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フランケンシュタイン
Frankenstein
    1931年、USA 
 監督   ジェイムズ・ホエイル 
撮影   アーサー・エディスン 
編集   クラレンス・コルスター 
 美術   チャールズ・D・ホール 
 セット・デザイン   ハーマン・ロッセ 
    約1時間10分 
画面比:横×縦    1.37:1 
    モノクロ 

DVD
………………………

 『魔人ドラキュラ』に続いてユニヴァーサル社が放った作品で、やはりその後のフランケンシュタインの怪物のイメージ形成に大きな刻印を残すことになりました。またやはりデイヴィッド・J・スカル(→こちらを参照)が、参照したDVDに収録されたメイキングの脚本・監督などを担当しています。
 メアリー・シェリーの原作(1818/1831)に登場する怪物がたぶんに哲学的な性向の持ち主であったのに対し、映画版では単なる殺人鬼になってしまったといった語られ方をすることが時にありますが、ユニヴァーサル版以前に演劇や映画(1910年のエジソン社によるものなど)などですでに何度も翻案されてきた点をおくにしても、ジャック・P・ピアースの特殊メイクを施されたボリス・カーロフが演じる怪物は、否定すべくもない威厳をたたえているように思われます。たしかに犯罪者の脳が怪物創造の際に用いられたという、ユニヴァーサル版独自の設定もなされているのですが、怪物が示す憧れや戸惑い、おびえ、歓び、そして怒りは、そうした設定自体を余計な付け足しと感じさせるのではないでしょうか。もちろんモノクロで撮影された点も、無垢と威厳の入り交じった存在感を色褪せさせないことに与って力あるのでしょう。ただカーロフ自身が怪物を演じた二つの続篇も含め、以後のフランケンシュタインを主題にする少なからぬ作品においても、本作品における怪物のイメージの鋭利さは一度として凌駕されることがなかったといっては、言い過ぎになるでしょうか。


 映画は手元のアップから始まって、埋葬に参列する人々を順にパンしていきます。やがて斜めになった十字架や死神像が映り、やはり斜めになった金網を通して、埋葬をうかがうフランケンシュタインと助手のフリッツがアップで捉えられます。この作品では、アップと引きの切り換えが頻繁に行なわれるとともに、しばしば空間を少し傾けて映すようです。柩を台車に載せて運ぶさまを上から見下ろした後、絞首台の場面でも、柱はわずかに左に傾いていました。
 ヒロインが登場する居間はいかにも豪勢なのですが、それはさておき、居間から出ておそらく玄関との間に、手前から奥に延びる廊下が映されます。奥には階段があって踊り場で左に折れるとともに、吹き抜けの廊下には、斜めになった太い梁がかかっています(追補:→「怪奇城の廊下」の頁でも触れました)。この空間は後段でのフランケンシュタイン男爵の邸宅の場面にも使い回されていました(それとも結婚を控えたヒロインが男爵の屋敷に滞在しているということなのでしょうか)。また部屋の入口から廊下なり別の部屋に移るところを、セットの特性を活かして壁越しに映すカットが何度か登場する点も面白いところです。 『フランケンシュタイン』 1931、約12分:館、1階廊下
 次いで見張り塔 watchtower の登場です。外観は模型で、高い丘の上に、先細りの形をして立っています。実験室に用いられている部屋は、湾曲した壁を斜めになった太い壁付の柱が支え、部屋のまん中にも木製らしい柱が立っている。長い梯子も見えます。天井には開口部があって、床は板張り、下へ降りる階段が隅にあります。壁にはいくつも壁龕状の凹みがあり、窓の下には段が設けられている。そんな中にいくつも怪しげな電気仕掛けの装置が設置されているわけです。壁の凹凸が作る陰は濃く、電気の放つ輝きと強く対比されます。斜めのダイナミックな構図で捉えられたかと思えば、手術台が昇降する場面では、その動きに従ってカメラも上下に首を振ります追補:右上のショットがMichael Crandol, Ghost in the Well. The Hidden History of Horror Films in Japan, 2021, p.39 / fig.4 で『怪猫岡崎騒動』(1954)における岡崎城の図版と並べられています。→「怪奇城の高い所(後篇) - 塔など」の頁でも触れました)。  『フランケンシュタイン』 1931、約14分:見張り塔、夜の外観
『フランケンシュタイン』 1931、約14分:見張り塔、屋上附近
『フランケンシュタイン』 1931、約14分:実験室 『フランケンシュタイン』 1931、約18分:見張り塔、入口前から実験室の窓を見上げる
 床にはいくつか段差が設けられているようで、アップ/引きの切り換えと相まって、人物間の関係に動きをもたらすのを助けています。また後の場面で手前にテーブルを置いた、その背後の壁に、梯子をはさんでいくつも、おそらく機器をに布をかぶせたということなのでしょう、縦長の形が並んでいるのですが、どうにも人型に見えて、奇妙な感触をもたらしていました。  『フランケンシュタイン』 1931、約35分:実験室、布をかぶせた何かの列
 上の階にある実験室から螺旋状の階段を降りると玄関に行けるわけですが、後の方では、やはり壁をはさんで実験室と階段室をつなぐカットがあったりします。ともあれ1階部分を映した場面からは、この塔がかなり粗っぽい造りになっていることがわかります。階段は1階部分のかなりを占めるような大きさの、斜めになった壁だか柱を取り巻いています。下から昇るに従って幅が狭くなっていくように見え、また各段はまん中あたりでくぼんでいる。階段を降りきると短い廊下になって、狭い玄関があるのですが、すぐ右手にも扉があって、地下室につながっています。玄関と地下室の扉との間の壁には、梯子代わりなのでしょうか、角をまたいで鉄棒が横に何段もかけてあり、その中に上から鎖が吊りさがっています。  『フランケンシュタイン』 1931、約17分:見張り塔、入口附近へ降りる階段
 怪物が閉じこめられる地下室 cellar も興味深い造りになっていました。入口付近には屋根を支えるためか、木製の柱が斜めに延びていて、数段下がれば部屋なのですが、左側にはやはり斜めになった石の壁があり、寝台が置いてあります。右側は深く急速にすぼまっていく凹みになっていて、その奥に小さな窓があるのです。後の場面で、扉が二重になっていることがわかります。  『フランケンシュタイン』 1931、約39分:見張り塔、地下室
 物語はフランケンシュタインの父である男爵の屋敷に舞台を移します。ここで面白いのは、先にもふれた吹き抜けの廊下と階段によって結ばれたいくつかの空間の関係でしょう。1階では居間とヒロインの控え室が廊下をはさんで向かいあっており、少なくとも2階、そして地下があります。侵入したと思しき怪物を探す場面では、2階にあがってまず右の部屋、もどって廊下をはさんだ左の部屋に入り、さらにその部屋越しに奥の部屋を確かめるという、17世紀オランダの室内画を思わせるような構図にも出くわしました。その際手前の部屋の扉付近が、やはり少し斜めに撮られています。  『フランケンシュタイン』 1931、約53分:館、二階
『フランケンシュタイン』 1931、約54分:館、二階の一室、扉越しに 『フランケンシュタイン』 1931、約55分:館、地下の酒蔵
 また花嫁の控え室に怪物が侵入する場面では、花嫁装束の白と怪物の衣服の黒が強く対比されて、『カリガリ博士』におけるヒロインの寝室の場面を思い起こさせたりもしました。 
 男爵邸のある村のセットもしっかりしたものでしたし、怪物を追跡する岩山、そしてクライマックスのやはり丘の上にある風車小屋なども見所です(追補:→「怪奇城の高い所(後篇) - 塔など」の頁でも触れました)。ともあれ斜め斜めとしつこくあげつらってきましたが、カメラの動きや、遠近を切り換えるカットのつなぎと相まって、この作品に持続した緊迫感をもたらしていたように思えることでした。  『フランケンシュタイン』 1931、約56分:村
『フランケンシュタイン』 1931、約1時間4分:風車小屋 『フランケンシュタイン』 1931、約1時間8分:燃える風車小屋
Cf.,   以下、手元にある資料で、章題等に出てくるものだけ挙げますが、これ以外にも当然、あちこちで取りあげられています;

S.S.プロウアー、福間健二・藤井寛訳、『カリガリ博士の子どもたち』、1983、pp.37-46

The Horror Movies, 4、1986、p.146

菊地秀行、『怪奇映画の手帖』、1993、pp.26-31:「『フランケンシュタイン』の遺産」、

 同、pp.32-46:「フランケンシュタイン創造者の悲劇-ああ、ジェームズ・ホエール」

 また同書、p.194 も参照


デイヴィッド・J・スカル、『モンスター・ショー 怪奇映画の文化史』、1998、pp.141-155

石田一、Monster Legacy File、2004、p.5

José María Latorre, El cine fantástico, 1987, pp.41-72 : "Capítulo 2 Semblanza de Mary Shelly", "Capítulo 3 Retrato de James Whale", "Capítulo 4 El moderno Prometeo"

Scott Allen Nollen, Boris Karloff. A Critical Account of His Screen, Stage, Radio, Television, and Recording Work, McFarland & Company, Inc., Publishers, Jefferson, North Carolina, and London, , 1991, pp.42-61 :" Chapter 4. The Man Who Made a Monster : Frankenstein (1931)", p.369 / no.79

 同書からまた
→こちら(『狂へる天才』)、そちら(『魔の家』)、あちら(『成吉斯汗の仮面』)、ここ(『月光石』)、そこ(『黒猫』)、あそこ(『フランケンシュタインの花嫁』)、こっち(『大鴉』)、そっち(『古城の扉』)、あっち(『透明光線』)、あっちの2(『歩く死骸』および『悪魔の命令』)、こなた(『フランケンシュタイン復活』)、そなた(『恐怖のロンドン塔』)、そなたの2(『死刑台の呪い』)、あなた(『フランケンシュタインの館』)、またこちら(『死体を売る男』)、そちら(『吸血鬼ボボラカ』)、あちら(『恐怖の精神病院』)、ここ(『奇妙な扉』)、そこ(『黒い城』)、あそこ(『忍者と悪女』)、こっち(『古城の亡霊』および『殺人者はライフルを持っている!』)、そっち(『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』)、あっち(『襲い狂う呪い』)
 でも挙げています。
 →こちら(『宇宙からの侵略生物』(1957)の頁)そちら(『麗猫伝説』(1983)の頁)(双方『殺人者はライフルを持っている!』に関して)でも触れています

 また

ホラー・ワールド』、no.2、1980.7、pp.36-39:「グラフ 怪奇スター回想-2 ボリス・カーロフ」


Michael Sevastakis, Songs of Love and Death. The Classical American Horror Film of the 1930s, 1993, pp.59-74 : "Part II -4. Frankenstein : Are Men Not Gods?"

Jeremy Dyson, Bright Darkness. The Lost Art of the Supernatural Horror Film, 1997, pp.11-21

Tom Johnson, Censored Screams. The British Ban on Hollywood Horror in the Thirties, 1997, pp.32-45 : "Frankenstein - The Movie That Makes a Monster"

Jonathan Rigby, American Gothic: Sixty Years of Horror Cinema, 2007, pp.97-101

Jonathan Rigby, Studies in Terror. Landmarks of Horror Cinema, 2011, pp.34-35

 また

Beverly Heisner, Hollywood Art. Art Direction in the Days of the Great Studios, 1990, pp.289-291

Juan Antonio Ramírez, Architecture for the Screen. A Critical Study of Set Design in Hollywood's Golden Age, 2004, p.75, p.137, p.139


 原作の邦訳は何種類かあるようですが、とりあえず;

シェリー、小林章夫訳、『フランケンシュタイン』(光文社古典新訳文庫 K Aシ 5-1)、光文社、2010
原著は
Mary Shelley, Frankenstein ; or, The Modern Prometheus, 1818/1831

 →こちら(「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」)や、そちら(「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「おまけ」/ダニエレブスキー『紙葉の家』に関連して)で触れました

 続篇の『フランケンシュタインの花嫁』(1935)は→そちらを参照
 ハマー・フィルムの『フランケンシュタインの逆襲』(1957)は→あちら

 なお、実験室のある見張り塔の階段が再登場するのが

『女ドラキュラ』(1936)→こちらを参照

 本作および『花嫁』での見張り塔をなぞった建物の登場するのが;

『フランケンシュタインと僕』、1996、監督:ロバート・ティンネル

 この作品には丘の上の風車小屋も出てくるのですが、そこで参照されるのは『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)でした。
 →『ドラキュラとせむし女』(1945)の頁の「おまけ」でも触れました。
 他方丘の上の風車小屋にフランケンシュタインの怪物が入っていくのは;

『ヴァン・ヘルシング』、2004、監督:スティーヴン・ソマーズ


おまけ The Edgar Winter Group, "Frankenstein", They Only Come Out at Night, 1973

 というのもありましたが、手元にないので曲名のみ挙げておきます。
   同曲は

Ktu, Quiver, 2009(邦題:ケー・トゥー『クィヴァー』)(1)

 の日本版ボーナス・トラック1曲目として取りあげられていました;
"Frankenstein"(「フランケンシュタイン」)、4分19秒。フィンランドのアコーディオン奏者キンモ・ポーヨーネンと1990~2000年代のキング・クリムゾンに参加していたトレイ・ガンおよびパット・マステロットによるバンドの2枚目とのことです(1枚目にはもう一人参加)。

Goblin, Roller, 1976(邦題:ゴブリン『ローラー』)(2)

 よりB面ラスト、
"Dr. Frankenstein"(「ドクター・フランケンシュタイン」)、5分52秒、二部構成の器楽曲です。
 
1. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.41、2009.5、p.20;
 『キング・クリムゾン リトル・ディスコグラフィー・シリーズ①』、ストレンジ・デイズ、2013、p.173。


2. 『イタリアン・ロック集成 ユーロ・ロック集成1』、マーキームーン社、1993、p.60;
 アウグスト・クローチェ、宮坂聖一訳、『イタリアン・プログ・ロック イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド(1967年-1979年)』、マーキー・インコーポレイティド、2009、pp.266-269;
 岩本晃一郎監修、『イタリアン・プログレッシヴ・ロック(100 MASTERPIECE ALBUMS VOL.1)』、日興企画、2011、p.55。

 
  Tuxedomoon, Half-Mute, 1979(→こちらを参照:「アメリカ大陸など」の頁の「おまけ」)

 よりA面ラスト、
"James Whale"
 鐘がカン、カンと微妙に速度を変えたりひずんだりしつつ鳴り続ける周辺で、なんやかやの音が響くという曲です。

 ジェイムズ・ホエイルの晩年を描いた作品が;

『ゴッド・アンド・モンスター』、1998、監督:ビル・コンドン


ホラー映画100年史 100 Years of Horror 』、1996、DVD版の第2巻『怪物達の饗宴 The Gruesome Twosome

 は前半でルゴシ、後半がカーロフの紹介となっています。


 ところで、メアリー・シェリーの原作は、たとえばオールディスによってSF史の劈頭に置かれています;

ブライアン・オールディス、『10億年の宴 SF - その起源と歴史』、1980、pp.11-50:「1 種の起源 メアリー・シェリー」

 オールディスはさらに、

ブライアン・W・オールディス、藤井かよ訳、『解放されたフランケンシュタイン』(海外SFノヴェルズ)、早川書房、1982
原著は
Brian W. Aldiss, Frankenstein Unbound, 1978

 で、メアリー・シェリーとフランケンシュタイン男爵、その怪物がともに存在する歴史を物語りました。この小説は映画化されてもいます;

『フランケンシュタイン/禁断の時空』、1990、監督:ロジャー・コーマン


 他方別の方面からもこの物語が注目されていることを知ったのは、

バーバラ・ジョンソン、大橋洋一・青山恵子・利根川真紀訳、『差異の世界 脱構築・ディスクール・女性』、紀伊國屋書店、1990、pp.256-273:「第4部 第13章 わたしの怪物/わたしの自己」
原著は
Barbara Johnson, A World of Difference, 1987

 を読んだ時でした。これ以外にも;


フランコ・モレッティ、植松みどり・河内恵子・北代美和子・橋本順一・林完枝・本橋哲也訳、『ドラキュラ・ジョイス 文学と社会』、新評論、1992、pp.19-58:「恐怖の弁証法」

 『フランケンシュタイン』と『ドラキュラ』が扱われているので、→こちらにも挙げてきます(『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)の頁の「おまけ」)

神尾美津雄、「パンドラの箱に封印を - メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』 -」、『他者の登場 - イギリス・ゴシック小説の周辺 -』、1994、pp.139-169

クリス・ボルディック、谷内田浩正・西本あづさ・山本秀行訳、『フランケンシュタインの影の下に』(異貌の19世紀)、国書刊行会、1996
原著は
Chris Baldick, In Frankenstein's Shadow ; Myth, Monstrosity, and Nineteenth-Century Writing, 1987

 内、訳者解説「ボリス・カーロフの影の下に」(内山田浩正)が映画版を扱っています。

スティーヴン・バン編、遠藤徹訳、『怪物の黙示録 「フランケンシュタイン」を読む』、青弓社、1997
原著は
Edited by Stephen Bann, Frankenstein, Creation and Monstrosity, 1994

 全9篇を収録。第6章は「ジェームズ・ホエールの『フランケンシュタイン』-ホラー映画とスクリーン上の怪物のシンボル的生物学」(マイケル・グラント)。
 ちなみに、「第5章 印象派の怪物-H.G.ウェルズの『ドクター・モローの島』」の著者マイケル・フライドは、近代美術史をかじった者にはなじみの深いマイケル・フリードのこと。


J=J.ルセルクル、今村仁司・澤里岳史訳、『現代思想で読むフランケンシュタイン』(講談社選書メチエ 105)、講談社、1997
原著は
Jean-Jacques Lecercle, Frankenstein, mythe et philosophie, 1988

 内、第5章は「神話の存続-スクリーンの『フランケンシュタイン』」

横山茂雄、『異形のテクスト 英国ロマンティック・ノヴェルの系譜』、1998、pp.55-72:「第3章 知識の両義性-『サン・レオン』から『フランケンシュタイン』へ」

クリストファー・フレイリング、『悪夢の世界 ホラー小説誕生』、1998、pp.3-100:「第1章 フランケンシュタイン」

長野順子、「〈美的なもの〉と排除の構造-18世紀美学の言説から『フランケンシュタイン』へ-」、『美学』、vol.49 no.3、1998.12.31、pp.1-12 [ < CiNii Articles

廣野由美子、『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』(中公新書 1790)、中央公論新社、2005

小野俊太郎、『フランケンシュタイン・コンプレックス 人間は、いつ怪物になるのか』、青草書房、2009

小野俊太郎、『フランケンシュタインの精神史 シェリーから「屍者の帝国」へ』(フィギュール彩 36)、彩流社、2015

 第5章1「フランケンシュタインと視覚表現」の中で31年版映画もとりあげられます(pp.130-132)。

 同じ著者による→こちらを参照:『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)の頁の「Cf.」


武井博美、『ゴシックロマンスとその行方 建築と空間の表象』、2010、pp.139-168:「廃墟と大自然 - メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』」

田中千惠子、『「フランケンシュタイン」とヘルメス思想 - 自然魔術・崇高・ゴシック』、2015

Paul A. Cantor, Creature and Creator. Myth-making and English Romanticism, 1984/85, Part Two - chapter 4: "The Nightmare of Romantic Idealism"

The Horror Reader, 2000, "Part Four: Many Frankensteins
 pp.111-113: Ken Gelder, "Introduction to Part Four"
 pp.114-127, Chapter 10 : Paul O'Flinn, "Production and Reproduction. The case of Frankenstein"(extract)
 pp.128-142, Chapter 11 : Elizabeth Young, "Here Comes the Bride. Wedding gender and race in Bride of Frankenstein"(extract)


 こうした関心と連動しているのかもしれません、メアリー・シェリーと『フランケンシュタイン』執筆のきっかけになったディオダティ荘のエピソードは『フランケンシュタインの花嫁』でもプロローグとして配されていましたが、このエピソードを主軸として扱った映画が、似たような時期に製作されたりしました;

 『ゴシック』、1987、監督:ケン・ラッセル

 『幻の城』、1988、監督:ゴンサロ・スアレス

 『幽霊伝説 フランケンシュタイン誕生秘話』、1988、監督:アイヴァン・パッサー


 三作いずれにおいてもメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン、後のメアリー・シェリーを演じた俳優は、オープニング・クレジットのキャストでは三番目か、よくて二番目(『幻の城』)に出てくるのですが、三作いずれにおいても実質的な主役は、メアリーといってよいでしょう。
 向きはそれぞれながら、一番目に出てくる俳優が演じるバイロンとのやりとりが主軸をなしていたような気がします。『ゴシック』と『幽霊伝説』では、パーシー・シェリーはいささか浮世離れした性格に描かれ、『幻の城』の彼がまだしも人間らしい。これはディオダティ荘以後の出来事まで扱われているという点にもよるのかもしれません。残る二人、メアリーの義妹クレア・クレアモントとバイロンの侍医で後に「吸血鬼」(1819)を著わすことになるポリドーリの扱いはそれぞれに微妙で、『幻の城』では自殺するのがディオダティ荘の時点に早められており、「吸血鬼」に取りかかる余裕もなさそうなのでした。
 さて、三作中古城映画的な興趣を欠かないのは、ケン・ラッセルらしく、いささか下品で狂躁的な『ゴシック』です。一階の部屋の連なり、一階から二階への大階段、二階の狭い廊下、地下らしき厨房への幅の狭い階段とそこからさらに下る酒蔵を兼ねた地下室など、なかなか入り組んでいそうでした。クライマックスでは、未来の異なる時点へ通じるドアに囲まれた、六角形の小部屋なんてのも見られます。いつかあらためて取りあげることができればと思います。
 『幻の城』と『幽霊伝説』では、レマン湖をはさんだシヨン城が登場しますが、前者では外観だけ、後者ではバイロンの詩『シヨンの囚人』(1816、未見)の舞台だという地下牢が出てくるものの、城の他の部分との関係が描かれないので、どこかの洞窟と区別のしようもないのでした。前者で、バイロンが滞在していたヴェネツィアの屋敷で、キリンがいた広間は印象的でした(→「バルコニー、ヴェランダなど - 怪奇城の高い所(補遺)」の頁でも触れました)。
 その後原題を
Mary Shelley とする、

 『メアリーの総て』、2017、監督:ハイファ・アル=マンスール

が製作されました。人に造られた怪物が逆襲することによる恐怖、という『フランケンシュタイン』に由来する、濃淡はあれ先の三作に共有された主題はしかし、ここでは薄まっています。シェリーは『幻の城』に続いて人間味を帯び、天衣無縫とは実のところ無責任さの裏返しだった、そんな人物に描かれています。クレアはより肉づけがなされていますが、ただ最後の方ではいなくなってしまう。ポリドーリは出番こそ少ないものの、まとまな扱いで、きちんと「吸血鬼」を執筆する余裕も与えられていました。また『幻の城』では偽善者めいていたメアリーの父ウィリアム・ゴドウィンは、本作では愛情深いのにうまくいかない父親になっています。バイロンはいささか影が薄い。ただ古城映画指数は高いとはいいがたいのでした。
 なお『ゴシック』、『幽霊伝説』そして本作にはいずれも、フューズリの《夢魔》が登場します。どの場合も横長の第一ヴァージョン(1781、デトロイト美術研究所)でした。この作品は日本でも展示されたことがあります:

 『ハインリヒ・フュースリ展』図録、国立西洋美術館、北九州市立美術館、1983-84、pp.64-65/cat.no.9

《夢魔》には縦長の第二ヴァージョンなどがあるのですが、この点については

 ニコラス・パウエル、辻井忠男訳、『フユーゼリ 夢魔』(アート・イン・コンテクスト 4)、みすず書房、1979、pp.99-102:「附録Ⅰ 異作とヴァリアント」

を参照ください。少し上に挙げたクリストファー・フレイリング『悪夢の世界 ホラー小説誕生』の「プロローグ - 悪夢」でもこの絵が本全体の導入として呼びだされていましたが(「第1章 フランケンシュタイン」の pp.37-39, p.62 も参照)、《夢魔》が刻んだ文化的波紋については、パウエルの本とともにに、


 Gothic Nightmares. Fuseli, Blake and the Romantic Imagination, Tate Britain, 2006

などもご覧ください。図録部分の最後は、《ゴシック》からのスティール写真が占めていました; p.212/cat.no.157

 メアリー・シェリーとフランケンシュタインの怪物といえば;

山田正紀、 『エイダ』、1994


 加えて;

伊藤計劃×円城塔、『屍者の帝国』、2012


 また、本作を引用したものの中から;

『ミツバチのささやき』、1973、監督:ビクトル・エリセ


 バイロンやシェリーが登場する;

ティム・パワーズ、浅井修訳、『石の夢』(上下巻)(ハヤカワ文庫FT FT177/FT178)、早川書房、1993
原著は
Tim Powers, The Stress of Her Regard, 1989

 同じ著者による→こちらも参照:「エジプト」の頁の「おまけ

 また;

ハワード・ウォルドロップ&スティーヴン・アトリー、植草昌実訳、「昏い世界を極から極へ」、エレン・ダトロウ編、『ラヴクラフトの怪物たち(下)』、新紀元社、2019、pp.35-100
原著は
Howard Waldrop and Steven Utley, "Black as the Pit, frm Pole to Pole"(1977), edited by Ellen Datlow, Lovecraft's Monsters, 2014

 別に安田均訳が『世界SFパロディ傑作選』(講談社、1980)所収とのこと(p.288、未見)。
 シェリーの原作の後日譚で、フランケンシュタインの怪物が北極の孔からシムズの同心球型空洞地球に迷いこみ、諸層を遍歴するというお話です。通りすがりではありますがマンモスや恐龍たちも登場、地球を横断して南極の地下では古きものたちやショゴスに遭遇します。火山が爆発、最後には白鯨を垣間見るのでした。シムズとレナルズ(レイノルズ)、ポオにアーサー・ゴードン・ピム、リーデンブロック(ヴェルヌ『地底探検』)、アブナー・ペリー(バロウズ『地底世界ペルシダー』)なども言及される。アンソロジーのタイトルが示すようにクトゥルー神話でもあるので→こちら(「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」の項)にも、また地球空洞説がらみで→そちら(「通史、事典など」の頁の「iii. 地学・地誌・地図、地球空洞説など」の項)にも挙げておきます

ロジャー・ゼラズニイ、森瀬繚訳、『虚ろなる十月の夜に』、2017

 には、博士(グッド・ドクター)」とその「実験体」が登場します。とりわけ pp.138-141 で描かれる「実験体」は、ジェイムズ・ホエイルとボリス・カーロフによって息を吹きこまれた怪物の姿に応じていはしないでしょうか。


青崎有吾、『アンデッドガール・マーダーファルス 1』(講談社タイガ ア C-01)、講談社、2015

 「序章 鬼殺し」、「第1章 吸血鬼」に続く「第2章 人造人間」には、科学者ボリス・クライヴ博士、その助手リナ・ランチェスター、見張り番に雇われたヴァン・スローンという名の人物が登場します(pp.188-191)。また博士は以前セジガー、ラスボーン、ハードウィックと名乗っていたという(p.310)。
 ボリスはボリス・カーロフ、クライヴはコリン・クライヴ、ランチェスターは続篇『フランケンシュタインの花嫁』(1935)でメアリー・シェリーと「花嫁」の二役を演じたエルザ・ランチェスター、ヴァン・スローンは本作でウォルドマン教授に(『魔人ドラキュラ』(1931)ではヴァン・ヘルシングに)扮したエドワード・ヴァン・スローン、セジガーは『花嫁』でプレトリアス博士役のアーネスト・セジガー、ラスボーンは第三作『フランケンシュタイン復活』(1939)での男爵の長男ウォルフ・フォン・フランケンシュタイン役ベイジル・ラスボーン、ハードウィックは第四作『フランケンシュタインの幽霊』(1942)の次男ルドウィグ・フォン・フランケンシュタイン役のセドリック・ハードウィックに由来するわけです。「ボリス・クライヴ」という名前自体、ある意味でのネタバレと見なせることでしょう。
 本作は1898年のベルギーが舞台で、「灰色(グり)」が口癖だという(p.230)、「見事な黒い口髭」の「恰幅のよい小男」(p.228)の警部も登場します。続く『アンデッドガール・マーダーファルス 2』(講談社タイガ ア C-02、講談社、2016)の「第3章 怪盗と名探偵」の章題はアルセーヌ・ルパンとシャーロック・ホームズを指し、ホームズにワトスンが付き従うように、ルパンは〝オペラ座の怪人〟を相棒にするなど、他にもいろいろ馴染みのある名前が見かけられ、当方の知らない名前も多々混じっているのでしょう。
 2014/09/03 以後、随時修正・追補
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