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津の築山遊具など


 「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「庭園など」の項で挙げた牛田吉幸『名古屋の富士山すべり台』(2021)をぱらぱら見ていて思ったのが、一つに、子供の頃この手のものは、大阪の公園でいくつか見たことがあったっけなあということでした。当方が子供の頃といえばもう半世紀以上前、実物も残っているかどうか、いずれ具体的な細部を憶えているはずもありません(富士山風のものは見かけなかったような気もしますが、定かではない)。そもそも今とは背丈が違っており、その頃受けたであろう感触をたぐり寄せるすべもありません。行動範囲も限られていたことでしょう(もっとも、もっぱら自転車が移動手段である今も、あまり変わっていないのかもしれない)。ただ、けっこうヴァリエーションがある点を面白がっていたような、朧気な、例によって思い違いか捏造かもしれない記憶ばかりが残っているのでした。
 なお先に挙げた本は、書名通り名古屋の作例を主な対象としているのですが、「各都市のコンクリート築山遊具」のコーナーも設けてあり、その内「大阪市の築山遊具」(p.97)に、6点の写真が掲載されています。
 「大阪市に多くみられる築山遊具は『クライミングスライダー』と『石山』の二種類」(同上)
とのことです。

 大阪で昔こうした類を見たことがあったとして、名古屋のものは実物に接する機会がないままで、そういえば、津ではあまり見かけないなあ、というのがもう一つの感慨でした。上掲書は
 「公園の遊具にはすべて作者がいる」(p.2)
と書き出されています。その作者として、
 「原型を設計する人…(中略)…現場で施工する人、都市計画を立てる人、さらには予算のもととなる多くの納税者」(同上)
が挙げられていますが、所変われば品変わるということで、地域ごとに公園に配する遊具にも傾向の違いがあるのかもしれません。

 といっても、津の公園をくまなく精査したはずもなく、たまたま見かけた公園で印象に残っていたのが、たとえば、中勢グリーンパークの
中勢グリーンパーク、遊具(2013/04/11) 津の格子など 2013/04/11(2) 中勢グリーンパーク、遊具の細部
津の格子など
だったり、同じく
中勢グリーンパーク、遊具(2013/04/11)
 
だったり、あるいは、安濃中央総合公園の
安濃中央総合公園、遊具(2013/04/20)
だったりしたからなのでしょう。 
 津の階段など 2022/03/25(2) 安濃中央総合公園、遊具
津の階段など XXV 
 築山というのは、閉じて中身が詰まったかたまりをなします。トンネルが穿たれていたとしても、いったんかたまりをなしていればこそでしょう。それに比べると、これらは四阿状とでもいうべきか、線的な骨格を主体にして格子状に組み立てられ、風が吹き抜けることのできる、周囲に開いた比重が高い。それが横に連なっていくといった感じでしょうか。
 公園の遊具には地域差以上に、安全性に対する意識も含めた、時期による変遷もあってしかるべきですが、これらの遊具は最近のはやりなのだろうと、別段根拠もなく思いこんでいたのでした。
 ちなみにウェブを検索してみると、
 「津市公共施設カルテ 【公園】」
 ( < 「津市公共施設カルテの公表」 < 「公共施設等の情報」 < 「市の概要」 < 「市政情報」 < 『津市(トップページ)』)
という頁があって、各カルテを見ると、中勢グリーンパークと安濃中央総合公園はともに、設置年月日の欄に2006(平成18)年1月1日と記されています。「津市公共施設カルテの見方」p.8 の(17)の(4)によると、「ただし、平成18年1月1日より前に設置した施設については、平成18年1月1日となっています」とのこと。「登記情報」の「取得年月日」欄では、前者は1999(平成11)年9月17日、後者は1983(昭和58)年6月9日でした。
 とまれ前者の設備としては
 「鋼製コンビネーション(2)、ローラー滑り台(1)、アスレチック(1)、ブランコ(4)、ターザンロープ゚(2)、幼児用遊具広場(1)、幼児用ブランコ(1)、ロープクライマー(1)、ネットクライマー(1)」、
後者には
 「複合遊具、スプリング遊具(4)、鋼製コンビネーション、ぶら下がり」
が列挙されています。どれがどれなんだか。

 というわけで、津では築山遊具の類は見あたらないものだ、と別段根拠もなく思いこんでいたところ、きちんと調べたわけでもない、軽はずみな判断に足払いをかけるかのごとく、出くわしたのでした。この公園 - 古道公園の脇は何度か自転車で通っているのですが、気に留めていなければ、目に入っても気には留まらないという、格好の見本であります;
古道公園、築山遊具(2021/11/04) 津の格子など 2021/11/04 古道公園、築山の斜面
津の格子など XXV
 この築山には滑り台もトンネルもなく、緑の地に補色である赤の階段、赤い鎖、埋めこまれた、こちらは黄色く塗った丸石、同じく鉤状の赤い取っ手、やはり赤で切り株状のものが斜面に配されています。丸石はともかく、取っ手や切り株は向きをばらけさせてある。登山のためのミニチュアといったところでしょうか。
 ちなみに滑り台は隣にあります;

古道公園、滑り台+α(2021/12/20)
遊び方がよくわからない何やらやネットなどと繋ぎあわされています。 「津市公共施設カルテ 【公園】」では古道公園のカルテは「準備中」で、設置年月日や、また築山と同時期に設置されたかどうかも、今のところわからないのですが、この滑り台+αは、安濃中央総合公園の遊具同様カラフルで、今風(?)に見えます。

 一つ見つかればまた一つ、古道公園とは国道をはさんで斜め向かいあたりに位置する岩田公園(岩田児童遊園)に、一つならず二つ、築山遊具(?)が配されていました;
岩田公園、築山遊具2つ(2021/11/28)
 上の写真で左奥に映っているのは、古道公園のそれに比べて二回りほど小さく、やはり鉤状の取っ手が埋めこまれた斜面に、滑り台が並んでいます。取っ手付き斜面+滑り台の組みあわせは裏側にもあります。階段はない。さらに、滑り台+取っ手の斜面と直交する面にはトンネルが赤、黄、緑と三つ穿たれ、反対側まで貫いていました;
岩田公園、滑り台付き築山遊具(2021/11/28)

 この築山滑り台はある意味でオーソドックスな形状と見なせるかもしれませんが、もう一つは巻貝風と呼べるのかどうか、そもそも何かをかたどったものなのでしょうか、ぐねぐねした曲面が入り組んでいます;

岩田公園、滑り台付き築山(?)遊具(2021/11/28)
 曲がった滑り台二つ以外に、小さな階段をあがった先の小さな開口部と、そのすぐ裏に直接地面から入る、やはり小さな開口部とがあって、いくつかの径路が上下しつつ中でつながっている。外からではつながり方がもう一つよくわかりませんでした。しかし大人が入るだけの大きさはなく、解き明かすこともできないままです。
 上寄りは黄、下寄りは青、しかし両者はからみあい、滑り台を含めて、いっかな水平にならない床は薄いピンクでした。 
岩田公園、滑り台付き築山(?)遊具、登り口附近(2021/11/28) 津の何某かなど 2021/11/28(2) 岩田公園、滑り台付き築山(?)遊具,細部
津の何某かなど XXV
岩田公園、滑り台付き築山(?)遊具の細部(2021/12/23)

 『名古屋の富士山すべり台』に加えて、「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「庭園など」の項でその少し下に挙げた西山貞子『私のタコ デンマークにも誕生「タコの滑り台」』(2011)や『ワンダーJAPAN』16号(2010.7.1)の「たのしい公園遊具大特集」をぱらぱら繰れば、さまざまな形状のものが紹介されています。その中では、「たのしい公園遊具大特集」で「シュール系」に分類されていた、「チューリップすべり台」(八木が谷北公園)(p.26)が近いでしょうか。
 そういえばTVアニメ『カードキャプターさくら』(1998-99、他)の舞台となる町内に公園があって、そこには王冠をかぶったペンギン状の滑り台がありました。下半分にはトンネルが穿たれ、そこに人物が潜りこむ場面が何度かあったかと思います。滑り台の形状はとりわけ、(クロウカード編)第13話「さくらとゾウの力くらべ」(1998/7/7初放映)の冒頭でつぶさに見ることができました。
 岩田公園に戻れば、滑り台双方は表面の塗装がぼちぼち擦れています。「津市公共施設カルテ 【公園】」によると、設置年月日は2006(平成18)年1月1日以前で、「登記情報」の「取得年月日」欄では1981(昭和56)年7月4日(
追補:北側入口の脇に1966(昭和41)年12月完成と記されていました)、設備等として
 「滑り台(1)、ジャングルジム(1)、ブランコ(2)、鉄棒(1)、コンクリート滑り台(3)、コンクリート遊具(1)、砂場(2)」
が挙げられていました。三基ある「コンクリート滑り台」の内、二基がこれらに当たるのでしょう(もう一基は撤去されたようですが、2021年12月18日現在、Google マップのストリートビューで見ることができました。
追補:2022年2月11日、たまたま近くを通ったところ、巻貝風だかの滑り台も撤去されていました。別のものと入れ替えるのか、工期は3月11日までと表示されていましたので、機会があれば続報することといたしましょう)。

追補の続報:2022年3月8日、下のようになっていました。そのまま残されたもう一つの築山滑り台に比べても、背が低い。赤と赤紫に塗り分けられた4枚の舌状曲面は、ゆるく膨らんでいます。とすると滑り台ではないのでしょうか?
 津のオールオーヴァなど 2022/02/15(3) 岩田公園
津のオールオーヴァなど XXV
岩田公園、築山遊具(2022/03/08)

 岩田公園にはまた、横に長く伸びる壁状の遊具があります。上辺は段々になり、躯体に四角、三角、円に、一箇所だけ五角形の窓が開けられ、内側は赤く塗る。さらに内を黄色に塗った円筒が貫いています。上面は垂直のところは緑、それ以外はグレー、やはり擦れていますが、前面はもともと明るいグレーか白塗りだったのか。「コンクリート遊具」と呼ばれるものなのでしょう; 
岩田公園、壁状遊具(2021/12/20)
 相似た壁状遊具は、ほど近い佐伯町公園にもありました。こちらは前面は黄色、上面と窓の内側は青、円筒内は赤です。窓は円、四角、三角に、やはり二つの山を結ぶ谷の左だけ五角形でした。色以外は同じパターンのようです;
佐伯町公園、壁状遊具(2021/12/14)
 「津市公共施設カルテ 【公園】」によると、設置年月日はやはり2006(平成18)年1月1日以前、「登記情報」の「取得年月日」欄では岩田公園と同じ1981(昭和56)年7月4日で(やはりいつそれ以前という意味なのでしょうか?)、設備等として
 「滑り台(1基)、ブランコ(1基)、ブランコ柵(1基)、鉄棒(1基)、コンクリート遊具(4基)、砂場(1基)」
とある内の、「コンクリート遊具」の一つでしょうか。
 『名古屋の富士山すべり台』には、砂場とセットになった「プレイウォール」が記されていましたが(p.92)、それにあたると見なせそうです。
 ちなみに安濃中央総合公園には、上面が通路になった長い壁がありました;
安濃中央総合公園、石の城壁(2013/04/20)
ウェブサイト『休日エンジョイマップ+ファミリーウォーキングガイド in 三重』の「安濃中央総合公園」の頁では、「石の城壁」と呼ばれていました。「芝生広場」をぐるっと囲むように伸びる、規模の大きなものです。

 先のウェブ・ページにはまた、「土の小山」も挙げられています;

安濃中央総合公園、土の小山(2013/04/20)
こちらも築山と見なしてよいのでしょうか?
 「土の小山」はおくとして、コンクリート製の築山遊具である名古屋の〈富士山すべり台〉などに対応するもので、今のところ津で見る機会があったのは、古道公園と岩田公園のものとなります。二つだけではいかにも寂しいので、今後また見かけることがあれば追加していくことにしましょう。

 と言ったそばから、また一つ出くわしました。けっこうあるのでしょうか?
 とまれ、ここは相生町公園で、入口の一つに1968(昭和43)年3月完成と記されていました。「津市公共施設カルテ 【公園】」の「登記情報」の「取得年月日」欄ではやはり1981(昭和56)年7月4日、設備等の欄には
 「ブランコ(1)、滑り台(1)、スプリング遊具(2)、シーソー(1)、コンクリートつき山(1)、バックネット(1)、鉄製コンビネーション(1)、コンクリート遊具(1)」
とある内の、「コンクリートつき山」にほかなりません。
 西側から見ると、古道公園の築山に類したもので、階段、埋めこんだ丸石と取っ手(青・赤・黄)、鎖(青・黄・グレー)、そして青・黄・赤の手すりがついています。
相生町公園、築山遊具(2021/12/20)
ただしこの築山は、伏せたお椀形ではなく、全体は大まかに三日月形で、反対の東側は凹んだゆるい曲面をなしています。『名古屋の富士山すべり台』にいう「クライミングスライダー」(pp.90-91)に近いでしょうか。東西面ともに現在はコンクリートの地肌をさらす状態になっていますが、元からこうだったのでしょうか?
相生町公園、築山遊具(2021/12/20)
凹面の向かいには、壁状遊具が配されています。「コンクリート遊具」にあたる。こちらもコンクリートのごつい地を見せていました。両者の間は砂場です。
相生町公園、壁状遊具(2021/12/20)
 こちらは上浜五丁目中央公園で、「津市公共施設カルテ 【公園】」によると、設置年月日は2010(平成22)年9月29日となります。
上浜五丁目中央公園、滑り台付き築山遊具(2022/01/03)
津の階段など 2019/10/28(3)
津の階段など XIX 
コンクリート製ではなく土を盛ったもので、ずずいと長い滑り台にあわせて水滴型といった形でしょうか。滑り台の反対側にネット、滑り台とネットに直交する面両側にそれぞれ階段が設けてありました。
上浜五丁目中央公園、滑り台付き築山遊具(2022/01/03)
 
 やはり土を盛ったものでしょうか、滑り台の向かって左にも少し低くなった小さな丘が続いていました。白塚団地北公園(入口脇の銘板による。「津市公共施設カルテ 【公園】」では白塚団地4号公園)のもので、設置年月日はやはり2006(平成18)年1月1日以前、「登記情報」の「取得年月日」欄では1982(昭和57)年3月19日、設備等として
 「滑り台(1基)、ブランコ(1)、ブランコ柵(1)、シーソー(1)、砂場(1)」
となっています。
 形状は後に触れる〈ウォールスライダー〉に近い。
白塚団地北公園、滑り台と砂場(2022/02/09)
津の階段など 2018/05/01(1) 白塚団地北公園
津の階段など XII 

津の階段など 2022/02/09 白塚団地北公園
津の階段など XXV 
 新地公園では、やはり土を少し盛り、手前をコンクリートの低い壁で囲んだ上で、階段を設ける。低い丘の上に、やはりコンクリートでしょうか、円筒を建て、滑り台としたものです。円筒の裏に階段(右下でリンクした写真の、左側に一部映っています)、向かって左脇には取っ手がついています。取っ手は一つずつ左右に少しずれて配され、赤、黄、白の三色に塗り分けられていました。東側入口左脇の銘板によると、1965(昭和40)年7月完成とのこと。「津市公共施設カルテ 【公園】」に設備等として、
 「回転ジャングルジム(1)、滑り台(1)、ブランコ(1)、ブランコ柵(1)、シーソー(1)、 鉄棒(1)」
とある内の滑り台です。
新地公園、滑り台(2022/03/06)
津の階段など 2021/08/24
津の階段など XXIV 

津の階段など 2022/03/08
津の階段など XXV 

 『名古屋の富士山すべり台』には、「ウォールスライダー」の呼び名で、「その場の地形に応じてつくられたすべり台」のことが記されています(pp.92-93)。中勢グリーンパークにたしか、ずいぶん高くて長いものがありましたが、写真を撮っていなかったので、南が丘野鳥公園のものを載せておきましょう;
南が丘野鳥公園、ウォールスライダー(2021/12/23) 津の階段など 2017/11/02(4) 南が丘野鳥公園、ウォールスライダー
津の階段など Ⅷ

津の階段など 2021/12/23(3) 南が丘野鳥公園、ウォールスライダー
津の階段など XXV
 なお2013年3月5日付けの写真では、木製(?)の櫓状の遊具と滑り台が向かいにあって、
南が丘野鳥公園、滑り台と複合遊具(2013/03/05)
2017年11月2日の時点でも同じでした。
南が丘野鳥公園、複合遊具(2017/11/02)
今回(2021年12月23日)確認に出向いてみると、下のものに替わっていました。
南が丘野鳥公園、滑り台入り複合遊具(2021/12/23)
木製めいた色や肌合い、やや重厚味があるのに対し、色とりどりのつるつるした質感に軽快さという点で、最初に挙げた中勢グリーンパークの複合遊具と安濃中央総合公園のそれとの見かけの違いに通じています。ここにも何やら流行り廃りの変遷を読みとっていいものなのでしょうか?
(中勢グリーンパークで別の日に撮った写真が出てきました。右上の画像からリンクした写真で、右に見える階段の、そのまたすぐ右にあるのが滑り台と思いこんでいましたが、平滑な斜面の中央には排水溝があり、上には綱を渡して入れないようにしてありました。左の彎曲した赤いチューブが滑り台なのでした。真ん中のネットは上半が谷状に、下半は平らに吊られています。上掲「津市公共施設カルテ 【公園】」設備等の欄に「ロープクライマー」とあるのが前者、「ネットクライマー」が後者でしょうか。
 ところで右上の写真は2018年5月15日に撮ったのですが、下は先に載せた遊具と同じく、その5年ほど前、2013年4月11日に訪れた時のものです。いつもどおり憶えていなくて何なんだろうと思っていたところ、もしや、他に似たような場所がなかったなら、左側に階段が、引いては赤チューブの滑り台やネットが設けられる、前の状態と見なしてよいでしょうか)。
 
津の階段など 2018/05/15(2) 中勢グリーンパーク、ウォールスライダー等
津の階段など XII

中勢グリーンパーク、斜面(2013/04/11)
 『名古屋の富士山すべり台』に収録された「田中修二教授にきく 遊具と彫刻、プレイスカルプチャーとは?」(pp.110-121)は、彫刻史の中に公園遊具を位置づけてくれていて、大いに参考になります。「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「庭園など」の項でも引きましたが、
 「彫刻が公園遊具と深くかかわるようになるのは、1950年代のプレイスカルプチャー(遊戯彫刻)の誕生に端を発する。提唱したのは彫刻家エゴン・モーラー・ニールセン」(p.112)
とされます。さらに
 「戦後はセメント彫刻のムーブメントが花開きます」(p.113)
と述べた上で、
 「昭和34年、エポックメイキングな純国産プレイスカルプチャーが誕生する」(p.116)
として、名古屋出身の造園家池原謙一郎が設計した、
 「東京都台東区の入谷南公園の『石の山』」(同上)
が名指されます。そして『石の山』へのイサム・ノグチの影響が指摘される;
 「日系アメリカ人のノグチはアメリカで本格的に彫刻家としての活動をはじめた1930年代から『プレイ・マウンテン』や『プレイグラウンド』といった起伏のある造形で構成された公園を提案し…(後略)…」(p.117)
ていたことを記すのでした。「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁ですぐ下に挙げた
 市川寛也、「彫刻の場としての公園に関する一考察 ― 1950年代から60年代にかけての都市公園・児童公園の事例から」、2016
なども併せて参照ください。

 イサム・ノグチに戻ると、思い起こされるのが、
 「…(前略)…渦巻きの運動性をもったフォルムはエネルギーを象徴し、遊園地のモニュメンタルな滑り台となって、1986年のヴェネチア・ビエンナーレに姿を現わし、マイアミと札幌の公園に設置される」
《スライド・マントラ》(1986年/原案:1966(p.161)、大理石、ヴェネチア・ビエンナーレ出品作)です
(『イサム・ノグチ展』図録、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、1992、pp.67-68、解説:髙橋幸次。同展出品作は
 pp.84-85/cat.no.41《滑り台のための実用模型》(1966-85、ボッティチーノ大理石)
および
 p.89/cat.no.40《滑り台のための習作》(1966-85、カラーラ大理石)。
なお
 p.102/cat.no.47《遊び山
Play Mountain》(1933、ブロンズ模型)、
 p.103/cat.no.48《形だけで作る遊園地》(1941、ブロンズ模型)、
 p.106/cat.no.52《リヴァーサイド・ドライヴ遊園地》(1961-66、ブロンズ模型)、
 p.107/cat.no.53《リヴァーサイド・ドライヴ遊園地》(1961-66、ブロンズ模型)
なども参照。
 ついでに手もとにあった『イサム・ノグチ 生誕100年 X-Knowledge HOME 特別編集 No.2』(第4巻第2号 通巻25号、2004.7)、
 p.30 に「1986年、ヴェネツィア・ビエンナーレでのイサム・ノグチと《ホワイト・スライド・マントラ》」の写真掲載、
 同 p.126 に no.09 として《ブラック・スライド・マントラ》(1988-92、黒花崗岩、札幌中心部の大通り公園)
の小図版と解説。さらに
 p.125 に no.02 として《「こどもの国」プレイグラウンド》(1965-66、横浜)
の同じく小図版と解説がありました)(画像→「札幌デジタル彫刻美術館 008 ブラック・スライド・マントラ」 [ < 街なかの美術館/デジタル(野外)彫刻美術館 ])。
 写真で見るかぎり《スライド・マントラ》は、斜めに切られた円筒を、中心から逆時計回りに螺旋が区切り、おそらく裏に入口があるのでしょうか、螺旋内の向かって右半分で中央から上への階段、左半分が上からの滑り台になっています。


 東京都現代美術館での『アンソニー・カロ』展に出品され、現在はたしか公園側の屋外に設置されている、カロの《タワー・オブ・ディスカヴァリー(発見の塔)》(1991)が連想されたりもします(『アンソニー・カロ』展図録、東京都現代美術館、1995、pp.136-141/cat.no.110)。細かいことは憶えていませんが、鋼製で高さ 6m71 x 幅 5m54 x 奥行き 5m54 のこの作品は、彎曲した階段で2階部分と3階部分にあがることのできる、望楼というか物見をなしていました(滑り台はなかった、たしか) (画像→「アンソニー・カロ/発見の塔"Tower of Discovery"」 [ < @ART. Portal Site of Public Art ])。

 いっしょにするなと言われるかもしれませんが、マリーナ河芸にある灯台状の望楼が思い浮かんだりもします。「津市公共施設カルテ 【公園】」で「マリーナ河芸親水公園」中の「簡易建物」の項に挙げられている「展望台」がこれにあたるでしょうか。
マリーナ河芸親水公園、展望台(2013/04/14) マリーナ河芸親水公園、展望台内の螺旋階段(2013/04/14)
 「津市公共施設カルテの見方」p.18 の(21)(22番の次に並んでいる)によると、「簡易建物」の欄には、「対象となる面に設置されている簡易な建物(小屋等)を記載しています」とのことです。同じマリーナ河芸親水公園のカルテでは他に便所が、他方たとえば安濃中央総合公園のカルテでは、管理事務所と体育館が書きこまれていました。 津の階段など 2013/04/14(3) マリーナ河芸親水公園、展望台内の螺旋階段
津の階段など

津の階段など 2022/01/26 マリーナ河芸親水公園、展望台の階段が覗く窓
津の階段など XXV
 翻ってノグチの《スライド・マントラ》やカロの《発見の塔》も、彫刻という以上に、建物と見なした方が受けとめやすそうです。豊田市美術館での『ダニエル・ビュレン 移行|場/作品』展で展示され、現在もそのまま彫刻テラスに設置された《色の浮遊|3つの破裂した小屋》(2003、鋼鉄・ガルバニウム鋼板、鏡、塗料:赤・黄・青)も挙げられるでしょう(『ダニエル・ビュレン 移行|場/作品』展図録、豊田市美術館、2003、pp.8-9、pp.16-18/cat.no.3、pp.30-31)(画像→「ダニエル・ビュレン」 < 「コレクション」 [ < 豊田市美術館 ])。

 建物では、中に入ることができます。これを中に入ることができるような施設と言い換え、中に入るものから人間大という条件を外しても、骨格だけなら変わりはない。たとえば三重県立美術館で正門から入ってすぐ左側に設置された、石原秀雄の《暗室の王》(1994)には、人間が入ることができるだけの大きさはありませんが、そうした内部を備えています(画像→「『暗室の王』石原秀雄」 [ < 関西の野外彫刻 ])。
 150 x 240 x 240cm の白御影石からなるこの作品より、さらに小さいもので、三重県美で開かれた『エドゥアルド・チリーダ展』の出品作、チリーダの《異端の建築 Ⅲ 
Arquitectura Heterodoxa III 》もそうでした(『エドゥアルド・チリーダ展』図録、長崎県美術館、三重県立美術館、神奈川県立近代美術館、2006、p.35/cat.no.S-08)(画像→「エドゥアルド・チリーダ展 報道用資料」(2006.4)の図3 [ < 神奈川県立近代美術館 ])。後者については短い作品解説を書いたことがあるので、再録しておきましょう;
美術館だより

エドゥアルド・チリーダ(1924-2002)
《異端の建築 Ⅲ》
2000年
アラバスター
53.5 × 57.5 × 52.5cm

 一見立方体に見える石のかたまり、その側面四つの内三面に、方形の開口部が開いている。開口部はそれぞれ大きさも位置もちがい、内一つは天井面に達する。よく見れば天井面は微妙に傾斜しているし、開口部からのぞくと内側も一つとして同じではない。内部には屈曲や段差が設けられているようなのだ。
 さほど複雑な迷路をなしているわけではないが、それでも見る者は内部に視線を潜らせ、散策して内側の構造を確かめたくなりはしないだろうか。
 さらに大理石の一種であるアラバスターの半透明な質感は、内側から発光するかのようだ。他方屈曲ゆえ落ちる影は、錯綜を増すことになる。
 内側の経路は、至聖所のごとき最終地点に達するわけではない。むしろ神秘的な光に包まれて、さまようことこそが促されているのだろう。
 そうすることでチリーダは、空間を分節する装置としての建築のあり方を、凝縮された姿で摘出しようとしたのではないだろうか。


(県立美術館学芸員・石崎勝基)
=開催中の『エドゥアルド・チリーダ展』より
『中日新聞』(三重版)、2006年4月23日)
 

 ところで〈築山(つきやま)〉の語の由来は、不勉強のため詳らかにしませんが、庭園・造園の分野で用いられる比重が大きいとは言ってかまわなさそうです。
  
 森(おさむ)庭園とその建物 日本の美術 No.34』(1969)には、「日本造園法秘伝書とその系統」の一つとして、享保20(1735)年、北村援琴斎が著した『築山庭造伝』が紹介されています。文政12(1829)年)には籬島(まがきじま/りとう)軒秋里によって同題の書が著され、後に前者を前篇、後者を後篇として、ひとまとめで扱われるようになりました(p.126、また p.66)(国立国会図書館デジタルコレクションに大正7年刊本がPDF化されています;→前篇上前篇中前篇下後篇上後篇中後篇下
 p.125 には、後篇上巻から「行之築山之全図」が掲載されていました。画題冒頭の「行」は「真行草」の「行」で、「真之~」、「草之~」図もあります。せっかくなので、あわせて載せておきましょう
 
籬山軒秋里(秋里籬島)『築山庭造伝』後篇上巻(1829)より「行之築山之全図」
籬島軒秋里(秋里籬島)『築山庭造伝』後篇上巻より
「行之築山之全図」
1829(文政12)年

* 画像をクリックすると、拡大画像とデータのページが表示されます。
籬島軒秋里(秋里籬島)『築山庭造伝』後篇上巻(1829)より「真之築山之全図」
「真之築山之全図」
籬島軒秋里(秋里籬島)『築山庭造伝』後篇上巻(1829)より「草之築山之全図」
「草之築山之全図」
 伝統的な庭園における築山は、擬似的な風景というか風景の模型と見なせます。他方イサム・ノグチの《スライド・マントラ》やカロの《発見の塔》などは、擬似的な建築なり建築の模型ということができるでしょう。
 風景-建築という対で思い起こされるのは、ロザリンド・クラウスの「彫刻とポストモダン 展開された場における彫刻」(1978)です(ハル・フォスター編、室井尚・吉岡洋訳、『反美学 ポストモダンの諸相』、勁草書房、1987、pp.65-80。またロザリンド・E・クラウス、谷川渥・小西信之訳、『アヴァンギャルドのオリジナリティ モダニズムの神話』、月曜社、2021、pp.404-422);

 「…(前略)…彫刻とは歴史的に限定された一カテゴリーであって、普遍的なそれではないということだ」(『アヴァンギャルドのオリジナリティ』、p.407)。
 「彫刻の論理は、モニュメントの論理と切り離すことができないものだと思われる。…(中略)…それは特定の場所に置かれて、その場所の意味や効用について象徴的な語調で語るのだ」(同上、pp.407-408)。
 「十九世紀後半に、われわれはモニュメントの論理の衰退を目撃した」(p.408)。
 「…(前略)…われわれはモニュメントの論理の敷居をまたぎ、その反転した(ネガティヴ)状態とでも呼べるもの - ある種の無場所性、ホームレス性、場所の絶対的喪失 - の空間へと入ると言えるだろう。つまりモダニズムのなかに入るのである」(p.409)。
 「だが二十世紀の初頭から開かれたこの鉱脈は有限なそれだったのであり、一九五〇年頃には枯渇し始めた」(p.411)。
 「…(前略)…彫刻は、その論理の完全に転倒した状態に入り、純粋な否定性、つまり排除の組み合わせとなった。彫刻は、言うなれば、一個の肯定性であることをやめ、いまや、()風景(ヽヽ)に、()建築(ヽヽ)を加えたものから帰結するカテゴリーとなったのである」(p.412)。
 「…(前略)…彫刻(ヽヽ)()風景(ヽヽ)プラス()建築(ヽヽ)という、クライン群において中立項であるものに還元されるにせよ、その反対項 - 風景(ヽヽ)でありかつ建築(ヽヽ)であろうもの -を想像しない理由はない - この図式においてそれは複合的(ヽヽヽ)と呼ばれるものである」(p.414)。
 「彫刻(ヽヽ)はむしろ、一個の場の外周上のたんなる一項にすぎず、そこには異なった仕方で構造化された他の複数の可能性が存在するのだ」(p.416)
として、「論理的に展開された場(エクスパンディド・フィールド)」(p.414)から〈彫刻〉を含む四つの項が導きだされ、具体的な作例を挙げていきます;

1) 「建物の上や前にあって建物ではないもの、あるいは風景のなかにあって風景ではないもの」(p.411)、即ち、〈非-風景〉と〈非-建築〉の組みあわせとして、〈彫刻〉。
  例としてロバート・モリス《グリーン・ギャラリーでのインスタレーション》(1964)と《無題(鏡の箱)》(1965)(ともに p.412 に挿図)

2) 〈風景〉と〈建築〉の組みあわせを、〈サイト-構築
site-construction 〉(p.419)。
 たとえばロバート・モリス《観測所》(1970)やアリス・エイコック《迷路》(1972)(ともに p.417 に挿図)など

3) 〈風景〉と〈非-風景〉との「ありうる組み合わせ」として、〈印づけられたサイト
marked site 〉(pp.419-420);「サイトに対する実際の物理的な操作に加え、印づけ(マーキング)のその他の諸形態をも指し示す」(p.419)。
 たとえばスミッソン《スパイラル・ジェティ》(1969-70)(p.417 に挿図)や同《第一と第七の鏡の転置、ユカタン半島》(1969)、リチャード・ロング《無題》(1969)(ともに p.418 に挿図)など

4) 〈建築〉と〈非-建築〉から、〈公理構造
axiomatic structures 〉;「建築の現実空間に対するある種の介入がなされる」(p.420)。「このカテゴリーにおいて探求される可能性は、建築的経験の公理的諸特性 - 開かれと閉ざされという抽象的諸条件 - を、ある所与の空間の現実へと写像(マップ)するというプロセスである」(同上)。
 たとえばロバート・アーウィンやソル・ルウィット、他
(各項の原語は
Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths, 1985, p.284 から)。

 おさらいがてら長々と切り貼りしましたが、実のところ今一つきちんと把握できていなかったりします。ともあれクラウスの論考は、「1968年から70年に至る数年の間」(p.416)に姿を現わした状況、「モダニズムとは別の呼び名に訴えなくてはなるまい」として、「ポストモダニズム」(p.419)と呼ばれる状況を扱うものですが、そこへ至る「ポスト-ルネサンス美術の閉域」とは「他の諸文化」にふれて、

「迷宮や迷路は風景であると同時に(ヽヽヽヽ)建築であり、日本の庭園は風景であると同時に(ヽヽヽヽ)建築である」(p.415)

と述べていました。伝統的な日本庭園が「風景であると同時に(ヽヽヽヽ)建築」で、その中に配される〈築山〉もそこに含まれるとして、話戻ってコンクリート製の築山遊具はどうなのでしょうか? 伝統的な築山以上に建築的な性格は強そうです。といって〈サイト-構築〉と見なせるかどうか、クラウスの議論がわかっていないので何とも言えませんが、ここでは、実際の山なり丘の型を模した、模型としてのあり方のみ、注目しておきましょう。

 模型であれば、大きさだけでなく、実物を構成しそこに含まれる無数の要素も、数だけでなく、具体的な様相も切りつめられます。そのため模型は、抽象化され、実物が位置するさまざまな脈絡から切り離された空間で浮遊することになる。
 たとえばTVシリーズ『サンダーバード』(1965-66)における、「国際救助隊」の秘密基地だった孤島を思い起こしてみましょう。ドラマが人形劇なのだから、そこに登場する孤島も、そもそも模型だったわけですが、さらにそれを模型化したプラモデルも商品化されていたという記憶があります。とまれ『サンダーバード』の秘密基地は、海に囲まれた孤島なので、なかば自律したあり方をとります。その中に、ロケットの発射など、固有の仕掛けが組みこまれていました(〈秘密基地〉のイメージについては「怪奇城の隠し通路」の頁でも少し触れました→このあたり。)。
 からくりを擁した機構という点では、「仏教」の頁でふれた《須弥山儀》(→このあたりの2)と比べることもできそうです。須弥山が中心にそびえるのは、一つの宇宙にほかなりませんが、巖谷國士に『宇宙模型としての書物』(青土社、1979→こちらで触れました:「通史、事典など」の頁の「おまけ」)と題した著書がありました。宇宙論、とりわけ宇宙誌は、おしなべて模型としての性格を持つと見なせるかもしれません。
 ちなみに「北欧、ケルト、スラヴなど」の頁の「おまけ」で、ニール・ゲイマンの『壊れやすいもの』(金原瑞人・野沢佳織訳、角川文庫 ケ7-8、角川書店、2019も)所収の自作解説である「本書について」の、「他人」の項の中に「地図を作る人」という掌篇が組みこまれており(pp.505-508)、これは「解説 壊れやすく愛おしいもの」(山尾悠子)で、ボルヘスの「学問の厳密さ」(『汚辱の世界史』/『砂の本』所収)とアイデアがかぶっていると指摘されていることに触れました(pp.531-533)。ボルヘスとゲイマンが物語った〈帝国の実物大の地図〉は、逆に見れば、地図や宇宙誌を含む模型においては、縮尺をいかようにも変化させることができると告げているのではないでしょうか。実物より大きな模型というのも考えることができますし、翻って、宇宙そのものが何かの模型だと説いたのがプラトーンのイデア論でした
(ほんの四ヶ月ほど前に頁を作ったばかりなのに、きれいに忘れていましたが、「怪奇城の図面」の頁では二次元の図面を主に取りあげたものの、三次元の模型にも少し触れていました。とりわけ→そのあたり
またバシュラールの『空間の詩学』の「第7章 ミニアチュール」も参照。追補:→「怪奇城の肖像(前篇)」の頁でも触れました)。

 他方、イメージとして、からくりを組みこんだ装置が芋づる式に連なっていくであろういくつかの点については、「怪奇城の隠し通路」の頁でも少し触れました(→あのあたり)。求心的な築山に対し、今風の(?)並列的なコンビネーション遊具に対応すると見なせるでしょうか。
 とまれ、『サンダーバード』でなくても、玩具売場をのぞいてみれば、今も、お城などをかたどったおもちゃが見かけられます。というかドールハウスとか立体駐車場とか。大きさこそ違いますが、築山遊具というのも、そうした類に近いのでしょう。

 玩具という点では、岩中徳次郎が作った玩具などにつなげることができるでしょうか(『岩中徳次郎展』図録、三重県立美術館、1994、p.64/cat.no.1-80:《生物ルテス 廃物利用生物形態》、池田20世紀美術館蔵)。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にも、猪熊源一郎による蒐集品だったか制作だったか、そうしたコーナーがあったような憶えがあります(『猪熊弦一郎のおもちゃ箱 やさしい線』、小学館、2018、pp.130-133:「立体作品」、pp.134-135:「対話彫刻」など参照)。
 玩具と美術のつながりに関し、「諏訪直樹の絵をみるために - 1970年代の美術より」(PDFファイル < 「コレクションによる特別陳列 没後30年 諏訪直樹展」のページ [ < 三重県立美術館 ])で触れたのですが(p.14)、
 ロトチェンコの《空間構成》(1924、同頁図25)

 ファントンゲルロー《ヴォリュームの関係》(1919、同頁図27。p.22 註76 で挙げたもの以外に、
 
Georges Vantongerloo, Washington Corcoran Gallery of Art, Dallas Museum of Fine Arts, Los Angeles County Museum of Art, 1980, pp.47-48 / cat.no.14
も参照)
のような、積木状の作品を連想することができるかもしれません。これらは形をいったん最小限のものまで切りつめ、その上で、そうした単位を組みあわせることで、より複雑な形の生成や空間の構成を試そうとしたものなのでしょう。
 積木風構成という点では、他方、「四角錐と四つの球 - 怪奇城の意匠より」の頁で触れた、階段の欄干、その親柱の上などに配された、オベリスクをはじめとするさまざまな建築装飾と比べられなくはないかもしれません。

 「恩地(孝四郎)の抽象表現の下地としての可能性の二つ目は、フリードリッヒ・フレーベル(1782-1852)の《恩物(ガーべ)》に代表される幼児教育遊具(積み木などの玩具)の影響である」

と、岡﨑乾二郎が『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房、2018)で述べていたことを引きあいに出すこともできます(p.30)。同書ではまた、ゾフィー・トイベル=アルプ、デペーロ、ロトチェンコ、クレー、そしてホアキン・トーレス・ガルシアが玩具を制作したことにも言及していました(p.87)。p.99 では、ストゥシェミンスキともどもコブロの名が挙げられています。カタジナ・コブロの《空間的な彫刻》や《空間的な構成》の連作(1925~1933)は、積木風構成につながるものと見なせるでしょうか。
 ストゥシェミンスキの晩年を描いた、何ともやりきれないお話の映画『残像』(2016、監督:アンジェイ・ワイダ)で、ウッチ(ウッジ)美術館 Muzeum Sztuki, Łódź にストゥシェミンスキがデザインした、「新造形(主義)の部屋」(1948)が映った点が思いだされたりもします。映画の中にコブロ自身は登場しませんが、右に引いた場面で、右手の壁の前に並ぶ彫刻群が、コブロの作品でした。正面奥の壁にかかった平面もコブロのものです。下掲の Katarzyna Koblo 1898-1951 (1991) の p.71 に実際のこの部屋の展示写真が掲載されています(cat.no.28)。展示作品に異同はありますが、左奥の角や壁面の様子など、『残像』の一場面からの画像とほぼ一致するようです。現場で撮影されたのでしょうか? 映画の中では後ほど展示作品は撤収されてしまうのですが(追補;こちらでも少し触れました;「怪奇城の画廊(中篇)」の頁)。 『残像』 2016 約11分:ウッチ美術館、「新造形主義の部屋」
『残像』(2016) 約11分:ウッチ(ウッジ)美術館、「新造形(主義)の部屋」
 なお件の展示写真に映っているのは、
 「フサール、コブロ、モンドリアン-スーフォール、スタジェフスキ、ストゥシェミンスキ」
とのことです(同上)。手もとにあるはなはだもって乏しいというほかない資料からでしかありませんが、一応メモしておけば;


 フィルモス・フサール
Vilmos Huszár (1884-1960)はハンガリー出身で、デ・ステイルに参加しました。ファントンゲルローの作品に関して上記拙稿の p.22 註76 で挙げたのと同じ図録から;
 『デ・ステイル 1917-1932』展図録、セゾン美術館、兵庫県立近代美術館、豊田市美術館、1997-98、p.105-113 / cat.nos.1-040~050
同図録から
 ニコレッタ・ハースト、桶本まち子訳、「ファン・デル・レック、フィルモス・フサール、ジョージ・ファントンゲルローのデ・ステイルにおける位置」
も参照。なお cat.no.1-049 は「影絵パフォーマンスのための」人形(p.112)、cat.no.1-050 はチェスの駒のセットでした(p.113)。

  ミシェル・スーフォール
Michel Seuphor 本名 Ferdinand Louis Berckelaers (1901-99)はベルギー出身の画家・美術批評家で、トーレス=ガルシアが発案したグループ「円と方形 Cercle et Carré 」(1929-30)、ファントンゲルローがエルバンやエリオンと作った「抽象=創造 Abstraction-Création 」(1932-36)に参加したとのことです。前者について次の図録の第2章(pp.29-59)、後者については第4章(pp.89-121)など参照;

 
Arte abstracto Arte cocreto. Cercle et Carré. 1930, IVAM Centre Julio Gonázales, 1990
  スーフォール;p.50 / cat.no.16
  トーレス=ガルシア;pp.51-54 / cat.nos.19-22 および p.218 / cat.no.172
  ファントンゲルロー;p.144 / cat.no,101 および pp.256-258 / cat.nos.213-215
  フサール;p.144 / cat.no.102
  モンドリアンとスーフォールの《絵=詩》(1928-1952)が p.145 / cat.no.103(上の『残像』の場面では映っていませんが、
Katarzyna Koblo 1898-1951 (1991) p.71 の会場写真では、奥の壁の左に掛かっている)
  スタジェフスキ;pp.150-151 / cat.nos.111-112, 114(no.112 が同じく右の壁の一番右。その左は no.111 か? 3点目の一番左も no.114 と同系列か?)
  コブロ;p.151 / cat.no.113(上の『残像』からの場面で正面奥の壁に掛かっている平面は、cat.no.147/ p.184 の《抽象的な構成》(1924頃、ガラス絵)。下掲の
Katarzyna Koblo 1898-1951 (1991) では p.58 / cat.no.13 )
pp.169-193の第7章はウニズムにあてられ、
  コブロ;pp.183-186 / cat.nos.146-151
  ストゥシェミンスキ;pp.187-193 / cat.nos.152-163(『残像』からの場面で、右の壁の右から no.154、no.156、no.158。左の壁の左から1点目と2点目は、
  Władysław Strzemiński, Muzeum Sztuki, Łódź, IVAM Centre Julio Gonzalez, Kunst Museum, Bonn, 1994
の p.102 / cat.no.17 と no.16。右の壁の右から4点目、左の壁の左から3点目と4点目は不詳。Katarzyna Koblo 1898-1951 (1991) p.71 の会場写真では左の壁の一番左が no.154、一つ抜いて左から三点目が no.156)、間の2番目は Władysław Strzemiński, op.cit., p.103 / cat.no.20。なお同 p.145 にまた展示替えした会場写真が掲載されていました(cat.no.185)。ストゥシェミンスキについては、「日本の幾何学的抽象をめぐる覚書 - 四角はまるいかⅡ -」(1992)の註44 も参照→こちら
そして
  イサム・ノグチ;p.211 / cat.no.164
などが見られます。

 ヘンリク・スタジェフスキ
Henryk Stażewski(1894-1988)はポーランド出身の画家。下掲の谷本尚子『国際構成主義』(2007)、pp.91-93、関口時正『ポーランドと他者』(2014)、p.67 などで言及されていましたほか、
 井口壽乃:圀府寺司編、『アヴァンギャルド宣言 中東欧のモダニズム』、三元社、2005

 「抽象美術について」(1924)

 「現代のスタイル」(1926)
が訳出されています(pp.132-134)。ちなみに
 スツシェミンスキの「絵画におけるウニズム」(1928)
がすぐ後に掲載 (pp.135-148)。コブロやストゥシェミンスキとともに「ブロック
Blok」、続いて「プレゼンス Praesens 」に参加(pp.118-119)、その機関誌ないし文庫に発表された論考でした。

少し戻ってトーレス=ガルシアについて、

 Margit Rowell, The Planar Dimension. Europe, 1912-1932, The Solomon R. Guggenheim Foundation, New York, 1979, pp.96-101 / cat.nos.61-66
 Torres-García, Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía, IVAM Centre Julio Gonzalez, 1991
  ただし玩具の図版は見あたりませんでした
  (次のウェブ・ページに関連図版が数点載っています→「ホアキン・トーレス・ガルシア」 [ < 文学カルチエ・ラタン ])。
 他方、トーレス=ガルシアは、しばしば油彩やテンペラで塗装した木片を組みあわせた、アッサンブラージュ状の構成やレリーフを残しています。上記1991年の回顧展図録に掲載されているかぎりでは1920年代半ばから30年代前半にかけて制作されたようです;(pp.69-75 / cat.no.29-35(1924~29)、pp.89-91 / nos.49-51(1929~34)、pp.95-99 / nos.55-59(1929~31)、p.101 / no.61(1931)、p.103 / no.63(1931)、p.107 / no.67(1932)。これらも積木風構成の系譜に棹さすものと見なせるでしょう。
 
追補;
 Margit Rowell, Joaquín Torres-García (Modern Masters Series), Ediciones Polígrafa, Barcelona, 2009
  玩具の図版が p.20(1924-25)、pp.24-26(1931、1930)、木片による構成が p.27(1927)、pp.34-35(1929)、p.38(1929)、p.46(1929)、pp.48-49(1929)、p.54(1929)、p.58(1930)、pp.60-62(1930、c.1930、1930)、p.70(1931)、pp.80-81(1934、1935)、p.87(年代不詳)。
 さらに;

 Joaquín Torres-García. Constructing Abstraction with Wood, The Menil Collection in association with the Museum of Fine Arts, Houston / Yale University Press, New Haven and London, 2010
  タイトルにあるように、木片による構成を集めた展覧会の図録。抽象だけでなく、人体をかたどった作品とともに(p.96、pp.98-111、pp.114-115、pp.132-139 など)、玩具も取りあげられています(pp.85-86、pp.93-95、p.97、p.121、p.201 などに挿図や図版)。木の作品は1920年代半ばから晩年まで、失なわれたものを除いて、170点以上制作されたとのことです(p.11 左段および p.12 註9)。

コブロについて;
 谷本尚子、『国際構成主義 中欧モダニズム再考』、世界思想社、2007、pp.89-104:第3章第2節「コブロの彫刻とポーランドの構成主義」
 関口時正、『ポーランドと他者 文化・レトリック・地図』、みすず書房、2014、pp.66-85:「前衛という宿命、あるいは二〇世紀ポーランド美術 - コブロとスツシェミンスキ -」

 W. Strzeminski et K. Kobro, textes choisis, traduits et présentés par Antoine Baudin et Pierre-Maxime Jedryka, L'espace uniste. Écrits du constructivisme polonais (Collectuion Slavica), L'Âge d'Homme, Lausanne, 1977
 The Planar Dimension. Europe, 1912-1932, op.cit., pp.30-31, pp.146-153 / cat.nos.108-113
 Yve-Alain Bois, Painting as Model, The MIT Press, 1990/1993, pp.123-155:"Strzemiński and Koblo : In Search of Motivation"
    (→こちらで少し触れました:「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「廊下など」)
 Katarzyna Koblo 1898-1951, Städtisches Museum Abteiberg, Mönchengladbach / Edition Wienand, Köln, 1991
  すぐ上に掲げたボワの論文のドイツ語訳も収録。他のテクストは英訳併記なのに、これは独文のみ。
 Katarzyna Koblo. Władysław Strzemiński. Une avant-garde polonaise, Centre Georges Pompidou, Paris, Galerie du musée, Galerie d'art graphique, Gemeentemuseum Den Haag, 2019
 など参照)。

 双方の作品が出品された
The Planar Dimension 展については;
 中原佑介、「壁を離れた絵画 プラナー・ディメンション ヨーロッパ1912-1932(展覧会から)」、『みづゑ』、no.892、1979.7、pp.54-73
参照。個々に取りあげられているわけではありませんが、名前だけは列挙する中に二人とも挙がっていました(p.56)。また p.60 にヨアキン・トレス=ガルシア《白の構成》(1930)のカラー図版、p.72 にカタリーナ・コブロ《空間構成6》(1931)のモノクロ図版)がそれぞれ一頁大で掲載されています(原著では p.97 / cat.no.62、および p.152 / cat.no.113、カラー)。
 →「マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡」(1986.2)の頁の「補遺」でも触れました

 ところで上で触れたトーレス=ガルシアの木による構成は、色を塗ってあっても、木材の柔らかい質感まで覆われることはありません。一方、白などのモノクロームであれ多色であれ、コブロの空間構成では、薄くても硬質なスティールの感触が、トーレス=ガルシアの構成のように自足した表情をたたえることがないがゆえにかえって、周囲の空間と一体化し、それを分節するのに大きな役割を果たしています。こうした対比をたとえば、最初に挙げた中勢グリーンパークのコンビネーション遊具と安濃中央総合公園のそれ、南が丘野鳥公園に以前設置されていた遊具と2021年現在のそれとの表情の違いと、並行させてみることもできなくもないかもしれません。
トーレス=ガルシア《純色での構成》 1929
トーレス=ガルシア(1874-1949)
《純色での構成》
1929年
カタジナ・コブロ《空間的な構成(4)》 1929
カタジナ・コブロ(1898-1951)
《空間的な構成(4)》
1929年

 また戻って玩具といえば、美術との云々は抜きにして、
 澁澤龍彦の『夢の宇宙誌 コスモグラフィカ ファンタスティカ』(美術選書、美術出版社、1964)所収の「玩具について」
を忘れてはなりますまい。
 澁澤の「玩具のための玩具 私の玩具箱」と矢牧健太郎「玩具館事典」を収めた『玩具箱 新版遊びの百科全書 4』(河出文庫 767D、河出書房新社、1987)、
ついでに
 寺山修司の「装置の宇宙誌 箱男から無用機械まで」と矢牧健太郎「遊戯装置事典」からなる『遊戯装置 新版遊びの百科全書 5』(河出文庫 767E、河出書房新社、1988)
も足しておきましょう(先に糸をつけた「怪奇城の隠し通路」の頁の同じあたりでも挙げました。澁澤については→あちらも参照:「通史、事典など」の頁の「おまけ」)。さらに、
 海野弘、「玩具の社会学 - ロボットとマヌカン -」、『空間の神話学 玩具・庭園・劇場』、1971、pp.87-102
 『おもちゃ大好き!~郷土玩具とおもちゃの歴史~ 第20回企画展』図録、三重県総合博物館、2018

 築山については、その一種である〈富士塚〉というのもありました。実見したことはないのですが、「怪奇城の外濠 Ⅲ」の「綺想建築など」の項で挙げた有坂蓉子の『ご近所富士山の「謎」 富士塚御利益散策ガイド』(2008)が具体的に記してくれています。第2章の冒頭に置かれた「富士塚レシピ」(pp.40-43)を見ると、富士登山を模した定型があるとのことでした。それらを備えた個々の富士塚は、ある種の小宇宙を構成していると見なすこともできるでしょう。
 この場合小宇宙とは、境界で外から区切られ、囲まれた内側に節目となる点をいくつか設けるなり見出すなりし、点と点とを経路としての線で結び、点同士の間での動きを組織する、閉じた境域をイメージしています。その際組織するはずが、迷路と化してしまうことも起こりうるかもしれません。
 富士山ではありませんが、巡礼経路の模型ということであれば、近いところで津駅西口の近くの白山(大師山) 密蔵院というお寺、その境内の裏山に「四国八十八ヵ所霊場(小堂)」がありました。お寺自体が「三重四国八十八ヵ所第65番霊場」とのことで
(次のウェブ・ページ参照→「札番 第16番 白山 密蔵院」 < 「さあ、お参りしよう お寺一覧」 < [ < 伊勢西国三十三所観音巡礼 - もう一つのお伊勢まいり - ])、
その中に模型としての巡礼地が納められているわけです。
大師山 密蔵院、四国八十八ヵ所霊場(小堂)(2012/12/27)
近場で出くわしたかぎりで、 東雲寺(下一段目)、また殿岡神社と願応寺址(明治初年に廃寺)との間の裏山(下二段目)にも同巧の小巡礼路が見られました。他にもあるのでしょう。
東雲寺、八十八ヵ所巡り(2013/02/27) 津の階段など 2022/01/09(1) 東雲寺
津の階段など XXV
津の階段など 2013/05/24(1) 殿岡神社/願応寺址
津の階段など
津のオールオーヴァなど 2022/01/08(2) 殿岡神社/願応寺址
津のオールオーヴァなど XXV
 いずれも入口に石碑が立っていて、密厳院と願応寺址では「新四國八十八ヶ所霊場」、東雲寺では「新四國八十八ヶ所石像安置」と刻まれていました。「新四国」という呼び名について、
 四国遍路と世界の巡礼研究会編『四国遍路と世界の巡礼』(法蔵館、2007)所収の小嶋博巳「遍路と巡礼」
に、
 「四国八十八ヵ所を各地にうつし(ヽヽヽ)た小巡礼地(新四国などと呼ぶ)」(p.12)
というくだりがありました。日本語版ウィキペディアでは「地四国」の頁が設けられ(→ここ)、
 「地元の人が四国霊場を模して、山や島、半島などにおいて、ミニ巡礼コースとしているもの」
と、 同じく「西国三十三所」の頁(→そこ)中には「西国写し霊場」の項があります。さらに
 近藤隆二郎、「北播磨におけるミニチュア巡礼地の空間体験構造に関する研究」、『造園雑誌』、56巻5号、1993、pp.247-252 [ < J-STAGE ]
 DOI : https://doi.org/10.5632/jila1934.56.5_247
に、
 「四国八十八ヶ所(以下本四国と略)や西国三十三ヶ所といった、容易に巡礼することのできない遠方の大霊場を身近な場に似せて作り、より多くの人々(特に老人・女子)に対して巡礼の機会を与えることを目的に開設された巡礼霊場を写し霊場と呼ぶ。写し霊場はその規模により、数ヵ村から数国に及ぶ『地域的巡礼地』と寺院の境内や裏山などに石仏を配置した『ミニチ ュア巡礼地』(以下ミニ巡礼地と略)に分類される」(p.247 左段)
と記されていました。同じ著者による
 近藤隆二郎、「和歌山県下における地域的巡礼地の展開過程と空間構造」、『ランドスケープ研究』、61巻5号、1997、pp.465-470 [ < J-STAGE ]
 DOI : https://doi.org/10.5632/jila.61.465
などもあわせて参照ください。また、
 『ワンダーJAPAN』、no.1、2005.12.20、pp.78-83:「特殊な巡礼空間の旅①~大仏・大観音~」(写真と文 へりおす)、
    pp.84-89:「特殊な巡礼空間の旅②~地下霊場~」(同上)
   (同じ号から別の記事を→あそこで挙げました:「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「庭園など」の項)
 とまれ、富士塚は築山の一種でもあれば、ミニチュア巡礼地の範疇にも含まれるわけです。それぞれの文脈はさておき、いずれ模型である点では共通しています。

 三次元の模型から次元を一つ落とせば、たとえば各種の《参詣曼荼羅》を思いだすこともできるでしょう。参詣曼荼羅の概観については
 下坂守、『参詣曼荼羅 日本の美術 No.331』、至文堂、1993.12、
また近くは
 『熊野 祈りと癒しの地』展図録、三重県総合博物館、2014
などが手もとにありました。後者からはとりわけ
 「2章 熊野比丘尼と熊野観心十界曼荼羅」
および
 「3章 行きかう旅人 西国三十三所巡礼」
が関連しています。ちなみに連想の導く先は、
 E.シャヴァンヌの『泰山 中国人の信仰』(菊地章太訳注、2019)
の冒頭に掲載された、「筆者みずから絵図を作成した」(p.57)という、泰山が擁する名所旧跡を示す詳細な絵図〈図1〉でした(pp.8-25)。

 いささか築山遊具から遠ざかってしまったでしょうか。そういえば『染谷亜里可 Works 「第三の転回」+ D.D. 「王様だけがパンツを履く」』展(愛知県立芸術大学サテライトギャラリー SA・KURA、2021.11)での D.D. のインスタレーション、《王様だけがパンツを履く》(2021)は、土を盛ったものでもコンクリート製でもありませんが、一種の築山遊具と見なせるかもしれません。トンネルもありましたし
(次のウェブ・ページ参照;
 「染谷亜里可+ D.D. SA・KURA(名古屋)で11月13~28日」(2021/11/17) [ < OutermostNAGOYA 名古屋 x アート、舞台、映像…
 D.D. については→ここでも触れました:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「おまけ」)。


追補:
 菅浩江、「Ⅴ 白鳥広場にて」、『不見(みず)の月 博物館惑星Ⅱ』(ハヤカワ文庫 JA1482)、早川書房、2021(2019年刊本の文庫化)

の中に次のくだりがありました;

「それは一見すると大型の遊具にも思える。児童公園によくある、椀を伏せたような半球型の滑り台。コンクリートみたいな色なのも、その中に子供たちが好きそうなカラフルな小物が色々と埋め込まれているのも、似ていなくはない」(p.254)。

ちなみにすぐ後は

「けれど、ワヒドのアート作品の形は、サイズこそ半球型遊具と同等だが、滑り台に使おうものならバウンドの連続で舌を噛んでしまいそうなほどにぐにゃぐにゃと歪んでいた」(同上)

と続きます。「ワヒド」はここで記される「アート作品」の作者。今は撤去された、上掲岩田公園の巻貝風遊具に当てはまりそうではありますまいか。
 同じ作者による→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「菅浩江」の項

追補の2:

 いつものようにすっかり忘れていましたが、フィルモス・フサールのところで触れたデ・ステイルに関連して、ギターとドラムスの二人組の2枚目が

 The White Stripes, De Still, 2000(1)

でした。ブックレットの(表紙を除いて)2頁目に、
「このアルバムは以下の人々のデザイン、彫刻、スケッチを含んでいる:
 ポール・オヴリー*
 テオ・ファン・ドゥースブルフ
 ジョルジュ・ヴァントンゲルロー
 フィルモス・フサール」
と、また5頁目には
「このアルバムは
 ブラインド・ウィリー・マクテル**およびヘリット・リートフェルト
に捧げられる」
と記されていました。日本語版ウィキペディアの該当頁(→あちら)によると、
「ジャック・ホワイト***はティーンエイジャーの頃に家具店で働き、家具のデザインに興味を持つようになって、特にリートフェルトの作品に惹かれたという」
とのことです。
 
1. Cf., 鈴木喜之監修、『アメリカン・オルタナティヴ・ロック特選ガイド』(CDジャーナル・ムック)、音楽出版社、2009、p.24, p.40.

* Paul Vivian Overy (1940-2008).。イギリスの美術史家。英語版ウィキペディアの該当頁による(→こちら)。上掲の『デ・ステイル 1917-1932』展図録(1997-98)の「主要参考文献」中の「邦語文献」(p.305)には、
 ポール・オヴリー、『デ・スティル - 20世紀の先駆』(由水常雄訳)、PARCO出版局、1978
が挙がっていました。

** Blind Willie McTell (1898-1959)、ブルース歌手、ギター演奏者(日本語版ウィキペディアの該当頁による(→そちら)。
 本アルバムの該当頁(→あちら)には
「収録曲『ユア・サザン・カン・イズ・マイン』の作者であるブルース・ミュージシャン」
とありました。アルバムのラスト、13曲目、2分29秒。

*** ザ・ホワイト・ストライプスのギタリスト。
 
2021/12/26 以後、随時修正・追補
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