蓮を究める」(2008)、p.344 も参照。

 〈蓮華蔵世界〉について;

定方晟、『インド宇宙誌』、春秋社、1985、pp.33-68、「Ⅰ 仏教の世界観 第二章 大乗の世界観 蓮華蔵世界観」

 この部分は前に記したように、刊行は先後しましたが、次のものが原本となります;

定方晟、「須弥山世界と蓮華蔵世界」、『アジアの宇宙観』、1989、pp.130-167

 の後半 pp.141-167 の再掲。大乗仏教の世界観/世界種の中の世界/仏の世界など。

 および

定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011、pp.247-285、「第二部 仏教の宇宙観 第二章 大乗の宇宙観」
大乗仏教の出現/極楽浄土/華蔵世界観/香水海と世界種/世界種-続き/毘盧遮那仏と世界/梵網経と大仏/ガンダーラ仏教彫刻など

松山俊太郎、「華厳経の宇宙」(1982)、安藤礼二編・解説、『松山俊太郎 蓮の宇宙』、太田出版、2016、pp.293-300

 同、 「公開講演 芸術として見た仏典」(1994)、同上、pp.306-339

 同、 「インタビュー 蓮を究める」(2008)、同上、pp.340-349

松山俊太郎、松岡正剛、「対談 蓮華宇宙を語る」(1982)、同上、pp.431-444

 他の内容は;
インドの詩と性愛;愛蓮餘滴/インドの香り/インド古詩シュリンガーラ・ティラカ - 恋愛の
額飾(ぬかかざ)り/蓮から「さかしま」に/漢語の愛について - インドにおける愛の思想・序説(一)/〈愛〉の意味・〈愛〉の言語/インド古詩抄 (ひな)の恋・都の恋/中世天竺 恋愛八十相/インド古典芸術における「女主人公(ナーイカー)」の分類(その一)/同(その二)/インド古典と現代日本 - ヴァールミーキ著、岩本裕『ラーマーヤナ』/タゴール、大インドの人格化//
蓮の神話学;わが到り得ぬ日蓮/ロータスの環/仏典における信ずるべからざる部分のおもしろさ/法華経と
無熱悩池(むねつのうち)および蓮華上仏/アパダーナと法華経/ヴィシュヌ神とアヴァターラ古代インド人の宇宙像/同(二)同(三)インドの回帰的終末説一闡台(いっせんだい)のマンダラ//
幻のインド - 講演・インタビュー・対談・座談;対談 輪廻転生 - 死の思想の源流を探る(出席者=鈴木清順、松山俊太郎/聞き手=長部日出雄)/共同討議 なぜボードレールか(出席者=出口裕弘、渋沢孝輔、松山俊太郎 司会=阿部良雄)/対談 読みかけの一ページ - 「少年倶楽部」の余白への夢(松山俊太郎、寺山修司)//
解題(安藤礼二)/松山俊太郎年譜(丹羽蒼一郎)/松山俊太郎執筆目録など、
514ページ
 +
「栞」(澁澤龍子、坪内祐三、磯崎純一、巖谷國士)、
16ページ。


 →こちらで触れました:「〈宇宙論〉と〈宇宙観〉など、若干の用語について」の頁中

松山俊太郎、「華厳経の宇宙」、『インドを語る』、白順社、1988、pp.102-134
〈十の百乗〉という誤差/途方もない最大数=不可説/小は大よりも大きい/透明かつ不透明/〈心〉と〈世界〉

 他の内容は;
インドなんか分からない/インドは幻/豊饒な国インド/お釈迦さまのさとり/インド人の思想について/思想とはどういうものか/百科事典のつくれない国/インド学と当世学問事情/宇宙における人間の地位 - あとがきにかえて、など、
184ページ。


 同じ著者による→こちら(稲垣足穂)や、そちら(埴谷雄高)、またあちら(小栗虫太郎)、ここ(宮沢賢治)も参照:以上、「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xx. 個々の著述家など - 日本 Ⅰ(20世紀前半)」より
………………………

 蓮華蔵世界の図像表現に関わるものとして;

宮治昭、『仏教美術のイコノロジー インドから日本まで』、吉田弘文館、1999
仏教美術の流れ - 「彼岸の造形」の視点から -;インド - 涅槃と豊饒の彼岸 -/中央アジア - 天空の彼岸 -/中国 - 彼岸への再生 -/日本 - 彼岸の幻視 -//
豊饒と再生;蓮のイコノロジー/聖樹信仰と仏教美術/インドの弥勒菩薩像 - 行者的イメージと王者的イメージ -//
彼岸と此岸;天上の彼岸世界 - バーミヤーンとキジル -/阿弥陀浄土の観想 - トゥルファンのトヨク石窟壁画 -/巨大仏の思想 - 弥勒仏と盧舎那仏 -など、
278ページ。

 この内、「蓮のイコノロジー」の章(初出は→こちら:本頁下掲の「v. 仏身論、密教など」)と「巨大仏の思想」の章を参照のこと。


 また;

橋本聖圓、「大仏蓮弁毛彫図と華厳経」、『芸術の論理と歴史』、創文社、1971.9、pp.345-352

平岡定海、「華厳経に於ける須弥山思想の受容 - 大仏連弁毛彫の思想的背景 -」、『大手前女子大学論集』、no.5、1971、pp.18-37 [ < CiNii Articles

 同、  「華厳経と梵網経の相異について - 大仏蓮弁毛彫の思想的背景(二) -」、『大手前女子大学論集』、no.9、1975、pp.94-111 [ <同上

塚本啓祥、「蓮華生と蓮華座」、『印度學佛教學研究』、vol.28 no.1、1979、pp.1-9 [ < J-STAGE ]

西村公朝[解説]、「知っておきたい仏像の見分け方」、『芸術新潮』、vol.37 no.2、1986.12、pp.4-43

 pp.8-10 に蓮華蔵世界の説明や模式図があります。

田代有樹女、「毘盧遮那仏の考察(四)」、『名古屋造形芸術大学名古屋造形芸術短期大学紀要』、no.8、2002.3.31、pp.98-85

外村中、「『華厳経』の宇宙論と東大寺大仏の意匠について」、『日本研究』、51巻、2015.3.31、pp.21-40 [ < 日文研オープンアクセス

外村中、「キジル石窟に描かれた大乘の神變佛について」、『東方學報』、91巻、2016.12.20、pp.528[23]-502[49][ < 京都大学学術情報リポジトリ KURENAI 紅

外村中、「漢譯『華嚴經』の原典『ブッダ・アヴァタンサカ・スートラ』の佛身論と宇宙論について」、『東方學報』、93巻、2018.12.20、pp.280[49]-205[124][ < 同上 ]
Permalink : https://doi.org/10.14989/241065

 同じ著者による→こちらを参照:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大山世界/四大劫・六十四転大劫など

 あわせて、

石田尚豊、『華厳経絵 日本の美術 no.270』、至文堂、1988.11
はじめに/廬舎那仏/華厳経変相/東大寺大仏蓮弁/華厳経見返絵/善財童子歴参図/華厳海会善知識図(善財童子歴参図)/華厳海会善知識図(中尊図)/華厳海会諸聖衆図/明恵上人と華厳変相/毘廬舎那像を追って/華厳系観音の道/華厳縁起/むすび//
善財童子について/善財童子歴参図表など、
98ページ。


 同書第1図、pp.19-20 で触れられている〈人中像〉ないし〈盧舎那人中像/人中盧舎那像/(盧舎那)法界人中像/法界仏像〉について;

吉村怜、「廬舎那法界人中像の研究」、『中国仏教図像の研究』、1983、pp.7-34

易丹韻、「サンフランシスコ・アジア美術館所蔵法界仏像について - 特に台座蓮弁の浮彫図像に着目して -」、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』、62号、2017.3.15、pp.373-388 [ < 早稲田大学リポジトリ
URI : http://hdl.handle.net/2065/00053887
………………………

金子大栄、「華嚴の世界」、『南都佛教』、no.2、1955..5、pp.1-12

清水公照、「華蔵世界」、『南都佛教』、no.2、1955..5、pp.13-27

兒山敬一、「華嚴經・如來光明覺品の數理 - その方法論的な序説 -」、『印度學佛教學研究』、vol.9 no.1、1961、pp.48-53 [ < J-STAGE ]
DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.9.48

兒山敬一、「華嚴經における數理的なもの(二)」、『印度學佛教學研究』、vol.10 no.1、1962、pp.41-46 [ < J-STAGE ]
DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.10.41

 こちらでも挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

石井教道、『華厳教学成立史』、1964、pp.194-220:第弐篇第四章第壱節「蓮華蔵世界品論」
問題の所在/蓮華蔵世界の構造/蓮華蔵世界構造の資糧/蓮華蔵世界と如来蔵思想/蓮華蔵世界と弥陀仏浄土

桜部建、「華厳という語について」、『大谷學報』、vol.49 no.1、1969.6、pp.26-34 [ < 大谷大学学術情報リポジトリ

入澤崇、「蓮華蔵世界」、『印度學佛教學研究』、vol.36 no.2、1988.3、pp.927-920 [ < J-STAGE ]

木村清孝、「華厳経の蓮華蔵世界」、『大法輪』、第55巻第7号、1988.7、「特集 仏教の世界観-迷いの世界と仏の世界」、pp.146-151

真野龍海、「華厳経の経題について (1)」、『印度學佛教學研究』、vol.41 no.1、1992.12、pp.411-403 [ < J-STAGE ]

田村智淳、「華厳経の国土観」、『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」、横pp.1-12
三千大山世界と十方の仏国土/華厳経第一章(nidānaparivartaḥ)/補記

津田眞一、「『華厳経』「入法界品」における弥勒法界の理念とその神論的宇宙論的意味」、『国際仏教学大学院大学研究紀要』、no.1、1998.3、pp.61-105

平嶋秀治、「華嚴經における大数について」、『駒沢女子大学研究紀要』、no.7、2000.12.24、pp.113-121 [ < CiNii Articles

 こちらでも挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

李 杏九(道業)、「華厳浄土と弥陀浄土について」、『印度學佛教學研究』、vol.51 no.2、2003.3.20、pp.525-534 [ < CiNii Articles

望月海慧、「『華厳経』「阿僧祇品」「入法界品」に説かれる算法について」、『宗教研究』、vol.81 no.4、2008.3.30、pp.1069-1070 [ < CiNii Articles

 こちらでも挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

陳永裕、「『華厳経』の放光の解釈と李通玄の特徴」、『印度學佛教學研究』、vol.57 no.2、2009.3.20、pp.1079-1072 [ < CiNii Articles

周夏、「『華厳経』『世界成就品』の考察」、『印度學佛教學研究』、vol.57 no.1、2008.12、pp.19-22 [ < J-STAGE ]
DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.57.1_19

周夏、「『華厳経』における諸仏と世界」、『印度學佛教學研究』、vol.58 no.1、2009.12.20、pp.267-271 [ < CiNii Articles

周夏、「『華厳経』におけるヴァイローチャナとシャーキャムニ」、『印度學佛教學研究』、vol.60 no.2、2012.3.20、pp.820-825 [ < CiNii Articles

陳永裕(本覚)、「『華厳経』の世界成就とホーキングの宇宙論」、『印度學佛教學研究』、vol.60 no.2、2012.3.20、pp.1110-1102 [ < CiNii Articles

梶山雄一、「華厳経における仏・菩薩の奇跡」、『梶山雄一著作集 第三巻 神変と仏陀観・宇宙論』、2012、pp.83-102
 初出は1995年
宇宙観と仏陀観/般若経の神変/華厳経の神変/華厳思想と現代物理学 空と縁起、量子宇宙論、神変の象徴的意義


梶山雄一、「華厳経入法界品解説(一)」、同上、pp.119-131
『華厳経』と「入法界品」/『大方広仏華厳経』の題名/『ガンダヴューハ』の題名/『ガンダヴューハ』(「入法界品」)の年代

 同、  「華厳経入法界品解説(二)」、同上、pp.133-149
シュラーヴァスティーの神変/『華厳経』の宇宙観/『華厳経』の仏身観/「入法界品」の思想

 初出はともに1994年


 「(一)」は主として文献学的な議論。
 「(二)」の第2節に蓮華蔵世界についての解説あり。
 双方→こちらに再録:本頁内、上掲『梵文和訳 華厳経入法界品』(上・中巻)(岩波文庫、2021
 また同著作集第三巻所収の「神変」には、『摂大乗論』(pp.249-250)、『維摩経』「不思議品」第6(p.254)、『首楞厳経』(pp.256-257)、そして『華厳経』(p.280)それぞれにおける〈相即相入〉について記されています。


織田顕祐、「『華厳経』における普光法堂会の意味について」、中村薫編著、『華厳思想と浄土教 中村薫博士退任記念論集』、文理閣、2014、pp.93-120
はじめに/第一普光法堂会と異訳単経/六十巻『華厳経』と八十巻『華厳経』(第二・第三普光法堂会をめぐって)/十定品に説かれる普賢菩薩行とは何か/菩薩行と「仏華厳」の関係/おわりに

 同じ著者による→こちらを参照:本頁内「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」中の「華厳教学等」の項

周夏、「此方と彼方 - 華厳の世界と極楽の世界 -」、同上、pp.121-150
はじめに/『華厳経』における世界の概念/華厳の世界の清浄さ/普賢行願と浄土/おわりに

 他の収録論文は;
序(浅野玄誠)/中村薫先生 略年譜・主要著作目録//
華厳思想篇;華厳の唯識 - 特に法蔵の「十重唯識」について -(中村薫)/親鸞と『華厳経』入法界品 - 華厳思想の日本的展開(夷藤保)/李通玄に学ぶ(稲岡智賢)//
浄土教篇;モンゴルにおける浄土思想(嘉木揚凱朝)/曇鸞における思想と信仰の交渉 - 菩提流支との邂逅を手がかりとして -(黒田浩明)/道綽の『安楽集』における末法教説の役割(マイケル・コンウェイ)/善導「三縁釈」の背景 - 『大乗起信論』を通して -(市野智行)/源信撰『一乗要決』における五性各別説批判の考察 - 無性有情の解釈をめぐって -(藤村潔)/法然が「宗」と為した浄土教 - 浄土宗立宗に対する批判を通して -(飯田真宏)/親鸞浄土教における覚醒の歴程 - 『教行信証』「化身土巻」二つの問答を通して -(伊東恵深)/曽我量深の思索展開に関する一考察(松山大)など、
352ページ。


鈴木大拙、杉平顗智(しずとし)訳、『華厳の研究』(角川ソフィア文庫 H 101-6)、角川書店、2020
序文(1955)//
禅から華厳経へ;禅と華厳の教学/初期の禅匠と華厳経/禅とシナ人の心性/菩提達摩の無念、道信の捨身の法/慧能の無念禅/神会の無念禅/大珠慧海の禅/趙州(じょうしゅう)従諗(じゅうしん)の禅/臨済義玄の禅/唐宋の他の禅匠の禅/禅と経典研究/アヴァタムサカ(
Avataṁsaka)とガンタヴィウハ(Gaṇḍavyūha)及びそれぞれの意義//
華厳経、菩薩理想及び仏陀;華厳経における場面の全面的転廻/この経典を特徴づける諸観念/相即相入(インタペネトレーション)の教義/菩薩と声聞/相異の因縁/譬喩/華厳経にあらわれたる大乗教の本質/華厳経の仏陀と禅匠の見た仏陀//
菩薩の住処;「どこから」「どこへ」/大乗経典の「無住」と禅匠/菩薩の住処としての毘盧舎那楼閣/善財の偈頌/楼閣の描写/何故に善財が楼閣に入るを許されたかを示す譬喩/菩薩の去来/毘盧舎那荘厳蔵楼閣と法界/四法界/菩薩の智と加持力/菩薩の郷里と親族/菩薩の住処と禅匠//
華厳経における発菩提心;発菩提心の意義/海雲比丘及び十地経の説く菩提心/弥勒の菩提心講説(一)/弥勒の菩提心講説(二)/弥勒の菩提心講説(三)/菩提心の要義/十地経における発菩提心//
訳者あとがき(1955)/解説(安藤礼二)など、
316ページ。


 「英文『禅論文集』第三巻の最初の四つの論文」、1934=「昭和九年には、『禅論文集』第三巻に含まれ、ここに訳出した四つの論文が発表せられ」たとのこと(「訳者あとがき」(p.300)。
 同じ著者による→こちらを参照:「ロココ、啓蒙思想など(18世紀)」の頁の「i. スウェーデンボリ(スウェーデンボルグ)など」の項
 また双方の解説を執筆した安藤礼二に関し→そちらも参照:「日本 Ⅱ」の頁の「xi. 近代など」内


末綱恕一、『華厳経の世界』(現代人の佛教・佛典 4)、春秋社、1957
序//
華厳経;華厳経の伝来/華厳経概観/寂滅道場会/普光法堂会/忉利天宮会/夜摩天宮会/兜率天宮会/他化天宮会(上)/他化天宮会(下)/普光法堂重会/重閣講堂会(上)/重閣講堂会(下)//
華厳思想;華厳の教判/一心/西洋思想の客観性/佛教思想の主体性/縁起因門六義/相即相入/華厳の数論/十玄縁起/六相円融/菩提心/華厳と禅など、
184ページ。


 著者は数学者ですが、「序」を

「昭和二十二年の夏、鈴木(大拙)先生方に随って、北陸の小松市に出かけたことがある。そのとき汽車の中で、鈴木先生から、佛教では特に華厳思想に注目すべきことをうかがい、先ず金獅子章や註華厳法界観門を読むように教えられた」(p.i)

と書き起こしていました。
 第2篇第7章「華厳の数論」deは、

「法蔵は五教章において十玄縁起を説くために、一から十までの十数を取出し、十銭を喩に引いて、相即相入の解明を進めている」(p.134)

として、法蔵の議論を追っています。
 →こちら(本項上掲の『梵文和訳 華厳経入法界品』岩波文庫版 (2021)のところ)や、そちら(「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ)で名が挙がりました。

 華厳教学から;

鎌田茂雄、『華厳五教章 佛典講座 28』、大蔵出版、1979
序論;『五教章』の撰述年代/『五教章』の題目と撰号/『五教章』のテキスト-和本・宋本・錬本-/『五教章』の註釈書/『五教章』の組織と内容/『五教章』の思想史的意義//
本文解説;序 十門分別/建立乗/教義摂益/叙古今立教/分教開宗/乗教開合/教起前後/決択前後意/施設異相/義理分斉/所詮差別など、
512ページ。

 法蔵の「『華厳五教章』の原文および書き下し文の全部を収録したもの」(p.2)、「簡単な註記」(同)あり、ただし「分量の関係で現代語訳」はなし(同)。


鎌田茂雄、『原人論 中国古典新書』、明徳出版社、1973
解説;仏教の中国的展開/隋唐仏教の成立/中唐の仏教/唐代における儒学の動向/宗密の伝記と著書/『原人論』の思想史的意義/『原人論』のテキスト及び注釈書//
本文;総序/儒道二教とその批判/仏教諸家とその批判/真実の教え/諸教の止揚と統一など、
122ページ。

………………………

石井教道、『華厳教学成立史』、平楽寺書店、1964
第壱篇 華厳思想之成立;釈尊の根本思想/華厳思想論/華厳思想の成立//
第弐篇 華厳経典成立期;華厳部経典論/華厳経典の成立/大部華厳編纂の意図/
     大部華厳経主品の研究 蓮華蔵世界品論、十地十住論、入法界論//
第参篇 華厳学之成立 序論;華厳学成立以前に於ける中国華厳史概観/華厳学先駆思想/華厳学成立期に於ける当対教学//
     本論;華厳学教権論/華厳学的仏教批判論/華厳学的華厳経典論/教理論/華厳観行論/仏身仏土論など、
468ページ。


鎌田茂雄、『華厳の思想』(講談社学術文庫 827)、講談社、1988
原著は1983刊。
序章 日本文化と『華厳経』;『華厳経』の世界/日本人の自然観のなかに定着した華厳思想/新しい世界観としての華厳思想//
『華厳経』とは何か - 『華厳経』の構成と思想;雑華によって飾られた無限大の仏/『華厳経』の構成/善財童子の求道/『華厳経』の説く仏とは何か/二つの心-浄心と妄心/人間の心の構造-唯識と華厳//
華厳宗の成立;華厳宗成立の思想的背景/華厳宗の開祖・杜順/華厳教学の創始者・智儼/華厳宗の大成者・法蔵/華厳と禅との融合・澄観/『円覚経』の大研究者・宗密//
華厳思想の核心;小乗と大乗/大乗始教と大乗終教/大乗頓教 - 一念不生を仏となす/大乗円教 - 華厳思想の至境/四種の真理の領域 - 四種法界/華厳の観法//
華厳思想の流れ;新羅の華厳/日本の華厳など、
262ページ。


山田史生、『渾沌(カオス)への視座 哲学としての華厳仏教』、春秋社、1999
序章/相互依存性の直観/経験の本質と表現/重層的な二項対立/仏と衆生との相関/心身二元論の超克/差異を体現する力/具象的な無秩序へ、など、
394ページ。


 →こちらで触れました:「マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡」の頁の「おまけ

吉津宜英、『法蔵 - 「一即一切」という法界縁起 構築された仏教思想』、佼成出版社、2010
『華厳経』の教え - 大仏の成立/インド大乗仏教の中国的展開 - 華厳学派の成立/法蔵の教学形成/法界縁起の実相/十玄門の法説/法蔵教学の後代への影響など、
158ページ。

………………………

松濤誠廉、「個と全體との關係について」、『印度學佛教學研究』、vol.13 no.2、1965、pp.444-451 [ < J-STAGE ]

鎌田茂雄、「法界縁起と存在論」、三枝充悳編、『講座 仏教思想 第一巻 存在論 時間論』、理想社、1974、pp.95-136
現象絶対論-理事無礙法界-/現象円融論-法界縁起の至境-など

辻村公一、「西洋と東洋とに於ける『一即一切』の相違について」、辻村公一編、『一即一切-日独哲学コロクィウム論文集-』、創文社、1986、pp.391-406

 クザーヌスと法蔵が比較されています→こちらにも挙げておきます:「ルネサンス、マニエリスムなど(15)~16世紀」の頁の「ii. クザーヌスなど

吉津宣英、「華厳教学における国土観」、『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」、pp.55-68
国土観というテーマについて/『華厳経』の位置づけ/三種世間について/華厳教学における解釈/共業共得の世界

中村薫、「華厳の浄土」、同上、pp.69-86
『華厳経』に出ずる浄土義/袾宏の浄土義/彭際清の浄土教

織田顕祐、「華厳法界縁起の研究」、『大谷大学研究年報』、52号、2000.3.15、pp.103-149 [ < 大谷大学学術情報リポジトリ
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00006083/

 同じ著者による→こちら(本頁内「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」中の「〈蓮華蔵世界〉等」の項)や、そちら(本頁内「v. 仏身論、本初仏、密教など」の項)を参照

金天鶴、「東アジアの華厳思想における無碍説」、『インド哲学仏教学研究』、no.12、2005.3.31、pp.53-671 [ < 東京大学学術機関リポジトリ(UT Repository)

 また;

井筒俊彦、「事事無礙・理理無礙 - 存在解体のあと(ヽヽ) -」、『コスモスとアンチコスモス』、1989、pp.1-102
「理事無礙」から「事事無礙」へ/「理理無礙」から「事事無礙」へ、など
………………………

 最後に、特定の図像表現に限定されない視野で、華厳と美術について論じたものとして;

稲賀繁美、「華厳経と現代美術 相互照射の試み(その1) 第2回国際華厳会議(フランス・ベレバ)発表論文」、『あいだ』、no.152、2008.9.20、pp.21-27 [< あいだ|Gekkan Aida、no.67 < 稲賀繁美研究室国際日本文化研究センター

 同、 「華厳経と現代美術 相互照射の試み(その2:地獄門) 第2回国際華厳会議(フランス・ベレバ)発表論文から」、『あいだ』、no.153、2008.10.20、pp.25-35 [< 同上 ]

 同、 「華厳経と現代美術 相互照射の試み(その3:生命の流沙) 第2回国際華厳会議(フランス・ベレバ)発表論文から」、『あいだ』、no.154、2008.10.20、pp.12-20 [< 同上 ]

 この論考は

稲賀繁美、『接触造形論 触れあう魂、紡がれる形』、名古屋大学出版会、2016、pp.6-39:第Ⅰ部第1章+註 pp.15-24

 に再録されました。

 《華厳》と題された一連の作品を制作した画家に宇治山哲平(1910-86)がいます。たまたま見る機会のあった

『宇治山哲平展 - 絵に遊び、絵に憩う』図録、東京都庭園美術館、2006

 には cat.nos.51-55 の5点が掲載されていました。1977年から81年にかけて制作されたものですが、「年譜」によると、1980年9月には「華厳」展と題した個展を開催、「《華厳》シリーズNo.1~15など22点を出品した」とのことでした(p.219)。同図録に掲載された
 松岡正剛、「華厳なる宇治山哲平 - 世界画ポリフォニック・カーニバル」
もタイトルどおり、この連作が軸になっています。他方やはり同所載の宇治山哲平、「美について想う」中の「偶感」(1970)には

「私の画の題名は、その作品が完成してから決められることが多い」

とあり(p.148)、また同、「アトリエにて」(1984)で次のように述べられています;

「意識的でなく無心に筆を走らせているのですが、気がついてみると、画面には鮮麗な色と形がひしめいています。これらの作品を『華厳』と題しました」(pp.172-173)。

 ちなみに、華厳的なイメージのもとに、道元が用いた「華開世界起(華開いて世界起こる)」というフレーズを引用したりしたこともありました→「作品解説、あるいは幕間に潜りこもう!」、3節目、『ひろがるアート展~現代美術入門篇~図録 2010.10 三重県立美術館のサイト追補:→「怪奇城の図書室」の頁でも触れました)
 そこにも記しましたが、道元と華厳を結びつける言質は;

高橋直道・梅原猛、『仏教の思想11 古仏のまねび〈道元〉』、角川書店、1969、p.163

 でとり、「華開世界起」については同 pp.164-168 がネタでした。

 そこからさかのぼって、もともとは禅宗の史伝『景徳傳燈録』巻第二に収められた般若多羅のものと伝えられる偈に由来することは;

伊東洋一、「道元と如浄(八) : 『如浄禅師語録』到来を中心に」、『文経論叢. 人文科学篇』、no.2、1982、pp.19-41 [ < 弘前大学学術情報リポジトリ

 中の pp.22-23 および p.39 の注(7)を参照、

 道元が援用した『正法眼蔵』巻第十四「空華」や巻第五十三「梅花」などは、

道元、水野弥穂子校注、『正法眼蔵』(全4巻、岩波文庫 青 319-0~3)、岩波書店、1990-1993

 第十四「空華」;(一)、p.268、巻第五十三「梅花」;(三)、pp.167-168 で確認したことでした。
 なお、

道元、石井恭二訳、『正法眼蔵 現代文訳』(全5巻 河出文庫 古 2-1~5)、河出書房新社、2004

 も参照。さらに;

田中孝雄、「ホワイトヘッドの〈アクチュアル・オケージョン〉と道元の〈有時〉」、『大阪府立大学紀要(人文・社会科学)』、12号、1964

玉城康四郎、「道元の時間論」、三枝充悳編、『講座 仏教思想 第一巻 存在論 時間論』、理想社、1974、pp.271-316
時間論の特徴;時間・存在・光明・自己の一体性/時間に関する常人と根源的人間/時間における自他観念の消滅/時間の現実性と形而上性の一致//
時間の成熟過程;火を噴く時間/時間の成熟/時間の結実//
時間を包括するものなど


山崎正一、「道元の哲学 - 開放系としての意味の世界」、『幻想と悟り』、1977、pp.153-178
相対と絶対/集合論の二律背反/愛知の思索的言語活動/メタ言語の重層進行/高潔な文章 - 格調の高い潔白清廉な文章/行持としての思索 - 行持の大道は道環して断絶せず/百尺竿頭一歩を進めよ/基本的パターン - 日常的な意味付けの世界を放下する/有佛の處にもとどまらず、無佛の處をもすみやかに走りすぐ/真理の世界/組織系としての意味の世界 - 真理の組織系が直ちに錯覚の組織系にさらされる危険/現実の証/意味の開放系 - たえず自己を表現し実現している価値の世界、生命の世界

岩田慶治、「道元の宇宙」、『現代宗教-5 特集・宇宙論』、春秋社、1982、pp.33-50
曇りなく見る/その映る場所/その自由な表現など

追補;

岡﨑乾二郎、『感覚のエデン 岡﨑乾二郎批評選集 vol.1』、亜紀書房、2021、pp.106-129:「あふるるもの」

は中谷芙二子の《霧の彫刻》をはじめとする作品および〈メディウム〉について論じたものですが、その中で『正法眼蔵』第29「山水経」から引用されていました。まずは中谷のテクストから(p.117)、次いで二箇所引かれています(pp.118-119、p.120)。それぞれ上掲

 『正法眼蔵(二)』(岩波文庫)、p.195/pp.196-197/pp.191-192
(『現代文訳 正法眼蔵 2』(河出文庫)、p.230/pp.230-231/pp.226-227)

にあたるのですが、二つ目の引用箇所には、

 「一滴のなかにも無量の仏国土現成なり」(p.119)

というくだりがありました(岩波文庫版、p.196/現代文訳、p.231)。ついでながら三つ目の引用には、

 「水の水を
道著(だうぢゃ)する参究あり、自己の自己に相逢(さうふ)する通路を現成せしむべし」(p.120)

と、〈通路〉の語が見られました(岩波文庫版、p.192)。現代文訳では

 「水が水を語る究徹がある、…(中略)…自己が自己に相逢う通路を現さねばならない」(pp.226-227)。

ウェブサイト『つらつら日暮らしWiki〈曹洞禅・仏教関連用語集〉』によると、
 「道著」は「道は『言う』の意、著は助字で『~している』状態を示す語。よって、道著とは、言っている状態を示す」
 「相逢」は「相は、たがいに。ともにの意。よって、互いに逢うこと」
 「究徹」は「究め、徹すること。究尽すること」
だそうです。
 

 「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫」中の「図像など」の項で挙げた(→こちら

高 陽、『説話の東アジア 「今昔物語集」を中心に』、勉誠出版、2021、「第一編 須弥山と天竺の説話世界 - 仏伝から玄奘へ」、第1章~第5章

の内、

 第1章「須弥山と天上世界 - ハーバード大学所蔵『日本須弥諸天図』と中国の『法界安立図』をめぐって」中の「六 ハーバード本『日本須弥諸天図』にない「須弥山図」 - 三千大千世界と須弥芥子」(pp.30-33)

 第3章「須弥山と芥子 - 極大と極小の反転」(pp.59-65)

 第4章「天竺神話のいくさをめぐって - 帝釈天と阿修羅の戦いを中心に」中の「八 極大と極小の反転」(p.75)

では、〈芥子納須弥〉というイメージが取りあげられます。「世界の複数性など」の頁で触れたように(→そちら)、この言い回しには

 中野美代子、「Ⅲ-4 春画のなかの庭園」、『龍の住むランドスケープ 中国人の空間デザイン』、1991

でも出くわしていました(pp.291-292)。同じ箇所で挙げた

  劉文英、『中国の時空論 甲骨文字から相対性理論まで』、1992、「第6章 時間・空間の相対性と絶対性」、pp.181-182

も参照ください。中野美代子の本では典拠として『維摩経』「不思議品」を(p.291)、高 陽の本の第3章はさらに、『維摩詰経』「不可思議品第六」と「見阿閦佛品第十二」を挙げています(pp.60-61)。

 『世界の名著 2 大乗仏典』、中央公論社、1967

所収の長尾雅人訳『維摩経』を見ると、「五 不可思議解脱の法門」に、

 「この不可思議解脱の中にある菩薩は、かくも高く、かくも大きく、かくも神聖であり、かくも広大な山王のスメール山を、芥子粒の中に入れます。しかし、かの芥子粒が大きくなるのでもなく、スメール山が縮小するのでもないままで、、そのようなはたらきが行なわれるのです」(p.140)

とありました。また「十一 妙喜世界と無動如来」には、維摩詰(ヴィマラキールティ)

 「自分はこの獅子座から立ち上がらないままで、次のことをしようと考えた。…(中略)…妙喜世界の、水輪をはじめとして上のほうはアカニシュタ天(色究竟天(しきくきょうてん))に至るまでを、陶工がろくろをまわすようにまたたくまに切りとって、右手に受け、華鬘(けまん)をささげるようにしてこのサハー世界へもってこよう」(p.184)

と述べ、実行します;

 「かの妙喜世界がこのサハー世界におかれても、この世界がいっぱいになったり、減ったりしたとは見えないし、窮屈に押しこめられているわけでもない。かの妙喜世界も、小さくもならず、以前とまったく同様に見えている」(p.185)。

なお「サハー世界」は「娑婆世界。忍土。われわれの住んでいるこの世界をさす」(p.167 註1)。
 他方高 陽の本の第1章第6節では『華厳経』が参照され(p.30)、中国の明代に燕山沙門仁潮が編纂した『法界安立図』(1584、p.16)から、《千世界図》(p.31 図12)および《蓮華蔵図》(同、図13)を掲載しています。上掲の劉文英『中国の時空論』でも、伝・法蔵の『華厳経義海百門』が引用されていました(pp.180-181、186-187 原注 16-18)。

 高 陽の本の主な研究対象である『今昔物語集』といえば、「四角錐と四つの球 - 怪奇城の意匠より」の頁の→こちらで挙げた

 藤澤典彦、「擬宝珠と結界 - その根源 -」、2023

中の「7.鉢の中の世界」で、『今昔物語集』巻三の「目連、為聞佛御音行他世界御第三」が紹介されていました(p.169)。巻一から巻五までからなる天竺部の巻三、その三番目の物語です(高 陽、前掲書、「第6章 仏伝の鉢説話考」、p.119 でも言及されていました)。

 『日本古典文學体系 22 今昔物語集 一』、岩波書店、1959

では pp.206-207 におさまる短いもので、タイトルには

 「ホトケノミコヱヲキカムガタメニホカノセカイニユエルコト」

とルビが振られています。また巻三の扉頁の裏には、

 「仏の声を疑い、無量無辺の世界を過ぎて他仏の世界に飛んだ、神通第一の目連は、力弱って集会の場に落ち、蝨とまちがえられた」
と要約されていました(p.202)。

 池上洵一訳注、『今昔物語集8 天竺部』(東洋文庫 374)、平凡社、1980

の口語訳では pp.8-9 で、タイトルは

 「目連、仏の御声を聞くために他の世界に行く(こと)

となっています。ともあれ目連は

 「三千大千世界を飛んで過ぎ、そこからさらに西方に向かって、無量無辺不可思議那由他恒河砂の国土を過ぎて行って」、

その先の世界では、そこの住人に

 「この鉢の縁に僧に似た虫がとまっている」

と見なされるのでした。『日本古典文學体系』版の脚註には、

 「出典は、大智度論巻第十、初品中十方菩薩来釈論第十五之余所収の一説話。同一説話は、法苑珠林巻第二十五、見解篇第十七、引証部第二所収の説話(原拠は密迹金剛力士経)にあるが、岡本保孝によれば、類話は法華文句三にも止観一之四六にも在る由」

とのことです。それはともかく同補注 p.469 の 352、また池上洵一訳注口語訳の註3(p.9)でも、『法苑珠林』を引きつつ、

 「一種の大人国」

と述べていました。〈大人国〉の語にとりあえず『ガリヴァー旅行記』を連想したのですが、検索してみると、日本語版ウィキペディアに「長人」の頁があって(→そちら)、そこでの参考文献から、

 寺島良安、島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳訳注、『和漢三才図絵 3』(東洋文庫 456)、平凡社、1986、p.334

 高間三良訳、「山海経」、本田済・沢田瑞穂・高間三良訳、『抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経』(中国の古典シリーズ 4)、平凡社、1973、「第九 海外東経」

の始めの方(p.492)に記されていることがわかりました。
 とまれ、華厳/因陀羅網的な極小極大の相互嵌入とはいっしょにできますまいが、本頁上掲

 梶山雄一・丹治昭義・津田真一・田村智淳・桂紹隆訳、『梵文和訳 華厳経入法界品』(上中下巻)(岩波文庫 青 345-1~3)、岩波書店、2021

へのメモで触れた、〈諸世界の形状の多様性〉、〈種種の衆生の形をなす者〉(→このあたり)といったイメージと並べることはできるかもしれません。また『ガリヴァー旅行記』以外にも、レイ・カミングス『宇宙の果てを超えて』(1928)、あるいはリチャード・マシスン原作の『縮みゆく人間』(1957、監督:ジャック・アーノルド)が連想されたりもします。

iv. 弥勒、過去仏、多仏説など

 未来仏弥勒にまつわるイメージに興味を持つようになったのは、何度も登場している、

光瀬龍、『百億の昼と千億の夜』(ハヤカワ文庫JA 6)、早川書房、1973

 以来ですが(光瀬龍については→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「光瀬龍」の項)、

 さらに;

山田正紀、『弥勒戦争』(ハヤカワ文庫JA)、早川書房、1976

 が加わり( 山田正紀について→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「山田正紀」の項)、

 それ以外にも;

稲垣足穂、「弥勒」(1939~1940/1946/1969)、『一千一秒物語』(新潮文庫 [草]86)、新潮社、1969/『稲垣足穂全集 7 弥勒』、筑摩書房、2001

 足穂には他にも弥勒にまつわる原稿がありますが、その点もあわせて、河出文庫版『弥勒 稲垣足穂コレクション』(1987)pp.291-295の解説

加藤郁乎、「弥勒入門」

 を参照。 足穂については→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「稲垣足穂」の項

 さらに;


藤枝静男、『田紳有楽』(1975)(講談社文庫 74/2 A520)、講談社、1978

 →こちらにも挙げておきます:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「藤枝静男」の項

諸星大二郎、『暗黒神話』(ジャンプ・スーパー・コミックス)、創美社、1977

 →こちらでも触れました:「怪奇城の地下」の頁
 諸星大二郎について→そちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「諸星大二郎」の項


篠田節子、『弥勒』、講談社、1998

 →こちら(「近代など(20世紀~) Ⅳ」の「おまけ」)や、→そちら(『ダンウィッチの怪』(1970)の頁の「おまけ」)で挙げた

人間椅子、「ダンウィッチの怪」、1998

 という曲の歌詞には、
「56億7千万
 時の牢屋で待っていた」
 という部分があります。タイトルが示すように、待っていたのは未来仏ではないのですが。


羅門祐人、『彌勒降臨 1 破滅の伝承』(ハルキ文庫 ら 1-1)、角川春樹事務所、2001

五十嵐大介、『SARU』(下)、2010

 p.215 で「56億7千万年」という台詞が飛びだします。

『スペース☆ダンディ』、第7話「宇宙レースはデンジャラスじゃんよ」、2014/2/16、監督:夏目真吾、総監督:渡辺信一郎

 のラストで主人公は56億7千万年後に飛ばされ、ある存在と出会うことになります。

『マジンガーZ/INFINITY』、2017、監督:志水淳児

 でもクライマックスで唐突に、年数ではありませんが、「56億7千万」という数字が飛びだしました。

竹本健治、『闇に用いる力学 赤気篇』、光文社、1997

 に

「例えばそのひとつは先程彼女自身が口にした弥勒に関することで、この世に姿を現わす五十六億七千万年後という数字こそに、何か秘密が隠されているのではないかという疑念だった」

 という一文がありました(pp.162-163)。


竹本健治、『これはミステリではない』、講談社、2020

 でも最後の頁で唐突に、「56億7千万年後」の語が飛びだします(p.238)。

 などなどと目白押しです。 
………………………

 〈弥勒〉にまつわる問題は、仏教固有のそれに留まらず、民俗学、社会運動の領域にまでひろがるものですが、まずは

渡辺照宏、『愛と平和の象徴 弥勒経 現代人の仏教 8』、筑摩書房、1966
過去仏と未来仏/弥勒仏説話の成立/弥勒下生成仏経/聖弥勒発趣経/観弥勒上生兜率天経など、
284ページ。


 この内第3章「弥勒下生成仏経」は、「『弥勒下生成仏経』の漢訳五種の他、パーリ語、コータン語のものも参照」(p.3)しつつ、
「もっとも詳しい第四経『弥勒大成仏経』を中心として」(p.111)、「マイトレーヤ仏陀が出現する未来社会とその救済を詳しく記述した」(p.3)。
 第4章「聖弥勒発趣経」は、チベット語訳しか現存しないこの経典の「全文をわかりやすく翻訳し解説した」(p.3)。
 第5章「観弥勒上生兜率天経」は、「チベット語訳を参照し、文脈を整理し」て、漢訳本を「訳出し解説した」(p.4)もの。


松本文三郎、『弥勒浄土論・極楽浄土論』(東洋文庫 747)、平凡社、2006
弥勒浄土論(1911);叙論/弥勒経典志/所謂六部経以外の大乗弥勒経典/所謂弥勒の六部経/阿含部に於ける弥勒経典/仏時代果して将来仏弥勒の思想ありたるか/将来仏としての弥勒信仰の起原/弥勒経典の原形と其発展/弥勒浄土と弥陀浄土/附録 吉蔵、懐感、元暁三師の二種浄土比較論//
極楽浄土論(1904);叙論/他力念仏/浄土 阿弥陀経に於ける極楽世界、大善見王経に於ける浄土、婆羅門教に於ける理想国/阿弥陀仏 阿弥陀、西方世界//
解説(前田耕作)など、
388ページ。


速水侑、『弥勒信仰 - もう一つの浄土信仰 - 日本人の行動と思想 12』、評論社、1971
弥勒の救い//
弥勒信仰の成立;大陸の弥勒信仰/弥勒信仰の伝来/律令社会と弥勒信仰//
弥勒信仰の発達;天台・真言宗と弥勒信仰/浄土教の発達と弥勒信仰//
末法思想と弥勒下生;民間弥勒信仰の変化/貴族社会上生信仰の存続//
中世浄土教の成立と弥勒信仰;旧仏教の弥勒信仰/民衆のなかの弥勒信仰など、
242ページ。


宮田登、『ミロク信仰の研究 新訂版』、未來社、1975
新訂版はしがき/はしがき//
序論//
伝承態としてのミロク信仰;ミロク信仰の基調/ミロク伝承の実態/ミロク私年号の意味/鹿島踊とミロク踊/金華山信仰とミロク//
ミロク下生の系譜;弥勒寺の伝承/稲作儀礼とミロク下生/布袋信仰とミロク/ミロク下生の具体性//
ダイシ信仰とミロク;ダイシ伝説の意味と類型/ダイシの宗派性と類型性/弘法大師の入定伝説とミロク信仰/廻国行者の入定・奇蹟伝説とミロク信仰//
富士信仰とミロク富士講成立の前景/富士講の成立と展開/行者ミロク出現の意義/富士講の教理/富士講の教団化//
世直しとミロク信仰農耕儀礼と世直し観/鎮送呪術と世直し観/鹿島信仰の性格/地震と世直し/鹿島信仰と地震/鯰絵と世直し観//
大本教とミロク辰の年の意味/辰の年と預言性/大正五年と「明治五五年」/昭和三年辰の年/大本教の「ミロクの世」//
沖縄のミロク信仰柳田民俗学と沖縄/宗教史と沖縄/新宗教の形成/八重山のミロク/八重山ミロクと鹿島/宮古・本島のミロク/ミルク神の出現//
「ミロクの世」の構造;比較民俗学の基準/ミロクとムーダン/子授けと再生信仰/ミロクの世とシャカの世/先天の世と後天の世//
総括//
補論 日本民俗学の理論的課題;学説史的回顧(歴史科学か現代科学か 文献か伝承資料か)/民俗学の基礎概念(常民概念の理解 抽象概念としての常民 郷土研究における常民 地域民俗学の提唱)など、
414ページ。


宮田登、『弥勒』(講談社学術文庫 2776)、講談社、2023
はじめに//
民間伝承としての弥勒;弥勒伝承の特徴〈その一〉/弥勒伝承の特徴〈その二〉//
宗教運動と弥勒;宗教運動とメシアニズム/弥勒信仰の原点//
比較宗教論における弥勒;弥勒信仰と女性/中国における弥勒信仰/朝鮮半島の弥勒信仰/日本の弥勒信仰//
日本仏教と弥勒;日本仏教史における弥勒/民間信仰への広がり//
鹿島信仰と弥勒;鹿島踊りと弥勒踊り/鹿島と沖縄・八重山地方//
朝鮮半島と沖縄の弥勒;朝鮮半島の弥勒信仰/沖縄の弥勒信仰//
世直しと弥勒;弥勒の世/弥勒信仰と富士山/鯰絵の世界//
大本教の中の弥勒;神の啓示と予言/【弥勒の世】へのプログラム//
まとめなど、
276ページ。


 『新しい世界への祈り 弥勒』(1980)の文庫化
 上掲『ミロク信仰の研究 新訂版』(1975)およびその初出形『ミロク信仰の研究 - 日本における伝統的メシア観』(1970)では、

 「終始一貫、弥勒という漢字表記ではなく、仮名表記で示した。それには十分な意図があった。すなわち弥勒信仰を、あくまで日本の伝統的な民俗としてとらえる。だからミロクは民俗語彙の次元で採集される性格があるという考え方によった。…(中略)…
 本書は、そういう意味で、あえて民俗語彙としてのミロクからみるという前二著の立場を離れ、あくまで仏教上の弥勒信仰の流れを通して、東アジアの仏教文化圏の中で、日本の弥勒・ミロクの態様を浮かびあがらせてみようという意図のもとに構成された」(「はじめに」、pp.3-4)。


宮田登編、『弥勒信仰 民間宗教史叢書 第八巻』、雄山閣出版、1984
民俗宗教におけるミロク;みろくの船(柳田国男)/ミロク信仰の流布と機能(酒井卯作)/日本におけるメシア運動(高取正男)/近世弥勒信仰の一面(和歌森太郎)/嵩山のミロク信仰(阪本英一)/鹿島踊の考察(永田衡吉)//
日本宗教史におけるミロク;律令社会における弥勒信仰の受容(速水侑)/平安時代における弥勒浄土思想の展開(平岡定海)/弥勒信仰と弥勒の世(安永寿延)/富士講の夜明け(岩科小一郎)//
比較宗教論におけるミロク;将来仏としての弥勒信仰の起源(松本文三郎)/イラン的信仰と仏教の出会い(鈴木中正)/元・明革命と白蓮教(鈴木中正)/花郎制度の本質とその機能(三品彰英)//
弥勒信仰の研究成果と課題(宮田登)など、
340ページ。


 あわせて - 弥勒の話からはずれますが -

宮田登、『終末観の民俗学』、1987

 も参照

金三龍、『韓国弥勒信仰の研究』、教育出版センター、1985
総論/三国時代、弥勒信仰とその歴史的位置/百済弥勒信仰と戒律思想/百済弥勒信仰の特性とその歴史的展開/高麗弥勒信仰の展開/朝鮮時代の弥勒信仰とその展開過程/旧韓末新興宗教の発生と弥勒信仰の役割/韓国弥勒信仰の特質(結論)/資料編など、
408ページ。


『しにか』、vol.6 no.10、1995.10、pp.8-67、「特集 東アジアと仏教Ⅱ 弥勒と世界救済の思想」
弥勒の祈りと救い 中国・朝鮮の弥勒信仰(鎌田茂雄)/弥勒の浄土 古代日本の理想世界(速水侑)/民間信仰におけるミロク 農耕社会のユートピア(宮田登)/弥勒信仰と民衆の反乱 中国における展開(浅井紀)/弥勒と布袋 中国民衆の弥勒像(金文京)/はしごを降りてくる弥勒 チベットの弥勒信仰(小野田俊蔵)/弥勒菩薩の姿 弥勒像の変遷(真鍋俊照)/日本人とメシア思想 終末思想と現代(山折哲雄)など

菊地章太、『弥勒信仰のアジア』(あじあブックス 051)、大修館書店、2003
プロローグ 韓国から/韓国にて/中国へ/中国から/中央アジアへ/ふたたび韓国へ/エピローグ ヴェトナムへ、など、
254ページ。


 「ヴェトナム南部のメコン・デルタにある安江(アンザン)省で生まれた」(p.220)宝山奇香(ブゥソン・キフォン)という教団によって十九世紀の後半に作られたという『弥勒度世尊経』についての説明が pp.221-223 にあります。弥勒/釈迦兄弟の軋轢が語られているとのことで、そこでも韓国に類した話が伝えられていることが指摘されています。これに上掲宮田登『ミロク信仰の研究 新訂版』(1975) p.286 に記された宮古の伝承、同第八章第四節「ミロクのとシャカの世」での朝鮮巫歌を合わせて(同、『弥勒』(1980/2023)の第6章「朝鮮半島と沖縄の弥勒」も参照)、ズルヴァーン教の神話との比較を促す点がありはしないでしょうか。
 →こちらも参照:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「iv. 朝鮮・韓国など」。また→あちら(イランのページ)からもリンクしておきます。

 なお、沖縄と韓国における弥勒像の類似については;

田畑博子、「ミロク信仰 沖縄と韓国のミロク説話の比較研究」、『沖縄文化研究』、no.29、2003.3.31、pp.57-90 [ < 法政大学学術機関リポジトリ

 併せて;

浅井紀、「黄天道とその宝巻」、『東海大学紀要. 文学部』、no.67、1997、pp.196-177 [ < CiNii Articles

 とりわけ pp.192-191 の『弥勒出西宝巻』からの引用を参照のこと。
 浅井紀の著述からは→こちらも(その前後にも〈弥勒〉にまつわる文献を挙げています):「中国 Ⅱ」の頁の「ix. 民間信仰、その他

 菊地章太の著述からは以下の論文以外にも、「中国 Ⅱ」のページ、「vi. 道教など」の項の随所に登場します;

菊地章太、「六世紀中国の救世主信仰 - 『証香火本因経』を手がかりに -」、『道教文化への展望 - 道教文化研究会論文集』、平河出版社、1994、pp.320-341

菊地章太、「李弘と弥勒 - 天師道の改革と中国仏教における救世主信仰の成立 -」、山田利明・田中文雄編、『道教の歴史と文化』、雄山閣、1998、pp.115-143

菊地章太、「弥勒授記における理想世界の自然認識」、『桜花学園大学研究紀要』、no.3、2001.3.31、pp.189-216 [ < CiNii Articles

立川武蔵、『弥勒の来た道』(NHKブックス 1229)、NHK出版、2015
序章 半跏思惟像は弥勒か/弥勒信仰と経典を知る/弥勒の起源を探る/初期経典と弥勒像/大乗仏教のほとけたち - 仏教パンテオンの成立/弥勒と阿弥陀信仰/伝播の道 - 弥勒、東へ/マンダラと弥勒/日本の弥勒信仰/終章 聖なるものと俗なるものなど、
248ページ。

………………………

林伝芳、「契此以後の弥勒信仰について」、『印度學佛教學研究』、vol.23 no.2、1975、pp.824-829 [ < J-STAGE ]

木村宣彰、「弥勒信仰について - 『観弥勒菩薩上生兜率天経』の考察 -」、『大谷学報』、62巻4号、1983.2、pp.57-59 [ < 大谷大学 学術情報リポジトリ
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00001876/

木村宣彰、「弥勒仏の出世について - 特にその時節を中心に -」、『佛教学セミナー』、37号、1983.5.30、pp.31-42 [ < 同上 ]
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00007307/

 同じ著者による→こちらも参照(仏身論について:本頁下掲の「v. 仏身論、密教など」)

 上掲、宮治昭『仏教美術のイコノロジー インドから日本まで』(1999)、「巨大仏の思想」の章と合わせて;

宮治昭、「弥勒と大仏」、『オリエント』、vol.31 no.2、1988、pp.107-124 [ < J-STAGE ]

花山勝友、「弥勒菩薩の兜率天」、『大法輪』、第55巻第7号、1988.7、「特集 仏教の世界観 - 迷いの世界と仏の世界」

柏原信行、「パーリ仏教における未来仏」、『印度學佛教學研究』、vol.38 no.2、1990.3、pp.888-884 [ < J-STAGE ]

明神洋、「仏教の終末観と救済思想 - インドから中国へ -」、『道教文化への展望 - 道教文化研究会論文集』、平河出版社、1994、pp.294-319

白山和宏、「房山石経中の弥勒経」、『印度學佛教學研究』、vol.50 no.1、2001.12、pp.156-159 [ < J-STAGE ]

藤能成、「元暁の『弥勒上生経宗要』について - 聞名と三経観を中心に -」、『印度學佛教學研究』、vol.51 no.1、2002.12、pp.24-30 [ < J-STAGE ]

藤井政彦、「隋末の『弥勒出世』を標榜した反乱について : 発生時期が意味するもの」、『印度學佛教學研究』、vol.59 no.2、2011.3.20、pp.585-590 [ < CiNii Articles

鎌田繁、「マハディーとマイトレーヤ(弥勒仏) - イスラームと仏教における救済者 -」、『一神教学際研究』、vol.8、2013.3、pp.63-79

折山桂子、「敦煌莫高窟における初唐の弥勒経変相図の嚆矢をめぐって」、『美術史』、185号、vol.LXVIII no.1、2018.30、pp.1-17
弥勒経変相図の概要と先行研究;弥勒経変相図の概要/弥勒経変相図をめぐる先行研究//
弥勒経変相図の編年;編年の手法及び基準作例の確認/弥勒経変相図を有する窟の検討//
第三二九窟の検討


 〈富士講〉とその周辺については→こちら:「日本 Ⅱ」の頁の「ix. いわゆる民衆宗教・新宗教など

 過去仏の周期について;

平野眞完、「過去佛について」、『印度學佛教學研究』、vol.9 no.2、1961、pp.538-539 [ < J-STAGE ]

熊谷進、「過去七仏信仰について」、『印度學佛教學研究』、vol.27 no.2、1979、pp.682-683 [ < J-STAGE ]

竹本寿光、「過去四仏について」、『印度學佛教學研究』、vol.28 no.1、1979、pp.297-299 [ < J-STAGE ]

天野信、「辟支仏とMahāpadānasuttanta」、『龍谷大学佛教学研究室年報』、no.12、2004.3.31、pp.1-18 [ < 龍谷大学学術機関リポジトリ(R-SHIP)

天野信、「Mahāpadānasuttantaとパーリ律経分別の関係」、『パーリ学仏教文化学』、no.18、2005.2.20、pp.77-84 [ < CiNii Articles

天野信、「『七仏経』成立をめぐる諸問題」、『印度學佛教學研究』、vol.57 no.2、2009.3.20、pp.912-908 [ < CiNii Articles

天野信、「大本経における七仏の事蹟と浄居天の神」、『印度學佛教學研究』、vol.58 no.2、2010.3.20、pp.928-923 [ < CiNii Articles

天野信、「大本経成立をめぐる諸問題」、『佛教學研究』、no.66、2010.3.15、pp.72-97 [ < 龍谷大学学術機関リポジトリ(R-SHIP)

舟橋智哉、「過去七仏思想の源泉」、『印度學佛教學研究』、vol.55 no.1、2006.12.20、pp.354-350 [ < CiNii Articles
………………………

 多仏説について;

藤田宏達、「阿含における多佛思想の一斷面 - 現在他方佛との關係 -」、『印度學佛教學研究』、vol.6 no.2、1958、pp.375-384 [ < J-STAGE ]

三友量順、「『十方諸仏』と十六王子」、『印度學佛教學研究』、vol.36 no.2、1988.3、pp.785-792 [ < J-STAGE ]

平岡聡、「仏陀観の変遷 - Divyāvadāna と Mahāvastu との比較 -」、『印度學佛教學研究』、vol.46 no.1、1997.12、pp.391-387 [ < J-STAGE ]

杉山二郎、「東方瑠璃光薬師浄土についての一考察 : 文化論的アプローチから」、『国際仏教学大学院大学研究紀要』、no.1、1998.3、pp.107-150 [ < CiNii Articles

藤近恵市、「『八千頌般若経』における多仏思想の受容」、『印度學佛教學研究』、no.13、2004、pp.62-85 [ < J-STAGE ]

藤近恵市、「『般若経』における多仏思想」、『印度學佛教學研究』、vol.53 no.1、2004.12、pp.222-226 [ < J-STAGE ]

岩井昌悟、「一世界一佛と多世界多佛」、『東洋学論叢』、no.36、2011.3、pp.164-138 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ

 また;


石田充之、「末法思想」、三枝充悳編、『講座 仏教思想 第一巻 存在論 時間論』、理想社、1974、pp.317-360
インド方面における正法像法思想の展開/中国における正像末法思想の展開/信行等による三階仏教思想の展開/道綽等以後の末法思想の展開/道宣・窺基等一般に亘る末法思想の展開/日本における平安朝頃巳後の末法思想の展開/鎌倉仏教における末法思想の展開など
………………………

 教義上はおそらく多仏論と関連するであろう、〈化仏〉の概念は、他方、後出の〈飛天〉同様(→こちらを参照:本頁下掲の「vi. 仏教の神話など」)、図像としては〈装飾〉ないし〈荘厳〉と結びつくものと思われます。ともあれ;

干潟龍祥、「マンダラの思想背景」、『密教文化』、no.87、1969、pp.19-26 [ < J-STAGE ]

梶山雄一、「神変」、『梶山雄一著作集 第三巻 神変と仏陀観・宇宙論』、2012、pp.237-285
 初出は1995年
序 仏教の宇宙論と仏陀観 仏教の宇宙論、仏陀観の発展/神通/大乗仏教と神通/原始・小乗仏教と神変/維摩経・首楞厳三昧経と神変/大品般若経の神変/法華経の神変/華厳経と神変 光明による段階的救済の発展、仏の神変、第10地の菩薩の神変/展望


 →こちらでも触れています:本頁上掲の華厳各論


大武宏臣、「パーリ文献における化仏 - 三蔵を中心として -」、『パーリ学仏教文化学』、no.15、2001.12.20、pp.129-136 [ < CiNii Articles

 本節と次節双方の概観として;

梶山雄一、「仏陀観の発展」、『梶山雄一著作集 第三巻 神変と仏陀観・宇宙論』、2012、pp.177-235
 初出は1996年
仏陀観の時間的発展;過去七仏の成立/未来仏の成立/過去二十五仏/賢劫千仏//
仏陀観の空間的発展;一世界一仏論/現在十方諸仏//
二身説の成立;『八千頌般若経』/『二万五千頌般若経』/『法華経』/『華厳経』/『金光明経』/龍樹/中観派における二身説と化仏

v. 仏身論、密教など

 仏教における神学の体系化というべき仏身論に出くわしたのはおそらく;

渡辺照宏、『不動明王』(朝日選書 35)、朝日新聞社、1975
日本における不動尊信仰;「お不動さま」/インド仏教/密教の由来/弘法大師と不動尊/広まる信者層/平安文学にあらわれた不動尊/不動尊の信者たち/室町時代の不動尊/近世の不動尊/不動尊の種々相//
不動尊の考察;密教とは何か/不動明王の正体/『大日経』にみる不動尊/十九観について/不動尊の従者/尊形の種々相/大自在天の説話/本尊供養/護摩など、
232ページ。

 ちなみに第二部七章「大自在天の説話」における大自在天の位置づけも印象に残っています。
 →こちらで少し触れています:「世界の複数性など」の頁中

 ともあれ上掲の未来仏、過去仏、多仏説などとも関わる、仏陀観、仏身論についての総論的なものとして;


保坂玉泉、「仏陀観の展開」、『駒澤大學佛教學部研究紀要』、no.21、1962.10、pp.5-13 [ < CiNii Articles

植田重雄、「宗教学的見地における仏身論」、『早稲田商学』、no.261、1976.20、pp.906-829 [ < 早稲田大学リポジトリ(DSpace@Waseda University)

越智淳仁、『法身思想の展開と密教儀礼』、法藏館、2009
序章 法身思想の研究方法と法の概念規定;問題意識と法の概念規定/初期仏教における法の記述//
初期仏教における師資相承句と法身思想;
Aggañña-suttanta と師資相承句の成立/初期仏教における師資相承句//
般若経の師資相承句と法身思想;般若経類本における師資相承句/不来不去の定型句と真言/仏出世不出世の定型句/四十二字門と五十字門//
般若経の仏身説と法身思想;般若経の仏身説/『大智度論』の二身説と法身思想/『金剛般若論』の言説法身と証得法身//
法華経の師資相承句と法身思想;『妙法蓮華経』「譬喩品第三」の師資相承句/「長者窮子」に見られる師資相承句/法華経の法身思想/多宝塔如来の全身舎利と如来の全身//
華厳経の師資相承句と法身思想;華厳経の師資相承句/華厳経の毘盧遮那/一切義成就菩薩とシッダールタ/毘盧遮那の三密の働き//
華厳経の法身思想;
śarīra, ātma-bhāva, kāya/清浄法身と無礙/華厳経の神変加持/華厳経の神変と加持のメカニズム/心の浄化から肉体の浄化へ//
涅槃経の師資相承句と法身思想;第1類の涅槃経/第2類の涅槃経の法身思想/『勝鬘経』の師資相承句と法身思想//
『楞伽経』の師資相承句と法身思想;『楞伽経』の師資相承句/『楞伽経』の法身思想/『楞伽経』の教えの集合体/『楞伽経』の四身説/『楞伽経』の法性仏と等流仏/ジュニャーヴァジュラの論駁//
唯識・如来蔵系経論の師資相承句と法身思想;『現観荘厳論』の四身説/『現観荘厳論』の注釈類における三身説と四身説/各節の検討//
密教の師資相承句;『大日経』の師資相承句/金剛頂経系の師資相承句/陀羅尼経系の師資相承句/密教経典に見られる三昧耶戒/『金剛頂瑜伽中略出念誦経』所説の三昧耶戒/華厳経所説の三昧耶戒の原形/密教菩薩道の理念//
密教の法身思想;密教の阿字と法身/密教の仏身思想/ブッダグフヤの仏身説//
金剛頂経系の法身思想;『聖位経』の四身説と報身と受用身/シャーキャミトラとアーナンダガルバとプトンの解釈/法身と大毘盧遮那/各節の検討/四身の特色//
密教の五相成身観;五相成身観/五相成身観の7種の解釈/梵分『初会金剛頂経』における五相成身観の実践/
Vajraśekharatantra の心の観察と真言/Vajraśekharatantra 所説の五相成身観など、
464ページ。


立川武蔵、『三人のブッダ』、春秋社、2019
はじめに/
ブッダの生涯 - 一人目のブッダ/アミダ仏の出現 - 二人目のブッダ/自分と他者なるブッダ/ブッダとアミダ仏/帰依の構造/帰依と真言 - 『般若心経』の方法/大日如来の出現 - 三人目のブッダ/聖なる世界のシンボル - アジアの神々と仏塔/現代仏教の世界観など、
260ページ。


 本題からずれた話ですが→こちらで触れました:「インド」の頁の「サーンキヤ学派など」の項
………………………

金山龍重、「佛身論とドケテズム」、『駒沢大学仏教学会年報』、vol.5 no.2、1934、pp.61-67 [ < CiNii Articles

木村宣彰、「法雲の佛身説」、『佛教学セミナー』、16号、1972.10.30、pp.59-71 [ < 大谷大学 学術情報リポジトリ
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00007635/

木村宣彰、「僧叡の法身説」、『印度學佛教學研究』、37巻1号、1988、pp.9-71 [ < J-STAGE
DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.37.95

木村宣彰、「五種法身説 - 中国仏教初期における法身説の一類型 -」、『佛教学セミナー』、48号、1988.10.30、pp.11-28 [ < 大谷大学 学術情報リポジトリ ]
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00007166/

木村宣彰、「竺道生の法身説」、『大谷学報』、69巻3号、1989.12、pp.28-47 [ < 大谷大学 学術情報リポジトリ ]
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00001531/

 同じ著者による→こちらも参照(本頁上掲の弥勒について

加藤精一、「『金光明経』の仏身観と真言密教」、『印度學佛教學研究』、vol.28 no.1、1979、pp.319-323 [ < J-STAGE ]

長谷川岳史、「『大乗法苑義林章』における諸経論の仏身観に対する解釈 - 『三身義林』第一〈弁名〉・第二〈出体〉」、『龍谷大学佛教学研究室年報』、no.9、1996.3.31、pp.2-233 [ < 龍谷大学学術機関リポジトリ(R-SHIP) ]

長谷川岳史、「隋代仏教における三身解釈の諸相」、『龍谷大学論集』、no.471、2008.1.30、pp.62-81 [ < 龍谷大学学術機関リポジトリ(R-SHIP) ]

長谷川岳史、「隋代仏教における真・応二身説」、『佛教學研究』、no.65、2009.3.10、pp.1-20 [ < 龍谷大学学術機関リポジトリ(R-SHIP)

津田明雅、「『三身讃』について」、『印度學佛教學研究』、vol.54 no.1、2005.12.20、pp.469-466 [ < CiNii Articles

太田蕗子、「チャンドラキールティの仏身論」、『印度學佛教學研究』、vol.58 no.1、2009.12.20、pp.422-418 [ < CiNii Articles

織田顕祐、「仏身観の展開から見た曇鸞の方便法身の概念について」、『佛教学セミナー』、93号、2011.6.30、pp.1-20 [ < 大谷大学学術情報リポジトリ ]
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1374/00006693/

 同じ著者による→こちらを参照:本頁内「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」中の「華厳教学等」の項
………………………

 まだまだ多くの論考があるものと思われますが、ここではとりあえず目についた範囲で、親鸞および浄土真宗から;

普賢大圓、「眞宗如來論の特色」、『印度學佛教學研究』、vol.9 no.2、1961、pp.516-523 [ < J-STAGE ]

浅井 成海、「親鸞の仏身観」、『印度學佛教學研究』、vol.38 no.1、1989.12、pp.1-10 [ < J-STAGE ]

赤渕弘祐、「垂名示形論再考」、『印度學佛教學研究』、vol.54 no.2、2006.3.20、pp.750-753 [ < CiNii Articles

 垂名示形=すいみょうじぎょう、名を垂れて形を示す。

 「現在においては垂名示形に関して二通りの用いられ方があると考えられる。…(中略)…
 まず仏身論として解釈される場合…(中略)…」(p.750)、

 「一如は…(中略)…非因非果無色無形であり、何者にも固定的実体的に把握されることのない絶対の境界である。しかし、一如がそのままにとどまるならば人間の思議を超えていることになり、衆生の信の対象にもなりえず、なんらの接点も持ち得ないことになる。…(中略)…よって衆生済度の為に弥陀が一如よりかたちを現わした、つまり一如よりあらわれて法蔵比丘となのり、阿弥陀仏となる因果相を示し、またその阿弥陀仏が本願に酬報した報身如来であることを具体的に示そうとしたものと窺える」(P.751)。

 「次に名号論としての垂名示形」(同上)、

 「示形を一如より顕れた法蔵比丘が阿弥陀仏となる因果相として捉え、垂名を第十七願に誓われた我名であると解釈するのが、名号論としての垂名示形である」(p.752)。

 「両説とも、共に『いろもなしかたちもましまさぬ』法性法身から衆生を摂化せんと示現した、方便法身に関連しての用語であることは明らかである。また両説に共通しているのは、垂名示形の語が従仏向生の向下的方向性を表現せんが為に使用されている点にある」(同上)。

赤渕弘祐、「垂名示形の一考察」、『龍谷大学大学院文学研究科紀要』、no.28、2006、pp.1-16 [ < CiNii Articles

宇野惠教、「親鸞の仏身論は『基体説』ではない」、『印度學佛教學研究』、vol.54 no.2、2006.3.20、pp.726-730 [ < CiNii Articles

 親鸞については→こちらも:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大山世界/四大劫・六十四転大劫」の項の末尾
………………………

アンリ・アルヴォン、渡辺照宏訳、『佛教』(文庫クセジュ 147)、白水社、1954
原著は Henri Arvon, Le Bouddhisme, 1951
序/佛教以前のインド;ヴェーダ教とバラモン教/宗教的基礎//佛教;佛陀の生涯/佛陀の教理/教團//佛教の歴史;三乗/インド佛教とその南アジアへの發展/チベットと蒙古との佛教/中国の佛教/日本の佛教/佛教と西洋など、138ページ。

 本書 pp.85-86 で「大乗の佛陀観」として紹介されている、

「アーディブッダ[本源的な佛陀]という本源的な佛陀は獨立して存在し(スヴァヤンブー)、これから世界が現出する。この佛陀の瞑想から五の《瞑想の佛陀》(ドヤーニブッダ)が生ずる。同じく現出の作用によってこの五の佛陀から五の《瞑想の菩薩》(ドヤーニボーディサットヴァ)が生ずる。最後に瞑想の佛陀からの現出に應じて地上に五の《人間的佛陀》(マーヌシブッダ)が現れる。シャークヤムニはその中の四番目である。現在の進展週期における第五で最後の佛陀マイトレーヤ[弥勒]はこれに續くことになっている」

 という記述を読んで以来、ずっと気になっているのが、アーディブッダ(本初仏)のことです。

 当初見かけたのは;

H.v. グラーゼナップ、田中教照訳、「金剛乗の成立」、『エピステーメー』、vol.2 no.7、1976.7:「特集 空海と密教の思想」、pp.95-102
原著は Helmuth von Glasenapp, ‘Die Entstehung des Vajrayāna’, 1936

 本論考の p.101 では、

「多くのタントラの秘密教は全宇宙の不滅の生命原理を構成する原初仏(
ādi-buddha)の存在を説くのである。無始以来目覚めている『原初仏』を説く教説は無著の『大乗荘厳経論(Sūtrâlaṅkāra)』九の七にはじめて言及されているが、そこでは異端として論難されている」

 云々と記されていました。

 また

岩本裕、『密教経典 佛教聖典選 第七巻』、読売新聞社、1975

 序説 p.20 には、

「このような佛教者の心象は、歴史上のブッダをさえ『佛』たらしめる原初佛(アーディ=ブッダ
Ādibuddha)を出現させるに至った。この発生の過程を明確に示しているのがジャワの密教の綱要書である『聖大乗論』San hyang Kamahāyānikan で、原初佛から法身仏としての釈迦牟尼が現われ、この釈迦牟尼如来から大日如来が現われると説かれ」

 云々とあります。
 上に引かれた「ジャワの密教の綱要書である『聖大乗論』San hyang Kamahāyānikan」について→こちら:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「vi. ジャワ、バリなど

木村日紀、「印度 Orissa に起源する般若空觀化の Viṣṇu 信仰に就て」、『印度學佛教學研究』、vol.7 no.1、1958.12、pp.206-210 [ < J-STAGE ]

 イスラーム侵入の直前、16-17世紀の「般若空観化したViṣṇu 信仰」の指導者の一人、Caitanya DāsaViṣṇugarbha 199-283 の叙述と比較するべく、「ネパールの密教徒が尊重する Svayambhūpurāṇaの思想」として、pp.209-210 に、同工の神統譜が記されています。

 『スヴァヤンブー・プラーナ』については、

氏家覚勝、「本初仏の塔管見 - ネパールの密教 -」、『佛教藝術』、no.152、1984.1、pp.75-87

 でも取りあげられています。
 同 p.84 の注1 によると、さらに、


氏家覚勝、「ネパールの仏塔信仰について」、『日本仏教学会年報』、no.39、1973、pp.85-101

氏家覚勝、「スヴァヤンブー生起の物語 - 〈Svayambhū-Purāṇa〉の解説ならびに第一~第三章和訳 -」、『高野山大学論叢』、no.11、1976、pp.1-35

 があるとのことですが、残念ながら未見。後者 pp.8-9 では、「〈グナカーランダ・ヴューハ〉第三章中の本初仏の創造説を引用」しているとのこと(別掲の 吉崎一美「Gurumaṇḍala-pūjā とその造形」→こちら:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「iii. ネパールなど」、p.92。)
 『スヴァヤンブー・プラーナ』を取りあげているものとして→そちらも:同上の別の箇所
 また『グナ・カーランダ・ヴューハ・スートラ』について→下掲の佐久間留理子「諸天を生成する観自在の二類型」(2010)も参照

追補:
 氏家覚勝「スヴァヤンブー生起の物語 - 〈
Svayambhū-Purāṇa〉の解説ならびに第一~第三章和訳 -」(1976)
を見る機会がありました。和訳された『スヴァヤンブー・プラーナ』1~3章には本初仏のことが直接出てくるわけではありませんが、前に置かれた解説で、

「(二) スヴァヤンプーの意味 (1)-創造神-」および「(三) スヴァヤンプーの意味(2)-仏の異名-」として、〈スヴァヤンプー=自生者または自存者〉が「本初仏の別名であること」、

「もともとこの語は、インド思想史上、宇宙を創造する第一原理的な存在または創造神の形容語として、使用されてきた」こと(p.3)、

仏教側におけるこの語の使用例が

「仏または過去仏の異称」(p.7)を経て、「インド教のつよい影響を受けたネパールの後期密教では、創造神たる梵天等の性格が、そのままスヴァヤンプーたる本初仏に反映されている」(p.8)

 ことなどが説かれていました。

 その他;

酒井紫朗、「本初佛(Ādi-buddha)について」、『干潟博士古稀記念論文集』、干潟博士古稀記念會、1964、pp.469-483

 〈本初仏〉の思想並びに信仰は密教において成立したものとし、
『大日経』「具縁品」、
『金剛頂経』「初会」・「第六会」・「第十五会」、
『名等誦 Nāma-saṃgīti 』こと『文殊智慧薩埵勝義名集=聖妙吉祥真実名経』、
『時輪経』
 とその展開が辿られます。

 下掲

S・B・ダスグプタ、『タントラ仏教入門』、1981、pp,75-76, 92-96, 102-103 など

SHAKYA Sudan、「『ナーマサンギーティ』の註釈に見られる本初仏の解釈について The Interpretation of Ādibuddha : As Described in the Nāmasaṃgīti Commentaries」、『印度學佛教學研究』、vol.58 no.3、2010.3.25、pp.1260-1266 [ < CiNii Articles (本文英文)

 さて、仏身論や本初仏にからんで、密教ないし仏教タントリズムに関連する資料がすでに挙がっていますが、
まずは宇宙論に関わる記述が豊富なものとして;

田中公明、『超密教 時輪タントラ』、東方出版、1994
序章 『時輪タントラ』とは何か/曼荼羅の生成理論/コスモロジーと曼陀羅/神秘のモノグラム-ナムチュワンデン/シャンバラ伝説 - 隠された王国と最終戦争 -/曼陀羅の身体論/密教における受胎と胎児論の歴史的展開 - 『時輪タントラ』の内品を中心にして -/密教におけるイニシエイションの二重構造/ミクロコスモスとマクロコスモスの完全なる対応 - 身口意具足時輪曼陀羅 -/密教における絶対者のイメージ - 守護尊カーラチャクラの姿 -/臨死体験と曼陀羅-『秘密集会』の「五相」と『時輪』の「夜と昼のヨーガ」を中心として-/不変と楽と身体のアルケミー的変容 - 六支瑜伽 -/終章 『時輪タントラ』研究の意義と展望など、
252ページ。


田中公明、『性と死の密教』、春秋社、1997
導入篇 - 仏教と輪廻転生//
セクソロジー篇;性理論の導入/性理論の体系化//
タナトロジー篇;四大の不調/意識の解体/プラーナの分離//
完結篇-生と死の統合など、
288ページ。

 とりわけ導入篇で四禅天に関する記述があります。
 →こちらで少し触れています:「世界の複数性など」の頁中

立川武蔵編、『曼陀羅と輪廻 その思想と美術』、佼成出版社、1993
思想・宗教編;浄土とマンダラ(立川武蔵)/曼陀羅とコスモロジー再考 - 空海の曼陀羅理解の一側面(廣澤隆之)/チベット人の死生観(小野田俊蔵)/臨死体験と曼陀羅 - 『秘密集会』の「五相」と『時輪』の「夜と昼のヨーガ」を中心として(田中公明)/マンダラの成立根拠(野口圭也)/母なる一切衆生 - チベット仏教における輪廻と修行体系(谷口富士夫)/ヒンドゥーの救いの構造(日野紹雲)/ヒンドゥー実在論哲学の世界の構造と周期(和田壽弘)//
美術・図像編;八相如来像の種々相(頼富本宏)/サンヴァマンダラの図像学的考察(森雅秀)/宇宙主としての釈迦仏 - インドから中央アジア・中国へ(宮治昭)/インドの生死輪図 - アジャンター壁画の作例について(平岡三保子)/悪道の母子 - 日中における図像と意味内容の変遷(鷹巣純)/「最後の審判」と「キリストの冥府降下」(木俣元一)など、
352ページ。


立川武蔵編、『マンダラ宇宙論』、法藏館、1996
コスモス;「コスモス」とは何か(G.L.エバソー)/マンダラの中心における自己 - 近代の発明を再発見するユング思想をめぐって -(J.W.ハイジック)//
自己と世界の表象;ヒンドゥー教の自我と世界(日野紹雲)/インド自然哲学における自我(和田壽弘)/ジャイナ教のマンダラ - 〈聖なる集い〉(samavasaraṇa)について -(矢島道彦)/タントラ仏教における自己と宇宙(野口圭也)//
マンダラの本質;マンダラの形態の歴史的変遷(森雅秀)/コスモグラム・サイコグラムとしての曼陀羅 -曼陀羅の哲学的解釈はいかにして可能か -(田中公明)/『時輪タントラ』第一章「世界の章」について(S.バフルカル、山口しのぶ 訳)//
都市と儀礼のコスモロジー;南インド寺院都市の形成とマンダラ - シュリーランガムを中心に -(小倉泰)/ラサ-マンダラ都市(奥山直司)/六道十王図のコスモロジー(鷹巣純)/ネワール仏教儀礼における仏の「受胎」と「誕生」(吉崎一美)//
生命体としてのコスモス;蓮のイコノロジー - 誕生・浄土・曼陀羅のシンボリズム -(宮治昭)/生命体としてのコスモス(立川武蔵)など、
468ページ。

マルティン・ブラウエン、森雅秀訳、『【図説】曼陀羅大全 チベット仏教の神秘』、東洋書林、2002
原著は Martin Brauen, The Mandala : Sacred Circle in Tibetan Buddhism, 1997
神秘へのアプローチ/仏教の法輪の中心-根本概念/外のマンダラ-宇宙/内なるマンダラ-人間/もうひとつのマンダラ-タントラの方法/マンダラと西洋など、
298ページ。

………………………

 密教の概観として;

S・B・ダスグプタ、宮坂宥勝・桑村正純訳、『タントラ仏教入門』、人文書院、1981
原著は Shashi Bhushan Dasgupta, An Introduction to Tantric Buddhism, 1974
緒言//
序論;仏教タントラの使命/タントラ仏教の発展と関わりをもつ大乗の特徴/タントラにみられる大乗哲学体系の影響(ナーガールジュナの中観哲学 アシュヴァゴーシャの真如説 唯識派、すなわち瑜伽行者派 ヴェーダンタとの類似性およびタントラにおける新しい発展)//
仏教タントラにみられる未体系の哲学断片//
タントラ仏教の諸学派;真言乗の発展/金剛乗 - その最も一般的な名称(時輪乗、ナータ教など 金剛乗の一般的特徴)//
タントラ仏教徒の神学的立場;金剛と金剛薩埵/菩提心(菩提心の一般的な概念 般若と方便としての空性と慈悲 般若と方便の宇宙論的・存在論的意味 男性と女性としての般若と方便 ララナーとラサナー、左と右、母音と子音などとしての般若と方便)/アドヴァヤ(不二性)とユガナッダ(融合の原理)/ラーガ(貪愛)とマハーラーガ(大貪愛)/サマラサ/最終目標としての大楽(無上の至福)-涅槃と大楽(至福という肯定的状態としての涅槃 仏教タントラにおける大楽としての涅槃 大楽の宇宙論的・存在論的意味 密教的実践に関連した大楽 密教的なヨーガ実践と関連した菩提心の変容された観念)//
密教的ヨーガの要素;肉体-真理を獲得するための媒体(神経叢の理論 神経組織)/師の選択/菩提心の生起とその規制/四印、四刹那、四歓喜//
自らのヨーガを弁護するためのタントラ仏教徒の議論など、
310ページ。


 →こちらでも挙げました:本頁上掲の〈本初仏〉に関して

立川武蔵・頼富本宏編、『インド密教 シリーズ密教 1』、春秋社、1999
序論 - 密教とは何か(立川武蔵)//
第一部 仏教の密教;思想篇 インド密教の歴史的背景(立川武蔵)/密教の確立 - 『大日経』と『金剛頂経』の成立と思想(頼富本宏)/後期密教の思想と実践 - 父タントラ・母タントラ(野口圭也)/『時輪タントラ』 - 最高の不変大楽とは何か(田中公明)//
  図像篇 密教の尊格とその図像(田中公明)/後期密教のマンダラ - 異形の神ヘールカのコスモロジー(島田茂樹)/インド密教の観自在(佐久間留理子)//
  美術篇 パーラ朝の仏教美術 - 仏・菩薩の図像を中心に(宮治昭)//
  実践儀礼篇 インド密教ホーマ儀礼(奥山直司)/灌頂儀礼(森雅秀)//
  補説 ジャワの密教(松長恵史)→細目はこちら:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「vi. ジャワ、バリなど」//
第二部 ヒンドゥー教の密教→細目はそちら:「インド」の頁の「vi. タントラなど
296ページ。

立川武蔵・頼富本宏編、『チベット密教 シリーズ密教 2』、春秋社、1999
序論 - チベット密教とは何か//第一部 チベットの密教→細目はこちら:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「ii. チベットなど
第二部 ネパールの密教→細目はそちら:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「iii. ネパールなど
304ページ。

立川武蔵・頼富本宏編、『中国密教 シリーズ密教 3』、春秋社、1999
序論 - 中国密教とは何か(頼富本宏)//
歴史篇 中国密教の流れ(頼富本宏)/中国密教の祖師たち(岩崎日出男)/密教の寺院と霊場(静慈圓)/韓国の密教(洪潤植)/日中の密教交流(愛宕元)//
思想篇 中国密教の思想的特質(頼富本宏)/密教と護国思想(藤善真澄)/初期密教と道教との交渉(坂出祥伸)//
美術篇 中国の密教美術(頼富本宏)/敦煌の密教美術(奥山直司)/韓国の密教美術 - 善無畏系図像の新羅伝来を中心に(朴亨國)/中国ラマ教の遺したもの-金申/唐本図像の世界(泉武夫)//
実践儀礼篇 中国の密教儀礼概論(平井宥慶)/諸尊信仰の種々相(鎌田茂雄)/アジアに現存する密教儀礼(鎌田茂雄)/五臓身体観の神秘(田中文雄)など、
358ページ。

立川武蔵・頼富本宏編、『日本密教 シリーズ密教 4』、春秋社、2000
序論 - 日本密教とは何か(頼富本宏)//
歴史篇 日本密教の成立と展開(頼富本宏)/日本天台の密教(大久保良峻)/空海伝の成立(岡村圭真)/興教大師覚鑁の生涯と思想(松崎恵水)//
思想篇 「自然」への還帰と空海の思想(廣澤隆之)/本覚思想と密教(末木文美士)/曼陀羅と浄土(立川武蔵)/山と密教(和田萃)/山林仏教の密教世界(菅谷文則)//
美術篇 密教美術の世界(有賀祥隆)/空海時代の密教絵画(安嶋紀昭)/密教彫像の成立と変容(伊東史朗)/密教法具(阪田宗彦)//
実践儀礼篇 密教儀礼の構造(宮坂宥洪)/修験道の儀礼(仲田順和)/四国遍路に新しい波-歩き遍路の体験を中心に(星野英紀)/修法空間の神秘(藤井恵介)など、
376ページ。
………………………

 経典の解説として;

頼富本宏、『「大日経」入門 慈悲のマンダラ世界』、大法輪閣、2000
序章 大日経への招待/大日経のふるさと/心のすがた/マンダラ世界に入る/響き合うほとけと人/ほとけとご利益/大日経のひろがり/現代と大日経など、
370ページ。


頼富本宏、『「金剛頂経」入門 即身成仏への道』、大法輪閣、2005
序章 金剛頂経への招待/金剛頂経とは何か/金剛界マンダラの出生/秘密の世界へ/金剛界マンダラの展開/明王と菩薩のマンダラ/金剛頂経のほとけたち/金剛頂経のひろがり/現代と金剛頂経など、
390ページ。

松長有慶編、『インド後期密教[上] 方便・父タントラ系の密教』、春秋社、2005
序 忿怒の仏が放つ宇宙エネルギー - 父タントラと成就法集成(松長有慶)/『真実摂経』 後期密教の源流(川﨑一洋)/『秘密集会タントラ』 欲を生かし育てる(松長有慶)/『幻化網タントラ』 怒りの仏が迷いの幻網を打ち破る(松長有慶)/『ヤマーリ・タントラ』と『マハーヴァジュラバイラヴァ・タントラ』 呪殺の冥王たち(奥山直司)/『ナーマサンギーティ』 読経から瞑想へ(桜井宗信)/『ドゥルガティパリショーダナ・タントラ』 死者の救済と後生安楽を目指して(桜井宗信)/『サーダナマーラー』 成就法の花環(奥山直司)/アバヤーカラグプタの密教儀軌三部作と『阿闍梨所作集成』 インド密教儀礼の集大成(森雅秀)など、
262ページ。


松長有慶編、『インド後期密教[下] 般若・母タントラ系の密教』、春秋社、2006
序 人間の生命力と宇宙エネルギーの共鳴 - 父タントラとカーラチャクラ・タントラ(松長有慶)/『サマーヨーガ・タントラ』 般若・母タントラの原形(田中公明)/『ヘーヴァジュラ・タントラ』 聖と性の饗宴(森雅秀)/『チャクラサンヴァラ・タントラ』 聖地と身体の宗教性(杉木恒彦)/『ブッダカパーラ・タントラ』 仏の髑髏が経を吐く(奥山直司)/『マハーマーヤー・タントラ』 男神の形をした女神(奥山直司)/『チャトゥシュピータ・タントラ』 「死」を「悟り」に転化する(川﨑一洋)/『サンプタ・タントラ』 温故知新(野口圭也)/『カーラチャクラ・タントラ』 インド仏教の総決算(田中公明)など、
256ページ。

………………………

 経典の翻訳ということで、すでに登場した;


岩本裕、『密教経典 佛教聖典選 第七巻』、読売新聞社、1975
序説//
大日経;解題/心の差別の章(住心品)//
金剛頂経;解題/金剛界大曼陀羅の儀軌の細則 初会「金剛界品」の前半ともいうべき「金剛界大曼陀羅広大儀軌品」第一に該当する部分(p.72)//
理趣経;解題/理智の完成へのみち//
パルナ=シャバリー陀羅尼;解題/パルナ=シャバリー//
孔雀明王経;マハー=マーユーリー陀羅尼//
守護大千国土経;マハー=サーハスラ=プラマルダニー陀羅尼、など、
396ページ。


宮坂宥勝訳注、『密教経典』(講談社学術文庫 2062)、講談社、2011
 原著は1986刊。
大日経住心品/理趣経/大日経疏(巻第1~3よりの抄)/理趣釈など、
518ページ


津田眞一、『和訳 - 金剛頂経』、東京美術、1995
通序;通序/別序//
正宗分;五相成身/三十七尊の出生/一切如来の集会/灌頂作法/悉地を成就する智慧/大三法羯・四種印の智慧/諸儀則//
解説など、
272ページ。

 「いわゆる『初会金剛頂経』の『金剛会品』のうち、漢訳でいえば不空訳の三巻本、すなわち『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』(『大正蔵』第十八巻、八六五番)に対応する部分の、サンスクリット原典からの翻訳」(p.9、p.22)。


酒井紫朗、「金剛頂經の第三會に就いて」、『密教研究』、no.71、1939、pp.117-147 [ < J-STAGE ]

松長有慶、『秘密集会タントラ和訳』、法藏館、2000
一切如来が三摩地に入り曼陀羅を加持する第一分/菩提心についての第二分/金剛の荘厳と名づける三摩地についての第三分/一切如来の心曼陀羅についての第四分/普遍なる行の最上なるものについての第五分/身語心の加持についての第六分/最勝なる真言行についての第七分/心の三昧耶についての第八分/勝義諦である不二の真実義の三昧耶についての第九分/一切如来の心髄を勧発する第十分/一切如来の真言の三昧耶であり、真実でもある金剛明呪の最上丈夫についての第十一分/三昧耶を成就する最勝を説く第十二分/金剛三昧耶の荘厳である真実義を観想によって悟る第十三分/身語心の不可思議なる真言を鉤召する奮迅王と名づける三摩地の第十四分/一切の心の三昧耶の精髄である金剛より出生したものと名づける第十五分/一切の悉地の曼陀羅である金剛を現等覚するものと名づける第十六分/一切如来の三昧耶と律儀である金剛の加持についての第十七分/一切の秘密の法門である金剛智の加持と名づける第十八分//
解説など、
278ページ。

………………………

 各論風に;

佐藤任、『密教の神々 その文化史的考察』(平凡社ライブラリー さ-17-1)、平凡社、2009
 原著は1979刊。
月天/観音/聖天/明王など、
336ページ。

 同じ著者による→こちらを参照:「インド」の頁の「vii. 科学史・天文学史とその周辺


『現代思想』、11巻9号、1983.9、pp.63-255:「増頁特集=密教 現実を超越する身体技法」
真言密教の成立(中村元)/人類学マンダラへの途 機械人間と宇宙人間(岩田慶治)/密教・マンダラと風土(宮坂宥勝)/密教の哲学的理解(吉田宏晢)/密教における内臓認識 インドと日本のあいだ(山折哲雄)/はるかなる悉曇文字(彌永信美)/
智の火焔(久野昭)/
チベット密教世界図絵(安村敏信)/
真言密教の自然観(松長有慶)/
密教と私(三枝充悳)/マンダラとイコン(渡辺茂)/密教空間への旅(佐藤健)/
空海の声字と真言(松本淳治)/タントラ仏教の哲学的背景(ハーバート・ギュンター)/マンダラとハドロン(秋山さと子)/創造的瞑想とマントラの象徴作用(ラナ・アナガリカ・ゴヴィンダ)/極楽論(中沢新一)/夢と密教(ハーバート・ギュンター、キルトン・ステュアート、解説:中沢新一)


 同号から特集外の記事を→こちらに挙げました:「怪奇城の外濠」の頁の「i. 映画と建築など

正木晃、『性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光』(講談社選書メチエ 257)、講談社、2002
チベット密教誕生への道;密教をどうとらえるか/密教への道/後期密教とは何か/チベット密教の歴史//
ドルジェタク登場;行者の息子/修行と挫折/秘法の成就/荒れ狂う呪殺の嵐//
光と闇;仏教者としてのドルジェタク/性的ヨーガ/女犯と肉食の論理/殺の論理//
ドルジェタク以後;ドルジェタクの最期/ツォンカパ以前/ツォンカパ以後//
チベット仏教の最終回答;ツォンカパの解答/ドルジェタクとは何だったのか/オウム真理教など、
256ページ。


『マンダラ チベット・ネパールの仏たち』展図録、国立民族学博物館、2003
マンダラと新しい自然学(立川武蔵)//
マンダラの仏たち;密教パンテオンのほとけたち(山口しのぶ)/観自在菩薩とはなにものか(佐久間留理子)/軸装絵画(タンカ)の制作工程(小野田俊蔵)//
マンダラとは何か;マンダラ、その構造と機能(森雅秀)/後期密教のマンダラ(野口圭也)/ポン教のマンダラ(立川武蔵)//
マンダラの構造;マンダラ・仏塔・身体(吉崎一美)//
マンダラの儀礼;法界語自在マンダラの儀礼(伊藤真樹子)/日本のなかのマンダラ儀礼-曼陀羅供養における声明の世界(桜井真樹子)//
マンダラと現代;マンダラの可能性(正木晃)など、
112ページ。


杉木恒彦、『サンヴァラ系密教の諸相 行者・聖地・身体・時間・死生』、東信堂、2007
序論/初期中世密教界/多次元的な聖地群の諸伝承/曼陀羅としての身体/外的な時間の輪/四輪三脈の多面的身体論/クリシュナ流の四次第/死兆と死のヨーガなど、
440ページ。


頼富本宏編、『大日如来の世界』、春秋社、2007
インドの大日如来(頼富本宏)/ネパールの大日如来(森雅秀)/チベットの大日如来(森雅秀)/ジャワの大日如来(松長恵史)/日本の大日如来(頼富本宏)/中国の大日如来(今井淨圓)/韓国の毘盧遮那仏(朴亨國)など、
256ページ。


津田真一、『反密教学』、春秋社、2008
1987刊本の改訂版。
『反密教学』の現在位置/序 『法華経』・願成就の哲学 〈大乗以後〉の仏教の原理と論理/密教理解の現位置/釈尊の宗教と華厳/大日経世界と空海/タントリズム瞥見 サンヴァラの儀礼と教義/『秘密集会タントラ』 インド密教に於ける即身成仏の思想とその儀礼/密教から反密教へ 『ヘーヴァジュラ・タントラ』に於ける真理の問題/空海の解釈学/稜線上の密教など、
396ページ。


佐久間留理子、『インド密教の観自在研究』、山喜房佛書林、2011
第1部;研究目的、及び、研究対象の成立背景/文献学的研究/図像学的研究/宗教実践方法の研究//
第2部;翻訳研究/作例表など、
620ページ。

 仏教タントリズムにおいて、「行者が現前に尊格を観想し、それとの一体化を目指す実践方法を説いた」『サーダナ・マーラー(成就法蔓)』「と呼ばれる成就法の集成」(p.5)から、
「十六種類の観自在菩薩の成就法を取り上げ、それらに説かれた図像の特色、また、成就法の特質について考察」(p.6
)したもの。
 →こちらも参照:本頁下掲の「vi. 仏教の神話など


 これ以外に;

朴亨国、『ヴァイローチャナ仏の図像学的研究、法藏館、2001

 がありますが、定価36,750円なので未見。
………………………

羽田野伯猷、「時輪タントラ成立に關する基本的課題」、『密教文化』、no.8、1950.2.20、pp.18-37 [ < J-STAGE ]

八田幸雄、「初會の金剛頂經における五類諸天について」、『印度學佛教學研究』、vol.15 no.2、1967、pp.695-.698 [ < J-STAGE ]

吉田宏晢、「密教の存在論 - 六大縁起を中心として -」、三枝充悳編、『講座 仏教思想 第一巻 存在論 時間論』、理想社、1974、pp.137-178
『大日経』の存在論/六大縁起論など

津田真一、「タントラ仏教に於けるヨーガの論理」、『理想』、no.535、1977.12:「特集 神秘主義」、pp.123-143
瞑想者と巡礼者/タントラ的ヨーガの条件/タントラ的ヨーガの三つの視点/大日経的世界と大日経的人間/金剛頂経の世界と即身成仏の論理/空飛ぶ円盤の二形式/『ヘーヴァジュラ』にみられるヨーガの論理のパラドックス

頼富本宏、「密教の密厳浄土」、『大法輪』、第55巻第7号、1988.7、「特集 仏教の世界観-迷いの世界と仏の世界」、pp.158-163

小林暢善、「真言密教の宇宙観 - 道場観を中心として」、『アジアの宇宙観』、1989、pp.306-323
道場観とは/器界観/楼閣と曼陀羅/瑜祇塔・金亀舎利塔と道場図など。

田中公明、「曼荼羅の生成理論」、『ドルメン』、再刊1号、1989.10、「特集 大地と子宮のアーケオロジィ」、pp.124-140
初期の曼荼羅/金剛界曼荼羅の生成理論/後期密教の曼荼羅生成理論/『時輪タントラ』の曼荼羅生成理論など

田中公明、「密教の胎児論 『時輪タントラ』の内品を中心にして」、『ドルメン』、再刊2号、1990.2、「特集 胎児の生命記憶 ネオテニー」、pp.62-72
『時輪タントラ』内品の構造/『倶舎論』の生理学説/大乗仏教の輪廻転生説/胎児と十権化/『時輪タントラ』の生理学説/『時輪タントラ』の受胎論、胎児論/胎児論と外・内・別三時輪など

山崎泰廣、「『大日経』における金剛法界宮」、『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」、pp.17-27
仏身と国土/界内界外のこと/如来加持

 →こちらにも挙げました:「世界の複数性など」の頁中

堀内規之、「密厳国土論の変遷について」、田中純男編、『死後の世界 インド・中国・日本の冥界信仰』、東洋書林、2000、pp.253-286
中国における密厳国土/弘法大師空海と密厳国土/円宗と密厳国土/済暹と密厳国土/興教大師覚鑁と密厳国土など

津田眞一、「グノーシスと密教」、『グノーシス 異端と近代』、2001、pp.85-102
はじめに - 「グノーシスと密教」という問題の必然性 -/R.ブルトマンのグノーシス主義理解とその問題点/密教思想史から見たブルトマンの実存理解/『金剛頂経』世界のグノーシス的構制な

定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011、pp.287-331、「第二部 仏教の宇宙観 第三章 金剛乗(密教)の宇宙観」
密教/胎蔵界曼陀羅/曼陀羅の起源/五輪塔/金剛界曼陀羅/タントラ/時輪タントラなど

杉木恒彦、「ハイブリッドな聖地の多次元性 - 仏教サンヴァラ系における異界の力 -」、細田あや子・渡辺和子編、『異界の交錯 宗教史学論叢11』下巻、リトン、2006、pp.55-84
聖地の誕生神話、ハイブリッドな聖地/聖地のいくつかの次元/聖地群のいくつかの型など

西岡祖秀、「シャンバラ国について」、『印度學佛教學研究』、vol.55 no.1、2006.12.20、pp.474-468 [ < CiNii Articles

 →こちらにも挙げました(「近代など(20世紀~) Ⅲ」の頁の「xvi. 20世紀神秘学の歴史など」)
………………………

 空海について;

宮坂宥勝、梅原猛、『仏教の思想 9 生命の海〈空海〉』、角川書店、1968
秘密の世界(宮坂宥勝);空海の生涯/密教とは 顕教と密教、密教を教えるもの/マンダラの世界 大生命の世界を開く、マンダラ世界の実現/人間精神の発展 人間の心のすがたを見つめる、限りなきもの/自己を完成する 目ざめたものとなる、深秘の瞑想/密教のシンボリズム/密教をめぐって 東密と台密、密教と浄土教、仏教の土着化、むすび//
密教の再発見〈対談〉(宮坂宥勝、梅原猛)//
死の哲学から性の哲学へ(梅原猛);偉大なる矛盾の人生/生命の秘密と知恵の秘密など、
312ページ。

 なお本書も文庫化されているはずです(未見)。


『エピステーメー』、vol.2 no.7、1976.7、pp.7-175、「特集 空海と密教の思想」
哲学としての空海;空海の哲学(山崎正一)/空海の言語哲学(宮坂宥勝)/密教戒について 最澄と空海の場合(石田瑞麿)/大日経世界と空海(津田眞一)//
思想史としての空海;真言密教の比較思想史的考察(中村元)//
空海と密教;密教における俗と非俗の構造(松長有慶)/金剛乗の成立(H.v. グラーゼナップ、田中教照訳)/初期密教の成立 研究方法論試考(金岡秀友)/〈チベットの死者の書〉 死後の生存と意識の遍歴(川崎信定)//
空海と今日の〈知〉;空海とデリダの言語思想(森本和夫)/マンダラ的象徴表現(C.G.ユング、高橋巌訳)など


梅原猛、『空海の思想について』(講談社学術文庫 460)、講談社、1980
空海の二つの面/日本のインテリにきらわれた空海/空海の再発見/空界における密教思想の発展/空海の思想形成/密教の思想的特徴と全仏教の位置づけ/『即身成仏義』/『声字実相義』/『吽字義』/解説(宮坂宥勝)など、
132ページ。


 空海自身のテクストで近づきやすいものとして;

宮坂宥勝監修、『空海コレクション』1~2(ちくま学芸文庫 ク-10-1/ク-10-2)、筑摩書房、2004
1;序文(宮坂宥勝)//
秘蔵宝(やく)(宮坂宥勝訳注)/弁顕密二教論(頼富本宏訳注)//
解説(立川武蔵)など、
420ページ。

2;即身成仏義(頼富本宏訳注)/声字実相義(北尾隆心訳注)/吽字義(北尾隆心訳注)/般若心経秘鍵(頼富本宏訳注)/請来目録(真保龍敞訳注)//
解説(立川武蔵)など、
488ページ。


加藤純隆・加藤精一訳、『空海「三教指帰」(ビギナーズ 日本の思想)』(角川ソフィア文庫 SP 358)、角川学芸出版、2007
はじめに//
三教指帰;序章 この書物を書いた理由/亀毛先生の主張/虚亡隠士の主張/仮名乞児の主張//
原文 訓み下し/
弘法大師空海略伝/解題など、
188ページ。


 『三教指帰(さんごうしいき)』は797(延暦16)年12月、空海24歳の著述。
 「『三教指帰』については昭和10年(1935)に祖父、加藤精神師が岩波文庫で訳註を出版し、昭和52年(1977)には父、加藤純隆師が世界聖典刊行協会から口語訳を出版している。…(中略)…父の労作を下敷きにして思い切って意訳し、原文に忠実な口語訳にくらべて、先ず一読して意味を理解できるようにつとめた」
とのこと(p.184)。


 「『三教指帰』の現代語訳はまた;

福永光司責任編集、『最澄 空海 日本の名著 3(中公バックス)』、中央公論社、1983、pp.253-300+補注 pp.323-479

 他の目次は;
最澄と空海;日本仏教の脊梁・最澄(田村晃祐)/空海における漢文の学 - 『三教指帰』の成立をめぐって(福永光司)//
最澄;願文/山家学生式/顕戒論(抄)/法華秀句(抄)//
空海;文鏡秘府論 序など、
502ページ。
 
付録;
鑑真から最澄へ(永井路子)など、
4ページ。


 その他に;

荒俣宏、『本朝幻想文學縁起 [震えて眠る子らのために」』、1985、pp.68-93:「空海の言霊狩り」
(幻想) - 空海伝説とその分析/(実像) - 空海の言語神秘学/(千理) - 『吽字義』の言語シンボリズムの分析/(阿吽(あうん)) - 合成語の解きほぐしによる言語分析法/(悲哀) - 言語の「使いかた」と「理解の仕方」/(文章) - 「文章」の概念を説いた『文鏡秘府論』/(六大(すべて)) - 空海的大乗=密教の総合的方法/(三教(さんごう)) - 空海の幻想文学作品『三教指帰』

神塚淑子、「付章 空海の文字観 - 六朝宗教思想との関連性 -」、『六朝道教思想の研究』(創文社東洋學叢書)、創文社、1999、pp.415-439
「自然の文」/六朝仏教の文字論/六朝道教の文字論など

 →こちらも参照:「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「言葉・名前・文字の神秘学など

 ちなみに「付章」に対し本体にあたるのは「開劫度人説の形成」、同上、pp.361-414

上垣外憲一、『空海と霊界めぐり伝説』(角川選書 363)、角川書店、2004
小野篁の地獄往来/空海の観想世界/修法と観想の隆盛など、
244ページ。


武澤秀一、『空海 塔のコスモロジー』、春秋社、2009
はじめに “建築家”空海が生んだ貴種//
柱、そして五重塔;塔と柱信仰 - 「掘立て柱モニュメント」から「心柱」へ/五重塔の不思議/中心から周辺へ - 低落する塔の地位//
塔、その豊饒のかたち;塔のはじまり/歩くことと瞑想すること/嫌われた半球体/展望塔として、三次元座標として//
幕間 心のなかに“中心”がある//
空海創建の塔;柱がほとけになった/「地-水-火-風-空-…」が塔になる/空海の大塔を想像復元する/ぜひとも二つ必要だった大塔/胎蔵と金剛界、どちらを先に建立するか?/多宝塔から五重塔へ//
覚鑁の五輪塔/経典上の多宝塔//おわりに ほとけの中の塔など、
268ページ。

 →こちら(「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「v. 建築など」)と、またそちら:「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「塔など」の項)にも挙げておきます

 同じ著者による→あちらを参照:「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「地下など」の項

 また;

井筒俊彦、「意味分節理論と空海 - 真言密教の言語哲学的可能性を探る -」、『意味の深みへ』、1985、pp.238-278
………………………

 立川流について;

水原堯榮、『邪教立川流の研究』、富山房書店、1923/1968
序にかへて/立川流の開基任寛/立川流となるまでの道程/立川流の根本聖典/立川流の教格とその主張/立川流の大成者文観/文観の理趣經秘註を讀む/立川流の性的考察/立川流と性慾教育/立川流の宇宙観と人生観/高野山上立川流の開祖とその傳播者/立川流の概観(其一)/立川流の概観(其二)/四國巡禮の習俗とその納札の記文に顯はれたる男女關係/附載 立川流聖典目録類蒐など、
226ページ。


真鍋俊照、『邪教・立川流』(ちくま学芸文庫 マ-19-1)、筑摩書房、2002
 原著は1999刊。
仁寛の登場/邪教立川流とは何か/流刑地の任寛/邪法と立川流の構造/立川流と大宇宙の霊力/立川流的視点のおこり=清瀧明神/双身歓喜天(聖天)と真興夢想記/仁寛のみた立川流の心象/文観弘真のこと/玄旨帰命壇と立川流など、
330ページ。


藤巻一保、『真言立川流 謎の邪教と鬼神ダキニ崇拝』、学習研究社、1999
起/初夜 - 髑髏本尊/二夜 - 吒枳尼天/三夜 - 如意宝珠/四夜 - 仏舎利/五夜 - 真言立川流/六夜 - 金輪聖王/七夜 - 北斗七星/結など、
320ページ。

 →同じ著者によるこちら(「通史、事典など」の頁の「x. 事典類など」)、またあちらも参照:「日本 Ⅱ」の頁の「viii. 近世から近代にかけてのいわゆる古神道・霊学など

vi. 仏教の神話など

 仏教のページの最初の方で挙げた本が小野玄妙および鈴木暢幸のともに『佛教神話』と題されたものでしたし、弥勒や過去仏はじめ、随所で神話的なイメージは登場していますが、これ以外に;

彌永信美、『大黒天変相 仏教神話学Ⅰ』、法藏館、2002
方法論的序説//
大黒天信仰の謎/人喰い女鬼と大黒天/「千人切り」説話と死と再生の儀礼/異形の仏弟子たち/不浄の神・炎の神/インドの宗教思想と仏教神話/日本密教の摩訶迦羅天像と盲目のアスラ・アンダカの神話/「鼠毛色」の袋の謎 - 大黒の袋1/兜跋毘沙門の神話と図像/クベーラの変貌/ガネーシャの太鼓腹 - 大黒の袋2/三面一体の神々 - 異形の福神たち/補説・中世日本密教の「異形性」について/旅の小休止など、
706ページ。


彌永信美、『観音変容譚 仏教神話学Ⅱ』、法藏館、2002
プロローグ - 旅はまだ続く//
スカンダ/ガネーシャの神話圏;「兄弟神」の誕生/護法神・韋駄天の神話空間/鉢を飛ばす韋駄天神/韋駄天から文殊菩薩へ-厨房と食堂の神々/象頭神の歓喜-歓喜天の起源と観音/軍荼利の関係//
「我れ婦女の身を現じ……」 - 観音菩薩の女性化をめぐって;光明皇后の愛欲と聖性/光明の観音・誘惑する菩薩 - 観音女性化の予備的考察/慈母観音の誕生 - 「蓮華部母」から「送子/子安観音」まで/観音とシヴァ/中国の二つの説話 - 妙善説話と馬郎婦説話/妙善説話からの探求 - 魚と馬と劫末の炎/観音女性化への道/ふたたびインド、中央アジアへ - 観音における女性性の「種子」?/エピローグ - 布袋の袋・大黒の袋・盗みと恵比寿など、
856ページ。

 同じ著者による→こちら(「日本」の頁の「iv. 神仏習合、中世神話など」/「第六天魔王と中世日本の創造神話」」)や、
 そちら(「日本 Ⅱ」の頁の「vi. キリシタン、蘭学・洋学とその周辺」/「日本の『思想』とキリシタン 『思想』からの撤退に向けて」)、
 またあちら(「グノーシス諸派など」の頁の「ii. 『ナグ・ハマディ文書』邦訳刊行とその周辺など」/「『対を絶する絶対』と日常世界 グノーシス主義の論理構造に関連して」その他)、
 こなた(「イスラーム Ⅲ」の頁の「おまけ」/「問題としてのオリエンタリズム 『歴史』からの撤退に向けて」)に、
 そなた(「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)の頁の「ギヨーム・ポステル」の項/『幻想の東洋 オリエンタリズムの系譜』)、
 そなたの2(同上、「コペルニクス」の項/「光、磁気、引力、「霊魂的スピーリトゥス」、アストラル・ボディー……」)
 さらにあなた(「キリスト教(西欧中世)」の頁の「i. 文化史的なものなど」/「バルトルシャイティス 怪物たちの宴」)、
 ここ(「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「文字について」の項/「はるかなる悉曇文字」)
も参照。また


彌永信美、「生きている仏像 『生身の仏像』思想をめぐって」、『現代思想』、vol.46-16、2018年10月臨時増刊号:「仏教を考える」、pp.73-86

長谷川明、『歓喜天とガネーシャ神』、青弓社、2002
歓喜天篇;歓喜天は福の神/歓喜天信仰の実際と渡来/歓喜天の形姿と意味/大根と歓喜団/双身歓喜天の由来/歓喜天の祭式/歓喜天利生記/歓喜天と立川流/歓喜天と廃仏毀釈//
ガネーシャ神篇;ガネーシャの祭り/ガネーシャの名前と形姿/ガネーシャ誕生/ガネーシャは風に乗る/ガネーシャ学問の神となる/ガネーシャの成立/ウッチシュタ・ガナパティ/ガネーシャと卍など、
178ページ。

………………………

マッソン・ウルセル、ルイーズ・モラン、美田稔訳、『インドの神話』、みすず書房、1959、pp.93-126
仏陀の物語/ジャータカ(本生話)/大勢の仏陀など

ヴェロニカ・イオンズ、酒井傳六訳、『インド神話』、青土社、1990、pp.309-333
ブッダの前世と現世での生涯/仏教の宇宙論と万神殿など

「仏教の神話」、『世界神話大事典』、2001、pp.1007-1026
仏教と神話の問題(ロルフ・A・スタン);概観/方法の問題/神々に関する仏教の概念//仏教神話の守門者 インドから日本へ(同);ヒンズー教/仏教/中国、日本、チベットの仏教など 
………………………

宇井伯壽、「阿含に現はれたる梵天」、『印度哲學研究 第三』、岩波書店、1926/1965、pp.63-202
娑婆主梵天の讃嘆と勸請/娑婆主梵天の種々なる場合/創造神理想神梵天 - 當時の正統婆羅門の状態/常壯神梵天 - 常壯神梵天と他との關係一班及び發達/其他の梵天 - 辟支梵天/創造神梵天の特質 - 創造の意味 - 正統婆羅門の主義理想 - 前代との關係/修定主義と諸天界 - 種々なる系統 - 三界説 - 當時の下層階級の信仰/梵身天 - 梵衆天梵輔天大梵天 - 梵天と常壯神梵天と大梵天/娑婆主梵天と創造神梵天 - 佛陀の直説と阿含と梵天 - 他派の學説に対する佛陀/佛陀と正統婆羅門 - 梵天の譬喩的表現 - 梵乗と八聖道 - 法の意味と梵天 - 結尾など

中野義照、「原始佛教における転輪聖王」、『密教文化』、no.32、1956、pp.4-19 [ < J-STAGE ]

宮坂宥勝、「アスラからビルシャナ仏へ」、『密教文化』、no.47、1960、pp.7-23 [ < J-STAGE ]

中村元、「インドにおける神と仏の交渉」、『仏教思想史』、no.1、1979.11:〈神と仏 源流をさぐる〉、pp.47-124
仏教の出発期におけるブッダと神霊/神々を超えた〈仏〉 神格化への動き、仏、神々/仏の現われとしての神々など

妹尾匡海、「補陀落思想と『普門品』の問題点」、『印度學佛教學研究』、vol.35 no.2、1987、pp.538-540 [ < J-STAGE ]

田代有樹女、「摩訶迦羅天について : 発祥と図像学的考察」、『名古屋造形芸術短期大学研究紀要』、no.13、1991.3.21、pp.41-70

今井淨圓、「毘沙門天に関する研究ノート」、『種智院大学密教資料研究所紀要』、no.3、2000.3.21、pp.59-86 [ < CiNii Articles

佐久間留理子、「『カーランダ・ヴューハ』における観自在菩薩の身体観」、『印度學佛教學研究』、vol.55 no.1、2006.12.20、pp.421-416 [ < CiNii Articles

佐久間留理子、「諸天を生成する観自在の二類型」、『印度學佛教學研究』、vol.59 no.1、2010.12.20、pp.525-520 [ < CiNii Articles

 →こちらも参照:本頁上掲の「v. 仏身論、密教など
 2つ目の論文については→そちらでも挙げています:同上の別の箇所

岩井昌悟、「マーラの變容 : 死魔から他化自在天へ」、『印度學佛教學研究』、vol.58 no.1、2009.12.20、pp.364-359 [ < CiNii Articles

藤井明、「インド初期密教と他宗教との関わり - 特に大自在天の記述を中心にして -」、『東洋大学大学院紀要』、52巻、2015、pp.191-215 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ
………………………

 上掲の〈化仏〉同様(→こちら)、〈装飾〉ないし〈荘厳〉の問題とからんで、〈蓮華化生/天人誕生〉という興味深い図像について論じた文章を含むのが;

吉村怜、『中国仏教図像の研究』、東方書店、1983
序/廬舎那法界人中像の研究/雲崗における蓮華化生の表現(→こちらに再録:「通史、事典など」の頁の「木、花など」の項)/雲崗における蓮華装飾の意義/龍門北魏窟における天人誕生の表現/鞏県石窟における化生の図像/百済武寧王妃木枕に画かれた仏教図像/天寿国繍帳と金銅灌頂幡に画かれた天人誕生図/曇曜五窟論/南北朝仏像様式史論/止利式仏像の源流//
付録;洛陽永寧寺塔址出土の塑像/玉虫厨子台座供養図に画かれた奇蹟/東大寺大仏開眼会と仏教伝来200年/薬師寺仏足石記と書者神直石手など、
310ページ。


吉村怜、「天人の語義と中国の早期天人像」、『佛教藝術』、no.193、1990.11、pp.78-90

 関連して〈飛天〉について;

林温、『飛天と神仙 日本の美術 No.330』、至文堂、1993.11
序 飛天と神仙 - 玉虫厨子の例から//
飛天 - インドから西域へ;インドの飛天/西域の飛天//
中国の仙人と飛天;中国の飛天/中国の仙人/仙人と飛天の出会い//
朝鮮の仙人と飛天//
日本の飛天と仙人;飛鳥白鳳時代の飛天と仙人/天平時代の飛天/正倉院の仙人像/飛天と仙人の混在/平安時代以降の遺品//
結び//
古代インドにおける飛天の図像(秋山光文)など、
98ページ。


 秋山光文「古代インドにおける飛天の図」で取りあげられた〈従三十三天降下〉に関連して→こちら(「階段で怪談を」の頁の「文献等追補」中の「追補の追補」)で挙げました

真鍋俊照、「飛天の系統と諸問題」、『印度學佛教學研究』、vol.41 no.1、1992.12、pp.313-318 [ < J-STAGE ]

 また

高橋宗一、「北魏墓誌石に描かれた鳳凰・鬼神の化成」、『美術史研究』、no.27、1989、pp.87-104

小杉一雄、「薬師寺東塔水煙の天人は天男・天女・天童の天族である」、『美術史研究』、no.29、1991、pp.1-12

勝木言一郎、『人面をもつ鳥 迦陵頻伽の世界 日本の美術 No.481』、至文堂、2006.6
佛教における人面鳥と有翼人物/迦陵頻伽/共命鳥/乾闥婆 ガンダルヴァ/迦楼羅 ガルダ/緊那羅//
付論;中国神話における人面鳥と有翼人物/古代地中海世界における人面鳥と有翼人物など、
98ページ。


 同じ著者による→こちらを参照:「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁の「龍とドラゴンなど

森豊、『シルクロードの天使 改訂版』、1972/1882

 や

アジア遊学』、no.14、2000.3、pp.2-155:「特集 天女 そして天空を舞うものたち

 も参照
………………………

『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」
縦書き頁;浄仏国土と菩薩道(瓜生津隆真)/『大日経』における金剛法界宮(山崎泰廣)/律蔵における国土観(龍口明生)/阿毘達磨を通してみた仏教の国土観(河村孝照)/華厳教学における国土観(吉津宣英)/華厳の浄土(中村薫)/天台智覬における国土観 - 四土説の形成過程 -(大野栄人)/趙宋天台における唯心浄土論(福島光哉)/宋朝禅における国土観(長谷川昌弘)/善導の浄土観 - 指方立相について -(高橋弘次)/五大院安然の国土観(大久保良峻)/法然上人の浄土見想(岸一英)/西山證空の国土観 - 穢土を中心として -(堀本賢順)/親鸞の国土観 - 報仏土 -(神戸和麿)/親鸞における浄土観(島義厚)/五濁の世における国土 - 『正像末法和讃』を中心として -(小妻典文)/日蓮の国家観(勝呂信静)/日蓮の仏土観(中條暁秀)/道元禅師の国土観(大谷哲夫)/鈴木正三の仏法治国論について(安藤嘉則)/説話文学の仏教と国土(渡邉守順)//
横書き頁;華厳経の国土観(田村智淳)/『現観荘厳論』と仏国土(谷口富士夫)/『マハーヴァスツ』の仏国土観(藤村隆淳)/
Loka の類義語 - コンピュータ利用による類義語の「半自動」的検出の試み -(橋本哲夫)/沙門の国土観 - 沙門の逗留した所 -(山崎守一)/〈聖なる集い〉(samavasaraṇa)のシンボリズム - ジャイナ教の理想国土 -(矢島道彦)/ジャイナ教の国土観(藤永伸)/叙事詩・プラーナの創造説に於る宇宙卵(井上信生)/ヴェーダの国土観 - rocaná について -(土山泰弘)/親鸞における国土観(川添泰信)など、
566ページ。

おまけ

 仏教の宇宙論を位置づけるためには、
仏教内部でのその展開および、ヒンドゥー教、ジャイナ教等のそれらとの関連はもとより、
宇宙論的な問題に対する判断停止としての〈無記〉、そこからの飛躍として、反形而上学と形而上学の稜線上にある〈無我〉、〈縁起〉、さらにその展開であろう〈空〉との関係をおさえる必要があるでしょうし(→こちらでは根拠もなくいい加減な妄説を言っていますが;「宙吊りの形相」の頁中)、
他方、『法華経』や『浄土三部経』などにおける宇宙論的イメージ、後者からは源信の『往生要集』へとつながり、
あるいは〈唯識〉や〈如来蔵〉といった主題も視野に入れるべきなのでしょうが、手に余ること甚だしいので、
話を変えて西欧から見た仏教像についた述べた本二冊を挙げておきましょう;

ロジェ=ポル・ドロワ、島田裕巳・田桐正彦訳、『虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか』、トランスビュー、2002
原著は
Roger-Pol Droit, Le cult du néant : les philosophes et le bouddha, 1997
序章 仏教への誤解//
信仰の誕生(1784年~1831年);ブッダとは何か/ブッダの正体/浮上する信仰/虚無としての神//
脅威(1832年~1863年);虚無への恐怖/仏教徒ショーペンハウアー/人種差別の神話/人類の終末//
衰退(1864年~1893年);仏教的衰弱/ペシミズムの時代/結論 悲劇の予言//解説(島田裕巳)など、
372ページ。

フレデリック・ルノワール、今枝由郎・富樫瓔子訳、『仏教と西洋の出会い』、トランスビュー、2010
原著は
Frédéric Lenoir, Le rencontre du bouddhisme et de l'Occident, 1999
序論//
幻想の誕生 - 古代、中世、ルネサンス、前近代 -;仏教はギリシャとインドをつないだか/中世の旅行者たち/中世のチベット神話/宣教師たちによる発見 - 十六世紀から十八世紀まで -/「ラマ教」の幻惑 - 一六二〇年から一八五〇年まで -//
仏教の発見 - 一七八〇年から一八七五年まで -;「東洋ルネサンス」/キリスト教の強敵/ショーペンハウアーと「仏教厭世主義」/ニーチェと「仏教虚無主義」/「無神論」と「虚無」の宗教//
神智学と仏教近代主義 - 一八七五年から一九六〇年まで -;ロマン主義仏教/神智学協会の誕生と発展/「仏教近代主義」と最初の改宗者たち/禁断のチベット/仏教書の出版と知識人の系譜//
さまざまな弟子たち - 一九六〇年から一九九〇年まで -;カウンター・カルチャーとチベット仏教のテレビ放映/坐禅の広まり/西洋のラマたち/テーラヴァーダ仏教の実践//
仏教ヒューマニズムの展開 - 一九八九年から二十一世紀へ -;序 - 一九八九年の出来事 -/新たな精神革命/ダライ・ラマと仏教のメディア化/ふたたび魔法にかけられて/結び 内なる東洋への鍵など、
384ページ。


吉永進一、『神智学と仏教』、法藏館、2021

J.L.ボルヘス、『七つの夜』、2011、pp.101-130:「第4夜 仏教」

 ボルヘスについて→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「ボルヘス」の項

 美術の方面からは、ルドンによる《仏陀》の1点; 
ルドン《仏陀》 1905頃  ルドン
《仏陀》
1905頃


* 画像をクリックすると、拡大画像とデータが表示されます

真鍋俊照、『密教マンダラと現代芸術』、法蔵館、2003
夢と曼荼羅(前田常作、横尾忠則、真鍋俊照)/マンダラの思想から造形へ(金岡秀友、真鍋俊照)/在日外国人が熱狂する「密教美術」(R.デュケンヌ、J.M.ローゼンフィールド、H.デュルト、山本智教、A.グラバル、真鍋俊照)/創造と統合の絵図 - 身体の宇宙図=タントラ(栗田勇、箱崎総一、真鍋俊照;初出は→こちら:「インド」の頁の「vi. タントラなど」)/東のエロス - エロスの発見(前田常作、真鍋俊照)/インド美学の発見(前田常作、真鍋俊照)/曼荼羅と現代音楽(黛敏郎、真鍋俊照)など、
290ページ。


佐々木宏子、『現代美術と禅』、美術出版社、2010
「無」 現代美術の到達 有から無 無から有/ルーチョ・フォンタナと私 《空間概念》と《青のあいだ》/牧谿 - 宗達 《瀟湘八景図》《風神雷神図》 牧谿と宗達は一直線上の造形/現代美術と現代音楽の共通性① マーク・ロスコとブライアン・イーノ 限りなく寡黙な絵画と限りなく無音に近い音楽/現代美術と現代音楽の共通性② アンリ・マチスとオリヴィエ・メシアン 色価と音価/現代美術と現代音楽の共通性③ ピエール・ブーレーズ氏と私 「意志と偶然」と「無意識的な自然と意識的なもの」/アルベルト・ジャコメッティ 引き算の彫刻/コンスタンティン・ブランクーシ ぎりぎりまでそぎおとした彫刻/フランシス・ベーコン 真空な絵画/二人の画僧 牧谿とフラ・アンジェリコ/ブリジット・ライリーと龍安寺 現代美術と禅庭/ピエト・モンドリアンと桂離宮 バランス/ヴィレム・デ・クーニング 存在感のある女/ジョセフ・アルバース 哲学的な幾何学抽象/備前焼陶器 偶然性と堅固なフォルム/青の精神 無から有など、
180ページ。


 著者は画家で、文章とともに章題に挙がった美術家の作品図版、道元の『永平初祖学道用心集』栄見山観音禅院所蔵本の画像、著者の作品図版が交互に掲載されています。
………………………

 仏教に材を得たフィクションとして、冒頭および弥勒のところでいくつか挙げましたが、その内、山田正紀『弥勒戦争』(1976)には、重要な小道具として調達(デーヴァ・ダッタ)が書き残したとされる『無嘆法経典』なるものが登場します。光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』で語られる『摩尼宝楼閣一切瑜伽瑜祇経』とあわせて玩味したいところですが(→こちらでも挙げました:「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「本・書物(天の書)」)、とまれデーヴァダッタをめぐっては、また;

中勘助、『提婆達多』(岩波文庫 緑 51-5)、岩波書店、1985(原著は1921年刊)

鯨統一郎、『タイムスリップ釈迦如来』(講談社ノベルズ クN-03)、講談社、2005

 などがあります。

 本家については、


中野義照、「デーヴァダッタをめぐって」、『密教文化』、no.52、1961、pp.1-10

 や

岩本泰波、『ユダと提婆達多 救いなき人間の救い』(レグルス文庫 157)、第三文明社、1983

 などをご参照ください。
 ちなみに後者の目次は;
序 イスカリオテのユダと提婆達多//ユダの“縊死”と提婆の“生身堕獄”//ユダの“後悔”と提婆の“悔恨”//“提婆の堕獄”と“ユダの審判”;「自業自得」と「神の審判」/「獄中の提婆」と「舎利弗・目蓮の地獄下向」/“ユダの審判”と“提婆の応報”//救いなき人間の救い;キリストの冥府下降/「提婆“尊者”」と「棄てられた者の“選び”」など、
248ページ。

 ユダにからんで、→こちらにも挙げました:「グノーシス諸派など」の頁の「余談 イスカリオテのユダなど」。

ヘルマン・ヘッセ、高橋健二訳、『内面への道 - シッダールタ -』(新潮文庫)、新潮社、1959
原著は Hermann Hesse, Siddhartha. Eine indische Dichtung, 1922

 ちなみにヘッセの『シッダールタ』に触発されたというのが


Yes, Close to the Edge, 1972(邦題:イエス、『危機』)
(→こちらでも挙げています:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」)

 のA面全てを占めるタイトル曲でした。
 この点について;

福島恵一、「イエス-爆発するノンセンス、引き裂かれた牧歌」、『イエス プログレッシヴ・ロックの奇蹟』(文藝別冊 KAWADE夢ムック)、河出書房新社、2016、pp.150-163 中の pp.158-160

 また、

マーティン・ポポフ、川村まゆみ訳、『イエス全史 天上のプログレッシヴ・ロックバンド その構造と時空』、DU BOOKS、2017、pp.88-92

円堂都司昭、『意味も知らずにプログレを語るなかれ』(Guitar magazine)、リットーミュージック、2019、pp.94-102


 須弥山を主題としたものとして;

夢枕獏、『上弦の月を喰べる獅子』、早川書房、1989

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「夢枕獏」の項
 著者にはまた、シッダールタを主人公とする

夢枕獏、『幻獣変化』(双葉文庫 ゆ 01-2)、双葉社(原著は1981年刊)

 とその続篇


 同、 『涅槃の王』(全6巻)、祥伝社、1991-1996

 があり、他にもしばしば何らかの形で空海が登場しますが、それはさておき、
 『上弦の月を喰べる獅子』で重要な役回りを当てられた宮沢賢治には;

宮沢賢治、『インドラの網』(角川文庫クラシックス み 1-8)、角川書店、1996

 の表題作(生前未発表)があります。本頁始めの→こちらでも触れました
 この点に関連して;

吉村悠介、「『羅須』からめぐるふたつの須弥山 - 宮澤賢治『羅須地人協会』命名考」、『年報新人文学』、no.5、2008.12.31、pp.260-305 [ < 北海学園学術情報リポジトリ(HOKUGA) ]

 参照。また→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「宮沢賢治」の項

 忘れてならないのは、

谷崎潤一郎、「ハッサン・カンの妖術」(初出1917)、千葉俊二編、『潤一郎ラビリンス Ⅵ 異国綺談』(中公文庫 た 30-34)、中央公論新社、1998

 および当作の「ほとんどすべて」を「解説を交えて」写したという(下記p.110);


稲垣足穂、「梵天の使者 - 谷崎潤一郎からのコピー -」、『男性における道徳』、中央公論社、1974/『稲垣足穂全集 13 タルホ拾遺』、筑摩書房、2001

 →こちらでも挙げましたが、さらに、本作に関して;

高橋孝次、「ハッサン・カンの須弥山めぐり - 稲垣足穂、天空へのまなざし」、一柳廣孝・吉田司雄編著、『天空のミステリー ナイトメア叢書 3』、青弓社、2012、pp.46-60

 足穂については→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「足穂」の項
 また;

安藤礼二、『迷宮と宇宙』、2019、pp.64-94:「人魚の嘆き - 谷崎潤一郎の『母』」

安藤礼二、『祝祭の書物 表現のゼロをめぐって』、2012、pp.201-268:「表現のゼロ地点へ - 三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹と神秘哲学」
(くう)」の場所 - 鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦/母なるイデアの世界 - 谷崎潤一郎/阿頼耶識と天使 - 三島由紀夫/森の破壊と再生 - 大江健三郎/二つの世界 - 村上春樹

 谷崎作品だけでなく、須弥山談義こそ欠くものの、こちらも写されているのが;


芥川龍之介、「魔術」(初出1920)、東雅夫編、『芥川龍之介集 妖婆 文豪怪談傑作選』(ちくま文庫 ふ 36-14)、筑摩書房、2010

 ちなみに芥川には;

「アグニの神」(初出1921)、同上

 もあります。

 なお 芥川「魔術」と谷崎「ハッサン・カンの妖術」は

井上雅彦編、『魔術師 異形アンソロジー タロット・ボックスⅡ』(角川ホラー文庫 H32-7)、角川書店、2001、pp.11-26, 337-392

 にも収録


山田正紀、『延暦十三年のフランケンシュタイン』、徳間書店、1988

 延暦(えんりゃく)13年=西暦794年。空海が主題です。
 山田正紀について→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「山田正紀」の項

石川英輔、『SF妙法蓮華経』、講談社、1989

 →同じ著者の『SF西遊記』(1976)も参照

荻野真、『孔雀王』(全11巻)(集英社文庫 お 33-1~11)、集英社、1997(原著は1986-1990年刊)

 その後続篇も出たようですが、いったん完結ということでおくとして、タイトルの〈孔雀王〉については、ヤズィード派の神話にも言及されていますが(第9巻、「孔雀城」、pp.280-281、本作中では「イエディ族」と表記→こちらにも挙げておきましょう(「イスラーム Ⅲ」の頁の「ヤズィード派」の項。またあちら:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他」にも)、基本は密教の孔雀明王なので。

 ちなみに孔雀明王の図像については;


増記隆介、『孔雀明王像 日本の美術 No.508』、至文堂、2008.9
はじめに/弘法大師様の成立と展開/宗叡請来像の行方/仁和寺本とその周辺//
鼎談 孔雀明王像を見ながら-仏画研究の展望-(吉村稔子、大原嘉豊、増記隆介)など、
98ページ。

 目次にある「弘法大師様」の語については、p.22 参照


石川賢、『虚無戦記』(全5巻)(双葉文庫 名作シリーズ い-31-05, 07, 09, 11, 14)、双葉社、2002

 この作品の成立過程はややこしくて、『5000光年の虎』(1982)や『虚無戦史 MIROKU』(1988-90)などの旧作を吞みこむ形で組みたてられているとのことです。詳しくは[ → 「虚無戦記シリーズ」 < 「石川賢の部屋」 < 「ビバ!ダイナミック」 ]
 また、
ダイナミック・プロ監修、『石川賢マンガ大全』、双葉社、2021、
  p.50:『スカルキラー邪鬼王』、1990-91
  p.98:『5000光年の虎』、1980-82
  p.101:「次元生物奇ドグラ」、1985、「ドグラ戦記」、1987
  pp.102-103:『虚無戦史MIROKU』、1987-89
  p.104:『邪鬼王爆裂』、1987-88
  p.108:『虚無戦記』、1999
  p.143:「忍法本能寺」、1993、「新羅生門」、1994


 石川賢については→こちらも参照:「近代など(20世紀~ ) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他」の項

宮内悠介、「象を飛ばした王子 First Flying Elephant」、『盤上の夜』(創元SF文庫 SF み 2-1)、東京創元社、2014、pp.169-222

 2012年刊本の文庫化
 全体の目次は;
盤上の夜/人間の王/清められた卓/象を飛ばした王子/千年の虚空/原爆の局//
解説(冲方丁)など、
336ページ。

 囲碁、チェッカー、麻雀、将棋と、盤上遊戯を主題にした連作の第4作。本作では将棋やチェスの起源ともされるチャトランガが取りあげられます。
 連作の他の作品がいずれも、おそらく近未来、おそらく同人物である語り手による取材の様子を物語るのに対し、本作だけは過去を舞台としています。主人公はラーフラ、小国カピラバストゥの王子で、ゴータマ・ブッダの実子です。叔父筋にあたるデーヴァダッタ、後に父・釈尊も登場します。
 盤上遊戯についてはいろいろ本もあるようですが、とりあえず見る機会のあったのは;

増川宏一、『盤上遊戯の世界史 シルクロード 遊びの伝播』、平凡社、2010
  オアシスの路;盤上遊戯の曙 - レバント地方/古代の盤上遊戯 - 肥沃な三日月地帯/五八孔の遊戯盤など - アッシリアの路/イランからの遊戯盤 - ペルシアの交通路/ナルド - ローマから東方へ/チェス - 中央アジアでの発見/チャトランガ - 北インドから東西へ//
  草原の路;アストラガルス - 自然物の利用/長方体や立方体 - 人工のさいころ/ポロ - 馬上の路/配列ゲームと戦争ゲーム - 古代エジプトからの発信①/マンカラ - 古代エジプトからの発信②/カード・ゲーム - 紙の路//
  海のシルクロード;古代の遊戯盤(1) -海上の路/古代の遊戯盤(2) - 地中海/競走ゲームとマンカラなど - 紅海とアラビア海/戦争ゲームなど - ベンガル湾/狩猟ゲームなど - 南シナ海とジャワ湾/配列ゲームなど - 陸路と海路の繋がり/トランプなど - 「大航海時代」//
  日本への伝来;中国の盤上遊戯 - 絲綢の路/日本への路 - 東シナ海/渡来の遊戯具 - 正倉院/将棋など - 遊戯の定着/トランプなど - 新たな伝来/象棋など - 未定着の遊び/麻雀など - 近世から近現代へ//
  おわりに - 新たな問題提起など、
  325ページ。

その第1章7 が「チャトランガ - 北インドから東西へ」でした(pp.79-88)。この他、

『ゲームのデザイン 盤上の魔力』(INAX Booklet)、INAXギャラリー、1994
  「ゲームの誘惑」を誘惑すること(小林昌廣)//
  【図版構成】ザ・ボードゲーム race game;古代からのレースゲーム/バックギャモン/盤双六/絵双六/がちょうゲーム/ヘビとハシゴ/マンカラ/さいころ//
    war game;チェス…ルイスの駒/チェス…駒くらべ/チェス…ボードくらべ/将棋/チャンギ(朝鮮将棋)/シアンチー(中国象棋)/跳び越しゲーム/包囲ゲーム//
    position game;配列ゲーム//
    score game;モノポリー、人生ゲーム、スクラブル//
    other games;その他のゲーム//
    computer game;画面の中のボードゲーム//
  ゲームの系統と変遷(制作:増川宏一)/ゲームの起源と変遷(増川宏一)/メディアとしての絵双六(木下直之)/アキヒロとナオキのボードゲーム(柳瀬尚紀)/将棋伝来のミステリー(大内延介)/ゲームおたくのゲーム学(草場純)/ゲーム・コミュニケーション(笠原邦暁)/野球カード(植島啓司)/盤上遊戯から電視遊戯へ(桝山寛)//
  近代を織る道具たち 14 ガラス(榧野八束)など、
  84ページ+付録:IL VERO GIOCO DELL'OCA(イタリアのがちょうゲーム)

なども参照。また「中国」の頁の「i. 概説、通史など」で挙げた

大室幹雄、『囲碁の民話学』(岩波現代文庫 学術 123)、岩波書店、2004

 『盤上の夜』に戻ると、将棋をモティーフにした第5作「千年の虚空」では、

 「ゲームを殺すゲーム(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)」(p.240)

 「将棋というゲームを通して(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)神を再発明したいんです(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)」(p.241)

 「ゲームを殺すゲームとは、まず無限に自壊しつづける性質がなくてはならない」(p.263)

といったくだりが見られました。〈ゲームを殺すゲーム〉に関連して、

 「量子歴史学という理科系の一分野を立ち上げさせた」(p.254)。 

 「まず、一次史料、二次史料といった基準は撤廃し、すべての文献をフラットに扱う。その上で、史料の全文章を一文ごとにノード化してネットワークを築き、ノード間の依存関係を全て網羅し、文章単位で信頼性を評価する。こうして、偽史のなかの正史が、正史のなかの偽史が炙り出される。…(中略)…
 だから、すべての文献を量子コンピュータにかけ、重なりあった無数の過去を生み出す。そこに量子蜜蜂(クオンタム・ビー)と名づけられた探索エンジンをかけ、決められた評価基準を満たす歴史を選び出す。
 こうして、一本の歴史を生み出そうというのである」(p.255)。

 「コンピュータがはじき出した結論は、一定の評価基準を満たす歴史は無数にある(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)というものだった」(p.267)。

またピーター・ビアード Peter Beard (1938-2020) の写真集 The End of the Game (1965)とヨーゼフ・ボイス Joseph Beuys (1921-1986) の画集 Zeichnungen 1947-1959 が登場します(p.264、p.274)。

 最後の第6作「原爆の局」は第1作「盤上の夜」と同じく囲碁がモティーフで、第1作の主人公たちも再登場します。その中で、

 「神の碁盤というものをよく考えるのですよ」
 「それはどのような?」
 「無限に広い盤面です。するとですね、面白いことが起きる。石を追いかける
(しちょう)が千日手のように終わりなくつづくのです。おのずと、征は打てないことになります」…(中略)…
 「実際は、征を追う場面もありますよね。それに、盤全体がかかわってくる」
 「そうです。最初は千日手ではない。けれど、追っていく過程のどこかで千日手に変わる。全体を考慮すると、ありうべき未来の盤面の一つひとつが現在に遡り、千日手かどうかを決定する。ですが、その閾値がどこにあるのか、人間には決してわからないのです」(pp.322-323)

という会話がありました。

 音楽の方から;

絶対無、『Miroque 〈弥勒〉』、2007(1)
1. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.32、2007.2、p.50。

想い出波止場、VUOY、1997(2)

 6枚目の7曲目「マイトレーヤ」、5分22秒。
2. 大鷹俊一監修、『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・プログレッシヴ・ロック』、音楽之友社、1999、p.216。
 松山晋也監修、『プログレのパースペクティヴ MUSIC MAGAZINE 増刊』、ミュージック・マガジン、2000、p.163。
 中込智子監修、『ジャパニーズ・オルタナティヴ・ロック特選ガイド』(CDジャーナル・ムック)、音楽出版社、2010、p.193。
 →こちらも参照:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「おまけ

Lacrymosa, Bugbear, 1994(3)

 「ファースト・アルバム('84)とシングル('85)。更にボーナス・トラック5曲('83)」(帯より)からなるアルバム。
 ファースト・アルバムの9曲目、トリを務めるのが
"Vision III. The Secret Treaty of the Age of Maitreya"、器楽曲。5分55秒。
 同じアルバムから→こちらで別の曲を挙げました:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「山田正紀」の項。
 またボーナス・トラックには
"In a Grass House. The Reefer Effect"という曲が入っていました(13曲目、1分59秒、器楽曲)。かのジェントル・ジャイアントの5枚目 In a Glass House (→そちらを参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」)を念頭に置いているのでしょうか。主要メンバーの Chihiro S.(斉藤千尋)がG.G.の4枚目 Octopus (1972) の日本版でライナー・ノーツを書いていましたし。
3. ヌメロ・ウエノ、たかみひろし、『ヒストリー・オブ・ジャップス・プログレッシヴ・ロック』、マーキームーン社、1994、pp.213-214。 
 Cf., 『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、p.234。
 こちらはスウェーデンのバンド;

Makajodama, Makajodama, 2009(邦題:マガジョダマ『マガジョダマ』)(4)

 1枚目。2曲目が
"Buddha and the Camel"(「ブッダ・アンド・ザ・キャメル」)。器楽曲です。9分25秒。
4. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.43、2009.11、p.21。
 『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、p.163。

 〈涅槃(ニルヴァーナ)〉といえば1990年代前半のいわゆるグランジ系のバンド「ニルヴァーナ」が思い浮かぶことでしょうが、ここでは日本のバンド;

メトロファルス、『ガイア Gaia. Lost Horizon and Velvet Dream 』、1989

 3曲目の"Nirvãna"(涅槃の湖畔)、3分28秒、歌曲。"Ophelia~" とかと歌っていますので、→こちら(「ジョン・エヴァレット・ミレー《オフィーリア》1851-52」の頁の「おまけ」)にも挙げておきましょう。
 メトロファルスから→そちら(「天使、悪魔など」の頁の「おまけ」)も参照
2013/07/19 以後、随時修正・追補
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