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卒業論文、1981年1月6日
関西大学文学部哲学科美学美術史専攻提出

ギュスターヴ・モローに就いて

石崎勝基
  2017年の前置き
  凡例 
   
シャセリオー 
中期
後期
  1. 必要な豪奢さ
    1) 宝石細工
    2) 線から色へ
  2. 色彩の夢想
    1) エボーシュ
    2) 19世紀の先抽象画 
    3) 色から線へ 
    i. 油彩 
    ii. 水彩 
    iii. 完成作と下絵
結び
  参考文献 

2017年の前置き

 羞恥恥辱含羞!いけない見本シリーズその5です。卒業論文まで載せるつもりはなかったのですが、やはり当初載せるつもりのなかったその4・修論こと略称『モロ序』の作業をしこしこしていると、ブリヂストンの《化粧》も西洋美術館の《ピエタ》もちらっと触れこそするものの、図版が出てこないではありませんか。当時国内で実物を見ることができたのは、上の二点、同じく西洋美術館の《聖チェチーリア》、大原の《雅歌》の計四点で、《ピエタ》以外は水彩なので常時展示はされていなかったはずですが、そんなことに気づきもせず、倉敷と東京までのこのこ出かけ、しかしなぜか見ることはできたとの憶えがあります。勘違いかもしれません。つまりこの四点以外は図版でしか知らないはずで、それでいて好き勝手な書きっぷりには、怖いもの知らずというか、ほとほと感心するばかりです。
 とまれ、『モロ序』にはアングル - シャセリオー - モローのウェヌス三竦みもなければ、モロー - ルドンのキュクロープス競演もありません。《公園の散策》、いわんやクリヴェッリにレンブラント《姦淫の女》、アングル《玉座のナポレオン一世》、ターナー、セリュジエ《護符》も登場せずじまいでした。というわけで、それらを挿図に載っけるためだけに、もはや恥も外聞も吹く風涼し、咲いて何の愁いがありましょう、掲載することにいたします(縦横比など画像の不備に変わりはないのですが)。
 規定に従い本文は400字詰め縦書き原稿用紙で50枚でしたが、加えて目次と凡例で2枚、註16枚強、参考文献3枚強に図版58点、ただし註は枡目より細かく書きこんでいるので、字数は多い。
 またその1・略称「セリオ」君(1983)のさらに前なので、漢字だらけ・ルビ満載です。それでいて語彙豊かならず、文末は不統一、中身は張り扇が飛び交い放題ですが、担当教官が書きこんだしごくもっともな数多のチェックにもかかわらず、誤字脱字、作品タイトルを《 》で囲んだこと、固有名詞や文献の表記、若干の改行などを除いて、原文には変更を加えていません。
 例によって画像の上でクリックすると拡大画像とデータのページが表示されます。画像の色はもとより、縦横比など、問題があるかもしれません。尚本サイト内に挿図がある場合は、「(→こちら)」としてリンクさせました。

 本稿をもってシリーズ第1部・手書きレポートの段は、30数年後の前置きともども一応の締めとなります。第1部に載せたのは筆者以外に1名、多くて2~3人しか見ることもなかったものですが、続く第2部「OCRでいこう!」は一応印刷されており、筆者と編集者以外、可能性としてはもう少し多くの人目に触れる機会があったはずではあるものの、実態がどうだったかは杳として知れない原稿を4~5本挙げる予定です。光学式文字読取ことOCRソフトとして手もとのパソコンには「読んde!!ココ」が入っているのですが、うまく読みとってくれるかどうか次第で、変更になるかもしれません。その後第3部・著作権切れ泰西美術等400字前後解説輯、昔の観光スナップに使えるものがないかの家捜しを経て、賑やかし工事は一段落、古城入り怪奇映画巡りを再開できればと思うのですが、はてさて、いかが相成りますことやら。
 2017/7/24

 註は行の右に、(1)、 (2)、…と()う風に付け、最後に纏めます(この頁では右欄、ただし註1と註51のみは分量が多いので当該節の下。同じく図版は、(図1)、(図2)、…と、註に(おい)て(参1)、(参2)、…としたのは参考文献の番号を示しています、MGM.は Musée Gustave Moreau の、cat. は catalogue の略、モロー美術館の所蔵作品は分かる限りカタログ番号を記しました(参1)。PLM.として続けた番号は Pierre-Louis Mathieu の完成作品(即ちモローが工房(アトリエ)から出した作品)カタログの(もの)(参2)。(なお)、図版の順序は本文で言及したのとは一致しません(番号はそのままですが、この頁ではおおよそ言及順に掲載順序を合わせました)(もと)より写真の出来は満足すべき物ではありません。
 



 ()の文章はギュスターヴ・モローの画業の展開を跡付ける(こと)を主題としますが、その際指標をモローの先輩シャセリオーの課題 - アングルの線とドラクロワの色の綜合、に見たいと思います。其処(そこ)で第1章をシャセリオーの簡単な説明に当て、(また)モローの作品と比較して以下の導入とする。(さて)モローの活動は、彼が(ブランク)を置いて官展(サロン)に参加した3時期に分ける事が出来るが(1)、第2章ではモローの個性が現われ始める中期 - 線の要素の優勢 - の特質を、モローとアングルの作品を比較する事で明らかにしたい。第3章は後期 - ()ず - として中期の展開としての系列を見、色の要素が増大して来る過程を追う。次に2節として、色の役割が完全に画面を支配する作品群を眺め、其等(それら)を19世紀の平行する傾向の中に置いて見る。最後に3章の1節後半で辿った過程に橋を掛けて、論を括りたいと思います。

註1
        1806  アングル《玉座のナポレオン一世》(図12) 
        1808   〃 《オイディプスとスフィンクス》(図6) 
        1811   〃 《ユピテルとテティス》(図11)
  1826 誕生      
        1827   〃 《ホメロス礼賛》、ドラクロワ《サルダナパールの死》 
        1838  ドラクロワ《アルジェの女たち》 
        1839 シャセリオー《ウェヌス》(図4) 
        1841   〃 《エステルの化粧》(図1) 
        1843  ターナー《光と色》(図34) 
  1846  20才  ピコの門に学ぶ     
  1848  22  シャセリオーの門へ    ドラクロワ《キリストの埋葬》(図27)、アングル《ウェヌス》(図3)、ラファエル前派結成 
   1852 26 《ピエタ》(註13)を官展に出品。《求婚者たち》(〃)着手     
1853  27  《シュラミの娘》(〃)、《逃亡するダリウス》(〃)、《テスピウスの娘たち》(〃)着手     
1855  29  《ミノタウロスの迷宮のアテーナイ人たち》(〃)、《騎士》(図37)    クールベ《画家のアトリエ》 
  1856  30  シャセリオーの死     
  1857-59  31-33  イタリア旅行(図39・40)     
  1860  34  《東方三博士を追う天使たち》(図38)     
        1863  ドラクロワ没、アングル《トルコ風呂》、マネ《草上の昼食》 
    1864  38  《オイディプスとスフィンクス》(図7)官展に出品、《オルフェウス》水彩(図9)     
1865  39  《オルフェウス》(図8)    マネ《オランピア》、ドーミエ《ドン・キホーテ》(図44) 
      1867  アングル没 
1868  42       
  1870  44  《アフロディテ》(図5)、《セバスティアヌス》(図24)     
        1874 モネ《印象・日の出》 
   1876  50  《サロメ》(図19)、《出現》(図23)、《ヘラクレスと水蛇》(図25)出品、《ピエタ》(図28)     
1878  52  《庭園のサロメ》(図26)、《ダヴィデ》(図16)     
1880  54  《ガラテア》(図56)     
  1882  56  ラ・フォンテーヌの寓話挿絵     
  1885  59  オランダ旅行、《一角獣》(図2)    スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》 
        1888  ゴーガン《説教の後の幻影》、セリュジエ《護符》(図35)、ゴッホ《ひまわり》、《夜のカフェ》 
  1889  63  《セメレー》(図14)     
  1890  64  《エウリュディケの墓の上のオルフェウス》(図47)、《パルクと死の天使》(図45)、《化粧》(図30)     
  1892  66  美術学校教授就任    モネ《ルーアン大聖堂》連作 
  1893  67  《雅歌》(図29)     
  1896  70  《ユピテルとセメレー》(図13)     
  1897  ゴーガン《我々はどこから来たか、我々とは何か、我々はどこへ行くか》 
  1898  72  死     
    1900  ルドン《キュクロプス》(1895~、図58) 
        1905  フォーヴィスムの開始 
        1907  ルドン《聖ゲオルギウスと竜》(図36) 
 モローは1852年から56年迄、64年から68年、76年から80年(まで)夫々(それぞれ)(ブランク)を置いて官展(サロン)に出品している。(これ)を目安に、52年からイタリア旅行迄を初期、帰国後から76年迄を中期、(それ)以降を後期と大きく三つに分ける(こと)出来(でき)る。 

Ⅰ.シャセリオー


 モローは修業の始め、ダヴィッドの弟子ピコの教室に学ぶが(2)、直き其処を出てシャセリオーの門を叩き、大きな影響を受けました。
 シャセリオーは、美術史の上ではアングルの線とドラクロワの色を折衷した画家とされる。絵画の流れに於て、線と色の対立が意識されるのは間々(まま)ある(よう)で、ミケランジェロとティツィアーノ、プッサンとルーベンス、更に立体派(キュビスム)野獣派(フォーヴィスム)、モンドリアンとカンディンスキー(など)(しか)し19世紀にはアングルとドラクロワの名が大きな影を落し、その総合に努めた者として、ルノワール、ドガ、スーラ、ゴーガン(3)等を挙げる事が出来(でき)る。その中で、両巨匠に最も接近した形で同じ企てを行ったのがシャセリオーで、結果生まれたのは「物思わし気(メランコリー)、官能的で、時に記念碑的(モニュメンタル)な」(4)芸術だと云う。
  2. 他にピコの元で学んだ者には、カバネル、ブグロー、其にヨンキント(など)がいる、ピエール=ルイ・マチュー、高階秀爾・隠岐由紀子訳、『ギュスターヴ・モロー その芸術と生涯』、三省堂、1980」(→参2)、p.26。

3. ゴーガンは、「形と色の綜合」と()う言葉を使っている。高階、『世紀末芸術』(参29)、p。209。(また)「ピュヴィに色を加え」、ダニエル・ゲラン編、岡田公二訳、『オヴィリ 一野蛮人の記録』、みすず書房、1980、p.41。

4. J. Kaplan, Gustave Moreau (参3), p.11.

 《エステルの化粧》(図1) - アングルの絵を巡った後で此の作品に来ると、豊麗な色彩に目を打たれる - 青、赤、焦茶、緑、金、是等(これら)を女体の柔かな肌が統一する。エステルの左腕から右腕、左の侍女の右腕、その婦袴(スカート)がエステルの衣、右の侍女から再びエステルの左腕に、是等豊かに量感(ヴォリューム)付けられた線の運動はエステルの(やや)捻られた細い腰に収斂し、その不均衡(アンバランス)が不思議な官能を醸す。色彩は線に押し込められて溢れ出す事を得ぬ(まま)気勢(エネルギー)を高める。線は色彩の内圧を受けて力を得る。()の緊張を抑えられた螺旋に左水平に方向を与えて統一、一層抑え付けるのが、金髪の斜線と対照された隈のある大きな眼である(5)。アングルの裸婦が(彼の所謂(いわゆる)浪漫(ロマン)派的主題でもそうだが)目を向けさせるのがその純粋な形態であるのに対して、シャセリオーでは「女」と云う観念が浮かび上がって来る。ドラクロワの東方(オリエント)がその画面の統一(6)で観者を直接内に浸すのに対して、シャセリオーは記憶の中(7)視る者を夢想に誘う。    シャセリオー《エステルの化粧》1841
図1 シャセリオー《エステルの化粧》 1841

5. 美術史の上で女性の大きな眼と云うと、ルーベンスの名が浮かびますが、あの健康よりシャセリオーが近いのは、パルミジャニーノの《アンテアの肖像》(1530代後半、ナポリ、国立カーポディモンテ美術館)や青木繁《大穴牟知命》(1905、東京、ブリヂストン美術館)でしょう。《アンテア》では理想化・単純化された形態の中で、大きな眼が手共々(ともども)不安()な表情を物語っているが、エステルはあれ(ほど)表出が強くない(よう)に思われる。シャセリオーの《エステル》や《二人の姉妹》(1843、ルーヴル→こちら)にはモローの《夕べ》(1887、西独、クレメンス・ゼルス美術館→こちら)が少し近いが、シャセリオーは《温浴室(テピダリウム)》(1853、パリ、ルーヴル美術館→こちら)で亦別の眼の効果を描いており、一層モローに近い。本稿註26参照。更にマネの《ベルト・モリゾ》(1872、パリ、個人蔵)や《フォリー・ベルジェールの酒場》(1882、ロンドン、コート-ルド・コレクション→こちら)とを比較するのも面白いかも知れない。

6. ボードレールの、何が描いてあるのか分らない程遠くから見ても訴えるものを持つ云々(うんぬん)、福永武彦編、『ボードレール全集Ⅳ』、人文書院、1964、pp.20、114。

7. 大岡、「フランス・ロマンティシズム(4)」(参23)、p.131。

 
 《一角獣》(図2)はモロー後期の代表作の一つである。白、赤、藍、緑、茶等が《エステル》同様大きく置かれ、是等稍甲高い色彩を右前の裸婦の暈した様な柔かい肌が落ち着けている。背景の大まかな処理に対して、前景は微細な(まで)に精密に描かれ豪奢を表わす。シャセリオーでは統一された線と色が(ここ)では分離し始める。実際よく見れば線は色の上にきちんと重なっていない。線は細かくなる(ほど)に動きと量感を失い、抽象的な文様(アラベスク)と化す。線から溢れた色は一層自由に成り、画面全体を統一するが量感と奥行を失い、観者から遠ざかる。線と色の乖離は画面を二重化し、遠さを助長する。シャセリオーでは線に抑えられた色が量感と暖かさを伝え、観者と結びついていたのに、モローの自由な色と細密な線は冷たさを生じ、視る者とは別次元の幻想境を形造る(8)。    モロー《一角獣たち》1885-88頃
図2  モロー《一角獣》 1885-88頃 左下に署名 MGM.213

8. ()の文章で特にモローに関して〈幻想〉と云う言葉は、本文に述べた様な意味で使っているが、是は特に定義を経た(わけ)ではなく、ルドンを幻想的と呼ぶなら内容は変わるだろう、「文学的」「浪漫(ロマン)派」「象徴派」(註56参照)「色」及び「色彩」「色調」等も同じ。亦是等(これら)に価値評価は含まれていない。
 
 作例をもう一つ - アングルの《ウェヌス》(図3)は正面から捉えた女体の輪郭が主眼だろう。併し上半身と脚は()(かく)、腹部はその平坦さが少し気に成る。後退する濃青と人体の薄浮彫の対照はうまく結び付いていない。女体の占める面積が大き()ぎるのだ。彼の後宮女達(オダリスク)を思えば、正面性が(かえ)って災いしたとも言える。シャセリオーでは(図4)、柔かい光と影が全てを統一する。線は脚から(からだ)の右を昇って髪の毛で一気に下降する。アングルでは線を強調する(ため)躰は薄く浮彫りしたのに対し、玆では光と影が強く量塊を浮かばせ、腿の大きな面積を気にさせず、先細る上体と背中の曲線を結び付ける事に()って、エステルの場合と同じく神秘な官能性を呼ぶ。モロー中期に成る水彩は(図5)、シャセリオー程量感は与えられず、アングルに比べると水平線が低いので空間が開け、(なり)は小さいが画面によく納まっている。線は先の両者程闊達ではないが、足元や髪に賦彩する時の火花を散らした様な鋭角性と対比して生かされる。細く薄い白線を縦に何本も引いた様な肉付けは透明感を強め(9)、非現実の色彩と相俟って画面を遠い神話にする。影に顔を半ば隠し、柔かい肉感を持つシャセリオーの女神が視る者に(なまめ)きを伝えるのに対し、くっきりと横顔(プロフィール)を示し画面全体の中に沈んだモローの(それ)は、更に余所(よそ)余所しい(10)。   アングル《ウェヌス・アナデュオメネ》 1808/48
図3 アングル《海から上がるウェヌス(ウェヌス・アナデュオメネ)》 1808/1848


シャセリオー《海のウェヌス》1838
図4  シャセリオー《海のウェヌス》 1838

モロー《アプロディーテー》1870頃
図5  モロー《アフロディテ》 1870頃 右下に署名 PLM.121

9. 此の手法をモローは他でも使っており、《妖精とグリフォン》(図54)では透明感を強めるのに成功しているが、《雅歌》(図29)では多分(たぶん)に硬化し、《栄光のヘレネ》(1887、MGM.cat.488→こちら)に至っては木彫りの像の様に成る。

10. 「…シャセリオーの女性表現はモローに比べるとより官能的な姿と、豊かな体躯を持っている。…シャセリオーにおいて、女性は愛の行為の後の物憂さを見せているのに対し、モローでは、美しい女は近づき難く、マラルメの言葉を借りるなら、『処女である故の恐怖心』に自ら磨きをかけているのである」、P.L.マチュー、同書(ibid.)、p。32。「主題と構図がお互い非常に似通った作品に(おい)てさえ、シャセリオーが喚起的な女性の肖像に於て成し遂げた官能性を、モローはその理想主義、神秘主義、(ある)いは内気の(ゆえ)に、常に表現するのを拒んでいる」。J. Selz, Gustave Moreau (参5), p.22.
 以上、モローがシャセリオーから受け取った物を纏めると - アングルの線とドラクロワの色の綜合と云う課題、其処から生ずる神秘化された異郷趣味(11)と豪奢な女性像(12)、と成ろう。
  
  11. P.L.マチューは、モローがドラクロワやシャセリオーと違って、東方世界から衝撃を受けず、一層遠方に霊感を仰いだとしているが、シャセリオーに於て.既に東方はドラクロワよりも内面化されていたのを、モローが一層押し進めたのだ、と見たい、P.L.マチュー、ibid., p.34.

12. 「…モローの女性観は明らかにシャセリオーから来ている。女性は美しい獣であり、夢見がちで、上の空で、動きがなく、宝石で飾り立てられ、壮麗な衣服をまとっている。…」、P.L.マチュー、ibid., p.32.

  

Ⅱ. 中期

 初期のモローは、ドラクロワ、シャセリオーの影響を強く受け、烈しい筆致で浪漫派的な主題を描いたり、古典派的な様式で神話を扱ったりしている。此の頃着手した大作では繁雑な迄の寓意的要素と静謐が後のモローを予告している(13)。
  13. 官展(サロン)デビュー作の《ピエタ》(1851、所在不明、PLM.cat.8)やシェークスピア、馬を扱った作品(図37や→こちら)等はドラクロワの影響が濃いと云う。《雅歌 - シュラミの娘》(1853、ディジョン美術館、PLM.cat.8→こちら)、《逃亡するダリウス》(1853、MGM.cat.223、PLM.cat.25)は「シャセリオーの作品模写のよう」と評された、P.L.マチュー、ibid., p.43。《ミノタウロスの迷宮の中のアテーナイ人達》(1855,ブルグ・アン・ブレッス、ラン美術館、PLM.cat.29)は古典派的な群像図。《求婚者たち》(MGM.cat.19)、《テスピウスの娘達》(MGM.cat.25)は夫々1852、1853頃着手され、先の《ダリウス》と共に何度も手を加えられながら生涯完成しなかった。この二作は 385x343、258x255 と、モローが扱った中で最も大きな画幅に属するが((ちな)みに先の四作は各々(おのおの) 320x420、300x319、245x165106x200)、その未完成は彼の「学校芸術の型にはまらない、叙事詩的な芸術を実現したい」(シャセリオーの壁画の前で父親に言った言葉、P.L.マチュー、ibid., p.31)と云う願いにも(かかわ)らず、彼の「才能は、記念碑的な絵画には根本的に適していない」(同上、p.88)(こと)を示すのだろうか。(なお)、彼の作品の未完成に()いては、本稿註51参照。
 1857年から2年間、彼はイタリア旅行に出掛け、多くの絵画を模写しており、その中で彼が最も熱を入れたのは、ティツィアーノとカルパッチオであった(14)。この旅行の収穫としては他に、コローめく瑞々しい風景画がある(15)。
 1864年から68年迄、モローは再び官展(サロン)に出品する様に成る、是を展開の第二期と捉える事が出来るだろう。斯の時期の代表作《オイディプスとスフィンクス》(図7)を同じ主題を扱ったアングルの作品(図6)と比較して見ましょう。
 
  14. P.L.マチュー、ibid., pp.14, 66, 69, 77. ドガが手紙で「色彩好きのあなた」と当時のモローに呼び掛けている、同上、p.67。マチューはピコの教室時代既に「ヴェネツィア派へのはっきりした偏愛」が現われていると指摘している、同上、p.28。反対に中期の作品への影響が屡々(しばしば)指摘されるマンテーニャを始めとするプリミティヴの画家(たち)にはモローは(あま)り惹かれなかったようだ、とマチューは言う、同上、pp.28, 67, 73, 77, 112。(ただ)し後にモローはプリミティヴの画家達を賞揚している、同上、pp.178,.220。

15. この時期の幾つかの作品(図37~40)に就いては、Ⅲ章2節3) で言及する。

 
 先ずアングルの作品 - 視る者の目に入るのは堂々とした男性の躰である。画面の中心に左の脇 - 上腕 - 腿が作る三角形が置かれ、脇の斜線には右上の雲の見える崖、前へ出した左下腕、右下からスフィンクスの足元への線が、左上腕には左上の洞穴の縁、スフィンクスの躰、槍、崖の線と逃げる男が夫々(それぞれ)呼応し画面を三角形で埋める、是等に二本の足の垂直線が加わって安定させる。幾何学的に決定された構図の中で、観者は逞しい躰を描き出す線の動きを追えば良い。先の《ウェヌス》(図3)と同じく、線を強調する為に、肉付けは薄い浮彫りとして処理される、線の展開の効果を妨げない様奥行を暗示する要素は避けられ - 例えば背景の空は(すこぶ)る平坦な塗りで処理してある - 空間を平面に定着する(16)。
 アングルの与えた標題(タイトル)が《スフィンクスの謎を解くオイディプス》なら、標題の違いが既に二つの作品の内容の違いを語っていよう。モローでは先ず、画面の縦の比率が大きく成って、垂直感を強め、アングルの持っていた安定に疑問を呈す。アングルと同じくモローの構図も二本の対角線を基礎にするが、アングルが上向きの三角形を描けばモローでは倒立三角である。スフィンクスの翼からオイディプスの左脛に至る線と、両者の視線 - スフィンクスの躰 - 背景の断崖の線が画面を組立てるが、前者は(はなは)だ部が悪い。オイディプスの凭れている岩、槍、彼の躰は全て後者を強める。スフィンクスの翼は、オイディプスの左脛の線に対して上昇が急に過ぎ、突き出された腰は今にもオイディプスの胸から滑り落ちそうな感じを与える。オイディプスはアングルよりも硬質な線で描かれ、躰は丸彫り的な肉付けを施されて量感を持つが、其が此の場合緊張を高める。スフィンクスは平浮彫りでその不均衡が不安を与える。硬直した尾も緊張に強張っている様だ。右の柱の垂直も安定させるよりは緊張を助長する(17)。全てが左下の深淵に誘われる。アングルと比べると空は内から輝く様に描かれ、深味を暗示する。画面全体の色調も、アングルのギラつく写真性に比べると、調和が取れている(槍の赤は(いささ)か安っぽいが)。- 併し是等の要素は、ドラクロワ流のバロック的な流動に依ってではなく、線に動きを奪い取られる事に依って不安と緊張を保つ。ドラクロワに比べるなら画面が静止し描かれている対象が明瞭に成る事に依って、アングルに比べるなら吸引する空間が暗示される事に依って、アングルに於ては線の自動に身を委ねていれば良かったのが、此処(ここ)では画因(モティーフ)の表わす観念への暗示が働くのである。女獣(スフィンクス)は人形めいて美しく。アングルの野性的な英雄と並べればモローの彼は其こそ「希臘(ギリシャ)のハムレット」(18)で、その二人が沈黙の中で対峙している、画面の与える緊張は両性の牽引と反撥を、不安は登場人物の運命を暗示する…。
  アングル《オイディプスとスフィンクス》1808-25
図6  アングル《スフィンクスの謎を解くオイディプス》 1808-25

16. 此の作品は元は一層平坦で影の無かったのを、注文者が苦言したので後から上の要素を追加したのだと云う、R.ローゼンブラム、『アングル』(参63)、p.80。因みにローゼンブラムは、アングルの制作を平面的線 - 抽象 - イタリア・プリミティヴと質感の細密描写 - 写実 - フランドル・プリミティヴの相克の上に見ている、同上、pp.24-34。本稿註29参照。

モロー《オイディプスとスフィンクス》1864
図7  モロー《オイディプスとスフィンクス》  1864 左下に署名 PLM.64

17. 同じ様な円柱をモローは屡々導入しており、垂直性の強い画面の中、斜めに置かれた形態(多く女体)の流れを差し止め、時間を静止させている、図29、30、46、47、54 及び 2、5、13、16、23、24、26、31、42、43、49、56、57 参照。

18. テオフィル・ゴーティエの評、江原順編訳、「モローの言葉とモローについて述べられた言葉」(参38)、p.187。
 中期のモローの作品は,アングルに比べれば色調に目を向けているとは言え - 特に背景、大旨古典派的な技法 - 線の優位、滑かな賦彩 - で描かれ、静寂の中人物が大きな位置を占め、構図や寓意的(アレゴリック)な細部で文学的な暗示を喚起する(19)、と云った(てい)である。造形性と文学性は未だ充分に統一されず、後者がのさばり出す事も多い様だ(20)。     19. モローは絵の解釈は見る者に()って変化する、と述べているが、彼自身は細部の特殊な寓意を定めていた - (たと)えば、《オイディプスとスフィンクス》で右手の柱脚に絡む蛇は死、蝶が蛇から逃れるのは月桂樹と共にオイディプスの勝利を表わす云々、或いはオイディプスの勝利は永遠の謎に対する倫理的勝利だ、等。J. Kaplan, ibid., pp.23-24, 142-III21.

20. 「大なり小なり意味ありげな細部のこうした積み重ねが、見る者に、…作品の絵画としての特質から目をそむけさせ、文学的で凝りすぎの図像学的探求へと向かわせてしまうのである」。P.L.マチュー、ibid., p.96. 亦当時W.ビュルジェと云う人はモローの作品を「判じ絵」と評し、《オイディプスとスフィンクス》に就いて次の様に述べたと云う、「…ギリシャやギリシャの伝説についてしゃべる気を起こさせるばかりで、絵そのものについては考えさせもしない」。同上、pp.96, 84.

  
 《オルフェウスの首を持つトラキアの娘》(図8)は当時の作の一つ、中央左寄りに立つ少女は左を向いて頭を垂れ、背景の岩山と共に右方に大きく空間を開いている。背景は《オイディプスとスフィンクス》の延長で省略した筆で描かれ、質感(マティエール)も輝き色調も美しい。対するに前景の娘は丹念に仕上げられ、その対照が空間を一層拡げているが、上半身の衣や特に蒼白い詩人の首と、竪琴の赤はうまく治まっていない様に見える。次の時期に繋がるのは、(むし)ろ同じ主題の水彩の変奏(ヴァリエイション)もだろう(図9) - 画面全体を金の砂でもちらした様な光=色調が覆っている。形態は素朴(プリミティヴ)な線で単純化され、油彩では衣が躰にぴったり付いて却って貧弱の感があったのが、此処では画面にうまく統一される。油彩では右に開けていたのが水彩では閉じられ、空間は狭まるが(ほと)んど親密(アンティーム)と云って良い雰囲気を流す。モローがルドンに最も近付くのが此の様な作品だろう(21)。油彩が詩人の死に()る沈黙を描くなら、水彩は詩人の死に依る自然の聖化を謳っていると云えるでしょう(22)。
 先の《アフロディテ》(図5)にせよ此の水彩にせよ、(おおやけ)用から遠ざかった小品に於ては、画家の筆は自由に成り、全展開を通じて共通するところが現われて来ます。

  モロー、《オルペウス》、1865
図8 モロー《オルフェウスの首を持つトラキアの娘》 1865 左下に署名 PLM.71

モロー《オルフェウス(オルフェウスの首を運ぶトラキアの若い娘)》1864
図9  モロー《オルフェウス》 1864 左下に署名 PLM.73


21. モローとルドンに就いては、本稿註40 及び「結び」参照。

22. 《オイディプスとスフィンクス》、《オルフェウス》は夫々、モローの主題の二本の柱である〈宿命の女(ファンム・ファタール)〉(図5、7、19~23、29、30、41、46、49、54、55、56、57)と〈詩人〉の斯の時期の代表作である。特に様々な展開を見るのは後者で、文字通り詩人を扱った物は(もと)より(図8、9、47)、ヘラクレスの様な英雄(図7、25 及び 37、50)、基督(キリスト)教的主題(図16、24、28、38、42、48)は全て是に含まれる。晩年の《死せる竪琴》(MGM.cat.804 他→こちらなど)、《贖罪者キリスト》(MGM.cat.303→こちら.)、《神秘の花》(MGM.cat.37→こちら) - 《ユピテルとセメレー》(図13)も(ここ)に含まれる - では詩人=殉教者の死を通しての宇宙的な聖化と成る。
《オイディプスとスフィンクス》に見る様に、〈宿命の女(ファンム・ファタール)〉も詩人に見られるもの、霊感を吹き込む者として関連を持つ(《詩人とシレーネ》、1893、パリ、個人蔵、PLM.cat.404→こちら)。〈ムーサイ〉を扱ったものでは禍々しさはなくなるが(図52、53)、両主題の中間に位置すると考えられる。(固より女性の〈詩人〉もモローは描いている - サッフォー(→こちらなど)、聖チェチリア(図42))、レダ(→こちらなど)、セメレー(図13、14))。玆でも聖化の過程が見られ、《栄光のヘレネ》(註9)は《死せる竪琴》以下の作品と重なって、〈宿命の女〉ヘレネが聖母や基督(キリスト)と同一視されている。モローの図像譜(イコノグラフィー)に就いては、、宮川、「神話的主題の構造」(参17)、H. H. Hofstätter, Gustave Moreau (参6) 等参照。


Ⅲ. 後期
1. 必要な豪奢さ

1) 宝石細工


 《ユピテルとセメレー》(図13)は、モローの遺言とも云われる大作です。此の絵を見て先ず感ずるのは、異様な迄の細部の集積だろう、暗い光の中で輝く色彩を纏い、円を基本にした其等は無数の眼と化して観者の方を見詰め、画面全体の秩序を破って各々(おのおの)が自立して動き出しそうに見える(23)。是等を辛うじて押さえ付けているのが正面性と左右相称の構図で(24)、最下層の魑魅魍魎(ども)は闇の中で分明としない塊量として集められ、その中で底辺の左右の人物を出発点にヘカテ-(25) - 中央で光る有翼女獣(スフィンクス)(?)が斜線を作る。次の層はもっと大きな尺度(スケール)で描かれ、先の斜線を汎神(パーン)が受け、鷲の首 - 翼の方向に折れ曲がる。次層は左右の天使(?)が繋ぐ玉座の下部で、装飾は物体に従属させられて空間を更に開く。玉座を支える柱の上の石の花等では塊量感が甦り、鷲の翼の線を左の柱上のスフィンクスが折って裳裾に繋ぐ。そして主人公達の層、鷲の右翼はセメレーの傾きに呼応し、裳裾は竪琴 - 背後の女人からユピテルに至るがジグザグは後光と化して拡散し、背後の空が息を付かせる。左右の柱は最も細かい大小比率(スケール)の装飾で覆われて律動(リズム)を完成し、空の深さと対比されながら画面の下に降りて行く(空は柱の間で画面(なか)ば迄喰い込んでいる)。以上の構図の中で、神秘な光に包まれて簇がる化生と、その中心で観者を睨み付ける大神の眼は(26)、視る者に此の世ならぬ物と向き合っている、と云う感情を召喚する。即ち斯の絵は聖画(イコン)なのであり、作品の主題 - 聖性顕現(ヒエロファニー)に思い至らしめる。 
  モロー《ユピテルとセメレー》1894-95
図13  モロー《ユピテルとセメレー》 1894-95 右下に署名 MGM.91 PLM.408

23. マックス・エルンストの《沈黙の眼》(1943-44、セント・ルイス、ワシントン大学)が思い出される。実際、エルンストの《沈黙の眼》や《雨後のヨーロッパⅡ》(1940-42、ハートフォード、ウッズワース文庫)の如きデカルコマニーを応用した風景画は、鮮やかな色彩で微細な迄に描かれた細部が自立して生動する様に見える点、ダリやタンギー以上に、モローに共通する所がある様に思われる。

24. 「厳しい左右相称の構図は雑多な細部を統一へと収斂させる役割を果している」。P.L.マチュー、ibid., p.182。モローが構図の参考にした物として北方ルネサンスの祭壇画の模写が残っている(→こちら)。様々な装飾に囲まれた玉座に父なる神が坐り(=ユピテル)、その右膝に御子が坐っている(=セメレー)。左手は、Α、ω と書かれた本を持ち(=竪琴)、その上に聖霊の鳩がのっている(=背後から顔を出している翼のある女人 - 天使かそれともヘラか?)。Kaplan に依ればモローがこの作品から借りたのは「全体の絵画的な霊感、ヒエラルキーの尺度(スケール)左右相称(シンメトリー)均衡(バランス)、精巧な装飾」だと云う、Kaplan, ibid., p.51.

25. ヘカテーは左前で頭上に月を頂き、目を見開いて此方(こちら)を見詰めている翼のある女性、ヘカテーの周囲にいるのは「(エレボス)」と「夜」の怪物たちの暗い群れ、「影」と「神秘」の形無き存在たち等々、パーンはユピテルの象徴(シンボル)である大鷲の前で愁いに沈んでいる髯のある山羊の耳をした男性、その左右の女性は「死」と「苦しみ」、セメレーの脇から落ちて行く腕で目を覆っている翼のある子供はバッカス(?)。モロー美術館カタログ(参1)にモローの説明が掲載されている(cat.91)。

26. (やや)滑稽でなくもない神の描写(特に赤と黄の後光は画面の色調を壊している様に見える)は、明らかに中世の聖画(イコン)に示唆を得たのだろうが、この作品に限らずモローに見られる眼の効果に就いては、シャセリオーから影響を受けている所があるかも知れない(本稿註5)。モローの人物の視線は、目を伏せて己れに閉じ込もっているもの(図2、5、8、9、16、19~21、24、26、28、30、46、47、54、55、59、57)、人物が目差しを交わし合って観者と別の舞台を作っているもの(図7、22、23、25、42、43)が多い。直接の影響は()(かく)、前者はシャセリオーの《ウェヌス》(図4)や《水浴のスザンナ》(1839、ルーヴル→こちら)、《サッフォー》(1849、ルーヴル→こちら、この画因(モティーフ)はモローに類似するものがある、1872、ロンドン、ヴィクトリア&アルバート美術館、PLM.cat.137→こちら他)と呼応させる事が出来よう。註5で触れた《夕べ》や《ダヴィデ》(図16)の天使(及び図49)はシャセリオーの《エステル》(図1)と近い印象を持つが、人物が小さく成ってその分観者に喰い入るよりは遠くを見やっていると云った感が強い。《雅歌》(図29)の誘う様な眼はシャセリオーの《温浴室(テピダリウム)》を受け、《夕の声》(図53)や《ユピテルとセメレー》のユピテル、殊にヘカテ-で此岸に対立する異物として己れをはっきり現わす。

 この作品は、モローを形容するのに屡々(しばしば)使われる言葉 - 「宝石細工師」(27)の特質が最も極端に現われている、と見倣し得るが、その細密描写と装飾性に就いて考えて見ましょう。    27. 亦は「金銀細工師」。例えばP.L.マチュー、ibid., p.126(《出現》(図23)に就いて)、p.148(シャルル・ブラン、ラ・フォンテーヌ寓話挿絵に就いて)、p.155(エドモン・ド・ゴンクール)、etc. 亦ポール・ヴァレリー、吉田健一訳、『ドガに就て - ドガ・ダンス・デッサン』、筑摩書房、1977、p.60(ドガ)、D.ゲラン編、ibid., p.59(ゴーガン)等々。モロー自身〈美しい無力 la belle inertie 〉と共に、〈必要な豪奢さ la richess nécessaire 〉を自らの原則としていたと云う、大岡信、「ギュスターヴ・モロー論 - アラベスクへの愛」(参17)、p.56 註10 及び P.L.マチュー、ibid., p.178 他。
 
 《玉座のナポレオン一世》(図12)は、モローが参考にしたと思われる《ユピテルとテティス》(図11)(28)の原型であるアングルの作品 - 玆でも正面性と左右相称を基本にした構図に、精緻な細密描写が蒼白な顔面と対照されて、近付き難い荘厳さを漂わせている。玆での細密描写は、正確な質感(マティエール)を再現する為に用いられ、各々細部は、隣接する部分との関係に従って描かれ、部分がしゃしゃり出て統一を壊さない様にしなければならない。最も微妙な明暗が肉付けを施し、其を統一するのが光の役割である。    アングル《皇帝の座につくナポレオン1世》1806
図12  アングル《玉座のナポレオン一世》 1806

アングル《ユピテルとテティス》1811
図11  アングル《ユピテルに懇願するテティス》 1811

28. 《ユピテルとテティス》の大神は、ナポレオン一世(図12)の豪華な衣裳が厳粛さを高めていたのに比べると(はなは)だ寒そうで威厳が無い。背景を開かせ、周囲に雲の様な柔かい物を配したのも其に一役買っているだろう。裸体の様な大きな面を要求する対象に対しては、細部再現の原理ではなく、テティスの様に線の原理に徹するべきだったのではないかと思える(本稿註16、29参照)、お蔭でテティスの奇態な効果が強調されるにしても。ケネス・クラークはこの大神を「一個の古典趣味的家具」と呼んでいる、K.クラーク、高階秀爾・佐々木英也訳、『ザ・ヌード』、美術出版社、1971、p.197。モローのユピテルもアングルに劣らず強張っており、セメレーは全く生気を欠いているが(このセメレーの姿態(ポーズ)は、以前の《パエトン》(1878,ルーヴル、PLM.cat.175→こちら)に由来するが、そちらの方がまだ伸び伸びしている)、玆ではその固さが(かえ)って非人間性を強調している。所で《ユピテルとテティス》に対しては、既にラ・フォンテーヌ寓話挿絵の一枚《ユーノーに訴える孔雀》(1881、MGM.cat.566、PLM.cat.226→こちら)に影響が見られ、鷲がアングル作では左から現われる女性(ユーノー?)の位置に変っている。この作品は、垂直の柱で支えた斜めの女体、と云うモローお得意の構図だが(註17)、その中でも流麗な線のアラベスクが際立った一作である。
 北方的な物を感じさせる(29)アングルに対して、南からクリヴェリの作品(図10)(30) - アングルの光や質感の再現の代りに、玆では線が支配している。硬質な線が枠組を決め、その中に色が与えられて行く。アングルに()ける如く外から光が射し込むのでなく、明暗は最低限に抑えられ、もし光が或るとすれば色調に内在している。そうして出来上がった画面の上を更に線が刻んで行き、其処に亦肉付けを加える。(つま)りアングルでは細部は()(まで)全体に従属していた上で息付(いきづ)いたのに対し、クリヴェリでは装飾は画面の構築に対し自立性を強めている。
 扨モローはアングルの様に質感再現が目的に成っている(わけ)ではないし、細部が全体と連続しているとも言えない。細部は独立しようと前に出、光もはっきり描写されるのでなく、色調に由って生み出される。併しムーテルがモローがクリヴェリから得たと云う「彫塑的に象嵌した金色燦然たる壮麗さ」は、後半は兎も角前半に就いては如何(どう)だろう。モローでは内から沸き上がる光がずっと強い。アングルの様に光がはっきり外的に捉え得ないのは、光が明暗ではなく色に由って作られるからだ。細部を区切る線も色以上に目立つ、と云う訳ではない。画面を統一しているのは、構図以上に此の神秘的な色彩なのであって、玆でもモローは、アングルの線とドラクロワの色の綜合、と云うシャセリオーの課題に彼なりの解答を提出した、と云えないだろうか。
 
  29. 発表当時、この作品はゴシック的と評され、ファン・アイク(ヤン)の影響(就中ガン祭壇画内側上段中央の《父なる神》)が指摘されたと云う、R.ローゼンブラム、ibid., p.68。先に見た(註16)ローゼンブラムの図式に従えば、この作品は細密描写 - 写実 - フランドル・プリミティヴの側に、《ウェヌス》(図3)、《オイディプス》(図6)は線 - 抽象 - イタリア・プリミティヴの側に属すると言えよう。事実、《ナポレオン》では線の働きは画面で(あま)り意識されない。

クリヴェッリ《聖エミディウスのいる受胎告知》1486
図10  クリヴェリ《受胎告知》 1486

30. 玆にクリヴェリを持ち出したのは、リヒャルト・ムーテルが「以太利亜十五世紀(クワトロチェント)諸家の中ではカルロ・クリヱリが彼の理想であった」としているからだが - R.ムーテル、『19世紀佛國繪畫史』(参52)、p.393、同じ文章と思われる(もの)をH.H.ホーフシュテッター『象徴主義と世紀末芸術』(参7)が p.181 で引いている。本文で引く「彫塑的…」は[後者から取った - 、モローがクリヴェリから特に影響を受けたと云う話は他では聞かない。
 
 モローが()くの如き様式(スタイル)に達したのは、1876年の官展(サロン)への参加に於てである(図19、23、25)(31)。色の話が出た所で、その使い方をモローが《ヘロデ王の前で踊るサロメ》(図19)を描くに当たって参照したと思われるドラクロワの《ユダヤ人の結婚》(図17)と比べて見よう。共通するのは、画面上半を明け、下左半に左腕を上げて踊る女性を配す、と云う構図上の画因(モティーフ)である。    31. (もっと)も1878年出品の《ダヴィデ》(図16)や1880年出品の《ガラテア》(図56)は、中期に近い所が見える。画室(アトリエ)内では増大して行く色彩への耽溺も、(おおやけ)用の作品では完成への意志に抑えられたのだろうか。《ダヴィデ》では全体の色調が可也(かなり)明るいので、宝石細工の輝きも押され気味だ。神秘も白日に曝されて光を奪われた、と云う所で画面上半は舞台の書割の様に見える。この白々とした雰囲気も其なりの魅力はあり、モローが描きたかったのが霊感の枯渇した老詩人への絶望であるなら(モロー美術館カタログ199の説明)、是で良いのかも知れない。尚この絵の細部で、輪郭と賦彩が一致していない -Ⅲ章2節3)-iii(註77)参照。

モロー《ダビデ》1878
図16 モロー《ダヴィデ》 1878 右下に署名 PLM.171
 
 ドラクロワ - 先ず目に入るのは、中央の大きな白壁である。此の白は左右の蔭に連続的に移って行く、と云うよりは強く対照される事に依って光と(ねつ)っぽさ - 涼しさの印象を生み出す。其を緑が抑えようとする事で、却って対比を強めている。間歇的に配された赤や黄、青、焦茶が均衡(バランス)を与える。人物は個々独立しているのでなしに呼応し合い、踊る女の挙げた腕は右上では二階の人物に繋がり、左下では人群に沿って降りて行く。女の右は一旦途切れて、下から(ゆっく)り右に動き、緑の扉の前に立っている人物と対照させた後、画面奥と前に扇状に拡がる。前景の背を見せる二人の男は、垂直線で安定を与え、その視線で奥行への斜線を暗示する。
 モロー - 前景が空白(ブランク)なので観者と画面が遠ざかる。光は左上から右半ばで折れ、左下のサロメを照らすが、画面に平行していて其丈(それだけ)で完結し、観者と結び付かない。ドラクロワの横長の画面では人物相互の連絡が作られたのに、縦長の画面では垂直性が強調され人物は孤立する、ドラクロワの生気のある沈黙に対して、文字通りの静寂である。ドラクロワが装飾の無い大きな色面の対照で画面を作ったのに対し、モローは微小な細部で覆われている。併し是等は中期の如く明瞭な線で刻まれるのでなく、光と影に浸される。細部は其自身の輝きと反射に依って輪郭を失い「震動」(32)する、此の震動は光の部分にも影の部分にも及んで両者を統一し、輝きは外からの導入ではなく、内在する物と成る。細部は視る者の眼を誘い込むが、先に述べた様に独立した世界を作っているので迷わせて出さない。此の沈黙と神秘な輝きの中、「聖遺物匣」めく衣を纏ったサロメが「巫女か女魔術師」(33)の如く腕を挙げる、ドラクロワの女の腕が群像の頂点であったのに、モローでは動きが孤立した(だけ)、一層印象的なものと成っている。
  ドラクロワ《モロッコでのユダヤ人の結婚式》1837頃
図17 ドラクロワ《モロッコにおけろユダヤ人の結婚式》 1839

モロー《ヘロデ王の前で踊るサロメ》1876
図19 モロー《ヘロデ王の前で踊るサロメ》 1876 左下に署名 PLM.157

32. 「この時亦、彼は絵画の堅固な、明瞭な構造に豊富さの感覚を作り出す為、光と影の錯綜した戯れと輝く色彩を使い始めた。これは特に、光が物体を打ちその細部を埋める所で明らかである。結果形は限定を失い、近くから見た時は形ははっきりせず、遠くから見た時に焦点が合う事になる(右に懸かっているランプ)。画面は単彩の背景に()って強調された強烈な色の筆触と染みの輝きで、一体(いったい)に豊かになる…《サロメ》で成された彼の光と影の新しい扱いは、絵の雰囲気と空間に大きな寄与を果し、作品に一体に神秘感を与えた。しかし、明暗の関係の強調は、決してモローに物体の精密な限定に対する関心を捨てさせはしなかった - 彼が19世紀のアカデミックな芸術と分かち合う妄執。彼は夫々細部を非常に堅く強い線で描く事を続け、各々をできる限り明瞭にした。《サロメ》では是等二つの異なった技法が同時に存在し、精確な要素と無定形な要素の間に震動の感覚を造っている。実際、この震動は形態の静止に抗い、絵画の喚起的、神秘的な力の視覚的な基盤を成しているのだ」。Kaplan, ibid., p.35.

33. モローの言、同上、p.144 に掲載。

 ドラクロワが色彩の対比(コントラスト)に依って観者に訴える画面を作ったに対し、モローは色調を統一して完結した世界を作る。「…モローは、ドラクロワを越えてヴェネツィアの画家達に直接問いかけたのであり、彼らの色彩調和の大原則にこそ学んだのであった」(34)。併し、モローとヴェネツィア派の間に、レンブラントの名を挟みたい(35) - 神秘な光に由る絵の内面化、光と影を切り離すのでなく統一する事(36)、特に晩年の作(37)に見られる豪奢な衣服とその質感(マティエール)に支えられて闇の中から輝き渡る色彩、就中(なかんづく)深い赤(38) etc.。が相違も大きい - レンブラントの作品では、深い闇の中から、動きの跡を残して重ねられる筆触が、画面と垂直に現われて観者に溶け込む。厳しさの儘に、充実した力が観者に深い内面性の印象を与えるのだ。レンブラントの作品(図18)と並べると、モローは随分と平坦に見えて(しま)う。漆黒の闇の中、右に見える建築物は最低限空間を支え、拡がりと奥深さを強調する。画面に対して斜めに置かれる事物は奥行きを暗示し、観者を闇に浸して厳粛さを伝える。幻の様に明滅する建築物は、闇の単一性を強調し、人物の塊量感と色彩を強めて記念碑性(モニュメンタリティー)を与え、自らは観者を一層画面に引き込む役割を果している。白、赤、鋼は画面を息付かし、安定させている。 - モローの闇は決してレンブラント程深くは成らず、光と融合して画面一杯に拡がり、画面と平行に閉じて了う。レンブラントの特質を内面性と呼ぶなら、モローの其は幻想である(39)(40)。モローが以後、色彩を自由に展開させて行ったのは、レンブラント程深い闇を描き得なかったから、と言えるかも知れない(41)。
  
  34. P.L.マチュー、ibid., p.34.

35. レンブラントとの直接の関係に就いては、充分調べ得なかった。既に1846年ピコの教室でのレンブラントの模写が残っている(j. Kaplan, ibid., p.11 及び cat.2)。亦 Kaplan は《サロメ》のアーチに懸けられたランプは、モローが複製を所有していたレンブラントのエッチング《イエスが金貸しを寺院から追い払う》(1635、大英博物館)から借りたのだろう、と云う、同上、p.34→こちら。後に1885年頃彼はネーデルランドに旅行するが、是はレンブラント研究の為とされている(足取りはよく判っていない、P.L.マチュー、ibid., p.171)。亦弟子達に対してレンブラントを賞揚している、同上、p.200 及びG.ルオー、『回想』(参61)、p.48。本稿註41参照。

36. ゲオルク・ジンメル、髙橋義孝訳、『レンブラント - 藝術哲学的試論』、筑摩書房、1979、pp.196-207。敷衍すると - バロックの光は画面の外から入って外へ流れて行く事に依って無限を暗示し、観者と結び付く。カラヴァッジオやジョルジュ・ド・ラ・トゥールの光は影とくっきり対照される事に依って、形態を浮かび上がらせる。対するにレンブラントの光は、画面の外に流れ出る事なく影と「同胞(きょうだい)のように扱われ」る事に依って画面全体に結び付いており、もって内面化が果される。光と影の融合を支えているのが、彼の厳しい筆触で、玆が全てを柔かく溶かし込むカリエール - レオナルドの暈かし(スフマート)の極端化と考えられる - との相異である。

37. 《放蕩息子の帰宅》、1663頃、レニングラード、エルミタージュ美術館、《家族の肖像》、1668-69、ドイツ、国立アントン・ウルリッヒ公美術館、《ユダヤの花嫁》、1668、アムステルダム国立美術館、等。

38. 図2、14、22、31、46 等参照。


レンブラント《キリストと姦淫の女》1644
図18 レンブラント《姦淫の女》 1644

39. とすれば、《ユピテルとセメレー》(図13)でモローは、再び観者と接触しようと試みたのかも知れない。

40. ルドンはレンブラントの名に於て、モローの非人間性 - 「視覚的修辞(レトリック)」、「宝石が多過ぎる」事、「内面の装飾化」、「生のさまざまな衝撃からきびしく身を閉じた洗練された独身者のような作品を作った」事、「芸術以外の何ものでもない」事(粟津、『ルドン』(参56)、pp.164-167)、「つくりもので贋の生」(池辺、『ルドン』(参55)、p.171)を断罪している。ルドンのモロー評に就いては更に P.L.マチュー、ibid., pp.136, 239.

41. 「レンブラント風の作品に深紅色その他の豪華な色合いを配してみた。すると、色彩であれ、色調であれ、この親しげで深い詩情を壊さずに、何ら積極的なものをこの物憂げな調和の中に挿入するのは不可能であるということが理解できた」。モローの言、P.L.マチュー、ibid., p.220. 即ち彼は「豪華な色合い」と「深い詩情」をレンブラントの様に調和させる事が出来ず、やむを得ず前者の探求を専らとした、と解釈するのは附会に過ぎるだろうか。

 

2) 線から色へ

 《聖セバスティアヌスとその拷問架》(図24)は1870年頃の作品で - 《アフロディテ》(図5)と同じ頃 - 寧ろ中期に属するが、先に述べた様に小品ではモローはより自由に振舞う。中期の作品の背景(図7、8)に使われた手法の拡張だが、色彩の輝きが遥かに強い。画面は大旨水平に厚く塗られた材質感(マティエール)が輝く中を、垂直線が空間を与えている。無駄な物は全く削ぎ落とされた(42)静寂に厳粛さが響く。赤は黄、茶、緑等色相の近い色が水平に流れ去ろうとするのを、画面下で繋ぎ止めて、垂直線と統一し、悲哀を奏でる。
  モロー《聖セバスティアヌスと執行吏たち》1870頃
図24 モロー《聖セバスティアヌスとその拷問架》 1870頃 右下に署名 PLM.126

42. モローは宗教的主題を扱う場合、処理を単純にすると指摘されている、P.L.マチュー、ibid., pp.90, 104, 171. Kaplan, ibid., p.43.
 《ヘラクレスとレルネー沼の水蛇(ヒュドラー)》(図25)は《サロメ》と同じ再登場(デビュー)作 - 両作を中期の作品に比べると、「舞台が重要性を得る:一層の注意が光に払われ、人物は小さく」(43)成った事が判る。線で描かれる人物が縮めば、其丈色の占める役割が大きく成る。画面を二つに分けて対峙する垂直線を、雲や屍の水平線が繋ぐ、《オイディプスとスフィンクス》(図7)と同じく、動きの無い事が戦いを精神化する(44)。が何よりも画面を統一するのは幻想的な光を表わす色調で、その統一が画面の与える印象を強める(45)。     モロー《ヘラクレスとレルネー沼のヒュドラ》1876
図25 モロー《ヘラクレスとレルネー沼の水蛇(ヒュドラー)》 1876 右下に署名 PLM.152

43. Kaplan, ibid., p.42.

44. 同上。

45. 此の主題では、素描や水彩に(むし)ろ面白い物が多い、そう云った作品に比べると、油彩は稍大仰に見える(特にヘラクレス)、坂崎、「モローのデッサン」(参10)、p.29 及びその図20-21。

 
 《庭園のサロメ》(図26)は1878年の作品 - 《ヘラクレスと水蛇》で全体の色調に息抜きが欠ける様な所があったが、此の作品に至ると砂糖細工めいて人に()ると受け付けないかも知れない。緑に対して衣のクレオンで描いた様な青も充分映えていない。併し緑、黄、橙、白、暗い下部の発光は鮮やかで、緑に細かい線を加えて柔かさをよく出し、サロメの腕に平行するヨハネの腕 - 逃げる男、と預言者の首 - サロメの裳裾の交錯が画面の非対称(アシンメトリー)を安定させ、サロメの装身具や水盤の細かい線、右下の幾何学的な形が画面を引き締める。単純化された形態のサロメは実に可憐に見える。この絵は、モローの作品中では《オルフェウス》水彩(図9)に稍近いだろうか、水彩は流動せず、モローにしては親しみ易い雰囲気を出している。併し人物は小さく色彩の対比は強く成り、緑と青が冷たい感じを与える。     モロー《庭園のサロメ》1878
図26 モロー《庭園のサロメ》 1878 右下に署名 PLM.176
 《ピエタ》(図28)は《サロメ》等(図19、25)と同じ年の小品だが、《庭園のサロメ》以上に線は震える色に埋もれんとしている。両者の筆が自由に成る程、モローとドラクロワは相近付くが、ドラクロワに比較すれば(図27)、先に述べた事が再確認されるかも知れない - 目を射る白、赤、緑、黄と云った色彩は、連続する明暗の中から浮かび上がって来ると云うより、他の色との交渉に依って強め合っている。緑の山と聖母、基督(キリスト)以外の人物の相似する形態が蠢く様な質感(マティエール)と共に押し被さり、聖母の方向と衝突して収束する力が屍の上で輝く。全体の暗さと擦り付けた様な筆致が各々の色の表出に重さを与える。モローの屍はドラクロワ程光を発していない。筆触はドラクロワでは捏ねた様で内に籠る熱気を伝えたのが - 即ち色が形と成る - 、モローでは形を()み出して震動し - 形が色に没する - 、画面全体を統一して聖なる物の安らぎを伝える。ドラクロワの呼び起こす感情が抑えた激しさとすれば、モローでは静かだが一層人間離れしている。雰囲気は《庭園のサロメ》以上に《オルフェウス》水彩(図9)に近い。     モロー《ピエタ》1876頃
図28 モロー《ピエタ》 1876 右下に署名 PLM.148

ドラクロワ《キリストの埋葬》1848
図27 ドラクロワ《キリストの埋葬》 1848
 《雅歌》(図29)は晩年の宝石細工師モローの典型と見える - が、丁寧な筆致が見えるのは躰の肉付けだけで(過ぎる程だ(46))、他は可也(かなり)自由な賦彩が施されている。構図は螺旋で下の石段と背景が分離して了ったのを結び付けようとする(併し充分で無い様に見える) - 裳裾と曲げた右脛の斜線は背景の山だか建物の傾斜に続き、一方腰帯 - 肩掛 - 頭 - 柱頭へと登って解き放たれる。柱頭左側 - 花の斜線が交差し傾きを引き止め、右腰の衣で空間に拡がって行く。右手の衣 - 背に翻る襟巻(マフラー)が変化を与え、柱の垂直が画面を安定させ、水平線は月に懸かる雲に呼応し、月と雲の橙は背景と前景の黄を結ぶ。厚味の無い暗い柱や段に空の青が投げ掛けるのは闇ではなく月明かりの濃密さで(柱や段に刷かれた赤や青を見ていると気分が悪く成る程だ)、その中の黄や赤、青は妖婉さを与える。《ピエタ》に比べると、明暗ならぬ個々の色彩の発言が大きいが、ドラクロワの様に色の対比が観者に直接訴え掛けはせず、濃い異郷性を作り出している。     モロー《雅歌》1893
図29 モロー《雅歌》 1893 左下に署名 PLM.399

46. 本稿註9参照。
 《化粧》(図30)は《雅歌》以前の作品だが、背景が明るいので個々の色の独立が強く、絵具の流動も大きい。構図は似た様な垂直を強調した無機体と女体の柔かさの対照だが、硬直した肉付けはなく、下半身は全く立体感を欠いている。線が占めるのは背景の枠と顔・手のみで、他は色の流れに依って表わされている。衣の装飾も《雅歌》では未だ線的な輪郭性が見えたのに、《化粧》の其は色の有機的な増殖だ。併し上部に物憂気な、高慢そうな女の顔が描かれている事に依って、画面は観者から退き、見られる対象と化す。
 《化粧》はモローが画室(アトリエ)から出した作品の内では、最も処理の自由な類に属するだろう。《サロメ》(図19)や《ヘラクレスと水蛇》(図25)で光に依って線と色の綜合を果し、幻想世界を現出させたモローは、その極たる《ユピテルとセメレー》(図13)に向う。(おおやけ)用の制作では、《ダヴィデ》(図16)の様に色が光に抑えられる事もあったが、《庭園のサロメ》(図26)では光以上に色が強い。より私的な《セバスティアヌス》(図24)や《ピエタ》(図28)、《雅歌》(図29)では線が更に後退している。《化粧》に至って線の占める場所は全く片隅に追い()られ、色が自由に謳っている - 斯うしてモロー美術館への道が開ける。

 
  モロー《化粧》1885-90頃
図30 モロー《化粧》 1885-90頃 右下に署名 PLM.385

2. 色彩の夢想
1) エボーシュ


 最初の《一角獣》(図2)を除いて、今迄言及した作品は全て、モローが完成作と認めて制作場(アトリエ)から出した作品です(47)。次にモロー美術館に入って見ましょう。
 《ユピテルとセメレー》(図13)を、その繁雑な迄の細部の輪郭付けに由ってモロー美術館の一つの極とするなら、もう片方の極は《エボーシュ》とのみ呼ばれる(48)作品群である - 玆には色彩のみがある。
  47. 是等は全て、P.L.マチューの『完成作品カタログ』に列挙されている。版画その他を含めて計473点に成る。巴里のモロー美術館はモローが遺言で国家に寄贈したもので、1902年受諾された。油彩800点、水彩350点、素描と模写7000点以上と云う。マチューのカタログにはモロー美術館の作品が《ユピテルとセメレー》等7点あるが、是等は後に持主に依って寄贈されたか、発表当時売れなかったもの。尚モローの作品の未完成に就いては、本稿註51参照。

48. 辞書に依ると - ébauche 女性名詞 ①(絵画・彫刻・文学などの)粗造り:下ごしらえ、粗削り:下書、下絵、粗描:(小説などの)草案。 ②ほのかな輪郭、かすかな形。是等の作品は「色彩の研究」と呼ぶ事もある様だ、竹本、「異教詩人の竪琴」(参8),p.76、その図20。

 先ず一点(図31) - 最初に気を取られたのは氷色とでも称すべき白だ、目の詰まった様な凝縮性は厚塗りの質感(マティエール)に依るのか地が残されているのか、黒との対比に依って生きている。黒にしても同じく、この画面に実在感を与えているのは、流動しない凝縮された質感(マティエール)だろう。闇と氷の冷え冷えとした無機性丈では画面が生きないので、有機的な赤が導入される。併し斯の赤も同じ質感(マティエール)に依って炎は凍り付き、画面の厳しさを強める。暗度の高い赤と黒が白に結び付かないので、より明度の高い黄が均衡を与え、亦黒と白の無機に対し赤と有機性の対を成して画面を完成する。均衡(バランス)の上からは、赤(特に左下)が黄に対して多過ぎる様な気もするが、兎も角画面の与える感情は厳しさであり、荒涼たる舞台での(ドラマ)だ。右半の白に挟まれた黒はモローがよく使う円柱かも知れない、この絵にもう少し輪郭が与えられれば、例えば図46の様に成るのかも知れない。併し大切なのは「物語は色彩を通して語られる」(49)と云う事で、其以外ではない。     モロー《エボーシュ》
図31 モロー《素描(エボーシュ)(色彩研究)》 MGM.

49. H. H. Hofstätter, Gustave Moreau (参6), p.159.
 
 次の作(図32)では窓を開く白が無く、息苦しさが募る。横長の画面で水平方向が意識され、赤と青の拮抗が目に入る。上部の褐色も二分され、筆触から見ると左半が右半に凭れ掛っている。補色の赤と緑は熔け合わず、暖色の赤と黄が引き合うのを寒色の青と緑が遮っている。この絵でも粘る様な質感(マティエール)が雰囲気を保障している。物語は密室での生命のぶつかり合い、併し解釈は視る人夫々だろう。   モロー《エボーシュ》
図32 モロー《エボーシュ》 MGM.1139
 今の二作では上下 - 前後のある三次元を見る事が出来たが、この作品(図33)では奥行は全く失われ、上下は下に重い紫、上に黄や赤が昇っているから多分(たぶん)、と云うだけで何らかの舞台を見る事は出来ない(50)。地肌ははっきり映り、その上に絵具の固まりが粘り着く様に、爛れる様に力強く置かれている。紫 - 緑 - 赤 - 黄と身を捩じ曲げる様に昇って行く、右上の地の透けた淡黄の拡がりが開放を暗示する(51)。
  
  モロー《エボーシュ》
図33 モロー《エボーシュ》 1890頃 MGM.

50. 「…形を成さない色をつけたもの…この色にしても明瞭に天と地面と奥行の構成を持っていて、モローがすべて舞台の上の想像の世界を描いていることを示していました」。池辺、『近代絵画のはなし』(参54)、p.104。後半の意見は兎も角(註57参照)、前半は玆に挙げた作品に代表される様に、必ずしも一般的ではない。「どの方向からみても殆んど破綻なく見られる」のが造形力の証しだと云う見解は一応置くとしても(小倉、「現代の眼からみたモロー」(参17)、p.68)、一体如何(いか)な抽象と云えども、上下左右完全に対称でない限り、与える印象は一定の上下を前提としているだろう、G.シュミット、『近代絵画の見かた』(参64)、p.105。
  
註51. モローが是等の作品をどの様に考えていたのか分っていない、其処(そこ)で「ある評者は大作への試行段階、単なる『推移的な段階』とみなそうとした。またある評者たちは、モロー自身まだ真剣にとりくんでいない『未完の理念』のあらわれだとみなした。さらにある評者は、モローが、これらの作品のあるものに署名し、いずれも丁重にマウントし額縁にいれているという事実のみを指摘した」。中山、「モローの竪琴」(参32)、p.8 -

・「それらが決して単なる習作や筆のすさびでなかったことは、例えば『スケッチE』や『死せる竪琴』にその例が見られるように、モローが自らはっきりと署名を入れていることから証明されよう。モローにとってこれらの作品は、当時としては公式に発表することのできないものであったにせよ、明確に意識された『完成作』でありその意味では彼は最初の抽象画家のひとりであったといってもよいのである」。高階、「ギュスターヴ・モロー」(参25)、p.147。

 「…明らかにサインしている作品がある。大作の『死せる竪琴』『ガラテア』(図57?)などがそれで、G.M.のサインがみられる。ということは、彼は作品のこの段階において、すでに或るイメージの完成を確認していたことを意味するのであろう。これはセザンヌにもしばしば見られるが、両者とも、いわば未完の完成を知っていたことで、むしろ作家のヴィジョンの強さを立証しているとみてもいいと思う」、小倉、ibid., p.68。

・マチューは題名を見つける事の出来る作品のある事を指摘し、一方「純粋な色の遊びであると認めざるを得ない」作品の存する事も認めるが、亦(いわく)、「こうした試みが芸術作品としての自律性を持つのは、唯一現代の鑑賞者の目からみてのことなのである」。P.L.マチュー、ibid., pp.188-190.

 「彼の色彩習作に現代のノン・フィギュラティフの先駆を見ることは、単なる様式的な系譜として以上には、あやまりだろう。おそらくそれはつねになんらかの主題として構想されている。…しかしそれだけに一方、習作の段階をへて、コンポジションを描きこめば描きこむほど、モローは想像力の…未分化な全体性から遠ざかる危険にさらされていたようだ。おそらくモロー自身、この矛盾に気づいていた。未完の作品のおびただしさはそれを語っているように思われる」。宮川、ibid., p.63.

 「この画家が多くの未完の画を残しており、これらの作品から最後まで描き上げたくないという意識的な企図を推論することができる…モローは観念論的な内容をレアリスム的な歪曲をつくして造形する…ことの矛盾を感じ、彼の〈完成した〉作品を妥協の産物と見倣していたのにちがいない。モローがおびただしい作品を最後まで描き上げなかったのは、彼にとってはそれが十分に完成したものであったからであった。…だが、モローを初期フォーヴィストと見ることも、タシスムの先駆者と見ることも、ともに誤った解釈であろう。…モローの断片(フラグメント)絵画にあっては、色彩が人物像(フィギュール)や、幻影のように暗示的に描かれているだけの人物たちの所作(しぐさ)の代役をつとめている。かって画家が象徴形体において定式化したものは、いまやことごとく色彩へと凝縮せしめられている。燃えさかる赤と刺すような黄色の音色は、かってキルケーによって豚に変身せしめられたオデュッセウスの仲間たちの形姿によってわかりやすい言い回しで語られていたのと同じことを暗示的に語るのである。…この画家はみずからのさまざまな象徴観念を色彩の形体の中にことごとく圧縮してしまったのだ…」。H.H.ホーフシュテッター、『象徴主義と世紀末絵画』、p.130、及び Gustave Moreau, pp.160-162.

・「絵のスケッチ状の状態は、モローの制作方法を反映し、亦彼の議論の的になっている『非具象の』油彩スケッチの機能を明らかにする。絵の最も印象的な所は注意深く描かれた細部である。モローの後の完成された絵は、これが充分に仕上げられたであろうことを示唆する、非常に精密にされた形態で満たされたろう。細部の一枚の準備素描が、装飾の性質を暗示する。形態と装飾的な細部は色の域の上から加えられる - 素描が最初で賦彩はその後、と云うアカデミックな方法と違って、モローは、しかし彼のイメージを色調の広い域によって思考したのだ、調和が置かれて始めて彼は形像の細部を加え始めた。この技法は全く新しいものではないが(モローは既に《サロメ》の習作(図20、22)で使用している)、《アレクサンドロス》(→こちら)は大きな、完全な絵画に()けるその使用の最も明瞭な例を提供する。モローの《アレクサンドロス大王の勝利》は、抽象表現主義の先駆として孤立させられ公認されている彼の習作が実の所準備スケッチである事を明らかにする。その二つの例 - 一つは《ユピテルとセメレー》(図13)の準備の習作だろう(図15)、一つは何か風景を扱っているようだ。このような習作が絵画の基盤である事は、人物が窺えるスケッチに依って証明される。《良きサマリア人》は明らかに対象を有する構図である、その『非対象』の油彩に対する関係が明瞭であるにも拘らず。モローは生涯スケッチを制作したので、後のスケッチは異なった性格を帯びるに至った。40年前のフロマンタンへの手紙で、彼は形体の基本的なアウトライン、構図内の肉付けを定めた後で、自由に色の域を当て嵌める、と述べていた。しかし1870年代には、モローの技術的な自由が増し、線の骨組を省く様に成った。構図の最初の観念は今や直接油彩スケッチの形を取った。しかし、モローが常に形体のある構図を念頭に置いていた事は疑えない、彼が単にキャンヴァスに、色斑のストロークと dabs (一刷け)を当てていた(だけ)の時でも。これら色の域はそのまま彼の絵画的な観念と絵画が表現する内容の種子を含んでいる。モローが決して非対象絵画を創造する事を意図しはしなかった、にも拘らず彼の作品は、それが20世紀の表現主義の展開に影響を与えた、と云う主張を支持している」。Kaplan, ibid., p.50.

この意見は、モローの最も「抽象的な」作品は全て油彩である事(少なくとも今迄見る事の出来た限りでは)、モローの制作過程(に関しては、P.L.マチュー、ibid., pp.193-206)を踏まえている事からも、説得力がある。併し、モローの意識は亦別だ。結論を出す前に、モローの芸術観を一瞥して置きたい -

・理想主義 - 「私は自分が触れるものも見るものも信じない、私は自分に見えないもの、そして自分が感じるものだけを信じる。…」、大岡訳、ibid., p.54.

同じ様な発言はフリードリッヒ、ゴーガン、キリコ、クレー等幾らでも探し出せよう。

「芸術は高め、高尚にし、徳化するものでなければならない…」、P.L.マチュー、ibid., p.217.

・純粋造形 - 「構図において、精神と良識(ボンサンス)の理性的な結合が、ほとんど純粋に造形的である想像的着想、すなわち〈アラベスクへの愛〉にとってかわるとき、芸術は死ぬ」。大岡訳、ibid., p.57.

「ある画面が、なんらかの対象を再現しておらず、また、なんの感情をも描きあらわしていないにしても、その画面は、なお装飾としての独特な価値をもっている」。坂崎訳(参51)、p.32。

「諸君がルーヴルへ行き、ヴェロネーゼの作品《カナの饗宴》やコレッジオの作品《ユピテルとアンティオペ》の画面の背景から、仮りに任意の一辺を切りとって、これを枠にはめ、識者に示したとする。するとその人は、主題も構図も対象もはっきりとしない彩色された一片を前にして、即座にこういうだろう。 - これを描いた人は、疑いもなく真の絵描きだと -」、同上、p.340。

この発言は、ボードレールのドラクロワ評 - 遠くから云々 - (註6 及びゴーガン、D.ゲラン編、ibid., p.167)と対にする事が出来よう。

「画面に描かれる非現実的な任意の色調は、主題の非現実的な性格からして生み出されるべきものでは少しもなく、美しさという観点から選びだされた色彩の必然性に立って、画家によって創り出されるべきものである」。坂崎訳(参51)、同上、p.33。

平行する見解 - ゴーガン「音楽の姉妹である絵画は、形と色彩だけを糧にして生きている」。D.ゲラン編、ibid., p.94.

ドニ「絵画作品とは裸婦とか、戦場の馬とか、その他なんらかの逸話的なものである前に、本質的に、ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な表面である」。高階訳(参50)、p.111。

アウグスト・エンデル「われわれは今や完全に新しい芸術の入口に立っている。それは何ものも意味せず、何ものも再現せず、しかも音楽のひびきがそうであるようにわれわれの魂を深く動かすことのできるような形態を持った芸術である」(1896)。高階秀爾、『芸術空間の系譜』、鹿島出版会、1967、p.164。

・純粋造形による内面表現 - 「線、アラベスク、造形的な諸手段によって、思想を喚起すること、これこそ私の目標だ」。大岡訳、ibid., p.52.

「私は生涯、私が画家としては文学的でありすぎるという、誤った馬鹿馬鹿しい意見に、あまりにも苦しめられてきました。…これらすべてのことは、言葉による説明を必要としないものです。この絵の意味は、造形作品を少しでも解読できる人にとっては、じつに明瞭であります。必要なことは、ただ、少しばかり夢みることであって…」、同上、p.51。

「色彩を考え、それについて想像力を持たねばならぬ。もし想像力を欠くなら、美しい色彩を出すことは決してできない。…色彩は考えられ、夢みられ、想像されねばなるまい」。同上、p.56。

「芸術とは、造形性のみを手段として、内的感情を厳しく追及することにほかならない」。高階訳(参17)、ibid., p.65

「私の内にはあるものが支配的な位置を占めている。それは抽象へのたいへん強い熱情と誘惑だ。人間の感情や情熱の表現は私にとって確かに非常に興味深いものである。しかし、こうした魂や精神の動きを表現するよりも、どこに結びついてよいか分からぬ内なる輝きを、いわば目に見えるものにすることの方が私には向いている。この輝きは、一見何の意味もないような外見のうちに、何かしら神聖なものを持っていて、純粋造形の驚くべき効果で翻訳されると、本当に霊妙な、崇高と言っていいほどの地平を開いてみせてくれるのだ」。P.L.マチュー、ibid., p.182.

所で、玆での「抽象」と云う言葉の使い方は、ゴーガンの「あまり自然に即して描いてはいけない。芸術は一個の抽象なのだ。自然の前で夢みつつ、そこから抽象を引き出したまえ」(D.ゲラン編、ibid., p.36)に近いが、恐らくゴーガンの方が一層技法に結び付いていたろう。ベルナール、ゴーガン、ゴッホ等の「抽象」と云う用語に就いては、二見、『抽象の形成』(参66)、pp.22-24, 30.

「この小品の印象は畢竟色調、色価、基本的な線の選択の内に在る。其等が構図に(ほと)んど宗教的な性格を与えるのだ。全ての説明は絵がいかに観者の精神に、説明の助け無しに何らかの印象を呼び起こすか、知らせはしない。其処が大切な点だ」。Kaplan, ibid., p.142 / II96 及び III50, 54, p.143 / IV25, p.44, p.53.

平行する見解 - ドニ「形態と感動との間には密接な交感関係(コレスポンダンス)が存在する。 - それが象徴主義である」。高階訳(参29)、p.193。

同「音や色や、言葉は、外界の再現ということのほかに、それ自身で、奇蹟にも似た表現的価値を持っている」。高階訳(参50)、p.50。

諸感覚の照応(コレスポンダンス)は当時ボードレール、ランボー(「母音」)等文学者から、スーラ(宮川『美術史とその言説』(参24)、pp.95-102、R.バリュリ、『フランスにおける象徴主義』(参47)、pp.12-14)、ゴッホ(クルト・バット、佃堅輔訳、『ゴッホの色彩』、紀伊國屋書店、1975、pp.52, 109-118, 145-171, 178-180)、ゴーガン(D.ゲラン編、ibid., p.13)等画家を浸し、カンディンスキーに於て集大成される、時代の風潮であった、H.H.ホーフシュテッター、『象徴主義と世紀末絵画』、Ⅲ-15、17章。

ゴーガン「形と色彩によってなんと美しい思想を表現できることか!」、D.ゲラン編、ibid., p.37.

同「音楽が考えさせる様に観念やイメージの助けを借りず、ただ私たちの頭脳と、このような色彩と線の配列との間にある神秘的な関連だけから、考えさせるものでなければならないんです」。同上、p.143。

同「やれやれ、文学的な手段ではなく、絵画固有の手段を用いて、自分の思想を表現しようとすると、絵とはなんとむずかしいものか!」、同上、p.173。

同「画家の文学性とは特殊なものであって、文学作品をフォルムによって説明したり、翻訳することじゃない。要するに絵においては、音楽がやっているように、描写するより暗示しようと努めるべきなのだ」。同上、p.326。

同「何よりもまず理知的な ー ということは『文学的』とは違う - 画家」。高階訳(参29)、p.144。

カンディンスキーも、「文学的」でなく「純芸術的」と云っている、カンディンスキー、西田秀穂訳、『芸術における精神的なもの』、美術出版社、1958,p.79。
是はボードレールの「哲学的芸術」と「純粋芸術」(恐らくドラクロワが頭に在ったろう)の区別に呼応するだろう、ボードレール、ibid., pp.249-259.

・モローに戻って - 「私は自分自身の為に制作する時だけ幸せを感じるくらい自分の芸術を愛している」。P.L.マチュー、ibid., pp.26, 147.

「…常に健全で正統な批判の声…は、私の試みるものすべてを、疑わせしめ、私の想像力が狂気と耄碌に境を接するものだと囁くのだ」。同上、pp.20、147。

この発言を、「・純粋造形 -」とした項の 「構図において…」と並べて見ると、少なくともモローの内に於て、理想主義的な芸術観と純粋造形の探求との間に対立 - 緊張があったことが判る。

(ラ・フォンテーヌ寓話挿絵に就いて)「この小さな水彩画というものは、手早く仕事を仕上げた時にだけ満足すべき結果が得られるということを、私に教えてくれた」。同上、p.16。

「簡素にし滑らかで綺麗な仕上げから遠ざかること。現代の傾向は我々を手段の簡易化、表現内容の複雑化へと導いてゆく…これからの芸術では、まだ曖昧な大衆教育が少しずつ成長してゆくにつれ、注意深く仕上げにまで推し進めたり、完成させたりする必要はもうなくなる。…将来の芸術は(すでにブーグローその他の方法論を告発しているが)、我々は単なる指示、荒描き、そして様々な印象の多様性のみを要求するようになるだろう。完成させることはまだできようが、それは完成という感じを伴わぬ完成なのだ」。同上、p.222。

ゴーガン「二流の画家はいつも、仕上げの知識と称するものに首をつっこみすぎると思います。きわめて巧みな筆さばきはすべて、マティエールを思い出させることによって、想像的な作品を損うだけです。ごく抽象的な教えを適切に、しかもごく単純な形で用いることのできる人間だけが、真に偉大な芸術家なのです」。G.ゲラン編、ibid., p.66。

同「あまり仕上げすぎないようにしたまえ。印象というものは、永続性のないものだから、仕上っていない細部をあとになっていじくりまわすと、最初のほとばしりが損われてしまう。そんなことをすれば熔岩の熱をさましてしまい、もえたぎる血を石に変えてしまうことになる」。同上、p.328。

以上を見た上で、本題に帰ろう -

「…二つの理由 - もちろん近似的な理由に過ぎないが - をあげておきたい。ひとつは、モローの方法が、その初期の制作以来、色彩言語の体系と、線的言語の体系を明瞭に区別し、事実、その両者をいわばモンタージュすることによってひとつの作品を成立せしめたという事実である。 - したがって、彼のエボーシュとはいわゆる下書きつまり推移段階というより、それ自身の価値を主張しうるもの、少なくとも独立の可能性をあたえられた作品であったということができる。それ故、晩年のある日、可能性に気づいたモローが署名し額縁に入れ彼自身にとっての完成作とみなしたということも充分にありうるのである。もうひとつの理由とは、…幻想性からみいだされる。叙事詩的想像力は、個々の事象の積木細工によって構築される。…状況の論理的、写実的な配置が必要なのである。ところが、幻想の世界にとっては、現実的論理は不必要である。写実的な状況描写ではなく、むしろ心理的なニュアンスが重要となる。そして、前者においては、現実的なフォルムを示すために線が重視され、後者においては色彩言語により重点がおかれるのはまたとうぜんといわねばならない。自然と心理的内奥の神秘を描くためには、具体的なフォルムや線は、むしろ障害とさえなりうるだろう。とりわけモローにとっては、線は、細部を固定するための装飾的な体系を意味した。したがって、彼の幻想が強化される程度に応じて、確定性への要求が後退し、線がその価値を徐々に失いはじめたこともまた必然的なことであったといわねばならない。モローがその新たな価値をどの程度に評価したかはわからないにしても、ひそかに意識したことも事実だろう」。中山、ibid., p.8.

玆では、上の見解に従い、Kaplan の意見も認めた上で、モローが《エボーシュ》類の独立した価値を、積極的ではないにしても、「ひそかに意識」していた、と見たい。併し常に頭に置かねばならないのは、作者の意向と結果は必ずしも一致しないと云う事であり判断は常に先ず結果に対して為されざるを得ないとすれば、モローが「芸術家個人はどんな場合でも公けになってはならないのであり、その人となりが作品の背景に完全に消えてしまうことが望ましい」と考えたとする時(P.L.マチュー、ibid., pp.184, 23)、彼も同じ事を意識していたと言えないだろうか。
 所で、右に挙げた様々(さまざま)のな見解はモローの〈抽象画〉のみならず、其も含めた彼の絵画の完成と未完成、と云う事にも関連している。即ちモロー美術館の殆んどの作品が、議論の対象と成る(亦、「それが物質的に完成しているか未完成であるか、そのいかんにかかわらず、美術的な完成の状態を読みとること」(J.ガントナー、「近世美術における未完成の諸形式」(参65)、p.72)と云う批評上の問題は一応置くとしても、「物質的」な未完成に就いても、モローの作品では色々な状態を認め得る。明らかに制作中途で置かれたもの(図2)、一つの完成作に対する「未完成」及び「完成」の複数の変奏(ヴァリエーション)(図13と14-15、19と20-21、23と22、56と57)、《エボーシュ》、油彩大幅と水彩小品の関係等々、註13、47、72参照。
 本文でドラクロワとモローは筆が自由に成る程相近付く(即ち下絵類に於て)と書いたが、ドラクロワ自身は完成作では下絵の生気が失われる事を認めながらも、完成作の方に価値を置いていた、阿部良雄、「ドラクロワ - 〈未完の美学〉」、pp.71-72、『絵画が偉大であった時代』、小沢書店、1980 所収。亦ボードレールがコローの作品に就いて「出来た(フェ)」と「仕上がった(フィニ)」を区別した(ボードレール、ibid., p.372)のに応じて、今日ではコロー、ターナー、コンスタブルの作品で完成作と下絵を区別し」、後者に価値を置く様に成った、ケネス・クラーク、佐々木英也訳、『風景画論』、岩崎出版社、1967、p.122(コンスタブル)、p.130(コロー)、pp.156、163(ターナー)、亦リオネロ・ヴェントゥーリ、坂本・佐々木・高階訳、『近代画家論』、角川書店、1969、ドラクロワ、コンスタブル、コローの章参照他。この完成 - 未完成の問題は更にイタリア・ルネサンスに迄遡る事が出来、レオナルドやミケランジェロに既に意識されていた、中村二柄編訳、『ガントナーの美術史学』、勁草書房、1967、pp.82、102。趣味の歴史に於ても、ヴァザーリのドナテッロ、晩年のティツィアーノ、ミケランジェロ評以来、頂点を20世紀に持つ迄、荒っぽい仕上げは観者に想像の余地を与え、制作に参加させる、として評価されていたと云う、E.H.ゴンブリッチ、瀬戸慶久訳、『芸術と幻影』、岩崎出版社、1979、pp.265-277。即ちモローの作品、亦本文次章で言及する幾つかの作品は、ガントナー言う所の〈先形象(プレフィグラツィオン)〉の歴史の一つの環として、捉えられねばならないのだろう。

   

2) 19世紀の先抽象画

 19世紀の絵画からモロー以外にも、抽象絵画の先駆と見倣し得る様な作品を幾つか、拾い出す事が出来る:自然観察 → 晩年のターナー(図34)、モネ、綜合主義 → セリュジエ《護符(タリスマン)》(図35)、両者の間にホイッスラー、モンティセリ、ルドン(図36)の作品、装飾芸術 → アール・ヌーヴォー → ヴァン・ド・ヴェルド《抽象的構成(コンポジション)》等(52)。
  52. 是等の作品は、美術史全体の流れが抽象への趨勢に在った事を念頭に置きながら見なければならないだろう。
 坂崎『抽象の源流』(参18)は他に、ユゴー、ストリンドベリのデッサン、ドガ晩年の風景画、ロダンの彫刻等を挙げている。
 ヴァン・ド・ヴェルド《抽象的コンポジション》は1890、オランダ、クレラ・ミュラー美術館、高階、『世紀末芸術』、p.137。装飾的な曲線の輪郭に暗い青、黄等を配した作品で、球根か何かを思わせる。実際、別の所では《果実の装飾または植物の構成》と題されていた、S.T.マドセン、高階秀爾・千足伸行訳、『アール・ヌーヴォー』、平凡社、1975、p.269。
 他に、作品を見る機会を得られなかったが、アウグスト・ジャコメッティ(1877-1947)と云う画家が、線から色への展開に依って抽象に達した、と云う、「象徴主義の画家たち」(参45)、p.71。
 所で、〈自然観察〉、〈綜合主義〉と書いても勿論絶対的ではなく、セリュジエの《護符》は元々(もともと)自然を前に写生したものだし(本稿註55)、ターナーは浪漫派に属する画家であり(註54)、モネにしても例えばロンドンやヴェネツィアを扱った作品が与える印象はその夢幻性であり、1922年の《日本風の太鼓橋》(ニューヨーク、近代美術館)は殆んど表現主義的といって良い暗い、(ねつ)っぽさを呈している(但し、この作品はモネが眼病を患っている時描かれたもので、回復後是を見たモネはその奇妙さに驚いたと云う、ウィリアム・C・ザイツ、辻邦生・井口濃訳、『モネ - 世界の巨匠シリーズ』、美術出版社、1968、p.158。先のモローの抽象論議と云い、セリュジエの作品と云い(註55)、このモネと云い、作者の意識と結果の乖離と云う問題は随分とややこしい様だ)。
 先ず、標札(レッテル)を外して、ターナーとセリュジエの作品を較べて見よう - ターナーでは画面全体を一つの渦巻が占めている。色は黄と赤が大部分を占め、黄は明るく深奥を、赤は暗く前方を暗示するが、筆触が渦の運動に両者を巻き込み、濃淡の連続として統一する。由って統一された空間が開け、宇宙的な光の運動を生み出す。所々に配された白や青、寒色に暗色は単調さを防ぎ、強勢(アクセント)を与えている。
 ターナーでは全てが連続していたのに、セリュジエでは個々の色が分離し、固有の価値を主張している。色と色の境界は線としてはっきり現われる。筆触は画面に沿ってベタ塗りで、静寂と平面性を与え、其が一層色の固有の輝きを強調する。画面の何処にも強調点(ポイント)が無く、散漫に成りそうなのを、赤の斜帯 - 岸と、水色の垂直線 - 樹が()()りの所で統一し、対象性を朧に表わす事で観者に手掛かりを与え、同時に周囲の色に中心部への収束と拡散の作用を与え、個々の色を強調すると同時に響き合わせて統一する。くすんだ様な質感(マティエール)に依る色の交響は、遠さと思い出の感情を流し込む。
  ターナー《光と色(ゲーテの理論)-洪水の後の朝-創世記を書くモーセ》 1843年頃
図34 ターナー《光と色(ゲーテの色彩論)》 1843

セリュジエ《タリスマン(護符) 愛の森を流れるアヴェン川》1888
図35 セリュジエ《護符(タリスマン) - ポン・タヴェンの愛の森の風景》 1888
 
 ターナーやモネの作品に対して、よく「靄に霞んだ様な」と云う形容が使われる。即ち一切が連続しているのだ。是はターナーの暖色と寒色を対照させた作品でも(53)、ターナーより平面性・個々の色が強く成るモネでも(54)同じで、是等を統一するのは筆触であり其処から光の印象が生まれる。対するセリュジエは、色調の連続に依ってではなく、色の対比にその効果を負っている、ターナーが光とすればセリュジエは色の絵画である。一切を融即させるターナーがその制作に統一された感情の反映を直接感じさせるのに対し、色の効果を明瞭にする為に沈静と線の要素が現われて来るセリュジエは、絵画形式其物(そのもの)への一層の密着と省察を感じさせ(55)、その限りターナーを浪漫派、セリュジエを象徴派と呼んで良いかも知れない(56)。     53. 例えば、《戦艦テメレール》、1838、ロンドン、ナショナル・ギャラリー。

54. ターナーに就いては、彼が浪漫派の画家であると云う事と、彼が如何に自然観察に熱心であったかと云う事が、同時に強調されている、K.クラーク、『風景画論』、pp.159-163等。クラークは、ターナーと印象派の違いとして、「色の種類を極度に制限し、きわめて微妙な明暗の差によって多様な色彩を暗示しようとした」ターナーを「調和画家(アルモニスト)」とし、「虹の七色を基本とする原色主義」に立つ印象派を「色彩画家(コロリスト)」と呼び、両者の発想源としてゲーテとニュートンの色彩論を夫々配したと云う、高階秀爾、『美の思索家たち』、新潮社、1967、pp.133-137。尚、ターナーの抽象に関しても、モローと同じ様な議論があるらしい、ジョン・ウォーカー、千足伸行訳、『ターナー - 世界の巨匠シリーズ』、美術出版社、1977、pp.114-120。

55. セリュジエのこの作品は、ポン・タヴェンの〈愛の森〉にゴーガンと一緒に写生に言った彼が、次の様なゴーガンの指示に忠実に従う事で成立した - 「あの樹はいったい何に見えるかね。多少赤みがかって見える?よろしい、それなら画面には真っ赤な色を置きたまえ - それからその影は?どちらかといえば青みがかっているね。それでは君のパレット中の最も美しい青を画面に置きたまえ…」、高階訳(参50)、p.99。ゴーガンはゴッホにも同じ様な事を言っているが - 「へえー、山は青かったかね、それなら生の青をぶちこめ」、二見、ibid., p.54 - D.ゲラン編、ibid., pp.184-185 に次の様な章句が見られる(1896-97) - 「純粋な色彩だ…そしてそのために、すべてを犠牲にしなければならない。青みを帯びた灰色という固有色を持つ木の幹は、純粋の青となる。…色の強度が、それぞれの色の性質を示すだろう。…これが嘘の真実なのだ。…なぜなら、それは、真実のもの(光、力、偉大さ)の感覚を与えるからだ。…つまり聴く目の言葉としての色彩について、想像力の飛翔を助け、私たちの夢を色どり、無限と神秘に通じる扉をひらく、その暗示力(A.ドラロッシュの言葉)についてだ。…つまり描くのではなく、色彩自体から、その固有な性質から、その内的で神秘的で謎めいた力から流れ出る音楽的な感覚を与えるようにしなければならぬ。巧みなハーモニーを用いることによって、人は象徴をつくり出す。音楽と同様、振動(ヴァイブレーション)である色彩は、もっとも普遍的なもの、したがって自然の中にある最も定かならぬもの、つまり自然の内的な力に達することができる」。尚色彩固有の表現価値に就いては、註51.所でこの作品は、「セリュジエにとって、突然変異ともいえる作品であり、その後は、がんこなゴーガン主義から抜けだすことができなかった」とされている、末永照和、(参46)、p.70。

56. 浪漫主義も象徴主義も、後の超現実主義(シュルレアリスム)と同じく、元々文学運動が先陣を切ったもので、様式的に見ると可也乱暴な分類でも -
浪漫派:フュスリとブレイクはマニエリスム、ターナーとコンスタブルは前印象派、ラファエル前派第1期は官学派(ポンピエ)的写実主義と色調分割の先駆(第1期ラファエル前派の技法に就いては、潮江宏三、「魂の自然主義」、『美術手帖』、1974年10月号、pp.75-82、海野弘、「世紀末のプレラファエリスム」、同上、pp.120-124、中村義一、『近代日本美術の側面 - 明治洋画とイギリス美術 - 』、造形社、1976、pp.309-310)、フリードリッヒは古典主義でルンゲは先アール・ヌーヴォー、グロ、プリュードン、ジロデからアングルに至る新古典派、ジェリコー、ドラクロワはバロック。
象徴派:ピュヴィ・ド・シャヴァンヌを先駆にゴーガン、ポン・タヴェン派、ナビ派は綜合主義、ホードラーも是に近いが彼やベックリンからシュトゥック、クリンガーへと移るに従って自然主義→官学派と動き、クノップフやデルヴィルはラファエル前派 - 官学派、トーロップはアール・ヌーヴォー、セガンティーニは点描法、クリムトに至ると官学派、アール・ヌーヴォー、綜合主義のごた混ぜである。他に印象派と表現主義の狭間にルドン、アンソール、ムンクの如き一匹狼の色彩家たちがおり、全ては密接な関係を取り合っている。亦浪漫派と象徴派を繋ぐ者として、モロー始めシャヴァンヌ、ルドン、ベックリン、ロセッティ、バーン=ジョーンズ等の名が挙げられる -
()く収拾が着かなくなり、畢竟形式以上に内容が問題となる。併し両者には共通する要素も多く、本文での両語の使い方も可也一般的なものに留まる、この前後の本文参照(尚、象徴派では絵画的技法と最も密接に結び付いている、と云う事で一応綜合主義をその代表と考えている、本稿註59)。
 
 扨モローの抽象画(図31~33)を両者と並べるとどうなるだろう - 一つ一つの色が純粋に抽出され、固有の価値を主張している点、明らかにセリュジエに近い、或いは其以上と言っても良い。所でセリュジエでは色面の拡がりは、二次元上を流れる各々独立した色が互いに交渉して限定し合い、其処に線が生まれる様に見える。是はモローに比べると明らかに成る事で、モローの色はセリュジエ以上に自由だが、その自由さが却って色の動くのが三次元である事を感じさせる。即ちセリュジエでは展開が飽く迄二次元上で成される為、色同士が直接接触する境界は一次元の線に成らざるを得なかった。モローでは色斑が色斑の儘でいる為、質感(マティエール)の伸縮がその周囲に三次元を現出させ、画面を先験的に与えられた舞台での劇と感じさせるのだ(57)。画面は色と色の直接の応答に依って作られるのでなく、個々の色は一旦背景で調和された上で、間接的に前景で対比される。是はモローが最も平面的に成る時(図33)でも言えるが、玆にルドンを一枚置いて見よう(図36)。此の作品は筆触に依る熔解と連続と云う点でターナーに近いが、にも(かかわ)らず与える印象はモローに比べるとセリュジエに近い。筆触は空間を与えるのではなく個々の色を画面に定着させている。もし空間と云うなら是は無限で、ターナーが奥行に依って空間を暗示したのに、ルドンはその青を画面全体に拡げ、筆触に依って他と結び付ける事で、絵の平面其物から沸き出る質感(マティエール)は画面に対する垂直と水平の方向性の緊張の中で凝固した様に見える。斯の宇宙性はモローの舞台性に対して、寧ろターナーとセリュジエを最も緊密な形で融合させたと云うべきだろう。ターナーが浪漫派的な統一性で、セリュジエが色彩に依る呼び掛けで、ルドンが質感(マティエール)の宇宙性で観者を再創造に参加させた時、モローの完結は観者から遠ざかり、その本質 - 幻想性を全うしたのだ(58)。   57. 本稿註50参照。


ルドン《聖ゲオルギウスと竜》1907頃
図36 ルドン《聖ゲオルギウスと竜》 1907-10頃

58. 是等抽象の先駆者達と現代の抽象絵画との違いは何処にあるのだろうか - 一番単純な答えは、何とか対象を探し出せると云う事で、対象を見分け得ると云う事は画面を分割させ、本文で述べた様な理由と共に、地 - 空白の意識が見られない事と相俟って、三次元の空間を感じさせ、20世紀絵画に比べると重苦しさを与える。即ち二次元ならぬ三次元の空間とそれに滲透する空気の意識が感じられるのだ - しかし是ではセリュジエの《護符》もモローの図33も充分説明したことにはならないだろう、この問題は玆では残して置きたい。
 
 中期に於てモローは線的な様式にも拘らず、アングルが純粋に造形的な探求で満足していたのに比べれば、内的な物 - 古典派の天下りの普遍性ではなく、個性の目を通した上での普遍 - を表わそう、とした点でドラクロワ、シャセリオーを受け継いで浪漫派の画家であった。その際、線的静的な様式は観念の暗示、普遍化を強める点象徴派への一歩を踏み出したと云えるが、未だ線の白日化は観念を担い切れず、文学性が目についていた。 
 後期、増大する色はレンブラントの光に依って線と一応の綜合が果された。そして現われた幻想世界は、絵画要素自体 - 細部の寓意的意味ではなく、細部の集積其物が幻想性を伝えると云う時、象徴性へ更に一歩推し進めたと云えるだろうが(59)、寧ろ観者から遠退く異郷性は、最後の浪漫派と呼ぶのが相応しかろう。
 最後の大作《ユピテルとセメレー》(図13)では、繁雑な迄の線と神秘な色の綜合が表出力を高め、象徴性を高める一方、小品や画室(アトリエ)内の制作では色の要素が益々(ますます)大きく成り、遂に限定者としての線を全く追放して了った抽象画に至る。色はその純粋な固有性でもって謳い、絵の持つ力は己以外の何物にも依っていない、玆で彼は象徴派に名を連ねる。が、この時点に於ても彼の色は対比をもって直接観者に喰い込むのでなしに、自らの調和に完結した後でのみ、雰囲気を伝える。蓋しモローは浪漫派と象徴派の谷間に在る幻想画家なのです。
 次章では、《エボーシュ》とⅢ-2)章で見た作品との間隙を埋めましょう。

  
  59. 註51で述べた様にモローは、「観者が彼自身の様に個々の細部を詮索する事は望まず、逆に視る者は彼の絵画をフォルムによって呼び起こされ、其がもたらす応答によって理解できるだろう、と仮定していた」(Kaplan, ibid., p.53)。絵画要素自体に依る喚起、と云う目的を彼は同時代人と共有していたにも拘らず、本文で述べた様な彼の方法に対して、セリュジエを始めとする「19世紀末の象徴主義者たち - 例えばナビ派 - の様式的な規準は、屡々心像と茫漠と結び付けられて区別出来ない程の、形と色の単純化であった」(同上)。この技法 - 所謂(いわゆる)綜合主義 - に依って、彼等が観者に一層強い印象を与えようとしていた時、モローの細部は、視る者を見知らぬ世界に誘い込もうとするのだった。
 

3) 色から線へ

 モローはその初期以来小品や工房(アトリエ)内の制作では(おおやけ)用の大作よりずっと自由に振舞っていた。《蘇格蘭(スコットランド)の騎士》(図37)は初期の作品で、ドラクロワの影響が指摘されている(60)。上部を大きく明け下方に水平線、中央より稍片寄せて垂直の人物を置く、という構図はフリードリッヒの《海辺に立つ修道士》(61)に近いが、彼程の拡がりを感じさせないのは画面が縦長であって水平が強調されない事、騎手の位置がフリードリッヒとは逆に中央から進行方向寄りで拡がりが閉ざされるに由る。併し大自然に押し潰される孤独の念には近い物がある。カンディンスキーの《青騎士》(62)も類似する画因(モティーフ)を持つが、其処では画面を大きく横切る斜線と時を停められた様な筆触の豊かな色彩が、強い郷愁(ノスタルジー)を呼び起こしていた。この二つに比べるとモローでは動勢が激しいが、画面上から降るに従って内から輝く質感(マティエール)は震動を治めて水平に近付き、垂直と水平を統一、拡がりを暗示し、真横から見られた構図と一切の細部を削った事が、絵に象徴感を与えている。輝く質感(マティエール)が後の作品(図7、8、22、24、41、42、43、53、etc.)の背景等に現われるだろう。
  モロー《騎士》
図37 モロー《スコットランドの騎士》 1855頃 MGM.138

60. ドラクロワは《タム・オシャンター》と云う主題を1825年以後繰り返し扱ったが、1849年以後の最後の作のスケッチを、モローはドラクロワのアトリエで見たであろう、と云う、P.L.ibid., p.36.

61. 1808-09、ベルリン、シャルロッテンブルク宮。この作品に就いては、H.リュッツェラー、『抽象絵画』(参67)、pp.40-41。リュッツェラーは、フリードリッヒと画因(モティーフ)が類似したクールベの作品を比較していたが、クールベに従ったホイッスラーは寧ろフリードリッヒに近い作品を描いた、《トルーヴィルのクールベ - 青と銀のハーモニー》、1865。

62. 1903、チューリッヒ、ビューレ。コレクション。因みに、カンディンスキーは1906年モロー美術館を訪れたと云う、坂崎、『抽象の源流』、p.208。

 モローは伊太利(イタリア)旅行中「青や緑の微妙な味わいや雰囲気の表現など、コローを彷彿させる」(63)風景画を描いた、と先に書いたが玆に掲げた二作は(図39、40)、その中では極端な部類に入るだろう。図39は何かの絵の遠景丈取って来た様な作だが、()く薄い絵具を配して柔かい空気と遠さ、拡がりの感情をよく出している。もう一つは(図40)鉛筆で簡単に枠付けた上に、金茶を乱暴に置いた丈だが、線は元気が無く色も沈鬱で、正に秋以外の何物でもない。    63. P.L.マチュー、ibid., p.14.

モロー《イタリアの風景》1858
図39  モロー《イタリアの風景》 MGM.

モロー《風景》
図40  モロー《風景》 左下に署名 MGM.328
 
 《東方三博士の後を追う天使たち》(図38)は帰国後直ぐの作、殆んど感傷的(センチメンタル)と言って良い。単彩の濃淡の拡がりは沈鬱と孤独を伝え、左端は暗部と対照されて明るいが、星の位置が低いので傾斜より拡がりが暗示され、希望と云うより憧憬である。星の堅い線に対比された天使達の曲線の共鳴は、文字通り虚空に羽搏きを響かせる。是以上筆を加え得まい、と思わせる。
 以上は初期から中期にかけての作品だが、中期でも下絵の類では筆使いは自由に成る(64)。以下に示すのは年代の判らない物が殆んどだが、大旨後期から晩年に属するだろう。

  
  モロー《東方三博士を追う天使たち》1860頃?
図38  モロー《東方三博士の後を追う天使たち》 1860 下に署名 MGM.797

64. 例えば、《イアソンとメディア》(1865,ルーヴル→こちら)に就いて、レントゲン写真で見出された下塗りは、「大胆で自在な筆致による極めて自由なタッチと垂直線を強調した背景下絵 - 多くの点でドラクロワを思わせる技法」を示すと云う、P.L.マチュー、ibid., p.110. 亦、Kaplan, ibid. に複製されている《青年と死》(1856-65、ケンブリッジ、フォッグ美術館)の下絵(1865頃、MGM.cat.642 - 図15、白黒)や《オイディプスとスフィンクス》水彩(1860頃、MGM.cat.569 - 図31、白黒→こちら)も同様。所で、先に示した四点(図37-40)は皆単彩に近い物だが、是が初期 - 中期の下絵類に一般に妥当するのかは、この時期の作品を充分色刷りで見ていないので、何とも言えない。
 

i. 油彩

 《勝利のスフィンクスのいる風景》(図41) - 中央に女面獣の翼と鳥が見える。筆触は垂直性を強調し、空の色が褐色や質感(マティエール)と相俟って冷気を吹き込んでいる。単彩に近いので、質感(マティエール)の荒涼たる感じが一層よく伝わる。
  モロー《(勝利のスフィンクスのいる)風景 エボーシュ》
図41 モロー《勝利のスフィンクスのいる風景》 MGM.
 《聖チェチリア》(図42)も同然だが、筆触のザラ付きが少ないので垂直感が更に強く、窓の部分と画面の下縁を水平に引摺り、聖女の三角が両者を結び、目差の仰視と天使の俯瞰の助けを借りて、上昇感と底にいると云う感情の緊張を作り出す。聖女は調色板刀(パレットナイフ)で無理矢理絵具を押し付けて組立てられ、ギシギシ軋む様子は殆んど凄切である。飾り気一つ無い中世の僧院の一室、女詩人は聖なる物と対面する。    モロー《聖チェチーリア(カエキリア)》
図42  モロー《聖チェチーリア》 MGM. hors cat.
 
 《公園の散策》(図43)も《騎士》(図37)以来の直線的な筆致が用いられているが、稍単調で、左下部は浮いて了い、赤も充分輝かない。併し其丈にガランとした室内に対する石段から開放部は瑞々しく、筆触の有機性が目立つ。うねる様な律動(リズム)で描かれた両域を結ぶ婦人も魅力的だ。この作品では演劇性が目に着く様だ。    モロー《公園の散策》
図43 モロー《公園の散策》 MGM.224
 
 《パルクと死の天使》(図45) - 今迄の作品では厚い絵具を引張って塗っていたのに対し、玆では捏ねて盛り重ねた様に見える。運命神(パルク)の垂線は盛り上げた上から引搔い物だろう。画因(モティーフ)の類似するドーミエの《ドン・キホーテとサンチョ・パンサ》の一点と並べて見よう(図44)(65)。ドーミエでは一切を褐色の連続する色調が統一している。生き生きした筆触は光の揺らめきを伝え、暖かい色調、谷底である事を示す傾斜に乗って観者の内に流れ込む。人物の胸を張った姿は滑稽だが、歪形(デフォルメ)は緊張感を伝え、目鼻立ちの無い事が彼等を普遍化する。モローの人物も顔が無い。だが彼等の姿の震えは恐るべき物の顕現だ。開かれた空の冷たさは観者を突っ張ね、月も光を内に籠らせている。月に呼応する天使の後光も質感(マティエール)に依って冷たさを共有し、空の質感と対照される垂直の傷を付けられた山々も厳しさを唆る。馬と女神が首を垂れているのは、死の天使の無気味さを煽る(ばかり)だ。ドーミエの無名性が人間性に繋がったのに対し、モローの其は此の世ならぬ神々の世界である。
 所でG.シュミットはドーミエを色調の画家として印象派以降の色彩の絵画と対比させている(66)。モローの此の絵でも空の色や黄、橙、赤は固有の価値で輝いている。併し是等の色彩は、褐色と青に依って全体の色調が定められた中でこそ輝くのであって、寧ろレンブラントに学んだ物だろう。
 
  モロー《パルカと死の天使》1890頃
図45 モロー《パルクと死の天使》 1890 MGM.84
 
ドーミエ《ドン・キホーテとサンチョ・パンサ》1865頃
図44 ドーミエ《ドン・キホーテとサンチョ・パンサ》 1865頃

65. この作品の説明は、G.シュミット、ibid., pp.23-26 に負うている。但しこの本の図版(1850頃、バーゼル美術館)は、玆に挙げたものと同じではない。因みにドーミエの絵画も、註51で触れた〈先形象〉の歴史に組み入れられるべき物だろう。

66. 同上、pp.29-30…。

 《出現》(図46)と題されているからには、サロメ連作(図19~23、26)に含まれるのだろう。闇の中から黄金と赤が輝き渡り、金色は流れ落ちて女体に変ずる。先の作(図19)以上にレンブラント(図18)に近いのがこの絵だろう。色彩の輝きと深みを保障しているのは闇なのだ。では先に述べた違いはどうだろう - レンブラントでは画面下縁が闇に沈んでいるにも拘らず。基督(キリスト) - 老人 - 女の作る斜線と背景の神殿が暗示する奥行への方向が交差して、闇を観者の方に流したのに対し、モローでは色彩は、画面下縁を明ける事に依って暗示される奥行の中で、(ただ)垂直に流れる許でサロメと変ずる事で閉じて了い、観者の方へはやって来ない。   モロー《出現》
図46 モロー《出現》 MGM.661
 《エウリュディケの墓の上のオルフェウス》(図47)は、《パルクと死の天使》等と共に、モローの作品の内では表現主義的傾向の強い類に属する(67)。画面全体を暗い調子が覆い、空、森、地面は一種の点描で、墓所や池の周囲の直線的な筆致と対照され、各々重く鮮やかな色彩を響かせる。全体に黒を混濁させる事で、悲嘆の表現を強めている。池岸 - 土手の斜線は詩人を地中へ誘ない、墓所と枯木の垂直線が緊張を高める。左では月が均衡(バランス)を取っている。緊張の中で動きを奪われた画面には、静寂が響き渡っている(68)。     モロー《エウリュディケーの墓のオルフェウス》1890-91頃
図47 モロー《エウリュディケの墓の上のオルフェウス》 1890 左下に署名 MGM.194

67. この二つの作品は、1890年没した彼の恋人アデレイード・アレクサンドリーヌ・デュルーへの挽歌として描かれたと云う、P.L.マチュー、ibid., p.161.

68. この作品の傾向を更に推し進めた物として、《十字架とマグダレーナ》(MGM.→こちら)を挙げる事が出来る。寒々とした白い空の元、冷たい厚塗の緑の山の元に、重たげ気な十字架と二本の柱が立っている。十字架の中心からは光が発し、右の方を白い鳥が数羽飛んでいる。根元に堅い線で描かれたマグダラのマリアが坐り、その褐色に白と赤を付した姿は「血まみれの尼僧」と云う言葉を思い出させる。堅い形態と殆んど毒々しい許の色彩の印象は凄惨と言って良く、その雰囲気は《聖チェチーリア》(図42)に稍近い。

  

ii. 水彩

 油彩では質感(マティエール)に対する関心が目に付く。其故(それゆえ)形態は質感(マティエール)の許す限りに於て現われ、線の占める余地は殆んど無い。後で見る様にモローは、線に依る素描と色に依る下絵を平行させ、(のち)二つを重ね合わせる、と云う制作法を取る(69)。モローの線は決して流麗な物ではなく、屡々固い、素朴風(プリミティヴ)な形を取る傾向がある(70)。故に元々(もともと)完成作への下絵として制作された是等油彩では線と色は別物なのだ((ただ)し、見様(みよう)に依って、是等の作品が充分完成に達している事を認めたい)。対するに自由な霊感(インスピレーション)の戯れとして制作されたと思われる水彩小品では、固より主導権を握るのは色だが、色を助ける限りに於て、線は命を吹き込まれる様に見える。
  69. 本稿註51の Kaplan, ibid., p.50 と中山、ibid., p.8 の引用、P.L.マチューの指定した箇所(p.193)、及び本稿Ⅲ章2節3)-iii 後半参照。

70. 図9、13、24、26、28、38、42、43、45、47、48、52、53 等、参照。「なお、モローは天成の素描家ではなかったと言い添えておこう。彼の描線はしばしばかなり月並みで、一般に余裕や力強さに欠けている」。P.L.マチュー、ibid., p.195. 彼の素描に就いて pp.195-199. とは言え、《ヘラクレスと水蛇》の素描を始め、魅力のある物も見出されるが、玆では割愛した。

 《聖アントニウスの誘惑》(図48)は、地の見える上に焦茶を基調に、透明な青、緑、黄、赤を殆んど奥行無く自由に散らして(ざわ)めかせている。よく見ると聖者や「道化(フラッツェ)、蛇、人面鳥(ハルピュイア)、牡山羊」(71) 等が固い併し生き生きした線で描かれてある。色と線の変化(へんげ)が、聖者を襲う妄念を表わしているのだろう。    モロー《聖アントニウスの誘惑》
図48 モロー《聖アントニウスの誘惑》 左下に署名 MGM.525

71. H.H.Hofstätter, Gustave Moreau, p.160.
 
 《水畔》(図49) - 両端の垂直が画面を窓の様に見せ、青の後退と相俟って奥行を与えている。朱の堆積が必然的に頂上で線の顔を描き出したのか、線が画面の底から朱を呼び寄せたのか、分らない程両者は緊密に結び会っている。左の朱に対して、右で浮遊する赤が(鳥?)均衡(バランス)を取っている。    モロー《水辺で》
図49 モロー《水畔》 左下に署名 MGM.588
 
 《ガニュメデス》(図50) - 濃淡をもって流れる黒に、冷たい白は拡がりを与え、青、橙、赤が暗鬱さを強める。白が浮かばせる鷲と少年は、空の不定形に対比されるその翼の鋭角性が、線を呼ぶ境界線上に在り、悲劇を奏でる。    モロー《ガニュメーデース》
図50 モロー《ガニュメデス》 左下に署名 MGM.521
 
 《放蕩息子》(図51) - 冷たく透き徹った青の中で炎の固まりの様な赤が一点置かれている。青の補色に近い茶は青を強めながら赤と結び、赤の補色である緑は赤を強めながら青と結び、茶と緑は色相が接近し合って画面を整える。横長の画面と左端の垂直に依って強められた左上の水平線が、右半の繁みを生動させ、馬と人の輪郭と成って完成する。青は主人公の今迄の境遇の冷たさ、茶は家庭の暖かさを表わすのだろうか。    モロー《放蕩息子》
図51 モロー《放蕩息子》 左下に署名 MGM.417
 
 《楽神(ムーサ)達の散歩》(図52)とはよくも付けたり、と云った題名だろう。地が生きているので色は軽味を帯び、戯れながら流れ落ち、一旦底に達してから持ち上がって、殆んど必然的に女神達を線付ける。其に依って下降と上昇の緊張が与えられて画面を統一する。楽神達(ムーサイ)(そぞろ)歩く聖別された森が謳っている。    モロー《ムーサたちの散歩》
図52 モロー《楽神(ムーサ)達の散歩》 左下に署名 MGM.311
 
 《夕の声》(図53) - 水平線の地上に垂直の三美神或いは奏楽の天使が顕現し、浮遊と逆三角が降臨を表わす。正面性と左右相称は自然を聖化する。両脇の垂直は稍強過ぎる様に見えるが、《騎士》(図37)以来の水平の賦彩は、玆では地を生かしている事と、掠れた様な筆触、複数の色を混和している事で夢幻的な感じを出している。その水平に強調されて鮮やかな青、赤、黄、緑の天女達が舞い降りる。線は色に依って描かれた、とでも云う風に見える。    モロー《夕の声》
図53 モロー《夕の声》 左下に署名 MGM.288
 
 《妖精とグリフォン》(図54) - 暗い洞窟でお馴染(なじみ)の円柱の垂直に支えられた細そりした妖精、二匹の怪獣、女頭の蛇の曲線は生命観溢れるとは云えない迄も、よく流れて透明感を伝えている。青、翠玉色(エメラルドグリーン)、緑、下縁の熔岩の様な赤が自由に刷かれ、妖精の透明を囲んで幽邃感を出している。    モロー《妖精とグリフォン》1876頃 水彩
図54 モロー《妖精とグリフォン》 左下に署名 MGM.299
 
 《蜻蛉 キマイラの為の習作》(図55) - 緑を基調にした薄い暈が画面を覆い、羽を横切る幻の様な草の大きさの比率が情景を幻想にする。乙女の太過ぎる輪郭は聊か重いにしても、蜻蛉の羽の拡がりは其を緩和し、却って蜻蛉の胴の重た気な曲線を正当化して、画面に溶け入ろうとする羽と相俟って、浮遊感を助長している。此の作や《妖精とグリフォン》では線の果す役割が大きいが、余計な細部に迄口を出して、色を押し込めようとはしていない。是等の作品をもって、《化粧》(図30)や《ピエタ》(図28)と交差させる事が出来るだろう。
 モローが最も自由に振舞ったと覚しい是等小品(72)、及び油彩は併し、飽く迄異郷の神話世界に留まっている。色彩と舞台の幻想性は視る者の世界に侵入して来ず、人物達は観者とは無縁な静寂の中に沈んでいる。

  
  モロー《蜻蛉》
図55 モロー《蜻蛉 キマイラの為の習作》 右下に署名 MGM.390

72. 玆に挙げた水彩8点には全て署名がある。因みに、此の文章に掲げたモロー美術館の作品29点の内、カタログ番号の分らなかった物6点(図15、31、33、39、41、42)を除けば、図2、13、14、38、40、47、48、49、50、51、52、53、54、55、57 の15点は署名を有し、図20、21、22、32、37、43、45、46 の8点には無いらしい。
 

iii. 完成作と下絵

 モロー美術館には所謂完成作、の下絵乃至(ないし)変奏(ヴァリエイション)が多く在る。その中から幾つか並べて見ましょう。
 《ユピテルとセメレー》(図13~15) - 《セメレー》なる一枚(図14)は、ゴッホを思わせる透明な青(73)が印象的で、冷たく無限に開くのを、黒々とした(シルエット)から浮かぶ白と下縁の深紅が押さえ付けている。完成作では線が多分に硬化していたのが(殊にセメレー)、玆では一層自由に振舞い、(たと)えば溶け出しそうなセメレーの傾きに呼応する鷲の翼は、更に勢い良く拡げられて不吉さを強めている。横の比率が伸びたので空間は拡がり重みが加わり、装飾が一切無いのは色彩の表出を強め、茫漠とした輪郭が暗い空から幻の様に禍々しき物が顕現する、と云う印象を強める。この絵の喚起力は決して完成作に劣る物ではない。《エボーシュ》とのみ題された作では(図15)、掠れた様な筆触が色彩の力を弱めているが、その分一切の形態が消えた事と相俟って光を揺らめかせ、幻の様な感じが強まる。人物が見られないので場面は聖なる風景と化し、中央部は巨大な墓標の様に見える(74)。
 恐らく言及したのとは逆の順序で制作されたこの三図を、時間順に並べて見ると物語(ストーリー)と成るのは面白い。即ち、現象界に裂け目が生じてその向こうに幻が揺れている(図15)、聖なる物が姿を現わし始め(図14)、遂に俗界と聖界を完全に繋ぐ(図13)。始めの二作では、色彩と質感(マティエール)の効果のみが考慮されている。最終作では線の煩瑣な限定が画面を観者から遠ざける一方、視線を誘い込む力を強めて閉じ込める。
 
 
モロー《セメレー》1889
図14  モロー《セメレー》 1889 左下に署名 MGM.94

73. 《夜のカフェテラス》、1888,クレラ・ミュラー美術館、《烏のいる麦畑》、1890、アムステルダム市立美術館。

モロー《『ユピテルとセメレー』のためのエボーシュ》
図15  モロー《エボーシュ》 MGM.1135


74. この絵は、ドイツ浪漫派の風景画 - フリードリッヒの《山中の十字架》(1811頃、デュッセルドルフ市立美術館)の様な作品 - を思い出させる。
 《サロメ》(図19~23)の場合、よりはっきりモローの制作過程が窺われる。最も早いのは色と質感(マティエール)の生む光の中に、形態が溶けそうに見える一枚(図21)だろう。玆で探求されるのは色彩の調和であり、右上の金色と女体の白い反射は完成作より強い。左の柱の稍唐突な青、青に対比されて浮かび上がって来る赤はよく判らないが、黄 - 白の色調を落ち着けるか、色域を拡げる為だろう。絵具が流動しない掠れた様な質感(マティエール)が、完成作より白熱した感じを伝えている。    モロー《ヘロデ王の前で踊るサロメ》1876頃?
図21 モロー《ヘロデ王の前で踊るサロメ》 1876 MGM.83
 
 次に《出現》の一枚(図22)(75) - 空間が拡がっているが、線遠近法に依るのではなく、人物が小さく成り亦前作より背景から浮かび上がった分奥行が暗示された事と、金色の光が一層拡がって暗部と交錯する為である。輝く質感(マティエール)は、《騎士》(図37)に既に見られた物だが、闇との対比が輝きを増し、サロメの足元や首斬役人の赤、ヨハネの首の後光は《サロメ》《出現》各完成作(図19・23)より輝かしい。神殿の神秘感も《サロメ》完成作に負けない。    モロー《出現》
図22 モロー《出現》 1875頃 MGM.222

モロー《出現》1876
図23 モロー《出現》 1876 左下に署名 PLM.159

75. 《出現》は《ヘロデ王の前で踊るサロメ》と主題を異にするが、この作は油彩で、最終作の水彩(図23)よりも背景が《サロメ》の完成作(図19)に近いので、玆で持ち出した(尚、サロメの主題には《庭園のサロメ》(図26))の様な画因(モティーフ)の異なる作が幾つかある他、モローが請われて描いた、1876年出品の両作に類似する変奏(ヴァリエイション)が何点かある - PLM.cat.158, 341(→こちら) -《サロメ》、160(→こちら). 161(→こちら) - 《出現》。各々背景は、158と160は1876の《サロメ》に、341と160は図20、21に近い)。《出現》の最終作では、《サロメ》では焦点がサロメのみだったのに対して、サロメとヨハネの首二点間の緊張が主題と成り、背景が狭められたのは、其を強調する為だろう。筆致も一層細かく成って空間を閉じている(尤も、P.L.マチューに依ると、未完成の部分が在ると云う事だ、PLM.cat.159 の解説及び注481)。《サロメ》程の神秘感は無いが、観光写真に堕さないのは、画面が明るく成った分強く成った個々の色が線に抑えられて了わずに、舞台を異郷化しているからだろう。サロメ、ヘロデ、ヘロデア、女楽師の造るピラミッド及び彼等の視線と、首斬役人の正面性、垂直に押さえられた横顔(プロフィール)が対峙され、垂直の柱が抑えると同時に緊張を高めている(ヨハネの首の浮遊を支える為に、サロメ、ヘロデ、ヘロデアは皆首の方を向いているので、サロメのみがヨハネの首の浮遊を見たのだ、と云うユイスマンス(『さかしま』(参39)、p.45)以来の解釈は問題と成る。この構図を認めた上で、ヨハネの首がサロメのみに現われたのだと云う意見があるのは(朝比奈、「モローとユイスマンス」(参41)、p.38)、両者が前景でクローズ・アップされている事、首斬役人や楽師の静けさに依るのだろうか。サロメは聊か大仰だが、均衡(バランス)の良くない後光は決闘を聖者の一方的勝利とせず、狭過ぎる間隔は(ドラマ)を盛り上げている。
 次の作(図20)の背景は図21程度に狭められ、輪郭・肉付けは施されたが光度は落とされ、全体の色調とヘロデの周囲の赤は合っていない憾みが在る。併し玆で目を引くのは、〈入墨〉である。《出現》(図22)で既に、背景に線で輪郭付けが行われていたが、線と色彩はずれを示している。其が玆では更に明瞭で、サロメの白い躰と画面左に賦彩に関係なく描かれた線は非常に奇妙な印象を与え、背景が暗くされたのは是を強調する為ではないか、と思えて来る程だ。稍大理石めくが、モローの女性の内では申し分の無い比例(プロポーション)を持ち(76)、他のサロメ達に比べると緊張を欠いたしどけない姿態も、その異和を助長する。   モロー《踊るサロメ(入墨のサロメ・刺青のサロメ)》
図20 モロー《踊るサロメ(入墨のサロメ)》 1876頃 MGM.211

76. モローの女性は屡々あまりすっきりとはしていない姿態を見せる。《一角獣》(図2)の裸婦は帽子のせいか、頭が重い、《アフロディテ》(図5)も頭でっかちで左腕の短縮はうまくいっておらず、《サロメ》(図19)は腕があまりに太いし、よく見れば胴も可也長い、グリフォンに守られた妖精(図54)も稍頭が大きい、蜻蛉に乗る乙女(図55)は腰が豊かに過ぎ、《ガラテア》(図56)も出品当時不格好だったのを手直ししたのだと云う(PLM.cat.195 解説)。以上の裸婦、殊に《化粧》(図30)や《雅歌》(図29)での乳房の貧弱さを思えば、ケネス・クラークが「小さな乳房、先細りの長い手足、また16世紀の幾分ふくらんだ腹部」(K.クラーク、『ザ・ヌード』、p.192)と纏めた「ゴシック的裸体像」のこだまを感じさせる。
 先の《一角獣》(図2)で触れた如く、〈入墨〉はモローには稀でなく、完成作にすら見る事が出来る(77)。制作過程の上から言えば、今迄の作で見て来た色彩と、多数の素描で探求された線とが玆で重ね合わされ、ずれが調整されて完成作に至ったのだ。併し大切なのは、目の前に在るのがこの状態である事、そして其処から受ける印象だろう。輪郭と賦彩が一致しないのは必ずしも珍しい事ではないが、その場合線は色彩の運動に従って自らも運動を得、一つの空間に統一されている事が多い(78)。対してモローの入墨が奇妙な感じを与えるとすれば、自由な色彩の上に何ら生動を持たない堅い、唯限定付ける為丈の装飾的な線が重ねられて、空間を二重化するからだろう。この入墨に見られる様に、アール・ヌーヴォーの有機的な線と違って、モローの線は元々堅さの窺える物で、細かく成る程に命を失う。《オイディプスとスフィンクス》(図7)やウェヌス(図5)で既にアングル(図6、3)やシャセリオー(図4、1)に比べると柔軟を欠いていたが、ヘラクレス(図25)や《出現》(図23)は聊か(わざ)とらしく、セメレー(図13)や《雅歌》(図29)に至っては硬直した肉付けと相俟って全く生気を欠いている、寧ろ意識的に稚拙風(プリミティヴ)な形態を用いて効果を上げている場合もある(79)。斯くモローは、元来線以上に色乃至質感(マティエール)へ向かう性向を持っていたが、其故にこそ却って彼は細かい線と観念で色を抑え付けようとしたのかも知れない(80)。併し彼が入墨の奇異な効果に筆を置いた時を分岐点に(81)、(おおやけ)用の完成作では益々線を細かくしながら、増大する色の圧力には、制作場(アトリエ)の中で身を委ねたのです。
  
  77. 《ダヴィデ》(図16)の細部、《ユピテルとセメレー》(図13)の胸の装飾、等。

78. モロー自身の作品にも、その例を見る事が出来る、図48、51、54。

79. 本稿註70で挙げた作例を参照。こう云った傾向は、はっきり意識的なゴーガン、ゴッホ、スーラを置いても、モローと同じく再現的な傾向を認め得るピュヴィス・ド・シャヴァンヌやベックリン、ホードラー、ロセッティにも見られるのは、一つに写実主義的な影響もあるのだろうが(ベックリン)、其以上に形態自体の表現力、と云う綜合主義への流れを表わすものなのだろうか。

80. 本稿註51で引いたモローの言葉(「・モローに戻って - 」とした所の)「…常に健全で…」を思い出されたい。

81. 「つまり初期の作品では、ひとつのものとして合成されていた線の体系と色斑の体系が、今や分離し始めるのである。『一角獣(と貴婦人)』(本稿での図2)では色彩と刺青がみごとにモンタージュされている。しかし、1876年のサロンに出品された『踊るサロメ』(図19)のもうひとつのヴァリアント(図20)では、柱列やサロメの白い裸身の上の刺青は、その下の色彩の部分とのあいだに僅かながらずれを生じているのである。これはモンタージュのずれ、失敗ではなく、むしろ意識的なずれであると思われる。この作品は未完成作であり、刺青状の装飾線は金によって仕上げられるはずであったと推定されている。しかし、モローがここで筆を止めてしまったのは、モンタージュのずれの奇異な美しさを発見したからであろう。…晩年のモローの作品では、刺青はしだいに消え去っていった。自由になった色彩は、大胆な筆触によって、線の呪縛から解き放たれた活力を展開し始める。このことはすでに、『踊るサロメ』のヴァリアントで、刺青のモンタージュのずれが生じたときに予見されたことである。分解が始まるや否や、それは不可抗的に進行する。最終的にモローは、線か色彩のどちらかをとらざるをえないのである。答えは簡単であった。固体的であるがために永遠なるものをとるか、溶融する白熱状態の恍惚であるからこそ、永遠の一瞬であるものを選ぶかという問いかけに対して、モローの応答は最初から予定されていたといってよい」。中山、「20世紀絵画への予兆」(参33)、p.65。
 併し答えはそれ程簡単だったろうか - 註80 - 「モローはつとにおのれの色彩感覚が対象を着実にとらえるデッサン以上に奔放であり、一歩あやまれば画面を台無しにするていの情熱的な気質を蔵している事実に気づいていたのではないか…実際モローのデッサンは達筆というよりはどこかもどかしく、遂にはじっくりと腰をすえて丹念に最初から描きなおすといった諦念の姿勢がよみとれるのである。おそらくモローは色彩を制御すべく、可能な限りデコラティーブな線の要素をとり入れたのではなかろうか」。坂崎、『抽象の源流』、p.206。

  
結び

 図式化すれば、次の様に言えるかも知れません - シャセリオーに於て、綜合せんとされたアングルの線とドラクロワの色は、線は色に押される事に依って官能を得、色は線に閉じ込められる事に依って内圧を高めて神秘を発散した。線と色の綜合と云う課題を受け継いだモローは、中期では線の支配に服していた色が圧力を高めるに従って、線は益々細かく成って色を押さえ付けんとし、その分、色は圧力を高めて輝きを発し、《サロメ》(図19)から《ユピテルとセメレー》(図13)に至る作品で、線と色との綜合と云う問題に一応の解答を提出した。併し圧力を(いよいよ)高めた色は、遂に線を越えて溢れ出し、色のみの領域を作るに至った -
 ルドンの《一眼巨人(キュクロプス)》(図58)は、モローの《ガラテア》(図56)に示唆(ヒント)を得た作品でしょう。斜めの水精(ニンフ)を左の方から巨人が眺めている。併し違いの方が一層目立つ - 先ず、モローでは巨人の位置が余りにも不自然で、構図に納まっていないし、色も画面の調子に合っていない。ルドンでは人物は小さく成り、背景が大きく開け、裸婦の斜線に交差する巨人は場所を得ている。色調も画面下半の華やかな暖色に対して、空は併し強い対照を成さず、巨人の暖色に依って下半と結ばれ、更に巨人の目が空と呼応して柔かい統一を作っている。裸婦もルドンでは花の中に溶け込みそうなのに対して、モローでは大理石の様に滑らかな肌の上に、金髪と共に鮮やかな色で線描された奇妙な海底の植物が、入墨(よろ)しく溶けあう事無く絡み付いている。悲し気な巨人の見詰める冷たい女と花が、観者にとって全く鑑賞の対象に留まるに対し、ルドンの諧謔的(ユーモラス)な巨人と柔かい雰囲気は、自然に視る者に温かさを伝える。
 モローも工房(アトリエ)内の制作ではルドンにより近い(図57)。縦長に成った画面で巨人も水精(ニンフ)も、垂直の流れの中に自然に配置されている。輪郭は失われ、一切は色彩の中に溶け込もうとしている。が、ルドンは筆触を流す事無く押さえて行き、由って色彩は画面其物から垂直に沸き上がって来る様に見え、隣接する色同士が抑え合って横に拡がらず、水平と垂直の緊張の中で色は内から輝き、観者の中に浸み入って来た。モローでは全体の寒色が目を突っ撥ね、筆触は画面と平行に流れ落ちる許で、観者に引っ掛かって来ない。白々とした女体は、視る者を誘っても視る者の方にやって来ない。ルドンの世界が我々の世界と垂直に結び付いているとするなら - ルドンの版画集の一冊は、《起源》と題されていた - 、モローの世界は我々の世界と平行して其自身独立した世界でしょう。斯くモローは、線と色の展開を通して、異郷の幻想を描き続けたのです。

 
 

モロー《ガラテイア》1880
図56 モロー《ガラテア》 1880 右下に署名 PLM.195

ルドン《キュクロープス》1914頃
図58 ルドン《一眼巨人(キュクロプス)》 1895-1900

モロー《ガラテイア》1893-96頃
図57 モロー《ガラテア》 右下に署名 MGM.100

参考文献 順不同。(参 )として番号を示したのは、筆者の同じ物を指す。

1. Musée Gustave Moreau, Paris, 1974

2. Pierre-Louis Mathieu, Gustave Moreau, Leben und Werk mit Œuvre-Katalog, Fribourg, 1976 ( ← Paris, 1976)

3. Kaplan, Julius, Gustave Moreau, Los Angeles, 1974

4. Alexandrian, Sarane, Gustave Moreau's Univers, New York, 1975 ( ← Paris, 1975)

5. Selz, Jean, Gustave Moreau, New York, 1979

6. Hofstätter, Hans H., Gustave Moreau. Leben und Werk, Köln, 1978 (→参7)

7.  〃 、種村季弘訳、『象徴主義と世紀末芸術』、美術出版社、1970 (→参6)

8. 『モロー 新潮美術文庫 35』、解説:竹本忠雄、新潮社、1975

9. モロー/ルドン/ルソー 『世界美術全集 15』、解説:坂崎乙郎、河出書房、1967 (→参18)

10. 『モロー 世界の素描 21』、解説:坂崎乙郎、講談社、1979 (→参18)

11. 『モロー・ルドン 世界美術全集 25 』、解説:小倉忠夫、小学館、1979 (→参17)

12. 『モロー・ルドン・ムンク・アンソール・キルヒナー 世界美術全集 16』、解説:嘉門安雄、研秀出版、1978 (→参71)

13. モローとルドン 『週刊朝日百科 世界の美術 17』、解説:東野芳明、澁澤龍彦 (→参20)、末永照和 (→参45)、朝日新聞社、1978

14. 『ムンクとルドン カンヴァス世界の名画 13 』、解説:西澤信彌、福永武彦 (→参21)、中央公論社、1974

15. 『世界美術 14 近代』、解説:大島清次他、講談社、1965

16. ジュリアーノ・ブリガンティ、高階秀爾訳、『19世紀の夢と幻想 現代の絵画 7』、ファブリ・平凡社、1974

17. 『別冊みづゑ』、no.42、1964.12:「特集 ギュスターヴ・モロー」、執筆:富永惣一 (→参22)、大岡信 (→参23)、宮川淳 (→参24)、高階秀爾 (→参25)、小倉忠夫 (→参11)、前田常作 (→参30)

18. 坂崎乙郎、『抽象の源流 その先駆者たち』、三彩社、1968 (→参9、10、49、51)

19. 澁澤龍彦、「密封された神話の宇宙 ギュスターヴ・モロオ展を見て」、『幻想の画廊から』、美術出版社、1967 (→参20)

20.  〃 、「ビザンティンの薄明あるいはギュスターヴ・モローの偏執」、『みづゑ』、no.822、1973.9-10 及び 『幻想の彼方へ』、美術出版社、1976 (→参13、19)

21. 福永武彦、「ギュスタヴ・モロー」、『藝術の慰め』、講談社、1965 (→参14)

22. 富永惣一、「異色の画家ギュスターヴ・モロー」、『世界』、no.231、1965.3 (→参17)

23. 大岡信、「フランス・ロマンティシズム 〈4〉」及び「 〈7〉」、『藝術新潮』、1963.8 及び 11 (→参17)

24. 宮川淳、「スタロバンスキーの余白に モローをめぐる引用と注」、『美術史とその言説(ディスクール)』、中央公論社、1978 (→参17、50)

25. 高階秀爾、「ギュスターヴ・モロー その芸術の系譜」、『美の回廊』、美術公論社、1980 (→参17、26、27、28、29、50)

26.  〃 、「『サロメ』 - イコノロジー的試論」、『西欧芸術の精神』、青土社、1979 (→参25)

27.  〃 、「切られた首 - 世紀末想像力の一側面」、『西欧芸術の精神』、青土社、1979 (→参25)

28.  〃 、「マラルメと造型美術」、『西欧芸術の精神』、青土社、1979 (→参25)

29.  〃 、『世紀末芸術』(紀伊國屋新書 A-1)、紀伊國屋書店、1963 (→参25)

30. 前田常作、「追求の執念」、『朝日ジャーナル』、1964.11.8 (→参17)

31. 野村太郎、「ギュスタヴ・モロー 世紀末の幻視者たち 1」、『みづゑ』、no.706、1963.12

32. 中山公男、「モローの竪琴 - 象徴・幻想・抽象 - 」、『みづゑ』、no.718、1964.12 (→参34所収)

33. 〃 、 「20世紀絵画への予兆 - モローの役割」、『みづゑ』、no.822、1973.9-10 (→参34所収)

34. 〃 、「ギュスターヴ・モロー その人と芸術」、『モローの竪琴』、小沢書店、1987 (→参32、33)

35. 窪田般彌、「モロー - 孤独な幻視者」、『ロココと世紀末』、青土社、1978

36. 北嶋廣敏、「モロー パリのカフェからⅥ」、『美の沐浴』、湯川書房、1978

37. ジャン・パリス、岩崎力訳、『空間と視線』、美術公論社、1974

38. アンドレ・ブルトン、宮川淳訳、「ギュスターヴ・モロー」、『美術手帖』、no.382、1974.6

39. J.K.ユイスマン、澁澤龍彦訳、『さかしま』、『澁澤龍彦集成Ⅵ』、桃源社、1970

40. ジェフリー・マイヤーズ、松岡和子訳、「ギュスターヴ・モローと『さかしま』」、『絵画と文学』、白水社、1980

41. 朝比奈諠、「モローとユイスマンス - 『出現』をめぐって - 」、『ふらんす』、2-1979 及び 『フランス 絵画と文学』、小沢書店、1980

42. 岡田隆彦、「モロオとユイスマンス」、『美術散歩50章』、大和書房、1979

43. 河村錠一郎、「世紀末とサロメの系譜」、『ビアズリーと世紀末』、青土社、1980

44. ジョン・ミルナー、吉田正俊訳、『象徴派とデカダン派の美術』、PARCO出版局、1976

45. 『美術手帖』、vol.29 no.415、1977.1:「特集 象徴主義の画家たち」、執筆:海野弘、末永照和 (→参13)、他

46. 『美術手帖』、vol.28 no.402、1976.1:「特集 ナビ派 色彩の預言者たち」、執筆:高階秀爾 (→参25)、潮江宏三、他

47. レナート・バリ
リ、宮川淳訳、『フランスにおける象徴主義 現代の絵画 6』、ファブリ・平凡社、1974

48. レナータ・ネグリ、若桑みどり訳、『ボナールとナビ派 現代の絵画 8』、ファブリ・平凡社、1974

49. 『近代絵画の先駆者たち 近代世界美術全集 1』、執筆:坂崎乙郎 (→参18)、坂本満、社会思想社、1964

50. 『ゴッホ、ゴーガンとその周辺 近代世界美術全集 4』、執筆:宮川淳 (→参24)、高階秀爾 (→参25)、社会思想社、1963

51. 『マチス、ルオーと表現主義 近代世界美術全集 6』、執筆:坂崎乙郎 (→参18)、社会思想社、1963

52. リヒャルト・ムウテル、木下杢太郎訳、『十九世紀佛國繪畫史』、日本美術学院、1918

53. 森口多里、『近代美術』、東京堂、1937

54. 池辺一郎、『近代絵画のはなし - ロマン派から抽象派まで』、南窓社、1965 (→参55)

55.  〃 、『ルドン-夢の生涯 幻想芸術の極致』、読売新聞社、1977 (→参54)

56. 粟津則雄、『ルドン 生と死の幻想』(美術選書)、美術出版社、1966 (→参57)

57.  〃 、「眼と意識」、『ヨハネの微笑 近代芸術断想』、小沢書店、1980 (→参56)

58. マルセル・ブリヨン、坂崎乙郎訳、『幻想芸術』、紀伊國屋書店、1968

59. ルイ・ヴァックス、窪田般彌訳、『幻想の美学』(文庫クセジュ 310)、白水社、1961

60. ジョルジュ・バタイユ、森本和夫訳、『エロスの涙』、現代思潮社、1976

61. ジョルジュ・ルオー、武者小路實光訳、『回想』、座右宝刊行会、1953 (→参62)

62.  〃 、 〃 、 『芸術と人生』、座右宝刊行会、1976 (→参61)

63. ロバート・ローゼンブラム、中山公男訳、『アングル 世界の巨匠シリーズ』、美術出版社、1970

64. ゲオルク・シュミット、中村二柄訳、『近代絵画の見かた - ドーミエからシャガールまで - 』、社会思想社、1960

65. ヨーゼフ・ガントナー、中村二柄訳、「近世美術における未完成の諸形式」、J. A. シュモル編、『芸術における未完成』、岩崎美術社、1971

66. 二見史郎、『抽象の形成』、紀伊國屋書店、1970

67. ハインリヒ・リュッツェラー、西田秀穂訳、『抽象絵画 - 意味と限界 - 』、美術出版社、1973

次の2冊は怠惰の為読了する事が出来なかった、書名のみ記して置く。


68. Hahlbrock, Peter, Gustave Moreau oder das Unbehagen in der Natur, Berlin,1976

69. Noël, Bernard, Gustave Moreau, Paris, 1979

清書を終えてから見た物として -

70. 宇佐見英治、「震撼の美 - モロー展をみて - 」、『藝術新潮』、vol.15 no.12、1964.12

71. 嘉門安雄、「モロー随想主題をめぐって」、『美術手帖』、1965.1 (→参12)


その後見る機会のあった文献も含めて、修論こと『モロ序』の参考文献および文献追補→あちら、また、シャセリオーに関して「セリオ」君の参考文献および文献追補→こちらもあわせてご参照ください。
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