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フランケンシュタイン復活 *
Son of Frankenstein
    1939年、USA 
 監督   ローランド・V・リー 
撮影   ジョージ・ロビンスン 
編集   テッド・ケント 
 美術   ジャック・オタースン 
 セット装飾   ラッセル・A・ガウスマン 
    約1時間39分 
画面比:横×縦    1.37:1 
    モノクロ 

DVD
* DVDの邦題は『フランケンシュタインの復活』
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 『フランケンシュタイン』(1931)、『フランケンシュタインの花嫁』(1935)に続くユニヴァーサル社のフランケンシュタイン・シリーズ第3作。この作品で怪物が殺人機械と化したためカーロフは以後、同じ役をやらなかったとしばしば語られ、たしかに篇中で描かれる殺人の場面で怪物はひどく冷静で、あまつさえ第一の場面では偽装工作まで行なっています(ずっとルゴシ演じるイゴールの笛に操られていたものと思っていたのですが、今回見直してみると、あにはからんや、イゴールの要請によるものではあるにせよ、自分の意志で犯行を犯しているように描かれていました)。他方、鏡を前にフランケンシュタイン男爵の息子と己を見比べた時の戸惑いと絶望、唯一の友人であったイゴールが殺されたのを知った時の嘆きと怒りは、殺人を犯す際の冷酷さや、新男爵の幼子を連れ去る際の邪悪さと表裏をなして、怪物の性格に複雑なニュアンスを与えていたように思われます。またイゴールを演じるルゴシも、劣らず生き生きしており、警部役のライオネル・アトウィルともども、新男爵役のバジル・ラスボーンを完全に喰っていたことです。
 他方この作品の「特色は、古典的探偵劇(ミステリー)の〝不気味な大邸宅〟の趣向を取り入れていることだろう」と菊地秀行が述べています(下掲「我がフランケンシュタイン映画史(後編)」、p.280)。やはり下掲のフアン・アントニオ・ラミーレス『スクリーンのための建築 ハリウッドの黄金時代におけるセット・デザインの批判的研究』がこの映画のセットを図版で掲載している点も、「怪奇城の外濠」当該箇所でふれました(→こちら)。これも下掲の加藤幹郎『映画ジャンル論 ハリウッド的快楽のスタイル』にいたっては、ラミーレス、p.140 に掲載されたのと同じ図版がカヴァーを飾り、pp.236-239 でセットを分析の対象としています。ことほどさように本作品は、古城映画史に燦然と輝く1本なのでした。

 開幕してさっそく、フランケンシュタイン城の外観が映されます。先立つ2篇とまったく異なるそれは、手前に門と隣接する見張り窓のある棟、左右に延びる城壁があり、その向こう、山上にそびえています。木製の門の上には、透かし彫りで FRANKENSTEIN と刻まれています。とんがり屋根の見張り小塔は遠近感を加速したかのようなうねりをはらんでいて、そのうねりは城壁右側部分とそれに沿った道にまで及んでいる。また後に映る、村の一角にも相似たうねりが見られます。右側の道は村に通じているようで、上から見下ろす角度で通行する村人が捉えられ、けっこうな坂道らしい。城門の手前には、警官が詰めている小屋があります。
 マット画によるのであろうこうした外観からすると、城本体と門との間にはけっこう距離があるようにも見えるのですが、見張り窓はまた、イゴールがしばしば顔を覗かせる場所でもあります。その登場の仕方からすると、城内部とつながっているようで、であればそんなに離れてはいないはずなのですが、この点はよくわからない。ともあれ凹みの奥に窓があり、ガラスはすでに割れてしまっているようです。窓の位置は地面から結構高くにあり、イゴールの登場は物語の上でも空間的な位置の上でも、事を動かす契機となっているように思われたことでした。


 城の中に入るに先立って、城外で二つの場所が出てきます。一つは村の議会で、壁の一つに議長席、左右の壁に二人用の議員席が一つずつ、いずれも上に広い台形の囲いがあって、高い位置にしつらえられています。その下には何段かの段があって床にいたる。議長席のある壁の右端に入口が開いており、扉口の上の方は明るい文様か何かで囲まれています。この部屋はそんなに広くもないのですが、やはり物語を展開させる軸として何度か登場します。その際は光源の設定にも工夫が凝らされて、影や人物の映し方に変化をもたらすことでしょう。
 もう一つは父の遺産を継ぐべくフランケンシュタインの息子と妻、子供が乗ってくる列車から見える風景です。ぽつんぽつんと離れて葉のない木が立ち、しかもつねに強い風に吹きさらされているのか、ほとんど倒れそうなくらい横に伸びたり、ねじくれたりしている。線路も直進するのではなく、大きなカーヴを描きます。未来への期待に胸膨らませる家族の様子とは著しく対照的に、いかにもな不気味さで横に流れていくのでした。この荒涼とした景色は、城をも取り巻いており、怪物による凶行の舞台となります。


 土砂降りの夜の駅、集まってきた村人たちから予想外の対応を受けた新男爵一家は、車で城の玄関に乗りつける。玄関は両側から斜めになった壁が谷のように迫る、その谷底にありました。城内に入ればカメラは一転して、奥から玄関の方を捉えます。玄関広間は扉に向かって左側に暖炉、その手前に背もたれが大きくうねる椅子のシルエットが見えるのですが、何より、右手前から上がっていく階段が主役にほかなりません。手前からいったん右へ、しかしすぐに水平ないしゆるい斜面をなす踊り場状の廊下を経て、また上に昇り、数回屈曲して上の階に導く歩廊にいたるのでした。後の方には、階段を上ってくる人物を上から見下ろして捉える場面もあり、階段が段の部分と平らな通路の繰り返しであることがよくわかります。
 階段は垂直部分(蹴上)をすべて抜いて、宙に浮かせた水平面(踏面)だけを連ねたもので、そのため軽快さとモダンさを感じさせます。手すりも、随所で立ちあがる柱を結ぶ棒でできていて、そうした感触を裏切ることがない。柱は下に細くなっており、頂には低いピラミッドが附されています。この柱は、後に出てくる子供部屋でも見られました。
 さらにこの城では、壁は原則として、板貼りでもなければ壁紙を貼られることもない、無装飾の平滑な面からなります。列車や自動車が用いられる時代が舞台とはいえ、宏壮な城が幾代も続いてきた家系の貴族のものだとすれば、実際にはありそうにない内装と見なしてよいのでしょうか(たぶん)。ちなみにこの作品では、後に出てくる実験室の一部を除けば、実際はともあれ、映画でおなじみの中世風とされよう古城につきものの石積みの壁も、少なくとも本丸部分には見当たりません。しかし見ている間はそんなことを気づかせもしないほど、印象的な空間が目白押しなのです。
 壁と階段のモダンさを補ってあまりあるのが、壁に大きく映った階段等の影です(よくわからないものの影も混じっています)。ここで先ほど名のみ挙げた暖炉の設定が生きてきます。左下にある暖炉が主たる光源となって、右上の壁に大きな影を落とすというわけです。もとより現実に、暖炉の光だけであんな風に見えるものか、定かではありませんが、これも視覚的な鮮烈さの前では気になりません。
 空間の印象をさらに補強しているのが、広間を映す画面が額縁状に縁取られている点です。これは手前にある梁や柱ということになり、当然ながら主たる空間に対して暗い。こうした額縁状のルプソワールは、ここだけでなく他の場面でも頻繁に用いられ、この作品の画面設計の特徴の一つをなしているようです。その際しばしば、梁や柱は垂直・水平ではなく、何がしかの傾きを与えられている。また額縁状のそれにとどまらず、画面手前にテーブルを配するなどの構図が幾度も見受けられ、空間の奥行きを保証するのでした。


 階段の前を右手に入ると、書斎です。戸口の正面に暖炉、左側の壁は大きな窓が占めています。到着の夜には、窓の外で雷がごろごろ鳴り、稲妻が光っていました。さて、この部屋の特徴は、大きなアーチが空間を区切っていることでしょう。後の場面では、暖炉の両側に太い柱があり、上すぼまりの台形をなしていることがわかります。さらに後の場面では、木の柱は壁の途中までの高さで、斜めに壁に食いこむかのように見えます。そして柱の両脇に大きな半円アーチが伸びだして、部屋の反対側まで達しているようなのです。さらに、アーチの外側にも斜めの柱があって、アーチをはさむ格好になっています。
 なお暖炉の前には、上に球をいただいた2本の半柱が立っており、そこから横へ仕切りが伸びています。『魔の家』(1932)にも似たようなものが現われ、その時はよくわからなかったのですが、要するに暖炉の内と外を区切る囲いらしい。セット装飾は同じラッセル・A・ガウスマンが担当しているのですが(間に7年はさんでいますが)、ともあれこれは、実際にこうした囲いが用いられているのでしょう。後に出てくる夫婦の寝室の暖炉にも、同じような仕切りがありました。


 次の場面では子供の寝室が映ります。戸口の正面には窓があり、戸口から見ると左、画面では正面にあたる壁が少し斜めになった太い柱で区切られ、それと平行にカーテンの束が並んで、窓となります。
 この部屋では、戸口から入ってすぐのところに低い囲いが配されていて、いったん数段昇り、またすぐに数段降りて床になるという案配です。囲いの上には門状の低い柱が2本立てられています。柱は玄関広間の階段にあったのと同じ形です。ちなみにこうした囲いは、『吸血鬼ノスフェラトゥ 恐怖の交響楽』(1922)で船長室の場面に登場していました。これもまた、実際に用いられていたものなのでしょうか。
 なお子供部屋に関しては、後の場面で戸棚に隠し窓、また壁に隠し扉があることが判明します。


 次いで夫婦の寝室に場面は移り、やはりゆるく傾く梁が額縁をなす中、壁や柱も上すぼまりになっています。右の方に細長い窓、右手前には暖炉があり、壁の随所に光があたって明るい部分と暗い部分を対照させる。
 部屋のまん中には装飾的な柱が立っていて、それをはさむように寝台が二つ、頭を近づけ、足の方は離すという、扇状に配されています。この配置は印象的ではありますが、会話の中でも「へんな向き」と言われており、一応理由づけが必要と感じられたのでしょう、「言い伝え」が引きあいに出されます。とすると、視覚的なイメージが最初にあって、脚本に組みいれられたのか、監督、脚本家、美術担当の間でどんな段取りで進められたのか、物語の本筋には関わらない要素であるだけに、気になるところなのでした。
 また後の場面では、暖炉の両脇および左側の柱が、いずれも上の方に出っ張りを有していることがわかります。この部分では石でできているように見え、機能的な意義があるのかどうか不明ですが、こうした部分があるだけで嬉しくなったりします。


 古城にかぎらず、映画で建物の中を舞台にする時、どうしても部屋が中心にならざるをえません。しかし複数の部屋の存在を納得させ、また空間と、その中を動くことで生じる時間のひろがりを感じさせるには、やはり廊下や階段の描写がほしいところです。この映画では、うれしや、子供部屋や夫婦の部屋がある2階の廊下が映され、しかもこれがたいそうかっこがいい。斜めの梁を額縁に、廊下の左右に部屋への戸口があり、奥の方にも開口部があって、これは玄関広間の階段に通じているようです。左側で壁から出っ張りがつきだしていたり、明るい部分と暗い部分が幾何学的な面に分割され、強い対比とともに交錯するのでした。
 後の場面ではさらに、明暗の対比が極端なまでに強調されます。画面の四隅を斜めに影が切りとり、八角形の枠をなして、奥深さを加速させるのでした。奥の方には左上に上がる階段ものぞいています。

 さて、いよいよ、加藤幹郎『映画ジャンル論』のカヴァーにも用いられた食堂(?)です。食事に使うテーブルはいたって小さく、この部屋で何より印象的なのは、テーブルを左右からはさむように、壁から張りだすスロープでしょう。スロープの上面は2階から降りてくるためのもので、ゆるやかに中央の方へ下がっています。手すりもついている。実際子供と乳母がここから登場します。スロープの先は天井から降りてくる角柱によって吊りさげられる形になっていて、双方の角柱はやはり下ひろがりの角度で、太さを減じつつ落ちてきます。角柱は床には達しておらず、スロープの下面は半円アーチをなす。アーチの内側には左右ともに暖炉があります。なおスロープの壁寄りには大きな円柱があって、こちらは角柱とは逆に、下に行くに従い太くなる。暖炉の通気口を兼ねているという設定なのかもしれません。スロープと角柱が交わる尖端には、動物の頭部が装飾されていて、篇中の会話によると猪の頭をかたどっているとのことです。この装飾で床から2mくらいの高さでしょうか。スチール写真には映っていませんが、画面手前には別のテーブルが置かれ、両側のスロープのため左右相称で横にひろがる画面にあって、奥行きを強調するルプソワールの役割をはたしています。
 スロープの特異な形に劣らず重要なのが、奥の壁いっぱいに落ちる、窓とその桟の右上がりになった影でしょう。影をはっきり浮かびあがらせるためにこそ、壁は飾り気もなく真っ平らでなければならなかった。そして壁の影が、やはり影によって分かれる床の明暗と相まって、スロープと壁の間にある距離だけでなく、部屋全体にみなぎる空気の存在を伝えるのです。
 そしてスロープと壁の間、右奥に窓があり、そこからは壊れた実験室が見えるのでした。なお、食堂が城のどのあたりに位置するのか、1階なのは確かそうですが、たとえば玄関広間とどうつながっているのか、手がかりは最後まで与えられなかったような気がします。


 前2作とちがって実験室は城のすぐ隣にあります。城のある敷地から突きでた岬状の地形にでもあるのか、上すぼまりの低い円塔の形です。中に入ると、またしても斜めの梁が額縁をなす中、手前には石を積みあげた壁、斜めになった太い木の柱を経て、平滑な、しかし円形に湾曲する濃いグレーの壁がひろがっています。何本か上から鎖が垂らされている。右下には大きな凹みがあって、底は沸騰する硫黄の沼になっています。
 後の場面では入口部分が中から映され、床には何段か降りる形になっています。また石壁の手前には大きく尖った、木製の尖頭アーチが区切りとして配されています。
 最初に登場する時は、実験室は荒れ果てた状態なのですが、後にさまざまな装置、立てたり水平に寝かしたりできる手術台、鏡などが据えつけられます。床には大きな円形の蓋があって、梁に結びつけた滑車から垂れる鎖をつなげば、それで開閉できる。あけると下に降りるための梯子がついています。


 石壁に埋めこまれた鎖を引くと、重い隠し扉でした。そこから下の方へ降りていく細い通路が伸びています。通路部分は穴を掘った時そのままであるかのような体裁で舗装されておらず、まわりは真っ暗です。その先には部屋があって、通路は長いものではないので、カメラが部屋の奥に配された際には、通路と隠し扉の入口も一望で映せるというわけです。
 部屋の両側には柩が安置されていて、右に先々代の男爵、左に怪物を創造した先代が眠っています。永い歴史を誇る家系の内、なぜ二人の墓だけがこんな場所にあるのかは、いささか不自然ではありますが、その点は問いますまい。部屋の奥に、眠りについた怪物が横たわる台があるのでした。


 実験室に戻れば、目ざめない怪物を検査する場面では、何もないグレーの壁を背にしたイゴールの半身を見上げるようにとらえたり、壁にさまざまな装置の影が落ちる中、中景に手術台上の怪物を、そして前景に、それらに背を向け手前の顕微鏡にかがみこむ新男爵が映されたりします。怪物の顔のアップになったかと思えば、俯瞰ショットになり、X線検査の場面ではいったん真っ暗になったりもする。このあたりではカットの切り換えによって空間に動きをもたらすとともに、検査に夢中になる新男爵に対し、イゴールの単純ならざる心理と、それゆえに底知れない存在感を描きえているような気がしたことでした。
 また怪物が不死の存在であることが告げられ、その理由を科学的に突きとめようとする会話も興味深いものでした。シリーズ製作の要請というのもあったのでしょうが、ユニヴァーサルの怪奇映画において、もともと不死者である吸血鬼だけでなく、フランケンシュタインの怪物や狼男もまた死ぬことができないという設定が追加された点には、大げさに言えば、ある種の神話が生まれてくる過程を見てとることができるかもしれません。他方、擬似科学的な設定も、また別の意味で同時代のSFの系譜との関連を読みとらせることでしょう。


 城内に戻ると、もう一つ別の(?)部屋が映ります。客間なのでしょうか、夫人と警部が話す場面で、右上から左下へ、巨大なアーチが三つ並んでいます。右の壁には窓の影が落ちている。アーチとアーチの間は濃い暗がりになっているのですが、斜めに支える柱も見えます。この点では書斎のアーチと似た造りで、もしかすると書斎を逆の側から見ているということなのでしょうか。部屋はかなり奥行きがあるようで、アーチの下近くにテーブル、またしても画面下辺に接して右下にもテーブルが置かれています。アーチの左端で一番低くなったところでは、人の背も立ちません。
 扉口から出ると、玄関広間、階段の右脇に出るので、やはり書斎と似たような位置にあるはずなのですが、どうにも同じ部屋には見えませんでした。他方後の場面で、書斎の入口から向かって右奥が映された際には、いくつものアーチが連なっていました。この点に関連して、後でもう一度ふれましょう。


 失敗したと思っていた蘇生処置が実は成功していて、怪物が歩き回っているのではないかとの疑念に駆られた新男爵は実験室にもどってきます。この場面では天井から垂らされた綱に大きな役割が担わされています。一度は左端が画面の左で切れた横長の鏡の中で、平面を分割します。硫黄沼の孔から、最初は真っ黒なシルエットで登場した怪物が、新男爵と対面する場面では、二本の綱の間に怪物が立つ。そして鏡に面する際には、怪物と新男爵の間に綱が垂れているといった案配です。いろいろ深読みしたくなるところです。ちなみに音楽は基調としてあおりたてるような性格のものが鳴り続けるのですが、怪物が戸惑いと絶望に揺れるこの場面では、ニュアンスを変えていました。
 続いてやはり最初はシルエットでイゴールが加わります。グレーの壁をバックに、たとえばイゴールと怪物が互いに反対の方に目をやりつつ隣りあうカットなど、視線の方向がドラマを進ませる働きをはたしていました。ちなみに視線を別の方に向けながら隣りあうという体勢は、後に玄関広間で、新男爵と警部の間でくりかえされます。


 次の場面では、ゆるやかな火山状の曲線を描く暖炉の内側に入りこんで、新男爵が酒をあおるさまを、暖炉の奥に据えられたカメラが捉えます。そこに執事が加わって、警部が書斎にいるのでこの部屋に呼んだのだと新男爵が説明する。暖炉の外に出れば二人の頭上には斜めに木の通路がかかっていて、そちこちに影が複雑に走っています。通路には手すりがあり、別のアーチやもう一つの暖炉、壁の出っ張りなども見えます。少し後にはイゴールが高い位置にある開口部から、隠れて二人を見下ろすショットが映されます。
 当初気がつかなかったのですが、これは新たに登場した別の部屋ではなく、スロープが双方から張りだす食堂にほかならず、スロープの下にあった暖炉の間近でくりひろげられているのでした。そういえば何やらよくわからない形が木の通路の先にあると思ったのは、猪の頭部の飾りです。
 この食堂の最初の登場では、場面は日中で、両のスロープと平行に引きで撮られていたのが、こちらは夜、スロープに近接して、斜めに撮っている。これだけで印象がずいぶん変わるものです。あるいは組みあげたセットを角度を変えることで、巧みに活用しているというべきでしょうか。先にふれた、書斎と書斎かもしれないアーチの連なる部屋の場合も、少なくともセットの使用という点では同じことがあてはまるものと見なしてよいでしょう。夫婦の寝室も、視点を変えて登場していました。セットが立体的に用いられている、というか立体的に用いることができるようなセットが設計されたわけです。当たり前のことなのかもしれませんが、新鮮な形で気づかされたことでした。
 ちなみに食堂は後にもう一度、やはり引きで映されます。ただし今度は夜で、明暗の対比はいちじるしく強められ、やはり表情を一変していました。先の場面で奥の壁を軽快に覆っていた窓とその桟の斜めの影は、左右相称の低い半円アーチに交替し、アーチにかぶさる暗さをこそ強調することになります。


 壁に接した上半はタマネギ型で下半は角柱の装飾的な木の柱がぎぎっと前に押しだされたかと思えば、隠し通路が登場します。出たところは城門脇の見張り窓で、これも先にふれたように、このあたりの位置や距離は定かではないのですが、ともあれ隠し通路です。古城映画はこれでなければいけません。

 舞台はいったん村に移って、一つに検屍の行なわれる部屋が映ります。この部屋の天井には斜めになった格子状の梁がありました。
 また第二の殺人の場面は、半円アーチが額縁をなす中、影だけで演じられます。影は縦に引き延ばされているかのようで、また室内も明るい部分・暗い部分・半明部が組みあわされていました。


 さて、物語はクライマックスにさしかかろうとしています。実験室の硫黄沼の孔にかかった梯子を下りると、そこには怪物がねぐらにしていた部分が一つと、そことの関係ははっきりしませんがもう一つ、洞窟に通じています。この洞窟の壁面ががしゃがしゃと出入りが多く、キュビスム的というか、シュヴィッタースのメルツ建築を思わせずにいません。洞窟は隠し通路につながっていて、一つは先の城門脇の見張り部屋、もう一つは子供部屋の石壁に隠し扉があります。映画の中には現われないにせよ、もっといろいろな所を結びつけていてしかるべきだと思うのですが、贅沢は言いますまい。
 嬉しいことに隠し通路の内部と思しいセットが二つ登場します。一つはひどく狭い斜めになった入口から降りてくる螺旋階段で、両側は太い柱にはさまれている。塔の外周に沿ってあるかのごとくです。これは怪物が子供部屋に行く時に映され、他方、子供部屋から新男爵の息子を連れだした怪物が実験室に戻る際には、どこだか高いところにある狭い通路を通ります。通路の下は巨石を積みあげた崖状になっているようで、上方の壁は広い影によって分割されている。いずれもやはり、位置の関係は判然とせず、そもそも高低などの尺度が現実的というには大きすぎるのですが、許さずにはいられません。


 篇中、塔の鐘を鳴らせばいつでも駆けつけると、新男爵に警部は告げるのですが、映画の中ではどちらも登場しませんでした。残念ではありますが、まだまだいろんな場所を抱えているだろうと感じさせることこそが、怪奇映画における古城描写の醍醐味ではあるのでしょう。この映画の場合それは、しばしば肥大した影を浮かばせる平滑な壁、平滑であればこそ、影や明部、中間の明るさに変化するグレーは面としての張りを失なわないという点によって、保証されているように思われます。それを実現するための照明の働きとあわせて、この作品を古城映画の範例の一つとして言挙げしたくなるのでした。
Cf.,  菊地秀行、「我がフランケンシュタイン映画史(後編)」、『妖魔の宴 スーパー・ホラー・シアター フランケンシュタイン編 2』、1993、pp.277-282

加藤幹郎、『映画ジャンル論 ハリウッド的快楽のスタイル』、平凡社、1996、pp.236-239

石田一、Monster Legacy File、2004、p.11

デイヴィッド・J・スカル、『モンスター・ショー 怪奇映画の文化史』、1998、pp.240-243

Jeremy Dyson, Bright Darkness. The Lost Art of the Supernatural Horror Film, 1997, pp.66-71

Juan Antonio Ramírez, Architecture for the Screen. A Critical Study of Set Design in Hollywood's Golden Age, 2004, pp.139-140
また美術監督をつとめたジャック・オタースンは同書 p.42, pp.90-91 にも登場します。オタースンが担当した作品として本サイトから他に;『恐怖のロンドン塔』(1939)、『ミイラの復活』(1940)、『狼男』(1941)、『フランケンシュタインの幽霊』(1942)、『謎の狼女』(1946)

ちなみに上記『恐怖のロンドン塔』は、監督ローランド・V・リー、セット装飾ラッセル・A・ガウスマン、主演バジル・ラスボーンにボリス・カーロフが共演と、本作とスタッフ・キャストが共通する作品です。

Jonathan Rigby, American Gothic: Sixty Years of Horror Cinema, 2007, pp.175-178
おまけ 正篇、『花嫁』からも取りこみつつ、『復活』を主軸にしたと思われるのが次の2作品;
フランケンシュタインの怒り』、1964年、監督:フレディ・フランシス

ヤング・フランケンシュタイン』、1974年、監督:メル・ブルックス
 2014/09/11 以後、随時修正・追補
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