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呪いの館 血を吸う眼

    1971年、日本 
 監督   山本迪夫 
撮影   西垣六郎 
編集   近藤久 
 美術   育野重一
    約1時間22分 
画面比:横×縦   2.35:1 
    カラー 

ケーブルテレビで放映
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 『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970)に続く『血を吸う』三部作第二弾です。前作もそうでしたが、『女吸血鬼』(1959)、『吸血鬼ゴケミドロ』(1968、監督:佐藤肇)いずれも、近代の小説や映画における定型的な吸血鬼像に則っていないとあって、下掲の泉速之『銀幕の百怪』が指摘するように(p.196)、日本でのその本格的な導入については本作と第三弾『血を吸う薔薇』を挙げるべきなのでしょう。
 『花嫁吸血魔』(1960、監督:並木鏡太郎)は未見なので何ともいえませんが、『吸血髑髏船』(1968、監督:松野宏軌)、『妖怪大戦争』(1968、監督:黒田義之)はいずれもやはり変則型、『ÉMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1967、監督:大林宣彦)も定型的とは呼べますまい。TVの『怪奇大作戦』第6話「吸血地獄」(1968/10/20放映、監督:円谷一)またしかり。放映は遅れましたが、やはりTVの『恐怖劇場アンバランス』第11話「吸血鬼の絶叫」(1969-70制作、1973/3/19放映、監督:鈴木英夫)が設定の点で定型を踏まえていましたが、お話はひねってありました。TVドラマには他にも例があるかもしれません。
 本作中で主人公たちが当たり前のように吸血鬼の疑惑を持ちだすところがありましたが、この点をとっても、本作が初の本格的導入と見なされるにもかかわらず、この時点ですでに、吸血鬼という設定はいささか当たり前のものになっていたのでしょうか。「吸血鬼の絶叫」のひねりもまたそうした徴候なのでしょう。


 とはいえ本作について特筆すべきは、続く『血を吸う薔薇』とともに岸田森が吸血鬼役を演じたことでしょう。先に触れた『怪奇大作戦』のレギュラーでもあり、とりわけ第25話「京都買います」(1969/3/2放映、監督:実相寺昭雄)で忘れがたいその存在感については、すでに多くの言葉が費やされていることと思われます。なお彼の役どころに名はつけられていないようで、「影のような男」とされています(泉速之、『銀幕の百怪』、p.300)。
 また冒頭と終幕近くに登場、しかし髭まみれでほとんど面立ちの判じがたい老人を演じた大滝秀治は、市川崑の『犬神家の一族』(1976)を始めとする横溝正史連作における常連の一人でした。

 柏木秋子は5才の頃、飼い犬のレオを追ってトンネルをくぐり、先にあった古い館に迷いこみます。広間のピアノの前に坐って背を向けていた白いドレスの女性は死んでおり、階段から「影のような男」(岸田森)がおりてくる。
 以上をプロローグに、18年後(と後にわかる。5才だったというのも同じです)、中学の教師だというわりに働いている様子のない秋子(藤田みどり)は、三つ下の妹の夏子(江美早苗)と、富士見湖畔の山荘風の家に暮らしています。子供の頃の出来事のせいか、自分でも理由がつかめないまま、池だか沼だか湖だかの上に大きな眼が浮かぶ絵を描かずにいられません。
 近くのレストハウスの久作(高品格)に用を頼んでいると、どこからか大きな木箱がレストハウス宛で届く。西原運送店と記されたトラックの運転手(二見忠男)は、しかし素っ気ない。久作が梱包を解くと綺麗な装飾を施された白い柩でした。
 秋子の恋人・佐伯たかし(髙橋長英)のつとめる大学病院に、富士見湖の近くで倒れていた娘が担ぎこまれます。記憶が定かでなく、大量の血液を失なっていました。
 とこうする内に子供の頃から飼ってきたレオは血を吐いて倒れているのが見つかり、久作は様子がおかしくなり、夏子まで夜中に林をさまようのでした。病院の娘は階段から落ちてしまい、久作は佐伯に車中で襲いかかるも雷に撃たれます。夏子も死んでしまい、しかし首筋に二つの傷跡をつけた看護士を残して、遺骸が行方不明になります。
 吸血鬼が暗躍していると疑う佐伯は、秋子に催眠術をかけて18年前の出来事に手がかりを求めますが果たせず、二人で秋子たちの故郷、「能登半島の小さな港町」に車で向かうのでした。

 以上が大まかな粗筋です。タイトルにある「呪いの館」はプロローグと中盤での回想、そしてクライマックスに登場します。
 まずはいやに赤い空の下、岩だらけの海岸に小さなシルエットが何人か見えます。その内の一人、5才の秋子が走りだした子犬のレオを追います。岩の洞窟と見えたところに入る。少しすると洞窟を抜ける、つまりトンネルだったようです。しばらく進むと一部崩れた石の欄干があり、その向こうに館が姿を現わします。
 尖り屋根のそれは、二階中央あたりに半円筒の出窓があり、その下に半円アーチの玄関口がある。地面から1~2段上ります。後の再訪の際も、映るのは正面の同じく一部だけで、全体の姿はわかりません。右手前には太い木が立っています。
 地面に霧が這う中、出くわした髭だらけの老人に怯えて秋子は館の中に入ります。
 切り替わると薄暗い屋内が上から見下ろされます。右手に半円アーチの玄関口、その左で左上がりに階段が登っていく。あがった先で手前に吹抜回廊が左上から右下へ、右下で折れて右上へと巡っているようです。シャンデリアが吹抜に吊られている。階段の一階親柱は斑いり大理石製で、上に彫像を載せています。吹抜回廊の右端にも彫像が置いてあるらしい。
 吹抜回廊の手前の角から見おろしていたカメラは、切り替わると一階の床から見上げます。右手に来る階段は踊り場をはさみつつ、折れずにまっすぐ二階に上がっていました。踊り場の上下で右の壁に縦長の窓があり、格子状の桟をはめています。窓の両脇にはいずれも赤いカーテンが束ねてある。壁は白塗りです。カメラが右から左へ、階段をあがって左の壁に二つ、黄を主にしたステンドグラスが配され、さらに左に奥への廊下が伸びている。一階二階とも、廊下口の左で角となり、壁は手前に折れています。
 カメラはそのまま左下へ、一階の角の手前にピアノが置いてあり、そこに白いドレスの女性が背を向けて坐っていたのでした。眼を光らせた「影のような男」が階段を降りてくるのに続き、タイトルのバックにはネガを反転して色を操作した眼のアップ、クレジットの際は館内の各部が映しだされます。本篇中ではしかと映らない部分や視角も見受けられ、お得です。『ウルトラQ 第9話 クモ男爵』(1966)や『ヨーガ伯爵の復活』(1971)、また『エル・ゾンビ 落武者のえじき』(1972)などのオープニング・クレジットと比べてみるのはいかがでしょうか。


 舞台は18年後の富士見湖畔に移り、館の再登場には約1時間8分まで待たなければならないのですが、その間にも面白がれる空間を見ることはできます。何かと階段が多いのです。
 まずレストハウスも秋子たちの家も、道路から10段ほどあがった少し高い位置に建てられています。レストハウスの場合は石垣の上にある。
 またレストハウスは入口から入って、食堂だか店だかに用いられる広間の奥に二階への階段があり、やはり吹抜になったそこでは、あがると左へ短い廊下と、館と相似た構造をなしているわけです。廊下の左手には扉があり、そこから出てきた「影のような男」に、訪ねてきた秋子は対面することになります。

 秋子たちの家は、玄関から入って少し間をとり、2~3段上って居間兼食堂となります。あちこちに絵が飾ってある。件の浮かぶ眼の絵はイーゼルに置いてありました。やはり奥に二階への木の階段があります。右奥には扉があって、その向こうはさほど広くない台所です。壁が白と黄土の市松をなしていました。台所の反対側には勝手口の扉があります。後に玄関間の脇に暖炉のあることがわかります。
 また二階は姉妹それぞれの部屋が幅の広くない廊下に面しています。ある場面では壁に窓の桟の影が落ちたりします。夏子の部屋の中にも上への階段があるように見えるのですが、これは後に階段状の奥行きの狭い棚であることがわかります。

 病院でも夜の照明を落とした廊下が出てくるほか、非常階段で事件が起こります。その際は地面からの極端な俯瞰で何階分もあることがわかり、切り替わって上階から地面が極端な仰視でとらえられます。見おろされる娘の亡骸は、『女優霊』(1996、監督:中田秀夫)の一場面を連想させなくもありません。

 寝衣にガウンをはおった夏子が夜の林をさまよったり、『血を吸う人形』同様、シネスコの横長画面の左右に秋子と夏子が向かいあって配されたり(この時は二人は中央に歩み寄ります)、同じく左に夏子、中央に秋子、右に「影のような男」が立ったりします。この時は夏子が真情を吐露し、主人公であるはずの秋子を喰ってしまいます。抑圧から解放されたということでしょうか、ハマーの『凶人ドラキュラ』(1966)におけるバーバラ・シェリーの役どころと比べられるかもしれません。

 また病院へ向かう佐伯の車、秋子の故郷を向かう二人の車がともにトンネルを抜けます。プロローグおよびクライマックスで、館へ通じる洞窟状トンネルを抜けることはあきらかに異界への経路なのでしょうが、先の二つもその先触れなのかもしれません。

 ともあれ二人は冒頭同様真っ赤な夕焼けの下、岩だらけの海岸から館にやってきます。トンネルを抜けた途中の道には西原運送店のトラックが停めてあり、ドアを開くと運転手が転がりだす。
 石の欄干、ファサードに続いて中に入るとまたカメラは俯瞰になります。次いで屋内では下から上へ、ピアノを確認する。二人が階段を登り吹抜回廊を手前へ進むに従って、カメラは右下から左上へ首を巡らせます。背後の壁に欄干の影が落ちている。
 吹抜回廊左の廊下を奥へ、すぐ右に扉がありました。中に入って左から右へ、背を向けた老人が坐っていました。老人は息のない様子でしたが、かたわらにあった日誌が経緯を告げます。
 続いてシネスコ横長画面の左に秋子と佐伯、右に「影のような男」、間に二つのステンドグラスが配されます。ステンドグラスは吹抜回廊の奥の壁にあったもので、この後、「影のような男」がここの一つを突き破ってクライマックスの舞台を回廊に移します。やはり壁に欄干の影が落ちています。落着後には廊下から夏子が現われるのですが、背後に回廊の奥の方を映してくれます。やはり壁には欄干の影、また大理石の腰板が見え、しっかりしたセット作りを怠ってはいないのでした。


 前作『血を吸う人形』では吹抜回廊に立った姿が見上げられることである女性の登場を描きましたが、本作でも「影のような男」が始めて画面に現われるのは、階段を降りてくる姿でした。ともにハマーの『吸血鬼ドラキュラ』(1958)を受け継いでいるのでしょう。また吹抜回廊から落ちるというモティーフは、やはりハマーの『ドラキュラ血の味』(1970)を連想させなくもありません。
 18年の間を置いて「影のような男」が秋子のもとに現われる理由は定かでなく、吸血鬼とその犠牲者の白塗りがやや濃すぎる感なしとしない。また「影のような男」がやたらがお~と唸るのは必要かどうかとも思いますが、これはむしろ、物静かな状態との落差を強調する演出なのでしょう。
 何より館の登場部分が前作に比べて減ってしまったのは個人的には残念で、館に辿りついた主役二人には、もっとあちこち迷ってほしかったと思わなくもありませんが、これは無い物ねだりなのでしょう。いささかこじつければ、館なり城に始まり中盤の舞台を移し、最後に館なり城に帰ろうとするという、ハマーの『吸血鬼ドラキュラ』や『凶人ドラキュラ』、『帰って来たドラキュラ』(1968)などの構成に呼応しているのかもしれません。いずれにせよセットは丁寧に仕上げられています。もって本作を古城映画に数えることができましょう。

Cf.,  ジョン・L・フリン、『シネマティック・ヴァンパイア 吸血鬼映画B級大全』、1995、pp.166-167/nos.142-144

日本特撮・幻想映画全集』、1997、p.221

泉速之、『銀幕の百怪 本朝怪奇映画大概』、2000、pp.196-199、300-301

日本恐怖(ホラー)映画への招待』(別冊太陽)、2000、pp.94-96

浦山珠夫、「血を吸うシリーズ」、『最恐ホラー大全【邦画編】』、2004、p.68
「山本((ママ))夫インタビュー」、同上、pp.70-71

 2017/10/05 以後、随時修正・追補
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