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去年マリエンバートで
L'année dernière à Marienbad
    1961年、フランス・イタリア 
 監督   アラン・レネ 
 撮影   サッシャ・ヴィエルニ 
編集   ジャスミヌ・シャスネー、アンリ・コルピ 
 プロダクション・デザイン   ジャック・ソルニエ 
 セット装飾   ジャン=ジャック・ファーブル、ジョルジュ・グロン、アンドレ・ピルタン 
    約1時間34分 
画面比:横×縦    2.35:1
    モノクロ 

ケーブルTVで放映
………………………

 この作品は通例実験色の強い芸術映画と見なされているようで、怪奇映画などというジャンルとは縁がなさそうですが、いやいやどうして、下掲の菊地秀行「怪奇映画ベスト100」は本作を挙げていますし、同じく下掲 José María Latorre, El cine fantástico, 1987 でも取りあげられていました。監督のアラン・レネや脚本のアラン・ロブ=グリエの意図は別にして、怪奇映画愛好家の琴線に触れる何かが備わっているのでしょう。何より舞台が宏壮なホテルというか城館であります。幾何学式庭園付きです。主要な登場人物というか、カメラが廊下等をうろうろしてくれます。
 とはいえ本作については下に挙げた遠山純生による「解説」がよくまとまっており、ロケ地等についてもきちんと触れてあります。そちらを一読いただければ無理に付け足すことなど思いつきようもなく、加えて下掲のロブ=グリエによる脚本というか小説版には、カット割りやカメラの動きまで書きこまれています。映画版との異同を確認したわけではありませんが(ロブ=グリエの「序」には「いくつかの相違」、「微細な変更」のある旨記されています:p.185)、それ以上に何を記せるのでしょうか。ともあれ蛇足の屋上屋と見限った上で、少しだけメモしておくことといたしましょう。

 タイトルとクレジットは白っぽい画面にエンボスで記されます。オーケストラで始まった音楽は甲高いオルガンに変わり、ナレーションがかぶせられる。
 下から天井が見上げられます。斜めになったカメラが前進し、曲がりくねっていく。天井には貝殻状の装飾が施されており、やがてシャンデリアが映されます。
 正面に前進するカメラは、ほぼ水平となりますが、かなり高い位置にあるようです。鏡の間が映され、また下からの仰角に変わって右から左へ、鏡面を映し、天井と壁の境付近をとらえる。
 廊下です。壁に館を描いた額絵が掛かっています。左から右へ、右から左へ、そして正面に進む。
 下からロココ風の装飾が見上げられ、右から左へ、次いで正面へ、暗がりとなります。
 人物たちが映されます。観劇中なのでしょうか。皆静止している。右から左へ、左から右へ。舞台の奥には庭園を描き奥行きを強調した透視図が背景として配されている。
 閉幕となり、観客がしゃべりだします。音楽はオーケストラによるものです。観客は静止し、またしゃべりだし、声だけ消え、音楽はオルガンになる。
 階段が下から見上げられます。装飾的な石の欄干がついている。
 太い円柱越しにホテルの受付が見える。
 正面から三連アーチがとらえられる。アーチの部分は陰になり、光のあたる下に一人坐っている。
 画面左に男の肩から上が配され、右に鏡がある。カメラが左から右へ動くと、鏡に男女が映っています。豪奢な額縁のついた鏡面が画面いっぱいになる。
 奥から手前へ会話する男二人が進んできて、カメラは後退する。「1928年、1929年、憶えていない」と話しています。オルガンの音が大きくなる。今回見直してこの台詞に出くわした時は、コックニー・レベルのファースト・アルバム Cockney Rebel, The Human Menagerie, 1973(邦題:『美しき野獣の群れ』)のA面1曲目、"Hideaway"(邦題:「真夏の秘め事」)の"It was summer or maybe spring, I can't remember. It was summer or maybe spring, I can't recall"(夏だった、いや春かも、憶えていない)というフレーズを思わず口ずさみそうになったものです。
 このようにメモするとぶつぶつと切れてしまいますが、実際の画面ではカメラの動きとともに情景が次々に連鎖していきます。たえまなく流れていくカメラと移り変わる場面は、見る者を落ち着かせることがありません。これは映画全編にわたって持続することでしょう。こうした流れとリズムこそが胆なので、この点はぜひ映像でご確認ください。

 廊下、階段、廊下、無人の食堂、また人のいるサロン、庭園を描いた額絵、話し声とオルガンが波打つようです。
 男M(サッシャ・ピトエフ、『インフェルノ』(1980)で再会できます)がテーブルでゲームを始める。トランプのカードを上から1枚、3枚、5枚、7枚と並べ、「めいめい、かわるがわるカードを拾います。何枚でも好きなだけ、ただし、一回に、一つの列からしか拾ってはいけない。最後のカードを拾うほうが負けです」(小説版邦訳、p.200)。男X(ジョルジョ・アルベルタッツィ)が挑みますが、常にMの勝ちです。


 女A(デルフィーヌ・セイリグ)は前に映った時は黒っぽい服でしたが、いつの間にか白っぽい服に替わっています(黒っぽい白っぽいといってもモノクロの画面でそう見えるというだけで、実際の色はわかりません。以下同様。また以下黒っぽい服白っぽい服という場合、それぞれ同じものとはかぎりません)。

 男二人がチェッカーをしているのが真横からとらえられます。二人の向こうには壁画の瞞し絵でしょうか、市松の床に欄干とアーケードが正面から描かれています。

 約18分で庭園が映ります。しかしこの時はすぐに廊下が上から見下ろされるカットに変わる。廊下を女が歩いています。バロック風の装飾が下から見上げられ、カメラは下向きになる。
 女Aと男Xが話しています。冒頭からのナレーションの声はXのものでした。
 横に並ぶ男たちが下から見上げられます。皆手前を向いていますが、一人ずつ振り返りざま拳銃を撃つ。
 女Aは暗い空間にいます。背後に半円アーチがあり、その下には祭壇のようなものが見える。床は市松模様です。男Xの声が、「初めて会ったのはフレデリクスバート庭園だ」というと、女は「勘違い」と答える。
 カメラが右に動きます。暗い部屋に人々がいる。壁の下方は浅い段になっており、方形が横に並んでいます。
 階段が踊り場で左右に分かれています。踊り場に女Aがいる。前の階段とは別のもののようです。
 男Mがテーブルで1,3,5,7のゲームをしています。今回はカードではなくマッチを使っている。Mは負けを知りません。Xがまた挑みますが、またしても負けてしまう。
 奥へ廊下が伸びています。2段上がり、少し進んでから5段上へ、また奥へ続く。カメラは右から左へ、回りこむように動きます。
 人々は静止しています。サロン、受付、鏡の間、奥への廊下、右へ少し壁をはさんでまた奥に廊下が伸びている。この配置は後にも何度か登場することでしょう。実際にこうなっているのか、映像を合成したものなのかは不明です。階段の下の椅子に女Aが腰かけています。


 約26分、幾何学式庭園です。黒っぽい円錐形の木が並んでいる。白い彫像の列も見えます。庭はずっと奥まで伸びています。
 手前にテラスがあります。女Aの左に男女の彫像があります。下には犬がいる。カメラは下から見上げていたのが、背後に回って上向きになり、上から見下ろす。向こうに池が見えます。女Aと男Xが談話する。


 この男女像はロブ=グリエの脚本にも出てくるものですが(下掲邦訳、pp.216-219 など)、下掲の遠山純生「解説」によると、レネは「ニコラ・プッサンのある絵画に想を得たものを作らせることにした。その絵の背景に描かれている、判別し難い2人の人物に基づいたものだったという」ことです。残念ながらどの絵かは記されておらず、それが遠山の典拠にも載っていないのかどうかも不明です。
 余談になりますが、何かわかるかしらと手もとにあるプッサンの画集をぱらぱらと繰ってしまいました。もとよりプッサンの全作品が掲載されているわけではないのですが、とりあえずレネに現物を見る機会がたやすかろうということでパリのルーヴルの所蔵品に絞りました。もちろんレネが画集の類で見た可能性もあるでしょうし、その後の彫刻家たちとの打ち合わせでは画集が用いられたのでしょう。しかしその点はおいておきます。根拠はありません。で、ぱらぱらと繰ってみてわかったのかといえば、畢竟するにわかりませんでした。
 たとえば下の「おまけ」で最初に挿図を挙げた《サビニの女たちの掠奪》では、壇上の腕を振りあげた男の背後に右を向く二人組の人物、また段のすぐ下にもやはり右向きの二人組の人物がいます。ただし双方男性だとわかり、「男か女かもわからないその二人の人物」とはいいがたい。ところで面白いのは、この二組の二人組が、いずれも服の色が変えられ、対比されている点です。この点を頭においておきましょう。さらにまじまじと細部を覗きこめば(「おまけ」の挿図をリンクした先にある拡大画像のページに、細部の拡大図も載せましたのでご覧ください)、右奥の建物の2階バルコニーに白と赤の衣の二人組、これは双方女性でしょうか、左奥の建物の列柱の下にも、小さく二人組が二組見つかります。こちらも衣の色は変えられている。さらに左右の建物の間、奥まった2階の半円アーチの下にも、さらに小さな二人組がいるようです。
 こうなるともう止まりません。《水から救われるモーゼ》の右後景の河辺にはボートに二人、岸辺に二人、こちらは比較的はっきり見てとれます。やはりそれぞれ色違いなのに加えて、この場合双方水面に映る像もきちんと描きこまれているのが面白いところです。
 次いで《サッピラの死》では前景左右の群像の間、奥の方にかがみこむ青衣の人物がいるのですが、そのさらに奥・左にやはり色違いの二人組が小さく描かれ、この場合も水面に像を映しています。また《キリストと姦淫の女》の後景にある階段をのぼった先の欄干で、小さく色違いの二人の人物がこちらを見ている。
 もはやルーヴルの作品ですらありませんが、《ディアーナとオーリオーンのいる風景》の中央下寄りには、土手の向こうに二人の人物がこちらは明暗を変えて配されています。腰から下は土手に隠れて見えないのですから、レネのモデルではまずないのだとして、面白いのはその手前・下にへし折れた木の根っこが描かれており、あたかも少し奥の人物たちと呼応するかのように配されている点です。
 さらにたまたま手もとにあった T. J. Clark, The Sight of Death, 2006 を繰ってみると、この本はロンドンの《蛇のいる風景(恐怖の効果)》について書かれたものなのですが(すいません、未読です)、当の絵の細部として、拡大画像のページに載せた図版が掲載されていました。そういわれてまじまじと見れば確かに全体図にも見つかるのですが、これは実物を前にしてもまず気づきますまい。ちなみにここでも衣の色は白と赤に対比されている。
 こうした例は他にも数多くあるのでしょう。研究者によってどのように位置づけられているかは勉強不足のためわかりませんが、こうした細部を見つけるのは古い具象画を見る際の楽しみの一つではあります。前の勤め先で展示されたムリーリョの《ヤコブを祝福するイサク》で、暗い壁の前に明るい鳥三羽、その右のやや明るい空に暗い鳥三羽がいたことについては、旧稿「アクセルxブレーキ=スピン-英国国立ヴィクトリア&アルバート美術館展よりムリリョ『ヤコブを祝福するイサク』をめぐって 」(『ひる・ういんど』、no.35、1991.7.25 [ < 三重県立美術館のサイト])、こちらは図版でですが曾我蕭白の『風仙図屏風』での黒白一対の兎については「 バッサーノの兎(完結篇)-研究ノート」(『ひる・ういんど』、no.65、1999.1.25、同)をご覧ください。
 とまれこれらの細部は何らかの寓意的な意味を担わされたものであるという以上に、画面を逍遙する見る者の視線をいったん引き留め、その上でまた別の方向へはじき出す機能を有しているように思われます。二人で一組なのは安定感をもたらすためでしょうし、それでいて色違いなのは単調さを避けるとともに、そこに引っかかった視線を留まらせず、揺らがせることになるのでしょう。


 映画に戻りましょう。階段で女Aと男Xが話しています。石の欄干のある階段です。階段は正面・高い位置からとらえられ、Aが下、Xが上にいる。この配置も人物の上下を入れ替えたりしながら後に変奏されることでしょう。Xは「では違う場所かも」といい、カルルスタード、マリエンバート、バーデン・サルサ、もしくはこのサロンかもと連ねます(小説版邦訳では p.219)。
 額絵が映されます。右手前に男女の彫像が背を向けて配され、庭園をはさんで奥に館が横に長く伸びています。
 男Mが合流します。その背後には市松の床の瞞し絵壁画が見える。男女像はカール3世とその妻だといいます。


 テラスに女Aがいます。
 男Xは廊下を手前へ進んでくる。カメラは正面向きで後退します。
 先のものとは別の館と庭園を描いた絵が映されます。簡略化した描き方です。カメラは左へ動く。廊下です。
 列柱の間が上から見下ろされます。女Aは黒っぽい服を着ている。
 階段が下から見上げられます。踊り場で左右に枝分かれする。石の欄干つきです。白っぽい服の女Aが上に、男Xが下に配される。


 約32分、奥に館が見え、手前へ生け垣の間の道が伸びています。カメラは静止しています。風が吹いている。奥から手前へ女Aが進んできます。途中で左に、また戻って手前へ、カメラは後退します。手前まで来て右へ、しかしまた戻り、前に進みます。左右には台座のみが並んでいます。

 テラスです。女A、男X、男M、それに他の人々がいます。他の人々は停止しており、皆Aの方を見ています。
 暗いサロンです。人々がゆっくり踊っています。皆シルエット化し、輪郭にのみ光があたっています。
 テーブルでカードのゲームが行なわれています。先の1,3,5,7のゲームではありません。男MやXも混じっている。
 暗いダンス・ホールです。バーがあります。女Aと男Xが話します。画面手前を人々が右に横切っていきます。他の客は停止しています。
 白い部屋にいる女Aと暗いバーにいるAのカットが交互に切り換えられます。切り換えは少しずつ速くなる。女Aは何かを思いだしたかのようにのけぞります。

 男Mが1,3,5,7のゲームをしています。
 階段と人々が上から見下ろされる。
 廊下を男Xが右から左へ進みます。カメラも後退しつつそれを追います。左の壁には市松床の瞞し絵があり、少し間をあけて単純化された庭園の絵が並びます。Xは手前へ来る。先にはサロンがあり、人々が停止しています。
 右へ進む。奥へ廊下が伸びており、人々がいます。
 暗い廊下が奥へ伸びる。人はいません。カメラは右から左へ動く。壁をはさんで、別の廊下が奥に続いています。こちらには人々がいます。さらに左へ、サロンです。人々がいます。カメラは手前へ出、そのまま右へ、奥に人のいない廊下が伸びる。壁をはさんで、また廊下が奥に続く。今度はこちらも無人です。
 テーブルでカード・ゲームが行なわれている。4人が席についています。カメラは右から左へ動く。奥に廊下が伸び、向こうの方に背を向けた女の姿が見えます。壁をはさんで、また廊下が奥に伸びる。人々が会話しています。
 左手前に男Xがいます。その右に鏡が壁にかかっており、そこに女Aが映っている。
 テラスです。男Xと女Aがいます。
 白い部屋に女Aがいます。
 鏡の廊下に男Xと女Aがいます。二人は背を向け奥へ進む。カメラは前進します。女Aが右を向きます。そちらから男Mが出てきます。話をした後、Aは戻ってXとまた奥へ進みます。途中で左に曲がる。
 音楽会が開かれています。


 約45分、テラスからカメラが前進し、やがて停止します。庭園中央の道にぽつぽつと人がいますが、いずれも停止しています。影が斜め右下に長く伸びている。下掲の遠山純生「解説」によると、「樹木に影がないのに人間たちにだけ影があるため、影が偽物であることはわかる」とのことです(小説版邦訳、p.240)。
 池です。奥に低い幅広の滝が見えます。カメラは左から右へ動く。右に柱にもたれた女Aと彼女と抱き合っていたかのような近さで男Xがいます。
 カメラがそのまま右へ流れると、鏡の間につながります。音楽会ですが、楽隊からは音が出ず、オルガンが響いている。観客の中に男Xと女Aがいます。Aは白っぽい服です。
 サロンに女Aがいます。黒っぽい服です。男Xが入ってきます。別の男女のいる隣のテーブルにつく。男女は程なく席を立ちます。
 庭を前進する男Xと女Aが下からとらえられます。Aは白っぽい服です。カメラは後退する。右に男女像とは別の彫像が立っています。空は曇っている。カメラは引きで水平になり、左から右へ動く。二人が右から左へ、テラスへの階段をのぼります。
 テラスが正面からとらえられ、女Aは黒っぽい服を着ています。
 池の端です。また接近している二人がとらえられます。女Aは白っぽい服です。
 サロンです。女Aは黒っぽい服です。
 テラスです。女Aは黒っぽい服です。カメラは上から下降しながら前進します。しばらく男Xのみが映ります。カメラが右へ動くと、黒っぽい服の女Aも入ってくる。カメラはまた左へ動きます。男Mが奥から手前へ来かけますが、引き返します。男XはMが「おそらくあなたの夫」だという。
 ちなみにこの作品では、XもMもAに話しかける際、気安い「君、お前、あんた tu」、いわゆるチュトワイエではなく丁寧な「あなた vous」を使っています。意図的にそうしているのか、あるいは豪勢なホテルに長期滞在するような階級ではそういうものなのか、どうなのでしょう?

 白い部屋です。鏡台の鏡に背を向けた女Aが映っています。黒服です。カメラは鏡に向かって前進する。Aはベッドに腰かけており。右手に三面鏡が見えます。こちらにも三つの像が映っている。Aは振り向き、悲鳴を上げます。
 前向きで横に並ぶ男たちが下から見上げられる。今回は銃を撃つところまでいきません。アーチの天井に装飾が施されています。
 坐る女Aと男Xが下から見上げられる。やはりアーチの天井に装飾が施されています。二人のいるところは暗く、背後の天井は明るくなっている。
 階段の下です。廊下の手前にあたります。黒服の女Aと男Xがいます。
 廊下を白服の女Aと男Xが前進してきます。カメラは後退する。まわりに人々がいます。
 白服の女Aと男Xは同じ体勢ですが、まわりに人はいません。明るい談話室です。
 二人はまた前進する。カメラは後退します。壁の扉口を経て、もう一つ談話室がある。
 また扉口から出ると、市松の床の広い空間になります。白服の女Aは右へ進む。カメラもそれを追います。壁を経て次の部屋となり、そこから出るとテラスでした。屋内から屋外に出るところが映されるのは、本作ではここだけでした。
 庭は無人で、漂泊したように明るい。カメラが急速で左に振られると、女Aが壁に寄りかかっています。こちらも露出過多です。
 男女像をカメラは上から下へ撫でます。カメラの絞りは普通に戻っています。テラスの欄干に白服の女Aが寄りかかっています。切り替わると、かなり奥に離れて館が見えます。
 白服の女Aと男Xは背を向け館の方へ向かいます。シネマスコープの横長画面をほぼいっぱいに館が占めている。左に池があります。二人がいたのは庭園の端ということになる。
 Xが振り返ります。やや下から男女像が見上げられる。オルガンの劇伴がオーケストラに替わる。


 テーブルにつく5人がサロンの鏡に映っています。男Mも混じっています。
 人々が踊っている。黒服の女Aと男Xも混じっています。
 列柱の間です。黒服の女Aが右奥から左手前へ進む。
 テーブルです。男Mがカードを配る。
 生け垣前のベンチです。男Xと黒服の女Aがいます。ベンチの背もたれは白く、うねうねした輪郭です。カメラは上昇する。庭園の奥に館が見えます。
 左に立つ男X,右に坐る黒服の女Aが下からとらえられます。背後にアーケードがあり、右手には壁龕、その中に女性像が立っています。女Aの頬を涙が伝う。
 白い部屋です。暖炉の上の壁にかかった進軍図の下半が見えます。前は鏡でした。カメラが絵に接近し、左へ流れる。ベッドの脇には三面鏡があります。
 うねうねベンチの二人は、双方左前を向いています。
 白い部屋です。窓の外は昼でしたが、急に夜になります。
 アーケードの前の二人です。双方右前を向いています。
 暗い部屋です。三面鏡の向こうに白服の女Aがおり、右へ左へと動きます。手前を左へ、窓の外は昼間でした。庭が見下ろされます。窓の左の壁は暗い。その左にも大きな鏡があります。
 テラスです。左に男女像が見えます。
 列柱廊下です。左の椅子に黒服の女Aがかけています。カメラは前進し、Aの後ろに回りこみます。
 庭のうねうねベンチです。白服の女Aが坐っています。左から男Xが現われる。右に男女像が背中を向けています。奥には庭をはさんで館が見える。
 女Aのアップです。黒服です。カメラが左に動くと彼女の部屋でした。カメラは各種の物品をアップで短くとらえていきます。背後に進軍図が見える。ベッドに右から左から近寄る。
 ノックの音がして男Mが入ってきます。壁には植物紋様が横切り、上方に円形の窓が2つあります。ベッドにいる女Aは白服です。
 奥から男Mが進んできます。左右には大きな鏡がかかっている。壁の植物紋様はいつの間にかぎっしりになっています。ベッドの女Aは白服です。
 右手前、窓の前に男M、左奥に大鏡があり、Mの背中が映っています。Mは拳銃を撃ちます。ベッドに横に倒れる白服の女Aがカットと姿勢を変えてとらえられます。白服です。


 廊下を男Mが手前へ進んできます。右に市松床の瞞し絵、次いで鏡と並ぶ。カメラは後退します。右へ、廊下に男Xと黒服の女Aがいます。Aは左へ、角を曲がって廊下の奥に進みます。
 男Xがテーブルにマッチを1,3,5,7と並べます。奥に棕櫚が見えます。
 長テーブルに男MとX、他の人がいます。カメラはそのまま右へ動く。黒服の女Aがいます。背後から男Xが近づいてきます。
 女Aの部屋です。白服です。壁は植物紋だらけのままです。暖炉の上にあるのは進軍図ではなく鏡に戻りました。引出を開けると中は写真だらけでした。
 正面から館がとらえられます。手前に池があります。向こうの中央の道に二人います。
 カメラは右から左へ動く。欄干越しに庭が見えます。中央の道が正面からとらえられます。
 テーブルで男MとAが向かいあっています。1,3,5,7のゲームです。Xはやはり勝てません。
 1,3,5,7に写真が並べられます。白服の女Aでした。彼女の部屋です。
 階段が上から見下ろされます。男Xがのぼってきます。
 暗い部屋の鏡にベッドの白服の女Aが映っています。やはり壁は植物紋だらけです。奥にベッド、左に三面鏡があります。男Xの背が手前から奥へ向かいます。シルエット化しています。女Aはのけぞります。カメラは後退し、手前の扉口が枠取ります。
 無人の廊下が奥へ伸びている。露出過多気味です。カメラは前進する。突きあたりの手前で左に曲がります。暗く狭い廊下です。その奥が植物紋だらけの部屋でした。白服の女Aがいます。劇版はオーケストラです。両腕をひろげる女Aにカメラは何度も前進を繰り返します。


 暗い窓越しに庭が見えます。カメラは前進する。
 庭の池の端に男Xがいます。カメラは右から左に動く。黒服の女Aがいました。
 吹抜前の欄干が上から見下ろされます。黒服の女Aと男Xがいます。
 夜の庭です。池の前に欄干が伸びています。黒服の女Aと男Xがいます。男Mが現われます。背後に庭をはさんで館が見える。女Aは叫びます。
 バーです。黒服の女Aは茫然としています。男Mが近づいてきます。他の客たちが見ている。
 右下から左上へ、石の欄干の階段をのぼっていく女Aが上から見下ろされます。切り替わると手前下から奥の上へのぼっていく。陰影が濃く、右下に長い影が落ちています。
 廊下を男Xが手前へ進んできます。左から右へ、手前へ。
 次いで無人の廊下が奥へ伸びています。カメラのみが前進します。
 右に男Mがやや下からとらえられます。サロンでしょうか?
 左で女Aが右前を向いている。右少し奥にも背を向け左向きの女Aが映っています。さらに奥の中央にも左前を向く女Aが映っています。3つの像が同じ画面に配されているわけです。女Aは目を閉じ、上を向いて開きます。
 欄干が毀たれています。向こうに低い幅広の滝が見えます。
 女Aが横たわっています。男Mもいる。左に鏡があり、Mの背が映っています。Mは「明日、私は一人」という。


 ほぼ真上からテーブルが見下ろされます。人々がゲームをしている。
 演劇が上演されています。
 階段脇の椅子に黒服の女Aが腰かけています。カメラは上へのぼり、石の欄干、そしておりてくる男Xをとらえます。薄暗い。ほぼ真上から女Aが見下ろされます。
 ゆっくり男Xが階段をおりる。左に黒服の女Aが坐っています。Aは立ちあがり、右奥へ、少し遅れて男Xも続きます。
 二人は一段おりて奥へ、カメラは上昇します。左にアーケードが伸び、広間に続いているようです。二人はその向こうで左へ折れます。
 階段をおりてくる男Mが下からとらえられます。手前に円柱が立ち、向こうに半円アーチが見えます。その上にのぼりの石の欄干がのっている。カメラは左上から右下へ、そして停止します。左を向く男Mがアップになる。各人の心理を描くことが主眼ではない本作にあって、観る者の共感を誘う唯一の場面ではないでしょうか。
 夜のシルエット化した館が正面からとらえられます。いくつかの窓に灯りがともっているのでした。


 とこうメモしてきましたが、この映画ほど中途半端にメモするのがむなしくなるのも珍しいかもしれません。もっと徹底的にやればいいのかもしれませんが、そこまでの根気はない。ロブ=グリエの小説版邦訳を読んで映画版との異同を確認した方が早いということになりそうです。
 ところで何度も引きあいに出した遠山純生「解説」はその末尾近くで、「『去年マリエンバートで』は黄泉の国(あるいは地獄の辺土)の住人である死者を、『死』が黄泉の国へと連れ去る循環的あるいは同語反復的な話ということになるだろう」と記しています。実際男Xは確かに死神めいて見えますし、動きが停止したり再開したりするホテルの人々がいるのは、時間の流れが一方向に進むものでもなければ、そもそもずっと流れ続けることさえ定かではない世界であるようです。主役三人の様子からは、過去と現在、未来が入り乱れているだけでなく、過去も未来も複数に分岐しているようでもある。その意味では死の世界そのものという以上に、生と死の狭間、いわゆる〈中有〉といった言葉を当ててみたくもなります。
 とはいえ描きだされた世界をどう見なすにせよ、それを成立せしめたのは廊下やサロン、受付、バーと舞踏室、舞台、階段、列柱の間、女Aの部屋、射撃場、テラスなどの位置関係がよくわからない城館のホテル、そして池のある幾何学的庭園であり、庭と館内を縦横に動き廻るカメラと、前後の脈絡を脱臼させるようなカット割り・カットつなぎにほかなりますまい。先にも触れたように屋内から屋外に出るところは一度しか描かれず、それもテラスでした。玄関など屋外への出入り口は他に一切登場しません。そもそも城館と庭園以外の外部が出てこない。また居室が描かれるのは女Aだけで、他の人々はどうしているのか、サロンや廊下などにいるばかりなのも、生きているという存在感を削り取り、堂々巡りの感を強めることに与っているのでしょう。女Aの居室は2階かそれより上にあるようですが、この点もはっきりしない。階段をあがった先が描かれないだけでなく、廊下を人物や、あるいはカメラだけが進む場面はふんだんにあるにもかかわらず、一つながりの経路として結びつかないのです。カメラは往々にして空間と時間を飛び越えて動く。ある意味でこれは、古城映画の範例の1つと見なせるかもしれません。

Cf.,  さいわいウェブ上で次の解説を見ることができました。よくまとまっていますので、ぜひご覧ください;
遠山純生、「『去年マリエンバートで』をめぐって」 [ < ARCHIVESmozi by 遠山純生
初出はDVD『去年マリエンバートで』(紀伊國屋書店、2009)附属リーフレットとのこと


また、手もとにあるVHSソフト(日本ヘラルド映画株式会社製造・発売、ポニー・キャニオン販売、CINEMA PARADISE シリーズ)には市川浩による解説を掲載したリーフレットが附属していました。

レオン・バルサック、『映画セットの歴史と技術』、1982、p.142、pp.232-233、また同書巻末に付された「映画セット論集」所収のアラン・レネ「リアリズムと造型」(1968):pp.343-345

菊地秀行、「Ⅳ 怪奇映画ベスト100」、『怪奇映画の手帖』、1993、p.216

José María Latorre, El cine fantástico, 1987, pp.337-346:"Capítulo 21 No es género, pero es fántastico" より pp.343-345

脚本というか小説版の邦訳として;
アラン・ロブ=グリエ、天沢退二郎訳、『去年マリエンバートで』、『世界文学全集 65 アンチ・ロマン集』、筑摩書房、1977、pp.175-284
原著は
Alain Robbe-Grillet, L'Année dernière à Marienbad, 1961/1963
本文の始めに置かれた「序」(pp.177-185)には、アラン・レネとの共同作業について詳しく記されています。
また巻末に掲載された清水徹「解説」より pp.395-400 も参照。


なお
アラン・ロブ=グリエ、天沢退二郎・蓮實重彦訳、『去年マリエンバートで 不滅の女』、筑摩書房、1969
もあるとのことですが、未見


本作に影響を与えたともされるのが;
アドルフォ・ビオイ=カサーレス、清水徹・牛島信明訳、『モレルの発明』、1990


追って出てきたのがすっかり忘れていましたが;
『去年マリエンバートで/二十四時間の情事』、東宝 出版・商品販促室、1983.6.4
大阪梅田の三番街シネマ2で二本立て上映された時に買ったもののようです。
去年マリエンバートで;Aが非Aに転じていく揺れ動きのプロセス(松本俊夫)/解説/物語(アラン・ロブ=グリエ)/アンドレ・S・ラバルトとジャック・リベットによるアラン・レネとロブ=グリエのインタヴュー/死とエロスの匂う迷宮-『去年マリエンバートで』-(天沢退二郎)//
二十四時間の情事;解説/物語/フランス雑誌によるアラン・レネ インタヴュー抄録/核と映像(羽仁進)/マルグリット・デュラス レネを語る、など、20ページ。

おまけ   プッサン《サビニの女たちの掠奪》1637-1638
プッサン
《サビニの女たちの掠奪》
1633-1634

プッサン《水から救われるモーゼ》1638
プッサン
《水から救われるモーゼ》
1638

プッサン《サッピラの死》1652頃
プッサン
《サッピラの死》
1652頃

プッサン《キリストと姦淫の女》1653
プッサン
《キリストと姦淫の女》
1653

プッサン《ディアーナとオーリオーンのいる風景》1658
プッサン
《ディアーナとオーリオーンのいる風景》
1658

プッサン《蛇のいる風景(恐怖の効果)》1648頃
プッサン
《蛇のいる風景(恐怖の効果)》
1648頃

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 2015/9/7 以後、随時修正・追補
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