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フランケンシュタインの逆襲
The Curse of Frankenstein
    1957年、イギリス 
 監督   テレンス・フィッシャー 
撮影   ジャック・アッシャー 
編集   ジェイムズ・ニーズ 
 プロダクション・デザイン   バーナード・ロビンソン 
 美術   テッド・マーシャル 
    約1時間23分 
画面比:横×縦    1.66:1 
    カラー 

VHS
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 『遊星よりの物体X』(1951、監督・クリスチャン・ネイビー)、『宇宙戦争』(1953、監督:バイロン・ハスキン)、『放射能X』(1954、監督:ゴードン・ダグラス)、『宇宙水爆戦』(1955、監督:ジョゼフ・F・ニューマン)、『禁断の惑星』(1956)、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956、監督:ドン・シーゲル)、『地底探検』(1959、監督:ヘンリー・レヴィン)などなどその他、1950年代のアメリカでは、今日いわゆるSF映画の古典と見なされる作品が続々と公開された一方(ちなみに日本の『ゴジラ』(監督:本多猪四郎)は1954年)、いわゆる怪奇映画はいささか淋しい状況にあったようです。もっとも、SFと怪奇ものは近親関係にあって、截然と分かてるものでもありません。上に挙げた作品でも、しばしば〈恐怖〉や〈怪物〉が主役を張っていました。かつての『フランケンシュタイン』(1931)はもとより、やはり同時期の『大アマゾンの半魚人』(1954、監督:ジャック・アーノルド→こちらで挙げました)ははたしてSFなのか怪奇映画なのかと問うても、詮方ありますまい。
 さて、アメリカ映画のみならず、『原子人間』(1955、監督:ヴァル・ゲスト)、『怪獣ウラン』(1956、監督:レスリー・ノーマン)、『宇宙からの侵略生物』(1957、監督:ヴァル・ゲスト)といったやはりSF映画を製作してきたイギリスのハマー・フィルムが、かつてユニヴァーサルから送りだされた怪奇映画の古典を再解釈するその第一弾が本作品です(同年にはやはりピーター・クッシング(カッシング)が出演した『恐怖の雪男』(監督:ヴァル・ゲスト)も製作されていますが、この作品の主題はたしかに恐怖であるものの、雪男はその主体ではありません。稲生平太郎曰く、「驚くほど知的な作品」。稲生平太郎・高橋洋、『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』、2014、p271、またp.279)。主要なスタッフ・キャストが同じ翌年の『吸血鬼ドラキュラ』とあわせて、ハマー・フィルムを怪奇映画の銘柄として認知させただけでなく、やはり同年の『吸血鬼』(1957、監督・リッカルド・フレーダ)を先駆けに、『血ぬられた墓標』(1960)以降のマリオ・バーヴァ監督作品を始めとするイタリア怪奇映画、また『アッシャー家の惨劇』(1960)に始まるロジャー・コーマン監督による一連のエドガー・ポーものの呼び水ともなったと見なすこともできるでしょう。1960年代初頭にはさらに、『血とバラ』(1960、監督:ロジェ・ヴァディム)、『回転』(1961、監督:ジャック・クレイトン)、『たたり』(1963、監督:ロバート・ワイズ)などの作品も製作されています。さらに、日本版のソフトは出ていないようで今のところ実見できないでいるのですが、同時期のメキシコには『吸血鬼』(1957、監督:フェルナンド・メンデス)とその続篇『吸血鬼の柩』(1958、監督:同)、『泣き女の呪い』(1961、監督:ラファエル・バレドン)などの怪奇映画があるとのことです(次のウェブ・ページを参照ください→「〈メキシカン・ホラー PART2〉クラシック篇 第1章」[ < angeleyes ])。日本でも一連の怪談映画のさなかに『女吸血鬼』(1959)のような作品が製作されたのは、こうした動向と無縁ではありますまい。さながら、『カリガリ博士』(1919)や『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)などの無声映画時代を第一、『魔人ドラキュラ』(1931)と『フランケンシュタイン』(1931)に始まる1930~40年代のユニヴァーサルの作品を、『キャット・ピープル』(1942)や『私はゾンビと歩いた!』(1943)などRKOでのヴァル・リュートン製作作品とあわせて第二とすれば、怪奇映画第三の大波が訪れたのごとくです。
 他方ヒチコックの『サイコ』(1960)に率いられたサイコ・スリラーを横目に、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968、監督:ジョージ・A・ロメロ)および『ローズマリーの赤ちゃん』(1968、監督:ロマン・ポランスキー)を経て、『エクソシスト』(1973、監督:ウィリアム・フリードキン)がいわゆる〈オカルトもの〉を流行させることになりますが、多く同時代の日常を舞台にしたより現実味のある恐怖を主題とするため、今日いうところの〈ゴシック・ホラー〉の比重はどんどん少なくならずにはいませんでした。映画製作の状況も変わり、かつてのような大規模なセットを組むことも難しくなっていたようです。『サスペリア』(1977、監督:ダリオ・アルジェント)を始めとする一部のイタリア映画などにその水脈は引き継がれるものの、言い換えれば、50年代後半からのハマー映画をはじめとする一連の作品が、古城が大手を振ることのできた最後の大波でもあったわけです。

 ハマー・プロでテレンス・フィッシャーは、本作品、『吸血鬼ドラキュラ』に続いて『ミイラの幽霊』(1959)、『ジキル博士の二つの顔』(1960、未見)、『吸血狼男』(1961)、『オペラの怪人』(1962)など、ユニヴァーサルの持ち駒を続々と再解釈していきます。その内、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)と『凶人ドラキュラ』(1966)、あわせて3本の吸血鬼を主題にした作品以外は、同じ主題をとりあげたのはいずれも一度ずつなのに対し、フランケンシュタインものが『フランケンシュタインの復讐』(1958)、『フランケンシュタイン 死美人の復讐』(1967)、『フランケンシュタイン 恐怖の生体実験』(1969)、『フランケンシュタインと地獄の怪物(モンスター)』(1974)とあわせて5本にのぼります。ハマー製作になるフランケンシュタインものはこれ以外に、『フランケンシュタインの怒り』(1964、監督:フレディ・フランシス)と The Horror of Frankenstein (1970、監督:ジミー・サングスター、未見)がありました。ドラキュラものが、伯爵の登場しない上記『花嫁』を除けば、『吸血鬼』と『凶人』、『帰って来たドラキュラ』(1968、監督:フレディ・フランシス)、『ドラキュラ血の味』(1970、監督:ピーター・サスディ)、『ドラキュラ復活! 血のエクソシズム』(1970、監督:ロイ・ウォード・ベイカー)、『ドラキュラ'72』(1972、監督:アラン・ギブソン)、『新ドラキュラ 悪魔の儀式』(1974、監督:アラン・ギブソン)、『ドラゴンvs.7人の吸血鬼』(1974、監督:ロイ・ウォード・ベイカー)と8本で、最後のものを除いてクリストファー・リーがタイトル・ロールを演じましたが、監督は計5人が受けもったことになります。これだけの数で比較が成立するものかどうか、いささか心許ないところではありますし、製作者側の意向と監督の意向とがどれだけ噛みあっていたのかも詳らかにしませんが、とまれフィッシャーとフランケンシュタインという主題は縁深いものではあったのでしょう。

 またユニヴァーサルの先例においては『凸凹フランケンシュタインの巻』(1948)にいたる8本の作品に、演者は変われど登場し続けたのが怪物であるのに対し、ハマーないしフィッシャーのフランケンシュタインものでは、70年の The Horror of Frankenstein 以外はピーター・クッシングが演じた、フランケンシュタイン博士に焦点が当てられています。博士の性格付けは作品によって、比較的温厚な場合と冷酷無惨な場合に変化するのですが、第一作である本作品は後者の典型です。研究のためなら手段を問わないというのはともかく、そのかたわらでメイドと情事を重ね、邪魔になると怪物に殺させるというのは、マッド・サイエンティストであればこそいささかそぐわない気もしますが、続く『吸血鬼ドラキュラ』や『吸血鬼ドラキュラの花嫁』におけるヴァン・ヘルシング教授のような善玉役であれ今回のような悪玉役であれ、クッシングが広い額にかかる髪の毛を乱して奮闘するさまは、感慨を催させずにはいません(クッシングについては『ハムレット』(1948)でも触れました→こちら、また下の「おまけ」も参照)。
 対するに怪物が登場するのは、50分弱が過ぎてからで、本篇の半分以上を費やして物語られるのは、怪物創造の経緯です。怪物を演じたクリストファー・リーは、「あの怪物は気の毒なキャラクターなんだ。“彼”の手にかかって死んだ人々よりも、望んでこの世に生まれたわけではない。つまり犠牲者だった」と述べています(ジョン・ランディス、『モンスター大図鑑』、2013、「モンスター対談 クリストファー・リー」、p.44)。かなりグロテスクなメイキャップを施されてはいますが、盲目の老人に触れられそうになってはっと身を引くさま、一度銃で撃たれた後、男爵に甦らせられた際、男爵の協力者ポールに見られて顔を背けるさまなどに、そうした性格付けがうかがえるのでしょう。ただボリス・カーロフが演じた怪物の威厳にはこの時点では達しておらず、それには続く『吸血鬼ドラキュラ』を待たねばならないように思われます。
 またこの物語では、男爵の家庭教師、後に協力者となり、ついには袂を分かつことになるポール・クレンプ(ロバート・アークハート)の占める位置が、男爵の従妹で婚約者エリザベス(ヘイゼル・コート)やメイドのジャスティン(ヴァレリー・ゴーント)ら女性陣以上に大きい点が目を引きます。死刑執行の朝、ポールとエリザベスは牢獄に赴きますが、面会したのはポールだけで、エリザベスは事務室にとどまったままでした。また怪物の手にかかったらしき盲目の老人とその孫、メイドを除けば、怪物の存在を知るのはポールだけで、エリザベスも背後に迫られたものの、その姿を目にしていません。物語が男爵の回想として綴られるせいもあって、エピローグでのポールの否定は、回想自体が実は男爵の妄想だったとする解釈を許すことでしょう。深読みすれば、二人は互いが互いの分身のような関係にあると見なすこともできます。あるいはさらに附会すれば、一人の人間の二つの面でしょうか。


 『原子人間』、『怪獣ウラン』、『宇宙からの侵略生物』でも音楽を担当していたジェイムズ・バーナードの曲に伴なわれた物語は、百数十年前のスイスの山中を舞台にしています。プロローグとエピローグの獄舎、男爵が〈部品〉の調達に出向く二度の場面、墓地、館にほど近いと思われる池のそばの森を除いて、お話はほぼ館から出ることがありません。バーナード・ロビンソンとテッド・マーシャルによるセットは、続く『吸血鬼ドラキュラ』における城内ほど鮮烈な印象を刻まないものの、かつてのユニヴァーサルに比べればはるかに限られていたであろう予算の範囲内で、とりわけ実験室前の廊下や屋上部分で面白い空間を見せてくれます。ハマー・プロのセットは、戦前のハリウッド映画や、あるいは同じイギリスの『ハムレット』(1948)のように、むやみにだだっ広いという感じは与えません。セットに天井は設けないはずですが、寒さが気になるほどに天井が高いとも感じられない。その分うまくいけば、密度が濃いとの感触をもたらすことができるのでしょう。

 山中を進む騎馬の人物の背を、遠くから見下ろしたカットを経て、この人物が訪問先の門を通り、中庭の先にある事務室から入っていくのは、牢獄であることがわかります。長くもない廊下の先の牢に通されれば、低いアーチの向こうにある暗がりから声がかけられる。そこには寝台があり、最初姿が見えない人物は死刑執行まで1時間を切った男爵です。かくして回想が始まります。

 館の玄関を入ると、奥に真っ直ぐ向かう廊下の向かって左側は、数段のぼって広めの踊り場をなしています。玄関脇の壁には窓が設けられ、その下に長椅子が置かれる。画面奥の壁、左寄りに数段さがって黒い扉があります。後の場面でここからメイドが出入りするので、扉の向こうは使用人用の区画なのでしょう。踊り場の右には、数段のぼって左へ折れる上への階段があります。手前の廊下との間には手すりがはさまれ、その出発点では柱が吹抜の天井へ伸びる。
 手前の廊下を先へ進むと、すぐに扉があり、その先は居間です。居間の中にも、左に奥への扉があります。館にはこの他、ポールと少年時代の男爵が勉強部屋として使っていた、あまり広くなさそうな部屋がまず映されます。医学の勉強をするということで、骸骨が吊されています。またポールの私室、後にはエリザベスが使う部屋も登場しますが(男爵の部屋は現われません)、核となるのは研究室です。
 この部屋は細長い形状をしているのでしょうか、奥の壁上半には手前に傾く窓があり、その脇の壁に電源を入れるスイッチ、下には赤く光る電球群が設置されています。金属の細い円柱が部分的に低くなった天井を支えている。すぐ手前には白い羽のようなものが刻まれたクルクルと回転する円盤が見えます。後の場面で、2枚の円形のガラスを重ね、そこに白い羽を描いたものであることがわかります。手前にはたくさんのフラスコ類が置かれ、色とりどりの液体で満たされている。ガラスを取り外せる水槽があって、やはり何らかの透明な液体が入っています。液体を抜いて枠を外すと、まずは子犬の蘇生が実験されていたのでした。この水槽は怪物創造にあたって、人間大のものに拡張されることでしょう。
 なお、人間を創造しようとする男爵に対して、ポールは日本語字幕で「造物主に対する反逆だ」と批難しますが、〈造物主〉の原語は nature であるようです。


 下から見上げられた夜の絞首台での〈材料〉調達の場面を経て、研究室に戻ります。室内、画面では手前右に別の扉があって、入って左に曲がれば突きあたりに鉄格子のはまった窓がある。倉庫として用いられているらしき部屋はいったん折れてその左にも伸びており、数段あがってその左手には薄緑の液体を貯めた大きな石の水槽があります。この水槽に満たされているのは酸なのでした。水槽が左手の壁に接する部分は、短いのぼり傾斜になっています。上からは太い縄が垂れている。さらに奥には低く緩やかなアーチがあり、向こう側にもアーチと白い角柱が覗いています。水槽の右側にも半円アーチが見えます。
 研究室に戻ると、奥の方には凹んだ区画があり、本棚や骸骨があります。ここがかつての勉強部屋なのかどうかはわかりませんでした。手前には斜めになった木の柱があり、さらにその前、こちらは垂直の柱が低くなった天井に接する部分には、長辺がギザギザに刻まれた下向き三角が天井と柱をつないでいました。

 玄関前の階段をあがると、左に廊下が伸びており、吹抜には手すりがつけられています。階段に沿った壁や私室などにもたくさん絵が飾られていますが、階段上の廊下の壁にかけられていて、男爵が客人の教授に指し示したのは、レンブラントの《トゥルプ博士の解剖学講義》(下に挿図を掲げておきます)の縮小版でした。

 墓地には木造の教会があります。男爵家の墓所は石像の平屋建てで、屋根の左側に鷲らしき像が据えられている。まわりには半円アーチの上に腕の短い十字架をいただく墓石がぎっしりと密集しています。
 墓所の中は低く緩やかなアーチに区切られていて、手にかけた教授の柩をあばこうとする男爵を焦点にカメラが左から右へ回りこむと、角をはさんで左に、アーチがあってその向こうに上への階段が見えます。さらに左には低い尖頭アーチがあり、下へ降りているのでしょうか。階段の上に黒い人影が現われる。このモティーフは続く『吸血鬼ドラキュラ』でも変奏されることになるでしょう。


 また研究室です。被造物(クリーチャー)の水槽からは斜めの金属棒が何本も天井まで伸びています。水槽は向こう側に回って数段のぼり、操作するようになっている。奥に低く太い梁が走っています。
 この作品では館の外観はあまり映されず、全体像は最後までわからないのですが、ここでまず、窓のある幅の狭い壁を中央に、その左右にゆるやかな角度で壁が手前に折れ、それぞれにやはり窓のあるさまが登場します。右の壁の窓には鎧戸がついている。上端は鋸歯型胸壁で縁取られています。中央の壁のさらに屋上に、窓と、その背後が斜めにおりていく部分が覗いていて、下の窓3つが暗いのに対し、ここは内から光が洩れています。これが研究室ということのようです。別の場面で研究室が2階以上にあることが示されていましたが、どうやら最上階にあるらしい。
 研究室内の場面をはさんで、また別の外観が映されます。画面中央に左下がりの大きな梁が走り、奥には急角度の屋根が見えます。屋根には鱗状に瓦が敷かれている。斜めの梁の手前には、半円状の壁があり、戸口が開いています。その左右も入り組んだ造りになっているようです。嬉しいですね。
 斜めの梁が降りきった先は、小塔につながっており、これが避雷針の働きをするのでしょうか。ここに雷が落ちると、ポールに手助けを頼みにいくためいったん止められた装置が、男爵が部屋を開けた隙に勝手に動きだすのでした。
 奥に窓のある廊下が映ります。奥から手前に向かって幅の広い段を何段かおり、次いで狭い段を数段おりる。上にはゆるいアーチがかかっています。階段の下から左へ折れて、少し進めば左側の壁に研究室の扉がある。この廊下のシークエンスは以後何度かくりかえされます。2年後の『バスカヴィル家の犬』でもその変奏が見られることでしょう。やっぱり廊下だよ廊下、といいたくなるところです。


 生命を賦与する作業の間は、音楽がやんでいます。男爵が戻ってきて扉を開けると、白い包帯に包まれた人間が立っており、同時にジャーンと鳴るのでした。白い人間が顔の包帯を剥がすと、カメラは急速にズーム・インします。

 怪物がいつの間にか逃げだし、舞台は森に移ります。ハマーの作品にはこうした森がよく登場します。撮影所の近くでロケしたのでしょうが、寒々とした感じが雰囲気醸成に一役も二役も貢献しています。
 さて、盲目の老人との顛末を経て、追ってきたポールと男爵の前に怪物が姿を現わす。男爵が止める暇もあらばこそ、ポールは猟銃を撃ちます。怪物が倒れるとともに、地面に敷きつもった枯葉が、いくつも浮きあがってふらつくのでした。


 夜の館のシルエットが映ります。右側に円塔があり、その左に破風が一つ、右側には大きな破風二つに小さな破風二つが見える。屋内は玄関脇の踊り場奥の扉の前でのメイドと男爵のやりとりをはさんで、また別のシルエットが登場します。左に円塔があり、右に低く破風がある。破風の輪郭は段々になっています。こうした外観のショットは短いものですが、これらを挿入する手間を省かないおかげで、ほとんどが館内で展開する物語に、はっきりした輪郭がもたらされるのでしょう。大いに誉めておきましょう。

 男爵との結婚の見込みを反古にされたメイドは、深夜に何らかの証拠を見つけようと研究室へ向かいます。ゆったりした白い寝着姿のお姉さんがこわごわ城の中をさまよう。これだよこれと涙するしかありますまい。
 アーチ越しに実験室前の廊下の奥、右下にある階段からのぼってきて、手前へ進むとともにカメラも後退、角を曲がって扉の脇に着くまでが1カットで映されます。そのままカメラは下を向き、扉の下から洩れる光を示す。光が消えると、メイドは来た側とは反対側に進み、すぐにある角の影に隠れます。突きあたりにあるのは別の扉でしょうか、縦の線に区切られ、向こうから月明かりが射しています。
 研究室の扉から男爵が出てきて、角を曲がり、奥の階段へ向かうさまがやはり1カットでとらえられます。メイドが出てきて研究室内に入り、動き廻ってから中の扉の前に行くまで、カメラは寄り添って動きながらカットを割りません。
 中の扉から入って向かい側にある棚をメイドが探る一方、その背後、突きあたりの壁に伸ばされた腕の影が落ちるのでした。

 男爵とエリザベスの結婚式前夜、撃ち殺したはずの怪物が甦っているのを見て、ポールは通報すると飛びだします。それを追って研究室を走って横切る男爵の背が速い。二人は屋外に移り、その争いはけっこう激しい。このあたりからクッシングの独壇場でしょうか。
 一方エリザベスは、二人が外へ出た隙に、何が起こったのかと前々から入れてもらえなかった研究室に忍びこみ、さらに内部屋まで見て回ります。酸の槽の上には斜めになった窓があり、それをカメラは下から見上げる。鎖を振り切っていた怪物がそこから見下ろすのでした。
 他方外で争っていた二人は屋上に怪物がいることに気づきます。左側に画面上端まで届く壁があり、その右手、少し奥まった位置にまた壁があります。この壁の上辺は鋸歯型胸壁になっている。さらに右手にも、やはり奥まって壁があるのですが、三つの壁の中ほどにつながって伸びている歩廊があるようで、真ん中の壁の歩廊に怪物が立っているさまが、下から見上げられます。右手にはその影も落ちています。
 続いて、これは先の大きな斜めの梁があるところを角度を少し変えて映したのでしょうか、斜めの梁の先にはやはり小塔があります。梁の下に窓があり、少し左奥には斜めになった窓が見える。これは研究室の窓か、酸の槽の上の窓でしょうか。斜め窓の手前、数段あがって、先には斜めの屋根があります。カメラは右から左へ動く。
 エリザベスは酸の槽の奥でしょうか、扉の向こうに左へのぼる階段を見つけます。そこをあがると、左に斜め窓がある屋上に出るのでした。右には仕切り壁があり、狭いバルコニーとして欄干で区切られています。斜め窓の左右は鱗状瓦屋根になっている。手前には半円アーチ、扉の上には斜めの梁が走っています。


 廊下奥の階段から角を曲がって研究室の扉まで駆けつける男爵が、1カットでとらえられます。息を切らしながら内部屋へ、酸の槽の奥を左へ曲がり、階段から屋上のバルコニーに出る。バルコニーから歩廊を進む。右手は斜め窓つきの鱗状瓦屋根になっており、左手は数段のぼって歩廊が続きます。手前はアーチで枠取られている。怪物に襲われ怯えた男爵がランプの火を投げつけると、炎に包まれた怪物は斜め窓を突き破って落下します。その下には酸の槽があったのでした。
 屋上付近および下の研究室との位置関係はもう一つわかりにくくはあるものの、その入り組み具合こそが本作品のハイライトにほかなりますまい。

Cf.,  石田一編著、『ハマー・ホラー伝説』、1995、pp.168-169。他にも関連するページはありますが、とりあえずpp.-161-163 が「アート・ディレクター」です。

なおその内、本作以外にバーナード・ロビンソンが美術を担当した作品でこのサイトで取りあげたものを並べておくと;『宇宙からの侵略生物』(1957)、『吸血鬼ドラキュラ』(1958)、『バスカヴィル家の犬』(1959)、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)、『吸血鬼の接吻』(1963)、『妖女ゴーゴン』(1964)、『凶人ドラキュラ』(1966)、『吸血ゾンビ』(1966)、『蛇女の脅怖』(1966)、『帰って来たドラキュラ』(1968)

またドン・ミンゲイが関わった作品は→こちらを参照

The Horror Movies, 4、1986、p.69

菊地秀行、『夢みる怪奇男爵』、1991、pp.220-224:「フランケンシュタインの逆襲」

菊地秀行、「我がフランケンシュタイン映画史」、『妖魔の宴 スーパー・ホラー・シアター フランケンシュタイン編 1』、1992、pp.253-259

石川三登志、『吸血鬼だらけの宇宙船』、1977、「三人の恐怖映画作家〈フィッシャー、キャッスル、フランシス〉」の内 pp.164-166 など

マーク・ジャンコヴィック、『恐怖の臨界 ホラーの政治学』、1997、pp.118-124

José María Latorre, El cine fantástico, 1987, pp.211-274 : "Capítulo 15 Retrato de Terence Fisher", "Capítulo 16 Grandes nombres del terror en versión Fisher"、とりわけ後者中の pp.219-238 : "Frankenstein y su obra"
こちらにも挙げておきます

Peter Hutchings, Hammer and Beyond. The British Horror Film, 1993, pp.98-129 : "3. Frankenstein and Dracula"、とりわけ pp.99-115 : "Frankenstein"中の pp.103-106
『吸血鬼ドラキュラ』とその連作に関連してこちらにも挙げておきます
また→こちら(『フランケンシュタインの怒り』)にも

Jonathan Rigby, English Gothic. A Century of Horror Cinema, 2002, pp.43-46

The Christopher Lee Filmography, 2004, pp.63-66

David Pirie, A New Heritage of Horror. The English Gothic Cinema, 2008, pp.82-84

Derek Pykett, British Horror Film Locations, 2008, p.33, pp.167-168

Jonathan Rigby, Studies in Terror. Landmarks of Horror Cinema, 2011, pp.94-95

原作等については→『フランケンシュタイン』(1931)のページ
おまけ レンブラント《トゥルプ博士の解剖学講義》1632
レンブラント
《トゥルプ博士の解剖学講義》
1632


* 画像をクリックすると、拡大画像とデータが表示されます。


既に挙げていますが(→こちら)、もう一度;
Kate Bush, "Hammer Horror", Lionheart, 1978

ピーター・クッシング(カッシング)について;
芦屋小雁、『シネマで夢を見てたいねん』、1994、pp.209-217:「第6章 2 教授」

デボラ・デル・ヴェッチーノ、那須史郎訳、「さよなら、聖ピーター 追悼 ピーター・カッシング」、『日本版ファンゴリア』、no.5、1995.3、pp.48-51(→こちらでも挙げました
唐沢俊一、「私的ピーター・カッシング体験」、同上、pp.52-53(→こちらでも挙げました
井上雅彦、「MIND THEATER 闇の大天使」、同上、p.54


菊地秀行、「ジャーン! ある作家の告白(第二回) 『いつだって、早過ぎるのだ』-P・カッシングへ-」、『日本版ファンゴリア』、no.2、1994.11、pp.59-63

上掲石田一編著、『ハマー・ホラー伝説』、1995、pp.62-65:「ピーター・カッシング」。同pp.50-57:「最上の声」他も参照。
「最上の声」他に関連してクリストファー・リーとの関係をめぐって→こちらも参照

モンスタージン』、no.2、2013.10、pp.4-15:「特集 ピーター・カッシング 生誕100周年」

Peter Cushing, Peter Cushing. The Complete Memoirs, Signum Books, 2013
自伝 An Autobiography, 1986 'Past Forgetting'. Memoirs of the Hammer Years, 1988, "The Peter Cushing Story", 1955 の合本。ジョイス・ブロートン(長年にわたってクッシングの秘書を務めた)の序文、ジョナサン・リグビーの序論付き。'Past Forgetting'にはピーター・グレイの序文があります。
ジョナサン・リグビーについては→上掲
Jonathan Rigby, English Gothic. A Century of Horror Cinema, 2002 を参照

Mark A. Miller, Christopher Lee and Peter Cushing and Horror Cinema. A Filmography of Their 22 Collaborations, McFarland & Company, Inc., Publishers, Jefferson, North Carolina, and London, 1995/2010
ロバート・ブロック、リー、クッシングの序文付き。
本作については;
pp.42-70:"4. The Color of Blood. The Curse of Frankenstein (1957)"
こちら(『ハムレット』)そちら(『吸血鬼ドラキュラ』)あちら(『バスカヴィル家の犬』)、またこなた(『妖女ゴーゴン』)そなた(『ドラキュラ'72』)でも挙げています。
こちらでも挙げています


David Miller, Peter Cushing. A Life in Film, Titan Books, 2000/2013
評伝。ヴェロニカ・カールソンの序文付き。
本作については;pp.60-63
こちら(『ハムレット』)そちら(『吸血鬼ドラキュラ』)あちら(『バスカヴィル家の犬』)、またこなた(『吸血鬼ドラキュラの花嫁』)そなた(『フランケンシュタインの怒り』)あなた(『妖女ゴーゴン』)こっち(『バンパイア・ラヴァーズ』)そっち(『ドラキュラ血のしたたり』)あっち(『ドラキュラ'72』)でも挙げています。


Joel Eisner, The Price of Fear. The Film Career of Vincent Price; In His Own Words, 2013, pp.i-ii : "Forward" by Peter Cushing
 2015/1/19 以後、随時修正・追補
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