吸血鬼ノスフェラトゥ 恐怖の交響楽* Nosferatu, eine Symphonie des Grauens
VHS サイレントに挿入される字幕はドイツ語ですが、伯爵の名「オルロック」が「ドラキュラ」になるなど、役名が『ドラキュラ』のものに替わっています。 * 手持ちのVHSソフトの邦題は『吸血鬼ノスフェラトゥ』 ** [ IMDb ]によると、1時間34分、1時間21分など、いくつかのヴァージョンがあるようです。下に載せた静止画像は You Tube 掲載の約1時間33分版(約1分半の前置き込み)から伐りだしたもので、画像タイトルに記したのはその版での時間です。 ……………………… ブラム・ストーカー『ドラキュラ』(1897)の最初の映画化作品で、ストーカーの未亡人との間に生じたゴタゴタについては、下のスカルの本をご覧ください。原作からの改変はいろいろあれど、城が登場するのは原作に応じてほぼ前半だけなのですが、これがなかなか雰囲気があります。 やはりカメラは基本的に固定ですが、カット割りがかなりきびきびしています。末尾近く、編み物をするヒロインを背中から見たショットと手前から見たショットをくりかえしたり、あるいは後半、伯爵を運ぶ船のエピソードとレンフィールドにあたる人物のエピソード、さらにハーカーにあたる人物の帰郷のさま、ヒロインの様子などを交互に配して話を進めたりと、語り口も転換が早い。 またこの作品では、トランシルヴァニアの山深い地域を始めとして、奥の方に傾いだ十字架が見える風の強い砂浜にヒロインをたたずませるなど、自然の景観が随所に挿入されており、個々の人間の営なみの範囲を超えて、巨大な何事かが動いていると感じさせずにいません。こうした点はヘルツォークによるリメイク(1978)でも忠実に継承されていました。 |
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城にたどりつくに先だっては、まず、ブレーメンの街で上司の事務所の窓から見える建物が、短いショットですが印象的でした。窓の桟の格子が垂直水平に区切るその向こうに、5~6階はありそうな建物が4棟ほど隣りあって並んでおり、いずれも斜めに傾いている。永らく空き家だったのか、窓はガラスもなくなっているかのように見えます。この建物群が後半、伯爵の拠点となるのでした(追補:事務所の書類棚について、→「怪奇城の図書室」の頁で触れました)。 |
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これ以外にも、城へいく旅の途中で泊まる旅籠の食堂や寝室、一瞬映る尖った岩の上に小屋があるように見える何か(追補:→「怪奇城の肖像(幕間)」の頁でも触れました)、後半の船の場面での、船長のテーブルの周囲にある段差など、面白い細部がいくつかあるのですが、ここは城の話に急ぎましょう。 | |||||||||||||||||||||||||||
お城はまず、馬車の御者に指さされたその先に、塔として画面に映ります。次いで門の場面になるのですが、これがおそらく外壁と内壁にうがってあるのでしょうか、二重のトンネルをなしており、その奥から伯爵が登場するのです。これがたいそう印象的でした。トンネルとトンネルの間の部分も、上から見下ろす形で映され、向かって左に建物、右に階段があるようです。 | |||||||||||||||||||||||||||
城内に入ると、食堂として用いられる広間が映されますが、その床はいくつか段差があるようで、市松模様に覆われています。高い部分には暖炉があり、さらに奥に続く階段がのぞいています。あちこちへとつながっていくこの空間の感じがたまらなかったりするのでした。随所で時計が鐘を鳴らします。 | |||||||||||||||||||||||||||
一晩あけて、城の外観も映されます。といっても壁一面だけで、上の方に張り出し窓が見え、その下、2階あたりに戸口があって、壁に沿う木製の階段が降りています。手前には庭園でしょうか、さらに階段でくだり、その先には四阿風の見晴らし台が眺めを開いています(追補:→「怪奇城の肖像(幕間)」の頁でも触れました)。 | |||||||||||||||||||||||||||
二晩目は寝室が登場し、面白い形の寝台や、窓の前の段差、天井が二連アーチになっているところなども見所なのですが、深夜、木の扉が開いて、向こう側の暗がりの奥の方から伯爵が現われるさまこそハイライトでしょう。床はやはり斜めの市松模様で、床から寝室へは何段か高くなっているらしい。 | |||||||||||||||||||||||||||
三日目、いったん屋外に出て、トンネル状のアーチの下の階段を降りると、伯爵の棺が置かれた地下室を見つけてしまうのでした。 | |||||||||||||||||||||||||||
城の場面は、セットとロケが組みあわされているようですが、やたらだだっ広かったり豪勢だったりしない分、かえって実在感が伝わってくるのではないでしょうか。考えてみれば屋内の場面は、いくつかの角度から撮られているとはいえ、広間、それに寝室の二種類しか登場しないのですが、必要な部分だけセットを組み立てたというのではなく、映らない部分にも廊下や階段が続いているとの感触によって裏打ちされているように思われます。これは、室内が二重のトンネルや庭園などの屋外とうまく組みあわされて、ひとかたまりの領域をなしているためなのでしょう。 後半、先にふれたトランシルヴァニアからのそれぞれの道行きを経て、舞台はブレーメンに移ります。ここでも、レンフィールドにあたる人物が逃走する際の舞台となる街の様子など、興味深い点は少なくないのですが、それはさておき、城はエンド・マークの直前にもう一度映されます。前半では曲がりなりにも居住可能なものとして描かれていたのに、最後に映るそれは山上にあって、どう見ても崩壊がはなはだしく進んだ廃墟としか見えないのでした。 |
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Cf., | レオン・バルサック、『映画セットの歴史と技術』、1982、p.59、p.61 ジョン・L・フリン、『シネマティック・ヴァンパイア 吸血鬼映画B級大全』、1995、pp.28-31/no.009 デイヴィッド・J・スカル、『ハリウッド・ゴシック ドラキュラの世紀』、1997、「第2章 イギリスの未亡人対ドイツの伯爵」、また「第4章 悪魔との取引あるいは、ハリウッドは噛み付く」など クラカウアー、『カリガリからヒトラーへ ドイツ映画 1918-1933 における集団心理の構造分析』、1970/1995、pp.78-80 The Horror Movies, 4、1986、p.150 石田一、「ドラキュラ100年史《前編》」、1997、pp.87-90 「ノスフェラトゥ ネズミと屍体と蝙蝠のキメラ」、 『yaso 夜想/特集#「ヴァンパイア」』、2007.11、pp.82-95 不死者は何度でも甦る/ヘルツォークの愛/ムルナウ版とヘルツォーク版とマーハイジ版大胆な仮設 もしもシュレックが本当の吸血鬼だったら 若山滋・今枝菜穂・夏目欣昇、「ドイツ表現主義映画にみられる建築空間」、2008 エリック・バトラー、松田和也訳、『よみがえるヴァンパイア 人はなぜ吸血鬼に惹かれつづけるのか』、青土社、2016、pp.199-203など →こちら(『吸血鬼』(1931)の頁の Cf.)でも挙げています。 Angela dalle Vacche, Cinema and Painting. How Art Is Used in Film, Athlone, London / University of Texas Press, 1996 / 1997, pp.161-196 ; "chapter6. F.W.Murnau's Nosferatu : Romantic Painting as Horror and Desire in Expressionist Cinema" + Notes ; pp.257-261 →こちら(ベックリーン《死の島》(第3ヴァージョン、1883)の頁の「おまけ」)や、そちら(「バルコニー、ヴェランダなど - 怪奇城の高い所(補遺)」の頁の「2-iv. 後ろ姿の点景人物」)でも挙げました。 Jonathan Rigby, Studies in Terror. Landmarks of Horror Cinema, 2011, pp.16-17 Claire Smith, "The Architecture of Gothic Cinema", Edited by James Bell, Gothic. The Dark Heart of Films, 2013, p.104 Jonathan Rigby, Euro Gothic: Classics of Continental Horror Cinema, 2016, pp.25-28 Kevin Jackson, Nosferatu. Eine Symphonie des Grauens, (BFI Film Classics), British Film Institute, 2013 序// 諸文脈;ヴァイマール文化/ムルナウ/『ドラキュラ』// 製作;アルビン・グラウ/ロケーション作業/屋内 『ノスフェラトゥ』第一幕と第二幕;第一幕/動物寓話集としての『ノスフェラトゥ』/第二幕// 『ノスフェラトゥ』第三-第五幕;第三幕/第四幕/第五幕// 封切、諸反応、世評;ベルリン/ロンドン/パリ/諸プリントの謎と『十二時』/『ノスフェラトゥ』とシュルレアリストたち/ニューヨーク 後年 一座;F.W.ムルナウ/マックス・シュレック/アルビン・グラウ/ヘンリク・ガレーン/アレクサンダー・グラナッハ/グスタフ・フォン・ヴァーゲンハイム/F.A.ヴァーグナー// 映画;再製作/伝記映画/小説/オペラ/主題の他の諸変奏など、 126ページ。 下の「おまけ」でも触れました。 BFI Film Classics 叢書から、本サイトで挙げたものの一覧→こちら:「怪奇城の外濠」の頁の「iii. 怪奇映画とその歴史」中の「洋書類」の末尾 上で触れた城への道中で映る尖った岩の上に小屋があるように見える何かや末尾での城などはスロヴァキアでロケされたものとのことで(前者を含む城の外観は Oravský zámok ("Castle of Orava County").(英語版ウィキペディア→こちら)、後者は Starý hrad ("Old Castle"), also called Starhrad (or Varínsky hrad, Varín)、この点について 「吸血鬼ノスフェラトゥ」(2014/1/20) [ < Luna violacae ] から "Nosferatu locations" [ < Slovak Studies Program ](リンク切れ) に記されていることを知りました。 ちなみにジュール・ヴェルヌ原作のチェコスロバキア映画『カルパテ城の謎』(1981、監督:オルドリッチ・リプスキー)にも、丘の上の廃墟化した城が出てきます。感じが似てんじゃないの、もしかしてと[ IMDb ]を見ると、現スロヴァキア西部のチャフティツェ村 Čachtice の城がロケ先として挙がっていました。旧ハンガリーのチェイテ村 Csejthe でもあり、英語版ウィキペディア(→そちら)にはこの城がエルゼベエト・バートリことバートリ・エルジェーベト(→あちらも参照:『鮮血の処女狩り』(1971)の頁)の居城かつ獄であった旨が記されています。そして『ノスフェラトゥ』で Orava Castle とともに撮影に使われたという。つまりこちらが正しければラストの廃墟化した城はチャフティツェ城(チェイテ城)であり、『カルパテ城の謎』で再会できることになります。ぜひご確認ください(追補:→「怪奇城の肖像(幕間)」の頁でも触れました)。 上でも触れていますが、この映画はリメイクされました; 『ノスフェラトゥ』、1978、監督:ヴェルナー・ヘルツォーク また撮影秘話の体裁をとった作品が; 『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』、2000、監督:E.エリアス・マーハイジ 原作の邦訳; ブラム・ストーカー、平井呈一訳、『吸血鬼ドラキュラ』(創元推理文庫 502A)、東京創元社、1963/1971 原著は Bram Stoker, Dracula, 1897 562ページ。 →こちら(『凶人ドラキュラ』(1966)の頁でも触れています。 なお本作品では吸血鬼は朝日を浴びて消滅しました。これは以後の映画でも引き継がれていく重要なモティーフとなるわけですが、、ストーカーの原作では日中も行動しています(上の邦訳、pp.443-448)。 註釈付きの邦訳で ブラム・ストーカー、新妻昭彦・丹治愛訳註、『ドラキュラ』、水声社、2000 があるとのことですが、未見。 ストーカーに関連して→こちら(『魔人ドラキュラ』(1931)の頁の「おまけ」)やそちら(『女ドラキュラ』(1936)の頁の Cf.)も参照 ユニヴァーサルの『魔人ドラキュラ』(1931)は→こちら ハマー・フィルムの『吸血鬼ドラキュラ』(1958)は→こちら |
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おまけ | Best Hits Horror Movie(邦題:『ベスト・ヒッツ・ホラー・ムービー』、2006) という成立事情のよくわからないCDがあって、その1曲目に"NOSFERATU - Overture"(「吸血鬼ノスフェラトゥ 序曲」)が入っています。当時の曲ではなく、『吸血鬼ドラキュラ』(1958)の主題でおなじみ、ジェイムズ・バーナードが作曲したものです( [ IMDb ]によると1997年)。演奏は The City of Prague Philharmonic、指揮は Nic Raine。3分強の短いものですが、いかにもJ.バーナードという曲が聴けます。 →こちら(『フランケンシュタインの花嫁』、1935)や、そちら(『吸血鬼ドラキュラ』、1958)、またあちら(『たたり』、1963)も参照 |
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Blue Oyster Cult, Spectres, 1977(邦題;ブルー・オイスター・カルト、『スペクターズ』)(1) 5枚目の10曲目(元のLPではB面ラスト、5曲目)、"Nosferatu"(「ノスフェラトゥ」)、5分23秒。酒井康のライナー・ノーツ(2007)によると、プロデューサーのサンディ・パールマンはすぐ前の曲"I Love the Night"(「アイ・ラブ・ザ・ナイト」、4分24秒のことも「吸血鬼の叙情詩」と読んでいるそうです。 上掲の Kevin Jackson, Nosferatu. Eine Symphonie des Grauens, (BFI Film Classics, British Film Institute, 2013) でも、本文の最後でブルー・オイスター・カルトの「ノスフェラトゥ」に触れていました(pp.118-119)。 そういえば前のアルバム Blue Oyster Cult, Agents of Fortune, 1976(邦題;ブルー・オイスター・カルト、『タロットの呪い』)(1a) 4枚目のB年2曲目は"Tattoo Vampire"(「吸血鬼」、2分40秒)でした。 |
1. →こちら(「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁の「おまけ」)を参照。 1a. 白谷潔弘監修、『アメリカン・ハード・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #015』、シンコーミュージック、2004、p.18。 同じアルバムから→こちらの2を参照:『死滅の谷』(1921)の頁の「おまけ」 |
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ムーンライダーズ、『ヌーベル・バーグ』、1978(2) 4枚目のB面3曲目が「夜の伯爵」、4分31秒。 |
2. ムーンライダーズ+アストロ・チンプス、『フライト・レコーダー』、JICC出版局、1990、pp.323-325。 『ミュージック・マガジン』、514号、2006.6:「特集 ムーンライダーズの30年」、p.49。 他のアルバムから→こちら(「西アジア」の頁の「おまけ」)や、またそちら(「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」)を参照。 |
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Art Zoyd, Nosferatu, 1989(3) フランスのチェンバー・ロック・グループによる無声映画とのコラボレーション。プロジェクトはこの後、『ファウスト』(1995/1926、監督:ムルナウ)、『魔女』(1997/1922、監督:ベンヤミン・クリステンセン)、『メトロポリス』(2002/1926)、『アッシャー家の末裔』(2008/1928)と続くとのことですが、いずれも未見。 |
3. 『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、p.60、65。 | ||||||||||||||||||||||||||
また『ノスフェラトゥ』についてはファウスト(4)やジョン・ゾーンによるアルバムもあるようですが、やはり未見。 | 4. 小柳カヲル、『クラウトロック大全』(ele-king books)、Pヴァイン、2014、p.59。 | ||||||||||||||||||||||||||
PFM (Premiata Forneria Marconi), Dracula. Opera Rock, 2005(5) 1970年代イタリアのプログレッシヴ・ロックの豊饒さを世に知らしめるきっかけとなったバンドの、2000年代の作品。「オペラ・ロック」とのことですが、イタリア語の歌詞の内容は不勉強のためわからないでいるので、曲名だけ挙げておくと(なので間違っているかもしれません); |
5. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.27、2005.11、p.12 『ストレンジ・デイズ』、no.143、2011.10、p.30(PFM特集(pp.6-32)内) →こちらも参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」) |
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1. 序曲 2. 愛の境界 3. 悪夢じゃない、現実だ 4. 我が名はドラキュラ 5. 何故にの城 6. 私を見るな 7. 私は鳥たちを食べた 8. 母なる大地 9. 愛の悪 10. 死は死なない 11. 燕の運命 以上、全56分弱、1曲目のみ器楽曲。 吸血鬼を主題にした本なら『ドラキュラ』の話は必ず出てくるのでしょうし、原作についてのモノグラフィーというのもいろいろあるのでしょうが、とりあえず後者から手元にあるものということで; フランコ・モレッティ、植松みどり・河内恵子・北代美和子・橋本順一・林完枝・本橋哲也訳、『ドラキュラ・ホームズ・ジョイス 文学と社会』、新評論、1992、pp.19-58:「恐怖の弁証法」 原著は Franco Moretti, Signs Taken for Wonders, 1988, chapter 1 : "Dialectic of Fear"(1978) 『フランケンシュタイン』と『ドラキュラ』が扱われているので、→こちらにも挙げてきます(『フランケンシュタイン』(1931)の頁の「おまけ」) 神尾美津雄、「遍在する他者 - ブラム・ストーカー『ドラキュラ』 -」、『他者の登場 - イギリス・ゴシック小説の周辺 -』、1994、pp.171-199 高橋康雄、『吸血鬼ドラキュラ劇場 世紀末の散歩術』、新宿書房、1991 仁賀克雄、『ドラキュラ誕生』(講談社現代新書 1269)、講談社、1995 ちなみに同じ著者による 仁賀克雄、『〈ドラキュラ〉殺人事件』(講談社ノベルス シJ-01)、講談社、1997 は『ドラキュラ』執筆前後のブラム・ストーカーも登場する小説 丹治愛、『ドラキュラの世紀末 ヴィクトリア朝 平松洋、『ドラキュラ 100年の幻想』、東京書籍、1998 クリストファー・フレイリング、『悪夢の世界 ホラー小説誕生』、1998、pp.101-193:「第2章 ドラキュラ」 富田雄一郎、「ドラキュラ・フィルム・ワーグナー - 世紀末ワグネリズムの<微分><積分> -」、『中央学院大学人間・自然論叢』、19号、2004.3.31、pp.36-69 [ < 中央学院大学学術リポジトリ ] 丹治愛、「ヴィクトリア朝を背景に誕生した『ドラキュラ』」、 『yaso 夜想/特集#「ヴァンパイア」』、2007.11、pp.162-175 清水正晴、「ドラキュラのモデル-ヴラド・ツェペシュ」、同上、pp.176-177 編集部、「『ドラキュラ』ブラム・ストーカー前史」、同上、pp.178-183 武藤浩史、『「ドラキュラ」からブンガク 血、のみならず、口のすべて』(慶應義塾大学教養研究センター選書 3)、慶應義塾大学教養研究センター、2006 小野俊太郎、『ドラキュラの精神史』(フィギュール彩 77)、彩流社、2016 同じ著者による→こちら(『フランケンシュタイン』(1931)の頁の「おまけ」)を参照 西山智則、『恐怖の表象 映画/文学における〈竜殺し〉の文化史』(フィギュール彩 59)、彩流社、2016、pp.171-193:「第6章 世紀末の竜殺し - 『ドラキュラ』を読む」 同じ著者による→こちら(「怪奇城の外濠」の頁の「iii. 怪奇映画とその歴史など」の項)を参照 The Horror Reader, 2000, "Part Five: Reading the King Vampire pp.145-147: Ken Gelder, "Introduction to Part Five" pp.148-160, Chapter 12 : Franco Moretti, "Dialectic of Fear"(extract) pp.161-171, Chapter 13 : Stephen D. Arata, "The Occidental Tourist. Dracula and the anxiety of reverse colonization"(extract) pp.172-183, Chapter 14 : Jennifer Wicke, "Vampiric Typewriting. Dracula and ist media"(extract) |
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2014/08/22 以後、随時修正・追補 |
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