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〈怪奇〉と〈ホラー〉など、若干の用語について


〈芸術〉・〈美術〉と〈アート〉
探偵小説〉・〈推理小説〉と〈ミステリ
怪奇〉と〈ホラー〉、ゴシックなど
怪奇〉 - 余談
怪奇
怪奇〉、訳語として
ホラー〉と〈テラー
怪奇〉と映画
エピローグ
追補:下郷羊雄《怪奇鳥亜属》を巡って

〈芸術〉・〈美術〉と〈アート〉

 「日本でアートという言葉がさかんに使われるようになったのが、いつ頃のことかはわかりません。けれども、そんな昔でないことだけは、たしかです。自分の体感的な感覚では、だいたい1980年代に入ったくらいからではないでしょうか」

と、椹木野衣の『反アート入門』に記されていました(幻冬舎、2010、p.16)。元の勤め先で『愛知・岐阜・三重 三県立美術館協同企画展 ひろがるアート - 現代美術入門篇 -』という展覧会を担当したことがあって(2010年10月23日~12月19日→こちらを参照:年報2010年度版の頁 [ < 三重県立美術館のサイト ])、展覧会名にも「アート」の語が入っていますが、それ以上に、たしかケーブル・テレビだったか、取材に来られた記者の方が、〈現代美術〉ではなく、〈現代アート〉と、いかにも当たり前のように口にされるのを聞いた時、ああそうなんだと実感し、納得したような憶えがあります。もちろん、いつに変わらぬ記憶違いかもしれません。
 それはともかく、椹木野衣はまた、

「黒田清輝の油絵とボルタンスキーのインスタレーションを同じ美術と呼ぶのは自然だけれども、両者を、ともに『アート』と呼ぶのは抵抗がないだろうか。つまり、ボルタンスキーの作品はアートでも、黒田清輝の油絵は(美術であっても)アートではない」(「後美術論 第1回 音楽と美術の結婚」、『美術手帖』、vol.62 no.945、2010.11、p.130)

と述べていました。2023年現在、『反アート入門』刊行や『後美術論』連載から10年以上経っていますが、近くは足立元「前衛のアポトーシス 政治-芸術の消滅と転生」に、

「…(前略)…一般に1980年代から使われる『現代アート』は、奇妙な響きをもつ。
 奇妙というのは、もし『現代アート』というなら他の日本美術でも日本語で『室町アート』とか『近代アート』とかいえば一貫性があるのに、そうはあまりいわずに『現代アート』というからだ」(『美術フォーラム21』、vol.45、2022.6:「特集 『前衛美術』は終わったか?」、p.26)

とありました。いずれ黒田清輝の油絵を〈アート〉と呼び、〈室町アート〉とか〈近代アート〉との言い方がされるようになるのかどうか、ありそうでもなさそうでもあり、何とも予想がつきません。

 ところで谷川渥に「イズムからアートへ 覚え書き」と題された論考があります。めまぐるしく転変した20世紀のさまざま美術運動が、1940~50年代のアメリカ抽象表現主義あたりまでは、自称であれ当事者たち以外による呼称であれ、フォーヴィスムやキュビスムなど、「~主義(イズム)」と呼ばれてきたのに対し、1960年代あたりから、ポップ・アートやミニマル・アート、コンセプチュアル・アートのように、「~芸術(アート)」と呼ばれることが多くなったことを押さえた上で、

「各ジャンルの差異性、あるいは『主義(イズム)』の差異性は、『芸術』という同一性に支えられているといってもいい」、

他方、

「『芸術(アート)』の自明性の喪失が、ほかならぬ『芸術(アート)』という言葉を用いてしか指示することのできない現象によってもたらされたことこそ、60年代の特徴である」(『武蔵野美術』、no.120、2001.5:「特集:モダニズム研究6 美術とモダニズム」、p.45)

と論じていました(谷川渥、『美のバロキスム  芸術学講義』(MAUライブラリー 4)、武蔵野美術大学出版局、2006、第1章「絵画のフォルムとアンフォルム」中にも「『イズム』から『アート』へ」と見出しのついた節があります;pp.33-37)。

 西欧近代の文脈における〈~芸術(アート)〉を近年の日本における〈アート〉とすんなりつなぐことはできますまい。といって、20世紀後半の日本の美術状況に関し、

「『絵画・彫刻』という『種概念』のレヴェルを超えたところで展開されている『美術』、もっと正確にいうと、『絵画』や『彫刻』でも『美術』でもない『何事か』」(千葉成夫の『現代美術逸脱史 1945~1985』、晶文社、1986、p.14)

としての〈類としての美術〉をめぐる千葉成夫の議論が捉えようとしたものからも、〈アート〉はずれていることでしょう。

「アートは美術ではないしARTでもない」(前掲(「後美術論 第1回 音楽と美術の結婚」、p.130)

と椹木野衣は記していました。とはいえまったく無関係ともいいきれない気もしなくはないのですが、いずれにせよ、〈アート〉において、ルネサンス以来の純粋芸術と応用芸術という位階は崩れ落ち、といって前衛や内在的批判をこととするモダニズムが特別視されるわけでもなく、ひいては、日本なら明治以降ということになるのでしょうか、芸術とそれ以外のものとの位階もなし崩しになる、他方、ars の元の意味といっていいものかどうか、技術・技芸・芸事・術などの領域をあらためて包みこむ - だとして、しかしそれだけでもないニュアンスを、〈アート〉の語は帯びているような気がするのでした。
 この点については椹木野衣の『反アート入門』や『後美術論』を参照していただくとして、それとは別に、ふりかえれば事は美術ばかりではありません。〈探偵小説〉なり〈推理小説〉は〈ミステリないしミステリー〉、小説であれ映画であれ〈怪奇もの〉なり〈恐怖もの〉は〈ホラー〉と呼び習わす方が、すっかり当たり前になっているようではありませんか。


〈探偵小説〉・〈推理小説〉と〈ミステリ〉

 風間賢二『怪異猟奇ミステリー全史』(新潮選書、新潮社、2022)は「はじめに」で、

「実際、私もずっと、探偵小説や推理小説はミステリーを単に日本語に置き換えただけの言葉だと思っていました。ところがどうやら厳密にはちがうのです。ミステリー、探偵小説、そして推理小説、これらの言葉の使い方は異なるのです。現在はさておき、少なくとも昔は」(p.3)

と述べています。ゴシック・ロマンスからコナン・ドイルやH・G・ウェルズあたりまで辿った同書前半に続いて、第7章から日本での展開が扱われるのですが、明治の黒岩涙香の頃には、すでに〈探偵小説〉という呼び名は流布していたようです。『国民之友』明治26(1893)年5月3日号の匿名時評で、

「探偵小説の時代は来たれり」

と批判されたのに対し、自ら発行していた新聞『萬朝報』同年5月11日号に、涙香は「探偵譚について」と題した反論を掲載したとのことです(pp.140-141)。

 伊藤秀雄、『明治の探偵小説』(日本推理作家協会賞受賞作全集 56)(双葉文庫 い 30-01)、双葉社、2002(原著は 1986)、pp.117-132:第1部第3章「探偵小説論 - 黒岩涙香、内田魯庵、島村抱月」

 郷原宏、『日本推理小説論争史』、双葉社、2013、pp.307-325:「第9章 創成期探偵小説論争」

なども参照ください。
 戻って『怪異猟奇ミステリー全史』第13章は「探偵小説から推理小説、そしてミステリーへ」との見出しです。11、12章での江戸川乱歩に続き、夢野久作を始めとした昭和前期の展開を概観した後、第二次世界大戦終戦後の1946(昭和21)年、『推理小説叢書』全15巻(雄鶏社)の刊行に際し、監修者の木々高太郞が

「〈推理小説〉という言葉を提唱した」

として、

「探偵小説を犯罪または犯罪めいた事件についての謎と論理的解決を主体とする小説と定義し、其のうちに取り扱う推理〈論理的過程〉に主眼を置いているのが推理小説である」

と区別したことが引用されています(p.233)。

「こうした新名称に反発したのが江戸川乱歩です」(同)

というものの、

「しかし、この推理小説 VS. 探偵小説という名称論争は、実にあっけない幕切れを迎え、推理小説に軍配が上がります。なんのことはない、同年の11月に政府が告示した〈当用漢字表〉に『偵』の字が含まれていなかったのがその理由です」(同)

というのでした。〈ミステリ〉については、

「…(前略)…いまでは、そうした多用なスタイルは推理小説の名称ではひとくくりにすることは不可能で、単にミステリーと称するようになりました。
 探偵小説も推理小説も、〈変格〉も〈本格〉もみな仲良く、ミステリーという名の総本山を見出したのです」(p.235)

と記されます。残念ながらいつ頃からそうなったのかは書かれていませんでした。ウィキペディアの早川書房のページによると(→そちら)、「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」こと「ハヤカワ・ミステリ」は1953(昭和28)年刊行開始とのことで、けっこう早い。どの程度波及したのでしょうか?

 「推理小説 VS. 探偵小説という名称論争」には、戦前の甲賀三郎と海野十三による〈本格〉/〈変格〉にまつわる議論や、木々高太郞が甲賀三郎と交わした、いわゆる探偵小説芸術論争が尾を引いていることでしょう。戦前の議論については、

 伊藤秀雄、『昭和の探偵小説 昭和元年~昭和20年』、三一書房、1993、pp.310-322:第2部第9章「諸家の探偵小説論」(浜尾四郎の「探偵小説を中心として」/海野十三の「探偵小説管見」/甲賀三郎の「探偵小説講話 - まえ書」/木々高太郞の探偵小説論)

 中島河太郎、『日本推理小説史 第三巻』、東京創元社、1996、pp.98-117:「第14章 甲賀の探偵小説論」・「第15章 甲賀・木々論争」および「第16章 甲賀・木々論争その後」

 郷原宏、『日本推理小説論争史』、双葉社、2013、pp.191-285:「第5章 『一人の芭蕉』論争」/「第6章 探偵小説芸術論争」/「第7章 本格×変格論争」

なども参照ください。また

 江戸川乱歩、「探偵小説純文学論を評す」(1950/昭和25+1947/昭和22)、『幻影城』(1961/昭和26)、『江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城』(光文社文庫 え 6-5)、光文社、2003、pp.258-288

を始めとする、乱歩の各種のエッセイでも、探偵小説という概念を整理しようとする試みがなされていました。同じ『幻影城』に収録された

  江戸川乱歩、「探偵小説の定義と類別」(1936/昭和11~1961/昭和26)、同上、pp.21-37

もその一例です。文中に引用されたヴァン・ダインの「二十則」(1928)やノックスの「探偵小説十戒」(1929)(pp.29-33)のような英語圏での提案が、先行例となったのでしょう(〈ノックスの十戒〉第3項には→あちらでも触れました:「怪奇城の隠し通路」の頁冒頭)。
 とまれそこには、余計なものを削ぎ落とすことでジャンルの特質を画定しようとする、クレメント・グリーンバーグ流のモダニズム的な態度を読みとることもできなくはないかもしれません。たとえば

 クレメント・グリーンバーグ、「モダニズムの絵画」(1960/63)、藤枝晃雄編、『グリーンバーグ批評選集』、勁草書房、2005、pp.62-76

などを参照ください。グリーンバーグの議論は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヴェルフリンやフォシヨン、ロンギらによって展開された様式論的美術史を引き継ぐものでした。そこでは、美術史という学問の自律性を獲得するため、美術家の伝記的事実や時代背景、文学的な主題など、美術でなくともよい因子に回収されない、美術に固有の要素として、作品の形式 - 線や形、色、明暗、構図、空間など -を分析の対象としたのでした。
 対するに〈ミステリ〉は、日本語の〈アート〉の場合に平行して、と見ていいものかどうか、裾野をどんどんひろげて、異質なものも取りこもうとするかのごとくではありますまいか。当方は年齢のせいか慣れのせいか、〈アート〉や〈ミステリ〉はまだしも、〈現代アート〉といった言葉を使うのに抵抗を感じずにいられないのですが(後はどうだろう、あまり考えたことはありませんでしたが、〈漫画〉ならぬ〈コミック〉もそうか。〈アニメ〉は平気なようです。〈SF〉は今も昔も〈SF)だ。〈空想科学小説〉は聞き及んではいても、あまりなじみがない)、とまれ呼び名の変化は、各ジャンル内の個々の作品のあり方と連動しているはずです(ただ〈SF〉の場合のように、作品のあり方が変わっても、呼び名が変わるとはかぎらない)。


〈怪奇〉と〈ホラー〉、ゴシックなど

 「怪奇城の外濠」の頁の「iii. 怪奇映画とその歴史など」の内、「日本の怪奇映画の歴史など」で挙げた(下線部のついた書名部分をクリックすると、本サイト内の該当箇所にリンクします。以下同様) 

Michael Crandol, Ghost in the Well. The Hidden History of Horror Films in Japan, 2021

のところでメモしたように、この本では〈怪奇映画〉の語がキー・タームになっています;

「文字どおりには〈奇妙な strange 〉や〈奇怪な bizarre 映画〉を意味し、英語なら〈 horror films 〉と呼ばれるものを指すために、1970年代まで日本語で、もっとも普通に用いられた一般的な用語」(p.5)

とされます。

「〈怪奇〉というラベルは、日本では1970年代末までには、古くさい遺物となる」(p.10)、

「1980年代半ばには〈ホラー( "horror" )〉が、ジャンルを指す新しい日本語での呼び名となった。〈怪奇〉は今ではもっぱら、ホラー的な映画製作のより古いあり方に使われる」(p.11)。

 面白いことに、『魔人ドラキュラ』(1931)の時点では、英語圏で〈ホラー〉の語は、ジャンルの呼称として確立していなかったとのことです;

「〈 horror movie 〉という用語は、『フランケンシュタイン』の公開後になるまで、広く定まってはいなかったように思われる」(p.20)。

他方日本では、『魔人ドラキュラ』に対する映画評で、〈怪奇〉の語が用いられていたという(pp.20-21)。また1914年の映画評には、「奇怪なる映画」という言い回しが出てくるとのことです(p.71)。

「〈怪奇〉は1926年までには標準的なものになっていたようだ。この年川端康成の『伊豆の踊子』にこの単語が出てくる」(同上、note 20)。

「伊豆の踊子」(1926/大正元年、1-2月)の第1章中ほどに、ある人物が

「身の周りに古手紙や紙袋の山を築いて、その紙屑のなかに埋もれていると言ってよかった。到底生物(いきもの)と思えない山の怪奇を眺めたまま、私は棒立ちになっていた」(『カラー版日本文学全集 22 川端康成』、河出書房、1967、pp.359-360)

というくだりがありました。それはともかく、

「〈怪〉の字も〈奇〉の字も、双方〈奇妙な strange 〉、〈奇怪な weird 〉、〈奇異な bizarre 〉を意味する」(p.21)

ことを押さえた上で、

「〈怪奇〉のニュアンスは英語では〈ゴシック・ホラー〉と呼べるかもしれない」(p.39)

という、著者がインタヴューした際の黒沢清の発言を引いています。著者自身、

「現地での英語なら〈ゴシック・ホラー映画〉と考えられようもの」(p.61)、

「〈怪奇映画〉は便宜上しばしば〈ホラー映画〉と訳されるけれど、〈ゴシック・ホラー〉の方が適した訳だろうと、私は示唆した」(p.223)

等と述べています。もっとも西欧圏で〈ゴシック・ホラー〉と呼ばれるものと日本での〈怪奇映画〉それぞれの内実には差が出ることでしょう。他方〈ゴシック・ロマンス〉とその余波については、「怪奇城の外濠」の頁の「iv. ゴシック・ロマンス、その他」で挙げた文献類などを参照いただくとして(→このあたり)、ここでは、『クリムゾン・ピーク』(2015)のブルーレイ・ディスク付載の特典で、監督のギレルモ・デル・トロが面白いことを喋っていたので、紹介しておきましょう。
 本編音声解説の冒頭でデル・トロは早々に、この映画はゴシック・ホラーではなく、おとぎ話の雰囲気が漂うゴシック・ロマンスなのだと断言します。特典中の「ゴシック・ロマンスについて」では、やはり冒頭で、日本語字幕によると

 「ゴシック・ホラーは超常現象が物語の中心なのに対し、
  ゴシック・ロマンスは暗い恋愛物語」

と区別します。音声解説に戻ると、

 「愛と死は背中合わせだという考えを…(中略)…ゴシック・ロマンスが初めて浸透させた」(約55分)、

 「ゴシック・ロマンスの根底にあるのは喪失感や悲哀といったテーマだ」(約1時間49分)

等と性格づける。

 「ゴシック・ロマンスは幽霊屋敷もの haunted house movie とは違う。…(中略)…屋敷は登場人物の腐敗の比喩」(約50分)

なのだともいう。それでいて本作では

 「ゴシック・ロマンスの常識をひっくり返す」(約8分)

ことがもくろまれもしているとのことなのですが、いずれにせよとりわけ、『ジェイン・エア』や『レベッカ』が、物語の点でも映画としても、範例と見なされているようで、しばしば引きあいに出されます(『私はゾンビと歩いた!』も挙げられました、約8分)。
 寝衣姿の主人公が燭台を手に夜の館をさまよう場面では、

 「『美女と野獣』の美女が城を探索する姿に似た、おとぎ話っぽさがある」(約56分)

と述べたり、

 「ゴシック・ロマンスやおとぎ話では、真実は地下に隠されていることが多い」(約59分)

と話すのは、いかにもいかにもといった感じでした。他方、

 「本当の意味で怖いのは明らかに人間だけだ」(約49分)

という視点と幽霊との関係は、以前の『デビルズ・バックボーン』(2001)とも共通しています。個人的には

 「結局一番怖いのは人間じゃないかってことですよね」(約12分)

と発言した人物がいきなりぶん殴られるという、『霊的ボリシェヴィキ』(2017、監督:高橋洋)の一場面に、ポンと膝を打ちたくなる口なのですが。ただしアクション活劇でない以上、殴るという身体的なもの、あるいはよしや心理的なそれであっても、力の行使によるのではない形で、人ではないものの顕現を表わすべきではなかったか、と思ったりもするのでした。同じ監督の先立つ『恐怖』(2010)ともども、それこそが本作全体のモティーフであり、そこに辿り着くための前置きとして必要だったのかもしれないのですが。
 それはさておき、ゴシック・ロマンスとゴシック・ホラーの特徴付けが歴史的にどこまで正鵠を射ているかどうかはともかく、デル・トロがこの映画を作るに当たっての出発点として、興味深いものがあります(イアン・ネイサン、阿部清美訳、『ギレルモ・デル・トロ モンスターと結ばれた男』、フィルムアート社、2022、pp.175-177 も参照。同書について→こちらでも触れました:『呪いの館』(1966)の頁の「Cf.」。また『クリムゾン・ピーク』に関連して→そちらでも触れました:『マクベス』(1971)の頁の本文冒頭)。


〈怪奇〉 - 余談

  元の勤め先で開かれた『岡田米山人と半江』展(2022年9月23日~11月6日→こちらを参照:当該展覧会の頁 [ < 三重県立美術館のサイト ])で右に載せた作品を前にした時、勢いをつけまいとするかのような筆致のじわじわしたさまと、そこから生じる飄逸な表情に、つい足を止められました。脇に掲示された解説キャプションに目をやると、その中に「怪奇」という形容がありました。図録の解説とまるまる同じかどうかは憶えていませんが、図録の方でも同じ言葉が用いられています(p.130/cat.no.10)。ほんの200字前後の原稿に三度出てきます。壮観です。それはともかく、古美術の領域でも〈怪奇〉なる形容を使うんだと、いたく感慨深かったことでした。

 たとえば清朝に活躍した書画家たちをまとめた、〈揚州八怪〉という呼び名があります。詳しくは2021年に大阪市立美術館で開かれた『揚州八怪』展の図録を見ていただくとして、そこに掲載された森橋なつみ「揚州八怪略説」に、

「『怪』は『異』の意味であるから、常ではないという否定的なニュアンスにとられる場合、また『
(かい)』に通じるので、偉大であるという肯定的な場合がある」(p.7)

とありました。図録に掲載された図版を見て、現在の日本語での〈怪〉と結びつくかどうかは、もとより別の話です。
 岡田米山人《雪中富士山図》 1787
岡田米山人(1744-1820)
《雪中富士山図》 1787

* 画像の上でクリックすると、拡大画像とデータを載せた頁が表示されます。以下同様。
 たまたま手元にあった『週刊朝日 世界の美術 97 明時代の絵画と書』(1980.2.3)をぱらぱら繰れば、嶋田英誠「行利家論と南北二宗論」によると、遡って明代には、非難するために〈狂態邪学〉なんてレッテルを貼られた画家たちがいたそうですし(pp.10-185~186)、続く戸田禎佑「董其昌と明末の変」では、

「董其昌以降、一群のエキセントリックでファンタスティックな作風の画家が明末清初にかけて輩出する」(p.10-186)

とのことです。水墨の山水画ではしばしば奇態な景観が描かれ、どこまでが〈中央圏〉で、どこから〈中心から逸れた(エキセントリック)〉ことになるのか、不勉強のためよくわからないでいます。この頁は文字ばかりということもあり、せっかくなので、米山人に続いて〈明末の変〉の例となる作品を二点、ここにも載せておきましょう。
 たとえば右に掲げた米萬鍾の《寒林訪客図》で、画面中ほど右側、遠景ということになるのかシルエット化して、えらく尖った山々が見えます。とても現実離れしている、と言いたくなるところですが、マダガスカル島のツィンギ・デ・ベマラといかないまでも、中国は雲南の石林にはそうした眺めが実際に見られるという。もっとも画家がそうした眺めを実際に見たことがあるのか、何らかの資料で知っていたのか、にしても記憶や伝承は無変化のままではいないでしょうし、あるいはどこまでも空想の産物かもしれず、遠景のために割り当てたスペースにあわせて変形したのかもしれない。正解の決め手はありますまい。
 他方、

「オーバーハングする握った拳のような主山」(、『典雅と奇想 明末清初の中国名画』、東京美術/泉屋博古館、2017、p.21/cat.no.7)

が回りこむ向きに対し、巴状というか陰陽魚太極図のように下方から対応する崖のさまは、皺だか襞めいた並列する陰影と相まって、

「怪獣をも思わせる山のうねりは、もはや山ではないと言ってもいい」(宇佐美文理、『中国絵画入門』(岩波新書 1490)、岩波書店、2014、p.174)

とまで語らしめています。
米萬鍾《寒林訪客図》 明、17世紀
米萬鍾(1570-1628)
《寒林訪客図》 明、17世紀
 また右に載せた呉彬の《渓山絶塵図》について、

「直線によるべき建物すら、滑らかな曲線により表現する」(小川裕充、『臥遊 中国山水画 - その世界』、中央公論美術出版、2008、p.282)

と述べられていますが、この建物の曲線に斜め左下で石橋が平行し、上下垂直に伸びる山々をくくりつけるというか、宙吊りにしています。画面の下端・左側を見ると、崖が左上から右下へ切れており、あたかも宙に浮いているかのようです。その右上では、右上から左下へ、舌だかひれのようにも見える岩が、先ほどの崖とは逆の向きで交わる。この舌状の岩、それに建物のすぐ左にある上を指さすかのような岩、その左奥の岩、そして上方中央の岩山は、いずれ一体というよりはそれぞれ自立しており、それでいて連動する。そのためここでも、伸びあがろうとする怪獣の四肢のごとく映りはしますまいか。

  こうした相をもって「エキセントリックでファンタスティック」、ひいては〈怪奇〉と呼べますかどうか、はてさて、おのおの御覧じくださいますよう。
呉彬《渓山絶塵図》 1615
呉彬(? - 1576-1627? - ?)
《渓山絶塵図》 明、1615(万歴43)
 
 また、〈中心から逸れた(エキセントリック)〉でなくとも、東アジアの山水画は、パティニールやブリューゲルなど、16世紀ネーデルラントの〈世界風景〉を連想させもします。右に載せた伝パティニール作での奇岩や、下のブリューゲルの版画における急峻な岩山の連なりだけでなく、空間のあり方に比較すべきものがありそうです。
 〈世界風景〉 というのはとりあえず、 神の視点から見渡された凹面状のパノラマと見なせましょうが、同時に、すでに流布していた、人の水平な視線が貫く線遠近法による箱型空間との間に、緊張を秘めているようにも思われます。右下のブリューゲル《パウロの回心》で、右端の背を見せた騎馬の人物の大きさおよび服の黄色の鮮やかさと、左下へずり落ちていく谷との落差に、そんな相克が読みとれるといっては、いささか乱暴に過ぎるでしょうか。ところで画面右上、左へ突きでた、巨龍の鼻面めくグレーの何やらは、雲なのでしょうか?
伝パティニール《ソドムとゴモラの崩壊のある風景》
伝パティニール(1480/85~1524)
《ソドムとゴモラの崩壊のある風景》  1521頃
 
ブリューゲル《深い渓谷に区切られているアルプス風景》1555-56頃
ブリューゲル(1525/30-69)
《深い渓谷に区切られているアルプス風景》 1555-56頃
 
ブリューゲル《パウロの回心》 1567年
ブリューゲル
《パウロの回心》 1567
 追補(2024/8/17):例によってすっかり忘れていましたが、「中国」の頁の「iv. 個々の著述など」の内『山海経』のところで挙げた

 伊藤清司監修・解説、『怪奇鳥獣図巻 大陸からやって来た異形の鬼神たち』、工作舎、2001

の原本は江戸時代に制作されたものとのことですが、解説中で

「作者が『怪奇鳥獣図巻』とあえて銘うっている…(後略)…」(p.13)

との言い方をしているところからして、タイトルの〈怪奇〉の語も、制作当初からのものと見てよいのでしょうか。



〈怪奇〉

 廣田龍平、『妖怪の誕生 超自然と怪奇的自然の存在論的歴史人類学』、青弓社、2022

では、「宇宙論(的)」という言葉をところどころで見かけるのも気になる点でしたが(たとえば pp.21-22、83-84、290 など)、他方、第2部第6章は、副題でも見られた「怪奇的自然」で、その第1節は「怪奇概念の展開」と題されています。そこで参照されているマーク・フィッシャーには後に戻るとして、ここでは注(7)で「日本語としての『怪奇』のついては」(p.330)として参照されていた

 京極夏彦、「私たちの『怪異』 現代の中の『怪異』と怪異」、東アジア恠異学会、『怪異学の可能性』、角川書店、2009、pp.335-382

に触れておきましょう。書名にあるとおり、本全体が〈怪異〉をテーマにしているわけですが、古代・中世・近世・近代と追ってきたその最後に、京極夏彦の論考は〈現代〉を扱っています。その中で、

「…(前略)…昭和期のオカルト文献に『怪異』の二文字はそれほど多く見られない。…(中略)…
 現在の『怪異』に相当する言葉は、むしろ『怪奇』であった。…(中略)…
 『怪奇』が『怪異』に言い換えられるようになった背景は考慮しておくべきだろう。『怪奇』は言葉としては(語義も含めて)『怪異』と大きく異なるものではない。〝怪しい〟〝不思議だ〟というのが『怪奇』の本来の意味である」(p.372)

として、「明治期から昭和初期にかけて」(p.374)の「通俗の場」(p.373)で、

「『怪奇』はある種〝いかがわしさを伴った恐ろしさ〟を形容する言葉という役割を背負わされてしまったのであった」(p.374)、

「…(前略)…『怪奇』はオカルト的粉飾から脱却することができなかったのである」(p.375)、

「『怪奇』が退けられた背景にはそうした経緯が透けて見える。
 そして、代わりに採用された言葉は『怪異』なのである」(p.376)

とまとめています。議論の細部はテクストに当たっていただくとして、その中で一点、興味深い指摘がありました。〈怪奇〉と近い意味で使われることが多い〈恐怖〉を挙げつつ、

「『殺人鬼の恐怖』と『殺人鬼の怪奇』という文を比較してみるとよくわかるだろう。
 …(中略)…一方、『殺人鬼の怪奇』はどうだろう。言葉として納まりが悪いだけでなく。『怪奇』が何を指し示すのかよくわからない。『怪奇な殺人鬼』としたほうが納まりは良い。しかし『恐怖
()殺人鬼』とはいわないだろう。その場合は『恐怖()殺人鬼』である。
 『怪奇』は形容動詞として使用されることのほうが多いのである。つまり
なにか(ヽヽヽ)を形容する言葉でしかないのだ。…(中略)…『怪奇』自体はモノでもコトでもないのである」(p.374)。

引用文中の〈恐怖〉はそのまま〈ホラー〉に差し換えることができます。さらに〈探偵〉、〈推理〉、〈ミステリ〉なども単独の名詞として用いて支障はない。〈サスペンス〉や〈スリラー〉その他も同様でしょう。〈怪奇〉以外に単独では使いにくいジャンル用語にどんなものがあるのか、またその点からどんなニュアンスが生じるのかは、課題としておきましょう(なお京極夏彦による→ここも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「京極夏彦」の項)。



〈怪奇〉、訳語として

 「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」の内、グレアム・ハーマンのラヴクラフト論のところで(→そこ)、"weird realism"というハーマンの用語・著書名を、星野太「第一哲学としての美学 グレアム・ハーマンの存在論」(『現代思想』、vol.43-1、2015.1、「特集 現代思想の新展開2015-思弁的実在論と新しい唯物論」)では「奇妙な実在論」と(pp.136-137、註10)、 ハーマン、飯盛元章・小嶋恭道訳、「現象学のホラーについて ラヴクラフトとフッサール」(『ユリイカ』、2018.2:「特集 クトゥルー神話の世界 - ラヴクラフト、TRPG、恐怖の哲学」)の「訳者解題」では、『怪奇実在論』と(p.181)訳されていることに触れました。
 "weird"といえばラヴクラフトなどでおなじみ、雑誌の『ウィアード・テイルズ』が思い浮かばずにいませんが、前掲の廣田龍平『妖怪の誕生』によると、

「『オクスフォード英語辞典』によると、weird はゲルマン祖語にまでさかのぼる英単語で、古英語では『あらかじめ出来事を決定する力、定め、運命』などの意味を持っていた。 …(中略)…そこからさらに、『超自然的・異常な力を持つ』という意味が派生し、ようやく19世紀半ばから、現代的な『怪奇』と訳せる意味で用いられるようになったという」(p.288)。

とまれ〈怪奇〉と訳すのは、廣田龍平の上掲第2部第6章「怪奇概念の展開」で、ラヴクラフトの後掲「文学における超自然の恐怖」における〈宇宙的恐怖〉を経由しつつ参照される

 マーク・フィッシャー、大岩雄典訳、「怪奇なものとぞっとするもの」、『早稲田文学』、vol.1036、2021年秋号:特集「ホラーのリアリティ」、pp.88-109

でも採用されていました。この翻訳は

 Mark Fisher, The Weird and the Eerie, 2016

の「抄訳」(「解説」、p.103)なのですが、後に全訳が刊行され(ラヴクラフトについての章を先ほどのハーマンのところのすぐ上に→こっち、ナイジェル・ニールとアラン・ガーナーの章を『宇宙からの侵略生物』(1957)の頁の「おまけ」→そっちで挙げました)、そちらの邦題は

 マーク・フィッシャー、五井健太郎訳、『奇妙なものとぞっとするもの - 小説・映画・音楽、文化論集』(ele-king books)、Pヴァイン、2022

となっていました。"weird"を〈奇妙なもの〉と訳し換えた点については、「訳者あとがき」で触れられています(pp.222-223)。
 "eerie"の語は [ IMDb ] の"User reviews"欄などで時折見かけたような気がしますが、本書の「序」では、"weird"ともども、フロイトの〈不気味なもの unheimlich 〉という概念に対比されています(五井訳、pp.11-17)。それはともかく、フィッシャーのいう"weird"と"eerie"の対は、いまだ消化しきれておらず、これもまた課題としておきましょう。

 またしても余談になりますが、邦訳の副題にもあったように、「『身体は触手だらけ』、グロテスクなものと奇妙なもの - ザ・フォール」や「消滅していく大地について - M・R・ジェイムズとイーノ」などの章では音楽が扱われていました(ザ・フォールは未聴。M・R・ジェイムズは「笛吹かば現われん」(1904;紀田順一郎訳、『M.R.ジェイムズ傑作集』(創元推理文庫 528-1)、東京創元社、1978、同訳、『M・R・ジェイムズ怪談全集 1』(同 528-02)、同、2001 などに収録)、イーノは『オン・ランド』(1982)が取りあげられています)。フィッシャーの別の訳書、

 マーク・フィッシャー、五井健太郎訳、『わが人生の幽霊たち うつ病、憑在論、失われた未来』(ele-king books)、Pヴァイン、2019

ではその比重はさらに大きく、といっても知らない名前がほとんどなのですが、そんな中、章題に出ているものだけでも、ジャパンやジョイ・ディヴィジョン、ジョン・フォックスなどが見えます。感慨深く思う方もいらっしゃることでしょう。

 さて、フィッシャーのラヴクラフトの章では、ジャンルの区別に関して、トドロフが参照されています(p.28)。「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」のハーマン、そしてユージン・サッカーに続けて挙げた

 ノエル・キャロル、高田敦史訳、『ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス』、フィルムアート社、2022

また然り(pp.311-314、321-323 など)。そこで同じ頁の「xvii. ブックガイド、通史など」に載せた

 ツヴェタン・トドロフ、三好郁朗訳、『幻想文学論序説』(創元ライブラリ L ト 1-1)、東京創元社、1999

を見ると、第Ⅲ章のタイトルは「怪奇と驚異」でした。本題である〈幻想〉に対し、〈怪奇〉と〈驚異〉は

「隣接のジャンル」と位置づけられる(p.42)。

「幻想とは、自然の法則しか知らぬ者が、超自然と思える出来事に直面して感じる『ためらい』のことなのである」(同上)。

「現実の諸法則は無疵のまま、語られた現象もそれで解明できるというのが読者の結論であれば、そのとき作品はもう一つ別のジャンル、すなわち『怪奇』のジャンルに属しているのだと言っておこう。
 その反対に、問題の現象を説明できるような新しい自然法則をみとめざるをえないというのが読者の結論であれば、そのときわれわれは『驚異』のジャンルへ入り込むことになる」(p.66。改行は当方)。

すぐ後に、

「ゴシック・ノヴェルの内部に二つの傾向を区別することは、一般に行なわれている。
その一つはクララ・リーヴやアン・ラドクリフの小説に見られるような、説明のつく超自然(これを『怪奇』と言ってよかろう)の傾向であり、
もう一つは、ホラス・ウォルポール、M・G・ルイス、マチューリンらの作品をひとまとめにする、受容される超自然(すなわち『驚異』)の傾向である」(p.67。改行は当方)

と例を挙げています。さしずめ〈怪奇〉は〈本格〉・〈変格〉双方を含む〈探偵小説〉、場合によっては〈SF〉の領域に、〈驚異〉は現在の言い方での〈ファンタジー〉に当たると見てよいでしょうか・
 ちなみに仏語版ウィキディアの本書の頁(→そなた;トドロフはブルガリア出身ですが、フランスを活動の拠点としていました)によると、原著では〈幻想〉は"le fantastique"、〈怪奇〉は"L'étrange"、〈驚異〉は"le merveilleux"でした。最後の〈驚異〉は「通史、事典など」の頁の「iii. 地学・地誌・地図、地球空洞説など」で挙げた

 山中由里子編、『〈驚異〉の文化史 中東とヨーロッパを中心に』、名古屋大学出版会、2015

などからもうかがえるように、歴史的にも奥が深い。
 他方仏語の"étrange"は英語の"strange"にほぼ対応すると見なしてよいでしょうか(英訳では"uncanny"と訳されたようです;前掲キャロルの原著 Noël Carroll, The Philosophy of Horror ; or, Paradoxes of the Heart, 1990, p.150)。ただ日本語の〈怪奇〉を合理的解決に落着するジャンルに当てるのは、違和感なしとはしないかもしれません。そもそも本サイトで〈怪奇映画〉と呼んできたのは、超自然現象が起こる話に対してでした。先に触れた『クリムゾン・ピーク』(2016)や『霊的ボリシェヴィキ』(2017)ではありませんが、「人間が一番怖い」という話は、〈スリラー〉として区別してきました(今となっては〈サイコ・ホラー〉とかに入れても難儀はないのでしょうが)。もっともこれは偏狭な個人的臆見でしかないのかもしれません。


〈ホラー〉と〈テラー〉

 〈ホラー〉を含む〈恐怖〉については、先に挙げたノエル・キャロルの本や、「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xix. ラヴクラフトとクトゥルー神話など」でそのすぐ下に挙げた

 戸田山和久、『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』(NHK出版新書 478)、NHK出版、2016、

あるいは

 ポール・ニューマン、田中雅志訳、『恐怖の歴史 牧神(パン)からメン・イン・ブラックまで』、三交社、2006、

またちょくちょく見かける気がする

 バーバラ・クリード、目羅公和訳、「恐怖そして不気味な女 想像界のアブジェクシオン」、『シネアスト 映画の手帖』、no.7、1986.7:「特集 ホラー大好き!」、pp.202-228、

古典と見なすべきでしょうか、「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「xvii. ブックガイド、通史など」でも挙げた、前掲の

  H.P.ラヴクラフト、大瀧啓裕訳、「文学における超自然の恐怖」(1926/1936)、『文学における超自然の恐怖』、学習研究社、2009、pp.5-136

などなど、いろいろあることでしょうが、ここでは引用されているのをやはりぼつぼつ見かける気がする、ゴシック・ロマンスを代表する作家の一人アン・ラドクリフによる〈ホラー〉と〈テラー〉との区別について触れておきましょう。見かけた中からすぐ後の文まで訳したものを引いておくと;

「Terror と Horror はまったく対立するものであって、
前者は魂を拡げ、精神の能力を高度な人生に目覚めさせてくれるものです。
後者のほうは魂やそれらの能力を縮ませ、凍えさせ、絶え滅してしまいかねない。
わたしの理解するところでは、シェイクスピアもミルトンもその創作のなかで、またバーク氏もその哲学的考察のなかで、
純然たる horror を崇高さの源泉としてみるなどということはどこでもおこなっていません、
いいえ、terror こそはその優れた源泉だとはこれらの人々がみな認めているところなんです」
 (野島秀勝、「英国ロマン派とゴシック小説 - 開いた自然と閉じた自然」、 小池滋・志村正雄・富山太佳夫編、『城と眩暈(めまい) ゴシックを読む』(ゴシック叢書 20)、国書刊行会、1982、p.22。改行は当方による)。

 なお出典は「《ニュー・マンスリー・マガジン》に死後発表された(1826年7月)『詩における超自然について』という、旅人の対話形式を借りた文章」(p.21)とのことで、ウェブ上で見ることができます。たとえば;
Ann Radcliffe, "On the Supernatural in Poetry", New Monthly Magazine, volume 16, no. 1 (1826), pp.145-152
https://repositorio.ufsc.br/bitstream/handle/123456789/208925/On%20Supernatural%20in%20Poetry%20(Ann%20Radcliffe).pdf
 [ < Repositório Institucional da UFSC ]

また

 惣谷美智子、「ユードルフォの在処 - テクストの快楽・虚構の快楽 -」、惣谷美智子訳著、『アン・ラドクリフ ユードルフォの謎Ⅱ - 抄訳と研究 -』、大阪教育図書、1998、p.141


 武井博美、『ゴシックロマンスとその行方 建築と空間の表象』、彩流社、2010、p.99

や前掲の風間賢二『怪異猟奇ミステリー全史』、p.43 でも引用されていました。
 なお先に訳を引いた野島秀勝「英国ロマン派とゴシック小説 - 開いた自然と閉じた自然」では、引用の後、「オクスフォード英国小説叢書の『ユドルフォ城の謎』の編者ボナミ・ドブレ」の序文から、NED(オックスフォード英語辞典の1933年以前の旧称、A New English Dictionaryの略)、すなわち

「この大辞典では、
terror は『強度の恐怖、驚愕、ないし畏怖』と定義されているが、
horror は『嫌悪と恐怖から成り恐怖と厭悪(ヽヽ)による戦慄』
とされているのである」(p.22。改行は当方による)

と、また

 デヴェンドラ・P・ヴァーマ、大場厚志・古宮照雄・鈴木孝・谷岡朗・中村栄造訳、『ゴシックの炎 イギリスにおけるゴシック小説の歴史 その起源、開花、崩壊と影響の残滓』、松柏社、2018、p.164

に付された訳注では、

「【8】 畏怖の恐怖(Terror)と戦慄の恐怖(Horror)(Terror and Horror)
Webster's Dictionary of Synonyms and Antonyms (1992) は両者を次のように定義している。
"Terror implies the most extreme degree of consternation"
"Horror adds the implication of shuddering abhorrence or aversion"」(p.432。改行は当方による)

とありました。

「テラーは、もっとも極端な度合いの狼狽という意を含む」、
「ホラーは、身震いするような嫌悪ないし忌避感という含みを加える」

といったところでしょうか。もう一つピンと来ないのですが、

 マリー・マルヴィ-ロバーツ編、金﨑茂樹・神崎ゆかり・菅田浩一・杉山洋子・長尾知子・比名和子訳、『ゴシック入門 増補改訂版』、英宝社、2012

では、「86 Horror ホラー」の項でやはりラドクリフの区別を引きつつ(p.233)、p.232 から p.241 まで、「119 Terror テラー」の項も p.304 から .p.311 まで費やして解説していますので、ご参照ください。ちなみにラドクリフの区分は、「117 The Sublime 崇高」の項でも引用されていました(p.296)。

「ゴシック小説の古典的テクストが書かれていたころ…(中略)…以来ホラーをおとしめてテラーを讃えるという見方が定着している。なぜなら、テラーは’テリフィックな’、つまりすごい情景に接したとき経験する高揚感であって’崇高’なものと関わるのに対して、ホラーはそれほど超越的ではないと思われているからである」(p.304〉。

 先に挙げた武井博美『ゴシックロマンスとその行方 建築と空間の表象』の注 p.11、第3章(1)では、次の本の原著に触れていました;

 スティーヴン・キング、安野玲訳、『死の舞踏 ホラー・キングの恐怖読本』、バジリコ株式会社、2004

の第2章「フックの話」で、

「ホラーを成立させる感情にはだいたい三つのレベルがありそうだということだろうか。第一レベルよりは第二レベル、第二レベルよりは第三レベルと、順に質は落ちていく。さて、第一レベルは〈戦慄(テラー)〉だ」(pp.57-58)

と語り、W・W・ジェイコブズの古典「猿の手」(1902)や、少し後では『たたり』(1963、監督:ロバート・ワイズ)を例に挙げます(p.64)。
 第二レベルは〈恐怖(ホラー)〉(p.60)、
 第三レベルは〈嫌悪感(リヴァルジョン)〉(p.61)
と続く(また p.64)。これはジャンルではなく、一つの作品の中に共存することもある要素と位置づけられているのですが、他の具体例はキングの本を見ていただくとして、他方、

 「創刊記念『ホラー座談会』」、『日本版ファンゴリア』、第1号、1994.9、pp.20-25

の中で朝松健は、

「よく例え話であるんですよね。女の人が1人で夜道を歩いていて、向こうに男が立っていると。
男がここでナイフを出したらテラーになるという。肉体的恐怖ですね。
ところが男が何もしないですれ違いざまにスッと消えてしまったら、これはホラーになるという。
で、男の首が伸びたからウィアードだって。ウィアードは意表をつくっていうね」(pp.23-24。改行は当方による)

と話しています。ズレが生じていますが、三つ組の「例え話」には何か典拠があるように思われます。完全に一致はしないのですが、

 荒俣宏、『ホラー小説講義』、角川書店、1999

に、1933年にパルプ・マガジン『ダイム・ミステリ・マガジン』の編集者となったロジャーズ・テリルの言葉として、

「ホラーとは、一人の少女が遠い安全なところから、食人鬼どもが悪魔的儀式を犠牲者にほどこす場面をみつめたとき、
テラーとは、闇夜に、自分に近づいてくる食人鬼の足音を聞いた少女が、次の犠牲者は自分だと直観したときに感じる怖さである。
またミステリとは、その少女が、いったい何者が何のために自分を襲うのか、謎めいた気分になることである」(p.63。改行は当方による)

と引用されていました。少し前の箇所で荒俣は、

「以後、ウォルポールが示したような古代の怪物の復活を意図する超自然的な恐怖小説は、大発展して『ホラー派』と呼ばれるようになる」(pp.60-61)、

ラドクリフに代表される「ゴシックロマンスの一部は」

「すべての怪異を人間の悪意、陰謀に帰結させる物語へと向かった。世の人はこの方向を、すでに書いたように、テラー派と呼んだ」(p.62)、

「テラー派すなわち肉体に恐怖の加虐を加えるバイオレンスを売り物にした恐怖小説の系譜」(同上)

としていました。〈崇高〉から〈肉体的恐怖〉までと、〈テラー〉の意味がずいぶん揺れているようです。
 ちなみに同書のカラー図版コーナーに「その名も『テラー』と『ホラー』」というページがあって(p.163。pp.24-25 も参照)、 Horror Stories および Terror Tales という雑誌の、ともに1930年代後半のいくつかの号の、イラスト入り表紙が掲載されています。いかにも扇情的であることを本分とするこれらの表紙から、しかし〈テラー〉と〈ホラー〉の区別は読みとれそうにありませんでした。


〈怪奇〉と映画

 黒沢清・鶴田法男・高橋洋、「[ホラー映画座談会]なにか、ヤバイものが写っている・・・・・・・・・」、『ユリイカ』、vol.30-11、1998.8:「総特集 怪談」、pp.212-233(黒沢清、『恐怖の対談 映画のもっとこわい話』、青土社、2008、pp.9-46 に再録)

の中で高橋洋は、

「黒沢さんの名言で『怪奇と恐怖は違う』と」(p.216、再録:p.17)

と発言していました。 先に挙げたクランドルの本では、

「『今ではない』、『昔々』起こるという感覚を映画全体がたたえています。…(中略)…これらの映画は主として恐怖(ホラー)についてのものではなく、〈怪奇〉と私が呼びたいものなのです。雰囲気があって、陰鬱です。仮に近代という設定だとしても、『顔のない眼』での場合のように、出来事はどこか古い屋敷で起こることでしょう。実際には『現在』だとしても、そこにはとても古い、時代の感覚があります…。怖さ(フィア)は〈怪奇〉映画に必然的な要素でさえないのです」(pp.39-40)

と黒沢はインタヴューで語っています。通じるところがありそうなのが、「ホラー映画ベスト50」(1993)の第34位としてマリオ・バーヴァの『呪いの館』(1966)を挙げ、

「映画に於いて怪奇と幻想は共存できない。無理にでも両方を選びとろうとすると、たちまち質の悪い冗談になる。そのことにあまりに無自覚だったのはコッポラの『ドラキュラ』だが、それに較べてバーバの本作はまさに怪奇と幻想のぎりぎりの境界線をねらった極めて野心的な作品である」(黒沢清、『映画はおそろしい』、青土社、2001、p.38)

と記していました。ちなみにコッポラの『ドラキュラ』(1992)については日本公開(1992年12月19日)と踵を接するようにして、

「だが最終的にコッポラのヴィジョンは統一性を欠き、登場人物はからくり人形と化し、スペクタクルの断片は限りなく空回りしてしまう。…(中略)…
 しかし何といっても問題は、この作品では怪奇映画がそれ自身を完全に否定してしまうという点だ。つまりこの作品には邪悪の存在が許されない。これはジャンルの存在論に関わる」

と、斎藤綾子が批判していました(斎藤綾子、「コッポラのドラキュラ - そして彼は何故失敗してしまったか(ワールド・カルチュア・マップ/アメリカ)」、『ユリイカ』、第25巻第1号、1993.1(「幻想の博物誌」特集号、ただし本記事は特集外)、p.281)。個人的にはその「空回り」さ加減がお気に入りだったりするのですが。ついでにもう一点個人的には、『呪いの館』は第34位どころか、ベスト10に入れたいところなのでした。
 戻って黒沢清+篠崎誠、『黒沢清の恐怖の映画史』(青土社、2003)に、

篠崎 前に黒沢さん、人が死んで終わりになるのはホラーで、死んでから後があるのが怪奇だ、というようなことをいってませんでしたか?」(p.113)、

やはり『呪いの館』をめぐって、

「幻想映画というのはどこか、人の生き死にを無視した感じがする。…(中略)…
 その点、恐怖映画や怪奇映画は、人の生き死にを絶対に無視はしない。…(中略)…
死の世界からの侵入に怯えて生きるのが恐怖映画。…(中略)…
で、怪奇映画というのは、ついにあっちの世界に入ってしまうこと。あるいは、あっちからこっちへ、確実に何かが侵入してくる物語」(pp.148-149)、

「あくまで生きている日常がベースの『恐怖』、そこからポーンと死の世界に飛ぶ『幻想』、で、日常でいながら死の世界でもあるといったきわめて特殊な場所で繰り広げられるのが『怪奇』」(p.150)。

けっこう穿っているような気がするのですが、いかがでしょうか?


エピローグ

 とこうして、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968、監督:ジョージ・A・ロメロ)および『ローズマリーの赤ちゃん』(1968、監督:ロマン・ポランスキー)を先駆けに、『エクソシスト』(1973、監督:ウィリアム・フリードキン)や『ヘルハウス』(1973、監督:ジョン・ハフ)などいわゆる〈オカルトもの〉では超自然的な要素をとどめつつ、他方ハーシェル・ゴードン・ルイスの『血の祝祭日』(1963)などを先駆に、『悪魔のいけにえ』(1974、監督:トビー・フーパー)や『ハロウィン』(1978、監督:ジョン・カーペンター)などの〈血しぶき(スプラッター)映画〉ないし〈殺人鬼(スラッシャー)映画〉、そして『サイコ』(1960、監督:アルフレッド・ヒチコック)や『血を吸うカメラ』(1960、監督:マイケル・パウエル)などを中興の祖とするサイコ・スリラーなど、超自然性を組みこまないことが多い領域を包みこむ形で、〈ホラー〉が〈怪奇映画〉と入れ替わりました。〈怪奇映画〉という呼び名は、先に引いたクランドルも述べていたように、同時代性を欠き、いささか懐古的な調子を帯びることになる。
 冒頭で垣間見た〈アート〉、〈ミステリ〉、そして〈ホラー〉にはそれぞれの文脈があって、十把一絡げにするわけにはいきますまい。それはともかく、〈怪奇映画〉・〈怪奇小説〉の語が死に絶えたわけではありません。「怪奇城の外濠」の頁の「iii. 怪奇映画とその歴史など」に挙げたわずかばかりの資料をざっと見渡しても、

 菊地秀行、『怪奇映画の手帖 ホラー・シネマ・パラダイス』、幻想文学出版局、1993

 『幻想文学』、no.49、1997.3、pp.29-158:「特集 シネマと文學!~怪奇幻想映画館~

 デイヴィッド・J・スカル、栩木玲子訳、『モンスター・ショー 怪奇映画の文化史』、国書刊行会、1998

 内山一樹編、『怪奇と幻想への回路 怪談からJホラーへ 日本映画史叢書⑧』、森話社、2008

 四方田犬彦、『怪奇映画天国アジア』、白水社、2009

といった1990年代以降の書名に出くわします。わけても

 泉速之、『銀幕の百怪 本朝怪奇映画大概』、青土社、2000

はその第1章「彼岸の確信」で、〈幻想映画〉(p.13)も〈ホラー映画〉(p.16)、〈恐怖映画〉(p.19)も斥けて、

「超自然の恐怖を描いた作品をひとまず怪奇映画と呼ぶことにしよう」(同上)

と顕揚するのでした。同じ項の少し下に挙げた

 Jeremy Dyson, Bright Darkness. The Lost Art of the Supernatural Horror Film, Cassel, London and Washington, 1997

が副題にある〈超自然的恐怖映画〉、しかもモノクロのそれにこだわった点と(pp.xiv-xvi)比較できるかもしれません。
 かと思えば、先に触れた『日本版ファンゴリア』第1号所載の「創刊記念『ホラー座談会』」(1994.9)で石田一は、

「今でこそホラーっていう言葉が、やっと普通に使えるようになったけども、ほんの少し前まで怪奇映画ですからね」(p.23)

と話していました。この場合〈怪奇映画〉から〈ホラー〉への推移に開放感を見ているようです。

  他方、〈怪奇映画〉の名に値するものも、〈ゴシック・ホラー〉と呼び名を換えつつぽつぽつ作られ続けています。先に触れた、〈ゴシック・ホラー〉ならぬ〈ゴシック・ロマンス〉だという『クリムゾン・ピーク』(2016)を始めとして、2000年以後に製作された映画で、たまたま見る機会のあった作例から、思い当たるものをほんの少し並べてみるなら;

 『アザーズ』(2001、監督:アレハンドロ・アメナーバル)

 『セッション9』(2001、監督:ブラッド・アンダーソン)

 『ローズ・レッド』(TV、2002、監督:クレイグ・R・・バクスリー)
   スティーヴン・キングの脚本による。先にキングがらみでタイトルを挙げた『たたり』(1963)ないしその原作であるシャーリ・ジャクソンの『山荘綺談』(1959)を念頭に置いたと思われるお話でした。

 『エイリアンVSプレデター』(2004、監督:ポール・W・S・アンダーソン)
   →こちら(「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ」)でも触れましたが、見ようによっては本作は、ラヴクラフトの「狂気の山脈にて」(1931)を改変したものと見なせなくもないかもしれません。

 『ツールボックス・マーダー』(2004、監督:トビー・フーパー)

 『劇場版 XXXHOLic 真夏ノ夜ノ夢』(2005、監督:水島努)

 『機械じかけの小児病棟』(2005、監督:ジャウマ・パラゲロ)

 『ウルフマン』(2010、監督:ジョー・ジョンストン)
    『狼男』(1941)の再製作作。

 『リヴィッド』(2011、監督:アレクサンドル・バスティロ、ジュリアン・モーリー)

 『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』(2012、監督:ジェイムズ・ワトキンス)
   スーザン・ヒルの『黒衣の女』(1983)が原作、復活したハマー・フィルム名義による怪奇映画の一点

 『劇場版 零 ゼロ』(2014、監督:安里麻里)
    →こちらで少し触れました:「『Meiga を探せ!』より、他」の頁

 『ダゲレオタイプの女』(2016、監督:黒沢清)

 『キュア ~禁断の隔離病棟~』(2016、監督:ゴア・ヴァービンスキー)

 『ダーク・スクール』(2018、監督:ロドリゴ・コルテス)
   お話の骨組みが『京城学校 消えた少女たち』(2015、監督:イ・ヘモン)と共通する作品。ただし後者の設定は厳密にはSFということになります。怪奇風味を欠いてはいませんが。

 『ダーケスト・ウォーター』(2017、監督:ブライアン・オマリー)

 『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』(2018、監督:マイケル・スピエリッグ、ピーター・スピリエッグ)

 『死霊館のシスター』(2018、監督:コリン・ハーディ)

 『デビルズ・ソナタ』(2019、監督:アンドリュー・デズモンド)

 『デ・ヴィル家への招待状』(2022、監督:ジェシカ・M・トンプソン)

などなどがありました。まだまだあることでしょう。それぞれ作品としてうまくいっているかどうか、古城度数の如何は、また別の話となります。
 とまれ、映像や音の急激な変化などによるショック効果、いわゆる〈ジャンプスケア〉や、あるいはメーキャップや残酷描写など、特定の文化の枠内でグロテスクと見なされるものの呈示に頼ることなく、人の身の丈の尺度を超えた建物の中をふらふらうろうろするだけで、なにがしかの雰囲気を感じさせる、そんな映画が今後も製作されることを夢見て、筆を擱くことといたしましょう。



追補(2024/6/7);「『Meigaを探せ!』より、他」からの出張所の一つ、『虹男』(1949)の頁でも触れましたが( →そちら)、元の勤め先で

 速水豊・弘中智子・清水智世編集、『シュルレアリスムと日本 「シュルレアリスム宣言」100年』、青幻舎/京都府京都文化博物館、板橋区立美術館、三重県立美術館、2023-2024

という展覧会が開かれています。やはり勤め先では、

 『ショック・オブ・ダリ サルバドール・ダリと日本の前衛』展、三重県立美術館、諸橋近代美術館、2021

が少し前に催され、振り返れば本展の予告篇的な役割をも果たしていたことになります。その時は気にならなかったのですが、今回は、第1章「先駆者たち」に配された東郷青児《超現実派の散歩》(1929(昭和4)年、図録p.28/cat.no.001)や阿部金剛《Rien No.1》(1929(昭和4)年、p.30/cat.no.002)をはじめとして、平坦な色面で画面を構成した作品がぼちぼち目にとまりました。傾向とまでいえるのかどうかはわかりませんが、具象的な眺めを描いていても、明暗の連続する推移によって三次元的な奥行きを再現する以上に、しばしば色彩の鮮やかさに重点を置いた、いわゆる〈モダン〉と形容できそうな画面作りが、往々にして〈反近代的〉と見なされるシュルレアリスム系の作品にも見出される点が、興味を惹いたとでもいえましょうか。

 他方これは以前から引っかかっていたような気がするのですが、すっきりした色面構成と対照的といっていいものかどうか、ぐねぐねぐちゅぐちゅと、地中の根っこめいて暗くおどろな一連の作品にも注意を引かれずにいませんでした。小牧源太郎《民族系譜学》(1937(昭和12)年、p.89/cat.no.044)や寺田政明《生物の創造》(1939(昭和14)年、p.132/cat.no.063)、多賀谷伊徳《飛翔する前》(1939(昭和14)年、p.159/cat.no.081)などです。

 ちなみにどろどろ系とつながるのかどうか、松崎政雄《フィンガーペイント》(p.93/cat.no.047)は、時代は下りますが、シモン・アンタイの1954~55年頃の作品を連想させずにいませんでした。《フィンガーペイント》は45.5x39.6cm の台紙に画面4つという小ささ、アンタイのたとえば《性=一時課 ジャン=ピエール・ブリセ讃 Sexe-Prime. Hommage à Jean-Pierre Brisset》 (1955、所蔵館であるポンピドゥー・センターのサイトから、国立近代美術館所蔵品の頁→こちら)は240x530cm と、えらく大きかったりするのですが。そもそも初期のアンタイは、ぐちゅぐちゅどろどろ系シュルレアリストでした。
 こちらはすっきり色面系とつなげてよいものやら、高井貞二《煙》(1933(昭和8)年、p.47/cat.no.018)は、エッシャーを思わせなくもないといっていいものかどうか。
 はたまたどろどろ系とすっきり系が併存しているのが山本正《青年》(1935(昭和10)年、p.62/cat.no.027)で、画面左下の床の部分がどうなっているのか、気になって仕方がなかったことでした。
 さて、展覧会にあわせて開催された連続講座「シュルレアリスムと〈場所〉」の第3回「シュルレアリスムと名古屋」(講師:副田一穂、6月1日)で、戦前の名古屋で重要な役割を果たした画家・写真家の下郷羊雄(しもざとよしお)(1907-1981)に、《怪奇鳥亜属》(1937)と題された作品があるという話を聞きました。  下郷羊雄 《怪奇鳥亜属》 1937(昭和12)年
下郷羊雄 《怪奇鳥亜属》、1937(昭和12)年
 聞いたといいつつそもそも、

 『アイチアートクロニクル 1919-2019』展図録、愛知県美術館、2019

中の第1部「1919-1954」第3章「シュルレアリスムの名古屋」に挿図付きで記されていたのですが(p.75)、例によってきれいに忘れていたことです。この文章の筆者も副田一穂でした(『シュルレアリスムと日本 「シュルレアリスム宣言」100年』所収の副田一穂「名古屋のシュルレアリスム」にも掲載;p.112)。

 とまれ、下郷のこの作品は、1938年に刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』に掲載されました。この辞典には邦訳もあります;

 アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール編、江原順訳、『シュルレアリスム簡約辞典』、現代思潮社、1971

 「この辞典は、1938年、パリの Galerie des Beaux-Arts (140, Rue de Faubourg Saint-Honoré)で、シュルレアリスム国際展が催された折に、カタログとして出版されたものである」(江原順、「はしがき」、p.127

とのことで、辞典部分(pp.3-30)の後に図版掲載部が大きくとってあります(pp.31-115.。辞典の「補遺」が続く;pp.116-120)。先の連続講座の第1回「シュルレアリスムと日本という場所」(講師:速水豊、5月4日)でも、話の「手がかり」として扱われていました。その中でも述べられていましたが、「補遺」には『虹男』(1949)の頁( →そちらの2)で取りあげた「オーギュスト・ネエテル」の《奇跡の牧童》も掲載されています(p.117)。
 同じく第1回講座で挙げられていたように、辞典部分に「瀧口修造」(p.27)と「山中散生」(p.30)の項があり、図版部に

邦訳での頁 現行のタイトル等   参考
p.46  今井滋 《飛翔 À la volée》 1935(昭和10)年  《愉快な旅行者》 1936(昭和11)年  『日本のシュールレアリスム』展図録、名古屋市美術館、1990、p.79
p.104  鈴木(瀧口)綾子 《風景 Le paysage》 1935(昭和10)年    『シュルレアリスムと日本 「シュルレアリスム宣言」100年』、p.198/図1 
p.105  大塚耕二 《黄昏の隔世遺伝 Les atavismes du crépuscule》 1936(昭和11)年  《トリリート》 1937(昭和12)年 『シュルレアリスムと日本 「シュルレアリスム宣言」100年』、p.97/cat.no.050

が掲載され、鈴木綾子《風景》と同じ頁に、下郷の件の作品の図版が載せられていたのでした(p.104。また『シュルレアリスムと日本 「シュルレアリスム宣言」100年』展図録には原著から当該頁が掲載されています(p.086/cat.no.D39)。
 ただ上の表でも、今井滋と大塚耕二の場合『簡約辞典』に記されたタイトルや制作年が現行のものと異なっていましたが、下郷の作品も、《夜の験証》(1936(昭和11)年)となっています。この点について副田一穂は、

 副田一穂、「多肉植物と写真 - 下郷羊雄の可食的オブジェについて」、『研究紀要』、25号、2019、pp.26-44 [ < 愛知県美術館

の中で、

「同作品の題は、日本国内でしか通用しない園芸名『怪奇鳥亜属』の仏語訳が困難であったためか、L'examen de minuit (夜の験証)として紹介されている。André Breton ed. Dictionnaire abrégé du surréalisme, Galerie des beaux-arts, Paris, 1938, p.66」(p.44 註107)

と述べています。
 他方ここで注意を引くのは、「園芸名」との呼び方です。第3回講座でこの話を聞いて吃驚し、上の紀要論文がウェブ上にPDFファイルで掲載されていたのをさいわい、プリントアウトしてまで確認したのでした。そこでは、名古屋の多肉植物専門店「紅波園」園主・渡辺栄次(1898?-1961)によって1934年12月から刊行された「多肉植物専門の月刊情報誌」『シャボテン』(p.28)に関連して;

「次第にメセン専門の愛好家として界隈で認知されはじめた下郷は、1937年1月発行の26号に『メセン美学:超現実的オブジェとしての』という文章を寄せる。『強烈なるエロチシズム』や『強烈な不合理性の怪奇美』といったシュルレアリスムのオブジェにまつわるクリシェを多用した下郷の語りは、一見多肉植物の情報誌という媒体にふさわしからぬ雰囲気をまとっている。しかし、多肉植物に『怪奇美』を見るという姿勢そのものは、実際には下郷の独創というわけではなかった。たとえば1934年にハーマン・ヤコブセンの『多肉植物の培養』(原著は Hermann Jacobsen, Die Sukkulenten, 1933)を翻訳した長岡行夫は、多肉植物の専門書としては戦前唯一となる同書の刊行を『我が国に於ける「怪奇美」の誕生』と表現しているし、1937年の汎太平洋平和博覧会温室展示を見た紅波園の渡辺は、それを『目下流行の多肉植物は怪奇美の極致』と報告している…(中略)…下郷の絵画《怪奇鳥亜属》(1937年)のタイトルにしても、渡辺が付けたミトロフィルムの園芸名『怪奇鳥』を採ったにすぎない」(p.29)

と記されています。作品は現在所在不明なのでしょうか、色彩や質感の確認はできませんが、おそらく名古屋市美術館の《伊豆の海》(1937(昭和12)年、『シュルレアリスムと日本 「シュルレアリスム宣言」100年』、p.78/cat.no.040)などに近いのでしょう。

「…(前略)…下郷は絵画では早くから多肉植物を取り上げている。…(中略)…1937年1月から3月にかけて描き上げた《伊豆の海》、《カルウ》、《プレイオスピロス亜属》、《妖花と赤い蔓》、《怪奇鳥亜属》(いずれも前述『第5回新造型展』出品作)」(副田一穂、「多肉植物と写真 - 下郷羊雄の可食的オブジェについて」、p.36。「前述『第5回新造型展』」とあるのは、同じ頁の上の箇所。『シュルレアリスムと日本 「シュルレアリスム宣言」100年』、pp.74-78 も参照)

と、一連の系列にまとめられています。いかにも描かれたイメージに似つかわしそうな《怪奇鳥亜属》という題名が、しかしメセンの一種の園芸名を宛てただけだったといういきさつがいたく印象的だったもので、ながながとメモした次第です。もっとも元の園芸名に〈怪奇〉の語を選んだ際の意味合い自体は、怪し気で(くす)しきという点に変わりはないのでしょう。

 ついでながら、次の論考では、1937(昭和12)年の《怪奇鳥亜属》とほど遠からぬ1934(昭和9)年に発表された夢野久作の「木魂」を中心に、本格探偵小説と区別される変格探偵小説における、夢野の〈怪奇〉観を引きだしてています;

加藤夢三、「Ⅲ 第8章 『怪奇』の出現機構 - 夢野久作『木魂』の表現位相」、『合理的なものの詩学 近現代日本文学と理論物理学の邂逅』(ひつじ研究叢書〈文学編〉 12)、ひつじ書房、2019、pp.258-283
  はじめに/数学的理性への偏執/逸脱する記号演算/「怪奇小説」の記述作法/おわりに
  
2023/02/06 以後、随時修正・追補
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