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ウルトラQ 第9話 クモ男爵

    1966年2月27日放映、日本    特殊技術
 監督   円谷一   特技監督 小泉一 
撮影   内海正治  撮影 高野宏一 
編集   氷見正久  光学撮影 中野稔 
 美術   清水喜代志  美術 井上泰幸 
 照明   小林和夫  照明 堀江養助
    約25分31秒 
画面比:横×縦    1.33:1 
    モノクロ 

ケーブルテレビで放映
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 いささか間があいてしまいましたが、昨秋豊田市美術館で開かれた『蜘蛛の糸 クモがつむぐ美の系譜 - 江戸から現代へ』展(2016/10/15-12/25)は何くれと面白い展覧会でした。蒔絵や着物などに蜘蛛の巣が登場するのは、文様・装飾というものをとらえるためにも勉強になったことです。
 〈土蜘蛛〉も欠けてはいませんでした。副題にある通り出品作は江戸時代以降のものですが、今村紫紅による南北朝時代の《土蜘蛛草子》の模写(cat.no.43)が出品され、江戸以前の捉え方も垣間見ることができます。それ以外に月岡芳年の《源頼光土蜘蛛ヲ切ル図》(cat.no.42)、また松岡緑堂《百鬼夜行之図》(cat.no.50)などが妖怪化した蜘蛛の雄姿を拝ませてくれました。
 ベラスケスの《織女たち - アラクネーの寓話》(1657年頃、プラド美術館蔵)やマン・レイの《クモの巣の上のヌード》(1970年、シルクスクリーン、1930年の写真《コンポジション》も参照)はさておき、大蜘蛛といえばクラーク・アシュトン・スミスの「七つの呪い」で初登場(大瀧啓祐訳、『ヒュペルボレオス極北神怪譚』(創元推理文庫、東京創元社、2011)所収、その内 pp.32-35)、以後クトゥルー神話の一柱となり、新庄節美『地下道の悪魔』(ファンタジック・ミステリー館、学研、2002)で主役を張ったアトラク=ナカ(ナクァ、ナチャ)も思い浮かびますが(森瀬繚、『ゲームシナリオのための クトゥルー神話事典』、ソフトバンク クリエイティブ、2013、pp.86-87 も参照)、より馴染み深いのは『世紀の怪物 タランチュラの襲撃』(1955、監督:ジャック・アーノルド)でしょう。
 今となっては最後の方にクリント・イーストウッドが爆撃機のパイロット役でちらっと出演していることで知られているのかもしれませんが、実写の蜘蛛と風景を合成したというその姿は、当時の技術のせいもあってか、もわっと輪郭の定まらなさがかえって、この世のものならぬ存在感を放っていました。細部まで克明に見えていたらこの感じは出なかったはずです。なお本作は、ヒロインが秘密を抱えた辺境の屋敷に到着するところから始まるという、古式ゆかしいゴシック・ロマンスの定番に則っています。
 思い起こせば朧気ながら、『ターザン砂漠へ行く』(1943、監督:ウィリアム・シール)にも大蜘蛛が出てきたような気がしますし、本サイトでとりあげた作品なら『バグダッドの盗賊』(1940)でちょこっと、また『惨殺の古城』(1965)と『悪魔の凌辱』(1974)にはとても情けない大きめの蜘蛛が登場しました。蜘蛛の巣だけなら、本サイト言及作のあちこちで登場人物の顔にひっかかり、巨大な蜘蛛の巣も『呪いの館』(1966)で主人公を貼りつかせています。この他大蜘蛛映画というのは思いのほかいろいろと製作されているらしいのですが、見る機会のあったものとして『スパイダーパニック!』(2002、監督:エロリー・エルカイェム)を挙げておきましょう。
 今となってはスカーレット・ヨハンソンがヤンキー娘役で助演していることで知られているのかもしれませんが、CGのさまざまな大蜘蛛がぴょんぴょん跳ねながらうじゃうじゃ出てきます。ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(1978)よろしくショッピング・モールがクライマックスの舞台となり、廃坑も登場、何にせよ景気のいい作品でした。
 他方日本の大蜘蛛に戻れば、『怪竜大決戦』(1966、監督:山内鉄也)や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967、監督:福田純)、たしか巨大化はしなかったような気がしますがよく憶えていない、『蜘蛛 現代怪奇サスペンス』(1986/8/11放映、監督:石井輝男、原作:遠藤周作)なんてのもありました。近くは黒沢清の『蟲たちの家 楳図かずお恐怖劇場』(2005)にCGの大蜘蛛が出てきました。しかし何といっても筆頭にあげるべきは『ウルトラQ』第9話、「クモ男爵」にほかなりますまい。お屋敷が舞台ではあり、同じく円谷プロが製作した『怪奇!巨大蜘蛛の館』(1978/8/26放映、監督:岡村精)とあわせ、再見することにしましょう。

 円谷英二率いる円谷プロダクションが製作、1966年1月から7月まで放映された『ウルトラQ』は、放映前に全28話の制作を終えており、当初SFから怪奇色の濃いものまでヴァラエティーに富んだ路線をめざしていましたが、途中から怪獣ものに舵を切りなおし、それがヒット、続く『ウルトラマン』(1966/7-'67/4)や『ウルトラセブン』(1967/10-'68/9)につながっていきました。制作順では13番目にあたる「第9話 クモ男爵」は怪獣路線に切り換える前の最後の脚本とのことで、大蜘蛛が登場するとはいえ、典型的な怪獣ものとは少し毛色が違っています。
 SF作家と航空会社のパイロットの二足のわらじを履く万城目淳(佐原健二)、その後輩戸川一平(西條康彦)、新聞社のカメラマン江戸川由利子(桜井浩子)をレギュラーとして、この三人が怪事件に遭遇するというのがシリーズの基本ですが、新聞社に所属する由利子はともかく、航空会社に勤める万城目と一平がなぜいつも首を突っこむのか・突っこめるのかというのは、気にし出せば毎回事件に出くわす名探偵以上に不自然と見なせなくもなく、それが『ウルトラマン』での科学特捜隊や『ウルトラセブン』における地球防衛軍およびウルトラ警備隊といった設定を引き寄せたのでしょうが、本作では、友人たちとパーティーに参加した帰りというところから始まり、仕事から離れた時間という点、他の友人三人といっしょにいるという点で、微妙に享楽的な雰囲気をかぎとれなくもありません。これは残り三人の内、沼に落ちて終始熱を出している竹原(鶴賀二郎)を除く、今日子(若林映子)と詩人の葉山(滝田悠介)によるところも小さくありますまい。
 今日子はとりたてて目立った動きを示すわけでもありませんが、何やら存在感を発しています。男性陣は「ちゃん」づけなのに、由利子だけは「さん」で呼んでいました。キャストで佐原健二の次、西條康彦と桜井浩子の前に並べられている若林映子は、本サイトでも既に『大盗賊』(1963)や『奇巌城の冒険』(1966)で出くわしていますが、『キングコング対ゴジラ』(1962、監督:本多猪四郎)や『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964、同)、何より『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964、同)でお馴染みです(ちなみに必ずしも評価の高くないらしい、とはいえ個人的には大いにお気に入りの『ドゴラ』について、次の原稿で触れたことがありました;「秋岡美帆『光の間01-1-15-4』(館蔵品から)」、『ひる・ういんど』、no.74、2003.3.31 [ < 三重県立美術館のサイト ])。
 細身で顎髭、縦縞の上着といういでたちの葉山は、ポーの詩を口ずさんだりします(下掲の小野俊太郎『ウルトラQの精神史』、pp.174-175 参照)。鋭敏だとか孤高だとかというにはいささか明朗快活です。彼らに何やらどろどろした陰が嗅ぎとれるというわけではない。にもかかわらずこの二人がいることで、レギュラー三人も服装を含め、普段とまったく同じ姿勢ではないようなのでした。


 こうした六人が道に迷った末にたどりついた無人の屋敷で、二匹の大蜘蛛に遭遇するという筋立ては、ゴシック・ロマンスの結構をなぞっています。蜘蛛たちが滅びるとともに炎上した屋敷が底無し沼に沈むという結末は、小野俊太郎がいうようにポーの「アッシャー家の崩壊」を連想させずにいません(『ウルトラQの精神史』、p.175)。館崩壊の視覚的な面では、エプスタンの『アッシャー家の末裔』(1928)といわないまでも、1960年9月に日本で公開されたコーマンの『アッシャー家の惨劇』は、なにがしか念頭に置かれていたのかもしれません。プロローグ部分と本篇との間に時間がどのくらい経ったのかはっきりしませんが、双方夜の出来事であり、少なくとも本篇は一夜の内に起こります。

 準備稿になく決定稿で追加されたプロローグは(脚本は金城哲夫。下掲のヤマダ・マサミ著、資料:西村祐次、『ウルトラQ 伝説』、pp.240-241)は灯台の中で繰りひろげられます。灯りに異常があるという通報を受けて灯台守が階段をあがっていくさまが下から見上げられる。鉄製の階段は上まで一続きではなく、塔の中は何階かに床で区切られていました。床のあるところには窓もついています。
 階段をあがる行動は、灯台守の悲鳴を聞きつけた台長によって反復されます。最初の灯台守の時より少し下から出てきて、やはりカメラが首を振るとともに下から見上げられる。中央に大きな円柱のあることがわかります。
 二人の人間が下から上へあがるのに対し、上からは大蜘蛛が降りてくる。階段映画のお手本というべきでしょうか。またいささか深読みになるかもしれませんが、灯台での上下構造は本篇での館のそれに対応すると見なせなくもありません。二度目の際には下からの光で壁に階段の影が大きく映るさまも、本篇の館内の場面の最後近くで落ちる、階段の欄干の妙に歪んだ影に応じていました。

 大蜘蛛のアップとともにタイトル・バックになりますが、その時映るのは蜘蛛の巣に覆われた館内の数カ所です。二台の車に乗った六人が道の迷った様子を描くところでは、霧の中、灯台の灯が見えると語られます。
 底無し沼の場面を経て、「灯りが見える」という今日子の台詞とともに、カメラが右から左へ撫でると、木越しに館の外観が映されます。二階建てに屋根、屋根からは煙突が数本突きで、玄関ポーチが少し前にせりだしている。井上泰幸によるデザイン・スケッチが、安丸信行が作ったミニチュアの写真とあわせ、下掲の『総天然色ウルトラQ 公式ガイドブック』(2012、p.69)に掲載されています。それを見ると玄関のすぐ右は小塔のようになっていました。「目黒の辺りにあった建物をモデルにデザインした」とのことです(同上)。
 スケッチにもある丸太を数本縦に並べ、途切れた先では横にずらしてまた丸太が伸びる橋を渡って、一行は玄関の前にたどりつく。地面から玄関まで数段のぼるようになっています。


 中に入ると広間で、左に玄関、突っ切って右に上への階段がある。向かって中央奥、少しくぼまって暖炉があり、その上には肖像画らしきものがかかっているようですが、絵柄はよく見えません。広間は二階分の吹抜になっています。
 右奥の階段は壁に向かって半階分あがった後、左右に枝分かれします。万城目が右への上半階段をあがってくると、奥に左への階段が映り、あがった先では少し奥に廊下が伸びて突きあたりに扉、その少し前・右から光が射しているように見えます。「今から90年くらい前」とクモ男爵の伝説を万城目が語りだす場面を経て(仮に1965年から数えると1875年=明治8年)、万城目は再び、薬を探しに階段をのぼります。今度は左に折れる。突きあたりではなく、右の壁にも扉があったようで、そこを開いて中に入る。廊下の天井に階段の欄干の影が落ちています。
 間に葉山の薪探し行をはさんで、万城目に戻ると、部屋にはカーテンと装飾的な窓がありました。カーテンは風に揺れ、霧笛の音が響いてきます。窓から遠くに灯台が見える。ここは寝室で、天蓋付きの寝台がありました。


 万城目の行動が館の〈上〉に向かったのに対し、まずは葉山が〈下〉を目指します。広間の階段のわきあたりでしょうか、扉を開いて左から右へ向かう。左側で皿が並んでおり、台所らしい。右手は何もない無愛想な壁だけです。水の落ちる音と声が響きます。
 間に寝室での万城目の場面をはさんで、葉山は下への狭い階段をおります。酒蔵のようで、樽の上にオカリナが置いてありました。
 いったん広間に戻ると、息が白くなっています。一平がオカリナでいささか起伏の乏しい旋律を奏で、女性陣にいやがられて口を離しても、音が鳴り続けるという素敵な一幕がありました。
 葉山がまた酒蔵へおりる一方、今日子は台所に向かいます。蠟燭を手に数段おりる。葉山の悲鳴に万城目たちが酒蔵に駆けつける際も、それぞれ蠟燭を手にしていました。


 寝室、酒蔵と台所での大蜘蛛の登場、広間での立ち回りを経て、一行が館から逃げだすと、丸太橋は沈みかけていました。熱を出していた竹原もなぜか動けるようになっています。追ってきたもう一匹の大蜘蛛との攻防を経て、館が崩壊する際に音楽はなく、軋む音と鳥の羽ばたきと鳴き声だけが響きます。

 現存する生物を大きくしただけの怪獣はとかく魅力を減じがちですが、石井清四郎の操演による大蜘蛛は、着ぐるみ怪獣ではえてして免れかたい二足歩行の擬人性から脱しています。脚の先が地面につくかつかないかという浮遊感も、これに与っているのでしょう。準備稿で登場した謎の女と老人は決定稿では削られました。このように大蜘蛛と人間を結びつける要素が廃されているにもかかわらず、今回あらためて見直すと、二匹の大蜘蛛にはある種の同情が寄せられているように思われます。大蜘蛛が人間大で、ナイフの一撃や車の体当たりで倒されてしまうという弱さもさることながら、人間たちこそが館への闖入者にほかならず、館内での襲撃は縄張りの防御にすぎず、館外への追跡は連れを殺された悲憤によるものと見える。「あなたの庭先で、夜蜘蛛に出会っても、どうぞそっとしておいてください」という結びの石坂浩二によるナレーションも、そうした基調に添うているのでしょう。
 これは子供向け番組という要請によるのでしょうが、六人の内誰も犠牲者にならないというのも、今となっては新鮮かもしれません。もっともプロローグでの二人がどうなったかは語られないのですが。


 余談になりますが、クライマックスで、館の外まで一行を追ってきた大蜘蛛は複数いたとずっと思いこんでいました。いつもの記憶違いであります。
 また関係のない話ですが、とある知人が、かつて古くて大きな家を借りていた頃、しばらく続いた出張から帰って部屋に入ると、たとえでも何でもなく、「蜘蛛の子を散らす」さまを実見したことがあるそうです。小蜘蛛の群れが波のようにざざっと引いたとか。その知人の話はとかく数割増しになる傾向があるともっぱらの評判なのですが、なにがしか核になる経験はあったのかもしれません。
 そういえば、当方も大蜘蛛の夢だか何かを見たことがあった - あるいは少なくとも、そういう記憶が残っています。この件については次の原稿に記しました;
とくべつふろく」、 『子ども美術館Part2 こわいって何だろう?』ガイドブック、1997.7 [ < 三重県立美術館のサイト ]

Cf.,  ヤマダ・マサミ著、資料:西村祐次、『ウルトラQ 伝説』、アスキー、1998、pp.58-59、240-241

『総天然色ウルトラQ 公式ガイドブック』、角川書店、2012、pp.20-21、69

白石雅彦、『「ウルトラQ」の誕生』、双葉社、2016、pp.175-176

小野俊太郎、『ウルトラQの精神史』(フィギュール彩 64)、彩流社、2016、pp.171-175

篇中葉山が口にするポーの詩は日夏耿之介による訳(冒頭の5行);

日夏耿之介、『ポオ詩集 サロメ』(現代日本の翻訳)(講談社文芸文庫 ひE1)、講談社、1995、pp.111-118:「ユウラリウム - 譚歌」
(『日夏耿之介全集 第七巻』、河出書房新社、1977 が底本とのこと、p.230。他に『ポオ詩集』、創元社、1950 などにも掲載か?、p.211)

別訳が;


福永武彦訳、「ウラリューム - 譚詩」、『ポオ全集 3』、東京創元新社、1970、pp.154-159

原著は
Edgar Allan Poe, "Ulalume - A Ballad", 1847

なおポーについては→「viii. エドガー・アラン・ポー(1809-1849)など」(<「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」<「宇宙論の歴史、孫引きガイド」)も参照
 2017/09/11 以後、随時修正・追補
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