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    おまけ 

 重複するものも多々ありますが、仏教についてはとりあえず→別に仕立てた「仏教」の頁へ
 また→「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」のページの「vi. ジャワ、バリなど」の項も参照

* ヴェーダ語、サンスクリットはもとより、ヒンディー語の日本語表記は、勉強不足のため残念ながらわかりません。
例によって、多々誤りもあろうかと思いますが、ご寛恕ください。
i. 概説など

 まずは;


R.F. ゴンブリッチ、「インドの宇宙論」、『古代の宇宙論』、1976、、pp.105-143 および口絵21-23、p.xv。
『リグ・ヴェーダ』後半;空と地の二分説と地・空気・天の三分説/プラーナの宇宙論;ユガ、マハー・ユガ、カルパ/世界の構成、メール山、天界と冥界/
ジャイナ教仏教など。


 また;

定方(あきら)、『インド宇宙誌』、春秋社、1985
仏教の世界観;小乗の世界観(須弥山世界観)大乗の世界観(蓮華蔵世界観)//
ヒンドゥー教の宇宙観;プラーナの宇宙観タントリズムの宇宙観など、
302ページ。

 同じ著者による『須弥山と極楽』(1973)が「小乗系の宇宙観を主としたものであった」(p.1)のに対し、大乗仏教およびヒンドゥー教の宇宙観を加えたもの。
 プラーナに関しては、主に『ヴィシュヌ・プラーナ』による(p.15)。

 さらに;


定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011
インド正統派の宇宙観;バラモン教の宇宙観ヒンドゥー教の宇宙観タントラ教の宇宙観//
仏教の宇宙観;小乗の宇宙観大乗の宇宙観金剛乗(密教)の宇宙観//
ジャイナ教の宇宙観など、
436ページ。

 「ジャイナ教の宇宙観のほかに、ヴェーダ時代のものや密教の宇宙観も加え」(p.415)たもの。
 →こちらでも挙げました:「エジプト」の頁の「viii. ウェブより
 同じ著者による→そちらを参照:「グノーシス諸派など」の頁の「ii. 『ナグ・ハマディ文書』邦訳刊行とその周辺など

………………………

R. パニカール、與謝野文子・松山俊太郎訳、「インドの伝統における時間と歴史 カーラとカルマン」、『エピステーメー』、vol.1 no.3、1975.12、「特集 時間」、pp.170-186

 同、  「インドの伝統における時間と歴史 カーラとカルマン(承前)」、『エピステーメー』、vol.2 no.1、1976.1、「特集 鏡」、pp.174-184

原著は Raimundo Panikkar, ‘Temps et histoire dans la tradition de l'Inde’, Les cultures et le temps, 1975
時間;儀式的行為が結実したものとしての時間/宇宙的力としての時間/言語学的解釈学/時間の内面化及び超越/
解説-時間と〈文化の多様性〉(阿部良雄)//

歴史;カルマンと人間の歴史的次元/神話と歴史〈イティハーサとプラーナ〉/歴史の再導入/
付論-時間の経験的知覚(B. ボイマー)など


松山俊太郎、「古代インド人の宇宙像」、『エピステーメー』、vol.2 no.6、1976.6、「特集 宇宙の地平線」、pp.109-119

  同、    「古代インド人の宇宙像 Ⅱ」、『エピステーメー』、vol.2 no.7、1976.7、「特集 空海と密教の思想」、pp.159-167

  同、    「古代インド人の宇宙像 Ⅲ」、『エピステーメー』、vol.2 no.10、1976.11、「特集 数学の美学」、pp.166-183

Ⅰ;「世界」/「天・地」と「天・空・地」/リグ・ヴェーダの「宇宙創造神話」/アタルヴァ・ヴェーダの「地獄」/ブラーフマナと古ウパニシャッドにおける「宇宙形態論」//

Ⅱ;インド人の標準的宇宙像/宇宙と時間/叙事詩の宇宙生成論/世界卵型説/四大陸説/七大陸説/メール山/天上界の諸段階/地下界の諸相/輪廻と死者の行先/ジャイナ教的宇宙//

Ⅲ;細目は→こちらを参照:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大山世界/四大劫・六十四転大劫など


 →そちら(「世界の複数性など」の頁)や、あちら(同頁の別の箇所)でも少し触れています
 次の論考とともに→ここに再録:「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など

松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」、is、no.17、1982.6、「特集 時」、pp.6-9
ユガ~カルパ説[ヒンドゥー教]/複合カルパ説[仏教]/半円環的時代説[ジャイナ教]など

 本頁下掲の「iv. 叙事詩、プラーナなど」中の→こちら(『マヌの法典』)、そちら(『マハーバーラタ』)、あちら(『バーガヴァタ・プラーナ』)で、各邦訳から宇宙周期の年数に関わる箇所を引用しておきましたが、4つのユガ+各前後の移行期を合計すると、
(400+4000+400)+(300+3000+300)+(200+2000+200)+(100+1000+100)=12,000年
となります。ただ各邦訳でも〈神々の年〉に触れられていたように、

「(g) これらの算定での〈年〉は〈神の年〉であり、人界の〈360年〉と見なされるようになる。〈人の1年〉が〈神の1日〉である」(pp.6-7/再録した『松山俊太郎 蓮の宇宙』(2016)では p.283)。

「(d) この〈ユガ=4ユガ〉の千倍が、ブラフマー神(brahmā)の〈昼〉または〈夜〉に相当すると見なされる」(p.6/『蓮の宇宙』、p.283)。

「(f) 〈カルパ周期(Kalpa、劫)〉も採用され、〈梵天の昼〉と同一視される」(同上/同上)

ことなどと併せて、

「(h) 新しい計算法により、〈クリタ・ユガ=172万8千年……〉〈カリ・ユガ=43万2千年〉〈大ユガ=432万年〉〈カルパ=43億2千万年〉となる。
(i) 〈梵天の寿命〉は100年または108年とされるから、100年ならば人間の〈311兆400億年〉に相当し、これを〈パラ(para、最高)〉と呼ぶ」(p.7/『蓮の宇宙』、p.283)

とのことでした。
 なお(g)の件については、本頁下掲「ii. インドの神話とその周辺」で挙げた
  橋本泰元・宮本久義・山下博司、『ヒンドゥー教の事典』、東京堂出版、2005
でも、『マハーバーラタ』や『マヌ法典』などでの

「人間の一年は神々の一日に相当し、さらに4ユガ期を合わせたもの(これをチャトゥルユガ期、またはマハーユガ期と呼ぶ)を1000倍したものが、創造神ブラフマーの一日(日中)に相当するといわれ、それを一カルパ((こう))と呼ぶ。…(中略)…
 この類比は、プラーナ聖典ではさらに大きなものになる。『ヴィシュヌ・プラーナ』によると、上述のマハーユガ期1万2000年は神々のものであるといわれる。そうすると、1カルパは神々の1200万年になり、これを人間の年に換算すると43億2000万年となる。さらに、ブラフマー神の夜もこれと同じだけの長さを持ち、ブラフマー神の100年ごとに世界は大破壊を迎え、また再創造されるという」(p.71)

と、『マハーバーラタ』『マヌ法典』とプラーナ文献の間に変化を認めていました。


 こちらでも触れました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

松濤誠達、「ヒンドゥー教の宇宙観」、『アジアの宇宙観』、1989、pp.60-77
神話的宇宙開闢論/ヴィシュヌ派の宇宙成立論/ヴィシュヌ派の終末論など。および

 同、 「古代インドの宇宙論」、同上、pp.256-267
宇宙成立論・宇宙地理論・終末論/ヴェーダの祭祀/王の即位式と宇宙創造の再現など。

高島淳、「シヴァ教の宇宙論」、宮家準・小川英雄編、『聖なる空間 宗教史学論叢 5』、リトン、1993、pp.177-224
はじめに//
『スヴァッチャンダ・タントラ』における宇宙の記述;梵卵中の世界 地表、地下界、梵卵の上半分/
  梵卵外の世界 水、火、、風、虚空、アハンカーラ(「自我意識」)、ブッディ(「覚」)、グナ・タットヴァ、プラクリティ・タットバ、プルシャ・タットヴァ、ニヤティ・タットヴァ(「個決定性の原理」)、カーラ・タットヴァ(「時間の原理」)、ラーガ・タットヴァ(「執着の原理」)、ヴィドャー・タットヴァ(「(限定された)知の原理」)、カラー・タットヴァ(「(限定された)能力の原理」)、マーヤー・タットヴァ(「物質性あるいは迷妄の原理」)、シュッダヴィドャー・タットヴァ(「清浄な知の原理」)/イーシュヴァラ・タットヴァ(「主宰神性の原理」)/サダーシヴァ・タットヴァ(「永遠のシヴァ」)、シャクティ・タットヴァ、シヴァ・タットヴァ//
宇宙論と救済;バーラタ国の独自性/ディークシャー儀礼の手段としての宇宙/自派の優越性の証明として/繰り返される三重構造など


宮元啓一、『インド 死者の書』、すずき出版、1997
死ぬということ;魂の抜けかた/死んだときの状態/人はなぜ死ぬのか//
死んだらどうなる;死後観の移り変わり/輪廻思想/六道輪廻/極楽世界//
魂あるいは輪廻するもの;輪廻するものの正体-アートマン(我)説/仏教におけるアートマン-無我説/仏教の中有説-死と再生のあいだの存在/残された身体の意味//
付章 自己責任思想と救済思想をめぐって;自己責任思想/ヒンドゥー教の救済思想/大乗仏教の救済思想など、
208ページ。


荒川紘、「第1章 神と宇宙の時代 - ヴェーダの宗教」、『東と西の宇宙観 東洋篇』、2005、pp.15-53
インダス文明の世界/アーリア人の社会/『リグ・ヴェーダ』の宇宙思想/『リグ・ヴェーダ』の天/『リグ・ヴェーダ』の宇宙創成論の変容/バラモン教の成立/ウパニシャッド哲学の宇宙意識/宇宙構造論の発展など。

 同、 「第4章 大地的な宇宙への回帰 - ヒンドゥー教」、同上、pp.106-126
ヒンドゥー教/ジャイナ教など。

後藤敏文、「古代インド文献に見る天空地」、篠田知和基編、『天空の神話 - 風と鳥と星』、楽瑯書院、2009、pp.590(107)-572(125)
三界/神々と人間たち/中空/『リグヴェーダ』における天と地の分かち隔て、太陽軌道の創設/明けの明星と宵の明星、夜の太陽/年末の12日間/天界から降りてきた樹/『リグヴェーダ』の星など

阪本(後藤)純子、「古代インドの暦と「昴」((下にº)ttikās)」、同上、pp.596(101)-592(105)

後藤敏文、「インドの天空、そして大地」、『アジア遊学』、no.121、2009.4、「特集・天空の神話学」、pp.18-25
三界;仏教の三界/人間五十年//
神々;社会制度の神々/三界と地上の人/マールターンダ「死んだ卵から生まれた者」//
天と地の分かち隔てと太陽軌道の確保//
中空を満たすマリーチ//
天界と地上;ヤマの楽園/祭式と布施の効力//
天女ウルヴァシー;天空地の山稜行きと原野(アラニャ)など

………………………

 原典からの翻訳を集めたものとして;

辻直四郎編、『ヴェーダ アヴェスター 世界古典文学全集 第3巻』、筑摩書房、1967、pp.3-324
リグ・ヴェーダの讃歌(辻直四郎訳)//
アタルヴァ・ヴェーダの讃歌(辻直四郎訳)//
ブラーフマナ散文の挿話(辻直四郎訳)//
ウパニシャッド(岩本裕訳);カウシータキ=ウパニシャッド(第1章)/チャーンドーグヤ=ウパニシャッド(第1章~第8章)/ブリハッド=アーラヌヤカ=ウパニシャッド(第2章第1節~第5節、第3章~第4章第5節)/カタ=ウパニシャッド(第1章~第6章)/プラシュナ=ウパニシャッド(第1章~第6章)//
バガヴァッド・ギーター(服部正明訳)など

 本書に収められたウパニシャッドの訳は、

岩本裕、『原典訳 ウパニシャッド』(ちくま学芸文庫)、筑摩書房、2013

 として文庫化された模様(未見)
 これら以外に『アヴェスター』所収→こちら:「イラン」の頁の「ii. ゾロアスター教関連 - 邦語文献


『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、中央公論社、1969
インド思想の潮流(長尾雅人・服部正明)//
バラモン教典;ウパニシャッド(服部正明訳);ブリハッド=アーラヌヤカ=ウパニシャッド第3章、同第4章、チャーンドーギヤ=ウパニシャッド第5章(抄)、同第6章、カウシータキ=ウパニシャッド第3章、カタ=ウパニシャッド(全)/
バガヴァッド・ギーター(宇野惇訳)/古典サーンキヤ体系概説 サーンキヤ・カーリカー(服部正明訳)ヨーガ根本聖典 ヨーガ・スートラ(松尾義海訳)不二一元論 ブラフマ・スートラに対するシャンカラの注解 2-1-14, 18(服部正明訳)/最高神とその様態 ラーマーヌジャ『ヴェーダの要義』(抄)(服部正明訳)バーガヴァタ・プラーナ 第10巻29~33、第12巻8-7~9-34、第11巻27-7~52(服部正明・大地原豊訳)論証学入門 ニヤーヤ・バーシュヤ第一篇(服部正明訳)ジャイナ教綱要 サーヤナ・マーダヴァ『全哲学綱要』第3章(宇野惇訳)//
原始仏典;短編の経典 8種・中編の経典 5種(長尾雅人・桜部健・工藤成樹訳)(内「2 毒矢のたとえ」は→こちら:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」)/出家の功徳(沙門果経)(長尾雅人訳)/ミリンダ王の問い 3節(大地原豊訳)など、
568ページ。

 上掲『ヴェーダ アヴェスター』より先に読んだので、ウパニシャッドの面白さに出くわしたのは本書が最初となりました。
 その中でも印象に残っているのが、
 『ブリハッド=アーラヌヤカ=ウパニシャッド』
  第3章第3節(pp.65-66)と
  第6節(pp.68-70)です(『ヴェーダ アヴェスター』、pp.239-240およびp.241)。
 後者はこちらに引用したりもしました→三重県立美術館ニュース、no.119、2010.12.10、『ひろがるアート~現代美術入門篇~』関連記事[ <まぐまぐ!のサイト ](追補 上記メルマガの記事が「2019年4月15日より無料バックナンバーの公開を停止しております」とのことでリンク切れなので、→ こちらに転載しておきました;「世界の複数性など」の頁中)。
 前者も別の場所で引用したり、エピグラフに使ったりしています。
 また、→こちら(「イスラーム Ⅲ」の頁の「x. クジャタ、バハムート、ファラク、その他」の項の中)や、あちら(「世界の複数性など」の頁中)でも少し触れています

上村勝彦・宮元啓一編、『インドの夢 インドの愛 サンスクリット・アンソロジー』、春秋社、1994
神々の原風景 - ヴェーダ(後藤敏文)/宇宙を操る祭式 - ブラーフマナ(後藤敏文)/隠された原理 - ウパニシャッド(後藤敏文)/インド精神の元型 - 叙事詩(上村勝彦)/増殖する古伝承 - プラーナ(横地優子)流出する世界 - 哲学Ⅰ(宮元啓一)/小宇宙としての自己 - 哲学Ⅱ(宮元啓一)/輪廻と主宰神 - 哲学Ⅲ(宮元啓一)/神となる道 - タントラ(高島淳)/様々なる意匠 - 古典文学(上村勝彦)/生きる目的 - ダルマ・アルタ・カーマ(上村勝彦)/醒めた眼差し - 占星術・医学(矢野道雄)/聖化された空間 - 建築(小倉泰)/『ギータ・ゴーヴィンダ』と細密画(小倉泰)など、
444ページ。

………………………

長谷川密雲、「十二天成立私考」、『密教研究』、no.24、1927、pp.48-74 [ < J-STAGE

雲井昭善、「インドにおける神の観念」、『仏教思想史』、no.1、1979.11:〈神と仏 源流をさぐる〉、pp.1-46
神々の群像/神々の性格/神々の殿堂と祭典/神々の変遷/神々の証明など

渡辺章悟、「インドの宗教に於ける『十六』の概念」、『井上円了センター年報』、no.1、1992.3.20、pp.190-159 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ

西川幸治、「古代インドの方位観(世界各地における方位観)」、『建築雑誌』、vol.108 no.1347、1993.9.20、pp.42-43 [ < CiNii Articles (有料)

松濤誠達、『古代インドの宗教とシンボリズム』、大正大学出版会、2006、pp.287-429、「第Ⅳ章 シンボリズム」
古代インド神話・伝説の解釈をめぐる一問題 - 四辻のシンボリズム/インドのシンボリズム/古代インド祭祀における数の問題 - 序章・1、2、および3の考察 -/古代インドにおける数のシンボリズム - 7の考察 -/古代インドにおける数のシンボリズム - 『シャタパタ・ブラーフマナ』を中心とした7の検討 -/古代インドにおける数のシンボリズム - 8の意味するもの -/古代インドのシンボリズム - 蟻塚の中の世界 -/北東の象徴性/樹木の象徴性など。

 全体の目次は;
ヴェーダ、マハーバーラタ;プラーナ文献に見えるヴェーダ - 特に『ヴィシュヌ・プラーナ』の記述を通じて -/『ジャイミニ・グリヒヤスートラ』におけるサマーヴァルタナについて/『マハーバーラタ』第二篇の意味/
Vājasaneyi-SaṃhitāMahābhārata との関係 - ラージャスーヤにおける一つのマントラをめぐって -/古典インドにみる信仰 - 特にヴェーダの祭祀との関連において -/インド浄土教 - 「ヴェーダ」における称名を中心に -/祭祀と戦争//
プラーナ聖典;細目は→こちら:本頁「iv. 叙事詩、プラーナなど」の項//
神話、伝説、説話;インドにおける神話とその継承 - 古代インド神話解釈の一可能性 -/ヒンドゥイズムにおける倫理観の一側面 - ヒンドゥイズムの一伝説に見える王の罪の状況を中心に -/インドの神話伝説に見える「王」の一側面/古代インド神話解釈の試み - 古代インドのトリックスター論覚え書き -/古代インド説話の構造論的理解 - デーヴァーピとシャンタヌの説話の場合 -/シュナハシェーパ説話の意味/インド文学よりみた大智度論の説話内容 - 尸毘王説話の背景としての施与の思想 -//
シンボリズム;細目は上掲//
仏教;ブッダが受けなかった布施 - 仏典の構造論的解明の試み -/仏教教団の発展と矛盾/仏教が排除したもう一つの「輪廻説」 - 父と息子の一致をめぐって -/仏教における「交換」のシンボリズム - 釈尊が留まった場所 -/釈尊は墓地で何を実践したか - 不浄観ノート -/不浄とみなされた釈尊 - 『ヴァサラ・スッタ(
Vasala-sutta)』をめぐって -/出家修行者とチャンダーラ/無我思想と般若波羅蜜 - 無我思想の源流を求めて -/釈尊伝の文学性/仏教的アイデンティティの源流 - シュラマナ諸思想との闘い -//
比較思想;プラーナの哲学 - 古代インドにおける呼吸観 -/サーンキヤ思想とサルトルの存在論 - ジェラルド・J・ラアーソン博士のサーンキヤ思想理解をめぐって -/ラーダークリュシュナン/ウパニシャッドをめぐる異文化接触 - ショーペンハウアーのウパニシャッド理解をめぐって -/芳香あふれる国インド - 精神の緊張と心身の癒し -など、
702ページ。


引田弘道、「ヒンドゥー教にみる方角 - プラーナ文献を中心として -」、『印度學佛教學研究』、vol.58 no.1、2009.12.20、pp.313-307 [ < CiNii Articles

岡田明憲、「インドの秘教書」、藤巻一保・岡田明憲、『東洋秘教書大全』、学研パブリッシング、2012、pp.235-301
インドの秘教書とは ヨーガとマントラによる実践的な秘儀の集成/アタルヴァ・ヴェーダ/アイタレーヤ梵書/大森林書奥義/ヨーガ論/ゴーラクシャ百句/ヨーガ・ヴァーシシュタ/吉祥天タントラ/大涅槃タントラ/マントラの大海/占術の道/ヴァーストゥ・シャーストラ/愛壇/愛の秘密/盗人教本/力士古伝承/死鬼二十五話
………………………

Anne-Marie Esnoul, ‘La naissance du monde dans l'Inde’, La naissance du monde. Sources orientales Ⅰ, 1959, pp.329-365.
「インドにおける世界の始まり」
讃歌の時代(リグ・ヴェーダ)/生贄の祭儀(ブラーフマナ文献)/哲学的思弁の始まり(ウパニシャッド)/マヌの法典/古典時代の哲学的構築物(サーンキヤ・カーリカー)/叙事詩(ヴィシュヌ・プラーナ)/見かけの多様性の底を流れる連続性など


 未見なれどしばしば挙げられる資料として;

Willibald Kirfel, Die Kosmographie der Inder, 1920 / 1967
『インドの宇宙誌』

 上掲 R.F. ゴンブリッチ「インドの宇宙論」によれば、「四百ページを超える大作であるが、引用と表ばかりの宇宙誌つまり宇宙の空間的配置を述べたものに過ぎない」(p.106)とのこと。


追補 その後見る機会がありました;

序論;三つのインドの体系の相互関係/バビロンを通したインドの体系の影響//
バラモンの宇宙誌;より古い時期;世界全般/大地/大洋/星空/天界/冥界//
  より新しい時期;世界全般/中間世界/天界/冥界/中世の天文学綱要による宇宙誌//
仏教徒の宇宙誌世界全般/大地/星空/天界/冥界/世界と世界の間の
(lokāntarika-)空間/欲界、色界、無色界の区分//
ジャイナの宇宙誌宇宙の形と大きさ/中間世界/神々の世界/地獄//
付録 空間、時間、数の量など、
446ページ+図版18ページ。


 見たのは2018年の複製本で、文字の輪郭いささか鮮明さを欠き、またサイズを小さくしたものか(現状で1ページ21.7x14.1cm)、老眼の者にはいささか見づらい。また巻末の図版18ページの内、Tafel 5、6 を欠きます。
 なお目次で〈中間世界
Mittelwelt 〉とあるのは閻浮提(ジャンブドヴィーパ)など地上界のこと。
 仏教の部・第6章「世界と世界の間の
(lokāntarika-)空間」(pp.206-207)に関連して→
伴戸昇空「lokantarika-niraya 成立過程の推論」(1980)
も参照

ii. インドの神話とその周辺

マッソン・ウルセル、ルイーズ・モラン、美田稔訳、『インドの神話』、みすず書房、1959
原著は P. Masson Oursel et Louise Morin, Mythologie de l'Inde, 1935
バラモン教の神話;武士階級の神話/司祭者階級の神話/民間の神話-魔神/バラモンの抽象的な神話//
バラモン教以外の宗教の神話;ジャイナ教仏教//
ヒンズー教の神話;ヴィシュヌ神の信仰/シヴァ神の信仰/インド神話の発展など、
172ページ。


ヴェロニカ・イオンズ、酒井傳六訳、『インド神話』、青土社、1990
原著は Veronica Ions, Indian Mythology, 1967/1983
宗教と歴史/初期の神々/ヴェーダの神々/ブラーフマナ時代の発展/ヒンドゥー神話/仏教神話ジャイナ神話など、
362ページ。

 同じ著者による→こちらを参照:「エジプト」の頁の「i. 神話・信仰等


上村勝彦、『インド神話 マハーバーラタの神々』(ちくま学芸文庫 マ14-14)、筑摩書房、2003
東京書籍、1981.3刊行本の文庫化。
ヴェーダの神話/叙事詩の神話/ヴィシュヌ神話/クリシュナ伝説など、
352ページ。


藤原達也、「インド・イランの太陽神」、松村一男・渡辺和子編、『太陽神の研究 宗教史学論叢7』(上巻)、リトン、2002、pp.49-99
中世インド/中世インドの太陽神図像/後期古代のイラン/紀元前後数世紀のインド・イラン/展望

杉田瑞枝、「古代インド占星術の太陽」、松村一男・渡辺和子編、『太陽神の研究 宗教史学論叢7』(上巻)、リトン、2002、pp.101-120
太陽神像と太陽神話/占星術書にみられる太陽など

田中雅一、「南インドの太陽崇拝 - タイ・ポンガル祭をめぐって -」、松村一男・渡辺和子編、『太陽神の研究 宗教史学論叢7』(上巻)、リトン、2002、pp.121-133
神々の目覚め/農業暦/タイ・ポンガル祭/境界と豊饒力の祭り/スリランカ漁村のポンガル儀礼など

藤原達也、「古代インド・イランの生と死の神話 - カーフィル・カラシュの儀礼と神話を手がかりに -」、松村一男編、『生と死の神話 宗教史学論叢9』、リトン、2004、pp.155-202
カーフィル・カラシュの葬儀と祖霊祭/カーフィル・カラシュの生と死の神話/古代インド・イランの祖霊信仰/イマとヤマの神話など

沖田瑞穂、「インドにおける神々の不死の起源」、松村一男編、『生と死の神話 宗教史学論叢9』、リトン、2004、pp.131-153
神々による不死の獲得/印欧語族の神々の争い/第三機能としてのアスラ/『マハーバーラタ』の英雄たちと第三機能/第三機能の女とデーヴァヤーニー

 次の論文とともに、同じ著者による→こちら(本頁下掲「iv. 叙事詩、プラーナなど」)、またそちら(「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「いろいろなど(2)」)を参照

沖田瑞穂、「インド神話における天空の至高神 - ヴァルナからヴィシュヌへの継続的発展について」、篠田知和基編、『天空の世界神話』、八坂書房、2009、pp.253-271
天の水・宇宙の水/マーヤー/アヴァターラなど
………………………

ルイ・ルヌー、渡辺照宏・美多稔訳、『インド教』(文庫クセジュ 289)、白水社、1960
原著は Louis Renou, L'hindouisme, 1951
ヴェーダの宗教/インド教 - 文献/神話と信仰/思弁/祭祀と宗教行事/宗派/インド教小史/現代のインド教/付録 統計など、
134ページ。


R.G. バンダルカル、島岩・池田健太郎訳、『ヒンドゥー教 ヴィシュヌとシヴァの宗教』、せりか書房、1984
原著は Ramakrishna Gopal Bhandarkar, Vaiṣṇavism, Śaivism and Minor Religious Systems, 1982
ヴィシュヌ教;序論/新たな有神論の勃興/『マハーバーラタ』ナーラーヤニーヤ章の分析/サートヴァタ族とその宗教/『バガヴァッド・ギーター』概観/『バガヴァッド・ギーター』の宗教の起源/ヴァースデーヴァとナーラーヤナとの同一視/ヴァースデーヴァとヴィシュヌとの同一視/ヴァースデーヴァ・クリシュナと牛飼の神(ゴーバーラ・クリシュナ)との同一視/パンチャラートラ派すなわちバーガヴァタ派の教理/ヴィシュヌ=ナーラーヤナの化身/バーガヴァタ派とヴィシュヌ教一般のその後の痕跡/ラーマ信仰/南インドのヴァースデーヴァ教すなわちヴィシュヌ教/ラーマーヌジャ/マドヴァ(アーナンダティールタ)/ニムバールカ/ラーマーナンダ/カビール/ラーマーナンダ派のその他の思想家/トゥラシーダース/ヴァッラバ/チャイタニア/ヴィシュヌ教の堕落/ナームデーヴとトゥカーラーム/ヴィシュヌ教のまとめ//
シヴァ教およびその他の諸宗教;序論 - ルドラ=シヴァ神という概念の成りたち/ルドラ=シヴァ神観の発展/『シュヴェータシュヴァタラ・ウパニシャッド』と『アタルヴァシラス・ウパニシャッド』/『マハーバーラタ』におけるルドラ=シヴァ神とリンガ崇拝/シヴァ教諸派とその伝播およびシヴァ教信者の種類/シヴァ教諸派の名称とその教義/パーシュパタ派の教理/シヴァ派の教理/カーパーラ派とカーラームカ派/カシミール・シヴァ派/ヴィーラ・シヴァ派すなわちリンガーヤト派/ドラヴィダ地方におけるシヴァ教/シャクティ派すなわちシャクティ崇拝者/ガーナパトヤ派/スカンダすなわちカールッティケーヤ/サウラ派と北インドの太陽崇拝/シヴァ教およびその他の諸宗教のまとめ/ヒンドゥー教における有神論と汎神論など、
562ページ。


橋本泰元・宮本久義・山下博司、『ヒンドゥー教の事典』、東京堂出版、2005
ヒンドゥー教とは/ヒンドゥー教の根本的思想/ヒンドゥー教の諸宗派と宗教思想家/ヒンドゥー教の儀礼と生活/ヒンドゥー教と近・現代社会など、
430ページ。


 こちらで少し触れました:本頁上掲「i. 概説など」中の松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ
………………………

「南アジアの神話・宗教」、『世界神話大事典』、2001、pp.900-987
ヴェーダ時代 宗教と神話(シャルル・マラムー)/ヴェーダの宇宙創成説(マドレーヌ・ビヤルドー)/プラーナ文献の宇宙創成説(同)/ソーマと交換 ヴェーダ神話における供物と神(Ch.マラムー)/インドの神話 ヒンズー教(M. ビヤルドー)/インドの宗教 「大地」の象徴(同)/ヒンズー教 犠牲の祭柱、ユーパ(同)/民間のヒンズー教(マリー=ルイーズ・レニシュ)/マハーバーラタ 神話の要点(M. ビヤルドー)/ラーマーヤナ(同)/アヴァターラ(化身)(同)/ヴァシシュタとヴィシュヴァーミトラ 聖職と王の機能の分離(同)/ヴァーマナ 矮人(同)/ヴィシュヌとシヴァ ヒンズー教のバクティ(信愛)の至高の神々(同)/ガナパティ(同)/カーマデヌ 神秘の雌ウシ 繁栄の象徴(同)/ガンジス川 ガンガーとヤムーナ 解脱の川と起源の川(同)/クリシュナ 子供時代と壮年時代(同)/スカンダ 南インドの偉大な至高神(同)/デーヴァとアスラ(阿修羅) ヒンズー教の天神と魔族(同)/デーヴィー インドの女神(同)/ナラシンハ ライオン人間(同)/ナラとナーラーヤナ(同)/パラシュラーマ(同)/パンチャムカ 5頭の神と数字5(同)/マツヤ 魚と洪水 神話的想像力の働き(同)/ルドラ・シヴァと犠牲の破壊(ジャック・シュエル)など
………………………

Wendy Doniger O'Flaherty, The Origins of Evil in Hindu Mythology, University of California Press, Berkeley, Los Angeles and London, 1976/1980
『ヒンドゥー神話における悪の諸起源』
序説:悪の問題/時間、宿命と人間の堕落/悪の必然性/神々、魔神たちと人間/善き魔神の逆説:相対的倫理と絶対的倫理の衝突/悪しき神の逆説;罪の転移/魔神と人間の腐敗:誤ったアヴァターラ/死の誕生/天の群衆/神は異端である/引き裂かれた子供:人間の中の善と悪/結論:神義論の多くの道など、
424ページ。

iii. ヴェーダ、ブラーフマナ文献、ウパニシャッドなど

辻直四郎訳、『リグ・ヴェーダ讃歌』(岩波文庫 32-060-1)、岩波書店、1970
408ページ。

 pp..299-324 に
「宇宙創造に関する讃歌」9篇;謎の歌(抄)/アスラの歌/ヴァーチュ(言語の女神)の歌/タパス(熱力)の歌/ヴィシュヴァ・カルマン(造一切者)の歌/ブラフマナス・パティ(祈禱主)の歌/ヒラニア・ガルバ(黄金の胎児)の歌/プルシャ(原人)の歌/宇宙開闢の歌
 など。

 →こちら(「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁)や、あちら(「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)」の頁の「言葉・名前・文字の神秘学など」)でも少し触れています

辻直四郎訳、『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌 古代インドの呪法』(岩波文庫 赤 65-1)、岩波書店、1979
第1部 呪法讃歌;治病法/息災・長寿法/調伏法/婦女法/和合法/国王法/バラモンの利益を守るための呪法/増益法/贖罪法//
第2部 思想的讃歌;ヴェーナ(見者)の歌/ブラフマン(梵)の歌/プラーナ(生気)の歌(抄)/ローヒタ(紅光者・太陽)の歌(抄)/カーマ(意欲)の歌(抄)/カーラ(時)の歌/人体の構造を讃うる歌(抄)/スカンバ(支柱)の歌(抄)/ブーミ(大地)の歌(抄)/ヴラーティアの讃美(抄)など、
280ページ。


 →こちらにも挙げておきます:「魔術、神秘学、隠秘学など」の頁の「魔術書など


辻直四郎、『古代インドの説話 - ブラーフマナ文献より -』、春秋社、1978
214ページ。

 pp.98-102 に「創造神話」3篇、
 pp.106-108 に「五火の教義」
 など。


辻直四郎、『インド文明の曙 - ヴェーダとウパニシャッド -』(岩波新書 619)、岩波書店、1967
ヴェーダとは何か/ヴェーダの歴史的背景/ヴェーダ語の系統/リグ・ヴェーダについて/リグ・ヴェーダの神々/リグ・ヴェーダの哲学讃歌、対話讃歌、その他/サーマ・ヴェーダとヤジュル・ヴェーダ/アタルヴァ・ヴェーダ/ブラーフマナ文献/ウパニシャッドなど、
222ページ。

上岡弘二、「リグヴェーダに見える人類の始祖 - イランにも関説して -」、『西南アジア研究』、no.6、1961、pp.37-55

湯田豊、「ブラーフマナの創造神 (Prajāpati) の思想的展開」、『印度學佛教學研究』、vol.17 no.2、1969、pp.634-639 [ < J-STAGE ]

井狩彌介、「ヴェーダ祭式文献にみられる再生観念の諸相」、『人文學報』、no.65、1989.3.31:「諸宗教の比較論的研究」、pp.69-78

土山泰弘、「ヴェーダの国土観 - rocaná について -」、『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」、横 pp.109-120
………………………

 ウパニシャッドの翻訳は、上掲

ヴェーダ アヴェスター 世界古典文学全集 第3巻』、1967、pp.169-281

 および


バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.57-151

の他、

佐保田鶴治、『ウパニシャッド』、平河出版社、1979
 1944年刊行本の改訂版。
第1部;チャーンドーギァ・ウパニシャッド/ブリハッド・アーラニァカ・ウパニシャッド/カウシータキ・ウパニシャッド/アーイタレーヤ・ウパニシャッド/ターイッティリーヤ・ウパニシャッド//
第2部;ケーナ・ウパニシャッド(一名タラヴァカーラ・ウパニシャッド)/イーシァ・ウパニシャッド(一名イーシャーヴァーシャ・ウパニシャッド)/カータカ(カタ)・ウパニシャッド/シヴェータシヴァタラ・ウパニシャッド/ムンダカ・ウパニシャッド(剃髪教徒の奥義書)/プラシナ・ウパニシャッド(質疑の奥義書)/マーイトラーヤナ(マーイトリ)・ウパニシャッド/マーンドゥーキァ・ウパニシャッド//解題など、
388ページ。

 「この翻訳はウパニシャッド原典の全訳ではありません。わたしの見識で選択したり、順序を変更したりしています。わたしの狙いは、ウパニシャッドの創造的時代の思想の内容をまとまった形で浮かび上がらせることにあります」(p.323)とのこと。


岩崎眞慧、「ウパニシャッドにおける梵界について」、『印度學佛教學研究』、vol.7 no.2、1959、pp.632-635 [ < J-STAGE ]

大友康敬、「二道説について」、『印度學佛教學研究』、vol.38 no.1、1989.12、pp.449-447 [ < J-STAGE ]

澤井義次、「インド宗教思想における他界観 - 特にウパニシャッド思想をめぐって -」、細田あや子・渡辺和子編、『異界の交錯 宗教史学論叢11』下巻、リトン、2006、pp.9-28
輪廻の思想と他界観/五火二道説における死と再生/死後の世界としての他界/ヴェーダーンタ哲学における他界など
………………………

定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011、pp.13-39、「第一部 インド正統派の宇宙観 第一章 バラモン教の宇宙観」
リグ・ヴェーダの神々/宇宙の階層/平らな大地/天体の運動/死界めぐり/宇宙の生成/自己とはなにかなど。

久保田力、「″(マナス)による創成″神話 -マノーマヤ(意生)観念の発生 -」、『創成神話の研究』、1996、pp.237-253

 次の本で扱われるヤースカは、
「ウパニシャッド哲学と前後する時代に活躍したと思われる」(p.137)
とのことなので、ここに挙げておきましょう;


川村悠人、『神の名の語源学』、溪水社、2021
緒言//
序章;本書の目的/サンスクリット語/ヤースカと『語源学』及び『用語集』/ヤースカの神界観と本研究の射程/『語源学』の原典/語源学という学問/語源学という用語と語源学の現代的意義/サンスクリット文法学/語源説明の方法論/現代における言語分析との比較/他文化における語源説明の諸例/語源説明とかばん語/語源学の目的/語源説明の指針と学習資格//
地上の主神;ヴェーダ祭式と火/アグニと語源説明/火神に対する他の呼称/ジャータヴェーダス/ヴァイシュヴァーナラ//
中空の主神;英雄神インドラ/ヴリトラと語源説明/インドラと語源説明/ヤースカの火の思想/インドラの役割/「雷霆神インドラ」の起源//
天の主神;太陽神について/アディティとアーディティヤ/太陽の主要な役割/ヤースカの語源説明とアーディティヤ観/太陽が主たる賛美を受けるときの名//
世界の唯一神;根源的存在への思索/神々の数/一元論への動き/ヤースカのアートマン論とアグニ/アグニ一元論の背景/宇宙我としての祭火//
結論/『語源学』第七章の科文など、
184ページ。


 「本書の考察対象は、紀元前5世紀から紀元前4世紀頃に活躍したと目される古代インドの言語学者ヤースカが、その作品『語源学』で展開する議論である。そこでは、彼以前のヴェーダ諸文献、特に宗教儀礼用の讃歌集『リグヴェーダ』における描写を根拠として、神々の名の語源と神々のあり方について多様な着想が提供されている。
 …(中略)… ヤースカが『語源学』にて提示する神々の名の語源説明を考察の主軸に据えて、神の名を扱う語源学の実際とそれを取り巻く彼の神学大系を明らかにする」(p.i)。

iv. 叙事詩、プラーナなど

田辺繁子訳、『マヌの法典』(岩波文庫 33-260-1)、岩波書店、1953

 第1章1-101(pp.27-38)で宇宙の開闢やユガ説が説かれます。

その内第1章から宇宙周期の年数に関する箇所だけ、( )内に挿入された訳註も含めて引いておくと;
67 「一年は神々の晝と夜にして…(中略)… 
69  クリタ・ユガは(神々の)4千年より成り、その前に存する薄明は、それと同數の百(卽ち4百年)より成り、その後に存する薄明も、同じ數より成るといはる。
70  前薄明と、後薄明とを有する他の3ユガに於ては、(各ゝ)千(年)と百(年)は、一つづつ減ぜらる。(卽ち以下の如くになる。クリタ・ユガ(400+4000+400)、トレーター・ユガ(300+3000+300)、ドゥヴァーパラ・ユガ(200+2000+200)、カリ・ユガ(100+1000+100)) 
71  (人間界の)4ユガの總計として、かく數えられたる1萬2千(年)は、神々の1ユガと呼ばる。 
72  而して、神々のユガを千合計したるものはブラフマンの一日にして、又彼の夜も同じ長さなりと知るべし」(pp.34-35)。 

 こちらで触れました:本頁上掲「i. 概説など」中の松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ 

上村勝彦訳、『原典訳 マハーバーラタ』、1~8(ちくま学芸文庫 マ 14-1~8)、筑摩書房、2002~2005

 訳者が逝去されたため、「元来、全一一巻を以って完結する予定であった」(第8巻、原実、「解説」、p.241)が、第7巻で途絶、遺稿をまとめて第8巻として出版された。第8巻のカヴァーには「続刊未定」と記されています。
 例によって目次から拾ってみても;
第1巻第1章27-45「宇宙紀の開闢」(1, pp.49-50)/
第1巻第15章-第16章「乳海の攪拌」(1, pp.143-148)/
第3巻第185章「マヌと大洪水」(4,pp.35-39)/
第3巻第186章「最悪の時代とユガの終末(1)」(4,pp.39-49)/
第3巻第187章「最高神の本性」(4,pp.49-53)/
第3巻第188章-第189章「最悪の時代とユガの終末(2)」(4,pp.54-64)/
第3巻第247章「天界の幸せと涅槃」(4,pp.246-250)/
第6巻第1章-第11章「ジャンブー大陸の創造」(6,pp.17-48)/
第6巻第12章-第13章「地上界[諸大陸の詳説]」」(6,pp.49-58)/
第6巻第23章-第40章「バガヴァッド・ギーター」(6,pp.85-172)
 など。

 その内第3巻第186章から宇宙周期の年数に関する箇所だけ引いておくと(改行は当方による);

「[神々の]4千間がクリタ・ユガと呼ばれる。
その薄明は4百年であり、薄暮も4百年である。
その次の3千年がトレーター・ユガと呼ばれる。
その薄明は3百年であり、薄暮も3百年である。
またドィヴァーパラ・ユガの長さは2千年である。
その薄明は2百年であり、薄暮も2百年である。
そしてカリ・ユガは1千年間であると伝えられる。
その薄明は百年であり、薄暮も百年である。
薄明と薄暮は等しい長さであると考えよ。
カリ・ユガが尽きると、再びクリタ・ユガが訪れる。
以上の1万2千年が『ユガ』と呼ばれるものである。
梵天の昼は1千ユガで4終わるとされる。
実に全宇宙はすべからく梵天の住処の中に回帰する」(第4巻、p.41)。


 こちらで触れました:本頁上掲「i. 概説など」中の松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

井上信生、「Mahābhārata XII. 224-225. の創造説と終末論」、『印度學佛教學研究』、vol.41 no.1、1992.12、pp.506-504 [ < J-STAGE ]

井上信生、「叙事詩・プラーナの創造説に於る宇宙卵」、『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」、横 pp.97-108
MBh.12.224-225 - 宇宙暦・最高神・展開説 -/伝統的宇宙卵説との交渉/Pur.Pañc.1 Abscn.TGII

井上信生、「世界の終末と最高神 - Mahābhārata III 186-187 と Bhagavadgītā -」、『印度學佛教學研究』、vol.45 no.1、1996.12、pp.486-482 [ < J-STAGE ]

井上信生、「Mahābhārata VI.5-13の世界観」、『待兼山論叢. 哲学篇』、no.31、1997.12、pp.43-53 [ < 大阪大学学術情報庫 OUKA(Osaka University Knowledge Archive) ]
 『マハーバーラタ』第5巻5-13(上掲上村勝彦訳の第6巻(61)-(62))からまず五元素説、次いで大地の形態について論じたもので、後者の内、プラーナ文献でのジャンブードゥヴィーパに相当するスダルシャナ大陸についての記述を検討します。そこで

Meru 山の四方に『島』を配するのは仏教徒の世界観と共通する。最初期の仏教徒は大地を円盤状だと考えていたが、次第に四分するようになり、後に中心の山(Meru)を取り囲む七重の山脈の観念が入り込んでその外側の大海中に四大陸が配されるようになった(Kirfel, Kosmographie pp.181-189)。MBh(マハーバーラタ)の当該箇所は仏教徒のコスモグラフィーの初期段階と似通っていることになる」(p.50)。

 さらに当該箇所に見てとれる齟齬から、

「思うに
Sudarśandvīpa に関するコスモグラフィーと、Jambūdvīpa 以下多くの大陸を述べる説とはそれぞれ独自に発展してきたもので、両者を MBh の編纂者が強引に接続したのではないだろうか」(pp.51-52)、

 という興味深いくだりがありました。

 →「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫」中の「各論等」に挙げた

 御手洗勝、「古代中国における地理思想 - 崑崙四水説について -」、『民族学研究』、24巻1-2号、1960.3、pp.438-450

のところで記したメモも参照。

 なお、〈乳海攪拌〉の神話は『ラーマーヤナ』でも語られています;

ヴァールミーキ、中村了昭訳、『新訳 ラーマーヤナ 1』(東洋文庫 820)、平凡社、2012、第45章(pp.209-214)。

 →こちらで別の箇所について触れています:本頁の「iv. 象・亀・蛇など

川村悠人、「神器と魔法の古代書」、『ユリイカ』、no.806、vol.55-9、2023.7:「特集 奇書の世界」、pp.256-263
摩訶不思議なインドの大叙事詩/千古の英雄たち/英雄たちは弓を振るう/神弓ガーンディーヴァ/神器の射出と呪句の詠唱/通常の矢を呪句で強化する/純粋な魔法類/神器の種類/魔物を使役するルドラ神の魔弾/弓矢と魔法が踊る世界
………………………

美莉亜訳、『全訳 バーガヴァタ・プラーナ クリシュナ神の物語』(上中下)、ブイツーソリューション・星雲社、2007/2007/2009

 「英語からの重訳」(上、p.5)とのこと。
 例によって目次から拾うと;
第1巻第2話「主の物語の栄光」(上、pp.64-67)/
第1巻第3話「主のアヴァターラ(化身)について」(上、pp.68-72)/
第2巻第1話「主の宇宙体の描写」(上、pp.140-143)/
第2巻第2話「二種のムクティ(解放)のあり方」(上、pp.143-148)/
第2巻第4話「王は宇宙創造の次第を問い、シュカは語り始める」(上、pp.151-153)/
第2巻第5話「宇宙の描写」(上、pp.153-157)/
第2巻第6話「主の宇宙体の栄光」(上、pp.158-162)/
第2巻第7話「主の降誕の遊戯」(上、pp.162-170)/
第2巻第8話「パリークシットは聖シュカに様々な質問をする」(上、pp.170-172)/
第2巻第9話「四つの句からなるバーガヴァタの原典」(上、pp.173-178)/
第2巻第10章「バーガヴァタが持つ十の特徴」(上、pp.178-183)/
第3巻第5話「聖仙マイトレーヤは創造の過程を説明する」(上、pp.200-205)/
第3巻第6話「主の宇宙体の出現」(上、pp.205-209)/
第3巻第7話「ヴィドゥラの質問」(上、pp.209-213)/
第3巻第8話「ブラフマー神の出現」(上、pp.213-217)/
第3巻第10話「十の部分の創造」(上、pp.222-225)/
第3巻第11話「マンヴァンタラなどの時の区分」(上、pp.225-229)/
第3巻第12話「多くの創造について」(上、pp.230-235)/
第3巻第13話「神聖なる野猪としての主の降誕」(上、pp.235-241)/
第3巻第26話「マハト・タットヴァと他の根本原理の開展の過程」(上、pp.292-299)/
第3巻第27話「プラクリティとプルシャの識別について」(上、pp.299-301)//

第5巻第16話~第26話;宇宙誌(中、pp.61-110)/
第8巻第5話~第11話;乳海攪拌(中、pp.298-330)
など。

 その内第3巻第11話から宇宙周期の年数に関する箇所だけ、( )内に挿入された訳註も含めて引いておくと;

「四つのユガである、クリタ、トレーター、ドヴァーパラ、カリ、及び各サンディヤー(薄明。各ユガの初めにおかる過渡期)とサンディヤームシャ(薄暮。各ユガの終わりの移行期)、それらを合計したものは神々の1万2千年になると言われます(つまり、人間における432万年)。
 クリタから続く各ユガは、それぞれ4千年、3千年、2千年、及び各々前後に(サンディヤーとサンディヤームシャとして)4百年、3百年、2百年、百年からなる、神々の年が集まって構成されるでしょう。
 …(中略)…三界よりも上に存在する、マハルローカからブラフマー神の世界(サティヤローカ)までは、4ユガが千回続いて昼となり(43億2千万年)、その後同じ長さの、夜が始まる」(p.227)。

 〈神々の年〉については少し前の箇所に

「六ヶ月は『アヤナ』と呼ばれるでしょう。…(中略)…二つのアヤナは神々の一日(昼と夜)に相当します。これは一年、、もしくは12ヶ月と呼ばれ、百の年は人間の寿命になっているのです」(p.226)

とありました。逆にいえば、神々の一年は人間の360年、神々の百年は人間の36万年に相当するわけです。


 こちらで触れました:本頁上掲「i. 概説など」中の松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

定方晟、『インド宇宙誌』、春秋社、1985、pp.71-204、「Ⅱ ヒンドゥー教の宇宙観 第一章 プラーナの宇宙観」
宇宙卵/七大陸/ジャンブ洲/バーラタ国/地下の世界/地獄/天界/太陽とその運動/日常的な時間/神話的な時間/マヌ期/宇宙の生成/終末と世界消滅/絶対者ヴィシュヌ/仏教の宇宙観との比較/『ヴィシュヌ・プラーナ』について/シヴァ神のリンガなど。

定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011、pp.41-168、「第一部 インド正統派の宇宙観 第二章 ヒンドゥー教の宇宙観」
宇宙卵/七洲と七海/メール山/ジャンブ洲/バーラタ国/バーラタ国の民族/地下の世界/地獄/天界/太陽の馬車/太陽の運動と時間/時間の単位/暦-月、年、季節/西洋天文学の影響/神話的な時間-チャトルユガ(マハーユガ)とカルパ/ブラフマー神の一日と一生/マヌ期/ブラフマー神の第一次創造/サーンキヤ哲学/ブラフマー神の第二次創造/乳海攪拌/道徳の消滅/世界の消滅/バラタの「すべては一如」の教え/カリ時代と称名/ガンジスの降下/『ヴィシュヌ・プラーナ』について/シヴァ神のリンガなど。

 前掲『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.293-330 に

『バーガヴァタ・プラーナ』第10巻29~33(愛と信仰)、第12巻8-7~9-34(ヴィシュヌ神の幻力(マーヤー))、第11巻27-7~52(至高神への礼拝次第)(服部正明・大地原豊訳)

 前掲『インドの夢 インドの愛 サンスクリット・アンソロジー』、1994、pp.119-147 に

「増殖する古伝承 - プラーナ」(横地優子);大海の中で眠る神(パドマ・プラーナ)/ブラーフマナ殺し(クールマ・プラーナ)/世界を破壊する踊り(リンガ・プラーナ)

ウインテルニッツ、中野義照訳、「プラーナ概説」、『密教文化』、no.40、1958、pp.25-72 [ < J-STAGE ]

 ヴィンテルニッツ、中野義照訳、『叙事詩とプラーナ インド文献史 第2巻』、日本印度学会、1965

というのがあり、関連するものと思われますが、古書としてやたら値がはるため、未見。


奥田真隆、「ヴィシュヌ・プラーナ研究〔I〕 - 第一章第二節の創造 (Sarga) 説における十神について -」、『印度學佛教學研究』、vol.22 no.2、1974、pp.1027-1021 [ < J-STAGE ]

 同、  「ヴィシュヌ・プ.ラーナ研究〔II〕 - Bharata 伝説について -」、『印度學佛教學研究』、vol.23 no.2、1975、pp.977-973 [ < J-STAGE ]

松山俊太郎、「ヴィシュヌ神とアヴァターラ」、『エピステーメー』、vol.1 no.2、1975.11、「特集 仮面・ペルソナ」、pp.200-208

 →こちらに再録:「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など

松濤誠達、『古代インドの宗教とシンボリズム』、大正大学出版会、2006、pp.101-161:「第Ⅱ章 プラーナ聖典」
Purāṇa 文献の系統に関する試論-Yama 誕生の説話を中心として-/Purāṇa 文献に見える Śunaḥśepa 伝説/プラーナ文献における絶対者-『ヴィシュヌ・プラーナ』に現われる絶対者-/プラーナ文献における人間観-世界創造論を通じて-など。

 また同書 pp.3-14 に「第Ⅰ章 1 プラーナ文献に見えるヴェーダ-特に『ヴィシュヌ・プラーナ』の記述を通じて-」、
 同書から「第Ⅳ章 シンボリズム」および同書全体の目次→こちらを参照:本頁「i. 概説など」の項


小山典勇、「密厳国土建設に向って - ヒンドゥー教プラーナ聖典における『天界』の理解の仕方から -」、『智山学報』、no.35、1986、pp.A23-A36 [ < J-STAGE ]
DOI https://doi.org/10.18963/chisangakuho.35.0_A23

小山典勇、「Viṣṇu の天界 - Vaikuṇṭha 天界の原像について -」、『智山学報』、no.36、1987、pp.A1-A10 [ < J-STAGE ]
DOI https://doi.org/10.18963/chisangakuho.36.0_A1

神館義朗、「両性具有のシヴァとシヴァー - 『シヴァ・プラーナ』の場合 -」、『滋賀医科大学基礎学研究』、1巻、1990.3、pp.b1-b16 [ < 滋賀医科大学機関リポジトリ「びわ庫」 ]

渡邉たまき、「カルキ神話における終末論」、『宗教研究』、no.82-4、2009.3.30、pp.447-448 [ < CiNii Articles

渡辺たまき、「カルキ・プラーナにおける千年王国論的構造」、『哲学・思想論叢』、no.28、2010.1.31、pp.81-94 [ < つくばリポジトリ(Tulips-R) ]

渡邉たまき、「インド民衆神話における救済 : カルキ・プラーナを事例として」、『宗教研究』、no.83-4、2010.3.30、pp.425-426 [ < CiNii Articles

沖田瑞穂、「乳海攪拌神話とラグナロク」、『明星大学研究紀要. 日本文化学部・言語文化学科』、no.16、2008、pp.99-108 [ < CiNii Articles

 〈ラグナロク〉にからんで→こちらにも挙げておきます:「北欧、ケルト、スラヴなど」の頁の「i. いわゆる北欧神話など
 同じ著者による→そちらを参照:本頁上掲「ii. インドの神話とその周辺


澤田容子、『アルダナーリーシュヴァラ研究 ― プラーナ聖典における創造神話の構造分析 ―』、博士論文/東洋大学、2016.3.25 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ
Permalink : http://id.nii.ac.jp/1060/00008445/

澤田容子、「ブラフマーによる男女分裂型創造神話の考察」、『大学院紀要』、46集、2010.3、pp.81-101 [ < 同上 ]

v. 六派哲学など

通史・概論的なもの
サーンキヤ学派など
ヨーガとヨーガ学派など
ヴェーダーンタ学派など
ニヤーヤ学派など
ヴァイシェーシカ学派など
ミーマンサー学派など
もろもろなど
主宰神の存在論証など
ローカーヤタなど

 通史・概論的なもの;

ジャン・ブリエ・フレッシネ、渡辺重朗訳、『インドの哲学』(文庫クセジュ 355)、白水社、1964
原著は Jean Boulier-Fraissinet, La philosophie indienne, 1961
出発点、種族の呪術(紀元前5000年紀-紀元前4世紀)/族制の危機とシュラマナの活動(紀元前7世紀-紀元前4世紀)/抽象的普遍主義の形成(紀元前4世紀-紀元後11世紀)/後期封建時代の哲学(10-18世紀)/近代思想と国家の独立(19-20世紀)など、
126ページ。


湯田豊、『東と西の哲学』(レグルス文庫 40)、第三文明社、1974
絶対者の探求をめぐって//
生の否定と肯定;インド倫理学の主要問題/仏教の倫理思想-阿羅漢と菩薩/西洋倫理思想の三つの類型//
存在の究極にあるもの - 存在の三つの類型;理念的存在/現実的存在/精神的存在-第三の道//
霊魂 - 内面世界の発見;霊魂の否定と肯定/インド思想における霊魂観//
神観 - キリスト教とインド思想;無からの創造/悪の根源を求めて/神への愛-インド哲学とキリスト教ど、
202ページ。

湯田豊、『インドの思想』(レグルス文庫 42)、第三文明社、1975
外界の問題 - 宇宙への道;質料観と原子論/外界非実在の思想//
認識論と論理学 - 言語と思惟の問題;直接知覚/言語の問題/推論/形式論理学と弁証法//
因果律と無;初期の因果律思想/倫理学的因果律/因中有果論/二種類の因果律/因果律の否定/因中無果論/無の観念//
美とエロチシズム;美の世界/エロチシズムなど、
200ページ。


湯田豊、『インド哲学の諸問題』、大東出版社、1978
インド哲学序論;インド哲学における存在の問題/インド思想における因果律の問題//
古代インドの文化と祭祀;マドスーダナ・サラスヴァティーの著した正統バラモン体系概観/ブラーフマナにおける祭祀の理論//
ウパニシャッドの自我思想;シャーンディリヤー再評価/ウッダーラカにおける存在の問題について/ヤージニャヴァルキヤ-アジア的思惟の源流を尋ねて//
ヴェーダーンタ哲学におけるインド的思索の特徴 - 比較哲学への一つの試み -;ヘーゲルとインド哲学/シャンカラとヘーゲル/ヘーゲルとの比較におけるシャンカラ哲学の特質//
インドの論理学と認識論;ニヤーヤ=ヴァイシェーシカ学派の論理学 - タルカ・サングラハの和訳・解説 -/最初期のミーマンサー学派の認識論 - ミーマンサー・スートラ、1.1.1-5に対するシャバラスヴァーミンの注釈 -など、
496ページ。

服部正明、「インドの自然観」、『新岩波講座 哲学 5 自然とコスモス』、1985、pp.298-319
自然と精神/宇宙形態論/自然哲学の形成/自然の機械論的解釈

山口義久、「インドとギリシアの古代『原子論』 : 比較思想の基本的問題」、1996

 またアビダルマ仏教の極微論とギリシャの原子論の比較→こちらも参照:「仏教」の頁の「ii. アビダルマの自然学、刹那滅論など

宮元啓一、『インド哲学七つの難問』(講談社選書メチエ 255)、講談社、2002
序 インド哲学は哲学である/ことばに世界を創る力があるのか?/「有る」とは何か、「無い」とは何か?/本当の「自己」とは何か?/無我説は成り立つか?/名付けの根拠は何か?/知識は形をもつか?/どのようにして、何が何の原因なのか?など、
216ページ


宮元啓一/石飛道子、『ビックリ!インド人の頭の中-超論理思考を読む』、講談社、2003
論争の王国インド/存在とことば/論理と知識/世界と力/あたりまえのインド哲学など、
212ページ。


宮元啓一、『インド人の考えたこと - インド哲学思想史講義(シリーズ インド哲学への招待)』、春秋社、2008
ヴェーダの宗教/真実のことばの力/瞑想から哲学へ/輪廻・解脱・出家/仏教誕生直前のインド/最初の仏教/ヒンドゥー教の成立と仏教の展開/ヨーガからタントリズムへ/生物・身体・時間/ヒンドゥー教とイスラーム教の融合//
哲学の目的としての絶対的幸福/六派哲学/実在論と唯名論/自己/知識/推論/因果/無/数/最高神をめぐってなど、
236ページ。


宮元啓一、『インド哲学の教室 - 哲学することの試み(シリーズ インド哲学への招待)』、春秋社、2008
自己と世界-西田幾多郎とヤージュニャヴァルキヤをめぐって/言語空間としての世界-実在論的多元論としてのヴァイシェーシカ哲学/絶対的幸福を求めるインド哲学-人情を超えてなど、
192ページ。


和田壽弘、「ヒンドゥー実在論哲学の世界の構造と周期」、 立川武蔵編、『曼陀羅と輪廻 その思想と美術』、佼成出版社、1993、pp.153-172
序 - インド的実在論と宇宙論/世界を構成する要素/世界の生成と帰滅、そして神/神の存在証明など。

 扱われているのはニヤーヤ学派とヴァイシェーシカ学派。

………………………

 サーンキヤ学派など;

イーシュヴァラクリシュナ、服部正明訳、「古典サーンキヤ体系概説 サーンキヤ・カーリカー」、上掲『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.189-208

村上真完、『サーンクヤの哲学 - インドの二元論 -』(サーラ叢書 27)、平樂寺書店、1982
序説 概観と資料解説;サーンクヤ哲学の資料/サーンクヤ哲学の総括と位置づけ//
二元論の構造;原質と霊我/二元論の構造//転変説 - 永遠の有と転変 -//
認識の構造;直接知覚(現量)説/推論、権威、論証//
実践論;解脱の道/知と行 - 『ユクティ・ディーピカー』における知と行をめぐる議論 -など、
360ページ。


 立川武蔵、『三人のブッダ』(2019)中に次のくだりがありました;

「古代インドのサーンキヤ哲学によれば現象世界を構成する原物質は自らを宇宙精神である霊我とうぬぼれて霊我の真の姿を覆い隠してしまいます」(p.189)。

 仏教における世界開闢時の大梵天の説話や、グノーシス主義におけるヤルダバオトの倨傲などが連想されます。この点に関し→「世界の複数性など」の頁でも触れました。出典はどこなのでしょう?
………………………

 ヨーガとヨーガ学派など;

伝パタンジャリ、松尾義海訳、「ヨーガ根本聖典 ヨーガ・スートラ」、上掲『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.209-244

佐久保鶴治、『ヨーガ根本教典』、平河出版社、1976
ヨーガ思想入門;ヨーガ思想の歴史/サーンキャ哲学の概要/ヨーガ・スートラの思想構造/ハタ・ヨーガの思想構造//
解説ヨーガ・スートラ//
ハタ・ヨーガ・プラディーピカー;アーサナ/調気法(プラーナーヤーマ)/ムドラー/ラージャ・ヨーガなど、
288ページ。


佐久保鶴治、『続・ヨーガ根本教典』、平河出版社、1978
ゲーランダ・サンヒター;身体に関するヨーガ説示/アーサナ(体位法)/ムドラー/プラティアーハーラ(制感法)/プラーナーヤーマ(調気法)/ディアーナ・ヨーガ/サマーディ・ヨーガ//
シヴァ・サンヒター;宇宙観/人間論/ヨーガの修習/ムドラー/雑録など、
302ページ。


立川武蔵訳、『ヨーガ ① エリアーデ著作集 第9巻』、せりか書房、1975

立川武蔵訳、『ヨーガ ② エリアーデ著作集 第10巻』、せりか書房、1975
原著は Mircea Eliade, Le Yoga; immortalité et liberté, 1954 第2版の英訳(1969)
①;序/ヨーガの教義/自律性のための技術/ヨーガとブラーフマニズム/ヨーガの勝利/仏教におけるヨーガの技術など、
326ページ。

②;ヨーガとタントリズム/ヨーガと錬金術/ヨーガと土着インドなど、
356ページ。

 エリアーデについて→こちらも参照:「通史、事典など」の頁の「v. テーマ別のもの諸々


ポール・マッソン=ウルセル、渡辺重朗訳、『ヨーガ』(文庫クセジュ 594)、白水社、1976
原著は Paul Masson-Oursel, Le Yoga, 1954
序論/ジナ教と仏教における最初期のヨーガ/ウパニシャッド、叙事詩のヴィシュヌ教、大乗仏教/シヴァ教におけるタントラ主義、仏教の併合/インド起源でない技術とヨーガの比較 - スーフィー神秘主義、ヘシカステス派、道家/ヴェーダとヨーガ/付録など、
150ページ。


本多恵、「ヨーガの神秘思想」、『理想』、no.565、1980.6:「特集 神秘主義」、pp.96-107
歴史の概要;萌芽/原始ヨーガ/古典ヨーガ//
古典ヨーガの神秘思想;八実修法/神/超能力

………………………

 ヴェーダーンタ学派など;

服部正明訳、「不二一元論 ブラフマ・スートラに対するシャンカラの注解 2-1-14, 18」、上掲『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.245-266

服部正明訳、「最高神とその様態 ラーマーヌジャ『ヴェーダの要義』」、同上、pp.267-291

 →こちらでも少し触れています:「有閑神(デウス・オーティオースス)、デーミウールゴス、プレーローマなど」の頁


シャンカラ、前田専学訳、『ウパデーシャ・サーハスリー 真実の自己の探求』(岩波文庫 青 264-1)、岩波書店、1988
韻文篇;純粋精神/否定/主宰神/「私」という観念/尿の疑い/切断/統覚機能にのぼったもの/純粋精神の本質/微細性/見/監視者であること/光に照らされて/目がないこと/夢と記憶/AはBでない/地から成るもの/正しい思想/「君はそれである」/熱病の消滅//散文篇;弟子を悟らせる方法/理解/パリサンキヤーナ念想など、
304ページ。


前田専學、『ヴェーダーンタの哲学 - シャンカラを中心として -』(サーラ叢書 24)、平樂寺書店、1980
序説/シャンカラとその思想的立場/真理認識の手段/アートマン=ブラフマンの宇宙論的考察/アートマン=ブラフマンの心理・認識論的考察/アートマン=ブラフマンの聖典解釈学的考察/解脱論/付章 シャンカラと仏教など、
340ページ


中村元、『初期のヴェーダーンタ哲學 初期ヴェーダーンタ哲學史 第1巻』、岩波書店、1950/1981
初期ヴェーダーンタ哲學の意義;序論/初期ヴェーダーンタ學派の年代的區劃/「ヴェーダーンタ哲學」の意義//
インド諸學派の見た初期ヴェーダーンタ哲學;佛教徒の見たヴェーダーンタ哲學/ヂャイナ教徒の見たヴェーダーンタ哲學/正統バラモン學藝書に現れたヴェーダーンタ哲學/[附論]ギリシャ人の傳えるヴェーダーンタ哲學//増補など、
666ページ。


中村元、『ブラフマ・スートラの哲學 初期ヴェーダーンタ哲學史 第2巻』、岩波書店、1951/1981
ブラフマ・スートラ以前の諸學者;ブラフマ・スートラ以前の諸學者の人物並びに思想/兩ミーマンサー學派の分立//
ブラフマ・スートラ;序説/ブラフマ・スートラ解讀/思想//増補など、
520ページ。

中村元、『ヴェーダーンタ哲學の發展 初期ヴェーダーンタ哲學史 第3巻』、岩波書店、1955/1981
ブラフマ・スートラ以後の諸學者;總説/バルトリハリに歸せられた斷片/ウパヷルシャ/ボーダーヤナ/タンカ(ブラフマーナンディン)/ドラヴィダ/バルトリプラパンチャシャバラスヷーミン/バルトリミトラ/シュリー・ヷツァーンカ・ミシュラ/スンダラパーンディヤ/ブラフマダッタ/ゴーヴィンダ/マンダナミシュラ/諸異説の斷片的伝承//
マーンヅーキヤ頌;マーンヅーキヤ・ウパニシャッド及びマーンヅーキヤ頌本文の解讀/文獻學的研究/思想//増補など、
754ページ。


中村元、『ことばの形而上學 初期ヴェーダーンタ哲學史 第4巻』、岩波書店、1956/1981
文法學者バルトリハリのヴェーダーンタの哲學;バルトリハリの人物並びに著書/バルトリハリの思想史的地位/バルトリハリの學的態度/形而上學//
結論;ヴェーダーンタ哲學史上におけるシャンカラの地位/初期ヴェーダーンタ哲學の概觀//増補など、
548ページ。


バルハルトリ、赤松明彦訳注、『古典インドの言語哲学 1 ブラフマンとことば』(東洋文庫 637)、平凡社、1998

 同、  『古典インドの言語哲学 2 文について』(東洋文庫 638)、平凡社、1998

 原題『ヴァーキヤ・パディーヤ(文と単語についての書)』は、現在3巻本として伝えられているが、第3巻は「もとはそれぞれ別個に独立したものであったとも考えられて」(1, p.5)いることもあって、元来の形であったと思われる
第1巻と第2巻、
加えて本人による第1巻への注釈『ヴリッティ』、
補遺として第2巻への『ヴリッティ』抜粋、
第3巻から『行為論』
 が訳出されています。
1;310ページ、2;296ページ。


 以上3冊→こちらにも挙げておきます:「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「言葉・名前・文字の神秘学など

村上真完、「五火二道説の展開」、『印度學佛教學研究』、vol.27 no.2、1979、pp.549-554 [ < J-STAGE ]

島岩、「不二一元論学派における顕現説と映像説と限定説」、『印度學佛教學研究』、vol.35 no.2、1987、pp.977-972 [ < J-STAGE ]

佐竹正行、「初期不二一元論学派の宇宙論について」、『宗教研究』、no.79-4、2006.3.30、p.1142 [ < CiNii Articles

小串正直、「Vākyapadīya 3.9における時間の本質論」、『印度學佛教學研究』、vol.58 no.2、2010.3.20、pp.881-878 [ < CiNii Articles

長友泰潤、「ブラフマスートラのプラーナ説 - 倶舎論の風説との比較研究 -」、『南九州大学研究報告 人文社会科学編』、no.47B、2017.4、pp.23-27 [ < 紀要(大学・短大) < 南九州大学・南九州短期大学図書館

 『倶舎論』との比較ということで→こちらにも挙げておきます:「仏教」の頁の「ii. アビダルマの自然学、刹那滅論など
 同じ著者による→そちらも参照:本頁下掲の「ヴァイシェーシカ学派など


 また;

井筒俊彦、「マーヤー的世界認識 - 不二一元論的ヴェーダーンタの思惟構造をめぐって -」、『超越のことば』、1991、pp.407-470
………………………

 ニヤーヤ学派など;

服部正明訳、「論証学入門 ニヤーヤ・バーシュヤ第一篇」、上掲『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.331-397

宮元啓一・石飛道子、『インド新論理学派の知識論 「マニカナ」の和訳と註解』、山喜房佛書林、1998
今までのインド新論理学研究と『マニカナ』/インド新論理学の基本術語解説//和訳;直接知の章/推論の章/類比の章/言語の章など、
174ページ。

………………………

 ヴァイシェーシカ学派など;

宇井伯壽、「勝論經に於ける勝論學説」、『印度哲學研究 第三』、岩波書店、1926/1965、pp.419-594
序/勝論學説の起原/勝論學派の成立/勝論學派の學説など

金倉圓照、『インドの自然哲学』、平樂寺書店、1971
自然哲学勝論の起原と展開/チンドラ・アーナンダの釈による勝論経の全訳/パダールタダルマサングラハ(和訳)/勝論と仏教の論争/慧月とプラシャスタパーダ/インド唯物論の新資料と仏教など、
338ページ


宮元啓一、『インドの「多元論哲学」を読む - プラシャスタパーダ「パダールタダルマ・サングラハ」(シリーズ インド哲学への招待)』、春秋社、2008
列挙/六カテゴリーの共通性/九つの実体の共通性/個々の実体の特殊性/性質の共通性/個々の性質の特殊性/運動/普遍/特殊/内属など、
216ページ。


カナーダ編、チャンドラーナンダ註、宮元啓一訳註、『ヴァイシェーシカ・スートラ 古代インドの分析主義的実在論哲学』、臨川書店、2009
262ページ。

長友泰潤、「チャラカ・サンヒターのプラーナ説 - プラシャスタパーダヴァーシュヤの宇宙論との比較考察 -」、『南九州大学研究報告 人文社会科学編』、no.41B、2011.4、pp.1-5 [ < 紀要(大学・短大) < 南九州大学・南九州短期大学図書館

 『チャラカ・サンヒター』はインド古典医学論書の一つ。『プラシャスタパーダヴァーシュヤ』はヴァイシェーシカ学派の代表的な論書。
 同じ著者による→こちらも参照:本頁上掲の「ヴェーダーンタ学派など
 そこで挙げたものも含めて、『チャラカ・サンヒター』や他の学派のプラーナ説を比較するという、一連の論稿に属しています。『CiNii Articles』で筆者名を検索するとそのリストが挙げられ、その内幾つかは上記「南九州大学・南九州短期大学図書館」中の「紀要(大学・短大)」に掲載されています。

………………………

 ミーマンサー学派など;

針貝邦生、『古典インド聖典解釈学研究 - ミーマンサー学派の釈義・マントラ論 -』、九州大学出版会、1990
序論/シャバラスヴァーミンとクマーリラの釈義論とマントラ論/バーシュヤ及びヴァールティカ 第1章 第2章 和訳研究など、
620ページ。


片岡啓、『ミーマンサー研究序説』、九州大学出版会、2011
序論;先行研究概観:行為論を中心に/シャバラの年代/シャバラの先行研究/クマーリラの年代/クマーリラの先行研究/本書の位置付け//
思想史研究;バーダリの行為目的説/ジャイミニの果報目的説/ダルマ開顕説/シャバラの
bhāvan論/クマーリラのbhāvan論/結論:ミーマンサーにおける行為概念の発展//
補遺;シャバラ註2.1.1-4構成意図/クマーリラ復註2.1.1-4構成意図/ミーマンサー諸論師の年代(仮説)など、
326ページ。


永ノ尾信悟、「バラモン伝承における聖典 - ヴェーダ観念の拡張と空洞化 -」、市川裕・鎌田繁編、『聖典と人間』、1998、pp.169-186
ヴェーダは人間によって作られたものではない/法典文献における法の基礎としてのヴェーダ:ヴェーダは何だったのか
………………………

M. ヘーダエートゥッラ、宮元啓一訳、『中世インドの神秘思想 ヒンドゥー・ムスリム交流史』、刀水書房、1981
原著は Muhammad Hedayetullah, The Apostle of Hindu-Muslim Unity, 1977 の前半部
ヒンドゥー・ムスリム思想交流史/神秘思想におけるヒンドゥー・ムスリム交流史/バクティ運動を通しての交流/解説:中世インドの宗教思想とカビールなど、
256ページ。

 →こちらにも挙げておきます:「イスラーム」の頁の「iii. スーフィズムなど


戸田裕久、「中世ヒンドゥー教一元論哲学における自然観」、『日本佛教学会年報』、no.68:「仏教と自然」、2003.5.25、pp.111-130 [ < 日本佛教學会
………………………

 主宰神の存在論証など;

本多恵、「サーンキヤ派の神観」、『印度學佛教學研究』、vol.3 no.2、1955、pp.743-745 [ < J-STAGE ]

雲井昭善、「インド哲学における有神論をめぐる諸問題」、『大谷學報』、vol.46 no.1、1966.6、pp.1-16 [ < 大谷大学学術情報リポジトリ

木村俊彦、「正理学派の神の論証とダルマキールティによる批判」、『印度學佛教學研究』、vol.19 no.1、1970、pp.221-229 [ < J-STAGE ]

宮元啓一、「Uddyotakara の īśvara 論 (I) - īśvara の存在証明 -」、『印度學佛教學研究』、vol.22 no.1、1973、pp.412-407 [ < J-STAGE ]

木村誠司、「Nyāya 学派の自在神存在論証に対する Dharmakīrti の批判 - Pramāṇavārttika, Pramāṇasiddhi 章 K. 10 を中心として -」、『印度學佛教學研究』、vol.33 no.2、1985、pp.760-757 [ < J-STAGE

船津和幸、「Yoga 学派の主宰神存在証明」、『印度學佛教學研究』、vol.37 no.1、1988.12、pp.455-450 [ < J-STAGE ]

石飛貞典・石飛道子、「中世インドの主宰神論証 : ウダヤナ『ニヤーヤ・クスマーンジャリ』試訳(1)」、『駒澤大學北海道教養部論集』、no.4、1989、pp.1-12 [ < CiNii Articles

本多恵、「クマーリラの創造主批判」、『印度學佛教學研究』、vol.39 no.1、1990.12、pp.287-290 [ < J-STAGE ]

志田泰盛、「真知根拠 (pramāṇa) としての主宰神 - Nyāyakusumāñjali 第4篇と Tārkikarakṣā における主宰神論 -」、『印度學佛教學研究』、vol.50 no.2、2002.3、pp.956-954 [ < J-STAGE ]

石飛道子、「論証された神」、『國學院雑誌』、no.106、2005.3、pp.14-24 [ <ニヤーヤ学派MANIKANA=HOMEPAGE
………………………

 ローカーヤタ=インドの唯物論など;

雲井昭善、「初期佛教資料における順世 (Lokāyata) 思想について」、『印度學佛教學研究』、vol.5 no.1、1957、pp.180-183 [ < J-STAGE ]

雲井昭善、「順世派に關する二つの傳承」、『印度學佛教學研究』、vol.9 no.2、1961、pp.434-440 [ < J-STAGE ]

vi. タントラなど

栂尾祥瑞、「印度密教の一側面 - タントリズム序説 -」、『密教文化』、no.19、1952、pp.28-45 [ < J-STAGE

 同、    「印度密教の一側面(承前) - 印度教怛特羅の教格 -」、『密教文化』、no.20、1952、pp.20-37 [ < 同上 ]

 同、    「印度密教の一側面(承前)-印度教怛特羅の教格-」、『密教文化』、no.22、1953、pp.31-42 [ < 同上 ]

フィリップ・ローソン、松山俊太郎訳、『タントラ インドのエクスタシー礼賛 イメージの博物誌 8』、平凡社、1978
原著は Philip Rawson, Tantra - The Indian Cult of Ecstasy, 1973
タントラの特質/創造模型と時の重視/シュリー・ヤントラ/ヤントラ/シヴァとシャクティ/宇宙と個体/全一への復元/マントラ/ヨーガと儀式/微細身/五元素と蓮輪/オーン・マニ・パドメー・フーン//
図版;儀式と礼拝/性と実在/クリシュナ/死と火/宇宙図/微細身/瞑想用の図形/単一体への道など、
126ページ。

 同じ著者による→こちら(「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「ii. チベットなど」)や、またそちら(「中国」の頁の「i. 概説・通史など」)も参照

 『イメージの博物誌』シリーズについて→あちらを参照:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「i. 図像など

『美術手帖』、vol.32 no.461、1980.2、pp.49-159、「[特集] 身体の宇宙図 タントラ」
[図版構成]女性器|タントラ構造論(加藤好弘・加藤律子・吉田由里子)/タントラ|地母神の逆襲(加藤好弘)/[鼎談]創造と統合の絵図(栗田勇・眞鍋俊照・箱崎総一→こちらに再録:「仏教 Ⅱ」の頁の「おまけ」)など。

 『タントラ展』(1979.11.26-12.8、ギャラリー・上田、織田有、東京画廊)を機にした特集。
 関連記事として;

池内紀、「宇宙の根 タントラ展 MIZUE JOURNAL 1」、『みづゑ』、no.899、1980.2(特集「シュルレアリスムの精神」)、pp.54-55


アジット・ムケルジー、松長有慶訳、『タントラ 東洋の知恵』(新潮選書)、新潮社、1981
Ajit Mookerjee, The Tantric World, 1980
序章 タントラの夜明け(松長)//
第1部(ムケルジー);インド文化の背景/タントラとは何か/世界をどう見るか/ヤントラとマンダラ(曼荼羅)/人体七つのサイキック・センター/セックス・ヨーガ/宇宙の神秘を読み取る//
第2部(松長);タントラの特質/仏教タントラとは/仏教マンダラ/ヨーガの行法/タントラとセックス/“鑑賞”できないタントラ美術など、
198ページ。

 上記東京におけるタントラ美術展(1979.11.26-12.8)の開催を機にした、「タントラ美術の紹介と、その背景をなす思想を平易に解説する企画」に応じたムケルジーの原稿に基づく(pp.191-192)。


定方晟、『インド宇宙誌』、春秋社、1985、pp.205-251、「Ⅱ ヒンドゥー教の宇宙観 第二章 タントリズムの宇宙観」
タントラ/性の力/ミトナ/アーサナ/性のシンボル/ヤントラ/チャクラ/マントラ/タントリズムと仏教/エレファンタ島 シヴァ神殿のリンガなど。

定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011、pp.169-199、「第一部 インド正統派の宇宙観 第三章 タントラ教の宇宙観」
タントラ/性の力/性と合一思想/ミトナ/サーダナ(成就法)/アーサナ(坐法)/ヤントラ/チャクラ/マントラなど

引田弘道、『ヒンドゥータントリズムの研究』、山喜房佛書林、1997
ヒンドゥータントリズムとパーンチャラートラ派;パーンチャラートラ派と『サートヴァタ・サンヒター』/ヒンドゥータントリズムの主な思想/『サートヴァタ・サンヒター』の構成と主な内容//
最高神の展開とマントラ;最高神の展開と瞑想の対象としての姿/マントラの性格と種類//
最高神崇拝の種類と次第;タントリズムにおける崇拝の種類/毎日の儀礼//
パーンチャラートラ派とプラーナ文献 - 4ヶ月間の供養
(cāturmāsya-pūjā)と開眼供養(pratiṣṭhā)を中心に -//
入門儀礼(dīkṣā)と灌頂儀礼(abhiṣeka)dīkṣāの基本構造(nṛsiṃha-dīkṣā)dīkṣāの基本構造(vibhava-dīkṣā)など、
528ページ。


立川武蔵・頼富本宏編、『インド密教 シリーズ密教 1』、春秋社、1999、pp.223-278
第二部 ヒンドゥー教の密教;ヒンドゥー・タントリズム(立川武蔵)/ヴィシュヌ教諸派の密教(引田弘道)/シャークタ派の密教-シュリー・チャクラの構造を中心として(島岩)/カシミール・シヴァ派の密教(日野紹雲)など、

 本書の他の内容については→こちら:「仏教 Ⅱ」の頁の「v. 仏身論、密教など


三澤祐嗣、「『ラクシュミー・タントラ』第1章訳註」、『東洋大学大学院紀要』、no.49(文学(哲学))、2012、pp.129-150

三澤祐嗣、「『ラクシュミー・タントラ』第2章訳註」、『国際哲学研究』、no3、2014.3.31、pp.175-186 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ

三澤祐嗣、「『ラクシュミー・タントラ』第3章訳註」、『国際哲学研究』、no5、2016.3、pp.193-202

 p.202 の註42で述べられているように、「32偈から32偈のこの一連の問答」(訳では pp.197-198)には弁神論と関わる問いかけが見えます。

三澤祐嗣、「『ラクシュミー・タントラ』における創造説とグナ(性質)について」、『国際哲学研究』、no6、2017.3、pp.229-238 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ ]

三澤祐嗣、「『ラクシュミー・タントラ』における創造説とグナ(性質)」、『国際哲学研究』、no7、2018.3、pp.189-200 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ ]

vii. 科学史・天文学史とその周辺

矢野道雄、「インド医学の〈風〉」、『エピステーメー』、vol.4 no.2、1978.2、「特集 風・プネウマ 生と死のスーユ」、pp.96-104
生理学的な風-その正常な機能/激化した風 - その病理学的機能/身体外の風-自然現象として/激化して異常現象を起こす風/神としての風など

矢野道雄、「天文学と宇宙論 古代インドを中心に」、『現代思想』、vol.7-9、1979.7、「特集=宇宙 コスモロジーの現在」、pp.113-119
〈バビロニアとギリシアの場合〉/〈インドの場合〉/地球とメール山/巨大年と天球の大きさなど

矢野道雄、「ブラフマグプタの視差計算」、『東洋の科学と技術 藪内清先生頌寿記念論文集』、同朋舎、1982、pp.391-406

矢野道雄、『密教占星術 - 宿曜道とインド占星術 -』(東京美術選書 49)、東京美術、1986
『宿曜経』とは/『宿曜経』の源流/『宿曜経』の内容/和本『宿曜経』の位置付け/宿曜道の完成/生きているインド占星術など、
204ページ。


矢野道雄、『占星術師たちのインド 暦と占いの文化』(中公新書 1084)、中央公論社、1992
いまのインド;インドへ/コンピュータ占星術/占星術師たちのインド/インドの民間暦/ネパールへ//
むかしのインド;連続する文化/占いの始まり/占いの体系化/ホロスコープ占星術/インドの暦のしくみなど、
188ページ。


 次の訳書とともに→同じ著者によるこちらも参照:「通史、事典など」の頁の「ii. 占星術の歴史など

『インド天文学・数学集 科学の名著 1』、朝日出版社、1980
インドの精密科学-序説(矢野道雄)/アールヤバティーヤ(矢野道雄訳)/リーラーヴァティー(林隆夫・矢野道雄訳)/アーパスタンバ・シュルバスートラ(井狩弥介訳)/巻末付録=数理天文学と宇宙論の流れなど、
520ページ。

 『アールヤバティーヤ』は「ギリシアの天文学が初めてインドに伝えられてから、最初のまとまった天文学書」(p.10)。 下掲の呂鵬「数理天文学者アールヤバタとバースカラの地球観」(2014)も参照。
 『リーラーヴァティー』は「インド数学の最高峰ともいうべきバースカラ二世の数学書であり、インドで最も親しまれた教科書でもあ」(p.16)る。
 『アーパスタンバ・シュルバスートラ』は「ヴェーダ祭式の祭壇設営のための手引書である。…(中略)…この書がインドの幾何学の最古形態をあらわして」(同上)いる。


ヴァラーハミヒラ、矢野道雄・杉田瑞枝訳注、『占術大集成(ブリハッド・サンヒター) 古代インドの前兆占い』(1,2)(東洋文庫 589/590)、平凡社、1995
1;336ページ、
2;288ページ。

佐藤任、『古代インドの科学思想』、東京書籍、1988
古代インドの科学と哲学/生命科学 - 医学/原子論/動植物の分類/技術 -冶金を中心として/数学・天文学・暦学など、
272ページ。

 同じ著者による→こちらを参照:「仏教 Ⅱ」の頁の「v. 仏身論、密教など


佐藤任・小森田精子訳著、『インド錬金術』、東方出版、1989
インド錬金術について/錬金術の起源とその伝播・交流/ラサールナヴァカルパ(水銀の無限の力) ミラ・ローイ、B.V. スッパラヤッパ、など、
224ページ。


 →こちらにも挙げておきます:「錬金術など」の頁の「前置き

小倉泰、『インド世界の空間構造 - ヒンドゥー寺院のシンボリズム -』、東京大学東洋文化研究所、1999
マンダラとしての寺院(1)-建築書の理論/マンダラとしての寺院(2) - 実測による検証/寺院・村落・都市とマンダラ - 入れ子構造の空間/プルシャとしての寺院/宇宙軸としての寺院など、
304ページ。

 →こちらにも挙げておきます:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「v. 建築など

 関連して、インドの建築について「階段で怪談を」註13およびその追註に挙げた資料もご参照ください。


デイヴィド・ピングリー、「インドの天文学」、『望遠鏡以前の天文学 -古代からケプラーまで』、2008、pp.133-159
バビロニア要素の時代/ギリシア・バビロニア要素の時代/『パイターマハ・シッダーンタ』とブラーフマ学派/アールヤ学派/アールダラートリカ学派/サウラ学派/南インド:ヴァーキャおよびマーダヴァ学派/イスラームの影響など

呂鵬、「数理天文学者アールヤバタとバースカラの地球観」、『印度學佛教學研究』、vol.63 no.1、2014.12.20、pp.306-303 [ < CiNii Articles

 上掲 『インド天文学・数学集 科学の名著 1』所収「アールヤバティーヤ」(矢野道雄訳)もあわせて参照。
 「地球風の外殻」および殻外の宇宙風という興味深い概念についても触れられています(p.304)。

viii. ジャイナ教など

ガネーシュ・ラルワニ、矢島道彦訳、「ジャイナ教の宇宙観」、『アジアの宇宙観』、1989、pp.94-111
ジャイナ教と他教との違い/宇宙の構成要素/世界の形と構造/輪廻再生のメカニズム

藤永伸、「ジャイナ教の国土観」、『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」、、横 pp.87-96

 →こちらで触れています:「世界の複数性など」の頁

定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011、pp.345-406、「第三部 ジャイナ教の宇宙観」
ローカ・プルシャ/中界/ジャンブ洲/山脈/川/バラタ国/メール山/メール山の周辺/デーヴァクルとウッタラクル/ヴィデーハ国/ジャンブ洲を取り巻く海と洲/下界/地獄はステージからなる/ステージ - 主地獄、輻列地獄、散在地獄/地獄の特色/下界の上層と中界(下界神、中間神、天体神の居所)/下界神 -アスラ、ナーガ/中間神 - ヤクシャ、ラークシャサ/天体神 - 太陽、月、星/上界(天宮神の居所)/有欲界の生活/無欲界と 解脱/輪廻と解脱/ジャイナ教の密教など


Willibald Kirfel, Die Kosmograhie der Inder, 1920/1967, pp.208-331 ; "3. Abschnitt. Die Kosmographie der Jaina"

 および


C.Caillat, R.Kumar, The Jain Cosmology, 1981


 の二著に依拠したとのこと(p.347)。

 件の;

Colette Caillat, Ravi Kumar, english rendering by R. Norman, The Jain Cosmology, published by Ravi Kumar, Harmony Books, Basel, Paris and New Delhi, 1981
『ジャイナ教の宇宙論』

 Ravi Kumar のコレクションを掲載した画集で、フランス語版が最初に出版された。
 pp.9-35にコレット・カイヤのテクスト。
 解説を付したカラー図版108点など。
 30.9×26.0cm、
 200ページ。


 →こちらにも挙げておきます:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「i. 図像など

杉本桂子、「ジャイナ教における物理的世界観の全体像 - SS第五章を中心に -」、『比較論理学研究』(広島大学比較論理学プロジェクト研究センター 研究成果報告書)、no.6、2009.3.25、pp.85-99 [ < 広島大学学術情報リポジトリ(HiR) ]

濱田淑子・本田秋子、「(研究資料紹介) : ローカ・プルシャ Loka-Puruṣa -ジャイナ教の宇宙観-」、『東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報』、vol.4、2013.6.23、pp.63-70 [ < 東北福祉大学リポジトリ

 →こちらにも挙げておきます:「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「i. 図像など

 上掲の 定方晟『インド宇宙論大全』、p.405 註1 に挙げられていたのが;

Nalini Balbir, "Le monde médian : une peinture cosmologique jaina sur tissu déposée au musee Guimet", Arts asiatique, tome 64, 2009, pp.27-41 [ < Persée ]
DOI : https://doi.org.10.3406/arasi.2009.1685
「中間界 ギメ美術館寄託の宇宙論的主題の布絵」

これ以外に上掲;

R.F. ゴンブリッチ、「インドの宇宙論」、『古代の宇宙論』、1976、pp.131-134

松山俊太郎、「古代インド人の宇宙像 Ⅱ」、『エピステーメー』、vol.2 no.7、1976.7、「特集 空海と密教の思想」、p.167

松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」、is、no.17、1982.6、「特集 時」、p.9;半円環的時代説[ジャイナ教]

「各時代の長さ算定の基準となるのは、〈如海量(sāgaropama)〉という単位で、
〈芥子劫〉に似た譬喩により説明もされるが、
〈840万の19乗年〉であるとも云う。
これを〈10の14乗(koti-koti)〉倍したものの4倍が〈善善〉時代で、
3倍が〈善時代〉、
2倍が〈善悪時代〉、4万2千年を引いたものが〈悪善時代〉、
2万1千年ずつが〈悪時代〉と〈悪悪時代〉の長さとされる。
つまり、〈840万の19乗×10の15乗年〉が、〈下降時〉または〈上昇時〉の年数である」(p.9/『蓮の宇宙』、p.292:改行は当方)。

各6時代に分割される〈下降時(avasarpinī)〉および〈上昇時(utsarpinī)〉、計12時代=12の〈()(āra)〉からなる〈時の輪〉をジャイナ教は考えるとのことです。


 こちらでも触れ挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」(1982)のところ  

マッソン・ウルセル、ルイーズ・モラン、美田稔訳、『インドの神話』、みすず書房、1959、pp.86-92

ヴェロニカ・イオンズ、酒井傳六訳、『インド神話』、青土社、1990、pp.335-345
ジャイナ神話;マハーヴィーラの生涯/ジャイナの宇宙輪廻/ジャイナ教の宇宙など

佐藤任、『古代インドの科学思想』、1988
「第3章 原子論」の「2 ジャイナ教の原子論」(pp.104-119)、
「第6章 数学・天文学・暦学」の「6 ジャイナ教学派の貢献」(pp.228-233)など
後者は;ジャイナ教の宇宙構造論/ジャイナ教数学の実際

………………………

鈴木重信譯、『耆那教聖典 世界聖典全集 第七巻』、世界聖典全集刊行會、1920
ヘーマチャンドラ撰『瑜伽論[ヨーガ・シャストラ]』(倫理の要諦)/ウマースヷ-ティ撰『入諦義經[タットヷールター・ディガマ・スートラ]』(哲學的作品)/バドラバーフ撰『聖行經[カルパ・スートラ]』(大雄の傳記:中野義照譯)//
附録第一;註釋//
附録第二;耆那教論 緒言/本論 七諦説;本體論としての命非命/目的論的人生観としての七諦説/別論;耆那論理学/諦説の考察/附録;分裂を中心としたる耆那教史一斑;大雄とその先驅者と弟子、二は分裂以前の概観、二は分裂以後の概観//
附録第三;耆那教聖典書後に題す(高楠順次郎)//故鈴木重信君を憶ふ(松宮春一郎)など、
360ページ。

 ウマースヷ-ティ撰『入諦義經[タットヷールター・ディガマ・スートラ]』(pp.65-100)は第一品から第十品までありますが、その内第三品は地下の地獄と地上界(pp.73-74)、第四品は天界とその住人たちを(pp.75-79)、短いながら記述しています。先立つ第二品では生命あるものの諸相(pp.68-72)、続く第五品は生命のない物質、空間、時間などが説かれます(pp.80-83)。
 この論書は、次に挙げる金倉圓照『印度精神文化の研究 - 特にヂャイナを中心として -』(1944)でも訳出されました。

 ちなみに本書は、埴谷雄高に強い印象を与えたとのことです。安藤礼二、「耆那大雄をめぐって 埴谷雄高『死霊』論」、『光の曼陀羅 日本文学論』、講談社、2008、pp.89-108参照。
 同じ著者による→こちらを参照:「日本 Ⅱ」の頁の「xi. 近代など
 

金倉圓照、『印度精神文化の研究 - 特にヂャイナを中心として -』、培風館、1944
インドの諸宗教とヂャイナの現勢/ヂャイナ研究の意義/ヂャイナの歴史/
ウマースヷ-ティのヂャイナ教義;序説、「諦義證得經」原文翻譯及び註解/
ヂャイナ知識論の一節…諦義證得經及びその原註における認識論の解釋/
ヂャイナ哲學の一様相…クンダクンダのヂャイナ教義;解説、資料(「パンチャアスティカーヤ」(五原理の精要)前半の解義、「プラヷチャナサーラ」(教義精要)第二章の翻譯)/
ヂャイナの論理学/法稱の量釋頌とヂャイナ教義/婆羅門教・ヂャイナ教・佛教交渉の一事例など、
520ページ。


 上に挙げた鈴木重信譯『耆那教聖典 世界聖典全集 第七巻』(1920)のところで記したように、そこに『入諦義經』として訳されていた『タットヴァ・アルタ・アディガマ・スートラ Tattvārthādhigama-Sūtra』は、本書では『諦義證得經』として、「四 ウマースヷ-ティのヂャイナ教義」の第二部に、註解付きであらたに訳されました(pp.98-207)。第2章は pp.113-128、第3章は pp.129-139 で、p.136 には贍部洲の略図が掲載されています。第4章は pp.139-150、第5章は pp.150-160。
 先行する鈴木重信訳については、訳の前に配された「序説」中の「五 註釋と研究」の中で触れられています(p.97)。
 また下掲のヴィンテルニッツ『ジャイナ教文献』(1976)、pp.206-208 および p.536 も参照。

 他方、「五 ヂャイナ哲學の一様相…クンダクンダのヂャイナ教義」(第一部:pp.230-259、第二部:260-287)でも、空間や時間について説いた部分が含まれています。こちらはヴィンテルニッツ『ジャイナ教文献』(1976)、pp.203-205 および pp.523-526 参照。
 

宇野惇訳、「ジャイナ教綱要 サーヤナ・マーダヴァ『全哲学綱要』第3章」、上掲『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.399-427

ヴィンテルニッツ、中野義照訳、『ジャイナ教文献 - インド文献史 第四巻 -』、日本印度学会、1976
序;ジャイナ教と仏教/言語からみたジャイナ教文献//
ジャイナの聖典文献;聖典列名/聖典の用語/聖典の成立年代とその権威性/アンガ聖典/ウパーンガ聖典/雑纂/裁断経/根本経/独立経典/空衣派の聖典//
ジャイナの非聖典文献;ジャイナの諸学匠とその著作/註釈書にみられる伝承と物語/ジャイナの叙事詩/ジャイナのプラーナ/チャリトラ文献/歴史書/説話文学/チャンプー/短篇物語/物語集/戯曲/宗教的抒情詩-ストートラ/教訓詩/詞華集/学術文献//
付篇 インド文学史におけるジャイナなど、
728ページ。


中村元、『思想の自由とジャイナ教 [決定版]中村元選集 第10巻』、春秋社、1991
都市の興隆と自由な思索の出現;都市の興隆 - 社会の発展/合理主義的な思考と自由奔放な思想の出現/自由奔放な思想家たち//
ジャイナ教;原始ジャイナ教/ジャイナ共同体の発展/中世ジャイナ教の思想/ジャイナ教の社会性/マハーヴィーラのすがた-現代ジャイナ教徒の叙述/
[付篇1]原始ジャイナ教における解脱の観念/[付篇2]ジャイナ聖典と原始仏典における共通要素/[付篇3]ジャイナ教の聖典など、
948ページ。


 こちらで挙げました:「仏教」の頁の「i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など」中の松山俊太郎「インドの回帰的終末説」(1982)のところ

矢島道彦、「〈聖なる集い〉(samavasaraṇa)のシンボリズム - ジャイナ教の理想国土 -」、『日本佛教學會年報』、第58號、1993.5:「佛教における國土觀」、横 pp.69-86

矢島道彦、「ジャイナ教のマンダラ - 〈聖なる集い〉(samavasaraṇa)について -」、 立川武蔵編、『マンダラ宇宙論』、法藏館、1996、pp.87-117
はじめに/〈聖なる集い〉の世界/ジャイナ教のコスモロジーとジナの聖域/結びなど

藤永伸、『ジャイナ教の一切知者論』、平樂寺書店、2001
序論//
「聖典期」における一切知者論;「古層聖典」における一切知者論/「新層聖典」における一切知者論/原始仏典等にみえるジャイナ教の一切知者/「原始聖典」における一切知者論の比較//
「過渡期」における一切知思想;クンダクンダの一切知思想/シッダセーナの一切知思想/ウマースヴァーティの一切知思想//
サマンタバドラの一切知者論;著作解題/サマンタバドラの年代と生涯/
Āptamīmāṃsā における一切知者論/サマンタバドラにおける一切知者論/他学派哲学者との関係/まとめ//
「論理学期」における一切知者論;アカランカによる一切知者論/ヘーマチャンドラいおける一切知者論/「論理学期」における一切知者論の特徴など、
284ページ。


渡辺研二、『ジャイナ教 非所有・非暴力・非殺生 - その教義と実生活』、論創社、2005
はじめに//
思想の背景;都市の興隆と繁栄/思想家の誕生/六人の自由思想家//
聖典の歴史;祖師マハーヴィーラの生涯/マハーヴィーラ以前の祖師たち/空衣派と白衣派の歴史及び規律の相違点/白衣派の聖典 - 言語・歴史・伝承ほか/空衣派の聖典/聖典の注釈文献/文献の歴史と文化//
聖典の教義;世界観/宇宙観/世界の劫/七つの真実/霊魂/非霊魂/虚空/物質/時間/流入/制御/止滅/輪廻転生/業行為/束縛/宇宙の構成要素/解脱/視点//
戒律//教団の生活//最古の聖典『アヤーランガ・スッタ』におけるテキストの伝承//諸悪莫作と人間存在の関係性 - 十二支縁起//現代の教団//ジャイナ教を知るための文献案内ほかなど、
374ページ。


渡辺研二、『ジャイナ教入門』、現代図書、2006
はじめに/序言/ジャイナ教の興起した背景;都市の興隆と繁栄/六人の自由思想家の教説/マッカリ・ゴーサーラ/祖師マハーヴィーラの生涯/白衣派の聖典/空衣派の聖典/ジャイナ教の教義/ジャイナ教の生活/ジャイナ教の戒律/ジャイナ教の在家信者/不殺生の教えと霊魂の種類/現代のジャイナ教団/ジャイナ教と仏教の比較/ジャイナ教を知るための文献案内など、
276ページ。


上田真啓、『ジャイナ教とは何か 菜食・托鉢・断食の生命観』(ブックレット《アジアを学ぼう》 49)、風響社、2017
はじめに・ジャイナ教とは何か/マハーヴィーラ/教団の歴史と体系/出家とは - 出家修行者の特徴/出家修行者の食生活/在家信者の生活/在家信者の食/まとめなど、
54ページ。


河﨑豊・藤永伸編、『ジャイナ教聖典選』、国書刊行会、2022
解説(河﨑豊)はじめに/ジャイナ教の発生基盤/ジャイナ教の開祖/白衣派と空衣派/白衣派の聖典とその分類/
  ジャイナ教の教義;世界の形状/存在論/ジーヴァと行為/出家修行者の修行道、在家信者のあり方/認識論と相対主義・・
  ジャイナ教と仏教/読書案内//
最古の様相 『アーヤーランガ』第一篇;武器を知りぬいたうえで放棄すること/世界制覇/冷たいものと熱いもの/正しい状態/世の本質/振り払うこと/マハー・パリンナー/解脱の手段/苦行についての伝承//
  『スーヤガダンガ』第一篇(抄);第4章 婦人と関わりをもたないこと/第5章 地獄の描写//
  『ウッタラッジャーヤー』(抄);第1章 修行/第2章 苦難/第3章 四つの支分/第4章 不完全/第5章 意に反した死/第6章 ニッガンタの小教義/第7章 小羊の譬え/第8章 カヴィラの詩/第9章 ナミ/第10章 木の葉/第11章 博学/第12章 黄色い髪をしたもの/第13章 チッタとサンブーヤ/第14章 ウスヤーラ王/真の托鉢僧/第16章 梵行達成の条件/第17章 悪い沙門/第18章 サンジャヤ王/第19章 ミヤーの息子/第20章 偉大なニッガンタ/第25章 動物を犠牲にする祭祀//
出家者の生活規定と在家者の宗教生活 『ダサヴェーヤーリヤ』;木の花/沙門行を始める前に/低劣な行い/六種の誓願(=霊魂)に関わる[法の制定]/乞食行/大いなる正行の話/[ジナの]教えの目的を望むものたち[の正行]/言葉の清浄さ/正行による抑制/教導あるいは礼節に対する集中/真の托鉢僧/(補遺第1章) 法楽/(補遺第2章) 単独行//
  『ウヴァーサガダサーオー』第一章;アーナンダ//
仏典との類似経典;『ラーヤパセーニャ経』(抄) - パエーシ王物語//
祖師マハーヴィーラの生涯 『ジナチャリヤ』(抄)/
  『ヴィヤーハパンナッティ』第9篇第33章 ー 最初の母との邂逅と教団の分裂 第9篇第33章 クンダッガーマ;ウサバダッタとデーヴァーナンダー/ジャマーリの行跡//
訳注//
解題など、
572ページ。

………………………

ニッキー=グニンデール・コウル・シング、高橋堯英訳、『シク教』(シリーズ 世界の宗教)、青土社、1994
原著は Nikky-Guninder Kaur Singh, Sikhism, 1993
序文//
シク教と現代社会;シク教とは何か(唯一なる〝絶対真理〟の崇拝/労働の尊厳/すべての人々の平等/奉仕/シク共同体)/シク教の起源/『グル・グラント』/シク教徒と好戦性//
グル=ナーナクとシク教信仰の起源;ナーナクの誕生と幼年期/ナーナクの神聖な天職/ナーナクのメッセージ/シク教の諸要素/グルの伝統//
シク教の伝統と『グル・グラント』;『グル・グラント』の編纂/シク武装集団体制の抬頭/カールサーの創設/聖典『グル・グラント』へのグル相承/『グル・グラント』の内容/シク教徒の生活における『グル・グラント』//
シク教の思想;
Ikk OanSat Nam/その他のシク教の思想/物理的イメージ/形を有するものであり、かつ形なきもの/すべてに内在し、すべてを超越するもの//
シク教の倫理観;ハウマイの問題/ハウマイの克服/民衆の倫理/〝絶対真理〟への道(ダラム・カンド/ギヤーン・カンド/サラム・カンド/カラム・カンド)//
宗教生活と通過儀礼;宗教生活/毎日の祈り/シク教の聖餐式:ボーグ儀式/通過儀礼/命名/アムリト入信式/結婚/婚約(シーラ・バンディ/ミルニー/アナンド・カーラジ/ドーリー)/死//
聖なる空間と聖なる時間;ゴールデン・テンプル/5つのタクト(1 アカール・タクト/2 バトナー・サーヒブ/3 ケーシュガル・サーヒブ/4 シュリー・ハズール・サーヒブ/5 ダムダマ・サーヒブ)/聖なる時(サングランドとマシア/バイサーキー/ディワーリー/ホーラー・モハッラー/バサント/ラーキー/グルブルブ)//
女性とシク教;シク共同体における女性/シク教の歴史における女性/女性とシク教文学//
シク教の伝統と現代文化;伝統を重視する改革主義者マハーラージャ=ランジート・シング/シク教国家の衰退/シング・サバーとバーイー・ヴィール・シング/今日のシク教など、
234ページ。


橋本泰元、「スィク教祖ナーナクの神観念」、『東洋思想文化』、2号、2015.3、pp.139-116 [ < 東洋大学学術情報リポジトリ

iv. 象・亀・蛇など

 インドの宇宙像として時に挙げられる、宇宙を象が、その象を亀が、亀を蛇が支えているというイメージについて、定方晟『インド宇宙誌』(1985)はエピローグ中に図6として右の図版を掲載し、

「このような宇宙図はわれわれのよく目にするところであるが、私にはその典拠が見出せず、僅かに次のような文を紹介することができるのみである。/
大地は宇宙竜シェーシャの頭上にあり、
シェーシャはアクーパーラ亀の上にあり、
アクーパーラの四足は(四頭の)象に支えられ、
象は宇宙卵(ブラフマーンダ)の上に立ち、
宇宙卵は深淵に漂う。
ただし、宇宙を構成するこれらの生物の位置関係は伝承によって異なる。
(
Benjamin Walker : Hindu World, vol.Ⅰ, London, 1968, p.254)」

と述べています(p.255)。
 インドの亀蛇宇宙図(?)、1822
インドの亀蛇宇宙図(?)
1822


* 画像をクリックすると、
拡大画像とデータが表示されます。
 引用文で述べられるのは上から下へ;
大地
→宇宙竜シェーシャ
→アクーパーラ亀
→(四頭の)象
→宇宙卵(ブラフマーンダ)
→深淵
 と、右図とは上下が逆転していますが、ともあれ、『アジアのコスモス+マンダラ』(1982)、p.110、p.189および『アジアの宇宙観』(1989)、p.54 には同図のキャプションとして、

「インドのバラモン僧が描いた原画をもとに、ドイツで十九世紀に線刻したもの」

とありました。

 典拠が不分明だとすると、スコラ学者たちは針の先で天使が何体踊れるか議論していたという話と同じような成りゆきなのかと思われる節があることになり(→こちらを参照;「キリスト教(西欧中世)」の頁中)、いずれも魅力的なイメージだけに残念至極というほかありますまい。


追補:ウェブ上で次の記事(PDFファイル)を見つけました;

廣瀬匠、「誤解だらけの天文学史 ∼『古代インドの宇宙観』を例に」、2012

 [ 和歌山大学 ]のサイト内にあってどこからつながっているのか不詳なのですが、
第26回天文教育研究会・年会」(2012.8.5-7、テーマ:「天文教育の温故知新」)で8月5日に発表されたもののようです
( http://www.wakayama-u.ac.jp/~okyudo/delme/tenkyo/5-04-4.pdf でしたが、リンク切れ)。
 文中第3節「誤解が広まった経緯」で右図の出典についても記されています。


 同じ著者による

廣瀬匠、『天文の世界史』、2017、p.234、pp.243-245

 でも触れられていました。


 他方、象・亀・蛇の三段重ねがそろわなくてもよいのであれば類例は見つかるようで、

ピータ・ヤング、忠平美幸訳、『カメの文化誌』(柏書房、2005、原著は Peter Young, Tortoise, 2003

 には、

「亀のチュクワに支えられた象のマハープドマが世界を支えている」

と記されていました(p.48、註10/p.222も参照)。

 マハープドマについては、

キャロル・ローズ、『世界の怪物・神獣事典』、2004


 に「マハーパドマ」の項目があり(p.413)、
「ローカパーラ・エレファントの1頭」と述べられ、
さらに「ローカパーラ・エレファント」の項目では(p.470)、

「宇宙を守る象たち。8頭が世界の守護神(ローカパーラ)を背中に乗せて、8つに分けられた宇宙の領域を守っている」

とあります。向かいのp.471には「ローカパーラ・エレファント、アクーパーラ亀、世界の蛇」のキャプションで、上の図と同工の挿図が掲載されています。

 象については、


ロベール・ドロール、南條郁子訳、長谷川明・池田啓監修、『象の物語』(知の再発見双書 26)、創元社、1993(
原著は
Robert Delort, Les éléphants, piliers du monde, 1990)、pp.158-159:「大地を支える象」

 で、原典として『ラーマーヤナ』サルガ第40から引用されています(pp.48-49、pp.1-2 も参照)。

 そこで邦訳を見ると、

ヴァールミーキ、中村了昭訳、『新訳 ラーマーヤナ 1』、2012、第40章(pp.194-195)

 に、
東に「大地を支えている山のような方位の象ヴィルーパークシャ」、
南に「威徳に輝くマハーパドマ象」、
西に「山のように大きい方位象サウマナサ」、
北に「雪のように白い方位象バドラ」
 のことが語られていました。

 またヤングの著書の「第2章 神話と象徴」には、中国やモンゴルをはじめとした、世界を支える亀の神話が列挙されており(pp.44-52)、この点に関してはさらに


ウノ・ハルヴァ、田中克彦訳、『シャマニズム アルタイ系諸民族の世界像』、1971、pp.21-27、「大地の支え手」

伊藤清司、「亀蛇と宇宙構造」、『アジアの宇宙観』、1989、pp.326-347
亀蛇と大地/亀蛇と宇宙軸/宇宙の三界構造/地下世界の動物たち/カオスからコスモスへの観念など

小島瓔禮*、「中国の大地の鯰」、1995

 * 筆者名の「禮」のヘンは「礻」

多田智満子、『動物の宇宙誌』、2000、「亀」中の「天地を支える者」(pp.33-38)

千田稔、「亀の図像学」、千田稔・宇野隆夫編、『亀の古代学』、東方出版、2001、pp.149-163

 なども参照。


 あわせて、大地を支える者たちの積層が実際にイメージされていたものとして

ボルヘス、ゲレロ、『幻獣辞典』(1974)、pp.34-35;「バハムート」、およびp.128;「クジャタ」


 →こちらを参照;「イスラームⅢ」中の「x. クジャタ、バハムート、ファラク、その他

 →そちら(「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁)でも少し触れています

 ところで、亀の上の世界と来れば思いだされるのは何をおいても


押井守監督、『うる星やつら 2 ビューティフル・ドリーマー』、1984

 でしょうが(→あちら(「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他」)や、ここ(「通史、事典など」中の「夢など」)にも挙げておきます)、
そこで象は登場人物の石像にとってかわられ、蛇は登場しませんでした。
 また、


斉木久美子、『ワールズ・エンド』(りぼんマスコットコミックス クッキー)、集英社、2008

 の表題作も挙げておきましょう。

 「中国 Ⅱ」の頁の「おまけ」で挙げた


四人囃子、『一触即発』、1974

 のジャケットには、パイプを銜えた、まん丸な目が真っ赤なメガネザルのようでもあれば、耳は伏せており、前脚後脚双方に長い鉤爪があってナマケモノのようでもある動物が、グレーの枝だか何かにぶらさがっているところが描かれています。画面下方にひろがる地面は砂漠らしく、右下では、右の方へ進む亀が振り返っている。
 で、すっかり忘れていたのですが、裏面を見ると、グレーの枝のように見えたのは象の鼻でした(表では鼻は左から伸びているように見えますが、裏面では右に象がいます。ただしメガネザル風ナマケモノはどちらでも頭部が左にあります)。そしてこの象は、画面下方を左右からはみ出すほど巨大な、亀の甲羅の上にのっているのです。
 カヴァーのデザイン:Hiroki Ando、イラストレーション:Isao Aoki、アイデア:四人囃子とのことです。

イアン・スチュアート注釈『フラットランド 多次元の冒険』(2009)、pp.92-93 註1 およびp.102 註 3
 によると、
テリー・プラチェット(1948~ )の「ディスク・ワールド」シリーズは、
差し渡し1万6000kmの円盤が4匹の巨大な象に支えられ、
象たちは巨大な亀ア・トゥイーンの上に立っており、

「ア・トゥイーンそのものは宇宙を泳いでいて、なにか不可解な宇宙の旅の途上にある」

という設定とのことです。邦訳も一部出ており、そのまた一部は
そこを参照;「近代など(20世紀~) Ⅴ」中の「プラチェット」の項


 象は出てきませんが、

スティーヴン・W・ホーキング、『ホーキング、宇宙を語る』、1989

 の冒頭には、ある科学者が天文学について講演会を終えた際、

「世界は平らな板みたいなもので、大きな亀の背中に乗っている」、その亀の「下の方はどこまでいっても、ずっと亀が重なっています」

と発言した老婦人のエピソードが記されています(p.15)。イアン・スチュアート注釈『フラットランド 多次元の冒険』(2009)、pp.296-299 註3 も参照。

おまけ

大貫隆訳、『キリスト教教父著作集 第19巻 ヒッポリュトス 全異端反駁』、2018、pp.93-94:第1巻2

 「ブラーマン」の哲学が記されています。

小倉智史、「『驚異の地インド』の内在化」、山中由里子編、『〈驚異〉の文化史 中東とヨーロッパを中心に』、2015、pp.398-415
ムスリム宮廷におけるサンスクリット文献の翻訳活動/『アクバル会典』におけるインドの思想と習俗/地続きになる遠い過去-『カシミール史』のイスラーム前史

 さて、インドの文化に材を得たフィクションもきりがないほどあることでしょうが、ここでは;

マルグリット・ユルスナール、多田智満子訳、『東方綺譚』(白水Uブックス)、白水社、1984
原著は Margueritte Yourcenar, Nouvelles orientales, 1938/1976

 から「斬首されたカーリ女神」

 同じ短編集から→こちら(「中国 Ⅱ」の頁の「おまけ」)や、そちら(「日本 Ⅱ」の頁の「おまけ」)も参照
 また同じ著者による→あちらを参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ

ロジャー・ゼラズニイ、深町真理子訳、『光の王』(海外SFノヴェルズ)、早川書房、1979
原著は Roger Zelazny, Lord of Light, 1967

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅴ」の頁のゼラスニィの項

山田正紀、『神々の埋葬』(角川文庫 緑 446-6)、角川書店、1977/1979

 なお著者には、タイトル以外でインドの神格に関係するわけではありませんが、
火神(アグニ)を盗め』(NON・NOVEL-65)、詳伝社、1977
という作品もあります。
 山田正紀について→こちらも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の山田正紀の項


花郁悠紀子、『カルキのくる日』(プリンセスコミックス)、秋田書店、1981、pp.5-83、表題作

鳥海永行、『インドラ フルムーン伝説』(前後編)(ソノラマ文庫 204/209)、朝日ソノラマ、1982

佐藤史生、『ワン・ゼロ』(全4巻)(PFビッグコミックス PFC-541/542/543/544)、小学館、1985-1986

 なお外伝として、『打点楽』(PFビッグコミックス PFC-691)、小学館、1987、pp.5-95 の表題作。
 →こちらにも挙げておきます:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「xxiii. 日本の漫画、アニメーションその他
 

タニス・リー、酒井昭伸訳、『タマスターラー インド幻想夜話』(ハヤカワ文庫 FT 96)、早川書房、1987
原著は Tanith Lee, Tamastara or the Indian Night, 1984

 同じ著者による→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅴ」の頁のタニス・リーの項

 美術の方面からは、モローの《アレクサンドロス大王の勝利》(1890)を挙げておきましょう。

モロー、《アレクサンドロス大王の勝利》、1890 
ギュスターヴ・モロー
《アレクサンドロス大王の勝利》

* 画像をクリックすると、拡大画像とデータが表示されます。
 また音楽の領域でも、インドの音楽に触発されたものは数限りないことでしょうが、グループ名を直訳すれば「大いなるヴィシュヌ交響楽団」となるのが;

The Mahavishunu Orchestra(マハヴィシュヌ・オーケストラ)

 です。手もとにあるのは初期の4枚だけですが;

The Inner Mounting Flame
, 1971
(邦題;『内に秘めた炎』)(1)

Birds of Fire, 1972(邦題;『火の鳥』)(2)


Between Nothingness & Eternity, 1973(邦題;『虚無からの飛翔』)(3)

Apocalypse, 1974(邦題;『黙示録』)(4)
1 中山康樹、ピーター・バラカン、市川正二.、『ジャズ・ロックのおかげです』、径書房、1994、pp.230-233。
 松井巧監修、『ジャズ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #035』、シンコーミュージック、2008、p.68。


2. 熊谷美広監修、『フュージョン The DIG Presents Disc Guide Series #01』、シンコーミュージック、2000、p.60。

3. 『ジャズ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #035』、同上、p.69。

4. 同上。

 同グループの中心メンバーであるジョン・マクラフリンが参加した


Carlos Santana, Mahavishunu John McLaughlin, Love Devotion Surrender, 1973(邦題;カルロス・サンタナ&マハビシュヌ・ジョン・マクラフリン、『魂の兄弟たち』)(5)

 も挙げておきましょう。
 マクラフリンはその後、インド人の音楽家とシャクティを結成しますが(6)、そちらは未聴。
5. 『200CD ザ・ロック・ギタリスト』、学習研究社、2006、p.63。
 『ラテン・ロック featuring サンタナ』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2014、p.90。
 →こちらも参照:「グノーシス諸派など Ⅲ」の頁の「おまけ

6. 『ジャズ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #035』、同上、p.69、p.179。
 忘れてならないのが、

Led Zeppelin, Physical Graffiti, 1975(邦題;レッド・ツェッペリン、『フィジカル・グラフィティ』)(7)、

 2枚組の1枚目B面ラスト、
‘Kashmir’(邦題「カシミール」)(8)でしょう。
 この曲は
Jimmy Page Robert Plant, No Quarter, 1994(9)
 でも最後の曲としてして演奏されています。
 またこの曲のリフがエメリッヒ版『ゴジラ』(1998)のエンド・ロール前半で用いられていました。ちなみに後半はデイヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」(1977)が使われていました。
7. デイヴ・ルイス、福田美環子訳、『全曲解説シリーズ レッド・ツェッペリン』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2002、pp.92-94。
 『アーカイヴ・シリーズ Vol.7 レッド・ツェッペリン』、シンコーミュージック、2003、pp.110-111。
 『レッド・ツェッペリン』(Artists & Disc File Series, Vol.6)、ストレンジ・デイズ、2006、p.45。
 『ザ・ジョンジー・ブック』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2022、pp.58-63。

8. 『全曲解説シリーズ レッド・ツェッペリン』、同上、p.102。


9. 『アーカイヴ・シリーズ Vol.7 レッド・ツェッペリン』、シンコーミュージック、2003、p.179。
 『レッド・ツェッペリン』(Artists & Disc File Series, Vol.6)、ストレンジ・デイズ、2006、p.119。

Roxy Music, Avalon, 1982(→こちらも参照:「北欧、ケルト、スラヴなど」の頁の「おまけ」)

 からA面3曲目のタイトル曲に続くA面4曲目の"India"(1分45秒)。器楽曲です。
 2000年代ポーランドのプログレ・バンド、

Indukti, Idmen, 2009

 S.U.S.A.R., 2005(10)に続く2枚目、その1曲目が"Sansara"。器楽曲、8分12秒。アルバムは2枚しか出ていないようですが、メタル風味いりエレクトリック・ギターのリフが転変するところに、ヴァイオリンがからむという器楽主体の作風でした。
10. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.27、2005.9、pp.90-91。
 『ストレンジ・デイズ』、no.75、2005.12、p.182。

Ian Anderson, Divinities. Twelve Dances with God, 1994(邦題;イアン・アンダーソン、『ディヴィニティーズ:神との12のダンス(舞曲)』)

 そのラスト、12曲目が、“In the Times of India (Bombay Valentine)”(「タイムズ・オブ・インディア(ボンベイ・ヴァレンタイン)」)、8分9秒、器楽曲。
 このアルバムからは→あちらを参照(「北欧、ケルト、スラヴなど」の頁の「おまけ」)

 遡って、キーボード中心の1970年代イタリアのプログレ・バンド、

Le Orme, Contrappunti, 1974(邦題;レ・オルメ、『夜想曲』)(11)

 6枚目のA面ラスト、4曲目
“India”(「インド」)、3分7秒、歌入り。
 前々作の Uomo di pezza (1972)や前作の
Felona e Sorona (1973)に比べると、情緒的な面への訴えかけはやや抑え気味になり、中性的で幾何学的な反復が変転していくといった傾向が強くなっています。上の曲もその一例。
 70年代イタリアのプログレといえば、オザンナの『パレポリ』(1973。関連して→こちらも参照:「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「おまけ」)などを始めとして、熱っぽくどろどろした感じが思い浮かびますが、こうした摩訶不思議な相の流れも軸の一つだったのでしょう。
 顧みればPFMの『幻の映像』(→そちらも参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」)も、同様の感触が小さくありませんでした。何よりピッキオ・ダル・ポッツォを忘れてはなりますまい→あちらで触れました:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」。
11. 『イタリアン・ロック集成 ユーロ・ロック集成1』、マーキームーン社、1993、p.88。
 アウグスト・クローチェ、宮坂聖一訳、『イタリアン・プログ・ロック イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド(1967年-1979年)』、マーキー・インコーポレイティド、2009、pp.368-375。
 岩本晃一郎監修、『イタリアン・プログレッシヴ・ロック(100 MASTERPIECE ALBUMS VOL.1)』、日興企画、2011、p.53。

 同じくキーボード中心で日本のバンドから;

アルスノヴァ、『黄泉の女神達』、1996/2006(12)

 5曲目が
"KALI. In the Name of Demolition and Massacre"。歌抜きのキーボード・トリオです。
"Kali 2005"(Unreleased Version)

アルスノヴァ、Android Domina、2001/2006

 にボーナス・トラックとして収録されています。こちらはギター入り。
12. 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.28、2006.2、pp.9-11。
 舩曳将仁監修、『トランスワールド・プログレッシヴ・ロック DISC GUIDE SERIES #039』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2009、p.146。
 Cf., ヌメロ・ウエノ、たかみひろし、『ヒストリー・オブ・ジャップス・プログレッシヴ・ロック』、マーキームーン社、1994、p.60。
 同じアルバムから→こちらも参照:『妖女ゴーゴン』(1964)の頁の「おまけ」。また→そちら(「エジプト」の頁の「おまけ」)や、あちら(ヒエロニムス・ボス《快楽の園》(1500-05)の頁の「おまけ」)も参照

Kansas, Song for America, 1975
(邦題;カンサス、『ソング・フォー・アメリカ』)(13)

 2枚目の6曲目、元のLPではB面最後の曲
“Incomudro - Hymn to the Atman”(「宇宙への祈り」)、12分12秒。  
13. 舩曳将仁監修、『トランスワールド・プログレッシヴ・ロック DISC GUIDE SERIES #039』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2009、p.16。
 →こちら(「エジプト」の頁の「おまけ」)も参照
 

 とこうする内にこんなのが出ていました;

Curated by Elio Schenini, On the Paths of Enlightenment. The Myth of India in Western Culture 1808-2017, Museo d'arte della Svizzera italiana, Lugano / SKIRA, 2017-18
『啓明の途上にて 西欧文化におけるインドの神話 1808-2017』
 啓明の途上にて
(Elio Schenini)/あるアジア・ルネサンスの見通し:古えの者の理論について(Peter Sloterdijk)/霊性:東と西(Peter van de Veer)/近代ドイツにおける古代インドの勃興(Douglas T. McGetchin)/インド:ヨーロッパ的視野の一考察(Pradeep Chakkarath)/「英国人の目には全く新しい」 インドにおける英国人芸術家 1750-1900(Romita Ray)/南アジアにおける写真の諸起源 選ばれた諸主題(Joachim K. Bautze)ギュスターヴ・モローあるいはインドの夢(Marie-Cécile Forest)/ジョルジュ・ガステのインド(Aude de Tocqueville)
 ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン コバルト・ブルーの空の下での植民地主義の恐怖/エドウィン・ロード・ウィークス 黒海からインドへ旅するアメリカ人画家/スヴィボダ 女王のためのインド人の肖像画(*
Rudolf Swoboda(1859-1914)、オーストリアの画家)/血の赤の太陽の下でのインドにおけるアルベール・ベナール/オディロン・ルドンの仏陀たち/『テラコッタの荷車 Le Chariot de Terre Cuite』/ロダンとシヴァの宇宙的踊り/
 西欧におけるモダン・ダンスへのインドの諸影響
(Diana Brenscheidt known as Jost)/インドの秘められた神秘を探索する アリス・ボナーによるインド芸術研究(Johannes Beltz and Andrea Kuratli)
 ニジンスキー 舞台の上の青い神/サルガーリとキプリング 世紀末の冒険小説におけるインドの抗しがたい魅惑/インドの夢 アンリ・ルソーの《蛇使いの女》/インドがポピュラーになる/
 東方よりの光 ブルーノ・タウトと東方
(Manfred Speidel)/20世紀初頭の代替文化におけるヨーガの受容(Bernd Wedemeyer-Kolwe)/カール・グスタフ・ユングとインド(Giovanni V.R. Sorge)/世界の心臓への一つの鍵(Eva Zimmermann * ヘッセのお話)/エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーとアジャンターの壁画(Magdalena M. Moeller)/アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー:神的な対話(Angelika Jawalensky)/見通しがたい緑に面した一人の画家 カール・ホーファーのインドへの旅(Christoph Otterbeck)
 ブランクーシと瞑想の寺院/
 エッカルト・ムテジウス 近代様式で住むインド
(Reto Niggl)
 『インドの墓』( * 1921、監督:ヨーエ・マイ)/訪れるべき国/ヴァルター・ボスハルト 独立を求めて戦う国からの諸イメージ/
 アラン・ダニエルーとインド 統合と自由の径
(Adrián Navigante)
 アンリ・カルティエ=ブレッソンとガンディーの葬儀/
 チャンディーガルを計画する 約束と挑戦
(Maristella Casciato * ル・コルビュジエ等の話)/
 インドのアレクサンダー・コールダー/パゾリーニ、モラヴィア、マンガネッリ インドの路上でのイタリア人作家たち/アレン・ギンズバーグ 対抗文化のグル/
 ヒッピーの通った跡
(Matteo Guarnaccia)/ポップ・ミュージックにおけるインドと横断文化のユートピアの文化年代記(Gianfranco Salvatore)/ラーガ・ロックの登録に向けて(Dubravko Pušek)
 ラヴィ・シャンカール ワールド・ミュージックの父/インドのビートルズ/カーリーとローリング・ストーンズの舌/ミニマル・ラーガ/
 エットーレ・ソットサス、インドと瞑想のための道具としての陶磁器
(Catharine Rossi)/外から見えるように 西欧の映画製作者たちとインド(Shanay Jhaveri)
 イェルヴァント・ジャンキアンとアンジェラ・リッチ・ルッキ 野蛮な観光/ロバート・ラウシェンバーグの《ジャマーズ》/フランク・ステラの《インドの鳥》/ブルーズ・コナーの《マンダラ》/リチャード・ロングとワリル族の芸術/ヴォルフガング・ライプの無時間的な芸術/
 オンターニ、最後の
大王(マハーラージャ)(Stefano Malatesta)/他の土地でなく(Beth Citron)/インドの希望に残されたもの(Federico Rampini)/ヴァーラーナシー(ベナレス)への旅(Ferdinando Scianna)
 マイケル・アッカーマン ヴァーラーナシー:時の果ての都市など、
672ページ。


 上に挙げた
マハヴィシュヌ・オーケストラの4枚や
サンタナ&マクラフリンをはじめ(pp.490-491)、
トラフィックの1枚目『ミスター・ファンタジー』(1967、p.492)、
ジミ・ヘンドリックスの2枚目『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』(1967、p.494)、
グレイトフル・デッドの『太陽の賛歌』(1968、p.496)、
サンタナの『ロータス』(1974、p.499)、
なぜかキング・クリムゾンの『太陽と戦慄』(1973、同)、
ローリング・ストーンズの『サタニック・マジェスティー』(1967、p.511)、
テリー・ライリーの『ア・レインボー・イン・カーヴド・エアー』(1971、p.515)
 などなど、他にも見覚えのあるレコードのジャケットがいろいろ載っていたりします。
 p.678 には『ホーリー・マウンテン』(1973、監督:アレハンドロ・ホドロフスキー)のポスター等が掲載されていました。

2013/06/21 以後、随時修正・追補 
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