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ヘルハウス
The Legend of Hell House
    1973年、イギリス 
 監督   ジョン・ハフ 
 撮影   アラン・ヒューム 
 編集   ジェフリー・フット 
美術   ロバート・ジョーンズ 
    約1時間34分 
画面比:横×縦    1.85:1 *
    カラー 

VHS
* [ IMDb ]による。手もとのソフトでは 1.33:1
………………………

 黒沢清と手塚眞の対談「ホラー映画談義」の中で、黒沢「前に手塚さんは『ヘルハウス』に使った実際の建物が一体どこなのか突き止めようとしているとおっしゃていましたね。」/手塚「いまだに突き止められない(笑)。/当時の資料を当たって、そこだと思われるところは行ったのですが、違いました。どこかにはあるのでしょうけど、いまだに分からない」というくだりがありました(『映画はおそろしい HORROR MOVIES THE BEST OF THE BEST』、紀伊國屋書店、2005 所収小冊子『恐怖の手帖』、p.13。後に黒沢清、『恐怖の対談 映画のもっとこわい話』、青土社、2008 に再録、該当箇所は p.90)。それだけ本作の館のイメージが印象的だったということなのでしょう。
 黒沢清の「ホラー映画ベスト50」(『映画はおそろしい』、青土社、2001、pp.28-43)では本作は、第26位に挙げられていました。「…(前略)…屋敷そのもののすごさは並ではなかった。ねじれ曲がった柱や垂れ下がった分厚いカーテンでまるで有機物のような様相を見せる屋敷の内部は、『エイリアン』の宇宙船にも通じるたたずまいだ。そして何といってもいちばんすごいのがその外観で、冒頭この屋敷の全貌がドーンと見えた時点で、私は八割がた満足したのだった」(p.36)。何て素敵なことばでしょうか。上記のように手もとのソフトでは画面左右が約2割8分トリミングされており、きちんと見るのはまたあらためてとなってしまいますが、ご容赦ください。

 [ IMDb ]にはロケ先として Wykehurst Park House, East Sussex と Wykehurst Place, Bolney, West Sussex が記されています。英語版ウィキペディアの該当頁(→こちら)を見るとイングランド南部のウェスト・サセックス州ボルニー村のワイクスハースト館(ないし公園) Wykehurst Place (or Park) , Bolney, West Sussex で、1871年建築家エドワード・ミドルトン・バリーが設計、71年から74年にかけて築造されたゴシック・リヴァイヴァルの邸宅とのことでした(下掲のJonathan Rigby, English Gothic. A Century of Horror Cinema, 2002, p.213 でもイースト・サセックスとなっていました。追記:どっちやねんと思っていると下掲 Derek Pykett, British Horror Film Locations, 2008 が手もとに届きました。そこではウェスト・サセックスになっています)。
 同じく[ IMDb ]には、冒頭でバレット博士がドイッチュ氏に呼びだされた建物のロケ先として、オクスフォード近郊のウッドストックにあるブレナム宮殿 Blenheim Palace, Woodstock, Oxfordshire が挙げられていました(→日本語版ウィキペディア該当頁。またチャールズ・フィリップス、『イギリスの城郭・宮殿・邸宅 歴史図巻』、2014、pp.326-329)。


 『エクソシスト』(1973、監督:ウィリアム・フリードキン)や少し後の『オーメン』(1976、監督:リチャード・ドナー)とともに本作は、当時たしか、いわゆる〈オカルトもの〉の範疇に数えられていたかと思います(筈見有弘、「70年代オカルト・ブームを総括してみれば…」、The Horror Movies, 3、1986、pp.129-137 などを参照)。『ローズマリーの赤ちゃん』(1968、監督:ロマン・ポランスキー)などが少し先立つとして、その場合の〈オカルト〉なるものが何を指すのか、必ずしもきっちりした輪郭を描けるわけではないようで、今挙げた3作はいずれも〈悪魔〉を主題にしていますが、本作はそのかぎりではない。『エクソシスト』のヒットに応じ、ハマー・フィルムなどに代表されるそれまでの恐怖映画と区別するために用いられたのかもしれませんが、他方本作の設定は、過去にいわくのある今は無人の幽霊屋敷に心霊学なり超心理学の調査隊が入るという点で、〈幽霊屋敷もの〉の中でもシャーリイ・ジャクスン『山荘綺談』(1959)およびその映画化『たたり』(1963)を思い起こさせずにいません。後にスティーヴン・キングが脚本・製作総指揮に携わった『ローズ・レッド』(2002、TV、監督:クレイグ・R・バクスレー)に受け継がれることになるこうした設定は、擬似科学的なあれこれが功を奏するかどうかはともかく、何かの気配漂う館自体を主題化してくれるという点で、歓迎すべきなのでしょう。

 リチャード・マシスンは何かと映画界に縁のある小説家で、ヴィンセント・プライス主演の『地球最後の男』(1964、監督:シドニー・サルコウ、ウバルド・ラゴーナ)、チャールトン・ヘストン主演の『オメガマン』(1971、監督:ボリス・セイガル)、ウィル・スミス主演の『アイ・アム・レジェンド』(2007、監督:フランシス・ローレンス)と三度にわたって映画化された I Am Legend (1954、手もとの邦訳は田中小実昌訳、『吸血鬼』(ハヤカワ・S・F・シリーズ 3005)、早川書房、1958)を始めとした小説の映画化だけでなく、自ら映画の脚本を担当してもいます。当サイトでも『アッシャー家の惨劇』(1960)、『恐怖の振子』(1961)、『怪異ミイラの恐怖/黒猫の怨霊/人妻を眠らす妖術』(1962)、『忍者と悪女』(1963)といったコーマンのポー連作に半数携わり、またハマー・フィルムでの『悪魔の花嫁』(1968→こちらで触れました)などなど、何度か見かけました。本作では原作だけでなく脚本も受けもっています。そのためか映画版の物語もおおむね原作どおりで、屋内プール周辺にまつわるエピソードや霊媒の一人フローレンスに関わる性的な細部が削られているくらいだったかと思います、たぶん(他方下掲の Jonathan Rigby, English Gothic. A Century of Horror Cinema, 2002, p.213 によるとマシスンは映画版の出来には不満だったとのこと)。

 監督のジョン・ハフにはハマー・フィルムの『ドラキュラ血のしたたり』(1971)でお目にかかりました。撮影のアラン・ヒュームはやはりハマーの『吸血鬼の接吻』(1963)以来ですが、後には『地底王国』(1976、監督:ケヴィン・コナー)や『おかしなおかしな石器人』(1981、監督:カール・ゴットリーブ)などの他、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(1983、監督:リチャード・マーカンド)などにも携わっています。美術のロバート・ジョーンズはコーマンの『赤死病の仮面』(1964)、ハマーで『炎の女』(1965、監督:ロバート・デイ)や『恐竜100万年』(1966、監督:ドン・チャフィ)、『キャプテン・クロノス 吸血鬼ハンター』(1974) と、これまた何かと馴染み深い人でした。
 加えて本サイトではロディ・マクドウォールが『マクベス』(1948)、パメラ・フランクリンが『回転』(1961)以来の成長した姿を見せてくれたことになります。

 円形の天井画が下から見上げられます。その下の壁は方形で、四周に窓が巡らせてある。カメラが右下に流れると、さらに下、2階分の回廊があり、2階分を貫く半円アーチ、その下に扉がありました。妻のアン(ゲイル・ハニカット)と待っていたライオネル・バレット博士(クライヴ・レヴィル)がそこに入っていきます。
 2階分の吹抜になった図書室、その奥から手前に進んでくる。壁は白い。左は壁寄せの本棚、右は床置きでしょうか、やはり本棚が並び、幅の広い廊下のようになっています。画面手前右に左向きで大きく老人の頭部が配されていました。彼からベラスコ邸の調査を依頼される。「12月17日金曜日、午後4時8分」との表示が出ます。
 博士と老人の秘書らしき人物が回廊を右から左へ進む。奥に前庭をはさんで古典主義風の白い建物が見えます。図書室なども含めこのあたりがブレナム宮殿でロケされたのでしょう。こちらもなかなか印象的でした。


 「12月20日月曜、午前9時13分」、駅で待つ霊媒フィッシャー(ロディ・マクドウォール)のもとへ博士の乗る車が近づきます。
 同日「午前9時41分」、角塔付きの教会が引きでやや下からとらえられます。手前にもう一人の霊媒フローレンス・タナー(パメラ・フランクリン)がいました。車が着きます。
 フローレンスを乗せた車が動きだすと画面は真っ白になる。そのまま画面は霧で満たされ、向こうからヘッドライトをともした車が進んできます。画面手前に装飾的な柵が大きくかぶさっている。
 24日5時に迎えに来ると言い置いて車は去ります。「12月20日月曜、午前11時47分」でした。

 約6分、画面左手前に植物紋様の柵が配され、その向こう、青みを帯びた霧の中にぼんやり、やや下からとらえられた館が浮かびあがる。前面は入り組み、尖り屋根の塔を備えています。柵の右に黄色でタイトルが挿入される。
 少し引きで柵越しの眺めとなります。デライア・ダービシャーとブライアン・ホジソンによる音楽は、パーカッションでしょうか、ボコボコ泡立つような音の上に管楽器等がかぶさるというもので、旋律のない分雰囲気を盛りあげてくれます。
 塀の上を進む黒猫が手前に大きく映されます。画面ではよくわかりませんでしたが、「窓がない」とフローレンスが言います。


 中に入ります。切り替わると奥の扉が開き4人が入ってくる。まわりは真っ暗です。入って1~2段下ります。男2人は進んで右に向かう。発電機を見るためでした。
 俯瞰になると左上にシャンデリア、右下に玄関があります。一同は右から左へ進む。壁は緑でした。そのまま広間につながっているようです。左奥に暖炉があり、その上に鏡がかかっていました。
 左手の柱は途中から左右に上ひろがりの曲線格子が天井へ伸びています。和風建築なら〈斗栱(ときょう)〉にあたるものと見てよいのかどうか、また呼び名は何というのでしょうか、アール・ヌーヴォー風といっていいのか、この装飾は1階広間の特徴をなしているようです。
 博士が左へ進む。奥に左上がりの階段が見えます。進んだ奥に地下室への階段があるという。ここでは台詞だけでした。
 さらに進めばやはり奥に礼拝堂への扉がある。開けると格子越しに、先に蜘蛛の巣だらけの磔刑像が配されています。フローレンスは礼拝堂に入れない。
 博士は礼拝堂から出て右へ、切り替わると右奥から手前に来る。
 長テーブルの右奥、曲線装飾にはさまれた広い開口部が見えます。画面手前に博士の背が配され、奥からフローレンスが出てくる。博士が前から捉えられれば、やはり奥には左上がりの階段が見えます。フローレンスがレコードをかけると、ベラスコの声が歓迎の辞を述べるのでした。

 「12月20日月曜、午後6時42分」、カメラが上から下へ首を振ります。長テーブルが奥へ真っ直ぐ伸びている。館は1919年に建った、エメリッヒ・ベラスコは1879年3月23日生まれ、1929年に客27人の死体を残して行方不明になったという。
 同日「午後8時46分」、降霊が行なわれます。カメラはかなり上から下降、少し斜めになっている。左に暖炉が見えます。その前にフローレンス、向かいあって3人がいます。その奥にのぼり階段がありました。フィッシャーのちょうど後ろが曲線装飾に支えられた柱です。フローレンスは男の声で語り、ポルターガイストが生じる。

 約20分、館の外観です。「12月20日月曜、午後10時32分」とのことですが、明るく見える。霧は晴れない。
 博士夫妻の寝室です。壁やベッドは赤系でした。
 続いてフローレンスの部屋です。こちらはさらに赤い。フローレンスはピンクのガウンをまとっている。扉が開き、何かが入ってきます。


 「12月21日火曜、午前7時33分」です。何かの曲面に室内が歪んで映っています。水差しでした。翌朝になったわけですが、窓がないので夜と感じは変わりません。フローレンスは博士に、昨夜の訪問者はダニエル・ベラスコ、エメリッヒの息子だといいます。
 同日「午後2時43分」、2度目の降霊です。フローレンスは暗赤色の光を浴びている。カメラが右から左へ、記録装置類を接写で撫でていきます。フローレンスの指先からエクトプラズムが出る。降霊は「2時48分」に終了しました。
 博士夫妻の部屋には絵がたくさんかかっていることが分かります。その内の一つは暗めの屋外の中、横たわる裸婦が画面を水平に横切るというもので、ジャン=ジャック・エンネルあたりを思わせるものでした。
 フローレンスの部屋には楕円形の絵が何点かかかっています。ベッドの右奥で浴室に通じており、こちらの壁は白大理石です。

 「12月21日火曜、午後6時21分」、フローレンスが扉をくぐって食堂に入ります。長テーブルが配されていますが、前に出てきたのとは別のものです。扉と食堂本体の間に壁で仕切られた細長い空間があり、本体も壁で囲まれています。館内の位置は不明でした。ポルターガイストがより激しく起こる。
 博士夫妻の部屋の暖炉の上に、ティツィアーノの《ダナエー》がかかっていました(下のおまけないし→こちらを参照)。ティツィアーノによるこの主題の構図には有翼のクピードーが付き従うものと老婆が付き従うものがあるのですが、ここで見えたのは前者でした。他方前者にも工房作とされる作品が存在しますが、どちらかまでは区別できませんでした。ここでは本人の真作とされるナポリの画面を掲げておきましょう。
 夫妻の部屋の扉を開けると、廊下が奥に伸びています。突きあたりにも扉が見える。


 約35分、館の外観です。やはり下からの仰角で、やや歪んでいる。やはり霧にかすんでいますが、その奥に太陽があるのでしょうか。また左に鐘塔のあることが分かります。頂き近くの鐘を囲む部分は四隅の柱だけになっている。
 手前の塀の上を黒猫が左から右へ横切る。


 「12月21日火曜、午後10時18分」、広間が上から見下ろされる。椅子に坐っているのはフィッシャーでしょうか。
 博士夫妻の部屋です。博士は眠っています。テーブルの上にブロンズ像が置いてありました。上からのしかかるような男、下で背を反らせた女は片腕を高く上げる。デーイアネイラとネッソスのようにも見えますが、男はケンタウロス状ではないようで、主題はよう見分けられませんでしたが、詳しい人ならきっとわかることでしょう。さて、天井に像の影が落ちているのですが、アンが見る内にその影が動きだします。
 アンは装飾戸棚を開いて酒をつぎます。戸棚には本が何冊かあり、内一冊は K. Menzies, Autoerotic Phenomena でした。Google で検索するとこれは1919年刊の実在する本のようで、正確な書名は Autoerotic Phenomena in Adolescence. An Analytical Study of the Psychology and Psychopathology of Onaism、『思春期における自己性愛現象 オナニズムの心理学・精神病理学の分析的研究』といったところでしょうか。
 広間の椅子にいたのはやはりフィッシャーでした。右に暖炉、左奥にのぼり階段が見えます。左からフローレンスが右奥へ向かう。フィッシャーのすぐ後ろには第1回降霊の時同様、装飾的な柱支えがあります。その中央は凸状をなし、獣面かとも思いましたが、後に女性像だとわかります。階段から白い寝着姿のアンが下りてきます。

 一方フローレンスは、上半が格子になった扉を開きます。左側では縦格子になっている。奥には粗石積みの幅広アーチが見えます。フローレンスが手前へ進む。その向こうにも幅広半円アーチがありました。地下の酒蔵でしょうか。壁は煉瓦積みです。隠し扉らしきものを開く。カメラは扉の中からフローレンスを捉える位置に替わります。「ダニエル、見つけた」といった後、悲鳴を上げるのでした。
 奥の上を欄干付き通路が左右に伸びているさまが、下から見上げられます。博士夫妻がそこを左から右へ急ぐ。通路の下・手前には天井抜きで木の梁が平行に並んでいます。そのさらに手前が天井となる。
 カメラが左から右へ流れると、通路は右端で手前への下り階段につながります。幅は狭い。階段の左に太い石のアーチがある。階段の右向こうにもアーチが見えます。
 夫妻は階段をおりて手前へ、その先にゆるい曲線の梁をはさんで格子となる。その手前でフィッシャーがフローレンスを助け起こしていました。
 格子の向こう、隠し扉の奥では、壁でミイラが鎖につながれている。

 屋外で埋葬が執りおこなわれています。奥に欄干が走っている。
 約43分、オーヴァラップしてうなされるフローレンス、そこに館外観が加わります。
 フローレンスの部屋の扉から黒猫が入ってきます。フローレンスに襲いかかる。彼女は浴室に逃げこみます。その背後に鏡があり、彼女の背が映っています。フローレンスは振り返り鏡像と向きあう。


 約45分、「12月22日水曜、午前9時14分」、下からの館外観です。霧つきです。博士が依頼していた機械を運んできた車がありました。
 フローレンスの部屋をはさんで、約48分、同日「午後10時31分」、また下からの館外観です。右手前で鷲の石彫がシルエット化しています。
 広間に据えられた装置をフィッシャーが見ている。酔ったアンがおりてきます。2階回廊から博士が見下ろしている。

 約53分、「12月23日木曜、午前10時31分」、館外観が斜め下から見上げられます。
 フィッシャーの部屋にフローレンスが訪ねてきます。壁は薄緑です。日本語字幕ではここでフィッシャーの名がベンだとわかる。20年前の館での体験を話します。
 フローレンスの赤い部屋には,天井に大鏡が貼られていました。また浴室内のガラスの仕切りは、手前に角が突きだすというものです。
 2階回廊は右端で下り階段につながる。フィッシャーがおりてきます。吹抜下に装置が据えられています。


 フローレンスは扉を開け、蜘蛛の巣だらけの礼拝堂に通じる格子の方へ向かいます。礼拝堂前の部屋から出て装置のそばを通るさまを、カメラはかなり下から歪めてとらえる。次いで階段をのぼるさまがかなり上から、やはり歪んで映されます。廊下を左奥から出てきて手前へ、カメラは右から左へ追ったかと思えば、ぐるぐる回転する。回転の速度が速まり、手前の何か越しに自室へ入っていきます。室内では扉が引きで配され、カメラは左へ前進します。ランプを消し、シルエットになったかと思えば服を脱ぎ捨てる。悲鳴が上がります。

 廊下が奥へ伸びるさまがやや上から映される。左手前に白いクラゲ状ランプが配してあります。左の壁は手前で折れ左へ、折れた壁のこちら向きに扉がある。そこからフィッシャーが出てきて、廊下をはさんで右向かいの扉に取りつく。そこがフローレンスの部屋なのでしょう。廊下の奥からアンと博士がやって来ます。
 フローレンスの部屋に入ると、天井鏡が下から見上げられ、そこに3人が映ります。上向きだったカメラが下向きになると、ベッドにフローレンスがいました。笑います。


 「12月24日、午前7時19分」、フローレンスの部屋でフィッシャーが付き添っています。
 同日「午前7時48分」、博士の装置は「電磁気放射場 Field of Electronic Magnetic Radiation」を発するものでした。フローレンスは「E.M.R.」といい、装置を壊そうとします。

 「12月24日、午前8時23分」、主観カメラが前進します。フローレンスでした。扉を開きます。礼拝堂です。祭壇前で数段のぼるようになっている。祭壇の奥のガラス越しに向こうから光が射しています。磔刑像が倒れかかってきます。下敷きになったフローレンスはダイイング・メッセージを残す。

 約1時間14分、装置が作動します。3人は屋外に出る。
 約1時間15分、館の外観が下から見上げられます。左の鐘塔とその右の棟が映ります。
 無人の屋内が3カット続きます。
 また館外観です。壁の途中から円塔の迫りだすさまが下から見上げられる。
 屋内です。画面奥に玄関扉がある。斜め下からの視角です。扉の少し前・上に2階回廊があり、右端で下り階段となる。3人が入ってきます。
 階段の上から見下ろされます。下の床に曲線柱支えの影が伸びている。きれいになってるとフィッシャーがいう。


 「12月24日金曜、午後12時45分」、装置に反応があります。
 同日「午後1時3分」、廊下の奥の扉を開けアンが出てきます。手前へ進む。1階を奥から奥左へ、礼拝堂に入ります。博士がシャンデリアの下敷きになっていました。
 同日「午後2時21分」、フィッシャーが意を固めます。
 約1時間22分、同日「午後3時31分」、画面手前に大きく、蜘蛛の巣付きの格子戸が配される。礼拝堂でした。祭壇は下で開いた∩型をしています。手前には中央を開けて長椅子が並んでいる。祭壇の内側は格子状に区切られたガラスでふさがれ、中央が十字をなしています。その向こうに光源があるようです。
 フィッシャーはいきなり謎解きを始め、続いて挑発に移る。祭壇のガラスが割れた奥に扉がありました。隠し部屋です。隠し部屋の壁は鉛張りでした。本サイトでは『吸血鬼ドラキュラ』(1958)以来でしょうか、身動きせぬマイケル・ガフ(ハフ)の姿をおがむことができます。

 約1時間32分、「12月24日金曜、午後4時59分」、館の外観です。これまでより少し霧が薄くなっています。窓が塞がれているのがわかります。黒猫もいました。フローレンスのシャワー室で死んでいたのは別の猫だったのでしょうか。

 『たたり』もそうでしたが、皆無ではないとはいえ存外に廊下を行ったり来たりとか階段をのぼったりおりたりしてくれないのは、いささか残念な点ではあります。『たたり』と違って館に遍満すべき力が局所化してしまうのもいささか減点ものでしょう。とはいえ終始仰角でとらえられ、終始霧に包まれた館の外観は、冒頭で引いた手塚眞や黒沢清の発言にもあるように欣喜雀躍させずにはいませんし、窓がないという設定によって終始薄暗い中、玄関から階段と回廊のある吹抜にいたる配置のよくわからない広間も、アール・ヌーヴォー風曲線装飾と相まって、カメラや人物たちが通るだけで楽しませてくれます。
Cf.,  石川三登志、『吸血鬼だらけの宇宙船』、1977、「吸血鬼ドラキュラ/怪団/ヘルハウス」の内 pp.278-281

The Horror Movies, 3、1986、p.141

Jonathan Rigby, English Gothic. A Century of Horror Cinema, 2002, pp.212-214

Derek Pykett, British Horror Film Locations, 2008, pp.80-82, 149-150, 183-186

原作の邦訳は;

リチャード・マシスン、矢野徹訳、『地獄の家』(モダンホラー・セレクション)(ハヤカワ文庫 NV 148)、早川書房、1977
原著は
Richard Matheson, Hell House, 1971
おまけ   ティツィアーノ《ダナエー》1545ー46
ティツィアーノ
《ダナエー》
1545ー46


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 2016/5/11 以後、随時修正・追補
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