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vii. マンダ教など

 日本語で読めるマンダ教のまとまった解説は、今のところ以下のものしか見つけられないでいます;

ハンス・ヨナス、『グノーシスの宗教』、1986、pp.73-146:「第1部第3章 グノーシス的イメージとその象徴言語」

 ただしこれは、グノーシス一般の特徴を描きだすための章なので、マンダ教そのものの組織だった記述とはなっていません。
 本頁本項下記の→こちらも参照:『グノーシスと古代末期の精神 第一部』より


クルト・ルドルフ、『グノーシス』、2001、pp.378-401;「生き残り-マンダ教徒」
分布と名称/マンダ教文献/マンダ教教説の概略/救済論と終末論/倫理/祭儀/洗礼/死者のミサ/追悼の食事/マンダ教徒の歴史/共同体の組織/今日の状況

 後で出てくるように、ルドルフはマンダ教の研究から出発した研究者なので(本頁本項下掲の→こちらを参照)、上の箇所以外にも随所でマンダ教への言及があります。


 ありがたや、宇宙論に関わる点で、以下の文献が刊行されました;

大貫隆訳・編、『グノーシスの神話』、1999、pp.181-235:「Ⅲ マンダ教の神話」
マンダ教について//
『ギンザー(財宝)』の神話 光の世界;至高神/第2、第3、第4の神々/その他の神々(ウトラ)//闇の世界//世界(この世)の創造//人間の創造//救済論(終末論)


 「『ギンザー』からの引用はM・リツバルスキーのドイツ語訳に基づいて行」なったとのこと(p.189)。
 なお、本稿は相関真樹子の原稿に基づき、編者が
「氏の了解を得て、文章と分量面での改稿を施した。しかし、内容については氏の見解とテーゼをそのまま活かしている」
とのこと(p.307)。


青木健、『古代オリエントの宗教』、2012、pp.31-51:「第1章 マンダ教の洗礼主義-1~2世紀のメソポタミア」
全聖書ストーリーの否定;東方の思想風土のなかの「聖書ストーリー」/マンダ教の成立(1~2世紀)/「マンダ教徒」としてのアイデンティティー/マンダ教聖典/全「聖書ストーリー」を敵として(3~7世紀)//
「洗礼者ヨハネの教え人」として;洗礼者ヨハネの徒、自称「サービア教徒」へ(7世紀~)/西方起源か東方起源か//
光と闇の対立と洗礼儀式;「光の世界」と「闇の世界」/終末の日と霊魂の救済/「聖なる川」での洗礼儀式/現代のマンダ教徒


岡田明憲、「ギンザー」、藤巻一保・岡田明憲、『東洋秘教書大全』、2012.9.11、pp.386-389
マンダ教はグノーシス主義の起源/聖典に説かれる魂と終末世界/聖なる川で行われる洗礼の儀式など

ハンス・ヨナス、大貫隆訳、『グノーシスと古代末期の精神 第一部 神話論的グノーシス』、2015.9.18、pp.334-352+註(pp.442-450):「第1部第3章1 マンダ教の宇宙創成論」

 その他、同書の「第1部第1章 グノーシスのロゴス(ことば)」や第2部など随所で言及されます。
 本頁本項上掲→こちらも参照:『グノーシスの宗教』より


ジェラード・ラッセル、臼井美子訳、『失われた宗教を生きる人々 中東の秘教を求めて』、亜紀書房、2017、pp.21-77:「第1章 マンダ教徒」
原著は Gerard Russell, Heirs to Forgotten Kingdoms. Journeys into the Disappearing Religions of the Middle East, 2014

 他の内容は;
序文/ヤズィード教徒ゾロアスター教徒ドゥルーズ派/サマリア人/コプト教徒/カラーシャ族/エピローグ デトロイトなど、
492ページ。

 エピローグ以外の各章の冒頭に青木健による2ページ以内の解説つき。


 宇宙論とは絡みませんが、

大貫隆、『イエスの「神の国」のイメージ』、教文館、2021、pp.263-284:「付論1 『ナザレ人』と『ナゾラ人』」

 マンダ教のみを扱う本ではありませんが;

高野秀行、『イラク水滸伝』、文藝春秋、2023
はじめに//
バグダード、カオスの洗礼;有田焼の土産が困惑を呼んだ理由/イラク料理、こわい/バグダード民泊は「鶴の恩返し」/鶴の見た古都バグダード/謎の古代宗教マンダ教/「すべての人類はマンダ教から生まれた」/ヨハネの愛弟子たちの洗礼//
イラン国境の水滸伝;ディープサウスへ/湿地帯が生んだイラクの国民的朝食/マンダ教徒の舟大工/湿地帯の
(アミール)/混沌と文明の間にあるもの/奇人サーレ先生と天国の湖//
新世紀梁山泊チバーイシュ;シュメール文明を受け継ぐ「葦の館」/驚異の新世紀梁山泊/伝統的水滸伝と古代粘土せんべい/プチ梁山泊の最強コンビ/原初的水滸伝の謎/湿地帯に自由はあるのか/シュメールのウル遺跡で逆タイムトラベル//
イラク水滸伝六千年 脳内タイムトラベルの旅;シュメール時代の水滸伝/異端グノーシス時代の水滸伝/二十世紀水滸伝の主役はコミュニスト//
「エデンの園」の舟造り;「エデンの園」は実在した!/氏族長のリムジン「タラーデ」/神をも恐れぬ舟造り/水滸伝にはブリコラージュがよく似合う/抵抗者たちの系譜/湿地民の核心「マアダン」とは何者か/衝撃の「ゲッサ・ブ・ゲッサ」/アメリカVSイラン戦争危機とタラーデ完成//
呪われた水滸伝の旅;「エデンの園」から追放されて/主なき梁山泊/天地明け初めぬ島/ゲーマルの謎/移動経路を調査する/われら聚義庁を乗っ取る!//
謎のマーシュアラブ布を追え!;頭領ジャーシム宋江の帰還/世界最古の都市国家ウルク/謎の刺繍布の作り手と会う/アザールを作っていたのは〝禁じられた民〟!?/湿地帯に存在した「禁じられた民族」/刺繍布によって浮かび上がるアフワールの真の姿//
古代より甦りし舟は行く;湿地帯の罠、再び/過激なる水滸伝右派/マイ・スウィート梁山泊/浮島、最後の晩/好漢たちが集結、タラーデに乗る//
あとがき/謝辞/参考文献一覧など、
492ページ。

………………………

Übersetzt und erklärt von Mark Lidzbarski, Ginzā. Das große Buch der Mandäer, (Quellen der Religionsgeschichte, Band 13, Gruppe 4), Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen, 1978
 1925刊本の再刊
『ギンザー マンダ人の大いなる書』
序論//右の部(第1-18の書)/左の部(第1-3の書)など、
638ページ。


E. S. Drower, The Mandaeans of Iraq and Iran. Their Cults, Customs, Magic, Legends, and Folklore, Photomechanical Reprint, E. J. Brill, Leiden, 1962
 1937刊本の再刊
『イラクとイランのマンダ人たち 彼らの祭儀、慣習、魔術、伝説と民間伝承』
新版への緒言
(G. R. Driver)//
第1書;イラクとイランのマンダ人たち(あるいは
ṢUBBA)/マンダ教の宗教文学/儀礼衣装と記章/俗人の生活/婚礼/宇宙開闢論、占星術と祭日/洗礼/〈マンダ〉あるいは祭儀小屋/僧侶層-僧侶の聖別、あるいは〈タルミダ〉/死と死者の魂のための儀礼/パルシー教徒の儀礼食/マンダ語のアルファベット/附録 ASUTH MALKA’//
第2書 伝説、魔術と民間伝承 註//
創造と洪水などの伝説;創造/創造と洪水/人間の創造/洪水/マンダ人たちの国/紅海の物語の別版//
アブラハムとユルバ/ヒビル・ジーヴァーがルーハーを闇から引きだす/キケルの物語とヤーヤの死/ネブカドネザルの娘/太陽の物語/シュステルの橋/拝火教徒とアダム・ブル・ファラージュ/ダナ・ヌクがどのようにして第7天を訪れたか/千年王国/マッダイの山とトルコ人がどのようにそれを占領しに来たかについて/マンダ人とその〈ガンジブラ〉がいかにして山を離れより良い土地を求めたか/月の第29番目の夜に孕まれた子供/
KANSHI uZALA/憑霊/シュステルの災厄/石投げ/カフタール/ビビの息子たちと彼らの奇妙な冒険/シャイク・ジビド/脱自状態で出来事を見ることについて/いかに悪霊たちが死者を苛むか、など/死から戻った男たち、など/霊を見る力について/スィームルグ-ロスタムとその息子の本当の物語/ヒルミズ・シャー/シン、月を見ようとした男/スィームルグとヒルミズ・シャーなど、
464ページ。

 第1書はフィールド・ワークの報告が主体で、第2書は Hirmiz bar Anhar などからの聞き書きからなります。
 末尾で
Hirmiz bar Anhar の言葉として、

「ご婦人よ、ルーハーとその子供たちと、光の世界との敵対というのは、ほんとうは存在しないのです。闇と光の間に敵対などありません、ともに一にして同じものの創造なのですから。あなたが読んだ敵対は僧侶たち、〈ギンジ(財宝、聖なる書物)〉を書き記した者たちの創造です。私たちと闇の諸力、あるいは闇の諸力と光の諸力との間になぜ敵対がなければならないでしょうか?あるのは愛だけです!愛が全ての物事を結びつけ、そうしてそれらは総体をなすのです」

と記されていたのが印象的でした(pp.398-399)。
 後出のルドルフ『マンダ教文書における神々・宇宙・人間の始まり』は、たしか、マンダ教文書の古層では厳格な二元論が保持されているが、より新しい層に移るに従って、一元論的な傾向が目につくようになると主張していたかと思います。他方ドゥロウワーの語り手が、当時のマンダ教徒をどれだけ代表するといってよいものか、不明なのですが。

 なお本書は、
Jorunn Jacobsen Buckley の序論をつけて2002年に再刊されました(未見)。
 同じ著者による→こちらも参照:『イスラーム Ⅲ』の頁の「ヤズィード派」の項

Translated by E. S. Drower, The Book of the Zodiac (Sfar Malwašia), (Oriental Translation Fund, vol.36), The Royal Asiatic Society, London,1949
『黄道帯の書』
緒言/翻訳など、
222ページ+原本の複写
(手もとにあるのはコピー)。


Text with translation notes and appendices by E. S. Drower, Diwan Abatur or Progress through the Purgatories, (Studi e testi 151), Biblioteca Apostolica Vaticana, Città del Vaticano,1950
『ディワン・アバトゥル、あるいは煉獄を通っての進展』
緒言/翻訳など、
52ページ+原本の複写
(手もとにあるのはコピー)。


The Mandaic text reproduced together witht translation, notes and commentary by E. S. Drower, The Haran Gawaita and the Baptism of Hibil-Ziwa, (Studi e testi 176), Biblioteca Apostolica Vaticana, Città del Vaticano,1953
『ハラン・ガワイタ、およびヒビル・ジーヴァーの洗礼』
序論/翻訳など、
108ページ+原本の複写
(手もとにあるのはコピー)。


E. S. Drower, The Secret Adam. A Study of Nasoraean Gnosis, Oxford University Press, London, 1960
『秘められたアダム ナズライイア・グノーシスの研究』
序論/初めに/父と母、アルファベット/アダム・カシア、秘密あるいは秘められたアダム/アダムと息子たち/ムシュニア・クシュタ-理念的対の世界/魂/人格化された諸流出とウトラたち/もろもろの秘儀と大いなる秘儀/ナズライイアの言語とその特質/洗礼者たちと秘められたアダムなど、
142ページ
(手もとにあるのはコピー)。


Kurt Rudolph, Theogonie, Kosmogonie und Anthropogonie in den mandäischen Schriften. Eine literarische und traditionsgeschichtliche Untersuchung, (Forschungen zur Religion und Literatur des alten und neuen Testamentes), Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen, 1965
『マンダ教文書における神々・宇宙・人間の始まり 文献学的・伝承史的研究』
目的と方法についての前文/主題と典拠//
神統譜;光の世界/闇//
宇宙開闢論 〈第2の命〉の役割;ヨーシャミーン/アバトゥルと〈第3の命〉//
  デーミウールゴスと悪;ティビルの〈圧縮〉/ティビルの整備/デーミウールゴスの回復//
  光の世界と創造;プタヒルとガブリエル/プタヒルとヒビル/命、マンダ・ダイエーとウトラたち/集合創造//
  〈地獄行〉と宇宙開闢論//
人間創造論;厳格に二元論的な把握/身体的アダムの制作/〈魂の転落〉/ハヴァーとアダム族//
  一元論的概念//〈原啓示〉など、
304ページ。

 同じ著者による→こちら(「グノーシス諸派など」の頁の「ii. 『ナグ・ハマディ文書』邦訳刊行とその周辺など」)や、またあちら(「グノーシス諸派など Ⅱ」の頁の「vi. ウィリアムズ『再考』を一応の目安に、その他」)も参照

 中身はすっかり忘れてしまいましたが、〈黒い水〉ないし〈濁った水〉というイメージ(pp..84-86, 89-90, 93, 124-125, 211, 228-229 など)や、それとデーミウールゴスであるプタヒルとの結びつき(pp.125-126, 140-141 など)は印象に刻まれたものと見え(上掲大貫隆訳・編、『グノーシスの神話』、1999、「Ⅲ マンダ教の神話」、pp.203-204、210、214 なども参照)、原稿中でいささか強引に引きあいに出したことがありました;
 →「時よ止まれ、おまえは美しいのか? 絵と映像のA感覚」、『『液晶絵画』展図録、2008 [ < 三重県立美術館のサイト ]。


 なおルドルフには、上掲書に先立って

Die Mandäer Ⅰ. Prolegomena : Das Mandäerproblem, 1960

Die Mandäer Ⅱ. Der Kult, 1961


 がありますが、未見。当時は上掲書だけでいいと思ったのでしょう、今になって後悔することしきりなのはいつものことなのでした。

Werner Foerster, Gnosis. A Selection of Gnostic Texts. 2. Coptic and Mandaic Sources, 1974, pp.121-319 : Kurt Rudolph, “Part 2 : Mandaean Sources”
マンダ教原典 序論;マンダ教徒/本編集について/マンダ教の固有名と専門用語のリスト//
  彼方の世界/闇の世界/宇宙開闢論/人間の創造/救済論/祭式/倫理と倫理性/歴史と伝説など

Kurt Rudolph, Gnosis & spätantike Religionsgeschichte. Gesammelte Aufsätze, 1996, pp.299-626 : “Ⅱ. Mandaica”
マンダイカ;新たなグノーシス研究におけるマンダ教/マンダ教文献-そのテクスト刊行の状態についての所見/マンダ教文書の文献批判的・伝承史的研究の成果/マンダ教史の問題/マンダ教徒の起源と年代の原典問題/コプト=マンダ教的なるもの-コプト=グノーシス的テクストとマンダ教テクストとの合致について/マンダ教の視点から見たキリスト教/マンダ教伝承における〈他なるもの〉の悪霊化-諸宗教相互間での交流の一章/2種の彼岸行-古代エジプトにおける太陽の夜の旅とグノーシス=マンダ教的魂の天界行/ソロモンの頌歌の著者は〈クムラン=キリスト教徒〉か? グノーシスの始まりをめぐる議論への一寄与/今日のマンダ教徒 現在におけるその研究と変遷の中間貸借対照表/古代の洗礼主義者 初期ユダヤ教と初期キリスト教の洗礼宗派に関する諸伝承に向けて/マンダ教徒とマニ教の関係

Edwin M. Yamauchi, Gnostic Ethics and Mandaean Origins, Gorgias Press, New Jersey, 2004
 1970刊本の再刊
『グノーシス主義的倫理とマンダ教の起源』
序言(2004)//
マンダ教グノーシス文献;マンダ教文書集/マンダ教文献の年代/マンダ教の年代//
コプト語グノーシス文献;ナグ・ハマディ以前の文献/ナグ・ハマディ文書//
マンダ教=コプト語文献の平行箇所;宇宙開闢論/アダムの黙示録/祭儀/心像//
グノーシス主義的倫理;反律法主義/婚礼を肯定する態度/禁欲主義//
マンダ教的倫理;性的罪/婚礼/聖職者主義と性/性的汚染/ピューリタニズムといわゆる禁欲主義//
マンダ教=コプト語文献の対照;象徴的婚礼と聖婚/性的欲望の起源//
ユダヤ教起源の問題;旧約聖書とユダヤ教/エッセネ派と死海写本/キリスト教以前のナズライイア?/エルカザイ派/血族か隣接か?//
源泉と示唆;パレスティナからの脱出?/西方の源泉と東方の源泉/神話学、祭儀と倫理//
後書きなど、
122ページ。

 同じ著者による→こちらも参照:「グノーシス諸派など Ⅱ」の頁の「v. ナグ・ハマディ写本の発見以降など


The Other Bible, 1984/2005, pp.123-141:“Creation of the World and the Alien Man”, pp.696-702, “9 Manichaean and Mandaean Gnostic Texts”
世界の創造と異邦の人;彼方の世界/闇の世界/宇宙開闢論/人間の創造/頭は1つの世界
マンダ教の救済と倫理;救済論(魂の救済)/上昇の歌/倫理と道徳(マンダ教徒の)

 ‘The Head is one world’のみ Drower ed., The Thounsad and Twelve Questions, 1960 より。
 それ以外は上掲
Werner Foerster, Gnosis. A Selection of Gnostic Texts. 2. Coptic and Mandaic Sources, 1974, pp.121-319 : Kurt Rudolph, “Part 2 : Mandaean Sources"より。

Edmondo Lupieri, translated by Charles Hindley, The Mandaeans. The Last Gnostics, William B. Eerdmans Publishing Company, Grand Rapids, Michigan, Cambridge, UK., 2002
原著は I Mandei. Gli ultimi gnostici, 1993
『マンダ人たち 最後のグノーシス主義者たち』
プロローグ//
歴史 マンダ人たち;生活、慣習と宗教儀礼/理念 グノーシス主義、マンダ教/文献 文書、主な刊行されたマンダ教文献一覧および未刊行のものについての情報、書誌学的示唆//
  マンダ人たちと西方-相互作用の歴史;最初の接触/再発見/伝動/失敗/学識者と旅行者/教授たちと外交官/〈マンダ教問題〉//
  伝説と歴史;エジプトとインドの間で/エルサレム、洗礼者ヨハネとその他/書記者たちの系譜学//
テクスト(アンソロジー);神学綱要/最初の人間/創造から洪水まで/他者たちの諸宗教/ユダヤ人、エルサレムとミリアイ/ヨハネ、真のマンダ人/イエス、〈偽メシア〉/〈アラブの肉屋の息子〉など、
294ページ。


 “Part Ⅰ-2 The Mandaeans and the West”が本書の核となる部分なので、教理面には重点が置かれていません。
 “Part Ⅱ The Texts (An Anthology)”は上掲 Werner Foerster, Gnosis. A Selection of Gnostic Texts. 2. Coptic and Mandaic Sources, 1974, pp.121-319 : Kurt Rudolph, “Part 2 : Mandaean Sources"より。

Şinasi Gündüz, The Knowledge of Life. The Origins and Early History of the Mandaeans and their Relation to the Sabians of the Qur'ān and to the Harranians, Journal of Semitic Studies Sipplement 3, Oxford University Press, 1994

 細目は→こちら(「西アジア」のページ、「iii. ハッラーンのサービア教徒」の項)

Nathaniel Deutsch, The Gnostic Imagination. Gnosticism, Mandaeism, and Merkabah Mysticism, 1995

 →細目はこちら:「グノーシス諸派など Ⅱ」の頁の「v. ナグ・ハマディ写本の発見以降など

Nathaniel Deutsch, Gurdians of the Gate. Angelic Vice Regentcy in Late Antiquityn, 1999

 →細目はこちら:「グノーシス諸派など Ⅱ」の頁の「vi. ウィリアムズ『再考』を一応の目安に、その他

The Gnostic Bible, 2003, pp.525-565 : “Part Four : Mandaean Literature”
「マンダ教の文献」
序説(
Nathaniel Deutsch)//ギンザー/ヨハネの書よりヒビルの嘆き/マンダ教礼典よりの歌

Jorunn Jacobsen Buckley, The Mandaeans. Ancient Texts and Modern People, Oxford University Press, Oxford, New York, 2002
『マンダ人たち 古代のテクストと近代の人々』
始まり;序説-マンダ人の世界/イラクからカリフォルニアへ-麝香の粒/シティル-〈上と下のイメージ〉の一例/ルーハー/ミリアイ//
儀礼;川へ-イラクにて、1996年4月/洗礼(マスブタ)/タバハタ・マシクタ/タルミダの通過儀礼//
自前の解釈学;沼に来た鴨たち-ニューヨーク/書き刻まれたマンダ人の身体/『高められた王権の巻物』における解釈戦略/マンダ語の言語ゲームと障害/幾千もの名前、幾百もの系族//

Frouzanda Mahrad など、
216ページ。

 同じ著者による→こちらも参照:「グノーシス諸派など Ⅱ」の頁の「v. ナグ・ハマディ写本の発見以降など


 なお宇宙論とは絡みませんが、バックリーには

Jorunn Jacobsen Buckley, The Great Stem of Souls. Reconstructing Mandaean History, Gorgias Press, New Jersey, 2005
『魂の大いなる幹 マンダ人の歴史を再構成する』

 があります。
 前著の
“Ⅲ-14 Thousands of Names, Hundreds of Lineages”で述べられた課題を遂行して、マンダ教文書の奥付けに記された写字者の系譜を遡ることで、マンダ教の歴史、とりわけその初期に光を当てようというものです。
394ページ。


Jon Olaw Ryen, The Tree in the Lightwotld. A Study in the Mandaean Vine Motif, (Acta Humaniora), Faculty of Humanities, University of Oslo, Unipub/Oslo Academic Press, 2006
『光の世界の木 マンダ教における葡萄の木のモティーフの研究』
序論;際だった平行事例-マンダ教文書とヨハネ福音書15/本研究の目的と概要/調査史//
グノーシス主義的マンダ教徒-その起源と文献;マンダ教-あるグノーシス主義的宗教/マンダ教徒のありうべき起源 余論-洗礼者ヨハネとマンダ教徒/マンダ教聖典 年代、内容と学術的刊行版/第3章で用いるテクストの版//
釈義;方法論的前提/『ヨハネの書』 余論-〈ウトラたち〉、マンダ教における葡萄酒/『ギンザー』 『右ギンザー』 余論-マンダ教と比較しうる諸宗教における〈雲〉の意義 『左ギンザー』/『規範的な祈りの書』 〈マスブタ〉と〈マシクタ〉の祈りと讃歌、CP73以下/
Alf Trisar Shuialia/『ヒビル・ジーヴァーの洗礼』/『ディワン・アバトゥル』/Diwan Malkuta 'LaitaShar d-Qabin d-Shishlam Rba/魔術文書/他の文書//
葡萄の木の機能;生命の木(楽園の木) 余論-古代中近東の諸宗教における生命の木/天の遣い/個人(人、魂)/ティビル(この世)/光の世界へ帰還する魂の衣/両義的なルーハー 余論-ルーハーの起源/第1次創造(流出)/司祭/イスラエルの12支族/
zidqa brika の4つの秘儀/典礼装具の起源/マンダ教共同体//
比較-ユダヤ教およびグノーシス的文献における葡萄の木の隠喩的用法;ユダヤ教文献における葡萄の木のシンボリズム 旧約聖書、旧約外典・偽典、クムラン/グノーシス的文書における葡萄の木のシンボリズム 新約外典、ナグ・ハマディの諸論考/『ピスティス・ソピア』と『イェウの書』、あきらかなグノーシス的要素を欠く新約外典、および『ヘルメース文書』における葡萄の木のシンボリズム/ユダヤ教およびグノーシス主義とマンダ教における葡萄の木解釈の比較/附録-新約聖書における葡萄の木シンボリズム//
結論など、
362ページ。


Maire M. Masco, The Mandaeans. Gnostic Astrology as an Artifact of Cultural Transmission, Tacoma, WA., USA, 2012
『マンダ人たち 文化伝達の所産としてのグノーシス主義的占星術』
マンダ教研究への序論;学術的取り扱い/翻訳者、レイディー・ドゥロウワー/歴史的証言/マンダ人たちとその宗教/グノーシス主義/洗礼者ヨハネと洗礼/マンダ人たちとイスラーム/
Sfar Malwašia の内容/Sfar Malwašia における占星術/Sfar Malwašia-記述と年代推定/マンダ教研究の要約//
マンダ教的出生時占星術の分析;上昇点/マンダ教占星術における局所的ハウス/占星術の所産としての
十分角(デカン)/占星術的人相術とメロテシア/女性の星占い/惑星の順序/惑星の強さ/要約//
マンダ教現世的占星術の分析;現世的占星術/サーサーン朝人と伝達/創造と破壊の物語/
Akitu と他の年ごとの祝祭/Dehwa Rabba-マンダ教の新年/Akitu Dehwa Rabba を比較する/Sfar Malwašia 第1部と第2部/クムランのエッセネ派暦、ヨベルとシェーム/現世的時間測定の技法/インド=イラン人のタジク占星術//
結論など、
160ページ。


Edited by Charles G. Häberl and James F. McGrath, The Mandaean Book of John. Critical Edition, Translation, and Commentary, Walter de Gruyter GmbH, Berlin / Boston, 2020(2019/12/25)
『マンダ教のヨハネの書 批評版、翻訳、註釈』
前置きの所見;マンダ教徒たち/ヨハネの書/写本/制作年代/内容と登場人物たち/書物の型/翻字と転写についての覚書/謝辞//
序:マンダ教の『ヨハネの書』におけるグノーシス主義的宙返り
April D. DeConick範疇においては何か?/区別するグノーシス者たち/諸起源を再想像する/物語を宙返りさせる/マンダ教の抵抗の諸戦略/ヨハネを適応させる/同化に抵抗する/書物の民//
版と翻訳//
註釈;献辞/真理の問い(1-2)/ヨーシャミーン
Yushamen (3-10)/良き羊飼い(11-12)/創造(13,60)/真理のシェム(14-17)/ヨハネ=ヨハネス(18-33)/ミリアイ Meryey (34-35)/魂の漁師(36-39)/鉄の靴(40-41)/諸訓戒(42-47)/真理(48-51)/諸惑星(52-56)/命の宝(57-59)/創造(60-62)/余波(63-67)/マンダ・ダイエーの諸訪問(68-69)/アバトゥルの嘆き(70-72)/三つの嘆き(73-75)/エルサレムの優れたアノシュ(エノシュ)(76)//
結論(
Charles G. Häberl)など、
476ページ。

………………………

 以下、Encyclopædia Iranica より;

Edmondo F. Lupieri, ‘MANDAEANS i. HISTORY
「マンダ人たち i 歴史」

Kurt Rudolph, ‘MANDAEANS ii. THE MANDAEAN RELIGION
「マンダ人たち ii マンダ教」

Kurt Rudolph, ‘MANDAEANS iii. INTERACTION WITH IRANIAN RELIGION
「マンダ人たち iii イランの宗教との相互作用」

Jorunn Jacobsen Buckley, ‘MANDAEANS iv. COMMUNITY IN IRAN
「マンダ人たち iv イランにおける共同体」

Christa Müller-Kessler, ‘MANDAEANS v. MANDAIC LANGUAGE
「マンダ人たち v マンダ語」

Charles Häberl, ‘MANDAEANS vi. NEO-MANDAIC LANGUAGE
「マンダ人たち vi 新マンダ語」

 また;

Kurt Rudolph, ‘GNOSTICISM in Persia i. in the pre-islamic iranian world
「グノーシス主義、ペルシアにおける i イスラーム以前の世界において」

viii. マニ教(マーニー教)など

 マンダ教に比べると、マニ教に関してはそこそこ日本語の資料があります。最初に触れたのはゾロアスター教の宇宙史同様、

並河亮、『ウィリアム・ブレイク 芸術と思想』、1978、pp.255-262

 だったか、

坂本賢三、「光と闇」、『講座 現代の哲学 5 超越の座標』、弘文堂、1978、pp.35-69

 中の pp.51-56 だったか
(手もとにあるのはこの論文のコピーのみ)。

 ともあれ;


矢吹慶輝、『摩尼敎 岩波講座 東洋思潮(東洋思想の諸問題 13)』、岩波書店、1935
序説/摩尼敎研究資料/敎祖摩尼傳/摩尼敎會史 東西傳道史、支那における摩尼敎/摩尼敎敎義など、
47ページ
(手もとにあるのはコピー)

 本書は

矢吹慶輝、芹川博通校訂、『マニ教と東洋の諸宗教 比較宗教学論選』、佼成出版社、1988

 の「Ⅰ マニ教とは何か」の「第1章 マニ教」(pp.13-71)として再録されました。
 「Ⅰ」は;
マニ教とは何か マニ教//
  マニ教籍;下部讃一巻/摩尼光仏教法儀略一巻//
  マニ教『下部讃』について//仏教とマニ教-両教交渉の一端/『老子化胡経』中のマニ教//
  付録 マニ教関係資料;はしがき/摩尼教断片『下部讃』/『摩尼光仏教法儀略』/『フィーリスト』(抄訳)-アル=ナディーム著

 これ以外に;
東洋の諸宗教 東洋の意義//東洋宗教の諸相;仏教とキリスト教/景教と祆教/マニ教と回教//
  仏教//三階教//三階教と日本仏教など、
448ページ。


佐藤圭四郎、「アッバース朝時代のマニ敎について」、『石浜先生古稀記念 東洋学論叢』、1958、pp.228-241

須永梅尾、「ファウストゥスとアガピウス-古代末におけるマニ教的異端の一考察-」、『文化史学』、no.23、1968.5、pp.20-32
序/ファウストゥス/アガピウス/結びなど

須永梅尾、「『真珠の歌』とマニ教との間」、『新潟青陵女子短期大学研究報告』、no.3、1973.1、pp.21-33 [ < 新潟県地域共同リポジトリ NiRR ]

須永梅尾、「"Handām"史料にみるマニ教の霊魂観」、『新潟青陵女子短期大学研究報告』、no.4、1974.2、pp.15-28 [ < 新潟県地域共同リポジトリ NiRR ]

須永梅尾、「『巨人の書』の再検討」、『オリエント』、vol.18 no.1、1975、pp.55-67 [ < J-STAGE

須永梅尾、「マニ教神話における2神とそのパルティア語讃歌」、『新潟青陵女子短期大学 研究報告』、no.6、1976.3、pp.21-28 [ < 新潟県地域共同リポジトリ NiRR ]

須永梅尾、「マニの啓示にあらわれた“仲介者”の観念」、『オリエント』、vol.19 no.2、1976、pp.69-84 [ < J-STAGE ]

須永梅尾、「マニ教における『エノック書』とその底本について」、『新潟青陵女子短期大学 研究報告』、no.7、1977.3、pp.29-35 [ < 新潟県地域共同リポジトリ NiRR ]

須永梅尾、「青年マーニーの人間像をめぐって」、『オリエント』、vol.23 no.1、1980、pp.95-111 [ < J-STAGE ]

須永梅尾、「マーニーの思想と黙示文学の系譜」、『オリエント』、vol.31 no.2、1988、pp.140-152 [ < J-STAGE ]

須永梅尾、「マニ教文学における讃歌と詩篇 - マニの涅槃をめぐって -」、『新潟青陵女子短期大学研究報告』、no.18、1988.2、pp.27-36 [ < 新潟県地域共同リポジトリ NiRR ]

須永梅尾、「マニ教学250年」、『新潟青陵女子短期大学研究報告』、no.19、1989.2、pp.1-12 [ < 新潟県地域共同リポジトリ NiRR ]

 なお著者には、

須永梅尾、『マニ教の世界』、私家版、1991

 があるとのことですが、残念ながら未見。
 追補;さいわい、その後見る機会を得ました。それまでに著した論文を集めたものかと思っていたのですが、いつもどおり予想は外れ、書き下ろしによる概論でした;

はしがき//
マニ教研究の歩み;マニ教研究のはじまり/トゥルファン文書発見以後/ヘニングの貢献/ピュエクの業績/ウィデングレンの寄与/新史料ケルン・マニ・コーデックス(C・M・C)の解読/日本と中国のマニ教研究//
マニ教の史料 マニ直筆の書;七正典/絵図/シャーブーラガーン/マニの直筆書をめぐって//
  マニ教徒の手になる文書;中世ペルシア語文書/パルティア語文書/ソグド語文書/中国漢訳文書/トルコ語文書/コプト語文書//
  非マニ教徒の手になる文書;アラビア語文書/シリア語文書/ギリシア語文書/ラテン語文書/マニ教というよびかたについて//
マニの生涯 マニ以前のメソポタミア;二・三世紀の政治的状況/二・三世紀の宗教的状況/マルキオン/ヴァレンティヌス/タティアヌス/バルダイサン/バルダイサンとマニ/マニとその先人たち//
  マニの生涯(前半生);マニの生涯に関する研究/マニの生涯の三時期区分/アクタ・アルケライのマニ像/マニの誕生と両親/マニの啓示/改革に起つ/改革を促したもの/追放後のマニ//
  マニの生涯(後半生);マニのインド行/サーサーン朝王室との出会い/マニの三大伝道/マニ逮捕の陰謀/最後の旅/マニ終焉の時//
  マニの生涯の意義;青年期/壮年期/シンクレティズムと同一化/マニ(教)的解釈=マニ教の鍵概念//
マニ教の伝道とその歴史 西方伝道;伝道の開始/エジプト、パレスティナ、ローマへ/アフリカからイベリアまで//
  アウグスティヌスとマニ教;北アフリカのマニ教徒/マニ教徒との討論/マニ教徒の聖パウロ尊重/アウグスティヌスへのマニ教の影響/アルメニアのマニ教//
  東方伝道;サーサーン朝時代のマニ教/ウマイア朝時代のマニ教/アッバース朝時代のマニ教/中国への伝播/ウイグル王国とマニ教/マニ教の変容//
マニ教の思想 マニの初期の思想;真珠の歌/巨人の書//
  マニの思想体系の成立;流出論的グノーシスからイラン的グノーシスへ/マニの救済神話(宇宙創造論と終末論)/マニの神観/マニの神格化の背景/マニ教徒の生き方/マニ教の祭儀/断食と祈りと讃歌/マニ教神話再論/マニ教の人間観と終末論(選びの観念)/マニ教の讃歌と詩篇//
マニ教の史的意義;マニ教衰亡の理由/マニ教の宗教性/マニ教のグノーシス主義における位置づけ(試論)//
参考文献//
あとがきなど、
202ページ。


 同じ著者による→こちら(下掲の「ヨーロッパにおけるいわゆる《マニ教的》異端の系譜について」、1970)や、そちら(「グノーシス諸派など」の頁の「グノーシスからグノーシス主義へ」、1991)を参照

岡野昌雄訳、『アウグスティヌス著作集 7 マニ教論駁集』、教文館、1979
二つの魂(391-2) +再考録/フォルトゥナトゥス駁論(392) +再考録/基本書と呼ばれるマニの書簡への駁論(400) +再考録/善の本性(404-5) +再考録/結婚の善 +再考録//解説など、
348ページ。

 →こちらにも挙げておきます:「キリスト教(古代および東方正教会)」の頁の「アウグスティヌス」の項


片柳栄一、「Jesus patibilis - アウグスティヌスの接したヌミディアのマニ教の一断面 -」、『中世思想研究』、no.22、1980.10.20、pp.25-47 [ < 『中世思想研究』バックナンバー中世哲学会

S.ペトルマン、神谷幹夫訳、『二元論の復権 グノーシス主義とマニ教』、1985

 →細目はこちら:「グノーシス諸派など」の頁の「i. 『ヘルメス文書』邦訳刊行以前以後など

ハンス・ヨナス、『グノーシスの宗教』、1986、pp.279-320:「第2部第9章 マニによる創造、世界史、そして救済」

 →こちらも参照:本頁本項下掲の『グノーシスと古代末期の精神 第一部』より

森安孝夫、『ウイグル=マニ教史の研究』、大阪大学文学部、1991
ベゼクリク千仏洞中のマニ教寺院;小序/仏教=マニ教二重窟の発見と調査/グリュンヴェーデル第25窟の構造/グリュンヴェーデル第25窟=マニ教窟説の検証/正面壁画の主題に関する従来の説/ウイグル語銘文よりの検討/生命の樹/その他のマニ教窟/歴史的考察(壁画年代論への寄与)//
トゥルファン出土マニ教寺院経営令規文書;概観/マニ教寺院経営令規文書:テキストと和訳/マニ教寺院経営令規文書:語註//
西ウイグル王国におけるマニ教の繁栄と衰退-マニ教寺院経営令規文書の歴史的位置付け-;マニ教寺院経営令規文書の性格/令規文書の上限:ソルミ(Solmï)問題/トゥルファン・敦煌文書に反映する西ウイグルのマニ教/令規文書の下限:マニ教の衰退と仏教の台頭/イスラム資料の伝える西ウイグルのマニ教//
付録;東ウイグル可汗および西ウイグル国王のクロノロジー/京都大学文学部所蔵 トゥルファン出土マニ教徒祈願文断簡/北京図書館所蔵 敦煌出土マニ教僧手紙文断簡(冬61ウラ)など、
302ページ。

 本書は→ウェブ上に掲載されています [ < CiNii Articles
 本書の書評;
吉田豊、『史學雑誌』、vol.102 no.4、1993.4、pp.105-115


加藤九祚、「マニ教研究ノート」、『創価大学人文論集』、no.5、1993.3、pp.242-263 [ < 創価大学機関リポジトリ

山本由美子、『マニ教とゾロアスター教』、1998

 →細目はこちら:「イラン」の頁の「ii. ゾロアスター教関連 - 邦語文献

大貫隆訳・編、『グノーシスの神話』、1999、pp.237-284:「Ⅳ マニ教の神話」
マニとマニ教について//
マニ教の神話;二つの原理・光と闇/光の大地(『学術書目録』のみ)/闇の大地(『学術書目録』のみ)/サタンの生成/二つの原理の闘い/原人の出現/原人が闇に呑み込まれる/第2の召命「光の友」/天と地の創造/「光の船」の創造、光の濾過装置/第3の召命(『評注蒐集』のみ)/「光のアダマス」の派遣(『評注蒐集』のみ)/闇の娘たちの出産(『評注蒐集』のみ)/アダムとエバ(ハヴァー)/イエスの派遣/カインとハービール(アベル)(『学術書目録』のみ)/シャーティール(セツ)の誕生と成長(『学術書目録』のみ)/個々人の運命(『学術書目録』のみ)/終末時の原人の再臨、楽園と奈落(『学術書目録』のみ)/光の回収、世界大火(『学術書目録』のみ)/図表・神々の系譜


 →こちらで少し触れています:「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁

大貫隆、「ゾロアスター教とマニ教」、『グノーシス 陰の精神史』、2001、pp.118-133

 →細目はこちら:「イラン」の頁の「ii. ゾロアスター教関連 - 邦語文献

長島優、「『老子化胡経』について」、『佛教文化学会紀要』、no.9、2000、pp.278-299 [ < J-STAGE ]

クルト・ルドルフ、『グノーシス』、2001、pp.361-377:「マニ教」
成立の背景/バルデサネース/マニの生涯/マニ教の勢力拡大/マニ教文書/マニの教説/マニ教の体系/救済論/マニ教の教会/共同体生活/祝祭と儀式/罪の理解

常塚聴、「中国社会におけるマニ教の認識 - 唐から明までの漢文史料を中心に -」、『東京大学宗教学年報』、no.18、2001.3.31、pp.89-113 [ < 東京大学学術情報リポジトリ
JaLC DOI : info:doi/10.15083/00030574

 同じ著者による→こちら(「日本における須弥山説の受容――世界観の接触の事例として――」、2009)を参照

ミシェル・タルデュー、大貫隆・中野千恵美訳、『マニ教』(文庫クセジュ 848)、白水社、2002
原著は Michel Tardieu, Le Manichéisme, 1997
マニ;マニの誕生と時/マニの両親/マニの父親の宗教/ムグタジラ派/「エルカサイ」/天使の告知/反エルカサイ派論争/預言者たちの印璽/旅と伝動/晩年//
典籍;マニが読んでいた書籍/マニの著作/正典/マニ教の教父学//
共同体;位階制/修道士の倫理規範/在家衆の倫理規範/典礼//
万神;物語/マニ教の神々一覧/5個組の体系など、
196ページ。


大貫隆、「マニ教 その東進と政治」、『別冊 環 8 オリエントとは何か-東西の区分を超える-』、藤原書店、2004.6.30、pp.170-175
マニとマニ教/ササン朝ペルシアからトランス・オクソニア(ゾグドニア)へ/ウイグル王国と中国に伝播したマニ教と政治

『大和文華』、no.119、2009.2.28、「大和文華所蔵六道図特輯」
はじめに(吉田豊)//
寧波のマニ教画 いわゆる「六道図」の解釈をめぐって(吉田豊);本画の構成と先行研究/マニ教画であることの証明 主尊の図像、個人の終末論:マニ教が説く「三道」、主尊の左右の人々/本画作成の目的/銘文/二つの仮説 引路菩薩、史君墓のレリーフ//
大和文華館蔵マニ教絵画にみられる中央アジア来源の要素についてZsuzsanna GULÁCSI、田中健一・柳承珍訳);背景/トルファンのマニ教芸術との関連性 説教の場面、主尊の像、裁きの場面//
近年マニ教画と認定された大和文華館所蔵の絹絵についての覚え書き(Jorinde EBERT、吉田豊訳);マニ教徒の法衣に見られる segmentaclavi/色彩と装身具/鉢巻きあるいはリボンとして描かれたディアデム/Segmenta の中に描かれた女性の顔など、
56ページ。


 下掲『大和文華』、no.121、2010:「マニ教絵画特輯」および『中国江南マニ教絵画研究』、2015も参照

森安孝夫、「日本に現存するマニ教絵画の発見とその歴史的背景」、『内陸アジア史研究』、no.25、2010.3.31、pp.1-29 [ < CiNii Articles ]

『大和文華』、no.121、2010.3.31、「マニ教絵画特輯」
はじめに(吉田豊)//
新出マニ教絵画の形而上(吉田豊) 宇宙図;マニ教と絵画/マニ教の宇宙観を絵画化したものであることの証明/宇宙図とテキストとの比較 十天と黄道十二宮、太陽と月/マニと2人の従者//
  その他の部分でテキストに対応があり解釈が可能な部分;須弥山と海/大地と大地に横たわる悪魔及び奇形の生き物/空中の2つのシーン:裁きのシーン、雲と光の処女/地獄あるいは地下/天界および天界図:天界、天界図の2断片/金剛相柱/活ける霊(浄風)の5人の子供たち//
  その他の問題;絵画に基づくテキスト?/『宋会要輯稿』の記述との違い:どの絵に当たるのか/解釈ができない部分/トルファンに宇宙図はあったか//
聖者伝図//付録:マニ教の宇宙生成神話//
新出マニ教絵画試論-制作(古川攝一);新出マニ教絵画の表現及び現状 宇宙図、聖者伝図(1)、聖者伝図(2)、天界図/表現の特色及び作品相互の関係 人物、建物、自然表現/制作年代など、
66ページ。


 上掲『大和文華』、no.119、2009:「大和文華所蔵六道図特輯」および下掲『中国江南マニ教絵画研究』、2015も参照
 →こちらにも挙げておきます:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「i. 図像など

青木健、『マニ教』(講談社選書メチエ 485)、講談社、2010.11.10
プロローグ-マーニ・ハイイェーとマーニー教;人工の宗教・書物中心の宗教・神話的表象の宗教/第4の世界宗教?/消え去った宗教//
マーニー教研究資料の発見史-西域の砂漠から南シナ海沿岸の草庵まで;西域の砂漠/北アフリカ/第2次世界大戦後の発見/イスラーム系資料の再評価/20世紀以降に発見されたマーニー教研究資料と21世紀初頭の研究状況//
マーニー・ハイイェーの生涯-「イエス・キリストの使徒」にして「バビロニアの医師」;マーニーの生涯の時代区分/篤信の洗礼教団時代(0~12歳)/反抗の洗礼教団時代(12~24歳)/初期宣教とインド時代(24~26歳)/栄光の教祖時代(26~56歳)/殉教の教祖時代(56~60歳)//
マーニー・ハイイェーの啓示-現世の否定と光の世界への帰還;マーニーの記念碑/宇宙論-光の神と闇の神の対決/人間論-最終決戦の舞台としての人間存在/救済論-使徒たちの派遣/倫理-暗黒の肉体を浄化する禁欲主義/終末論-光の世界への帰還と世界の最終浄化/マーニー・ハイイェーの思想の意義-先行諸思想と独自性//
マーニー教の完成;マーニーの遺産/マーニー教教会-マーニスターンとヒエラルヒー/マーニー教儀礼-「人工の宗教」と「人工の儀礼」/マーニー教芸術-教祖の絵画的天分の開花//
マーニー教教会史①-エーラーン・シャフル;教祖没後のマーニー教教会-後継者争い/暗黒の4世紀-ゾロアスター教神官団の異端審問/『ザンド・アベスターグ』の完成と「ザンドの異端」への転化/中央アジアの東方マーニー教神学とデーナーワリー派の出現//
マーニー教教会史②-ローマ帝国;地中海世界への拡大/アウグスティヌスの出現とスペインの「ラテン的マーニー教」/キリスト教のローマ帝国国教化と西方マーニー教教会の崩壊/ヨーロッパにおけるマーニー教的異端//
マーニー教教会史③-ウンマ・イスラーミーヤ;シスマの終焉とウマイヤ王朝期の全盛時代/知識人の宗教と大弾圧/独創的思想家の輩出と変容するマーニー教教義/10世紀、再び中央アジアへの脱出//
マーニー教教会史④-中国;マーニー教の中国初伝/大唐帝国・遊牧ウイグル王国・天山ウイグル王国の摩尼教/光の仏陀(摩尼光仏)かイランを強化した老子(老子化胡)か/宋・元・明代の明教-喫菜事魔//
エピローグ-近現代の「信仰」としてのネオ・マーニー教など、
282ページ。

 本書への書評;
戸田聡、「【書評】青木健『マニ教』」、『古代末期・東方キリスト教論集』、新教出版社、2022、pp.293-301

 同じ著者による次書とともに→こちらも参照:「イラン」の頁の「ii. ゾロアスター教関連 - 邦語文献


青木健、『古代オリエントの宗教』、2012.6.20、pp.53-83:「第2章 マーニー教のイエス中心主義-3世紀のメソポタミア」
マーニー・ハイイェー-メソポタミアが育んだ宗教思想;イエス・セントリックな時代思潮/使徒パウロを模範として/「何人のキリストを造るお積りか?」//
マーニー教の神話構造;天上界で生起した人間捕囚のドラマ/「天上界の輝けるイエス」/「地上の使徒イエス」/「十字架上の受難で苦しむイエス」/「最後の審判に降臨する裁きのイエス」//
「真のキリスト教」の伝道;東西への布教方法の差異/「最悪の異端」-地中海世界のマーニー教/ゾロアスター教神官からの迫害-イラン・中央アジア世界のマーニー教/「仏陀のための宗教」へ


山田庄太郎、「ファウストゥスのマニ教理解について - アウグスティヌス時代のマニ教の一側面 -」、『宗教研究』、vol.83 no.3、2010.12.30、pp.637-659 [ < CiNii Articles

岡田明憲、「巨人の書」、藤巻一保・岡田明憲、『東洋秘教書大全』、2012.9.11、pp.390-393
マニが興した世界宗教/巨人の物語に見るマニの思想など

ニコラス・J・ベーカー=ブライアン、青木健訳、『マーニー教 再発見された古代の信仰』、青土社、2014.4.25
原著は Nicholas J. Baker-Brian, Manichaeism. An Ancient Faith Rediscovered, 2011
序言//マーニー教の再発見 論争と資料;新旧の論争/「他者」としてのマーニー教/グノーシス、グノーシス主義、融合主義/マーニー教のアイデンティティー/マーニー教文献の再出現//
マーニーの「多様な」生涯;マーニー教のアイデンティティー形成における宗教的伝記/マーニーは不可知か?/偽情報と真情報/ギリシア語文献におけるマーニーの生涯(CMC)/『アクタ・アルケライ』におけるマーニーの生涯//
マーニー教神学 1 神学と文献;文献的使徒マーニー/「全ての秘義を青銅の碑版に記せ」 マーニーの福音の永続化/マーニーの著作とマーニー教聖典 『シャーブフラガーン』、『大いなる福音』、『生命の宝庫』、『伝説の書』、『奥義の書』、『巨人の書』、『書簡集』、『詩篇と祈禱文』//
マーニー教神学 2 宇宙、祈禱、教会;マーニーの神話と聖職者/「不完全な序盤、弛緩した中盤、退屈な終盤」 神話の語り部マーニー/悪の問題/マーニー教神話の理解方法/神話 宇宙的闘争と光の犠牲、造物主の闘い、原形質体 アダムとエヴァの出現、終末/神話とマーニー教教会/マーニー教聖職者の組織と活動/マーニー教聖職者のエクレシア//
結論など、
330ページ。


吉田豊・古川攝一編、『中国江南マニ教絵画研究』、臨川書店、2015.3.31
序文:本書の目的(吉田豊)//
新出のマニ教絵画を理解するために:教義の概説と東方マニ教史概観(吉田豊);
  前編 マニ教概説:
M.Boyce の解説から;マニの生涯と初期の教会/イランと東方地域におけるその後のマニ教/マニ教の教義/附論1:マニの生涯/附論2:マニ教の宇宙生成神話をめぐって//
  後編 マニ教の東方及び中国への伝播と江南のマニ教;マニおよびマニの弟子たちの布教の方略/ホラーサーン及びバクトリア/サマルカンドおよびソグド語圏のマニ教/中国への布教と流行/江南のマニ教・マニ教絵画の歴史的背景/参考資料1:
Hormizd Ⅰ世に関わるマニ教ソグド語の教会史断片/参考資料2:トルファン出土のマニ教ソグド語文書のなかのサマルカンド/参考資料3:江南のマニ教に関する資料/参考資料4:中央アジアの Yimiki と戒月//
絵画の内容の解釈をめぐって:絵画に表現されたマニ教の教義と教会の歴史(吉田豊):はじめに/近年の日本に於けるマニ教絵画発見の経緯/現存する絵画の名称とサイズ/研究論文//
  前編 絵画の解釈;Ⅰ 大和文華館本:個人の終末論図/Ⅱ 宇宙図と天界図/Ⅲ マニの伝記:摩尼誕生図、聖者伝図/Ⅳ イエス像とマニ像/Ⅴ おわりに:新しい解釈の可能性 教義研究の進展と絵画のシーンの同定//
  後編 付随する問題;トルファンのマニ教絵画の新しい解釈/絵画版『巨人の書』 MIK III 6279a-h の新解釈/旅順博物館が保管する幡について/その他の問題/おわりに//
研究編;栖雲寺の画像をめぐって(泉武夫)/江南マニ教絵画の図様と表現-元代仏教絵画との関わりを中心に-(古川攝一)/文献と絵画の資料に見るマニの絵画本についての情報について(
Zsuzsanna Gulácsi、吉田豊訳)/中国のマニ教宇宙図のアトラスについて(Kósa Gábor、井上尚実訳)/中国のマニ教宇宙図に描かれた裁きの場面:図像の起源と宗教的なメッセージ(Kósa Gábor、池松パプ ガブリエラ・池松裕史実訳)/中国のマニ教宇宙図の「光輝の保持者」について(Kósa Gábor、井上尚実訳)など、
342ページ。


 上掲『大和文華』、no.119、2009:「大和文華所蔵六道図特輯」および『大和文華』、no.121、2010:「マニ教絵画特輯」も参照
 →こちらにも挙げておきます:「図像、図形、色彩、音楽建築など」の頁の「i. 図像など

戸田聡、「マニ教資料翻訳集成(1) リュコポリスのアレクサンドロス『マニカイオスの教説に対して』」、『北海道大学文学研究科紀要』、no.146、2015.7.24、pp.209-239 [ < HUSCAP 北海道大学学術成果コレクション
DOI : https://doi.org/10.14943/bgsl.146.l209

戸田聡、「マニ教資料翻訳集成(2) ケルン・マニ・コーデックス」、『北海道大学文学研究科紀要』、no.155、2018.7.31、pp.81-105 [ < 同上 ]
DOI : https://doi.org/10.14943/bgsl.155.l81

戸田聡、「マニ教資料翻訳集成(2) ケルン・マニ・コーデックス(承前)」、『北海道大学文学研究科紀要』、no.156、2019.1.11、pp.61-73 [ < 同上 ]
DOI : https://doi.org/10.14943/bgsl.156.l61

ハンス・ヨナス、大貫隆訳、『グノーシスと古代末期の精神 第一部 神話論的グノーシス』、2015.9.18、pp.353-381+註(pp.450-466):「第1部第3章2 マニ教の救済ドラマ(イラン型)」
テーマと概要/太古の原理/闇の攻撃/光の世界の平和性/第1の「創造」(原人)/原人の闘いと敗北/心魂の犠牲と混合/第2の「創造」(活ける霊)-原人の解放/マクロコスモスの創造/第3の「創造」(使者)/植物界と動物界の成立/アダムとエバの創造/「光のイエス」の派遣/世界史と人類史/実践的な帰結/最期の事物についての教説

 また同書、pp.535-542:補遺 「第3章2 マニ教の救済ドラマ」への補遺
 その他、同書および第2部の随所で言及されます。
 →こちらも参照:本頁本項上掲の『グノーシスの宗教』より


藤原達也、「ダエーナーとその図像表現 - ゾロアスター教およびマニ教における死者の運命」、『死生学年報』、vol.13、2017.3.31、pp.213-248
………………………

F. C. Burkitt, The Religion of the Manichees, (Donnellan Lectures for 1924), AMS Press Inc., New York, 1978
1925刊本の再刊
『マニ教徒たちの宗教』
マニ教徒たちの歴史/私たちの知識の源泉/マニ教による過去の説明/神の5つの属性についての覚書//
マーニーの体系における〈イエス〉/マニ教の教会組織/
Khuastuanift/未来についてのマニ教の理念//
マーニーの体系の源泉/バルダイサン/マルキオーン/トゥルケスタンの資料の証言/崇拝/マニ教用語におけるシリア語とギリシア語/
Barlaam Joasaph/世界-穢れ/アウグスティヌスと悪の起源//
附録;マニ教徒の位階/5つの純粋な元素/シリア語のマニ教断片/ソグディアナ語のネストリウス派聖句集など、
140ページ
(手もとにあるのはコピー)。


A. V. William Jackson, Researches in Manichaeism. With Special References to thw Turfan Fragments, AMS Press Inc., New York, 1965
1932刊本の再刊
『マニ教研究 トゥルファンの断片への特別な参照とともに』
マニ教とその歴史;序説-マニ教とその歴史の手短かな素描/マニ教は紀元3世紀にペルシア帝国で興った。ゾロアスター教とキリスト教と等しく争った/中央アジアでのマニ教の断片的資料の近年の発見によって引きおこされた研究への新たな関心/マーニーの生涯の素描、血筋はペルシア人、生まれはバビロニア/マーニーの宗教的教説の概略/東方、中国にまで至るマニ教の拡張/西方におけるマニ教の普及/対立、迫害、抑圧にもかかわらずマニ教が長く生き続ける/マニ教の残存を示すパウロス派、ボゴミール派、カタリ派、アルビジョワ派と他の宗派/結論//
トゥルファン=パフラヴィー語マニ教断片の翻訳、註と書写テクスト トゥルファン=パフラヴィー語でのマニ教宇宙論的断片 M. 98-99;8つの大地/附録-8つの大地の要約と模式図//
  トゥルファン=パフラヴィー語でのマニ教片 S. 7//トゥルファン=パフラヴィー語でのマニ教断片 S. 8//
パフラヴィー語書籍における2つのマニ教反駁章;(パフラヴィー)パーザンド書
Shikand-Gūmānīg Vizhār (Škand-Vimānīk Vičār)/マーニーのいわゆる命令、パフラヴィー語『デーンカルト』からの翻訳//
マーニーの教説についてのテオドーロス・バル・コーナイ;マーニーの教説についてのテオドーロス・バル・コーナイ、アブラハム・ヨハナン博士によるシリア語からの翻訳、A. V. W. ジャクソンによる註//
マニ教のいくつかの主題についての単独研究;原人間の救出についての覚書/マニ教の宇宙開闢論体系における〈第2の流出〉/活ける霊の5人の息子たち/10の天と8つの大地への暗示とそれらの形成に関する伝説/マニ教についての私たちの知識への手短かな寄与など、
432ページ。


Eingeleitet, übersetzt und erläutert von Alexander Böhlig, inter Mitwirkung von Jes Peter Asmussen, Die Gnosis. Dritter Band : Der Manichäismus, (Die Bibliothek der alten Welt), Artemis Verlag, Zürich und München, 1980
『グノーシス 第3巻 マニ教』
序論;マニ教の原典/原典の評価/マーニーの生涯/マーニーの信仰と神学/マニ教の倫理と教会でのその実行/マニ教の著作物/マニ教の伝動とマニ教教説の用語と内容にとってのその意義/本判について//
原典;マーニーの生涯から/マニ教の体系/教説講義における神話の処理/マニ教徒の倫理、礼典と位階/マーニーの著述から/マニ教の讃歌/マニ教に対する否認式文など、
462ページ。

 ベーリッヒによる著書→こちらも参照:「グノーシス諸派など Ⅱ」の頁の「v. ナグ・ハマディ写本の発見以降など
 『第3巻』に対する1-2巻は、
 Foerster, Die Gnosis. Erster Band : Zeugnisse der Kirchenväter, 1969

 Die Gnosis. Zweite Band : Koptische und mandäischen Quellen, 1971

The Other Bible, 1984/2005, pp.39-50:“Manichaean Creation Myths”, pp.314-330:“Manichaeab Hymn-Cycles”&“The Coptic Psalm-Book”, pp.669-695: “9 Manichaean and Mandaean Gnostic Texts”
マニ教の創造神話;原人間/アダム、悪霊の子、そしてその救済/その不浄な教義について(テオドーロス・バル・コーナイより)/マニ教神話(GehmurdMurdiyanag についての講話より)
マニ教讃歌群;
Govishn ig griv zindag より/パルティア語讃歌群より//
コプト語讃歌の書;パラクレートスの霊を崇拝しよう/喜びが私を襲う//
マニ教およびマンダ教のグノーシス的テクスト;マーニーとマニ教/善と悪に関するファウストゥス/マニ教徒に対するアウグスティヌスの手紙/マニ教徒についてのアウグスティヌスの他の手紙/エウォディウス、マニ教徒に対して/教師のケパイラ/さまざまなマニ教資料


Manfred Hutter, Manis Kosmogonische Šābuhragān-Texte. Edition, Kommentar und Literaturgeschichtliche Einordnung der manichäisch-mittelpersischen Handschriften M 98/99 Ⅰ und M 7980-7984, (Studies in Oriental Religions 21), Otto Harrassowitz, Wiesbaden, 1992
『マーニーの宇宙開闢論的シャーブフラガーン・テクスト マニ教=中世ペルシア語写本 M 98/99 と M 7980-7984 の校訂、註釈と文献史的配列』
研究史//校訂;宇宙開闢論的テクスト M 98 Ⅰと M 99 Ⅰ/宇宙開闢論的テクスト M 7980-7984//
文献伝承と配列の問い;シャーブフラガーンの宇宙開闢論的テクストの関連づけ/シャーブフラガーンとエノク文書との接触/東方マニ教におけるシャーブフラガーンの位置と拡張について、など、
206ページ。


John C. Reeves, Jewish Lore in Manichaean Cosmogony. Studies in the Book of Giants Traditions, (Monographs of the Hebrew Union College 14), Hebrew Union College Press, Cincinnati, 1992
『マニ教の宇宙開闢論におけるユダヤ的伝承 「巨人の書」伝承の研究』
序論//
マニ教の巨人の書?;敵対する証人たちによって報告されたマニ教の正典/「巨人の書」の孤立した引用あるいは「巨人」の伝承?/巨人の書の性質に関する近代の諸見解/巨人の書の復元//
巨人の書のクムラン断片;巨人の書のアラム語断片の翻字/翻訳/註釈//
アンティオキアのセウェルスと巨人の書//
マニ教の宇宙開闢論とユダヤ的伝承//
結論など、
272ページ。


 同じ著者による→こちらを参照:本頁本項下掲

Alexander Bölig und Christoph Markschies, Gnosis und Manichäismus. Forschungen und Studien zu Texten von Valentin und Mani sowie zu den Bibliotheken von Nag Hammadi und Medinet Madi, 1994

 →細目はこちら:「グノーシス諸派など Ⅱ」の頁の「v. ナグ・ハマディ写本の発見以降など
 ベーリッヒによる著者→こちらも参照:本頁本項上掲


Samuel N. C. Lieu, Manichaeism in Mesopotamia & the Roman East, (Religions in the Graeco-Roman World, 118), E. J. Brill, Leiden, New York, Köln, 1994
『メソポタミアとローマ東方におけるマニ教』
マーニーとマギアン(?)-CMC 137-140 (with Judith M. Lieu)宗派の同定/テクストと解釈/出会いの舞台設定/マニ教文献におけるユダヤ人/マニ教文献におけるカルデア人/誰の〈シナゴーグ〉か?/宗派の指導者/〈父祖たちの教え〉/〈シナゴーグ〉における魔術/結論//
メソポタミアからローマ東方へ-東ローマ帝国におけるマニ教の普及
(with a contribution by Dominic A. S. Montserrat)伝動宗教としてのマニ教/ローマ帝国への最初期の伝動/ローマ領メソポタミアとシリアにおけるマニ教/パレスティナとアラビアにおけるマニ教/エジプトにおけるマニ教/バルカン半島と小アジアにおけるマニ教//
『アルケラオス行伝』における事実と虚構;序説/年代と原典の言語/
Charra, Carchara, Chalcar, Cashar/論争、書簡と『生涯』/結論//
“Felix conversus ex Manichaeis”-誤った同定の事例? (with Judith M. Lieu)//
末期ローマの反マニ教論争におけるいくつかの主題;序説/マーニーと宗派の呼称に対する論争/マーニーの人格に対する論争/マーニーの体系の論駁/悪の問題/附録-ギリシア語およびラテン語による主な反マニ教著作のリスト(3-6世紀)//
初期ビザンティウムにおけるマニ教放棄の定式-〈ミテュレネのザカリアス〉の
Capita Ⅶ Contra Manichaeos、序説、テクスト、翻訳と註釈など、
340ページ。


Ian Gardner, The Kephaila of the Teacher. The Editid Coptic Manichaean Texts in Translation with Commentary, (Nag Hammadi and Manichaean Studies, 37), E. J. Brill, Leiden, New York, Köln, 1995
『教師のケパイラ コプト語マニ教文書校訂版、翻訳と註釈』
序論;マニ教学とマーニーの宗教/エジプトにおけるマニ教/マディーナト・マーディー文庫/『教師のケパイラ』/テクストとしての『ケパイラ』/教義の要約/マニ教倫理と教会におけるその実践//
『教師のケパイラ』;序説+122章など、
350ページ。


John C. Reeves, Heralds of That Good Realm : Syro-Mesopotamian Gnosis & Jewish Traditions, (Nag Hammadi and Manichaean Studies 41), E. J. Brill, Leiden, New York, Kõln, 1996
『あの良き王国の布告者たち シリア=メソポタミア・グノーシスとユダヤ的諸伝承』
父祖たちから布告者たちへ-聖書の原初史の変容 マニ教と聖書の父祖たち;光の使徒の化肉の系列/ケルン・マニ教写本と預言者の系列//
  古代末期および中世近東の宗教的諸伝承における著者としての父祖たち;アダムの諸書/セツの諸書/エノシュの諸書/シェームの諸書/エノクの諸書/伝達の様態//
ケルン・マニ教写本の黙示録断片とユダヤ偽典;アダムの黙示録、附録:マニ教のアダム伝承の宝庫/セテルの黙示録、余論:再帰する救済者のアヴァターラとしてのセツ/エノシュの黙示録/シェームの黙示録/エノクの黙示録//
結論 シリア=メソポタミア・グノーシスとユダヤ的諸伝承を再評価する-いくつかの結論など、
264ページ。


 同じ著者による→こちらを参照:本頁本項上掲
 タイトルは4世紀のキリスト教釈義家・護教家・詩人シリアのエフレム Ephrem Syrus の『散文反駁 Prose Refutations』で、マニ教の継起する預言者群について言及したものとのこと(p.12、またp.ix)。マニ教はアダムに始まって、セツ、ノアなどを経て、ペルシアにゾロアスター、インドにブッダ、西方にイエス、そして最後にマニが現われるという預言者の継起的出現説を唱えました。挙げられる面子は資料によって異なるようで、たとえばエジプトにヘルメース、ギリシアにプラトーンなどが加えられることもあるようです。ともあれこうした説は、偽クレメンス文書やユダヤ人キリスト教のエビオン派の〈真の預言者〉像に先例があり、後にはイスラームに受け継がれることになる。
 ところで預言者群の後半が地理的に配分されたのに対し、前半はユダヤの聖書に登場する人物が当てられます。他方マニ教は他のグノーシス諸派同様、ユダヤの聖書に対しては否定的に評価する姿勢が強い。この矛盾を解明するために、古代末から中世にかけてのアダム、セツ、エノシュ、シェーム、エノクに帰された偽典を概観した上で、ケルン・マニ教写本に見られる5人の父祖たちそれぞれの黙示録からの引用文(いずれもほんの数行)に詳細な注釈を施すというのが本書第2部の課題となります。著者の分析によれば引用文のいずれにもグノーシス=マニ教化された痕跡が認められるとのことですが、ともあれ創世記釈義の伝統を軸にして、マニ教とその教祖の出自であるエルカザイ派、マンダ教、遡って偽典制作者やクムラン宗団、さらにメルカヴァー神秘主義、イスラームなどにいたるシリア=メソポタミアの文化的交錯の一端を垣間見ることができるのだという。

Kurt Rudolph, Gnosis & spätantike Religionsgeschichte. Gesammelte Aufsätze, 1996, pp.627-783 : “Ⅲ. Manichaica”
コプト語原典におけるグノーシスとマニ教/マーニーとグノーシス/マニ教研究にとってのケルン・マニ写本の意義/ケルン・マニ写本に照らしたユダヤ教およびキリスト教洗礼伝承/マーニーとイラン/〈ヌース〉のマニ教的表象についての所見/マニ教研究の現状と課題/マーニーとその宗教/ハンス・ヨナスとマニ教研究

The Gnostic Bible, , 2003, pp.567-654 : “Part Five : Maichaean Literature”
「マニ教の文献」
序説(ポール・ミレキ)//彼の身体の起源について/マーニーの死の物語/ケパイラ/コプト語マニ教歌の書/パルティア語の歌/マーニーへの大いなる歌


Henri Corbin, “Manichéisme et religion de la beauté”, L'Imâm caché, 2003, pp.125-133
………………………

 以下、Encyclopædia Iranica より;

Werner Sundermann, ‘COSMOGONY AND COSMOLOGY iii. In Manicheism
「宇宙開闢論と宇宙論 iii マニ教における」

Werner Sundermann, ‘ESCHATOLOGY ii. Manichean Eschatology
「終末論 ii マニ教の終末論」

Werner Sundermann, ‘GIANTS, THE BOOK OF
「巨人の書」

Kurt Rudolph, ‘GNOSTICISM in Persia i. in the pre-islamic iranian world
「グノーシス主義、ペルシアにおける i イスラーム以前の世界において」

Werner Sundermann, ‘MANI
「マーニー」

Zsuzsanna Gulacsi, ‘MANICHEAN ART
「マニ教の芸術」

Desmond Durkin-Meisterernst, ‘MANICHEAN SCRIPT
「マニ教の書記法」

Werner Sundermann, ‘MANICHEISM i. GENERAL SURVEY
「マニ教 i 概観」

Werner Sundermann, ‘MANICHEISM ii. THE MANICHEAN PANTHEON
「マニ教 ii マニ教の万神殿」

P. Bryder, ‘MANICHEISM iii. BUDDHIST ELEMENTS IN
「マニ教 iii そこでの仏教的要素」

Werner Sundermann, ‘MANICHEISM iv. MISSIONARY ACTIVITY AND TECHNIQUE
「マニ教 iv 伝道活動と技法」

Sammuel L.C. Lieu, ‘MANICHEISM v. IN CHINA
「マニ教 v 中国における」

Werner Sundermann, ‘MITHRA iii. IN MANICHEISM
「ミスラ iii マニ教における」

ix. ボゴミール派、カタリ派など

ユーリー・ストヤノフ、三浦清美訳、『ヨーロッパ異端の源流 カタリ派とボゴミール派』、平凡社、2001
原著は Yuri Stoyanov, The Hidden Tradition in Europe. The Secret History of Medieval Christian Heresy, 1994
序章//
二元論宗教革命 - 古代のイラン、ギリシア、ユダヤ;2つの原理 - 二元論的伝統の諸相/双子の霊 - 原始ゾロアスター教の二元論/霊と肉体 - 古典ギリシアの二元論的伝統/創造者と破壊者 - ゾロアスター教とその世界宗教への道/光と闇の父 - 二元論的伝統の動揺=ズルワーン教の出現/「油を注がれたる者」と「バビロンの王」 - アケメネス朝とオリエント諸宗教の変容/造物主と告発者 - ユダヤ教における二元論的展開/光の王子と闇の天使 - 秘教的ユダヤ教思想の誕生//
融合(シクレティズム)正統(オーソドキシー)3つの帝国 - ヘレニズム、ペルシア、インド/東方における癒合 - 大乗仏教とガンダーラ美術/仲立ちのミトラス - ローマ帝国とミトラス教の隆盛/ミカエルとサマエル - ユダヤ教の天使論と悪魔論/デミウルゴスと救済者 - グノーシス主義二元論の諸相/玉座と祭壇 - ササン朝と国家宗教としてのゾロアスター教/バビロンの預言者 - マニ教の教理と開祖マーニーの生涯/「偉大の父」と「闇の支配者」 - マニ教とその宇宙論体系/「光の宗教」の伝播 - マニ教とその世界宗教への道/ビザンツの継承者 - マニ教とキリスト教の異端//
大異端の勃興 - 東方キリスト教世界の異端諸派;ステップからバルカンへ - ブルガール人のバルカン半島進出/
(ハーン)と皇帝 - ブルガリアとビザンツの確執/異教、異端、そしてキリスト教 - 異端パウロス派とビザンツ帝国の危機/ローマ、コンスタンティノープル、テフリケ - ビザンツ皇帝の異教討伐/ゾロアスター教の記念祭/「暗黒のマニ教」の末裔 - 異端ボゴミール派/ボゴミール派、始まりの謎/試練の時/アナトリアの異端 - エウテュミオスの報告するボゴミール派/トラキア・エウキテス派の三原理 - ミカエル・プセロスの報告するボゴミール派/アレクシオス・コムネノスの十字軍 - ビザンツ皇帝の反異端活動/コンスタンティノープルの審判 - 異端告発の波/マヌエル・コムネノスとステファン・ネマーニャ - 二人の君主による異端弾圧//
二元論教団 - 西洋のカタリ派異端;西方の異端 - カタリ派に先立つ二元論異端/カタリ派の勃興/ラングドックのカタリ派 - 絶対的二元論の信奉者へ/サン・フェリクス信徒集会と二元論教会 - カタリ派教会秩序の構成/
大分裂(シスマ) - 絶対的二元論と穏健的二元論//
二元論主義への十字軍 - 二元論教団と正統教会;公会議と十字軍 - アルビジョワ十字軍の快進撃と停滞/抑圧と抵抗 - カタリ派信徒と異端審問団の睨み合い/モンセギュール陥落/ローマとバルカン半島の異端 - バルカン異端への教皇の敵意/カタリ派の衰退 - 異端審問の仮借ない締めつけ/異端教皇/ボスニア教会とスクラヴォニア教会 - ボスニアの二元論信徒/
静寂主義(ヘシュカスモス)とボゴミール派 - 限りなく異端に近い正統思想とその衝撃/異端とボスニアの政治 - ボスニアにおける二元論宗教の行方/バルカン二元論の運命 0 -墓碑に現れた古代の二元論信仰//
二元論伝説 - ボゴミール派=カタリ派の世界観;キリスト=ミカエルとサマエル=サタン - 異端派の宇宙創生論/善なる神と邪悪の神 - ボゴミール派=カタリ派が明かす世界の秘密/ベツレヘムとカペナウム - ボゴミール派=カタリ派の聖書解釈など、
462ページ。

 とりわけ「第6章 二元論伝説」に多様な細部が記されています。

須永梅尾、「ヨーロッパにおけるいわゆる《マニ教的》異端の系譜について」、『新潟青陵女子短期大学研究報告』、no.1、1970.3、pp.25-42 [ < 新潟県地域共同リポジトリ NiRR ]

 同じ著者による→こちらも参照:本頁上掲の「viii. マニ教など

Steven Runciman, traduit par Simone Pétrement et Jacques Marty, Le manichéisme médiéval. L'hérésie dualiste dans le christianisme, (Le regard de l'histoire), Payot, Paris, 1972
原著は The Medieval Manichee : A Study of the Christian Dualist Heresy, 1946
『中世のマニ教 キリスト教における二元論的異端』
序説/グノーシス主義的背景/パウロ派/ボゴミール派/パタリ派/カタリ派/二元論的伝承//
附録;パウロ派の歴史のギリシア語典拠/8世紀における異端運動/二元論的異端に与えられたさまざまな名称/二元論、仏教と隠秘学など、
208ページ。

………………………

ディミータル・アンゲロフ、寺島憲治訳、『異端の宗派 ボゴミール』、恒文社、1989
原著は Д. Ангелов, Богмилството в България, 1947/1961/1969
ボゴミール派の起源;ブルガリアの封建主義の発達と9-10世紀のブルガリアの社会矛盾/10世紀のブルガリアにおける教会・封建体制のイデオロギーとこれに対する闘い/9-10世紀の異教信仰とボゴミール派の異端発生に対するその役割/ボゴミール派出現以前のブルガリアにおける諸異端の流布//
ブルガリアにおけるボゴミール派の出現 - 司祭(ポップ)ボゴミール;
司祭(ポップ)ボゴミールと彼の活動/ボゴミール派の中心地/異端者の名称/ボゴミール派信徒の社会構成//
ボゴミール派の本質 - 教義と見解 ボゴミール派の二元論的・グノーシス派的世界観//民間伝承に見られるボゴミール派の宇宙創世説と終末論の影響//
  旧約と新約に対する態度;新約聖書/旧約聖書//
  教会と教会の儀式に対する批判;教会制度の否定/公会議と主教会議の決議の否認/反聖職者の教え/聖堂の否定/洗礼、聖体、告解に対する態度/十字架、イコン、聖遺物崇拝の否定/「死者の復活」、奇蹟、祭礼の否定//
  ボゴミール派の社会・倫理上の見解;権力と国家に対する態度/富と富者に対する教え/飲酒と肉食の禁止/華美な服装に対する批判/ボゴミール派の道徳上の見解/結婚に対する態度/女性観/労働に対する態度//
ボゴミール派の組織;「完全者」ボゴミール派信徒と一般の信徒/ボゴミール派の宗教共同体//
ボゴミール派の歴史;969-1018年のブルガリアのボゴミール派/1018-1185年のビザンティン支配下におけるブルガリアのボゴミール派 ブルガリアにおける封建下の進展、ビザンティン権力に対する新たな蜂起とボゴミール派とパウロ派の役割/小アジアのビザンティン領におけるボゴミール派/12世紀のビザンティンのボゴミール派とバシレイオス裁判 教会と修道院におけるボゴミール派の流布/セルビア、ボスニア、イタリア、フランス、ロシアにおけるボゴミール派の影響 ロシアにおけるボゴミール派の影響/13世紀中葉以前の第2次ブルガリア帝国におけるボゴミール派/13世紀前半の西欧のカタリ派とボゴミール派の関係/ルーマニア地方のボゴミール派/13世紀後半のブルガリアのボゴミール派 - イヴァイロの反乱/14世紀のボゴミール派とその衰亡 トルコ支配前夜におけるボゴミール派の最後のあらわれと彼らに対する迫害//
結語など、
450ページ。


寺島憲治、「バルカンの新マニ教」、『現代思想』、vol.20-2、1992.2、「特集 グノーシス主義」、pp.173-179

Dmitri Obolensky, The Bogomils. A Study in Balkan Neo-Manichaeism, AMS Press Inc., New York, 1978
1948刊本の再刊
『ボゴミール派 バルカンの新マニ教の研究』
マニ教の遺産/近東における新マニ教/バルカン二元論の勃興/第1次ブルガリア帝国におけるボゴミール派/ビザンティンのボゴミール派/第2次ブルガリア帝国におけるボゴミール派//
附録;コスマスの編年/
司祭(ポップ)エレミア/コンスタンティノープルにおけるボゴミール派裁判の日付/ロシア、セルビア、ボスニアとフムにおけるボゴミール派/ボゴミール派、カタリ派とパタリ派など、
334ページ
(手もとにあるのはコピー)。


 参考までに→こちらも参照:「北欧、ケルト、スラヴなど」の頁の「iii. スラヴ、フィンランド、古ヨーロッパなど
………………………

渡邊昌美、『異端者の群れ カタリ派とアルビジョア十字軍』、八坂書房、2008
1969刊本の改訂新版
序章 聖ベルナールの怒り;呪いの町/信仰の掟/異端の運動/カタリの発現//
南フランスの風雲;南部の国々/吟遊詩人/豊かなる南ガリア/軽い土と重い土/不完全封建制//
異端カタリ派;バルカンの遠き祖たち/異端の書/善き神と悪しき神/絶望の戒律/異端者の群れ/完徳者と帰依者//
アルビジョア十字軍;アルビジョア派/ローヌ河畔の惨劇/ベジエの虐殺/カルカッソンヌの攻囲/征服者シモン・ド・モンフォール//
百合の紋章;フランス人との戦い/ミュレの合戦/王旗の登場/異端審問//
後日譚など、
340ページ。


渡邊昌美、『異端カタリ派の研究 - 中世南フランスの歴史と信仰 -』、岩波書店、1989
序論;オルレアンの火刑台からアルビジョア十字軍まで/二元論異端とその名称/系譜をめぐる諸説/史料状況//
カタリ派の輪郭 諸教団の分布;1250年の状況/諸教団の分類/二大分派//
  分裂と展開;伝来の第1および第2段階/第3段階/分裂の決定化//
  穏和派と絶対派;教団と教説の連続/穏和派二教団の教説、および相違点/絶対派の輪廻転生説と終末観//
  絶対派の内部分派;ヨハネス・デ・ルギオと『両原理論』/二元論神学の発達 - デュラン・ド・ユエスカの周辺//
  穏和派の内部分派 - ナザリウス派の形成と「秘伝書」の伝来//救済の構造//
  源流と継受;東欧の史料状況/ボゴミリ派の教説と慣習/カタリ絶対派の淵源と小パオロ派/継受の諸階梯//
  「山の彼方の司教」と謎の教団//
南フランスのカタリ派 禁欲の戒律;人間観と倫理規範/日常の禁忌/慣行の拒否//
  行動の様態;耐忍(自発殉教)の問題/宣教と司牧//
  南フランス教団の出現;異端機運の醸成/サン・フェリクス異端会議/『宗会要録』論争の現状/南フランス諸教団の確立//
  展開と受容の範囲;濃密地帯と地理的限界/実勢力推計の試み/階層分布/中小領主の異端傾斜//
  教団の構造;社会的適合の問題/救慰礼の構造/救慰礼の性格/教団の均質性と参進礼//
  カタリ派と社会の接線;帰依者の儀礼-到善礼と結縁礼/禁欲と乱倫/帰依者の本質/ラングドック的諸条件/展望など、
486ページ

 本書の書評;
池上俊一、『思想』、no.783、1989.9、pp.42-46

今野國雄、『史學雑誌』、vol.99 no.3、1990.3、pp.91-99


坂口昂吉、「アシジの聖フランシスとカタリ派」、『史学』、vol.42 no.4、1970.3、pp.379-405 [ < KOARA(慶應義塾大学学術情報リポジトリ) ]

アルノ・ボルスト、藤代幸一訳、『中世の異端カタリ派』、新泉社、1975
原著は Arno Borst, Die Katharer, 1953
史料と文献に映しだされたカタリ派;11世紀の年代記作家/書簡著作家(1140年-1160年ごろ)/批判的な論争家(1160年-1230年ごろ)/体系的なスコラ学者(1230年-1250年ごろ)/異端審問官(1250年-1520年ごろ)/カトリックとプロテスタント(1520年-1740年ごろ)/集大成者と批判者(1730年-1850年ごろ)/自由主義者と保守主義者(1840年-1920年ごろ)/観念論者と宗教学者(1920年-1950年ごろ)/文献学者と歴史学者(1935年-1950年)//
カタリ派の歴史;二元論とその伝統/ボゴミル派(10-15世紀)/現世逃避を旗印にかかげる西欧の異端者(1000年-1050年ごろ)/教会改革を旗印にかかげる西欧の異端者(1100年-1150年ごろ)/カタリ派の初期の歴史(1140年-1170年ごろ)/カタリ派運動の発展と分裂(1170年-1215年ごろ)/宗教運動とカトリック教会(1170年-1215年ごろ)/カタリズムの行きづまりと孤立(1215年-1250年ごろ)/俗と聖の異端迫害(1215年-1250年ごろ)/カタリズムの終焉(1250年-1400年ごろ)//
カタリ派の信仰;霊魂と現世/悪魔と神/旧約聖書と新約聖書/天使キリスト/救済と終末/倫理/戒律と慣習/儀式/教階制/教会と反教会//
カタリズムと中世;宗教と文化/国家と社会/二元論とキリスト教(まとめ)//
解説(藤代幸一)など、
286ページ。

 同じ著者による→こちらを参照:「キリスト教(西欧中世)」の頁の「i. 文化史的なものなど


フェルナン・ニール、渡邊昌美訳、『異端カタリ派』(文庫クセジュ 625)、白水社、1979
原著は Fernand Niel, Albigeois et Cathares, 1955
序/起源/マニ教/マニ教からカタリ派へ/カタリ派/アルビジョア派/アルビジョア十字軍/モーの協約と異端審問/モンセギュールと最後の抵抗など、
142ページ。


TOMIHARA Mayumi, “DE LA DOCTRINE DE LA PRÉEXISTENCE : ESSAI DE COMPARAISON ENTRE LES CATHARES LOMBARDS ET ORIGÈNE (1)”, Les Lettres françaises, no.1, 1981.5, pp.34-58 [ < CiNii Articles
冨原眞弓、「前存在説について- ロンバルディア地方の異端カタリ派とオリゲネスとの比較研究」

原田武、『異端カタリ派と転生』、人文書院、1991
序章 ラングドックの「善信者」たち/現世という牢獄・グノーシス主義について/天使の失墜・カタリ派の教義/光の国への帰還のために・儀礼と戒律/現世をいかに生きるか・完全者と帰依者/12世紀のラングドック・普及の問題/「正統」からの攻撃・アルビジョワ十字軍/モンセギュール・カタリ派の終焉/終章 異端カタリ派と現代など、
240ページ。


ルネ・ネッリ、柴田和雄訳、『異端カタリ派の哲学』(叢書・ウニベルシタス 547)、法政大学出版局、1996
原著は René Nelli, La philosophie du catharisme. Le dualisme radical au XIIIe siècle, 1975
序文//
『ヨハネによる福音書』とカタリ派の読解;2種の創造/命と光は言によってつくられたものにのみ宿り、悪の原理によってつくられたものは死と闇にすぎない/光と闇の対立/時間的世界(現世)と超時間的世界(永遠)/魂 - 迷える羊/慈愛 - 真の命の糧/霊/恩寵/悪魔/終末論//
カルカッソンヌのバルトロメの『カタリ派教義書』 - アウグスティヌスとカタリ派の教義; - /『偽書ソロリキア』/ - アウグスティヌスにおける
nihil/アウグスティヌスにおける「無」の諸相/nihilの概念内容について/ - / - /バルトロメとウエスカのドゥランドゥスの論争/ - /カタリ派の教義とアウグスティヌスの教義/被造物の内に姿を現わし現実化する限りにおいては、カタリ派の nihil とアウグスティヌスの nihil は一致する/悪魔と nihil/堕落と nihil-存在性の漸進的劣化/この nihil という語について/カタリ派の教義 - それはアウグスティヌスの教義から派生した異端思想か/二元論と悪魔の表象/1220~30年におけるオック地方のカタリ派の教義/二元論教義の哲学的価値//
ヨハネス・デ・ルギオの形而上学と作者不詳『二原理の書』;ヨハネス・デ・ルギオ/『二原理の書』の著者/ヨハネス・デ・ルギオの哲学 - 2つの原理をめぐって/真の神/悪の原理/堕落/創造/自由意志の否認/アリストテレス哲学の論法/奉仕と解放/終末論//
根源的二元論の教義 - カタリ派の人間像とその倫理;人間の形而上学的価値の否定/堕落と創造/神の超越性//
附録 ウエスカのドゥランドゥス著『マニ派反論』(1222~23年?)の第13章;
nihilという用語をめぐる背信者たちの見解/マニ派教義書(カタリ派の原文)/反論(ドゥランドゥスのマニ派に対する)/カタリ派の真正なる思想/カタリ派に対するドゥランドゥスの反論(続き)/カタリ派の真正なる思想-結語//
  神に向けての魂の独白の書(偽書ソロリキア);第5章 無になるとはどのようなことか?/第6章//
  『二原理の書』;(自由意志についての論考 - 自由意志は存在しないことの証明)//
  カタリ派の〈訓話〉と寓話;ペリカンの寓話/〈ロバの頭蓋骨〉の寓話/失われた馬の蹄鉄/リス/一角獣//
  悪しき万物(オムニア・マラ)
nihil -トゥーゼリエ女史の論文『ラングドック地方のカタリ派と nihil (『ヨハネによる福音書』1-3)』(Annales-Économies, Sociétés, Civilisations, janvier-fébrier 1969)オリゲネスにおけるnihil/ピエール・オーティエと〈悪しき万物(オムニア・マラ)〉//
  カタリ派教義のオック語語彙集など、
292ページ。


池上俊一、『ヨーロッパ中世の宗教運動』、2007、pp.107-209:「第2章 カタリ派」
はじめに - ゴシック期の組織的宗教運動//
カタリ派の霊性;コンソラメントゥム/完徳者と帰依者/カタリ派の福音主義//
カタリ派思想・神話の基本構造;絶対二元論とその帰結/キリスト論/審問記録から//
南仏的文化・社会構造の中のカタリ派;カバラとトゥルバドゥール/カタリ派の社会的基盤/女性と〈家〉//
むすびなど

リチャード・E・ルベンスタイン、『中世の覚醒 アリストテレス再発見から知の革命へ』、2008、pp.218-243:「第4章 2 カタリ派の登場」および「第4章 3 カタリ派の中のアリストテレス」

ミシェル・ロクベール、武藤剛史訳、『異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問』(講談社選書メチエ 635)、講談社、2016
原著は Michel Roquebert, Histoire des cathares. Hérésie, croisade, inquisition du XIe au XIVe siècle, 1999/2002
訳者まえがき//
序 カタリ派、十字軍、異端審問//
二元論的異端の勃興;ボゴミル派からカタリ派へ/カタリ派社会とその教会/インノケンティウス三世 - 前代未聞の十字軍//
十字軍;シモン・ド・モンフォールあるいは電撃戦争/城争奪戦/トゥールーズの孤立/アラゴン王ペドロ二世 - 勇み足/レモン六世の失脚/オクシタン奪還/王の十字軍//
異端審問;異端審問の誕生/迫害と抵抗/アヴィニョネの大虐殺/モンセギュールの最後/フェレールからベルナール・ド・コーへ/伯爵、異端審問局、そして司教たち/モンセギュール以後、各地の様子/亡命の時代/反乱と陰謀の時代/最後の「良き人」たち、最後の火刑など、
764ページ。


Hans Söderberg, La religion des Cathares. Étude sur le gnosticisme de la basse antiquité et du moyen âge, AMS Press Inc., New York, 1978
1949刊本の再刊
『カタリ派の宗教 古代末期および中世のグノーシス主義の研究』
カタリ派研究の現状/文献の問題/中世におけるグノーシス的潮流の歴史についての概観/グノーシス主義序説 類型論/絶対的二元論/穏和的二元論-善と悪の関係-カタリ派とボゴミール派において/古典的グノーシス主義の二元論/善と悪、至高神からの流出、キリストとサタン、神の息子たち/天使たち、霊と魂の概念/地上の生の間の魂/アダムの霊、原人間と原初的魂の観念と比較して/普遍的原理と個別的原理/救済者/個々の霊/通過儀礼/即位/洗礼の賜-無謬性/洗礼の要請-罪の新たな赦しを得ることの不可能性/最終的救済/世界の終わり/結論など、
302ページ
(手もとにあるのはコピー)


The Gnostic Bible, 2003, pp.727-763 : “Part Seven : Cathar Literature”
「カタリ派の文献」
序説(ウィリス・バーンストーン)//秘密の晩餐の福音書/二原理の書/尼僧の説教


 参考までに;

ルージュモン、鈴木健郎・川村克己訳、『愛について - エロスとアガペ -』、岩波書店、1959、pp.98-147: 「第2の書 神話の宗教的起源」
 の
「第6章 宮廷風恋愛 - トルバドゥールとカタリ派」、
「第7章 異端と詩」、
「第8章 いくつかの反論」など
原著は Denis de Rougemont, L'amour et l'occident, 1939

おまけ

 応用篇としてまずは;


C. G. ユング、「付録ⅴ 死者への7つの語らい(1916)」、ヤッフェ編、河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳、『ユング自伝 2 - 思い出・夢・思想 -』、みすず書房、1973、pp.243-261
原著は C. G. Jung, recorded and edited by Aniela Jaffé, Memories, Dreams, Reflections (Erinnerungen Träume Gedanken), 1961

 「東洋が西洋に接する町、アレクサンドリアのバシリデス著」とされています。『ユング自伝 1』(1972)、pp.271-273 でも触れられています。

 ユングがグノーシス主義に言及している箇所は多岐にわたるかと思われますが、とりあえずは;

C.G.ユング/M-L.フォン・フランツ、『アイオーン』、1990

 とりわけ pp.207-248 : 「第1部 第ⅩⅢ章 グノーシス主義における自己の象徴」など。

 また〈プレーローマ〉の語が頻出するのが;

C. G. ユング、野村美紀子訳、秋山さと子解説、『ヨブへの答え』、ヨルダン社、1981
原著は C. G. Jung, Antwort auf Hiob, 1952

 pp.72-74、77、80、83-84、87、124-125、129-130、160-161、166、185、193 に登場。
全240ページ。


 ユングとグノーシス主義については→こちら(「グノーシス諸派など」の頁の「i. 『ヘルメス文書』邦訳刊行以前以後など」)や、そちら(同上)や、あちら(同頁「ii. 『ナグ・ハマディ文書』邦訳刊行とその周辺など」)や、またここ(同上)も参照
 ユングについては→そこも参照:「錬金術など」の頁


J.L.ボルヘス、土岐恒二訳、「邪教徒バシレイデス擁護論」、『パイデイア』、no.10、1971.6.15、「特集 シンボル・錬金術」、pp.38-42
原著は Jorge Luis Borges, “Una vindicasión del falso Basilides”, Discusión, 1957

 別訳が

J.L.ボルヘス、「異端思想家バシレイデスの擁護」、『論議 ボルヘス・コレクション』、2001、pp.96-104

 ボルヘスについて→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「ボルヘス」の項

長島隆、「Weltalter の研究動向とマルクス・ガブリエルのシェリング研究」、2014、pp.146-147

菅原潤、「悪論と神話論のあいだ ― シェリング『世界の年代』(Weltalter)の射程」、同上、p.78

 によると、初期のシェリングにマルキオン論(1795)があるそうです。

能木敬次、「グノーシス思想とロマン派の思想家たち」、『日本経大論集』、40巻2号、2011.3.31、pp.267-284

能木敬次、「グノーシス思想とロマン派の思想家たち Ⅱ.『グノーシス思想とドイツ観念論』 前編『ドイツ観念論への前章としての近代ドイツの思想家たち』」、『日本経大論集』、41巻2号、2012.3.31、pp.79-99

E. M. シオラン、金井裕訳、『悪しき造物主』(叢書・ウニベルシタス)、法政大学出版局、1984
原著は E. M. Cioran, Le mauvais Démiurge, 1969
悪しき造物主/新しき神々/古生物学/自殺との遭遇/救われざる者/扼殺された思念など、
220ページ。


藤本拓也、「マルセルとシオランにおける喪失と霊性」、鶴岡賀雄・深澤英隆編、『スピリチュアリティの宗教史[上巻] 宗教史学論叢 15』、リトン、2010、pp.257-285
マルセルにおける死者と神との共同性;霊媒経験と霊的次元/現存と忠実の思想/不死のコミュニオン/不在の現前//
シオランのメランコリーと「霊的水準」;シオランのマルセル論における孤独の問題/遺棄する神/霊的水準


藤本拓也、「エミール・シオランの神 - 神の喪失と神への情動 -」、『宗教研究』、vol.85 no.3、2011.12.30、pp.693-716 [ < CiNii Articles

ハロルド・ブルーム、高市順一郎訳、『アゴーン 《逆構築批評》の超克』、晶文社、1986
原著は Harold Bloom, Agon - Towards a Theory of Revisionism, 1982 の全16章中10章分
グノーシス〈霊知〉へのプレリュード/アゴーン〈知的超換闘争〉 - 再ヴィジョン構成主義と批評的人間/時間に対し嘘をつく - グノーシスと詩と批評/破局創造 - グノーシス、カバラー、そしてブレイク/フロイドとサブライム〈昇化精神〉 - 創造性の破局理論/フロイドの防衛概念と詩的意志/エマソン - アメリカ的宗教/ホイットマンの声のイメージ-わが魂の割り符/サブライムへの斜行作用と愛の死/コーダ-詩と批評におけるアメリカ的差異//
訳者解説 - ポスト・構造主義とH.ブルームの再ヴィジョン構成詩学など、
316ページ。

 同じ著者による→こちらも参照:「ユダヤ Ⅲ」の頁の「xvii. 応用篇など


ナタリー・ドゥプラズ、永井晋訳、「認知科学とグノーシス的形而上学の試練を受け0て - 超越論的経験論としての現象学の実践的転回 -」、『思想』、no.962、2004.6、pp.92-108
訳者解題//
序 実践の手引き - 現象学、グノーシス、科学の三つ組(トリアーデ)を実践においていかに編み合わせるか?/諸科学との接触 - 主観的経験のプラグマティックな学としての現象学/グノーシス的形而上学の光に照らして - 覚醒の倫理としての超越論的現象学/一人称の記述的方法論としての学問性の現象学的再評価/形而上学的グノーシスの現象学的更新 - 自己観察の精神的(霊的)・方法的実践/結論 - 現象学、グノーシス、認知科学 相互に共鳴し合う三つ組(トリアーデ)

 訳者による著書→こちらを参照:「ユダヤ Ⅲ」の頁の「xvii. 応用篇など


鈴木創士、「借景 あるグノーシス主義者」、『ユリイカ』、52巻15号(通巻767号)、2020.12:「特集 偽書の世界 - ディオニュシオス文書、ヴォイニッチ写本から神代文字、椿井文書まで」、pp.171-182

 こちらも挙げておくべきでしょう;

笠井叡、『天使論』、1976

 美術批評の領域から;

椹木野衣、『ヘルタースケルター ヘヴィ・メタルと世紀末のアメリカ』、リブロポート、1992、pp.143-164:「Ⅲ-2 ティアマート-皮膚の下の大蛇」

 この「短い文章を材料に、『後美術論』のために新たに全面的に展開したもの」(下記の p.146[付記])が;

椹木野衣、「後美術論 第三回 スローターハウスの聖母たち(前編)」、『美術手帖』、no.952、2011.6、pp.118-146

 また

椹木野衣、「絵画の剥製 - グノーティック・ジオラマ」、『ユリイカ』、vol.25 no.7、1993.7:「特集 アンゼルム・キーファー」、pp.88-97

Eugen Heinrich Schmitt, Die Gnosis. Grundlagen der Weltanschauung einer edleren Kultur. Band 1. Die Gnosis des Altertums, Scientia Verlag Aalen, 1968
 1903刊本の再刊
『グノーシス 高貴な文化の世界観の基礎 第1巻 古代のグノーシス』
思想の自由の要請 序言補遺/先史時代の人間/神々の本質/エジプトの秘教/インド/ペルシアとマゴスたちの秘教/ギリシア神話/ギリシア哲学/アレクサンドレイアのピローン/エッセネ派とテラペウタイ/グノーシスの世界光キリスト/グノーシスと教会の対立/天上のソピア/プレーローマ/アイオーン界の描写/グノーシスの根本思想/グノーシス福音書ピスティス・ソピア/ヨハネ行伝/大いなるロゴスの書/無題の黙示録/教父の表現におけるグノーシス主義/魔術師シモン/ケリントス/メナンドロス/サトルニノス/バルクの書/ペラテース派/セツ派/ドケータイ/オピス派/バルベーロー派/バシリデース/ウァレンティノス/プトレマイオス/バルダイサン/ヘラクレオーン/マルコス/ケルドン/マルキオーン/タティアノスとエンクラテース派/カルポクラテース/アペッレース/ヘルモゲネース/エビオン派/アレクサンドレイアのクレメンス/ニュッサのグレゴリオス/シュネシオス/新プラトーン主義的グノーシス/マニ教など、
634ページ。


Eugen Heinrich Schmitt, Die Gnosis. Grundlagen der Weltanschauung einer edleren Kultur. Band 2. Die Gnosis des Mittelalters und der Neuzeit, Scientia Verlag Aalen, 1968
 1907刊本の再刊
『グノーシス 高貴な文化の世界観の基礎 第2巻 中世と近世のグノーシス』
グノーシスと近代的唯物論/グノーシスの体系の概略/中世の敷居における新プラトーン主義/パウロ派/アラビアのグノーシス/スコトゥス・エリウゲナ/カバラー/カタリ派と教会/テンプル騎士団/フィオーレのヨアキムとアマルリッヒ・フォン・ベーナ/イスラーム神秘主義/中世の神秘家たち/マイスター・エックハルト/タウラー/ズーゾ/ロイスブルック/『ドイツ神学』/セバスティアン・フランクとヴァレンティン・ヴァイゲル/パラケルスス/ルネサンス/ヤーコプ・ベーメ/アンゲルス・シレシウス/後期ルネサンスの観念論哲学/カント/ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ/シェリング/ヘーゲル/ロマン主義/秘密結社/スウェーデンボリと新教会/近世の神秘家-ヨハン・ヤーコプ・ヴィルツ/フェヒナーとその学派-グノーシス的詩作/エドゥアルト・フォン・ハルトマン/インド的神智学/南フランスのグノーシス教会と近代グノーシス主義者/グノーシスと近代物理学/結語など、
420ページ。

 目次を見ると具体的なことが連ねられているようで、大いに期待したのですが、あにはからんや、延々と同じようなこと(科学的、唯物論的……)がくりかえされるばかりで、挫折してしまいました。いつか再挑戦することもあるのでしょうか。

 深澤英隆、「ルドルフ・シュタイナーとグノーシス主義」、『グノーシス 異端と近代』、2001、p.308

には、

「原グノーシス主義から近代神智学までを覆う概念としてグノーシスを用いたE. H. シュミット」

と記されています
(当論文は
深澤英隆、『啓蒙と霊性 近代宗教言説の生成と変容』、岩波書店、2006
 に再録。該当箇所はp.170)。
 

Dan Merkur, Gnosis. An Esoteric Tradition of Mystival Visions and Unions, State University of New York Press, Albany, 1993
『グノーシス 神秘的幻視・合一の秘教的伝統』
ユング、能動的想像力とグノーシス=錬金術的仮説;神秘主義的経験の研究/ユング、ジルベラーと能動的想像力/霊的錬金術の諸理論/神の錬金術的制作//
グノーシスの歴史;グノーシスを定義する/オグドアドへのグノーシス的旅程/戦車の吟誦/ムハンマドとそのミラージュ/イスラーム・グノーシスと想像力の世界/ラテン西方へのグノーシスの移動など、
398ページ。


 いささか怪しげなのが-勘違いしていたら申し訳ありません;

Mark H. Gaffney, Gnostic Secrets of the Naassenes. The Initiatory Teachings of the Last Supper, Inner Trasitions, Rochester, Vermont, 2004
ナハシュ派のグノーシス的秘密 最後の晩餐の通過儀礼的教説』
序論//
ヨルダンにて;水の分かれ目/申命記者の心/聖なるヨルダンと流れの逆流/原初の人間、人の子とメシア//
内在;ナハシュ派の説教/起こらなかった教え/水の分かれ目(再訪)/デーミウールゴスと知恵の対話//霊的違法行為//

Hridaya原典-『全異端論駁』/聖杯/天の門/原初の水/捉えがたき者//
附録;『全異端反駁』第5書など、
302ページ。


Gilles C. H. Nullens、高橋健訳、『正統と異端 第一巻:異端カタリ派』、無頼出版、2006
原著は Gilles C. H. Nullens, “Catholics, Heretics and Heresy”, www.nullens.org
序文/カタリ派の紹介/カタリ派の信仰/カタリ派の教義/カタリ派の生活様式/輪廻/人物/カタリ派の最期/カタリ派は本当に滅んだのか?/カタリ派の土地/重要な年代など、
110ページ。

………………………

 フィクションとその周辺から;

フローベール、『聖アントワヌの誘惑』、1940/1957/2008
原著は Gustave Flaubert, La tentation de Saint Antoine, 1874

 第4章にマネス(マーニー)、ヴァレンティヌス、魔術師シモンらグノーシス諸派をはじめとするさまざまな初期キリスト教の異端が登場します。

アナトオル・フランス、森丘次郎訳、『天使の反逆』(世界名作文庫 145)、春陽堂、1934
原著は Anatole France, La révolte des anges, 1914

 森瀬繚『いちばん詳しい「天使」がわかる事典』(2014)中の「アブディエル」の項(p.204)で知り、気になっていた長篇小説です。花田清輝の「天使の羽ばたき」(1951)中でも言及され(p.338, p.343)、また風間賢二編『天使と悪魔の物語』(1995)に抜粋が掲載されたりしていました(pp.71-98。こちらは川口篤訳)。
 とまれ、反逆を決意した天使アルカード(
Alucard ならぬ Arcade)は

 「プラトン哲學のいはゆる
造化神(デミユルジュ)に過ぎない」

ユダヤ・キリスト教の神を「イアルダバオ
Ialdabaoth」と呼びます(まず第10章/p.96)。他方、

 「無數の
太陽(ソレイユ)つまり無數の天體系統中心の星」、

 「これらの世界の各々が、各自固有の守神つまり
産土神(うぶすながみ)をもつてをるのだ」

という(第13章/p.124)。

 「彼イアルダバオがこの宇宙を創造したなどといふのは嘘のかつぱであるばかりでなく、彼イアルダバオは、この宇宙の數と法則といふものを全く知らないのだ」(同/p.125)。

 第25章に

 「デュシェスヌの『教會史』第1巻の162頁にかう書いてあるです。『この倨傲なデミユルジュは、エボヴァ若しくばイアルダバオなる名によつて區別すべきものとす。』と」(p.267)

とあるのは、著者のネタの、少なくとも一つなのでしょうか。ちなみに、第30章では、

 「天使と女との抱擁の事實を書いたもの」が何冊か挙げられています(p.314)。

 また第18章から21章にかけては、反逆者側、シーレーノスあたりに相当するらしきネクテール
Nectaire からの視点で天上の闘い、地球開闢、人類史が綴られます。そこではリュシフェール=サタンがディオニゾスとなり、文化英雄として人類に知恵を授けるのでした。

 ついでながら、第5章でのドラクロワや伊太利およびフラマンのプリミチーフ画家をめぐる議論は、どこまでが著者なり誰だかのモデルの意見を反映しているのかわかりませんが、当時の少なくとも一つの見解として、美術史に関わって興味深いものでした。第22章も参照。

ヘルマン・ヘッセ、実吉捷郎訳、『デミアン』(岩波文庫 6116-6117)、岩波書店、1959
原著は Hermann Hesse, Demian, 1919

 第5章が始まってすぐ、
 
「鳥は卵からむりに出ようとする。卵は世界だ。生まれようとする者は、ひとつの世界を破かいせねばならぬ。鳥は神のもとへとんでゆく。その神は、名をアプラクサスという」

との1節があります(pp.122-123、またp.136)。続いて、

 「アプラクサスは、同時に神でもあくまでもあるという神なのだ」(p.125、またp.147)。

 前者の文言の内、前3文は

 『少女革命ウテナ』(1997.4-12、監督:幾原邦彦)

で引用されました
 (ただしアブラクサスそのものはバシリデースに固有のものではなく、同時代の魔術や占星術の文献などにも広く現われるとのことです。

 Bentley Layton, The Gnostic Scriptures, 1987/1995, p.425, note 1.24.7.c など)。

 なおヘッセとの関連では


高橋義人、「ヘッセとグノーシス」、『グノーシス 異端と近代』、2001、pp.148-160
堕罪の神話/新宗教批判/失われた楽園への回帰

 も参照

バートン・レヴィ・セント=アーマンド、植松靖夫訳、「ラヴクラフトとボルヘス」、『定本ラヴクラフト全集 7-1』、国書刊行会、1985、pp.226-283
原著は Barton Levi St. Armand, “Synchronistic Worlds : Lovecraft and Borges”(David E. Schultz & S.T. Joshi ed., An Epicure in the Terrible: A Centennial Anthology of Essays in Honor of H. P. Lovecraft, 1991 に所収)

 「グノーシス派は2つのグループ、ギリシア系と東洋系に分かれ、前者は世界を嫌忌し、簡素、禁欲主義そして厳格な規律を実行した。一方、後者は全面的に、地上の快楽に没頭した。この見地からみると、ボルヘスは、官能的できらめく魅惑的な現実の謎を楽しむ東洋系グノーシス派であり、一方、ラヴクラフトはギリシア系グノーシス派に属し、現実があまりにも耐えがたいものであったため、全く超地上的な宇宙のより高遠な知識(グノーシス)(文字どおり霊智)を求めることによって、時間と空間の鎖から逃れようとしている」(pp.269-270)。

 ラヴクラフトとクトゥルー神話について→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など

ロバート・M・プライス、「ネクロノミコン註解」、『魔道書ネクロノミコン外伝』、2011、pp.215-355
原著は Robert M. Price, “A Critical Commentary upon Necronomikon”, 1988

 でも、

 「『ネクロノミコン』の信仰は古代のグノーシス主義の一形態としてはじまったようだ」(p.252)、

 「アルハザードの信仰がグノーシス信仰のあまり知られていない分派であったという結論をくだすのを抑えがたい。この分派において、旧支配者はアイオーンとして知られていたのである」(p.254)

とされています。

 さらに、

ロバート・M・プライス、「弟子へのエイボンの第2の書簡、もしくはエイボンの黙示録」、『エイボンの書』、2008、pp.384-387
原著は Robert M. Price and Laurence J. Cornford, “The Epistles of Eibon”, 2001

 ここには

 「『神性なる
上天(プレロマ)』の自己進化」

として、

 「オールド・ワンの家系」

が綴られていますが、これはあきらかにグノーシス的神統譜のパロディーとなっています(pp.385-386)。

トマス・リゴッティ、「ハーレクインの最後の祝祭」、スコット・デイヴィッド・アニオロフスキ編、大瀧啓裕訳、『ラヴクラフトの世界』、青心社、2006、pp.411-469
原著は Thomas Ligotti, “The Last Feast of Harlequin”, Scott David Aniolowski ed., Return to Lovecraft Country, 1997

「さまざまな異端宗派と区別して、自分たちを『サトゥルヌス派』と呼び、至高の未知なる存在によってつくられた天使たちが人類を創造したと信じた、シリアの初期グノーシス主義者の宗派について、トスは簡単にふれているのだ。しかし天使は被造物を直立歩行する存在にさせる力がなく、人間はしばらく蛇のように大地を這った。結局、造物主がこのグロテスクな事態を救った」(p.424)。

 アルコーンたちによって創造されたアダムが霊を吹きこまれるまで立ち上がることができなかったという描写は、『ヨハネのアポクリュフォン』にも見られますが(§54、『ナグ・ハマディ文書 Ⅰ 救済神話』、1997、p.86)、ここでモデルとなったのはおそらく、サトゥルニヌスないしサトルニロスではないかと思われます(
Pearson, Ancient Gnosticism, 2007, pp.34-35 など)。

 余談になりますが、上の箇所はゼリア・ビショップの「イグの呪い」(1929)にあるものと、すっかり思いこんでいました。「蛇のように大地を這った」云々のゆえでしょうか。当たってみても見つかるはずもなく、探しだすのにずいぶん手間どったものです。他のもろもろにつけ同然であろうこと、推して知るべしという次第なのでした。

 また、魔術師シモンとクトゥルー神話を結びつけたリチャード・L・ティアニーの作品が下記に紹介されています;

シモン・マグスとクトゥルー神話」、2012.1.22 [ < 凡々ブログ

混沌の太鼓」、012.1.23

トートの書」、2012.1.28

大野英士、『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』、2018、p.264

 によると、レオ・タクシルことアントワーヌ・ジョガン=パジェス(1854-1907)の『十九世紀の悪魔』(1892-95)に、ダイアナ・ヴォーンの名とからめて、

 「リュシフェルこそが理性と光の真の創造主であり、アドナイ、すなわちヤハウェは物質と死をこの世にもたらした悪の根源だ」

という

 「一種、グノーシス的二元論にたった教理」

が記されているとのことです。
 また pp.268-269 で、

 「ミシェル・ベルシャマンは、『十九世紀の悪魔』を紹介した小著の中で、タクシルと二十世紀の作家H.P.ラヴクラフト(1890-1937)の『クトゥルー神話』との共通点を強調している」。

 ちなみに p.155 でまとめられたジョゼフ=アントワーヌ・ブーラン(1824-93)の教説に関し、

 「中世におけるグノーシス派の一派であるボゴミール派の影響を受けているとされる所以である」

と述べられています(p.156)。

 クトゥルー神話から離れれば、荒巻義雄『神鳴る永遠の回帰 ビッグ・ウォーズ Part 1』(徳間書店、1978)の「あとがきに代えて」に言うように、

 「SFの神は往々にしてベム(大目玉の怪物)化する場合がある」(p.202)

として(荒巻義雄について→下掲の『聖シュテファン寺院の鐘の音は』、およびこちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「荒巻義雄」の項)、そこに〈悪しき創造神〉的なイメージが現われたり、あるいは『マトリックス』(1999、監督:アンディ&ラリー・ウォシャウスキー)のごとく、グノーシス主義を彷彿とさせる二世界論が呈示されたりすることがありますが(いずれの場合も、プレーローマがしばしば欠けている)、これらについてはいずれふれるとして、ここでは直接グノーシス主義に言及していると思しいものだけを挙げることにしましょう;


鷲巣繁男、「詩集〈マルキオン〉全篇」、『鷲巣繁男詩集』、1972、pp.32-73

 同、 「マルキオンの主題による七つの変容と一つの秘義」、同、pp.106-107

フィリップ・K・ディック、大瀧啓裕訳、『ヴァリス』(サンリオSF文庫 3-E)、1982
原著は Philip K. Dick, VALIS, 1981

 本編中に

 「源を2つにする宇宙創成論」

という箇所があったり(pp.131-134)、末尾に「秘密教典書」が配されていたりします(pp.350-372)。

 また訳者による
“Adversia”はきわめて詳細な訳註となっています(pp.373-439)。 

フィリップ・K・ディック、大瀧啓裕訳、『聖なる侵入』(創元推理文庫 606-7)、1990
原著は Philip K. Dick, The Divine Invasion, 1981
 訳書は1982刊本の再刊

 また訳者による「新アロゲネス」(pp.385-422)と「悪魔のいない幻影」(pp.423-438)が併載されていますが、前者ではディックの「新グノーシス主義」が論じられ、後者ではディックの「宇宙創生論・宇宙論」が紹介されています。

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅴ」の頁の「フィリップ・K・ディック」の項
 

ポール・アンダースン、浅倉久志訳、『大魔王作戦』(ハヤカワ文庫 SF 503)、早川書房、1983
原著は Paul Anderson, Operation Chaos, 1971

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅴ」の頁の「ポール・アンダースン」の項

荒巻義雄、『聖シュテファン寺院の鐘の音は』、徳間書店、1988

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「荒巻義雄」の項

川又千秋、『幻視界 第一界-愚能神話』(TOKUMA NOVELS)、徳間書店、1988

 同、    『幻視界 第二界-異海漂流』(TOKUMA NOVELS)、徳間書店、1989

 同、    『幻視界 第三界-幻創領域』(TOKUMA NOVELS)、徳間書店、1989

 同、    『幻視界 第四界-宇宙の扉』(TOKUMA NOVELS)、徳間書店、1991

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「川又千秋」の項

山下定、『アイオーン 〈マグスの血脈〉』(ソノラマ文庫 や 2-2 469)、朝日ソノラマ、1989

 同、  『アイオーン2 〈邪神の福音〉』(ソノラマ文庫 や 2-3 512)、朝日ソノラマ、1990

 同、  『アイオーン 泡壊都市(バブル・バビロン)』(ソノラマ文庫 や 2-4 616)、朝日ソノラマ、1992

牧野修、「グノーシス心中」、『忌まわしい匣』、2003(1999年刊本の文庫化)、pp.91-125

デヴィッド・マドセン、大久保譲訳、『グノーシスの薔薇』、角川書店、2004
原著は David Madsen, Memoirs of a Gnostic Dwarf, 1995

 舞台は古代末期ではなく、ルネサンスのイタリアです。本書ではこの時期までグノーシス主義がひそかに生き残っていたという設定になっています。「ウァレンティーヌス」の「著述」も伝えられているとのことです(p.91)。「カタリ派の『リヨンの儀式書』」(p.115、p.142)なるものも登場、古代の伝承は直接、カタリ派などにも流れこんでいたと見なされているようです。
 グノーシス派の教えについては、

 「天井に描かれた一連の絵は、ソフィアが至高の天上から、物質世界の混沌へと降臨してくる様」を描いたものだった」、
 「知恵の活動原理」である「彼女の過ちから、ヤルダバオトが現れてしまったの」(p.40)

と少し触れた後、pp.90-91 で、

 「宇宙には二つの拮抗する力が存在している。一つは善なる力、もう一つは悪の力で、両者は永久に争い続ける」(p.90)、

 「この世界を創造したのは悪魔(少なくとも悪魔の一人)で、だからこの世界は地獄である」(p.91)

等とまとめられます。末尾近く、「信条」と見出しのついた部分も参照(pp.317-319)。
 面白いことに、

 「だが、彼らはこれらの原則を、それぞれ独自の複雑深遠な思想体系の中に組み入れ、はめ込んでいた。こうした先師たちは、往々にして美辞麗句に逃げ、そればかりか、率直に言って、意味不明な言葉で意味不明なことを説明しているといった感が拭えない。グノーシス主義の父祖たるウァレンティーヌスその人にしたところで、その崇高さを認めるに吝かではないが、曖昧な語法、古語の濫用、大げさな修辞を駆使した詩句、そして単なる罵倒の言葉などで満ちあふれた彼の著述は、しばしば理解しがたいものがある」(p.91)

と主人公は語っています。さらに、

「私たちの生は、神の(もと)へと帰っていく長い旅路(その途次で、世界は徐々に重苦しさをなくし、苦痛が消え、耐えやすくなっていく)の出発点なのだ。。グノーシス思想が伝えるこれらの真理は、実のところすこぶる楽観的なものである」(p.198)。

 ともあれ、pp.109-111 に書き記された祈祷文は、『エジプト人の福音書』§50~53によるものでした(1)。

p.118 で『完徳者に宛てて書かれたトマスの書』からの引用は、『闘技者トマスの書』§5(2)。

また pp.119-120 での人間創造のくだりは、『ヨハネのアポクリュフォン』§47~49(3)
 
1. 荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳、『ナグ・ハマディ文書 Ⅱ 福音書』、岩波書店、1998、pp.163-168、また再録;荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治編訳、『新約聖書外典 ナグ・ハマディ文書抄』(岩波文庫 青 825-1)、岩波書店、2022、pp.368-373。

2. 荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳、『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 説教・書簡』、岩波書店、1998、pp.43-44。

3. 荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳、『ナグ・ハマディ文書 Ⅰ 救済神話』、岩波書店、1997、pp.72-79、一部省略あり。再録;『新約聖書外典 ナグ・ハマディ文書抄』、pp.178-182。
 

 ところで、

「私たちはまずこの世界を徹底的に経験し尽くさなくてはならないの。おすして初めて、この世界に永久に背を向けることができるようになる」(p.52)、

「地上での偽善的な性の規範なんて、私たちには無関係だから」(p.53)、

「もし性的な行為に関わるとしたら、その価値や目的を愚弄するためだけにそうするのだ」(p.56)

と、他方でヤルダバオト -

「彼の意志をくじいてやろう」(p.102)

と、部分的に反律法主義に根ざして、現在では虚構であろうと見なされている、教父たちが批難した放埒主義が採用されています(pp。120-123)。

 この他、「自称『数の科学』なるもの」(p.199-202)が登場したり、

「運命か、宿命か、東方の悪魔崇拝者たちなら『ダールマ』と呼ぶ、人の力の及ばぬ計り知れない意志か」(p.279)、

「月の支配する世界は、謎めいて、夢のように蠱惑的だ。予兆と象徴に満ちた世界。銀の影の世界。静寂と魔術と幻想と、真夜中の欲望の世界。古代のカバラ主義者によれば、それはイェソドの世界」(p.283)

と綴られたりもするのでした。

 最初に触れたように本作はルネサンス期のイタリア、とりわけ主人公が侍従として仕えたジョヴァンニ・デ・メディチ=レオ十世(1475-1521)の時代とその前後を描いた歴史絵巻といったものです。ラファエロ(pp.23-29、pp.253-263)やレオナルド(pp.174-180)が顔出ししたり、名前だけではありますが、フィチーノ、ピコ・デッラ・ミランドーラ、ギルランダイヨ、ボッティチェリ、ミケランジェロが挙げられもすれば(p.81)、「祝典のメインイベント」としての「活人画(タブロー・ヴィヴァン)」が綴られたりもします(pp.148-149)。

「コロセウムは何世紀ものあいだ、荒れるがままに任せられてきた」(p.282)

と述べられるのも、ある意味で興味深い。というわけで、→「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」にも挙げておきましょう。
 

永瀬唯、「喪失の荒野 そして(アイ)だけが残った」、永瀬唯編、『ターミナル・エヴァ 新世紀アニメの世紀末』、水声社、1997、pp.14-29

 (『廃墟大全』、1997 所収の原稿を改稿したもの)

 『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996、監督:庵野秀明→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他」)を論じた上の論文で、「グノーシス主義を背景とした」(p.26)ものとして挙げられていたのが;

ハーラン・エリスン、浅倉久志・伊藤典夫訳、『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワ文庫 SF330)、早川書房、1979
原著は Harlan Ellison, The Beast that Shouted Love at the Heart of the World, 1969/71

 の表題作(pp.19-35)。
この短篇集ではまた、
「ピトル・ポーウォブ課
The Pitll Pawob Division 」(pp.163-169)
が戯画的とはいえ神学的なモティーフを含んでいました。
 →こちらも参照:「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」の頁の「ハイネと〈流謫の神々〉その他」の項
 

 エリスンについてはまた;


ハーラン・エリスン、伊藤典夫訳、「死の鳥」、『死の鳥』、2016、pp.171-229
Harlan Ellison, "The Deathbird"(1973), Deathbird Stories : A Pantheon of Modern Gods, 1975

 本人の前置きによると、

 「蛇がいいやつだったとする理論を押し進めた『創世記』の書きなおし」

とのことですが(p.405。ちなみにエリスンはユダヤ系とのこと)、オピス派ないしナハシュ派風の〈蛇〉の反転、同じくグノーシス主義的な反
支配神(アルコーン)像、さらにエビオン派風(?)の〈真の預言者〉というか道教の老子変化説というか、転生を繰り返す救済者のイメージ、そしてこちらはグノーシス主義的ならざる〈ガイア〉理論が折り重ねられて綴られる、終末神話ではありました。

 この他;

永井豪、『デビルマンレディー 7』(モーニング KC 614)、講談社、1999、pp.102-110

 でグノーシス派のことが言及されています。
 永井豪については→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他


星野倖一郎、『グノーシス・マーチ』(全三巻:Ⅰ~Ⅲ)(少年サンデーコミックス SSC-5420, 5842, 6474)、小学館、2014/2015/2015

 本篇中ではタイトルの由来が記されることはありませんでした(たしか)。
 舞台となる世界では人間と吸血鬼、それに精霊が存在しています。
 第10話に「物質と化した精霊」(第Ⅱ巻、p.152)との言い回しがあって、ということは精霊は本来、非物質的な存在と設定されているようです。
 第11話と最終話で語られる「精霊王の物語」(第Ⅲ巻、pp.11-12 および p.131)は開闢神話にほかなりません。
 第7話~第8話(第Ⅱ巻)および第13話以降(第Ⅲ巻)には、蛇を連れたソフィアという人物が登場します。
 

 マニ教を扱ったものとして;

陳舜臣、『桃源郷 (上) 西遷編』、集英社、2001

 同、  『桃源郷 (下) 東帰編』、集英社、2001

アミン・マアルーフ、戸田聡訳、『光の庭 小説 マニの生涯』、連合出版、2011
原著は Amin Maalouf, Les jardins de lumière, 1991

中野美代子、『塔里木(タリム)秘教考』、飛鳥新社、2012

 同じ著者による→こちらを参照:「中国 Ⅱ」の頁の「おまけ


石ノ森章太郎・小野寺丈、『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』(全3巻)(角川文庫 い 78-1, 2 3)、角川書店、2012

 第1巻のみ2006年刊本の文庫化
 石ノ森が遺したメモに基づき、小野寺が小説の形で完成したもの
 それと名を挙げているわけではありませんが、クライマックスで語られる〈神話〉は、著しくマニ教的でした。
 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他


 カタリ派を扱ったものとして;

セオドア・ローザック、田中靖訳、『フリッカー、あるいは映画の魔』(上下)(文春文庫 ロ 4-1, 2)、文藝春秋、1999
原著は Theodore Rozak, Flicker, 1991

 本書については、やはり
時よ止まれ、おまえは美しいのか? 絵と映像のA感覚」、『液晶絵画』展図録、2008 [ < 三重県立美術館のサイト ])
 の註13 で触れたことがあります。


高野史緒、『アイオーン』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)、早川書房、2002

 ちなみに著者は「南仏の異端カタリ派についての卒論を書いた」とのこと(p.386)。
 同じ著者による→こちら(「エジプト」の頁の「おまけ」)や、またあちら(「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「おまけ」)を参照


佐藤賢一、『オクシタニア』、集英社、2003

帚木蓬生、『聖灰の暗号』(上下)、 (新潮文庫 は-7-19~20)、新潮社、2010
 2007刊本の文庫化
………………………
 アルバムのタイトル以上に内容面での関連はなさそうですが;

Santana, Abraxas, 1970(邦題:サンタナ、『天の守護神』)(1)
1. 『ラテン・ロック featuring サンタナ』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2014、pp.46-47。
 もっとも、未見ですがサンタナには
"Hermes"(All That I Am, 2005. 同上、p.77)とか"Metatron"(Shape Shifter, 2012. 同上、p.79)といった曲もあるとのこと。
 →こちらも参照:「インド」の頁の「おまけ
 こちらはそのものずばりなのが、ノルウェーの90年代プログレ・バンド

White Willow, Ex tenebris, 1998(2)

 中の
Helen and Simon Magusで、歌詞を見ると、freed of demiurgic sleepなんてフレーズまであります。9分16秒。
 この曲はCDの4曲目なのですが、直前の3曲目は
Soteriologyなるタイトルで、こちらでは

 
the power to transcend beyond the tyrant's throne

と歌っています。とても綺麗な旋律を、しかしほとんど展開させることなく、伴奏のみ変化させてオルガン、女声、オルガンの三部構成で、5分5秒の内序奏部を除き、ひたすら反復するという曲でした。
 なお今(2022/2/7)まで気がついていなかったのですが、歌詞カードには、

1曲目の
"Leaving yhe House of Thanatos"の頁にニーチェ、

3曲目“Soteriology"の頁にヴァレンティノス派の『真理の福音』(邦訳は→こちら:「グノーシス諸派など」の頁の「ii. 『ナグ・ハマディ文書』邦訳刊行とその周辺など(1997~2005)」)、

4曲目
"Helen and Simon Magus"から5曲目"Thirteen Days"の頁にまたがって Proco?nesus "Rex et Regina"

6曲目の
"A Strange Procession ..."の頁にマンダ教の『ギンザ』(独訳は→そちら:本頁「vii. マンダ教など」)、

7曲目
"... A Dance of Shadows"の頁にハンス・ヨナス『グノーシスの宗教』(邦訳は→こちら:「グノーシス諸派など」の頁の「ii. 『ナグ・ハマディ文書』邦訳刊行とその周辺など(1997~2005)」)

それぞれからの引用が、薄~く記されていました。
 次の3枚目のアルバム


Sacraments, 2000

 には、Gnostalgiaという曲もありました。5曲目、10分18秒。
2. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.22、2004.8、pp.64-65。
 この記事は4枚目のアルバム
Storm Season (2004)が発表された際のインタヴューですが、その中に

 「2nd『Ex tenebris』(グノーシス主義と錬金術に関するコンセプト・アルバム)」

というくだりがあります。( )内はおそらく編集者のものかと思われます。
 
 余談になりますが、聞く機会のあった範囲内で、Soteriology とともに、同じバンドの Storm Season のタイトル曲(6曲目、4分21秒)も、劣らず印象的なメロディー・ラインを持っていました。耳にこびりついてやまない旋律というのは、各人ひとりひとりにあることでしょう。個人的にはとりあえず、

「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」で挙げた(→そちら)、
 Renaissance, Illusion (1970)のB面1曲目かつ Illusion, Out of the Mist (1977)の6曲目、もとのLPではB面2曲目"Face of Yesterday"
さらに

 Comus, To Keep from Cryng, 1974(邦題:コーマス、『トゥー・キープ・フロム・クライング』)(3)

2枚目のタイトル曲(B面ラスト=5曲目、6分47秒)、
 
3. 深見淳・松崎正秀監修、『UKプログレッシヴ・ロック アウトスタンディング・エディション』(THE DIG presents Disc Guide Series #020)、シンコーミュージック、2004、p.145。
 ヴァーミリオン・サンズ、『ウォーター・ブルー』、1987(4)

の3曲目、LPではA面ラスト=3曲目
"In Your Mind"(7分36秒)

あたりが思い浮かんだりもします。ぱっと思いだせなかった曲はまだまだあるはずですが、それはまたの機会に、ということで。 
4. ヌメロ・ウエノ、たかみひろし、『ヒストリー・オブ・ジャップス・プログレッシヴ・ロック』、マーキームーン社、1994、pp.69-70。
 舩曳将仁監修、『トランスワールド・プログレッシヴ・ロック DISC GUIDE SERIES #039』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2009、p.147。
  

追補:と、思いだせたものをまず一曲;

 Opus Avantra, Introspezione, 1974(邦題:オパス・アヴァントラ、『内省』)(5)

1枚目の6曲目(元のLPではA面ラスト)
"Il pavone"(「くじゃく」)、4分52秒。実験色の濃いイタリアのグループ、あまりロックっぽくはありませんが、ところどころ綺麗な旋律が顔を出し、その最たるものが、人なつっこいと形容していいものかどうか、この曲の旋律でしょう。 
5. タイトルに応じて→こちらにも挙げました:モロー《ユーノーに不平を言う孔雀(『ラ・フォンテーヌの寓話』より)》(1881)の頁の「おまけ 

 またイタリアから;

 Osanna, Preludio Tema Variazione Canzona / Milano Calibro 9, 1972(邦題:オザンナ、『ミラノ・カリブロ 9』)(6)

ラスト10曲目(元のLPではB面ラスト、6曲目)の
"Canzona"、4分55秒。
 2枚目にあたる本アルバムは映画『ミラノ・カリブロ 9』(1972、監督:フェルナド・ディ・レオ)のためのサウンド・トラックで、音楽担当はルイス・エンリケス・バカロフ。この曲も作曲はバカロフによるもののようです。バカロフは『続・荒野の用心棒』(1966、監督:セルジオ・コルブッチ)などの音楽で知られていますが、本作を含め、イタリアのプログレ・バンドと三度共作しています。
 それはさておき、この曲は


 Osanna & David Jackson, Prog Family, 2009

では"There Will Be Time"としてラスト17曲目に(3分55秒)、

 Osanna, Live in Japan ~ The Best of Italian Rock, 2017(オザンナ、『ライヴ・イン・ジャパン~ザ・ベスト・オブ・イタリアン・ロック』)

ではCD3の10曲目で
There Will Be Time (Canzona)"(「カンツォーナ」)として演奏されました。6分31秒。
6. 『イタリアン・ロック集成 ユーロ・ロック集成1』、マーキームーン社、1993、p.90。
 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.21、2004.5,p.106。
 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.14。
 アウグスト・クローチェ、宮坂聖一訳、『イタリアン・プログ・ロック イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド(1967年-1979年)』、マーキー・インコーポレイティド、2009、pp.377-380。
 岩本晃一郎監修、『イタリアン・プログレッシヴ・ロック(100 MASTERPIECE ALBUMS VOL.1)』、日興企画、2011、p.41。

 別のアルバムの曲→こちらで挙げました:「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「おまけ
 
 もう1曲イタリアから;

Banco del Mutuo Soccorso, Canto di primavera, 1979(邦題:バンコ『春の歌』)(7)

 8枚目の2曲目、タイトル曲、5分30秒。
 なお先立つ1曲目
"Ciclo"(「循環」、4分20秒)とアルバムのラスト、8曲目(元のLPではB面4曲目)"Circobanda"(「チルコバンダ」、5分30秒)はともに器楽曲ですが、「春の歌」の旋律を用いています。

 「春の歌」はライヴ・アルバム

Banco del Mutuo Soccorso, No palco, 2003(邦題:バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ『ノー・パルコ~30周年記念コンサート』)

でも6曲目に収録されています、7分27秒。
7. 『イタリアン・ロック集成 ユーロ・ロック集成1』、マーキームーン社、1993、p.31。
 『ストレンジ・デイズ』、no.94、2007.7、p.84。
 アウグスト・クローチェ、宮坂聖一訳、『イタリアン・プログ・ロック イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド(1967年-1979年)』、マーキー・インコーポレイティド、2009、pp.117-122。
 岩本晃一郎監修、『イタリアン・プログレッシヴ・ロック(100 MASTERPIECE ALBUMS VOL.1)』、日興企画、2011、p.35。

 別のアルバムの曲→こちらで挙げました:『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」(1966)の頁の「おまけ
 

 イギリスに戻って、

 Gryphon, Treason, 1977(8)

当初の古楽的な様相が目立たなくなって、やや蛇足扱いされたりしなくもない5枚目、いったんラスト・アルバムですが、1曲目
"Spring Song"(10分00秒)では、切ないのだけれど、距離を保ちつつ物語るかのようとでも言えるでしょうか、とても印象的な旋律を聴かせてくれます。このアルバムからは、6曲目(元のLPではB面3曲目)の"Fall of the Leaf"(4分22秒)も、畳みかける語りのような旋律が聴けました。
8. 深見淳・松崎正秀監修、『UKプログレッシヴ・ロック メインストリーム・エディション~The Golden Era』(THE DIG presents Disc Guide Series #017)、シンコーミュージック、2004、p.96。
 岩本晃一郎監修、『ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック100』(Masterpiece Albums vol.2)、日興企画、2012、p.100。
 他のアルバム→こちらで挙げました:「キリスト教(西欧中世)」の頁の「おまけ

 
 最後によくやる阿呆な早合点をひとつ;

Jaldaboath, The Rise of the Heraldic Beasts, 2010

 てっきり〈ヤルダバオート〉なんて名前のバンドがあるんだと思ってしまいましたが、よく見れば後の ao が逆なのでした。
 ケースに貼られたシールには
‘Heraldic Templar Metal!’とあり(「紋章的テンプル騎士団的メタル!」ということでしょうか)、“Bring Me the Head of Metatron”だの“Da Vinci's Code”といった曲が並んでいます。ピュ~ヒャララと、いわゆる中世音楽風のフレーズを、メタリックなリフにのせて疾走するという感じで、景気がいいので良しとするべきでしょう。
 
2014/1/8 以後、随時修正・追補
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