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< 宝樹(1980- ) < 近代など(20世紀~) Ⅴ |
宝樹、訳:大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、『三体X 観想之宙』、早川書房、2022 英訳の題は Baoshu (Li Jun), The Redemption of Time, 2011
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■ 本作は劉慈欣『三体』三部作(2006-10→こちら) の二次創作です。本篇での次元の高低の変換というモティーフは引き継がれ、さらに展開されています。次元の転換が宇宙史に組みこまれるのでした; 「雲天明は、宇宙の根源を見た。あるひとつの点から、無限の物質とエネルギーが炸裂する。…(中略)…その瞬間、十次元世界が出現した。…(中略)… 世界の端から端まで、時間経過ゼロで光が伝わる。速度に限界はない。十次元世界のあちこちで、無数の生命が瞬時に出現する。 …(中略)… 十次元宇宙はその全体がひとつの生命体となっている」(pp.174-175/第2部)。 天使の叛逆めいた出来事が起こり、歴史が始まります; 「ひとつにまとまってマスターをつくりだしている無数の集合的意識のうちのひとつがとつぜん反乱を起こし、それが宇宙全体の次元崩壊につながりました」(p.176)。 「盤古が死んだあと、その体の一部がそれぞれ山、川、太陽、月になったように、九次元宇宙は十次元宇宙の屍が変容して生まれた」(p.177)。 「ほどなく、九次元宇宙は八次元宇宙にとってかわられた。…(中略)…宇宙全体がひとつの巨大な超球で、無数の洞穴やトンネル(もちろん、すべてが八次元の洞穴やトンネルだ)がその中を往き来している」(p.179)。 そして低次元化が続く(pp.179-180)。 他方、光速の速度と相まって、各次元における時間が変化し、それぞれに存続期間が割り振られます; 「『三次元宇宙が存在しはじめてから、どれぐらい経つ?』 …(中略)… 『人類の計時方法で計算しますと、およそ百三十八億九千四百万年です』 …(中略)… 『じゃあ、四次元宇宙は?』 『だいたい百万年です』 『五次元宇宙は?』 『百三十一年です』 『六次元宇宙は?』 『九日と十一時間』 『七次元は?』 『二分三秒』 『八次元は?』 『十にミリ秒』 『九次元は?』 『三十一ナノ秒』 …(中略)… 『じゃあ、十次元宇宙は?』 …(中略)… 『永遠です。十次元宇宙に、時間はありません』」(pp.183-184)。 〈 「この宇宙はせますぎる。もっと大きな宇宙がほしい!」(p.177/第2部) と叫ぶのですが、雲天明はへーシオドスの『神統記』を引きあいに出して、 「クロノスとは、ギリシャ語で〝時間〟を意味する。この神話は、万物のはじまりは時間だということを語っている。潜伏者にとって必要なのは、まさに時間だ。時間のない宇宙は、いくら大きくても、潜伏者にとってせますぎる」(p.185) と喝破します。マスター側から語られた事態は、内容はそのまま、後に〈潜伏者〉側からの視点で見られることになる; 「最初の神は死の神で、原初の宇宙は死に支配されていた。のちに死の神の長子が親に反抗し、ついには死の神を追放するに至った。そして深淵の世界に新たな生命をもたらし、それによってこんにちの宇宙が創造された。この神が創世神である」(p.213/第3部)。 ■ この他、 「すべての宇宙は - つまり、大宇宙と小宇宙のすべては - 超膜の上にあります。…(中略)…超膜は宇宙の最終レベルに存在する構造で、わたしにはくわしい説明ができません」(p.167/第2部)、 「ゼロ次元宇宙には次元がありませんから、超膜から独立しています。…(中略)…ある宇宙がゼロ次元化して見つからなくなる現象は、〝宇宙の蒸発〟と呼ばれ、超膜ではときおり発生します」(p.188)。 と、より包摂的なレベルにも触れられます。「古い歌」に、 「宇宙の外には、あと九つの宇宙がある」(p.247/第3部) と歌われているという。 なおポケット亜空間である〈小宇宙〉について; 「十次元宇宙のかけらです。すべての小宇宙は、原初の十次元宇宙から欠け落ちたものなのです」(p.164/第2部)。 また、 「時のない十次元宇宙も、自然の法則には従いますから、因果関係に縛られます…(中略)…もしすべてがオリジナルの状態に戻るなら、すべてはそこから、以前と同じ道をたどるでしょう」(p.191) と、〈同じものの永劫回帰〉が予想されたりします。そのつながりで、 「ずっと昔、『エンドレスエイト』っていう変わったアニメを見たことがある」(p.193) と、アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』の挿話に触れられたりもしました(→「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の谷川流の項参照)。 ちなみに、本篇『三体』三部作(→メモ頁のそちら)に続いて《清明上河図》(p.57/第1部)が、また他に「ドミニク・アングルの『泉』」(p.102/第1部)などが言及されたりしました。 ■ 雲天明が遭遇した〝光明森林〟について、 「突如として降り注いだ光に目が眩んだあと、最初に見えた具体的な対象物は、眼前に浮かぶ、やわらかな銀色に輝く立体だった。一見したところ、それはほとんど完璧なリング状の構造物だった。その円環体の内部にはまた大小のさまざまな円環体が無限に存在している。だが、じっと目を凝らして観察すると、それらは完全な円ではなかった。なぜなら、個々の円は数十万のもっと小さな円が集まったもので、それぞれの小さな円は複雑かつ細やかな構造でつながっている。無数の円は、やわらかな光を発する半透明の曲線でできているように見えたが、仔細に観察すると、その曲線も、おそろしく複雑かつ高度な内部構造を持つ小さな立体でできていることがわかった。立体のどの部分をとりだしても、そこには全体が含まれているし、どんなに細かく見ても、その中にさらに微細な構造が見つかる。 …(中略)… いや、フラクタルじゃない。だけど、無理にたとえるなら、そうなるかもしれない……。こんなふうにも言える。一輪の薔薇を想像してみて。その薔薇自体が、大きな薔薇の花びらの一片になってるんだ。そしてその大きな薔薇は、やっぱりもっと大きな薔薇の花びらの一片になっている。そうやって無限に続いている。最初の薔薇に目を戻して、もっと細かく見ると、その花びらはもっと小さな薔薇でできている。さらに驚くことに、どの薔薇の花もそのかたちや大きさや色合いがまったく違ってて、まるでべつの品種みたいに見える」(pp.91-92/第1部)。 と語られます。「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」冒頭のメモに記したように(→あちら)、短篇集『時間の王』所収の「九百九十九本のばら」に、「インドラ神の網」に言及した箇所がありましたが、ここでも華厳的なイメージが参照されていると見なしてよいでしょうか。 また薔薇のたとえは、多田智満子の〈薔薇宇宙〉を連想させます(→ここ)。重畳する薔薇のイメージは、後に再登場します(p.262/第3部)。 「天の …(中略)… 読んで字のごとく、宇宙という花を支える萼の役割を果たしている。宇宙全体に広がるこの量子もつれネットワークがひとたび起動すれば、最高にきらびやかな花を咲かせることができる。暗黒物質の巨大な雲がその根茎で、宇宙に散らばる 〈 |
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2025/07/16 以後、随時修正・追補 |
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