ホーム 宇宙論の歴史、孫引きガイド 古城と怪奇映画など 美術の話 おまけ
黒猫
The Black Cat
    1934年、USA 
 監督、セット・デザイン   エドガー・G・ウルマー 
撮影   ジョン・メスコール 
編集   レイ・カーティス 
 美術   チャールズ・D・ホール 
    約1時間5分 
画面比:横×縦    1.37:1 
    モノクロ 

一般放送で放映
………………………

 悪魔崇拝の儀式なんてのは出てきますが、超自然現象が起こるわけではありません。エドガー・ポーの「黒猫」(1843)に示唆されたとクレジットされますが、お話は原作とはほとんど関係ありません。そもそも古城どころか、近代的な建築が舞台となります。そのため下に挙げたアルブレヒトの『映画に見る近代建築』で取りあげられているわけですが、にもかかわらず、怪奇映画的空間の一例としておさえておくべき作品でしょう。電波状態が悪い時、VHSに3倍録画したという態なので、きちんと見るのはまたあらためてとなってしまいますが、ご容赦ください。
 ボリス・カーロフ演じる建築家が自ら設計したという邸宅は、まず夜の外観が映ります。模型でしょうか。丘の上にあって、平たく横に伸びた部分が本体で、2層のやはり横に伸びる窓の灯りを伴なっています。向かって右側には階を高くした棟がつながっている。かつての砦の跡地に建てたという設定で、これも下掲の Film Architecture : Set Designs from Metropolis to Blade Runner の p.116 に載っている図版を見ると、手前は十字架の林立する墓地なのでした。左端ではねじくれた木がルプソワールの役割をはたしてます。ちなみに建築家の名前ペルツィヒは、[ IMDb ]によると監督のウルマーもセット・デザインで参加したという『巨人ゴーレム』(1920)で、美術を担当した「ドイツの建築家ハンス・ペルツィヒに敬意を表してつけた」ものとのことです(アルブレヒト、p.157)(追補:→「怪奇城の肖像(後篇)」の頁でも触れました)。  『黒猫』 1934、約9分:建築家邸、外観
 屋内はまず、吹き抜けの階段広間が映されます。2階の廊下が右から左に伸びて、その先で階段が湾曲して降りてくる。階段の背景は巨大な窓に占められていて、格子状の桟によって区切られています。磨りガラスでできているようですが、実際はだまし絵とのこと(アルブレヒト、p.158)。この巨大な窓全体が間接照明の光源であるかのごとくでもあります。  『黒猫』 1934、約9分:階段広間
 右下には上に広い台形状の仕切りがあって、3つほど孔がうがたれています。この仕切りと階段の間から奥の方にも空間は続いているようですが、玄関は画面右端の方に進んで、天井の低くなった部分にあります。ここの天井自体にも照明が設けられています。扉の脇には、金属でできた管が何本か垂れさがった、よくわからないものがあったりしました。  『黒猫』 1934、約10分:階段広間、台形状仕切り
 階段を上った廊下には、客室が少なくとも3つ、横に並んでいます。扉には金属製の水平の帯がつけられていて、手すりでしょうか、室内側も同じです。中は寝台を主にしたあっさりした感じで、そう広くもなさそうですが、寝台の脇に仕切りでしょうか、天井から下すぼまりの細い板が降りていたり、壁が水平のストライプで区切られていたりします。  『黒猫』 1934、約14分:客室、三面鏡
『黒猫』 1934、約24分:客室、仕切り 『黒猫』 1934、約37分:客室
 位置はわかりませんが、これ以外に建築家の寝室もあって、寝台に沿った壁は大きな窓になっています。階段広間の窓同様、格子状の桟があり、ランプをつけるとやはり、あたかも窓の向こうに照明があるかのようです。そのため建築家が登場する最初の場面では、寝台から起きあがる建築家は完全なシルエットだったりするのでした。  『黒猫』 1934、約11分:身を起こす影
 これ以外に居間のような空間があって、後の場面からすると、広間の階段の脇を奥に進んだ位置にあるようです。ここにも大きな窓があるのですが、右上あたりに大きな円が見えます。向こう側は円形の吹き抜けになっているのでしょうか。
 広間に戻れば、階段のすぐ左側は少し突きでた壁で区切られ、その向こうにもテーブルや椅子が置かれています。背後はやはり窓ですが、こちらは透明なガラスで、昼間なら山並みが見える。この他、建築家が弾くオルガンがどこかにあります。
 
『黒猫』 1934、約28分:階段広間
 以上の部分はいずれも、明るい壁に柔らかい照明が施された、いかにも近代的な仕様でした。続いて映るのはしかし、暗めの壁に、壁の角が斜めになっていたりする空間です。入口がくぼんだ空間にある扉のそばには、縦長のガラス・ケースがあって、剥製でしょうか、女性の姿があるのでした。
 この場所には、階段のある広間の、建物の玄関から見て左奥にある扉から入ることがすぐに明かされます。ちなみにこの扉と玄関の扉には、客室の扉の水平の帯とは違って、縦に長い手すりがつけられています。この扉からすぐに通じているのかどうかは不明ですが、広い吹き抜けの空間になっており、柱の周囲をめぐる金属の螺旋階段で下りることになる。ボリス・カーロフとベラ・ルゴシが連れ立って階段を降りるさまは、なかなかおいしいと言うほかありますまい。上から見下ろしたり下から見下ろされたりするこの螺旋階段にはつねに、下からの光による大きな影が、横の壁で隣りあっています。
 
『黒猫』 1934、約29分:地下への螺旋階段、俯瞰 『黒猫』 1934、約32分:地下への螺旋階段、通路から
 ガラス・ケースのある部屋は、螺旋階段のある吹き抜けから、さらに廊下を進んだところにあります。かつての「砲塔の入口」と説明され、ガラス製の「座標図」が壁の一つを覆っている。梁でしょうか、斜めの暗がりの下、壁と壁の角も斜めになっています。斜めの切り口になった開口部もあって、その向こうを横切る黒猫が、猫恐怖症のベラ・ルゴシ演じる医師をおびえさせるのでした。  『黒猫』 1934、約30分:地下、座標図
 この地下の空間にはまた、ガラス・ケースのある部屋の奥になるのでしょうか、重そうな扉をあけて入る部屋があります。前後に開く扉の内側には、機械仕掛けで横に移動する壁が設けられているのでした。ここには嵐の夜の転落事故のために邸宅に駆けこんだ新婚夫婦の夫が閉じこめられることになる。
 さらに、螺旋階段の空間から廊下に入る手前にあたるのか、鉄格子のはまった部屋があります。壁は下に狭く斜めになっており、やはり下に狭い台形の架刑台のようなものがある。ここがクライマックスの舞台となるのでした。
  
『黒猫』 1934、約32分:地下、通路 『黒猫』 1934、約1時間1分:地下、通路
 話を少し戻ると、位置は定かではないのですが、悪魔崇拝の儀式が行なわれる広間が登場します。儀式に出席するため集まってきた人たちが広間は螺旋階段への扉のある方に進み、またすぐ後で建築家が螺旋階段を下りる場面があるので、1階にあるということなのでしょうか。上が細く下に太い柱が何本か立っていて、説教壇のようなところにはX字型に組まれた太い木の角柱が手前に配されています。背後には金属的な輝きを放つ、大きな結晶片のようなものが折り重なっている。後の『フランケンシュタイン復活』(1939)における洞窟というか、それ以上に『モノリスの怪物』(1957、監督:ジョン・シャーウッド;追補:こちらで触れました:「怪奇城の地下」の頁、また同じ頁の→そちら)が連想されるところです。 『黒猫』 1934、約54分:儀式場
 この広間はすぐに俯瞰で映され、説教壇には踏み台があって、その下、左右両側にさらに数段の階段が見える。X字型と見えた木組みは、右上から左下への角柱のさらに下に、短い角柱が交差しています。また説教壇や巨大結晶の4方には、オベリスクが立てられて結界をなしています。

 階段広間を中心にしたいかにもすっきりとして明るく、窓の多い近代的な空間に対して、螺旋階段の吹き抜けとその周囲の地下室、儀式の間は暗い壁に閉ざされています。ただしそれらは、石や土の質感を感じさせない、金属やコンクリートによってできているらしいという点では、やはり近代建築のもう一つの側面を示しているのでしょう。

 
Cf.,  D.アルブレヒト、『映画に見る近代建築 デザイニング・ドリームス』、2008、pp.156-158、p.160 図100

デイヴィッド・J・スカル、『モンスター・ショー 怪奇映画の文化史』、1998、pp.203-208

北島明弘、『映画で読むエドガー・アラン・ポー』、2009、pp.61-63

Film Architecture : Set Designs from Metropolis to Blade Runner, 1996, pp.116-117

Juan Antonio Ramírez, Architecture for the Screen. A Critical Study of Set Design in Hollywood's Golden Age, 2004, pp.195-196

Scott Allen Nollen, Boris Karloff. A Critical Account of His Screen, Stage, Radio, Television, and Recording Work, 1991, pp.88-97 : "Chapter 9. Death Personified : The Black Cat (1934)", p.374 / no.94

Jonathan Rigby, American Gothic: Sixty Years of Horror Cinema, 2007, pp.144-146

Jonathan Rigby, Studies in Terror. Landmarks of Horror Cinema, 2011, pp.48-49

Bruce G. Hallenbeck, Poe Pictures. The Film Legacy of Edgar Allan Poe, 2020, pp.35-40

Cleaver Patterson, Don't Go Upstairs! A Room-by-Room Tour of the House in Horror Movies, 2020, pp.189-192

 タイトルのもとになったポーの短篇の邦訳は;

河野一郎訳、「黒猫」、『ポオ全集 2』、東京創元新社、1970、pp.233-244
原著は
Edgar Allan Poe, "The Black Cat", 1843

 「黒猫」は

ロジャー・コーマンの『怪異ミイラの恐怖/黒猫の怨霊/人妻を眠らす妖術』(1962)中の第2話としても映画化されています。


 なおポーについては→「viii. エドガー・アラン・ポー(1809-1849)など」(<「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」<「宇宙論の歴史、孫引きガイド」)も参照

 監督のエドガー・G・ウルマーについて;

柳下毅一郎、『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』、2003、pp.216-224


加藤幹郎、「第2章 ジャンル、スタジオ、エクスプロイテイション エドガー・G・アルマー論の余白に」、『表象と批評 映画・アニメーション・漫画』、岩波書店、2010、pp.57-97
おまけ  Gentle Giant, Acquiring the Taste, 1971

 技巧派変態馬鹿バンドの記念すべきセカンド・アルバムのB面3曲目が
"Black Cat"でした。
相変わらずのジェントル・ジャイアント調の内に、猫の鳴き声を真似た音が交わります。歌詞は不詳。
 →こちらも参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ


 ちなみに猫のことを歌っているわけではありませんが、キング・クリムゾンの記念すべきセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』(1970→そちらを参照:「通史、事典など」の頁の「おまけ」)のB面2曲目が

"Cat Food"

 キース・ティペットのピアノが駆け回り転がりまくります。
あわせてプログレ猫唄ということで、猫好きの方は機会があればご一聴ください。


   日本のバンドから;

ポチャカイテ・マルコ、『ポチャカイテ・マルコ』、2001(1)

 4曲目が

"Cat Field"
 器楽曲です。
 
1. 『ユーロロックプレス』、vol.10、2001.8、pp.98-99。
同、vol.11、2001.11、p.55

 
 
人間椅子、『無限の住人』、1996(2)

 メジャー6枚目の10曲目は「黒猫」、8分45秒。
 黒猫ではありませんが、

人間椅子、『萬灯籠』、2013

 17枚目の7曲目、「猫じゃ猫じゃ」、4分37秒。
2. 『人間椅子 椅子の中から 人間椅子30周年記念完全読本』、シンコー・ミュージック・エンタテイメント、2019、pp.146-149。

 同じバンドの別のアルバム、また『萬灯籠』から→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「おまけ
 
黒百合姉妹、『最後は天使と聴く沈む世界の翅の記憶』、1990/2006

1枚目の8曲目「黒猫ティヴの子守歌」、5分12秒。
 別の曲を→「怪奇城の高い所(後篇) - 塔など」の頁の「v. 鐘塔など」挙げました。



 なお怪奇黒猫映画として、上掲『怪異ミイラの恐怖/黒猫の怨霊/人妻を眠らす妖術』(1962)中の第2話の他に、同じコーマンのポー連作から;

黒猫の棲む館』、1964


 また

薮の中の黒猫』、1968、監督:新藤兼人


 ポーの「黒猫」のモティーフを組みこんだものとして、また;

『怪猫 呪いの壁』、1958、監督:三隅研次


 黒猫と限らず、正統的な化猫映画として;

怪談佐賀屋敷』、1953
怪猫有馬御殿』、1953
怪猫岡崎騒動』、1954
亡霊怪猫屋敷』、1958

 化猫映画の亜種というかオマージュ;

HOUSE ハウス』、1977
麗猫伝説』、1983

 また化猫かどうかは定かではありませんが;

ヴェルヴェットの森』、1973


 〈猫又〉について→『A-ko the ヴァーサス』(1990)のメモの頁で触れました。

 余談になりますが、とある知人のお宅にお邪魔すると、猫がいました。黒猫ではありませんでしたが、ともあれ帰ってから、つい次の三作を読み返してしまいました;

アルジャナン・ブラックウッド、紀田順一郎訳、「いにしえの魔術」、『ブラックウッド傑作選』(創元推理文庫 527-1)、東京創元社、1978、pp.16-81
原著は Algernon Blackwood, "Ancient Sorceries", John Silence, Physician Extraordinary, 1908
(アルジャノン・ブラックウッド、紀田順一郎・桂千穂訳、『妖怪博士ジョン・サイレンス』(角川ホラー文庫 509-1)、角川書店、1994、pp.5-82
 中西秀男訳、「アーサー・ヴェジンの奇怪な経験」、『ブラックウッド怪談集』(講談社文庫 64-1, B125)、講談社、1978、pp.7-70)

萩原朔太郎、「猫町」(1935)、清岡卓行編、『猫町 他十七篇』(岩波文庫 緑 62-3)、岩波書店、1995、pp.8-30

日影丈吉、「猫の泉」(1961)、澁澤龍彦編、『暗黒のメルヘン』、立風書房、1971/1974、pp.153-174
(『猫の泉 日影丈吉傑作選 Ⅱ』(教養文庫 969 D 588)、社会思想社、1978、pp.7-36)

 この中で最初に読んだのは、『暗黒のメルヘン』に収録されていた日影丈吉の「猫の泉」でした。「編集後記」で澁澤龍彦は、

 「萩原朔太郎の『猫町』のテーマとエドガー・ポーの『鐘楼の悪魔』のテーマとを二つ合わせたかのような」(p.298

)と記していました(澁澤龍彦について→あちらも参照:「通史、辞典など」の頁の「おまけ」)。『日影丈吉傑作選 Ⅱ』に「解説 ー 翳の觀察者 -」を寄せた中井英夫も、「猫町」の題を挙げつつ、また

「月に吠える青猫という朔太郎の耽美世界をそのまま散文に移し変えたこの一編」(p.311)

と形容します。
 他方「猫町」を掲載した岩波文庫版の編者による「解説」を見ると、「4 『猫町』と『古き魔術』」として一章が設けられていました。

「影響の有無は何ともわからない」(p.159)

としながらも、両作が細かく比較されています。
 そこでも触れられていますが、両作についてはすでに、江戸川乱歩が「怪談入門」に「附」として足された「猫町」(1948)で、

「萩原朔太郎の『猫町』を敷衍するとブラックウッドの『古き魔術』になる。『古き魔術』を一篇の詩に抄略すると『猫町』になる」(『江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城』(光文社文庫 え 6-5)、光文社、2003、p.361)

と語っていました。
 南條竹則訳、『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』(光文社古典新訳文庫 K Aフ 9-1)、光文社、2012
には件の中篇は収められていないのですが、訳者による「解説」では、乱歩の「猫町」を紹介した上で、

「のちに日影丈吉は『猫の泉』という短篇で、『古い魔術』に魅力的なオマージュを捧げました」(p.344)

とくくっています。

 なおブラックウッドについては→ここも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「ブラックウッド」の項
 また、猫の話は出てこないものの、「いにしえの魔術」をとりあげていたのが;

鈴木暁世、「第3章 イギリス怪奇幻想ミステリと近代日本文学 - A・ブラックウッドと芥川龍之介を中心に」、怪異怪談研究会[監修]、乾英治郎・小松史生子・鈴木優作・谷口基[編著]、『〈怪異〉とミステリ 近代日本文学は何を『謎』としてきたか』、青弓社、2022、pp.75-95
 はじめに/芥川龍之介におけるブラックウッド受容 - 「怪異」をどのように「語る」か/主観的な怪談と「語り」の問題/語りと記憶 - 補完・解釈・編集/おわりに



 リルケの『新詩集』中の「黒猫」にまつわって→そこ(「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「おまけ」/ダニエレブスキー『紙葉の家』に関連して)で触れました
2014/09/14 以後、随時修正・追補
   HOME古城と怪奇映画など黒猫 1934