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戸棚、三角棚、鳥籠、他 - 怪奇城の調度より


 『吸血鬼ドラキュラ』(1958)を見ていると、本筋に関わるような役割を果たすわけでもないのに、何やら気になるモノが映りこむ場面がいくつかあったということで、「カッヘルオーフェン(陶製ストーヴ)」、「捻れ柱」、「四角錐と四つの球」、そして「拳葉飾りとアーチ」の頁、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)からのネタを枕に「ドラゴン、雲形、魚の骨」の頁を作りました。気になるといっても単にものを知らないだけなのですが、そこは上を向いて口笛を鳴らすとして、また『吸血鬼ドラキュラ』に戻るとしましょう。
 当作品の頁でも記しましたが(→こちら)、ドラキュラ城でジョナサン・ハーカーに割り振られた部屋に、戸棚付きの机でしょうか、机としても使える戸棚なのでしょうか、小さな抽斗がいくつもある家具がありました。左右相称ではありますが、抽斗の大きさは一律でなく、細かく分割されている。大きなものは入りそうにありません。表面に装飾を施されています。そうした様子が、何やら気に留まるだけの印象を残してくれたのでした。日本の薬箪笥や、今でも使われているのかどうか、図書館のカード目録のケースが連想されなくもない。現在ならプラスチック製のレターケースに相当するのでしょうか。 『吸血鬼ドラキュラ』 1958 約9分:ハーカーのための部屋、机の上に薬箪笥風キャビネット
追補:少し後の場面で机としての天板の下の部分も映っていました。大きく四つの抽斗に分割されています。上の細かい抽斗のある部分は、下半分とは独立したもので、その上にのせられており、上下で側面の褐色の濃さが違っているようにも見えたのですが、定かではありません。 『吸血鬼ドラキュラ』 1958 約17分:ハーカーのための部屋、机状キャビネット+その下半
 なお、この机状戸棚が映るすぐ前、部屋に入ったところで、寝台の向こうにもキャビネットが置いてありました。四本の脚があるか、あるいは脚の付いた台の上にのせられています)。 『吸血鬼ドラキュラ』 1958 約8分:ハーカーのための部屋 寝台の向こうにキャビネット
 少し話が逸れますが、試しにたとえば、エラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』(井上勇訳、創元推理文庫、東京創元社、1960)をぱらぱら繰ってみると、

 「彫刻をほどこした事務机の上には、すっきりした緑色の電灯のシェードが、あかるく輝いていた。椅子とたばこの灰落とし台。巧妙に細工された外套掛け。絹を張った長椅子 - こういった家具や、その他の品物が、室内に趣味よく配置されていた。…(中略)…数枚のいい版画、大きな壁掛け、それに一枚のカンスターブルの油絵が壁にかかっていた」(p.87)。

 「彼らはヴィクトリア時代後期の名ごりの三世帯住みの褐色の石造の家の最上階に住んでいた。どこまで続くのか見当もつかないくらいに長い、陰気な、きちんと整った廊下広間を渡って、厚い絨毯をしきつめた階段をのぼってゆく」(p.147)。

 「壁掛けの下には、どっしりとしたミッション風のテーブルがあり、その上に羊皮紙の傘のついたスタンドと三巻ものの《アラビアン・ナイト物語》を挾んだ、青銅の本立が一対おいてあった」(p.148)。

 「ベッドは飾りだくさんな、いかもののフランスの時代ものの型で、天蓋がつき、天井から床まで、ダマスコ織りのカーテンが垂れ下がっていた」(p.156)。

 「書棚には、見たところ、手を触れたこともないような書物が詰まり、小さなテーブルの上には、《近代趣味》のスタンドと、彫刻をほどこした象牙の灰皿が数個のせてあった。アンピール式の椅子が二つ。なかば食器棚、なかば書きもの机めいた妙な家具がひとつ」(p.333)。

 この本を手にとったのはずいぶん昔のことで、そもそもどんな話だったかも忘れてしまっています。ともあれ上に並べたようなくだりを読んでいったとして、その際、具体的なイメージに変換できるべくもなかったことでしょう。これは今でもあまり変わらない。かろうじてカンスターブル(コンスタブル)について大ざっぱな記憶を呼びさませるようになった程度でしょうか。
 書き綴られている対象が具体的にどうかという以上に、たとえばヴィクトリア時代だとかアンピール式といった単語を持ちだし、そうした記し方をすることで伝えられるような領域がある、ということ自体が、頭の片隅に残りつづけてきたのかもしれません。
 クイーンに先だって読んでいたであろう、ルブランのリュパン(ルパン)ものや、コナン・ドイルのホームズものも、そうした領域を形成する地層となっていたのではないかと思われます。人によってはそれは、バルザックやディケンズ、プルーストなどによって培われているのかもしれない。ユイスマンスの『さかしま』を挙げる人もいることでしょう。
 ともあれ『吸血鬼ドラキュラ』に出てきた戸棚付き机が、実際の古道具だったのか、表面だけそれらしく作った小道具なのかはわかりませんが、これもまた、そんな領域に沈澱したイメージの一つなのでしょう。

追補:さらに話が逸れますが、「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「おまけ」(→こちらの2)で挙げたオスカー・ワイルドの「W・H氏の肖像」をぱらぱら見ていたら、タイトルの「幾分変色したエリザベス朝風の額に入れられた小さなパネル画」について、次のくだりがありました;

「作風には、殊に両手の扱い方に、フランソワ・クルーエの後期の作品を思わせるものがあった。黒いビロードの上衣(ダブレット)に付いているズボンと結びつける紐の先端には夢幻的な光沢を帯びた金具があり、孔雀青(ピーコック・ブルー)の背景にその上衣が素敵に照り映え、輝かんばかりに色彩的効果を発揮していたが、それこそ正にクルーエ一流のものだった。またやや型通りに大理石の柱脚に掛っている悲劇と喜劇の二つの仮面も、例の厳しい作風で描かれており - これはイタリアの画家の華やかな雅致とは全く異なって - フランスの宮廷に出入りしていながら、なお、偉大なるフランドル派の巨匠クルーエが、決して完全には失わなかったものであり、元来北方特有の気質が常に示す特徴であった」(ワイルド、福田恆存・福田逸訳、「W・H氏の肖像」、『アーサー卿の犯罪』(中公文庫 C18)、中央公論社、1977、p.131)。

また末尾近くでは

「その絵は今では私の客間にかかっており、芸術好きの友人達から激賞されている。連中はクルーエ流というよりオウヴリー流だと決めこんでしまった」(同上、p.185)

と記され、一般的と見なしてよいのかある程度特殊ととるべきなのかはわかりませんが、19世紀末イギリスの知識人の教養の一例なのでしょう。
* ワイルドの原文では"Ouvry"(Wikisource の該当頁より→こちらの3)。上掲邦訳では「オウヴリー」へ訳注をつけて、「J・B・オウドリー(1686~1755)の誤りか。オウヴリーという名の画家は不明。オウドリーはフランスの肖像画家、宮廷画家でもある」(p.192)とありました。スペルは Jean-Baptiste Oudry(ウードリー)。『新潮世界美術辞典』、1985、p.160)。

 と、そういえば柏木博の『探偵小説の室内』(2011)なる本があったっけ、と引っぱりだしてみると、「はじめに」を除けば最初に配された「プロスペロ公とは誰か ポオ『赤死病の仮面』」では、ベンヤミン経由でポーの「家具の哲学」(1840)が取りあげられていました(pp.12-18)。こちらも読んだはずなのにまるっきり忘れていたのは、いつものとおりです(『ポオ全集第3巻』、東京創元社、1970 では「室内装飾の哲学」、松原正訳、pp.286-293、原題は
"The Philosophy of Furniture")。ポーによる「理想的な室内のイメージ」(p.16)について柏木博が記す中には、「ヴィクトリア時代の趣味」とか「フランスのアンピール」といった、上の引用中に出てきたことばに近い言い回しも見つかります(p.17)。

 他方、海野弘『書斎の文化史』(1987)の「第5章 ルネサンスの書斎」では、〈ヴァルゲーニョ〉について、

「16世紀から17世紀にかけてスペインではやったもので、…(中略)…これをプエンテという足台にのせて、前板を引くと、ドロップ・フロント式になっていて、机になる。、…(中略)…ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館には16世紀はじめのヴァルゲーニョがあるが、前板を下ろすと、内から豪華な装飾をほどこした引出し戸棚があらわれる」(p.117)

と述べられていました。pp.118-119 に載せられた図版の二点がヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵品のことなのでしょうか。その内 p.119 の作例や、あるいは
"vargueño" "bargueño"Google を画像検索してみると、ドラキュラ城の戸棚付き机とけっこう近そうな気がするのですが、いかがでしょうか。ちなみにスペイン語版ウィキペディアに "bargueño" の頁がありました→そちら。写真も3点載っています。手もとの西和辞書では、"vargueño" "bargueño" に送られ、そちらで「飾り戸棚」と記されていました(なおスペイン語の v の音は b と同じなので、いずれの綴りでも表記は〈バルゲーニョ〉となります)。
 そうしたものからの展開になるのか、さらに、

「キャビネットをヴァルゲーニョから発展したものと考えることもできる。ヴァルゲーニョはプエンテの上にのせるのであるが、その代りにヴァルゲーニョを二つ重ねるとキャビネットになるのである」(p.122)、

「キャビネットの特徴は、内部が細かく仕切られ、分類されていることである」(p.124)

という。海野弘『部屋の宇宙誌 インテリアの旅』(1983)の「戸棚」の章には、

「ビューローは引出しつきの机のことでもあり」(p.54。『書斎の文化史』、pp.162--163、190-192 も参照)

と、また「書き物机」の章に、

「セクレテールというのは、秘書のことでもあり、キャビネット(戸棚)のような形をしていて、上部を下ろすと机になる家具のことでもある」(p.81。『書斎の文化史』、pp.188-190 も参照)

とありました
追補:→「怪奇城の隠し通路」の頁でも触れました。
 ちなみにリンクを張った箇所の少し先で、船箪笥のことに触れたのですが、

アンソニー・ホロヴィッツ、山田蘭訳、『ヨルガオ殺人事件』(上下)(創元推理文庫 M ホ 15-5~6)、東京創元社、2021

を読んでいたら次のくだりに出くわしました。作中作で探偵が宿泊するホテルはもと「19世紀の税関の建物」(上巻 p.341=作中作 p.35)だったというのですが、そこで探偵に当てられた部屋、

「《船長の部屋》は、かつてここが税関だったころ、事務室として使われていた場所だ。…(中略)…いかにも船乗りめいた雰囲気の部屋で、ベッドの足もとには船室用の収納箱があるし、…(中略)…大波が来ても中身がごっちゃにならないよう、何十もの細かい引き出しのある船用の箪笥が浴室に据えつけられている」(下巻 p.15=作中作 p.131).

とのことで、文面だけからすると浴室の「船用の箪笥」は、船箪笥というより薬箪笥を思わせたりもするのでした)。


追補の2:その後、次の本を見る機会がありました;

Monique Riccardi-Cubitt, The Art of the Cabinet. Including a chronological guide to Styles, Thames and Hudson, 1992

 扉には「挿図400点以上、135点はカラー」とあって、古代からの前史に触れつつ、主に15~16世紀のルネサンス期から20世紀までのキャビネットの歴史を扱っています。出てくるは出てくるは、単に当方が勉強不足なだけなのですが、いろいろ出てきます。バルゲーニョはもとより(pp.36-37 など)、「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様」の頁で垣間見たタルシーア(インタルシア)(pp.40-41 など)に《ヴランゲルシュランク》(p.44)、「オペラ座の裏から(仮)」で触れたテアトロ・オリンピコまで登場します(pp.76-77)。捻れ柱もあちこちで見かけられるのでした。
 細かく割られた抽斗の様子は、ロジャー・コーマンのポー連作から『忍者と悪女』(1963)で、画面に映った戸棚を連想させました→あちら 『忍者と悪女』 1963 約3分:書斎(?)から礼拝堂(?)へ 奥に薬箪笥風キャビネット
 『吸血鬼ドラキュラ』でのそれよりは抽斗の分割は規則性が高いようで、しかしそれでも、中央部と最下段に変化が加えられています。
 『忍者と悪女』のセットが上出来だからと、その直後に製作された『古城の亡霊』(1963)でも同じ戸棚が登場していましたが(→ここ)、遡れば『恐怖の振子』(1961)でも見られたのでした→そこ
 
『古城の亡霊』 1963 約32分:礼拝堂内+薬箪笥風キャビネット 『恐怖の振子』 1961 約8分:地下第一層の格子戸の先 奥に薬箪笥風キャビネット
 コーマンのポー連作からは、『アッシャー家の惨劇』(1960)でも、地下納骨堂の入口前に戸棚が配されていました(→あそこ)。大きさは上記三作で見られたものと同じくらいのようなのですが、前面のデザインは異なっています。 『アッシャー家の惨劇』 1960 約34分:地下納骨堂の手前+戸棚
 『アッシャー家の惨劇』の頁でも引用したのですが、コーマンは、

「ほんとうのスターは美術監督のダン・ハラーだったといってよいだろう。彼はユニヴァーサルへ出かけて、2500ドルでありもののセットや背景を買いこんだ…(中略)…いろいろな映画会社をまわって、柱やアーチや窓や家具を集めた。…(中略)…そしてポーの作品を撮りおえるたびに、倉庫を借りてセットを保存した。だから一連のポー作品をくりかえし見ると、おなじセットや特定の道具が何度も登場しているのがわかるはずだ」

と話していました(ロジャー・コーマン、ジム・ジェローム、石上三登志・菅野彰子訳、『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか-ロジャー・コーマン自伝』、早川書房、1992、p.125)。
 そもそもポー連作とその周辺を続けて見たとして、『アッシャー家の惨劇』における燃えあがる天井のショットや(後に『忍者と悪女』からのショットも加わります)、『恐怖の振子』での城の外観のマット画三種が、繰り返し挿入されることの印象が強くて、小道具大道具等の細かな異同は陰に隠れてしまう気がしないではありません。
 加えて、『アッシャー家の惨劇』と『怪異ミイラの恐怖/黒猫の怨霊/人妻を眠らす妖術』(1962)以外の作品で洩れなく組みこまれた暖炉の中からの視線であるとか、『アッシャー家の惨劇』、『恐怖の振子』、『恐怖のロンドン塔』(1962)で再現された柩の蓋の下から這いだそうとする血まみれの手とか、さらに、画面が通常とは異なる色に染まった、悪夢や幻覚の場面、地下室への冥界下りなど、『恐怖のロンドン塔』と『古城の亡霊』を加えてもたった10作、1960年から64年までの4年足らずではあれ、作品をまたいで頻出するモティーフの存在には、どんな機能があるのか、理屈をつけてみろといわんばかりであります。単なる経済的節約というのが実状なのでしょうが、それ以上の意味を読みこみたくならずにいられないのではないでしょうか。
 その上で、『恐怖の振子』と『忍者と悪女』で二度にわたって登場したモローニの《仕立て屋》(の複製→こっちと、そっち)ほど目立たないにせよ、上で挙げたキャビネットのような例を見つけることはできたのでした。
 目に留まった中からもう一例だけ挙げるなら、『アッシャー家の惨劇』で、礼拝堂の入口側の壁左右に添わせてあった、数人掛け用の、黒っぽい木製の椅子二種は(→あっち)、『恐怖の振子』では二階廊下に置いてありました(→こなた)。しかもその内背もたれが方形の方は、映画の中では別の位置でも見られます。 『アッシャー家の惨劇』 1960 約50分:礼拝堂
『恐怖の振子』 1961 約41分:廊下 奥の扉がエリザベスの部屋 『恐怖の振子』 1961 約58分:廊下 左の扉がフランシスの部屋
 こうした例は他にもあるのでしょうし、そもそも映画製作のかような一齣は、コーマンのポー連作周辺だけのことではありますまい。『魔人ドラキュラ』(1931)のセットは『恐怖城』(1932)で再利用されたとのことで、異なる製作会社間でもそうした状況は起こるわけです。
 『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)の頁でも記しましたが、その製作の際、『フランケンシュタイン』(1931)および『フランケンシュタインの花嫁』(1935)で用いられた実験室の設備を、探しだして再利用したのでした。製作会社どころか、40年以上の時間をまたいだわけです。
 また『猫とカナリヤ』(1927)で書斎にあった背もたれがずいぶん大きな椅子は(→そなた)、『魔人ドラキュラ・スペイン語版』(1931→あなた)でも出てくることを、デイヴィッド・J・スカルが指摘していました(『ハリウッド・ゴシック ドラキュラの世紀』、1997、p.270)。この場合、サイレントとトーキーの違いはあれ、双方ユニヴァーサルの製作で、ともにチャールズ・D・ホールが美術を担当していました(→こちら:『オペラの怪人』(1925)の「Cf.」)。
『猫とカナリヤ』 1927 約1時間22分:背もたれの高い椅子 『魔人ドラキュラ・スペイン語版』 1931、約14分:寝室、左奥に『猫とカナリヤ』の椅子
 『吸血鬼ドラキュラ』の戸棚付き机に戻れば、よく似た戸棚は『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)でも映っていました(→こちら)。前者ではハーカーが日記をつけたり、棚の一つにその日記を入れたりしていましたから、話にからまないとは言えないのですが、後者はヒロインが通りすぎる際にちらっと見えただけでした。広間の、吹抜歩廊と反対の壁に置かれたそれは、しかし、抽斗の分割が微妙に違っているようです。四本の脚があるか、あるいは脚の付いた台の上にのせられています。吹抜歩廊にも一台キャビネットらしきものが置いてありましたが、こちらはよく見えませんでした。 『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 1960 約18分:広間、階段側から 暖炉のすぐ左に扉口
 『ドラキュラ血のしたたり』(1971)で、こちらは机をなしてはいないようですが、キャビネットが見られます(→そちら)。壁を背にして、脚付きの台の上に置いてあるのですが、あまり厚みはなさそうです。抽斗の数はけっこうあって、ただ装飾はあっさりしていました。 『ドラキュラ血のしたたり』 1971 約48分:チェンバロに向かうアントン 奥にキャビネット
追補:ハマー・フィルムからもう一つ、ページは作っていないのですが、『ミイラ怪人の呪い』(1967、監督:ジョン・ギリング)で、占い師ハイチの部屋にキャビネットが映っていました。舞台は1920年のエジプトです)。 『ミイラ怪人の呪い』 1969 約1時間22分:占い師ハイチの部屋、右奥にキャビネット
 ハマー・フィルム以外の作品から戸棚付き机をもう一つ、『血の唇』(→あちら)に出てきたのは、右側で横に開く翼だか扉があって、そちらにも抽斗がついているように見えました。抽斗の奥行きは浅いことになりますが、そこに入るようなもの専用ということなのでしょうか。 『血の唇』 1970 約8分:本館の一階、事務室+机に附属のキャビネット
 ハマー・フィルム製作の作品に戻れば、「ドラゴン、雲形、魚の骨」の頁で見た小ドラゴンなど、小道具大道具の使い回しはここでも稀ではないとして、気がついた中から『吸血鬼ドラキュラの花嫁』に戻ってもう一つ、村の酒場兼宿屋には、三角形の棚がありました(→ここ)。水平の棚板が三角の斜線から飛びだしているというものです。同じものと見てよいでしょうか、『吸血鬼の接吻』(1963)で、宿屋のロビーで主人が白布をはずすと、やはり三角の棚が現われます→そこ
『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 1960 約7分:酒場 右手前に三角形の酒棚 左半ばの玄関の両脇に雲形仕切り 『吸血鬼の接吻』 1963 約11分:ホテルのロビー 左に三角棚 画面左端に腕(?)
 『吸血鬼の接吻』でのお城の玄関広間には、白い捻れ柱、親柱上の小ドラゴン、オジー・アーチなどに加えて、大きな鳥籠が飾ってありました(→あそこ)。円形のテーブルの上に置かれたほぼ立方体のこれとは、しかし異なる、劣らず大きな鳥籠が別の作品二篇に登場します。 『吸血鬼の接吻』 1963 約18分:玄関広間
 一つは『鮮血の処女狩り』(1971)で、中庭でしょうか、屋外に置かれ、平面は六角形をなしているようです(→こっち)。窓格子にも脚にもゆるい尖頭アーチが交わっています。 『鮮血の処女狩り』 1971 約23分:中庭+鳥籠 左端に塔への扉
 これはまったく同じものなのでしょう、『ドラキュラ血のしたたり』で、やはり屋外、学校を出たところに置いてありました(→そっち)。ちなみに『鮮血の処女狩り』は1971年1月31日、本作は同年10月3日英国公開でした。 『ドラキュラ血のしたたり』 1971 約52分:学校の前、木製鳥籠
 『吸血鬼の接吻』では主人公たちが覗きこみ、『鮮血の処女狩り』では侍女が鳥の世話をしていましたが、ここでは文字通り景色の一部以上ではありませんでした。筋運びにほとんど関与しない、こうした細部の積み重ねこそが、しかし、何らかの雰囲気を造り出すのだと、したり顔でのたまいたくもなろうというところなのでした。

 最後に、同じものではないようですが、マリオ・バーヴァが監督した『血ぬられた墓標』(1960)と『白い肌に狂う鞭』(1963)で見られた、皿を並べた戸棚を挙げておきましょう(→あっちや、こなた)。
『血ぬられた墓標』 1960 約33分:城の広間、暖炉の右手の皿を並べた戸棚
前者は城の広間、後者は食堂に置いてありました。ちなみに前者の同じ広間で、皿を並べた戸棚とは反対側、個室の区画へつながるらしき扉口の脇に、多角形だか湾曲しているのか、背の低い、数段からなる棚がありました。 『血ぬられた墓標』 1960 約55分:城の広間、右奥に多角形だか湾曲した形の戸棚 
2021/04/21 以後、随時修正・追補
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