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怪談佐賀屋敷

    1953年、日本 
 監督   荒井良平 
撮影   牧田行正 
編集   宮田味津三 
 美術   川村鬼世志
 照明   島崎一二
    約1時間37分 
画面比:横×縦   1.37:1 
    モノクロ 

DVD
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 本サイトではすでに『薮の中の黒猫』(1968)、また『HOUSE ハウス』(1977)で化猫映画にふれましたが、さらに、ポー原作と称しつつほとんど関係のない『黒猫』(1934)、こちらは比較的原作に近いコーマンの『怪異ミイラの恐怖/黒猫の怨霊/人妻を眠らす妖術』中の第二話(1962)、やはりコーマンのポー連作『黒猫の棲む館』(1964)、そして『ジェーン・バーキン in ヴェルヴェットの森』(1973)などが猫にまつわる作品でした。
 そこでまっとうな化猫映画を見ることにしましょう。本作は入江たか子が化猫を演じた最初の作品です。無声映画時代から製作されてきた化猫映画の歴史や、やはり無声映画時代から女優として活動してきた入江たか子、また江戸時代末期から芝居や講談の題材になったという鍋島の化猫騒動については、下の cf. に挙げた資料等を参照ください。ここでは例によって、本篇中登場する三つの屋敷を垣間見ることにしましょう。

 肥前の国佐賀藩の藩主鍋島丹後守(澤村國太郎。大映化猫映画の三作目『怪猫岡崎騒動』(1954)にも出演)は世継ぎに恵まれせんでした。家老磯早豊前(杉山晶三九。『甲賀屋敷』(1949)に出ていたとのこと。続く『怪猫有馬御殿』(1953)、『怪猫岡崎騒動』(1954)に入江たか子、板東好太郎ともども続投、後には『大魔神』(1966、監督:安田公義)、『大魔神怒る』(1966、監督:三隅研次)などに出演します)は妹お豊(入江たか子)を側室に推していますが、丹後守は碁の相手でもある検校・龍造寺又一郎(南條新太郎。三作目『怪猫岡崎騒動』(1954)にも出演)の妹お冬(伏見和子)に目をつける。しかしお冬は小森半左ヱ門(板東好太郎。『地獄門』(1953、監督:衣笠貞之助)などにも出演)を憎からず思っていたこともあって、妾はちょっとと断ります。その隙にお豊が側室の座につくものの、碁の席でいかさまを咎められた丹後守は思わず又一郎を手討ちにしてしまいます。同席していた豊前がとどめを刺し、亡骸を城中の井戸に投げこむのでした。
 行方知れずの息子を案ずる母・お政の方(毛利菊江。『雨月物語』(1953、監督:溝口健二)や『地獄門』(1953、監督:衣笠貞之助)、『地獄』(1979、監督:神代辰巳)などに出演)のもとに又一郎の亡霊が現われ無念を訴えます。お政の方は祟りなさんと自害し、その血を又一郎になついていた猫こまが舐める。
 ここまでで約44分、それ以来丹後守は又一郎の怨霊に悩まされる一方、豊前の母・杉江(浪花千栄子。三作目『怪猫岡崎騒動』(1954)、また『蜘蛛巣城』(1957)に妖婆役で出演)の様子がおかしくなります。杉江が行灯の油を舐める姿を見た豊前の妻・お浪(大美輝子。続く『怪猫有馬御殿』(1953)にも出演。『雨月物語』(1953)にも出ていたとのこと)は首筋を咬まれ、操り人形よろしくアクロバットをさせられますが、豊前の手によって杉江は切り伏せられる。しかしこまは今度はお豊に取り憑くのでした。


 以上がおおまかな粗筋です。
 冒頭、お城の外観が映りますが、これはマット画でした。手前に城門でしょうか、奥へ濠が伸び、その右手、石垣の上に白い塀が続き、奥の角に天守が聳えます。切り替わると奥へ帯びる道の先に門、その向こう、左に櫓がのぞく。また切り替わればやはり道の奥の門ですが、櫓門となっています。塀の向こうには木立と瓦屋根がのぞきます。いずれも門の方に人々が向かっていました。
 敷地内での出店の数々、茶室に続いて城内の館、謁見の間とでも呼べましょうか、床の間側が一段高くなった部屋で丹後守と又一郎が会談します。この部屋は襖といい衝立といい天袋といい、すべて大和絵風山水画で飾られており、いささかうるさいほどでした。


 次に豊前の屋敷内に舞台は移ります。豊前が縁側からおりると、庭をはさんで向かいにまた部屋がある。その脇には障子で囲われた小さな温室のようなものがありました。こちら側の部屋は豊前の母・杉江が使っています。ここは後半の重要な舞台の一つとなることでしょう。

 今度は龍造寺の屋敷です。又一郎、お冬、お政の方がいるのは角に当たるらしく、向こうに縁側の廊下、庭となる。奥の塀に小門が設けてありました。後の場面で角を曲がった先の縁側廊下も映ることでしょう。
 同じく後の場面で、縁側廊下が角の反対側までずっと伸び、左右に伸びる廊下に突き当たることがわかります。こちらの廊下の右側は壁に塞がれ、横桟の窓が開いています。さらに右は障子戸でしょうか。廊下を奥へ進み、突きあたりを右へ曲がれば玄関の方へ向かうわけです。廊下の縁側は板張りですが、部屋側は畳張りの入側でしょうか。廊下は部屋から一段低い。とまれこの廊下を何度か、登場人物たちが入ってきたり出ていったりすることになります。
 また角部屋から縁側廊下に平行して障子で区切ることのできる部屋が幾間か連なり、同じくそちらと垂直方向にも部屋が続くらしい。
 屋敷の正門の前は2段ほどの幅の広い階段で、中央にはゆるい傾斜が設けてあります。

 城内に戻って、丹後守と又一郎が碁を競う部屋が登場します。床の間とは反対の襖を開くと一段下がってもう一つ控えの間が続くのですが、その向こう、板敷きの廊下となり、右手がやや斜めに3段ののぼり階段で、別の廊下へとつながります。この段差と角度が面白いところでした。
 床の間から見て右手は、縁側の廊下となります。欄干付きです。こちらを小森に手を引かれて又一郎は左へ退出します。後の場面で、小姓に手を引かれた又一郎が厠から戻ってくるのが右方でした。
 約23分、カメラが左から右へ振られると、庭をはさんで縁側廊下が左から右へ続いています。その奥は障子戸が連なる。途中で手前に直交する廊下があり、そこを少し進んで向かって右側が碁の間でした。


 一方3段の斜めのぼり階段をあがった丹後守は小姓たちを引き連れ、切り替わると奥の角の右から出てきて、左奥から右手前への縁側廊下を進みます。向かって左が庭で、やはり縁側には欄干がついています。すぐに3段ほど下がって縁側に渡り廊下が直交しています。屋根付きです。その手前、縁側廊下は庭寄りが一段低くなっていました。手前側の欄干は奥のものより庭側に出ていますが、ここは短い。この手前で向かって右に曲がれば、段差の間でした。カメラは左から右へと振られます。段差の間も廊下より一段高い。
 すぐ次の場面で、縁側廊下の手前側、いったん途切れて庭への降り口となり、さらに手前でまた欄干が再開していました。降り口の地面には踏み石が置いてあります。


 城の塀の近くに井戸があります。左手に櫓がのぞく。井戸からは声がしたり蓋が勝手に開いたり人魂らしきものが飛びだしたりすることでしょう。

 惨劇の翌朝、約31分、低い位置にあるカメラがとらえるのは、手前から右奥に天井付き渡り廊下が伸び、途中で左右に伸びる廊下と直交します。その向こう、手前の廊下から左にずれて、奥への廊下が続く。この廊下の左手は障子戸で囲われた棟ですが、右奥および左右手前はいずれも庭です。ここを手前から背を向けた小森が奥へ、奥からは又三郎の亡骸隠蔽を手伝わされた「方々」が進んできます。追って豊前もやって来る。
 手前の廊下を逆に奥から見れば、突きあたりは左右に伸びる廊下でした。その向こうは板戸が連なっています。
 このジグザグ廊下には約49分で再会できることでしょう。やはり昼間です。

 約42分、奥から手前へ、ゆるい下り坂を龍造寺家に仕える石田喜兵ヱ(横山文彦。『雨月物語』(1953)に出ていたとのこと)が進んできます。手前で左へ、カメラも左から右へ振られる。曲がり角には「瀧谷山 吟松寺」の石碑があり、ほぼ180度廻れば奥へ、途中でゆるく曲がる石畳が続き、寺門となる(ウェブで検索すると、この場所は実在していました。京都市北区鷹峯千束町。ただし石碑には「浄土宗 吟松寺」とある)。ここにお冬が身を寄せているのでした。

 お豊懐妊を祝う庭での宴に巨大猫が現われ、丹後守が一太刀浴びせます。血の跡を辿ってきた小森は豊前の屋敷にたどり着く。以前にも出てきた縁側から向かいの小温室および杉江の部屋までの間に飛び石のあることがわかります。杉江の部屋の障子にぼんやりした影が落ち、向こう側から障子に近づいてくるとくっきりした輪郭を描きます。出てきた杉江が障子を閉めると、くっきりした影が輪郭をぼやかせる。このあたりから障子に映る影が大活躍することでしょう。
 同じ夜、豊前の妻・お浪はまた庭を横切ります。カメラは左から右へ平行移動する。障子に開いた穴からのぞくと、行灯に大きな猫の首の影が落ちていました。物音を立ててしまうと、障子にぼんやりした影が大きく、近づけばくっきりします。障子を開いた杉江は変化しており、「見たな。見たであろう」と言って猫手で引き寄せ、お浪の首に咬みつくのでした。
 杉江が猫手でお浪にアクロバットをさせてじゃれていると、帰ってきた豊前が障子に映るその影を見ます。豊前の悲痛な表情は、彼こそ実質的な主役であることを物語っているのではないでしょうか。豊前は杉江を何とか切り伏せますが、そのからだから人魂状のものが浮きあがって飛んでいく。

 襖に又一郎の影が落ちたかと思って刃を浴びせれば腰元だったりと、丹波守が狂乱し衰弱する一方、お豊が夜、池の端に立っていた姿を怪しんだ小森は、腰元である妹のお露(若杉曜子。三作目『怪猫岡崎騒動』(1954)にも出演)に様子を探らせます。約1時間16分、障子の影がまずお豊のもの、続いてお露のものが映り、カメラが早めの速度で右から左へ振られると、お豊が廊下を進んできます。廊下右手は短い橋状になっているようで、欄干があり一段高い。そこを渡って左手前へ進めば、カメラも右から左へ振られる。また障子にお露の影が浮かびます。お露は右へ向かい、お豊の部屋の枕元に鯉を置く。一方丹波守の枕元の窓の障子には化猫の影が落ちていました。お豊が廊下を左手前から右奥へ戻っていきます。

 お豊を問いつめる豊前に対し、お豊は高笑いします。豊前を猫操りするお豊の影が障子に落ちます。お豊の部屋が、廊下の短い橋を渡ってすぐ左にあることがわかります。飛びだした豊前は橋を渡らず、そのまま右へ、井戸の近くに出ます。井戸から塀までの間に、数段横に伸びるのぼり階段のあることがわかります。
 薙刀を手にした腰元衆が奥の廊下を左へ進み、曲がって短い橋を渡り手前へやって来ます。小森とお露が庭に出て咬み殺された豊前を見つける一方、お豊化猫は丹波守の寝所を襲う。小森を始めとする多勢に対するお豊化猫一匹=一人とあっては、後者を応援するしかありますまい。捕物というよりは狩りの相と見るべきか。縁側の廊下から庭へ、縁側に直交する渡し廊下へと飛び回ります。ここは昼間ジグザグ廊下だったところなのでしょうか。


 腰元二人、豊前の母と妻、妹お豊が咎なくして犠牲になりながら、丹波守が最終的に助かるのは、今となってはむしろ興味深い点でしょう。ここに当時の日本の社会における階級なり、家や国といったものに対するとらえ方を深読みすることもできるかもしれません。又一郎の母お政の方の恨みも、肉親への情だけでなく家の問題に負うところが大きいものと思われます。二人の母親もさることながら、兄-妹という組みあわせが三組も登場するのは何か訳でもあるのでしょうか。他方化猫の見境の無さは、怨念の自動運動化したものとも、獣なり妖かしの人ならざることに由来するともとれる。
 そんな中、小森とお冬がお人形的なのは善玉主人公の常だとして、いかにも器の小さげな丹波守、とりわけ、母や妻を失なってなお野望を断念しない豊前がひねりのあるキャラクターとなっていました。しかし注目すべきは、一度は地のままで、一度は化猫としてとはいえ、豊前をあざ笑ったお豊なのかもしれません。
 とまれそれらを合わせて出来せしめたのは、連なる畳の間、影を落とす障子、そして伸びては交わる廊下にほかなりますまい。

Cf.,  日本特撮・幻想映画全集』、1997、p.48

泉速之、『銀幕の百怪 本朝怪奇映画大概』、2000、pp.151-152

『大映特撮映画 DVDコレクション 25 怪談佐賀屋敷 1953年』、デアゴスティーニ・ジャパン、2015/9/1


Cf.cf.

日本恐怖(ホラー)映画への招待』(別冊太陽)、2000、pp.46-56

志村三代子、「転換期の田中絹代と入江たか子 - 化猫と女優の言説をめぐって」、斎藤綾子編、『映画と身体/性 日本映画史叢書⑥』、森話社、2006、pp.79-110

志村三代子、「怪猫映画の系譜学」、一柳廣孝・吉田司雄編、『妖怪は繁殖する』(ナイトメア叢書 3)、青弓社、2006、pp.117-130

志村三代子、「怪物化する女優たち - 猫と蛇をめぐる表象」、内山一樹編、『怪奇と幻想への回路 怪談からJホラーへ 日本映画史叢書⑧』、2008、pp.171-194
 2017/10/25 以後、随時修正・追補
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