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鞠が跳ねる - 追補


球体宇宙
ガブリエル・オロスコと球 
新興写真と球 


1.球体宇宙

  鞠は球です。「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「ii, 図形など」の内「円・球について」(→こなた)に並べたいくつかの文献をほんの一例として、球についてもさまざまに語られてきたことでしょう。とりわけそこでも挙げた(→そなた

 Esprit sphérique, Galleria Gottardo, Lugano & Charta, Milano, 2006

では、17本のエッセイ中の挿図とは別に、球ないしそれに準ずる球状の装飾品、オイル・ランプ、さまざまな球技に用いるボール、駝鳥の卵、渾天儀などなどの図版256点が掲載されていました。ただし日本の手鞠は出てきません。
 また『ダリとカムジャタン』(2021)メモの頁で触れた(→あなた)、ルドンによる眼球の一連のイメージを連想することもできるでしょう。デューラーの銅版画《メレンコリアⅠ》(1514)の画面左、少し奥に見える「先端を切り取った菱面体」(アーウィン・パノフスキー、中森義宗・清水忠訳、『アルブレヒト・デューラー - 生涯と芸術 -』、日貿出版社、1984、p.162)ともども、その手前に転がる球は、球の話が出る時にはかなりの確率で引きあいに出されるのではありますまいか。

 「しかし窮極の限界があるからには、それはあらゆる方向において完結していて、譬えて言えばまんまるい球の塊りのようなもの。まん中からあらゆる方向に均等を保つ。ここあるいはかしこにおいてより大きくまたより小さいということは あってはならぬことゆえ」(内山勝利編、『ソクラテス以前哲学者断片集 第Ⅱ分冊』、岩波書店、1997、p.89/第Ⅱ部28章パルメニデス(B) 8 断片8)

とパルメニデース、同様にプラトーンはデーミウールゴスによる宇宙の形成について、

「ところで、至高の善き者にとっては、最も美しいもの以外の他のものを作ることは許されなかったし、また許されることもない」(泉治典訳、「ティマイオス - 自然について」、『プラトン全集 6』、角川書店、1974、p.193/30a)、

「だが自分の中にすべての動物どもを包含すべきである動物にとっては、自分の中にいっさいの形を包み入れるような形態がふさわしいはずである。そこで彼は、中心から周辺に至るあらゆる方向において等しい距離を持つ球体を、旋盤にかけて作り上げた。それはあらゆる形態の中で最も完全で、自己が自己に完全に似たものである」(同上、pp.196-197/33b)

と語ります。アリストテレースもまた、

「天が球の形をもつことは必然である。なぜかというと、この形はその実体にとって最も本有的であるとともに、自然において最初のものだからである。…(中略)…一さきに定義したように、その外にそれに属するどんな部分もみつからぬものが完全である、そして直線にはいつもなにか付加することができるけれども、円の線にはなにものも付加しえないから、円をかこむ線こそ明らかに完全であろう。かくして、完全なものは不完全なものより先であるから、この理由からしても、円は図形のうちで、より先なものであろう。同様に球も立体のうちでより先なものであろう」(村治能就訳、「天体論」、『アリストテレス全集 4』、岩波書店、1968、pp.65-66/286b10/第2巻4章)。

「また、全宇宙は円運動をしているようにみえるし、またそう仮定されるし、それに最外の円周の外には空虚も場所もないことを既に証明したのであるから、だから、この理由からしても、必然的に全宇宙は球形であらねばならない」(同上、p.67/287a10/第2巻4章)

と論じます。さらに、

「ストア派は宇宙が球形であると言う」(クリュシッポス、山口義久訳、『初期ストア派断片集 3』(西洋古典叢書 G 029)、京都大学学術出版会、2002、p.22/第1部第2章B 2-5)。

 それぞれにニュアンスは同じではありますまい。たとえばアリストテレースが「最外の円周の外には空虚も場所もない」と論じたのに対し、ストア派は、

「宇宙は有限であるので、全体は有限であるが、万有は、宇宙の外にある空虚が無限であるので、無限である」(同上、pp.6-7/第1部第2章B 2-1)

と、〈空虚〉の存在を認めました。
 その上で、古代ギリシアにおいて、円や球がしばしば、完全性と結びつけられていたことはわかります。他方、宇宙全体の形だけでなく、大地の形がどう想定されているのか、また論敵であろう、原子論における無限空間や世界の複数性との議論などもつながってくるはずですが、それはさておき、完全性というイメージがあったかどうかはわかりませんが、少なくとも球は、全体性を表わすと見なされたのでしょう、中国は後漢時代の張衡(後78-139年)の『渾天儀』でも、

「渾天は鶏卵のようなものであり、天の本体はまるくて弾丸のようである。地は鶏卵のなかの卵黄のようであって、孤立して内部に位置しているのである。天は大きくて、地は小さい。(卵の殻にあたる)天の表面と裏面には水がある。天が地を包んだ様子は、ちょうど卵殻が卵黄を包んでいるのと同じである。天と地は、どちらも気に乗ってしっかりと立っていて、水を載せて浮かんでいるのである」(張衡『渾天儀』(橋本敬造訳)、『中国天文学・数学集 科学の名著 2』、朝日出版社、1980、p.364)

と、宇宙球形説が採用されていました。
 鞠と宇宙では一見大きさが違いすぎではあるものの、たとえばボルヘスは「アレフ」で、

「階段の下部の右手のほうに、わたしはほとんど直視できないほどに光り輝く玉虫色の小さな球体を見た。最初、わたしはそれが回転しているのだと思ったが、やがて、その運動は球体が内包する目くるめく光景によって生みだされた幻覚であることが分かった。アレフの直径は二、三センチというところだろうか、しかし宇宙空間がそっくり原寸大のままそこにあった」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス、土岐恒二訳、「アレフ」、『不死の人』(新しい世界の短編 6)、白水社、1968、pp.244-245)

と語っていました。〈芥子納須弥〉(→「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」末尾のメモ)と言われるように、極微と極大は相互に嵌入しあってやまないかのようです(→こちら(同頁同項冒頭のメモ)も参照)。そうした大小の相互嵌入をバネにすれば、有限宇宙の形態にほかならない球は、『A-ko The ヴァーサス』(1990)・メモの頁で触れた(→こちらの2)、〈いたるところに中心があり、周がどこにもない球〉という無限宇宙に反転したりもするのでしょう。


2.ガブリエル・オロスコと球

 ところでたまたま読んでいた知人のエッセイで、メキシコの美術家ガブリエル・オロスコに触れていました。例によってまったく知らなかったのですが、10年前に東京で開かれた個展の図録を見る機会がありました(『ガブリエル・オロスコ 内なる複数のサイクル』展図録、東京都現代美術館/フィルムアート社、2015)。ぱらぱら繰っていると、『草迷宮』の手鞠変幻に通じると見えなくもないかもしれない、粗っぽい造りのテーブルが並ぶ、そこここに黄色い球が散らばった眺めの写真に出くわしたのでした(下左)。

「ブラジルの小さな町の市場で午後6時頃、床に落ちていた傷物のオレンジをもう一度台の上にのせ写真を撮った」(長谷川祐子、「無限の瞬間、虚空を開くもの」、同図録、p.167)

とのことです。オレンジは画面全体に対していずれも小さく、また離れてしか映っていないので、いくつもあちこちに置いて撮ったのにちがいないとして、逆に、分身の術よろしく一つのオレンジが同時にいくつもの地点に現われたのだとも、あるいは複数の時点が一枚の画面にたくしこまれているのだとも、見なすことができなくもないかもしれません。
ガブリエル・オロスコ Gabriel Orozco 《クレージーな観光客 Crazy Tourist》 1991
ガブリエル・オロスコ(Gabriel Orozco 1862- )
《クレージーな観光客》
 Crazy Tourist
1991年
Cプリント
40.6 x 50.8cm

Cf., 『ガブリエル・オロスコ 内なる複数のサイクル』展図録、東京都現代美術館/フィルムアート社、2015、p.11
ガブリエル・オロスコ Gabriel Orozco 《水の上のボール Ball on Water》 1994
ガブリエル・オロスコ
《水の上のボール》
 Ball on Water
1994年
チバクローム
40.6 x 50.8cm

Cf., 『ガブリエル・オロスコ 内なる複数のサイクル』展図録、東京都現代美術館/フィルムアート社、2015、p.21
 空の雲が映った水面に浮かぶ白い球の写真などもあります(上右)。「トラックのタイヤの内側のチューブで作ったゴムのボール」である《取り戻された自然》(1991)という作品も掲載されていました((同図録、pp.134-135。引用した説明は p.132)。平面の作品でも、しばしば円とその展開が組みこんであります(pp.64-71, 73-74, 76, 78-79, 96-107, 136, 140, 142-143)。
 図録に掲載されたブライオニー・ファーによるインタビューは「球体、複数の輪、恒久運動 - 土星に魅せられて」と題されており、その中でオロスコは、「円や球体、中心といったことに対して、いつからはっきりと関心を持ち始めたのでしょうか?」(p.118)という質問に答えて、

「子どもの頃から惑星のことが大好きで、土星に夢中でした。土星は、ボール型の単体の惑星であるだけでなく、複数の輪がその周りを回っています。恒久運動ということと、球の形をした単体という両方の要素があることに魅了されていました」(p.120。インタビューの前後に訳者は記されていないようです。奥付に邦文英訳も含む図録全体の翻訳として、「有限会社フォンテーヌ/アムスタッツ コミュニケーションズ/難波祐子」とありました)

と語っています。ちなみに先に触れたデューラーの《メレンコリアⅠ》に関連してパノフスキーは、「土星のヒューマニズム的称揚」と関連づけていました(前掲『アルブレヒト・デューラー - 生涯と芸術 -』、p.167)。もっともオロスコの土星は、〈憂鬱質(メランコリー)〉とはあまり関係がなさそうです。他方先に触れた宇宙球形説と土星との間に、

「林檎は一個の小宇宙なのであって、その数ある種の内で、一番熱いのが太陽であり、その太陽は廻りに熱を発散し、小宇宙を保つのです」(シラノ・ド・ベルジュラック、伊東守男訳、『月と太陽諸国の滑稽譚』(ハヤカワ・SF・シリーズ 3178)、早川書房、1968、p.16/「月の巻」)

というシラノの〈宇宙=林檎説〉を配し、先に触れたように芥子が須弥山を納めるのであれば、林檎を芥子に、そしてオレンジや水の上の白い球と置き換えることもできるのではあるまいかといっては、こじつけに過ぎるでしょうか。

 ともあれオロスコはまた、

「画家というのは、消失点を考えて制作し、平面と抽象、自分の目の前にあるものを扱います。一方で彫刻的なものの見方は、地面との関係、床面から上のことを考えます。天体のことを考えると、消失点と重心の二つをミックスする必要があります。それによって動きが生まれます。軌道運動や遠心運動、ある種の渦のようbな運動です。従って球体や円というものが、おそらく消失点と重心の両方を見せる上でベストな手段なのかもしれません」(pp.130-131)

と、興味深い指摘も行なっていました。とはいえ跳ねる鞠というここでの流れからすれば、最初の引用の少し後で、

「いろんなボールが好きで、その跳ねる様子や、動き続けることが気に入っていました」(p.120)

と述べていたことを引いておくべきでしょう。


3.新興写真と球

 ところで《水の上のボール》は、たとえば坂田稔の《無題》(下左)を連想させたりもします。坂田には《球体について》(1939/昭和14年)という写真もありますが(『造型写真 1934-1941 坂田稔作品集』、あるむ、1988、図7.)、これは球ではなく、半分に割った卵形の虎豆を真横から撮影したものでした。
 正味の球を撮ったものも他にあって、その内の二点では、白い球のすぐ向こうに、暗い球がのぞいています(同上、図1、2;下右)。オロスコの《水の上のボール》における、白い球と水面に映った影の球の対と比較できるでしょうか。この他、同上の図11でも球が登場しました。
坂田稔 《無題》 1940(昭和15)
坂田 稔(1902-1974)
《無題》
1940(昭和15)年
ゼラチン・シルバー・プリント
56.6 x 46.9cm

Cf., 『日本写真全集 3 近代写真の群像』、小学館、1986、p.118/図112
 『造型写真 1934-1941 坂田稔作品集』、あるむ、1988、p.9
 『名古屋のフォト・アヴァンギャルド』展図録、名古屋市美術館、1989、p.24/cat.no.11
 『日本のシュールレアリスム 1925~1945』展図録、名古屋市美術館、1990、p.196/cat.no.c-37
 『日本の抽象絵画 1910-1945』展図録、板橋区立美術館、岡山県立美術館、姫路市立美術館、京都府京都文化博物館、北海道立函館美術館、秋田市立千秋美術館、1992、p.137/cat.no.229
 『20世紀日本美術再見 1940年代』展図録、三重県立美術館、2015、p.115/cat.no.4-1-40

坂田稔 《題名不詳》 撮影年不詳
坂田 稔
《題名不詳》
撮影年不詳
ゼラチン・シルバー・プリント
56.6 x 46.9cm

Cf., 『造型写真 1934-1941 坂田稔作品集』、あるむ、1988、図2
 完全形態としての円/球という古代ギリシアの見方につながるのかどうか、円や球はさまざまな形態の元になるもの、いわば基本的な元素の一つと捉えられていたのでしょう。たとえば、小野里利信の《切断された円》(1937)、《一ツの朱の丸》(1939)、《朱と黄の丸》(1940)、《黒白の丸》(1940)**などなどをはじめとして、同時期の抽象絵画にも、円ないしそれに準ずる形を組みこんだ作例が、少なからず見られます。
 いずれにせよそもそも、絵画なり写真なり、モデルとなったヨーロッパの潮流から想を得てきたはずです。この点は、坂田稔も含んで、同時期の〈新興写真〉でも同様でしょう。
** 下掲 cf. の『日本の抽象絵画 1910-1945』展図録、pp.113-115/cat.nos.188-191。
 また、
 『抽象への道 オノサト・トシノブ画文集』、新潮社、1988、pp.13, 19
 『オノサト・トシノブ展』図録、練馬区立美術館、1989、cat.nos.1-3
 『抽象のパイオニア オノサト・トシノブ』展図録、群馬県立近代美術館、2000、cat.nos.5, 7. 8, 10

 オノサト・トシノブは戦後の作品でも円を画面作りの要としていました。この時期の作品について→「日本の幾何学的抽象をめぐる覚書 - 四角はまるいかⅡ -」の「2-2」でも触れました。
 
 中山岩太は1938(昭和13)年頃、卵をモティーフにした写真を何点か撮っています。他方右に載せた《無題》では、斜めに傾けた木の板をほぼ真上から見下ろし、板の上に二つの球があります。双方影を落としていますが、左の小さな球は宙に浮いているように見える。下方で斜めに横切る波線は、フィルムに操作を加えたものでしょうか。

 松原重三の下左の作品は、いかにも幾何学的構成然とした趣ですが、上下辺近くのモヤモヤが虚空に浮遊しているかのような感触を潜りこませています。
 他方下右の作品では、白っぽい布地の上にテニスボールを二つ置き、低い角度で下左寄りから強い光をあてている。そのためボールの影が上へひずんでいます。ラケットは影だけです。停止しているのにある種のスピード感が暗示されており、中山岩太の宙に浮く球ともども、鞠が跳ねるという本頁のお題にふさわしいと見なせなくもないかもしれません。
 
中山岩太 《無題》 1930-45(昭和5-20)年
中山岩太(1895-1949)
《無題》
1930-45(昭和5-20)年


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松原重三 《無題》 制作年不詳
松原重三(1900-1962)
《無題》
制作年不詳
ゼラチン・シルバー・プリント
51.3 x 43.55cm
芦屋市立美術博物館

Cf., 『日本の前衛 - Art into Life 1900-1940』展図録、京都国立近代美術館、水戸芸術館現代美術センター、1999-2000、p.112/cat.no.117、p.293
松原重三 《無題》 制作年不詳
松原重三
《無題》
制作年不詳
ゼラチン・シルバー・プリント
45.5 x 37..5cm
芦屋市立美術博物館

Cf., 『日本の前衛 - Art into Life 1900-1940』展図録、京都国立近代美術館、水戸芸術館現代美術センター1999-2000、p.113/cat.no.116、p.293
 
2025/05/29 以後、随時修正・追補
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