| < 廊下など < viii. もろもろ(1) < 怪奇城の外濠 Ⅱ | ||||
| 廊下など、メモ |
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| ◆ 井上充夫、『日本建築の空間』(SD選書 37)、鹿島出版会、1969 ではまず、「怪奇城の外濠 Ⅱ」で本書のすぐ上に挙げた 井上充夫、「廊について - 日本建築の空間的発展における一契機 -」、1956 を踏まえて、第Ⅱ章2 で古代における〈廊〉の用例を挙げた上で(pp.61-63)、古代(飛鳥・白鳳時代ころ)の寺社における〈回廊〉が〈垣根〉であることが述べられます(pp.63-73)。また pp.133-134(第Ⅲ章2)で平安時代の寝殿造りにおける〈中門廊〉、pp.204-215 で中世・近世の住宅におけるその展開(第Ⅳ章4)、続いて宗教建築でそれに対応する〈権現造り〉について記す中で(pp.215-220)、 「『廊下』という言葉が禅宗寺院より出たと考えられる」 ことに触れています(p.217)。 「どの場合も、たくさんの建物を連絡する通路という性格が強い。このような、通路を意味する『廊下』の語が、禅宗寺院から出て一般に普及し、次第に『渡殿』や『渡廊』といれかわり、ついにこれらを駆逐して現在に至ったものと思われる」(p.218)。 ◆ 「怪奇城の外濠 Ⅱ」で挙げた 嶋崎礼、「中世における壁内通路とその空間性に関する研究 その天井部の構造の類型的把握から」、2015 の注5(p.2351)に、 HÉLIOT, Pierre, "Passages muraux et coursières dans les églises gothiques du Nord-Est de la France médiévale, de la Lorraine et des pays du Rhône moyen," Zeitschrift für schweizerische Archäologie und Kunstgeschichite, XXVII, 1970, pp.21-43 「ロレーヌからローヌ川中流地域の、中世フランス北東部のゴシック教会における、壁内通路と歩廊」 という論文が挙げられています。未見なのですが、ウェブ上で HÉLIOT, Pierre, "Coursières et passages muraux dans les églises romanes et gothiques de l’Allemagne du Nord," Aachener Kunstblätter, Bd. 41, 1971, pp.211-223 [ < Aachener Kunstblätter ] DOI : https://doi.org/10.11588/akb.1971.0.34860 「北部ドイツのロマネスクおよびゴシック教会における、歩廊と壁内通路」 という、'passages muraux' と 'coursières' (とりあえず「歩廊」と訳しました)の順を入れ替え、'dans les églises' 以降の時代・地域の範囲を代えた題の論文を見ることができました。 'coursière' の語は手もとの仏和辞書では 「1 [野山の]近道。 2 = coursive 」 となっており、'coursive' はといえば、 「[[海]][船内を縦に走る]通路、歩廊」 とありました。'coursière' は 'coursier' の女性形ですが、男性形の方は(2)としてやはり 「[[海]][船首より船尾に通じる]通路、歩廊」 とのことです。しかし上の論文での使い方からして船だけではあるまいと、検索してみればウェブでの Larousse の該当頁に(→そちら)、 「1.壁の厚みの内側を、あるいは張出部内を占める、あるいは列をなす支柱に支えられた、狭い通路(ゴシック式教会のトリフォリウムは、原則として coursière である)」 と記されています。ちなみに(2)として、 「要塞の(城壁上)巡視路」 となっていました。 ◆ Mark Jarzombek, "Corridor Spaces", Critical Inquiry, vol.36 no.4, Summer 2010, pp.728-770 によると、フランスではもともと、 「corridor は両側に部屋があって、スピードと効用を強調するのに対し、gallerie はつねに片側だけに部屋があり、もう一方には窓の列がある。gallerie は庭を眺めるための空間で、後には絵を見たり、会話を愉しんだり、また大切なのは、ゆっくりと移動するべき空間なのだ。18世紀になると、フランス語は corridor を couloir と訳し始めることだろう。後者は排水路やふるいを意味する古い単語で、あきらかにまったく異なる - そして肯定的ではない - 含みをはらんでいた」(p.748) そうです(以下にメモしたいくつかの点ともども、「怪奇城の廊下」の頁や、「怪奇城の画廊(前篇)」でも触れました)。"galerie"の語については、ジャン・メスキ、『ヨーロッパ古城物語』、2007、pp.107-109、また p.4、p.156 も参照 「怪奇城の外濠 Ⅱ」ですぐ上に挙げた 青木正夫・岡俊江・鈴木義弘、『中廊下の住宅 明治大正昭和の暮らしを間取りに読む』(住まい学体系 102)、住まいの図書館出版局、2009 からすると、"corridor"は〈中廊下〉にあたるのでしょうか。"galerie"は〈縁側〉と同じでないにしても、対応はするといっていいものかどうか。〈片廊下〉という言い方もあるそうです。 さらに 「怪奇城の外濠 Ⅱ」でそのすぐ上掲 柏木博、『「しきり」の文化論』(講談社現代新書 1719)、講談社、2004、p.167 には、 「こうした中廊下とは別に、日本では部屋の周りにつける外廊下が伝統的につくられてきた。この外廊下も庭に面しているところは、縁側と同じ機能を持っている」 とありました。つまり〈縁側〉と〈外廊下〉が区別されているわけです。 ◇ Jarzombek 論文に戻れば、廊下が建築的プログラムに統合されるのは、17世紀イタリアのフランチェスコ・ボッロミーニによってとのことですが(p.737)、それ以前の用法で、 「corridoio は城や宮殿の内外での秘密の路 secret way として用立てられることもあった。たとえば教皇が有事の際に用いることができるよう、ヴァティカンとサンタンジェロ城に関して建てられたもののように。同じく名高いのは、メディチ家によってフィレンツェに築かれた corridoio だ(1565年)。これはアルノ川の一方にあるピッティ宮ともう一方の岸にあるヴェッキオ宮をつなぐもので、上階の高さに配されているため、通りを横切ってアルノ川橋に沿っていながら、誰も中を覗きこむことができない」 とのことです(pp.732-733)(→こちらでも引きました:「怪奇城の隠し通路」の頁)。 ◇ またこの論文では、動線のシステムとしての〈廊下〉は、 「使用人の区画における通常の窮屈な通路 passageways 」(p.741) とは区別されているようです。ちなみにこの節は17世紀末のペットワース・ハウスについて述べた箇所で、 「当時典型的だったように、人々は部屋から部屋へ、あるいは一並びの戸口 enfilade doorways に沿って動いた」 と続きます。ジョン・カーとロバート・アダムによるヘアウッド・ハウス(1759-71)についても、 「二つの中庭を巡る通路は、家の所有者たちではなく、使用人たちのみによって通られるべきものだった」(p.745)。 ちなみに引用中の 'enfilade' (英:エンフィレード、仏:アンフィラード)は トレヴァー・ヨーク、村上リコ訳、『図説 イングランドのお屋敷~カントリー・ハウス~』(2015) では、ウィズドローイング・ルームや寝室など 「を、館の奥側に一列に並べ、出入り口もそろえて並べるという間取りが流行した。この間取りは縦列(エンフィレード)と呼ばれる」 とありました(p.28)。P.30 には図3.8 として図解されています。ただこの説明は、1660~1720年のバロック様式のカントリー・ハウスに関し、 「前の時代には部屋から部屋を通り抜けて移動していたところ、廊下ができて、そこから部屋にたどり着けるようになった。廊下はフロアの中央を、家の横幅の端から端まで走っていた。この廊下を、手前側と奥側に並んだ部屋の列でサンドイッチのようにはさむという間取りは、当時よく見られたが、それは外観の左右対称を家の内部にも持ち込んだ結果だった」 という文脈で用いられたものでした(p.28)。 なお同書 pp.84-85 には「ロング・ギャラリー」の項があります。 上掲の井上充夫『日本建築の空間』(1969)では、 「いくつもの室が一直線上に配置され、かつ、それらのあいだの間仕切りには、同じ相対位置に戸口が開かれており、一番端の室から一番奥の室までいちどに見通すことができるようになっている。このような室配置の形式はアンフィラードとよばれ、バロック式宮殿に好んで 採用されたものである」 とありました(p.236、p.238)。 片木篤、『イギリスのカントリーハウス 建築巡礼 11』、1988、p.58 ではロジャー・プラット(1620-84)が設計したコーレスヒル Coleshill (c.1650- )について、 「平面は立面にもまして革新的であった。全体の矩形は中廊下と前後二列の部屋に分割されている。逆に部屋の並びが二列、中廊下によって結ばれたともいえよう。…(中略)…中世の住宅には廊下はなく、エリザベス朝・ジェイムズ朝の住宅ではギャラリー等の廊下の萌芽が見られただけであった。ここで初めて住宅の端から端までを横断する中廊下がとられ、その結果部屋の中を通らずとも前後双方の部屋に入ることができるようになり、しかもそれがサービス用階段と組合されることによって、使用人が目立たずかつ迅速に動き回れるようになったのである」。 ◇ 余談になりますが、 At the Drive-in, Relationship of Command, 2000(邦題:アット・ザ・ドライヴイン、『リレーションシップ・オブ・コマンド』) 3枚目の7曲目は"Enfilade"(「エンフィレード」)と題されています。5分1秒。歌詞を見ると、建築の話ではないようです。手もとの英和辞書では、建築用語としての意味は載っておらず、軍事用語として、 名詞で「縦射(にさらされた位置)」、 動詞で「・・・に縦射を浴びせる」 を意味するとのこと(仏和辞書には 「1. 一連、一続き/2. [[軍]] tir d'~ 縦射」 とありました)。〈縦射〉は1955年版『広辞苑』によると、 「前後に重畳する敵や行軍隊形の敵に対し、直角方向から射撃すること」 だそうです。もっとも歌詞がこの意味なのかどうかも、よくわからなかったりしたのでした。 ギターのオマー・ロドリゲスとヴォーカルのセドリック・ビクスラーが後に結成したマーズ・ヴォルタの曲→「天使、悪魔など」の頁の「おまけ」 ◆ 他方、西欧近世以前の例として - 〈廊下〉というより〈通路〉と呼ぶべきなのかも知れませんが -、 S.カンタクシーノ、山下和正訳、『ヨーロッパの住宅建築』、1970、p.25 ではエジプト中王国時代のカフン Kahun の大邸宅について、 「次に入口の右側に、長い日本の平行した廊下があり、右手の廊下は三つの中庭を囲む家事室と倉庫に行く通路となっていた。ただし発掘を行なったペトリーはこの部分を女の居住部分だと主張している。左手の廊下は主要な中庭につながっており、この中庭の南側には主人の居住部分、西側には女の居住部分が面していた」 とありました。同 p.33 にはまた、 「窓のある廊下はたとえばシルチェスターのようなローマ帝国の北方の町でよく見かけるが、それはこれらの地方では気候が寒いので囲いをつけた方が具合がよかったからである」。 これは中庭を囲む列柱廊について述べた箇所でした。p.34 の図版参照、また p.35 に 「ローマ帝国時代、すでに ピエール=マクシム・シュール、谷川渥訳、『想像力と驚異』、白水社、1983、第1部C「想像力と歴史」、p.31 に、 「ルイ・ロベール氏がクラロスで行なった発掘によって、…(中略)…地下の とありました。アデュトン adyton は[至聖所]、同頁。また英語版ウィキペディアの該当頁→こちら。そこからクラロス Claros ( Klaros、ラテン語:Clarus )の頁→そちら。日本語頁もありますが、そちらでは割愛されている "Excavations" の項を参照。また、シュールも挙げている(p.30) ロベール・フラスリエール、戸張智雄訳、『ギリシアの神託』(文庫クセジュ 342)、白水社、1963、pp.52-53 ではアデュトンを「奥の院」として、やはりルイ・ロベールの報告からクラロスの同じアポローン神殿について、 「この神殿のプロナーオス(入口)は、正面が13メートルで、」南北に二つの階段がつく……たかい四つの段をおりると、廊下になり、南北にわかれた道も一つになり、神殿の奥にむ と引用してありました。 ◆ なお〈廊下〉を主題とする文章ではありませんが、 岸和郎、「一 美術館の近代」、太田喬夫・三木順子編、『芸術展示の現象学』、晃洋書房、2007、「第5章 建築と場」、pp.149-159 には、近代建築とは 「それを極めて形而下学的な、即物的なレベルで定義するとすれば、『廊下』の発見ではなかったのか。カーンに従えば、『サービスする空間』としての廊下が発見されたのが近代だった、と言ってもいいのではないか」 という一節がありました(p.149)。 原口秀昭『20世紀の住宅 空間構成の比較分析』(1994) には、17世紀ヨーロッパの住宅に関し、 「中世の住宅では、廊下は基本的にはつくられず、ホールの通り抜けによって各室がつながっていた。この中廊下と両脇のサービス用の階段によって、使用人の動きが合理化されている。中廊下による部屋の連結は、現代から見ると退屈な構成と見えてしまうが、当時としては画期的なものであったのである」(p.8)、 また近代日本の住宅に関し、 「中廊下は、庶民的な動線の工夫であり、悪く言えば当たり前の平面処理である。武家屋敷においても一部中廊下が見られるが、薄暗い中廊下は一般には作られず、縁側や室の通り抜けによって動線を解決してきたのである。江戸時代の人間が中廊下を発明する知恵もそういった社会基盤もなかったというよりは、単に中廊下を嫌ったからではないのだろうか。中廊下は、狭小な面積の中に近代生活の機能を入れる際、やむをえず採用した方法であったように思われてならない」(p.118) と述べられていました(→「怪奇城の廊下」の頁でも一部引きました)。えらい言われようであります。 ちなみに上掲の青木正夫他『中廊下の住宅』(2009)に、 「筆者・青木が東京帝大に入学したのは戦争末期の1944(昭和19)年10月で、最初の製図の課題設計は『住宅』であった。その課題説明において『中廊下住宅は絶対設計してはならない。あれは誰がやっても同じものになる。奥さん連中の扱う住宅である』と宣告された。エスキス審査で中廊下型は『なんだ中廊下型か』と一言を浴びせられるだけで見てもらえず、結局、生活経験の全くない椅子式の居間中心型の平面へと誘導された」(p.167、また pp.244-245) とありました。最後に言及される〈椅子式の居間中心型の平面〉との関係をめぐる議論の展開等が背景にあって、その内実は一朝一夕にはいかないのでしょうが。 こちらも文脈は違いますが、上掲の Mark Jarzombek, "Corridor Spaces", Critical Inquiry, 2010 の後半、とりわけ 'The Modern, Ventilated Corridor' の節以下(pp.761-770)で叙述される、廊下評価/批判の議論と比べることはできるものでしょうか (追補:本格探偵小説における〈隠し通路〉の扱いが連想されたりもします→「怪奇城の隠し通路」の頁参照)。 ◆ やはり他方、近代以前の例として、 高橋昭子・馬場晶子著、山田幸一監修、『台所のはなし 物語|ものの建築史』、鹿島出版会、1986、p.42 によると、桂離宮の、明治の大修理の際に撤去された「御台所」に関し、 「南西方向に雁行する『古書院』『中書院』『新御殿』の庭に面した部分には、縁等の通路が設けられており、この部分が表向きの通路である。これとは別に、裏側に『御台所』『御末の間』から、縁や廊下が延びており、『新御殿』まで続いている。即ち、使用人の通路と、主人の通路がまったく別に設けられているのである」。 また同書第1章11で、近畿の近世町屋の内、 「京都や奈良といった昔の都に多くみられるもので、間口が狭いために一列に居室を配置することを原則とする」 タイプに関し、その台所は 「一般に『通り庭』と呼ばれる土間部分を持ち、多くは流しや竈が壁際に並ぶものである」 ことが記されています(p.34)。pp.37-38 も参照。 〈通り庭〉についてまた; 島村昇・鈴鹿幸雄他、『京の町家 生活と空間の原理』(SD選書 59)、鹿島出版会、1971、pp.119-134:「トオリニワ」 ◆ C.アレグザンダー、平田 「できるだけ、廊下や通路の使用は避けること」(p.334)、 「132 短い廊下 Short passages 」では、 「・・・長くて味気ない廊下は、近代建築にまつわるすべての悪の舞台となる」(p.335) とのことでした。 同書から→こちら(「階段で怪談を」の頁の「文献等追補」)でも挙げています。そこでは階段についての〈パタン〉を並べたのですが、ちなみにその中には、 「できるだけ屋内階段を避けること」(p.395) といったくだりもありました。 文言だけ切りだしてしまうとなんでそこまで言われなあかんねんといった感がいやますばかりですが、とまれ、前後の文脈とあわせてご覧ください。 またすぐ後の「134 禅窓 Zen View 」(pp.340-341)、「135 明暗のタピストリー Tapestry of Light and Dark 」(pp.341-343)も参照のこと。 なお本書には、「203 ちびっ子のほら穴 Child Caves 」(pp.490-491)、「204 開かずの間 Secret Place 」(pp.491-492)といった項目もあります。さすがに「秘密の通路」は見あたらないのが残念なところです。上に記したとおり〈パタン 204〉の原題が「秘密の場所」なので、それでよしとするべきでしょう。 →そちらで少し触れました:「怪奇城の隠し通路」の頁 「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「劇場と舞台装置など」で挙げる 清水裕之、『劇場の構図』、1985,p.256 には、1982年に作られたロンドンのバービカン・アートセンターの主劇場において 「二列のバルコニーが舞台間近まで細く深く張り出している。このように小さな張り出しを側壁に多く取りつけるのは、建築計画上は廊下の面積が多くなるなど、必ずしも容易なことではない」 と記されていました。「廊下の面積が多くなる」ことは、歓迎されない事態であるわけです。 ◆ とこうしたありさまでもあってみれば、 チェス&コル「家のトポグラフィー ヴィスコンティをめぐって」(1983). で 「それでも廊下があればいい方で、マンションなんかの場合は、廊下もないから疲れる」(p.61) というくだりに出くわしては大いにほっとするのでした。 「軍事政権下のタイで自分の映画を公の場で語ることは不可能 - アピチャッポン監督『世紀の光』」、2016.1.8 [ < 骰子の眼 < webDICE ] はアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が2006年作の映画『世紀の光』について語るインタビューで、2015年12月に行なわれたものとのことですが、その中でインタビュアー(樋口泰人)が、舞台となる 「病院の内部ですが、どの病院も〈廊下〉が印象に残ります」 と述べ、それに対してアピチャッポンが応える下りがありました。 同じ監督の別の作品について→こちらでほんの少し触れました:『私はゾンビと歩いた!』(1943)の頁の「おまけ」 また、『血ぬられた墓標』(1960)の頁の「追補 2」(→そちら)でも触れたのですが、『白い肌に狂う鞭』の日本版ブルーレイに収められた映像特典の内、「アレクサンドル・ジュス インタビュー〈マリオ・バーヴァの撮影技術〉」(2019)で、マーティン・スコセッシが「バーヴァの映画をこう例えている」として、 「廊下の映画」 という言葉が引用されていました。素晴らしい! ◇ またフランスのプログレ・バンド Arachnoid, Arachnoid, 1979(邦題:アラクノイ『アラクノイの憂鬱』)(→あちらで挙げました:『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」(1966)の頁の「おまけ」) の歌詞の邦訳を何の気なしに見ていたら、CDで5曲目、もとのLPではB面2曲目に当たる"La guêpe"(「すずめばち」)で、 「通り、廊下、通路、かつて」(佐藤美奈子訳) というフレーズが何度か繰り返されていました。原語では; "Une rue, un couloir, un passage, une fois" 歌というより台詞ないしナレーション風なのが、個人的には苦手ではあるのですが。 |
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| 元ヘンリー・カウでギターのフレッド・フリス、マテリアルのベース、ビル・ラズウェルおよびドラムスのフレッド・マーによる三人組、 Massacre, Killing Time, 1981(1) 1枚目のA面5曲目が"Corridor"、器楽曲、1分58秒。 |
1. 『フールズメイト』、vol.18、1981.10pp.21-22。 同、vol.19、1981.12、pp.48-53、p.82。 『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、p.24。 |
スウェーデンのシンフォニック・ロック・バンド; Anima Morte, The Nightmare Becomes Reality, 2011 2枚目、全曲器楽曲で、その2曲目が、"Corridor of Blood"、6分5秒。また5曲目は"Passage of Darkness"、"passage"が「通路」の意味かどうかわかりませんが、ともあれ4分20秒。 このアルバムは→こちらでも挙げました:「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「おまけ」 ◇ 他方、こちらは江戸時代を舞台にした中短篇小説を集めたもの; 白井喬二、『怪建築十二段返し』(大陸文庫 1040 し 2-1)、大陸書房、1990 表題作(1920/大正9)以外に、 「江戸天舞教の怪殿」(1922/大正11)、 「全土買占の陰謀」(1920/大正9)、 「白雷太郎の館」(1921/大正10) が収録されているのですが、いずれにおいても、隠し扉に隠し通路などを備えた大きな建物が主要な舞台となります。表題作には、ある図面を見た登場人物が、 「…(前略)…この廊下は素敵なものでさア、つまりこの図面は庭に添うた廊下と、廊下に添うた部屋の図面ですな」 と語る場面がありました(p.276)。この人物は「当時江戸で有名な 「だがその瞬間に、光泉はこの建築の容易ならぬことを知った。廊下と廊下に添うた各部室との間には並々ならぬ、怪建築を施してあることを一目見て というのでした(p.292)。 「『Meiga を探せ!』より、他」中の『虹男』(1949)の頁で挙げた(→こちら) 芥川龍之介、「歯車」(1927/昭和2年)、東雅夫編、『芥川龍之介 妖怪文学館 伝奇ノ匣 3』(学芸M文庫 あ 10-1)、学習研究社、2002 には、 「廊下は僕にはホテルよりも監獄らしい感じを与えるものだった」(p.197/「1 レエン・コオト」) 「廊下はきょうも というくだりがありました。 同じく『虹男』(1949)の頁で取りあげた(→こちらの2); 角田喜久雄、『虹男』、矢貴書店、1948/昭和23 には、 「薄暗い廊下がうね\/とつゞき、その光線の殆んどとゞいていない片隅に、古びた甲冑がぬうつと立つているかと思うと、思いもかけない壁の高い所に、色あせた佛畫が幻のようにぼうつと浮上がつている」(p.86/5番目の章「金魚屋敷」2節) とのくだりがありました。 「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「おまけ」からの枝頁で挙げた マーク・Z・ダニエレブスキー、嶋田洋一訳、『紙葉の家』、ソニーマガジンズ、2002 には、 「だがやはり『 これもまたエコーだ」(p.87) なんて美しいくだりがありました。 「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xvii. ブックガイド、通史など」で触れた、SFにおける〈超空間〉などとも比較できるのではありますまいか→こちらの3など ◇ 「津の築山遊具など」の頁の→このあたりで触れたカタジナ・コブロの彫刻に関連して、 Yve-Alain Bois, Painting as Model, The MIT Press, 1990/1993, pp.123-155:"Strzemiński and Koblo : In Search of Motivation" のなかで、ストゥシェミンスキとコブロの共著になる論文からの引用として、 「空間的な諸形態は、与えられた共通する色彩に関連づけられることで連結しあい、それらを互いに結びつけ、また外部の空間とも結びつける、多くの〈通路〉を創りだす」(p.149) 「彫刻の諸形態の配置は、空間を具体的なものにする交差点、および彫刻を空間に結びつけることで空間的な現象の内的統一性を彫刻に与えるような、諸々の〈通路〉を定める」(p.151) というくだりがありました。仮に〈通路〉としましたが、ボワの英訳では"corridor"、またボワが参照した次の仏訳では"couloir"でした; W. Strzeminski et K. Kobro, textes choisis, traduits et présentés par Antoine Baudin et Pierre-Maxime Jedryka, L'espace uniste. Écrits du constructivisme polonais (Collectuion Slavica), L'Âge d'Homme, Lausanne, 1977, pp.85-125 : W. Strzeminski et K. Kobro, "La composition de l'espace. Les calculs du rythme spatio-temporel"(1931), p.107, p.108 杉山あかね、「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによる対作品《階段を下りてゆく女性》および《光の方へ上がってゆく女性》を巡る一考察」(『美術史』、第194冊、Vol.LXXII No.2、2023.3、pp.135-150) の中に、次のくだりがありました; 「両作品に描かれたのは廊下の突き当たりと階段の途中という、厳密には室内、部屋の中とは呼べない場所で、人が通常はとどまらない、一時的な通過の場所が選択されている」(p.147)。 「これに対して廊下や階段といった『つなぎ』の建築空間は、過ぎ去ることを常とする通過の場所として、鑑賞者に初めから移り変わる物事を想起させる」(同上)。 「『つなぎ』の空間の表現はフリードリヒの同時代には他に類例を見ず、逆に室内画そのものといったケルスティング(Georg Friedrich Kersting : 1785~1847)の作例などが顕著な対照をなしている。一方、19世紀末から20世紀初頭にはハマスホイ(Vilhelm Hammershøi 1864~1916)やメルリ(Xavier Mellery : 1845~1921)、ホルスーウ(Carl Vilhelm Holsøe : 1863~1935)といった画家たちの作品に類似例を指摘でき、その意味でフリードリヒは次世代への先駆けとなっていた」(p.150 註26)。 ◆ エマヌエーレ・コッチャ、松葉類訳、「9 部屋と廊下」、『家の哲学 家空間と幸福』、勁草書房、2024、pp.121-131 この章は3つめの段落から、 「わたしは長い間、この廊下を恐れた」(p.122)、 「わたしは長い間、自宅の外でも、廊下が怖かった」(p.123)、 「わたしは長年、自分が長い廊下であることだけが怖かった」(同)、 「わたしは長いあいだ、廊下を恐れていて、この恐怖を克服するのにかなり長くかかった」(p.124) と6番目の段落まで、相似た文言が冒頭に配されます。原文ではどうなっているのでしょうか? 以上の段落からなる本章前半は、章題の「部屋」を扱う後半への経路でしかないにせよ、逆に〈廊下〉のあり方にはかなっていると見なすこともできるでしょう。 とまれ、第3段落では、先の一文に続いて、 「そこには窓もなければ何もなく、家のなかをもっと居住可能な場所らしくすることのできるあらゆるものがなかった。…(中略)…それは子どもにとって、お化けと変幻自在の生きものが、無限に広がっていることにほかならなかった」(p.122) と述べられます。 第4段落では、 「廊下は同一性をもたない、卑猥で薄暗い場所である。…(中略)…それは変化と変様の空間であるが、物質と精神の動きを支配し、統率する可能性を与えることがない。…(中略)…廊下は場所を変えること、そしてなによりわたしたち自身を変えることのためにある。そこに留まっていることはできない。廊下は、家のなかで、つねに『住む』『留まる』『滞在する』という動詞を拒む場所である」(p.123)。 第5段落; 「つまり、何ものも自分に属さず、親密なものがないような、虚無の空間であることが怖かった。…(中略)…このドアからは、外界の亡霊が入り込み、お化けと家族の複雑な生活の雑音とが出て行くのだ」(pp.123-124) 等と綴られるのでした。 ◆ Roger Luckhurst, "Corridor Gothic", Gothic Studies, vol.20 nos.1-2, November 2018, pp.295-310 「廊下ゴシック」 前置きを経て、第1章に当たる"Cunning Passages, Contrived Corridors"(「気の効いた通路、考案された廊下」?)(pp.296-298)では近現代建築における廊下の位置づけ、 続く"Corridor Gothic"(pp.298-302)でゴシック・ロマンスにおける廊下、 "The Corridor Shot"「廊下のショット」)(pp.302-304)で恐怖映画における廊下、 "Corridor Affects"(「廊下の情動」)(pp.304-307)では、フロイトの〈不気味なもの〉に対して、キェルケゴールやハイデッガーの〈Angst(不安、気がかり)〉の概念を援用して、 ゴシック・ロマンスや恐怖映画における廊下空間の性格づけを試みます。 ◇ 2章目の "Corridor Gothic"で言及された作品を挙げておくと、 p.299;ウォルポール『オトラント城奇譚』(1765)、 ラドクリフ『森のロマンス』(1791)および『ユードルフォ城の謎』(1794)、 オースティン『ノーサンガー・アビー』(1817) p.300;ポー「アッシャー家の崩壊」(1839)、 シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』(1847)、 ヘンリー・ジェイムズ「愉快(にぎやか)な街角」(1908)、 W.W.ジェイコブズ「猿の手」(1902)、 M.R.ジェイムズ「13号室」(1904) p.301;キプリング「船路(旅路)の果て」(1890)、 ラヴクラフト「インスマスを覆う影(インスマウスの影)」(1931)、 ロバート・エイクマン"The Unsettled Dust"(1968)および"The Hospice"(1975)、 マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の家』(2000)、 ウィル・ワイルズ『時間のないホテル』(2014)、 ジェフ・ヴァンダミアの「サザーン・リーチ」三部作『全滅領域』・『監視機構』・『世界受容』(2014) ◇ 3章目にあたる "The Corridor Shot"で言及されたのは、 p.302;『カリガリ博士』(1920)、 『悪魔の夜(悪魔の呪い)』(1957、監督:ジャック・ターナー)、 『たたり』(1963)、 『ヘルハウス』(1973)、 『サスペリア』(1977、監督:ダリオ・アルジェント)、 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968、監督:ジョージ・A・ロメロ)、 『バイオハザード』シリーズ(2002、監督:ポール・W・S・アンダーソン、~ )、 『ポルターガイスト』(1982、監督:トビー・フーパー)、 『パラノーマル・アクティビティ』(2007、監督:オーレン・ペリ) p.303;『人喰いトンネル』(2011、監督:マイク・フラナガン)、 そして「廊下的空間を活用した監督たち」、「映画における廊下空間の三人の作家」として、 ポランスキーの『反撥』(1965)、『テナント/恐怖を借りた男』(1976)、『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)、 デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』(1976)、『ブルーベルベット』(1986)、『ツイン・ピークス』(1990-91、2017)、 キューブリックの『現金に体を張れ』(1956)、『突撃』(1957)、『シャイニング』(1980) を挙げるのでした。 ◇ 4章目 "Corridor Affects"でも; p.306;C.P.スノー Homecoming (1962)、 『アルファヴィル』(1965、監督:ジャン=リュック・ゴダール) p.307;クローネンバーグの『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』(1970)、『シーバース』(1975)および『ラビッド』(1977)、 『キャンディマン』(1992、監督:バーナード・ローズ)、 ヘレン・フィリップス、 The Beautiful Bureauctat (2015)、 ヴィクター・ラヴァル The Devil in Silver (2012) が言及されていました。 →こちらにも挙げておきます:「怪奇城の外濠」の頁の「映画と建築など」の項、また→そちらで少し触れました:「怪奇城の廊下」の頁(同頁の→あちらでも)。 同じ著者による→ここ(「BFI Film Classics 中の『シャイニング』の巻(2013)/怪奇城の外濠」の頁の「iii. 怪奇映画とその歴史など」の項)、 そこ(『【ヴィジュアル版】ゴシック全書』(2022)/同頁の「v. ゴシック・ロマンス、その他」の項)を参照 追補(2024/4/24):同じ著者による一冊本が刊行されていました; Roger Luckhurst, Corridor. Passages of Modernity, Reaktion Books, London, 2019 『廊下 近代性の諸通路』 序// 諸起源;廊下以前:古代世界/ 廊下のユートピア、Ⅰ:シャルル・フーリエのファランステール;ギャラリー化したユートピア:トマス・モアからクロード=ニコラ・ルドゥーへ/フーリエの組合建築/ロバート・オウエンの 廊下のユートピア、Ⅱ:ペトログラードからバービカン・エステートにいたる社会的住居建設;ソヴィエトの社会的凝縮器/ル・コルビュジエの『屋内の街路』/イギリスの戦後住居建設:空の街路// 通商の廊下: コミュニケーションの恍惚:ホテルの廊下;エルスワース・ミルトン・スタットラーと怪物ホテルの廊下/ウォルドーフ=アストリアの プライヴァシーへの諸通路:英国の紳士の家;ウィンザー城の大廊下、1829/ロバート・カーの気がかりな廊下、1864/家庭の虚構/曲がった廊下/廊下の列神化:第五代ポートランド公爵// 廊下のディストピア、Ⅰ:官僚制; 廊下のディストピア、Ⅱ: 結論:通路の果てで// 文献撰など、 336ページ。 上の"Corridor Gothic"(2018)はおおよそ第9章"The Dystopia of Corridors, II: Dread and the Gothic"(pp.261-285 +"References" : pp.315-318)に対応しています。 結論の副題"At the End of the Passage"は"Corridor Gothic"のところでメモしたように、キプリング「船路(旅路)の果て」(1890)に由来します(p.287)。 →こちらにも挙げておきます;「怪奇城の廊下」の頁の「プロローグ」 ◆ "Corridor Gothic"(2018)に戻って、p.308 註7 で参照されている Stephan Trüby et al., Corridor, Venice, Marsilo, 2014 はこの形で検索してみてもわからなかったのですが、『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、ちくま学芸文庫 コ 12-1、筑摩書房、1999;1995年刊本の文庫化、原著は1978)などの著書もあるレム・コールハースが総合ディレクターをつとめ、〈ファンダメンタルズ〉を総合テーマにした2014年の第14回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展の内、中央パヴィリオンで開かれた『建築の諸要素』展にあわせて作成されたもののようです。 下に挙げるのは『建築の諸要素』展の全セクションを一冊にしたもので、重くて部厚く、しかし紙は薄く、はなはだ扱いにくい。Tim Lucas, Mario Bava. All the Colors of the Dark (2007) とタメを張りかねません。本書の方がデザインは凝っていますが、ルーカスのバ-ヴァ本の方がまだしも、通読しようという気を起こさせるといえなくもないかもしれません。デザイン的な要素が図版等にかぶっていたり、「扉」のセクションで地を黒にしたことに応じてか、図版の多くがネガポジ反転していたりします。 とまれ、当初はセクションごとの分冊も刊行されたのでしょうか? 下の本の奥付けでは刊行年は2018年になっており、その時点で一冊にまとめた形にしたのか。そこではセクションごとのノンブルと全体で通しのノンブルが併載されています。ただし通しのノンブルも、目次を含む総論的な中央部分の186ページ分は飛ばしてあるのですが。上の論文 p.310 註58 で挙げられている K. McLeod のテクストのページもセクション内ノンブルと一致するので、中身は同じと見てよいのでしょう; Rem Koolhaas et al., Elements of Architecture, Taschen, 2014/2018 『建築の諸要素』 床(Keller Easterling pp.0-87)/ 壁(通しノンブル pp.88-205:セクションごとのノンブル pp.0-117)/ 天井(Manfredo di Robilant, C-lab(inaba/clouette pp.206-385:pp.0-179)/ 屋根(Jiren Feng, Fang Zhenning, Stephan Petermann pp.386-541:pp.0-155)/ 扉(pp.542-697:pp.0-155)/ 窓(Manfredo di Robilant, Niklas Maak pp.698-861:pp.0-163)/ ファサード(Alejandro Zaera-Polo, Stephan Trüby pp.862-1071:pp.0-209)/ バルコニー(Tom Avermaete pp.1072-1251:pp.0-179)// 建築家たちのための本(Wolfganf Tilmans 中央部分の pp.3-36)/ 献辞(pp.39-40)/ 諸要素(Rem Koolhaas pp.41-51)/ 建築の諸要素・序(Stephan Trüby pp.60-68)/ 編集ノート(pp.69-73)・索引(pp.69-90)・目次(pp.74-88)/ "全範囲保証の心性 vollkasco mentaliteit" *&諸要素のあてにならない未来(Werner Sobe へのインタヴュー pp.91-100 * p.97 参照)/ 建築の諸要素 2014年ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(会場写真)(pp.101-184)// 廊下(Stephan Trüby, Hans Werlemann, Kevin McLeod 通しノンブル pp.1252-1399:pp.0-147)/ 暖炉(Sébastien Marot pp.1400-1555:pp.0-155)/ トイレ(pp.1556-1725:pp.0-169)/ 階段(Friedrich Mielke Institut für Scalalogie, Stephan Trüby pp.1726-2033:pp.0-307)/ エスカレイター(pp.2034-2119:pp.0-85)/ エレヴェイター(pp.2120-2241:pp.0-121)/ 傾斜路(pp.2242-2333:pp.0-91)// 奥付け(pp.2336-2338)など、 2338+186=2524ページ。 というわけで"corridor"のセクションは中央の総論部のすぐ後、通しノンブルで pp.1252-1399、セクションごとのノンブルで pp.0-147 でした。各項は1~2ページから数ページと、ほとんどが短いものなのですが、総論部の目次(pp.81-82)から拾っておけば(実際のページに記されたものとは一致しない場合があります); 序/語源/建築では下り坂、隠喩では上り坂/廊下の諸類型/狂気から恐慌へ/権力の廊下/横断的廊下対接線的廊下/線的平面(収容所)対園亭平面(病院)/ホールから廊下へ// 廊下=小房複合(Stephan Trüby);廊下 - ある「非=建築」?/監獄 - 小房が廊下を要請する 分離と二重の廊下 分離対静寂/チェリー・ヒル(1821-1836)/ヴィクトリア朝カントリー・ホーム - 紳士化された廊下における自発的な蟄居 ピューリタニズムと廊下 扉が一つだけの部屋 廊下を紳士化する 分離を通して慰安を最大化する 指名された廊下 延長 迷宮/ウェルベック修道院と第五代ポートランド公爵:廊下=小房複合の中でくつろいで// ウェルベック修道院(写真: Hans Werlemann)// 廊下の戦争/シェルターとしての廊下/冷戦nの都市型廊下/ペンタゴンの廊下/社会的住居/ナルコムフィン再訪/プルーイット・アイゴー神話/廊下都市/摩天楼の廊下/地的障害の廊下/オランダ式看護家庭廊下// 廊下統語論(Kevin McLeod);237号室/演技における動作=絵文字:屋外の径につながる廊下/奥行き&屋外/二つの迷路 - 迷路はパズルを創りだす廊下である/迷路の中心&終点の浴室/廊下/ロビー/アルマンの事務所/光、色相と絵文字=制作// 風水:廊下を緩和する/ヴァティカン:最初の出口廊下/コード化された廊下/廊下特許/計量化された廊下/国際的建設コード:ある廊下の記述/ある廊下の解剖/排気/乗換廊下:世界貿易センター/廊下の風景/空輸の廊下/ヴィデオ・ゲームの廊下/信号系/水中廊下/最後の出口// 参考文献 なお Kevin McLeod, "Corridor Syntax"(pp.1350-1357/pp.98-105)は『シャイニング』(1980、監督:スタンリー・キューブリック)を扱ったものです。 またシュテファン・トゥリュービー論文の第3章およびヴェルレマンが撮影した写真を主にした「ウェルベック修道院」は、次の本の第4章3節ともども、「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「綺想建築など」の項にリンクさせた他、 "Ceiling"のセクションから"Theatrical Ceiling"の項、 "Stairs"のセクションから"Theatrical Architecture"の項を→こちら(「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁中の「劇場と舞台装置など」の項)に、 "Door"のセクションから"Secret Door", "Secrecy, Commodified"の項を→そちらに挙げました:「怪奇城の隠し通路」の頁。 ◇ 「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁で少し下に挙げた本で、『建築の諸要素』中の「廊下」セクションの主要筆者による単著; Stephan Trüby, Geschichte des Korridors, (Architektur und Kulturtheorie, Bd.2), Wilhelm Fink Verlag, 2018 『廊下の歴史』 プロローグ:廊下の射程;廊下概念の道しるべに/革命対進化? 廊下についての読書/ストレス=影 Stress-Schatten :建築、歴史記述と文化的発展(方法へ Ⅰ)/横断線 Transversalen から接線 Tangentialen へ:類型論、 フラット Beletage、アンフィラードと配分:宮廷風の隠し通路 höfischen Geheimkorridor の創発 Emergenz へ;横断支配 Transversalenherrschaft :中世後期と初期ルネサンスの宮殿建築における水平的な差異化(アヴィニョンの教皇庁、ヴァティカン教皇庁、ヴェネツィア宮殿)/廊下がないところ Korridirlosigkeit での廊下:ルネサンスのイタリア式 廊下=小房複合と18、19世紀における科目 Disziplin の手はずを整えること Veranstaltung ;回廊 Kreuzgang、小部屋、廊下:修道院の模範機能/「廊下様式 Koriidorstil 」と園亭平面 Pavillonplan の間の病院/倍加した廊下、孤立した廊下:「分離システム」の興隆と衰微の間での「監獄学」/ヴォーバン(1633-1707)のシステム対ベルファ Belfa (ベルマ Belma ? : p.146)のシステム:兵舎における廊下/「そのようにまっとうな物怖ろしい廊下 So'n richitiger Graulkorridor 」:貸しアパートにおける廊下共同体 Flurgemeinschaften /まとめと展望// 「固有の四つの壁」:英国のカントリー・ハウスとピューリタニズム; 無気味な廊下;「おのが家にて主でない」:ジークムント・フロイトの廊下/「屍のみが居住に適する」:ヴァルター・ベンヤミンの廊下/法の内在:フランツ・カフカの廊下と「建築の二つの段階」/まとめと展望// 内面化対外面化:運動学と地政学の間の廊下;近代の反=廊下(1):テイラー小径/近代の反=廊下(2):〈建築的 エピローグ:パラノイア的クレオド*論など、 380ページ。 (* creode / chreod :ギリシア語の chré ("muß":「必須」)と hodos ("Weg":「道」)を合成した語(p.345)。英語版ウィキペディアの該当頁(→こちら)も参照。「発生生物学」の項に続いて「建築」の項があります)。 この本は、上掲のStephan Trüby et al., Corridor, 2014 が Elements of Architecture の一部らしいと知れる前に、著者検索で出くわしたものです。目次だけ見てもよくわからないのですが、Mark Jarzombek の前掲論文(2010)ともども、廊下の歴史についてのまとまったモノグラフィーとはいえ(追補:+Roger Luckhurst の上掲論文および単行本→そちらの2および→そちらの3)、ドイツ語はほぼ忘れてしまっており、ちゃんと読むのはいつになるやら知れたものではない。とりあえずわかる範囲で、場合によって原語を添えつつ、章題等を逐語訳しておきましたが、いつものことながら、間違いが大いにありうるのでご注意ください。 追補:上に挙げた Elements of Architecture より先にこちらを見たので、こんな風に書いたのでした。 Elements of Architecture の"corridor"のセクション、とりわけシュテファン・トゥリュービーの原稿"The Corridor-Cell Complex"(pp.1290-1315/pp.38-63)を見れば多少は見当がつけられそうといっていいものかどうか。 たとえば、〈 また〈 猪股佐登留訳、『社会科学における場の理論 増補版』、誠信書房、1956/1979。 最初は第8論文「心理学的生態学」(1943)の四つ目の「例証的研究」中の「A 径路の理論(水路説)」とあるのが〈ホドロギー〉の訳かなと思ったのですが、Google Books の該当頁(→そこ)などを見ると、"Channel Theory"の訳でした。あらためて頁を繰ってみれば、〈ホドロギー空間〉等と表記されていました(pp.35、 38-40、42、125、127、151-152、298、300)。 とはいえホドロギーについてまとまった説明があるわけではなく、事項索引にも出てこないほどです(p.38 の註11 および p.151 註8 には、Kurt Lewin, "The conceptual representation and the measurement of psychological forces", 1938 を参照とありました)。そこで英語版ウィキペディアの"Hodological space"の頁を見ると(→あそこ)、サルトルの『情動論粗描』(1939、未見)とともに、 オットー・フリードリッヒ・ボルノウ、大塚惠一・池川健司・中村浩平訳、『人間と空間』、せりか書房、1978(原著は1963) や ジル・ドゥルーズ、宇野邦一・石原陽一郎・江澤健一郎・大原理志・岡村民夫訳、『シネマ2*時間イメージ』(叢書・ウニベルシタス 856)、法政大学出版局、2006(原著は 1985) が挙げられていました。前者では第4章第1節が「ホドロジー的空間」と題され、その第3項が「レヴィンのホドロジー的空間」、第4項が「サルトルにおける問題の継承」となっています。後者は人名索引に「レヴィン、クルト」の名が見つかり、そこから pp.178-179 を開けば、「ホドロジー的な空間」が取りあげられていました。 とこうしてDer Korridor-Zelle-Komplex (The Corridor-Cell Complex)"から、 〈 〈 対応するということのようです。 〈横断線 Transversalen (transversal) 〉と〈接線〈Tangentialen (tangential)〉の対については、次の一文のみ引いておきましょう; 「宮廷風のアンフィラード - 行列する部屋の一直線に並ぶ扉が形作る一点透視画法 - からの根源的な断絶のさなかで、横断線をなす廊下の類型は、ますます接線をなす廊下へと道を譲っていった:一並びの閉じた扉の前を『通り過ぎて歩む』ことが、開いた空間を『通り抜ける』ことを引き継いでひろまったのだ」(p.1293/p.41)。 |
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