岡田三郎助《富士ビューホテルの庭》1938

岡田三郎助(1869-1939)
《富士ビューホテルの庭》
1938
油彩・キャンヴァス
53.0×44.0cm
個人蔵

OKADA Saburōsuke
Garden of the Fujiview Hotel
1938
Oil on canvas
53.0×44.0cm
Private collection

Cf., 『藤島武二・岡田三郎助展』図録、そごう美術館、三重県立美術館、ひろしま美術館、2011、p.120/cat.no.O-58

この作品についてはヴァロットン《ボール》とからめて次の拙稿で触れたことがあります;
『三重県立美術館ニュース』、no.139、2011.10.14、「三重県立美術館 カルトクイズ 第134回 回答」 [ <まぐまぐ!のサイト ]

追補 「2019年4月15日より無料バックナンバーの公開を停止しております」とのことでリンク切れなので、以下に転載しておきましょう。この記事のネタである上掲の『藤島武二・岡田三郎助展』については→こちらを参照 [ < 三重県立美術館のサイト ];

三重県立美術館 カルトクイズ 第134回  回答

前回の問題はこちら ⇒

ポスターやちらしでも目を引く岡田三郎助《あやめの衣》の着物。では、今回の出品作中、和装・洋装・中国服・裸体を描いた作品は、藤島と岡田それぞれ何点ずつくらいになるでしょうか?(藤島の縮図帖や画帖、装幀本、岡田の素描、雑誌表紙は除きます)。

答え ⇒ 数え方にもよるのですが、
   和服:藤島8点、岡田26点
   洋服:藤島11点、岡田7点
   中国服:藤島4点
   裸体像:藤島3点、岡田10点
   ちなみに
   風景画:藤島22点、岡田15点
   静物画:藤島1点、岡田2点
   模写:藤島2点、岡田1点
    
と、岡田には和服を着た人物を描いた作品が多いことになります。
 以上はもちろん、今回の出品作から数えただけなので、それぞれ全作品で検証しないかぎり二人の特性について云々するわけにはいきますまい。ただ、当時は現在とは、和装洋装がはらむ社会的なニュアンスが異なっていたことでしょうし、人物を描いていても、肖像画と構想画では意味づけも違ってくることでしょう。
 なお《あやめの衣》(1927年)のように、裸婦と和服をくみあわせたものは、和服の方にいれました。風景画でも、描かれた人物の衣装が判別できるもので、服の方に数えた作品もあります。

 さて、《あやめの衣》もさることながら、今回展示されている作品で印象深いのは、岡田の《支那絹の前》(1920年)でしょう。一見して画面は、独特の緊迫感をたたえています。これは、モデルがまとう明るい柿色の着物と、背景を覆う暗青色の布が、窓のような抜ける所がないために、全面的に拮抗しあっているためでしょう。しかも着物と背景の布にはそれぞれ文様が施されており、これは緊張を緩和する以上に、多声的に増幅させているように思われます。モデルが腰に巻きつけた紫の着物も、柿色の着物と暗青色の布を仲介しつつ、色や文様の多声的な呼び交わしあいに参加しています。暗青色の布に施された文様は、明るい青および、花の部分では赤を混ぜて薄塗りで描かれています。また柿色の着物の文様で、明るい部分は近づいてみると、あたかも胡粉のようにずいぶん厚く盛りあげられている点も、目を引くところです。

 ヴュイヤールやマティスのある種の作品と比較したくなるこの画面は、図版で見ていた時はその緊迫感ゆえ、フィレンツェ・マニエリスムの画家ブロンズィーノの《ルクレティア・パンチャティーキの肖像》(1540年頃、ウフィッツィ美術館)や《大公妃エレオノーラ・ディ・トレードとその息子ジョヴァンニ・デ・メディチの肖像》(1544-45年、同)を連想させたことでした。そこでは硬直それ自体が表現の核をなしているとでもいえそうな、異様なまでのこわばりが描きだされています。
 しかし《支那絹の前》は、実物の前に立った時、その印象を変えました。緊迫感は保ったまま、ブロンズィーノの鉱物的な肖像に比べると、はるかに人間的な感触を感じたのです。先にふれた着物の文様の厚塗りとも相まって、着物に覆われた身体は微妙な立体感のある肉づけを施されており、青い布の平面性と緊張しあうわけですが、とりわけ顔の部分は、柔らかい肌触りを感じさせます。それでいてその表情は、にこにこしているとも物思いに耽っているともいえない、少し蒼褪めて、独特のむすっとしたものです。だから逆に、人間的と呼ぶほかない存在感がもたらされたのでしょう。

 才気走った藤島に比べると、岡田は地味に映りますが、これ以外にも興味を引く作品を見つけることができます。
 小品ですが、亡霊が薄明の荒野を彷徨しているかのような《逍遙(エスキース)》(1901年、草も木も生えているのですが)。
 藤島の《中国風景》(1938年)と張りあうかのような、薄塗りの淡い寒色系の色面による《甲州山中湖》(1916年。制作されたのはこちらの方が先なのですが)。
 唐突なまでに明暗が対比された照り返しの中に、遊ぶ白衣の子供を小さく描きいれた奇妙な構図という点で、ナビ派の画家ヴァロットンの《ボール》(1899年、オルセー美術館)を連想させる《富士ビューホテルの庭》(1938年)。
 左右を反転するとプッサンの《川から救いあげられたモーセ》(1638年、ルーヴル美術館)と構図がよく似ている《桜狩(観桜の図)》(1908年。左右反転しているのは、普通に考えると版画を参照したためなのでしょうが、構図の向きが、欧語日本語の文字の書き方にも対応しているのも面白い点と見なせるかもしれません)など。
 岡田の作品をまとめてみる機会は多くはないものと思われますので、この折りにぜひご覧いただき、また藤島と比べてみてください。

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