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『Meigaを探せ!』より、他・出張所
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■ 韓国のTVドラマ『ダリとカムジャタン~真逆なフタリ~』(2021、全16話、演出:イ・ジョンソプ)のタイトルの「ダリ」は、シュルレアリスムの画家サルバドール・ダリではなく、女性主人公キム・ダリ(パク・ギュヨン)の名前です。韓国の女性の名前で「ダリ」というのがよくあるのかどうか、不勉強のため詳らかにしませんが、第1話で彼女が、日本語字幕では(以下同様)、 「サルバドール・ダリと同じ名前です」(約26分) と話す場面がありました。この時点で話し相手の男性主人公チン・ムハク(キム・ミンジェ)は美術関係者と見なされており、それを前提に、サルバドール・ダリとの名前の一致が興をそそるだろうと考えての台詞なわけです。その前の段でキム・ダリ自身、オランダの美術館に勤務する研究員ないし学芸員であることが描かれていました。ことほどさようにドラマは美術と大いに関係があるのでした。ただしサルバドール・ダリについては、後に触れるもしかしてという箇所を除けば、直接出てくることはありません(ダリに関して→「オペラ座の裏から(仮)」の頁の「3-7. テアトロ・オリンピコ、他」も参照)。 追補(2024/12/18):例によってまるっきり気がついていませんでしたが、ウェブ・ページ 「【本当におすすめできる】オシャレでかわいいロマンチックコメディ『ダリとカムジャタン~真逆なフタリ~』」 2024.8.6/9.19 ( < コラム < Kboard ) 中の「サルバドール・ダリを彷彿させるヒロイン、ダリの前髪」の項に、 「タイトルバックにあるダリとカムジャタンの”ダ”の部分には、サルバドール・ダリの作品である『記憶の固執』のグニャリと歪んだ時計がかけられています」 と述べられていました。下左がタイトルのカットで、下右はその部分。左端の大きな黒い文字に引っかかっている白っぽい円形時計盤がそうなのでしょう。 |
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他方「カムジャタン」は、日本語ウィキペディアの該当頁(→こちら)によると、 「甘藷湯(カムジャタン)とは、朝鮮半島の鍋料理の一つ。 カムジャはジャガイモ、タンはスープの意味。直訳するとジャガイモのスープになるが、ジャガイモのスープはカムジャククといい、カムジャタンは『豚の背骨とジャガイモを煮込んだ鍋』を示す」 とのことです。オープニング・クレジットでタイトルが表示された直後、3カット調理しているところが映されるのが、カムジャタンなのでしょう、たぶん。食する場面も何度か出てきますが、ムハクは第1話での初登場時、 「低価格で満腹になる庶民のための料理」(約9分) と豪語して譲りませんでした。 ■ さて、本作の主な舞台の一つは、韓国のチョンソン美術館という架空の私立美術館です。その館長だった父親が急逝したため、ダリが跡を継ぐことになるのですが、その顛末や如何というのが、このドラマの大筋にほかなりません。 検索してみたところ、本作のロケ地を特定したウェブ・ページいくつかに出くわしました; 「韓国ドラマ『ダリとカムジャタン』ロケ地 その1」、2023年12月03日 < 『今日も明日も明後日も…笑顔で暮らそ(*^。^*)』 「韓国ドラマ『ダリとカムジャタン』ロケ地 その2」、2023年12月06日 < 同上 「韓国ドラマ『ダリとカムジャタン』ロケ地 その3」、2023年12月10日 < 同上 「ダリとカムジャタンのロケ地は?撮影場所を一覧で紹介します!」、2024年3月7日 < 『パンチャパンチャ K-POP!』 |
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チョンソン美術館の正面外観(右上)はソウル近郊の京幾道・ 屋内(右下、下左右)はセットとも、京畿道・坡州市にあるミメシスアートミュージアム Mimesis Art Museum ともされます(→公式サイト)。 とまれ第1話ではダリが 「規模は小さいけど ゴッホ スーラ セザンヌ ゴーギャンなど 韓国人の好きな画家の作品」(約1時間0分) を所蔵していると説明するくだりがありましたが、本篇中で映ったのは、後に触れるルドンを除いて、もっぱらいわゆる現代美術系の作品でした。 |
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残念ながら不勉強のためどういった作家の作品なのかはわからずにいるのですが、唯一見当のついたのが、屋外に設置されていた草間弥生のカボチャです(右)。 | |||||||||||||||||||
チョンソン美術館では展示室以外にも館長室、あるいは館外の随所で現代ものの作品が見られますが、ここでは、ムハクの自宅に飾ってあった、拡大された5万ウォン紙幣を挙げておきましょう(右)。赤瀬川原平の《模型千円札》(1963)が連想されるところですが、これもそうした作品なのでしょうか? それともムハクがお金好きだからというので、単にお札を大きくしただけなのか? | |||||||||||||||||||
■ 第1話が始まった時点では、舞台はオランダでした。ある美術館に勤めていたダリが、空港で出迎えたムハクを伴い、「ブロンクホルスト・コレクション」のパーティーに出席します。ブロンクホルストの自宅なのか展示およびパーティーのために借りた施設なのか、ずいぶんピカピカのお屋敷で(下右)、ダリはムハクに、 「1700年代の農家を現代的に改築したとか」(約29分) と伝えます。全羅北道・任実郡聖寿面にある |
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入って大広間だか展示室だかパーティー会場に飾られた絵には、見憶えのあるものがぼちぼちありました。下左の視野で、奥のやや左寄りには クリムトの《音楽 Ⅰ》(1895年、ノイエ・ピナコテーク、ミュンヘン→公式サイトの所蔵品頁) が見えます(下右)。 |
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右の場面では奥に ドラクロワの《サルダナパールの死》(1827年、ルーヴル→公式サイトの所蔵品頁)。 原作は 392x496cm なので、縮小版となりましょうか。 さらに、下左の場面では右奥に フェルメールの《牛乳を注ぐ女》(1657年頃、アムステルダム国立美術館→日本語ウィキペディアの該当頁)、 下右は レオナルド・ダ・ヴィンチの《白貂を抱く貴婦人》(1490年頃、チャルトリスキ美術館、クラクフ→日本語ウィキペディアの該当頁) と、あまりに著名な作品の目白押しで、これはないやろとの感なしとしません。 |
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右は モネの《睡蓮》(1905年) で、日本語版ウィキペディアの該当頁(→そちら)中の「『睡蓮』作品一覧」で、カタログレゾネ番号が w.1672、所在不明の作品にあたります。 |
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下左の奥に見えるのは、細かいところまでわからないのですが、 ルノワールの《庭にいる日傘をさす女性》(1875年、ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード→公式サイトの所蔵品頁)(1) (1) 中山公男、『ルノワール リッツォーリ版世界美術全集 17』、集英社、1973、pp.109-110/cat.no.199 Guía del Museo Thyssen-Bornemisza, Fundación Colección Thyssen-Borinemisza, 1994, p.105 / no.724 ではないかと思われます。少し前、玄関から展示室に入る途中に(下右の右端)、 ルノワール、《姉妹(テラスにて)》(1881年、シカゴ美術館→公式サイトの所蔵品頁)(2) (2) 中山公男、前掲書、pp.121-122/cat.no.471 も飾ってありました。 |
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パブリック・コレクション蔵の有名作が多すぎてリアリティを損ないもしよう、これらの作品を選択した基準も気になるところですが、この段で肝になったのは、次の二点です。 | |||||||||||||||||||
一点は豚を描いた絵で(右)、ブロンクホルスト夫人は 「私の祖母が描いた絵です。 趣味で」(約37分) と漏らしていましたが、TVの画面で見るかぎりでは、けっこう丁寧に仕上がっているように思われます。 この絵を前にムハクは滔々とまくしたてるわけですが、そこで語られたことに根も葉もあるのだとすると、もしかして、脚本作成にあたって豚の病気について参照した資料に、この絵ないし元になった視覚資料も掲載されていたのかもしれません。 |
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ダリがパーティーへの出席を肯んじたのは、モディリアーニの作品が出ているかもしれないと聞いたからで(約3分)、そこで登場したのが右の絵です。まじまじと見入ったダリはしかし、本作が贋作で、エルミア・デ・ホーリーが描いたものと喝破します(約41分)。 | |||||||||||||||||||
エルミア・デ・ホーリー(ド・ホーリィ Elmyr de Hory, 1906-1976)については、 クリフォード・アーヴィング、関口英男訳、『贋作』、早川書房、1970 原著はClifford Irving, Fake!, 1969 で詳しく取りあげられており、本作とは異なりますが、モディリアーニ《ジャンヌ 『オーソン・ウェルズのフェイク』(1973、監督:オーソン・ウェルズ) にはエルミア本人が、アーヴィングともども大々的に登場します。 『ダリとカムジャタン』に出てきた絵に戻ると、モディリアーニの真作で図柄が近いのは、 《帽子とネックレスをつけたジャンヌ・エビュテルヌ Jeanne Hébuterne with Hat and Necklace 》(3)、1917、個人蔵 →英語版ウィキペディアの該当頁 (3) 島田紀夫、『モディリアーニ リッツォーリ版世界美術全集 24』、集英社、1975、p.100, p.102/cat.no.174 でしょうか。ただし『ダリとカムジャタン』の絵は左右が反転しており、原作では右下にあるサインが右上に移っています。こうした画面がモディリアーニなりエルミアにあるのかどうかはわかりませんが(編集時点での油彩総目録である上掲リッツォーリ版には出てこない)、もしかしてこの場面のために、モディリアーニの上記作品の画像を左右反転、サインの位置を移動して製作したのかもしれません。すぐ後でキャンヴァスに穴を開けてしまうのは、「Meigaを探せ!」より、他・目次頁中の『ウェイ・ダウン』(2021)のところで触れた(→あちら)、『ビーン』(1997、監督:メル・スミス)でのホイッスラーの《母の肖像》(1871、オルセー美術館)をめぐる顛末が連想されたりもします。 ■ 戻って第1話の冒頭、オープニング・クレジットが終わり、第1話のタイトルが表示されるのと地続きで、斜めになったカメラが、絵のかかった壁を7カット、撫でていきます。美術館らしき施設です。最後の2カットでカメラが真っ直ぐになったと思ったら、白手袋をはめた手が一対、両側から額絵を壁にかけるだか整えるだかする(下左)。この施設はオランダの「セイントミラー美術館 St. Miller Kunst Galerie 」と後に表示されます(下右)。美術館の外観は仁川のパラダイスシティ プラザというショッピング・センターとのことでした。 |
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さて、本篇のしょっぱなで大映しになった絵は、ルドンの《キュクロープス》(1914頃)にほかなりません(右)。この作品はたまたま、個人的なことではありますが、卒業論文で引きあいに出したことがあったりしたので(→「ギュスターヴ・モローに就いて」の頁の「結び」)、どどんと出てきた時には、思わずずずいと膝を乗りだしてしまったことでした。 ちなみにこの作品は、やはりオランダのクレラー=ミュラー美術館が所蔵しています(→公式サイトの所蔵品頁)。ダリの当初の勤務先がオランダだという設定と、何か関連があるのでしょうか? |
ルドン(1840-1916) 《キュクロープス》 1914頃* * 画像の上でクリックすると、拡大画像とデータを載せた頁が表示されます(*をつけたものは以下同様)。 |
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ともあれ先の場面では、館長がやって来て、ダリの居所を尋ねます。そしてダリの初登場へとつながるわけですが、この時点でルドンの絵は、とりたててお話の内容とは関係ありませんでした。その割りにはでかでかと映ったなと思ってはみたものの、そんなことも忘れた第9話になって、《キュクロープス》は再登場します。 | |||||||||||||||||||
とはいえ薄暗い中、視野はひずんでいる(右)。ダリが見る夢の場面で、絵に向かいあうのは子供の頃のダリです。場所はチョンソン美術館で、背後に大人たちが立っています。ただしその顔はいずれものっぺらぼうでした。 | |||||||||||||||||||
大人のダリも現われますが、やはり顔はない。まわりには大きな眼がいくつも浮かんでいます(右)、涙なのか血なのか、黒い液体が垂れ落ちようとしている。 | |||||||||||||||||||
浮遊する眼で当初連想したのが、サルバドール・ダリでした。何かあったっけと探してみて出くわしたのは、映画『白い恐怖』(1945、監督:アルフレッド・ヒチコック)中の悪夢の場面のためのデザインです(下左)(4)。 (4) Cf. 『生誕100年記念 ダリ回顧展』図録、東京・上野の森美術館、2006-2007、pp.122-123/cat.no.43 ヒッチコック、トリュフォー、山田宏一・蓮實重彦訳、『定本 映画術』、晶文社、1981/1990、pp.155-157/第8章 |
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もっとも浮遊する眼は、キュクロープスの一つ目が独立したものだと解すれば、イメージはつながると見なすこともできるでしょう。『白い恐怖』が確実に発送源とはいいきれない。ただ『白い恐怖』の悪夢にも、一人だけですが、顔のないのっぺらぼう
- 「賭博場の主」 - が登場します(下右)。夢であることもあわせれば、相通じる点が三つになるわけですが、どうなのでしょうか? また夢の場面はいかにも意味ありげではあるものの、この時点ではどんな位置づけになるのかはわかりません。それには第11話を待たねばなりませんでした。 第11話ではダリの幼い頃の出来事が描かれます。孤児だったダリは施設から美術館の見学に行く。チョンソン美術館です。 |
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展示室で独立した壁に飾られた《キュクロープス》の前で泣いているダリに、館長が 「一つ目の怪物が怖い?/退治してあげようか?」 と声をかけます(右)。退治とはどうするつもりだったのか、気になるところですが、ダリは 「だめです/やめて/かわいそうでしょ/この子は -/誰からも愛されてない/私みたいに」 と訴える。 |
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ことほどさように《キュクロープス》はダリにとって重要な意味を持っているという設定なのでした。当初気がついていなかったのですが、顧みれば毎回のオープニング・クレジットで、ダリ役のパク・ギュヨンのところで、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》(1665年頃、マウリツハイス美術館)をやはりなぜか左右反転した活人画を取り巻く小さな画面の内、向かって右端が《キュクロープス》でした(下左。ちなみに活人画の上にはモディリアーニ贋作の下半)。またオープニング・クレジットの最後、各話のタイトルが表示されている箇所の内、第7話と第15話分で、向かって左側の壁に、やはり《キュクロープス》が斜めに映っています(下右)。 | |||||||||||||||||||
本篇中にも《キュクロープス》の出番はまだあります。第14話では、ダリではなくなぜかムハクの空想で、やはり独立した壁に飾られた《キュクロープス》の前に立つ女性にムハクが近づいていきます(右)。ムハクがなぜ《キュクロープス》を知っているのかは謎です。ただ最終回第16話のエピローグを予告する形になっているとは見なせるでしょうか。 | |||||||||||||||||||
かくして最終回のエピローグ、白手袋をはめた両の手が壁の《キュクロープス》の位置を調整しています(上左)。第1話冒頭の、《キュクロープス》初登場時をなぞっているわけです。今回はダリ自らの作業です。この大きさの絵を一人で壁にかけるとは考えにくいので、少し斜めにかかっていたのを直したといったところでしょうか。 第11話の時もそうでしたが、まわりの作品は現代美術系のもので(上右)、それらとぶつかりあわないよう、落ち着いた色の独立した壁に一点だけ配したのでしょう。 それはともかく、第1話でのオランダの「セイントミラー美術館」が《キュクロープス》の所蔵者という設定だとすると、第11話の時もそうでしたが、チョンソン美術館での企画展のために借用したということでいいのでしょうか。ルドンと現代美術が入り交じる、どんな企画だったのか、気になったりもします。あるいはチョンソン美術館の所蔵品で、第1話ではセイントミラー美術館が借用していたという設定も考えられなくはありませんが、その場合ダリがチョンソン美術館長の娘だという話がまったく出てこないのも不自然といえなくもないかもしれません。セイントミラー美術館がまた別の所蔵者から借りていたという場合も考えられますが。 ◇ それ以上に何より、なぜルドンの《キュクロープス》がスタッフたちによって選ばれたのか。第11話での幼いダリの言葉に見合うものということで、いろいろ探す中で出くわしたのか、それともこの絵を使おうと最初から決めてあって、そこから絵柄に合いそうな話が紡がれたのか。 ところで、フランケンシュタインの怪物にこそふさわしそうなダリの見方は、ルドンの怪物をあまりに人間に引き寄せすぎているような気もしなくはない。ルドンが描くキュクロープスは、悲哀やあるいは歓喜といった、人間的とされる感情とは無縁に、ただぬぼっと、出現していはしないでしょうか。 オウィディウスの『転身物語』巻十三によると、るキュクロープスの一人ポリュペーモスは、海の精ネーレーイスのガラテイアに叶わぬ恋をします(750-897行、オウィディウス、田中秀央・前田敬作訳、『転身物語』、人文書院、1966、pp.479-485)。綿々たる訴えからは、滑稽さと同時に、オウィディウスの共感を読みとることもできそうな気がします。 |
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その点でオウィディウスのポリュペーモスは人間化されているわけですが、他方ニュアンスは異なるものの、ルドンの出発点であろうモローの《ガラテイア》サロン出品作(右)では、ポリュペーモスが一つ眼ではなく、インドのシヴァ神よろしく、額に第三の眼を持つものとして描かれています。後の水彩版でも同様でした(下左)。これはポリュペーモスを届かぬ理想に思いをいたす、ロマン主義的な〈詩人〉と解したためなのでしょう。モローにはポリュペーモスを単独で描いた水彩もあって(下右)、そうした相はいっそう強調されています。 | モロー(1826-98) 《ガラテイア》 1880* |
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モロー 《ガラテイア》 1896頃* |
モロー 《ポリュペーモス》 1880頃* |
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他方ルドンのキュクロープスは、ほぼ真ん丸な頭部に大きな一つ眼が開かれ、山裾の向こうからぐにゅっと回りこむように突きだす動勢が、周囲に淡く明るめの色彩が散らされていることと相まって、画面全体に波及しています。そのため一つ眼巨人であれ目鼻立ちを欠いた女性であれ、具体的な感情を読みとらせるよりも、動きを孕んだ空間として開花することになります。 ところでルドンには、単独の目玉を描いた作例がいくつもあります。やはりモローの《出現》(→本サイト内画像とデータの頁)から出発したであろう《ヴィジョン》(下1段目左)、気球と化した眼(下1段目右)、植物の花として開いた眼(下2段目左)などなど。花=眼の作品を含む石版画集『起源』(1883)には、一つ眼巨人の姿を描いた画面もありました(下2段目右)。 |
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ルドン 『夢のなかで』 1879 《Ⅷ ヴィジョン》* |
ルドン 『エドガー・ポーに』 1882 《Ⅰ 眼は奇妙な気球のように無限に向かう》* |
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ルドン 『起源』 1883 《Ⅱ おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》* |
ルドン 『起源』 1883 《Ⅲ 不格好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた》* |
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『起源』の《Ⅱ おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》からは、 アンドリュー・パーカー、渡辺政隆・今西康子訳、『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』、草思社、2006 が思いだされたりもします。 ともあれいずれも真ん丸な球に真ん丸な眼球が配され、感情などを読みとりようもない。またここで挙げた四例では、皆上を向いているのも興味深いところです。このあたりはいろいろ研究されていることでしょうが、たとえば Catalogue de l'exposition Odilon Redon. Prince du Rêve 1840-1916, Grand Palais, Galeries nationals, Paris, Musée Fabre, Montpellier, 2011, p.126 / cat.no.24 では《眼=気球 Œil-ballon 》の木炭画版(1878、ニューヨーク近代美術館)の解説で(引用文中の《最初の視覚》とあるのは『起源』の上掲《Ⅱ》、《一つ目巨人》は同じく《Ⅲ》)、 「空気よりも軽く、気球は上昇運動を遂行する。この運動は《最初の視覚》と《一つ目巨人》での眼の向きによって表わされている。ルネサンス以来のキリスト教図像学における殉教者たちの眼のように、天に向けられている。ものを見る器官は、ルドンにとって視覚と同時に内的な幻視を表象し、生物学的・芸術的・霊的な進歩へと駆動する機関なのだ」 と述べられています。ルドンには《眼をとじて Yeux clos 》と題した一連の作品があります(たとえば『ルドン展 - 絶対の探求 -』図録、島根県立美術館、岐阜県美術館、2002、pp.96-98 / cat.nos.120-124 など)。見開かれた眼と閉じた眼はある意味で同じことを表わしているのでしょう。なお伏せられた眼や眠りのモティーフは、モローや象徴主義の作品などに広く見出せます。 Hans H.Hofstäatter,‘L'iconographie de la peinture symboliste’, Catalogue de l'exposition Symbolisme en Europe, Paris, 1976, pp.14-15 など参照。また→『ギュスターヴ・モロー研究序説』(1985)[6]の頁の「Ⅱ-3 伏せられた眼」など。 〈眼〉のさまざまなイメージについては、 高山宏、「目の中の劇場 ゴシック的視覚の観念史」、『目の中の劇場』、青土社、1985、pp.78-79/図2-6 でルドンの《ヴィジョン》を含む作例が5点挙がっていましたが、さらに、著者が訳した フランシス・ハクスリー、高山宏訳、『眼の世界劇場 - 聖性を映す鏡 イメージの博物誌 17』、平凡社、1992 なども参照ください。ルドンの上掲《最初の視覚》(p.4)に《ヴィジョン》(p.51)、「オペラ座の裏から(仮)」の頁の「4-2. ブレー、ルドゥー」(→ここ)に載せたルドゥーの《ブザンソンの劇場の屋内を映す目》(1804)なども掲載されていますが(p.93)、ここでは pp.32-33 で見られるヤン・プロフォストに触れておきましょう(下右)。 画面上辺沿い中央に金色の後光を放つ大きな眼、その真下には青みがかった球が巨大な手の上に載っている。球の上半右寄りにあるのは眼球でしょうか、それとも月か? さらに下がって下辺沿い中央にも、すぼめたような眼が配されています。下の眼の後光からは、二本の手が真上へ差しあげられている。 |
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ジャック・デリダ、鵜飼哲訳、『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』、みすず書房、1998 中のイズー・セヴラックによる図版解説には、 「時に意味が取りにくい象徴記号がふんだんに盛り込まれた図像はおそらく、最後の審判を指しているのであろうが、その行文が必ずしも明示されている訳ではない。剣を手にしたキリストはたぶん審判を暗示し、女性像は『新しきエルサレム』を表している。眼の存在は説明しがたい。画面上方の眼は知恵の眼差しであり、半ば閉じられ、手が伸びている眼は、創造者へと向けられた人間の魂なのではないか」(p.173/図69) と記されていました。 |
ヤン・プロフォスト(1470頃-1529) 《神の眼の下の宇宙、および審判者キリストと教会/キリスト教的寓意》 1510-20頃* |
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現実の空間ではありえないであろう眼や球、手の配置は、「神学的な意味内容が今一つ謎に包まれたまま」(同上)であることと相まって、たしかに不思議な印象を与えることでしょう。ただ、現実にはありえない配置だからこそ、眼や球、手は特定の意味を担った記号として、くっきり離した特定の位置に配分されているように見えます。記号と意味を結ぶコードが失なわわれたか、あるいは仮に、そんなものはそもそも存在しなかったのだとしても、構図全体は、記号の離散的な布置ゆえ、記号と記号を組みあわせることで得られる、何らかのメッセージを伝達すべき、それ自体「行文」であるかのように受けとめられることになります。 複数のモティーフを併置させるこうしたプロフォストの構図に比べると、ルドンの先の諸画面は、黒の肌理と分かちがたく一体化していることと相まって、著しく集中的な性格を示しています。やはり何らかの意味を担っているいないにかかわらず、構図の集中性ゆえ、意味づけに置き換えられ、そのことで自身は意味の背後に退いてしまう記号としてではなく、イメージはそれ自身であるままに立ち現われようとするのではないでしょうか。 |
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ともあれ《キュクロープス》における一つ眼巨人は、目の形こそ真ん丸ではないものの、ルドンのこうしたイメージの系譜に連なっているわけです。 そこからはまた、直接の関係はあるのかどうか、水木しげるの『墓場の鬼太郎』中の「妖怪大戦争」(1966/昭和41年)(5)に登場したバックベアードと比較することもできましょうか。 鬼太郎といえば、「鬼太郎の誕生」(1966/昭和41年)(6)以来のレギュラー・キャラクター「目玉おやじ」もいました。 そもそも「地獄」(1965/昭和40年)(7)では、ルドンの《眼=気球》をそのまま借用かつ増殖しています(下左)。 《眼=気球》は黒い球を白っぽくして、『がんばれ悪魔くん』(1976/昭和51年)中の「悪魔メフィスト」(8)でも見られました(下右)。 |
(5) 水木しげる、『墓場の鬼太郎 1 = 鬼太郎の誕生 = 』(小学館文庫 521)、小学館、1976、pp.153-205 (6) 同上、pp.3-47 (7) 水木しげる、『魍魎 貸本・短編名作選 地獄・地底の足音』(HMBホーム社漫画文庫 M 6-5)、集英社、2009、pp.5-132。《眼=気球》は pp.71-72、74-78、111 に登場。また「眼=気球」 < [水木しげる元ねたコレクション]も参照。 (8) 水木しげる、『がんばれ悪魔くん 1』(パワァ コミックス PC040)、双葉社、1976、pp.78-163:「悪魔メフィスト」(『悪魔くん(全)』(ちくま文庫 み 4-14)、筑摩書房、1991 に再録)。《眼=気球》の変奏は pp.134-135、139-140 に登場(19991年版でも同じ)。 |
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水木しげる 「地獄」 1960/昭和40年(『魍魎』 p.71) |
水木しげる 「悪魔メフィスト」(『悪魔くん(全)』 1991)、p.135 |
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また、たとえば「鬼太郎の誕生」にはボスの《聖ヒエロニムス》(1485-95頃、ゲント美術館)によるコマ(9)がありました。続く頁には見開きでバベルの塔が描かれています(10)。ブリューゲルの二点でもルーカス・ファン・ファルケンボルフなどの作品に基づくのでもないようですが(11)、何がネタがあるのか、それを変奏したのか、あるいはオリジナルなのでしょうか? 数多い水木しげるの著作で見る機会のあったのはほんの一部なのですが、こうした他の画家の作品によるものもいろいろあって、(7) に挙げたウェブサイトで指摘されていますので参照ください。 |
(9) 上掲『墓場の鬼太郎 1 = 鬼太郎の誕生 = 』、p.17。「聖ヒエロニムス」 ( < (7)上掲[水木しげる元ねたコレクション])参照。 (10) 上掲『墓場の鬼太郎 1 = 鬼太郎の誕生 = 』、pp.18-19。図柄は異なりますが、「バベルの塔」( < (7)上掲[水木しげる元ねたコレクション])も参照。 (11) Cf. 高橋達史、「バベルの塔 - その造形表現と象徴性」、『ボイマンス美術館展 - バベルの塔をめぐって -』図録、セゾン美術館、1993、pp.19-27 など |
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バックベアードといえば、『巨大目玉の怪獣 トロレンバーグの恐怖』(1958、監督:クエンティン・ローレンス →「カッヘルオーフェン - 怪奇城の調度より」の頁の「追補」でも触れました)に登場する宇宙生物は、血管だか皺の浮きでた袋状の体躯に、一つ眼と触手を有するという形状でした(右)。こうした例はまだまだ見出せるのでしょう。 | |||||||||||||||||||
一つ眼のイメージについては、ハクスリーの上掲書とともに、柳田国男の「一目小僧」(1917/大正6年)などを横目に見ることもできるかもしれません。その中に、 「一目小僧の目のあり処についても、考えてみればまた考える余地がある。通例絵に描くのは前額の正面に羽織の紋などのようについており、自分もまたそう思っているが、それではあまり人間ばなれがして、物をいったとか笑ったとかいう話と打ち合わぬのみならず、第一に眼といえば眼頭と眼尻があるはずであるが、左右どちらを向けてよいかも分らぬ。それだからなみ外れて (東雅夫編、『柳田国男集 幽冥談 文豪怪談傑作選』(ちくま文庫 ふ 36-6)、筑摩書房、2007、pp.245-246/5節)、 「ただ妖怪だからどんな顔をしていてもよいようなものの、人間の形である以上は、顔の真ん中に円が一つということはあるまじきように思われ、ことによると以前はこれも山神の眷属にして、 というくだりがありました。「真円な眼」・「顔の真ん中に円が一つ」から「 ◇ ガラテイアとは、ピュグマリオーンによる彫像で、後に人間となった女性の名を指すこともあるようですが、今回ひもといてみればオウィディウスには現われず(上掲『転身物語』、pp.352-355/巻10、270-297行)、高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』(1960)の「ガラテイア」の項(p.100)にも「ピュグマリオーン」の項(p.206)にも記されていませんでした。あれれというわけで検索したところ、日本語版ウィキペディアの「ピュグマリオーン」の頁(→そこ)の「影響」の項に、 「像にガラテアという名前が与えられたのはルソーの作品が最初である」 とありました。ルソーの作品というのは戯曲『ピュグマリオーン』(1762/1770年、1809年初演)とのことです。この戯曲については、「怪奇城の画廊(中篇) - 映画オリジナルの美術品など」の「プロローグ」で挙げた(→あそこ) 種村季弘、『怪物の解剖学』(種村季弘のラビリントス)、青土社、1979、pp.177-194:「ピュグマリオンの恋」、pp.184-187 ヴィクトル・ストイキツァ、松原知生訳、『ピュグマリオン効果 シミュラークルの歴史人類学』、ありな書房、2006、pp.201-209/第5章1 なども参照ください。 ともあれルソー以前にガラテイアなりガラテアと聞いて、ネーレーイスのことと取っていいのかどうかはわかりませんが、西洋美術史で真っ先に思い浮かぶのは、ローマのヴィッラ・ファルネジーナのためにラファエッロが描いた壁画ではありますまいか(下右)。それはよいとして、ただ、画題であるガラテイアの勝利だか凱旋がどういったことを指すのか、考えてみれば気にしたことがなかったのでした。 深田麻里亜、『ラファエロ - ルネサンスの天才芸術家 カラー版』(中公新書 2614)、中央公論新社、2020 によると、描かれているのがネーレーイスのガラテイアなのはその通りだとして、 「こうした古代の詩に霊感を得て、メディチ家に仕えた詩人アンジェロ・ポリツィアーノ(1454~94年)は、『ジュリアーノ・デ・メディチ殿の馬上槍試合に捧げるスタンツェ』(1494年)を制作した。ヴィッラ・ファルネジーナの絵画は、このポリツィアーノの詩をヒントに制作されたとみなされているのである」(p.123/第3章) だそうです。そしてラファエッロの作品がある同じ壁面の向かって左に、ポリュペーモスを描いたセバスティアーノ・デル・ピオンボの作品も(下右)、柱をはさんで隣りあっています。日本語版ウィキペディアの該当頁(→こちら)や同じくヴィッラ・ファルネジーナの頁(→こちらの2)で、双方の作品が一枚に映った壁の写真を見ることができます。 |
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セバスティアーノ・デル・ピオンボ(1485頃-1547) 《ポリュペーモス》 1512頃* |
ラファエッロ(1483-1520) 《ガラテイアの勝利》 1512* |
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「同一のテーマをもつ二つの壁画が、二人の画家によって制作された理由は、よくわからない」(同上、p.124) とのことです。二つの画面は同じ寸法で、そのため群像であるラファエッロのガラテイアたちに比べると、ポリュペーモスは巨人らしくずいぶん大きく見えます。手がけた作者が別の画家で、柱によって隔てられていることもあって、ラファエッロの画面は自分だけで自足しているかのようです。構図自体デル・ピオンボの作品との関連づけを必要としていない。図版でこの作品を知った者にはなおさらでしょう。それこそポリュペーモスの片恋に応じているのだとこじつけることもできなくはないかもしれませんが、だから勝利だか凱旋だというタイトルなのでしょうか。 ともあれラファエッロの壁画は、後にプッサンの《海神ネプトゥーヌスと海の女王アムピトリーテーの勝利》(1637頃、フィラデルフィア美術館、→日本語版ウィキペディアの該当頁「ヴィーナスの誕生(プッサン)」)の発想源となります。この作品については、 『プッサンとラファエッロ - 借用と創造の秘密 -』展図録、愛知県美術館、足利市立美術館、1999、p.127/cat.no.31-3、p.129/cat.no.32-1、p.156 望月典子、『ニコラ・プッサン 絵画的比喩を読む』、慶應義塾大学出版会、2010、pp.217-237+注:「第3章Ⅲ プッサン作《ネプトゥヌスの勝利》の作品分析」 などを参照していただくとして、プッサンにはガラテイアとポリュペーモスの主題を扱った作品が二点あります。ただその前に、その内の一点《ポリュペーモスのいる風景》の作品解説でウォルター・フリードレンダーが挙げた先行作例に触れておきましょう(Walter Friedlaender、若桑みどり訳、Poussin (世界の巨匠シリーズ)、美術出版社、1970、p.185)。アンニーバレ・カラッチによるローマのファルネーゼ宮殿のギャラリー天井画の内の二点です(下左右)。日本語版ウィキペディアの該当頁「神々の愛(カラッチ)」(→こちらの3)中の「穹窿の場面」の項に、天井画全体の写真が掲載されています。その画像の右端中央=南側に《ポリュペーモスとガラテイア》(下左)、左端中央=北側に《ポリュペーモスとアーキス》(下右)が配され、ギャラリーの両端で向かいあっていることになります。 |
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アンニーバレ・カラッチ(1560-1609) 《ポリュペーモスとガラテイア》 1597-1600* |
アンニーバレ・カラッチ 《ポリュペーモスとアーキス》 1597-1600* |
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双方、画面の左半前景にポリュペーモスを大きく配しています。彼は躰は前向きで、首をねじるようにして右横から奥の方へ視線を向けている。右奥はいずれも海です。《ポリュペーモスとガラテイア》では右下半に、ポリュペーモスの位置より少しだけ奥まって、ガラテイアとその伴二人に海豚がいます。《ポリュペーモスとアーキス》ではさらに奥で、アーキスとガラテイアが背を向けて逃げようとしている。 画面に対するポリュペーモスの大きさは、天井と壁が接する位置にある画面に向けられる、床に立って見上げる観者の視線に配慮したものなのでしょう。いったんポリュペーモスに注意をつなぎ留め、次いで右奥へ視線を誘導する。壁面と天井寄りという位置こそ違いますが、こうした構図はセバスティアーノ・デル・ピオンボの《ポリュペーモス》を受け継いでいるようにも見えます。そこでもポリュペーモスは左前景に大きく配され、右の方へ目をやっていました。右奥には水辺の風景がひろがっています。ただしヴィッラ・ファルネジーナでは画面はいったん柱で区切られる。そしてラファエッロによる独立した別の壁画が配されていたわけですが、アンニーバレ・カラッチの二つの画面では、二つに分けられていた空間を、それぞれ単一の構図としてまとめ直したかのごとくです。 さて、プッサンの初期に属する《アーキスとガラテイア》(下左)では、カラッチの画面における左前景から右奥へ進んでいった斜めの導線が断ち切られ、平行する前景と後景とに整理されます。前景左に、赤い幕の手前で睦みあうアーキスとガラテイア、しかし前景右半でも主役の二人と同じ大きさの男女やプットーたちが配され、一連なりの帯として、画面左から右まで連なっている。後景やや左寄りで腰掛けて葦笛を吹くポリュペーモスは陰に入り、横向きであること相まって、前景の左右の帯とはつながらない、やはり左右に伸びる後景に位置しています。前景の賑わいから遠ざけられているため、ここでのポリュペーモスは、孤独の内で観想しているかのようではありますまいか。 |
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プッサン (1594-1665) 《アーキスとガラテイア》 1627頃* |
プッサン 《ポリュペーモスのいる風景》 1649* |
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約20年後に描かれた《ポリュペーモスのいる風景》(上右)では、画面全体に対し大きめの人物たちが配された前作に対し、風景の比重がずっと大きくなり、その分人物が小さくなっただけでなく、ガラテイアたちとポリュペーモスの間の距離も著しく離されています。中央奥の岩山に腰掛けるポリュペーモスは、横ならぬ向こうの方を向いて、見えるのは背中です。しかしそのことで逆に、彼は自然のひろがりと一体化した、文字どおり神話的な巨大さを獲得したかのようです。 他方前景右寄りのガラテイア、アーキスともう一人は、からだを横にか背を向け、頭部はまちまちに三方へ視線を投げています。そのため三人組とポリュペーモスとの間の距離は、いっそう押しひろげられてはいないでしょうか。主要人物の多くが背を向けるか、それに近い体勢をとっているというこの構図は、描かれた景観のひろがりに、ある意味で奇妙な性格をもたらしているようにも思われます。前景左の河の神や同じく右で覗く二人のサテュロスともども、観者の視線をすんなり奥へ導くというより、そこここで迷わせようとしているかのごとくではありますまいか。 ガラテイアとポリュペーモスの物語を描いた作例はまだまだあるのでしょうが、モローとルドンへ戻る前に一点、先に触れた解説でウォルター・フリードレンダーが比較した、クロード・ロランの作品を挙げておきましょう(下左)。フリードレンダーは(引用中の「彼」はプッサン)、 「彼の意図はまた、クロード・ロランの絵のように、抒情的でもなかった。ロランは、このプッサンのモティーフを用いて、輝きゆらめく光と、神聖な幸福感にみたされたもっとも詩的な海の風景を描いた。プッサンの描く、閉ざされた谷、峨々とした怖ろしげな岩々にかこまれた谷は、彼の絶筆『アポローンとダプネー』におけるように、重苦しい緊張と、来るべき嵐の予兆につつまれている」(p.185) と述べていました。画面右手、中央あたりにポリュペーモスの姿が潜んでいます(下右)。やはり葦笛を奏でているようです。巨人というほど大きくは見えない。 |
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クロード・ロラン(1600/04/05-1682) 《アーキスとガラテイア》 1657* |
同部分* |
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これらの作品をルドンが知っていたかどうかはわかりませんが、モローの《ガラテイア》サロン出品作のことは念頭にあったことでしょう。見られていることを意識しているのかいないのか、目を伏せて安らぐガラテイアを、上方からポリュペーモスが見おろすという、噛みあわない視線の関係にしぼった構図は、そのまま採用されつつ、人物たちの大きさの尺度や周囲との融和感が改変されています。 | |||||||||||||||||||
ところでモローの画面では、ガラテイアの白い裸身、ポリュペーモスの赤茶色、そして海底の眺めが、溶けあうことなく併置されています。実際の画面を前にすれば、仕上げの稠密な質感を見てとれるものの、構図としては不自然との感を否めますまい。この作品で興味深いのはむしろ、色とりどりの線で象られた深海の生きものや、その中に潜む小さな精霊たちではないでしょうか(右 →『ギュスターヴ・モロー研究序説』(1985)[6]の頁の「Ⅱ-3 伏せられた眼」も参照)。 | モロー《ガラテイア》(1880)(部分)* |
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プッサンの二作、とりわけ《ポリュペーモスのいる風景》も違和感なしとしない空間を示していましたが、それ以上に不自然に併置されたモローの構図を経たからこそ、それがバネとなって、ルドンは《キュクロープス》で空間全体が統合された上で、山の向こうで下から上へ、そして山裾越しに上から下へと回りこむ動勢を達成しえたのだと言っては、こじつけめくでしょうか。 そして暗がりに肉付けが乏しい色の線で生きものたちを象ったモローに対し、ルドンは筆触と一致したさまざまな色の斑点を散らしていきます。明るめのいくつもの色彩がちらちらと揺らめく風景の中で、プッサンの《ポリュペーモスのいる風景》に劣らず小さくなったガラテイアは、目鼻立ちだけでなく身体の輪郭も周囲に溶けこみ、ポリュペーモスは人間性から解放されて自然の精霊と化す。だからガラテイアやポリュペーモスといった名前も吹き飛んで、《キュクロープス》というタイトルになったのだと言っては、こじつけ以外の何ものでもありますまい。 |
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ただしモローも、パリのギュスターヴ・モロー美術館にある油彩下絵ないし未完成作では(右)、細部まで描きこまない粗い筆致が、暗緑色や青と対比させつつ褐色系を主に、塗り残しの白地ともども、上端に配されたポリュペーモスの見おろす視線に乗り、画面の縦長に応じ流れ落ちては留まりません。筆致が流されることがないため、画面のその場その場で色彩が花開くようなルドンの春めく画面とは異なりますが、見ようによっては冬のように寒々としているものの、ルドンの作品に通じる統合感に達してはいました。 | モロー 《ガラテイア》 1893-96頃* |
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他方前掲の水彩レプリカ(1896頃)では、ポリュペーモスがずいぶん近づけられ、上からのしかかるようです。そのためガラテイアの体勢も画面右下へ押しこまれている。他方上からの圧力に反発するかのように、右上の深海の生きものは、サロン出品作での色の線だけで象られていた状態から、肉付けを得ようとするかのごとくふくれあがっては増殖し、ガラテイアの金色の髪ともども、サロン出品作右下での仄暗い濃密さを画面全体に浸透させています。サロン出品作での空間の分裂を力任せにつなぎあわせたかのようにも見えます。 いかにもモローの典型的な側面らしいそうした濃密さとは対照的に、ポリュペーモスを単独で描いた上掲の水彩(1880頃)は、横長の画面に応じてうつぶせに横たわる巨人の明褐色、海の青、そしていやに大きな鳥や岩の白っぽさが、横に長い三つの色の帯として上下に並べられ、色の明るさと相まって、風景に清澄なひろがりをもたらしています。ポリュペーモスの投げる視線は横に長い画面の形に添って枠の外へと投げかけられ、憧憬の念を宿らせもすれば、抒情性を醸しだしもしている。巨人の腹部の下の暗い影は、いささか奇妙にうねくっていはするのですが。 ◇ 話がまた逸れますが、キュクロープスといえば、『シンバッド七回目の航海』(1958、監督:ネイザン・ジュラン)での、レイ・ハリーハウゼンのストップ・モーション・アニメーションによって息を吹きこまれた活躍ぶりを忘れてはなりますまい(下左)。ただルドンの《キュクロープス》における山裾から顔を出すさまであれば、『ゴジラ』(1954、監督:本多猪四郎)の大戸島の場面で、ゴジラが始めて姿を現わすくだり(下右)が近いと見なせるかもしれません。 |
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ルドンのキュクロープス、ゴジラと来れば、《山越阿弥陀図》が連想されたりもします(右)。個人的なことながら、この図像がなぜか頭にこびりついていたのは、おそらく、 折口信夫、『死者の書』(1939/昭和14)(中公文庫 A 28)、中央公論社、1974 の口絵に金戒光明寺本が掲載され、自作解題として、「山越しの阿弥陀像の画淫」(1944/昭和19)が併録されていたのに接したことがあったからなのでしょう。また、 『浄土曼荼羅 - 極楽浄土と来迎のロマン -』展、奈良国立博物館、1983 は見に行ったはずで、cat.nos.120, 122-1, 123, 124, 125 の5点が出品されています。陳列替予定表によるといずれも後半の展示なので、見ることができたかどうかは、例によってまるっきり憶えていません。 |
《山越阿弥陀図》(禅林寺本) 鎌倉時代(13世紀)* |
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さて、プッサンの《アーキスとガラテイア》では、手前と奥二つの層はただ平行するばかりで、両者を結ぶ抜け道は見当たりませんでした。同じくプッサンの《ポリュペーモスのいる風景》では、手前と奥は連続したひろがりの内に配されていますが、連続しているからこそ、途中をすっ飛ばすことができません。 対するにルドンの《キュクロープス》、大戸島のゴジラ、《山越阿弥陀図》いずれの場合も、山裾によって分断されることで、こちらと向こう、手前と奥、此岸と彼岸の区別が確立され、だからこそ両者が引きあう力も強くなるのでしょう。 その上で、三点個々のあり方が際だってくるはずです。たとえば《山越阿弥陀図》で プッサンの《ポリュペーモスのいる風景》では、15-16世紀ネーデルラントの〈世界風景〉、たとえばボスの《快楽の園》(1500-05)(→本サイト内の図版とデータの頁)やブリューゲル《悔悛のマグダラのマリア》(1555-56頃)(→同じく図版とデータの頁)のように、地平線の高い眺めを神の視点から見下ろす視線が、奥へ進むに従って角度を上向きに変えていく、凹面状の空間でもなければ、といって地面に立った見る者の視線が、平らな地面と平行に奥へ向かう、線遠近法的な箱型空間ともいいきれない景観がひろがっていました。前景の岩や中景の丘が左右から延びてきて、ポリュペーモスと一体化した岩山まで連なっていく。 対するにルドンの《キュクロープス》において、山裾によってその向こうと手前との区別が確保されたかぎりで、空間は奥から手前へと、溢れだすかのごとくです。ただその際、《山越阿弥陀図》のように、阿弥陀仏と観者が画面に対し垂直の視線によって結ばれるのでもない。ゆったりした曲線に沿って回りこんでくる。そんな中でキュクロープスは、色とりどりの花園で、休息する女性を永遠に見下ろしているのでしょうか。 ■ 「怪奇城の図書室」の頁の「追補」で(→そちら)、『ガンパウダー・ミルクシェイク』(2021、監督:ナヴォット・パプシャド)などで、セルジオ・レオーネのマカロニ・ウェスタンに言及したらしき箇所のあることに触れました。そこで挙げた作品では部分的にほのめかされていたわけですが、 『クイック&デッド』(1995、監督:サム・ライミ) のようなマカロニ・ウェスタン色の濃いハリウッド製西部劇はじめ、 『スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ』(2007、監督:三池崇史) 『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012、監督:クエンティン・タランティーノ) なら 『続・荒野の用心棒』(1966、監督:セルジオ・コルブッチ) への、 『グッド・バッド・ウィアード』(2008、監督:キム・ジウン) のように、 『続・夕陽のガンマン』(1966、監督:セルジオ・レオーネ) へのオマージュとして製作された作品などもありました。 |
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部分的な話に戻ると、 『座頭市喧嘩太鼓』(1968、監督:三隅研次) の約16~17分あたりで座頭市役の勝新太郎による歌が流れます。歌はよいとして、その伴奏がマカロニ・ウェスタン風のものなのでした。馬が駆ける音を思わせなくもない、ギターの素早いストロークが鳴り続け、時折ホーンが遠くで合いの手を入れるというものです。たとえば『赤い砂の決闘』(1963、監督:リチャード・ブラスコ、マリオ・カイアーノ)の主題歌(12)の冒頭であるとか、『新・夕陽のガンマン 復讐の旅』(1967、監督:ジュリオ・ペトローニ)のテーマ曲(13)のやはり冒頭あたりが連想されなくもありません。 こうした例は他にも出くわしたことがあるような気がするのですが、残念ながらというべきか例によってというべきか、思いだせずにいます。面倒がらずメモしようという教訓であります。 |
(12) 手元の Ennio Morricone. The Legendary Italian Westerns. The Film Comosers Series, Volume II, 1990 の1曲目"A Gringo Like Me"(Gunfight at Red Sands より)、2分23秒。 (13) 同上、27曲目"From Man to Man"(Death Rides a Horse より)、3分19秒。 |
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音楽といえば、 New Order, Low-life, 1985 3枚目のB面1曲目"Elegia"は、『ウェスタン』(1968、監督:セルジオ・レオーネ)における"Man with a Harmonica"(14)あたりを思わせずにはいないのではないでしょうか。 ちなみに"Elegia"はオリジナルのLPでは4分55秒の器楽曲でしたが、2008 collector's edition の bonus disc では17分29秒に延びています。 |
(14) 同上、30曲目"Man with a Harmonica"(Once upon a Time In the West より)、3分27秒。 | ||||||||||||||||||
さて、マカロニ・ウェスタンとは関わりのなさそうな『ダリとカムジャタン』、ロマンティックと形容されそうな歌が随所に挿入される一方で、たとえば第1話の約54分、口笛による短い曲が流れると、どうにも聞き覚えがありました。いずれかのマカロニ・ウェスタンで出くわしたはずで、たとえば『豹/ジャガー』(1968、監督:セルジオ・コルブッチ)での、"Estasi(エクスタシー)"(15)という曲の冒頭あたりが近いような気もしますが、同じではない。詳しい向きならわかることでしょう。 この曲は何度か出てきましたが、第2話の約59分には、やはりマカロニ・ウェスタン由来らしき、ギターによる別の曲が流れました。素性は今のところ不明。ちなみに第1話約46分では、「猫踏んじゃった」が使われます。 そうこうする内に第9話の約26分および第14話の約46分、『続・夕陽のガンマン』のテーマから、口笛によるくるくる回るようなフレーズが飛びだしました(16)。この二度はいずれも、ダリの幼なじみで兄妹代わりのチュ・ウォンタク(ファン・ヒ)とムハクが角突きあわせる場面でした。マカロニ・ウェスタンだけでなく、こうした例は他にもあるのでしょう。 |
(15) Ennio Morricone, Morricone Kill. Spaghetti Western Magic from the Maestro, 2005 の14曲目"Estasi"(Il mercenario より)、2分02秒。 (16) The Good, The Bad and the Ugly. Original Motion Picture Soundtrack, 1967 / 2004 の1曲目"Il buono, il cattivo, il brutto"、2分41秒、他。 |
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追補(2024/12/14):『ブラックアダム』(2022、監督:ジャウマ・コレット=セラ)の二段目、ある登場人物が見ているテレビで、『続・夕陽のガンマン』が放映されていました(約31分)。クライマックスの三角決闘の場面で、抜き撃ちのところで一悶着起こるのですがそれはともかく、少し後(約40分)、映画内の現実で、三人ではありませんが変奏されることになります。三角決闘のタメの時間にあてたモリコーネの曲(17)が流れ、ガンベルトの拳銃と手を腰のすぐ後ろから捉えたショット、対峙する二人それぞれの目元をクロース・アップしたショットなども再現されたのでした。 | (17) 同上、21曲目"Il triello"、5分2秒。 | ||||||||||||||||||
2024/12/09 以後、随時修正・追補 |
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