< 「Meigaを探せ!」より、他 < 怪奇城閑話 |
『Meigaを探せ!』より、他・出張所
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■ 『ペイン・アンド・グローリー』(2019、監督:ペドロ・アルモドバル)の中に次のくだりがありました。主人公である引退した映画監督サルバドール・マヨ(アントニオ・バンデラス)にアシスタントだか秘書のメルセデス(ノラ・ナバス)が尋ねます(約46分); 「グッゲンハイムが回顧展にビジャルタを借りたいと」 「断ってくれ。 あの2枚の絵は唯一の”友”だ。 共に生きている」 |
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「ビジャルタ」をなぜかルイス・ゴルディーリョ(ゴルディージョ) Luis Gordillo (1934- )と勘違いしていて、間違いに気づいてなおダリオ・ビジャルバ(ビリャルバ) Darío Villalba (1939-2018)かと早合点したのはさておき、こちらはギジェルモ(ギリェルモ)・ペレス・ビジャルタ(ビリャルタ) Guillermo Pérez Villalta (1948- )のことでした。ビジャルタの作品は日本でも丸亀平井美術館が4点所蔵しており*、そこから長崎県美術館で開かれた『レアル スペイン美術の現在』展(2005)に3点出品されたこともありました**。 | * Museo Marugame Hirai. Arte español contemporáneo, Museo Marugame Hirai, 1993, pp.78-85 『Museo Marugame Hirai 丸亀平井美術館 スペイン現代美術』、丸亀平井美術館、1995、p.29、pp.32-33、pp.48-57 ** 『レアル スペイン美術の現在』展図録、長崎県美術館、2005、pp.52-55/cat.nos.26-28、p.113 |
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といっても自分で気がついたわけではありません。『ペイン・アンド・グローリー』公開時の以下の記事などに記されていたのでした; Celina Chatruc, "Almodóvar coleccionista, la otra pasión del español que también se ve en el cine", 23 junio de 2019 [ < La Nación ] Bea González、「アルモドバル映画における、インテリアデザインの役割とは?」、2020.2.7 [ < Houzz (ハウズ) ] 清藤秀人、「監督が私物を提供、『ペイン・アンド・グローリー』にはお洒落な家具やアートがいっぱい」、2020.6.14 [ < YAHOO! JAPAN ニュース ] |
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右の場面で奥の壁中央に掛かっている大きな絵が、ビジャルタの《美術書を見る芸術家 Artista viendo un libro de arte 》の複製だそうです。作中の監督サルバドール、そして実際の監督アルモドバルも美術品の蒐集家なのだという。 | |||||||||||||||||||||||||||
■ 他にもいろいろ映ります。上に挙げた記事等でご確認ください。アルモドバルの他の監督作も気になるところですが、今回は少し先立つ作品、『抱擁のかけら』(2009)を取りあげましょう。監督のコレクションかどうかはわかりませんが、この映画でも20世紀美術の作品らしきものが何点も登場しました。 と、その前に余談をもう一つ。『抱擁のかけら』の主人公はやはり元映画監督マテオ・フランコで現在は脚本家のハリー・ケイン(ルイス・オマール)と作中で女優になるレナ(ペネロペ・クルス)ですが、この二人に関わる実業家エルネスト・マルテルを演じるホセ・ルイス・ゴメスを見ていて、どうにも見憶えがあるなと思っていました。さもあらん、比較的最近見たばかりの『コンペティション』(2021、監督:ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン)に出ていたのでした。 『抱擁のかけら』におけるほど本筋にからむわけではありませんが、面白いことに、『コンペティション』でも映画の製作に始めて携わる富豪の役でした。加えてペネロペ・クルスとアントニオ・バンデラスも出演しています。ただし後者ではクルスが映画監督役、バンデラスは俳優役です(ペネロペ・クルスは『ペイン・アンド・グローリー』でも主人公の子供時代の母親に扮していました)。 『抱擁のかけら』と『ペイン・アンド・グローリー』は双方アルモドバルの監督作で、同じく『バッド・エデュケーション』(2004)も映画監督が主要人物の一人でした(こちらにはルイス・オマールが出ています)。アルモドバルの他の監督作で映画内映画が組みこまれたものが他にもあるのか、気になるところですが、ともあれいずれも映画製作に関わる話の作品がまずまず近い時期にスペイン語圏で作られ(『コンペティション』はスペインとアルゼンチンの製作で、監督二人はアルゼンチン人)、キャストも重なっているというのは、たまたまではあれ、面白がってよさそうではありますまいか。 他方、『抱擁のかけら』、『バッド・エデュケーション』、『コンペティション』のいずれにおいても、映画は監督と俳優との関係を軸に描かれていました。脚本やプロデュースも物語にからんでこずにいません。ある意味では『ペイン・アンド・グローリー』も同じように見なせるでしょうか。『抱擁のかけら』ではまた、編集の問題にも触れられていました。対するに撮影や美術の話はあまり出てこない。これは監督と俳優の関係に絞った方が、話を進めやすいからと見ていいものかどうか。 ところでホセ・ルイス・ゴメスの見憶え感はまだ尾を引いていました。さもあらん、『フランケンシュタイン』(1931)の頁の「おまけ」で触れた(→こちら)、これもなぜか近い時期に製作された〈メアリー・シェリーもの〉ないし〈ディオダティ荘もの〉三作中の一つ、『幻の城』(1988、監督:ゴンサロ・スアレス)で、ポリドーリを演じた俳優だったのでした。 こちらもほぼ同時期か、『ベラスケスの女官たち』(1988、監督:ハイメ・カミーノ)にも出演しています。ベラスケスおよび彼を演じる俳優の役でした。俳優の役というのも、まるっきり忘れていたのですが、期せずしてこの作品も、映画製作にまつわるお話に他ならないからです。主役は監督のテオ(ジャック・シェパード)でした。周囲の人々は製作中の映画を歴史映画だといい、監督はそうじゃないと繰り返すのでした。 |
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なお『コンペティション』では、主な舞台となるリハーサル場の建物が、けっこう面白そうな空間を見せてくれました(下左右)。右の場面での外観で画像検索してみると、マドリードの西北西、 アビラにある でした(公式サイト→そちら)。屋内もここで撮影されたようです。 |
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■ 『抱擁のかけら』に移りましょう。ホセ・ルイス・ゴメス演じるエルネスト・マルテルの屋敷には、何点もの美術品が見られます。右は屋敷の夜の外観です。 | |||||||||||||||||||||||||||
外観の場面に先だって、青地に |
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この部屋の壁は、縦の縁が溝状に凹んだ長方形で分割されています。直前の「マドリード、1994年」の場面で、エルネストとレナがいた部屋も、青みがかっているように見えるものの、同様の壁でした(右)。同じ部屋か、少なくとも同じマルテル屋敷内にあるという設定なのでしょう。 | |||||||||||||||||||||||||||
この部屋にも何点か絵が飾ってありますが、それぞれの全体ははっきり見えません。拳銃の絵については少しおくとして、1994年場面では当初エルネストが前妻と電話していました。前妻は二人の息子、後のライ・Xの同性愛的傾向について愚痴ります。 2008年の場面は、やはり当初ライ・Xが前妻と電話しているところから始まります。こちらの前妻はライ・Xの同性愛が子供たちに与える影響について愚痴ります。 二つの場面は対をなしているわけです。『抱擁のかけら』日本公開時のパンフレットには「ペドロ・アルモドバル監督が語るプロダクション・ノート」が掲載されており、その中に「”ダブル” - 重複すること」という項がありました(表紙裏を p.1 として p.17); 「この作品の特徴として、”ダブル”というテーマがある。この”ダブル”は”両義性”や”二重”という意味ではなく、”重複””繰り返し”という意味である。 たとえば、エルネストJr.は父親の言動をそっくり真似している。…(中略)… 本作の男性主人公には、”ふたつ”の名前がある。…(中略)… ペネロペ・クルスも、本作で”ふたつ”のキャラクターを演じている」。 先の二つの場面も、その例と見なせましょう。映画に映った美術品にも当てはめてよいかどうかはわかりませんが、すべてではないにせよ、いくつかの作品ないし同系統の作品が、一度以上間を置いて登場していました。 ■ さて、先に挙げたマルテルの屋敷の夜の外観に続いて、先のものとは別の、銃身が短い、ダブル・アクションでしょう、赤地にリヴォルヴァーの絵が大きく映されます(下右)。同じ距離のままカメラは左へ、隣にかけられた、青地にレバー・アクション式のものとスコープ付きのボルト・アクション式のものでしょうか、二丁のライフルを上下に並べた絵のアップとなる(下左)。いずれの銃も二重以上にぶれています。さらに左へ、戸口の向こうは晩餐室でした。 |
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晩餐室の絵については少しおくとして、手前の部屋に戻ると、奥の扉口の右の壁にはまた別の拳銃の絵、左にやはり別のライフルの絵が飾ってあります(右)。先ほどの二点は向かって左の壁にかけてありました。 | |||||||||||||||||||||||||||
画像検索してみると、上右1段目の赤地の作品は、 アンディ・ウォーホル、《銃 Guns 》、c.1981-82 にあたるようです。他の作品ではぴったり合致するものに出くわせないでいるのですが、 Carlos Primo, "El 'patchwork espacial de 'Los Abrazos rotos' '", 14 marzo 2009 「< los Extras.es ] でも、ウォーホルの「拳銃とナイフの有名な連作」と述べていました。 |
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《ナイフ》の連作については、マルテルとレナが朝食をとる別の場面で(右)、向かいあう二人それぞれの背後に、下の方だけ見える絵がそれなのでしょう(下左右)。何本か横に並べたナイフだか包丁の、柄の部分にあたります。色の点で合致するものは見つけられずにいます。 | |||||||||||||||||||||||||||
また少し前、二階にあるレナの寝室と書斎の間の廊下でしょうか、レナの背後でぼやけて見えるのも、こちらはナイフだか包丁三本を交わるように配した、やはりウォーホルの作品のように思われます(下左)。 さらに少し前、レナの背後にあったのは、多少細部が見てとれる分、一見別の作品かと思われたのですが(下右)、形と色の配置からして、同じ絵の部分のようです。とはいえやはり色が合致するものは見つけられないでいます。 |
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他方画像検索では、 Michael Tompsett (公式サイト→あちら。その内"Gun Art"の頁→あちらの2) にも、リヴォルヴァーとその残像を同時に描いた、相似た趣向の作品がありました。ウォーホルの画面との関係はどういうものなのでしょうか? |
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上1段目右の朝食のショット(約1時間11分)では、窓をはさんだ左右の壁にかけられた、やはり下方だけ見える、白地に黒の円、そこから飛沫が散るという二点の絵をはじめ、他にもいろいろ美術品が飾ってあります。 〈黒い太陽〉めいた二点は、エルネストが息子に撮影させたヴィデオを映写する場面の一つで、スクリーンの左右に配されていました(右)。上掲約45分の場面の奥で、右に紫地の拳銃の絵、左に赤地の自動小銃二丁のあった扉口の、ちょうど反対側、つまり手前にあたることになる。絨毯も同じもののようです。 |
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■ 三本のナイフを交差させた画面の直前、書斎の扉の手前、すぐ脇には、横長の風景画がかけてありました(下左)。 |
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また戻って、赤地のリヴォルヴァーの絵から二丁のライフルの絵に続いて登場した晩餐室には、おそろしく大きな静物画が見られました(上右)。左辺を額が区切っているので、壁画ではないようです。 描かれているのは林檎でしょうか。左側に見えるのは葉と枝か。絵柄は17~18世紀の西欧にいくらでもありそうです。林檎ではありませんが、やはり陰に葉と枝らしきものを描きこんだ、国立西洋美術館が所蔵する アンリ=オラース・ロラン・ド・ラ・ポルトの《桃、杏、李》(1760-63頃)→ここ [ < 国立西洋美術館 ] Henri-Horace Roland de la Porte (1724/25 - 1793), Peaches, Prunes and Apricots, c.1760-63, oil on canvas, 31.5x40.2cm などと比べることもできるかもしれません。直接の関連はないにせよ、それだけ定型的な構図と見なせるのでしょう。 さて、映画での大画面は実際に描かれたものなのか、写真を拡大したものなのか、この場面からはわからない。撮影の時点で作成したものなのか、ある種のコンセプチュアル・アートないしポップ・アート系のものなのかも同様です。いずれにせよ元になったネタがありそうだと、画像検索してもぴったり合うものは出てこず、近いものとして挙がったのがド・ラ・ポルトの作品でした。そこでスペインだから一応と、プラド美術館の公式サイト(→そこ)中の"La Colección"から、'bodegón'で検索してみたところ、 エスピノーサ、フアン・デ(1628年に結婚、1659年まで記録あり)、《林檎》、17世紀なかば、油彩・キャンヴァス、21×36cm Espinosa, Juan de, Manzanas, Segundo tercio del siglo XVII, Óleo sobre lienzo, 21 x 36 cm に出くわしたのでした(→そこの2)。こうした美術館サイトの収蔵品アーカイヴがなければ、見つける機会があったとはとても思えません。重畳重畳と嘆ぜずにはおれないゆえんであります。ちなみに、 「スペインにおいて『ボデゴン(bodegón)』とは、主に食事に関連するものが描かれた静物画を指す言葉」 (『三重県立美術館 コレクション選』、三重県立美術館、2022、p.134/no.118:カルメン・カルボ《ボデゴン(静物)》(坂本龍太)) で、絵画のジャンルを指す用語です。〈厨房〉一般を指すものと長らく思いこんでいたところ、知人に指摘されてようやっと気づいたという次第です。 ともあれ、やはりプラドが所蔵するフアン・デ・エスピノーサの別の作品は、日本でも展示されたことがありました; 『スペイン・リアリズムの美 静物画の世界』展図録、国立西洋美術館、名古屋市美術館、1992、p.39、p.97/cat.no.15: フアン・デ・エスピノーサ、《果物》、油彩・カンヴァス、76x59cm 『プラド美術館展 スペインの誇り 巨匠たちの殿堂』図録、東京都美術館、大阪市立美術館、2006、pp.112-113/cat.no.25、p.251: エスピノーサ、フアン・デ、《葡萄と林檎のあるボデゴン》、1640-50年頃、油彩・カンヴァス、50x39cm さて、《林檎》の原作は縦21cmと、ずいぶん小さな絵でした。映画に映ったものは10倍ほどにもなるでしょうか。なぜこんなに拡大したのでしょうか? ■ 最初のリヴォルヴァーの絵の場面 - 2008年 - に戻ると(上で言及した場面はこれ以外、すべて1994年の出来事です)、ライ・Xが手前に進み、別の電話をとります。マテオのエージェントであるジュディット(ブランカ・ポルティージョ)と話すのですが、その際彼の背後に別の絵が見えます(下左)。少し前、身繕いする若者の背後の鏡にも映っていました。 |
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"Je t'aime"(あんたを愛してる)と大きく、また荒々しく書きこまれた同じ絵は、1994年、すぐ後で触れる階段室の場面の直後、大きく映されます(約1時間5分)。カメラが上から下へなぞるという形で、下で少し後退すればレナがいました。寝室のようです。 全体が一度には見えないのですが、つないでみると上右のようになりました。これで画像検索してみたところ、 ロバート・マザウェル、《ジュテーム No.II 》、1955年、油彩、木炭・キャンヴァス、137.2x182.9cm Robert Motherwell, Je t'aime No.II, 1955, Oil and charcoal on canvas, 54 ✕ 72 inch (137.2 ✕ 182.9 cm) と、 「近代芸術の公的な理解と評価、モダニズムの諸原則を支援する」(上掲公式サイト表紙頁) という趣旨で、アメリカ抽象表現主義の画家ロバート・マザウェル(1915-1991)が設立したものとのことです。 ■ 2008年時点で、ライ・Xがいる部屋にリヴォルヴァーの絵と「ジュテーム」と書きこまれた絵があるというのは、いかにも何らかの意味がこめられていそうです。1994年時点では、前者に対応する銃を描いた作品がマルテルの屋敷の居間に、後者は同じマルテルの屋敷、ただしおそらくレナの部屋に飾ってある点も、2008年時点との関連で、何やら読みこめるかもしれません。 他方、横長の風景画は室内装飾として穏当と見てよいでしょうか。林檎の絵も、それだけなら〈 そこまで逆に深読みを誘うでもなく、単になぜここにあるのかと思わせるのが、階段ホールの脇にかけられていた次の絵です(下左。下右はその部分); マティス、《青のヌード ビスクラの想い出》、1907、油彩・キャンヴァス、92.1x140.4cm、ボルティモア美術館 Henri Matisse, Nu bleu : souvenir de Biskra, 1907, huile sur toile, 92.1x140.4cm, The Baltimore Museum od Art |
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Catalogue de l'exposition Henri Matisse 1904-1917, Centre Georges Pompidou, 1993, p.206 / cat.no.42 に記された来歴によると、この作品は1950年にボルティモア美術館に収蔵されました。映画に出てきたのは実物大の複製でしょうか。 意味づけされているかどうかはさておき、この作品も少し間を置いて - マザウェル《ジュテーム No.II》二度目の登場、横長の風景画、交わる三本ナイフの場面をはさんで -、再度姿を見せることになります(右)。 |
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■ 美術品が見られるのはマルテルの屋敷だけではありません。 |
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右の場面は冒頭、2008年時点でのハリー・ケインのアパートでの場面です。奥の壁に赤、青、黄などの色面と黒の線を組みあわせた絵が飾ってあります。右下にサインされていますが、残念ながら読みとれませんでした。 この場所は後にも出てきます(下左。下右はその部分)。戸棚と窓の間の壁の絵は、先の場面では抽象的なものかと思われたのですが、上の方も映ったところ、黒の線は、片方の手で何かを差しあげている横向きの女性をかたどったものであることがわかります。 |
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右は1994年時点でのマテオ・フランコの事務所。奥の壁に写真や図版がいくつも貼ってある。同じものかどうか、上二つの場面で壁の絵の左、棚の上に並べてあったロボットなどの人形の類が、マテオの背後すぐ左に見えます。 | |||||||||||||||||||||||||||
上右のショットに先だって、壁により近い位置でカメラは左上から右下へ撫でます。「マドリード、1994年」のテロップ、下を向いたマテオの頭部をアップで捉える。その際、上右のショットでマテオの頭部のすぐ上にあった絵がより大きく映ります(右の右下)。いろいろ貼られた中で、これだけは素性が割れました(→こっち [ < FRANCESCO CLEMENTE ]; フランチェスコ・クレメンテ、《アルバ》、1997年、油彩・キャンヴァス、116.8 x 233.7 cm Francesco Clemente, Alba, 1997, Oil on canvas, 46 x 92 inch (116.8 x 233.7 cm) |
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事務室を出てすぐの待合室にも何やら飾ってあります(右)。左手の壁には海辺を描いたらしきかなり大きな絵、マテオの右肩近くには、茶色の地に白抜きの自動車を斜め下向きで描いた絵などが見える。いずれもどういったものなのか、今のところわからずにいます。 | |||||||||||||||||||||||||||
■ マルテルの屋敷での美術品の数々が登場する、ここまで見てきた諸場面の後、おそろしく印象的な眺めがひろがります(下右)。画面左上に道路が伸び、カメラはそちらへ、自動車が走るのが俯瞰される。暗灰色の地面に月面のクレーターかと思わずにいられない凹みが並び、凹みの底には緑の草がおさまっていました。 | |||||||||||||||||||||||||||
画像検索してみれば、カナリア諸島中のランサローテ島の景観でした。たとえば 「火山活動で生まれた火星のような島!ランサローテ島の観光スポット5選」、2019.1.15 [ < skyticket 観光ガイド ] の「5. ユニークな手法で作られる特別なワイン『エル・グリフォ・ワイナリー』」によると、 「火山島から成るランサローテ島は観光していると、一見不毛な大地に見えるかもしれません。しかし火山灰の下にはブドウ栽培に適した大地があり、深く掘った穴にブドウを植える独特な栽培をしています。さらに半円形の石垣が並ぶ様子は特に観光客に人気で、これはアフリカ大地から吹く風からブドウの木を守るため」 だそうです。 ■ 走る自動車の俯瞰にすぐ続いて、下左の造形物が映されました。これも画像検索で、 セサル・マンリケ(1919-1992)、《風の玩具 『フォボス』》、1994-95年、タイーチェのロータリー César Manrique, Juguete del viento "Fobos" Rotonda de Tahiche, 1994-95 と知れました。公式サイト[ Lanzarote: César Manrique 」中の「風の玩具 動く彫刻 juguete del viento escultura móvil 」の頁を参照→そっち。Fobos は火星の第一衛星のことでしょうか(スペイン語版ウィキペディアの該当頁→そっちの2)。タイーチェ Tahíche はランサローテ島中央部のテギーセ Teguise 自治体にある村の名(英語版ウィキペディアの該当頁→そっちの3)。 |
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この作品も後ほど再登場します(上右)。夜の場面で、より近づき、下から見上げられる。 上左、昼間の眺めはレナとマテオがこの地に到着して間もない頃、上右、夜の眺めは、二人の内少なくともレナにとって、この地での最後の時にあたるわけです。 |
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■ 右の場面はエピローグとして配された、映画内映画『謎の鞄と女たち』のセットです。同じセットは先立つ場面でも少し映りましたが(約1時間36分)、別のテイクという設定でした。 ともあれ後の場面でレナが座るソファのすぐ後ろの壁に掛かっていたのが、右端に見える大きな林檎の絵です。 |
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「アルモドバル映画にみるインテリア術」(editor's board) [ < toolbox ] によると、この絵は 「イタリアを代表するデザイナー、エンツォ・マリの赤い林檎のスクリーンプリント」 とのことです。エンツォ・マリ Enzo Mari (1932-2020)について、イタリア語版ウィキペディアの該当頁→あっち。 エピローグでのこの場面は、マルテルがマテオに無断で編集させた公開版に対し、マテオが視力を失ないながらも耳を頼りに、最良のテイクを選んで再編集した、その一部として映されます。この点でマリの林檎の絵は、マルテル屋敷の食堂にあった、フアン・デ・エスピノーサ《林檎》の巨大化ヴァージョンと対照されていると見ては、深読みになるでしょうか。 ところでこの部屋の玄関口の右に、キュビスムめいた絵が飾ってありました(下左。下右はその部分)。これはどういった素性のものなのでしょうか? |
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この他、ジュディットとその息子ディエゴ(タマル・ノバス)の家や(下1段目左)、ランサローテ島でレナとマテオが借りていた家にも(下1段目右)、特徴のある額絵などが飾ってありました。またディエゴが触れていた、マテオとジュディットそれぞれの寝室のカーテンの件(約1時間49分)に加えて(下2段目右の右端)、やはりランサローテ島の借家のカーテンなど(下1段目右の右端)、気になる点はまだまだ出てきそうです。 | |||||||||||||||||||||||||||
たとえば右の場面は、ディエゴが薬物にあたって昏倒した後、ディエゴかハリーどちらかの寝室かと思われます(カーテンの話からすると、ハリーの家か)。 ベッドの頭側の壁に飾られた絵は、下の方しか映りませんが、いわゆる松葉崩し状の姿勢によって人物二人を左右相称に配し、その上で平坦な色面を対比させている点からすると、丸亀平井美術館が所蔵するマノロ・ケヒード Manolo Quejido (1946- )の《エロスⅠ Eros I 》(1991)*の色違いヴァージョンではありますまいか。 |
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* Museo Marugame Hirai. Arte español contemporáneo, op.cit., pp.68-69 『Museo Marugame Hirai 丸亀平井美術館 スペイン現代美術』、同上、p.66 |
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■ ところでマティスの《青のヌード ビスクラの想い出》が二度目に登場した、マルテルの屋敷での階段を上から見下ろした眺め(約1時間7分)に対応すると見なせるかもしれないのが、右の場面です。こちらは『謎の鞄と女たち』に出てくるものですが、マルテル邸での湾曲階段で起こったのと同じように、レナ演じるピナが階段から転落してしまいます。 |
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そもそも本作品の前半では、あまり階段は出てきませんでした。1992年の場面で、レナとその母が父を迎える病院前(約16分)、2008年の場面で、ハリーと散歩しながらディエゴが吸血鬼映画のアイデアを思いつく際(約32分)くらいでしょうか。双方あまり上下に長い階段ではなさそうで、はっきりとも映らない。ところが後半になると、重要な役割を与えられているとおぼしきというか、空間として目立つ階段が、上記二つの階段以外にも見られることでしょう。 上記の二つに先だって、撮影現場の階段は、少し前にも出てきました(下左)。上右の場面での階段と同じ建物という設定なのかどうか。下左の階段を下りて、右に少しのところに、下右の場面での階段が位置するようです。ここでは見えませんが、球を載せた親柱のある手すりは、こちらでは向かって左にあります。休憩時にスタッフは、上左の場面であれば手前左の扉から出ていきます。双方の階段を下りたところが一階にあたるのでしょうか。 また上左の階段は、踊り場から左へ折れてあがっていきます。上右の階段では逆に、踊り場から右へ折れて上がる。セットなのか実在する建物なのか、多方向に伸びていく、なかなか入り組んだ配置でした。 |
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上左右の階段が重要な役割を担っているといえるかどうかはさておき、そう見てよさそうなのが、右の場面です。マテオたちが編集作業を行なっていた部屋のある建物の中あき階段が、ほぼ真上から見下ろされます。この後少し置いて、ランサローテ島へ舞台が移る、その節目に位置するカットでした。フィルムの回転からオーヴァーラップしてこの眺めへ、カメラは動きませんが、マテオがフィルムの回転に応じるかのように、曲がりながら下りていきます。 | |||||||||||||||||||||||||||
右の場面は2008年時点で、ハリーとディエゴが散歩する中で通った階段です。物語の展開にかかわるわけではありませんが、屋外の階段として、 後に出てくる二つの階段の呼び水となっていました。何より景観として印象的です。どこにあるのでしょう? | |||||||||||||||||||||||||||
ずいぶん高いところに位置するようですが、ランサローテ島にある病院だか医院だかから出て、道路まで下りの階段が続いています(上左)。事故で失明したマテオにジュディットが寄り添って、一段一段おりていく。ここからレナとの借家までの間に、島の北西に位置するファマラ海岸があって、そこでジュディットは、マテオがハリーになったことを悟るのでした。 上右は2008年時点です。階段をおりて少し先、右手にハリーの家だかアパートだかがあります。階段の上・手前の道路まで自動車で来て、ジュディットはハリーに手を貸そうとしますが、ハリーは断って一人で階段を下りていきます。この後ハリーはマテオに戻ることでしょう。これら二つの階段の場面も、対をなしていると見なしてよいでしょうか。 |
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2024/05/26 以後、随時修正・追補 |
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