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[13]<[12]<[11]<[10]<[]<[]<[]<[]<[]<[]<[]<[]<『ギュスターヴ・モロー研究序説』(1985) [1]
結び 偶像の神秘学  
    i. 異形の偶像 
    ii. 死せる竪琴 
要旨 

結び 偶像の神秘学
i. 異形の偶像

 図338 は『偶像』と記された鉛筆素描で、柱の上に蝙蝠のような翼、山羊の角、脚も山羊で、足は鷲のような猛禽のそれで、腹部に大きな目が一つ開き、額を伏せ目を閉じている怪物の坐っているさまが描かれている。この怪物をモローが考え出したのか、むしろ『恐怖』(図281, 282→こちらそちら)のように、これと全く同じではないかも知れないが、何かもとになった原典があるのではないかと思われるが、モローはこの素描をかなり丁寧に制作している。
 図339 は目を閉じ手に花を持つ、美しい裸婦を描いているが、彼女の足もとにはぎざぎざした岩があり、周囲は水で、小さな人間が多く泳いで彼女の足にすがろうとしている。すぐ右には難破した船が見える。画面下に『スキュラ』と標題が記されており、『オデュッセイア』に登場する海の怪物であることがわかる。近くを通る船乗りを襲うこの怪物は、『オデュッセイア』では六頭の怪獣であると語られているが、ここでは美しい女となっており、女の悪といういつもの主題を表わしたものと知れるが、右奥にもやはり岩の上に聳える巨大な人間の姿をした存在が見え、おそらく『オデュッセイア』でスキュラに近くにいるとされる、カリュブディスであると思われるが、この存在があるために、その巨大さ、高く聳えていること、静かな表情などが、彼女を単なる宿命の女でも怪物でもない、宇宙的な存在にまで高めている。この素描も、丁寧な仕上げと構図を見せ、1896年の年記がある。
 これら二点に比べると、図340 は粗い制作だが、頭が三つ、その下の胸には、エフェソスのディアーナのように多くの乳房があり、その下には何人もの裸婦がまわりを取り囲み、何かを差し出している。最後は蛇のような尾になって終わり、それが何本もある。周囲には大きな花がいくつも咲いている。この素描はモロー美術館のカタログでは、『アスモデウスのための構図習作』と題されている。アスモデウスの図像を、モローが『セメレー』(図268→こちら)のために用いたことは既に述べた(図311, 312→こちらと、そちら)。
 これらに類する素描は他にもあり、例えば『スキュラ』と同様のスタイルで、やはり96年の年記のある『セイレーンたち』は、三人の女たちを正面性、三神一体型に捉え、彼女らの足は蛇のようになって終わり、小さな屍が山と積まれている。空にはハルピュイアが飛んでいる(518)。
  モロー《偶像》
図338  《偶像》 MGMd.3560

モロー《スキュラ》1896
図339  《スキュラ》 1896、 MGMd.186

モロー《アスモデウスのための構図習作》
図340  《アスモデウスのための構図習作》 MGMd.138

518. MGMd.86.
 これらの素描は、『スキュラ』や『セイレーンたち』同様、モローの最晩年の制作になると思われるが、これらが単なるお遊びでないことは、その丁寧な制作、また描かれる怪物たちが正面性で捉えられたり、宇宙的なスケールで捉えられたりして、文字通り何かの宗教の偶像とも言うべき性格を与えられていることによってわかる。『セメレー』の中でも、特に最下層には異様な姿をした存在が描かれていた。それらの存在は深淵の闇に住む者たちであり、これらの素描で描かれる怪物たちも、否定的な存在と見なされているが、いずれにおいても、単に否定的であるに留まらない、スケールの大きさを示しており、その意味で一種の神として描かれている。現代の人間が思い描く神とは、全く異なる性格を示しているかも知れないが、元来神々とはそういうものであろうことはおくとしても、モローの描いてきた神々や天使たちがしばしば豪奢な装飾をつけており、それが一種野蛮な印象を与えることを思い出そう。そうした印象は、神的なものを物質的なもので飾り立てられているのを見ることから生じるのだが、一方神的なものを宝石で飾り立てるというのは、物質性を押し進めることによって、その果てに物質を超えるものを捉えようとする、思考の動きを示している。モローが神々に与えた宝石もこうした思考によるものであるし、混成の存在を形造ることによって、目論まれていたのも同じ事情による。
 神秘主義なるものには、二つの形態があり、その一は直接的な体験を重視し、その過程を受動的に記述せんとするものだが、もう一つは、言葉で言い表わすことのできないものを、言葉で表わさんとして、言葉を複雑に積み重ねて体系化しようとする。その際言葉は、抽象的な概念としてではなく、抽象的な単語が用いられていても、具体的な存在として扱われる。このため、こうした思考は近代的な思考には、グロテスクなものと映ることがしばしばである。第一のタイプの典型的なものとしては、イスラムのスーフィスムやユダヤのハシディスムが挙げられ、第二のタイプとしては、古代末のグノーシス諸派、イスラムのシーア派系神知学(イルファーン)、ユダヤのカバラなどがある。第二のタイプは常に具体的なイメージで思考するため、複雑な体系を作り上げても、常に大衆的な思考と繋がりを持っている。こうした思考はヨーロッパでも、ルネサンス以後途切れることなく、底流として常に存在していたものだが、18世紀末から19世紀にかけて、ロマン主義の興隆とともに、ヨーロッパの精神界に巨大な影響を与えたことは言うまでもない。
   
 モローにおいても、『レダ』や『セメレー』の註釈が明瞭に示すように(→こちらや、あちら)、晩年において神秘主義的、と言うより神知論(グノーシス)的 - 先の第二のタイプ - な思考が大きな位置を占めるようになり、この点で具体的にブラヴァツキー系の神智学や(519)、別のセクトとの関係を考える論者もいる(520)。ただモローの蔵書の中にはそうした系統の書物は多くなく、マテューの言うように、様々な神話や宗教の知識から、モローが独自に作り上げていったもの、と考えた方がよいだろう(521)。いずれにしてもここで重要なのは、モローが註釈においても絵画においても、いつも具体的で物質的なイメージを積み重ねることによって、抽象的で非物質的な存在を表現しようとしていたことであって、そのため結果がしばしば、錯綜して異様なものになることもあったが、モローの意図は常に、非日常的なものを描くことによって、神的なものを絵の中に呼び降ろそうとしたのである。ルオーをカトリック的画家であると言うなら、モローはキリスト教が承認される以前の、グノーシス諸派に代表される、古代末の諸神混淆主義(サンクレティスム)の画家であると言うことができる。
 
  519. Holten, ibid., 1965, pp.90-91.

520. Schiff, ibid., p.383. Kaplan, ibid., 1970, pp.406-407.

521. Mathieu, ibid., 1978, p.160.

 
 図341 はブレイクが描いた黙示録の獣で、モローの偶像たち同様、グロテスクでしかも崇高な性格を示している。ブレイクの場合もモロー同様、単なる恐ろしい怪物を描こうとしたのではなく、そこに聖なるものとしての性格を注ごうとした。ブレイクもまた、絵画とは別に、あるいは平行して、様々な読書と体験から固有の神知論的な体系を記した。そうした点から、前の章で何度か挙げたような、類似の図像も生まれたのであろう。ただブレイクは、モローのような古典的な絵画の伝統に囚われることが少なく、それ故モローほどむらの無い成果を挙げることができたのであろう。
 
  ブレイク《大いなる赤い龍と海から現われた獣》1805頃

図341  ブレイク《黙示録の獣》
 
ii. 死せる竪琴

 「詩人たち、異教の歌い手たちは、自分たちが形を与えた、物質との抱擁、燃えるような交わりによって死ぬ:即ち、アマドリュアデスたち、ナイアデスたち、泉の精たち、木々のニュムペーたち:植物的自然に浸り、この黙した、感じることもない、しかも心奪い、死んでは絶えずさらに激しく再生し、己れの周囲のもの一切を吸収する、晴れやかで、沈黙に充ちたこの自然と狂わんばかりになって、一つになる、自然は異教の詩人たちの想像力、崇敬、竪琴に命を与えられ、貫かれ、生あるものとなる。しかし魂の大いなる竪琴、真に神的な理想の震える弦を持った大いなる声がやって来て、これら全ての感覚の声、栄光を与えられた自然の声を消し去り、廃絶する:この壮麗な竪琴は打ち立てられる、それを暗く恐ろしい大天使が担う、彼は血の十字架を武器にしている、それは世界を再生するだろう、この至高の十字架、それは犠牲、過ぎ去る事共への侮蔑の象徴であり、神的なる永遠への崇敬の至高の証人である。
  古代の諸世紀の大いなる(オケアノス)は、激しい引き潮の内に、かつて輝いていたこれらの星々を引きずりこむ、それらは暗い水の内に消えていく、そして地的なる思考、詩のあらゆる世界は、神的な理想の裁き、罰し、贖う波に沈んで消えて行く」(522)。
 「地の諸神性は、彼らの詩人たちとともに死ぬ」(523)。
 「怪物たちはあちこちに散らばり/呑み込まれ、引きずり込まれ、ばらばらになる/グリフォンたち、セイレーンたち、スフィンクスたち、龍たち」(524)。 
 「自然の生ける諸力は、人間存在を喰い尽くす」(525)。
   右に引いたのは、1896年から着手された、モローの最後の構想となった、『死せる竪琴』の注釈と、素描に書き込まれた幾つかの文章である。この作品のために、素描、水彩、油彩による習作が残されたが、最終的な画面となるべきものは着手されるに至らず、弟子のドローブルがモローの死後、素描をもとに構図を再構成した、カルトンがある(526)。
 ホルテンが述べるように、内容も構図も非常に錯綜しており(527)、ホルテンはここに、病いに死を意識したモローの、己れの最後の作として、「ある種の綜合的対照表を作る意図」を見ている(528)。
 図342 はかなりサイズの大きな習作で、モローの考えていた全体の構図を示している。中央上部に大きく、輝く球体に乗り、十字架を担う大天使が現われる。画面の下は海で、多くの人物がいる。大天使の後ろにも、仰向けになっている裸体の上半身が見え、左側には岩山がある。背景は例によって、複数の巨大な天体が、空の低いところにあったり、海に沈んだりしている。全体は褐色の調子で、空はオレンジ色、人物は黒の輪郭で描かれ、画面の下部では、赤の斑点がところどころつけられている。画面はかすれたような絵肌を示しており、完全に塗り潰されていない。これと、細部が描き込まれていないため、さほど重苦しくならず、特に褐色の中の、空のオレンジが映えている。
 図343 は水彩の習作で、さらに筆致は粗く、描かれているのは大天使と、海、それに幾つかの天体だけで、天使の体勢も油彩のそれと異なっている。天使は人間の形をしていると言うより、植物のように見える。
 図344 は油彩とほぼ同じ構図を示す素描で、油彩よりも大天使がやや小さく描かれている。図345 は大天使とその背後の倒れた人物に近付いている。天使の乗る球体の下には、小さな人物らしきものが多くいる。左にも岩山がある。図346 は天使の背後の人物だけ描いたもので、「死せる大いなるパン」の書き込みがある。彼はアーチ状の岩の上に倒れている。右の腰あたりに、何かの頭部らしきものが幾つか描かれている。空には鳥が飛んでいる。図347 は油彩の左下にいた人物の習作で、「97年10月25日/サッフォー」という書き込みがある。他に24日の日付けのある素描もある。サッフォーのからだにも、小さな存在たちがついている。後ろには三人の女がおり、おそらくセイレーンたちだろう。左には太陽らしき天体がある。図348 は24日の日付けがあり、「自然の生ける諸力」云々の書き込みがある。左の、足が根になっている存在は、両腕に詩人を抱えている。ここでは天体は四つあり、内一つはすぐ手前で沈んでいる。この素描は、油彩ではサッフォーの頭の上の部分に、線だけで描かれている。図349 はアポロンとダフネを描いている。手前にも詩人が一人死んでいる。図350 もやはり、アポロンとダフネを描いているが、ずっと複雑になっている。油彩に採用されたのはこちらで、右側に見える。24日の日付け、「地の諸神性」云々の書き込みがある。図351 は髪を飾りたてた、南方風の顔立ちの偶像のアップで、構図のどこに位置したのかは不明である。やはり位置が不明なのが図352 で、「動物の王国」の書き込みがある。他に「植物の王国」と記された素描もある。ここでの偶像は、からだ中に様々な動物を飼っている。
 これらの素描はいずれも丁寧に描かれており、部分図も独立した画面として、構成されている。『セメレー』の場合以上に、これらの細部を一つの画面に持ち込むのは困難で、事実油彩には描かれていないものもあるが、そうしたものも、丁寧に仕上げられている。ここでもモローは、後の構図のことを考えず、素描においては、素描としての性格を満足させることに専念したのであろう。
 『死せる竪琴』のための素描は、線のためにのみ描かれ、水彩もやはり、モノクロームに近いものだが、スピードのある制作を示している。油彩ではマティエールの探求、色調の調性、<入墨>を認めることができる。註釈には、高揚した汎神論的終末論的ヴィジョンが見られる。これらが分裂したまま並存し、しかしそのいずれにおいても求められていたのは、神性を形に表わすことだったのである。

 
  522. MGM.804.

523. MGMd.470.

524. MGMd.473.

525. MGMd.475.

526. MGM.804, Holten, ibid., 1965, p.95.

527. Holten, ibid., 1965, p.95.

528. id., p.96.


モロー《死せる竪琴》1896-97頃
図342  《死せる竪琴》 MGM.106

モロー《死せる竪琴》
図343  《死せる竪琴》 MGM.346

モロー《死せる竪琴》
図344  《死せる竪琴》 MGMd.468

モロー《死せる竪琴》
図345  《死せる竪琴》 MGMd.466

モロー《死せる竪琴;大いなるパーン》1897
図346  《死せる竪琴》 MGMd.476

モロー《死せる竪琴;サッフォー》1897
図347  《死せる竪琴》 MGMd.474

モロー《死せる竪琴;植物界》1897
図348  《死せる竪琴》 MGMd.475

モロー《死せる竪琴;アポローンとダフネー》
図349  《死せる竪琴》 MGMd.469

モロー《死せる竪琴;大地の神性たちはその詩人たちとともに死ぬ》1897
図350  《死せる竪琴》 MGMd.470

モロー《死せる竪琴》
図351  《死せる竪琴》 MGMd.471

モロー《死せる竪琴;動物界》
図352  《死せる竪琴》 MGMd.467
 
要旨

 拙論『ギュスターヴ・モロー研究序説』は、19世紀の後半に活動したフランスの画家ギュスターヴ・モロー(1826-1898)の、画業の性格を考えようとするものであり、その際二つの主要な視点から観察する。その一つは、しばしば文学的であると評される、モローの主題の取り扱いであり、もう一つは、そうした主題を絵画として実現する際の、習作から完成作へと至る、さらにはそれ以後の、制作過程の問題である。この二つの視点を重ね合わせ、個々の具体的な作品、主題を観察することによって、モローの抱いた構想やその結果としての絵画の持つ特徴を、捉えることができるであろう。
 モローの作品における主題の取り扱い方については、主に古典古代の神話や聖書などから得られた、題材の全般の分類、そこに浮かび上がる女性像及び男性像の強調、そしてそのような女性像男性像が、19世紀後半に支配的であった精神的傾向の、一つの典型をなしていることが、以前の諸研究によってまとまられている。ここではそれらの業績をそのまま繰り返すことはせず、モローの画面における眼と視線のモティーフを通して、モローの主題の扱いを観察することにする。それによって、例えば、モローの女性像の典型とされる、己れに近づくものに禍いをもたらすという〈宿命の女〉の表象にも、様々なニュアンスがあることを認めることができる。またこれら眼と視線のモティーフそれぞれの形成にあたって、若い頃モローが親しく兄事した、テオドール・シャセリオー(1819-1856)の作品が大きな影響を与えていることが指摘されるだろう。
 モローの作品における眼と視線のモティーフのタイプとして、画面内の二人の人物が、対峙して視線を交す、というものがまず挙げられる。この際、画面から一切の動きを奪うという〈美しい無力〉の原則によって、対峙する両者が、善と悪、精神と物質といった二元的な原理を象徴するものとして、暗示されることが目論まれる。またモローの画面には、眼を伏せた人物がしばしば描かれる。これは描かれた人物が、現実の世界にではなく、別の、精神的な世界に視線を向けていることを暗示する、古くからの、そして特に19世紀後半の象徴派において、しばしば用いられたモティーフである。
 こうした画面とは別の世界を暗示しようとする視線のモティーフは、晩年に至って、正面視のモティーフと共に、この世ならぬ神性の顕現の主題に辿り着くことになる。これと平行して、画面に描かれる自然も、終末論的汎神論的な活性化を示すようになる。このような神秘主義的傾向は、モロー一人に限らず、精神的な動揺期であった19世紀の特徴の一つをなすものである。
 19世紀は精神的な思潮においてのみならず、美術の様式の面でも一つの動揺期であったが、そうした動揺はモローの制作にも、顕著に現われている。モローはアカデミスムの伝統に忠実に、多くの準備習作を経た上で最終作に取りかかるのだが、描く主題にあまりに多くの観念を担わせるために、画面を完成にまで導けずに終わることがしばしば起こる。また作品を完成させることができた場合でも、仕上げへの配慮が、習作の領域における処理の自由さを、窒息させてしまうことが少なくない。さらにここに、シャセリオーから引き継いだ、線と色彩の統合の問題が重なる。この課題をモローは、むしろ極端に分裂させてしまい、そこから一方に過剰なまでに細部を積み重ねた素描や完成作、もう一方に色彩の必然性にのみ従った水彩油彩、さらに具体的な対象を認め難い、抽象絵画の先駆と見なされるような油彩が生まれることになる、線と賦彩が統一されずに、バラバラのまま重ねられた〈入墨〉が、こうした分裂の象徴となっている。
 こうした様相に、習作の領域に対する、完成作の優位が揺らいでいることが認められるが、さらにある主題が完成作となった後も、同じ主題の別の諸場面から、連作が形成されることがしばしばある。これはモローの制作における、主題からモローが抽き出した、観念的なものの比重の大きさを物語っている。ここから、絵画に従属するというよりは、絵画とは別の、独立した作品として連作に位置づけられるべき、ある主題のための註釈が書かれることにもなる。
 制作における観念と、小品や習作の示す制作の自由さとの分裂、葛藤は、モロー一人の問題に留まらず、19世紀の美術史的状況を反映するものである。このような様相を、個々の作品、作品から作品への展開を観察することによって跡づけることが、拙論の主要な主題である。
   
 →[14]へ続く
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