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アッシャー家の末裔
La chute de la maison Usher
    1928年、フランス 
 監督   ジャン・エプスタン 
撮影   ジョルジュ・リュカ、ジャン・リュカ 
 美術   ピエール・ケフェル 
    約47分* 
画面比:横×縦    1.33:1 
    モノクロ(部分ごとにフィルムに着色)、サイレント 

DVD
* [ IMDb ]によると、1時間3分になっています。

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 エドガー・アラン・ポーの短篇「アッシャー家の崩壊」(1839)を映画化した早い時期の作品の一つ。いかにも渺々たる雰囲気に満ちています。

 古城探訪のお話の一パターンというべきか、ここでも先だって居酒屋の場面が設けられているのですが、その際人物同士を対角線に配置するのが気になったところ、続く館の場面では、両手をおもいきりアップで撮ったかと思うと、やたらに広い広間が引きで対比され、遠近の対比が随所で用いられているようです。しかしそんなことはじき気にならなくなってしまいます。
 旅人が館に到着すると、まずは霧の中に館が浮かぶというか、館が霧に呑まれんとしているのですが、これはいかにも模型でした。しかしこの模型が、終盤で重要な役割を演じます。

 次いで玄関先はどこかでロケしたのでしょう、しっかりした石の欄干付き階段から入って、玄関広間がしかしこれまただだっ広い。最初わからなかったのですが、右奥にスロープがあって、その上左にずれた所にさらに奥に向かうスロープがある。下方に当主や旅人がいる一方、彼らから切り離されているかのように、左上のスロープには人物が一人手前の方に歩いてくる。ここが周囲より明るいため、鏡かスクリーンにでも映っているかのごとく見えたのでした。
 後の場面からするとスロープと見えたのは普通の階段で(とはいえ手すり代わりの植物状柱とそれらをつなぐ鎖は充分奇妙なのですが)、右に中二階までの階段があり、そこから踊り場というか廊下が左に伸びて、左で中二階から二階へ階段が続いている、ということになっているようです。
 階段を上りきると長い廊下で、カーテンが風にたなびいている。この廊下・カーテン・風という組みあわせは、この作品において単なるつなぎに留まらず、イメージの核の一つにまで昇格されています。

 そして廊下の先に、最初の広間があるらしい。広い分、灯りは全部に行き渡らず、闇に浸されています。
 この広間にはいろいろと面白い細部が配されていて、たとえば、当主がふと指し示した扉口は、奇妙な壁画らしきもののある壁に両側をはさまれ、その奥にアーチを支える捻り柱と石積み状の仕切りらしきものが見えます。ここにしか映らないのでよくわからないのですが、他方後の場面では、また別の奇妙な壁画が現われたりします。
 他にもテーブル上のガラスの静物の反射や、異様なまでに装飾的な額縁、ぽつんと置かれた地球儀など、目を引くものはいろいろありますが、しかし一貫して重きを置かれているのはカーテンであるようです。暗がりに沈みかけているだけに、カーテンは触覚的な感触をも感じさせるのではないでしょうか。

 再び廊下が映ったかと思うと、やはりカーテンは風にたなびき、今度はさらに、落ち葉が舞いこむさまがスロー・モーションで捉えられたりもします。また廊下やカーテンに触れた風はそのまま、室内で本を棚から落としたかと思うと、館の外では霧や水面をも撫でていきます。カメラは固定して撮影することがほとんどなのですが、倒れた夫人を抱いて狼狽する当主とともに動き回り、また別の場面では、風や落ち葉とともに床近くの低い位置で前進したりもするのでした。

 風とともに小さからぬ役割を占めるのが蠟燭です。蠟燭を何本もじか置きした太い柱状の台があったり、異様に激しく燃えたかと思えば、葉やヴェールともども戸外の葬列にオーヴァラップしたりしています。風と蠟燭の火は、クライマックスの館炎上において収斂するのだといっては、深読みになってしまうでしょうか。
 この他、時計が文字盤のみならず、内部の機構、振り子、鐘までもアップで映されるのは、宿命の暗示なのでしょうが、遠近対比によって強調されているかぎりで、ただイメージとしても印象的でした。
 納骨堂に最初葬列が降っていく時、これもやたら装飾的な内装が映ります。その後の場面には現われず、柩を収める際も壁は荒涼としたままなので、何らかの幻なのかもしれません。
 なお館の中で登場するわけではありませんが、風や蠟燭とともに、水も一定の役割を与えられているようです。冒頭の館への道中でも、周囲が湿地であることが示され、館から納骨堂に行く際も、沼を通ります。それらを含めて、先にも記したように、しばしば風が水面を撫でて波紋を起こすさまが挿入されて、脳裡に水の遍在を忍びいらせることになるのでしょう。


 クライマックスでは、館の模型を夜空の星が滝のように囲んでいるさまが映されます。天の川が縦に流れ落ちているのでしょうか、どうにも自然には見えず、右上では十字架状に並んでいたりもするのですが、このちゃちさがかえってメルヘン色をかもしているといっては、ひいきの引き倒しにしかならないかもしれません。ともあれスロー・モーションで本や蠟燭が崩れる中、館は炎上し、しかし「思わず、わが眼を疑いましたね」と菊地秀行語るところの「誰も死なないという大ハッピーエンド」を迎えるのでした(菊地秀行、「Ⅳ 怪奇映画ベスト100」、『怪奇映画の手帖』、1993、p.215)。

 『カリガリ博士』のページで触れたように、バルサックの『映画セットの歴史と技術』(1982)巻末に収められた「映画セット論集」中のジャン・エプスタン「セットと人物」(pp.328-329)では、『カリガリ博士』におけるセットの濫用が批判されていました。年記が不明なので『アッシャー家の末裔』と直結させていいかどうかはわかりませんが、本文でバルサックは、本作品について「ドイツ表現派の誘惑に勝てなかったのである」と述べています(p.73)。
Cf.,  美術監督のピエール・ケフェルについて;
レオン・バルサック、『映画セットの歴史と技術』、1982、pp.73-74

北島明弘、『映画で読むエドガー・アラン・ポー』、2009、pp.54-56

岡田温志、『映画は絵画のように 静止・運動・時間』、2015、pp.149-150

Jonathan Rigby, Euro Gothic: Classics of Continental Horror Cinema, 2016, pp.37-39

原作の邦訳;
河野一郎訳、「アッシャー家の崩壊」、『ポオ全集 1』、東京創元新社、1970、pp.469-491
原著は
Edgar Allan Poe, "The Fall of the House of Usher", 1839
および
河野一郎訳、「楕円形の肖像」、『ポオ全集 2』、東京創元新社、1970、pp.94-98
原著は
Edgar Allan Poe, "The Oval Portrait", 1842

また
日夏耿之介訳、「アッシャア屋形崩るるの記」、東雅夫編、『ゴシック名訳集成 西洋伝奇物語 伝奇ノ匣 7』(学研M文庫 ひ 1-3)、学習研究社、2004、pp.63-67
は「手書き原稿のまま筐底に秘められ…(中略)…冒頭部分のみで断絶した」もの(p.519)。


追ってこんなのが出てきました;
『だあ~る 33』、シネマ・ダール、1979.10.21(日)
同じ日付で大阪府立青少年会館小ホール(森の宮)で午後5時30分から開かれた「1928-サイレント映画の完成期 アヴァン・ギャルド映画への旅 1」(主催:シネマ・ダール、協力:プラネット)の際に配布されたものと思われます。上映されたのは本作とカール・ドライエル『裁かるるジャンヌ』(1928)。B4二つ折りで計4ページ、槌谷茂一郎「アっシャ家の末裔とその作者ジャン・エプスタィン」(『キネマ旬報』、1929年2月上旬号)、同じく『キネマ旬報』1929.3.21号からの同作解説の転載、『裁かるるジャンヌ』解説、「コメント~シネマ・ダール」(これは手書き)が掲載。→こちらも参照

おまけ  ロジャー・コーマン等によるヴァージョンは後に見るとして(→こちらを参照)、音楽方面で;

The Alan Parsons Project, Tales of Mystery and Imagination. Edgar Allan Poe, 1976(邦題:アラン・パーソンズ・プロジェクト『怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界』)
1枚目、B面の大半を費やして
"The Fall of the House of Usher"(「アッシャー家の崩壊」)が入っています。雷もゴロゴロ鳴っています(→こちらや、そちら、またあちらも参照)。

なおポーについては→「viii. エドガー・アラン・ポー(1809-1849)など」(<「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」<「宇宙論の歴史、孫引きガイド」)も参照
 2014/08/23 以後、随時修正・追補
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