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宇宙からの侵略生物 *
Quatermass 2
    1957年、イギリス 
 監督   ヴァル・ゲスト 
撮影   ジェラルド・ギブス 
編集   ジェイムズ・ニーズ 
 美術   バーナード・ロビンソン 
    約1時間25分 
画面比:横×縦    1.66:1 
    モノクロ 

VHS
* 手もとのソフトの邦題は『クォーターマス2 宇宙からの挑戦』
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 「美術館(ムゼーウム)霊廟(マウゾレーウム)を結びつけているのは、その発音上の類似だけではない」とは、しばしば引かれるアドルノの「ヴァレリー プルースト 美術館」冒頭近くの一句ですが(テオドール・W・アドルノ、渡辺祐邦・三原弟平訳、『プリズメン 文化批判と社会』(ちくま学芸文庫 ア 11-1)、筑摩書房、1996、p.265)、それをもじれば、古城と工場は語呂が合います。駄洒落以外の何ものでもないとして、駄洒落はいいものです。〈霊廟(マウゾレーウム)〉の語に否定的な含みがはらまれていることをあらかじめ前提にしている点で、アドルノの一文は、修辞として行為遂行的(パフォーマティヴ)に過ぎるのではないかと個人的には思ったりするのですが(と言うこと自体、〈行為遂行的(パフォーマティヴ)〉でない陳述がありえない点はおくにしても、その語にマイナスの負荷を前もってかけているのだから、すでに同じ轍を踏んでいるというほかありますまい)、それはともかく、この文を書きつけた時アドルノは思わずにんまりしていはしなかったかと想像してみるのも、もとより何ら益体ないことなのでした。
 とまれこの作品はタイトルどおりSFで、古城は登場しませんが、中盤からの舞台となる工場は、パイプだの格子が錯綜する空間をもって充分に古城的と見なしてよいでしょう。映画に出てくる工場といえば『メトロポリス』(1926)やチャップリンの『モダン・タイムス』(1936)が思いだされます.。工場という言葉は当てはまらないのかもしれませんが、『禁断の惑星』(1956)における惑星規模の地下動力室も引きあいに出せるでしょうか。もっとも本作品での屋外等の場面は実在する工場でロケしたようで、エセックスでのシェル・ヘイヴン精製所での撮影について、"Shell" Refining and Marketing Company への謝辞が最後に記されています。だから未来のものとして想定された技術による空想的な眺めが出てくるわけではないのですが、『執念のミイラ』(1944)のところでも記したように、工場などの産業建造物は、錯雑したその形姿ゆえ充分に魅力的な空間たりえます(→こちら等も参照)。この作品はその見本の一つにほかなりますまい。

 なお本作品は、怪奇映画に主軸を置くようになる直前のハマー・フィルムが製作したSF作品の内、『原子人間』(1955、監督:ヴァル・ゲスト)に続くクエイターマス(クォーターマス)シリーズの映画版第2弾です。また『怪獣ウラン』(1956、監督:レスリー・ノーマン)に続いて不定形生物が登場します。音楽は先の2作同様ジェイムズ・バーナードで、すでにして相変わらずです。美術監督はハマー・フィルムの諸作品において古城類のセットを手がけることになるバーナード・ロビンソンで、先述のように工場の屋外場面は主としてロケによるものですが、クライマックスでの圧力室など、屋内の一部はセットのようです。またこの3作品では、添え物扱いであれ、ハリウッド映画なら必ず男性主人公のそばに付き添っていそうなヒロインが登場しないのが、特徴の一つと見なすことはできるでしょうか。『原子人間』での宇宙飛行士の妻がそうした位置に近いものの、中途で退場してしまいます。
 その『原子人間』については下に挙げた菊地秀行の文章等を見ていただくとして、人から人ならざるものへと変貌していくリチャード・ワーズワース扮する宇宙飛行士が、最終的に大蛸状の姿となって、ウエストミンスター寺院の屋内、高い梁の上にからみつくさまが印象的でした。
 またクエイターマスを主人公にした作品として、少し間を置いて『火星人地球大襲撃』(1967)が製作されました。監督はロイ・ウォード・ベイカー、クエイターマス役もブライアン・ドンレヴィからアンドリュー・キアに変更、人物のアップが多いせいもあってか、画面の空間はやや伸びに欠ける感無しとせず、古城/工場度は高くないものの、お話のスケールは大きい。遙か過去に滅んだ種族の遺産が亡霊のように作動するという、『禁断の惑星』や光瀬龍の一部の作品を思わせる興味深い作品です。人類の起源なるクトゥルー神話風のモティーフも埋めこまれ、クライマックスで異種排除に駆り立てられる群衆の描写は、突っ立って相手を取り囲むだけであるがゆえにかえって無気味でした。クエイターマスも前2作ほど居丈高ではなく、大いにぐらつきますし、残り二人の主役、ジェイムズ・ドナルド扮するロニー博士とバーバラ・シェリー扮するその助手もがんばります。とりわけバーバラ・シェリーは最初は単なる彩り要員かと思いきや、さにあらず、前年の『凶人ドラキュラ』(1966)に続いて、終盤で巫女よろしく変貌します。そう言えば『妖女ゴーゴン』(1964)でも途中から微妙に変化する役柄を演じていました。ちなみに先の3作と違って彼女はこの映画のヒロインの位置を占めるといってよいでしょうが、少なくとも話の表面上は、二人の男性主人公と恋愛関係にはなりませんでした。最後の場面はこと終わって脱力する彼女とクエイターマスというもので、なかなかにやるせない。


 話を戻せば、本作品を以前見た時に印象に残ったのは、何よりラスト近くで巨大な不定形生物が複数たちあがる姿でした。しかしここでは工場の場面に話を絞りましょう。
 最初は遠景からです。流星というには落下速度がやけに遅い何かがやたらに降り注ぐ地域を調べるべく、クエイターマスと研究所員の一人が車で向かいます。何度も通行禁止の標識に出くわして行っては戻りをくりかえす。車が行ったり来たりする場面は、不在の目的地へ向けた迷宮状の彷徨というモティーフとともに、映画の中での動きというものについていろいろ感じさせてくれます。やがて丘の中腹を走る道で、進入禁止になっている工場を見渡すことになります。それは研究所に置かれた来るべき月基地の模型にそっくりだと言うのでした。いくつかの大きな球状ドームが目を引きます。
 この場面は道のすぐ下の斜面で展開します。あちこちに壊れた人家の廃墟が散らばっているのも嬉しい点ですが、何より斜面という空間を舞台にした点が緊迫感を出すのに貢献しています。この斜面はラストにも再登場します。
 他方、そこでクエイターマスたちが落ちていた隕石などを検分していると、工場で警報が鳴り車が発進します。この場面では、画面左上を黒っぽい軒先が縁取りし、向こうに二つの球状タンクが見えます。これは先ほどの巨大なドームとは違って、工場などに実際にありそうなものです。左側のタンクの手前は大きな塀のようなものがなかば隠しています。この塀は浅い凹凸のある方形で分割されていて、高さはタンクと同じほどあります。さらに右向こうには黒っぽい煙突がぽつんとそびえている。この眺めを映したカメラが下を向くと、発進する車が上から見下ろされるのでした。

 隕石が破裂して傷を負った研究所員は銃を持った警備員たちに連れ去られ、クエイターマスは近くの村や前回も登場していた警部(俳優は別の人でした)に助力を求めますが、どうも上からの圧力がかかっているのか要領を得ない。警部の紹介でやはり工場に疑念を抱いている議員とともに、工場見学の一行に潜りこむのでした。この時工場側からの案内人を、翌年の『吸血鬼ドラキュラ』(1958)でジョナサン・ハーカー役をつとめるジョン・ヴァン・エイセンが演じていました。
 さて、約30分前後で、工場内に入る最初のシークエンスです。まずは先の場面でも映った二つのタンクがより広い眺めの内に配されます。左側の大きな塀の、さらに左には黒っぽいタンクがもう一つあり、たくさんの足場で囲まれています。建造中なのでしょうか。これら三つのタンクのさらに左右、黒い煙突が数本立っている。
 敷地はかなり広いようです。地面を這うパイプが長々と伸びており、ところどころで緩い傾斜をもって上下しています。一行は車で移動しているのですが、それに伴なって足場付きの煙突群が下から見上げられる。パイプが格子状に組みあげられ、その合間に小さなタンクが配されています。いかにも大規模な工場らしい眺めが満載といったところでしょうか。
 一行が降車するさまがはるか上から俯瞰されます。妙に太い煙突を経て、目的地のドームの手前にあるらしき明るいコンクリ-トの広場が上から見下ろされます。一行は左から右へ進むのですが、その左右には方形の大きな凹みが設けられています。右側の凹みには、中へおりるための6~7段の階段が見える。一行は凹みと凹みの間の橋状の部分を渡ります。ここはゆるいのぼり坂になっているようです。
 目指す黒っぽいドームが正面から映されます。これはマット画でしょう。手前から中央奥へ道が伸び、そこを進む一行の背が見える。左には太い煙突、その手前に格子状の建造物があります。ドームの右手には上方でドームの方、左に曲がる塔のようなものが何本か立っています。


 一行は屋内に入ります。中は細長い空間をなしており、左奥から手前へ壁沿いの狭い通路が伸びています。通路の右手はかなり下まで落ちこむ凹みになっていて、その右端が壁です。壁からは下へおりるパイプが何本も出ています。画面手前、凹みを通路から右へ渡る橋がかけられています。天井は三角の天窓になっているようです。この空間はセットなのかどうか。
 凹みの底に何人かの作業員が現われ、彼らが下から見上げるショットになると、一行のいる橋までかなり高さがあることがわかります。橋の下も壁で、その中央あたりには梯子がかかっている。橋の手前にも別の橋だか水平の梁が映っています。
 右側の壁の上方には、規則的に方形の窓が設けられています。また一行が屋内に入ってきた所は、角を丸めた金属の仕切りで覆われており、出入り口の向こうには左下がりの階段がのぞいています。出入り口側から見て右の突きあたりの壁には、大きなX字型の梁が渡されています。

 議員がいないことに気づいた案内人は一行を屋内に閉じこめようとするのですが、クエイターマスはそれを振り切って外へ駆けだす。随所に渡り通路のある塔状の建造物群を経て、工場映画的には山場の一つの始まりです。
 まず下からタンクが見上げられます。頂上から半ばまで外周に沿って湾曲しつつおりてくる階段があり、半ばの所で真っ直ぐ向こうへ下がっていきます。この階段には蹴上げはありません。
 そちらを見上げるクエイターマスのカットを挿んで、やはり下からタンクを見上げるショットが、今度はしかし少し近づいてタンクの上半だけ映せば、頂上から真っ黒になった議員がよろめきながらおりてくるのでした。
 次いでやはり下から、議員を今度は前からとらえます。より近づいている。カメラは微妙に右から左へパンし、議員はその前を横向きで通り過ぎます。タンクの表面に手を当てると、黒い何かがなすりつけられる。手がそのまま左下に消えると、カットが切られます。
 今度はやはり下から、向こうの方へ直線状におりる階段が裏から見上げられます。そこを議員がおりていきます。その姿が画面の下に達すると、またカットが換わる。
 やはり下から、ただし議員の正面に回ります。彼は奥から正面へおりてくる。階段をおりきると、カットが切られます。
 議員は地面を右から左へよろめいていく。すると左側からクエイターマスが現われるのでした。瀕死になりながらも、助けようとするクエイターマスに「俺に触れるな」と叫ぶだけの度量のある議員なのでした。

 水平に伸びるパイプ群の間をクエイターマスは走ります。それにつれてカメラも左から右へ動く。左奥には横に寝かせた円筒3つとその支えが見えます。向こうにはタンクが二つ、その右手は階段状に右下がりになる壁があります。
 カメラがさらに右へ動くと、奥から手前に伸びてきて下へ曲がる節付きのパイプが大きく映ります。画面の奥を画面とほぼ平行に水平のパイプ群とクエイターマスが走り、カメラはそれに併走、そこににょきっとパイプが画面の方に突きだしてくる、これぞ工場映画の見せ場といったところでしょうか。
 建造物の上段からクエイターマスを狙って撃つ警備員たちが上から下からとらえられます。工場のごちゃごちゃと入り組んだ建造物群が視覚的な魅力のかなりの部分を受けもっているシークエンスでした。ここまでで約40分なので、10分ほどでしかないのですが、けっこうおなかいっぱいにしてくれます。


 工場から脱出したクエイターマスは警部と合流、その際日本語字幕によると、ドームの大きさは「200フィートもある」とのことです。61メートル弱となります。クエイターマスと警部は、協力を得た記者とともに工場に近く、工場での労働者がたくさんいる村へいく。そこで一騒動あって、村人たちは暴徒と化して工場に押し寄せます。
 約1時間2分弱で再度の工場訪問です。前回は昼間でしたが、このたびは夜間です。暴徒来襲に先立って、ドームに接する屋内の作業場が映されます。このあたりはセットでしょうか。籠状のエレヴェイターが上下する吹抜が下から見上げられます。奥の壁には梯子がかかっており、左の壁には中2階の通路が走っています。右側の壁は、床から2段ほどあがって、壁にいくつも方形の孔が刳られ、その中は何やら挿入するための円形のチューブになっています。方形の孔列の左側、および角から手前へ折れた壁には、先の孔より高い位置に、円形の覗き窓がいくつか設けられ、その上には前倒しの庇があります。
 マスクをつけた作業員の間ににクエイターマスはいつの間にか紛れこんでおり、覗き孔を覗きこめば、何や泥状のものがうねくっているのでした。挙動不審と見られたのか、見破られそうになったところに暴徒たちの件が放送されます。日本語字幕では150人ほどとなっていましたが、とてもそんなにたくさんいるとは思えない。とまれ奥のゲートから手前へ真っ直ぐ伸びる道が上から見下ろされ、そこをシルエットと化した暴徒たちが走ってきます。道は白く反射しており、これは以降、工場内の敷地に場面が移ると、いたるところにあるパイプや格子の金属面でも見られることになるでしょう。工場の夜景の面目躍如たるところです。暴徒たちは入り組んだ格子の間を駆け抜けます。手前は暗く、奥が明るくなっています。

 クエイターマスと警部、一部の暴徒たちは日本語字幕で「圧力室」という部屋に立てこもります。"pressure control"とか言っていたようですが、自信はありません。ここはセットのようです。この部屋の壁面はさまざまな計器類で埋められているのですが、入口の向かい側の壁には中2階歩廊が設けられています。先だっての作業室にも中2階歩廊がありました。パターンは異なりますが、ロビンソンが美術を担当した『吸血鬼ドラキュラ』、『バスカヴィル家の犬』(1959)、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)、『妖女ゴーゴン』(1964)、『凶人ドラキュラ』などで、幾度となく中2階歩廊に再会することでしょう。
 出入り口の正面から、中2階に上がる階段がまっすぐあがっています。また画面奥、出入り口から見ると右側の壁では、歩廊が数段あがって高くなっています。階段や歩廊の床、手すり等はいずれも黒っぽい色です。


 クエイターマスの指示で、研究所では隕石の出発地に向かってロケットを打ちあげる準備を進めています。この時映る玄関前では、左の壁の奥から右手前へ向かって、末広がりの格子の影が落ちていました。
 なお圧力室に立てこもった村人の一人で、中2階の窓で見張りをつとめるアーニーに扮したマイケル・リッパーは、『怪獣ウラン』でも軍曹役で出演しており、『ミイラの幽霊』(1959、監督:テレンス・フィッシャー)、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960、同)、『吸血ゾンビ』(1966、監督:ジョン・ギリング)、『蛇女の脅怖』(1966、同)、『ミイラ怪人の呪い』(1967、同)、『帰って来たドラキュラ』(1968、監督:フレディ・フランシス)、『ドラキュラ血の味』(1970、監督:ピーター・サスディ)、『ドラキュラ復活! 血のエクソシズム』(1970、監督:ロイ・ウォード・ベイカー)などハマー・フィルムの作品でちょくちょく見かけることになるでしょう(石田一編著、『ハマー・ホラー伝説』、1995、p.81 に4分の1ページですがちゃんと項目立てされていました。また Mark A. Miller, Christopher Lee and Peter Cushing and Horror Cinema, 1995/2010, p.122 も参照)。


 約1時間19分ほどのところで、ドームは破裂、黒々ぬめぬめした不定形の巨大生物が立ちあがります。3体出現しますが、夜なので細部はよくわかりません。しかも実物大の人間との合成ショットがないという、怪獣ものとしては致命的な欠陥を有しています。話の設定上、地球の外気に触れること自体断末魔の証しではあり、大暴れもしてくれないのですが、それでいて、夜明けが近いのかわずかに明るみかけた空を背景に、形も定かでない巨大なものが3体蠢く姿はそれなりに印象的でした。
 一方この隙に脱出したクエイターマスたちは、ジープで前に出てきた丘の中腹の道まで逃げだし、怪物が倒れる工場を眺めやります。怪獣が末路を迎えると、宇宙生物に寄生されていた人間たちも元に戻るのですが、それでも銃撃戦等のドンパチで相当数死んでいるはずです。
 ともあれ、下に挙げた本で北島明弘は「犠牲者は政府の上層部にも及ぶが、これは暗示されるにとどまっている。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』と似た内容だが、こうしたアイデンティティ喪失テーマ、政治アレゴリー・テーマを掘り下げると、もっと深みが出ただろう」と述べています(p.235)。まことにもっともなのですが、ここでは近代的な工場というものの、錯綜した空間で走り回る人物たちを存分に見せてくれた点をもってよしとしておきましょう。

Cf.,  北島明弘、『世界SF映画前史』、2006、pp.234-235、また先行するTVシリーズについて;p.960のno.53、p.964のno.80(番号欠)、pp.966-967のno.05

前作の『原子人間』について、上の文献と合わせ;
The Horror Movies, 4、1986、p.80

菊地秀行、『魔界シネマ館』、1987、pp.199-206:「原子人間」


菊地秀行、『夢みる怪奇男爵』、1991、pp.231-240:「原子人間」

Peter Hutchings, Hammer and Beyond. The British Horror Film, 1993, pp.37-50

Jonathan Rigby, English Gothic. A Century of Horror Cinema, 2002, pp.38-43
『原子人間』、『怪獣ウラン』とあわせて。また『火星人地球大襲撃』については同書、pp.143-144。

Derek Pykett, British Horror Film Locations, 2008, p.101
『原子人間』については同書、pp.100-101、178-179。

やはり『原子人間』について;
Jonathan Rigby, Studies in Terror. Landmarks of Horror Cinema, 2011, pp.86-87
『火星人地球大襲撃』について同書 pp.140-141。

主としてTVシリーズの脚本家ナイジェル・ニールをめぐって;
Jeremy Dyson, Bright Darkness. The Lost Art of the Supernatural Horror Film, 1997, pp.190-195

David Pirie, A New Heritage of Horror. The English Gothic Cinema, 2008, pp.23-31(本作および『原子人間』、『怪獣ウラン』について), 150-152(『火星人大襲撃』について)
おまけ Hammer. The Studio That Dripped Blood!, 2002
2枚組の2枚目10曲目が
"Quatermass II - Defeat of the Aliens / Finale"
5分1秒。


すでに→こちらでも挙げましたが;
Quatermass, Quatermass, 1970(邦題:クォターマス『クォターマス』)
ビルの谷間を何羽ものプテラノドンが舞い降りてくるさまを真下から見上げるという、一度見れば忘れがたいモノクロのジャケットのアルバムで(デザインはヒプノシス)、オルガンを中心としたキーボード、ベイスにドラムスの三人組。曲によっては弦楽を交えつつ、同じくキーボード・トリオのエマーソン・レイク&パーマーやエッグほど鋭角的ではないのかもしれませんが、いろいろと工夫に富んだ、ややハード・ロック寄りの面白いグループだと思われます(→こちらでも触れました)。
"quatermass"なる単語は手もとの英和辞典等では見当たらず、ハマー・フィルムの映画版ないしその元になったBBCで放映されたTVシリーズ(1953、ナイジェル・ニール脚本、ルドルフ・カーティア監督)に由来するのでしょうか。

 2015/2/7 以後、随時修正・追補
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