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修士論文、1985年1月16日
神戸大学大学院文学研究科提出

ギュスターヴ・モロー研究序説

石崎勝基
     本サイトでの頁
  目次 [1]
  2017年の前置き
  凡例   
  はじめに   
Ⅰ. オイディプスとスフィンクス、対峙する眼その他   
  1. オイディプスとスフィンクス   
    i. モロー、アングル   
    ii. アングルより   
    iii. マンテーニャ、他より   
    iv. 古代の図像より   
  2. 対峙する眼 
    i. ヘラクレスとヒュドラ、出現   
    ii. シャセリオー、線と色彩   
    iii. アポロンとダフネ、詩人と宿命の女   
    iv. シャセリオー、他より   
  3. スフィンクスの物語 
    i. 以前   
    ii. 以後 - レプリカ   
    iii. 以後 - 謎を解かれたスフィンクス - 失墜;キマイラ、サッフォー   
    iv. 以後 - 旅人オイディプス   
    v. 以後 - 勝利のスフィンクス   
    vi. 以後 - 小スフィンクス   
  4.    
Ⅱ. サロメ、伏せられた眼その他 
  1. ヘロデ王の前で踊るサロメ   
    i. モロー、ドラクロワ、必要な豊かさ   
    ii. シャセリオー、サロメ   
    iii. レンブラント他、地中世界   
  2. サロメの物語   
    i. 以前、騎士   
    ii. 入墨 
    iii. 以後 - レプリカ   
    iv. 以後 - 出現   
    v. 以前以後、連作   
  3. 伏せられた眼 
    i. 庭園のサロメ、オルフェウス、ピエタ   
    ii. 眠り、ヘシオドスとムーサ   
    iii. ガラテア   
    iv. 見られる女、イアソーン、デリラ   
  4. 女と黒豹   
Ⅲ. ヘレネー、生贄たちの眼その他  
  1. 彼方への眼   
    i. ヘレネー   
    ii. 遠くへの眼、クレオパトラ、シャセリオー   
  2. 生贄たちの眼   
  3. 証人たちの眼 
    i. 『ピエタ』、ドカズヴィルの作品における証人たち   
    ii. ウェヌス、エウロペ、レダと証人たち   
    iii. 死せる詩人とケンタウロス、自然   
    iv. キッチュと平面化、小さきもの、キマイラたち   
    v. キマイラ、チェチーリア、小天使たち   
    vi. 諸天球を瞑視する大いなるパン、目の氾濫   
  4. 自然 
    i. イタリアでの風景画   
    ii. フランスでの風景画   
    iii. 実写から架空の風景へ   
    iv. 風景、大地の色調、宝石、老年様式   
    v. エウリュディケの墓のオルフェウス、後期の自然描写    
    vi. 後期の水彩における自然   
  5. 抽象  10
    i. 先抽象をめぐる議論   
    ii. <抽象画>の分類   
  6. 眼のない顔   
    i. ヘレネー:エボーシュ、スカイア門のヘレネー    
    ii. 栄光のヘレネー、贖い主キリスト   
Ⅳ. ユピテルとセメレー、偶像の眼その他   11
  1. ユピテルとセメレー   
  2. ユピテル   
    i. 典拠 - アングル他   
    ii. 習作類   
  3. セメレー、撃たれし者   
  4. 翼 - ガニュメデス、他  12
  5. テティス - エウロペ、パーシパエー、アポロンとムーサたち、他   
  6. ヘカテー   
    i. 異形の目、目の増殖   
    ii. 正面像 - セバスティアヌス、天使たち、十字架   
結び 偶像の神秘学   13
    i. 異形の偶像   
    ii. 死せる竪琴   
  要旨   
  主要な参考文献  14
  文献追補  
  文献余滴  
  おまけ  
挿図一覧・モロー篇   挿図一覧

2017年の前置き

 羞恥恥辱含羞!いけない見本シリーズその4です。その1・略称「セリオ」君(1983)、その3「モロかて」(1984、プラスその2のおまけ「歌麿鏡」)に続く、修論こと略称『モロ序』であります。呼び名の他の候補として、「モローもろもろ・もろもろモロー」とか「モレアウイカ」というのもありましたが、前者は長いし、後者は形がこれであっているのかどうか不勉強のためよくわからない。前者の後半は別のところで使ってしまいましたし(「おまけ」参照)、後者は本頁のファイル名になりました。
 とまれ中身はともかく、これはとにかく長い。縦書きの400字詰め原稿用紙555枚(現物には567枚と振ってありますが、途中で1枚重複、9枚、3枚、1枚それぞれ飛んでいました)+註37枚強(205番と259番が参照先不詳、前者はその後判明しましたが、後者はいまだ不明)+主要参考文献15枚、それに図版頁(201番が抜けている他、262番から492番まで一気に飛んで581番まで、実質352番)、中身はともかく勢いだけはあったわけです。昨今であれば原稿も図版もデータなのでしょうが、当時は手書き、図版は紙焼きをはさみで切り抜いて糊づけしたものでした。ただ、いつの時点かまったく憶えがないのですが、原稿をテクスト・ファイルに起こしてありました。さもなくば、毒を喰らえば何とやら、蔵出しバーゲン御開帳、とても載せる気になどならなかったことでしょう。何度かパソコンのクラッシュに出くわしたのに、よくも残っていたものです。
 中身はともかくあまりに長いので、もはや戯れ言を弄する気も湧いてこない。中身はともかく長い分、羞恥も恥辱も含羞も倍増どころか累乗です。ところによって不適切な表現が見受けられますが、自戒し自虐すべき当時の記録としてそのままにしておきます。

 1985年といえば、ニール・ジョーダンの『狼の血族』を大阪・千日前はアーケード内の小さな映画館・花月シネマで見たのは、パンフレットに挟んであった半券によれば7月30日のことでした。ヴィデオで見たのはずっと後になってからなのですが、『ブライド』が公開されたのも、この年の冬だったようです。『フラッシュダンス』(1983)で人気の出たジェニファー・ビールズが主演をつとめたこともあって、当時はアイドル映画の扱いだったような気もしますが、『フランケンシュタインの花嫁』(1935)の再製作ではあり、けっこう出来悪しからず、しかも古城度が高い。前の年にポリスを解散したスティングが、『デューン/砂の惑星』(1984、日本では1985公開)に続いて悪役を演じているのも懐かしい。
 検索すれば他にもいろいろあるのでしょうが、他方、キュアーの6枚目 The Head on the Door、ケイト・ブッシュの5枚目 Hounds of Loveタクシード・ムーンの4枚目 Holy Warsミニマル・コンパクトの3枚目 Raging Souls 、ニュー・オーダーの3枚目
Low-Life、デッド・キャン・ダンスの2枚目 Spleen and Ideal、スクリッティ・ポリッティの2枚目 Cupid & Psyche 85シスター・オヴ・マーシーの1枚目 First and Last and Always などなどがこの年に出ていたとのこと。この時期ではさすがにいわゆるシンフォニック系プログレ寄りのものはマリリオンの3枚目 Misplaced Childhood くらいかと思いきや(ちなみに80年代キング・クリムゾンは84年まででした)、いやいやどうして、日本から難波弘之の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』だのアウターリミッツ Mysty Moon だのがありました。翌年にはモロー絡みで、夢幻の『レダと白鳥』が出ます。このアルバムについては「おまけ」でも触れましょう。

 さて、この後「マネ鏡」(1986)などなどをはさんで、「セリオ」君のおまけに記したように、「シャセモロ」および「マティモロ」こと
「シャセリオーからギュスターヴ・モローへ」、『美術史』、no.122、1987.3(→そちら
「マティスからモローへ-デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない」、『研究論集』、no.4、2005.3.3(→こちら[ < 三重県立美術館のサイト]
と続きます。双方のテーマだった〈素描/彩色〉および〈入墨〉の問題はまだまだ掘り下げられるでしょうし、それら以外に、Ⅲ章3での〈野次馬さん御一行〉+〈小妖精さん〉綺譚、Ⅳ章2での〈吃驚仰天〉の顛末、Ⅳ章5での〈牛さん〉のお噺、またⅠ章4の〈謎の柱〉探訪なども、いずれもっと煮込めればなあとか思っていたかと思うのですが、形にするに至りませんでした。〈牛さん〉については、たしか知人に借りて読んだ『ニジンスキーの手記』にあった、「私は神であり、『牛』だ」という一文をエピグラフに使えるかもとメモしていたものです(鈴木晶訳、『ニジンスキーの手記』、新書館、1998、p.67.。結局こちらで引用しました→「新年のごあいさつ」5人目、『三重県立美術館ニュース』、第68号、2009.1.1特別号 [ <まぐまぐ!のサイト ])。
 とまれ、「文献追補」にも挙げましたが、マテューの新・完成作品カタログ(1998)、1998-99年のパリ、シカゴ、ニューヨークでの回顧展図録、また1995年と2005年の日本での回顧展図録などを始めとして、その後もモロー研究は蓄積され、管見のかぎりですが、日本でも隠岐由紀子、喜多崎親、永井隆則、槇尾藤美、澤渡麻里、田中麻野、横山由紀子、金岡直子などなどによってきちんとした論考が発表されています。なのできちんとしたテクストを読みたい方は、そちらをご覧ください。
 なお余談になりますが、1998年のパリ展の際には一週間ほどの予定で出かけていったのですが、着いて早々これが本来の目的だからとグラン・パレに見に行ったのはよいとして、その次の日から帰るまでグラン・パレやルーヴル、オルセーがストに入ってしまい、結局一度しか見られなかった……。ただ開館していたピカソ美術館にあったマティスの《オレンジの籠》(1912) - ピカソとマティスが互いに交換しあった作品 - はとてもおいしかった。

 誤字脱字、固有名詞や文献の表記などを除いて、原文には変更を加えていないはずです。「はず」などとあやふやなのは、テクスト・ファイルに起こした時のことをまるっきり覚えていないせいなのでした。原文の間違い、テクスト・ファイルに起こした時の間違い等、気がついたものは直しましたが、中身はともかくただただ長い分、まだまだ残っているかと思われます。今後も直していくつもりではいますが、とりあえずはご寛恕ください。
 シリーズその1から3までは作品タイトルを《 》で囲みなおしましたが、量が多いのでここでは『 』のままにしてあります。思えばいつ頃から《 》が定着したのでしょうか。
 原本には「i, ii, ……」の節に小見出しはついていませんでした。たしか口頭試問の際、ないとわかりにくいと言われたので、テクスト・ファイルに起こした時に加えたものと思われます。

 例によって画像の上でクリックすると拡大画像とデータのページが表示されます(当時のままの本文部分と後の資料に合わせた場合もあるデータの頁で、表記等が一致しないことがあります)。挿図はひずんでいたりてかっていたり色味がおかしかったり折り目が入っていたりなどなどいろいろしますが、ご容赦ください。当時スキャナーというものがあったのかどうか詳らかにしませんが、少なくとも手の届く範囲には見当たらず(ちなみにコピーは湿式から乾式にほぼ移行していたようです)、画集から複写するわけですが、カメラも被写体も固定するにもかかわらず、ただただ神経が雑なせいで、なかなか綺麗には撮れないのでした。一部実物から撮ったものも混じっていますが、こちらはいうまでもなくブレがちですし、歪んでいるのが常態です。フィルムに傷のついたものもある。
 替わりの図版が見つかったものはぼちぼち差し替えていこうかと、スキャンしてみれば今度は、少なくとも当方のモニターで見るかぎりで、画像が妙に縦長になっているような気がしてなりません。とまれ、32年以上前のネガやスライドから取りこんだもの、あらためて図録・画集類からスキャンしたもの、ウェブから採集したもの、いずれも間にいくつもの段階の処理を経ているわけで、とりわけ色味や肌理、加えて縦横比についても、ゆめゆめ信用なさいませんよう、意にお留め置きください。
 なおモローの作品については「挿図一覧・モロー篇」を設けました。また文中「補図」とあるのは今回付け加えたものです。
 2017/7/13

 本文中での註、図版の指示は、右の行間に記す。註及び図版は、別冊にまとめる(この頁では右欄)。なお図版の配列は、本文中で言及される順序とは、必ずしも一致していない(図版の順序も一部前後しています。本文に応じて複数出てくるようにしたものもあります)
 図版の記述、註における、
MGM.の記号は、
 
Catalogue des Peintures, Dessins, Carton, Aquarelles exposés dans les galeries du Musée Gustave Moreau, Paris, 1974
の、MGMd.の記号は、
 
Catalogue des dessins de Gustave Moreau, Paris, 1983
の、PLM.の記号は、
 
Pierre-Louis Mathieu, Gustave Moreau. Sa vie, son œuvre, catalogue raisonné de l'œuvre achevé, Paris, 1976
の、S.の記号は、
 
M.Sandoz, Théodore Chassériau. Catalogue raisonné des peinture et estampes, Paris, 1974
の、それぞれのカタログを表わし、各記号に続く番号は、モロー及びシャセリオーの、各カタログにおける番号を指している。ただし、モローのアトリエから出た作品をその対象とするマテューのカタログは別として、それ以外の作品、即ち現在モロー美術館にある作品については、右の二つのカタログは全てを網羅しているものではなく、またこのカタログ自身、図版が非常に乏しいので、本文中で取り上げるモローの作品についても、完全に整理されているものとは言えない。
 なお、図版は註とは逆に、裏表紙から並べる。途中で番号が一度飛ぶが、御了承願いたい(この頁では訂正済み。なお文中、図版なしで言及した作品にも、各種カタログ番号等を追加しました)
 

はじめに

 以下の論考は、ギュスターヴ・モローの画業を扱うものであるが、モローを取り上げるのは、関西大学に提出した卒業論文(→こちら)に続いて二度目になる。卒業論文でやろうとしたことは、つずめて言えば、モローの作品の様式史的分析といったもので、これは当時参考にした資料が、多くモローの主題面、<文学性>を強調して、作品そのものについては充分語られていないという印象を受けたところから、モローの作品一つ一つを前にし、目で見てわかることだけから、即ち形と色のみでモローの造形世界の特性を抽き出そうとしたのであった。その際、モローの作品において、一方に異様なまで微少な細部を描き込んだ作があるのに、他方何が描かれているのか読み取ることのできない、色の固まりと流れだけからなる抽象絵画の先駆と目されるような作があることに注目し、これをモローの先輩テオドール・シャセリオーの美術史における位置、即ち、アングルの線とドラクロワの色彩の綜合の試み、という図式に重ね合わせ、一方に線的な要素、他方に色彩的な要素を両極に配した枠組みを作り上げ、その中で個々の作品を記述しようとした。具体的な分析にあたっては、ヴェルフリンやリオネロ・ヴェントゥーリの翻訳書が手本になってくれた。
 さて、以上のようにしてでき上がった結論は、大きな未熟さは別にすれば、現在でも大筋においては間違っていないと思うものだが、脱け落ちている部分も少なくない。その一つは、主題面、モローの<文学的>側面である。モロー自身は繰り返し作品に説明は必要ないと語っているにもかかわらず(1)、この側面は非常に重要であるし、同時代及び後世にとってモローの仕事の特性をなすのはこの部分であった。そしてモロー自身が、作品に説明は必要ないというその傍から、作品の細々とした構想を書き残しているのである(ここに典型的に現われているような、一つの事柄に対するモローの態度の矛盾が、モローの仕事を見る際の鍵の一つになる(2))。
 もう一つの大きな欠落は、卒業論文においては一つ一つの作品を観察記述することを主眼に置いたため、全体の態度が非歴史的であって、作品相互の繋がり、モローの内部での展開があまり顧られなかった点にある。それでも先に述べた枠組みに従って作品を配した結果、論の前半では専らモローのアトリエを出た<完成作品>、後半ではアトリエに残った未完作、習作の類を扱うことになったが、必ずしも両者の関係、習作から完成へという移行を常に念頭に置いていたわけではなかった。
 このような点を補うべく、本論考はモローの主題及び制作過程を二つの大きな軸とするのだが、モローの仕事を主題面から眺めるというアプローチは、モローに関する最初の重要な研究を著わしたアリ・ルナン(3)以来、モローを語るに際して常に行なわれてきたところであるし、制作過程についても、この論考で取り上げる『オイディプスとスフィンクス』、『ヘロデ王の前で踊るサロメ』、『ユピテルとセメレー』を中心にジュリアス・キャプランの学位論文(4)が詳細な調査を行なっており、足りない部分はマテューの研究(5)によって補うことができるので、ここではそれらの業績をそのまま繰り返すことはしない。以下の論でも、『オイディプスとスフィンクス』、『ヘロデ王の前で踊るサロメ』、『ヘレネー』、『ユピテルとセメレー』の四作品を軸に四章をまとめ、各々準備段階から完成へという過程を辿るのだが、準備段階を完成の段階に従属したものと見るよりは、むしろモローにあってはより豊かな領域と捉えることができるだろうし、さらに完成の段階を通った以後の、主題、モティーフの展開をも見なければならない。それ故、各章の内部で、主題、モティーフの関連を求めて、年代的に逆行したり先に進んだりすることになるだろう。各章間を繋ぐ役割は、モローの画面における眼と視線のモティーフを狂言廻しとして用いることにする。モローにおける視線のモティーフについては、ベルナール・ノエルが簡単にまとめている(6)他、ジャン・パリスがその『空間と視線』の中で取り上げている(7)。いずれも興味深い議論であり、ここでの結論と一致する点も少なくないとはいえ、論の進め方に問題があるので、ここで改めてまとめることとする。

 
 


1. 本論文 pp.352-353(→このあたり), 448(→そのあたり) を参照のこと。

2. J.Kaplan, Gustave Moreau, Los Angeles, 1974, p.53.

3. A.Renan, "Gustave Moreau", Gazette des Beaux-Arts, no.21, 1890, pp.5-20, 189-204, 299-312, no.22,1899, pp.57-70, 414-432, 478-497.
こ れは1900年に単行本として刊行された。ルナンはその13年前に既に、モロー に論文を捧げている。A.Renan, "Gustave Moreau", Gazette des Beaux-Arts, no.33, 1866.5.1, pp.377-394, 1866.7.1, pp.35-51.

4. J.Kaplan, The Art of Gustave Moreau. Theory, style and content, Michigan, 1982.
この論文は1972年にコロンビア大学に提出された。

5. Pierre-Louis Mathieu, Gustave Moreau. Sa vie, son œuvre, catalogue raisonné de l'œuvre achevé, Paris, 1976.

6. B.Noël, Gustave Moreau, Paris, 1979.
この本は頁付けされていない。 内表紙から数えて pp.14-18.

7.
ジャン・パリス『空間と視線』岩崎力訳、美術公論社、1974, pp.55-58, 318-336.
Ⅰ.オイディプスとスフィンクス、対峙する眼その他

1.オイディプスとスフィンクス
i.モロー、アングル


 モローが1864年の官展(サロン)に出品した『オイディプスとスフィンクス』(図1)は、縦長の画面の中央に大きく、神話の主人公二人が対峙するさまを描いている。オイディプスは裸身に緑のマントをからだの右側にまといつけ、肩から左脇に旅行用の荷を止めていると思われる幅の広いバンドを掛け、首の後ろに黒い鍔広の帽子をまわしている。からだは全体に背後の岩山にもたせかけるようにして、肘を岩棚にのせた右手で持った、矢を地面につけた赤い槍によって支えている。右脚に体重をかけ、左脚は遊ばせてやや後方に退かせ、両足の間に緑のマントが落ち、さらにその上に槍の切っ先を立てている。左腰を引き、右腰を軽く画面の奥の方へ引いている。右腕は全く見えない。頭部は完全なプロフィールで描かれ、首を見下ろすようにして、同じくプロフィールのスフィンクスと見つめ合っている。スフィンクスは頭と胸は人間の女性、鷲の翼に下半身は獅子で、額に冠、腰に赤い玉を繋いだ輪飾りをつけ、髪の毛も耳の後ろで輪状にクルクルと巻いており、尾もクルリと一回転してやや硬張った風に先を下方に向けている。翼を大きく上方に挙げ、前脚をオイディプスの胸に、後脚を腿にしがみついた不安定な体勢だが、画面は完全に静止したさまとして描いている。背景は荒涼とした岩山で、全体に画面左側でV字型をなして大きく口を開く谷になだれ落ちて行くような格好になっている。左前景に肉太の月桂樹が描かれている他は、オイディプスの下半身のあたりにシルエットのような形で植物が見分けられるのみで、全体に生命の営みを感じさせるものはごく僅かである。これに追い打ちをかけるように、右前景、オイディプスの立っている台状になった道から落ちた所に、以前のスフィンクスの犠牲者であろう、足や手、それに冠と赤い衣が覗き、手が岩をカッと掴んでいる。画面右端に些か場違いな、グリフォンの頭を四方に配した豪華な香炉を載せた柱が配されている。柱には蛇が絡みつき、香炉の右上には岩肌にまぎれるようにして蝶が飛んでいる。柱頭のあたりで、柱より向こうにあるはずの植物の葉が、重なるようにして透かして描かれており、制作途中で葉を描き込むのを止め、そのままにしておいたのではないか思われる。空は谷底のやや褐色がかった灰色から上半の青味がかった灰色まで、曇り気味の寒々とした天候を示している。
 





モロー《オイディプスとスフィンクス》1864
図1  《オイディプスとスフィンクス》  1864、PLM.64
 この作品は発表当時既に比較されたように(8)、アングルの同じ主題の作品(図2)から想を得ている。アングルの作品もまた、荒涼とした岩山の峡谷を舞台に、オイディプスとスフィンクスの対峙するさまを描いている。オイディプスは裸身に衣をまとい、鍔広の帽子を肩にまわし、地面に切っ先を向けた槍に身をもたせかけている。最前景にはスフィンクスの犠牲者の足や骸骨が見える。これらの要素はそのままモローの画面にも繰り返されている。しかし、借用がはっきりしているだけに、その相違も明瞭で、モローの作品は単なるアングルの模倣ではなく、積極的な挑戦とでもいうべきものであることを示している。まず何よりも、アングルの作品ではオイディプスが主人公であって、彼が画面の中央を占めている。スフィンクスは左側の暗がりから半身を垣間見せるのみで、構図上の比重は右側の逃げ出す身振りの男とさほど変わらない。オイディプスは安定した姿勢で自信に満ち、勝利の身振りを示してスフィンクスを見ている。この安定性は両脚に支えられた左腿、左上腕、左体側の形作る上に頂点を置く三角形によって得られる。この三角形は槍や逃げる男、岩の斜面などの幾本もの平行線によって、画面全体を平面のパターンとして安定させる。実際人体が微妙な明暗によって精緻な再現性を示し、画面の右と左で明と暗が強く対比され、前景の人物たちと逃げる男の間にかなり急激な尺度の飛躍があるにもかかわらず、画面の与える印象は平面的な薄浮彫りのそれである。オイディプスの身体全体が完全なプロフィールとして捉えられることによって、精密な描写が与えるはずのヴォリュームを圧縮し、画面の平面性と矛盾をおこさないものになる。オイディプスの身体が位置する面と、左下最前景にある足の裏の属する面は、オイディプスが左足をのせている岩に仲介されることもあって、殆んど同一平面上にある。逃げる男の示す空間の飛躍は、そのマニエリスム的性格を指摘されている(9)ものの、むしろ平板な切り絵といった感が強い。画面右左の明暗の対比も、奥行きを暗示するというより、画面と平行に暗から明へ移行している。これは舞台の書割りのように平坦な岩山の描写によって一層その感を強めている。これでもこの作品は1808年に一旦絵が仕上げられた時点よりも影を強くしてあるらしく、1808年作品を受け取ったアカデミーは、平坦さとニュアンスの無さに難色を示したので、1827年のサロンに出品する際にアングルが手直ししたのだという(10)。そうした平面として安定した構図の中でオイディプスは、 - 左側の暗さと怪物は自然を、右側の明るさとテーバイの都は文明を表わしているのであろう - ロマン派的な、不気味な細部にもかかわらず、自然に対する人間の勝利、という人文主義的理想を物語っているのである。ただあまりに写実的で、モデルの再現を思わせずにいない頭部や、左上腕や左脚の平板さがその理想性を裏切っている感があり、これがアングルの技術上の確かさにもかかわらず、モローの曖昧な作品をより魅力的にしている理由であろう。    8. フランシス・オベールの評。 R.von Holten, Gustave Moreau, symbolist, Stockholm, 1965, p.40 8.

アングル《オイディプスとスフィンクス》1808-25
図2  アングル《オイディプスとスフィンクス》 1808-25

9. R. Rosenblum, Ingres, Paris, 1968, p.80.

10. id.
 モローの作品では、アングルにおいてはオイディプスの勝利の姿を描くことがその主題であり、スフィンクスは気負されて目を左の方に背けていたのに対し、両者の力は対等に近く、両者の交わす視線とそれによって示される両者の関係、対立、緊張が主題となっている。両者の緊張関係は、オイディプスの胸に飛びつくというスフィンクスの姿勢の不安定さによって強調されている。不安定であるが故に、スフィンクスのすがりつく視線は一層強くなり、それに応じて、交わし合う視線は線としては一本の線であるが故に、オイディプスの視線も強くなり、さらにオイディプス自身スフィンクスの不安定さを我が身に引き受けることになる。関係を結ぶ者は、関係を結ぶというそのことによって、相似た者となるのであり、その関係が強ければそれだけ相似も強くなる。ここから両者のエロティックな関係の暗示が生じる。この二人は一方が人間で一方が自然、善と悪、秩序と混沌、精神と物質といった完全に対立するものではなく、同じ平面上に属する男と女であり、さらには交わし合う視線を通して双方共に男であり女であり人間であり自然であり善であり悪であり云々、といった互いに交流し合う、牽引が即ち対立であるような両義的な関係を形作っている。なるほどオイディプスはスフィンクスを上から見下ろす格好になっていて、優位に立っている。しかしスフィンクスが胸に飛びつくことによって、彼はややからだを反らせ、岩に押しつけられたさまを呈しており、この点明らかにスフィンクスの方が能動的であり攻撃的である。重力に従う見下ろす視線よりも、重力に逆らう見上げる視線の方がより力が強い。こうしたスフィンクスの側の攻撃性は、その姿勢の不安定さによって勢いづけられている。しかしそれでもやはり、優位に立っているのはオイディプスである。スフィンクスをオイディプスの胸に飛び上がらせた同じ不安定さが、彼女を奥の谷底へ引きずり下ろそうとする。高く上げた腰と伸ばした後脚がこれを強調している。アングルの構図の安定性が上向きの三角形を基本にしていたのとちょうど反対に、モローの構図の不安定性は下向きの三角形から発している。まず、スフィンクスの翼とオイディプスのからだの傾きが形作る上の開いた下向きの三角形、そして左奥の谷が形作る三角形、この両者の間を様々な斜線が埋めて、最初の三角から第二の三角の頂点へと、ずれ込んでいくような空間を形成している。続く場面ではスフィンクスが、そしてずっと後にオイディプス自身が、ひいてはありとあらゆるものが落ちていくであろう深淵、そうした性格を暗示すべく画面がアングルの場合より縦長になり、垂直性を、即ち上と下との緊張を強調する。画面は絵の右上方に要を置き、様々な角度で開く右上がりの斜線を中心にして構成され、それによって左奥の深淵を強く意識させる。一方、そうした斜線によるずれ落ちていく方向性に歯止めをかけて画面を安定させ、そのことによって一層深淵への方向性を強調するために、右下に柱の垂直線、それにオイディプスの立つ台状の道が落ち込む境の、水平に近い線が導入される。アングルの作品では屍の足、オイディプス、スフィンクスがほぼ同じ面上にあったが、モローでは左前景の赤味がかった岩、そして屍のある面と、オイディプスの立っている地点との間に面の後退が認められる。スフィンクスはアングルのオイディプスと同様に、全身プロフィールだが、オイディプスは奥に向かってからだを斜めに置いている。その肉付けも丁寧にからだの表面の起伏を追うのではなく、堅い、硬張ったもので、特に左腿など発表当時の評の言うように(11)、木の棒に近い。両者共にからだに比して頭部がかなり大きい。オイディプスの頭部は骨張った、青年のもので、スフィンクスのそれは冷たく整った女のもので、目を見開いている他は何ら表情を示さず、人形のように見える。実際、発表当時エドモン・アブーは、それが数年来よく知られたユレ人形の頭部であると述べている(12)。こうした処理によって、両者は現実的な人間であるよりは、男と女の観念的な表象となる。スフィンクスの腰はあまりに細く、非常に頼り無い。さらに翼に距てられた上半身と下半身の繋がり具合いは全く不明瞭である。画面の色調は、アングル同様褐色のモノトーンに近いものだが、色彩及びマティエールにおいて、アングルよりずっと豊かである。左手前の岩の濃い赤褐色から、谷の奥に僅かに見える濃い青まで、褐色と灰色のトーンを使い分けて、画面の奥方向への配置を示している。人体の賦彩は筆の跡を見せない丁寧な、滑らかなものだが、背景の風景はスーザン・フロイデンハイムが指摘するように(13)、かなり絵画的な処理を示している。もとよりこうした同一画面内における技法の使い分けは、モロー一人のものではなく、ルネサンス以来の伝統に属する(14)。背景の岩山は褐色の濃淡だけで描かれているが、それは遠近感を表わすためというより、絵具の塗りのマティエールを強調するといった体のもので、上から下へ刷毛をゆっくり塗り下ろし、それによって神秘的な遠さの雰囲気を出そうとしており、アングルの平坦な塗りとは違った意味で平面的である。この平面性を緩和しているのは、手前の岩、オイディプスの立っている部分、オイディプスの背後の岩、背景の谷、谷の奥に見える青い山、と順々に後退する布置をしいているからだが、これらの要素の一つ一つの内部は遠近の区別のない平面性を示している。特にオイディプスの背後の部分の処理は曖昧で、空間の前後関係を読みとることができない。オイディプスの左脚の右の部分の赤い賦彩は特に中途半端で、滑らかな材質感を示す槍の赤と矛盾している。これに対して絵具のマティエールがよく活かされているのは空の描写で、曇り空の冷えびえとした、しかし暁か夕刻の、彼方から輝いているさまを厚塗りのマティエールによって表わしている。こうした遠い空間を通って、何かがやって来る、告げられるという雰囲気を谷間に飛ぶ三羽の鳥が強調している。背景がかなり茫漠とした表現をとっているのに対し、主人公二人とその足元の部分は、黒い線ではっきり輪郭づけられている。これは形態のアルカイックなこわばりを強めている。これまで述べてきたオイディプスとスフィンクスの間の緊張、二人と深淵の間の緊張は、構図の不安定さによって活かされている。そして不安定さが緊張を保っていられるのは、緊張が破れて一挙に崩れ落ちてしまわないよう、形態がこわばり、一切の運動を奪われて凍結しているからである。ここにアリ・ルナンがモローの二つの制作原理の一つとして挙げた、<美しい無力 la belle inertie >(15)が働いているのを認めることができる。   









11. J. Laran, L. Deshaires, Gustave Moreau, L'Art de Notre Temps, Paris, 1913, p.25.

12. Holten, ibid., p.41
27.

13. S. Freudenheim,"Gustave Moreau and the question of abstraction", Marsyas, vol.20, 1979-80. p.74.

14.
ガントナーの、ヴェルフリンのレオナルド分析から出発した、「空間の意味における現実性の程度の差別づけ」に関する議論を参照のこと。ガントナー『心のイメージ』中村二柄訳、玉川大学出版部、1983, pp.97-103.

15. Renan, ibid., 1899, no.21, pp.200-202.
 
  <美しい無力>とはルナンによれば、描かれる人物から表情、身振り、動き等を奪うことによって、時間に束縛された演劇的な行動ではなく、超時間的な美の状態、典型を表わそうとするものである。アンドレ・ブルトンは<無力>の語は受動的に過ぎる、むしろ<聖像性 hiératisme>とするべきだと言う(16)。事実モローの描く人物を形容するのに、適切な日本語の訳が見つからないのだが、<hiératique>の語がしばしば用いられる。そしてモローの画面中には、文字通り無力でしかない、弛緩した人物から、形態のアルカイスムが積極的な役割りを果たしているものまで、様々な人体把握を見出すことができる。これは絵画の再現性が後退し、画面の平面的把握、綜合性が力を得てくる19世紀の絵画の流れを反映しているものと見なすことができる。ゴーギャンやスーラにおいて積極的に活用されることになる形態のプリミティヴィスムは、モローにおいてはいまだ再現性と抽象性の間で動揺している。同じような過渡期的性格は、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ロセッティ、ベックリンなどにも見られる。モロー同様シャセリオーから大きな影響を受けたピュヴィスにおいても、シャセリオーの量感豊かな人体把握は失なわれ、人間像は肉体性を欠いた、貧弱なものになる。そしてモローにおいてもピュヴィスにおいても、シャセリオーにあっては何ら重要性を有していなかった風景の比重が大きくなり、画面内の人体と風景を統一された平面として安定させようとする。勿論こうした人体のアルカイスム化の背後には、これらの画家たちにおける、モニュマンタルな形態を創造する能力の欠如が、一つの大きな理由であることを忘れてはなるまい。しかしこれすらも、ある意味では19世紀の絵画史的状況が大きく作用していると見なすことができる。19世紀の美術の流れは古代ローマのそれにも似て、アカデミスム、大衆芸術、前衛が幾重にも絡み合っていた動揺の時代なのである。    16. A. Breton, Le surréalisme et la peinture, Paris, 1965(2), p.366.
 いずれにせよこうした形態の硬直を通して、モローは二つの存在、とりわけ男と女の、同時に牽引でもあれば闘争でもあるような関係を、永遠なるものとして暗示しようとしたのである。モローは、「精神と魂を、想像力の稀有で聖なる領域へと運び去る抽象なる彼方」、「この理想的なるものをアングルは全く知らなかったし、そのことを疑ってもみなかった」(17)、とアングルを難じている。そして自らの作品では、その主題に一種の形而上学的な内容を盛り込もうとしたのである。モローはこの主題について、次のように書き記している(18)。    17. Holten, ibid., p.41 24.モローのノートより。

18. Mathieu, ibid., p.85. モローのノートより。
 「オイディプスとスフィンクス:画家が想定するのは、人生の重大で厳しい時に達した人間であり、彼は永遠の謎を前にしている。彼女は彼を抑さえつけ、その恐ろしい爪の下に彼を抱きしめる。しかし旅人は、その倫理的な力の内に堂々として静かに、震えることもなく彼女を見つめる。この大地のキマイラは、物質のようにその性賎しくしかも魅惑的で、女性の魅力的な頭部、それに理想を約束する翼によって表わされる、しかしそのからだは怪物のものであり、引き裂いては亡ぼす食肉獣のそれである。
 オイディプスの姿は、厳格に写生から模されるべきであろう。なぜなら、あるがままの人間に近づけば近づくほど、高貴と理想に達するであろうから。これは英雄ではない、人類より高位の階層に属する存在でもない、その悲惨と偉大さを兼ね備えた人間なのである(…)生の厳粛で神秘なる時にあって、旅人である人間は、彼を捉え滅ぼさんとする謎に出会う。しかし人は、力強く確固としていれば(…)、物質の魅するような、そして荒々しい攻撃に立ち向かい、目を理想に据え、自身に満ちてその目的に向かって歩んで行く、物質はその足の下に踏みつけられるだろう」。
 ここに語られていることは非常に明快であり、明快であるがゆえに、絵から読みとることのできる曖昧さと一致しない。註釈において中心を占めているのはオイディプスであるのに対し、絵においてはオイディプスとスフィンクス両者の交渉が重要なのであり、その交渉を通じて両者は、注釈に見られるような単純な善悪の対立の図式を越えて、その本質を交換し合うのである。注釈においても、物質が同時に魅力的でもあれば低劣でもあること、人間が同時に悲惨でもあれば偉大でもあることなどの両義性が示唆されてはいるが、その基本的な調子は、物質から理想への、一方通行的な上昇である。これに対して絵の方では対立する二項はその場に凍てつき、上昇よりも失墜の方が暗示されている。これはスフィンクスのみが落下してすむということではなく、視線の交わりによって 強く結びつけられた両者の、少なくとも心理的な運命は一つなのである。
 モローの自作に対する註釈は、元来耳を悪くした母親のために書かれたもので、後には未来の美術館の構想のために残されたと思われ、絵画の制作時期と時を同じくして書かれたとは限らない。この点を別にしても、文章にして表わされたものと、絵画として表わされるものが必ずしも一致しないのは当然で、以下にもそのような例を幾つか見出すことになるだろう。
   
 このような意図と実現の不一致を別にしても、絵画自体が既に絵画外的な内容を強く暗示していることは、作品の発表当時から既に気づかれていた。トレ=ビュルジェは言う、「奇妙な絵、ギリシャやその伝説についておしゃべりさせるが、絵については考えさせもしない!」(19)。これがモローについて繰り返し浴びせられた<文学的>という非難の一例であるにしても、この作品における<文学性>、説明的性格なるものが、絵画外の知識を前提とした場面の描写による以上に、作品の造形的構成に由来していることに注意すべきであろう。この点でモローの『オイディプスとスフィンクス』は、場面設定を伝統的な題材に任せて、その造形的処理に意を注いでいた伝統主義絵画や、個性を通した感情を表現することを重視しながらも、その舞台設定にあたっては、大旨作品外的な知識の体系をそのまま採用していたロマン主義絵画をも越えて、専ら造形的要素のみによって、造形外的な、内面的なものを暗示しようとした象徴主義絵画、少なくともその最もラディカルな部分、即ち綜合主義への一歩を踏み出しているということができる。もとよりモローの作品はいまだ過渡期的な性格のものであるとはいえ、単なる逸話の記述ではなく、抽象的な観念の表現を目論でいる。19世紀から20世紀にかけての美術の流れが、逸話的性格を捨て去って、造形的な問題の解決をその唯一の目標にするようになった、というのは事の一面であって、近代美術は逸話性を廃することによって、その観念的性格を強めることになったと言っても間違いではない。造形至上主義と観念性は表裏をなしている。こうした19世紀の状況の中で、モローの<文学性>は、逸話性と観念性との中間的性格を示していると見なすことができよう。    19. Laran, Deshairs, ibid., p.26. 
  
ii. アングルより

 アングルの『オイディプスとスフィンクス』は、1855年の万国博覧会に出品されており、この時モローはアングルの作品を見ることができたと思われるが、アングルの構図から出発して自らの構想に至るまでの経過を示す興味深い資料が、ラグナル・フォン・ホルテンによって公けにされた(20)。ローマにある古代彫刻の版画集の片隅に描き込まれた、四点の小さな鉛筆素描がそれで(図3)、その最初のものはアングルの構図をそのままざっと写している。第二のものは、オイディプスとスフィンクスの位置を左右逆にし、身を反らし、右腕を振り上げたオイディプスが左手に持つ楯に飛びついたスフィンクスを描いている。楯を除き、左右逆にすれば、これはモローの完成作とほぼ同じになる。オイディプスは右の肘を折って、拳を首のあたりに持ってきている。手に剣か何かを持っているのであろう。ホルテンはここにドラクロワの獅子狩りの場面が想を与えているとするが(21)、他方キャプランはモローが別に模写している、ヘラクレスとネメアの獅子の戦いを表わした古代の浮彫り、及びペルシャの人間と獅子の戦いを表わした浮彫りを版画にしたものを介在させ(22)、マテューは当時の神話の図像集の、オイディプスの楯にしがみつくスフィンクスを描いたデッサンを写したものと見ている(23)。第三の素描はやや不明瞭であるが、第二の素描のオイディプスを左右逆にしている。左手には槍のようなものを構えているようだ。第四の素描では、完成作のものにほぼ近い風景にオイディプスを配している。その足元にかすかに見えるのがスフィンクスであろうか? このスフィンクスの位置、及びオイディプスの姿勢はむしろ、後の『謎を解かれたスフィンクス』(図32→こちら)の構図に近い。モローはこのようにして、アングルにおけるオイディプスの勝利の構図から出発して、古代の図像に見られるオイディプスとスフィンクスの闘争の描写(24)からおそらくは影響されて、自らの心理的闘争の構図を作り上げたのである。
 

20. Holten, ibid., p.26-27.

モロー《オイディプスとスフィンクスのための習作》1860頃
図3  《オイディプスとスフィンクスのための習作》 MGM.inv.14629

21. id., p.26.

22. Kaplan, ibid., 1974, p.23
及び p.28, 14, 15.

23. Mathieu, ibid., p.82
及び p.264 323.

24. H. Demisch, Die Sphinx. Geschichte ihrer Darstellung von den Anfaengen bis zur Gegenwart, Stuttgart, 1977, pp.98-100, 104.
 ホルテンはこの他に、アングルの構図を反映しているものとして、通例『聖チェチーリア』と呼ばれている油彩(図212)を挙げている(25)。ホルテンによれば、中央の人物と、右端にぼんやりと見える白い顔との関係は、アングルの構図にほぼ等しい。白い顔の形、表情はアングルのスフィンクスによく似ており、とても天使とは言えない(26)。中央の人物の衣服と髪は、X線調査によれば、かなり後になってパレット・ナイフで補ったものだという(27)。
 この作品は、暗い灰色と褐色をたっぷりつけた刷毛を、微かに斜めに、上から下へゆっくり塗り下ろし、最後に画面最下部に水平の枠を作って、室内らしき場面を構成し、中央右上の方に顔を上げた人物をプロフィールで描き、その視線の先にぼんやりした白い顔を配している。この白い顔は、絵具を僅かしかつけていない絵筆で描かれたか、あるいは一旦描いた後で絵具を擦り取ったのではないかと思われるような、かすれた絵肌を示している。同じ絵肌が右下の手にも見られるが、これは手袋か何かのように大きく、異様な描かれ方である。右上の部分では、先の尖ったもので、上から下へ引っ掻いた跡がある。図版で見ても、中央の人物の衣服の描写にパレットナイフが用いられているのははっきりわかり、こてで絵具の塊まりを押しつけたようなさまを呈している。上部の、絵具を上から下へ塗り下ろす描法は、『オイディプスとスフィンクス』の背景の岩山に見られるのと同じもので、こうした描法をモローは生涯用いることになるが、それが灰色の単彩に近いことは、描かれたのが比較的早い時期であることを示唆する。他方パレットナイフによる厚塗りや、絵肌を引っ掻くのは、モローが晩年になって好んで用いるところである。モローの作品、特にモロー美術館に残っている作品は、多く制作年が記されておらず、記されていてもずっと後になって書き入れたもので必ずしも信頼できないこともあり、さらに一旦中断された作品に、長い間を置いて手を加えられた作品も少なくなく、その年代史的な順序は定め難い。この作品でも、中央の人物のすぐ右側に、一度描いたものを塗り潰した跡が見え、一息にでき上がったのではないことを示している。さて右側の白い顔についてホルテンは、とても天使には見えず、アングルのスフィンクスに近いと言うのだが、この顔の頂の部分は、波打つ髪が右上がりに描かれており、明らかに上から下へ降りてきたことを示している。またかすれたような筆致の上に、僅かに白で白目の部分が描かれており、この顔が中央の人物に視線を据えていることを示している。これに対してアングルのスフィンクスは、オイディプスから目を背らして左の方に視線を向けている。両者の関係については、確かにアングルの構図とよく似ている。このような関係は他の作品にも現われるが、これらは後に述べるようにシャセリオーの『アポロンとダフネ』(図12→こちら)に由来するのではないかと思われる。いずれにせよこの作品は、冷えびえとした色調とパレットナイフによる異様な造形で、凄愴といってよい雰囲気を表出している。聖チェチーリアの主題は晩年のモローにとって重要なものとなるだろう。
 
  モロー《聖チェチーリア(カエキリア)》
図212  《聖チェチーリア》 MGM. hors cat.

25. Holten, ibid., p.25.

26. id., p.26.

27. id., p.25.
 この作品がアングルの構図から出発したかどうかは別にして、もう一つ注目すべきは、『オイディプスとスフィンクス』完成作との仕上げにおける落差である。『オイディプスとスフィンクス』の背景は、アングルの作品の平坦な塗りに比べると非常に絵画的であり、『チェチーリア』とも共通しているのだが、主要な人物と前景はきっちり輪郭を取り、筆の跡を残さない、丁寧で滑らかな賦彩を見せている。全体の構成は高浮彫りに近いが、それでも最前景の岩から一歩一歩奥行きに向かって後退するよう、丁寧に按配されている。これに対し、『チェチーリア』の方は背景も人物も、『オイディプスとスフィンクス』に比べれば、殆んど絵の体裁をなしていない。空間もルイザ・フロンジアが述べるように(28)、何ら深みの感覚を、少なくとも構図上は、示していない。それにもかかわらず、絵の持つ印象の統一性、喚起力は『チェチーリア』の方がずっと強い。    28. M. L. Frongia,"«Finito» e «Non finito» nell'opera di Gustave Moreau", Commentari, no.23, 1972, p.149
 完成作品の様式と習作下絵の様式との間に大きな落差があること、そしてしばしば習作類の方が、丁寧に仕上げられた作品より自由で生き生きしていること等は、モロー一人に限らず、個人の意識の伸長とともに姿を現わした、ルネサンス以来の西欧絵画全体の特徴の一つである(29)。これはまず、心に抱いた理想的な作品のイメージと、実際の制作との間の橋渡しすることの出来ない距離として、レオナルドやミケランジェロに強く意識され、<未完成>の問題をひき起こす。一方、ヴァザーリのドナテロやティツィアーノ評に見られる如き、習作風の様式を評価する趣味の歴史も形成されていった(30)。
  このような完成作の様式と習作の様式の分裂対立は、19世紀においては、新古典主義の成立と定着によって、より鮮明な形で浮彫りにされることになる。バロック、ロココから19世紀絵画への展開について、アルバート・ボイムはロココから印象派に至る展開において、ダヴィッドの革命はアナクロニスムであって、「この運動がなければ、習作-完成のカテゴリーが19世紀にとって関連を持ったかどうか疑わしい」と言う(31)。ロココから印象派に至る展開がそれほど直線的であるかどうかは問題であるにしても、新古典主義が確固たる規範として定着することによって、新しい動きというものは必然的に、新古典主義が奉ずる理性的な画面構築と完成というものに、対立する形をとることになった。ボイムの著作が示すように(32)、アカデミスム内部においても、完成作の様式と習作の様式は分裂している。モローの制作のプロセスも、基本的にアカデミスムの処方に従っており、モローにあってはその分裂が非常にはっきりした形をとっていると見なすことができる。 
  29. ガントナー「近世美術における未完成の諸形式」(『人間像の運命』中村二柄訳、至成堂書店、1965、所収)を参照のこと。

30. E. H. Gombrich, Art and illusion, London, 1968(3), pp.162-168. L. Steinberg, "Deliberate speed", Art News, 1967.4.

31. A. Boime, The Academy and French painting in the nineteenth century, London, 1971, p.204
123.

32. id.
特に、4,5章。
 一方、習作様式を評価する趣向も、はっきりした、そしてより微妙な形をとるようになる。ボードレールがコローの作品に関して行なった、<でき上がった fait >と<仕上がった fini >の区別(33)がその最も顕著な例である。モローもある学生に次のように助言する(34)、
  「単純にすること、滑らかできれいな仕上げから遠ざかること。現代の傾向 は我々を方法の単純化と表現の複雑化へと導く。…(中略)…芸術においては今後、いまだはっきりしない大衆の教育が少しずつ進んでいくように、もはや完成したり、注意深い仕上げにまで進める必要はなくなるだろう、文学においても我々は修辞やよく仕上げられた総合文を好まなくなるだろう。…(中略)…最小の方法で多くを語ることを我々は望む。それゆえ来たるべき芸術は-既にブグローその他の方法を告発している-我々にただ、指示、粗描き、しかしまた多様な印象の無限の変化を要求するだろう。まだ完成することはできよう、しかしそれは完成の見かけなしにである」。
 この言葉は、モローが『ユピテルとセメレー』(図268→こちら)のような作品を描いていた頃に記録された。他方では抒情的抽象の先駆と呼べるような画布も彼は残している。この矛盾がモローの、そして19世紀の過渡期的性格をよく表わしている。

 
  33. Ch. Baudelaire, "Salon de 1845", Œuvre complètes de Baudelaire, Paris, 1954, p.586.

34. A Prache
、"Souvenirs d'Arthur Guéniot sur Gustave Moreau et son enseignement à l'École des Beaux-Arts", Gazette des Beaux-Arts,no.1167, 1966.4, pp.235-236. 
    
iii. マンテーニャ、他より

 モローの『オイディプスとスフィンクス』に影響を与えたのは、アングルの構図だけではない。サロン出品当時指摘されたのは、むしろアングル以上に、クワトロチェントの画家たちへの接近であった。レオン・ラグランジュなどは、オイディプスの頭部のタイプはルイーニ、からだの肉付けはマンテーニャ、衣の襞はポライオーロ、左足は15世紀の多くの巨匠たちを思い出させると評している(35)。当時の評者たちが、モローとクワトロチェントの画家たちに共通すると見たのは、非自然主義、自然に対する観念的な態度であった。
 これらの画家たちの内、この作品に対しても、以後の中期の作品に対しても繰り返し叫ばれたのは、特にマンテーニャの模倣ということである。当時は具体的な作品の名が挙げられたことはないようだが、今日の研究は現在ルーヴルにある『聖セバスティアヌス』(図4)に類似を見ている(36)。特に類似がはっきりしているのは、はっきりした線で指の反りを誇張して描かれた足の描写、勝利の象徴の月桂樹である。モローの画面に見える屍の足も、マンテーニャが描く彫像の足に対応させることができる。さらに堅く乾いた肉付け一般、装飾的な柱もモローはマンテーニャから得たと思われる。ただし、マンテーニャのこの作品は当時ルーヴルにはなかった。この絵は1481年以来フランスの南部にあったが、ルーヴルに入ったのは、1910年になってからである(37)。にもかかわらず類似は非常に顕著なので、モローは何らかの形で-版画でか、それともこの作品は元来エーグペルスの教会にあった(38)ということなので、ことによれば実物を-知っていたと思われる。
 
  35. Laran, Deshairs, ibid., p.28.

マンテーニャ《聖セバスティアヌス》1480
図4 マンテーニャ《聖セバスティアヌス》 1480

36. Holten, ibid., p.28. Kaplan, ibid., 1982, p.37.

37. Kaplan, ibid., pp.37, 184
14.

38. N. Garavaglia, Tout l'œeuvre peint de Mantegna, Paris, 1978, p.54.

 
 右前景のスフィンクスの犠牲者の屍については、アングル、マンテーニャに見える足以外に、ボルドー美術館にあるドラクロワの『ミソロンギの廃墟に立つギリシャ』も、人物を大きく拝した縦長の構図の下部に、瓦礫から突き出した手を描いている。マテューはモローがヴェネツィアで実物大の模写をした、カルパッチオの『聖ゲオルギウスと龍』がモローの絵のこの部分に示唆を与えたと述べている(39)。ただしカルパッチオの絵の前景に散らばる死骸には、直接モローの絵に移されたものは見当たらない。マテューは、さらにカルパッチオのこの作品の、凍りついたような描き方がモローに影響したと見ている(40)。なおモローのスフィンクスもカルパッチオの龍も、尾をクルリと一巻きしているが、これは他のスフィンクス、龍などの表現にもしばしば見られ、こうした怪物たちが造形美術においては、元来装飾的なモティーフとして最も活躍したことを物語っている。パリのジャックマール・アンドレ美術館にあるウッチェロの『聖ゲオルギウス』の龍などは、尾を三巻きしている(補註40)。    39. Mathieu, ibid., pp.70, 85.

40. id., p.70. 

補註40 この件に関し→こちらも参照
 
 モローのオイディプス像に影響を与えたものとして、キャプランはマンテーニャ以外に、モローが模写を残している、ナポリにあるアテナ・ファルネーゼ像及び、ヴェネツィアのアカデミアにあるジョヴァンニ・ベリーニのサン・ジオッベ聖堂祭壇画中の、聖セバスティアヌスを挙げている(41)。アテナ像からは槍を持つ腕のポーズを、セバスティアヌス像からは、画面の奥方向に対するからだの角度を得たものと考えられる。アンリ・ドラは、モローの絵の平面性を指摘して、ニコメデスⅡ世のビテュニア貨幣の平旦なデザイン、その中の杖によりかかるゼウスをオイディプスの、鷲をスフィンクスの発想源と見なしている(42)。ここでは他に、モローのオイディプスに非常によく似たポーズを示しているものとして、ルーヴルにあるペルジーノの『アポロンとマルシュアス』(図5)中のアポロンを挙げておこう。彼はオイディプスよりからだを開いているが、その点を除けば殆んど同じポーズで、右腰、右脚に体重をかけ、肘を折った左手に持った杖によりかかっている。顔はプロフィールではないが、同じように伏せて下方を見、髪型もよく似ている。さらにアポロンとマルシュアスの組み合わせは、神的なものと地上的なものとの対比として、モローがオイディプスとスフィンクスの対決の内に見ようとしたものと平行しており、アポロンの足下にある竪琴が示すような、詩というものを巡る主題は、詩即ち芸術と、宗教的理想を同一視していたモローに対して、大きな示唆を与えたと考えられる。上空を飛ぶ数羽の鳥をも、モローの深淵に舞う白い鳥たちと平行させることができよう。ただペルジーノのアポロンの、優雅で洗練された、少し残酷そうな様子は、骨張って頭の大きいオイディプスよりもむしろ、後のモローの女性像を思わせる。    41. Kaplan, ibid., 1982, p.37 及び図13, 14.

42. H. Dorra, "The guesser guessed. Gustave Moreau's Œdipus", Gazette des Beaux-Arts, 1973.3, p.136
及び図6.

ペルジーノ《アポローンとマルシュアース》1483-91頃
図5  ペルジーノ《アポローンとマルシュアース》 1483-91頃
 風景の荒涼とした岩山は、しばしば指摘されるように、レオナルドから出発している。ただレオナルドの空気遠近法が描き出すような、微妙に後退していく遠近感はモローには見られず、多分に平面的処理を示している。それでもこの作品では、前景から一歩一歩後退していくような配慮が、図式的ではあるにしてもなされており、こうした配慮の丁寧さは、以後失なわれていく。この点では、レオナルドよりマンテーニャをはじめとするクワトロチェントの画家たち、さらにそれ以前の、空想的な岩山の伝統をモローの発想源と見なすこともできる。しかしそれらの岩山に比較すると、今度はモローの岩山は、絵画的な、マティエールを強調しており、とどのつまり、奥行きのイリュージョンへの配慮が減じ、画面の平面性と絵具の物質性に対する意識が強くなる、19世紀中葉から後半にかけての絵画史の流れを反映しているものと見なすことができる。なお、右に岩山、左に谷を置く地形の配置は、ウィーンにあるブリューゲルの『サウロの改宗』を思わせるが、これは偶然であろう。
  
iv. 古代の図像より

 オイディプスとスフィンクスの出会いの場面を造形したものには、古代に多くの先例があり(43)、アングル、それにモローもそうした作例を参照したと思われる。こうした場面では多く、オイディプスは旅装束で、裸身にマントをつけ、鍔広の帽子を被り、槍か杖を持っている。スフィンクスはしばしば、岩山か柱の上にうづくまり、謎を考えているオイディプスを見下ろしている。スフィンクスが額飾りをつけている例も少なくない。ポンペイの壁画では、スフィンクスの座している岩棚の下に、犠牲者のむくろが横たわっている(44)。こうした作例の内からアンリ・ドラは、ルナンの示唆(45)を追って、オーヴァーベックの編んだ古代の図像の版画集から、スフィンクスがオイディプスの膝に触れている図柄を、モローの構図の原型として挙げている(46)。
 オイディプスとスフィンクスの物語を絵画化したものとしては、他にオイディプスが棍棒、剣あるいは槍でスフィンクスを殺そうとしたり、岩から突き落とそうとしている画面を描いたものがあり、こうした図像がモローをアングルの構図から開放する役割りを果たしたのであろうこと、そして後に『謎を解かれたスフィンクス』の図柄にも影響したであろうことは、既に触れた通りである。
 
 

43. Demisch, ibid., pp.96-100, 103-105.

44. id., p.104
及び図293.

45. Renan, ibid., 1886.7.1., p.38.

46. Dorra, ibid., p.136
及び図8.
 他方スフィンクスの図像の歴史を綴ったハインツ・デーミッシュは、モローの構図を見て、それを<オイディプスとスフィンクス>の図像以上に、<若者に襲いかかるスフィンクス>を描いた図像に由来するものと考えている(47)。この図像は、謎を解くことができなかったテーベの若者を、スフィンクスが追ったり、あるいはその上にのしかかったりしている場面を描いており(48)、その起源は敵を踏みしだくファラオとしてのスフィンクス、というエジプトの図像(49)に遡ることができるものだが、ギリシャにおいては、死の使いとしてのスフィンクスの信仰と結びつき、価値が転換されて、「スフィンクスの否定的な相がギリシャにおいて初めて現われる」(50)ことの例の一つとなっている。実際、ヴァティカンにある古代の石彫りの図像集をモローが模写したものの内にこの図像を描いたものがあり(51)、そこでは横長の楕円形の中で、左側に岩にもたれ半身を横たえて若者を配し、その胸と脚の上にスフィンクスがのしかかっている。画面右端には均衡を保つため、壷のようなものが配されている。この図像におけるスフィンクスの攻撃性は、ホルテンがモローの文学上の発想源として挙げる(52)、ハイネの『歌の本』第三版の序詩に歌われる、詩人とスフィンクスの物語の雰囲気によく照応している - これに対して完成作の主人公たちは、ドラに言わせれば、「ハイネによって記されたような、燃え上がる接吻には、あまりにヴィクトリア朝的である」(53)。しかし習作段階における激しさ荒々しさが、完成作において少なからず鎮められるのが、先にも述べたように通例であるなら、ハイネによる霊感も同じような経過を辿ったと考えるのは、不自然ではないだろう。    47. Demisch, ibid., p.191.

48. id., p.83-85, 97, 103.

49. id., p.30-33, 73.

50. id., p.83.

51. MGMd.4318.

52. Holten, ibid., p.29.

53. Dorra, ibid., p.133.
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