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HOUSE  ハウス

    1977年、日本 
 製作・監督   大林宣彦 
撮影   坂本善尚 
編集   小川信夫 
 美術   薩屋和夫
 照明   小島真二
    約1時間28分 
画面比:横×縦   1.37:1 
    カラー 

ケーブルテレビで放映
………………………

 本作を初めて見たのは、どこやら大阪のはずれの名画座だったかと思います。併映はたしか、『犬神の悪霊(たたり)』(1977、監督:伊藤俊也)でした。昨今再評価されているらしき後者についてはほとんど憶えていないのですが、本作にははまりました。サウンドトラックまで買ったのはそれゆえなのでしょう。小説化されたものもどこかにあったはずなのですが、こちらは現在消息不明です。ただそのいずれにも満足がいかず、ついにLDを入手したりしたのは、映像なり映画としてのあり方にこそ惹かれたからにほかなりますまい。
 もとより、おちゃらけているとはいえ超自然現象の起こる怪奇映画ではあり、何よりタイトルが示すように建物が軸になることもその魅力に大きく与っています。映画としてのあり方についてきちんと押さえるのは当方の手にあまり、その点では建物としての面も同様なのですが、例によって後者に話を絞りましょう。

 自主映画で『ÉMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1967)などを手がけ、その後CM制作に携わってきた大林宣彦の、本作は商業映画デビュー作となります。
 また『血を吸う薔薇』(1974)に続いて薩谷和夫が美術を担当(ちなみに助監督も同じ小栗康平)、本作以後『金田一耕助の冒険』(1979)、『ねらわれた学園』(1981)、『転校生』(1982)、『時をかける少女』(1983)、『廃市』(1983)、『少年ケニア』(1984、実写部分)、『天国にいちばん近い島』(1984)、『さびしんぼう』(1985)、『姉妹坂』(1985)、『彼のオートバイ、彼女の島』(1986)、『四月の魚』(1986)、『野ゆき山ゆき海べゆき』(1986)、『漂流教室』(1987)、『日本殉情伝 おかしなふたり』(1988)、『異人たちとの夏』(1988)、『私の心はパパのもの』(1988/1992、未見)、『北京的西瓜』(1989)、『ふたり』(1991)、『青春デンデケデケデケ』(1992)、『はるか、ノスタルジィ』(1993)と、1993年1月6日に逝去するまで大林の劇場用作品のほとんどで美術を手がけました。撮影の坂本善尚も大林と何度となくコンビを組んでいます。


 八年前に母を亡くした中学生「オシャレ」(池上季実子)は、レオーネの映画に参加して帰国した音楽家の父(笹沢左保、役の姓は「木枯」)が結婚相手として、宝石デザイナーの江馬涼子(鰐淵晴子)を連れてきたことにショックを受けます。合宿の予定がご破算になった友人たちを誘って、母の姉「おばちゃま」(南田洋子)が住む母の郷里で夏休みを過ごすことにする。東郷先生(尾崎紀世彦)に憧れ写真撮影が趣味の「ファンタ」(大場久美子)、空手使い「クンフー」(神保美喜)、読書家「ガリ」(松原愛)、楽器好きの「メロディー」(田中エリ子)、食欲旺盛な「マック」(佐藤美恵子)、掃除好きの「スウィート」(宮古昌代)と、総勢七人です。
 伯母には許婚(三浦友和)がいたのですが、出征して帰りませんでした。伯母はその後実家「羽臼醫院」に留まり、近隣の娘たちにピアノを教えながら一人暮らしてきました。
 東京駅から「故郷方面」の電車に乗り、「奥山行き」のバスに乗り継いで「里山村」で下車、吊り橋を渡り森を抜け、西瓜売り(小林亜星)の前を通って七人は屋敷にたどり着きます。しかし早々にマックの姿が見えなくなるのでした。そして……

 以上がおおまかな粗筋です。
 冒頭から少しして、オシャレとファンタは奥へ伸びる学校の廊下を手前へ歩きます。左側が窓、右側が教室の並びです。ゆるいアーチを頂く廊下は、途中で右へ枝分かれしている。
 二人はまた、途中に踊り場のある屋外の階段を降りてきます。少し後にはオシャレが階段をのぼっていく。さらに少し後の場面、東郷先生がやはり屋外で、途中に踊り場のある別の階段を降りますが、横切った白いペルシャ猫をよけようとして転げ落ちることでしょう。
 オシャレのマンションには、広いガラス窓の向こうにバルコニーがあります。各ガラスの縁には傾斜がついており、そのため向こう側の眺めが歪んだり二重写しになったりします。


 ここまでの場面ですでに、画面には現われていない別の声がかぶさったり、カットのつなぎによって時間の経過が細かく飛躍したり、前後したりします。バルコニーのガラスに落ちていくスカーフという、別の空間が映ったりもする。目立った特撮だけでなく、こうした編集が以後全篇にわたって施されることで、映画以外ではありえない時空が成立するわけです。
 映画というもの自体も、編集・操作の対象から逃れられません。約14分、七人娘は出発、電車とバスに乗る間、オシャレが皆に伯母のことを物語るのですが、このシークエンスはモノクロの無声映画として字幕付きで示されます。単に話の一部が語り口を変えただけでなく、それを映画として見る娘たちの反応が観客の声として重ねられる。とするとこの映画全体はいったいどこに位置づければよいのか。観客から自律した物語世界という約束ごとは擾乱に落としこまれる、しかしこうしたメタ=レヴェルの侵入は、観念的な制度批判としてではなく、あくまで遊びとして取りこまれています。この点をどうとらえるかが、評価の分かれ道の一つとなるのかもしれません。
 ちなみに無声部分の途中で、モノクロのさなか薔薇、続いて棘に刺されて流れる血のみが赤くなります。後の場面にも見受けられますが、『ÉMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』に引き続いての『血とバラ』(1960)へのオマージュなのでしょう。

 約22分、丸く縁取られた中に、丘だか小山の上の屋敷が登場します。画面だけでは細部はわからなかったので、ここはいんちきをして、下掲の『キネマ旬報』710号の表紙やLDのライナー・ノーツの表紙に掲載された写真で補っておきましょう。
 中央右寄りに二階建ての棟、破風付きで、後の描写と照らしあわせると一階手前は半六角形になっているようです。右側はそのまま少し奥へ伸び、凹型の角を右へ曲がってやはり少し伸びる。左側はやはり少し奥へ、その後左へ一階建ての平屋が長めに伸びています。これも後の描写からすると、和様の部分にあたります。
 一行は道を進み、より近づいたところで屋敷を前にします。手前に和風の門、そこから左右に瓦を頂いた塀が伸びていく。その向こう、二階建ての棟が奥の角から左右手前へ少し伸びる。遠景での中央右寄りの部分にあたるわけです。左で一階建ての部分が少し見えますが、この時点ではよくわかりませんでした。
 門を抜け、庭を通って玄関に着くまで、石畳が敷いてあります。玄関の手前は地面からゆるい傾斜が設けてありました。

 約25分、玄関広間がかなり上から見下ろされます。最初は暗いのですが、伯母が声をかけるとシャンデリアが自動的にともります。広間は吹抜ですが、玄関側には一階分の高さの仕切りで、入ってすぐの控えの間、その左右に小部屋が設けてあるようです。玄関扉は控えの間の右に寄っている。玄関に向かって右手には戸口のような凹みがあって、後にここから包帯巻きの人体模型が転がりだすことでしょう。向かって左は医院だった頃の受付でしょうか。奥から見て手前の壁にはベンチが配されている。向かって右の仕切り、その手前には電話機が掛けてあります。玄関側の壁の手前には。二階の床の高さから下へ格子状の仕切りが下がっており、その向こうにはアーチらしきものものぞきます。このあたりは白塗りです。
 玄関側の向かいに左上がり、踊り場で折れて右上がりになる階段があります。この階段を上り下りする場面は後に何度か出てきて、その都度お話は重要な局面を迎えることでしょう。
 階段を下りた先、向かって右には衝立が置かれ、その向こうにガラス戸が見えます。
 また階段を降りた向かい、ベンチのの左側にガラス戸があり、その先がピアノの間です。ピアノの奥は半六角形になっていることが後にわかります。大きく窓が設けてあります。
 ピアノ附近を右とすれば、部屋はそのまま左に伸びており、もとは診療室だったとのことです。左側奥は仕切られ、寝台のある空間になっています。もと診療室なので骸骨の人体模型もあります。


 この時点ではどこにあるのかわからない、時計の鐘の音が響きます。
 続いて板敷きで幅の狭い廊下が奥へ伸びています。左側奥は庭に開け、左手前は障子戸、右は上半に窓を設けた壁で区切られている。手前を左に曲がった先が、台所でした。竈があります。
 台所の奥は土間で、右手の勝手口を出た先に井戸があります。このあたりは裏庭ということのようです。井戸の横にはなまこ壁の土蔵らしきものがあり、奥には小屋状の棟が見えます。後の場面からすると、このあたりに風呂場、手洗い、土蔵などが母屋からは独立ないし半独立して配されているらしい。

 かなり広く横に長い畳の間で食事となる。左奥が床の間で、これまでオシャレを導くかのように現われたり消えたりしたペルシャ猫のシロにそっくりな猫を描いた掛軸が飾ってあります。障子をはさんで手前は縁側の廊下で、その前が表の庭にあたるのでしょう。
 井戸へ行こうとしたファンタは、縁側廊下を左へ進み、奥で右に曲がります。その先が台所なのでしょう。ファンタの悲鳴に一同は台所の奥から現われます。勝手口の向かいになまこ壁が見える。

 途中に色とりどりの暖簾を掛けた廊下が奥へ伸びています。向きを逆にすると、廊下の突きあたりに蔵の頑丈そうな扉が見えます。また土蔵の手前でいったん2~3段下り、地面となる。踏み板が渡してあります。
 同じ廊下の暖簾の手前・左に入ると風呂場です。風呂は丸い桶状で、部屋の隅に寄せて配されています。隅の壁の上方、両側に窓がある。
 後にクンフーとガリは暖簾の手前、左から出てきてピアノ室に行くべく手前へ向かいます。ファンタは暖簾をくぐって奥へ、土蔵に向かう。この際廊下の左側が庭に開けていることがわかります。
 ファンタはさらに後に、暖簾をくぐり、廊下を手前へ、左に折れます。この時、右手前の壁には上向きの花を象ったかのような、障子張りの大きな窓が見えます。左に曲がって少し進んだ先が裏庭でした。手前左に手洗いがあります。この暖簾付きの廊下と、最初に台所へ行く時通った廊下とは、どうつながっているのでしょうか?

 約43分、風呂から上がったオシャレが暗い廊下を奥から手前へ進んでくる。カメラは右から左へ振られます。右手前に斜め格子、左奥に奥左へののぼり階段がありました。オシャレが背を向けてのぼると、カメラはそのまま上昇します。窓のある踊り場でこちら向きになる。踊り場の窓は、窓の外が平屋建ての部分となることに応じているわけです。
 切り替わると二階でした。右側の扉から中の部屋に入ります。三面鏡台があり、その向こうに花嫁装束が飾ってありました。


 約44分、メロディーがピアノの上の楽譜に目を止めます。メロディーに対し左に位置していたカメラは、右へと回りこみ、いったん停止、接近します。切り替わって今度は後退、左から右へ、メロディーの左からぐる~と廻ってピアノの奥へ、またズームインするのでした。『血ぬられた墓標』(1960)や『白い肌に狂う鞭』(1963)それぞれの各一幕が思い起こされるところです。

 二階のオシャレとピアノの間のメロディーが交互にとらえられます。オシャレが坐る鏡台の鏡に映るのは、まず冒頭での落ちていくスカーフ、続いて伯母、牙を生やした自分、また伯母に戻って苦悶の表情、そして鏡の表面が割れ、血が流れる。オシャレの顔にもひびが入り、からだの輪郭の内側だけが炎に満たされるのでした。
 他方メロディーの弾くピアノは不協和音に移行しだします。『女ドラキュラ』(1936)や『フランケンシュタインの館』(1944)、『ドラキュラとせむし女』(1945) が思い起こされるところです。
 また蔵に入ったスウィートは、布団の乱舞に見舞われるのでした。その都度シロの目がぴかっと光ります。


 一同が廊下を奥から手前へ進んできます。手前右に階段がある。先だってオシャレが通った際とは階段の位置が逆です。オシャレが出てきたのは以前映った、階段の右手にある衝立の向こうにあったガラス戸の奥の廊下、今回一同が出てきたのは和様広間の縁側から続く廊下ということになります。カメラも前回とは逆に左から右へ、次いで上昇して階段を登る一行をとらえます。
 二階の三面鏡の部屋でオシャレを見つけた一同は、階段を降ります。カメラは俯瞰、コマ落としです。一階で皆が電話機に向かうあたりでは、カメラは左右前後に揺れます。
 オシャレが警察に行くと玄関から出、ファンタはついていこうとしますが扉が開かない。一同は廊下を奥へ向かいます。ところが左の縁側で雨戸が次々と自動的に閉まってしまいます。この雨戸にはエピローグ部分で再会できることでしょう。
 雨戸のみならず、他の窓も次々に閉じていきます。約57分、外観が映され、窓から明かりが漏れていたのが、皆閉まって真っ暗になる。


 クンフーとガリが二階の鏡台の間に入ります。白無垢姿のオシャレがいました。ガリは『徒然の記』を見つけます。
 メロディーの奏でるピアノの音がまたしても変調を来し、骸骨標本が踊ります。
 クンフーはオシャレの後に続いて奥の扉から別室に入ります。そこに大時計がありました。
 クンフーとガリは階段を駈けおります。ピアノの間がほぼ真上から俯瞰される。


 大広間に戻ったクンフー、ガリ、ファンタ、そこに巨大なオシャレの横顔、続いて巨大唇、巨大眼が現われます。
 約1時間9分、アニメで描かれた屋敷が伸びあがり、花嫁装束の巨大オシャレに変じます。大広間ではポルターガイスト現象が起こり、クンフーと電話との死闘、庭に出てのクンフーと化猫との対決、また大広間に戻り、クライマックスへと至るのでした。
 この間、合流しようと愛車のバギーを走らせる東郷先生の道中が随時挿入されてきました。まずはファンタの夢想の中で白馬の王子さまとして登場、現実にはトラック野郎にからまれたりラーメン屋に立ち寄り、野原を経て西瓜売りのもとにたどり着くのでした。屋敷では先生はおばさまやこの家と約束していないと、ガリが喝破しています。先生が西瓜は嫌い、好きなのはバナナと答えたため、西瓜売りは骸骨に戻りますが、エピローグ部分でまた、アルチンボルド風バナナ人形になってしまった先生が映されることでしょう。
 他方大広間はクンフーの捨て身の一撃で畳の下から血の海が溢れだし、ガリは水に落ち、なぜかヌードになって溶けてしまう。ぷかぷか浮く畳にしがみついたファンタは、階段のもとへ流されてきます。そこにオシャレが降りてくるのでした。踊り場の壁は真っ赤です。


 約1時間19分、エピローグです。この部分はお得意のというべきか、いかにもCM調です。江馬涼子がオシャレを追って屋敷に来ます。西瓜屋の脇から小山の上に朝の屋敷をのぞみ、門の前に着きます。壁が白い。玄関で声をかけるも返事がないので左へ、表庭に入ります。四阿がある。奥に雨戸が横に長く並んでいます。一枚を開いて着物姿のオシャレが現われます。まず廊下の半ばほどで雨戸の列の左半分を左へす~と押していく。オシャレはからだは左向きのまま、首だけこちらを向いています。次いで残った右半分の雨戸の列をやはり左へやります。なかなかにあざやかな光景でした。

 以前気になったのは、電灯の笠に首から上を呑みこまれたクンフーの見る光景でした。漫画風の目を見開いた首の列に続いて、漫画や風景写真、髑髏などを背景に、それまでに喰われた娘たちの呼び声が響き、彼女たちのからだの断片が浮遊する空間が現われます。10年遅れのサイケデリックとでも呼べるでしょうか。LDのライナー・ノーツに掲載された父娘対談で、「『血とバラ』(61)の夢のシーンとそっくりなのが出てくる」と大林千茱萸(ちぐみ)が述べているのは、この部分のことでしょう(1ページ目の2段目)。下掲の『キネマ旬報』に掲載された脚本が実際に現場で使われた通りかどうかはともかく、該当箇所にはこのイメージのことは記されていませんでした(p.110)。
 深読みしたくならずにはいませんが、おそらくイメージがまずあり、意味づけなどされていなかったというのが妥当かと思われます。ただあえてこじつけるためには、まず、オシャレの巨大横顔が「私はオバちゃまの世界へきたの」という台詞が手がかりになるかもしれません(同上、p.108)。鏡台の前でオシャレは伯母にとってかわられたというのが順当な受けとり方なのでしょうが、この台詞を額面通りとるなら、おしゃれの人格も無に帰したのではないのかもしれない。エピローグ部分でおしゃれが涼子に告げる、「もうそろそろ起きてきますわ。みんなオナカがすいた頃ですもの」なる台詞で(同上、p.113)、「みんな」と複数が用いられるのは、オシャレだけでなく他の娘たちも何らかの形で存在し続けていることを物語るようにも見なせます。この箇所で奥の襖に複数の白猫の絵が描かれていたのが映ったのも、そうした事態を示唆していはしないか。お手玉が同じ箇所、遡って無声映画部分、その間で皆を残してオシャレが霧這う夜の庭に出た場面と三度登場しますが、夜の庭でのそれは、いかにも人魂のように映されていました。
 そしてこの集合霊は、娘たちだけから構成されているのでしょう。ファンタの最後の態度は、そこへ異和なく溶けこむことの前触れなのかもしれません。他方東郷先生が西瓜屋に告げられたように、「約束したのはただひとり、ただひとり。お前じゃないよ」(同上、p.111)とあって、そこに迎えいれられるべき男性は一人だけ、そして彼は永遠に来ない。永遠の待機の中にある集合霊は、しかしそれぞれ統合された人格をなすのではなく、クンフーが見た光景にあり、またマックやメロディー、そしてクンフーもそうなったように、断片化したまま呼び交わしあっているのかもしれません。本作における音声やカットが交差する編集は、そうしたあり方に呼応しているとでもとらえられるでしょうか。


 深読みはさておき、『血とバラ』を始めとした吸血鬼のイメージとともに、シロが大活躍する化猫映画でも本作はあります。化猫女優として一世を風靡した入江たか子を(→『怪談佐賀屋敷』(1953)、『怪猫有馬御殿』(1953)、『怪猫岡崎騒動』(1954)など参照)、後に『時をかける少女』や『廃市』で大林は出演させますが、あまつさえTV用に化猫映画『麗猫伝説』(1983/8/30放映)を監督することになるでしょう。
 また固有名がなく、あだ名でのみ呼ばれる七人の娘が古い屋敷を訪れるという点は、食いしん坊のマックが中にいることもあって、本サイトでは『淫虐地獄』(1971)でお馴染み、〈七つの大罪〉を連想させなくもありません。もっとも本作の七人娘は、罪どころか、生身の中学生ならなにがしか抱えていてもおかしくない何らかの陰をいっさい感じさせない。これを〈記号的〉という形容で呼んでいいものかどうか、今ひとつしっくり来ませんが、伯母も含めて他の人物たちも、いわゆる悪役ではなく、むしろ善悪の二項対立をそもそも視野に入れていないと見なすべきなのでしょう。
 そんな中で娘たちが走り回り化猫が跳梁しポルターガイストが跳ね回り、ついには家自体が妖怪化するために、階段広間と和様大広間を結ぶ長い廊下を軸に構成された空間が必須だったのではありますまいか。この廊下は端で右に折れ曲がり、位置関係はいま一つはっきりしないものの、台所や風呂場、裏庭へと達します。風呂場のある屋敷の裏側からは別の廊下が階段の右手につながっており、二階には鏡台の間やその奥の時計の間などが配される。タイトルに恥じない複雑さをこの屋敷は有しているわけです。

Cf.,  『キネマ旬報』、no.710、1977.6月下旬号
  pp.21-27:「HOUSE CM界の鬼才・大林宣彦が描く恐怖とファンタジーの世界」
  pp.82-85:石上三登志、「日本映画待望の新しいエンタテイナー大林宣彦」
  pp.86-91:内海陽子・野村正昭、絵・写真:宮崎祐治、「読者によるHOUSE撮影見学記」
  pp.92-113:「HOUSE 脚本・桂千穂」


『HOUSE ハウス オリジナル・サウンドトラック』、日本コロンビア、1977、ライナー・ノーツ

友成純一、「幽霊屋敷は玩具箱」、『内臓幻想』、1993、pp.79-86

石原良太・野村正昭責任編集、『A MOVIE・大林宣彦』(シネアルバム 120)、芳賀書店、1986、pp.100-106、など

レーザーディスク『HOUSE ハウス』、東宝、1997、ライナー・ノーツ
  父・大林宣彦+娘・千茱萸対談、「あれから20年… 『ハウス』なふたり」
  鈴木啓之、「『HOUSE ハウス』の少女たち」


浦山珠夫、「HOUSE ハウス」、『最恐ホラー大全【邦画編】』、2004、p.74

余談になりますが、同じ年に日本で公開された(1977年4月23日)
『家』、1976、監督:ダン・カーティス
は、邦題で本作に通じるのみならず(原題は Burnt Offerings )、主題にも共通点があります。ともに〈お屋敷回春映画〉とでも呼べるでしょうか。ただ本作の公開は1977年7月30日なので、あくまで偶然なのでしょう。他方、原題が House なのが;
『ガバリン』、1985、監督:スティーヴ・マイナー
お屋敷は回春こそしませんが、お化け屋敷映画ではあります。

 2017/10/22 以後、随時修正・追補
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