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 言葉や名前の呪術というのは、この地球の人類間ではほとんど普遍的と呼べそうなひろがりを持っているようで、これまで挙げた中でも宇宙論に関わるものとして、
 道教の〈開劫度人説〉における〈天書〉であるとか(→こちらを参照:「中国 Ⅱ」の頁の「vi. 道教など」)、
 空海の『声字実相義』(→そちらを参照:「仏教 Ⅱ」の頁の「v. 仏身論、密教など」)
などが目につくところですが、ひとつの範例をなすのが;


G.ショーレム、高尾利数訳、「神の名とカバラーの言語論」、『ユダヤ教神秘主義』、1975、pp.11-69
言語神秘主義/聖書およびラビ的ユダヤ教における神の名/『イェツィラの書』/名の魔術と神秘主義の間で/文字とセフィロート/盲人イーザクの言語論/律法の中では一度も語られない - 原名(ウアナーメ)/言語と祈り/あらゆる世界の中にある律法(トーラー)/アブラハム・アブラフィアの言語論/言語の魔術

Joseph Dan, Jewish Mysticism. Volume 3 : The Modern Period, 1999,

 所収の

"6. The Language of Mystical Prayer",

"7. The Name of God, the Name of the Rose, and the Concept of Language in Jewish Mysticism",

"8. The Language of the Mystics in Medieval Germany"


 また

ピンカス・ギラー、中村圭志訳、『カバラー』、2014、「第9章 神の名」

 なども参照

 もちろん文字の神秘学はカバラーの専売特許ではなく、数秘論とない交ぜになりつつ、たとえばグノーシス諸派の内、アラビア人モノイモスやウァレンティノス派のマルコスにそうした思弁を見出せますし、イスラームには〈ジャフル〉と呼ばれる術がありました;

 モノイモスについて;

Werner Foerster, english translation edited by R. McL. Wilson, Gnosis. A Selection of Gnostic Texts. 1. Patristic Evidence, 1972, pp.246-250

大貫隆訳、『キリスト教教父著作集 第19巻 ヒッポリュトス 全異端反駁』、2018、pp.344-349、407-408

 マルコスについて;

同上、pp.198-221

Nicolas Förster, Marcus Magus. Kult, Lehre und Gemaindeleben einer valentiniaschen Gnostikergruppe. Sammlung der Quellen und Kommentar, 1999

大貫隆訳、『キリスト教教父著作集 第2巻Ⅰ エイレナイオス1 異端反駁Ⅰ』、2017、pp.57-94

大貫隆訳、『キリスト教教父著作集 第19巻 ヒッポリュトス 全異端反駁』、2018、pp.269-289

大貫隆、「グノーシスと異言(グロッソラリア)」、『宗教研究』、2010

 も参照


 〈ジャフル〉について;

「ジャフル」、『岩波 イスラーム辞典』、2002、pp.460-461
Gernot Windfuhr, ‘JAFR’[ Encyclopædia Iranica

 また「フルーフィー派」の項や、

アンリ・コルバン、黒田壽郎・柏木英彦訳、『イスラーム哲学史』、1974、pp.169-175:「第4章5 言語哲学」

Ibn al-ʻArabī.The Meccan Revelations, volumeⅡ, 1988/2004

 中の
”The Science of Letter”

 なども参照


 イスラームにおいては、〈神名論〉というのも、ユダヤとは別の形で展開したようです。たとえば;

五十嵐一、『イスラーム・ルネサンス』、1986、「Ⅱ 第8章 アッラーの神 - ひとつの神名論的反省 -」

W.C.チティック、「非現象から現象世界へ - イブン・アラビーの『存在一性論』」、1988

 またリンク先の箇所に続いて挙げた同じ Chittick による他の著書も参照

松本耿郎、『イスラーム政治神学 ワラーヤとウィラーヤ』、1993、「第1章 イスラームの存在論と神名論」

青柳かおる、『イスラームの世界観 ガザーリーとラーズィー』、2005、「第3章 神学から神秘主義への転換-ガザーリーの神名論」および「第4章 ラーズィーの神秘思想-神名注釈書の分析」

 他に;

Henry Corbin, "L'initiation ismaélienne ou l'ésotérisme et le verbe", L'homme et son ange. Initiation et chevalerie spirituelle, 1983

 など、さらに本頁後掲の→こちらも参照

 また

塩尻和子、「クルアーンと『神の言葉』(Kalām Allāh)」、『イスラームの人間観・世界観 - 宗教思想の深淵へ』、2008、pp.101-122
ロゴスとカラーム/聖典研究の立場/「言葉」(kalām)の定義/生成された言葉/恩恵としての「言葉」

 〈神名論〉については;

ディオニシオス・アレオパギテース、「神名論」、1992

 も参照

 漢字については後でも少しふれますが(→本頁下掲のこちら)、

武田雅哉、『蒼頡たちの宴』、1994

 も参照。

 また


土屋昌明、「道教美術にみえる文字の問題」、『道教美術の可能性 アジア遊学 133』、2010、pp.71-82
「天書」の書法-「五篇真文」/符篆の解読と構造の問題

土屋昌明、「唐代道教の文字観 - 『雲笈七籤』巻7訳注研究」、『専修大学人文科学研究所月報 』、no.249、2011.2.28、pp.1-43 [ < 専修大学学術機関リポジトリ
Permalink http://id.nii.ac.jp/1015/00003697/

三浦國雄、「文字の根源へ 道教のおふだ」、『宇宙を駆ける知 天文・易・道教 知のユーラシア 4』、2014、pp.149-177
おふだの諸相/真文・祖炁の世界

 →こちら(「中国 Ⅱ」の頁の「vi. 道教など」)や、あちら(同、「vii. 煉丹術・錬金術、風水など」)にも挙げておきます。

 さらに;

大宮司朗、『霊符の呪法 道教秘伝』、2002

 日本近世以降のいわゆる〈神代文字〉もこうした文脈に属するものなのでしょう→こちらを参照:「日本 Ⅱ」の頁の「x. いわゆる古史古伝・偽史、神代文字など」。
 また近世・近代の言霊論については


鎌田東二、『記号と言霊』、1990

 また

森瑞枝、「平田篤胤と『五岳真形図』」、『道教美術の可能性 アジア遊学 133』、2010

 戻って、日本のいわゆる〈中世神話〉における〈大日の印文〉のモティーフも参照

→こちら(山本ひろ子、『中世神話』、1998、第2章Ⅰ「大日如来の印文神話」)や、

そちら(金沢英之、「中世におけるアマテラス - 世界観の組みかえと神話の変容」、2005)、

あちら(伊藤聡、『中世天照大神信仰の研究』、2011、第Ⅰ部第2章「大日本国説 - 密教化された神国思想」の1「大日印文」)

ここ(小川豊生、『中世日本の神話・文字・身体』、2014、第Ⅲ部第3章「神話表象としての〈大海〉 - 中世叡山における大日印文説の生成」)、

 その他

 また、

小川豊生、「夢想する《和語》 - 中世の歴史叙述と文字の神話学 -」、1997
(上掲小川豊生、『中世日本の神話・文字・身体』、2014、第Ⅳ部第3章「幻像の悉曇 - 梵・漢・和三国言語観と文字の神話」に編入。同Ⅳ部の他の章なども参照)、

上掲伊藤聡、『中世天照大神信仰の研究』、2011、第4部第1章「梵漢和語同一観の成立基盤」


 インドの文化からはとりあえず;

辻直四郎訳、『リグ・ヴェーダ讃歌』、1970、pp.307-308:「ヴァーチュ(言語の女神)の歌」)

 また

中村元、『ことばの形而上學 初期ヴェーダーンタ哲學史 第4巻』、1956/1981

 および


バルハルトリ、赤松明彦訳注、『古典インドの言語哲学 1 ブラフマンとことば』1998

 同、  『古典インドの言語哲学 2 文について』、1998

ミルチア・エリアーデ、堀美佐子訳、「エクスタシー技術と秘密の言語」、中村恭子編訳、監修:堀一郎、『宗教学と芸術 新しいヒューマニズムをめざして エリアーデ著作集 第13巻』、せりか書房、1975、pp.44-69
原著は Mircea Eliade, "Techniques de l'extase et languages secrets", 1953

 シャーマニズム研究の一環なので→こちらにも挙げておきます:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「i. アルタイ、テュルクなど」。
 エリアーデについて→そちらも参照:「通史、事典など」の頁の「v. テーマ別のもの諸々

………………………

 西欧の言語論で関係のありそうなものから;

荒俣宏、『理科系の文学誌』、1981、pp.13-79;「PART-1 言語の宇宙へ」
ケースⅠ『バベル-17』;善意の〈罠〉が必要な理由について/デカルトの凡ミス(ボーン・ヘッド)と言語について/言語の謎についてのSF的事例/完全言語のこわし方/理想言語をもとめる人々の心情//
ケースⅡ『ガリバー旅行記』;柿本人麻呂からスウィフトへ/暗号をめぐる三人の奇妙な関係について/暗号学左派のためのマニフェスト/叛文学としての『ガリバー旅行記』//
ケースⅢ『山椒魚戦争』;言語の秘密について/母音の宇宙的解釈/言語のユートピアへ


荒俣宏、『99万年の叡智 近代非理性的運動史を解く』、1985、pp.125-137:「第1部7 神秘学としてのコンピュータ」
オフィス神秘学について - はじめに/ダイナモとマリア/自動制御する宇宙/夢の演算機械へ……/物質との対話から - 結末

  同上、pp.366-378:「エピローグ 『暗号学左派』作業ノート」
テーマ/人工言語以後/フンボルト/フンボルトからウォーフへ/物理的力とのアナロジー/相対と絶対/ウォーフとドリヴェの関連性/ファーブル・ドリヴェ/ドリヴェの方法/絶対言語の政治学/ヘブライ語/言語ユートピアの転回点 - 試案/付説 - その1/付説 - その2

神尾美津雄、「第2章 分類と統語 - 普遍言語のエピステメー -」、『闇、飛翔、そして精神の奈落 - イギリス古典主義からロマン主義へ -』、1989、pp.30-74

マリナ・ヤグェーロ、谷川多佳子・江口修訳、『言語の夢想者 17世紀普遍言語から現代SFまで』、工作舎、1990
原著は Marina Yaguello, Lef fous du langage. Des langues imaginaires et de leurs inventeurs, 1984
序章 言語への愛;人工言語探求の道筋/本書で扱う3タイプの言語活動/追序//
神話からユートピアへ 言語の創造神話 言語を規定する世界観の変遷;ユートピアから生まれる「存在しない言葉」/真世界発見と言語思想の関係/聖書の言語神話//
  夢想家の肖像 言語に憑かれた人々の系譜;言語考案者の妄執/言語狂分類学//
  男と女の人工言語 ユートピア構築的言語とヒステリー症的言語;言語理解のふたつのアプローチ/人工言語史での女性の排除//
17~20世紀の言語思想史 未完の探求 17~18世紀における理想言語構想;普遍言語運動/哲学言語の構想/ライプニッツの結合術/空想旅行の人工言語//
  科学対フィクション 18~20世紀における言語の科学的考察;普遍言語を求めて/普遍言語構想の新展開/比較文法学から言語類型学へ/進化論的視点の誤った導入/国際共通語運動//
  「科学」の中の「神話」 最近のSFに見られる現代言語学理論;現代言語学SF/チョムスキー革命の影響//
言語にまつわる幻想の両極にむけて 裸の王様 ニコライ・マールの奇想言語理論;マールの言語研究の発端/言語祖先複数説/言語段階発展論による分類/未来言語宣言/階級言語と言語上部構造論/マール主義理論のその後//
  夜の女王 異言における無意識と言語活動;T.フルールノワの霊媒観察/エレーヌ・スミスの異言体験/宗教的異言現象/外国語がかりの症例/異言と外国語がかりの相違/異言の構造/火星語の文法的解釈/異言の音韻論的側面/異言における「意味」/無垢の歌としての異言//
自然言語の擁護と顕揚 眠り続ける森の美女 精神の牢獄としての人工言語;自然言語と人工言語の対立/言語活動の本来の機能//
  相反力の戯れ 自然言語に内在する均衡状態;人工言語の限界/人工言語の不完全性//
巻末資料 人工言語主要作品一覧(言語思想史年表)//
  人工言語文献資料集;哲学言語/言語の起源に関する科学的思想の変化/原始言語の空想的復原/フィクションに見る空想言語/ニコライ・マール抄録/異言資料/人工国際言語など、
344ページ。


ジェイムズ・ノウルソン、浜口稔訳、『英仏普遍言語計画 デカルト、ライプニッツにはじまる-』、工作舎、1993
原著は James Knowlson, Universal Language Schemes in England and France 1600-1800, 1975
序//
真正の文字の言語 - 知的背景 -;共通語としてのラテン語/人類最初の言語/「真正の文字」の探求/秘密の文字から普遍的文字へ/速記記号と代数記号の普遍性/ヒエログリフと漢字との関連/諸言語、言語、真正の研究/コメニウスの言語教育改革/現存する言語への批判/学問の進歩と普及のための言語//
共通の文字と初期の諸計画;初期の普遍的文字構想/デ・ヴァレの「母なる言語」/ル・メールの普遍的アルファベット/ベデルとジョンスンの計画/ウィルキンズの普遍的文字/ロドウィックの共通文字/ベックの数の辞書の体系//
哲学的言語;デカルトとメルセンヌ/メルセンヌの置換言語理論/真正の存在の鏡としての普遍的文字/記憶術論がもたらした影響/ルルス主義とカバラ/隠秘学的伝統/ダルガーノとウィルキンズの目的/ウィルキンズの「真正の文字と哲学的言語」/ウィルキンズ『試論』の賛同者/ライプニッツ瞥見//
想像の旅と理想の言語;トマス・モアのユートピア言語/ゴドウィンの音調言語/シラノの身振り言語/サルマナーツァールの台湾語/フォワニーのアウストラル語/ヴェラスのセヴァランビア語//
18世紀 - 言語の起源・一般的文法・普遍言語 -;ティエボーによる普遍言語の見直し/ド・ブロスの原始言語再建/人間思考の普遍的原則//
1790年代のパシグラフィー;ドロルメル、アンペール、コンドルセの計画/ド・メミィエの普遍的書字の構造//
記号と思考;言語記号が思考に及ぼす影響/コンディヤックが指摘した言語の欠陥/コンディヤックとライプニッツの類似性/コンディヤック以後の言語改革の試み/言語と記号の役割をめぐる議論//
イデオローグと完全な言語;分析的言語創設への反論/数学的観念と道徳的観念の相違/哲学的言語の不可能性への論証/言語と知性の完全性/改革の挫折と継承//
補遺A 普遍言語としての身振り;聾啞者との意志疎通の可能性/聾啞者教育の手段/身振りの普遍性/身振り言語の限界//
補遺B 17・18世紀における普遍的文字と言語の諸計画一覧など、
420ページ。


 同じ訳者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「ステープルドン」の項

モーリス・オランデール、浜崎設夫訳、『エデンの園の言語 アーリア人とセム人:摂理のカップル』(叢書・ウニベルシタス 473)、法政大学出版局、1995
原著は Maurice Olender, Les langues du paradis. Aryens et Sémites : un couple providentiel, 1989
序文(ジャン・ピエール・ヴェルナン)//
エデンの園の古文書館;ヘブライ語からサンスクリット語へ/専門的な発明品/歴史の忘却/誰一人知らない者はいない……//
神[=摂理]の母音(R.シモン、R.ロース、J.G.ヘルダー);発音の秘密/崇高の詩学/きわめて特異な神//
「選ばれた諸民族」の輪舞(J.G.ヘルダー);律法の孤独な番人/神の作劇法の迷宮//
崇高なものと忌まわしいものの間(E.ルナン);苦労知らずの一神教/「諸人種の肖像」/壮大な罠/花と
実生苗(みしょうなえ)/キリスト教の言い分/ルナンからリシャール・シモンへ//
多義的な語の危険性へ(F.マックス・ミュラー);神の呼称/戦略上の科学//
アーリア人の一神教徒としての使命(A.ピクテ);骨と語/若き読者ソシュール/神[=摂理]の指//
天上の婚礼 - ケーニヒスベルクの神学の(R.F.グラウ);二人の処女と向き合う神/インド・ゲルマン人の「女性的性質」//
アーリア人としてのセム人(I.ゴルトツィーハー);神話(学)に対する諸民族の権利/ヤハウェの「世界主義的性格」/ルナンの独断的な優雅さ/救世主の科学の夢//
鍛冶場の秘密など、
336ページ。


ウンベルト・エーコ、上村忠男・廣石正和訳、『完全言語の探求』(叢書ヨーロッパ)、平凡社、1995
原著は Umberto Eco, La ricerca della lingua perfetta nella cultura europea, 1993
緒言(ジャック・ルゴフ)/日本語版によせて(同)//
序//
アダムから「言語の混乱」へ;『創世記』2章、10章、11章/ヨーロッパ以前と以後/副産物/自然言語の記号論的モデル//
カバラの汎記号論;トーラーの読解/宇宙的結合術と名前のカバラ/祖語//
ダンテの完全言語;ラテン語と俗語/言語と発話行為/アダムへの最初の賜物/ダンテと普遍文法/光輝ある俗語/ダンテとアブラフィア//
ライモンドゥス・ルルスの「大いなる術」;結合術の基本原理/アルファベットと4つの図形/「知識の樹」/ニコラウス・クザヌスにおける普遍的一致//
単一起源仮説と複数の祖語;ヘブライ語への回帰/ポステルの普遍主義的ユートピア/語源探索熱/規約主義、エピクロス主義、多起源説/ヘブライ語以前の言語/国民主義的諸仮説/インド=ヨーロッパ語仮説/単一起源説に反対する哲学者たち/なかなか死のうとしない夢/新たな単一起源説的諸展望//
近代文化におけるカバラ主義とルルス主義;魔術における名前とカバラ主義におけるヘブライ語/ステガノグラフィーにおけるカバラ主義とルルス主義/ルルス的カバラ主義/ブルーノ - 結合術と無数世界/無数の歌と言葉//
像からなる完全言語;ホラポロンの『ヒエログリュフィカ』/エジプトのアルファベット/キルヒャーのエジプト学/キルヒャーの中国語/キルヒャーのイデオロギー/後世の批判/エジプトの道と中国の道/エイリアンにとっての像//
魔術的言語;いくつかの仮説/ジョン・ディーの魔術的言語/完全性と秘密性//
ポリグラフィー;キルヒャーのポリグラフィー/ベックとベッヒャー/内容の組織化にむけての初期的企て//
アプリオリな哲学的言語;ベイコン/コメニウス/デカルトとメルセンヌ/記号と特徴についてのイギリスでの論争/原始概念と内容の組織化//
ジョージ・ダルガーノ//
ジョン・ウィルキンズ;図表と文法/即物的記号/辞書-同義語、迂言法、隠喩/開かれた分類?/分類の限界/ウィルキンズのハイパーテクスト//
フランシス・ロドウィック//
ライプニッツから『百科全書』へ;記号法と計算/原始概念の問題/百科事典と思考のアルファベット/盲目の思考/『易経』と二進法的記数法/副産物/ライプニッツの「図書館」と『百科全書』//
啓蒙主義から今日にいたるまでの哲学的言語;18世紀のさまざまな計画案/哲学的言語の晩期/宇宙での言語活動/人工知能/完全言語の亡霊たち//
国際的補助言語;混合的な諸体系/アポステリオリな言語のバベル/エスペラント/最適化された文法/いくつかの理論的な異議とそれらへの反論/国際的補助言語の「政治的」可能性/国際的補助言語の限界と表現能力//
結論;バベルの再評価/翻訳/アダムへの賜物など、
534ページ。

 同じ著者による→こちらを参照:「キリスト教(西欧中世)」の頁の「おまけ


互盛央、『言語起源論の系譜』、講談社、2014
はじめに/序章 人類最初の言語を聞く/「神」が言語を与える - 聖書の時代:中世から15世紀まで/複数のアダムたち - 国民言語勃興の時代:16世紀から17世紀へ/人間が言語を作る - 「自然」創出の時代:17世紀/起源を証明する - 「社会契約」の時代:17世紀から18世紀へ/起源をめぐる闘争 - 乱立する言語起源論の時代:18世紀/起源を復元する - 言語学の時代:18世紀から19世紀へ/終章 「起源の言語」を語る天使たちなど、
432ページ。

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅲ」の頁の「xv. 時間論、その他


横山茂雄、『神の聖なる天使たち ジョン・ディーの精霊召喚 1581~1607』、2016、pp.145-196+註;第8章『エノクの書』/第9章「始原の言語など

 また別名義での同じ著者による;

稲生平太郎、「異界の言葉 - テオドール・フルールノワ『インドから火星へ』」(1996)、『定本 何かが空を飛んでいる』、2013、pp.218-224

 西欧ではありませんが;

亀山郁夫、『甦えるフレーブニコフ』、1989、「第8章 言葉の神々の嵐」や「第9章 詩と絵画」など

 合わせて、

大石雅彦、「詩的言語の前哨 - ザーウミの系譜」、『彼我等位 日本・モダニズム/ロシア・アヴァンギャルド』、2009

 さんざんあちこちに出てくるので、やはり挙げておきましょう;

ヴァルター・ベンヤミン、「言語一般および人間の言語について]」、浅井健二郎編訳、久保哲司訳、『ベンヤミン・コレクション 1 近代の意味』(ちくま学芸文庫 ヘ 3-1)、筑摩書房、1995、pp7-36
原著は Walter Benjamin, "Über Sprache überhaupt und über die Sprache des Menschen", 1916

 同じ著者による→こちらを参照:「天使、悪魔など」の頁の「i. 天使など

 ついでに文庫で見ることができるものとして;

ルソー、増田真訳、『言語起源論 旋律と音楽的模倣について』(岩波文庫 青623-7)、岩波書店、2016
原著は Jean-Jacques Rousseau, Essais sur l'origine des langues où il est parlé de la mélodie et de l'imitation musicale
 歿後出版。執筆は1750年代後半から1762年前半にかけてとのこと(p.138)。
序文草案//
われわれの考えを伝えるためのさまざまな方法について/ことばの最初の発明は欲求に由来するのではなく、情念に由来するということ/最初の言語は比喩的なものだったにちがいないということ/最初の言語の特徴的性質、およびその言語がこうむったはずの変化について/文字表記について/ホメロスが文字を書けた可能性が高いかどうか/近代の韻律法について/諸言語の起源における一般的および地域的差異/南方の諸言語の形成/北方の諸言語の形成/この差異についての考察/音楽の起源/旋律について/和声について/われわれの最も強烈な感覚はしばしば精神的な印象によって作用するということ/色と
(おん)の間の誤った類似性/みずからの芸術にとって有害な音楽家たちの誤り/ギリシャ人たちの音楽大系はわれわれのものとは無関係であったこと/どのようにして音楽は退廃したか/言語と政体の関係//
解説など、
156ページ。


 言語起源論と関連するものとして;

レオン・ポリアコフ、アーリア主義研究会訳、『アーリア神話 ヨーロッパにおける人種主義と民族主義の源泉』(叢書・ウニベルシタス 158)、法政大学出版局、1985
原著は Léon Poliakov, Le mythe aryen. Essai sur les sources du racisme et des nationalismes, 1971
序文//
古い起源神話;スペイン - ゴート神話/フランス - 2つの人種の争い/イギリス - セムの血統とノルマンのくびき/イタリア - アエネアスの子孫/ドイツ - 言語と人種/ロシア - ユーラシアの人種のるつぼ//
アーリアの起源神話 プレリュード;アダム以前に人間がいたとする人たち/大発見/新しい系譜/理性のユートピア//
  啓蒙時代の人類学;穏健な人類学者たち(人類単一起源論)/極端派の人類学者たち(人類複数起源論)//
  新しいアダムを求めて;インドの魔力/アーリア神話の出生証明書/インド
(マニア)、ゲルマン(マニア)と反ユダヤ主義/ヨーロッパ規模でのアーリア神話//
  ゴビノーとその同時代人;革命、イデオロギー、生理学/人種 - 歴史の原動力/形而上学者と誇大妄想狂//
  アーリアの時代;言語学者の専制/アーリア主義と普仏戦争/人種的二元論/アダム以前に人間がいたとする論者たちから精神分析学へ/適者生存/アーリアの神秘//
結論など、
538ページ。


鍛冶哲郎・福井一光・森哲郎編、『経験と言葉 - その根源性と倫理性を求めて -』(宝積比較宗教・文化叢書 3)、大明堂、1995
経験と言葉;理性の記憶 - ヘーゲルにおける〈被りしもの〉の変容 -(中岡成文)/経験と言葉 - 沈黙の語り -(藤田正勝)/存在意識の変革について - ヤスパースの「形而上学的経験」と「暗号文字」の問題を中心として -(福井一光)/経験と言葉をめぐって - 語・真理・行為 -(尾崎誠)/《経験と言葉》あるいは《表現》 - 西田幾多郎の「純粋経験」に関連して -(森哲郎)//
宗教と神話;神話としての宗教的体験の優先 - その倫理的次元の復興に向かって -(J.W.ハイジック)/現代における神話 - ヤスパースとブルトマンの神話論争 -(A.チェザーナ)/カフカにおける「宗教の起源」(U.アップ)/宗教における言語と音楽 - ルターの詩編解釈をとおして -(竹原創一)/混沌の自覚から表現へ - 禅仏教における言葉の捉え方の一側面 -(M.モール)//
日本人と言葉;日本人の基礎経験と日本語の論理構造 - 1930年代における国語学の思想的意義 -(田中久文)/「探検記」の言語(川村湊)//
芸術と言葉;「言語的音楽観」と西洋音楽の「近代化」 - バロック期における音楽修辞学の盛衰とその背景 -(渡辺裕)/「言葉に関して経験をなすこと」 - ハイデガーにおける詩と言葉 -(岡田紀子)/転回の詩学 - パウル・ツェラーンにおける詩的経験と夢 -(鍛冶哲郎)など、
370ページ。


小野文、「想像言語の比較研究ノート あるいは母語からいかに飛翔するか」、『ユリイカ』、no.811、vol.55-14、2023.11 臨時増刊号:「総特集 J・R・R・トールキン 没後50年 - 異世界ファンタジーの帰還」、pp.219-323
母語を粉砕する - ウルフソンのケース/地球から火星へ、あるいは言語の祝祭 - エレーヌ・スミスのケース/母語(を/に)翻訳する - トールキンのケース/言葉の亡霊のおとづれ - 結論に代えて

小澤実、「トールキン・ルーン文字・JRPG」、同上、pp.233-248
オルクリスト、グラムドリング、アンドゥーリル/中世学者トールキンと北方世界/『指輪物語』と戦後ポピュラー・カルチャー/ルーン文字とJRPG

 トールキンについて→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「トールキン」の項
………………………

 文字について(宇宙論史にあまりからまないかもしれませんが)

A.コンドラートフ、磯谷孝・石井哲士朗訳、『文字学の現在』、勁草書房、1979
 原著はキリル文字なので割愛。1975年刊。
アルファベットの初歩知識/絵による言語/地球の隅々で/シュメール人が最初だった/トルクメンからクレタ島まで/ピラミッドの国の文字記号/サハラ砂漠の南方/新世界の象形文字/「ものいう木」/コハウ・ロンゴ=ロンゴ/中心はひとつか、ふたつ以上か?/「中国式読み書き」/象形文字の海/楔の次もまた楔/アルファベットの揺籃地/誰が最初に「A」といったか?/大樹の枝々/解読に成功するための公式/普遍的性質を求めて/文字と脳/文字の社会学/神々、神官、文字/文字のあとに来るものなど、
382ページ。


彌永信美、「はるかなる悉曇文字」、『現代思想』、11巻9号、1983.9:「増頁特集=密教 現実を超越する身体技法」、pp.121-131

 同じ著者による→こちらを参照:「仏教 Ⅱ」の頁の「vi. 仏教の神話など

『季刊 iichiko』、no.9、1988 AUTUMN、pp.4-105:「特集・文字の文化学 象形・儀礼・使う」
漢字の思考(白川静)/エジプト古文字(屋形禎亮)/マヤ文字の世界(八杉佳穂)

ジョルジュ・ジャン、矢島文夫監修、高橋啓訳、『文字の歴史』(知の再発見双書 01)、創元社、1990
原著は Georges Jean, L'écriture : mémooire des hommes, 1987
日本語版監修者序文//
文字の誕生/神々の発明/アルファベットの革命/写本職人と印刷術/拡大する文字の世界/解読者たち//
資料集 - 文字をめぐる考察 -;世界の文字体系/様々なアルファベット/技術の影響/書の芸術/中国と日本の書/数学-数の図形的表現/楽譜を書く/文字への讃歌/『ギルガメシュ叙事詩』など、
212ページ。


世界の文字研究会編、『世界の文字の図典』、吉川弘文館、、1993
文字と文化/絵文字/エジプト文字/楔形文字/エーゲ海地方の古代文字/西セム文字とその系統の文字/アラビア文字//
アルファベット;ギリシア文字/エトルリア文字/ローマ字/古代北ヨーロッパ文字/キリル文字//
インド系文字/漢字とその伝流/その他の文字/数字/記号、文字でない文字/付録など、
638ページ。


 〈神代文字〉の項目もあります;pp.520-522。

ジェイ・デイヴィッド・ボルター、黒崎政男・下野正俊・伊古田理訳、『ライティング スペース 電子テキスト時代のエクリチュール』、産業図書、1994
原著は Jay David Bolter, Writing Space - The Computer, Hypertext, and the History of Writing, 1991
序/イントロダクション//
ヴィジュアル・ライティング・スペース;新たなライティング・スペースとしてのコンピュータ/テクノロジーとしてのライティング/ライティングの要素/見ること、書くこと//
概念的なライティング・スペース;電子書籍/新しい対話/インターアクティヴなフィクション/批評理論と新しいライティング・スペース//
ライティング・スペースとしての心;人工知能/電子の記号/精神を書く/文化を書く//
結論など、
466ページ。


古屋俊彦、「文字の存在論」、『国士舘大学情報科学センター紀要 』、20号、1999.3、pp.1-34 [ < 国士舘大学 図書館・情報メディアセンター

古屋俊彦、「文字の単位と機能 (文字の意味論1)」、『国士舘大学情報科学センター紀要 』、21号、2000.2、pp.1-33 [ < 同上 ]

古屋俊彦、「文字の形態と進化 (文字の意味論2)」、『国士舘大学情報科学センター紀要 』、22号、2001.3、pp.10-50 [ < 同上 ]

古屋俊彦、「文字と線の研究 哲学的文字論の試み」、『法政哲学 』、11号、2015.3.20、pp.15-26 [ < 法政大学学術機関リポジトリ
………………………

 漢字、その他(宇宙論史にあまりからまないかもしれませんが)

白川静、『漢字 - 生い立ちとその背景-』(岩波新書 C95)、岩波書店、1970
象形文字の論理/神話と呪術/神聖王朝の構造/秩序の原理/社会と生活/人の一生など、
206ページ。


白川静、『文字逍遙』、平凡社、1987
文字逍遙;遊字論/道字論//
鳥の民俗学;鳥を食う王の話/鳥占と古代文字//
漢字古訓抄//
漢字の諸問題;漢字のなりたち/漢字の展開/線の思想/文字学の方法/漢字と文化/国語雑感/古代文字と生命の思想など、
324ページ。


 同じ著者による→こちらを参照:「中国」の頁の「ii. 中国の神話とその周辺

阿辻哲次、『漢字学 「説文解字」の世界』、東海大学出版会、1985
第1部;序論=漢字と中国2000年の文字学/『説文解字』前史=実用的文字学の時代/『説文解字』の背景=許慎とその時代/『説文解字』=文字の体系化とその手法/文字解釈の基盤=小篆/文字解釈の基盤=六書/『説文解字』の構成=文字のコスモロジー//
第2部 段玉裁『説文解字注』論;『説文解字注』の背景=段玉裁とその時代/『説文解字讀』と『汲古閣説文訂』=『説文解字注』への道程/『説文解字注』の方法/『段注』を読むために、など、
296ページ。


阿辻哲次、『漢字の文化史』(ちくま学芸文庫 ア 26-1)、筑摩書房、2007
1994年刊本の文庫化
漢字の誕生をめぐって/文字文化の黎明期/文字文化の多様化/文字文化のひろがり/漢字研究のはじまり/古代日本と漢字など、
256ページ。


中野美代子、「漢字の空間学」、『龍の住むランドスケープ 中国人の空間デザイン』、1991、pp.246-263
窫窳という怪物/怪物専用の漢字/天円地方説と漢字/線の個性と聖性/方形の宇宙/漢字のパターン認識/仮名文字の空間/アジアの文字宇宙

中野美代子、『チャイナ・ヴィジュアル 中国エキゾティシズムの風景』、1999、「Ⅲ スクリプト・ヴィジュアル」
風景を侵す文字 - 「自然」を権威づけるもの -/スクリプト・ヴィジュアル - 読めない文字の読みかた -/ジョットとパスパ文字 - 文様としての文字 -/滅びる文字と生きる文字 - 文化意志の問題として -/四角い宇宙は生きのびる - 漢字文化圏の未来 -/難読字カタログ - 中国神怪命名考 -

 同じ著者による→こちらを参照:「中国」の頁の「i. 概説、通史など

柳父章、「言葉の形」、形の文化会編、『アジアの形を読む 形の文化誌[1]』、工作舎、1993、pp.66-74
言葉の形/形の言葉/漢字の働き/漢字の機能の理論/「かたち」と形 - 日本文化の二重構造

河野六郎、『文字論』、三省堂、1994
文字の本質/六書について/諸聲文字論/轉注考/假借論/漢字論雜考/隣接諸民族における漢字の適応とその発展/アルファベットの発生/ハングルとその起源など、
168ページ。


馬渕和夫、『五十音図の話』、大修館書店、1993
はじめに/現代の「五十音図」/江戸時代の「五十音図」/中世の音図/平安時代の音図 - 明覚以後/音図の発生 - 明覚以前/おわりに、など、
192ページ。


小野恭靖、「嘘字・鈍字の世界」、『大阪教育大学紀要. I, 人文科学』、第50巻1号、2001.8.31、pp.57-65 [ < 大阪教育大学附属図書館

 「江戸時代初期には成立し、盛んに読まれていた『小野篁歌字尽(おののたかむらうたじづくし)』をもとに、式亭三馬が戯作したことば遊びのパロディー本に『小野◆嘘字尽(おののばかむらうそじづくし)』(文化三年〈一八〇六〉刊)がある」(p.58)という、その
『小野◆■字盡』
((◆=:たけかんむりに「愚」、■=ごんべんに「虚」)
 の画像が;


小野〓〓字尽」 [ < 近代書誌・近代画像データベース国文学研究資料館
………………………

 記憶術・結合術に関わって「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」のページで

ジュリオ・カミッロ、『劇場のイデア』、2009

フランセス・イエイツ、『世界劇場』、1978

 「バロックなど(17世紀)」のページで

ライナルド・ペルジーニ、『哲学的建築 理想都市と記憶劇場』、1996

 などを挙げましたが、さらに;

グスタフ・ルネ・ホッケ、種村季弘訳、『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』(全2巻)、現代思潮社、1977
原著は Gustav René Hocke, Manierismus in der Literatur - Sprach-Alchimie und esoterische Kombinaionskunst, 1959
 序 《ヨーロッパ文学におけるマニエリスム》//
  魔術的文字;緒言 変則的なものの伝統のために/ヨーロッパの隠れた緊張の場/言語的二重生活/変則詩/
組み合わせ術(アルス・コンビナトリア)魔術的詭弁(ソフィスム・マジック)//
  形象のなかの世界;
隠喩至上主義(メタフォリスムス)/魔神の呪縛/ゴンゴリスモ、マニリズモ、プレシオジテ/シェイクスピアの変形(デフォルマシオン)/形象の機智/ドイツの理性芸術//
  異-修辞学と綺想主義;錬金術と言葉の魔術/意識的まやかし/効果のメカニズム/美の公式/マニエリスムの綱領起草者たち/謎術としての寓意画法など、
352ページ。

Ⅱ 芸術的虚構としての人間;音楽主義/ジェスアルド・ダ・ヴェノーサからストラヴィンスキーまで/音楽のカバラ学/ダイダロスとディオニュソス/マニエリスム的演劇/迷路小説/叙事詩的怪物//
  結論部 マニエリスム的テーマとしての人間;神性の夜の側/白い神秘思想と黒い神秘思想/決疑論と放縦主義/神の発明家/
十字の徴(シグヌーム・クルシス)//
  付録 ヨーロッパの綺想体-ミニアチュア-アンソロジー;スペイン/イタリア/フランス/英国/アメリカ合衆国/ロシア/ドイツなど、
318ページ。


 →こちらでも触れました:「怪奇城の肖像(前篇)」の頁

P.ロッシ、清瀬卓訳、『普遍の鍵』(世界幻想文学大系 45)、国書刊行会、1984
原著は Paolo Rossi, Clavis universalis. Arti mnemoniche e logica combinatoria da Lullo a Leibnitz, 1960
序//
14、15世紀にみるイメージと場所記憶;記憶の「規定」に対する人文主義者の反論/古代、中世における記憶術の典拠/14世紀における記憶術と説教術/15世紀における記憶術/ピエトロ・ダ・ラヴェンナ『不死鳥』/自然と技術/記憶術・アリストテレス思想・医学/イメージの組み立て//
16世紀百科全書思想と結合術;ルルス思想の復興/アグリッパと大いなる術の特質/ルルスの伝統にみる術・論理学・宇宙論/知恵の樹と16世紀百科全書派/ライムンドゥス・ルルスの書にみる
記憶力増強(ヽヽヽヽヽ)/ベルナルドゥス・デ・ラヴィニェータ-結合術と記憶術/記憶論理学//
世界劇場;象徴思想と記憶術/記憶術のイギリス、ドイツへの普及/シュバンゲルベルギウス/グロタローロの記憶医学/世界劇場にみるルルス思想とカバラ//
ジョルダーノ・ブルーノの空想論理学;ブルーノのルルス記憶術著作/17世紀における結合術・
記憶術(ヽヽヽ)・自然魔術//
人工記憶と新しい論理学-ド・ラ・ラメー、ベーコン、デカルト;ピエール・ド・ラ・ラメー-論理学の一部門としての「記憶」/ベーコンとデカルト-記憶を玩ぶ人々にたいする論争/ベーコンとデカルトにみる記憶術とルルス思想/記憶術の新しい論理学への仲間入り//
百科全書思想と汎智論;普遍記憶術体系-ハインリッヒ・アルシュテート/汎智論と大教授学-コメニウス/17世紀の百科全書思想と結合術/ジョン・ヘンリー・ビスターフィールド哲学的アルファベット//
普遍言語の形成;イギリスのベーコン学派-普遍言語構想/言語記号と数学記号/コメニウス学派-普遍言語と普遍キリスト教/完全言語の形成/普遍言語の記憶作用-自然科学にみる分類法/普遍言語と対峙するデカルトとライプニッツ//
ライプニッツ記号法の淵源//
ヨーロッパ古代・中世百科全書思想の系譜(清瀬卓)など、
410ページ。


種村季弘、『ある迷宮物語』(水星文庫)、筑摩書房、1985、pp.214-227:「断片からの世界 - 記憶術の横領について -」

 同じ著者による→こちらも参照:「通史、事典など」の頁の「iii. 地誌・地学・地図、地球空洞説など

フランセス・イエイツ、玉泉八州男監訳、青木信義・井出新・篠崎実・野崎睦美訳、『記憶術』、水声社、1993
原著は Frances A. Yates, The Art of Memory, 1966
序/古典的記憶術に関するラテン語三大文献/ギリシアにおける記憶術……記憶と霊魂/中世における記憶術/中世における記憶術とイメージの形成/記憶術論考/ルネサンスの記憶術……ジュリオ・カミッロの〈記憶の劇場〉/カミッロの〈劇場〉とヴェネツィア・ルネサンス/記憶術としてのルルの思想/ジョルダーノ・ブルーノ……『影』の秘術/記憶術としてのラムス主義/ジョルダーノ・ブルーノ……『秘印』の秘術/ブルーノ記憶術とラムス記憶術の衝突/ジョルダーノ・ブルーノ……記憶術に関する後期の著作/記憶術とブルーノのイタリア語対話篇/ロバート・フラッドの〈劇場〉記憶術体系/フラッドの〈記憶の劇場〉とグローブ座/記憶術と科学的方法の成長など、
524ページ。


 同じ著者による→こちらを参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「vi. ブルーノなど

メアリ・カラザース、別宮貞徳監訳、柴田裕之・家本清美・岩倉桂子・野口迪子・別宮幸徳訳、『記憶術と書物 中世ヨーロッパの情報文化』、工作舎、1997
原著は Mary Carruthers, The Book of Memory - A Study of Memory in Medieval Culture, 1990
序論/記憶の諸モデル/記憶の神経心理学的解釈/初歩の記憶法/記憶術/記憶と読書の倫理/記憶と権威/記憶と書物/著者あとがき//
付録;サン・ヴィクトルのフーゴー/アルベルトゥス・マグヌス/トマス・ブラドウォーディンなど、
540ページ。


ジョン・ノイバウアー、原研二訳、『アルス・コンビナトリア 象徴主義と記号論理学』、ありな書房、1999
原著は John Neubauer, Symbolismus und Symbolische Logik, 1978
まえがき/テーマ/序文/結合術の伝統/初期ロマン派の抱いたライプニッツ・イメージに表われたる結合術、記号論、および百科全書理論/概念計算と発明術/記号論/「百科全書化計算」/C.F.ヒンデンブルクの結合術/論理主義、批判哲学、弁証法的論理学/現にある世界とありうる世界/結合術の機知/結合術的小説の理論/『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』と近代小説/「純粋詩」の根拠/まとめにかえて、など、
304ページ。


桑木野幸司、『叡智の建築家 記憶のロクスとしての16-17世紀の庭園、劇場、都市』、2013

桑木野幸司、『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』(講談社選書メチエ 689)、講談社、2018
プロローグ ムネモシュネの饗宴 - 開宴の辞/記憶術の誕生/ルネサンスの記憶術/忘却術とイメージの力/天国と地獄の記憶 - ロッセッリ『人工記憶の宝庫』/饒舌なる記憶 - デル・リッチョ『記憶術』の世界/テクストの中の宇宙 - チトリーニ『ティポコスミア』が描き出す建築的情報フレーム/混沌の森から叡智の苑へ - デル・リッチョの記憶術的理想庭園/記憶術の黄昏 - シェンケルの「方法的」記憶/エピローグ 終わらない宴など、
352ページ。


J.A.コメニウス、井ノ口淳三訳、『世界図絵』(平凡社ライブラリー 129)、平凡社、1995
原著は Johann Amos Comenius, Orbis sensualium pictus, 1658
1988年刊本の文庫化
読者への序言/入門/150項目/結び//
コメニウスの生涯(井ノ口淳三)/『世界図絵』の意義(同)/解説-コメニウス・リヴァイズド(高山宏)など、
388ページ。

 「1 神」、「2 世界」、「3 天空」、「4 火」、「5 空気」、「6 水」、「7 雲」、「8 大地」に始まり、「78 絵画」、「79 鏡」、「103 天球」、「104 惑星の位置」、「105 月の状態」、「106 日食・月食」、「107 地球」などなどを経て、「149 神の摂理」、「150 最後の審判」に至ります。


ライプニッツ著作集 1 論理学』、1988

ライプニッツ著作集 10 中国学・地質学・普遍学』、1991

 も参照

 また;

アビ・ヴァールブルク、伊藤博明、加藤哲弘、田中純、『ムネモシュネ・アトラス ヴァールブルク著作集 別巻1』、ありな書房、2012
序 アビ・ヴァールブルクと『ムネモシュネ・アトラス』(伊藤博明)//
パネルA~C、1~79//
『ムネモシュネ・アトラス』序論(アビ・ヴァールブルク)/『ムネモシュネ・アトラス』序論 解説(田中純)//
解題;ヴァールブルクの天球へ-『ムネモシュネ・アトラス』の多層的分析(田中純)/不在のペルセウス-『ムネモシュネ・アトラス』と占星術(伊藤博明)など、
768ページ。


 ヴァールブルクによる→こちら(「アメリカ大陸など」の頁の「i. 北アメリカなど」)や、またあちら(「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」)を参照
 また下記の山口昌男『本の神話学』、1977 中の「20世紀後半の知的起源」なども参照

………………………

 本・書物(天の書);

Patrick Boylan, Thoth. The Hermes of Egypt, 1987, pp.59-60

 によると、〈神的な書〉というイメージがピラミッド・テクストに現われます。ただしそれは、〈運命の書〉ではなく、太陽神の治世の細部が記されたものだとのことです(p.60。p.210 も参照)。
 同書 pp..94-95 には〈神的な言葉の書〉が登場、こちらはトトが著者とされる聖なる式文を集めたものとされます。


 他方

Wayne Horowitz, Mesopotamian Cosmic Geography, 1998, pp.166-167

 によると、シュメルには神々が用いるラピスラズリでできた〈天の星々の銘板〉というイメージがありました。空自体も、ラピスラズリからできていると考えられていたようです。また

MIHO MUSEUM編、アンソニー・グリーン監修、『メソポタミアの神々と空想動物』、2012、p.21

 には「運命の粘土板『メ』」の項目があります。
「最高位のアンまたはエンリルの持物」
 で、
「追記不能の証書もしくは条約のようなものであった。つまり、『メ』を手にすると、宇宙万物の運命を決定する力が与えられた」
 とのことです。


 道教では
「司命神は天上にあって人の寿命台帳である命籍を管理し、人間の行為の善悪を見て、その人の寿命の増減を行うとされた」(『道教事典』、1994、p.237:「司命」)
 とのことですが、また


田中文雄、『仙境往来 神界と聖地』、2002、「第2章 3 経典のくだる聖地」

 によれば、
「天から、文字に書かれた経典が、ある特定の人物に授けられる」(p.85)
 と見なされていたとのことです。本ページ冒頭で挙げた〈開劫度人説〉における〈天書〉であるとか(→こちらを参照)は、そうしたイメージを宇宙規模に拡大したものといえるでしょうか。


 インドにおけるヴェーダの捉えられ方、そこからつながるであろうマントラ・真言(→こちら(「インド」の頁の「ヴェーダーンタ学派など」の項)や、そちら(同、「ミーマンサー学派など」の項)などを参照)、
冒頭でも挙げた空海の『声字実相義』(→あちらを参照:「仏教 Ⅱ」の頁の「v. 仏身論、密教など」)、
また日本における〈言霊〉(→ここ:「日本」の頁の「i. 概説、通史など」や、そこ:「日本 Ⅱ」の頁の「viii. 近世から近代にかけてのいわゆる麗学・古神道など」などを参照)
 など、つながる領域はまだまだあることと思われますが、ともあれ、〈天の書物〉というイメージをくっきりした形で展開させたのは、ユダヤとイスラームそれぞれの伝承のようです。

 ユダヤについてはまず、やはり冒頭で挙げたショーレムの論文(→こちら)を見ていただくとして、同じショーレムによる


ゲルショム・ショーレム、「ユダヤ教神秘主義における『トーラー』の意味」、『カバラとその象徴的表現』、1985

 も併せて見るべきでしょう。
 またカバラー以前の段階については、


Geo Widengren, The Ascension of the Apostle and the Heavenly Book, 1950

Leo Koep, Das himmlische Buch in Antike und Christentum, eine religionsgeschichtliche Untersuchung zur altchristlichen Bildersprache, 1952

 あたりが関係ありそうなのですが、残念ながらいずれも未見。なのでとりあえず

手島勲矢、「成文律法と口伝律法」、手島勲矢訳編、『ユダヤ人から見たキリスト教』、1986、pp.143-194
トーラーの歴史的概観/天にあるトーラーという思想について/口伝律法とは何か

 同じ著者による→こちらを参照:「ユダヤ」の頁の「vii. ユダヤ思想史など

Howard Schwartz, Tree of Souls. The Mythology of Judaism, 2004
 "Book Five : Myths of the Holy Word"
中の”The Letters of the Alphabet””The Primordial Torah”内の諸項

 また

"Book Three : Myths of Heaven" 中の”The Seven Heavens”から”219. The Pargod”220. The Map of Time and Space”

 などを参照ください。


M.ハルバータル、志田雅宏訳、『書物の民 ユダヤ教における正典・意味・権威』、教文館、2015

 さらに;

ハンス・ヨーナス、細見和之・吉本陵訳、『生命の哲学 有機体と自由』(叢書・ウニベルシタス 903)、法政大学出版局、2008、pp.428-432:第12章Ⅴ「[『生命の書』と超越的な『肖像』]」

 イスラームについては

大川(黒宮)玲子、「『書かれたもの (キターブ)』と運命論 - クルアーン、『天の書板』、『記録の書』 -」、2002

大川玲子、『聖典「クルアーン」の思想 イスラームの世界観』、2004、「第3章 『天の書』とクルアーン」

大川玲子、『イスラームにおける運命と啓示 - クルアーン解釈書に見られる「天の書」概念をめぐって -』、2009

 また

Toufy Fahd, “La naissance du monde selon l'Islam”, La naissance du monde. Sources orientales Ⅰ, 1959
 中の
 pp.243-249:”Les choses créées avant les cieux et la terre”から pp.244-245:”La Tablette et la Plume”

Heinz Halm, Kosmologie und Heilslehre der frühen Ismāʻīlīya. Eine Studie zur islamischen Gnosis, 1978, pp.38-52 : "Der Thron und die Buchstaben"

Anton M. Heinen, Islamic Cosmology. A Study of as-Suyūṭī's al-Hayʾa as-sanīya fi l-hayʾa as-sunnīya, 1982, pp.81-85, 135-137, 192-196;それぞれ"Tablet and stylus"についての歴史的分析、本文、註釈

 なども参照


シュタイナー『アーカーシャ年代記より』1976/1978

 でおなじみの〈アーカーシャ年代記ないし記録〉も同様の発想によるものでしょうし、事によったら『2001年宇宙の旅』(1968)に登場する〈モノリス〉も同じ系統のイメージと見なせるかもしれません。

 ちなみに〈ジヤーンないしはジャーンの書〉なるイメージと併せて、ブラヴァツキーの聖典論について、

H.P.ブラヴァツキー、『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論[上]』、1989、「序論」を参照。


 他方、上掲ホッケの『文学におけるマニエリスム』(1977)の第1部第4章「組み合わせ術(アルス・コンビナトリア)/」および第5章「魔術的詭弁(ソフィスム・マジック)」の邦訳が、先行して『パイデイア』、no.10、1971.6.15:「特集 シンボル・錬金術」に掲載された時のタイトルは、「アルス・コンビナトリア マラルメの〈超-書物〉をめぐって」でした。〈本〉といえばマラルメ、〈図書館〉といえばボルヘスといったところでしょうか。とりあえず、

E.R.クルツィウス、南大路振一・岸本通夫・中村善也訳、『ヨーロッパ文学とラテン中世』、みすず書房、1971、「第16章 象徴としての書物」
比喩に関するゲーテの論/ギリシア/ローマ/聖書/中世初期/中世盛期/自然という書物/ダンテ/シェイクスピア/西と東
原著は Ernst Robert Curtius, Europäische Literatur und lateinisches Mittelalter, 1948/1954

 →「怪奇城の図書室」の頁で少し触れました

山口昌男、『本の神話学』(中公文庫 M60)、中央公論社、1977、「もう一つのルネサンス」
蒐集家の使命/世界の本とルネサンス/ルネサンスと本の世界/カバラの伝統 - ゲーテ、フロイト、ボルヘス/知の越境者
 1971年刊本の文庫化

 他の章は;
20世紀後半の知的起源/ユダヤ人の知的熱情/モーツァルトと「第三世界」/「社会科学」としての芸能/補遺 物語作者たち//解説(大江健三郎)など、
260ページ。

 美術史をかじった者にとっては、「20世紀後半の知的起源」において、ワールブルク文庫が取りあげられている点が感慨深いものでした(1971年時点で)。
 ヴァールブルクについては→こちら(「アメリカ大陸など」の頁の「i. 北アメリカなど」)や、そちら(「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」)、またあちら(本頁上掲の「記憶術・結合術など」の項)などを参照
 同じ著者による→ここを参照:「アフリカ」の頁の「i. 概観など


横山正、「本と建築」、『透視画法の眼 ルネサンス・イタリアと日本の空間』、1977、pp.56-63

亀山郁夫、『甦えるフレーブニコフ』、1989、「第18章 一冊の書物」

原克、『書物の図像学 炎上する図書館・亀裂のはしる書き物机・空っぽのインク壺』、三元社、1993
序文//
炎上する図書館、あるいはふたりの凡庸な筆耕生……知の図像としての書物と図書館のイメージの変遷;古文書が発掘され、印刷に回されることからすべてが始まる - エーコ/書物の書物が聖俗革命に巻き込まれるの段 - クルツィウス、ダンテ/宇宙は膨大な書庫になり、読者の巡歴が企画される - 百科全書派/「整理のゆきとどいた完ぺきな図書館」 - ノヴァーリス/旅先で正体不明の本を見つけた時のためのマニュアルあります - ラッハマン/ふたりの凡庸な筆耕生のアナーキズムが、図書館を揺るがす - フローベール/悪夢の焚書、狂気の文献学者か正気のダダイストか - カネッティ/ゆがむ図書館、あるいは盗まれる蔵書 - ボルヘス、アルノ・シュミット//
習字教本と処刑装置……近代的著者像の政治解剖学;適切な光線、それは左側からくる光線がもっともよい - 『小学生むけ発生学的筆記法詳述』/大きな袖口、あるいはペンをもつ手 - ホフマン/とりとめのない思い、あるいは下手くそな字 - 『カロ風幻想作品集』/判読できない判決文、あるいはあらかじめ下された死刑判決 - カフカ//
書き物机とインク壺、あるいは蹉跌する文具たち……『審判』に見る、近代的著者の空間にはしる亀裂;侵犯される書き物机、揺れる近代的著者像の中心的トポス - ゲーテ『ドイツ避難民閑談集』/とまってしまう鉛筆、あるいは侵犯される執務室 - カフカ/空っぽのインク壺 - ニーチェ『オイフォリオン断片』/メディアの筆写生たち、あるいは突然鳴る電話 - オットー・ブルクハーゲン『実践ハンドブック』//
権力装置としての室内装飾……『変身』に見る、権力闘争と、文字の体系;室内装飾、あるいは閉じ込めの空間 - カフカ/見えない窓、あるいはあらかじめうばわれた視線/鳴らない目覚時計/家具、あるいは倒錯した身振り/花模様の壁紙/居間、あるいは明かりのついたテーブル/薄く開けた扉、あるいはキメ細かい世話/消える扉、あるいは完成する監視体制/欠勤届、あるいはファイルされる記憶/郊外への散歩、あるいは外部のシミュレーション - ベンヤミン//
結びにかえて、など、
284ページ。


 「西欧近代の文学テキストにおける〈書物〉の隠喩の系譜をたどる旅にでかけてみよう。それが本書のねらいである。〈書かれた知〉の隠喩としての書物の図像を、近代から現代にいたるまで、たどってみようというのである。その際の水先案内人は、ヴァルター・ベンヤミンの『一方通行路』であり、とりあえずの目的地はフランツ・カフカのテキスト群である」
 とのこと(p.9)。


清水徹、『書物について その形而下学と形而上学』、岩波書店、2001
書物の考古学;書物の誕生から確立へ/象徴としての書物/コデックス革命/《書物》の達成//
近代性と書物;グーテンベルク革命/図書館をめぐる
想像界(イマジネール -バベルの影 -/《書物》と文学的絶対 - 『アテネーウム』誌グループ -/バベルの影のもとに//
マラルメと《書物》//
バベルのあとなど、
392ページ。


秋山学、『教父と古典解釈 - 予型論の射程 -』、創文社、2001、pp.23-48:第1部第1章「地中海世界における書物史 - カイサレイアのアレタスまでの文献史」
古代書物の外的状況/寓意的解釈の展開 - ヘレニズム期/初期キリスト教時代における書物と書物観/東西教父たちの書物観/ビザンティン時代における書物観/フォティオスと『図書総覧』/カイサレイアのアレタスの蔵書内容/愛書家としてのアレタス/結 - アレタスの地平の解明に向けて

ハンス・.ブルーメンベルク、山本尤・伊藤秀一訳、『世界の読解可能性』(叢書・ウニベルシタス 831)、法政大学出版局、2005
原著は
Hans Blumenberg, Das Lesbarkeit der Welt, 1981
本書について/経験可能な全体のためのメタファー/書物世界と世界書物/書物としての天上、天上の書物/字母の比喩/啓示の書物と自然という書物、後者の台頭と遅滞/世界という書物の読者としての文盲の俗人/神の二つの書物は一致する/読解可能性の不均衡/人間世界の暗号化と解読/世界の年代記、あるいは世界の公式/ロビンソン世界対ニュートン世界/十九世紀への接近における諸傾向/ハンブルクの自然という書物とケーニヒスベルクでのその反映/額のしるし、天上のしるし/「どのようにして自然という書物が私にとって読解可能になるのか…」/「世界はロマン化されねばならない」/絶対的書物の理念/自然という書物のような自然についての書物/空虚な世界書物/夢解釈の準備/夢を読解可能にする/遺伝子コードとその読者など、
512ページ。


 →「怪奇城の図書室」の頁で少し触れました
 同じ著者による→こちらも参照:「通史、事典など」の頁の「光について」の項


アルベルト・マングェル、原田範行訳、『読書の歴史 あるいは読者の歴史』、柏書房、1999
原著は Alberto Manguel, A History of Reading, 1996
読書の意味 - 訳者はしがきに代えて//
最後のページ//
読書すること;陰影を読む/黙読する人々/記憶の書/文字を読む術/失われた第一ページ/絵を読む/読み聞かせ/書物の形態/一人で本を読むこと/読書の隠喩//
読者の力;起源/宇宙を創る人々/未来を読む/象徴的な読者/壁に囲まれた読書/書物泥棒/朗読者としての作者/読者としての翻訳者/禁じられた読書/書物馬鹿//
見返しのページ//
訳者あとがきなど、
396ページ。


アルベルト・マングェル、野中邦子訳、『図書館 愛書家の楽園』、白水社、2008
原著は Alberto Manguel, Library at Night, 2006
はしがき/神話としての図書館/秩序としての図書館/空間としての図書館/権力としての図書館/影の図書館/形体としての図書館/偶然の図書館/仕事場としての書斎/心のあり方としての図書館/孤島の図書館/生き延びた本たち/忘れられた本たち/空想図書館/図書館のアイデンティティ/帰る場所としての図書館/終わりに、など、
342ページ。

 →こちらでも少し触れています:ブレー《王立図書館拡張のために計画された新しいホールの眺め》の頁の「Cf.
 同じ著者による→そちらを参照:「通史、事典など」の頁の「x. 事典類など


明治大学人文科学研究所編、『書物としての宇宙 明治大学公開文化講座』、風間書房、2014
松岡正剛「ブックウェアの仮説-コンテクストの中のテクスト-」/鹿島茂「コレクション-蒐められた本の宇宙-」/安藤礼二「祝祭の書物・書物の祝祭-平田篤胤、折口信夫とポーとマラルメ-」など、
182ページ。
講演録、総合司会:高山宏。


 安藤礼二による→こちらを参照:「日本 Ⅱ」の頁の「xi. 近代など

ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル、松田和也訳、『ヴォイニッチ写本の謎』、青土社、2006
原著は Gerry Kennedy and Rob Churchill, The Voynich Manuscript. The Unsolved Riddle of an Extraordinary Book Which Has Defied Interpretation for Centuries, 2004
まえがき/醜いアヒルの子/ロジャー・ベーコンの暗号/秘術師、透視家、エジプト学者/暗号の迷宮 その1/暗号の迷宮 その2/天界の快楽の園/聖別された意識/偽作説今昔/正体見たりシュレーディンガーなど、
394ページ。


安形輝、安形麻理、「文書クラスタリングによる未解読文書の解読可能性の判定 - ヴォイニッチ写本の事例」、Library and information science、no.61、2009、pp.1-23 [ < KOARA 慶應義塾大学学術情報リポジトリ

市川裕・鎌田繁編、『聖典と人間』(宝積比較宗教・文化叢書 6)、大明堂、1998
聖典と社会の相関;叡尊の思想 - 西大寺叡尊像納入文書などを使って -(松尾剛次)/近代日本の新宗教における信仰形成と「教え」 - 金光教の布教者、湯川安太郎の場合 -(福嶋信吉)/禮学の伝統におけるテキストを生成する場 - 魏晋南北朝時代における祖先祭祀指南書群について -(池澤優)/『バガヴァッド・ギーター』とガンディー - 神が戦士に戦いを促す「ヒンドゥ聖典」を非暴力の使徒はいかに読んだか -(近藤光博)/ユダヤ教聖書解釈の宗教学的意義 - 神的強制と自発的意志の葛藤 -(市川裕)/プリミティブ・メソディストと民衆的福音主義の展開(山中弘)/創出される聖典 - O.S.ロイターの『エッダの謎』の解釈学 -(深澤英隆)//
聖典解釈の思想;道教における聖典 - その多様性と被規定姓 -(鈴木健郎)/バラモン伝承における聖典 - ヴェーダ観念の拡張と空洞化 -(永ノ尾信悟)/イスラームの啓示観 - ファフルッディーン・ラーズィーの啓示(ワフイ)観 -(大川玲子)/不可知界への参入 - モッラー・サドラーの聖典解釈論 -(鎌田繁)/「読むこと」から「言うこと」へ - 十六世紀スペインの神秘家たちの雅歌解釈 -(鶴岡賀雄)/聖典という問題系 - 「信仰と理性の相克」の一断面 -(飯田篤司)など、
280ページ。


 挙げられた本の選択基準にいささか困惑させられるブック・ガイドおよび事典各1件;

『総解説 世界の奇書』、自由国民社、1991
奇書による大世界巡り//
鏡が映す本、が私を映す 「奇書」の近代(高山宏)//
神話学/博物誌と旅行記/聖書学/偽書・暗号書/奇想文学/擬似科学とオカルト学・予言学/悪魔学/性文学/その他の奇書など、
336ページ。

 →こちら(キルヒャー『支那図説』/「バロックなど(17世紀)」の頁の「キルヒャー」の項)や、そちら(ファーブル・ドリヴェ『哲学的人類史』/「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」の頁の「ファーブル・ドリヴェ」の項)にも挙げておきます

『ユリイカ』、no.806、vol.55-9、2023.7、pp.41-309:「特集 奇書の世界」
対談;奇書は(人間にしか)書けない(円城塔×酉島伝法)//
綺譚;綺書周游 - 一名、駄本地獄 〈人外魔境の巻〉(稲生平太郎)/奇書もどき(春日武彦)//
驚異の好奇心;Curiouser and Curiouser 奇書のマニエリスム(高山宏)/架空珍妙動物学を学ぶための奇書コレクション(倉谷滋)/形而上学の逸楽境 哲学史における奇書(佐々木雄大)/変なこと書く人 奇妙と驚異のSF小説史(橋本輝幸)//
奇人(から)の呼び声;わかるものわからないもの(樺山三英)/イルでファンキーな宇宙世紀を讃える(南木義隆)//
稀な成り行き;三大奇書の外側から(小松史生子)/ミステリにおける奇書の再考 内在する〈狂い〉について(鈴木優作)/奇書としての『死霊』 埴谷雄高と澁澤龍彦のデモノロギイ(藤井貴志)/大西巨人『神聖喜劇』 論理のネットワークを駆けめぐる数奇な旅(橋本あゆみ)//
座談会;特殊版元探訪 事例・国書刊行会のエコシステム(竹中朗×山本貴光×吉川浩満)//
運動としての奇書;「奇書」だけが癒す渇き 戦前昭和における〝変態趣味の大家〟と(大尾侑子)/囚われの奇書 あるポーランド知識人の自己検閲と文学的欠乏(中井杏奈)/怪文書のススメ(逆巻しとね)/「奇書」としての『家畜人ヤプー』(河原梓水)//
レファレンスとサジェスト;奇書の定義と入手法 列挙書誌から考える(小林昌樹)/「奇書」に寄りつく解釈と解説(三崎律日)//
書物の奇異と奇跡;奇なる書の道(宮紀子)/奇術としての製本 『四回の講座』(M.F.作)(野村悠里)/書物としての奇書/オブジェとしての書物(山中剛史)/本とは何か 奇書、あるいは滝口修造の〈本〉(山腰亮介)//
奇書に誘われて;中華圏の奇書をめぐる(立原透耶)/幻臭と幻獣(川野芽生)//
奇書と奇書でないもの;神器と魔法の古代書(川村悠人)/聖女の奇書 ハッケボルンのメヒティルト『特別な恩寵の書』と西洋中世の神学(三浦麻美)/世紀転換期ドイツの一知識人が見た地獄あるいはユートピア シュレーバーの『ある神経病者の回想録』をめぐって(熊谷哲哉)/『フィネガンズ・ウェイク』のABCD(今関裕太)/バベルの図書館における奇書 ボルヘス以降のミクロコスモス(棚瀬あずさ)//
伝導の道行き;MU BOOKS GUIDE - 出張版 今、日本語で読める「奇書」11選(星野太朗)


山北篤監修、『幻想図書事典』(Truth In Fantasy 事典シリーズ 10)、新紀元社、2008
あいうえお順、
536ページ。

 架空の本の事典というわけではなく、英語題は
Dictionary of Fantasy and Glamour Books となっています。魔道書の類が「この事典の主要項目」で、その他
「最古の書物といえる時代の本」の「有名どころ」、
「宗教書も、この事典の主要項目の一つ」
で、
「それぞれの宗教の経典を、面白そうなもの、創作に登場しそうなものから紹介」、
「創作幻想小説や、奇書の類も、面白そうなものは極力入れるようにしている。とはいえ、あまりに最近の本は採用せず、ある程度年月が経って古典・基本図書となったものから選択」、
「多くの創作の元となった本、多くの創作に引用される本もいくらか取り入れ」
ているとのこと(pp.4-5)。


 →こちらにも挙げておきます:「魔術、神秘学、隠秘学など」の頁


 ブック・ガイドとして、また;

藤巻一保・岡田明憲、『決定版 東洋の魔術書』、2012

ヘイズ中村、『決定版 西洋の魔術書』、2012

久米晶文、『図説 異端の宗教書』、2012

 奇書、魔法書と来て欠かせないのが、〈偽書〉となるでしょうか。日本の中世のところで;

小川豊生、「偽書のトポス - 中世における《本》の幻像 -」、1998

 (上掲の小川豊生、『中世日本の神話・文字・身体』、2014、第Ⅴ部第2章として改稿。また同Ⅴ部の他の章も参照

佐藤弘夫、『偽書の精神史 神仏・異界と交感する中世』、2002

錦仁・小川豊生・伊藤聡編、『「偽書」の生成 中世的思考と表現』、2003

 その他を挙げましたが、「日本 Ⅱ」中の「X. いわゆる古史古伝・偽史、神代文字など」では;

久野俊彦・時枝務編、『偽文書学入門』、2004

小澤実編、『近代日本の偽史言説 歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』、勉誠出版、2017

 などなどをはじめとして、あの項に載せたもの全てが偽書に関するものといってよいのでしょう。

『ユリイカ』、52巻15号(通巻767号)、2020.12、pp.35-365:「特集 偽書の世界 - ディオニュシオス文書、ヴォイニッチ写本から神代文字、椿井文書まで」
[対談]文書をめぐる冒険 - 古文書・偽文書・公文書(馬部隆弘・小澤実)/
偽書跳梁の八年間 安倍政権がとりもどそうとした「日本」(原田実)/歴史学界と偽書 『甲陽軍鑑』を事例に(呉座勇一)/
偽書と引用/偽書と憑依 漢文仏典、中世日本の「宗教」文献の中で(彌永信美)/予言を読む 中世日本の未来はいかに訪れたか・〈聖徳太子未来記〉を中心に(小峯和明)/秘伝の行く末 歌学秘伝における思想の伝播と権威のメカニズム(梅田径)/「炎上」する江戸の言説空間 宣長・秋成と藤貞幹の「偽書」(一戸渉)/神代文字の時空間 古代への幻想と国粋主義者たち(吉田唯)/
ニセ偽書事始(乗代雄介)/
偽書考 あるいは欲望の実体化について(横山茂雄)/偽書の条件 本の生態誌という見方(山本貴光)/偽書と書誌学(安形麻理)/偽書の思想史 ルネサンスからポストモダンまで(大橋完太郎)/
アレの話など(中島悦子)/
ディオニュシオス・アレオパギテースの勝利 ヨーロッパにおける新プラトン主義の残存と神秘主義の興隆(伊藤博明)/ある魔術的偽書のつくり方 アルテフィオの予言の書「過去・現在・未来について」(大橋喜之)/借景 あるグノーシス主義者(鈴木創士)/偽アリストテレスの『宇宙論』、真作と偽書のはざまで(アダム・タカハシ)/文字を残してはならない、と彼は言った ピュタゴラス教偽書と死者としての文学(黒川巧)/
ヴァンパイアのいる世界(鍛治靖子)/
帝国の遺文、異聞の帝国(宮紀子)/歴史の真正性をめぐる論争のなかの『書経』(新居洋子)/『源氏物語』と異本 校訂と真贋をめぐって(越野優子)/偽書さまさま 詩人ゲーテの周辺から(石原あえか)/獄門晒し首と斬首処刑人と密偵(野崎六助)/
トンデモと学術の狭間から(小澤祥子)/
修辞と予型、ほんとうの物語 古代末期地中海世界における偽書的思考(中西恭子)/アンニウスがみた起源の夢 16世紀フランスにおける民族神話の流行と国語意識の芽生え(久保田静香)/「失われた大陸」と「幻の偽書」(庄子大亮)/〈正統〉と〈神聖〉の在りか 戦後天皇(制)をめぐる〈偽〉なるものの想像力(茂木謙之介)/
文学作品における架空の書物 スタニスワフ・レムの
偽書集(アポクリファ)(芝田文乃)/
言の葉に隠れる偽りと真こと(串田純一)/ウンベルト・エーコと偽書(橋本勝雄)/言語学者は何語の夢をみるのか(小野文)/非人間的な文字列 譁・■怜喧縺代・螟夊・然主義的概念化(■ 凵の左辺が下に伸びる)(廣田龍平)/
交換日記(樋口恭介)/
パラレルワールドへと進化した偽史 ファクトとフィクションのはざまに(井辻朱美)/神話や聖典とフィクション作品に違いはあるのか? 信仰における「偽書」とは(谷内悠)/薔薇十字文書からゴシック文学へ ブルワー=リットン『ザノーニ』における薔薇十字団と魔術(田中千惠子)/薔薇十字、ボルヘス、インターネット(木澤佐登志)


 なお宇宙論がらみとは言いかねるものの、やはり挙げておきましょう;

種村季弘、『偽書作家列伝』(学研M文庫 C-た 12-1)、学習研究社、2001
『ハレスはまた来る 偽書作家列伝』(1992)の改訂文庫化
プロローグ 千の仮面舞踏会//
Haresu はまた来る エーゴン・フリーデル/サタンの偽者 ヴィルヘルム・ハウフ/蚤と才女 ゲーテ偽作とベッティーナ・フォン・アルニム/天使と悪党の間 トマス・チャタトン/シェイクスピアを作る少年 W.H.アイアランド/偽温泉誌漫遊記 ハインリヒ・ホフマン//
フランス万歳 ヴラン・ドニ=リュカ vs. M.シャスル/ある錬紙術師の冒険 コンスタンティン・シモニデス/歴史を偽造する男 フリードリヒ・ヴァーゲンフェルト/王妃の真筆 マリー=アントワネットをめぐる偽書簡/寸借詐欺師キリスト マリー・ルイーゼ・ブラウン/二十世紀の錬金術師 フランツ・タウゼント vs. ハワード・ヒューズ/肖像ノイローゼ症候群 ディプロマ詐欺師たち//
ボヘミアの薔薇 ケーニギンホーフ手稿/贋物創始 ウラ・リンダ年代記/中世貸します コンスタンティヌス大帝贈与/偽書検閲官の偽書 ヴィテルボのアンニウス//
エピローグ 顔のない偽書作家など、
320ページ。


 同じ著者による→こちらを参照:「通史、事典など」の頁の「iii. 地誌・地学・地図、地球空洞説など

エドワード・ブルック=ヒッチング、髙作自子訳、『愛書狂の本棚 異能と夢想が生んだ奇書・偽書・稀覯書』、日経ナショナルジオグラフィック社、2022
原著は Edward Brooke-Hitching, The Madman's Library. Yhe Strangest Books, Manuscripts and Other Literary Curiosities from History, 2020
はじめに;これまでに存在した本の数/最上級の奇書の棚/書物の海から奇書を探す//
「本」ではない本 本は紙でできているとは限らない;骨と粘土の古代の本/ミイラを包んでいた書物/呪文を記した鉛板/服にリサイクルされた手書きの書/東洋で印刷が始まる/インカ帝国の紐文字/天体観測の本/木の本コレクション/戦争の記録/壊す本、壊される本//
血肉の書 生き物が素材の本;「紙」が登場する前/
  人皮装丁本 おぞましい本はなぜ作られたのか;人間の皮をなめす/ハイヒールからズボンまで/殺人犯の皮膚/死体泥棒の横行/米国の人皮装丁本事情/思い出を残すために//
  血で書かれた書物 魂が込められたインク;水からの血で写経/孤島で得たペンギンの血/サダム・フセインの血//
暗号の書 暗号を使って伝えたかったことは何か;文字を隠す方法/文字や単語を置き換える/魅惑のヴォイニッチ手稿/オカルトや秘密結社/宝探しの暗号書/現代のお宝暗号騒動//
偽りの書 人はなぜ欺くために本を書くのか;誰かをだますための本/謎の「台湾人」の偽自伝/風刺作家スウィフトの偽書/偽の古書オークション/新聞社のいたずら/嘆きが生んだ偽航海記/幻のロシア人文豪/裁判にまで発展した偽詩集/ベストセラーのポルノ小説/ハワード・ヒューズの伝記/ヒトラーの偽日記//
驚異の収集本 何を集めようと本の世界では自由;辞書や事典を作る/プリニウスらの動物寓話集/俗説を検証するも/楽しい海の生き物図鑑/クック船長にまつわる布の本/卑猥な言葉を集めた辞書/恐ろしき学府の崩壊/ひどくて最高の会話入門書//
神秘の書 いつの世も人は「魔」に取り憑かれる;古代エジプトの「魔術書」/キリスト教と魔導書/魔導書の名作『ピカトリクス』と『ヘプタメロン』/反対勢力の誤算/有名な『ソイガの書』/様々な悪霊たち/死者が書いた本/現代も続くオカルト本//
宗教にまつわる奇書 正史ではわからない真面目で愉快な宗教本;魚の腹から見つかった本/結婚させられた本/身に付けて守る本/誤記は楽しみの宝庫/印刷された聖書の誤字/地獄図の戒め/地獄の魔王とイエスの対決/タイ仏教のサムット・コーイ/福音書の記憶術/修道院のひげ騒動/アダムの言語はスウェーデン語/日本で生涯を送ったキリスト/地獄の魅力は止まらない//
科学の奇書 科学の進歩を裏側から見ると;血液の「
(すす)」が毛になる/奇想天外な治療本/尿預言者の診断/おねしょにネズミの死骸/錬金術の書/観察に基づいた解剖書/虫を吐く少年、ウサギを産んだ女/ミクロの世界とマクロの世界/マインド・コントロールする装置/神が創造した地球の年齢/動物や植物にテレパシーは通じるか/倫理のない科学を防ぐ//
並外れたスケールの本 本のサイズや長さに作者の執着が見える;最も短い詩//
  小人国リリパットの本 より精巧な技への挑戦;小人郷の小さな本/世界の「豆本」/小さな宗教書/精巧な技術/ミクロの世界に突入する//
  巨人国ブロディンナグの本 長い小説、巨大な本;なぜ長い本を書くのか/多作の新興宗教創設者/人知れず書かれた長い小説/長い長い日記/悪魔の助けで書いた巨大本/20世紀の巨大な本//
変わった書名 タイトルはエンターテインメント//
主な参考文献など、
256ページ。

 同じ著者による→こちらを参照;『世界をまどわせた地図』(2017)/「通史、事典など」の頁の「iii. 地学・地誌・地図、地球空洞説など


 偽書に続くべきは実在しない本でしょうか(上掲の 小川豊生「偽書のトポス - 中世における《本》の幻像 -」(1998)も参照)。こちらも『ネクロノミコン』(→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」。また下のおまけの→そちらも参照:「本を巡るフィクション」の項)は言わずもがな、→あちら(「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」の冒頭)で触れた『摩尼宝楼閣一切瑜伽瑜祇経』や→ここ(「仏教 Ⅱ」の頁の「おまけ」)で挙げた『無嘆法経典』などなどを始めとして枚挙に暇がありますまい(追補:「『Meiga を探せ!』より・他」中の『虹男』(1949)の頁でも触れました→そこ)。とまれ上の種村『偽書作家列伝』で「架空書評」の「きわめつけ」とされたのが(p.34);

スタニスワフ・レム、沼野充義・工藤幸雄・長谷見一雄訳、『完全な真空』、1989

 あわせて架空の本の序文集;

スタニスワフ・レム、長谷見一雄・沼野充義・西成彦訳、『虚数』、1998

 さんざんあちこちに出てくるので、やはり挙げておきましょう;

マラルメの『ディヴァガシオン Divagations 』(1897)中の「書物はといえば Quant au livre 」中の「書物、精神の楽器 Le Livre, Instrument spirituel 」(松室三郎訳)、『マラルメ全集 Ⅱ ディヴァガシオン 他』、筑摩書房、1989、pp.263-269

 その最初の断章だか段落だかが、

「一つの提案が私から発せられて - あるいは私への讃辞において、あるいはまた非難しようとして、あのようにも、様々に、引用されたのだったが - これを私は、以下にひしめき合うことになる他の提案とともに、わが身に取り戻す - それは大略つぎのような主張である、すなわち、この世界において、すべては、一巻の書物に帰着するために存在する」

 というものなのでした(p.263)。
 原文は;


Une proposition qui émane de moi — si, diversement, citée à mon éloge ou par blâme — je la revendique avec celles qui se presseront ici — sommaire veut, que tout, au monde, existe pour aboutir à un livre.
 (Wikisource; Stéphane Mallarmé, Divagations (1897) / "Le Livre, Instrument spirituel"
より→こちら)


 本や図書室などについて、以上の文献、それに以下の「おまけ」で挙げる諸資料も含めて、→「怪奇城の図書室」の頁も参照

おまけ

 文字と絵などについて;

江上綏、『葦手絵とその周辺 日本の美術 478』、至文堂、2006.3
「葦手」の語の範囲/西本願寺36人家集/久能寺経/葦手朗詠集/厳島神社の歌絵檜扇/平家納経/金剛寺の宝篋印陀羅尼経/冷泉家時雨亭文庫の元輔集/平安・鎌倉移行期の葦手絵下絵/付論 やまと絵と葦手絵など、
98ページ。


『文字絵と絵文字の系譜』展図録、渋谷区立松濤美術館、1996
工芸にみる文字の意匠 - 漆芸品を中心として -(小松大秀)/江戸時代の文字遊び(稲垣進一)/大小暦略説(大久保純一)//
図版;文字と絵/文字絵/絵文字/絵暦//
文字絵と絵文字の系譜 - 作品解説を織り込んで -(矢島新)など、
136ページ。


『書くことと描くこと 日本的なるもの』展図録、岐阜県美術館、2002
書くこと描くこと論(廣江泰孝)//
書くということ/描くということ その1/描くということ その2など、
64ページ。


『躍る文字・弾む活字 - 現代における文字世界』展図録、O美術館、1994
文字は寝そべっていない(松岡正剛)/躍る文字・弾む活字 - 現代における文字表現(天野一夫)//
浅葉克己/石川九楊/木村卓/グラハム・ウッド/幸村真佐男/徐冰/竹清仁/立花ハジメ/ネヴィル・ブロディ/ポリゴン・ピクチュアズ/ニャー・マーダウイなど、
72ページ。


『現代美術と文字』展図録、北海道立函館美術館、1996
「現代美術と文字」展の開催にあたって(柴勤)/スピリチャル・フラグメント - ニホン的精神としての文字(穂積利明)//
図版;荒川修作/石川九楊/刈谷博/白川昌生/平林薫/宮前正樹など、
84ページ。


吉川美穂、「復古大和絵派の図像 - 為恭の葦手絵、歌絵を中心に」、『美術フォーラム21』、vlo.41、2020.5:「特集 図像の誕生と伝播」、pp.68-73
復古大和絵派における古画研究/冷泉為恭の葦手絵、歌絵/おわりに

岩崎均史、「判じ絵の図像」、同上、pp.74-78
はじめに/判じ絵とは/判じ絵の絵画的不条理/系統の具体例/「携帯絵文字」と「ピクトグラム」/結論/おわりに

Catalogue de l'exposition Croisement de signe, L'Institut du Monde Arbe, Paris, 1989
『記号の交差』展図録
諸干渉
(Abdelkébir Khatibi)/書と諸記号をめぐる所見と小話(Gilbert Lascault)/現代の西欧絵画における書(Jeaan-Clarence Lambert)/アラブ世界における書道と近代美術(Jabra Ibrahim Jabra)/痕跡、記号(Abdelwahab Meddeb)/浸透と線(峯村敏明)//
Ben BellaMahdjoub Ben Bella の絵画(Gérard Dirozoi)//
Degottex記号の通過(Gneviève Breerette)/覚書(Jean Degottex)//
Gysin通過点 - Gysin の芸術(William S. Burroughs)/覚書Brion Gysin)//
Shakir Hassan Al-Said痕跡を求めて……(Souhail Sami Nadir)/覚書(Shakir Hassan Al-Said)//
李禹煥;風の翼の上に描く(Pierre Restany)/覚書(李禹煥)//
分かつ最初の線……
(François Cheng)など、
150ページ。


 本の形をした美術作品といえば、西村陽平、村岡三郎とかキーファーとかが思い浮かび、他にもいろいろろとあるでしょうが、とりあえず目にとまった資料として;

中川素子、『本の美術誌 聖書からマルチメディアまで』、工作舎、1995
一冊の本/複数の本/人間の時代/本の虫への皮肉/ヴァニタス/読書する女/学問の道具/アートワークとしての本/記憶と創造力/大量消費生産物/滅亡のしるし/メディア/未来など、
222ページ。


山本和弘、「メディアとしてのアーティスト・ブック フルクサスからデジ・ブックまで」、『美術手帖』、no.745、1997.8:「特集 アートブックの魅力」、pp.94-105
アナ/デジ論争/近代芸術としてのアーティスト・ブック/本の脱構築としてのアーティスト・ブック/再びアナ/デジ論争

『本と美術 20世紀の挿絵本からアーティスト・ブックまで』展図録、徳島県立近代美術館、2002
本と美術の競演 - はじめに//
カタログ;芸術家と本/アヴァンギャルドの時代/多様な戦後/60年代以降 アーティスツ・ブックスの時代/80年代以降//
今そこにある本-大竹伸郎、大久保英治、藤本由起夫(友井伸一)/主要参考文献など、
172ページ。


中川素子+坂本満編、『ブック・アートの世界 絵本からインスタレーションまで』、水声社、2006
共同の実験室(田中友子)/磁場のマティエール(山田志麻子)/記憶の函(中川素子)/オブジェの夢想(森田一)/越境の扉(中川素子)/「美術(アート)」のなかの本/「本」のなかの美術(アート)(坂本満)など、
270ページ。


森田一、「アートとしての本を見る/考える」、REAR、no.32、2014.8、pp.81-84

 西村陽平の本を主題にした作品については

『彫刻を聞き、土を語らせる - 西村陽平展』図録、愛知県陶磁資料館、2012

 に何点も掲載されています。その内の1点については

作品解説、あるいは幕間に潜りこもう!」、『ひろがるアート展~現代美術入門篇~図録、2010.10 [ < 三重県立美術館のサイト

 で記したことがあります(cat.no.19)。

 村岡三郎の本状作品については;

『村岡三郎作品集』、カサハラ画廊、1991、pp.24-25、no.30:《アイアン・ブック》、1986

Oxygen Saburo Muraoka, KENJI TAKI GALLERY, 1994, pp.60-61

『村岡三郎展 熱の彫刻 - 物質と生命の根源を求めて』図録、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、1997-1998、pp.34-39、82:no.6

 キーファーの本状作品については;

多木浩二、『シジフォスの笑い アンセルム・キーファーの芸術』、1997、「第6章 本の文明」
媒体としての本/主題と形式の探求/本としての形式

高木茂男、『Play Puzzle Part 3 パズルの百科』、平凡社、1986、pp.115-162:「3 本の遊び」
動く本/とび出す絵本/かくし絵/3-D絵本/豆本/ゆがみ絵/切り抜く絵本/さかさま絵本/ゲーム絵本/実物つき推理小説/アドベンチャー・ゲームブック/点だけの本

Bibliomania. Das Buch in der Kunst, Kunstmuseum Villa Zanders, Bergisch Gladbach, Deutschland, 2022
『愛書狂 芸術における書物』
前書き(ペトラ・エルシュレーゲル)/書物の意味と地位についての幾ばくかの思考(ヴィオラ・イルデブラント=シャート)/一冊の本がどうだというのか - 書物の世界に対する芸術家的な反応(ペトラ・エルシュレーゲル)/想像空間としての書物(ザビーネ・エルザ・ミュラー)/図書館 - 時間と空間に渡された橋(ピア・ジモン)など、
208ページ。


 図書館のイメージとしては、後出のブレーなどの他、

空想の建築 - ピラネージから野又穫へ -展』図録、町田市立国際版画美術館、2013

 で知ったのですが、フランスの版画家エリック・デマジエールに《バベルの図書館》(1998)の連作があるとのことです(pp.108-113 / cat.nos.87-92、p.43、p.98)。
 また

Catalogue de l'exposition Érik Desmazières. Imaginary places, Musée Jenisch Vevey & 5 Continents, 2007, pp.109-124 : "Libraries"

中野裕介/パラモデル、『かなたをよむ:海と空のあいだのP』、P出版、2024

 宇城市不知火美術館・図書館で2022/8/13~10/15に開催された展覧会のカタログ

朴株顯、「李亨禄筆《冊架図》における西洋画法の受容 - 遠近法と陰影法を手掛かりに -」、『美術史』、185号、vol.LXVIII no.1、2018.10、pp.153-169
現存最古作・張漢宗筆《冊架図》の分析;形式/モチーフ/遠近法/陰影法//
李亨禄筆《冊架図》六点の分析;文献/現存作品/遠近法/陰影法//
冊架画の設置場所と制作目的


 冊架画 chaekkado, chaegkado は朝鮮王朝で18世紀後半以降に記録や作例が見出されるというジャンルで、
「書籍や文房具、陶磁器、花、果物などを並べた棚を西洋画法によって描く屛風形式の絵画のことで、管見の限り、現在三六点が伝わっている」
 とのこと(p.153)、また
「冊架画より広い概念として、冊巨里(チェッコリ)がある。冊巨里とは、書籍や文房具、陶磁器、花、果物などを描く屛風もしくは掛軸のことで、器物が置かれる場所によって、三種類に分けられる。すなわち、器物を本棚に収納した状態で描くものを本棚型、器物を床に分散させて描くものを床置き型、器物をテーブル上に積み重ねて描くものをテーブル型と呼び、それぞれ四五点、三〇余点、数百点が伝わっている。本論で扱う冊架画は、本棚型に含まれるものである」(p.167註3)。
 とまれ論中で挙げられていたのが(p.167註6);


Edited by Byungmo Chung and Sunglim Kim, Catalogue of the exhibition Chaekgeori. The Power and Pleasure of Posessions in Korean Painted Screens, Charles B. Wang Center, Stony Brook University, Spencer Museum of Art of Kansas, The Cleveland Museum of Art, 2016-17
冊巨里(チェッコリ) 朝鮮の屛風絵における所有の力と歓び』
序 物質文化における冊巨里屛風
(Byungmo Chung and Sunglim Kim)//
ヨーロッパから朝鮮へ:絵画における蒐集物の驚異の旅
(Sunglim Kim and Jpy Kenseth)/朝鮮屛風絵における事物としての本(Kris Imants Ercums)/古代を追って:冊巨里屛風における中国青銅器(Ja Won Lee)/卓越の趣味:学者の装具の絵(Sooa McCormick)/冊巨里の神秘的な魅力、本と事物(Byungmo Chung)/冊巨里の進化:その発端と李氏朝鮮から今日にいたる展開(Jinyoung Jin)//
カタログ;nos.1~12:冊架図、nos.13~15:冊巨里、no.16:豹皮の帷の向こうの冊巨里、no.17~34:冊巨里、no.35:冊巨里と文字図など、
250ページ。


 また;

蘆戴玉、「朝鮮王朝時代の絵画『チェッコリ』についての一考察」、『立命館産業社会論集』、55巻1号、2019.2、pp.29-42 [ < 立命館学術成果リポジトリ
URI : http://hdl.handle.net/10367/12437
Permalink : http://doi.org/10.34382/00003792

『高麗美術館蔵品目録』、財団法人高麗美術館、2023、pp.99-101, 206-207 / cat.nos.120-121

鄭喜斗、「高麗美術館所蔵の『チェッカド』(冊架図)について」、『高麗美術館館報』、第129号、2024.9、pp.2-4

 上掲の

中川素子、『本の美術誌』、1995、pp.114-123:第7章「学問の道具」
李朝の文房図 - 斬新な書架の絵/絵画への知的な思考/本が奏でる夢空間/ゆるやかな教育

 ウェブ上から拾った例を二点;

張漢宗《冊架図》18世紀末    李宅均(李亨禄)《冊架図》1871以後
張漢宗《冊架図》18世紀末    李宅均(李亨禄)《冊架図》1871以後 

 * 画像をクリックすると、拡大画像とデータが表示されます
 →こちらでも挙げました:「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様」の頁。


 本棚から洋物についての歴史ということで、

ヘンリー・ペトロスキー池田栄一訳、『本棚の歴史』、白水社、2004
原著は Henry Petroski, The Book on the Bookshelf, 1999
本棚の本/巻物から冊子(コデックス)へ/保管箱(チェスト)、回廊、個人用閲覧席(キャレル)/鎖で机につながれて/書棚(プレス)/書斎の詳細/壁を背にして/本と本屋/書庫の工学/可動書架/本の取り扱いなど、
302ページ。


 「この難点は本書の第一章と最終章に著しく、個人的エピソードを羅列したところはあまりにも冗長であったため、訳者の判断でかなり刈り込んだ」とのこと(p.287)。

海野弘、『部屋の宇宙誌 インテリアの旅』、1983、pp.161-176:「バロックの図書館」

海野弘、『書斎の文化史』、TBSブリタニカ、1987
神話空間としての書斎/ギリシア人の書斎/中世の書斎/ゴチックの書斎/ルネサンスの書斎/学者と画家の書斎/バロックの書斎/ロココの書斎/19世紀の書斎/世紀末から現代へ、など、
260ページ。


 →こちら(「戸棚、三角棚、鳥籠、他」の頁)や、またそちら(ベネデット・ダ・マイアーノ《マッツォッキオ、FEDE(信仰)と綴る文字のあるインクスタンド、アストロラーベ、天球儀のある戸棚》(1474-76)の頁の「Cf.」)で挙げました
 同じ著者による→あちらも参照:「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「いろいろなど(1)」


 まだまだいろいろあるのでしょうが、ここは定番のセーヘルスとブレーで;

 セーヘルス《三冊の本》    ブレー《王立図書館拡張のために計画された新しいホールの眺め》
セーヘルス《三冊の本》    ブレー《王立図書館拡張のために計画された新しいホールの眺め》
  やはり追加しておきましょう;   クレスピ《図書館の本棚》1710-15頃
     クレスピ 《図書館の本棚》
1710-15頃

 ルネサンス期イタリアの寄木細工ことタルシーア(インタールシオ、インタルシア)では、歴史画的な主題も取りあげられますが、興味深いのは街景図、およびだまし絵風に棚を描いた作品でしょう。後者にはしばしば書物も描きこまれるので、例によってウェブ上から拾った例を二点;

ベネデット・ダ・マイアーノ《マッツォッキオ、FEDE(信仰)と綴る文字のあるインクスタンド、アストロラーベ、天球儀のある戸棚》1474-76   フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ《典礼器具、本、多面体のある戸棚》1518-23
ベネデット・ダ・マイアーノ
《マッツォッキオ、FEDE(信仰)と綴る文字のあるインクスタンド、
アストロラーベ、天球儀のある戸棚》
1474-76
 
  フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ
《典礼器具、本、多面体のある戸棚》
1518-23
 

 「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様 - 幻想絵画の周辺(仮)より」のページもご覧ください。

 上のセーヘルスもブレーも、またタルシーアや冊架画も出てこないものの、どんな風に探したのかと思うほど、西欧を中心に現代美術にいたる豊富な作例の図版を掲載、しかし選択や配列の規準がさっぱりわからないのが(この点で→こちらでも触れました:「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「vii. 建築画、街景図、紙上建築など」/『366日 絵のなかの部屋をめぐる旅』、2021);

デイヴィッド・トリッグ、赤尾秀子訳、『書物のある風景 美術で辿る本と人の物語』、創元社、2018
原著は David Trigg, Reading Art : Art for Book Lovers, 2018
352ページ。

 扉に目次、「はじめの」(9ページ)、p.342 以降の索引等以外ほとんどが図版頁で、一部の作品に解説、ところどころに本にまつわるさまざまな著作者による言葉を挙げた頁がはさまれています。

………………………

 言葉についてのフィクションというと、これもきりがないものと思われます。とりあえずここでは、既に挙げた

ブラックウッド、『人間和声』、1910

ボルヘス、「神の書跡」、1957

アーサー・C・クラーク、「90億の神の御名」、1953

R・ディレイニー、『バベル-17』、1977

 や


川又千秋、『幻詩狩り』、1984/1985

山田正紀、『ジュークボックス』、1990

 および

山田正紀、『ジャグラー』、1991/2002

神林長平、『言壺』、1994

山本弘、『時の果てのフェブラリー - 赤方偏移世界 -』、2001

 同、 「シュレディンガーのチョコパフェ」および「メデューサの呪文」、『シュレディンガーのチョコパフェ』、2008

 同、 「オルダーセンの世界」および「夢幻潜航艇」、『アリスへの決別』、2010

 などがすぐに思い浮かびますが、その他;

倉坂鬼一郎、『文字禍の館』(祥伝社文庫 く 8-1)、祥伝社、2000

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など

 と来れば;

中島敦、「文字禍」、1942

 と来ればさらに;

円城塔、『文字渦』、2018

牧野修、「インキュバス言語」、『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』、2007

伊藤計劃×円城塔、『屍者の帝国』、2012

 本をめぐるフィクションも、これまた際限なくあることでしょう。たとえばクトゥルー神話ですが、そのガイドブック類(→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」)に必ず魔術書のセクションがあることを思えば、それらの作品の少なからずが、書物を軸にしていると見なせることでしょう。「無名都市」や「狂気の山脈にて」といった〈年代記〉ものも、ある意味で歴史書を読み解くという体裁のものですが、とりわけ既に挙げた

ヘンリイ・ハーセ、「本を守護する者」、1937

 は印象的でした。また、

ヴィクター・ラヴァル、藤井光訳、『ブラック・トムのバラード』(はじめて出逢う世界のおはなし アメリカ編)、東宣出版、2019
原著は Victor Lavalle, The Ballad of Black Tom, 2016

 このお話はラヴクラフトの「レッド・フックの恐怖」(1925、邦訳は大瀧啓祐訳、『ラヴクラフト全集 5』(創元推理文庫、東京創元社、1987)など)を語り直したものなのですが、「至上のアルファベット the Supreme Alphabets 」という小道具が登場します(pp.21, 93, 122, 148)。ラップ音楽に由来するというこのイメージについては、「訳者あとがき」の pp.163-165 を参照。
 また少し下で挙げた『ナイトランド・クォータリー』、vol.20、2020.4:『バベルの図書館』に

岡和田晃、「魔術的な他者が神話を書き換える - ヴィクター・ラヴァル『ブラック・トムのバラード』」

 あり(p.157)。

 クトゥルー神話がらみでもう1点;

殊能将之、『黒い仏』(講談社 NOVELS シL-03)、講談社、2001

ひかわ玲子、『千の夜の還る処』、1998

 に登場する〈予言の書〉は、幾度となく名を挙げられながら、最後までその実体をあきらかにしませんでした。

R.O.D Read or Die』(OVA、全3巻)、2001~2002、監督:舛成孝二、原作・脚本:倉田英之

『R.O.D THE TV』、2003~2004、監督:舛成孝二、原作・脚本:倉田英之

 OVA版冒頭で描かれる主人公の生活の一齣は、本好きにとってはある意味での理想といえるかもしれません。
 →「怪奇城の図書室」の頁でも触れました


マーク・Z・ダニエレブスキー、嶋田洋一訳、『紙葉の家』、ソニーマガジンズ、2002
原著は Mark Z. Danielewski, House of Leaves, 2000

 この本では、一人称の語り手であるトルーアントが、ザンパノという死んだ老人が残した断片を整理・編集するという大枠の内側に、整理・編集された『ネイヴィッドソン記録』が配されています。その主要部分も、ヴィデオ等からなるドキュメンタリーとしての『ネイヴィッドソン記録』そのものではなくて、それについて中身を祖述したり解説するという形で綴られます。そのため解説部分では、記述の客観性を示すべく、参照した資料が註に記されることになる。トルーアントが書きこんだ註は別にして、膨大な文献が註に挙げられています。

 「脚注に引用された本もたいていは架空のものだ」(p.xx)

とトルーアントの「序文」にありますが、実在するとおぼしきものも混じっていたりする。レイアウトの都合なのでしょう、本体とは別のリーフレットに掲載された「訳者あとがき」の末尾には、参考にした訳書が挙げられていますし、出典を洗いだした論著もいかにもありそうな気もしますが、今のところ出くわせずにいます
。ほんの一部だけですが、見当のついたものをメモしておきましょう。

* 追補;と、次のウェブ・ページがありました;

 "House of Leaves: An Annotated Bibliography of Epigraph"→こちら、また→そちら [ < streemit

◇ まずは『ネイヴィッドソン記録』Ⅴ章に、

 「アタナジウス・キルヒャーの『新音響芸術(ノイエ・ハル・ウント・トンクンスト)』(ネルドリンゲン、1684年)の中の木版画まで持ち出している。これは人工エコー機のイラストレーションで、"clamore"に4度のエコーが繰り返され、"amore""more""ore"から最後に"re"となる」(p.51)

とありました。右に載せた図は1673年初版の『新音響芸術』より前の『普遍音楽』(1650年ラテン語版)からのものですが、右上がりに伸びる塀の、上から2段目のものの壁に、"clamore"… が書きこまれています。『新音響芸術』のいずれかの版でも再録されたということでしょうか。
アタナシウス・キルヒャー(1602-80)『普遍音楽』(1650)のための挿絵(多声の木霊を作る方法)
アタナシウス・キルヒャー(1602-80)
『普遍音楽』(1650)のための挿絵
(多声の木霊を作る方法)
 
* アタナシウス・キルヒャー、菊池賞訳、『普遍音楽 調和と不調和の大いなる術』、工作舎、2013、p.265

邦訳はヒルシュによる1662年ドのイツ語抄訳より、ただし
「ヒルシュ篇では図版がほとんど採録されていないため、ラテン語版原著からこれを補った」(p.23)
とのこと。

◇ Ⅴ章の末尾には、

 「だがやはり『
いつも(オールウェイズ)』は『廊下(ホールウェイズ)』を思わせる。
 これもまたエコーだ」(p.87)

なんて美しいくだりがありました。「怪奇城の外濠 Ⅱ」の「廊下など」のところにも引いておきましょう(→こちら)。

◇ 廊下とくれば階段です。XVIII章中には虚実いずれなのか、

 「階段だ! 階段を見つけた!」

という記録のことが述べられています(p.474 註400)。またXI章のエピグラフには、

 「階段が恐いとか何とかいう詩だ」

という註をつけて、ボードレールの詩が引用されています(p.277 註220-221)。これは『悪の華』の初版(1857年)からも再版(1861年)からも漏れた作品を、歿後に刊行した「漂着詩篇」(1866年。下掲邦訳 p.443 参照)に含まれるもので、手もとの Livre de poche 版では、

 Baudelaire, Les fleurs du mal, 1972, pp.247-248 : "Sur Le Tasse en prison d'Eugène Delacroix" / 1866 - Les Épaves, CXLI

の第1連にあたります。
手もとの邦訳では;

 ボードレール、堀口大學訳、『悪の華』(新潮文庫 黄 6C)、新潮社、1953、pp.350-351

に訳された、「『獄中のタッソー』に題す ウジェーヌ・ドラクロワ筆」(「漂着詩篇」(1866年)の16)で、p.451 の註で

「ドラクロワのこのタブローは、1839年に描かれ、同年のサロンに出品して落選、翌44年、新年慈善市展覽會に出品された」

と記されていました。右に載せた油彩の制作年が現在どう捉えられているのかは詳らかにしませんが、ボードレールが詩を寄せたのはこの作品のようです(ドラクロワは以前にも同じ主題を取りあげていました;1824(?)年、三輪福松編、『ドラクロワ リッツォーリ版 世界美術全集 12』、集英社、1975、p.94/cat.no.97)。
 ドラクロワ《狂人の家のタッソ(フェラーラの聖アンナ病院のタッソ)》1839年(?)
ドラクロワ(1798-1863)
《狂人の家のタッソ(フェラーラの聖アンナ病院のタッソ)》
1839年(?)
 絵の中に階段は描かれていませんが、引用の後半2行は1行目冒頭の「詩人 Le poëte」(『紙葉の家』で定冠詞が"La"になっているのは誤植でしょうか? 追補;House of Leaves 原著でも"La"でした;p.246)を主語に、

 "Mesure d'un regard que la terreur enflamme
  L'escalier de vertige où s'abîme son âme"

となっています。堀口大學訳では;

 「恐怖に燃立つ眼を据ゑて
  魂の落ちこんで行く
(くるめき)の階段をのぞきこんでる」(p.350)。

ヒッチコックの『めまい』(1958)を連想させなくもない「
(くるめき)の階段 l'escalier de vertige」が出てきたので、「階段で怪談を」の頁の「文献等追補」のところにも引いておきましょう(→そちら。『めまい』については→「怪奇城の高い所(後篇) ー 塔など」の頁の「i. プロローグ」でも触れました)。

◇ トルーアントによる『付属書Ⅱ』の「F 各種引用」にも『悪の華』から、"Le gouffre"の第3連3行目の、仏語原文による引用がありました(p.742、訳は同、註436);

 Baudelaire, Les fleurs du mal, 1972, pp.261-262 : "Le gouffre" / Pièces ajooutées en 1868, CXLIX

 ボードレール、堀口大學訳、『悪の華』、1953、pp.382-383;「深淵」/『悪の華  補遺』(1866-1868年)、『続悪の華』8


◆ これ以外に、古典古代のものから;

◇ Ⅳ章の註42(ラテン語原文は p.41)での、トロイの滅亡についての『アエネーイス』Ⅱ、624 の訳文は

 ウェルギリウス、泉井久之助訳、『アエネーイス』(上)(岩波文庫 赤115-1)、岩波書店、1976、p.126

またⅨ章のエピグラフの一つ、迷路のある館についてのヴェルギリウス『アエネーイス』6・27 のラテン語原文(p.128、訳は同、 註X)は;

 同上、p.348

◇ 先のキルヒャーに関する部分を含むⅤ章、その冒頭でのエーコーについてのオウィディウスからのラテン語原文の引用(p.49 、訳は同、註Ⴒ)は;

 オウィディウス、田中秀央・前田敬作訳、『転身物語』、人文書院、1966、pp.99-100/巻3

またⅨ章の註128 中、ミーノータウロスをめぐる、取消線付きのラテン語原文と訳の引用(p.132)は;

 同上、pp.322-323/巻9

Ⅸ章の註140でのダイダロスの迷宮に関する巻8からのラテン語原文の引用と訳(p.136)は;

 同上、p.269/巻8

◇ Ⅸ章註136(p.135)で引用された、エジプトの迷宮についてのプリニウスの記述のラテン語原文と訳は;

 中野定雄・中野里美・中野美代訳、『プリニウスの博物誌 Ⅲ』、雄山閣、1986、p.1470/第36巻19-85

すぐ前、迷宮に関する箇所が始まるところも、「F 各種引用」で引かれています(p.749、訳は同、註443);

 同上、同頁/第36巻19-84

◇ 「F 各種引用」で『イーリアス』からギリシア語原文、そのイタリア語訳、ドイツ語訳、ロシア語訳、フランス語訳が並べられたのは(pp.744-748、訳は p.748、註442);

 ホメーロス、呉茂一訳、『イーリアス』(上)(岩波文庫 赤763)、岩波書店、1953/1964、pp.51-52/第2書84-100


◆ 聖書から;

◇ Ⅲ章のエピグラフ二つ目の、モーセの神への問いを記した『出エジプト記』3章11節のヘブライ語原文(p.23、訳は同、註24)は;

 関根正雄訳、『旧約聖書 出エジプト記』(岩波文庫 青 801-2)、岩波書店、1969、p.12

◇ Ⅸ章での『ヨハネ福音書』14章からの、「わたしの父の家には住む部屋がたくさんある」という引用(p.143)は;

 『聖書』、日本聖書教会、1976、「ヨハネによる福音書」、p.164/14章2

◇ 同じ頁の註153 では、『創世記』28章17節から、神の家についてのヤコブの畏れ;

 関根正雄訳、『旧約聖書 創世記』(岩波文庫 青 801-1)、岩波書店、1956/2004、pp.96-97

◇ XI章で引用されるエサウとヤコブの双子についての『創世記』25章23-24節(p.280);

 関根正雄訳、上掲『旧約聖書 創世記』、pp.83-84

その少し後での、ヤコブへの警告を告げた、『申命記』27章18節(p.283);

  『聖書』、日本聖書教会、1976、「申命記 」、p.284

また少し後、註242、243、244 と数珠つなぎになった『創世記』25章27節(p.284);

 関根正雄訳、上掲『旧約聖書 創世記』、p.84


◆ ギリシア、ローマや聖書以外の古代のものなどでは;

◇ XIV章のエピグラフに記されたエンキドゥの言葉(p.390)は、『ギルガメシュ叙事詩』などには見あたりませんでした
。「F 各種引用」の中に、『ギルガメシュ叙事詩』から引いた一節があります(p.752);

 矢島文夫訳、『ギルガメシュ叙事詩』、山本書店、1965/1977、p.86/第7の書板、4(テキストA)33-39

 月本昭男訳、『ギルガメシュ叙事詩』、岩波書店、1996、pp.91-92/第7の書板、第4欄33-39

「F 各種引用」にもう一箇所(p.754);

 月本昭男訳、p.84/第7の書板、第2欄13-23

 矢島文夫訳ではこの部分、すなわち第7の書板、2(テキストA)の50行目以降は、
「以下第2欄にあたる部分の約50行欠」(p.81)
となっていました。

* 追補 The Epic of Gilgamesh, translation by N. K. Sanders [ < Assyrian International News Agency
では、"3. Ishtar and Gilgamesh, and the death of Enkidu"中の、

 "When Shamash heard the words of Enkidu ……"(p.12)

で始まる段落の直前に、

 "Let you be stripped of your purple dyes, for I too once in the wilderness with my wife had all the treasure I wished"

という、エピグラフに用いられた一文がありました(House of Leaves 原著では p.347)。邦訳を見ると、

 月本昭男訳、p.88/第7の書板、第3欄35行



 「シャマシュは彼の語る言葉を聞き」

とあるのですが、その直前の32-34行は

 「お前の引き裂かれた腰が彼への贈り物となるように。
  [清い]わたしに、[  ]妻に代り((?))[罪を犯した]がゆえに、
  そして、清いわたしに、荒野(あらの)で罪を犯したがゆえに。」

となっています。矢島文夫訳では、第7の書板、3(テキストA)の33行が

 「シャマシュは彼の口[からこの言葉を]聞いた」

で、直前は

 (23-32行破損多し)

と省略されていました(p.83)。Sanders 訳は何に基づいているのでしょうか?

◇ 「F 各種引用」での和泉式部の和歌(p.749)は、『和泉式部集』に収録されているようです(130番、未確認)。
 
追補;
 清水文雄校注、『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫 30-017-2)、岩波書店、1983、p.30/『和泉式部集 上』130番

そこでの表記を写すと;

    をみなへし
 花よりもねぞみまほしき女郎花おほかる野辺(のべ)をほり(もと)めつつ

ちなみに House of Leaves 原著では(p.650、右段は当方による試訳);

 As I dig for wild orchids
  in the autumn fields,
 it is the deeply-bedded root
    that I desire,
  not the flower.
秋の野辺、
野の蘭を求めて掘り起こす時、
私が欲しいのは
花じゃない、
深く埋まった根なのだ。
"wild orchid"で女郎花を指すのでしょうか?
なおウェブ検索してみると、"Live Journal", October 20, 2005, 12:51(→こちら)に、
 translated by Jane Hirshfield and Mariko Aratani
とありました。訳者名で検索すると、

The Ink Dark Moon: Love Poems by Ono No Komachi and Izumi Shikibu Women of the Ancient Court of Japan, Scribner, 1988

が出典のようです。


◆ 中世から近世にかけて;

◇ 地獄についての、Ⅰ章中のミルトン『失楽園』第1巻65-67行(p.4 註4)は;

 ミルトン、平井正穂訳、『失楽園』(上)(岩波文庫 赤 206-2)、岩波書店、1981、p.10

さらに、「声」に関する、Ⅴ章での同第9巻からの引用(p.51 註55)は;

 ミルトン、平井正穂訳、『失楽園』(下)(岩波文庫 赤 206-3)、岩波書店、1981、pp.121/652-653行

「F 各種引用」でも『失楽園』からの引用が2箇所あります(p.750、p.753)。双方第2巻のすぐ近いところからで、

 前掲『失楽園』(上)、pp.85-86/556-560行、および p.87/580-585行

◇ 戻ってⅠ章(p.4)でミルトンに続く、地獄への入口についてのダンテ『神曲・地獄篇』第3歌7-9行(イタリア語原文、訳は註4)は;

 ダンテ、平川祐弘訳、『神曲 世界文学全集 Ⅲ-3』、河出書房新社、1966、pp.13-14

ダンテの問いを記した、Ⅲ章冒頭のダンテ第2歌31-32行のイタリア語原文(p.23、註は同、 註25)はやはり『地獄篇』から;

 同上、p.9

◇ Ⅴ章でのシェイクスピア『リア王』第4幕第6場147行のグロスター伯の「勘で見えます」というつぶやき(p.56 註61)は、"King Lear act 4 scene 6 line 147"で検索してみると、たとえば→こちら(King Lear: Act 4, Scene 6 (ewu.edu))では、

 GLOUCESTER 149 I see it feelingly.

とありました。

 シェイクスピア、福田恆存訳、『リア王』(新潮文庫 赤 20E)、新潮社、1967、p.141

では

 「それはおのずと見えて参ります」

と訳されていました。

◇ 「F 各種引用」中のパスカル『パンセ』からの仏語原文による引用(p.741、訳は同、註435)は;

 パスカル、松浪信三郎訳・注、『定本 パンセ』(上)(講談社文庫 D1)、講談社、1971、p.388/第2部第2輯423

◇ 同じく「F 各種引用」でのガリレオの引用(p.750);

 ガリレオ、山田慶児・谷泰訳、『偽金鑑識官』、豊田利幸責任編集、『世界の名著 21 ガリレオ』、中央公論社、1973、p.309/第6節


◆ 近代の文学から;

◇ Ⅸ章の註180(pp.166-167)で引用されるのはコールリッジの『老水夫の歌』;

 斎藤勇・大和資雄訳、『コウルリヂ詩選』(岩波文庫 5539)、岩波書店、1955、「老水夫行」、pp.11-12/第1曲


Ⅱ章のエピグラフであるメアリー・シェリーの一文は(p.10)、『フランケンシュタイン』3章中のヴァルトマン教授のことばです;

 シェリー、小林章夫訳、『フランケンシュタイン』(光文社古典新訳文庫 K Aシ 5-1)、光文社、2010、p.90

◇ Ⅳ章でのリルケのドイツ語原文の引用は、「オルフォイス、オイリュディケ、ヘルメス」からと註34に記されています(p.33)。この詩は『新詩集』(1907-08)に収められているとのことですが、邦訳は未確認。

Ⅶ章でやはりリルケからドイツ語原文(p.104、訳は p.106 註99)、同じく『新詩集』中の「黒猫」、第1連3-4行;

 高安国世訳、『リルケ詩集』(講談社文庫 19-2, B112)、講談社、1977、p.71

黒猫にちなんで→こちらにも挙げておきます:『黒猫』(1934)の頁の「おまけ

リルケからはさらに、XVII章のエピグラフとして、『形象詩集』に収められた"Eingang"から第1連のドイツ語原文が引かれています(p.437、訳は同、 註357)。邦訳はやはり未確認。

「F 各種引用」にも『形象詩集』中の「秋日」からドイツ語原文での引用があります(p.763、訳は同、註450);

 高安国世訳、上掲『リルケ詩集』、p.39/「秋の日」、第3連1行目

また

 富士川英郎訳、『リルケ詩集』(新潮文庫 黄 25B)、新潮社、1963、p.49/『形象集』、「秋の日」

◇ XIII章のエピグラフはボルヘスの詩「別の虎」よりスペイン語原文(p.347、訳は同、 註255);

 ホルヘ・ルイス・ボルヘス、鼓直訳、『創造者』(世界幻想文学大系 15)、国書刊行会、1975、p.165

◇ 同じくXIII章でのランボーからのフランス語原文での一句(p.375)は、『イリュミナシオン』収録の「幼年時代」、そのⅣの末尾;

 金子光晴・斉藤正二・中村徳泰訳、『ランボー全集』、雪華社、1970、p.209

◇ XV章のドイツ語のエピグラフはハイネの『歌の本』から「帰郷」中の「58 世界も人生も」末尾2行(p.398 註322);

 ハイネ、井上正藏訳、『歌の本(下)』(岩波文庫 赤 418-2/赤 302)、岩波書店、1951、p.85

註322 によるとフロイトが言及しているとのことですが、不詳。

◇ XX章のエピグラフとして、ポーの

 「地下世界への単独行は無謀である」

との一文が引かれていますが(p.486。House of Leaves 原著では p.423)、今のところ不詳。

追補; "Did Poe Really Say That?"(September 10, 2014)というウェブ・ページ(→こちら [ < The Poe Museum ])に、

13) “No one should brave the underworld alone.” This line is from the singer Poe's song "Hello."

とあって、エドガー・アラン・ポーではありませんでした。英語版ウィキペディアの Poe (singer)の頁は→そちら、上記の曲の頁は→あちら、それをタイトル・チューンとするアルバム Hello (1995)の頁→ここ。邦訳のリーフレットに掲載された巽孝之「アメリカの闇の底」でも触れられていましたが、歌手のポーはダニエレブスキーの実の妹で、ウィキペディアの"Hello"の頁によると、この曲のミュージック・ヴィデオは『カリガリ博士』(1919)をモティーフにしており、ダニエレブスキーが共同監督しているそうです。"Did Poe Really Say That?"の先の箇所から You Tube に掲載されたミュージック・ヴィデオの頁にリンクが張ってありました→そこ

◇ ザンパノによる「付属書」の「F 詩」の最後から二つ目、"La Feuille"(紙葉)には、エピグラフとしてアポリネールの『動物詩集』(1911)から「馬」が仏語原文でまるまる引用されています;

 堀口大學訳、『アポリネール詩集』(新潮文庫 赤 177)、新潮社、1957、p.15

続く仏語の散文(pp.645-647)も何か関係があるのでしょうか?

◇ 「F 各種引用」でのプルーストの仏語原文(p.742、訳は同、註437)は;

 マルセル・プルースト、井上究一郎訳、『失われた時を求めて 10 第7篇 見出された時』(ちくま文庫 ふ 13-10)、筑摩書房、1993、p.379


◆ 近代の哲学その他から;

◇ Ⅳ章の始めの方(ドイツ語原文での)および註32-33(訳)でのハイデガー『存在と時間』からの引用は(pp.29-31)、第1編第6章第40節「現存在の優れたひとつの開示性としての不安という根本情態性」から;

 ハイデガー、桑木務訳、『存在と時間』(中)(岩波文庫 6338-6341)、岩波書店、1961、pp.120-121

◇ Ⅸ章の註129(フランス語原文)-130(訳)でのデリダ『エクリチュールと差異』「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」からの二つの引用(p.133)は;

 ジャック・デリダ、梶谷温子・野村英夫・三好郁朗・若桑毅・阪上脩訳、『エクリチュールと差異(下) アルトー、フロイト、バタイユ、レヴィ=ストロース』(叢書・ウニベルシタス 80)、法政大学出版局、1983、Ⅹ章、pp.211-212、および p.212

pp.459-460 註385(フランス語原文)-386(訳)ではデリダの『哲学の余白』から、また「F 各種引用」では『忌鐘』からの引用もありますが(p.756)、双方邦訳未確認。

◇ ところでデリダはXV章中に挿入された、ネイヴィッドソンの妻カレン・グリーンによる「部分的聞き書き 人々は何を思ったのか」(pp.400-417)にも登場します(p.410、p.416)。他にも
 ダグラス・R・ホフスタッター(p.402、pp.408-409、p.415)、
 アン・ライス(p.406、p.416)、
 ハロルド・ブルーム(pp.406-408、p.415)、
 スティーヴン・キング(p.409、p.412、p.415)、
 キキ・スミス(p.412、p.415)、
 スタンリー・キューブリック(pp.413-414、p.416)
などなどの発言が出てきます。もしかするとそれぞれの言葉には何かネタがあるのかもしれませんが、詳らかにしません。
 ともあれ、次のくだりを引用しておきましょう。アンドルー・ロス(プリンストン大学文学教授)の発言として;

 「英国人というのはいまだに、幽霊といえば薄物に蜘蛛の巣、片手に燭台が決まりだと思ってるのがほとんどだからね。あなたの怪物は純粋にアメリカ的だ。一つには、輪郭がはっきりしないということがある」(p.403)。

◇ Ⅸ章に戻って、続く註131 でのクリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『実存・空間・建築』からの引用(pp.133-134)は;

 ノルベルグ=シュルツ、加藤邦男訳、『実存・空間・建築』(SD選書 78)、鹿島研究所出版会、1973、pp.44-45

同書からはまた、先立つⅥ章のエピグラフとして引用されていました(p.88);

 同上、p.14

さらに、Ⅹ章中(p.202 註207 および p.203);

 同上、pp.27-28 および p.28

◇ Ⅸ章 p.159 の註167 は、左基数頁の上方中央に右倒しで掲載され、p.163 まで続くのですが、その最後で引用されるのが;

 M.メルロー=ポンティ、竹内芳郎・木田元・宮本忠雄訳、『知覚の現象学 2』、みすず書房、1974、p.79/第Ⅱ巻第2部ⅡB-1

◇ Ⅹ章のエピグラフ(p.185)は;

 ダゴベルト・フライ、吉岡健二郎訳、『比較芸術学』、創文社、1961、p.6/第1章

なお先にⅨ章註131 で挙げたノルベルグ=シュルツの『実存・空間・建築』でも、フライの同じ箇所が引用されていました(邦訳 pp.30-31).

◇ Ⅹ章註212(フランス語原文)-213(訳) では(pp.219-220);

 ガストン・バシュラール、岩村行雄訳、『空間の詩学』、思潮社、1972、p.109/第2章「家と宇宙」Ⅹ

同書からはまた、XIII章で(p.372 註289 にフランス語原文);

 同上、p.185/第6章「片隅」Ⅲ

さらに、XVII章では第5章からかたつむりと螺旋階段に関して(pp.457-460 註383 にフランス語原文、385;フランス語原文、388;訳);
 同上、p.159(第5章「貝殻」Ⅵ)、p.163(同Ⅷ)、p.171/同XI

◇ XI章で引用される、エサウについてのフランク派の解釈についてのショーレムの解説(p.284 註245);

 Gershom Scholem, "Redemption through Sin", The Messianic Idea in Judaism and Other Essays on Jewish Spirituality, Schoken Books, New York, 1971/1995, p.133 および p.126

◇ XIX章のエピグラフはソンタグの『写真論』からの一文でした(p.480);

 スーザン・ソンタグ、近藤耕人訳、『写真論』、晶文社、1979、p.102/「視覚のヒロイズム」

他方 p.484 註415 で『写真論 改訂版』(1996)からとして、本文で本作の主人公ネイヴィッドソンについてのコメントを引用しているのは、虚構なのでしょう。

◇ 「F 各種引用」でのユング「心と大地」からの引用(p.741)は;

 C.G.ユング、高橋義孝・江野專次郞譯、『現代人のたましい ユング著作集・2』、日本敎文社、1970、p.129/「Ⅳ 心と大地」


◆ 美術、その他;

◇ Ⅴ章の註75 は、ずいぶんな数の(おそらく)写真家の名前を列挙しています(pp.77-80)。始めの方には石元泰博とか石内都の名も見えました(p.77上段)。すぐ後の註76(p.80)には、

 「このリストはまったくの無作為抽出だそうだ」

とありますが、Ⅸ章の註146では、

 「問題の家には…(中略)…似ているところは少しもない」(p.141)

ものとして、これまたたいがいな数の建築が並べられます(pp.141-165、見開き左の奇数頁のみ)。始めの方には茨城県のつくばセンタービルとか広島市現代美術館の名も見えました(p.141)。冒頭に「20世紀建築」の語があるのですが、字面を辿るのをおろそかにし出した頃になって、「また伝統主義では」(p.143)だの「あるいは表現主義においては」(同)、「さらには19世紀のモード」(p.145)云々といった語句がはさまれ、時代を遡っていくのでした。

 p.165 で註146 が終わると、前の頁=見開きの右にあたる p.164 から上下逆さになって 註147 が始まります。ここは建築家が列挙され、始めの方には磯崎新とか黒川紀章の名も見えました。磯崎新はつくばセンタービルの、黒川紀章は広島市現代美術館の設計者であってみれば、もしかすると註146 で挙げられた建築とある程度対応しているのかもしれませんが、未確認。
 とこうして p.142 まで戻り、註148 へと指示して終わります。註148 は同じ p.142 の欄外上に左倒しで1行、

 「証拠一を参照のこと」

と記される。「証拠一」は p.600 にあって、

 「代表的な建築物の写真を掲載する」

とか

 「対照年表を作成」

だの

 「第Ⅸ章に示した参考文献を参照すること」

などの「指示」が記されているのでした。ちなみにⅨ章の末尾に、建築関係の参考文献が挙げられています(p.184)。

 戻って同じⅤ章の註182ではドキュメンタリーに「重要な貢献をした人物」の名が挙げていかれます(pp.169-173、やはり奇数頁のみ、右倒しで)。註183はその作品名が例示されるのですが、鏡文字なので追う気を削いでくれます(pp.170-176、偶数頁のみ、反転して左倒し)。

◇ これらに比べると少ないものの、やはりⅨ章註167では、キャンディダ・ハヤシの論文からの引用という形で、

ポー『アッシャー家の崩壊』
シャーリー・ジャクソン『たたり』
チャールズ・ブロックデン・ブラウン『ウィーランド』
ウォーカー・パーシー『ムーヴィーゴーアー』
スティーヴン・キングの『恐怖の四季』に収録された「マンハッタンの奇譚クラブ」や『モア・テイルズ』の中の「タビュラー」
スティーヴ・エリクソン『彷徨う日々』
ジョン・ファンテ『ザ・ロード・トゥ・ロサンゼルス』
アンリ・ボスコ『骨董屋』
サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』
 
B・ウォルトン『危難の洞窟』
ジャン・ジュネ『花のノートルダム』
リチャド・ファリーニャ『あんまり長いこと落ち続けて、上昇してる気分だ』
ジョン・ガードナー『十月の光』
ラヴクラフトの多くの作品
ピンチョン『V.』
ボルヘス『伝奇集』の中の「八岐の園」
コンラッド『闇の奥』
ローレンス・ウェシュラー『ウィルソン氏の驚異の陳列室』
 
ジム・カリン『一匹の虫』
サルトル『出口なし』や『蝿』
ヴェルヌ『地底探検』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エイン・ランド『ファウンテンヘッド』
ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』
ナサニエル・ホーソーン「若いグッドマン・ブラウン」や『七破風の屋敷』
C・S・ルイス『ライオンと魔女』
 

と文学、次いで美術周辺が出てきます(pp.159-163、奇数頁のみ、右倒し)。

画家のブロツキー&ウトキン
コヨアカンにあるフリーダ・カーロ『青い家』
ディエゴ・リベラ『夜の風景 パイサヘ・ノクトゥルノ』(1947年)
レイチェル・ホワイトリード『家』
チャールズ・レイ『インク・ボックス』
ビル・ヴィオラ『サン・フアン・デ・ラ・クルスの部屋』

とあって、何となくでも思い浮かぶのはホワイトリードとヴィオラ**くらいでした。いつか確認することにしましょう***

 * Edited by James Lingwood, Rachel Whiteread. House, Phaidon Press Limited, 1995

 ** 《十字架の聖ヨハネの部屋》、1983;『ビル・ヴィオラ はつゆめ』、淡交社/森美術館、兵庫県立美術館、2006、pp.54-57、p.201
 また
 Bill Viola. The Eye of the Heart (1996/2003、監督:Mark Kidel)、約13分~15分にインスタレーションの様子が映ります。

 *** 1) アレクサンドル・ブロツキー(1955- )とイリア・ウトキン(1955- )は、

 『未来都市の考古学』展図録、東京都現代美術館、ひろしま美術館、岐阜県美術館、1996

のカタログ部分の内、

 「9-3 ロシアのペーパー・アーキテクチャー」

で数点紹介されていました(pp.164-167/cat.nos.C-116-120)。展覧会も見ているのですが、脳裡をかすめもしなかったのはいうまでもありません。
 ともあれ制作年代は cat.no.C-116~118 が1984-90年、C-119~120 が1989-90年で、同図録の前の方、「6-1 ロシア革命と構成主義」のセクションで紹介され(p.114/fig.15 および cat.no.CG8-3)、

 本田晃子、『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』、東京大学出版会、2014

でも取りあげられたイワン・レオニドフ(1902-59)あたりとは、時代も異なっているわけです。関係のあるなしはどうなのでしょうか?
追補:『天体建築論』の著者による次の論考で詳しく取り扱われていました;

 本田晃子、「10 ブロツキーとウトキンの建築博物館、あるいは建築の墓所」、『革命と住宅』(ゲンロン叢書 015)、ゲンロン、2023、pp.253-278
 および「11 ガラスのユートピアとその亡霊」、同、pp.279-299

さらに;

 Lois Nesbitt, Brodsky & Utkin. The Complete Works, Princeton Architectural Press, 1991 / 2003)

2) フリーダ・カーロの『青い家 Casa azul 』はカーロの生家で、現在はフリーダ・カーロ博物館 Museo Frida Kahlo になっています。→公式サイト

3) リベラの作品は日本で展示され、その際見たはずなのですが、まるっきり憶えていなかったのはいつに変わらずです;

 『メキシコ・ルネサンス展 ー オロスコ、リベラ、シケイロス』図録、名古屋市美術館、西武美術館、福岡市美術館、1989、pp.128-129/cat.no.73;《夜闇の風景 Paisaje nocturno 》、1947年、油彩・キャンヴァス、110x89.5cm、メキシコ国立近代美術館(メキシコ・シティ)/INBA(メキシコ合衆国国立芸術院)蔵

4) チャールズ・レイ Charles Ray (1953- )はロサンジェルスに拠点を置く彫刻家(→公式サイト)。
 《インク・ボックス Ink Box 》;
1986年、塗装したスティールの箱とインク(200ガロンのプリンター用インク)、91 x 91 x 91 cm
カリフォルニア州コスタ・メサのセゲルストロム芸術センター Segerstrom Center for the Arts の構内にあるオレンジ・カウンティ美術館Orange County Museum of Art (OCMA)蔵
 公式サイト中の該当頁などに掲載された写真では、床に置かれた真っ黒な立方体としか見えず、さながらミニマル・アートかといったところですが、同じ頁からPDFファイルへリンクした(→こちら
 
Calvin Tomkins, "Meaning Machines, the sculptures of Charles Ray", The New Yorker, May 11 2015, pp.54-63

によると、

 「黒い鋼の立方体で、上面が開いており、プリンター用のインクが縁までいっぱいに入れてある」(p.59、3段目)

とのことです。

 ともあれこの註は「あるいはまた言葉に戻って」(p.163。下の右段は当方による)、

ロバート・ヴェンチュ-リ(1925-2018) USAの建築家
 ロバート・ヴェンチューリ、デニズ・スコット・ブラウン、スティーヴン・アイゼナワー、石井和紘・伊藤公文訳、『ラスベガス』(SD選書 143)、鹿島出版会、1978
 ロバート・ヴェンチューリ、伊藤公文訳、『建築の多様性と対立性』(SD選書 174)、鹿島出版会、1982
などの訳書あり。
アルド・ファン・アイク(1918-99)  オランダの建築家 
ジェイムズ・ジョイス(1882-1941)  『ユリシーズ』(1922)などで知られるアイルランドの小説家 
パオロ・ポルトゲージ(1931-2023)  イタリアの建築家 
ハーマン・メルヴィル(1819-91)  『白鯨』(1851)などで知られるUSAの小説家 

ジョイスとメルヴィルが入っている理由はわからないでいるのですが、ともあれそして、

  オットー・フリードリッヒ・ボルノウ、『人間と空間』(大塚惠一・池川健司・中村浩平訳、せりか書房、1978)

とすでに挙げたメルロー=ポンティからの引用、そしてハヤシのコメントを記して終わります。

◇ もう一つ同章の註166 ではダニエル・ローゼンブルームのエッセイからの引用という形で、映画が参照されます(pp.162-158、逆行しつつ偶数頁のみ、上下反転)。曰く、

 「ネイヴィッドソンの家に取り憑いている幽霊は以下の映画に出てきたものだという指摘がある。すなわち」(p.162)

『シャイニング』
『めまい』
『2001年宇宙の旅』
『未来世紀ブラジル』
『アラビアのロレンス』
『ポルターガイスト』
『悪魔の棲む家』
『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』
『エクソシスト』
ジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』
ラビリンス 魔王の迷宮
『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』
『U・ボート』
『タクシードライバー』
『ウディ・アレンの重罪と軽罪』
『反撥』
『ミクロの決死圏』
禁断の惑星
『ありふれた事件』
『アビス』

 「だが指摘しておきたいのは、ここに列挙した映画が結局のところ何らかの妄想を原因として説明をつけていることだ。それらは霊魂再来、恐怖症、…(中略)…そして異星人だ。そのどれもが『ネイヴィッドソン記録』においては断固として排除されている」(p.160、p.158)。

もとよりこれらのリストがどの程度まで著者なり作品内著者の構想に関わるのかは、また別の話です。

◇ エッシャーはⅨ章の註133(p.134)ではリシツキーと合わせて、
 XX章ではその《階段の家》について記されています(p.505。《階段の家》については→「怪奇城の図書室」の頁の「7. 『薔薇の名前』映画版(1986)からの寄り道:ピラネージ《牢獄》風吹抜空間、他」でも触れました)。
 エッシャーはもう一箇所出てきたような気がしますが、見つからない。そういえばピラネージの名は見かけなかったような気がします。

◇ XI章註[・・・]に

 「船長は美術史に造詣が深く、専門はターナーとヴォスとゴヤだった」(p.332)

というくだりがありました。XIV章の註318(p.395)で、トルーアントには、

 「画家のパウルス・デ・ヴォス(1596-1678)について書いたエッセイ」

のあることが記されます。
『新潮世界美術辞典』(1985)に

 「ヴォス、パウル・デ Paul de Vos 1595.12.9-1678.6.30 フランドルの画家。…(中略)…コルネリス・デ・ヴォスの弟。…(中略)…1611年にスネイデルスの義弟となり、かれの影響を強くうける。狩猟の場面を多く描き、疾走する動物のダイナミックな運動の表現にすぐれた。リュベンスの協力者として背景の動物、静物を描いた。…(後略)…」(p.149左段)

とありました。右に載せたのは、単独作ではありませんが、以前日本でも展示されたことのある作品で、その際見たはずなのですが、まるっきり憶えていなかったのはいつに変わらずです。ルーベンス風の女神たちはテオドール・ヴァン・テュルデン、犬や鹿がパウル・デ・ヴォスの手になるとのことです。
パウル・デ・ヴォスとテオドール・ヴァン・テュルデン《狩猟をするディアーナ》 制作年不詳
パウル・デ・ヴォス(1595-1678)とテオドール・ヴァン・テュルデン(1606-1669)
《狩猟をするディアーナ》 制作年不詳
 
 たとえば プラド美術館のガイド(1992年時点)に15点;
 Consuelo Luca de Tena, Manuela Mena, Guía del Prado, Silex, 1992, p186
ルーヴル美術館の館蔵品目録(1979年時点)に4点;
 Catalogue sommaire illustré des peintures du Musée du Louvre. Ⅰ École flamande et hollandaise, Éditions de la Réunion des musées nationaux, Paris, 1979, pp.148-149
ウィーン美術史美術館の索引(1973年時点)では2点
 Verzeichnis der Gemälde, Kunsthistorischesmuseum, Wien, 1973, p.200
と、作品に接する機会を欠くわけではないようではあるものの、現在よく知られた名前とまでは見なせますまい(当方が不勉強なだけという可能性は否定しきれない)。なぜこの画家が挙げられたのか、気になるところです。


◇ ソンタグの『写真論』からの上掲のエピグラフに始まるXIX章では、ネイヴィッドソンの映像における「審美的な」(p.480)性格が扱われます。それまでにも、

 「ネイヴィッドソンが大変な才能に恵まれた写真家だという事実」(p.13/Ⅱ章)

とか

 「このあたりでネイヴィッドソンの腕前に触れておくべきだろう。彼が個人的に撮影した映像の中では、画面が揺れたり震えたり動いたりするのはもちろん、フレーミングが不適切だという例さえほとんど見当たらない。彼のカメラはどんな状況にあってさえ ー この異常な世界さえも ー 驚くべき安定性と高度な美的センスをもってとらえている。
 比較してみればネイヴィッドソンの腕のよさは一目瞭然だ」(p.76/Ⅴ章)

など、ネイヴィッドソンの写真家としての技倆・才能を確認する箇所がいくつか見られました。それがここで、

 「フォトジャーナリズムにおいても、歴史の一瞬をつかみ取るには非常に高い手腕が必要だ」(p.481)、

 「写真家の反応は完全に本能的な、迅速なものでなくてはならず、それはまた何年も何年も積み上げた研究と、きびしい訓練と、そしてもちろん才能の賜物だ」(p.482)

と、一般化されています。「どんな状況にあってさえ ー この異常な世界さえも ー 」例外ではないと、最後の「探検#5」(p.487/XX章)の直前に駄目押しされるのは、興味深い点と見なせるかもしれません。


◇ XXII章のエピグラフとして、イーノの

 「真実は言葉を超える」

という言葉が引かれていますが(p.591)、由来は不詳。
追補; 上掲の"House of Leaves: An Annotated Bibliography of Epigraph"によると原文は

 Truth transcends the telling.— Ino

で、ブライアン・イーノ Brian Eno ではありませんでした(House of Leaves 原著では p.423)。出典不明とのことで、ただイーノーはギリシア神話に出てくるそうです。高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』(岩波書店、1960)では、カドモスとハルモニアーの娘で(p.53)、海に身を投じて海の女神レウコテアーになったと記されています(p.307)。


2023/07/21 追補
↓ 次の本の話にもからみます。

エリン・モーゲンスターン、市田泉訳、『地下図書館の海』、東京創元社、2023
原著は Erin Morgenstern, The Starless Sea, 2019

 一つ上に挙げたダニエレブスキーの『紙葉の家』の中で、センダックの『かいじゅうたちのいるところ』に言及した箇所がありました(pp.118-119 註114/Ⅷ章)。『紙葉の家』の次に読んだのが本書なのですが、そこでも同じ本の題を見かけた時には(p.65/第1の書)、すわ共時性(シンクロニシティー)か、と色めき立ちかけたものです。もちろんこれは、この絵本がそれほど人口に膾炙しているということなのでしょう。そういえば『ラビリンス - 魔王の迷宮 -』(1986)でも、センダックの諸作品に対して謝辞が捧げられていました(→こちら)。ともあれ;

 モーリス・センダック、神宮輝夫訳、『かいじゅうたちのいるところ』、冨山房、1975
 原著は
Maurice Sendak, Where the Wild Things Are, 1963

 とはいえ『紙葉の家』と『地下図書館の海』に交点がないわけではありません。双方本を巡る話であり、またどちらの場合も、地下にひろがる異空間が舞台となります。

◆ またしてもとはいえ、それぞれの様相は異なっています。『紙葉の家』という題名は、本文中でも三度ほど出てきましたが(p.529/XX章、p.581/XX!章、p.644/ザンパノ「付属書」の「F 詩」中の「(無題の断章)」)、そこで本を巡る視点は、媒体としての本のあり方を主題化した、本自体の外側であるメタレヴェルに位置していました。媒体によって伝えられる物語の内容そのものは、少なくとも理屈の上では、他のものに置き換えても差しつかえないはずです(実際には執筆を動機づけたのは、そこで描かれる地下空間のイメージ以外ではなかったのかもしれませんが)。

◆ 対するに『地下図書館の海』では、川野芽生の「解説」でも述べられているように、

 「物語は実のところ書物という形式に限定されるものではない」(p.470。本文 pp.9--10/第1の書、pp.39-40/同なども参照)。

この世界を統べる仕組みや、交差する複数の物語および登場人物たちの布置をもう一つ、当方の頭の中で整理できずにいるのですが、物語の内容とその進行が主題になっているようです。

◆ 『紙葉の家』中の「ネイヴィッドソン記録」で最初に起こる現象は、地下ではなく二階においてでした(p.33/Ⅳ章)。

 「内側から測定した家の幅が、外側から測定した値より4分の1インチ長いのだ」(p.35/同)。

その後一階の居間の北側の壁に戸口が出現し、その向こうには

 「暗く狭い廊下」

が伸びているのでした(p.5/Ⅰ章、映像「5分半の廊下」に関連して、また p.66/Ⅴ章)。

 「さらに長い廊下を見出した」(p.75、「探検A」/Ⅴ章)

と拡がっていき、

 「直径が200フィートを超える穴から下に向かって虚無の中へと螺旋階段が伸びている」(p.101、「探検#2」/Ⅶ章)

ことがわかります。「探検#3」(p.103/Ⅶ章)や「探検#4」(p.139/Ⅸ章、p.144/Ⅸ章)の様子から

 「階段が13マイルという信じられない深さまで続くと考えていた。ところが5分としないうちに、…(中略)…ほんの100フィートほど」(p.191/Ⅹ章)

で底に着いたりもします。また別の時には、階段の上から硬貨を落として、床に着くまでの時間をおよそ50分として概算すると、

 「深さ D=16t2 で D はフィート、t は秒とすると、硬貨は2万7273マイルを落下したことになる。これは赤道上の地球の円周よりも2371マイル長い。また32ft/sec2で計算するとこの値は5万545マイルに跳ね上がる」(p.339 註251/XII章)

という結果が出たりするのでした。
 この空間では、

 「何かのうなり声」(p.81/Ⅴ章、また p.101/Ⅶ章、p.146/Ⅸ章など)

が時に聞こえたりするものの、生き物なり何らかの個別の存在が姿を見せることはありません。ただ人間の振舞に対する反応なのかどうか、

 「部屋や廊下や螺旋階段…(中略)…それらがつねに変化し、見たところ無限とも思える道筋の再定義があり」(p.140/Ⅸ章)

という、「怪奇城の地下」の頁(→そちら)で触れた〈生成迷路〉めいた過程を辿るのでした。

◆ 他方『地下図書館の海』では、

 「地表よりはるか下、太陽からも月からも隠された〈星のない海〉の岸辺に、物語に満ちたトンネルと部屋べやが迷宮のごとく集まっている。…(中略)…古い物語は保存され、その周りに新しい物語が湧き上がってくる」(pp.9-10/第1の書)。

 「その場所自体が動いている可能性…(中略)…石も海も書物も、地の底を移動しているのだ」(p.61/第1の書)。

 「世界の下の世界の下に世界があるのだ」(p.331/第5の書)。

この地下、〈星のない海〉に面した〈港〉にある場所へ行くには、〈扉〉を通ります。

 「星に覆われた海の底に扉があり、水没した都市の廃墟の中にとどまっている。…(中略)…さまざまな場所に無数の扉が存在する。…(中略)…見出されず、開かれぬままの扉もあり、単に忘れられているさらに多くの扉もあるが、すべては同じ場所に通じている」(p.61/第1の書)。

〈扉〉の先、エレベーターで下りた先にあるのは(p.100/第1の書);

 「〈港〉にあるなじみの部屋…(中略)…〈心臓(ハート)〉で振り子を揺らす時計からスタートし、主廊下、居住翼、読書室を抜けて外縁へ向かい、ワイン蔵と舞踏室へ下りていく」(p.43/第1の書)

「〈心臓(ハート)〉で振り子を揺らす時計」というのは、

 「宇宙の模型か、一種の時計かもしれない」(p.116/第2の書)

 「時計仕掛けの宇宙」(p.297/第4の書、p.302/同)

と呼ばれたりもします。また

 「廊下はまるで動いているようで、蛇さながらにあちこちへ這いずっていき、ザカリーはふらつくまいと目の前の床だけに視線を向けた」(p.195/第3の書)。

 「本でできた階段を上がった」(p.229/第3の書)。

 「書棚が横へスライドして、隠し部屋が現れた」(p.274/第4の書)

などなど、ともあれ、

 「ここの時間はゆっくり流れる。ときにはちゃんと流れようとせずに、ただそのへんをはね回ってる」(p.335/第5の書)。

「第3の書 サイモンとエリナーのバラッド」中には、「時間の性質についての短い講義」という断章も含まれています(pp.241-246)。

さて、発端と見なしていいのかどうか、

 「ずっと昔のこと、〈時間〉が〈運命〉と恋に落ちた」(p.70/第1の書、また p.110/第2の書)。

そして紆余曲折を間にはさんで、

 「こうして〈時間〉は、ある場所を星々から遠く離し、隠しておくことに同意した。
 いまやこの場所では、昼も夜もほかとは違う形で流れている。奇妙にゆっくりと。ものうく甘やかに」(p.294/第4の書)

と物語られるのでした。ただこの物語の時点で、

 「廊下が空っぽで宇宙が崩壊した、いまの状態のこの場所」(p.318/第5の書)

と化していたのですが、さらに、

 「〈星のない海〉が昇ってくる」(p.295/第4の書)

 「扉が閉まりかけて、可能性を運び去ろうとしている」(p.353/第5の書)

という事態が起こることになります。

なお、登場人物の一人はエリナーと呼ばれるようになり、その名はシャーリイ・ジャクソンの小説(『丘の屋敷』)からとられたとのことです(p.188/第3の書)。なので→『たたり』(1963)の頁の「おまけ」にも挙げておきましょう。

 この他、猫は動き回ったり丸まったりし、蜜蜂も活躍します。蜂蜜も海を満たします(p.315/第5の書)。

 「〈梟の王〉とは・・・・・・現象だ。波のように現在にぶつかってくる未来。その翼は選択の狭間、決断に先立つ時間に羽ばたき、変化を予告する」(p.352/第5の書)

なんて存在のことが語られ、折り紙の星がそこいらに落ちています。

 エリン・モーゲンスターンの『夜のサーカス』について→こちらで触れました:「近代など(20世紀~) Ⅴ」の頁の「アンソロジー」のところ
◆ 余談になりますが、本書の原題は上に記したとおり、〈星のない海〉です。著者の名字がドイツ語で「朝の星=明けの明星」を意味することに関係あるのかどうか、ともあれ「星のない starless 」の語は、一部の読者に

 King Crimson, Starless and Bible Black, 1974(邦題:キング・クリムゾン、『暗黒の世界』)(1)

7枚目とその表題曲(B面1曲目、9分11秒)を連想させずにはいますまい。表題曲は集団即興による器楽曲でしたが、このフレーズを歌詞に含むのが、続く70年代クリムゾン最後のスタジオ・アルバムとなった

 King Crimoson, Red, 1974(『レッド』)(2)

の最後の曲、B面2曲目の

 "Starless"(「スターレス」)

です。12分18秒。

◇ "starless and bible black"というフレーズは、

 「英国の詩人ディラン・トマス Dylan Thomas (1914-1953)が晩年に発表した詩劇『ミルクの森で/Under Milk Wood 』の序章に見出される情景描写のひとこまである。

   それは春の小さな街の月もない夜
   空には星もなく荘厳なほどに暗い(スターレス・アンド・バイブル・ブラック)
   玉石を敷いた道路には人気もなく静かに曲がりくねり・・・・・・
                      『First Voice』」(3)

とのことでした。ウィキペディア英語版の Under Milk Wood の頁(→こちら)の下の方、External links に挙げられた Text of Under Milk Wood, from Project Gutenberg Australia を見ると(→こちらの2)、タイトルのすぐ次で原文を確認できます(改行は当方による);

 It is spring, moonless night in the small town,
 starless and bible-black,
 the cobble streets silent and the hunched, (・・・・・・)

『ミルクの森』全訳から前後少し足して引いておくと;

 「     (静寂)

第一の声 (ひっそりと) 初めから始めましょう。
 いまは春です、小さな町の月のない夜、星もなく真っ暗で、丸石通りはシーンと静まり返り、瘤のように突きでた恋の狩人と兎の森は、起伏しながら 眼に見えずつづいています、リンボクの家のように黒く、おっとりと暗く、カラスのように真黒な漁船のゆれる海へと」
 (松浦直巳訳、「ミルクの森で」、『ディラン・トマス全集 Ⅳ/戯曲』、国文社、1978、p.7)。
1. 北村昌士、『キング・クリムゾン 至高の音宇宙を求めて』、新興楽譜出版社、1981、pp.252-259/264-267、「キング・クリムゾン・ディスコグラフィー」、p.9/10/*11。
 エリック・タム、塚田千春訳、『ロバート・フリップ キング・クリムゾンからギター・クラフトまで』、宝島社、1993、pp.98-102/102-111/*103-104。
 『キング・クリムゾン』(地球音楽ライブラリー)、TOKYO FM 出版、1995、p.28/30/*29。
 『キング・クリムゾン ストレンジ・デイズ4月号増刊 Artists & Disc File Series vol.3』、ストレンジ・デイズ、2004、p.41/42/*42。
 シド・スミス、池田聡子訳、『クリムゾン・キングの宮殿 ~風に語りて』、ストレンジ・デイズ、2007、pp.pp.app.22-24/25-27。
 『文藝別冊 キング・クリムゾン 二十一世紀的異常音楽の宮殿』(KAWADE夢ムック)、河出書房新社、2015、pp.212-213/214-215/+216-217。
 『ジョン・ウェットンズ・ワークス』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2022、pp.23-27/29-31、など
 →こちらの3(「通史、事典など」の頁の「おまけ」)も参照

2. 註1の/の後

3. 北村昌士、前掲『キング・クリムゾン』、pp.254-255

◇ この曲は

 Eddie Jobson (Eddie Jobson's U-Z Project), Ultimate Zero Tour - Live, 2011(エディ・ジョブソン(エディ・ジョブソンズ U-Z プロジェクト)、『アルティメット・ゼロ・ツアー - ライヴ』)(4)

でも Disc U の4曲目に入っています。11分55秒。
 エディ・ジョブソンはキング・クリムゾンのメンバーではありませんでしたが、『レッド』でいったん解散した後で発表されたライヴ USA (1975)(5)でヴァイオリンをオーヴァー・ダビングしたり、またクリムゾン解散時のメンバーであるジョン・ウェットンやビル・ブルーフォードとUKを結成したりと何かと縁がありました(6)。このライヴでもヴォーカルとベースはジョン・ウェットンが担当しています。またクリムゾンの曲を他に3曲、UKの曲6曲、さらにブルーフォードの One of a Kind (1979)に収録されていた「雪のサハラ(第2楽章)」(7)も含まれています。
 
4. 『ストレンジ・デイズ』、no.134、2011.1、pp.60-64。
 『ジョン・ウェットンズ・ワークス』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2022、p.143。

5. 註1の/*の後

6. →「アメリカ大陸など」の頁の「おまけ」も参照

7. →「アフリカ」の頁の「おまけ」も参照

◇ 少し意想外なところでは

 arti&mestieri, Live in Japan. The Best of Italian Rock, 2017(アルティ・エ・メスティエリ、『ライヴ・イン・ジャパン~ザ・ベスト・オブ・イタリアン・ロック』)

でも演奏されました。CD2 の1曲目、11分57秒。キング・クリムゾンの以前のメンバーで、『レッド』のこの曲でもゲストとして参加していたメル・コリンズが、ここでもゲストとして加わっています。オザンナと元ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターのデヴィッド・ジャクソンの関係が連想されたりもする(8)。
 ともあれ歌はイタリア語になっています。
 なおこのバンドの1枚目

 Tilt (1974、アルティ・エ・メスティエリ、『ティルト』)(9)

は、無闇に手数が多いドラムスに牽引されるジャズ・ロックを基本にしつつも、構築性および抒情性が色濃いというものでした。20年ほどの間をおいて活動を再開したこのライヴでも、全曲演奏されています。
 
8. →「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「おまけ」も参照

9. 『ユーロ・ロック集成』、マーキームーン社、1987/90、p.51。
 『イタリアン・ロック集成 ユーロ・ロック集成1』、マーキームーン社、1993、p.21。
 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.26。
 アウグスト・クローチェ、宮坂聖一訳、『イタリアン・プログ・ロック イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド(1967年-1979年)』、マーキー・インコーポレイティド、2009、pp.104-107。
 岩本晃一郎監修、『イタリアン・プログレッシヴ・ロック(100 MASTERPIECE ALBUMS VOL.1)』、日興企画、2011、p.32。

◇ 以上二つの演奏は比較的原曲に忠実なものでしたが、大きく様変わりしたのが;

 David Cross & Robert Fripp, Starless Starlight, 2015(デヴィッド・クロス=ロバート・フリップ、『スターレス・スターライト~暗黒の星美』)(10)

デヴィッド・クロスは『レッド』の時点では脱退していましたが、ライブでは原曲を演奏していました(11)。フリップはクリムゾンのオリジナル・メンバーでギタリスト。
 『レッド』の時点での「スターレス」は、メロトロンのうねりをバックにした、エレクトリック・ギターによるメロディーで始まりますが、元々はクロスのヴァイオリンで奏でられました。
 本アルバムは全8曲からなりますが、いずれも、音の波の中で時折あのメロディーが浮かびあがっては消えていくという、いわゆるアンビエント・ミュージックです。
 
10. 『THE DIG Special Edition キング・クリムゾン』(SHINKO MUSIC MOOK)、シンコーミュージック・エンターテイメント、2015、p.179。

11. 『THE DIG Special Edition キング・クリムゾン ライヴ・イヤーズ 1969-1984』(SHINKO MUSIC MOOK)、シンコーミュージック・エンターテイメント、2017、pp.93-103、105-107、109-120。
 

◇ こちらはオマージュというべきか返歌というべきか;

 Phil Manzanera, 50 minutes later, 2005(フィル・マンザネラ、『50ミニッツ・レイター』)(12)

ロキシー・ミュージック(13)、クワイエット・サン『メインストリーム』(1975)(14)、『801 ライヴ』(1976)(15)などでお馴染みのギタリスト、何枚目になるのかソロ・アルバムから、9曲目が

 "Bible Black"(「バイブル・ブラック」)、5分19秒。

さらにボーナス・トラックとして11曲目が

 "Enotonik Bible Black (Mainstream Version)"(「イーノトニック・バイブル・ブラック(メインストリーム・ヴァージョン)」)、10分34秒。

ライナー・ノーツ(石川真男)から引用すると;

 「"The starless light is bible black"という一節から始まるこの曲は、間違いなくキング・クリムゾンを意識したものだろう。エフェクトの掛かったヴォーカルやメロトロン風サウンドを初め、様々なクリムゾン風の音の断片がちりばめられている」。

 「(11)は、ボーナス・トラックとして収録された(9)の別ヴァージョン。イーノによるサウンド・エフェクト”イーノトニック”を駆使した壮大なエレトロニカ・ヴァージョンだ。アンディ・マッケイがサックスで、ビル・マコーミックが”アディショナル・プロダクション”で参加している」。

 なお作曲は双方、マンザネラ/ロバート・ワイアット/イーノ三人の共作となっています。ワイアットとイーノは演奏にも加わっており、また元ロキシー・ミュージックのポール・トンプソンがドラムスを担当。アンディ・マッケイはやはりロキシー・ミュージックのサックスおよびオーボエ奏者。ビル・マコーミックはクワイエット・サンや801のベーシストでした。これらの名に感慨を抱かずにおれない者もいることでしょう。
12. 『ストレンジ・デイズ』、no.77、2006.2、p.194。
 同、no.98、2007.11、p.39。
 『ロキシー・ミュージック大全』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2021、p.171。

13. →「アメリカ大陸など」の頁の「おまけ」も参照

14. 松井巧監修、『カンタベリー・ミュージック(Artists & Disc File Series Vol.5)』(ストレンジ・デイズ12月号増刊)、2004、pp.196-197。
 松井巧監修、『ジャズ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #035』、シンコーミュージック、2008、p.76。
  『ストレンジ・デイズ』、no.98、2007.11、p.39。
 『ロキシー・ミュージック大全』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2021、p.164。

15. 松井巧監修、『カンタベリー・ミュージック(Artists & Disc File Series Vol.5)』(ストレンジ・デイズ12月号増刊)、2004、p.198。
 『ストレンジ・デイズ』、no.98、2007.11、p.39。
 『ロキシー・ミュージック大全』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2021、pp.164-165。

◇ 余談の余談になりますが、先ほど名の挙がった

 Quiet Sun, Mainstream, 1975(クワイアット・サン、『メインストリーム』)

の中で、1曲だけ歌入りの"Rongwrong"(「ロングロング」、ラスト・7曲目、元のLPではB面3曲目、9分29秒)、そのタイトルはマルセル・デュシャンが1917年7月に刊行した1号だけの雑誌 Rongwrong に由来するようです。

 ミシェル・サヌイエ編、北山研二訳、『マルセル・デュシャン全著作』、未知谷、1995

では『ロンロン』と日本語表記されていました(p.386、p.388)。
 ともあれこの曲は、これも名の挙がった

 Phil Manzanera, Eno, Bill MacCormick, Francis Monkman, Simon Phillips, & Lloyd Watson, 801 Live, 1976

でも演奏されました。A面4曲目、5分03秒。

 なお英語版ウィキペディアの "Rongwrong" の頁(→こちら)の下の方、'External links'のリンク先で、件の雑誌をPDF化したファイルを見ることができます(→こちらの2 < [ toutfait.com The Marcel Duchamp Studies Online Journal ])。


 脇道に逸れますが、キング・クリムゾンと縁のある音楽家の

 Jakko M. Jakszyk, The Bruised Romantic Glee Club, 2006(邦題:ジャッコ・ジャクスジク、『ロマンティック・グリー・クラブ』)(→「インド」の頁の「おまけ」も参照)、

2枚組の1枚目、9曲目は"Doxy, Dali and Duchamp"(「ドキシー、ダリ・アンド・デュシャン」)というタイトルでした。4分55秒。ライナー・ノーツの自作解説に"doxy"のことは記されていますが、ダリとデュシャンについては不明。歌詞からも読みとれそうにありません。頭文字がDだからなのでしょうか。

 ダリに関連して→そちらでも触れました;「オペラ座の裏から(仮)」の頁の「3-7. テアトロ・オリンピコ、他
 他方、デュシャンについては→そちらの2:「近代など(20世紀~)」の頁のローレンス・M・クラウス『超ひも理論を疑う』(2008)のところなども参照

◇ 余談に戻って、余談の余談に余談を重ねるなら、

 Phil Manzanera, Firebird V11, 2008(16)(フィル・マンザネラ、『ファイアーバードV11』)

は、クワイアット・サンのメンバーだったチャールズ・ヘイワードと、偶然ロンドン南部のガトウィック空港で、20年ぶりに再会したことを期に作られたアルバムです(ライナー・ノーツに掲載されたマンザネラのコメントより)。
 そのラスト、7曲目は"After Magritte"(「アフター・マグリット」)と題されていました。7分18秒、他の曲ともども器楽曲。画家のルネ・マグリットのことなのでしょうか? ちなみにこの曲も"Rongwrong"もヘイワードが作曲しました。
 なお演奏には参加していませんが、1曲目の"Fortunately I Had One with Me"(「フォーチュネトリー・アイ・ハッド・ワン・ウィズ・ミー」)は先に名の挙がったビル・マコーミックによるもの、4分48秒。
 
16. 前掲『ロキシー・ミュージック大全』、p.171。 

◇ 『バイブル・ブラック』に戻って、同じタイトルのアダルト・ゲーム(2000)およびアダルト・アニメ(2001~2007)、またその名のメタル系バンド(2017)もあったそうですが、それはさておき、本メモの冒頭で触れた〈
共時性(シンクロニシティー)〉に関して、概念そのものについては

 C.G.ユング、河合隼雄訳、「共時性:非因果的連関の原理」、ユング、W.パウリ、河合・村上陽一郎訳、『自然現象と心の構造 ^ 非因果的連関の原理』、海鳴社、1976

を参照いただくとして(パウリの論考は→「バロックなど(17世紀)」の頁の「ii. ケプラーなど」の項で挙げました)、ここでは次のアルバムを;

 The Police, Synchronicity, 1983(ポリス、『シンクロニシティー』)

5枚目にしてラスト・アルバムとなった、そのタイトル曲は

 A面1曲目に"Synchronicity I"(「シンクロニシティーⅠ」)、3分23秒、
 A面6曲目でラスト、"Synchronicity II"(「シンクロニシティーⅡ」)、5分0秒。
2023/07/26 

多崎礼、『〈本の姫〉は謳う』(全4巻)(C・NOVELS)、中央公論新社、2007~2008

法月綸太郎、「バベルの牢獄」、『ノックス・マシン』(角川文庫 の 6-3)、角川書店、2015
 2013年刊本の文庫化

 紙の書物がデータに置き換えられた未来が舞台ですが、綴じ本ないし冊子の形態が重要な役割を果たします。
 なお、同書に収められた他の中短篇3篇のいずれも、本がテーマになっています。


レイモンド・F・ジョーンズ、伊藤典夫訳、「子どもの部屋」、高橋良平編、『ボロゴーヴはミムジイ 伊藤典夫翻訳SF傑作選』(ハヤカワ文庫 SF2102)、早川書房、2016、pp.75-134
原著は Raymond F. Jones, "The Children's Room", 1947

ピーター・アクロイド、真野明裕訳、『チャタトン偽書』、文藝春秋、1990
原著は Peter Ackroyd, Chatterton, 19879

 風間賢二、『怪異猟奇ミステリー全史』(新潮選書)、新潮社、2022

「しかも本書そのものが、実はオスカー・ワイルドの中編『W・H氏の肖像』(1889年、工作舎)の手の込んだ贋作になっている!」(p.24)
とありました。そこで;


ワイルド、福田恆存・福田逸訳、「W・H氏の肖像」、『アーサー卿の犯罪』(中公文庫 C18)、中央公論社、1977、pp.129-185
原著は Oscar Wilde, "The Portrait of Mr. W. H.", 1889

 作中の一節について→こちらで触れました;「戸棚、三角棚、鳥籠、他 - 怪奇城の調度より」の頁中
 またこの邦訳短篇集から→そちらも参照:『幽霊西へ行く』(1935)の頁の「Cf.


 〈書物〉のイメージについては、「魔術、神秘学、隠秘学など」のページの「魔術書など」の項目や「おまけ」等も参照ください。
重なるところも少なくありませんが、他方、図書館といえばいやおうなく、まずは


ボルヘス、「バベルの図書館」、1941

( J.L.ボルヘス、木村榮一訳、『語るボルヘス 書物・不死性・時間ほか』、2017、pp.9-30:「書物」

 も参照

 「バベルの図書館」といえば

山尾悠子、「遠近法」、1977

『ナイトランド・クォータリー』、vol.20、2020.4:『バベルの図書館』

 から、「ボルヘス『バベルの図書館』の現代版」((晃)、「(扉頁解説)」、p.69)というのが;


樺山光英、「post script」、pp.69-84

 また

岡和田晃、「『バベルの図書館』の解釈学」、pp.41-46

 同誌からは→少し上のこちら(ヴィクター・ラヴァル、藤井光訳、『ブラック・トムのバラード』)や、そちら(J.B.キャベルに関して/「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」の頁の「ハイネと〈流謫の神々〉その他」の項)も参照
 さらに
p.29;岡和田晃、「今福龍太『ボルヘス「伝奇集」 - 迷宮の夢見る虎』を素描する - 「バベルの図書館」の解釈学補遺」
 および
p.16;岡和田晃、「『図書館情調』から始まる図書館幻想文学の世界」
 で知ったのが;

今福龍太、『ボルヘス 伝奇集 - 迷宮の夢見る虎』、2019、「Ⅲ  〈完全なる図書館〉の(おのの)き」および「Ⅳ バベルの塔を再建すること」

日比嘉高編、『図書館情調 Library & Librarian シリーズ 紙礫 9』、皓星社、2017
図書館情調(萩原朔太郎 1922)//
図書館を使う;出世(菊池寛 1920)/図書館(宮本百合子 1947)/文字禍(中島敦 1942)/世界地図を借る男(竹内正一 1934)//
図書館で働く;柴笛詩集(抄)(渋川驍 1946)/小年達(新田潤 1941)/司書の死(中野重治 1954)/図書館の秋(小林宏 1975)//
図書館幻想;深夜の道士(富永太郎 1927)/S倉極楽図書館(笙野頼子 2002)/図書館幻想(宮澤賢治 1921頃)/図書館あるいは紙魚の吐く夢(高橋睦郎 1981)/図書館(三崎亜記 2004)//
解説(日比嘉高) 図書館を使う;エリートたちの書楼/もう一つの「学校」/市民の図書館へ//
  図書館で働く;司書という媒介者/働く図書館員をまなざす/図書館と戦争//
  図書館を幻想する;図書館の無限/異界へ向かう幻想/過去に向かう幻想/オルタナティブな知へ向かう幻想//
  図書館の恋 - おわりに、など、
278ページ。


カルロス・ルイス・サフォン、木村裕美訳、『風の影』(上下、集英社文庫 サ 4-1~2)、集英社、2006
原著は Carlos Ruiz Zafón, La sombra del viento, 2001 / 2004

カルロス・ルイス・サフォン、木村裕美訳、『天使のゲーム』(上下、集英社文庫 サ 4-3~4)、集英社、2012
原著は Carlos Ruiz Zafón, El juego del ángel, 2008

カルロス・ルイス・サフォン、木村裕美訳、『天国の囚人』(集英社文庫 サ 4-5)、集英社、2014
原著は Carlos Ruiz Zafón, El prisionero del cielo, 2011

カルロス・ルイス・サフォン、木村裕美訳、『精霊たちの迷宮』(上下、集英社文庫 サ 4-6~7)、集英社、2022
原著は Carlos Ruiz Zafón, El laberinto de los espíritus, 2016 / 2017

 以上四作は「忘れられた本の墓場」四部作と呼ばれ、四作に共通して出てくる〈忘れられた本の墓場〉は特異な図書館です。また四作のいずれもが、本をめぐる物語でもあります。そこで→こちらにメモの頁を設けました

 図書館は直接出てきませんが

つばな、『バベルの図書館』(F×COMICS)、太田出版、2014

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他

 バベルの図書館を連想させずにいないのが、

レナード・M・ワプナー、佐藤かおり・佐藤宏樹訳、『バナッハ=タルスキの逆説 豆と太陽は同じ大きさ?』、2009、pp.178-181

 で紹介されている、イアン・スチュアートが著書『ここから無限へ』(1996)で述べたという、「万能辞書(ハイパーウェブスター(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)」でした。
「これは英語の26個のアルファベットを用いてつくられるすべての可能な単語がおさめられた辞書である。有限個の文字から構成される各単語は、アルファベット順に記載されている。この辞書は、各単語に意味があろうとなかろうと、単なる定義のない単語の一覧である」(pp.178-179)。 
 この辞書の出版計画の顛末も興味深いものです(pp.180-181)。


 図書館に戻って

ウンベルト・エーコ、『薔薇の名前』、1990

高橋留美子、『うる星やつら 8』(少年サンデーコミックス)、小学館、1981、「Part 10 ああ、図書館」

 そのアニメ版

『うる星やつら』、第32回(第51話):「ドッキリ図書館お静かに!」、1982、監督:押井守

 やはりアニメで

『ヤミと夜と帽子の旅人』、2003-2004、監督:山口祐司

 諸星大二郎の『栞と紙魚子』シリーズは二人のヒロインの内一人の家業が古本屋とあって、本にまつわるエピソードが一度ならず登場します(追記:すっかり忘れていましたが、もう一人は新刊書店の娘でした)。とりわけ

諸星大二郎、『栞と紙魚子と夜の魚』(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)、朝日ソノラマ、2001

 中の
「古本地獄屋敷」。
 →「怪奇城の図書室」の頁や、→カルロス・ルイス・サフォン「忘れられた本の墓場」四部作(2001-17) メモの頁でも触れました
 加えて同書 pp.236-237 には「宇論堂奇書珍書目録」として、シリーズに登場した本が紹介されています。
 また


諸星大二郎、『栞と紙魚子と青い馬』(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)、朝日ソノラマ、1998

 中の「ラビリンス」はタイトルどおり迷宮をめぐる話ですが、〈バベルの図書館〉も引きあいに出されています。
 ついでに、このシリーズにはセミ・レギュラーとして「クトルーちゃん」とその家族などの人物がいるのですが、


諸星大二郎、『栞と紙魚子の百物語』(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)、朝日ソノラマ、2008

 中の「百物語」には「禁断の魔書『根暗なミカン』」が登場します(p.142)。→こちらにも挙げておきます:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」の冒頭
 ちなみに


諸星大二郎、『西遊妖猿伝 大唐篇』、第3回(第1巻)、pp.74-76

 には『岳瀆経(がくとくけい)』なる古文書のことが触れられていますが、これは諸星大二郎ではなく、唐代の伝記作家李公佐(りこうさ)が創作した架空の書物のようです。

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅷ」の頁の「諸星大二郎」の項

 やはり〈バベルの図書館〉の名が挙がるのが;

西川魯介、『野蛮の園 2』(JETS COMICS 023)、白泉社、2004、pp.117-132:「第17話 我がまどろみは覚めがちに」

松崎有理、『架空論文投稿計画 でっちあげられた数章』、光文社、2017

樋口恭介編、『異常論文』、2021

劉慈欣(リウ・ツーシン)、大森望・泊功訳、「詩雲」(2003)、『円 劉慈欣短篇集』、早川書房、2021、pp.177-219

 空洞地球が出てくるので→こちらにも挙げておきます;「通史、事典など」の頁の「iii. 地学・地誌・地図、地球空洞説など
 同じ著者による→そちら(「近代など(20世紀~) Ⅴ」の劉慈欣の項)を参照


スティーヴン・ミルハウザー、柴田元幸訳、「展覧会のカタログ - エドマンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術」、『三つの小さな王国』、白水社、1998、pp.197-281

 架空の画家の回顧展のカタログの作品解説。
 →こちらにも挙げました:『アッシャー家の末裔』(1928)の頁の「おまけ
 同じ著者による→そちらを参照:「怪奇城の地下」の頁の「追補
 人工言語といえば、〈コパイア語〉を創造したのがフランスのプログレッシヴ・ロック・バンド、マグマでした。手もとにあるのは3枚目;

Magma, Mekanïk Destruktïẁ Kommandöh, 1973(邦題:マグマ、『呪われし地球人たちへ』)(1)

 と

Magma, Live / Hhaï, 1975(マグマ、『ライヴ!』)(2)
1. 『フレンチ・ロック集成 ユーロ・ロック集成3』、マーキームーン社、1994、p.176。
 大鷹俊一監修、『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・プログレッシヴ・ロック』、音楽之友社、1999、p.193。
 松山晋也監修、『プログレのパースペクティヴ MUSIC MAGAZINE 増刊』、ミュージック・マガジン、2000、p.103。
 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.18。
 立川芳雄、『プログレッシヴ・ロックの名盤100』、リットーミュージック、2010、p.68。


2. 『ユーロ・ロック集成』、マーキームーン社、1987/90、p.84。
 『フレンチ・ロック集成 ユーロ・ロック集成3』、マーキームーン社、1994、p.176。
 大鷹俊一監修、『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・プログレッシヴ・ロック』、音楽之友社、1999、p.193。
 『200CD プログレッシヴ・ロック』、立風書房、2001、p.104。
 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.18。
 松井巧監修、『ジャズ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #035』、シンコーミュージック、2008、p.130。

高円寺百景、Angherr Shisspa, 2005(3)

 日本語版ウィキペディアの該当ページによると(→こちら)、「歌詞の言語は造語であり、これもマグマのコバイア語からの影響が大きい」とのこと。手もとにある上のアルバムは4枚目。
 ドラムスの吉田達也の活動について→そちらでも触れました:「アメリカ大陸など」の頁の「おまけ
3. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.26、2005.8、pp.94-96。
 『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、p.236。

 本に関する曲というのもいろいろありそうですが、ここではとりあえず;

Happy the Man, Crafty Hands, 1978(邦題;ハッピー・ザ・マン、『クラフティー・ハンズ』)(4)

 2枚目の6曲目(元のLPではB面2曲目)が 
"Open Book"(「オープン・ブック」)。4分54秒、器楽曲。
 この曲は


Happy the Man, Live, 1978/1994

でも3曲目に収められていました。6分34秒。 
4. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.4、2000.2、p.30。
 舩曳将仁監修、『トランスワールド・プログレッシヴ・ロック DISC GUIDE SERIES #039』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2009、p.61。
 1枚目から→こちらも参照:「マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡」の頁の「おまけ
 
2014/07/18 以後、随時修正・追補 
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