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 近代など(20世紀~
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数学系のものなど
iv フラットランド』の系譜など
v ルーディ・ラッカー(1946- )など
vi 次元など
vii ゲーデル(1906-1978)など
viii 無限、その他
    おまけ 

Ⅱ 数学系のものなど

iv. 『フラットランド』の系譜など

 「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」のページの「ix. 個々の著述家など Ⅴ」の項の「アボット(1838-1926)とヒントン(1853-1907)」のところでも触れましたが、アボットの『フラットランド』(1884)はいろいろなところで言及されるだけでなく、続篇の類も一つならず生みだしました;

ブルガー、石崎阿沙子訳、『多次元★球面国 ふくらんだ国のファンタジー』、東京図書、1992
原著は Dionys Burger, Sphereland. A Fantasy about Curved Spaces and an Expanding Universe, 1965
オランダ語原本は1957年刊。
序 - 球面国への招待(森敦)//
フラットランドの概略//
球面国;まっすぐな世界/合同と対称/
湾曲(カーブ)する世界/膨張する宇宙など、
232ページ。


 後出のデュードニー『プラニバース』(1989)によれば、

「アボットの世界とヒントンの世界を和解させ」

たもの(p.310)。


イアン・スチュアート、青木薫訳、『2次元より平らな世界 ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』、早川書房、2003
原著は Ian Stewert, Flatterland. Like Flatland, Only More So, 2001
まえがき-フラットランドからフラッターランドへ/A・スクエア文書の発見 謎の3次元世界/ヴィクトリアの日記 暗号解読と魔人の召還/異次元からの訪問者 数学的宇宙(マセバース)への誘い/7次元の自転車はどんな形か 次元とは何だろう/フラクタルの森 簡単なルールが複雑なパターンを作る/トポロジストのお茶会 大事なのは〝穴〟と〝向き〟/近づくのと遠ざかるのは同じこと 射影幾何学と遠近法/ビストロでワイン 有限射影幾何学で効率的な区画設計(ブロックデザイン)を/幾何学ってなに? 変換群と不変量/お皿の国(プラターランド) 美しき非ユークリッド幾何学の世界/猫の波が収縮するとき 量子の世界は確率を表す関数の空間/哀しきパラドックスの双子 特殊相対論のおかしな時空/鷹の王の玉座 重力の幾何学/タイムトラベルの陥穽 ファインマン・ダイグラムとペンローズ・マップ/ビッグバンへさかのぼる 時間と空間の始まり/すべてを説明する理論を求めて ひもと膜の幾何学/フラッターランド 二次元より平らな世界/新たな始まりなど、
446ページ。


 「アボット(1838-1926)とヒントン(1853-1907)」で挙げた

エドウィン・アボット・アボット、イアン・スチュアート注釈、『フラットランド 多次元の冒険』、2009

の「はじめに」や詳細な注釈も参照

 また、同じくフィクション仕立てのものに

A.K.デュードニー、野崎昭弘監訳、野崎昌弘・市川洋介訳、『プラニバース 二次元生物との遭遇』、工作舎、1989
原著は Alexander Keewatin Dewdney, The Planiverse. Computer Contact with a Two-Dimensional World, 1984
2Dワールドとの交信/円形惑星アルデ/海辺の家にて/大海フィディブ・ハール/首都イズ・フェルブルトへの道/地下都市での滞在/哲学者との出出会い/ピュニズラ研究所/芸術都市セマ・ルーブルト/ダール・ラダムの高みに/古代神殿での体験/高次元への旅//
付録 プラニバースの科学技術//
著者あとがき 2次元宇宙の創造者たち/監訳者あとがき 2次元での「可能性」と「不可能性」(野崎昭弘)//
プラニバース用語集/プラニバース研究 1~19など、
326ページ。


クリフォード・A・ピックオーバー、河合宏樹訳、『ハイパースペース・サーフィン 高次元宇宙を理解するための6つのやさしいレッスン』(Newton Science Series)、ニュートンプレス、2000
原著は Clifford A. Pickover, Surfing through Hyperspace. Understanding Higher Universes in Six Easy Lessons, 1999
序論/自由度/高次元の神/サタンおよび直交する諸世界/超球とテセラクト(4次元立方体)/鏡の世界/ハイパースペースの神々/結論//
付録;頭を錯乱させる4次元パズル/SFにおける高次元/バンチョフ・クラインの壺/4元数/4次元迷路/コンピューター・マニアのための雑多な寄せ集め/4次元生物の進化/さらなる思考に挑戦する問題/ハイパースペースの文献//
補遺など、
384ページ。


 アボットやヒントンへの影響源かもしれない先駆者について、本頁下掲「viii. 無限、その他」で挙げた

アンリ・ポアンカレ、南條郁子訳、『科学と仮説』(ちくま学芸文庫 ホ 23-1)、筑摩書房、2022

へのメモも参照。

v. ルーディ・ラッカー(1946- )など

 100パーセントがフィクション仕様というわけではありませんが、内に『フラットランド』の続篇を含むのが(二つ下の『4次元の冒険』も同様);

ルドルフ・ラッカー、金子務訳、『かくれた世界 幾何学・4次元・相対性』、白揚社、1981
原著は Rudolf v. B. Rucker, Geometry, Relativity and the Fourth Dimesion. 1977
第4次元 タマコ姫との不運な出会い/非ユークリッド幾何学 ギロチン首抜け事件の奇妙な顛末/曲がった空間 イキイキフレーク博士は世界の涯を見たのか?/より高い次元としての時間 君がスーパーマンになる日/特殊相対性理論 宇宙船と納屋での困った証言/タイム・トラヴェル ある反惑星の反人間の一生/時空のかたち クネルセン国のブラックホール/結論など、
256ページ。


 「時空の小域構造の問題」(p.216)に関連して、次の『無限と心』ともども→こちら(「近代など(20世紀~)」の頁のA.ベリー『一万年後』(1975)のところ)で、
 J・W・ダンの時間論への参照(p.244/Ⅳ-(3))に関連して、次の次の『4次元の冒険』ともども→そちら(「近代など(20世紀~) Ⅲ」の頁の「J・W・ダン」の項)でも挙げました。

・ 「ファインマン図表が示す真に驚くべき局面は、宇宙にはたった一個の電子しか存在し得ない、ということである!
 その電子は、時には時間を順行し、時には逆行するというように、一本の複雑な世界線を示す。時間を順行するときには、それは電子となり、逆行するときには陽電子となるだろう。しかし、〝実のところは〟たった一個の電子しかないであろう。この考えは、なぜすべての電子が同一電荷をもつのかという年来の疑問に対して、実に簡潔に見事な説明を与えている!」(p.184/Ⅵ章)。

というくだりがありましたが、

「これまでに知られている時空の特異点のすべて - 宇宙の始まりや終わり、それにブラックホール、ホワイトホール - はすべて同じものであるということもあり得る」(p.215/Ⅶ章)、

「ふたたびすべての特異点が同一点であるのなら、時空のすべてと質量のすべてもまた、中央の特異点に結びついた〝溝〟の迷路にすぎないであろう」(p.216/同)

との箇所と通じる点があるのでしょうか?

ラディー・ラッカー、好田順治訳、『無限と心 無限の科学と哲学』、現代数学社、1986
原著は Rudy von B. Rucker, Infinity and the Mind, 1982
序文//
無限;無限小史/物理的無限(時間的無限/空間的無限/小ささにおける無限/結論)/心の世界における無限/関連性/パズルと逆説//
数のすべて;ピュタゴラスからカントルまで/超限数(オメガーからイプシロンゼロまで/アレフ達)/無限小と超現実数/高次の物理的無限/パズルと逆説//
名づけられないもの;ベリーの逆説(数を名づけること/名前を理解すること)/ランダム実数(構成的実数/バベルの図書館/リシャールの逆説/世界をコードづける)/真理とは何か?/結論/パズルと逆説//
ロボットと魂;ゲーデルの不完全性定理/ゲーデルとの会話/ロボットの意識に向かって(形式系と機械/嘘つきの逆説と数学の非機械化可能性/進化過程を通じての人工的知能/ロボットの意識)/機械論を越えて?/パズルと逆説//
一者と多者;古典的一/多問題/集合と何か?/集合論の宇宙(純粋集合と物理的宇宙/純クラスと形而上学的絶対者)/共有的啓発(論理と集合論における一/多/神秘主義と合理主義/悟り)/パズルと逆説//
エクスカーションⅠ 超限基数;すべての順序数の集まり(On)とアレフ-ワン/基数/連続体/大きい基数//
エクスカーションⅡ ゲーデルの不完全性定理;形式系/自己言及/ゲーデルの証明/人間-機械同値についての専門的注意//
訳者あとがき/パズルと逆説解答/参考文献など、
360ページ。


「一匹の亀の上に一匹の亀が、その上に一匹の亀が、その上に一匹の亀が等々となり、その亀の上の象達の上に載っている一つの円板としての世界を描いた東洋の描写」(p.21/第1章2(2)、p.22に19図)

というくだりに関して、次の『4次元の冒険』の一節ともども、→「インド」の頁の「ix. 象・亀・蛇など」で挙げました。

・ そのすぐ前には、

「私達はより高次の4-D(4次元)世界と呼ばれるものを想像しうるだろうし、そしてそれをデュオバース(universe に対し duoverse)と呼ぶ。デュオバースはその中で多くの超球が漂っている4-D空間だろう」(p.20)、

「そのような多くのデュオバースが一つの5-Dトリバース(triverse)の中で漂っていると信じたくなる」(p.21)

とありました。

・ 第2章中で

「量子力学に対するエヴェレット(H. Everette)の著名な多的-世界(Many-Worlds)解釈」(p.91)

が言及され、第3章では名指されはしませんが、議論に取りあげられていました(pp.143-146)。
 宇宙の多数性については、第5章でも扱われています(pp.218-220)。

・ 同じく5章末の「パズルと逆説」2(p.238)への解答では、ジョン・ウィーラーの超空間論が参照されていたので(p.335)、上の『かくれた世界』同様、→こちら(「近代など(20世紀~)」の頁のA.ベリー『一万年後』(1975)のところ)に挙げておきます;

「その中に各可能な宇宙が一点として表現される一つの高次の超空間を仮定すること」。

下掲『時空の支配者』(1985)へのメモで引いた、

「ひとつひとつの現実は、超空間の点なんだ」(p.79)

というくだりはこの点に由来するのでしょうか。

 第4章(1)と(2)およびエクスカーションⅡで扱われるゲーデルについては、下の「vii. ゲーデルなど」とあわせご覧ください。
 また第3章2-(2)「バベルの図書館」は、→こちらにも挙げておきます:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「ボルヘス」の項

ルディ・ラッカー、挿絵:デーヴィッド・ポヴィレイティス、金子務監訳、竹沢攻一訳、『4次元の冒険 幾何学・宇宙・想像力』、工作舎、1989
原著は Rudy Rucker, The Fourth Dimension. A Guided Tour of the Higher Universe, 1984
序(マーティン・ガードナー)//
4次元;新しい方向/フラットランド/過ぎ去った世界/鏡の国/幽霊は超空間からやって来る//
空間;世界を作っているもの/空間の形/別世界への魔法の扉//
方法;時空日記/タイムトラベルとテレパシー/実在とは何か?など、
304ページ。


 二つ上の『かくれた世界』でも「Ⅳ より高い次元としての時間=君がスーパーマンになる日」などで、

「すべての空間とすべての時間が一つの静的な時空構造に巻きこまれているという見解」(p.121)

が支持されていました(「四次元思考へのトレーニング - 解答」、Ⅵ-(6)(pp.235-234)なども参照)。
 この議論は本書でも第3部第9章「時空日記」で展開され、

「世界を
ブロックになった宇宙(・・・・・・・・・・)とみなすことができる。世界を一つのブロック宇宙と考えると、時間と空間が一緒になったものすべてが一つの巨大な物象となる。ブロック空間は一つの時空(・・)(spacetime)からなる空間の三次元と時間の一次元を加えたものだ」(p.166)

と述べられています。
 〈ブロック宇宙〉については、→こちらも参照:「近代など(20世紀~)」の頁のカルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』(2019)のところ

・ ちなみに、p.263:「解答 8・2」で挙げられた

 リンダ・ダリンプル・ヘンダーソンの『現代美術における四次元と非ユークリッド幾何学』(1983年)

は→そちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅲ」の頁の「xvi. 20世紀神秘学の歴史など
 
 余談ですが、前の勤め先で『エドゥアルド・チリーダ展』(2006)が開かれた際、図録のためにコスメ・デ・バラニャーノの論文「チリーダ:沈黙と空間」を訳することになったのですが、たいがいややこしい言葉がいっぱい出てきた中で、とりわけ「ホモロイダル homoloidal 」という単語の意味がどうしてもわからずじまいでした(図録、p.17 左段の下の方、英訳は同、p.172 右段の最初の段落。『エドゥアルド・チリーダ』展図録 { < 三重県立美術館のサイト ])。
 検索のやり方がまずかったのでしょう、ウェブ上でもうまく見つけるにいたらなかったのですが、ラッカーのこの本に出てきていたのに、ずっと後になって出くわしたのでした。すなわち、

「2次元の平坦な空間は平面と呼ばれ、3次元の平坦な空間はしばしばホモロイダル空間と呼ばれている」

とのこと(p.127)。また、たまたま見かけた

 ヴァン・ダイン、井上勇訳、『僧正殺人事件』(創元推理文庫 107)、東京創元社、1959

の「第9章 テンソルの公式(4月11日月曜日午前11時30分)」に次のくだりがありました;

「これはリーマン・クリストフェルのテンソルだ - むろん、ドラッカー*はその著述のなかで、球面ホマロイダル空間のガウス曲率を決定するのに、この公式を使っている……」(p.156)。

* 「ドラッカー」は登場人物の名前。著書に《多次元の継続**における世界線 World Lines in Multidimensional Continua 》;第6章:p.43、第8章:p.140/下掲PDFで表紙、データ等をいれて p.39、p.103。
** 「継続」と訳されている"Continua"は〈連続体〉か。

訳註には

「ただし、この箇所に利用された数学用語は訳者の理解のそとにある」(p.159)

と記されていましたが、ともあれ英語版ウィキペディア該当頁(→こちら)の下の方にある"External links"の項に挙がっていた The Bishop Murder Case [ < Faded Page ] に掲載されている1929年刊の原本では;

"The Riemann-Christoffel tensor -- of course! Drukker uses it in his book for determining the Gaussian curvature of spherical and homaloidal space. . . ."(PDF版では p.115)

と、スペルは"homaloidal"で、4字目が a になっていました。「ホマロイダル」で検索してもヒットする項目がありますが、とりあえず英語版 Wiktionary の"homaloidal"の頁(→そちら)を見れば、1913年版のウェブスターの辞書よりとして、

 語源は古代ギリシア語の"ὁμαλός" (homalós ; "even, level=<面が>平らな、平坦な")で、
「…のような(もの)」「…状の(もの)」「…質の(もの)」を表わす接尾辞 -oid をつけたもの

 形容詞として

"(geometry) flat ; even ; applied to surfaces and spaces in which the definitions, axioms, and postulates of Euclid respecting parallel straight lines are assumed to hold true"

とありました。

「(幾何学)平らな;平坦な ;平行する直線に関するエウクレイデス(ユークリッド)の定義、公理および公準が真であると仮定されるような、面や空間に適用される」

といったところでしょうか。

ルディ・ラッカー、金子務監訳、大槻有紀子・竹沢攻一・村松俊彦訳、『思考の道具箱 情報 数 空間 論理 無限 - 数学的リアリティの五つのレベル』、工作舎、1993
原著は Rudy Rucker, Mind Tools. The Five Levels of Mathematical Reality, 1987
序章 五つの思考形態;情報としての数学/数と空間/論理と無限/数学的概念の心理学的ルーツ/インフォメーションとコミュニケーション/観念の歴史旅行//
数;0と1/数と対数/数のパターン/数秘術・数あたま・群衆/心の計算者/数としての言葉/知識の限界//
空間;数学空間と現実空間/タイル・細胞・絵素・格子/代数曲線コレクション/揺れと渦巻/果てしない複雑さ/フラクタル/ヒルベルト空間におけるフラクタルな人生/ヒルベルト空間をめぐって//
論理;思考の法則/三段論法カタログ/記号論理学入門/論理空間の探検/ゲーデルの定理/チューリング・マシン登場/解決不能の問題集/真理の海//
無限と情報;無限の大きさ/情報と連続体問題/遠近法における無限小/アルゴリズムの複雑さ/不可解/ランタイム/すべてが情報//
監訳者あとがきなど、
402ページ。


・ 第2章で次のくだりが見られました;

「数学者にしてみれば、4次元の空間についてしゃべるのも、10次元の空間についてしゃべるのも、あるいは100次元の空間についてしゃべるのも大差ない。また物理学者はよくこういった高次元空間を『位相空間』として利用する。たとえば、ある独立した物体Pが、そう、7つの異なった性質をもっており、それらの性質すべてが興味深いものであったとしよう。この場合、7次元の位相空間における一領域として、Pについての知識を表現したってよい。この伝でいけば、かぎりなく多くの次元をもつ空間について話すことにも技術的な困難はないはずだ。これこそ、私が『ヒルベルト空間』という言葉で言いたかったものなのである(ただし、量子力学に関する書物においては、『ヒルベルト空間』は座標が
複素数(ヽヽヽ)である特定の無限次元空間を指す用語であることに注意していただきたい)」(pp.217-218)。

・ 第3章では

「ゲーデルの定理は、ブリューゲルの絵画に見られる記念碑的煩雑さをそなえている」(p.272)。

・ 第4章;

「注目野を拡大することと縮小することとの間に見られる対称性は、透視画を描こうとするときに明確になる。とくに、有限のカンバスの上に超限的景色を描こうとする際に、無限小がどんな役割をはたすことになるかを見るのは興味深い」(p.334)

として、

「パオロ・ウッチェロとかピエロ・デッラ・フランチェスカ」(同上および p.336)

の名も挙げられます。
 

 なお、ラッカーの小説からすでにロマン主義、近代など(19世紀)」のページの「viii. エドガー・アラン・ポー(1809-1849)など」の項で空洞地球』を挙げましたが、あわせて手元にあるものを並べておくと;

ルーディ・ラッカー、大森望訳、『時空ドーナツ』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-9)、早川書房、1998
原著は Rudy Rucker, Spacetime Donuts, 1981

 刊行は先後しましたが、こちらが処女長編とのこと。

・ 本作では宇宙は〈循環スケール〉をなしています;

「意識を拡張して〈すべて〉を包含することもできるし、意識を消滅させて〈無〉を体験することもできる。…(中略)…
 この両者から得た全体的なイメージは、ふたつの球体だった。ひとつは無限に向かって外へ外へと拡張し、もうひとつはゼロに向かって内へ内へと収縮している。…(中略)…外に拡張する球と、内に収縮する球とが、到達可能などこか一点で出会い、融合して、そこでは〈ゼロ〉が〈無限〉に、〈無〉が〈すべて〉になる」(pp.65-66/第1部5章)。

「通常サイズをはるかに超えて縮小しつづけると、通常より大きなサイズからもどってくるんじゃないかと…(中略)…
いちばん大きなものはふつう宇宙(ユニヴァース)と呼ばれていますし、ライプニッツは万物の中でもっとも小さなものを単子(モナド)と名づけました。それにならっていえば、宇宙はモナドであり、なにかを小さく分割しつづけると、一個一個のモナドの中に全宇宙があるのを発見することになる…(中略)…
そのあいだ、中身のある物質には一度も出会わない - あるのはかたちと構造だけ」(pp.103-104/第1部8章)。

「宇宙の膨大なプロセスも、一個の原子の最短の振動の中のちらつきでしかない」(p.165/第2部15章)。

「物質はなく、かたちだけ。…(中略)…十億年の時間も、一ナノ秒の中に含まれる」(p.259/第3部25章)

パスカルの〈ダニ〉の話や華厳教学における〈因陀羅網ないし帝網〉のイメージが連想されずにいません。
こちら(「バロックなど(17世紀)」の頁の「パスカル」の項)、
 そちら(「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」)、
 またあちら(「世界の複数性など」の頁)を参照。

・ この宇宙は〈ドーナツ〉にたとえられもしますが(pp.130-132/第1部11章)、その際、

「最小のモナド・レベルから、最大の宇宙レベルへの移行」(p.132/第1部12章)



「ドーナツ・モデルの問題点」(同上)

とされる。スケール循環は二度実行されるのですが、この「問題点」がどうなったのかは、よくわかりませんでした。次に触れるあたりで、「移行」がなされたようなのですが。

・ さて、「訳者あとがき」に

「毎度おなじみのヒルベルト空間ネタ」(p.275)

というくだりがありましたが、「四次元」に「超空間」(p.146/第2部13章)、「無限次元空間」(p.150/同)、「ヒルベルト空間」( p.165/第2部15章)も登場します。

「宇宙ってのは超球なんだよ」(p.152/第2部13章)

を受けて、

「外のあれそれぞれが宇宙だとしたら……」(p.153/第2部14章)

と、宇宙の多数性も示唆されます。

・ 他方、

「同じレベルに到達すると、なにもかもが生きているように見えたことだ。分子、原子、核、宇宙……おれたちが正しい時間と空間のスケールにたどりつくと、みんな生きてるみたいにふるまった」(同上)、

さらに、

「彼らはそれの中にいて、それの十分の一を満たしていた。『宇宙(ダス・アル)』とヴァーナーはうやうやしく口にした。それは生きていた。。…(中略)…
のちに、宇宙との全面的なコミュニケーションを実現したこの瞬間…(中略)…
ふたりは、光の三次元ネットワークに囲まれていた。。…(中略)…
『神の脳だ』とミックがあっさりいった」(pp.156-157/同)

というヴィジョンも示されました。

・ 「空間の泡のような細かい構造。空間は、このレベルでは、無数の泡の集積のようなものだとされている」(p.189/第2部17章)

というのは、前掲の『かくれた世界』や『無限と心』へのメモでも触れた、ジョン・ウィーラーの超空間論を念頭に置いているのでしょう。

・ ところで献辞は、

「クルト・ゲーデル、ミック・ジャガー、そして1972年に」(p.3)

とあり、「はじめに」でもローリング・ストーンズに触れており(p.6)、本文では第1部4章で

ストーンズの "Gimme Shelter"(「ギミー・シェルター」、
Let It Bleed (『レット・イット・ブリード』)(1969)収録)

が登場します(pp.56-58)。

・ 「はじめに」ではまた、

「本書に関してもうひとつ多大な音楽的影響を与えているのは、いうまでもなくフランク・ザッパだ」(p.6)

と述べられていました。そこでは
Apostrophe(') (『アポストロフィ('))』(1974)収録の

"Stink-Foot(スティンク・フット)"

に言及(同上、またpp.92-94/第1部7章)(1)、
1. 岸野雄一、「フランク・ザッパ ディスコグラフィー」、『ユリイカ』、vol. 26 no.5、1994.5:「特集 フランク・ザッパ 越境するロック」、p.236。
 和久井光司、『フランク・ザッパ キャプテン・ビーフハート ディスク・ガイド』(レコード・コレクターズ2月増刊号)、2011、pp.66-67。
同じ第1部7章の冒頭で

Over-Nite Sensation (『オーヴァーナイト・センセーション』)(1973)から

"Montana"(p.83)(2)、

同じアルバムから

"Dinah-Moe-Hum"(p.154/第2部14章)、
 
2. 岸野雄一、同上。
 和久井光司、同上、pp.62-63。
 
以上2枚は未聴なのですが、同じ第2部14章には

「ワンサイズでぜんぶOK(・フィッツ・オール)

と、1975年のアルバム名と同じ台詞が飛びだす(p.158)(3)。

第3部26章では同じアルバムから、

"San Ber'dino"(p.269).
 
3. →こちらを参照:「エジプト」の頁の「おまけ 

第2部14章に戻ると、この章の終わりは;

「それから、フランク・ザッパの全曲を最大音量で同時に再生するような音とともに、ふたりの旅の最後の瞬間が終わった」(p.160)

というものでした。

・ この他、第3部22章には

空の上(イン・ザ・スカイ)? ウィズ・ア - という連想を追いやり…(後略)…」(p.236)

というくだりがあり、続く23章のタイトルは「イン・ザ・スカイ」でした。

ビートルズの "Lucy in the sky with diamonds"(「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」、
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、1967)収録)

に掛けてあるのでしょう。
・ 第1部7章では次のくだりが見られました;

「ミックの胴体は通常サイズの二倍に膨張し、手足は不自然な角度でねじれ、頭の半分はしぼんでしまったように見えた。まるでフランシス・ベーコンの絵から抜け出したよう」(p.96)。

・ 第3部25章の末尾には

「ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない?」(p.261)

という台詞があり、

「マルセル・デュシャンが1921年に発表した作品名」

と割註が挿入してありました。
フィラデルフィア美術館の所蔵品ページ;Marcel Duchamp, Why Not Sneeze, Rose Séelavy? , 1921
 

ルーディ・ラッカー、黒丸尚訳、『ホワイト・ライト』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-4)、早川書房、1992
原著は Rudy Rucker, White Light, 1980

 「原題を直訳すれば、『ホワイト・ライト、あるいはカントルの連続体問題とは何か?』」とのこと(鈴木治郎「解説」、p.357)。

・ 主人公は幽体離脱して〈シメン Cimön〉と呼ばれる死後の世界を訪れます(原語は英語版ウィキペディアの該当頁より→こちら)。本文の前には、

F・R著『シメンおよび、そこへの行き方』

なる小冊子(pp.45-46/第1部4章)に載っているという略図が掲載されている他(p.8)、

「ここのすべては光でできている。シメンは宇宙と反宇宙との界面に横たわる巨大な光の面なんだ。こちら側は裏面(うらめん)と呼ばれ、面の反対側は表面(おもてめん)と呼ばれている。何かが死ぬと、あるエネルギイのパルスを放出し、それが表面に当たって一つのイメージを活性化する。
…(中略)…きわめて現実的な意味で、シメンは通常の宇宙のあらゆる点の、すぐそばにある」
…(中略)…「シメンが大きな光の板だとおっしゃってるんですか。人は光になって、ここに来るんですか。……」
…(中略)…「むしろ、ヒルベルト空間のエネルギイ配置における、波動的情報パターンと呼ぶほうがいい」(pp.124-125/第2部10章)」

とアインシュタインによって説明されたりもします。また;

「たぶんシメンは、一枚の紙を折ったような形をしてるんだ。ぼくらはオン山がある側に到着したけど、今は反対側にいる。そのあいだには夢の国があって、折り目が海だ。きみが見た炎というのは、地獄だったに違いない。折り目の下の空間にあるんだ」(p.256/第3部19章。p.175/第2部14章も参照)。

「ここでの時間は地球時間と垂直みたいになっているのかもしれない」(p.179/第2部14章)。

・ カントルの1885年の論文(p.188/第2部14章)からということで、第4部23章では質量・エーテル・第三の物質に関する議論が祖述されます(pp.304-307)。

・ また第4部25章は「バナッハ=タルスキ分割」と題され、

「通常の質量物体には、アレフ=ヌル個の点しかないが、エーテル物体にはアレフ=ワン個ある。1924年にバナッハとタルスキが、そういう球体は有限個の断片に分けることができ、それを再構成すると、最初のひとつとそっくりな球体を二個作れる、と証明した。レイフェル・ロビンスンが1947年に、二人の証明を進歩させたところによると、断片は四個だけでいいことがわかる」(p.336)

と説明され、その通りの事態が起こります。下掲「viii. 無限、その他」に挙げた

 レナード・M・ワプナー、佐藤かおり・佐藤宏樹訳、『バナッハ=タルスキの逆説 豆と太陽は同じ大きさ?』、青土社、2009

も参照。

  第1部2章の始めの方で

ローリング・ストーンズの『エクサイル・オン・メイン・ストリート(メイン・ストリートのならず者)』(1972)

が(p.18)、第1部4章では

グレイトフル・デッドのコンサート(p.47)

に、

ジャクスン・ブラウンのレコード(p.48)、

第2部15章では

「普通なら、ぼくの音楽の好みは、ロバート・ジョンスン以前にはそう遡らない…(後略)…」(p.203)

と語られ、第3部20章では

レッド・ツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラヴ(胸いっぱいの愛を)」
(『レッド・ツェッペリンⅡ』(1969)収録)(p.265)

の名が挙がります。また第3部のエピグラフとして、パティ・スミスの詩句が引かれていました(p.206)。検索してみたところ、

 Patti Smith Group, Easter, 1978 (パティ・スミス・グループ、『イースター』)

のB面3曲目

"25th floor / high on rebellion"(25階/ハイ・オン・リベリオン)

の内、後半の"high on rebellion"中のものでした。
・ 第1部7章では、星気体状態の主人公が;

「モネを鑑賞するつもりでボストン美術館に出かけていく。最初、どのモネも妙に - つぎはぎだらけに見えた過剰に紫外線で見ていたせいだ。通常の人間の感度ぐらいに視力を落とすと、絵画がこれまでと同じように美しく見えた…(後略)…」(pp.83-84)

・ 第1部8章にはシメンへ到着する際の景観として;

「余力を振り絞って、ぼくらは宇宙をひとつの(まぶ)しいばかりの光の点に変えた。ぼくが頑張るのをやめると、その点が展開して平らで垂直な風景になる。無限の半平面だ。下の端は海で、上半分は果てしない山だ。まるでブリューゲルの『イカロスの墜落』のような、圧倒的な絵画のように見えた」(pp.97-98)

・ 第2部14章ではシメンの眺めとして;

「表面で水平だったものが、裏面では垂直になっている。全体を一度に見渡そうとして、ぼくは胸の悪くなるような眩暈(めまい)に襲われた。あらゆる方向に階段が伸びるエッシャーの室内図を長いあいだ見つめすぎたようなものだ。落ち着かぬ眼が、うねる地表にまとわりつくあいだも、外翻(がいほん)し内転する」(p.175)

と述べられていました。

ルーディ・ラッカー、黒丸尚訳、『ソフトウェア』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-1)、早川書房、1989
原著は Rudy Rucker, Software, 1982

ルーディ・ラッカー、大森望訳、『セックス・スフィア』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-5)、早川書房、1992
原著は Rudy Rucker, The Sex Sphere, 1983

 エピグラフはヒントン「多次元」(1885)とアボット『フラットランド』からで、物語も後者を下敷きにしているとのこと(「訳者あとがき」、pp.325-326)。

R.ラッカー、黒丸尚訳、『時空の支配者』(新潮文庫 ラ-8-1)、新潮社、1987
原著は Rudy Rucker, Master of Space and Time, 1985

・ 「ピント外れの天才」・「発明家」(p.9/第1章)ハリイ・ガーバーは、

「時間を遡った自分が、2インチぐらいにしか見えなかったという点」(p.28/第3章)

から、

「じゃあ、フレッド・ホイルは正しかったんだぁ…(中略)…全ては縮んでいるんだぁ…(中略)…
宇宙の全てのものが同じ率で縮んでるんだ。だから遠くの星雲がどんどん遠ざかるように見えるのさ」(同上)

と喝破します。ホイルの定常宇宙論に反して、後にビッグ・バンも実際に起こったことがわかるのですが(第20章)、それはさておき、時間遡行を可能にしたのは、〈ブランザー〉なる装置によって〈プランク・ジュース〉を作ることによってでした;

「グルーオンというのは素粒子で、クォークを結びつけている。…(中略)…
 グルーオンをマイクロ波に配合して、超量子流体にした。…(中略)…
 超量子流体は渦動コイルに飛びこんで…(中略)…
混合してプランク・ジュースになるのさ…(中略)…プランク・ジュースとは、クォーク前の連続的力媒体で、はっきりした特性をまったく持たない。プランク定数の値がどんなものか、知りゃしないんだ…(中略)…
 そこに僕が教えこむ。嘘をついてやる。最初にプランク・ジュースに見せるのが、一メートルの導波管のトンネル。そこでプランク長は10-33センチの代わりに一メートルということになる。…(中略)…
プランク長というのは、量子不確定性が始まる規模のレヴェルなんだ。プランク・ジュースを操作することによって、プランク長が一メートルであるかのように振舞わせ、僕がそのプランク・ジュースを吸収する。ブランザーの働きというのは、僕の周囲の不確定性を大幅に拡大することなんだ。物事は僕が命じたように動くことになる」(pp.67-68/第7章)。

後には

「グルーオンを処理して、まるっきり得体の知れない流体にしてやり、これを仮にプランク・ジュースと呼ぶことにします。この流体は、いわば第二次量子状態にあります。二重に不定なんです。プランク定数のスケールで通常の不確定性があるばかりでなく、第二次の不確定性もあります。プランク定数の真の値が不定なんです」(p.246/第25章)

とも説明されます。

・ かくして、生じたのが;

「六面体の六つの面が、それぞれ開いた扉になっている。…(中略)…
 六つの扉は六つの場所につながる -
 一、僕らのいる部屋、今のここ。
 二、小さくて楽しく、のたうつ塊り - 微小世界。
 三、果てしなく草地の続く山 - 無限。
 四、月面上の輝くロボット - 未来。
 五、奇妙に溶けあう形態 -
超空間(ハイパースペース)
 六、こちらの部屋と似ているが、上下が逆さで裏返し - 鏡の国の世界」(p.77/第8章)。

・ ガーバーはまた、

「ひとつひとつの現実は、超空間の点なんだ…(中略)…
 超空間には無限にたくさんの次元があって、君が世界について放つひとつひとつの質問に対応して、それぞれの次元もある。ひとつの宇宙は、ある回答の集合を、つまり超空間の中のある位置を示している」(pp.79-80/同)

と述べます。〈超空間〉に関して、上の『無限と心』(1982)へのメモおよび下の「vi. 次元など」とともに、→こちらも参照「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xviii. ブックガイド、通史など

「すべての世界は、超世界の一部だよ」(p.180/第18章)。

・ 大騒動の末、ガーバーの共同経営者・友人・語り手の主人公ジョーゼフ・フレッチャーも、〈ブランズ〉することになります;

「世の中を停止させるコツは、要するに、自分の時間軸を他人のそれと直角にしてやればいい」(p.193/第19章)。

・ そしてグルーオン提供者である物理学者ボームガードの、

「私 - 私は、宇宙を理解したい…(中略)…物事がなぜ存在し、物質とは実は何なのか知りたい」(pp.178-179/第18章)

という願いを叶えるべく、時間を遡り、

「空間に放射が満ち、完璧に対称だ。対称性は破れなくてはならない、そう考え、そうさせた。さらに先へ。
 エネルギーに満ちた宇宙。かくも小さく、かくも大きい。さらに前へ。どこから生じたものだろう。なぜ物事は存在するのか。誰かが置くしかあるまい。でも誰が……。
 僕の全エネルギーをこの宇宙の最初の瞬間に絞りこむ。僕の周囲のあらゆる空間と時間から力を汲んで、そのままの存在を過去へと集束させ - この宇宙を始めさせてしまった」(p.199/第20章)。

この経緯はまた、

「ビッグ・バンを起こさせたぁ……」
「何も起こりそうにないんで、焦れたんだ。僕は全ての時空間に広がっていたから、そこいらじゅうからエネルギーを集めてきて、出発点に集中させた」(p.237/第24章)

と報告されます。これに対しガーバーは、

「宇宙は自己励起システムか…(中略)…
 宇宙が僕らを使って、己れを励起するのに手助けさせたのさ。たぶん、この種の排出口がたくさんあって、エネルギーが時間を遡って注ぎ返されてる。僕らなんて、そのためのパイプを敷設するのに手を貸しただけ。〝時空の鉛管工〟さ」(p.238/同)

とコメントします。後にフレッチャーも

「宇宙は一種の永久運動機械だ。未来から過去へとエネルギーを集めてる。宇宙は自己励起システムなんだ」(p.256/第26章)

とボームガードに告げますが、彼は

「それじゃ不充分だぞ、フレッチャー。そのシステム全体はどこから生じたんだ。世界蛇が自分の尻尾を噛む - それは結構。その蛇はどこから来たんだ」(同上)

と問い返します。

・ ともあれ事態を収拾するための最後の〈ブランズ〉に際し、ガーバーはフレッチャーを超空間に呼びこみます;

「超空間て何だい…(中略)…」
「思考界さ、フレッチ。
大宇宙(コスモス)だ。純精神作用。抽象的可能態。無限次元。全ての集合の類。神の心。前幾何学的基層。ヒルベルト空間。最後から二番目の現実。白 - 」(p.281/第29章)。

精神の範疇に属するものと数学上の概念がごっちゃになっていますが、フレッチャーの知覚ももやもやしていたようで、ガーバーはもう少し認識しやすい環境に変化させます;

「黒だか白だかの虚空に、コントラストがついた」(p.282/同)、

「僕らは、無限次元超空間の三次元断面にいる」(同上)、

・ さらに、

「『僕らの宇宙はどこだい』…(中略)…
『あそこの点さ』ハリイは、小さな卵形の、ぼんやりした白い塊りを指さす。
『他の点は何なのさ』
『他の宇宙だよ…(中略)…』
『なぜあんなに小さいんだ』
『サイズの軸上の僕らの位置さ。ここでは何についても軸があるから』…(中略)…
『さしあたり、僕らは、もとの宇宙の時間と平行した空間にいるけどね』とハリイが僕の腕をとり、『横向きになることもできるんだぜ』…(中略)…
『ビッグ・バンがこっちだ』とハリイが一方の端を指さして、『いくつか環になって、戻って行っているのがわかるだろ。君がブランズした時、やっていたのがあれさ。…(中略)…』
 もっと眼を凝らせば、僕らの宇宙が実は、一本のもつれた糸だけでできているのが看て取れる。一本の輝く線が前後へ、内外へと織り上げている。まるで果てしなく絡まったワイア、毛糸のもつれ、ゴルディアスの結び目。他の宇宙も見てみたが、そこいら中が絡まった卵だった。僕らは本当に舞台裏にいるのだ」(pp.283-284/同)。

・ そして、

「僕らは黄色の壁が剥げかけた廊下に立っている。宇宙卵は眼の前に浮かんで、水晶球の中の無限に精緻な映像だ。…(中略)…
 廊下を進むうち、いくつか閉じたドアを通り過ぎる。ドアの奥には誰が、何がひそんでいるのだろう。とは思っても、知りたくはない。拭いがたい感覚として、何か醒めて超然とした知性が、こちらから見えないところでこちらを監視している気がする。
 廊下のはずれには、何やら腐りかけたような階段があった」(pp.284-285/同)

と続きます。廊下と階段が登場した点を評価すべきところでしょう。

・ なお新潮文庫版邦訳のカヴァー表および挿絵は、吾妻ひでおによるものです。
 

R.ラッカー、黒丸尚訳、『空を飛んだ少年』(新潮文庫 ラ-8-2)、新潮社、1987
原著は Rudy Rucker, Master of Space and Time, 1985

ルーディ・ラッカー、黒丸尚訳、『ウェットウェア』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-2)、早川書房、1989
原著は Rudy Rucker, Wetware, 1988

ルーディ・ラッカー、黒丸尚訳、『空洞地球』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-3)、早川書房、1991
原著は Rudy Rucker, The Hollow Earth, 1990

ルーディ・ラッカー、黒丸尚・他訳、『ラッカー奇想博覧会』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-7)、早川書房、1995
 日本で編集された短編集。原著は 1980-1995
遠い目/57番目のフランツ・カフカ/パックマン/自分を食べた男/慣性/虚空の牙/第3インター記念碑/柔らかな死/宇宙紐だった男/宇宙の恍惚//
[エッセイ]1990年日本の旅/クラゲが飛んだ日(ラッカー&ブルース・スターリング)/[エッセイ]日本のアーティフィシャル・ライフなど、
404ページ。


 「遠い目」から1文をエピグラフとして引いたことがあります(p.27)
 →「両刃の斧の家、双頭のミノタウロス」、『今村哲』展図録 2000.6三重県立美術館のサイト


ルーディ・ラッカー、大森望訳、『ハッカーと蟻』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-8)、早川書房、1996
原著は Rudy Rucker, The Hacker and the Ants, 1994

ルーディ・ラッカー、大森望訳、『フリーウェア』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-10)、早川書房、2002
原著は Rudy Rucker, Freeware, 1997 

vi. 次元など

 ルーディ・ラッカーからの続きで、まずは;

三浦朱門訳、『第4次元の小説 幻想数学短編集』(地球人ライブラリー 006)、小学館、1994
タキポンプ(エドワード・ペイジ・ミッチェル)/歪んだ家(ロバート・A・ハインライン)/メビウスという名の地下鉄(A.J.ドイッチュ)/数学のおまじない(H.ニアリング・Jr.)/最後の魔術師(ブルース・エリオット)/頑固な論理(ラッセル・マロニー)/悪魔とサイモン・フラッグ(アーサー・ポージス)//
コラム(吉永良正)/あとがき(三浦朱門)/解説(森敦)/リスト・オブ・ブックスなど、
286ページ。


 クリフトン・ファディマン編、FANTASIA mathematica, 1958 をもとにした1959年刊の訳本から、7編を選び、改訂・注釈を加えた新版(p.284)。
 →こちら(「近代など(20世紀~) Ⅴ」の頁の「グレッグ・ベア」の項)でも触れました。
 またハインラインの収録作に関して→そちら(同頁の「ハインライン」の項)も参照


 もう一つ;

アルジャノン・ブラックウッド、紀田順一郎・桂千穂訳、「四次元空間の(とりこ)」、『妖怪博士ジョン・サイレンス』(角川ホラー文庫 509-1)、角川書店、1994、pp.453-489
原著は Algernon Blackwood, “A Victim of Higher Space”, Day and Night Stories, 1917

 邦訳は1976年刊本の文庫化
 ブラックウッドについて→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「ブラックウッド」の項


本間龍雄、『位相空間への道 直観的トポロジーの世界』(ブルーバックス B168)、講談社、1971
序章/グラフの章/曲線の章/曲面の章/歴史の章/高次元の章など、
232ページ。


本間龍雄監修、『新しいトポロジー 基礎からカタストロフィー理論まで』(ブルーバックス B214)、講談社、1973
トポロジーの国/トポロジーの言葉/不動点定理/トポロジーのものさし/曲面を分類する/曲面と3次元多様体/コピーの世界/いろいろな結び目/高次元の曲面/モースの理論/トポロジーと代数の結婚/カタストロフィーの話/経済学におけるトポロジーなど、
448ページ。


『現代思想』、vol.23-05、1995.5、pp.45-390:「特集 高次元多様体」
形・構造・次元(池田清彦・高木隆司)/高次元とかたち(小川泰)/空間の陰影としての次元問題(金子務)/芸術・科学における空間と次元(デーネシュ・ナジ)/神秘主義、ロマン主義、4次元(リンダ・D・ヘンダーソン)/曲面で考える夢のグラファイト(H.テロンズ+A.L.マッカイ)/4次元人の正体(宮崎興二)/相対性理論と論理実証主義(マイケル・フリードマン)/ダイナミカルシステムにおける次元の概念 その哲学的所見(ジョージ・L・ファー)/有限性世界の活路はどこにあるか 経済を遅くする力学(長沼伸一郎)/江戸時代の数学 高次方程式と「勘」(西田知己)/生物体の構造を考える フラクタル的構造に注目しながら(本多久夫)/他と多の素描(宇野邦一)/都市を4次元で考える(腰塚武志)/影たちの無限(谷口博史)/生成する被膜の作法(図版構成:木本圭子)+噛むことのメタローグ(桂英史)/かくも静穏な場所に……記憶と反復 序論(澤野雅樹)/生命と時間、そして原生-計算と存在論的観測(承前)(郡司ペギオー幸夫)/次元の誕生と変遷(松野孝一郎)/物理学の記述過程と記述空間(小嶋泉+聞き手:沼田寛)/高次元立方体を直観するための、3つの方法。(吉本直貴)/MOVING DIMENSION(戸村浩)/高次元のアーキテクチャー(日詰明男)/カオス的遍歴をめぐって(池田研介・金子邦彦+司会:沼田寛)

J.R.ウィークス、三村護・入江晴栄訳、『曲面と3次元多様体を視る 空間の形』、現代数学社、1996
原著は Jeffrey R. Weeks, The Shape of Space. How to Visualize Surfaces and Three-Dimensional Manifolds, 1985
曲面と3次元多様体/曲面上の幾何/3次元多様体上の幾何/宇宙など、
216ページ。


 「残念ながら、閉双曲3-多様体の多くの例は天文学者にはほとんど知られていません。天文学についての著書で、 - 誤って - 双曲(負に曲がる)宇宙は開でなければならないと述べているのに往々にして出会うことがあります。この誤解に基づいて生じた用語は特に困るのです。天文学の文献では、『閉』は『楕円』(正に曲がる)を、『開』は『ユークリッドあるいは双曲』(=平坦あるいは負に曲がる)を意味するのに用いられています。また、この用語は閉双曲宇宙ということを述べることすら不可能にしています」

 と記されていたのが印象に残っています(p.185)。
 また後掲のシュボーン・ロバーツ、『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』、2009、pp.304-309、392-390 にウィークスが登場します。

宮崎興二編著、石井源久・山口哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005
図形的な高次元空間/基礎的な高次元図形/高次元図形の投影/高次元図形の回転と切断/正多胞体/準正多胞体と半正多胞体/正規多胞体/いろいろな多胞体/高次元球面/いろいろな超曲面など、
284ページ。


 後掲のシュボーン・ロバーツ、『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』、2009、p.219、pp.419-418の注(59) に宮崎興二が登場します。
 その宮崎興二による以下の単著の内、一番上の本を「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「ii. 図形など」の項、後の二冊は同じ頁の「v. 建築など」の項で挙げました;


宮崎興二、『プラトンと五重塔 かたちから見た日本文化史』、人文書院、1987

宮崎興二、『多面体と建築 そのなぞとかたち』、彰国社、1979

宮崎興二、『建築のかたち百科 多角形から超曲面まで』、彰国社、2000

小笠英志、『4次元以上の空間が見える』、ベレ出版、2006
タイムマシンとSF小説/次元ユークリッド空間 Rn/次元ユークリッド空間(c =2,3,4,5)の中のS1、S2次元球面Sn はすべての自然数)/さらに次元の図形の例 S1×Sn-1 は2以上の自然数)/ここまでに残した証明の概略/この本を読んだ後の進み方のいくつkなど、
256ページ。


根上生也、『トポロジカル宇宙 ポアンカレ予想解決への道 完全版』、日本評論社、2007
初版は1993年。2006年のグレゴリー・ペレルマンによるポアンカレ予想解決を承けて、第6章が追加された。
宇宙の形とは?/丸い宇宙とは?/宇宙儀製造計画/第2期大航海時代/そして、宇宙の果てへ/第2000年紀を迎えて/封印の章など、
220ページ。


シュボーン・ロバーツ、糸川洋訳、『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』、日経BP社、2009
原著は Siobhan Roberts, King of Infinite Space. Donald Coxeter, the Man Who Saved Geometry, 2006
まえがき ドナルド・コクセターの個人的な思い出(ダグラス・R・ホフスタッター)//
純粋な幾何学;ドナルド・コクセターという人物/ミスター多胞体、ブダペストへ行く/不思議の国の若きドナルド/アリスおばさんとケンブリッジの回廊/プリンストンにおける才能の開花と対称性の神々/愛、死とルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン/三角形に死を!/政治と家庭の価値/ブルバキが著作に図形を入れるまで//
応用;バッキー・フラーと「幾何学のギャップ」の解消/C
60、免疫グロブリン、ゼオライト/M.C.エッシャーとの「コクセタリング」/宇宙のコクセター的な形//
余波;対称性に生きた人生//
付録;フィナボッチと葉序/3次元正多胞体および4次元正多胞体のシュレーフリ記号/コクセター図形/コクセター群/モーリーの奇跡/フリーマン・ダイソンの「流行らない学問」/結晶学とペンローズのトイレットペーパー/コクセターの数学出版物など、
512ページ。


 コクセターの言葉として、

「我々が感覚で知っているすべての方向と第4次元が直交するからといって、そこに何か神秘的なものがあると想定するのは、とんでもない間違いだ」

と述べられていたのが印象に残っています(p.77)。
 →こちらでも別の引用をしました:「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)の頁の「ウェルズ」の項/「タイム・マシン」をめぐって)

新海裕美子、ハインツ・ホライス、矢沢潔、『次元とはなにか 0次元から始めて多次元、余剰次元まで、空間と時空の謎に迫る!!』(サイエンス・アイ新書 SIS-203)、ソフトバンク クリエイティブ株式会社、2011
0次元から1次元の世界へ/2次元の世界/3次元の世界/3次元から4次元時空へ/姿を現した5次元空間/ひも理論と多次元宇宙/人間はブレーン宇宙の住人?/あとがきとしての終章など、
224ページ。
 

 なお多面体といえば

 (2次元;多角形
polygon
/3次元:多面体
polyhedron
/4次元超多面体=多胞体
polychoron
/任意の次元での超多面体
polytope/また多様体 manifold

 - きちんとした定義はそれぞれウィキペディア等でご確認ください);

P.R.クロムウェル、下川航也・平澤美可三・松本三郎・丸本嘉彦・村上斉訳、『多面体』、シュプリンガー・フェアラーク東京、2001
原著は Peter R. Cromwell, Polyhedra, 1997
はじめに;建造物における多面体/美術における多面体/装飾品における多面体/自然界における多面体/地図作成法における多面体/哲学や文学における多面体/この本について/証明について/この本の読み方/基本的な概念/模型を作る//
分割できないもの、表現できないもの、避けられないもの;永遠の城/エジプトの幾何学/バビロニアの幾何学/中国の幾何学/東洋の数学の共通の起源/ギリシャの数学と整数の比では表されないものの発見/空間の本質/デモクリトスのジレンマ/角錐の体積に関する劉徴の著述/エウドクソスによる取り尽くしの方法/ヒルベルトの第3問題//
規則と正則性;プラトン立体/数学のパラダイム/抽象化/根源的対象と証明のない定理/存在問題/プラトン立体の作図/正多面体の発見/正則性とは何か?/規則の修正/アルキメデス立体/正多角形の面を持つ多面体//
多面体幾何の衰退と復活;アレキサンドリア人/数学と天文学/アレキサンドリアのヘロン/アレキサンドリアのパップス/プラトンの遺産/幾何の衰え/イスラム教の発展/サービト・ブン・クッラ/アブー・アルワファー/ヨーロッパ、古典を再発見/光学/カンパヌスの球面/古典の収集と普及/原論の復活/物の新しい見方/遠近法/初期の遠近法の画家/レオン・バティスタ・アルベルティ/パオロ・ウッチェロ/木工作品での多面体(→こちらも参照:フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ《典礼器具、本、多面体のある戸棚》(1518-23)の頁)/ピエロ・デラ・フランチェスカ/ルカ・パチョーリ/アルブレヒト・デューラー/ヴェンツェル・ヤムニッツァー/遠近法と天文学/多面体の復活//
幻想性、調和性、一様性ケプラーの生涯/解かれた謎/宇宙の構造/いろいろな形の貼り合わせ/菱形多面体/アルキメデス立体/星型多角形と星型多面体/半立体的多面体/一様多面体//
曲面、立体、球面;平面角、立体角、およびその測り方/デカルトの公理/オイラーの公式の発見/構成要素に名前をつける/オイラーの公式から導かれるもの/オイラーによる証明/ルジャンドルによる証明/コーシーによる証明/公式の正当性を示す例外/多面体とは何か?/フォン・シュタウトによる証明/補足的な観点/ガウスーボンネの定理//
相等性、剛体性、柔構造;論争された基盤/立体異性体と合同/コーシーの剛体性定理/コーシーの初期の経歴/シュタイニッツの補題/回転するリングと、柔軟な枠/すべての多面体が剛体的なのか?/コネリーの球面/さらなる展開/2つの多面体はいつ相等になるか?//
星型多角形、星型多面体と骨格多面体;一般化された多角形/ポアンソの星型多面体/ポアンソの予想/ケーリーの式/星型多面体に関するコーシーの数え上げ/面の星状化/二十面体の星型/バートランドによる星型多面体の数え上げ/正則骨格//
対称性、形と構造;対称性とは何を意味するのであろうか?/回転対称/回転対称系/どれだけの回転対称系があるのだろうか?/鏡映対称/角柱的対称型/複合的対称とS2n対称型/立方体的対称型/二十面体型対称性/正しい対称型の決定/対称性の群/結晶学と対称性の発展//
色を塗る、数え上げる、計算で求める;プラトン立体に色を塗る/塗り方は何通りあるか?/数え上げ定理/数え上げ定理の応用/厳密な彩色/何色必要か/4色問題/証明するとはどういうことか//
組み合わせる、変形する、飾り付ける;対称的な複合多面体を作る/対称性の崩壊、対称性の補完/どの複合多面体が正則か?/正則性と対称性/推移性/多面体の変形/頂点に関して推移的な凸多面体のなす空間/全推移的な多面体/対称的な彩色/彩色対称変換/完璧な彩色/5次方程式の解法//
付録;Ⅰ/Ⅱなど、
456ページ。


 →こちら(「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様」の頁や、またそちら(「『Meigaを探せ!』より、他」中の『K-20 怪人二十面相・伝』(2008)の頁)でも触れました

 また;

デヴィッド・ウェイド、宮崎興二編訳、『ルネサンスの多面体百科』、2018

David Wade, Geometry & Art. How Mathematics transformed Art during the Renaissance, 2017

Noam Andrews, The Polyhedrists. Art and Geometry in the Long Sixteenth Century, 2022

 次元に関しては、上掲『フラットランド』の系譜、ルーディ・ラッカーの他、

 →「ウェルズ(1866-1946)」の項や、

高橋理樹、「隣接する科学とフィクション - 19世紀イギリスにおける四次元論の展開 -」、2007、

 「ウスペンスキー(1878-1948)」の項、

 また→こちら(「近代など(20世紀~) Ⅲ」の頁の「xvi. 20世紀神秘学の歴史など」/向山毅、リンダ・D・ヘンダーソンの論文・著書

 なども参照

vii. クルト・ゲーデル(1906-1978)など

 上掲のルーディ・ラッカーの『かくれた世界 幾何学・4次元・相対性』(1981)と『4次元の冒険 幾何学・宇宙・想像力』(1989)でラッカーの考える無時間宇宙=〈ブロック宇宙〉のモデルとされるのがゲーデルの宇宙論です。同『無限と心』(1986)の第4章(1)と(2)およびエクスカーションⅡも参照。
 ゲーデルについては不完全性定理をめぐっていろいろあるものと思われますが、とりあえず;


パレ・ユアグロー、林一訳、『時間のない宇宙 ゲーデルとアインシュタインの最後の思索』、白揚社、2006
原著は Palle Yourgrau, A World without Time. The Forgotten Legacy of Gödel and Einstein, 2005
申し合わせた沈黙/形而上学に対するドイツ的偏向/ウィーン-論理サークル/論理学の館に潜むスパイ/ウィーンを離れるのは辛い/半神半人に混じって/神々の黄昏/ゲーデル(あるいは多の誰でも)はどの程度哲学者か?など、
288ページ。


 特殊相対性理論において、いわゆる〈双子のパラドックス〉などが語られる場面での時間の捉え方
(「同時性の相対性は、もし二つの基準系が互いに相対的に運動しているならば、ある慣性系に対して『今』と見なされるものが、もう一つの慣性系で『今』と見なされるものとは異なっていることを意味する」(p.168))
 と、、ビッグバン以後の宇宙の年齢が130数億年だという場合での時間の数え方がどういった関係になるのか、よくわかっていなかったのですが、本書では後者について一般相対性理論に関わるものとして説明されていました

(「ゲーデルの言うように、ある基準系が宇宙の物質の平均運動に従う特権をもっているかもしれないという可能性が生じる。この基準系に相対的な時間は『宇宙時間』と呼ばれている」(pp.170-171)。

 相対性理論と〈宇宙時間〉の関係については、ブライアン・グリーン、青木薫訳、『宇宙を織りなすもの』(2009)の第3部第8章(上巻、p.370)でもとりあげられ、そこでは、

「宇宙がいたるところで均一なら、宇宙全体に適用できる時間の概念が定義できるからだ」(同、p.373)

 と説かれていました)。
 ゲーデルによる回転宇宙モデル、無時間時空論は以上を踏まえた上で解説されます(第7章)。ただ、議論の道筋はたどってくれるものの、ゲーデルの論述にないということなのでしょうか、その結論からどんなヴィジョンが具体的に引きだされるのか、もう少し喋ってほしいところだと思ったりしたことでした。
 なお、個人的な話なのですが、美術史における方法論としての形式主義のことが以前から気になっていたもので、数学における「ヒルベルトの形式主義」を説明するに際して、平行する例として美術におけるセザンヌ、また「グリス、ブラックやピカソなどのキュビズム派」(p.76)、音楽におけるブラームス、シェーンベルク、そしてグレン・グールドが引きあいに出されていた点(pp.76-77)が目に留まりました。

高橋昌一郎、『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』(講談社現代新書 1466)、講談社、1999
不完全性定理のイメージ;真理と証明/不完全性定理と万能システム/自己言及と自意識//
完全性定理と不完全性定理;ウィーン時代のゲーデル/ウィーン学団とヒルベルト・プログラム/不完全性定理の反響//
不完全性定理の哲学的帰結;プリンストン時代のゲーデル/ギブス講演/数学的実在論//
ゲーデルの神の存在論;晩年のゲーデル/ゲーデルの遺稿/神の存在論的証明//
不完全性定理と理性の限界;不完全性・非決定性・停止定理/人間機械論争/真理のランダム性と神の非存在論など、
256ページ。


ダグラス・R・ホフスタッター、野崎昭弘・はやしはじめ・柳瀬尚紀訳、『ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環』、白揚社、1985
原著は Douglas R. Hofstadter, Gödel, Escher, Bach. An Eternal Golden Braid, 1979
GEB;序論 音楽=論理学の捧げもの *3声の創意(インヴェンション)/MUパズル *2声の創意(インヴェンション)/数学における意味と形 *無伴走アキレスのためのソナタ/図と地 *洒落対法題/無矛盾性、完全性、および幾何学 *小さな和声の迷路/再帰的構造と再帰的過程 *音程拡大によるカノン/意味の所在 *半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争/命題計算 *蟹のカノン/字形的数論 *無の捧げもの/無門とゲーデル//
EGB;*前奏曲 記述のレベルとコンピュータ・システム *フーガの蟻法/脳と思考 *英仏独日組曲/心と思考 *アリアとさまざまの変奏/ブーとフーとグー *G線上のアリア/形式的に決定不可能なTNTと関連するシステムの命題 *誕生日のカンターターターター/システムからの脱出 *パイプ愛好者の教訓的思索/自己言及と自己増殖 *マニフィ蟹ト、ほんまニ調/チャーチ、チューリング、タルスキ、その他 *SHRDLUよ、人の巧みの慰みよ/人。工知能=回顧 *コントラファクトゥス/人工知能=展望 *樹懶のカノン/不思議の環、あるいはもつれた階層 *6声のリチェルカーレなど、
768ページ。


吉永良正、『ゲーデル・不完全性定理 "理性の限界"の発見』(ブルーバックス B947)、講談社、1992
プロローグ "理性の迷宮"への招待//
"数学の危機"がゲーデルを求めた;無限と何か?/集合とは何か?/真理とは何か?/数学とは何か?//
「不完全性定理」とは何か?;証明と何か?/理性とは何か?/天才とは何か?//
エピローグ "理性の限界"からの出発など、
296ページ。
 

viii. 無限、その他

 数学関係の本は山ほどありますが、いかんせん頭の回路がついていってくれないので、とりあえず手元にあるものということで;

川尻信夫、『「集合」の話』(講談社現代新書 286)、講談社、1972
序章 無限の算術/集合の考え方/写像と論理/「数える」ということ/カントルの集合論/集合と現代数学など、
226ページ。


小野勝次、『時空と連続 つぎはぎだらけの世界像』(ブルーバックス B229)、講談社、1974
つぎはぎだらけの世界像;野球の審判/芋虫と蝶/双生児/成長/割り符/垣間見る世界/つぎはぎだらけの世界像//
流転の舞台;位置の変化/浦島太郎物語/時の流れ/奇妙な統制/すっかり変わった都会/流転を眺める/絶対空間への夢//
舞台の枠組み;時の刻み/世界を見る/「いつ・どこで?」/10進数ではかる/10進数の順序付け/割り込みの余地//
連続と断絶;連続的とは?/直前の予想/極限と連続/爆発・衝突/断絶は連続寄り/断絶へのアプローチ/宇宙の外など、
192ページ。


『エピステーメー』、vol.2 no.10、1976.11、pp.7-140:「特集 数学の美学」
ピュタゴラスの数学(M.P.ホール)/ガリポリあるいは数の神秘主義(G.R.ホッケ)/〈数〉の比較神話学(吉田敦彦)/プラトンの対話と抽象化の間主観的な発生(M.セール)/易経における時間概念(H.ウィルヘルム)/数学的自然科学の成立 ガリレイ・ケプラー・ニュートン(E.ブロッホ)/アナロギアの論理 イデア論と比例形式(五十嵐一)/数、夢、言語そして詩(E.シュウェル)/もつれっ話(L.キャロル)/45元の魔界 ある「銀河鉄道」論における確率論的難点を論じて、そば屋の品書きの宇宙的照応性に及ぶ(入沢康夫)/脳の力学系とカタストロフィー ジーマンの論文予稿から(野口広)

 同号は松山俊太郎「古代インド人の宇宙像 Ⅲ」も所収(pp.166-183)


小島寛之、『数学迷宮 メタファーの花園に咲いた1輪のあじさいとしての数学』、新評論、1991
SF 異界からインサイド・ルッキングアウト/アキレスは今でも亀を追いかけ続けている/数学夜話 存在の耐えられない重さ/無限が牙をむくとき-カントールの集合論へのレクイエム/啓蒙書フリークによる〝迷宮〟ブックガイドなど、
280ページ。


足立恒雄、『無限の果てに何があるか 現代数学への招待』(Kappa Science 5-72)、光文社、1992
プロローグ 「異文化」への招待状//
虚数とは何か;存在と非存在の両生類/虚数の誕生/虚数がひらいた世界/虚数よりも不可解な実数//
三角形の内角の和はホントに2直角か;「大地」の幾何学/非ユークリッドの幾何学の世界像/モデルと現実/「意味」からの脱却//
1+1はなぜ2なのか;数学における「真理」とは/「集合」の威力/記号で「論理」を表現する/0からの出発/けっきょく、1+1とは何か//
無限とは何か;「実無限」と「仮無限」/「極限」という名の仮無限/「集合」という名の実無限/自分の正しさは、自分では証明できない、など、
252ページ。


新井朝雄、『ヒルベルト空間と量子力学 共立講座 21世紀の数学 16』、共立出版株式会社、1997
ヒルベルト空間/ヒルベルト空間上の線形作用素/作用素解析とスペクトル定理/自己共役作用素の解析/偏微分作用素の本質的自己共役性とスペクトル/量子力学の数学的原理/量子調和振動子//
付録;ルベーグ積分論における基本定理/確率論の基本的事項など、
286ページ。


 →こちら(「近代など(20世紀~)」の頁のショーン・キャロル、塩原通緒訳、『量子力学の奥深くに隠されているもの』(2020)のところ)や、またあちらでも挙げました:「近代など(20世紀~) Ⅲ」の頁の「ホワイトヘッド」の項中

アミール・D・アクゼル、青木薫訳、『「無限」に魅入られた天才数学者たち』、早川書房、2002
原著は Amir D. Aczel, The Mystery of the Aleph. Mathematics, the Kabbalah, and the Search for Infinity, 2000
ハレ/無限の発見/カバラ/ガリレオとボルツァーノ/ベルリン/円積問題/学生時代/集合論の誕生/最初の円/「我見るも、我信ぜず」/悪意に満ちた妨害/超限数/連続体仮説/シェイクスピアと心の病/選択公理/ラッセルのパラドックス/マリエンバート/ウィーンのカフェ/1937年6月14日から15日にかけての夜/ライプニッツ、相対性理論、アメリカ合衆国憲法/コーエンの証明と集合論の未来/ハルクの無限の輝き/付録 集合論の公理など、
258ページ。

 本書の主役はカントール(1845-1918)です。
 同じ著者による→こちらを参照(「近代など(20世紀~)」の頁/」『相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学 アインシュタインと膨張する宇宙』、2002)

 また→そちらにも挙げておきます:カバラーがらみで「ユダヤ Ⅲ」の頁の「xvii. 応用篇など

チャールズ・サイフェ、林大訳、『異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』、早川書房、2003
原著は Charles Seife, Zero, 2000
第0章 ゼロと無/無理な話 - ゼロの起源/無からは何も生まれない - 西洋はゼロを拒絶する/ゼロ、東に向かう/無限なる、無の神 - ゼロの神学/無限のゼロと無信仰の数学者 - ゼロと科学革命/無限の双子 - ゼロの無限の本性/絶対的なゼロ-ゼロの物理学/グラウンド・ゼロのゼロ時 - 空間と時間の端にあるゼロ/第∞章 ゼロの最終的勝利/付録A~Eなど、
270ページ。


イーヴァル・エクランド、南條郁子訳、『数学は最善世界の夢を見るか? 最小作用の原理から最適化理論へ』、みすず書房、2009、「第3章 最小作用の原理」
原著は Ivar Ekeland, Le meilleur des mondes possibles. Mathématiques et destinée, 2000
とその英語版
The Best of All Possible Worlds, 2006
で、双方を活かす形で編集された訳本(pp.295-297)


 他の章は;
時を刻む/近代科学の誕生計算から幾何へ/ポアンカレとその向こう/パンドラの箱/最善者が勝つのか?/自然の終焉/共通善/個人的な結論//附録;凸形ビリヤード台の短い直径を求める/一般系に対する停留作用の原理/運動の幾何学など、
382ページ。


 邦題から予想されるライプニッツについては第2章で、影の主役と言うべきモーペルテュイについては第3章で取りあげられています。

レナード・M・ワプナー、佐藤かおり・佐藤宏樹訳、『バナッハ=タルスキの逆説 豆と太陽は同じ大きさ?』、青土社、2009
原著は Leonard M. Wapner, The Pea and the Sun. A Mathematical Paradox, 2005
歴史-登場人物/ジグソーパラドックスと不思議なパズル/準備/赤ん坊のBTたち/定理の証明/パラドックスの解明/実世界/過去から未来へ、など、
288ページ。


 ステファン・バナッハ(1892-1945、pp.38-41)とアルフレト・タルスキ(1902-1983、pp.41-50)は1924年に発表した論文で、

「球体が有限個(5個くらい)に分解され、もとの大きさとまったく同じ大きさの球体が2つできるように組み立てなおすことができる」(p.43)

 ことを示したとのことで、集合論や無限の話がからんできます。なので当方の頭の回路ではついていけない。
 これは純粋に数学の領域の問題なのですが、第7章「実世界」では物理学との関係が取りあげられ、pp.230-233 で物理学的宇宙論にも触れられるのでした。

 またイアン・スチュアートが紹介したという「万能辞書」について→こちらで挙げています(「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「おまけ」)。

 このパラドックスを副題にした小説を下の「おまけ」に挙げました→そちら:周木律『伽藍堂の殺人 ~ Banach-Tarski Paradox ~』、2014/2017
また上掲「v. ラッカーなど」中の
 ルーディ・ラッカー、黒丸尚訳、『ホワイト・ライト』(ハヤカワ文庫 SF ラ-3-4)、早川書房、1992
の第4部25章は「バナッキ=タルスキ分割」と題され、その通りの事態が起こります。

B.マンデルブロ、広中平祐監訳、『フラクタル幾何学』(上下)(ちくま学芸文庫 マ 34-1/2)、筑摩書房、2011
原著は Benoit Mandelbrot, The Fractal Geometry of Nature, 1975/1977/1982/1983
 邦訳は1985年刊本の文庫化
上;序/3つの古典的フラクタル/銀河と渦/測層フラクタル/非測層フラクタル/自己写像フラクタル/ランダム性/層化ランダムフラクタルなど、
532ページ。

下;カラーで見るもう1冊のフラクタルの本/ランダムトレマ:テクスチャー/雑記/思想と群像/第2版に際しての新規追補など、
532ページ。
 

フィッシュ、『巨大数論 第2版』、インプレスR&D 著者向けPOD出版サービス、2013/2017
はじめに//
巨大数入門;クラス2の巨大数/クラス3の巨大数/クラス4の巨大数/クラス5以上の巨大数/巨大数に関する参考資料//
原始再帰関数;クヌースの矢印表記/グッドスタイン数列/原始再帰関数//
2重再帰関数;アッカーマン関数/2重再帰関数/モーザー数/グラハム数/コンウェイのチェーン表記//
多重再帰関数;多変数アッカーマン関数/多重再帰に見えてそうでない関数/拡張チェーン表記/ふぃっしゅ数/バード数から配列表記へ//
順序数;順序数/順序数階層/順序数解析//
ペアノ算術の限界;F[∊0](n)の計算/ドル関数の角括弧表記/ふぃっしゅ数バージョン5/ヒドラゲーム/原始数列数/多重リストアッカーマン関数/バードのネスト配列表記/BEAF のテトレーション配列/巨大数生成プログラム・・
再帰関数;ヴェブレン関数/順序数崩壊関数/2階算術/様々な巨大数と関数//
計算不可能な関数;ビジービーバー関数/神託機械/クサイ関数/ふぃっしゅ数バージョン4/ラヨ数/ふぃっしゅ数バージョン7/ビッグフット/サスクワッチ//
おわりに/巨大数年表など、
268ページ。


鈴木真治、『巨大数 岩波科学ライブラリー 253』、岩波書店、2016
はじめに - 有限と無限の狭間を揺らぐ不思議な存在//
歴史に見る巨大数 - 宇宙の砂の数、極楽浄土までの道のり;アルキメデスの3つの巨大数/古代バビロニアやユダヤの巨大数/仏教やジャイナ教に現れた巨大数//
自然科学と巨大数 - 「天文学的」を超える「天文学的」な数;アボガドロ定数/エディントン数とディラックの巨大数仮説/永劫回帰時間/猿の無限定理/指数表記の発明//
数学と巨大数 - 無限の一歩、手前;数学に現れた巨大数/巨大数を生み出す関数/チャレンジコーナー/巨大数の数学的小品//
付録;巨大数関連略年表(~1995)/順序数/急増加関数//
あとがきなど、
128ページ。

 第1章1「アルキメデスの3つの巨大数」で扱われるアルキメデスの論文「砂の計算者」に関連して、すぐ上のフィッシュ『巨大数論 第2版』(2013/2017)、およびすぐ下の『現代思想』特集号中の同じ著者による「歴史的に観た巨大数の位置づけ」および斎藤憲「古代ギリシャの(巨大)数」ともども
 →こちら:「ギリシア・ヘレニズム・ローマ Ⅱ」の頁の「xi. 天文学、占星術など」で、

 第1章3「仏教やジャイナ教に現れた巨大数」等に関連して、やはりフィッシュ『巨大数論 第2版』(2013/2017)、「歴史的に観た巨大数の位置づけ」および同じ『現代思想』特集から師茂樹「巨大数の経験」および小川束「仏教経典と『塵劫記』とにおける巨大数の心性試論」ともども、
 →そちらにも挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫」、また同じ項中の松山俊太郎「インドの回帰的終末説」(1982)のところで、

 第2章3「永劫回帰時間」で扱われる〈ポアンカレの回帰定理〉に関連して、三度「歴史的に観た巨大数の位置づけ」ともども
 →あちら:「近代など(20世紀~)」の頁のケイティ・マック、吉田三知世訳、『宇宙の終わりに何が起こるのか』(2021)のところ、および
 →あちらの2(「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」の頁、「xi. 個々の著述家など Ⅴ」中の「ニーチェ」の項で挙げておきました。


『現代思想』、vol.47-15、2019.12、pp.7-208:「特集 巨大数の世界 アルキメデスからグーゴロジーまで」
討議 有限と無限のせめぎあう場所(鈴木真治、フィッシュ)//
現代数学とグーゴロジー;巨大数論発展の軌跡(フィッシュ)/無限の名を呼ぶ 巨大関数をとりまく数学小史(木原貴行)/無限と連続の数学(藤田博司)/巨大基数と巨大な巨大基数、超数学での無限と集合論的無限、それらに対する有限の諸相(渕野昌)/大きな有限の中に現れる構造をめぐって(徳重典英)//
(寿司虚空編)(小林銅蟲)//
大いなる数の人類史;歴史的に観た巨大数の位置づけ(鈴木真治)/古代ギリシャの(巨大)数(斎藤憲)/巨大数の経験(師茂樹)/仏教経典と『塵劫記』とにおける巨大数の心性試論(小川束)//
社会、世界、そして宇宙;情報社会にとって「数」とは何か?(大黒岳彦)/巨大な素数は世界をどう変えるか(小島寛之)//
TAKUN SENSE OF WONDER 512(古川タク)//
社会、世界、そして宇宙(承前);宇宙における巨大数と物理の視点(小林晋平)//
涯しないもののための哲学;かぞえかたのわからない巨大数は存在しないのか(近藤和敬)/永遠について 現在の観点から(佐金武)//
巨大な数に〈ふれる〉ということ;感性的対象としての数 カント、宮島達男、池田亮司(星野太)//
スパゲッティ・カレーライス(詩野うら)//
巨大な数に〈ふれる〉ということ(承前);一〇兆と五〇〇億のあいだ ジンバブエのハイパー・インフレ通貨と巨大数(早川真悠)

 藤田博司「無限と連続の数学」から→「世界の複数性など」の頁の「追記」で引きました。
 佐金武、「永遠について 現在の観点から」を→そちらでも挙げました:「近代など(20世紀~)」の頁のカルロ・ロヴェッリ、冨永星訳、『時間は存在しない』、(2019)のところ。

 鈴木真治の「歴史的に観た巨大数の位置づけ」(pp.86-87)および上掲『巨大数 岩波科学ライブラリー 253』(2016、p.22)で引用されていたのが;


B.ボロバシュ編、金光滋訳、『リトルウッドの数学スクランブル』、近代科学社、1990、pp.141-159:「第10章 大きな数」

原著は Edited by Béla Bollobás, Littlewood's Miscellany, 1986

 全体の目次は;

まえがき(ベラ・ボロバシュ)/はじめに(同)//
『数学雑談』序文/衣の下控え目の数学/数学優等試験から/頓珍漢問答(クロス・パーパス)、無意識のうちにする仮定、大間違い、ミスプリント、その他/数学動物園/弾道学/確率論のジレンマ/フェルマーの大定理から死刑廃止論まで/ある数学教育/ラマヌジャン論文集評/大きな数/ライオン VS. ヒト/学究(級?)生活/我楽多文庫/ニュートンと球の引力/海王星の発見/アダムズ-エアリイ事件/数学者の仕事法//
訳者(前後不)覚書など、
298ページ。


 件の引用箇所はやはり→こちらに挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫」、また同じ項中の松山俊太郎「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

西来路文朗・清水健一、『有限の中の無限 素数がつくる有限体のふしぎ』(ブルーバックス B-2137)、講談社、2020
プロローグ/はじめに//
1+1=0 の世界 - 素数のふしぎなはたらき;ふしぎな国のふしぎな計算/四則演算からの風景/0と1の幾何学/美しい平方数の世界/方程式からの眺望/平方数を超えて/「有限個の数の世界」と「ふつうの数の世界」//
ガロアが創った新しい世界 - 数の進化を考える;ガロアの虚数/乗の魔法/有限体上の楕円曲線//
エピローグなど、
240ページ。


岡本健太郎、『アートで魅せる数学の世界』、技術評論社、2021
はじめに//
黄金比の数理;黄金比とは/2次方程式と黄金比の歴史/貴金属比/五芒星と黄金比/黄金比が現れる問題/フィボナッチ数と黄金比/植物と黄金角//
幾何学模様の数理;折り紙の歴史/折り紙と幾何学/折り紙と黄金比/平面折り紙の理論/ミウラ折り/繰り返し模様の歴史/タイリングの数理/エッシャーと数学/非周期タイリング//
ストリング・アートの世界;Excel で学ぶストリング・アート入門/螺線のアート/エピサイクロイドとハイポサイクロイド/スピログラフとトロコイド曲線/リサージュ曲線/数列の描くストリング・アート//
フラクタルとランダムのアート;フラクタル図形とは/フラクタルの歴史と 数学/パスカルの三角形とフラクタル/ドラゴン曲線/乱数を使った「ランダム・アート」/力学系とカオス・アート//
デザイン、アートへの活用例;Excel アートのデザイン活用例/数学と切り絵//
関連図書など、
256ページ。



 「近代など(20世紀~)」の頁の「Ⅰ 相対性理論以降の物理学的宇宙論など」で挙げた

ジョン・D・バロウ、『無限の話』、2006

ジョン・D・バロウ、『無の本 ゼロ、真空、宇宙の起源』、2013

 なども参照。
 数学だけを扱うものではありませんが


アンリ・ポアンカレ、南條郁子訳、『科学と仮説』(ちくま学芸文庫 ホ 23-1)、筑摩書房、2022
原著は Henri Poincaré, La Science et l'hypothèse, 1902
はじめに//
数と大きさ;数学的推理の本性について/数学的な大きさと実験//
空間;非ユークリッド幾何学/空間と幾何学/実験と幾何学//
力;古典力学/相対運動と絶対運動/エネルギーと熱力学/第3部の全体的結論//
自然;物理学における仮説/近代物理学の理論/確からしさの計算/光学と電気学/電気力学/物質の終わり//
出典//
訳者による解説とあとがき;概要/アインシュタインと友人たち/暗黙の前提/カントの哲学(先験的・後験的、分析判断・総合判断、組み合わせ、矛盾律)/文(☆)の意味/公理の本性/第4章以降/変更箇所について/細かい注意/歴史と参考図書/個人的事情と謝辞//
人名索引/事項索引など、
328ページ。


◇ 第2部第3章の「リーマン幾何学」の節は、

「厚みのない生き物だけが住んでいる世界を想像しよう」(p.59)

の一文で始まります。少し後にも、

「先に譬え話で述べたような厚みのない生き物たちが、そのような曲面の一つに住んでいると想像しよう」(p.62)

とありました。
 「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」のページの「ix. 個々の著述家など Ⅴ」の項の「アボット(1838-1926)とヒントン(1853-1907)」で挙げた、アボットの『フラットランド』(1884)やヒントンの諸著述から、本頁上掲「iv. 『フラットランド』の系譜など」での諸文献へつながる流れの、一齣にあたるのでしょう。

◇ 〈二次元世界〉のイメージは

Linda Dalrymple Henderson, The Fourth Dimension and Non-Euclidean Geometry in Modern Art (revised edition), The MIT Press, Cambridge, Massachusets, London, England, 1983 / 2013

によると、アボットやヒントン以前に、
 フェヒナー(1846 ; p.119/1983年版第1章3節2項)、
 サルトリウス・フォン・ヴァルタースハウゼンによるガウスの伝記(1856 ; p.120/同上)、
 ルイス・キャロルことチャールズ・L・ドジソン(1865 ; p.123/同上)、
 J.J.シルヴェスターの記事(1869 ; p.120、pp.121-122/同上)、
 ヘルムホルツの大衆向け講義(1870/1876/1881 ; p.114/同1項。また pp.118-119/同2項)、
 G.F.ロドウェル(1873 ; p.121/同2項)
などに見られたとのことです(同書の「1983年版索引」中の"two-dimensional world, analogy for"の項も参照ください ; p.728)。

◇ ポワンカレの著書における四次元空間などについては、
 同書 pp.117-118/1983年版第1章3節1項、pp.137-139/同2項、pp.185-188/
 同第2章4節1項、pp.206-211/同3項、p.235/
 同第3章、pp.257-258/同3節2項、pp.267-268/同3節4項、p.343/
 同第4章4節2項/
 同第5章1節、pp.375-376/、
 pp.517-520/附録A
などで扱われています。その内、手元に邦訳があるものだけですが - 『科学と仮説』と下掲の『科学と方法』 -、引用文の元を記しておくと;
註つきでの引用 邦訳での引用元 当該箇所の邦訳
p.138 note 93/1983年版第1章3節2項
(p.240 note 20/第3章1項で、引用内引用) 
『科学と仮説』邦訳,p.75/第2部第4章冒頭  そのことに一生を捧げる気でやれば、第4の次元さえ表象できるようになるかもしれない。
同上 note 94/同  同上、p.80/第2部第4章「触覚空間と運動空間」の節  この観点から、運動空間はわたしたちの筋肉と同数の次元を持っている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と言ってよいだろう。
同上 note 95/同  『科学と方法』邦訳、p.120/第2篇第1章5   かくの如く、三次元をもつという空間の特質は、吾々の配電盤の性質、いわば人間の知性の内在的性質にほかならない。異なった配電盤を得るためには、その連絡の或るものを、いいかえれば觀念聯合の或るものを破壊すれば充分であって、あっくすれば優に空間が四次元をもつようにすることが出来るであろう。
p.185 note101/同第2章4節1項  『科学と仮説』邦訳、pp.79-80/第2部第4章「触覚空間と運動空間」の節  触覚空間と運動空間
 「触覚空間」は視覚空間よりもっと複雑で、幾何学空間からいっそう遠くなる。わたしが視覚について論じたことを、触覚についてくり返すのは無駄なことだ。
 しかし、視覚と触覚のデータ以外にも、それら以上に空間概念の誕生に寄与する感覚がある。それは誰もが知っている感覚で、わたしたちの身体のあらゆる運動に伴ういわゆる筋肉感覚だ。
 これに対応する枠組みが運動空間(・・・・)と呼べるものをなしている。
 筋肉の一つ一つが、増減できる特別な感覚を生み出すので、わたしたちの筋肉感覚の全体は身体の筋肉と同じ数の変数に依存する。この観点から、運動空間はわたしたちの筋肉と同数の次元を持っている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と言ってよいだろう。
pp.187-188 note108/同第2章4節1項  『科学と仮説』邦訳、pp.95-96/第2部第4章「4次元の世界」の節   さて、3次元図形の透視図を平面上に描くことができるのと同じように、4次元図形の透視図[以後、透視像と書く]を3次元(あるいは2次元)のキャンバスに作ることができる。これは幾何学者にとっては造作もないことだ。
 一つの4次元図形をいくつもの異なる視点から捉えて、いくつもの透視像を作ることさえできる。
 これらの透視像は3次元にすぎないので、表象するのはやさしい。
 同じ対象のさまざまな透視像が次から次へとくり出されるところを想像しよう。透視像から透視像への移行には筋肉感覚が伴っていることも想像しよう。
 もちろん、これらの移行のうちの二つが同じ筋肉感覚を伴っていれば、それらを本質的に同じ演算とみなすのである。
 このときこれらの演算がどういう法則に従って組み合されるかは、わたしたちの好きなように想像してまったくかまわない。たとえば、それらが群を作り、その群は変形しない4次元の固体の運動の群と同じ構造を持つと想像してもよい。
 ここにはわたしたちが表象できないようなものは何もないが、それでもこれらの感覚はまさに、2次元の網膜を備え、4次元空間を移動できる生き物が味わうであろう感覚である。
 第4の次元を表象することができる、と言うことが許されるのは、この意味においてなのだ。
p.206 note132/同第2章4節3項  同上、p.67/第2部第3章「暗黙の公理」の節   変形しない図形の運動が可能だというのは、それ自体で自明な真理ではない。少なくとも、それが自明な真理であるのは、ユークリッドの公準が自明な真理であるのと同じ意味においてでしかなく、先験的分析判断が自明な真理であるのとは意味が異なる。
pp.209-210 note140/同 同上、p.73/第2部第3章「公理の本性について」の節   したがって、幾何学の公理は先験的総合判断でもなければ実験事実でもない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 それらは規約(・・)である。しべての可能な規約のなかから、わたしたちが選択したものである。その選択は実験事実に導かれてはいる(・・・・・・・)が、つねに自由(・・)であり、あらゆる矛盾を避ける必要以外にこれを制限するものはない。
 
◇ p.602 note 111 で、ヘルムホルツが凸面鏡と非ユークリッド幾何学空間のイメージとを結びつけ、それをポワンカレが『科学と方法』で発展させたたことが記されています。『科学と方法』邦訳では、p.105/第2篇第1章1。

◇ pp.184-185/同第2章4節1項でベレンソンの〈触覚値〉に触れていましたが、p.295(note 24)/同第4章1節1項でも、

「ベレンソンの美学的見解と、知覚における触覚および運動感覚の役割に関するポワンカレの理論化とは、実のところ、ウィリアム・ジェイムズの著作を含む、19世紀末の心理学に根を共有していた」

と述べられています。
 

◇ 『科学と仮説』に戻って、第2部第4章の「非ユークリッド的世界」には、

「そこで想像されるのは、そんなふうに通常の法則が転覆した環境で教育された生き物たちの幾何学は、わたしたちの幾何学とはずいぶん違っているだろう、ということだ。
 たとえば、巨大な球面に閉じ込められた、次のような法則のもとにある世界を仮定してみよう。
 その世界の温度は一様ではない。中心が最も高温で、中心から遠ざかるにつれて冷えていき、世界を閉じ込めている球面に達すると絶対ゼロ度になる。
…(中略)…
 さらに、この世界では、すべての物体が同じ膨張係数を持ち、どの定規の長さもその絶対温度に比例するとしよう。
 最後に、ある地点から温度の異なる別のある地点に運ばれた物体は、直ちに新しい環境と熱平衡に至るとする。
 これらの仮説には、相互に矛盾するものや想像不可能なものは一つもない。
 この世界では、運動する物体は、限界球面に近づくにつれてしだいに小さくなっていくだろう」(pp.91-92)

というくだりが見られました。

◇ 第2部第5章のⅤ節には;

「一人の人間がある惑星に連れて行かれたとしよう。そこでは空がつねに厚い雲に覆われ、他の天体はまったく見えないとする。人々はあたかもこの惑星が空間の中で孤立しているかのように暮らしている」(p.106)。

◇ 第3部第6章の「慣性原理」の節より;

「わたしたちの太陽系に似た世界を仮定する。ただしそこでは、世にも奇妙な偶然によって、どの惑星の軌道も、その離心率と傾斜角はすべてゼロになっているとしよう。また、これらの惑星の質量はきわめて小さく、そのため惑星相互の摂動は感知されないとしよう。惑星の一つに住む天文学者たちはきっと、この系の天体の軌道はある決まった平面に平行な円でしかありえない、と結論するだろう。…(中略)…
 さて、この系にあるとき物凄いスピードで、大きな質量を持つ天体が遠くの星座から飛び込んできたと想像しよう。惑星たちの軌道は著しくかき乱されるだろう」(p.125)。

ポアンカレ、吉田洋一訳、『改訳 科学と方法』(岩波文庫 33-602-2/青 902-2)、岩波書店、1953
原著は Henri Poincaré, Science et méthode, 1908
改版にあたって/譯者序//
緒言//
學者と科學;事實の選擇/數學の將來/數學上の發見/偶然//
數學的推理;空間の相對性/數學上の定義と教育/數學と論理/新しい論理學/數學的論理派最近の努力//
新力學;力學とラヂウム/力學と光學/新力學と天文學//
天文學;銀河と氣體理論/フランスの測地學//
總括//
索引など、
324ページ。

おまけ

 〈マス・ロック math rock 〉なる分類枠があるそうです。 "math""mathematical" の略とのことで、→こちら(「日本 Ⅱ」の頁の「おまけ」)で触れた、

Don Caballero, Don Caballero 2, 1995(1)


くらいしか聞いたことがないのですが* - 日本のバンド
Clean of Core (2009, 2010) は結びつけてよいのでしょうか? -、〈数学的〉がどんなことを表わすのかも含めて、

Theo Cateforis, "How Alternative Turned Progressive. The Strange Case of Math Rock", edited by Kevin Holm-Hudson, Progressive Rock Reconsidered, Routldge, New York & London, 2002, chapter 11 (pp.243-260)

を参照ください。上掲のアルバムから1曲目、"Stupid Puma" におけるリズムの変化・パターンが具体的に分析されています。
1. 金子厚武監修、『ポストロック・ディスク・ガイド』、2015、p.86。

* 
追補:「特集 ムーンライダーズの30年」が掲載された『ミュージック・マガジン』2006年6月号を引っぱりだしてパラパラ繰っていたら、「Random Notes」のコーナーに、半頁の手短な紹介ではありますが「マス・ロック [Math Rock]」という記事がありました(p.82、筆者:広川裕)。

 「さらに大きく遡ってフランク・ザッパ、キャプテン・ビーフハート、70年代プログレのジェントル・ジャイアント、キング・クリムゾン、ヘンリー・カウ辺りにまでオリジンを求める例もある」

とあって、気にはなったのでしょう、頁の角を折ってありました。とはいえ糸をたぐるにはいたらず、きれいさっぱり忘れていたのはいうまでもありません。
追補 その後次のアルバムを聴く機会がありました;

Don Caballero, American Don, 2000(邦題:ドン・キャバレロ、『アメリカン・ドン』(1)に同じ)

こちらは4枚目。エレクトリック・ギターの音色からひずみが排され、その分輪郭がくっきり耳に入るようになりました)。


 また註1に挙げた本の pp.84-85 が
 天井潤之介「Math-Rock 複雑巧遅な数学的アンサンブル、そこから広がるユニークな音楽地図」
で、手短ながら概括、続く pp.86-91 が代表的なアルバムの紹介となっています。ただしマス・ロックに分類されるアルバムは同書の他の箇所にも散らばっているようです。その内、日本のバンド
PARA, X-GAME, 2006(2)

は〈マス・ロック〉に含めていいのかどうか、ともあれ註2の箇所の解説によると、
「『数学的構築性に基づく室内楽的グルーヴの追及』をコンセプトに」
しているとのことです
2. 金子厚武監修、『ポストロック・ディスク・ガイド』、2015、p.180。
 同じアルバムから→そちら(「エジプト」の頁の「おまけ」)や、またあちら(「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「おまけ」)でも挙げました。
 戻ってドン・キャバレロの4枚目 American Don (2000)までギタリストだったイアン・ウィリアムスが後に参加したバトルスは→ここに挙げました:「マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡」の頁の「おまけ
 さらに、〈マス〉+〈ポスト・ハード・コア〉で〈マスコア mathcore 〉なる分類枠もあるそうです。日本語版ウィキペディアの該当頁は→そこ。そこに挙がっているバンドでは、今のところザ・ディリンジャー・エスケイプ・プラン The Dillinger Escape Plan (3)の、ケーブルTVで放映された2017年のライヴ映像しか見たことがありません
(同じくケーブルTVで2018年のライヴが放映された、アット・ザ・ドライヴイン
At the Drive-in (4)はまた別の範疇になるのでしょうか?)
3. Cf., 鈴木喜之監修、『アメリカン・オルタナティヴ・ロック特選ガイド』(CDジャーナル・ムック)、音楽出版社、2009、p.79。

4. Cf., 同上、p.133。
 

PsysEx, Polyrhythm_system Exclusive Message iii, 2005

 帯の謳い文句に、
「エレクトロニカとファンクの融合」
とありました。「京都在住の PsysEx(サイセクス)こと Ken'ichi Itoi」による3枚目。
 時たま見かける〈アブストラクト〉という形容は当てはまるのでしょうか、旋律らしきものはほとんどなく、しかしリズムはあります。当方には判別できる耳はありませんが、アルバム・タイトルにあるとおりポリリズムなのでしょう。情緒を排した、ただ聴きようによっては諧謔味をたたえつつ、カクカクと折れ曲がるさまは、〈幾何学的〉と呼びたくなるところです。


 他方、実際に幾何学的なのかどうかは知らず、以前から幾何学的という形容を当てはめたくなるような印象を何となく受けていたのが、

Starcastle, Fountains of Light (1977、邦題;スター・キャッスル『神秘の妖精』、→こちらでも触れました:「エジプト」の頁の「おまけ」)

です。何らかの情動のうねりに牽引されるわけでもなく、リズムによって前へ前へと駆られていくわけでもない。全体で音の大きな塊をなすこともない。一つ一つのフレーズをその場その場、その時点その時点で丁寧に置いていく。模範とされたイエスとは異なる、ある意味での線の細さゆえかえって、各フレーズの輪郭がはっきり区分けされながら連なっては重なり、紋様よろしく編みこまれていく。そんなさまが、幾何学的と感じられたのでしょうか。
 

 話は換わってフィンランドから

Pekka Pohjola, The Mathematician's Air Display, 1977(5)

 ウィグワムに参加していたこともあるというベーシストのソロ3枚目。手もとにあるのは英語版で、原題は
Keesojen Lehto。ともあれ英語版タイトル曲が3曲目で、もとのLPではA面後半だったのでしょう。7分14秒、器楽曲。
 ところで
"Air Display" とは何なのでしょうか?
5.  片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.104。
 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.35、2007.11、p.94。
 Cf., 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.9、2001.5、pp.89-90。
 本人と共同プロデュースしているマイク・オールドフィールドが全5曲中4曲で演奏に参加しています。音の方もマイク・オールドフィールドに通じる牧歌的なシンフォニック・ロックと呼んでいいでしょうか。
 やはりオールドフィールドとつながりがある、ゴングの
Pierre Moerlen が本曲も含めドラムス等で4曲に参加、またサリー・オールドフィールドが歌詞なしのヴォーカルで2曲に参加しています。

News from Babel, Sirens and Silences / Work Resumed on the Tower, 1984(6)

 1枚目の
Sirens and Silences と題されたA面の3曲目が"Klein's Bottle"、3分17秒(手もとのあるのは2枚目 Letters Home (1986) と合わせた版)。 
6.『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、p.34。
 同じアルバムから→こちら(「メソポタミア」の頁の「おまけ」)や、そちら(「ギリシア、ローマなど Ⅱ」の頁の「おまけ」)を参照
 また→あちらも参照:「近代など(20世紀~ )」の頁の「おまけ
戸川純、『好き好き大好き』、1985

 B面1曲目が「図形の恋」、3分41秒。
 この曲以外に、図形にまつわる音楽類は、→「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「おまけ」にも挙げています。


Kate Bush, Aerial, 2005(邦題:ケイト・ブッシュ『エアリアル』)

 8枚目、二枚組の Disc 1: A Sea of Honey の2曲目が
“π”(「π~円周率」)、6分9秒。
 ちなみに Disc 2: A Sky of Honey には"An Architect's Dream"(「建築家の夢」、3曲目、4分50秒)とか"The Painter's Link"(「ペインターズ・リンク」、4曲目、1分35秒)なんて曲も収められています。

 →こちらも参照:「エジプト」の頁の「おまけ


GO!GO!7188、『(たてがみ)』、2003

鹿児島出身の三人組、その3枚目の8曲目が「無限大」、4分7秒。

 同じバンドによる→こちら(「中国 Ⅱ」の頁の「おまけ」)を参照



 例によってすっかり忘れていましたが、本頁上掲のレナード・M・ワプナーの本の邦題(→こちら)にもなった〈バナッハ=タルスキの逆説〉を副題にしているのが;

周木律、『伽藍堂の殺人 ~ Banach-Tarski Paradox ~』(講談社文庫 し 111-4)、講談社、2017
 2014年刊本の文庫化

 〝堂〟シリーズの第4作に当たります。並べておけば;

『眼球堂の殺人 ~ The Book ~』(講談社文庫 し 111-1)、講談社、2016(←2013)

『双孔堂の殺人 ~ Double Torus ~』(講談社文庫 し 111-2)、講談社、2016(←2013)

『五覚堂の殺人 ~ Burning Ship ~』(講談社文庫 し 111-3)、講談社、2017(←2014)

 続いて;

『教会堂の殺人 ~ Game Theory ~』(講談社ノベルス シN-05)、講談社、2015

『鏡面堂の殺人 ~ Theory of Relativity ~』(講談社文庫 し 111-6)、講談社、2018

『大聖堂の殺人 ~ The Books ~』(講談社文庫 し 111-7)、講談社、2019

 以上で完結。〝堂〟シリーズというだけあって、各タイトルにもなっている建物が重要な役割を果たすのですが、同時に、数学ネタもしばしばからんできます。第1作『眼球堂の殺人』文庫版の千街晶之による「解説」で、手短かではあれ、数学者が登場するこれまでの本格推理小説が概観されていますので、ご参照ください。

 数学がらみの映画から;


『π』、1998、監督:ダーレン・アロノフスキー

  カバラーの話も出てきます。
2014/05/04 以後、随時修正・追補
近代など Ⅲ
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