ハンリィ・ヴァン・ド・ヴェルド (1863-1957) 雑誌『ヴァン・ニュー・エン・ストラックス』第1号表紙 1893年 紙 28x22cm 個人蔵 Henry van de Velde Cover of the Magazinw Van nu en straks (Of Now and Afterwards), vol.1 1893 Paper 28x22cm Private collection |
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Cf., | 西澤信彌、「My «fin de siècle Design»Gallery:2 ストーリーの発端」、STYLING international、no.8、September 1987、pp.110-111 Klaus-Jürgen Sembach, translated by Michael Robinson, Henry van de Velde, Thames and Hudson, London, 1989, p.15 『ヴァン・ド・ヴェルド展』図録、東京国立近代美術館工芸館、三重県立美術館、伊丹市立美術館、1990、p.46 / cat.no.31 Cf. の cf., 西澤信彌、「アンリ・ヴァン・ド・ヴェルドと雑誌『ヴァン・ニュー・エン・シュトラークス』」、『美術史研究』、no.8、1971、pp.67-84 |
横長の枠の中を、波打つ線がみたしている。具体的な対象をなぞるとはとても見えず、手の動くままにゆだねたかのようだ。ただ、右上に太陽と海が認められるので、何らかのイメージから出発はしたのだろう。 右下ではこの作品が表紙を飾った雑誌の標題が、枠の内と外二語ずつ配されているが、内側の'NU'は主な線と見分けがつかず、外の'STRAKS'も、枠の内の運動を継続するべく踊っている。ここだけ枠がとぎれて、枠内と紙面全体を統一する。 とすれば、向こう側への窓なす絵画ではなく、表紙を飾るデザインが問題なのだろう。抽象性も、装飾という機能に、紙面を突き破らぬよう要請された結果であるわけだ。 ただし、線は、平面的なパターンでおさまってはいない。線の軌跡は袋状に閉じており、枠どりに抗する独自の生命を求めてのたうつ。機能に即した構造と、それをはみでようとする力動との緊張こそが、この作品の格なのである。 |
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(県立美術館学芸員・石崎勝基) 『中日新聞』(三重総合)、1990.7.25、「『ヴァン・ド・ヴェルド展』から 6」 『ヴァン・ド・ヴェルド展』(1990/7/14~8/19)より →こちらを参照 [ < 三重県立美術館サイト ] |
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なお、やはり三重県立美術館のサイトより; 「ハンリィ・ヴァン・ド・ヴェルド 『バックル』」、『ひる・ういんど』、no.32、1990.9 →こちら:ヴァン・ド・ヴェルド《インク壺》(1898以降)の頁や、またあちら:同《ピアノ用椅子》(1907)の頁も参照 |
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