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レポート、1986年2月26日

マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡

石崎勝基
2017年の前置き
1. 《フォリー・ベルジェールのバー》の鏡
2. 鏡の絵画史-近世
3. 鏡の絵画史-近代.
i. 《フォリー・ベルジェールのバー》
ii. マネ以前
iii. マネ
iv. ドガ、キャサット、ボナール
4. 鏡の絵画史-現代
  補遺 
  参考文献追補
  おまけ:喜多川歌麿筆《姿見七人化粧》を巡って(1984) 
2017年の前置き

 一度やってしまえば後は野となれ山となれ、三千世界の烏も逃げ、ここはいずこの細道か、諸行無常の鐘も鳴りましょうということで、羞恥恥辱含羞!いけない見本シリーズその2となります。前回の略称「セリオ」君(1983)は修士論文(1985)準備の一段階でしたが、今回の「マネ鏡」は修論を提出した後の年度末レポートにあたります。モローは一休み、というつもりだったのかと思いきや、おまけにつけた略称「歌麿鏡」に後から書きこんだ日付を信じるなら修論前、こちらは日本美術史のゼミでしょうか、その年度末レポートとして書いていたらしいので、以前から興味があったのでしょう。やはり今から見れば、ちょちょちょっとげこげこぐげこげこ……といった態ではありました。マイヤー=グレーフェが《フォリー・ベルジェールのバー》を「残念にも良き出来栄ではなくマネの最も力弱い作品である」と述べ(ユリウス・マイヤー・グレーフェ、郡山千冬訳、『エドワール・マネ』、創藝社、1944、p.267)、絵の見方についてお手本の一人だった藤枝晃雄も確かどこかで評価の辛かった点はおくにしても、構図の話ばかりになってしまって、彩色についてあまり触れていないところなどもう~んと注意したくなります。とはいえ400字詰め原稿用紙で本文60枚プラス註20枚と、今となっては見果てぬ夢と化した元気さだけは溢れていたようです。また鏡を階段に換えれば「階段で怪談を」(1998)のできあがり、12年経っても一向に進歩していないのでした。
 誤字脱字、作品タイトルを《 》で囲んだこと、固有名詞や文献の表記などを除いて、原文には変更を加えていません(やはり横書き原稿用紙ですが、鉤括弧は ∟ ˥ではなく 「 」 になっていました。漢字の使用頻度も減っている)。また「マネ鏡」の元のレポートには図版をつけていませんでしたが、ここでは附しておきます。画像の上でクリックすると拡大画像とデータのページが表示されます。データは出典ごとに必ずしも一致しないことがあったりもしたのですが、各自ご確認ください。
 「歌麿鏡」にはコピーの図版がついていました。畑違いなので資料はおろか画集類も手元になければ、自分でも忘れてしまいそうだったからなのでしょう。案の定すっかり忘れていました。なので図版・データとも甚だもって不備だらけです。いずれきちんとできればとは思いますが、今のところは大目に見ていただけるとさいわいです。
 2017/4/21

1.《フォリー・ベルジェールのバー》の鏡


 ピエール・クールティオンはマネの《フォリー・ベルジェールのバー》(図1)の解説を、次のように始めている。
 「シャンデリア、人物、果物、壜などの他、バックにはこれらのものの鏡の中の姿を描いた、この夜の生活を主題とする絵を見ていると、たしかに我々は〈絵を分断している物〉についてのよくある疑問、つまり『鏡はどこにあるのだろう』という問題をふと考えたくなる。
 事実この絵の中の鏡の正確な位置を決めるのは非常に困難であろうし、また鏡に映ったところだけが描かれている髭の男の位置を決めるのも同様に困難であろう」(1)。
 同じようなことを、コート-ルド・コレクション展の図録の解説者も述べている。
 「女給の背の映像は、もし私たち絵を視る者がシュゾンの正面に立っているとしたならば、あまりにも右に寄り過ぎている。同様に、客の映像も右の方にずらされている」(2)。
ノヴリーン・スー・ロスも、「カウンターの上の静物と中央のシュゾンの姿は、鏡の中の映像に対して適切に並べられていない」。客の男は「度はずれに大きい」と述べている(3)。さらに、高階秀爾氏は、「画面の右手に見える鏡の中の彼女の後姿は、中央の正面向きの姿と必ずしもうまく対応していない。背後の鏡も、ほぼ画面と平行の位置にあるように思われるのに、それにしてはそこに映った後姿が、右の方に寄り過ぎているのである。その上、鏡の中の給仕女は、上体をやや前の方に傾けて、やはり鏡の中に映っている山高帽の紳士と何ごとか話をしているように見える。それに対して、正面向きの彼女は、ほとんど何の動きも表情も見せず、本来なら彼女のすぐ前、すなわちわれわれ観客の位置にいる筈の山高帽のお客に、まったく何の関心も払っていないように見える。そのため、この後向きの給仕女は、鏡に映った映像ではなくて、もう一人別の給仕女ではないかと考えられるほどなのである」と記している(4)。
 このような事態に対して、幾つかの説明が与えられている。コート-ルド・コレクション展の図録解説者によれば、「マネは鏡に映った映像を、美的な目的のために、全く恣意的に用いた。…(中略)…アングルやドガの鏡像の用法とは違って、マネはこれらの映像を、構図を区分するために利用している」(5)。
 高階秀爾氏も、造形的な視点から解釈している。上に引いたような結果が生じたのは、「画面の平面性が強調されている」ためである。「手前の方の現実の世界と、背後の鏡の中の映像の世界とは、遠近法的な関係によってではなく、ひとつの画面を作り上げる造形的関係によって結ばれているのである」(6)。
 こうした造形的解釈に対して(7)、より鏡の機能に注目して、多田智満子氏は次のように述べている。
 「この鏡は、婦人の後姿や酒壜などを映すことによってその存在を示しているにもかかわらず、明らかにされているものは映像だけであって、鏡そのものの位置も形も大きさも一向に分からないのである。
 しかも、私たちを戸惑わせるものはこれだけではない。画の右端に、鏡に後姿の映った婦人と顔をつき合わせて向き合っているシルクハットの髭の紳士、鏡の中にまざまざと映っているこの男は、いったいどこにいるのだろう(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)? すべての位置関係からして、彼は当然鏡の手前、画の前景に描かれているべきなのに、それが全く消されて(ヽヽヽヽ)しまっている。消されて、と書いたのは物理的な秩序を前提とする思考の手続きを示したわけで、つまり、物体があるからこそ映像が生ずるという常識に従えば、映像があって物体がないのは、映像だけを残して物体を消したとしか考えられないからである。
 之を要するに、シルクハットの髭の紳士は鏡の中にしか存在しない幽霊であるが、しかし、この画においては、さきに指摘したように、鏡そのものが幽霊なのだ。
 その表面あるいは奥底に(鏡の場合、表面と奥底とはほとんど同義である)さまざまの像を結ぶという機能によって、鏡は自分の存在を明かすが、枠や縁どりがその存在を限定しないかぎり、鏡の姿そのものは不分明なのだ。見えていて見えない、これが純粋状態における(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)鏡のありようなのである」(8)。
 以上の詩人の解釈には、やや勇み足をしている点がある。まず、マネの絵において、鏡の位置は全く示されていないわけではない。カウンターを区切る線の上に、画面を横切って、鏡の下の枠を示す黄色の帯が描かれている。ただそれにしても、たびたび指摘されてきたように、鏡の前の〈実物〉と映像の関係がおかしいために、鏡の位置が曖昧になっていることは事実である。次に、画面の中に描かれていない物が鏡の中に映っているという事態は、絵の中の鏡のモティーフの歴史において、決して珍しいことではない。しかし、マネのこの作品において、鏡が画面の大部分を占めるほどに拡大されていることを、見落とすことはできない。この点で、高階氏の述べた平面性の問題、さらに女給の正面性、ほぼ左右相称で捉えられたイコンを思わせる姿勢の問題とも絡み合いながら、この鏡は、作品に単なる造形的統一では片付けられない性格を与えているのである。
 多田氏の解釈をより正確にするためには、絵の中の鏡というモティーフの歴史の内にこの作品を位置づけなければならない。以下、いまだ試論の域を出ないが、絵の中の鏡を巡る、簡単なスケッチを描いてみることにしよう。

 



マネ《フォリー=ベルジェールのバー》1881-82
図1 マネ《フォリー=ベルジェールのバー》 1881-82

1. ピエール・クールティオン、『マネ』、千足伸行訳、美術出版社、1968、p.148。クールティオンは続けて、「このような変則的な描写はその大胆さによって我々を喜ばせるが、これと似た例はアングルの『トルコ風呂』にも見られる」と述べているが、ここでアングルの《トルコ風呂》を引き合いに出す理由がよくわからない。《トルコ風呂》では、前景の人物群と中・後景の人物群との間で大きさの尺度が飛躍しているが、これがマネの作品の場合のように、鏡に映った像であることを示すものは何もない。ロバート・ローゼンブラムは《トルコ風呂》を「凸面鏡の歪んだレンズの中に結晶したエロティックな幻想」と述べているが
(R. Rosemblum, Ingres, Paris, 1968, p.172)、クールティオンも同様のことを考えていたのだろうか?

2. 『ロンドン大学コート-ルド・コレクション 印象派・後期印象派展』図録、東京、京都、大阪、1984、p.267。日本語訳の部分では、引用した二つ目の文がなぜか抜け落ちている。

3.
Novelene Ross, Manet’s Bar at the Folies-Bergère and the Myths of Popular Illustration, Michigan, 1982, p.9.

4. 高階秀爾、「マネ、『フォリー・ベルジェール劇場のバー』」、前掲コートルド・コレクション展図録、p.21。

5. 前掲コートルド・コレクション展図録、p.267。

6. 高階、前掲箇所。

7. 他にノヴリーン・ロスは、異なる視点から解釈を与えている。「鏡に映った像の正確な遠近を犠牲にすることによって」、女給は「場面の心理上・構図上の焦点となる。ただし彼女は、その場面に全く関与していない」。「シュゾンは文字通り、周囲の世界から離れて、一人立っている。皮肉なことに、同じ空間の狂いが、鏡の中の女給と紳士の対面を強調することになる。…(中略)…シュゾン、〈現実に〉女給である、陳列されている女は、男といちゃつく演技をしているのではなく、全く明らかに、欲望の対象なのである」。
Ross, 前掲箇所。

8. 多田満智子、『鏡のテオーリア』、大和書房、1977、pp.152-153。
(→こちらも参照

2.鏡の絵画史-近世


 鏡は古来、様々な思考の対象となってきた。ヘレニズムのグノーシス派やネオプラトニスムにおける、鏡としての第一質料、あるいは仏教における空の比喩としての鏡のような、宇宙論的な思弁、幼児の精神の発展における重要な要素としての鏡のような、心理学的・認識論的な思弁、ナルキッソスやドッペルゲンガーを巡る文学上のイマージュ、そしてこれが最も古いものであろうが、魔術的な機能を果たすものとしての鏡など(9)。ここではこれらの問題を扱う余裕も能力もないが、ただ注意しておかなければならないのは、何らかの思弁に都合がよいからというので、たまたま鏡が引き合いに出されるのではなく、鏡自体のありようが、様々な思考を触発したということである。言葉による説明では、所詮鏡という存在の不可思議さを語り尽くすことはできない。イコンが先かイデアが先かというハーバート・リードの議論を借りるならば、鏡に関しては明らかにイコンが先であろう。そして、第一に視覚に関わる現象である鏡は、視覚芸術である絵画の中に繰り返し登場することになるのである。
 画面中に鏡が描かれる絵画の作例は、既に古代、そして中世にも見られる(10)。これらの例について語る資格は筆者にはないが、鏡が画面構成上重要な役割を果たすようになるのは、やはりルネサンス以後と考えてよいであろう。これは遠近法の成立、より正確には、遠近法を生み出すような空間観の定着と深く関係している。即ち、地面と平行に進む奥行きへのイリュージョンを持つ空間である。また鏡は普通室内に配されるので、鏡が登場する画面も、室内を描いていることが多くなり、奥行きも有限の、壁によって限定されたものになり易い。
 こうした空間に鏡を導入した最初の、そして最も重要な作例は、ヤン・ヴァン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻像》(図2)である。絵は一箇の部屋として描かれ、部屋の奥の壁は画面と平行に配されている。壁の中央に大きな凸面鏡が飾られ、微かに右廻りになった、鏡の位置から画面手前側を見た光景を映している。部屋の奥にある窓と寝台、画面の手前にいる夫妻の背面、絵を視る者の位置にあるはず(ヽヽ)の部屋の戸口とそこに立つ二人の人物が見える。ここでの鏡の機能を整理すると、次のようになる。第一に、画面全体が作り上げている空間とは、別の空間を開く。ただし、同様の機能を果たす窓や画中画のモティーフとは異なる意味を鏡は持っている。オイゲン・フィンクは、鏡像が幻視や幻聴と異なる点として、鏡に映るものが常に、何か現実に存在するものであるということ、さらに実物と鏡像は同じ時間、すぐ近くの空間に存在しなければならないことを指摘している(11)。この鏡像の限定された性格が却って、鏡に実を虚とし虚を実とするような力を与えているのだが、絵の中に鏡が現われる場合、窓や画中画のように、絵を視る者の視線が突き抜けてしまうような空間ではなく、鏡面の奥へ視線を進めると同時に、実物のあるべき位置へと視線を反転させるような、〈虚の空間〉とでも言うべきものを作り出すことになる。視線の反転は、この作品のように鏡が絵全体の空間の一番奥にある場合、絵を視る者から出発して絵を視る者に帰ってくるという、いわば古典的な、整頓されたものだが、絵画空間を、視線に対する意識のゆらぎとでも呼ぶべきもので満たすのである。
 鏡の機能の第二点は、同じ対象の画面に向けられた面とは別の面を映し出すということである。遠近法的空間にあっては、視点は一箇所に固定され、視線を画面と垂直に奥行きに進ませる。そのため対象は、画面の方に向いた面でしか捉えられない。鏡に対象が映る場合、別の面が現われ、しかもこの二つの面が実物と鏡像の位置に分裂させられる。分裂は同時に、同じ対象同じ時間同じ空間に存在するものを映すという鏡の性質によって、実物と鏡像を目に見えない糸で結びつける。鏡の機能は一方向にのみ働くのではなく、距てかつ分かつというように、常に、同時に二方向へ働くのである。
 第三点は、この作品での戸口とそこに立つ二人の人物のように、画面の中に描かれていない対象を映し得るということである。鏡は画面の中の空間だけではなく、画面の中と、絵を視る者の属する空間をも結びつける。しかもこの場合、鏡に映っている人物と絵を視る者が同一化されることになるのである。
 以上三点、絵の中の鏡が持つ機能を、この作品は非常に模範的な形で描き出している。以後の鏡のモティーフの展開は、既に全てここに集約されているということもできよう。ヴァン・エイクの凸面鏡のモティーフは、ロベルト・カンピン、ヴァン・エイクの弟子であるペトルス・クリストゥスに直接受け継がれている。プラド美術館にあるカンピンのヴェルル祭壇画(図3)は、凸面鏡の位置の点でもヴァン・エイクの先例をそのままなぞっている。ただ祭壇画の左翼という性質のため、ヴァン・エイクの画面の左右相称性が生み出していた、古典的な規範性は失われている。凸面鏡の映像も、ヴァン・エイクの場合よりはっきりと右廻りになっている。メトロポリタン美術館にあるクリストゥスの《聖エリギウス》(図4)では、凸面鏡の鏡面は、ヴァン・エイクの鏡面における光と大気の感覚を欠いている。西洋の近世美術に現われる鏡は、遠近法成立以後の大気の描写に呼応して、画面の他の部分とは異なる仄暗さ、あるいは光に満たされていることが多い(12)。クリストゥスの作品の改作というべき、ルーヴルにあるクェンティン・マセイスの《両替商夫妻》(図5)では、この点は正されている。しかしクリストゥス、マセイスどちらも凸面鏡を画面の近くに持ってきており、クリストゥスでは画面右端に、マセイスでは鏡を歪めて置いているため、鏡は画面斜め外の光景を映している。視線の反転という効果の点では、やや散漫になっている。
 ヤン・ヴァン・エイクは《アルノルフィーニ夫妻像》以外にも、凸面鏡を取り入れた画面を制作した。原作は現存していないが、ニューヨークのヴァン・ベルグ・コレクション蔵のウィレム・ヴァン・ハーフトの〈画廊図〉の中で描かれている《化粧する婦人》(図6)が、ヴァン・エイクの原作を写したものと、研究者によって認められているという(13)。ここには裸婦と侍女、そして洗面台の上、画面左端に大きな凸面鏡が描かれ、二人の姿を映している。これは、古代以来の〈女と鏡〉の図像に属するもので、主題としては〈化粧〉を表わし、おそらく絵に鏡が現われる際の最も多い主題であろう(この点は、浮世絵でも同じ)。中世以後は、これに〈ヴァニタス〉、虚飾、うつろい易さの寓意が重ね合わされる。〈ヴァニタス〉の寓意は、絵の中の鏡のモティーフにおいて、今日に至るまで重要な要素であり続けている。倫理的傾向の強い北方ルネサンス、特にドイツの絵画においては、鏡のモティーフとこの寓意の結びつきを強調していることが多い。ボッスの《悦楽の園》の右翼(
こちらを参照)には、悪魔の尻が変化した凸面鏡の前に坐っている娘が描かれている。これは悪魔の差し出す鏡、という図像に属している(14)。ストラスブール美術館にあるメムリンクの《ヴァニタス》(図7)は、自分の顔が映っている凸面鏡を手にした美しい裸婦を描いている。この作品は六点からなる祭壇画の内の一点だが、死者を描いたパネルと対をなすものとされている(15)。ドイツ絵画に目を移すと、ウィーンの美術史美術館にあるハンス・バルドゥンク・グリーンの《女の三段階と死》(図8)では、やはり凸面鏡に見入る裸婦の後ろで、死者が砂時計を差し上げている。同じ美術史美術館にあるルーカス・フルテナゲルの《画家ハンス・ブルクマイアー夫妻像》(図9)では、妻の持つ凸面鏡に映る二人の姿は、朦朧たる筆致で描かれたドクロと化している。ここには、正確に実物と同じ姿を映すはずの鏡が別のものを映すという、絵画よりも文学で利用されることになるモティーフが認められる。また、先に触れた画面の他の部分と鏡面での処理の違いという問題が、はっきりした形を取っている。この問題は、後にベラスケスの《鏡を見るウェヌス》(図20)でも活用されることになる。
 以上、北方ルネサンスにおける鏡のモティーフを簡単に見渡してきた。これまでに取り上げた作例で登場したのは、全て凸面鏡であった。由水常雄氏は、北方ルネサンスにおいては凸面鏡、対するにイタリア・ルネサンスにおいては平面鏡が描かれる例が圧倒的に多いことを述べ、これを当時の鏡の生産状況、即ち凸面鏡はニュールンベルクを中心とするドイツ、平面鏡は専らヴェネツィアで制作されていたことに帰している(16)。また凸面鏡が現実をそのまま再現するのではなく、やや歪曲するという点で、北方の精神風土に合ったとも言えよう。さらに、両地の空間観の相違も鏡の選択と呼応している。フランドル絵画の空間は、神の視点から見下ろしたパノラマ的なもので、そのため地平線が高くなり、前景と中後景、人間と事物はきちんと区別されない。視線は前景では見下ろした角度で、奥へ進むに従って水平に近づく。即ち宇宙は内側から見た球面として把握される。これに対してイタリアの絵画では、視点は人間の目の高さにあり、視線は地面と平行に進む。画面は大きく人間を配された前景を中心に構成され、地平線が高い場合、中後景は舞台の書割り的なものになってしまう。空間は地面に置かれた箱型のものとして捉えられる。球面と箱という空間の把握の違いが、凸面鏡と平面鏡という形状に反映していると考えることができよう。十七世紀になると、北方でも平面鏡の登場が一般となる。これはヴェネツィア鏡の輸入、次いでフランスの平面鏡の大量生産による(17)とともに、北方、特にオランダにおける空間把握の地上化に応じている。
  9. 鏡を巡る様々な問題をまとめたものから目に留まったものを以下に挙げておく。この中には、絵画における鏡に言及したものも少なくない。
 宮川淳、『鏡・空間・イマージュ』、美術出版社、1967
 『エピステーメー』、1976.1:「特集 鏡」(下の文献追補に細目)
 E.フィンク、『遊び-世界の象徴として』、千田義光訳、せりか書房、1976、第2章
 多田、前掲書
 
J. Baltrušaitis, Le miroir, Paris, 1978(下の文献追補に邦訳)
 川崎寿彦、『鏡のマニエリスム』、研究社、1978
 森浩一編、『鏡』(日本古代文化の探求シリーズ)、社会思想社、1978
 由水常雄、『鏡-虚構の空間』、鹿島出版会、1978
 J.パリス、『空間と視線』、岩崎力訳、美術公論社、1979、第6章2節
 『現代のエスプリ』、no.155、1980:「特集 鏡と人間の心理」(下の文献追補に細目)

10. 西洋美術以外の領域における、絵の中の鏡というモティーフに関しては、筆者は語る能力を全く持っていない。ただ浮世絵における鏡のモティーフについては、先で少し触れることにする。また以下の記述では、水鏡のモティーフの問題は省くことにする。水鏡というモティーフは、通常の人工の鏡のモティーフとは性格の異なる空間の編成を要請するものであり、それが最も肝要な問題となるのは、おそらくモネにおいてであろう、ということだけ述べておく。

ヤン・ヴァン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》1434
図2 ヤン・ヴァン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》 1434

11. フィンク、前掲書、pp.131-134。

フレマールの画家/ロベルト・カンピン《ウェルル祭壇画・左翼》1438
図3 フレマールの画家/ロベルト・カンピン《ウェルル祭壇画・左翼》 1438

ペトルス・クリストゥス《聖エリギウス(自店の金細工師)》1449
図4 ペトルス・クリストゥス《聖エリギウス(自店の金細工師)》 1449

12. この点で、浮世絵における鏡が真っ白な鏡面をさらしていることが多いことと、比較することができる。(→おまけの挿図を参照

クエンティン・マセイス《両替商とその妻》1514
図5 クエンティン・マセイス《両替商とその妻》 1514

ヴァン・エイク《化粧する女》(ウィレム・ファン・ハーハト《コルネリス・ファン・デル・ヘーストの画廊》1628)
図6 ヴァン・エイク《化粧する女》(ウィレム・ファン・ハーハト《コルネリス・ファン・デル・ヘーストの画廊》(1628)より)

13.
G. T. Faggin, Tout l’œuvre peint des frères van Eyck, Paris, 1969, p.101. カタログno.63, 及び 60, 68.

14.
Baltrušaitis、前掲書、pp.192-197。

メムリンク《虚栄》1485頃
図7 メムリンク《虚栄》 1485頃

15.
G. T. Faggin, Tout l’œuvre peint de Memling, Paris, 1973, p.100. カタログno.34C.


バルドゥング・グリーン《女の三段階と死》1510頃
図8 バルドゥング・グリーン《女の三段階と死》 1510頃

フルテナゲル《画家ハンス・ブルクマイアーとその妻アンナ》1529
図9 フルテナゲル《画家ハンス・ブルクマイアーとその妻アンナ》 1529

16. 由水、前掲書、pp.202-211、及び 56-57。

17. 同上、pp.211-217、及び 79 以下。
 さて、イタリア・ルネサンスにおける鏡のモティーフは、ヴェネツィア派を中心に展開したようだ。ここには当然、ヴェネツィアが鏡の特産地であったという事情(18)が反映しているだろう。また、フィレンツェ派の観念性、理論重視、線的傾向に対して、地上的世俗的な傾向、光と大気によって空間を充たそうとすることなどに、ヴェネツィア派とフランドル絵画との共通点を見ることができ、これが好んで鏡を絵の中に取り入れる点にも現われているのかもしれない。アントネロ・ダ・メッシーナ以来、フランドル絵画の影響をヴェネツィア派が直接蒙ってきたことも、考えに入れなければならない。そうした影響を示すものとして、ヴェネツィアのアカデミアが蔵する、ジョヴァンニ・ベリーニの四点からなる寓意画の内の一点がある(図10)。この作品は台座の上に立つ裸婦を描いている。彼女は片腕で大きな凸面鏡を支え、もう一方の手で鏡を指している。鏡は画面と平行に配され、暗い表面にぼんやりと、赤い服を着た人物が映っている。主題は〈ヴァニタス〉か、それを認識する〈賢明〉とも解釈されるとのことだが(19)、寓意性の強い、北方の影響を感じさせるものである。
 ジョヴァンニ・ベ
リーニにはもう一点、鏡を取り入れた作品がある。ウィーンの美術史美術館にある《化粧する婦人》(図11)がそれで、ここでの鏡は平面鏡である。裸婦が片手に鏡を持って、背後の壁にかけられた鏡に映っている頭の後ろ側を、合わせ鏡にして見ている。合わせ鏡というモティーフはあまり西洋の絵画には現われない。あまりにも空間が錯綜するし、片方の鏡はどうしても裏を見せることになって、視点の固定した画面では効果的に描きにくいからであろう。この点でこの作品は、歌麿や国貞の作例を想い起こさせる。またこの作品では寓意性が稀薄で、この点がティツィアーノに受け継がれることになる。
 ティツィアーノはルーヴルにある《鏡を見る婦人》(図12)で、ジョヴァンニ・ベ
リーニに倣って、合わせ鏡のモティーフを取り上げている。画面中央に髪を直す婦人を配し、そのすぐ左後ろで男が、彼女の頭の後ろに大きな凸面鏡を、前に手鏡を差し出している。両端に鏡を、その間に人物二人をはさんで構図をまとめているのだが、左の手鏡が裏を画面の方に向けているのはともかく、右の凸面鏡は白く反射する光を除けば、真っ暗で何も映していない。制作当初から暗かったのか、後に黒ずんでしまったのか判断はできないが(20)、現在の状態に関しては、この鏡は〈映らない鏡〉となっている。このモティーフは、絵の中に鏡が描かれる際の、タイプの一つである。
 ティツィアーノは後にもう1度、鏡のモティーフを取り上げている(21)。ワシントンのナショナル・ギャラリーにある《鏡を見るウェヌス》(図13)がそれで、画面右手にクピドーが支える鏡、左に大きく、鏡を見るウェヌスを描いている。ここで画面のかなりの部分を占めるウェヌスの裸身は、微かに左を向いた、ほぼ正面観で捉えられているのに対し、彼女の頭部は右に強くねじられている。それ故絵を視る者の視線も、一旦ウェヌスの裸身で受け止められた後、右にねじられて、鏡に達することになる。そして画面に対して斜めに配された鏡には、ウェヌスの頭部の左側しか映らず、一つの目だけが絵を視る者の方を窺っている。このように鏡を用いることによって、浅い空間に巧みに奥行きの感覚を暗示している。また鏡に、絵を視る者の方を覗く女性の目のみが描かれていることによって、画面に心理的なニュアンスをも加えている。ティツィアーノのこの図像は人気を博したようで、多くの模写や改作が各地に散らばっている(22)。ヴェロネーゼやルーベンスもこの構図を模写しており、後代に大きな影響を与えた。
 ティントレットも二点ほど、鏡のモティーフを取り入れた作品を残している。一つはミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある《ウェヌスとマルスとウルカヌス》(図14)で、部屋の奥に飾られた円形の鏡が、画面手前のウルカヌスとウェヌスの姿を映し出している。ここでは、ウルカヌスの実物と鏡像が、鏡面をはさんで背中合わせに配されていることに注目しておこう。ヴァン・エイクやジョヴァンニ・ベ
リーニの作例にも同様の配置が見られたが、これは十九世紀の絵の中の鏡の用法において、重要な意味を持つことになる。ティントレットのもう一つの例は、ウィーンの美術史美術館が蔵する《スザンナと老人たち》(図15)で、ここでの鏡は、すぐ傍の白い布を少し映すだけの〈映らない鏡〉である。
  18. 同上、第3章。

ジョヴァンニ・ベッリーニ《虚飾ないし賢明の寓意》1490-95頃
図10 ジョヴァンニ・ベッリーニ《虚飾ないし賢明の寓意》 1490-95頃

19. 『寓意と象徴の女性像Ⅰ 全集美術のなかの裸婦 7』、集英社、1980、p.93、図11の森洋子氏による解説。

ジョヴァンニ・ベッリーニ《化粧する若い婦人》1515
図11 ジョヴァンニ・ベッリーニ《化粧する若い婦人》 1515

ティツィアーノ《化粧する婦人の肖像》1512-15
図12 ティツィアーノ《化粧する婦人の肖像》 1512-15

20. ルーヴルの作品とほぼ同じ構図の作品がワシントンのナショナル・ギャラリーにある。この作品は一般に工房作と考えられているようだが(三輪福松編、『リッツォーリ版世界美術全集6 ティツィアーノ』、集英社、1975、p.101、カタログno.53)、人物二人の態勢は同じで、ただ男の差し出す鏡は左のもの一つになっている。この鏡は画面の方に鏡面を向けているのだが、ここでも鏡面は真っ暗になっている。

21. 他にティツィアーノに関連づけられる、鏡を取り上げた作品として、ミュンヘン国立美術館の《ヴァニタス》がある。ただし、この作品は元来、本を持つ巫女を描いていたものだが、後代に本が鏡に変えられたものであるという(三輪編、前掲書、p.101、カタログno.54)。それにしても、大きな鏡を画面手前に突き出した構図は興味深いものである。暗い鏡には、台の上に宝石や金貨、遠くにぼんやりと女性の姿が映っている。


ティツィアーノ《鏡を見るウェヌス》1555頃
図13 ティツィアーノ《鏡を見るウェヌス》 1555頃

22. 三輪編、前掲書、p.131、カタログno.384。

ティントレット《ウルカーヌス、ウェヌスとマールス》1553頃
図14 ティントレット《ウルカーヌス、ウェヌスとマールス》 1553頃

ティントレット《水浴のスザンナ》1555頃
図15 ティントレット《水浴のスザンナ》 1555頃

 
 以上、ヴェネツィア派における鏡のモティーフをざっと見渡してきたが、この他にイタリア絵画における鏡の用法の重要な例としては、パルミジャニーノの《凸面鏡の自画像》(図16)を挙げておかなければならない。マニエリスム的なるものの象徴として著名なこの作品は、凸面鏡における像の歪曲という性質を利用して、女性化した自画像と手前の巨大な手との対比を通して、屈折した自己意識を表現したものと、一般に説明されている。また鏡のモティーフの歴史から見れば、画面全体を鏡と見なした点も重要である。この点で、国貞の《今風化粧鏡》連作(→こちらを参照)のような浮世絵の作例を想起させつつ、この作品は、現代美術における鏡の用法を先駆けているのである。
 マニエリスムにおける鏡の用法としては、フォンテーヌブロー派の一連の婦人化粧図が注目される。ディジョン美術館(図17)やバーゼル美術館などが蔵するこれらの作品は、いずれも類似した構図で、画面下辺に平行に化粧台を配し、その後ろに大きく、四分の三観で捉えた裸婦を描く。画面右に、彫像を台座とし豪華な装飾を施した鏡を置き、そこに婦人の頭部が映されている。由水常雄氏は、「ここでは映像ではなくて意識のデフォルマシオンがテーマなっているようである」(23)と評しているが、これは、鏡に映る像が、今迄見て来た作例と違って、画面内の対象の別の側面を映すのではなく、僅かに角度を変えながらも、実物と殆んど同じ視野で見られた像であることによるのであろう。このため画面内に同一対象が二箇所に繰り返されることになり、それが静止した画面の中で、絵を視る者の方を見つめる。ここから化粧時の女性の、ナルシスティックな心理が画面に投影されるということになる。絵の中に鏡を導入する際、実際にはあり得ないような角度で、像が描かれることは決して珍しいことではないが、それがここでは、画面に心理的なニュアンスを与えるために積極的に利用されているのである(24)。

 
  パルミジャニーノ《凸面鏡の自画像》1523-24頃
図16 パルミジャニーノ《凸面鏡の自画像》 1523-24頃

フォンテーヌブロー派《化粧する婦人》16世紀中葉
図17 フォンテーヌブロー派《化粧する婦人》 16世紀中葉

23. 由水、前掲書、p.207。

24. 像があり得ない角度で描かれている例に、やはり同時代の、ハンス・フォン・アーヘンの《バテシバの水浴》(図18)がある。この作品では、鏡に映る像の顔の向きが実物と逆になっている。『ウィーン美術史美術館展』図録、東京、京都、1984、p.102。

ハンス・フォン・アーヘン《バテシバの水浴》
図18 ハンス・フォン・アーヘン《バテシバの水浴》

 時代がバロックに移ると、鏡の用法はよりもっともらしい、整理されたものになる。リヒテンシュタインのヴァドゥス美術館にあるルーベンスの《ウェヌスの化粧》(図19)は、ティツィアーノの《鏡を見るウェヌス》の改作というべきものだが、ティツィアーノにおいてはウェヌスのからだが正面向きであったのに対し、ルーベンスでは背を向けている。このため、視線の反転や奥行きの暗示、対象の別の面を映すという鏡の機能がよりはっきりと秩序づけられている。これは、画面に実際に遠近法を適用するか否かにかかわらず、十七世紀に至って始めて、遠近法的空間把握が文字どおり大地に足をつけたものとして定着したことによる。
 十七世紀における鏡のモティーフの重要な成果は、主にスペインとオランダで得られた(25)。まずスペインからは、ベラスケスの作品を挙げなければならない。《ラス・メニーナス》(図21)の、画面奥の壁に鏡をかけるという配置そのものは、ヴァン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻像》と変わらない。実際、ヴァン・エイクの作品は十六世紀以来ナポレオン戦争時までスペインの王室にあり、ベラスケスはこの作品の鏡のモティーフに触発されたであろうことが指摘されている(26)。ただし、ビルクマイヤーは次のことを指摘している。即ち、鏡に映る人物の大きさから、人物の大凡の位置を割り出すことができる。その場合ヴァン・エイクの鏡像の大きさは正確であるのに対し、ベラスケスの鏡に映る王夫妻は、像の大きさからすると画家と女官たちの背後に、赤いカーテンは部屋の中央にかかることになるという(27)。ベラスケスは意識的に現実を操作しているわけである。またここでの鏡像は、ヴァン・エイクの場合と違って、画面の方を向いている人物しか映っていないため、奥行きのイリュージョンをここで反転させる役割りを担っている。また鏡面が光を反射しているように描かれていることも、画面内でのかなめとしての働きを強調している。この作品では鏡以外にも、絵を視る者の方に向けられた人物たちの視線、特に画家のそれと画面に裏を向けた画布、壁にかけられた多くの画中画、右側から光を射し込む窓、そして鏡の右の、光に満ちた階段に通じる戸口とそこに立つ人物など、様々な視線と空間が交錯する〈仕掛け〉に満ちている。ただ、そうした〈仕掛け〉が画面を不安定にしてしまわないのは、あらかじめ非常に安定した箱型の空間が、骨格として与えられているからであるということに注意する必要があるだろう。ヴァン・エイクの作品に比べて、壁と床の接する線がずっと低くなっていることからも、空間の安定性がうかがわれる。物質であり続けながら非物質的な空間を暗示するという鏡の働きは、最も安定した地上的な空間でこそ、充全に発揮されるのである。そして、そうした世俗的な空間を実現したのが、バロックという時代なのである(28)。
 同じ事情はオランダの場合にも見てとれる。十七世紀オランダ絵画の課題の一つは、いかに画面空間を編成するかということであった。この時期のオランダは、フレーデマン・デ・フリース
(→こちらも参照や彼に影響を受けたヴァン・ステーンヴィック、ヴァン・デーレンらの街景図における活動にうかがわれるように、当初から遠近法の組織的な導入に熱心であった(29)。特に風俗画の領域では、室内場面において、遠近法を用いながら、窓、戸口、画中画などを取り入れて複雑な空間が組み立てられた。こうした試みは極端な場合、室内の場景を映し出す〈覗きからくり〉にまで行き着く(30)。そうした中で、当然鏡のモティーフも利用され、フェルメールの二点の作品(31)に代表される成果を生み出したのである。
 このようにして、十七・十八世紀の間に鏡を画面に取り入れた多くの作例が制作されることになる。現実の建築においても、この時期、特に十八世紀に入ってから、部屋中に鏡を貼りめぐらした〈鏡の間〉が盛んに制作される(32)。フランスを中心に鏡の制作技術が進歩した結果、鏡の大型化に成功したことが、このような設計を可能にしたのである。鏡の大型化によって、絵の中の鏡の性格も変わってくる。しかし新たな展開が始まるのは、十九世紀に入ってからであろう。

  
  リュベンス《ウェヌスの化粧》1615-18
図19 リュベンス《ウェヌスの化粧》 1615-18

25. 以下に言及するもの以外にも、特に〈ヴァニタス〉の図像に寄りながら、各地で鏡のモティーフが利用された。その中から最も印象的なものとして、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの二点の《悔悛するマグダレーナ》を挙げておこう(パリのアンドレ・ファビウス・コレクション、ニューヨークのライツマン・コレクション)(図20)。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《悔悛するマグダラのマリア》1640頃
図20 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《悔悛するマグダラのマリア》 1640頃

ベラスケス《ラス・メニーナス》1656
図21 ベラスケス《ラス・メニーナス》 1656

26.
Faggin、前掲ヴァン・エイク兄弟作品カタログ、p.94、no.15。

27.
K. M. Birkmeyer, “Realism and realities in the painting of Velazquez”, Gazette des Beaux-Arts, 1958, p.7816.

28. ベラスケスにはもう一点、鏡のモティーフを取り入れた重要な作品がある。ロンドンのナショナル・ギャラリーにある《鏡を見るウェヌス》である(図22)。構図はやはり実体は背を向け、鏡に顔の正面を映すというものである。鏡像と実物の位置がおかしいという点を除けば、ここで問題となるのは、先にも触れた鏡面での筆致が他の部分と異なるということである。
Birkmeyer、前掲論文、pp.71-72。池上忠治、「マハとヴィナスとオランピア」、『随想フランス美術』、大阪書籍、1984、p.36。

ベラスケス《鏡を見るウェヌス》1650
図22 ベラスケス《鏡を見るウェヌス》 1650

29.
C. Brown, Dutch Townscape. Themes and Painters in the National Gallery, no.10, London, 1974, pp.7-8.

30.
C. Misme, “Deux «boîte-à-perspective» hollandaises du XVIIe siècle”, Gazette des Beaux-Arts, 1925.3, no.755, p.156 以下.

31. ドレスデンの絵画館の《手紙を読む女》(これは正確には鏡ではなく、ガラス窓に映った鏡像である)とロンドンのバッキンガム宮殿にある《音楽のレッスン》(図23)。

フェルメール《音楽の稽古》1662-65
図23 フェルメール《音楽の稽古》 1662-65

32. 由水、前掲書、pp.155-188。
  

3.鏡の絵画史-近代
 i. 《フォリー・ベルジェールのバー》


 以上の概観によって、マネの《フォリー・ベルジェールのバー》が、従来の鏡のモティーフから引き継いだ点と変化した点を明らかにすることができるだろう。第一に、ここでの鏡は非常に大きく、画面の大部分を覆っている。画面の全てが鏡になってしまえば、もはや鏡か否かは問題ではなくなるので、その点をはっきりさせるために、前景にカウンターとその上の静物、そして女給が配される。それでも鏡の枠は底辺のそれ、しかも途切れ途切れにしか示されていないので、画面を一目見てそれが鏡であることがわかるわけではなく、右の女給の背面と左のカウンターと酒壜の像とを照らし合わせて、やっと鏡の存在に気づくことになる。画面の大部分が鏡像であり、本来画面のこちら側にあるはずであるということから、いわば空間が虚構化されることになる。鏡に映っている部分の筆致の素早い処理が、このことを強調する。第二に、鏡が非常に大きいため、鏡を画面に対して斜めに配するというわけにはいかず、鏡を画面に対して平行に置かざるを得ない。この点はヴァン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻像》やベラスケスの《ラス・メニーナス》と同じだが、鏡の大きさが違うため、その性格も全く変化している。この性格の変化を成し遂げるのが、第三点、鏡がずっと手前に引き寄せられているということである。このため画面は奥行きの非常に浅いものとなる。画面のすぐ奥を鏡面が占めているということ自体が、画面の平面性を暗示しているが、この平面性を破らないよう、個々の要素も配置される。カウンターは画面と平行に配される。カウンターの上の静物も、横長の画面の中で、あまり重なり合わないように並べられている。カウンターと鏡を貼った壁の間は非常に狭く見える。女給はほぼ左右相称、正面観で捉えられる。本来なら直ぐ後ろに来るはずの彼女の鏡像を、右にずらして実物と重なり合わないようにする。マネは当初映像をもっと中央に、即ち実物との関係からは正確な位置に配していたのを、わざと右方に描き直したことが、光学的な検査によって明らかにされている(33)。画面の左側では、劇場の二階席を遠く捉えて、具体的に奥行きを示す要素を省いている。さらに、左上に見える曲芸師の、脚部だけが見えること(34)、二階席の下が暗がりとしてしか描かれていないことによって、上から下までが一枚の平面と化し、画面に対する奥行き感を弱めることになる。そして鏡面部での粗放な筆致が、全体を一層平面化する。鏡面上と他の部分とで画面の処理を区別することは、絵に鏡を取り入れる際のきまりのようなものであった。一方マネの研究者は、この作品に、初期の輪郭とヴォリュームを強調した様式と、後期の〈印象主義〉的様式の統合を見ている(35)。そして第四に、女給とその映像が背中合わせに配されていることによって、間にはさまれる鏡面が強く意識されることになる。こうした配置はヴァン・エイク、ジョヴァンニ・ベ
リーニ、ティントレットなどにも見られたものだが、ここではより大規模に、そして鏡が手前に持ってこられているために、平面性を強めることになっている。映像を映す実物が画面に背を向けている場合に対して、女給が正面を向いていることが奥行きを排し、視線の反転をごく浅いところで行なわせ、鏡の機能をむしろ、絵を視ている者が属している空間にまで及ぼそうとする。
 このように、従来の鏡による奥行きのある空間の暗示とは逆に、この作品は画面の平面性を、最大限に拡大された鏡の存在と機能とに交錯させることによって成立した画面なのである。そしてこの鏡の機能の強調が、女給のイコン的な静止性と相俟って、画面に、単なる自足した平面造形に留まらない性格を与えている(36)。

 




33. 前掲コートルド・コレクション展図録、p.267。

34. このモティーフは以前の《オペラ座の仮面舞踏会》(ニューヨーク、ハヴマイヤー夫人蔵)にも現われているが、二階席の観客とともに、ヴェネツィア派が好んで画面に取り入れた、〈バルコニーの観衆〉のモティーフの血を引いている。

35. Ross、前掲書、p.12。

36. この作品の平面性はしかし、微妙なふくらみを含んでいる。画面の右側に大きく二人の人物の像を配したことと均衡をとるために、画面左側では、カウンターの像は途中で切られ、後退する斜線を描いている。女給も微かに左方に腰をひねり、頭部を少しだけ右に傾げている。女給とその像が離れていることは、鏡の位置がはっきり決められないため、鏡が左方で少し後退しているような印象を与える。カウンターも厳密に画面に平行ではなく、カウンターを区切る線は僅かに左上がりである。カウンター上の静物は、右側のグループの方が画面底辺に近い。鏡の底を縁取る枠は、女給の右では左下がりになっており、女給の右側の枠と真っ直つながらない。こうした微妙な歪みは、鏡が作り出す〈虚の空間〉に一層のリアリティを与えるものであろう。

 ii. マネ以前


 《フォリー・ベルジェールのバー》は、現場でのスケッチから始まって、水彩による習作等を経て完成されたものだが(37)、その内最も重要なのは、アムステルダム市立美術館にある油彩習作である(図24)。この習作では、カウンターは画面の右端で切れており、女給は右に首をひねっている。また鏡に映った像は彼女のすぐ後ろにあり、客の男の映像はずっと低い位置にあるなど、斜線を強調した、ずっと自然なものとなっている(38)。しかしここで既に、画面の殆んどを鏡で埋めるという構成、女給とその映像を、鏡面をはさんで背中合わせに配するという配置は決定されている。完成作に現われる鏡の底の枠は、ここでは描かれておらず、その分鏡の位置を隠すという点では完成作よりも徹底している。
 こうしたアイデアは、マネの完全な独創というわけではなく、幾つかの先例が研究者によって指摘されている。その一つが、フォランの《カフェの情景》(図25)である(39)。1878年、即ちマネの作品の三年ほど前に制作されたこの作品は、カウンターの背後に立つ女給を描いており、その後ろには大きな鏡があり、彼女の背を向けた映像が映っている。ただしこの作品では、カウンターと女給は斜めに捉えられており、奥行きを強調している。
 よりマネの作品に近い先例として挙げられているのは、1878年頃から1880年代初頭にかけて制作された、メアリー・キャサットの一連の劇場の観客席についた女性を描いた作品である(40)。例えば1879年の第四回印象派展に出品された、フィラデルフィア美術館蔵の《真珠の首飾りをつけた桟敷席のリディア》(41)(図26)は、縦長の画面に大きく、椅子に腰かけた盛装の画家の姉を描いているが、彼女の背後には、背を向けた彼女の鏡像と劇場の二階席、シャンデリアが映っている。女性のポーズや観客席の縁などが斜線を強調しているものの、画面から鏡面に至る奥行きは非常に浅い。また鏡の縁は全く示されていないので、劇場の構造という作品外の事情を考慮にいれないならば、二人の女性が背中合わせに坐っているのだと見なしても、何ら支障はない(42)。ここにはマネの作品のモニュマンタリテは認められないものの、鏡に関するアイデアとそのための空間構成は、マネの作品と完全に一致している。
  37. Ross、前掲書、pp.3-4。また、完成作の左側に見える劇場二階席にいる人物の内、女性二人はそれぞれ、独立した女性肖像画を移したものである、同上、pp.7-8。さらに、右寄り、オペラグラスを覗いている女性は、メアリー・キャサットの《オペラ座で》(ボストン美術館)に由来しているという、同上、p.7。

マネ《フォリー=ベルジェールのバーの習作》1881
図24 マネ《フォリー=ベルジェールのバーの習作》 1881

38. ただし、現実のフォリー・ベルジェールにおいては、バーの背後の鏡に、劇場の二階席が映ることなどありえないという、同上、p.6。この時点で既に現実は変更を加えられているのである。

フォラン《フォリー=ベルジェールのバー》1878
図25 フォラン《フォリー=ベルジェールのバー》 1878

39. 高階、前掲論文、p.20。

40.
Ross、前掲書、pp.6-7。

41. 『メアリー・カサット展』図録、東京、奈良、1981、p.95、no.11。

キャサット《真珠の首飾りをつけた桟敷席のリディア》1878-79
図26 キャサット《真珠の首飾りをつけた桟敷席のリディア》 1878-79


42. 「フォリー・ベルジェールの場合同様、オペラ座でも鏡は一階のロビーにかかっているのであって、桟敷席の奥にかけられてはいない。キャサットは鏡を恣意的に用いることによって、リディアを、他のやり方では得られない、きらめく光と深いイリュージョニスティックな空間の文脈に対して配したのである」、Ross、前掲書、p.7。

 キャサットは《腕の上に身を屈めた桟敷席のリディア》(パステル、カンサスのネルソン・ギャラリー・アトキンス美術館)(図27)や《桟敷席の二人の若い婦人》(ワシントン、ナショナル・ギャラリー)(図28)でも同様の構図を採用しているが、キャサット及びマネの鏡の用法には、もう一つ重要な先行段階を挙げることができる。《腕の上に身を屈めた桟敷席のリディア》におけるリディアのポーズ、またキャサットの別の作品《ミス・メアリー・エリソン》(ワシントン、ナショナル・ギャラリー)(図29)の鏡を用いた構図に影響を与えたであろう、アングルの女性肖像画がそれである(43)。アングルは三点の女性肖像画、即ち《マダム・ド・スノンヌ像》(ナント美術館)(図30)、《ドーソンヴィル伯爵夫人像》(ニューヨーク、フリック・コレクション)(図31)、《イネス・モワテシエ夫人像》(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)(図32)の中で鏡を取り入れているが、いずれも、画面に大きく描かれた女性のすぐ後ろに鏡を置き、そこに彼女の背を見せた映像が映っているという構成をとっている。鏡はどの場合も非常に大きく、《ドーソンヴィル伯爵夫人像》では画面上半の三分の一ほど、他の二点では九十パーセント近くを占めている。《マダム・ド・スノンヌ像》と《ドーソンヴィル伯爵夫人像》では、鏡の枠は縦の一辺のみ、《モワテシエ夫人像》でも左辺と下辺の部分が示されているだけである。三点とも奥行きは非常に浅く、坐像である《マダム・ド・スノンヌ像》と《モワテシエ夫人像》では、鏡は画面にほぼ平行に配されている。立像である《ドーソンヴィル伯爵夫人像》では、鏡台が斜めに置かれているが、鏡面が非常に広い上に、夫人や燭台、壺などの僅かな映像以外はほぼ無地であるため、画面の上部では奥行きは全く失われている。
 これらの作品における鏡を、左右どちらかもう少し拡げれば、キャサットやマネの鏡と、その画面に占める位置は同じになる。人物が正面向きで、そのため実物と映像が鏡面をはさんで背中合わせになるのは、肖像画というジャンルの制約上必然的なことではあるが、そもそも肖像画の背景に鏡を重要な要素として取り入れるという発想は、決して一般的なものではない。人物を大きく正面向きに描かなければならないという制約が、奥行きのある空間で視線を反転させるという、従来の鏡の用い方と矛盾するためであろう。ブーシェの《マダム・ド・ポンパドゥール像》(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク寄託)(図33)のような重要な先例を除けば、肖像画の背景に鏡を導入して効果的な表現を達成し得たのは、アングルと考えておいてよいであろう。
 アングルにおけるこのような鏡の用法は、彼の絵画の平面的な傾向と一致するものである。その意味で、彼の肖像画における鏡は、彼の他の肖像画に見られる無地の背景の延長線上にある。《マダム・ド・スノンヌ像》と《ドーソンヴィル伯爵夫人像》では、鏡の大部分は無地に近い。そしてアングルの鏡の用法が、キャサット、マネへと受け継がれ、さらに展開されていったのは、十九世紀絵画全体の平面化の傾向と軌を一にしているのである(44)。

 
  キャサット《腕の上に身を屈めた桟敷席のリディア》1879頃
図27 キャサット《腕の上に身を屈めた桟敷席のリディア》 1879頃


キャサット《桟敷席》1878-80
図28 キャサット《桟敷席》 1878-80

キャサット《扇を持つ女(メアリー・エリソン嬢)》1878-79
図29 キャサット《扇を持つ女(メアリー・エリソン嬢)》 1878-79


43. キャサットの《腕の上に身を屈めた桟敷席のリディア》におけるリディアのポーズは、アングルの《マダム・ド・スノンヌ像》(ナント美術館)、《ド・ロトシルド男爵夫人像》(パリ、個人蔵)を想起させる。

アングル《ド・スノンヌ夫人》1814頃
図30 アングル《ド・スノンヌ夫人》 1814頃

アングル《ドーソンヴィル伯爵夫人》1845
図31 アングル《ドーソンヴィル伯爵夫人》 1845

アングル《坐するイネス・モワテシエ夫人》1856
図32 アングル《坐するイネス・モワテシエ夫人》 1856


ブーシェ《マダム・ド・ポンパドゥール》1756
図33 ブーシェ《マダム・ド・ポンパドゥール》 1756


44. アングルは三点の女性肖像画以外に、鏡のモティーフを取り入れた油彩画を、もう一点残している。コンデ美術館の《ウェヌス・アナデュオメネ》(→こちらを参照)がそれで、ウェヌスの足元にいるクピドーの一人が、彼女に向けて鏡を差し上げている。ただ奇妙なことに、鏡面は下を向き、下にいるクピドーの左手を映している。

 

 iii. マネ


 マネは《フォリー・ベルジェールのバー》以前にも、鏡のモティーフを何度か取り上げている。ジョージ・モーナーは、そもそもの発端にベラスケスの《ラス・メニーナス》に触発された経験があり、それが最終的に《フォリー・ベルジェールのバー》に結実したと考えているとのことである(45)。そしてモーナーは両者の間に、1864年の《ザカリー・アストリュック像》(ブレーメン美術館)(図34)と1878年の《カフェ・コンセールにて》(ボルティモア、ウォルターズ美術館)(図39)を介在させている。ロスはこれらの作品と《ラス・メニーナス》との直接の関係を否定しているが(46)、いずれにせよ、マネの鏡への関心を示す作品である。
 《Z.アストリュック像》は、画面を大きく人物が暗い壁を背に占め、左下には本などをのせたテーブル、その上に明るい部屋と婦人の後姿を描いている。この構図はマネが模写したティツィアーノの《ウルビーノのウェヌス》によるものだが、左の明るい部分と右の暗い壁の境に装飾を施した枠があることから、左部が鏡に映った映像であることがわかる。この点でこの構図は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある《マルタの家のキリスト》(図35)のような、ベラスケス初期の幾つかの作品を思い出させる。これらの作品では、横長の画面に台所とそこで働く人物を大きく配し、画面片隅に、宗教的場面を小さく描く。小さな場面は枠で縁取られており、窓なのか画中画なのかあるいは鏡なのか、定めることはできない。こうした構図はまた、ネーデルランドの〈厨房画(ボデゴン)〉の伝統に属するものだが、ビルクマイヤーはそうした先例とベラスケスの違いとして、ネーデルランドの画家たちはどんなに尺度が飛躍しても、前景と後景を連続したものとわかるように取り計らうのに対し、ベラスケスはそうした連続性を断ち切り、小場面を枠で囲んでしまうことを指摘している(47)。この点でマネの作品はベラスケスと結びつく(マネにこれらの作品を知る機会があったかどうかはまだ調べていないが)。ただマネはティツィアーノそしてアングルに倣って、明るい部分の下辺を本の山で隠してしまっている。このような静物と鏡の配置・画面全体の平面性と鏡の結びつきは、《フォリー・ベルジェールのバー》に受け継がれていく点である。
 モーナーが挙げる《カフェ・コンセールにて》以前にも、マネは鏡を扱った作品を残している。《アトリエの昼食》と《バルコニー》(48)の背景右上にぼんやり見えるのは、おそらく鏡-〈映らない鏡〉-であろう。《ピアノを弾くマネ夫人》(49)(図36)の同じ位置にも鏡が見える。この作品の鏡の位置は、ドガが六年ほど前完成させた《ベ
レーリ一家像》(図37)のそれを思い出させるが、ドガが鏡の前に時計などを置いていたのに対し、マネの画面に映る時計などの静物は全て鏡に映った映像である。マネの方が平面化の過程が徹底しているわけである。画面の構図全体、特に夫人の姿もプロフィールで捉えられており、おかげでピアノの短縮法が説得力を欠く結果に終わっている(50)。印象派美術館にある《マルグリット・ド・コンフラン像》(51)はアングル型の女性肖像画、ただし女性と鏡の間は少し離れている。《鏡の前で》(52)(図38)は、こちらに背を向けた女性が、画面奥にある鏡に姿を映している様を描いており、鏡の用法としては、古典的なタイプに属している。《ナナ》(53)も鏡の前で化粧する女性を描いているが、ここでの鏡は〈映らない鏡〉である。ただこの鏡は白く光っており、その点西洋の作例よりも、歌麿以前の浮世絵に現われる同種の鏡を想い起こさせる(54(→こちらそちらあちらなどを参照))。
  45. Ross、前掲書、pp.5-6。

マネ《ザカリー・アストリュック像》1866
図34 マネ《ザカリー・アストリュック像》 1866

46. 同上、p.6。

ベラスケス《マルタとマリアの家のキリスト》1619-21
図35 ベラスケス《マルタとマリアの家のキリスト》 1619-21

47.
Birkmeyer、前掲論文、pp.67-68。彼は明るい小場面は画中画か鏡よりも、隣接する部屋を示すものであろうと考えている、同上、p.66。ただベラスケスがこれらの作品や先に見た《ラス・メニーナス》、《鏡を見るウェヌス》、さらに《織女たち(ラス・イランデーラス)》などにおける複雑な空間を練り上げるにあたっては、彼の鏡への深い関心が強く作用していたと指摘し、彼が自分の家に多くの鏡を所有していたことを、その証拠として挙げている、同上、p.77。またJ. ラセーニュ、『ディエゴ・ベラスケス「ラス・メニーナス」』、大島清次訳、美術出版社、1974、p.33。

48. 以下、池上忠治編、『リッツォーリ版世界美術全集13 マネ』、集英社、1975 のカタログ番号を記していく(《フォリー・ベルジェールのバー》はno.361A、その油彩習作はno.361B、《アストリュック像》はno.69、《カフェ・コンセールにて》はno.267)。それぞれno.120、121。

49. 同上、no.122。

マネ《ピアノを弾くマネ夫人》1867-68
図36 マネ《ピアノを弾くマネ夫人》 1867-68

ドガ《ベッレーリ一家》1858-67
図37 ドガ《ベッレーリ一家》 1858-67

50. この構図はホイッスラーを思わせるが、元来ドガがマネ夫妻を描いた作品に由来するというから、話は複雑である、同上の解説。ドガの作品は、夫人が描かれていた部分をマネが半ば以上削ってしまったため、ピアノの向こうに鏡が描かれていたかどうかが不明である、
F. Minervino, Tout l’œuvre peint de Degas, Paris, 1974, p.95, カタログno.214.

51. 池上編、前掲カタログ、no.185。

52. 同上、no.217。

マネ《鏡の前で》1876-77
図38 マネ《鏡の前で》 1876-77

53. 同上、no.230。

54. 以上の他に、1877年の《花瓶》(同上、no.237)の背景にも鏡が描かれているのかもしれないが、手元にある図版が小さくてはっきりわからない。同様の例は他にもあり(no.97, 247B, 285, 415 など)、いずれにせよ、マネは画面の端に画中画なり鏡なりの枠を少しだけ描き込むのを好んだようである。また1879年の《スペインの夫婦のダンサー》(同上、no.300)は、円型の画面に正方形を内接させ、その中に二人の人物を描いている。円と正方形にはさまれた部分にも、何人か人物が顔を覗かせている。これは鏡を意味しているのだろうか?

 さて、《カフェ・コンセールにて》(図39)はパリのカフェや演芸を描いた一連の作品の一つで、主題及び年代の点で《フォリー・ベルジェールのバー》と近い位置にある。前景に席についている客たち、少し奥に立っているウェイトレス、そして画面奥に小さく、舞台の上の歌姫を描いているのだが、よく似た構図の《ウェイトレス》(55)(図40)と比べると、客が歌手の描かれている画面奥とは逆方向に目を向けていること、歌手のいる部分と右側の壁の境に金色の縦枠があること、歌手の大きさとその背後との間が狭すぎることなどから、この部分は鏡に映った映像であると推測される。構図はマネにしては奥行きを強調したものだが、奥行きの暗示は、建築の配置によるのではなく、画面を一杯に埋める人物が段階的に小さく描かれることによっている。画面の奥の描写は平面的で、鏡の設定が画面をまとめるのに利用されている。また鏡が鏡であることのわかりにくさは、《アストリュック像》と《フォリー・ベルジェールのバー》との間にこの作品を位置づけさせている。
 カート・マーティンは、《フォリー・ベルジェールのバー》と密接な関係にあるものとして、パステルで描かれた《テアトル・フランセ広場のカフェ》(56)(図41)に注目しているという(57)。この作品は前景にテーブルにつくカフェの客、少し奥に給仕の後ろ姿を描いているが、画面の奥の上半分は、全てガラス乃至鏡によって占められている。ただこれがガラスなのか鏡なのかがはっきり定め難い。背景を占めるのはガラス窓であって、そこに映っているのはカフェの内部で、前景は街路なのか(58)。しかし給仕はカウンターの前にいるように見える。とすれば、前景は屋内で、画面の奥を占めるのは鏡であって、そこに、絵を視る者の位置にあるべきカフェの内部が映っているのか(59)。いずれにせよ、画面奥には柱が立ち並ぶ、かなり広い空間が暗示されている。1881年、即ち《フォリー・ベルジェールのバー》とほぼ同時期に制作されたこの作品は、空間の曖昧さという点では《フォリー・ベルジェールのバー》以上である。前景は輪郭をとったスタイルで、鏡ないし窓に映った部分をぼんやりと描くという点も、《フォリー・ベルジェールのバー》と一致している。
 以上見てきたようにマネは、キャサットの作例を知るずっと前から、鏡を紛れもなく〈十九世紀的な〉方法で用いてきたのである。即ち、画面の平面性と鏡のモティーフを結びつけること、これは必然的に、画面に占める鏡の比重の大規模化を導く。鏡の占める比重が大きくなると、しかし、一見鏡の存在をわかりにくくしてしまう。だが一旦鏡の存在気づいたならば、鏡はそれが存在すること自体によって、画面に描かれる空間のみならず、絵を視る者が属している空間をも〈虚のもの〉としてしまうような、多義的な空間を作り出すのである。このような鏡の用法を最も整理された形で、しかもモニュマンタルなイコンとして描き出したのが、《フォリー・ベルジェールのバー》である。そして、鏡が鏡であること自体に注目して、空間を構成しようとする試みは、二十世紀美術における鏡のモティーフの出発点として、この作品を位置づけさせることになるだろう。

 
  マネ《カフェ・コンセール》1878
図39 マネ《カフェ・コンセール》 1878

55. 同上、no.266A 及び 266B。

マネ《カフェ・コンセールの一角(ウェイトレス)》1879
図40 マネ《カフェ・コンセールの一角(ウェイトレス)》 1879

56. 同上、no.377。

マネ《テアトル・フランセ広場のカフェ》1881
図41 マネ《テアトル・フランセ広場のカフェ》 1881

57.
Ross、前掲書、p.5。

58. マーティンは、前景はカフェの内部で、ガラス窓を通して、街路の様子がぼんやり見えている、と解釈しているという、同上。

59. ロスはこの解釈をとっている、同上。

 

 iv. ドガ、キャサット、ボナール


 ドガはマネ以上に鏡のモティーフに対する関心の深かった画家で、肖像画、風俗画特に伝統的な〈化粧〉の主題のもの、バレエの練習風景などに、繰り返し鏡が現われる。《鏡の前のジャントー夫人》(60)(図42)は肖像画であるにもかかわらず、実物は横向きで捉え、鏡に映る映像が正面を向いているというもので、画家の皮肉な気性をうかがわせる。このタイプの古典的な鏡の用法は、他にも幾つか作例がある(61)。これに対して、アングル型の人物配置は意外に少なく、《エドモン・モルビ
リ夫妻像》(62)で夫の方が背後に鏡を担っているが、画面右端に追いやられている。《アプサント》(63)も同様の配置を示すが、像はぼんやりとしか描かれておらず、単なる影と大差ない。この配置が最もはっきり現われているのは、バレエの練習風景を描いた一点だが(64)、斜線を強調した構図で、実物と鏡が距たりを置いているため、アングルやマネにおける平面性の問題とは関わっていない。《凌辱》(65)のような〈映らない鏡〉を描いたものが数点ある他(66)、意外に多いのが、人物を主題にした絵に鏡を導入しても、鏡に人物の像を映さず、室内しか見えないような作品である。先に触れた《ベレーリ一家像》(67)がそうだし、《鏡の前で》(68)(図43)は背中を向けた人物と鏡を組み合わせた構図だが、見下ろすような視角と鏡の近さのため、女性の映像は部分的にしか見えない(69)。ドガが鏡のモティーフを最も意欲的に用いたのは、一連のバレエ練習風景においてであろう。ある作品では(70)(図44)、壁に備えつけの大きな鏡の前にもう一台鏡を配したり、また別の作品では(71)(図45)、鏡とは別に、鏡像ではないはずなのに、前景の人物と同じ姿勢の脚部を隣の部屋への扉口に覗かせるという、デルヴォーの《こだま》を思わせる試みをしたりしている(72)。ただこの主題においては、いずれも広い練習室を舞台にすることが前提となっている。他に興味深いものとしては、奥行きを強調した構図と鏡を組み合わせて、ティントレットの《ウェヌスとマルスとウルカヌス》を連想させる、入浴図の一つ(73)をあげておこう。
 このように眺めてくると、ドガの鏡は、アングルやマネのような平面性との結びつき、鏡が鏡であることの強調といった要素が稀薄で、あくまで空間の複雑化の面白さを狙ったものであるという印象が強い。その意味でドガの鏡の用法は、鏡とともに窓や画中画、戸口を用いて空間を錯綜させることを好んだ、十七世紀オランダの画家たちの延長線上にあるのである。このことは、ドガの絵画空間の性格そのものと関係している。ドガがいかに浮世絵や写真の影響を受けて、場面をトリミングしたりしようと、彼が組み立てる空間は基本的に、遠近法的な視覚の枠内にあり、それを誇張したり歪曲したりしたものである。これは、彼の画面の骨格となる線を、モネのそれと比べてみればよくわかる。モネにおいては、光と大気の描写を徹底したあまり、画面が〈朦朧化〉してしまったので、画面に骨格を与えるために、建築や地形を輪郭づける線が強調されるようになる。こうした傾向はポプラ、ルーアン大聖堂、ロンドンとヴェネツィアの各連作などにはっきり現われているが、その際、線は奥行きを示すものではなく、平面としての画面に即した幾何学的なものとなる。さらに後になると、こうして組み立てられた画面を、もう一つの線、即ち筆触が対象の把握から解放されて長く伸びた、有機的な線が走り回るようになる。このような平面構成において、モネはモンドリアンやポロックの〈オールオーヴァー〉に接近することになるのである。これに対して、ドガの画面の骨格となる線、特にバレエの練習場のような室内場面では、他より長い一本の斜線が基本となり、どんなに誇張されていても、奥行きと天地の区別のある空間が形成される。骨格となる線以外の線は、全て対象の把握のためのものに留まる。
 ドガの鏡は、マネの場合と違って、一見しただけではそれが鏡であるかどうかわからないということはないし、画面の大半を占めるまでに大きくなることもない。これは、マネの画面構成が常に平面を基本としていたのに対し(そのためしばしば、前景と中後景がうまく結びつかなかった(74))、ドガのそれが、天地と奥行きを持つ遠近法的空間の枠組みを離れることがなかったことに呼応しているのである。さらに、マネの直観的で、都会的で軽快な作品の性格と、ドガの知性的で、時に皮肉、時にきまじめな作品の性格とに対応させることもできよう。ただ、ドガもまたあくまで十九世紀の画家であったことは、彼の組み立てる遠近法が常に、誇張されていたり意想外な視角によっていたりすることに現われている。ルネサンス以来の伝統的な空間の秩序が、既にその有効性を失っていたことは、当時の画家たちが意識していたか否かにかかわらず、厳然たる事実であった。マネらの営なみとドガらの営なみは、この同じ事態に対処する二つの解答だったのであり、マネはそれを新たな造形性を求める方向に推し進め、ドガは同じことを、伝統の中に留まりながら果たそうとしたのである。そしてこの二人の成果は、二十世紀美術における鏡の用法の二つの流れに受け継がれることになるだろう。
  60. Minervino、前掲カタログ、no.393。

ドガ《鏡の前のジャントー夫人》1875頃
図42 ドガ《鏡の前のジャントー夫人》 1875頃

61. 同上、no.569, 631, 1184 など。

62. 同上、no.217。

63. 同上、no.399。

64. 同上、no.804。

65. 同上、no.374。

66. 同上、no.245, 736。

67. 同上、no.136。

68. 同上、no.672。

ドガ《鏡の前で》1889頃
図43 ドガ《鏡の前で》 1889頃

69. 他に no.222, 359, 451, 760, 776, 931, 932, 952, 1046 など。

70. 同上、no.296。

ドガ《踊りの教室(稽古場)》1871
図44 ドガ《踊りの教室(稽古場)》 1871

71. 同上、no.292。

ドガ《ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場》1872
図45 ドガ《ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場》 1872

72. バレエの練習風景からは他に、no.479, 488, 494, 529 など。

73. 同上、no.428。

74. 池上忠治、「エドゥアール・マネの矛盾」、池上編、前掲カタログ、pp.73-74。

 ドガの鏡の用法に比べると、彼の弟子格にあたるメアリー・キャサットのそれは、マネに刺激を与え得るようなものでさえあったことは先に見た。キャサットもまた、ドガから受け継いだのか、鏡を取り入れた作品を少なからず残している。キャサットの場合、描く主題が家族友人の肖像や母子像のような、身近で親密なものに限られているということが、鏡の扱いにも影響しているであろう。先に見た一連の《桟敷席のリディア》や《エリソン嬢像》のようなアングル型の女性肖像画以外では、まず版画作品の《髪を洗う女》(図46)と《髪結い》(図47)は、背中向きの人物と正面向きの鏡像の組み合わせである。ただ前者では、屈み込んだ頭頂しか鏡に映っていない。ワシントンのナショナル・ギャラリーにある《髪を整える少女》は〈化粧画〉だが、鏡は右端に追いやられている。版画《仮縫い》(図48)は、鏡に対して横向きに立つ女性とその映像を描いており、彼女が鏡から顔をそらしている点はアングル型に近いが、鏡が画面に対して強く斜めに配されており、ドガの先例を想起させる。やはりドガを思わせるものに、ボストン美術館の《お茶を一杯》がある。画面の右上、暖炉の上に鏡が配され、その前に壺が置いてある。この鏡の配置は、《ベレーリ一家像》に類似している。またアングル型のヴァリエイションとして、正面向きの人物の頭部の背後に、円形の鏡を後光のように配しているものがある。この場合、鏡像は全く映らないか(75)、映ってもごく小さくなる(76)。
 キャサットはさらに複雑な鏡の用い方も行なっている。ブルックリン美術館にある《母親の肩ごしに見るシャルル(no.3)》(図49)では、鏡の前で幼児を抱いた母親が描かれているのだが、母親は画面に背を向け、幼児はその肩ごしに、画面の方に顔を向けている。そして画面奥の鏡には、母親の顔と幼児の背が映っている。ここで鏡に対する人物配置の古典的タイプと呼んできたものとアングル型が、一つの画面内で、二人の人物によって同時に行なわれているわけである。オハイオ州、マクドウナ夫妻蔵の《鏡台の前のアントワネット》(図50)では、ジョヴァンニ・ベ
リーニの《鏡を見る女》同様の、合わせ鏡が描かれている。ワシントンのナショナル・ギャラリーにある《ひまわりをドレスにつけた母親》(図51)でも、二つの鏡が導入されている。大きな鏡の前に、母親とその膝の上の幼児が描かれている。母親と幼児は二人で手鏡を支えている。まず手鏡に幼児の正面を向いた顔が映っている。次に奥の鏡に、二人の横から見た姿が映っている。
 こうした複雑な配置は、ドガのバレエの練習風景と違って近くから捉えられているので、それだけ複雑さ自体が強調されることになる。この点でマネが鏡自体の特性を強調したのと呼応しているわけだが、このような複雑さは、西洋の鏡の用法以上に、後期歌麿以後の浮世絵のそれを思い出させる。キャサットは先に触れた《髪結い》では、人物の形態を〈浮世絵風〉に描くほど、浮世絵に関心を持っており、鏡の複雑な配置を考えるにあたって、浮世絵の先例に触発されたことがあったかもしれない(77)。

 
  キャサット《髪を洗う女》1891頃
図46 キャサット《髪を洗う女》 1891頃

キャサット《髪結い》1891頃
図47 キャサット《髪結い》 1891頃

キャサット《仮縫い》1891頃
図48 キャサット《仮縫い》 1891頃

75. 《母子像》、メトロポリタン美術館、1901年制作。

76. 同上、1908年。

キャサット《母親の肩ごしに見るシャルル(No.3)》1900
図49 キャサット《母親の肩ごしに見るシャルル(No.3)》 1900

キャサット《鏡台の前のアントワネット》1909
図50 キャサット《鏡台の前のアントワネット》 1909

キャサット《ひまわりをドレスにつけた母親(母と子)》1905頃
図51 キャサット《ひまわりをドレスにつけた母親(母と子)》 1905頃

77. ここでは浮世絵における鏡のモティーフについて、詳しく考察することはできない。ただごく簡単な概観だけを述べておこう。浮世絵における鏡の扱いは、歌麿を境にして大きく変化すると考えられる。風俗画という浮世絵の性質上、画面に鏡が描き込まれることは決して少なくない。浮世絵の二本の柱である美人画、役者絵双方にこれはあてはまる。後者の場合、楽屋を描いた場面に鏡が登場する。ただ歌麿以前では、鏡が描かれても、そこに映像まで見られることは少なく(皆無ではない。例えば熱海美術館にある、西川祐信の《化粧美人図》など。東洋における遠い先例としては、《女史箴図巻》に同じモティーフが見られる)、しばしば〈映らない鏡〉となっている(その際、既に触れたように、ルネサンス以後の西洋絵画における暗い〈映らない鏡〉と違って、鏡面は真っ白であることが多い)。実物と鏡像の対置というモティーフが集中的に取り上げられたのは、最盛期の歌麿においてであり、その最も古典的な作例が《姿見七人化粧》の現存する一点である。しかし歌麿は後になると、合わせ鏡その他鏡を用いて複雑な空間を組み立てるようになり、その分集中的な効果は失われる。こうした傾向は続く世代の画家たちに受け継がれるが、その中で最も鏡に関心を示したのは国貞である。(→おまけを参照
 〈日本的なナビ〉ことボナールも、世紀の変わり目にあって、鏡のモティーフに強い関心を持っていた。〈色彩家〉ボナールがその画面で興味深い空間構成を達成していることをジャン・クレールが明らかにしている(78)。彼によればボナールの空間とは、広角的、パノラマ的なもので、〈オールオーヴァー〉な平面構成に近づいているという。ただ彼はこれを具象画の領域で、三次元的なイリュージョンを保持しながら行なった。その点彼は、画面を完全に平面化したマティスなどに対して、ドガの空間の再構成をより展開させた位置にいると言えよう。実際〈アンティミスト〉たる彼にはドガ同様、十七世紀オランダの画家たちを思わせる、窓や戸口、鏡を利用した室内空間の構成への関心がうかがわれる。しかしまた、彼がドガの歩みをさらに推し進めたことを示すものに、画面一杯鏡が占めている一連の作品がある(79)(図52-53)。これらの画面はいずれも、画面に大きく化粧台とその上の鏡を描いている。鏡面には、手前側にあるべき室内の眺めと裸婦が映っている。鏡を画面一杯に据えている点で、これらの作品は《フォリー・ベルジェールのバー》の小型版とでも呼べる体裁をなしている。ただし常に、化粧台を縁どる線が斜線であるか、あるいは鏡自体が画面に対して斜めに配されて、奥行きへの後退を表わし、遠近法的な空間が基底にあることを示している。一方鏡の枠は四方全てか、少なくとも三方までが描かれている。しかしここでは鏡は、空間に細工するための単なる小道具ではない。鏡がいかなる空間を生み出すか、ということ自体が問題とされている。鏡の枠は、隠されることによって効果を生むどころか、描かれているのが鏡であることを示すために、はっきり描き込まれなければならないのである。鏡が鏡であること自体が主題化されているという点で、ボナールのこれらの作品は、ドガをもマネをも越えて、二十世紀に足を踏み入れているのである(80)。
 
  78. J. Claire, “Les aventures du nerf optique”, Catalogue de l’exposition Bonnard、パリ、ワシントン、ダラス、1984、p.16 以下。

79. 《化粧台の鏡》、1908、モスクワ、プーシキン美術館。《化粧》、1908、パリ、近代美術館。《鏡の効果あるいは浴槽》、1909、スイス、個人蔵。《化粧台と鏡》、1913頃、ヒューストン美術館、など。

ボナール《鏡の効果(浴槽)》1909
図52 ボナール《鏡の効果(浴槽)》 1909

ボナール《化粧台と鏡(赤と黄色の花束のある化粧室)》1913頃
図53 ボナール《化粧台と鏡(赤と黄色の花束のある化粧室)》 1913頃

80. ボナールには他に、〈窓〉や〈戸口〉を画面の中心に据えた作品がある。窓の主題は、フリードリッヒやルドンにさかのぼることができる。

  

4.鏡の絵画史-現代


 二十世紀美術における鏡のモティーフは、大きく分けて二種類の扱いを受けている。一つは十九世紀におけるドガの系列に属するもので、遠近法的な空間の中に鏡を配する。ただし遠近法は誇張されたり歪曲されたりして、非現実的な空間を作り出す。それに従って鏡も、必ずしも映すべきものを映さなかったりする。こうした傾向の典型的な画家が、ポール・デルヴォーである。彼には同じ姿勢の人物が、等間隔を置いて繰り返されていく、《こだま》という作品があるが、これも鏡像のテーマのヴァリエイションと考えてよいだろう。また彼の画面に、女性と鏡が組み合わされて登場する時は、古い〈ヴァニタス〉の寓意が意図されている。M.C.エッシャーはしばしば、球体の鏡や水鏡を、それだけで絵の主題として取り上げる。ただ彼の場合、その関心が何らかの空間の構成にある点で、第二のグループとはアプローチが異なっている。また彼には、眼球を鏡に見立ててそこにドクロを映した、やはり〈ヴァニタス〉を主題とした作品がある。
 鏡の取扱いのもう一つの方法は、キャサットやまマネ、ボナールの鏡台の連作に連なるもので、画面全体を鏡として呈示し、鏡の鏡としてのありようを主題化する(81)。ロイ・リキテンスタインは1960年代、特に60年代末から70年代初めにかけての、文字通り《鏡》の連作で、画面を鏡として提出する。画面は光の反射を暗示する明暗を施された、〈映らない鏡〉である(82)。ミケランジェロ・ピストレットは1962年以後、「カンヴァスがわりに、鏡を用い、そこに克明に、人物や花や鳥籠を描く」(83)。作品の前に立てば、当然視る者もそこに映ることになる。彼にはさらに、鏡の上に鏡を描いた作品もある。金洪疇もまた、鏡を支持台として用いる。彼はそこに自分の姿や裸婦を描いたり、あるいは何も描かなかったりする。鏡面にひびを走らせることもある(84)。
 これらの作品においては、現実的であれ非現実的であれ、何らかの空間を暗示することはもはや問題ではない。作品の造形的性格すら問題とはならない。作品は、その前に立つ者が、鏡とは何かを巡る認識論的な思考を展開するための、きっかけとなりさえすればよいのである。先に鏡は何よりもまずイコンであったと述べたが、ここにおいて、鏡はイコンであることを止め、イデアとなる。
 十九世紀芸術から二十世紀芸術に至る歩みは、一般に、逸話性、言い換えれば芸術外的な要素を排除して、純粋造形が探求される過程として述べられる。しかしこの〈純粋〉ということは、一つの観念にすぎない。そこで求められたのは、純粋に芸術なるもの、純粋に造形的なるもの、純粋に線的なるもの、純粋に空間なるものという観念であった。近-現代美術の歩みはむしろ、観念性の追求と言い換えるべきであろう。純粋造形の志向はその一つの相にすぎない。このような性格は、造形的な要素のみで何らかの観念を暗示せんとした、ゴーギャンら象徴主義者たちに既にはっきり現われていた。抽象美術の生みの親たち、カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィッチ、クプカらがそうした精神風土にどっぷり浸っていたことはよく知られている。スーラやカンディンスキーが、線や色彩などの造形的要素と〈精神的なもの〉の照応(コレスポンダンス)を説明する文章は、ピュタゴラス主義的な神秘説以外の何ものでもない。そして現代美術の観念的性格は、ダダそしてポップアート以後、芸術自体をその主題とした時一層あらわになった。芸術の自立を求めてきた営なみが、芸術を観念に従属させることになってしまったのである。この点では、己れの内に、イデア(主題)から質料(技法)に至るヒエラルキーを全て抱え込んでいた近代以前の作品の方が、ミクロコスモスとして自足していたと考えることもできよう。
 絵の中の鏡は文字通り鏡として、その時代の芸術の主な傾向を映し出す。ルネサンスとともに、鏡は奥行きのある空間の中で、その空間に物理的な意味乃至心理的なニュアンスで、虚の次元をつけ加える働きを担う。十九世紀になってそれまでの精神的な秩序が崩壊すると、芸術は自己対象化の傾向を見せ始め、空間も奥行きを失って平面化していく。そうした中で鏡は、絵画の平面性を補強する役割りを果たすと同時に、画面の中でその比重を大きくし、鏡固有の特性を視る者に強く訴えかけるようになる。そして二十世紀、芸術という場の中で、鏡は己れを、他の何ものでもない己れ自身として呈示するようになる。しかしそれ自体における鏡なるものは、具体的な状況から遊離した、観念と化してしまっているのである。
 十九世紀、近世と現代の狭間において、鏡が画面内での比重を拡大し、鏡が鏡であることの特性をあらわにしていく過程を、最もモニュマンタルな表現で決定的にしたのが、マネの《フォリー・ベルジェールのバー》に他ならない。

 
 



81. まだ確認していないのだが、早い例として、ホアン・グリスの台所を描いた作品で、鏡を描くべき部分に、鏡の実物を貼りつけたものがあるという。速水豊君の御教示による。(追記:→補図3参照

82. 『ロイ・リキテンスタイン展』図録、倉敷、軽井沢、1983、pp.12-26。

83. 寺山修司、「ミケランジェロ・ピストレット展から 鏡の鉤吊り人-彼女はそこにいるのか?」、『美術手帖』、no.395、1975.6、p.214。

84. 『韓国現代美術展』図録、東京、大阪他、1983、出品作家解説の金洪疇の項。

補遺

 鏡をモティーフにした作品は他にも山のようにあるのでしょうが、ヴェネツィア派関連でルーヴルにあるサヴォルドの肖像画だけは追加しておきましょう(補図1)。発想源はジョルジョーネにあるとされているらしく、原作は現存しませんが、「たった一人の人間を絵にして、前面と背面、両横から見た二つの側面を同時に見せようではないかと申し出た。これには議論の相手方が面くらってしまった。ジョルジョーネはそれを次のようなやり方でなしとげた。まず、肩をひねってくるりとこちらに向いた裸の人物を描き、足もとに澄みきった水面をおいた。そこには体の前面が映って描かれている。片側にピカピカの鎧を脱ぎすててあるため、武具の鏡面にすべてが明瞭にうつし出され、左側の面が現われる。反対側に鏡がおかれ、裸像のもう一方の半面が映っている」とヴァザーリが報告しています(ヴァザーリ、平川祐弘・小谷年司・田中英道訳、「ジョルジョーネ」、『ルネサンス画人伝』、白水社、1982、pp.160-161)。

 ついでにその応用と見なせなくもなく、下の文献追補で挙げた Jonathan Miller, On Reflection, 1998 にも何度となく登場するデポルトの静物画が補図2です。

 また註81で触れたグリスの作品を補図3として挙げておきます。


  サヴォルド《鎧を着けた男の肖像》1521頃
補図1 サヴォルド《鎧を着けた男の肖像》 1521頃

デポルト《桃をいれた脚付き壺》1733-34頃
補図2 デポルト《桃をいれた脚付き壺》 1733-34頃

グリス《洗面台》1912
補図3 ホアン・グリス《洗面台》 1912

・マネについてお気楽にしゃべることをやりにくくしてくれた稲賀繁美『絵画の黄昏 エドゥアール・マネ没後の闘争』(名古屋大学出版会、1997)を始めとして、マネ関連の資料はいずれ山ほどあるのでしょうが、とりあえず関係のありそうなもので、その後見る機会のあった文献;

Catalogue de l'exposition Manet, Galeries nationales du Grand Palais, Paris, Metropolitan Museum of Art, New York, 1983

ティモシー・J・クラーク、大森達次訳、「《フォリー=ベルジェールの酒場》Ⅰ」、『三彩』、no.432、1983.9
ティモシー・J・クラーク、大森達次訳、「《フォリー=ベルジェールの酒場》Ⅱ」、『三彩』、no.436、1984.1
続きは未見

山田智三郎、「マネ『フォリー・ベルジェール劇場のバー』」、『芸術新潮』、no.411、1984.3:「小特集 絶賛!コート-ルド・コレクション 心に響いた一点」

松本陽子、「新しい空間表現 マネ『フォリー・ベルジェール劇場のバー』 [印象派・後期印象派展=ロンドン大学コート-ルド・コレクション]より」、『美術手帖』、no.523、1984.3


T. J. Clark., The Painting of Modern Life. Paris in the Art of Manet and His Follwers, Thames and Hudson, 1985 / 1990, chapter 4 "A Bar at the Folies-Bergère"

Juliet Wilson Bareau, The Hidden Face of Manet. An investigation of the artist's working processes. The Burlington Magazine, no.997, 1986.4, pp.65-86 : "Café-concerts and the Folies-Bergères"

Jeremy Gilbert-Rolfe, "Edouard Manet and the Pleasure Problematic", Arts Magazine, vol.62 no.6, February 1988

吉川節子、「マネと写真」、『美術史論叢』、no.4、1988

吉田秀和、『マネの肖像』、白水社、1992

Edited by Bradford R. Collins, 12 Views of Manet's Bar, Princeton University Press, 1996
  Richard Shiff, "Introduction : Ascribing to Manet, Declaring the Author"
  Carol Ar,strong, "Counter, Mirror, Maid : Infra-thin Notes on A Bar at the Folies-Bergère"
  Albert Boime, "Manet's A Bar at the Folies-Bergère as an Allegory of Nostalgia"
  David Carrier, "Art History in the Mirror Stage : Interpreting A Bar at the Folies-Bergère"
  Kermit S. Champa, "Le Chef d'Œuvre (bien connu)"
  Bradford R. Collins, "The Dialectics of Desire, the Narcissism of Authorship : A Male Interpretion of the Psychological Origins of Mane's Bar"
  Michael Paul Driskel, "On Manet's Binarism : Virgin and / or Whore at the Folies-Bergère"
  Jack Flam, "Looking into the Abyss : The Poetics of Manet's A Bar at the Folies-Bergère"
  Tag Gronberg, "Dumbshows : A Carefully Staged Indifference"
  James D. Herbert, "Privilege and the Illusion of the Real"
  John House, "In Front of Manet's Bar : Subverting the 'Natural'"
  Steven Z. Levine, "Manet's Man Meets the Gleam of Her Gaze: A Psychological Novel"
  Griselda Pollock, "The 'View from Elswhere' : Extracts from a Semi-public Correspondence about the Visibility of Desire"

Paul Smith, "Mant Bits" (Review Articles), Art History, vol.20 no.3, September 1997

『印象派の至宝 コート-ルド・コレクション展』図録、日本橋高島屋、なんば高島屋、京都高島屋、1997-98、pp。56-57 / cat.no.6
  pp.29-47:千足伸行、「さらば、いとしきバーよ マネの《フォリー・ベルジェールのバー》とその周辺」

Herasugegeben von James Cuno und Joachim Kaak, Manet Manet. Zwei Bilder im Dialog, Pinakothek-Dumont, 2004
 副題にある二枚の絵は《アトリエの昼食》(1868、ノイエ・ピナコテーク、ミュンヘン)と《フォリー=ベルジェールのバー》で、双方の所蔵先で交互に開かれた展覧会に伴って出版されました。

ミシェル・フーコー、阿部崇訳、『マネの絵画』、筑摩書房、2006
  序(マリヴォンヌ・セゾン)//
  マネの絵画(ミシェル・フーコー、)//
  ミシェル・フーコー、ひとつのまなざし;チュニジアのフーコー(ラチダ・トリキ)/マネ、あるいは鑑賞者の戸惑い(キャロル・タロン=ユゴン)/表/裏、あるいは運動状態の鑑賞者(ダヴィッド・マリー)/「ああ、マネね……」-マネはどのように《フォリー・ベルジェールのバー》を組み立てたか(ティエリー・ド・デューヴ)/フーコーのモダニズム(カトリーヌ・ペレ)/美学における言説形成(ドミニク・シャトー)/美術とおしゃべりな視線(ブランディーヌ・クリージェル)/イメージの権利(クロード・アンベール)//
  「空虚の上に足をのせて……」(小林康夫)/砂浜の上に消えてゆく肖像(丹生谷貴志)//
  訳者解説

蓮實重彦、『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』、NTT出版、2008

『マネとモダン・パリ』展図録、三菱一号美術館、2010、pp.190-191 / cat.no.III-62(《フォリー・ベルジェールのバーの習作》)

《フォリー=ベルジェールのバー》は出てきませんが、《アルノルフィーニ夫妻像》だの《ラス・メニーナス》だのが引きあいに出される;


Gregory Galligan, “The Self Pictured : Manet, the Mirror, and the Occupation of Realist Painting”, Art Bulletin, vol.LXXX no.1, March 1998

・鏡と絵、美術

Carla Gottlieb, “The Mystical Window in Paintings of the Salvador Mundi”, Gazette des Beaux-Arts, 1960

Wofgang M. Zucker, “Reflections on Reflections”, The Journal of Aesthetics and Art Criticism, vol.LXX no.3, Spring 1962

由水常雄、「絵画に現れた"鏡"」、『美術手帖』、no.249、1965.3

青柳正広、「鏡の中の人間 Wolfgang M. Zucker の論文に関連して」、『美術史研究』、no.4、1966

ジョセフ・ラヴ、「疎外=ピストレットの『表面』について」(MIZUE JOURNAL 2)、『みづゑ』、no.845、1975.8

Jan Białostocki, "Man and Mirror in Painting : Reality and Transience", Edited by Irving Lavin and John Plummer, , Studies in Late Medieval and Renaissance Painting in Honor of Millard Meiss, 2 vols, New York Universsity Press, 1977
(Jan Białostocki, The Message of Images. Studies in the History of Art, IRSA, Vienna, 1988
に再録。同書所収の"The Eye and the Window. Realism and Symbolism of Light-Reflections in the Art of Albrecht Dürer and His Predecessors"も参照)

Katalog der Ausstellung Spiegelbilder, Kunstverein Hannover, Wilhelm-Lehmbruck-Museum der Stadt Duisburg, Haus am Waldsee Berlin, 1982
  "Zu dieser Ausstellung" (Thomas Kempas, Siegfried Salzmann, Katrin Sello)
  Jorge Luis Borges, "Die Spiegel"
  Joachim Schickel, "Narziß oder die Erfindung der Malerei. Das bild des Malers ind das Bild des Spiegels"
  Annette Meyer zu Eissen, "Spiegel und Raum am Beispiel von drei Bildern bei Jan van Eyck, Diego Velazquez und Edouard Manet"
  Marie Luise Syring, "Bilder des Formlosen und der Nicht-Identität"
  Thomas Kempas, "Der Künstler und sein Spiegel-Selbst. Splittrige Angaben und Spekulationen"
  Katrin Sello, "Burne-Jones : Das Schreckenshaupt"
  Rrose Sélavy (Marcel Duchamp), "Mann vor dem Spiegel"
  Siegfried Salzmann, "Zu den Spiegel-Bildern von Alberto Giacometti"
  Gisela Breitling, "Alice hinter den Spiegeln"
  Klaus Fussmann, "Zu meiner Arbeit"
  Adolf Luther, "Lichtfunktionen"
  Victor Bonato, "Visuelle Reflexionen"
  Michaelangelo Pistoletto, "Der Spiegel"
  Christian Megert, "Ein neuer Raum"
  David Galloway, "Der flüssige Spiegel : Noriyuki Haraguchis 'Matter and Mind'"
  Timm Urlichs, "Spiegel-Gespiel. Reflexionen und Spekulationen über Spiegel und Spiegelbilder"
  "Scherben und Splitter"
  Christian Morgenstern, "Drei Spiegelgedichte"
  Gerhard Büttenbender / Sigurd Hermes, "Spiegelbilder im Film"
  Norbert Messler, "Architektur und Spiegel"


Hart Nibbrig, Spiegelschrift. Spekulationen über Malerei und Literatur, Suhrkamp Taschenbuch, 1987

藤田治彦、「クロード・ロランの風景画の研究-ピクチャレスク・ランドスケープの源流を求めて-」、『鹿島美術財団年報 研究成果報告』、no.5、1987

Catálogo de la exposición El espacio privado. Cinco siglos en veinte palabras, Sala Julio González, Edificio del Antiguo M.E.A.C., Madrid, 1990, pp.163-176 : "Espejo"

Julian Gallego, El cuadro dentro del cuadro, (Ensayos Arte), Catedra, Madrid, 1991, Capítulo VI : "El espejo en el espejo"

諸川春樹、「鏡と歪み ホルバイン『大使たち』の髑髏表現をめぐる一試論」、『多摩美術大学研究紀要』、no.10、1995.11

諸川春樹、「10 鏡の向こう側-絵画の中の鏡映像をめぐって-」、『等身大の巨匠たち ルネサンス美術の舞台裏』、日経BP社、1997

川上實、「中世美術のなかの『快楽(ルクスリア)』の寓意像 二 『鏡に見入るルクスリア』」、『愛知県立芸術大学紀要』、no.26、1997.3

Jonathan Miller, On Reflection, National Gallery Publications Limited, London, 1998
 展覧会 Mirror Image : Jonathan Miller on Reflection, National Gallery, Lindon, 1998 に伴って出版。本稿で挙げた作品の少なからずが掲載されています。歌麿も3点登場(pp.150, 155, 211→こちらも参照)。

ミシェル・テヴォー、岡田温司・青山勝訳、『不実なる鏡 絵画・ラカン・精神病』、人文書院、1999

蜷川順子、「鏡と絵画-初期ネーデルラント絵画における-」、『美学』、no.196, 1999.3 [ < CiNii Articles

蜷川順子、「フェルメールの鏡」、『美学』、no.207, 2001.12 [ < CiNii Articles

尾関幸、「都市図の中の鏡-エルトマン・フンメル作品を中心に-」、『東京学芸大学紀要 芸術・スポーツ科学系』、no.60、2008.10

Arnaud Maillet, translated by Jeff Fort, The Claude Glass. Use and Meaning of the Black Mirror in Western Art, Zone Books, New York, 2009

・註9に挙げたもの以降、見る機会にあった鏡の話;
  と、その前に、註9にある雑誌の特集2件に収録された記事のタイトルを挙げておくと;


 『エピステーメー』、vol.2-1、1976.1:「特集 鏡」
アクタイオーンの散文(M.フーコー)/鏡の場所(宮川淳)/反粒子・反宇宙(中村誠太郎)/鏡像の幾何学(彌永昌吉)/生物・鏡像・左右(野田春彦)/鏡の魔術(G.F.ハルトラウプ)/模倣と鏡(M.H.エイブラムズ)/書物としての鏡(H.グラーベス)/鏡のエピステーメー 幻想と悟り(山崎正一→こちらに所収)/鏡と道化 ルネサンス文学ノート(髙橋康也)/中国鏡の装飾計画(小林行雄)/イマージュⅢ 鏡とその影(小林康夫)/ナルシシズムと鏡像(小此木啓吾)

 『現代のエスプリ』、no.155、1980:「特集 鏡と人間の心理」  (既出文献の再録が主となっています)
概説 鏡と人間の心理(石川元)/鏡の魔性(由水常雄)/鏡、写真、映画(岡田晋)/鏡像(石福恒雄)/鏡なしの自画像(E.ブロッホ)/解説 鏡と人間/鏡を用いてつくられる目の錯覚(I.D.アルタモーノフ)/ガモフの「左右あべこべ」について(奥山哲雄)/シンメトリーの世界(ヴェ・ルィドニク)/鏡に映る世界(佐伯胖)/解説 鏡の物理学・論理学/自己の身体を意識し個別化すること(H.ワロン)/鏡像段階について(佐々木孝次)/〈わたし〉の機能を形成するものとしての鏡像段階(J.ラカン)/鏡を用いた幼児の実験心理学-ザゾの実験について(百合本仁子・石川元)/ナルシシズムと鏡像(小此木啓吾)/影の病い(河合隼雄)/対鏡症状(H.クネース)/対鏡症状にみる社会性の病態(髙橋徹)/自画像と精神分裂病者(藤縄昭)/自閉症と鏡(百合本仁子)/解説 鏡の心理学・精神病理//
コラム;鏡と動物(1)~(4)/慢性分裂病者の二つの自画像(百合本仁子・石川元)/ロールシャッハ・テストと〝鏡〟(1)~(2)/絵画療法の〝道具としての鏡〟と〝テーマとしての鏡〟(沢柳志津恵)


小林行雄、『古鏡 その謎と源をさぐる』、學生社、1965

扇田昭彦、「鏡じかけのドラマのための未完成の序章」(特集「演劇」文化の入れ子装置)、『美術手帖』、no.495、1982.4

久野昭、『鏡の研究』、南窓社、1985

大森荘蔵、「鏡をめぐる小さな哲学」、『図書』、no.476、1989.2

『季刊 iichiko』、no.6、WINTER 1988:「特集:鏡像の文化学 ラカン・子ども・絵画」
描かれた鏡(高橋裕子)/ベラスケスにおける鏡(谷口江里也)//
ジャック・ラカンの仕事 CHRONOLOGIE(マルセル・マリーニ)/鏡の子ども(フランソワーズ・ドルト、ホアン=ダビド・ナシオ)//
鏡と素粒子と時間(藤井昭彦)/鏡と歴史(福井憲彦)/鏡の二つのケース(山本哲士)


井上克人、「〈時〉と〈鏡〉」、『哲学』、関西大学哲学会、no.14、1990.1

J.ブリッグス+F.D.ピート、高安英樹・高安美佐子訳、『鏡の伝説 カオス-フラクタル理論が自然を見る目を変えた』、ダイヤモンド社、1991

菅谷文則、『日本人と鏡』、同朋舎出版、1991

バルトルシャイティス、谷川渥訳、『鏡 科学的伝説についての試論、啓示・SF・まやかし バルトルシャイティス著作集4』、国書刊行会、1994
 註9に挙げた文献の邦訳。→こちらにも挙げました


リュシアン・デーレンバック、野村英夫・松澤和宏訳、『鏡の物語 紋中紋手法とヌーヴォーロマン』、ありな書房、1996

中村潤子、『鏡の力 鏡の想い』(日本を知る)、大巧社、1999

ルネ・ザゾ、加藤義信訳、『鏡の心理学 自己像の発達』、ミネルヴァ書房、1999

リチャード・グレゴリー、鳥居修晃・鹿取廣人・望月登志子・鈴木光太郎訳、『鏡という謎 その神話・芸術・科学』、新曜社、2001
 第2章は「芸術のなかの鏡」


船木亨、『〈見ること〉の哲学 鏡像と奥行』、世界思想社、2001

サビーヌ・メルシオール=ボネ、竹中のぞみ訳、『鏡の文化史』(りぶらりあ選書)、法政大学出版局、2003

井手直人、「鏡の境界性」、『宗教研究』、vol.78 no.1、2004.6

マーク・ペンダーグラスト、樋口幸子訳、『鏡の歴史』、河出書房新社、2007
 「第5章 鏡に関する文学」に続いて「第6章 鏡に関する絵画」


岡田温志、『映画は絵画のように 静止・運動・時間』、岩波書店、2015、「第Ⅲ章 メランコリーの鏡」
  →おまけ:「喜多川歌麿筆《姿見七人化粧》を巡って」(1984)に続く
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