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[6]<[]<[]<[]<[]<『ギュスターヴ・モロー研究序説』(1985) [1]
Ⅱ. 3. 伏せられた眼 
    i. 庭園のサロメ、オルフェウス、ピエタ 
    ii. 眠り、ヘシオドスとムーサ 
    iii. ガラテア 
    iv. 見られる女、イアソーン、デリラ 
  4. 女と黒豹 
3.伏せられた眼
i. 庭園のサロメ、オルフェウス、ピエタ


 『庭園のサロメ』(図119)は1878年の万国博覧会に出品された。足下に首のない死体が横たわり、サロメは盆に載せたヨハネの首を抱えている。彼女が目を閉じているのか、首を見つめているのかははっきりしない。彼女は全身真横から捉えられている。背景は緑の四阿で、ジャン・ラランが既に「マンテーニャが好んで描くような」と記し(226)、マテューはルーヴルの『ミネルヴァ』を源として挙げている(227)。やや濃淡を区別した緑を塗った上に、線で細かい葉の形を描き込んである。<入墨>の積極的な利用である。右のアーチの向こうには、遠く青い山並みが見え、その手前は湖らしい。朱の絵具をざっとつけて、船らしきものを暗示している。空には薄い黄の微妙な濃淡で、同じ色で微かに植物が茎を伸ばしているのが見えるのは、後に空の黄を配することで目立たなくしたもので、同じような描き直しは、画面左端が上から下まで、四阿の緑で覆われており、それが後から描き加えられたものである点にも見られる。背景にあるはずの四阿が、画面の下の端まで伸びているため、前後の関係が不明瞭になっているが、構図全体が平面的なのでさほど気にはならない。左側のアーチの下には、オレンジ色の刑吏が背中を見せて逃げ出している。このモティーフについては後で取り上げる。ヨハネのからだは、サロメの脚に遮られた前後で、うまく繋っていない。脚の部分は上半身と描き方が異なっている。上半身はかすれたような筆致である。首の載っている盆と背後の洗水盤の関係も不明瞭である。ヨハネの肩がのっている所とサロメの立っている所は段差があり、右に円と長方形の穴が見える。ヨハネの首は光輪があるが、輝きを発してはいない。サロメは手首と上腕に輪飾りをつけ、衣服にも豪華な締め金がついている。彼女は黒髪を長く垂らしているが、あまり髪らしく描かれてはいない。髪の描写の不得手はモローの特徴の一つである。全体に緑、黄、オレンジ、青、暗い赤が非常に鮮やかで、内に光を含んだように柔らかい。この光の感覚が、靜謐さの印象を一層強調している。
  モロー《庭園のサロメ》1878
図119  《庭園のサロメ》  1878、PLM.176

226. Laran, Deshaires, ibid., p.78.

227. Mathieu, ibid., 1976, p.128.

マルカントーニオ・ライモンディ《聖ゲオルギウス》
図120  マルマントニオ・ライモンディ《聖ゲオルギウス》
こちらで扱っています


ダヴィッド《テルモピュライのレオーニダス》1814
図121  ダヴィッド《レオニダス》 1814
こちらで扱っています


フラクスマン《ストーンヘンジにおけるブリトン人たちの虐殺》1783
図122  フラクスマン《ストーンヘンジでのブリトン人たちの虐殺》 1783
こちらで扱っています

 モローはこの作品について解説を残している(228)、
 「退屈して気紛れなこの女は、その性は動物のもので、あまり強くもない快楽に身を委ねて、自分の敵が地に倒れるのを見ようとする、それだけ彼女は、己れの欲望を満足させることにうんざりしている。
  この女は植物や動物のように無頓着に庭園を散策している、そこはこの恐るべき殺人によって汚されたばかりで、死刑執行人さえ怯えて、飛んで逃げ出した」。
 マテューは水彩について、「光は柔らかく、色彩は調和し、サロメは汚れない、画家がそこに盛ろうとした意図と情景を一致させることができないくらいである」と述べている(229)。しかしペーター・ハールブロックが指摘するように(230)、ことは単純ではない。

 
  228. id., p.129.

229. id.

230. P.Hahlbrock, Gustave Moreau oder das Unbehagen in der Natur, Berlin , 1976, p.140.
 
 ホルテンが指摘するように、『庭園のサロメ』の構図は1866年のサロンに出品された『オルフェウスの首を抱くトラキアの娘』(図123)から<再製>されたものである(231)。この作品のヒロインについては、しばしばモローの描く女性中例外的に肯定的に捉えられたもので、その優しい、憐れみの表情にモローの母の面影を見ることができる、と述べられている(232)。この点でホルテンは、『オルフェウス』と『庭園のサロメ』の関係について、<再製>されるに際して、新しいヴァージョンでは新しい内容が盛り込まれることの例として挙げている(233)。しかし『庭園のサロメ』においても、普通考えられているような、悪しきものとしての女は認め難いことは、マテューに限らず、ハールブロックも認めている(234)。他方、『オルフェウス』の発表当時、同じ構図がサロメの主題に用いられることを予感したかのように、サロメとヨハネの首が、シェスノー(「しかし何と違う視線」と付け加える)(235)やゴーティエ(236)によって言及されている。    モロー、《オルペウス》、1865
図123  《オルフェウス》 1865、PLM.71

231. Holten, ibid., 1965, p.34.

232. id.

233. id., p.124.

234.
他に、Laran, Deshairs, ibid., p.78.

235. Holten, ibid., 1965, p.42
49.

236. Mathieu, ibid., 1976, p.99.
 オルフェウスは、西洋文明における詩人の元型であり、ロマン派において<芸術>の神格化とともに、その精神の中で重要な意味を担わせられた。モローもまた、彼が取り上げた様々な詩人たちの中で、その受難の相においてオルフェウスを繰り返し描いた。66年の『オルフェウス』はその成果である。オルフェウスの目を閉じた首は、ルーヴルにあるミケランジェロの『瀕死の奴隷』(→こちら)から出発していることが、セバスティアーニ=ピカールによって指摘されている(237)。画面の半分を岩山、残り半分を遠くの風景に開く、という構図は伝レオナルドの『バッカス』に由来する、とマテューは述べる(238)。岩山がアーチをなして、向こうが見えるというモティーフは、言うまでもなくレオナルドの『岩窟の聖母』から得たものである。こうした荒涼とした岩山は初期の終わり頃からモローの作品に繰り返し現われる。その平面的で絵画的な、19世紀的性格については『オイディプスとスフィンクス』に現われるそれに関して述べた(→こちら)。ここでもその処理は多分に不明瞭で、娘と岩山の距離、娘に対する岩山の大きさ、岩山と上の三人の牧人との関係等は、全く説得力を持っていない。娘の足の背後では、油絵具による斧劈皴といったものを見ることができる。岩山のはりぼてのような様子に比して、右側の風景では、塗りの厚い、しかし筆触は細かいマティエールを活かした描法で描かれている。空の調子も微妙に変化しており、風景の静けさが人物たちのそれと呼応して、詩人の死を悼む自然全体のメランコリックな雰囲気が伝えられる。そうした静寂の中を、牧人たちの奏でる笛の音が響き渡る。   237. Sebastiani-Picard, ibid., p.144-146.

238. Mathieu, ibid., 1976, p.99.
 この牧人たちの内、左にいる尻を落として坐っている人物は、後に『ジオット』を描いた水彩(図124)に用いられることが、マテューによって指摘されている(239)。これは羊の番をしていたジオットが地面に気ままに絵を描いているところを描いたものだが、ここでも自然と芸術の一致がその主題であると思われる。ところでこのジオットのポーズは、65年のサロンに出品された『若者と死』(PLM.67→こちら)の中の死の姿について、マクシム・デュ・カンが類似を指摘したヴィシュヌ神を描いた版画の中の(240)(図127)、ヴィシュヌの足下に坐る女性のそれとよく似ており、フードの先が尖っているところも一致する。牧人三人のグループ(図125)については、ジョルジオーネないしティツィアーノの『田園の楽奏』(図126)に由来するのではないかと思われる。笛を吹いている男はやはり笛を吹いている裸婦に、その後ろの男は水をくんでいる裸婦に、<ジオット>はマンドリンを弾いている男に照応する。さらに自然の中に響く音楽、という主題そのものをモローは自らの作品の中に取り入れ、『田園の楽奏』という作品の価値を、芸術の永遠性という観念に重ね合わせた、と考えることができる。     モロー《ジョット》1882
図124  《ジオット》 1882頃、PLM.280

239. id., p.339, , ibid, 1984, p.7635 の解説。

240. Dorra, ibid., p.132.

モロー《オルフェウスのための牧童たちの習作》
図125  《『オルフェウス』の牧童たちの習作》 MGMd.66

ティツィアーノ《田園の奏楽》1511
図126  ジョルジオーネないしティツィアーノ《田園の楽奏》

《ヴィシュヌ・ナーラーヤナ》Eムーア『インドの万神殿』1810 より
図127  『インドの神々』、ロンドン、1810 の挿絵
 完成作の様式は、<最初の考え>と記された素描(図128)において、ほぼ決まっている。ただ右側の風景は開いたものではなく、山に遮られており、『オイディプスとスフィンクス』のV字型のそれを思い出させる。オイディプスと同じ鍔広の帽子を娘は背中に回し、草冠をつけている。非常に大きな夕陽だか朝日だかが見える。こうした象徴的とも言える天体の強調は、後年になって発展させられる。スピードのある石墨の筆致、トーンの濃さが自然と人物の交感を強調している。こうした構図が定まる前には、流れついた首と竪琴を拾い上げようと腰をかがめる娘を描いた素描などもあるが(241)、大体の構図が定まってからも、娘の向きについて動揺があった。図129 は彼女を右向きに示しており、からだも正面向きに近い。両足の感覚も離れているので、こちらに向かって歩いてくるような運動感がある。彼女の左右には丈の高い植物が生い茂っている。空には鳥が飛んでいる。娘の向きのみならず、オルフェウスの首も、ピカールが示したように(242)、『瀕死の奴隷』の模写にはじまって、徐々に角度を変え、最後にプロフィールに近いものに落ち着いた。図130 はほぼ完成作と同じ構図を示している。全く肉付けを行なわず、肥痩もない輪郭線だけによる素描で、岩山の牧人たちのいる部分に見られるように、白地に対する意識が強く感じられる。こうした様式はフラクスマンに学んだものと思われるが、後年、先に見た『アレクサンドロス』の部分素描(図97→こちら)に現われたような、装飾的なアラベスクの探求に発展していく。一方では、『オルフェウス』の<最初の考え>の素描や、『踊るサロメ』の全図素描(図90→こちら)に見られるような、明暗を主眼にした素描を、モローは目的に従って使い分けている。同様に図131 は、完成作と同じ構図を示す油彩習作だが、非常に粗い筆致で、細部は全く描き込まれていない。色調もほぼ完成作に一致し、かなり制作も押し詰まった段階のものと推測される。    モロー《オルフェウス》
図128  《オルフェウス》 MGMd.397

241. MGMd.517.

モロー《オルフェウス》
図129  《オルフェウス》 MGMd.2902

242. Picard, ibid.

モロー《オルフェウスのための習作》
図130  《オルフェウス》 MGMd.2894

モロー《オルフェウスの首》
図131  《オルフェウス》 MGM.147
 モローは『オルフェウス』についても、何点かレプリカを作っている。 図132 はマテューの推賞するもので(243)、油彩作の人物に見られるアカデミックな仕上げ、それと粗放な背景との不調和などが廃されている。娘の形態は単純化され、画面右側を岩山が閉じて、平面として堅固な、そして親密なものになる。岩山の仕上げは油彩より遥かに丁寧で、『岩の上のサッフォー』の水彩画(図39→こちら)のそれに近いが、娘の光輪から拡がったかのように、画面全体が金の粉にまぶされており、自然と聖なるものの合一を謳っている。異教の人物に光輪をつけるということをモローはしばしばしており、彼の諸神混淆主義を物語るものだが、光輪が単なる標識に留まらず、重要な造形的モティーフとして増殖して行くのを、晩年に見ることができる。なおこの水彩は、1864年の年記が書き込まれており、これはマテューが言うように、「奇妙にも油彩のそれよりも一年前の年記である」(244)。
 
  モロー《オルフェウス(オルフェウスの首を運ぶトラキアの若い娘)》1864
図132  《オルフェウス》 1864、 PLM.73

243. Mathieu, ibid., 1984, p.80-82.

244. id., p.38
16の解説。     
 『オルフェウス』、『庭園のサロメ』と同じ系列に属する主題に、『ピエタ』がある。1851年のサロン・デビュー作(PLM.8)以来、モローは何度もこの主題を繰り返しているが、ティツィアーノやラファエロの『埋葬』図に影響を受けたと思われる(245)群像である最初の作品を除けば、以後のこの主題は皆人物を少数に絞っており、56年の作品(図175→こちら)に見られる、マリアがキリストの亡骸を背中から抱いているものと、67年の作品(図133)での両者が向かい合っているものとの、二つの系列に分けることができる。『オルフェウス』や『庭園のサロメ』と一致するのは、後者の系列である。モローがキリスト教の、特に受難を巡る主題で、過剰な装飾を用いない、レンブラントを思わせる単純化された方法で描くことは、繰り返し述べられてきた。『ピエタ』はそうした特徴を示すものの典型的な例であり、またその感情において、『オルフェウス』水彩に通い合うところがある。   245. id., 1976, p.43. 

モロー《ピエタ》1867
図133  《ピエタ》 1867、PLM.91
 『オルフェウス』、『ピエタ』、『庭園のサロメ』と並べて共通する点の第一は、画面の中でプロフィールで描かれた人物同士が向かい合っていることである。これは<対峙する視線>の構図と同じだが、<対峙する視線>について観察した例に見られた対立とその緊張、力のやりとりはここには見られず、ここでの優しさ、親密さはあちらには見られない。では<対峙する視線>との違いは何かと言うと、こちらでは、向かい合う人物たちの一方が既に死んでおり、他方が彼を抱くようにしているということが挙げられる。一方が死んでいるのだから、もはや力の大小は問題にならず、争いも必要がない。しかし両者の関係は、そのような一方的なものに留まるものではない。両者に何らかの相互的な関係が存在することによって、優しさ、親密さが生じ、さらには『オルフェウス』水彩に現われた自然との交感が生じるのである。その関係とは、死者が死せる者として、目を閉じているのに呼応して、生きている者もまた目を閉じる、少なくとも目を伏せるということである。双方が目を閉じ、しかも向かい合っていることによって、ひそやかな関係が生じる。しかもその関係は、直接視線によって示されないので、周囲に仲介させることになり、周囲も全てその関係に参与することになる。
 このようにして、あれらの作品における周囲と調和した親密さ、靜謐の感情が生じる。その支えとなるのは、画面における激しい動きのなさ、<美しい無力>である。<美しい無力>は、<対峙する眼>の構図においては内に宿る不安感を暗示していたが、ここではただ静穏を乱さないことに従事する。もとよりニュアンスの違いはある。『オルフェウス』油彩の娘は、アカデミックな仕上げに応じて、目もとに濃い影がさしており、画面のメランコリックな気分を代表している。この点で彼女は、頭部素描におけるサロメの姉なのである。これに対して同水彩の娘は、口の端に微かに微笑んでいるように見え、充足感を代表している。さて『庭園のサロメ』である。彼女に無邪気さが感じられること、これは正しい。全身プロフィールで捉えられた、単純化された形態が、そのことを物語る。ところでこの全身プロフィールで捉えられていることが、『オルフェウス』との第一の違いである。『オルフェウス』の娘は、頭部は真横から見られているが、からだは画面に対して斜めに配され、からだの前面がかなりこちらに見えている。プロフィールというものが、画面を見る者に対して閉ざされたものにする傾向があることは、既に述べた。それが『オルフェウス』の娘は、からだをこちらに向けているため、絵を見る者の感情は、そこから静かに滑り入ることができる。これに対して、サロメは自分だけで自足している。第二の違いは、『オルフェウス』の娘が、少し肘を折っているのに対し、サロメは真っ直に伸ばしている。これは彼女の子供っぽさを印象づけるとともに、首との距離を大きくする。同じことが、第三の違いについても言える。即ち、『オルフェウス』の娘が、額をかなり下げているのに、サロメはそれに比してかなり上げている、しかし完全に垂直ではない。ここから彼女のポーズは、気取った感じのするものとなる。同様にオルフェウスの竪琴は斜めになっているが、ヨハネの盆は水平である。第四の違いは、オルフェウスの首がほぼ完全にプロフィールなのに、ヨハネの首は四分の三観でこちらを向いている。その意味については言うまでもないだろう。
 このサロメは確かに無邪気であり、純潔でもあるだろう。しかし無邪気であることは決して残酷であることと矛盾しない。それどころか両者はしばしば一つのものであることは、誰もが知っているだろう。そしてそれを人間的でない、と言うなら、神々もまた人間ではない、と答えることができる。こうしてこのサロメはすぐれて<宿命の女>であると見なせよう。もとよりいままで見てきたように、<宿命の女>であることは<詩人>であることと矛盾しない。理想を追うものはしばしばそれ以外のものに無頓着になる、それが人間の生命であろうと。このサロメの、いかにも大事そうに盆を持つ態度に、そうしたものの名残りを見ることもできよう。しかしここでは、とりわけ無頓着な面の方が強調されている。そしてそれは、何よりもこの水彩の色彩が物語っている。この作品の色彩は、明るく、鮮やかで、柔らかいものだが、青と緑という寒色によって支配されている。青、緑そして黄は色相上隣合うもので、モローの画面で最も多い、褐色や赤がここでは隅に追いやられている。このためこの作品の色彩は、美しく、光を含んだ柔らかいものだが、冷たい、片寄った性格を示し、マテューが用いた「調和」という言葉を使うことをためらわせるのである。
    
ii. 眠り、ヘシオドスとムーサ

 伏せられた目、閉じられた目をしている人物は、モローの作品には非常に多い。そしてそれはしばしばプロフィールと結びついている。これが自分の外にある対象に向けられた視線ではなく、己れの内側に向けられた視線、内面的なものの印象を与えることは、見易い道理である。さらに眠りや死、という常に目を閉じた状態が示すように、夢の世界、この世とは別の世界に向けられた視線も暗示することになる。この世に対しては、無関心、無頓着、投げやりな様子、力の無さ、といった様相を示すことになる。これは当然<美しい無力>とよく合致する。逆に『オルフェウス』に見たように、世界との調和、閉鎖性と裏表の自足感を表わすことができる。 
 こうしたモティーフは、モローに限らず、モローの同時代人、後の象徴主義者たちに広く用いられた(246)。ピュヴィスは『眠り』と題する作品を、ルドンは文字通り『目を閉じて』と題する作品を描いている。1940年になって、マティスは『夢』と題する作品で、眠る女を描いた。既にロマン派において、古くからの肉の目と魂の目、内なる目との対比が再び取り上げられ、ホメロスやミルトンのような盲目の詩人たちが、真の世界を見ることのできた者と見なされた(247)。「画家は、単に自分の目の前に見ているものだけでなく、自分の内部に見えるものをも描くべきである」(248)と語ったフリードリッヒはさらに、「汝の肉体の目を閉じ、まず精神の目で汝の絵を見るようにせよ」と述べる(249)。同じような発言は、キリコ、クレーなどにも見出され、探せば他の例も見つけることができるだろう。モロー自身、「私は私が触れるものも、私が見るものも信じない。ただ目に見えないもの、感じるもののみ信じる」(250)と語っている。     246. Symbolisme en Europe, Rotterdam, Bruxelles, Baden-Baden, Paris, 1975-1976, pp.14-15.

247. Riffaterre, ibid., p.140-148.

248.
『フリードリッヒとその周辺』展、東京、京都、1978、p.219.

249. id., p.218.

250. Mathieu, ibid., 1976, p.172.
 モローにおける<伏せられた眼>のモティーフの形成に与って力があったのは、ここでもシャセリオーの作品であったと思われる。シャセリオーの実質的なデビュー作である『ウェヌス』(図134)の目を伏せ、額を下げたプロフィールは、モローの『オルフェウス』にそのまま繰り返されており、身体の画面に対する角度もほぼ同じである。『ヘロデ王の前で踊るサロメ』(図62→こちら)のサロメにも、同じ思い出を認めることができる。シャセリオーの『ウェヌス』は、うねるようなからだの輪郭のアラベスクが、柔らかく量感豊かな肉付けと光と影の強い対比に結びつけられて、独特の甘美でノスタルジックな気分を表出している。シャセリオー前期の代表作の一つであり、そうした気分を発するポイントになっているのが、影の中に浸された、目を閉じ額を伏せた、小さな顔のプロフィールである。この作品以外にも、目を完全に閉じているわけではないが、やはり同様の物思いに耽った、夢見るような雰囲気の『スザンナ』(図135)における女性像も、モローに大きな影響を与えたであろう。
 モロー自身はこのような夢を見ているような雰囲気、心ここにあらずといった気分を、ミケランジェロの人物の内に読みとっている(251)、
  シャセリオー《海のウェヌス》1838
図134  シャセリオー《海のウェヌス》 1838、 S.44

シャセリオー《水浴のスザンナ》1839
図135  シャセリオー《水浴のスザンナ》 1839、 S.48

251. Picard, ibid., p.148-149.
 「ミケランジェロの人物たちは全て、理想の夢遊病の身振りの内に固定されているかのようだ。実際、動き揺れ動いているように見える構図全体の中で、それらが行なっている運動をそれらは意識していない。これら全ての人物像において、殆んど一般的に繰り返される、眠りの性格に対する説明を見つけること。眠っているか、あるいは私たちが住んでいる世界とは別の世界に運び去られているかのように見えるにまで至る、この深い夢想に理由を与えること。この造形的組み合わせの崇高さ。この独特の組み合わせの内にある、表現の力強い手段:姿勢における<眠り>。個体が夢に吸い込まれてしまうこと。これらの人 物を単調さから救うのは、ただこの深い夢想の感情によるのである、勿論形態における様式の崇高さ、人物たちの上に施された<科学>は別にして。これらはどのようなことを成し遂げるのか? これらは何を考えているのか? これらはどこから来たのか? どのような感情に支配されているのか? 神的で非物質的な観念(イデア)、別の天球の観念、そこにそれらは属し、その空気をそれらは呼吸しているようだ、というのはそれらの下では、一切が私たちにとって神秘なのだから。私たちの世界の中で、私たちの惑星の上でなされるようには、身を休めることもない、からだを動かすこともない、歩くこともない、思いをこらすこともない、嘆くこともない、物を考えることもない。身振りというものは、どのような造形作品においても、常に説明することのできるものだ、ミケランジェロにおいては、身振り、身体の外的な姿勢は、常に表わされるべき表現と矛盾している、逆も真である(讃うべき造形的術策)。芸術家は己れを二つに分け、<地>のため、そして<天>のために書く」    
モローが『瀕死の奴隷』(→こちら)やシスティナ礼拝堂の天井画の人物像にこうした表情を読みとり、自らの作品の内に取り入れたことは、ピカールが跡づけている通りである。ただピカールも言うように、モローはミケランジェロの動的な構図についてはこれを目に入れていないのであって(252)、右の文章も、多分にシャセリオーを通して見られたミケランジェロといった感がある。
 ホーフシュテッターがこのような夢と半睡の状態を典型的に示す例として、挙げているのが『眠り』と題された水彩である(253)(図136)。このモティーフは元来、『テスピウスの娘たち』の中に配された娘の一人のために考えられたポーズを(図137)、独立させたものなのだが、このポーズについて、ピカールはこれをシスティナ天井画の中の一人物(図138)と関係づけている(254)。そしてホルテンはこれをシャセリオーと結びつけているが、ミケランジェロの思い出と矛盾するわけではない、と述べている。「モデル研究と混ぜ合わされた出典の複数性は、ギュスターヴ・モローの下でしばしば起こる」(255)。ホルテンが具体的にシャセリオーのどの作品を挙げているのか不明だが、坐っているアルジェリアの娘を描いた油彩(図139)に、ちょうどミケランジェロとモローの中間にあるようなポーズが見られる。ドラクロワの1834年のサロンに出品された『メクネスの通り』にも、尻を落としてこちらを見ている男が描かれており、北アフリカでしばしば目に止まったポーズなのであろう。ところでポーズは一致するものの、ミケランジェロにおいてもシャセリオーにおいても人物は目を開いてこちらを見ており、これは<眠り>の相と一致しない。この点では(ホルテンが指摘しているのはおそらくこちらだろう)、シャセリオーの『テピダリウム』の左側二列目で、腕を組んで顔を伏せている娘(図140)が、モローの人物にそっくり移されている。これに近い顔の造作は、同じくシャセリオーの『デスデモーナ』(図155→こちら)の侍女に、既に現われている。また上半身の表情と全身のポーズを結びつけるにあたっては、マルカントニオ・ライモンディの『思いに耽ける若い娘』(図141)の構図が介していたと考えるべきであろう。モローの水彩及び素描の人体の把握は、上半身が『テピダリウム』から直接移されていることからもわかるように、シャセリオーを模倣した量感の強いものである。そしてここにミケランジェロの影響が重ね合わせられることは-この人物の正面を向いた目は後に『セメレー』の中のヘカテー(図306→こちら)に反映していると考えられるので、ここでの類似も偶然ではないと見なし得るだろう-、先に引いたモローのミケランジェロ観が、シャセリオーを通して見られていると考えることを支持してくれる。そしてシャセリオーの量感の強い人体描写自身が、ルーベンスとともに、ミケランジェロとの類似の濃いものである。

 
  252. id.,p.143.

253. Hofstätter, ibid., p.154.

モロー《眠り》
図136  《眠り》 MGM.298

モロー《坐る女(テスピウスの娘たちのための習作)》
図137  《『テスピウスの娘たち』のための習作》 MGMd.2199

ミケランジェロ《エッサイ、ダヴィデ、ソロモンについての帆型穹窿》1511(部分)
図138  ミケランジェロ《エッサイ》(システィナ礼拝堂天井画の部分)

254. Picard, ibid., p.143.

255. id.,p.151
15.

シャセリオー《タンバリンとともに描かれたムーア人女性》1849?
図139  シャセリオー《坐っているモロッコの娘》 S.202

シャセリオー《テピダリウム》1853(部分)
図140  シャセリオー《テピダリウム》(部分) 1853、S.218

ライモンディ(ラファエッロに基づく)《思いに耽る若い娘》
図141  マルカントニオ・ライモンディ《思いに耽ける若い娘》
 『眠り』及び同じモティーフの素描の年代を、イタリア旅行以前のものとするべきか、システィナ天井画を見たイタリア旅行以後とするかは議論のあるところだが(256)、これと同時期、イタリア滞在中に制作されたもので、<伏せられた眼>の主題にとって重要なものに、『ヘシオドスとムーサ』を描いた二点の素描がある(図142)。詩人の霊感を主題にしたもので、眠っているのか、目を閉じてからだを休めているヘシオドスの上に、天からムーサが降ってきたところを描いたものである。ヘシオドスのポーズは、モローがローマで模写している、エンデュミオンを表わした古代の浮彫りに由来することをキャプランが指摘している(257)。ただ全体の発想は、同じ主題を扱ったブルボン宮のためのドラクロワの構図(図143)から出発したものであろう。ドラクロワの仰角で見られた、奥行き方向に配された構図が、古代の浮彫りを介在させて、真横から見られた、平面的なものになる。この構図は『オルフェウス』の系列に繋って行くものだが、ヘシオドスが未だ死んではいないため、霊感を与える、という力の関係、支配の要素が滑り込んでいる。その意味で、この構図は穏やかな様相を呈しているにせよ、後の『旅人オイディプス』(図48→こちら)や『詩人とセイレーン』(図22→こちら)に展開するその端緒をなしている。ムーサが詩の霊感を与える善き神であり、スフィンクスやセイレーンが死や悪の象徴を意図したものであるということは、二義的な問題に過ぎない。神は善でも悪でもない。ただ神であるというそのことによって、神なのである。これが単なる詭弁でないことは、モロー晩年の神性をめぐる構想、特に次章で見るヘレネーの変貌に明瞭に現われている。それ故詩人たちは常に、死ななければならないのである。
 モローはヘシオドスに霊感を授けるムーサの主題を、後にも何度か取り上げているが、そこでは『ピエタ』の第一のタイプと同じように、ムーサはヘシオドスの背後に廻り、彼を導いて行く(1867/PLM.98, 67頃/PLM.102→こちら, 80頃/PLM.192, 91/ PLM.392 など)。ムーサの主導権がより強いものとなったのだ。

 
  256. id.

モロー《ヘーシオドスとムーサ》1858
図142  《ヘシオドスとムーサ》 1858、PLM.42

257. Kaplan, ibid., 1974, p.21.

ドラクロワ《ヘーシオドスとムーサ》1846-47
図143  ドラクロワ《ヘシオドスとムーサ》
iii. ガラテア

 『ガラテア』(図144)は1880年のサロンに出品された、モローの最後のサロン出品作の内の一点だが、構図上のまとまりにおいて、モローのこの作品に想を得た、ルドンの『キュクロープス』(→こちら)に到底及ぶものではない。ガラテアのポーズは、『妖精とグリフォン』(図60→こちら)などにも見られた、モローの好みのポーズだが、全身にわたって完全に、画面と平行に配されているため、わざとらしい人工的なものになっている。上げられた左肘がこの印象を強めている。ガラテアの白い裸体は、腰の位置のはっきりしない鈍重なものであることは別にしても(これでも現在の状態は、胴体を細くするよう手を加えてあるという(258))、画面に対して占める面積が大きいため(その意味では中期の様式に近い。こうした逆行の例は少なくない)、周囲の暗さとの落差を埋めることができないでいる。ポリュフェーモスのオレンジ色の頭部も、全体と調和していない。
 しかしこうした欠点のため、<伏せられた眼>の性格に今までとは異なる様相が現われていることが、より明瞭になっている。ここでのガラテアは、単に目を閉じて物思いに耽けっているのではない。彼女の全身のわざとらしい、気取った、不自然なポーズが、彼女が自分が見られていることを意識していることを物語っている。そのことを強調するかのように、彼女は見るものもないのに、薄く目を開けている。こうして支配の関係が、『ヘシオドスとムーサ』の素描とは逆転する。ここで優勢なのは上から見下ろしているポリュフェーモスではない。ガラテアが彼に見られているということ、そしてそれを意識していることによって、彼を支配しているのである。視線の関係はより微妙な、隠微なものとなっている。ガラテアは見られていることを意識し、そのためにポーズを作り、媚びている。しかしそれは視線によって距てられているが故に、決して手を触れることのできないものでもある。ここから、誰かが言ったように、ガラテアはポリュフェーモスによって夢見られているのかもしれない、あるいはその逆かもしれぬ、という解釈も成立することになる(259)。

 
 

モロー《ガラテイア》1880
図144  《ガラテア》 1880、PLM.195

258. Mathieu, ibid., 1976, p.324.

259. 
(参照先不明)
 ガラテアのポーズは、『妖精とグリフォン』に関して見たように、肖像画の伝統に属している。一方彼女の気取った顔立ち、白々とした裸体はフォンテーヌブロー派の裸婦を連想させる。このような顔のタイプはフォンテーヌブロー派に限らず、レオナルドやコレッジオ以来ヨーロッパの絵画における女性像の一つの典型をなすもので、モローの作品にもしばしば現われ、高貴だが冷たい女性の性格を表わしている。これに対して彼の描く男性は、一般により朴訥としている。
 ガラテアの真っ直に流れ落ちる、金色の長い髪の毛は、シャセリオーの『ウェヌス』(図134)を模したものであろう。水との連想も間に介しているかもしれない。しかしこの髪は、豪華な金の糸といったもので、髪の毛の持つ柔らかさ、生命感は全く感じられない。『庭園のサロメ』(図119)にも見たように、モローは髪の毛を描くことに関心が薄く、描いても不様なものになることが多い。勿論ここには画家の技倆の問題、あるいは線やマティエールの性格による向き不向きがあるにしても、ボードレールをはじめとして、象徴派、アールヌーヴォーにおいて、女の髪が重要なモティーフになること(260)と考え合わせると、興味深いものがある。一つにはモローの、再現性を重んじる絵画から装飾性平面性を重んじる絵画への移行期に位置するという、どっちつかずの絵画史的性格が関係しているのかもしれない。シャセリオーにしても、その前期には『ウェヌス』や『エステル』(図169→こちら)におけるように、画面に占める面積は大きくないにしても、髪の塊まりの柔らかいマティエールが女性の表現を資するところがあったのに、後期になると、一つには多く取り上げられる東方の場面において、人物が大抵フードをかぶっているということもあって、髪の描写の占める位置が後退する。そもそもシャセリオーの後期においては、前期に比して男性像の占める位置が大きくなる。髪のイマージュというものは、シャセリオーの眼の表現も同様だが、より女性的なものとの結びつきが強いものであり、さらには未成熟なものへの暗示がある。こうした性格が、前期の作品に多いノスタルジックな気分から、後期のよりモニュマンタルな性格への移行において後退したものと考えることができ、さらにモローの冷たい、「世俗的な」(ルドンの評)作品世界では占める位置を見出せなかったのであろう。
  260. R.Goldwater, Symbolism, New York, 1979, p.60-70.
 『ガラテア』の中でモローが関心を持っていたのは、ガラテア自身以上に、海中の見慣れぬ植物が口実になってくれる、色とりどりの装飾的なアラベスクであったと思われる。ここにも<入墨>の活用を認めることができる。ガラテアの頭部を描いた素描(図145)でも、そうした装飾的な性格が強調されている。さらに興味深いのは、闇の中で、奇怪な植物たちの間に見え隠れする小さな人物たちである(図145b)。これが単なる気まぐれでないことは、この部分のみを独立して扱った素描が残っていることからわかる。図146 はガラテアの右脛の左に見える人物たちのための素描で、中央の人物は『瀕死の奴隷』(→こちら)から出発したものだが、さらにピカールはここに、モローの描く人物において、しばしば足がきちんと描かれていなかったり先細りになっていたりして、その非地上的な性格を示していることの一例を見ている(261)。図147 はガラテアの髪の先のすぐ右側のための習作で、やはりシャセリオーの『アポロンとダフネ』(図12→こちら)の思い出を認めることができる。このようなヴィジョンは、マテューが言うように、フローベールの『聖アントニウスの誘惑』の末尾の部分に想を得たものであろう(262)が、極微の小宇宙の中で、植物も動物も、鉱物も人間も混ざり合って生成する、宇宙の活性化を表わしたものである。このヴィジョンについては次章で触れるが、その点で『ガラテア』の主題は、より肯定的で崇高なものとして捉えられていたのではないかと思われる。自然全体によって祝われる聖婚のヴィジョンが『レダ』のための解説に現われているが(→こちら)、『ガラテア』の構図は『レダ』のそれ(図181→こちら)を<再製>したものなのである(その前には『ヘシオドスとムーサ』(図142)がある)。   モロー《ガラテイアのための習作》
図145  《ガラテアの習作》 MGMd.3233

モロー《ガラテイア》1880(部分)
図145b  図144 の部分

モロー《ガラテイア》
図146  《ガラテア》 MGMd.592

261. Picard, ibid., p.151.

モロー《ガラテイア》
図147  《ガラテア》 MGMd.591

262. Mathieu, ibid., 1976, p.141.
 この油彩がそうした思考を表現するのに成功しているとは思えない。むしろ精巧な細工を施した宝石箱といった感が強い。これに対してレプリカの一点(図 148)では、自然のうごめきのさまがより強調されている。ガラテアの姿は画面に対してかなり小さくなり、からだを倒し、こちらは大きくなり、双の目は伏せて額の第三の目のみをかっと見開いているポリュフェーモスの視線に耐えかねているかのようである。髪の毛もずっと増えてからだ全体にまといついている。ここで髪の描写がサロン出品作ほど中途半端でないのは、最晩年の特徴である絵具の厚塗りのマティエールに支えられているからである。これを強く硬い輪郭の内に象嵌するのが、最晩年の完成作の特徴の一つである。それが最も著しいのが、ガラテアの頭の上にある海草の描写であって、エルンストを思わせるものである。
 モロー美術館にある未完のかなり大きな画布(図149)は、別の意味でサロン出品作より統一された性格を示している。画面はずっと縦長になり、かなり白地を残した渋い色調の筆触は、上から下へ流れ落ちる滝のような流れを作り出している。その中で浮かび上がっては沈み落ちるような、『埋葬』図(図55→こちら)のキリストから<再製>されたガラテアの白い裸身は、文字通りポリュフェーモスの思考の流れの中に、現われ消えていく。
  モロー《ガラテイア》1896頃
図148  《ガラテア》 1896頃、PLM.423 

モロー《ガラテイア》1893-96頃
図.149  《ガラテア》 MGM.100
 サロン完成作のポリュフェーモスは、レプリカのそれに比して、より人間的で弱々しいものになっている。伝説の一ツ眼巨人と違って、額に第三の目が描かれているが、これはモローの発明ではなく、以前の作例、例えば彼を描いたローマ時代のモザイクや、ダブリンのプッサンの作品にも見られる。その方がより自然で、想像し易いわけだが、モローはここで彼に悩む青年、<詩人>の相貌を与えており、第三の目に何らかの意味を与えたことは想像に難くない。先に触れた肉の目と魂の目の対比を考えてもよいし、シヴァ神の額の目を思い出すこともできる。ユゴーは詩人には三つの目があると述べる(263)。いずれにせよモローはここで、ガラテアよりはポリュフェーモスに共感を抱いており、その誘因となったのは、オウィディウスの『転身物語』の中のこの物語の記述にあると思われる。その中でオウィディウスは、巨人に片恋の思いのたけを滔々と述べさせており、それは無骨だが説得力のあるもので、モローは強く印象づけられたのであろう。またそこで、ポリュフェーモスが、自分の口説がガラテアたちに聞かれていることを知らないという設定がなされていることも、モローの交わることのない視線の構図に反映されているものと思われる。さらにモローは、ガラテアの現われないポリュフェーモスだけの構図を何点か制作している。粗い筆致と太い輪郭線で描かれた、褐色と白っぽい灰色だけで賦彩された油彩は(図150)、断崖の上に坐って下を見下ろすポリュフェーモスを描いており、ここでは巨人の姿はサッフォーのそれ(図39→こちら)と重ね合わされている。別の水彩では(図151)、やはり断崖の上に寝そべっている巨人を描いており、『勝利のスフィンクス』(図53→こちら)の同様の視線に比して、腕を組み脛を重ねた楽な姿勢に、モローがスフィンクス以上にこの無骨な巨人に共感を抱いていることを感じさせる。空には『サッフォーの死』(図44b-45b→こちらや、そちら)にも現われていた巨大な鳥が飛んでいる。サンドスはここでのポリュフェーモスのポーズを、シャセリオーの『アリアドネ』(S.152)と関係づけている(264)。そこでは横長の画面に海を背景にして、地に伏し頭を抱える背中を向けた女の姿が大きく描かれている。同様に同じシャセリオーの、会計検査院のための今は失なわれた『オケアニデス』(S.113M-N)を挙げることもできよう。やはり腹這いのこの海の精は、真横から見られており、脚の組み方もほぼ一致する。さらにシャセリオー自身、『アリアドネ』を描くに当たって参照したと思われる、古代のヘルマフロディトス像を思いだしておく必要がある。
    
  263. Riffaterre, ibid., p.9.

モロー《ポリュペーモス》
図150  《ポリュフェーモス》 MGM.114

モロー《ポリュペーモス》1880頃
図151  《ポリュフェーモス》 MGM.587

264. Sandoz, ibid., p.294.
    
iv. 見られる女、イアソーン、デリラ

 『ガラテア』に見られる女性像は、スフィンクスの連作やサロメの連作における、<宿命の女>であると同時に<詩人>でもあり、さらに<巫女>でもあるような女性像とは、かなり性格の異なるものである。もとよりサッフォー、さらに『ピエタ』(図133)の聖母、『オルフェウス』(図123)の娘のようなすぐれて<詩人>、あるいはその同情者とは全く異なる。『岩の上のサッフォー』(図39→こちら)のサッフォーとガラテアはポーズもよく似ているが、額を垂れているか上げているか、腕でからだの正面を遮っているか腕を脇に寄せてからだを全て絵を見る者の目にさらしているか、という違いによってその表情を全く変えている。また<宿命の女>的性格の強い『庭園のサロメ』(図119)とも、そのニュアンスは同じではない。このサロメは自分のことをあまり意識していない、無頓着さを示しているが、ガラテアは自分が見られることを強く意識している。この意味では、ガラテアはモローによって、そして絵を見る者によって感情を移入されることの最も少ないタイプとも言うことができる。スフィンクス、サロメ、サッフォーのような<詩人>である女に対しては、今まで述べてきたように、モローは強く己れの感情を移していた。『庭園のサロメ』はこれとは異なり、モローの感情移入はあまり感じられない。しかしモローは彼女に対しては、その可憐さ無邪気さを慈しんでおり、彼女のために明るい四阿を用意して保護した。これに対してガラテアは、とりわけ見られる、視線の対象である。もちろん彼女は全くの客体ではなく、見られることを意識しているという時、意識しているというその点に秘かな主体性を認めることができ、そこにモローそして絵を見る者の、マゾヒスティックな感情が移入されると考えることができる。この点ではむしろ、『庭園のサロメ』の方がより客体性に徹している。こうした客体性の強い女性像として挙げることのできるものに、ムーサがある。ムーサは<詩人>に霊感を授けてくれるものであり、その意味では<詩人>にとっての対象である。『ヘシオドスとムーサ』の素描(図142)では、二人の登場人物の間の関係はまだ穏やかだが、そこに既に支配の図式が滑り込んでいることは、先に触れた。客体的な性格がさらに強くなれば、全く自分と異なるもの、人間でないもの、ムーサがそうであるように、神々が登場してくる。そしてその力が強くなればなるほど、『旅人オイディプス』(図48→こちら)、『詩人とセイレーン』(図22→こちら)に見られるように、主体と客体の位置が逆転しようとする。逆転が完全に果たされるのが、神の目が絵を見る者を見つめる『ユピテルとセメレー』(図268→こちら)である。<宿命の女>は<宿命性(ファタリテ)>へと変化する。
 このように、モローにおける<宿命の女>と言っても、様々なニュアンスがある。それにつれて、モローの描く人物の示す視線の中で最も例が多いであろう、<伏せられた眼>のモティーフも、自己の内に沈み込んでいるものから、他者に見られていることを意識しているものまで、変化を見せているのである。

   
 モローの制作の中で、<宿命の女>のイマージュがその構想の中ではっきりした姿を現わしたのは、<宿命の女>である以上に<詩人>である『オイディプスとスフィンクス』のスフィンクスを除けば、1865年のサロンに出品された『イアソーン』(図152)が最初であろう。56年の『ピエタ』(図175→こちら)に現われ、後の『ヘシオドスとムーサ』(1867/PLM.98, 67頃/PLM.102, 80頃/PLM.192, 91/ PLM.392 など)でも用いられる、男性の背後に立つ女性というモティーフが、ここで支配の関係を暗示するのに使われている。冷たく整った顔立ちのメディアは、イアソーンより高い位置に描かれ、勝利の身振りの彼の肩に手を置き、目をやや伏せ気味に彼を見下ろしている。目の大きなイアソーンより、メディアがここで主導権を握っていることは、繰り返し述べられてきた。ただイアソーンの肩に手を置くというこの身振りは、相手に接触しているという点で、支配の印象を弱めており、この点ではむしろ、当時ビュルジェが殆んど見分けがつかないと言ったように(265)、やはり男の背後の女という構図の、同じサロンに出品された『若者と死』(PLM.67→こちら)の娘の姿をした死の方が、目を閉じて自足したポーズをしていることによって却って、その力の大きさを暗示している。いずれにせよ、<宿命の女>らしい<宿命の女>が最初に現われるのは、多分にアカデミックで、中期の作品の中では象徴的な装飾が最も多く描き込まれたこの作品においてである。   モロー《イアーソーン》1865
図152  《イアソーン》 1865、PLM.69 

265. Laran Deshaires, ibid., p.31.
 どうしても鷲にしか見えない竜をイアソーンが踏みつけるというモティーフは、やはり竜を足もとに配する聖人像、聖ゲオルギウスか聖マルガリータ、特にモローがヴェネツィアで模写しているマンテーニャの『聖ゲオルギウス』(MGMd.4248)あたりによるものである。イアソーンとメディアの配置については、モローがローマで模写したソドマの『アレクサンドロスとロクサーナの結婚』(図153)の中の、婚姻の神と寵臣ヘフェスティオンのそれに由来することが、マテューによって指摘されている(266)。ところで二人の配置に関しては、ソドマのフレスコ画だけが影響を及ぼしたのではない。この作品のための素描の一枚は(図154)、完成作とは異なるニュアンスを示しており、両者は目を閉じ、メディアはイアソーンを背中から抱き、二人のからだは一つの輪郭を描いている。ここでのメディアの目を閉じた顔は、先に見た『眠り』(図136)のそれと同じで、しかしシャセリオーの『テピダリウム』(図140)ではなく、『デスデモーナ』(図155)の方をその出典にしていると思われる。『デスデモーナ』においても、重なるようにして並ぶ二人の人物が、構図の中央を占めている。このシャセリオーの作品の内でも、最も抒情的な雰囲気の強い作品は、モローが81年頃に描いた『化粧』と題する水彩(図156)の元型ともなっている。この白い衣が印象的なデスデモーナは、シャセリオーが以前に描いたやはり白い衣の、首を傾げて物思いに耽けるエジプトのマリア(図65→こちら)の妹にあたるものだが、この点で先に『エジプトのマリアの回心』の影響を考えた、『牢獄のサロメ』(図110→こちら)の元型もこの作品に求めることができるかも知れない。ここにも階段に通じる戸口が見え、全体の色調も一致する。

 『イアソーン』以前に、女性を巡る観念をその構想の中心に置いた作品としては、1853年に着手され未完に終わった『テスピウスの娘たち』(MGM.25)があり、画面が拡張される以前の中央部分には、暖かい色調で多くの裸身の娘たちが描かれており、物思いに耽けったり放心したりしているが、<宿命の女>的性格に関しては、むしろ元型になったシャセリオーの『テピダリウム』の方に認められる。
  ソードマ《アレクサンドロスとロクサーナの結婚》1516
図153  ソドマ《アレクサンドロスとロクサーナの結婚》

266. Mathieu, ibid., 1976, pp.57, 94, 260
147.

モロー《イアーソーン》
図154  《イアソーン》 MGMd.1754

シャセリオー《デスデモーナ》1849
図155  シャセリオー《デスデモーナ》 1849、S.119

モロー《化粧》1881頃(1885以前)
図156  《化粧》 1881頃、PLM.273
 
 <宿命の女>的性格をよりはっきり認めることのできるものとしては、1862年にドカズヴィルのノートルダム教会のために制作された14点の『十字架の道』連作中の、第11の留(図157)に現われる女性を挙げることできる。キリストが十字架に釘で打たれるのを見下ろしている、「淫らにからだを覗かせる驚くべき衣裳」を身に着けたこの「無頓着な人物がこの場面にいることは、奇異である」(267)。この女性は『庭園のサロメ』の元型であり、モローが後者について語ったように、さして関心も無げに、人の子の受難を見下ろしている。ジルベール・ブーは、「おそらくここには、画家なじみの象徴論に従って、イエスの死に責任のある邪悪と悪の人格化されたものを見なければならない」と述べている(268)。右の奥にも岩の上に坐る、説明のつかない人物が二人か三人見える(補図157)。ブーはこれを兵士としているが、やはり非常に女性的であるとも言う(269)。この背景で岩の上に坐る数人の人物というモティーフは、明らかにウフィッツィにあるミケランジェロの『ドーニ家のマドンナ』(図158)から得られたものと思われる(補図158)。    モロー《『十字架の道』中、第11の留:十字架に釘で打ちつけられるイエス》1862
図157  《『十字架の道』中、第11の留:十字架に釘で打ちつけられるイエス》 1862、PLM.60

267. G.Bou, Gustave Moreau à Decazeville, Rodez, 1964, p.41.

268. id.

モロー《『十字架の道』中、第11の留:十字架に釘で打ちつけられるイエス》1862(部分)
補図157 図157の部分

269. id.

ミケランジェロ《聖家族(トンド・ドーニ)》1503-04
図158  ミケランジェロ《ドーニ家のマドンナ》 1503-4

ミケランジェロ《聖家族(トンド・ドーニ)》1503-04(部分)
補図158 図158の部分
 これ以前の作品では、初期の代表作である、シャセリオーの影響が直接的に現われている1853年の『雅歌』(図159)においても、さらに遡って1844年頃、モローがまだ十代の時の『裁判官たちの前のフリュネー』(MGM.inv.15761)においても、女性は加害者ではなく被害者であり、さらにキャプランの言うように、暴力と性の結びつきが強く暗示されている(270)。生涯の早い時期において、性的なもの、激しく荒々しいものに強く魅かれる傾向を顕著に示している例としては、他にミレーやセザンヌがいる。またマリオ・プラーツは、フローベールとともに、19世紀前半の想像力を支配してきたサディスムが、世紀後半にその受動的側面、即ちマゾヒスムに、<宿命の男>のイマージュが<宿命の女>のそれに移行すると述べているが(271)、モローもその経歴において、大凡同じ展開を辿ったと言えるだろう。
 
  モロー《雅歌》1853
図159  《雅歌》 1853、PLM.23

270. Kaplan, ibid., 1982, pp.22, 25.
補註 Kaplan, 1982, pl.1 では Phryne before the Judges, 1844 頃ですが、Pierre-Louis Mathieu, Tout l'œuvre peint de Gustave Moreau, (Les Classiques de l'Art), Flammarion, Paris, 1991, p.78 / cat.no. 37 では Martyre de Sainte Agathe, 1848 頃となっています

271. Praz, ibid., p.156,
及びp.154.
 サムソンとデリラの物語については、1860年、62年の年記のある素描が残っているが、完成された作品は82年の水彩(図160)が最初である。サムソンは手に鋏を持つデリラの膝に眠っている。両者の関係は『ヘシオドスとムーサ』(図142)を思わせるが、デリラはぼんやりとした視線をこちらにやっており、『ヘシオドスとムーサ』におけるような力の優劣はなく、全体に物憂気な倦怠感が強い。マテューが述べるように、二人のからだは一つとなってうねるアラベスクをなしており(272)、この点では『イアソーン』のための素描(図154)を思い出させる。しかしここでは画面が横長であるため、画面の流れもサムソンとともに横に流れて、力が抜けていく。これを水平垂直の要素が支えている。線も強さのない、淡いもので、色彩もきつさがなく、水彩のにじみを活かしている。サムソンはモローの男性像についてしばしば指摘される、女性的なものの典型である。このような絵全体の性格を集約するのが、ブルトンを魅した(273)、複雑なニュアンスを湛えたデリラの視線である。   モロー《サムソンとデリラ》1882
図160  《サムソンとデリラ》 1882、PLM.277

272. Mathieu, ibid., p.60
27 解説。

273. id.
 以後の作品では、サムソンの姿はもはや現われない。図161 は90年頃の油彩で、召使に化粧させるデリラを描いている。構図は『ガラテア』(図144)に近いが、画面が縦長になり、人物は小さくなる。肉付けは木彫像を思い出させる堅いもので、からだを真っ直に起こし、女性的な柔らかい曲線は全く見られず、何かの偶像のような感がある。先のサムソンと逆に、モローの女性像について、しばしば男性的であることが指摘されるが、このデリラはその典型で、胸の膨らみも殆んど無い。
 図162 は96年頃完成した油彩のための下絵で、粗放な筆致で洞窟のような部屋の中、背後には独立した柱が立ち、右側には真っ直な茎の上に花々が簡略に暗示されている。デリラは浅黒い膚で描かれ、絵を見る者を見つめている。右目の下に白の絵具がついており、涙のように見える。もはや82年の水彩の彼女の優美さは残っていない。
 デリラの連作はサッフォーの連作同様、規模の大きな作品は残さなかったが、モローが晩年好んで取り上げた主題で、幾つかの魅力的な小品を残した。この連作は<宿命の女>に捧げられたものの中でも、<詩人>的な性格はあまり侵入しておらず、これは晩年の傾向を映しているもので、晩年のモローは、<詩人>の活動以上に、<詩人>が見るものへの関心を強めていく。
 習作の領域からあと二点、デリラを扱った作品を取り上げておこう。図163 の娘の顔立ちは『眠り』(図136)のそれを思わせるが、もはや没入の相なのか、意識的なものなのか、区別のつかない自足した表情を示している。これは顔立ちの単純化した描き方、そして作品全体の集中的な性格に由来している。非常に荒々しい筆致で、湿り気のない水彩、グアッシュが塗りつけられている。筆致の荒々しさに応じて、彼女のからだも腰で切断されたかのように折れている。
 図164 は非常に透明感のある水彩で、青、緑、赤といった色彩が鮮やかである。色彩の自足した性格に応じたかのように、デリラには眼球が描き込まれていない。画面上部は少し拡張されている。デリラのからだを拭う黒人女のモティーフは、シャセリオーの『水浴を終えた女』(図165)に由来するものだろう(274)。黒人女の姿勢は、これに同じシャセリオーの『デスデモーナ』(図155)の侍女のそれが重なっている。

  
  モロー《化粧するデリラ》1890頃
図161  《化粧するデリラ》 1890頃、PLM.370

モロー《デリラ》1890頃
図162  《デリラ》 1890頃、MGM.193

モロー《デリラ》
図163  《デリラ》 MGM.571

モロー《デリラ》
図164  《デリラ》 MGM.412

シャセリオー《ハーレムでの入浴》1849
図165  シャセリオー《水浴を終えた女》 1849、S.146

274.
ホルテンが指摘しているらしい。Sandoz, ibid., p.288.補註 Ragnar von Holten, L'art fantastique de Gustave Moreau, Jean-Jacque Pauvert Éditeur, Paris, 1960, pp.49-50, fig.67-68. Sandozpp.50-51 とあるのは誤り)
    
4.女と黒豹

 最後に、晩年の作であろう、サロメの主題に属すると思われる水彩を一点取り上げておこう(図166)。この作品は『女と黒豹』と呼ばれているものだが、マテューはサロメを表わしたものと見なし、左側に見える円形を光輪のあるヨハネの首と見なしている(295)。
 この絵は、先の『デリラ』水彩同様、非常に透明感のあるものだが、一層自由な性格を示している。即ち、余白がかなり残され、用いられている色彩も薄いものを主とし、水をたっぷり含ませてにじませ、上から下へ差別をつけずに流す。そして人物の部分にだけ、一つ一つの色の占める幅を狭く、色と色の間隔をつめ、上から黄のグアッシュでアクセントをつけ、あたかも色と色が集まり、立ち上がって人間の形をなしたかのように、自律的な色彩の運動による形態の生成を、見る者にはっきり感じさせる。そしてその生成の<仕上げ>として、肩から頭の部分に昇るに従って筆致は細かくなり、胸のあたりの装飾、豪華な冠、そして顔の輪郭、最後にこちらを見つめる目を描き込む。
 色彩は明るく軽快である。右の部分はやや単調だが、それを引き締めるために、最上部に柱頭を暗示する線が僅かに描き込まれている。白地の大きさはこの絵の生命であって、これ以上埋めることはできないと見る者に感じさせる。そして頭部が細かく描き込まれていることは、モローがこの時点で、この絵が造形的に完成したことを意識した、ということを示している。もとよりそれは、この作品を公けにすることができる、とモローが考えたことを意味しはしない。<完成作>中最も自由で、白地の活用の点でこの作品と共通するブリヂストン美術館の『化粧』(PLM.385→こちら)でさえ、この作品よりは細かく仕上げられている。しかしこのような作品は、「私はとても自分の芸術を愛しているので、自分だけのために制作する時しか幸せではないだろう」(276)というモローの言葉を思い出させる。
 

モロー《女と黒豹》あるいは《サロメと洗礼者ヨハネの首》
図166  《女と黒豹》 MGM.439

275. Mathieu, ibid., 1984, p.4419の解説。

276. Mathieu, ibid., 1976. p.147.
 このサロメの、額を伏せた顔から横目でこちらを窺う視線は、マテューの言うように、一種「邪悪な」ものである(277)。これに近いものは大原美術館の『雅歌』(図320→こちら)にも見られるが、晩年のモローの絵の中で、今まで目を閉じていたか、ぼんやりと視線を投げていたか、あるいは画面の中の人物同士で見つめ合っていたものが、いまやはっきり絵を見る者の方に、視線をやりはじめたことを物語っている。     277. Mathieu, ibid., 1984, p.44, ibid.
 
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