| < [14] < [13] < [12] < [11] < [10] < [9] < [8] < [7] < [6] < [5] < [4] < [3] < [2] < 『ギュスターヴ・モロー研究序説』(1985) [1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギュスターヴ・モロー研究序説 [おまけ]
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文献余滴 文献追補に挙げた若桑みどり「世紀末とは何か」(『夜想』、no.7、1982.10:「特集 世紀末」)で、 「19世紀サンボリスム」、「これらの反時代的な芸術家たち」、「ラファエル前派の画家たち」などについて、「この中では、手法と様式に新しさを見い出すことができるのは(部分的にではあるが)モローだけである。モローは、画面の平面化と、大小比例のバランスを破ることを試みた」(p.81) と述べられていたのが、けっこう頭に残っていました。 「画面の平面化と、大小比例のバランスを破ること」というのが具体的にどういった相を念頭に置いているのかのか、もう一つピンと来なかったせいもあるのでしょう。図版頁には図6《オイディプスとスフィンクス》(1864)と図12《オデュッセウスの帰国によってみな殺しにされた求婚者たち》が掲げられていますが、後者は「マリオ・プラーツが『肉体、死そして悪魔(ロマン主義文学における)』の中で、ファム・ファタルのティピカルな作例」として挙げたものの一つで(p.82)、「19世紀サンボリスム」に属する作家を列挙する中で指示された前者が関連するのでしょうか。この論考は末尾近くで「空間(三次元)の崩壊」について語り(p.92)、ドヴォルシャック、リーグル、ヴェルフリン、ヴォリンガーといった同時代の美術史家が参照されています(pp.94-95)。いろいろと考えどころではあるようです。 同じく頭にこびりついていたのは、やはり文献追補に挙げた宮川淳「美術史とその 「モローの作品を他の多くの作家たち、とくにポンピエのそれから区別するものがあるとすれば、それは後者にあってはイマージュがあくまでイデーのルプレザンタシオンにとどまっているとき、そこではイマージュが単なるルプレザンタシオンをこえてしまっているという事実ではないだろうか。…(中略)…しかし、まさしくこの中断された意味作用、事物と意味との両極の間での揺れ動きのうちで、イマージュそのもののプレザンスともいうべきものがかいま見られる。このプレザンスへのサンシビリテ(そしてそれをもっともよく示すのは、またしてもモローの習作だろう)、そこには象徴主義の最良の部分の定義がありうるように思う」 とのくだりでした(宮川淳、『美術史とその 関連するのかしないのか、小林康夫・松浦寿輝・松浦寿夫『モデルニテ 3×3』(1998)の p.146 註1 として書きこまれた、 「モローの作品はほとんど完璧に崩壊するか、未完成の状態にとどまるかしている。ギュスターヴ・モロー美術館に集積された夥しい数の油彩、水彩、素描の作品群は帰属すべき場所を欠いた漂流物の様相を呈している」 という松浦寿夫の一節を思い起こすこともできるでしょう。 ある意味で、富永惣一・三雲祥之助・瀬木慎一の鼎談「松方コレクションを迎えて - その意味と国立西洋美術館への希望 - 」(『美術手帖 6月号増刊 松方コレクション』、1959)における、モロー美術館に 「行ってみたが、胸が悪くなりましたね」 という瀬木慎一の発言(p.169)もまた、ここに結びつけることができるかもしれません。 他方この発言は、モロー美術館を訪れたドガの、 「『何だか気味が悪くなる、』と彼はモロオの家から出て来て言った、『まるで墓穴の中にいるようだ。……絵があれだけ集まると百科事典とか韻律辞書とか言った感じしか起らない。』」(ヴァレリィ、吉田健一訳、『ドガ・ダンス・デッサン』(一時間文庫 53)、新潮社、1955、p.46) なる感想や、同じくルドンの、 「今私にはこの美術館がまるで氷のように冷たく思えるのです」(ドゥ・オルスタン夫人宛の書簡 パリ、1900年1月29日、高橋巖訳、「ルドンの四つの手紙」、『オディロン・ルドン展』図録、神奈川県立近代美術館、1973、p.157) といった感慨に呼応するとともに、 「私にとってなにものもこの美術館以上に神殿のあるべき姿から、また同時に……『悪所』のありうべき姿から生じているものはない。私はいつも夢みていた、夜、ランプをもってそこに押し入りにゆくことを」(アンドレ・ブルトン、瀧口修造・巖谷國士監修、『シュルレアリスムと絵画』、1997、p.411)、 というブルトンの夢想と裏表をなすのでしょう(この点については、 「おすすめの美術館(2) ビリャファメース民衆現代美術館(スペイン)、他」(『学芸室だより』、2009.2.16 [ < 三重県立美術館のサイト])でもふれました)。 |
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おまけ |
< 「Meigaを探せ!」より、他 < 怪奇城閑話 < 古城と怪奇映画など | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「ギュスターヴ・モロー研究序説」(1985)以後、まとまってモローを取りあげたのは「シャセモロ」(1987)と「マティモロ」(2005)だけですが、何度かモローの名を潜りこませた他、 「吸血鬼は十字架を恐れるか? ビクトル・ミラ『神に酔いしれて』をめぐって(下)-『100の絵画・スペイン20世紀の美術』展より-」、『ひるういんど』、no.46、1994.4 [ < 三重県立美術館のサイト ] 「学芸室だより 心に残るこの1点 その2 もろもろモロー」、2007.8.28 [ <同上 ] の中で少し作品に触れました。 また『三重県立美術館ニュース』、第69号、2008.11.14 [ <まぐまぐ!のサイト ]に掲載された原稿ですが、再録しておくと (追補 上記メルマガの記事は「2019年4月15日より無料バックナンバーの公開を停止しております」とのことでリンク切れ)。
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| ** 文中、夢幻の『レダと白鳥』を1984年としていますが、1986年の誤りです。このアルバムについては→こちらでも触れました:『バンパイア・ラヴァーズ』(1970)の頁の「おまけ」。そこではB面3曲目の「カーミラの幻」を挙げましたが、上にもあるようにA面1曲目のタイトル曲は「レダと白鳥(ギュスターヴ・モローに捧ぐ)」、歌い出しも「モローの~」と始まります。ちなみにA面3曲目は「サロメ」です。加えてジャケットの表にはモローの《レダと白鳥》(1875頃、MGM.inv.15501)が用いられています(右上)。 また同じ夢幻の先立つ1枚目 Sinfinia della Luna (こちらは正しくは1984→そちらで触れました:『赤い影』(1973)の頁の「おまけ」)の表ジャケットは《夕べ》(1887、PLM.353→あちら:図170)でした(右)。部分図が見える部分は切り抜かれていて、歌詞カードに掲載された全図の図版がのぞくという体裁になっています。LP盤のラベルにもモノクロで部分図版が印刷されていました。 |
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| FROMAGE の ONDINE (1984/1994)には《キマイラ》(1867、PLM.88)(下左)、 OPHELIA (1988/1994→ここでも挙げました:「J.E.ミレー《オフィーリア》(1851-52)」の頁の「おまけ」)は《旅人オイディプス(死の前の平等)》(1888頃、PLM.358→そこ:図48)(下右)、 |
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| アルハンブラの FADISTA (2007)は《サッフォー》(1869-72頃、PLM.137→あそこ:図39)です(右)。右に載せたのは紙ジャケットを開いて、右辺を上に回した状態です。上半分が表、背をはさんで下半分が裏となります。通常は右に90度倒れている。 →あそこの2でも挙げました:「北欧、ケルト、スラヴなど」の頁の「おまけ」 |
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追補:『ゴダールの映画史』の第1章A「すべての歴史」およびB「ただ一つの歴史」(1988)では数多くの映画からの断片が引用されます(第2~4章は未見)。たとえば個人的に感慨深いところでは、『古城の妖鬼』(1935)が二度登場しました(Aの約12分、Bで約34分)。他方、ルネサンスから20世紀にいたる西洋絵画の作品も挿入されます。作者等不明なものも含めて、約51分のAで34~35点、約42分のBで28~31点ほど見かけられました。 その内Aで最初に映ったラファエッロの《聖ミカエルと龍》(1505、ルーヴル、約12分)に続いて、モローの《ユピテルとセメレー》のユピテル周辺が登場、セメレーの上にはカメラの前にいる映画監督らしき人物の写真などが重ねあわされていました(左;約16分)。なぜここで《ユピテルとセメレー》が選ばれたのか、よくわからなかったのですが。 |
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| ゴダールの作品で見る機会のあった数少ない作品の内、『気狂いピエロ』(1965)でも、近代の美術がいろいろ出てきましたが、この点については 岡田温志、『映画は絵画のように 静止・運動・時間』、2015、「第Ⅶ章 さながら抽象画」中の pp.270-278 で詳しく取りあげられています。また同書 「第Ⅴ章 エニグマとしての彫刻」中の pp.207-211 で『軽蔑』(1963)における古代風の彫像が、 「第Ⅵ章 静と動のあわいの活人画」中の pp.224-235 で『パッション』(1982、未見)が論じられています。 なお『軽蔑』については→あそこの3(「怪奇城の肖像(幕間)」の頁)でも触れました。 『気狂いピエロ』について、次も参照; Angela dalle Vacche, Cinema and Painting. How Art Is Used in Film, Athlone, London / University of Texas Press, 1996 / 1997, pp.107-134 ; "chapter4. Jean-Luc Godard's Pierrot le Fou : Cinema as Collage against Painting" + Notes ; pp.254-255 アラン・ムーア作、ジェイセン・バロウズ画、柳下毅一郎訳、『プロビデンス Act 1(ネオノミコンシリーズ 2)』、国書刊行会、2022 作中の登場人物の一人「レティシア・ホイートリーのクレヨン画」(p.161)について述べる中に、 「視覚的発明という意味ではギュスターヴ・モローをこてんぱんに叩きのめし、ヒエロニムス・ボスすら羨むだろう」(p.162) という一文が見られました。 →こちらでも触れました:ベックリーン《死の島》(第3ヴァージョン、1883)の頁の「おまけ」 |
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追補(2018/12/20) |
< 「Meigaを探せ!」より、他 < 怪奇城閑話 < 古城と怪奇映画など | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テレ朝チャンネル2で2018年12月8日(もとは11月25日)、『平成最後のEXまにあっくす 濃ゆいの集めました』枠内で放送された『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる~悪魔は女を美しくする』(1979年8月11日放映、ABC局、土曜ワイド劇場、監督:佐藤肇→こっちでも触れました:『血の唇』(1970)の頁中)を見ていたら、モローの《レーダー》水彩溶融版(MGM.418→下記2)がちらっと映りました。オリジナルの放映時にたしか見ていたという記憶があるのですが、モローのことはこれっぽちも憶えていませんでした。 |
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| ちなみに約1時間1分のところで、いわゆる吸血鬼ハンターにあたる志村医師(田口計)が「南蛮美術館」で文献資料を見せてもらう場面で、所蔵品らしきものが4点ほど映された後(右)、司書が持ってきた分厚い古書を開くと、モノクロの古城の写真(?)、下には"Dracula Castell"との見出しでした(下左→「怪奇城の肖像(完結篇)」の頁で触れました)。次の頁には銅版画らしき挿図が何点か掲載されており、内1点は都市図のようで(下右)、これも詳しい方ならネタがわかることでしょう。 | ![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間0分 |
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![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間1分 |
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間1分 |
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| 続いてなぜか 1) ジョヴァンニ・パオロ・パニーニ《シルヴィオ・ヴァレンティ・ゴンザガ枢機卿の蒐集品がある画廊室内 Interior of a Picture Gallery with the Collection of Cardinal Silvio Valenti Gonzaga 》、1749年、油彩・キャンヴァス、198x268cm、ワズワース・アテネウム美術館 Wadsworth Atheneum Museum of Art、コネチカット州 ハートフォード |
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![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間1分 |
![]() パニーニ 《シルヴィオ・ヴァレンティ・ゴンザガ枢機卿の蒐集品がある画廊室内》 1749* |
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| が登場、その次に 2) モローの作品が左に90度横倒し、頭部あたりの細部で映されます。 |
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![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間1分 |
![]() モロー 《レーダー》 (図188)* |
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| 1579年の場面をはさんで、 3) オースティン・スペア、《焔、フーガ、肉》、1954年、パステル |
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![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 |
![]() オースティン・スペア 《焔、フーガ、肉》 1954 (拡大画像とデータの頁は未作成) |
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| 4) ゴヤ、《妖術(呪文、魔法/魔女たち) El Conjuro o Las Brujas (La conjuration / Les Sorcières)》、1797-98年、油彩・キャンヴァス、43x30cm、ラサロ・ガルディアーノ財団美術館 Fundación Lázaro Galdiano、マドリード | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 |
![]() ゴヤ 《妖術(呪文、魔法/魔女たち)》 1797-98* |
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| 5) 『立昇る曙光 Aurora consurgens 』(14世紀末~1410年代、チューリッヒ中央図書館蔵)よりアンドロギュノスと青い鷲の図 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 |
![]() 『立昇る曙』より《両性具有者》 1410年代* |
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| 6) アルチンボルド、《冬》、ルーヴル版でなくウィーンの美術史美術館版のようです;1563年、油彩・板、66.6x50.5cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 |
![]() アルチンボルド 《冬》 1563* |
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| 7) ヴィールツ、《早すぎた埋葬》、1854年、油彩・キャンヴァス、160×235cm、ベルギー王立美術館、ブリュッセル(ヴィールツ美術館) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 |
![]() ヴィールツ(1806-1865) 《早すぎた埋葬》 1854* |
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| 8) ブレイク、《ネブカドネザル》、1795/c.1805年、色刷りモノタイプにペン、水彩・紙、44.8x61.9cm、テイト・ギャラリー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 |
![]() ブレイク 《ネブカドネザル》 1804-05頃* |
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| 9) カラヴァッジョ、《メドゥーサの首》、1598-99年、油彩・板にキャンヴァス、60x55cm、ウフィッツィ美術館 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 |
![]() カラヴァッジョ 《メドゥーサの首》 1598-99* |
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| 10) 《二十八都市萬国絵図屛風》、桃山~江戸時代初期(17世紀)、八曲一双、紙本着色 各隻178.6×486.3cm、宮内庁三の丸尚蔵館蔵より日本周辺部分 →皇居三の丸尚藏館の所蔵品の頁 |
![]() 『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』 1979 約1時間2分 (拡大画像とデータの頁は未作成) |
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| 以上が適宜トリミングされたりしつつ、画面いっぱいに映されるのでした。 ちなみにゴヤ、モロー、スペアのカラー図版はそれぞれ、 フランシス・キング、『魔術-もう一つのヨーロッパ精神史 イメージの博物誌 4』、1978、p.56/図46、p.61/図51、p.80/図71(Austin Osman Spare(1886-1956)については pp.74-79、p.124 も参照)に、 『立昇る曙光』からの図版はスタニスラス・クロソウスキー・デ・ロラ、『錬金術-精神変容の秘術 イメージの博物誌 6』、1978、p.20/図4 に掲載されていました。 なおゴヤの上の作品は中山公男、『ゴヤ 美術文庫26』、鶴書房、1972、p.24、図36-37 や L'Europe des esprits, ou la fascination de l'occulte, 1750-1950, 2011-2012, p.125(p.404) にも掲載されていましたが、キングの本での図版は左右反転しています。『吸血鬼ドラキュラ神戸に現わる』でも同じだったので、同書かその原著がネタであった可能性は小さくないと見なしてよいでしょうか。 |
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追補 2(2021/9/3) |
< 「Meigaを探せ!」より、他 < 怪奇城閑話 < 古城と怪奇映画など | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伊藤潤二原作の怪奇漫画『富江』(1987~ )を映画化したシリーズの第4作、『富江 最終章 - 禁断の果実 -』(2002、監督:中原俊)のDVDを見ていたら、モローの《若者と死》(?油彩完成作:1865、PLM.67→あっち)の複製が小さな額に入ってちらっと映りました。この映画を見るのは初めてではありませんでしたが、モローのことをこれっぽちも憶えていなかったのはいつに変わらぬところであります。 映画が始まってまもなく、主人公である登美恵(宮崎あおい)の部屋へ、名前の音が同じ富江(安藤希)が訪ねてくる場面で、モローの額絵に先だって、まずは富江がそこらにあった雑誌を手にとってぱらぱら繰ると、なぜか聖セバスティアヌスを描いた泰西名画三点の細部が、続けざまに画面いっぱいを覆います。いったいどんな雑誌なのか気になるところですが、ともあれまずは; 1) ソードマ《聖セバスティアヌスの殉教》、1525年、油彩・キャンヴァス、206x154cm、ピッティ宮殿、フィレンツェ |
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![]() 『富江 最終章 禁断の果実』 2002 約13分 |
![]() ソードマ 《聖セバスティアヌスの殉教》 1525* |
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| 次に右へ90°横倒しになって; 2) マンテーニャ《聖セバスティアヌス》、1459頃、テンペラ・板、68x30cm、ウィーン美術史美術館 |
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![]() 『富江 最終章 禁断の果実』 2002 約13分 |
![]() マンテーニャ 《聖セバスティアヌス》 1459頃 ウィーン美術史美術館* |
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| 少し斜めになって; 3) グイド・レーニ《聖セバスティアヌス》、1615-16年頃、油彩・キャンヴァス、128x99cm、カピトリーノ美術館 |
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![]() 『富江 最終章 禁断の果実』 2002 約13分 |
![]() グイド・レーニ 《聖セバスティアヌス》 1615-16年頃 カピトリーノ美術館* |
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| グイド・レーニの《セバスティアヌス》像は何点もあるのですが、上に挙げた宮下規久朗・井上隆史『三島由紀夫の愛した美術』(2010)、pp.76-77 の図版で見ると、額にほんの少しかかる前髪の位置などからして、ローマのカピトリーノ美術館のヴァージョンのようです。「この作品は右頁のジェノヴァの作品の後に作者によって描かれたレプリカであるとされる」(p.77)とのことでした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 間にいくつかの場面をはさんで、 4) モローの額絵が他のものに混じってちらっと映ります。 |
![]() 『富江 最終章 禁断の果実』 2002 約16分 |
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![]() モロー 《若者と死》 1865* |
![]() モロー 《若者と死》 1881頃* |
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| 小さくしか映らないので、フォッグ美術館が所蔵する1865年の油彩(左上)か、ルーヴル蔵の1881年頃の水彩(右上)なのか、区別はできませんでした。水彩での右上の柱頭が切れているように見えなくもないのですが、定かではありません。 先に挙げた『三島由紀夫の愛した美術』には三点のセバスティアヌス像がすべて掲載されていますが、この映画の8年後に刊行されたものでした。とはいえイタリアのルネサンスからバロックにかけてのセバスティアヌス像が三点を、別々にあちこちから集めたというよりは、ひとところから拾いあげた可能性も小さくはなさそうです。『三島由紀夫の愛した美術』の「主要参考文献」(p.128)に挙げられているような資料のいずれかがネタだったのかもしれません。 ちなみに『三島由紀夫の愛した美術』には、モローの《若者と死》水彩版の図版も掲載されていました(p.63)。これは、やはり上に挙げた『藝術新潮』、no.206、1967.2 に掲載された「特集・2 三島由紀夫の選んだ青年像」および三島由紀夫の「青年像」中で、《若者と死》水彩版が取りあげられていたことに基づいています(p.58、p.61)。とすると三島由起夫がらみの線が強くなると見なしてよいものかどうか。 なお水彩版は1995年に国立西洋美術館で開かれたモロー展に(図録 pp.192-193 / cat.no.71)、油彩版は2002年に同館開催の『ウィンスロップ・コレクション フォッグ美術館所蔵19世紀イギリス・フランス絵画 夢想と現実のあわいに -』展(図録 pp.188-189 / cat.no.53)に出品されていました。映画の公開は2002年6月29日、製作期間はさらに遡るとして、ウィンスロップ・コレクション展は同年9月14日オープンで、広報用資料としていつ頃から出回る機会があったかどうかは詳らかにしません。映画で映ったものが、もともと単体の複製だったのを額に入れたのか、何かの画集から美術スタッフが作りあげたのかはわからないのですが。 この映画の主人公登美恵は、小説家になる夢を持っていて、部屋には、何巻もの国書刊行会の世界幻想文学大系だの、萩尾望都や竹宮恵子の漫画(ハードカヴァー版?)などが並んでいました。古本であるにせよ、高校生が何冊もそろえるには世界幻想文学大系はいささか高価だったのではないかという気もしなくもありませんが、ともあれ、彼女の好みはおそらく、いわゆる幻想文学の類に寄っていて、モローの額絵もそうした指向に添っているということなのでしょう。 |
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追補 3(2023/9/6) |
< 「Meigaを探せ!」より、他 < 怪奇城閑話 < 古城と怪奇映画など | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 青崎有吾の『アンデッドガール・マーダーファルス』シリーズ(第1巻;講談社タイガ ア C 01、講談社、2015、以後2023年9月現在、第4巻まで)は、第1巻第1章は「吸血鬼」、第2章「人造人間」、第2巻ではホームズにワトスン、ルパンにオペラ座の怪人などなど、第3巻では人狼が登場と、『フランケンシュタインと狼男』(1943)、『フランケンシュタインの館』(1944)、『ドラキュラとせむし女』(1945)、そして『凸凹フランケンシュタインの巻』(1948)をはじめとする怪物競演の伝統を思いださせてくれる作品です(→『ドラキュラとせむし女』の頁の「おまけ」も参照。また同じ著者による→「バルコニー、ヴェランダなど ー 怪奇城の高い所(補遺)」の頁の「プロローグ」)。第1巻第2章には、 「ボリスは出生不明で、偽名をいくつも使っていたようです。クライヴという姓も偽名です。ブリュッセルに来る前はアントワープでセジガーと名乗っていました。その前はオランダでラスボーンと。その前はハードウィック……」(p.310) なんてくだりがありました。 ボリスは『フランケンシュタイン』(1931)、『フランケンシュタインの花嫁』(1935)、『フランケンシュタイン復活』(1939)の三作で怪物役を演じたボリス・カーロフ、 クライヴは正篇および『花嫁』でフランケンシュタイン男爵役のコリン・クライヴ、 セジガーは『花嫁』でプレトリアス博士を演じたアーネスト・セジガー、 ラスボーンは『復活』での男爵の息子役に扮したベイジル・ラスボーン、 ハードウィックは『フランケンシュタインの幽霊』(1942)で男爵の次男役だったセドリック・ハードウィック に掛けてあるわけです(『フランケンシュタイン』の頁の「おまけ」でも触れていました→こちら)。 また第4巻所収の「 それがアニメ化されました(2023年7月6日~)。その第1話、後半約1分強のところで、モローの《出現》の構図(下右=1876年のサロンに出品された水彩版)をそのままなぞった場面が見られました(下左)。 |
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![]() 男女は入れ替わっています。タイトル・ロールの「アンデッドガール」は生首だけで生きているという状況です。宙に浮くなんて能力はもっていなかったと思うのですが - たぶん。ふだんは鳥籠に入れられて移動していたわけですし。 |
![]() モロー 《出現》 1876(水彩)、PLM.159* |
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| とするとこの場面は、左側の男性の主観的なイメージを表わしているのだと見なすことができるでしょう。この点で、『モロ序』Ⅰ-2-i [2]でも触れたように(→このあたり)、《出現》はサロメの主観的な幻覚を描いたものだという、ユイスマンス以来の解釈に応じていることになります。 他方、件の場面で向かいあう両者は対立しているわけではありません。その点では、善悪に関わりなく、巫女としてのサロメに対する聖なるものの顕現を描いたのが《出現》だと捉える見方に、通じるともいえなくはないかもしれません。 |
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追補 4(2023/9/10) |
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| 上の「おまけ」のところで、モローの作品を用いたレコード・ジャケットを数点挙げましたが(→このあたり)、日本で出版された本の表紙やカヴァーなどにモローの図版が使われているのも、時たま見かけます。モロー単独ないし比重の大きい本や画集・図録ははずすとして、ただ一冊、 『別冊みづゑ』、no.42、1964.12:「特集 ギュスターヴ・モロー」 だけ触れておきましょう。表紙いっぱいに載っているのは(下左)、《ガラテイア》(1880)の右下の部分を拡大したものです(下右)。『モロ序』Ⅱ-3-iii [6](→このあたりの2)およびⅢ-3-iv [8](→このあたりの3)でも記したように、色とりどりの海の生き物に混じって、小さな人物たちが潜んでいます。表紙の図版でも、中央よりやや下・右に認めることができます。モローの作風の典型を見てとれるとはいえなさそうなこの部分図を、表紙に選んだのはなかなか興味深いところではないでしょうか。 |
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![]() モロー 《ガラテイア》(部分) 1880、PLM.195* |
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| さて、モローを含む領域をテーマにした本で、たとえば[14]の頁の「その他、モローについて言及しているものなど」他で並べた以下のものは、順当なところでしょうか; フィリップ・ジュリアン、杉本秀太郎訳、『世紀末の夢 象徴派芸術』、白水社、1982 カヴァー表(下左);《レーダー》、水彩、MGMinv. また見返しは表・裏ともに(下右);《キマイラたち》、1884、MGM.39 |
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| マリオ・プラーツ、倉智恒夫・草野重行・土田知則・南條竹則訳、『肉体と死と悪魔 ロマンティック・アゴニー』(クラテール叢書 1)、国書刊行会、1986 カヴァー表(右);《入墨のサロメ》、MGM.211 |
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| ジャン・ピエロ、渡辺義愛訳、『デカダンスの想像力』、白水社、1987 カヴァー表(右の左);《オイディプースとスフィンクス》、1864、PLM.64 カヴァー裏(右の右);《ヘロデ王の前で踊るサロメ》 1876、PLM.157 |
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| 河村錠一郎、『世紀末美術の楽しみ方』(とんぼの本)、新潮社、1998 カヴァー表(右);《ユピテルとセメレー》、1894-95、PLM.408/MGM.91 |
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利倉隆、『【カラー版】エロスの美術と物語 魔性の女と宿命の女』、美術出版社、2001 カヴァー裏(右);《ヘロデ王の前で踊るサロメ》、1876、PLM.157 |
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千足伸行監修、『すぐわかる 画家別 幻想美術の見かた』、東京美術、2004 カヴァー表(右の三点中の左);《一角獣たち》、1885-88頃、MGM.213 ちなみに右上は;ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、《夢》、1883、オルセー美術館(本文 pp.50-51) 右下;アンリ・ルソー、《蛇使いの女》、1907、オルセー美術館(本文 pp.124-125) |
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またサロメのイメージにまつわって; フランソワーズ・メルツァー、富島美子訳、、『サロメと踊るエクリチュール 文学におけるミメーシスの肖像』、ありな書房、1996 カヴァー表~裏(下左);《出現》、1876、水彩、PLM.159(→上の「追補 3」) 本体の表紙および裏表紙にも同じ作品が使われていますが(下右)、裏表紙では左右反転してあって、開くと左右対称になります。 |
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工藤庸子、『サロメ誕生 フローベール/ワイルド』、新書館、2001 カヴァー表(右);《出現》、油彩、MGM.222 |
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| たまたまなのかどうか、双方ともサロメの伝統的な図像、サロメの踊りを描いた、たとえば《ヘロデ王の前で踊るサロメ》(1876、PLM.157、など)、あるいは盆に載せたヨハネの首を抱える姿、たとえば《庭園のサロメ》(1878、PLM.176)のような作品ではなく、モロー独自の図像とされる《出現》が選ばれているのも、興味を惹く点です。 次の本もやはり《出現》、それも水彩版・油彩版双方を用いています; 井村君江、『「サロメ」の変容 翻訳・舞台』、新書館、1990 カヴァー表(下左の左);《出現》、1876、水彩、PLM.159 カヴァー裏(下左の右);《出現》、油彩、MGM.22 面白いのはカヴァーの背をまたぐ部分および、左側の水彩版《出現》の背後左寄りから袖にかかる部分で、地になっているのは、《出現》ではなく、《ヘロデ王の前で踊るサロメ》(1876、PLM.157)の細部なのでした。サロメの右脚を覆う衣の装飾です。本体の表紙および裏表紙でも(下右)、同じ部分が少しずらして載せてあります。また扉には、これらの部分を含む、しかしやはり画面全体ではなく、サロメのほぼ全身部分を掲載してありました。 |
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| さて、少し範囲を拡げて; 諸川春樹監修、『【カラー版】西洋絵画の主題物語 Ⅱ神話編』、美術出版社、1997 カヴァー背(右);《オイディプースとスフィンクス》、1864、PLM.64 |
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ミシェル・パストゥロー、エリザベト・ラビュレ=ドゥラエ、蔵持不三也訳、『ヴィジュアル版 カヴァー表(右);《一角獣たち》、、1885-88頃、MGM.213 |
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さらに拡げて; ツヴェタン・トドロフ、三好郁朗訳、『幻想文学論序説』(創元ライブラリ L ト 1-1)、東京創元社、1999 カヴァー表(右);《オイディプースとスフィンクス》、1864、PLM.64 |
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オーエン・S・ラクレフ、荒俣宏監修、藤田美砂子訳、『図説オカルト全書』、原書房、1997 カヴァー表とその袖、裏とその袖(下);《ヘーラクレースとレルネー沼のヒュドラー》、1876、PLM.152 本書には〈図説〉の名に恥じず、ミケランジェロ、レオナルド、ボス、ブリューゲル、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、デューラー、ランブール兄弟、カラヴァッジョ、アントワーヌ・カロン、とりわけゴヤなどなどなど、181図の挿図が掲載されていますが、その中にモローの作品はありません。 |
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| 後藤明、『世界神話学入門』(講談社現代新書 2457)、講談社、2017 下左に見られるように、《オルペウス》(1865、PLM.71)が用いられているのですが、図版が印刷されているのは表紙でもカヴァーでもなく、帯なのでした(下右)。 ちなみに本文の冒頭、「はじめに」は「『古事記』とオルフェウス神話」の節から始まります。 |
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| 篠田知和基、『世界風土神話』、八坂書房、 2020 カヴァー裏から袖にかけて(右);《ヘーラクレースとレルネー沼のヒュドラー》、1876、PLM.152 本文「Ⅰ-2 ギリシア神話」でもモノクロの図版が掲載されています(p.31)。 |
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| 同じ著者による連作から; 篠田知和基、『世界異界神話』、八坂書房、 2021 カヴァー裏から袖にかけて(右);モロー《オルペウス》、1865、PLM.71 本文「Ⅱ-3 神の懲罰・悪魔による死」中の「オルペウスの死」の項にやはりモノクロの図版が掲載されているのですが(p.141)、本書ではそれ以外にも、 扉の裏(p.2);《ソドムの天使》、1885頃、MGM.81 「Ⅱ-2 人間たちの死」中の「神の愛による死」の項にあわせて(p.125);《ユピテルとセメレー》、1894-95、PLK.408/MGM.91 「Ⅲ 亡霊の神話」の章扉の裏に(p.152);《パルカと死の天使》、1890、MGM.84 と、三度も用いられていました。 |
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| キャロル・ローズ、松村一男監訳、『世界の妖精・妖怪事典』(シリーズ・ファンタジー百科)、原書房、2003 のカヴァー表と背(右)には; 《声》、1867頃、PLM.103 |
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| 同じ著者による キャロル・ローズ、松村一男監訳、『世界の怪物・神獣事典』(シリーズ・ファンタジー百科)、原書房、2004 のカヴァー表(右)は 《キマイラ》、1867、フォッグ・アート・ミュージアム、PLM.89 ちなみにカヴァーの背には ミヒャエル・パッハー、《聖人と悪魔(悪魔が聖アウグスティヌスに悪徳の書を見せる)》、1480頃、アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン の右半分。 |
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| とまれここまではまあ、ありか、といえなくもないかもしれませんが、直接関係のなさそうなのが; 田口卓臣、『怪物的思考 近代思想の転覆者ディドロ』(講談社選書メチエ 619)、講談社、2016 カヴァー表(右);《ヘーラクレースとレルネー沼のヒュドラー》、1876、PLM.152 |
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| マイケル・スピッツァー、竹田円訳、『音楽の人類史 発展と伝播の8億年の物語』、原書房、2023 カヴァー表(右);《ヘーシオドスとムーサ》、1891、PLM.392 |
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戻ってモロー論を収録したものから; 大岡信、『装飾と非装飾』、晶文社、1973 表紙(右);《オルペウス》、1865、PLM.71 |
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| 同じくモロー論を収録したもので、 澁澤龍彦、『幻想の画廊から』、美術出版社、1967 澁澤龍彦、『幻想の彼方へ』、美術出版社、1976 先に後者を見ておけば; 外函(表)(下左):《ペリ》、1865、PLM.80(下右) |
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![]() モロー 《ペリ》 1865、PLM.80* |
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表紙~背~裏表紙(下):《キマイラたち》、1884、MGM.39![]() ![]() 前者に戻ると、 外函(表)(下左);《諸習作 怪物たちに囲まれたヘカテー、二本の柱頭、脚、二人の人物(『ユピテルとセメレー』のための習作)》、MGMd.1953(下右) |
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![]() モロー《諸習作 怪物たちに囲まれたヘカテー、二本の柱頭、脚、二人の人物 (『ユピテルとセメレー』のための習作)》、MGMd.1953* |
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| タイトルの下、中央右下寄りの人物が、《ユピテルとセメレー》(1894-95、PLM.408/MGM.91)の画面左下で観者の方を見つめるヘカテー(→こちらを参照)の習作であろうことはわかったとして、ただよく見ると、外函の図版は左右が反転していました。 この間違いの原因は推測できそうな気がします。邦訳もされた Pierre-Louis Mathieu, Gustave Moreau, sa vie, son œuvre, catalogue raisonné de l'œuvre achevé, Paris, 1976 (ピエール=ルイ・マテュー、高階秀爾・隠岐由紀子訳、『ギュスターヴ・モロー その芸術と生涯 全完成作品解説カタログ』、三省堂、1980) が刊行される以前、モローについてまとまった文献で重要だったものの一つが、 Ragnar von Holten, L'art fantastique de Gustave Moreau, Paris, 1960 でした。 |
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| この本の裏見返し二ページ分に、右上の素描からヘカテーを中心にした主要部分が掲載されているのですが、のどを軸にして左右相称になるよう、右はそのまま、左は反転してありました(右)。この内左側の反転した方を、『幻想の画廊から』の外函に用いたのではありますまいか。 もっとも、取り寄せたポジか何かを気づかず逆版で印刷したという可能性もあるので(その方が普通でしょう)、確実とはいえないのですが。 |
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| 以上はたまたま目にする機会のあったものでしかありません。まだまだ出てきそうです。折に触れて補充していくとして、また、洋書の場合はどうなのか、たとえば; Patricia Mathews, Passionate Discontent. Creativity, Gender, and French Symbolist Art, The University of Chicago Press, 1999 カヴァー表(下左);《オイディプースとスフィンクス》、1864、PLM.64 Catalogue de l'exposition Salomé danse et décadence, Fondation Neumann, Gingins, Suisse, 2003 表紙(下右):《柱のサロメ》、1885-90頃、PLM.381 |
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このあたりはいまだ想定範囲内でしょうか。次の図録の展覧会には、モローの作品が4点出品されていました(pp.151-155 / cat.nos.177-180); Catalogue de l'exposition Saint Sébastien, rituels et figures, Musée national des arts et traditions populaires, Paris, 1983-1980 表紙(下左):《聖セバスティアヌス》、水彩、MGMinv.464 (pp.154-155 / cat.no.180)(下右) |
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![]() モロー《聖セバスティアヌス》、MGM.inv.464* |
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| 次の本は意外といえば意外ですが(モローの構図で後ろ姿の人物が重要な位置を占めることは多くない)、やはり本文中に図版が掲載されており、そこから選んだのでしょう(
p.129); Georges Banu, L'Homme de dos. Peinture, théâtre, Adam Biro, Paris, 2000 カヴァー表(下左)および裏(下右);《公園の散策》、MGM.224 |
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| 美術以外の領域で、もっと意外なものもきっとあることでしょう。 追補 4 の追補(2025/11/12) |
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| 右に挙げたのは 『ジャーマン・ロック集成(ユーロ・ロック集成 2)』、マーキームーン社、1994 のカヴァー表です(本体表紙もモノクロで同じデザイン)。 ほぼ中央で縦に三度反復されている、のけぞる体勢の裸婦の上半身は、 《ユピテルとセメレー》、1894-95、PLM.408/MGM.91 中のセメレーから取られたのではないかと思われます。 |
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| この部分のデザインはさらに、ドイツ・サイケデリック・ロックを代表するアルバムの一枚、 Amon Düül, Psychedelic Underground, 1969* のジャケット表(右)から移されたものでした。 |
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* 『ユーロ・ロック集成』、マーキームーン社、1987/90、p.112。 前掲『ジャーマン・ロック集成(ユーロ・ロック集成 2)』、p.44。 大鷹俊一監修、『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・プログレッシヴ・ロック』、音楽之友社、1999、p.37。 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.19。 小柳カヲル、『クラウトロック大全』(ele-king books)、Pヴァイン、2014、p.144。 手もとにあるのは1979年の再発版で、Minnelied(邦題:『恋歌』)と改題、ジャケットも異なります。 枝分かれした Amon Düül II →こちら(「メソポタミア」の頁の「おまけ」)を参照。 |
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| 枝頁仕立て:2026/01/22 以後、随時修正・追補 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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