| < 四方山話・目次 | ||||
大梵天の誤認、その他 メモ
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| 1. 外教の見解として 1-1. 長部第24経 『パーティカ経』より 「世界の複数性など」の頁で触れたように(→こちら)、仏教の宇宙史には、大梵天が自らを造物主であると誤認するというエピソードがあります。そこでも少しだけ記しましたが、グノーシス主義の一部の神話における、造物主の倨傲というモティーフと比較したくなるところです。この点は別の機会を待つとして、まずはどんな風に語られているのか、確認しておきましょう。見る機会のあった現代語訳として、まず 岡田真美子訳、「第24経 神通と世界の起源 - パーティカ経」、中村元監修、『原始仏典 第3巻 長部経典Ⅲ』、春秋社、2004 から; 「『みなさん、長い期間が経過したのち、いずれはこの世界の滅するときがきます。世界が滅したとき、生きとし生けるものの大部分は、アーバッサラ(光り輝く)世界に生まれ変わります。そこにおいて、かれらは精神的な存在であり、歓喜を食べ物とし、みずからも耀き、虚空に住み、きよらかさを保ちながら、きわめて長いあいだとどまります。 みなさん、長い期間が経過したのち、いずれはこの世界も滅するときがきます。ふたたび世界が滅したとき、空虚な梵天の宮殿が現われます。そのとき、ある者が、寿命が尽きたのか福徳が尽きたのかして、アーバッサラ世界から落ちて、空虚な梵天の宮殿に生まれます。そこにおいて、かれは精神的な存在であり、歓喜を食べ物とし、みずからも耀き、虚空に住み、きよらかさを保ちながら、きわめて長いあいだとどまります。 そこに長いあいだひとりでいたために、かれには不安と不満と恐れが生じ、〈ああ、他の人も、ここに来ればいいのに〉と考えます。 そうすると、また他のものたちが、寿命が尽きたのか福徳が尽きたのか、アーバッサラ世界から落ちて、空虚な梵天の宮殿に生まれ変わり、かれの仲間になるのです。そこにおいて、かれらもまた精神的な存在であり、歓喜を食べ物とし、みずからも耀き、虚空に住み、きよらかさを保ちながら、きわめて長いあいだとどまります。 みなさん、そこに最初に生まれた人にこのような考えが浮かぶでしょう。 〈わたしは梵天であり、大梵天である。征服者にして征服されざる者である。全見者、全能者、自在天、造物主、化作者、最上者、創造者、支配者、過去と未来のものたちの父である。これらのものたちは、わたしによって作り出された。それはなぜか? わたしがまず、《ああ、他の人も、ここに来ればいいのに》』と考え、そのよなわたしの念願があって、これらのものたちはここに来たのだから〉と。 また、あとに生まれてきたものたちにも、このような考えが浮かぶでしょう。 〈このお方は梵天であり、大梵天である。征服者にして征服されざる者である。全見者、全能者、自在天、造物主、化作者、最上者、創造者、支配者、過去と未来のものたちの父である。わたしたちは、この梵天様によって作り出された。それはなぜか? わたしたちも知ってのとおり、この方が最初にここに生まれ、そのあとでわたしたちは生まれたのだから〉と」 (pp.32-33/第2章14~17。一字下げしていない改行は当方による)。 語り手は世尊です。「アーバッサラ世界」は「光音天、極光浄天と訳す。色界十七天のうち第二禅第三位に住する天」(註39、p.417)。「空虚な梵天の宮殿」の「空虚な」には価値判断も暗示されているのかもしれませんが、とりあえずは「まだ誰もいない」という意味なのでしょう。「本経に対応する漢訳は、『長阿言経』15、『阿㝹耶経』」(p.4)。「阿㝹耶」=アヌピヤーは世尊が滞在していたマッラ(末羅)国の町の名。 なお上の話は実際に起こったこととしてではなく、続く〈遊蕩神創造説〉(pp.34-36)、〈害意神創造説〉(pp.36-37〉、〈偶然説〉(pp.38-39)ともども、「異教の見解、異教の信仰、異教の目的、外れた努力、外れた伝承」(p.39、p.40)の例として述べられたものです。 1-2. 長部第1経 『梵網経』より 同様に 浪花宣明訳、「第一経 聖なる網の教え - 梵網経」、中村元監修、『原始仏典 第一巻 長部経典Ⅰ』、春秋社、2003 の後半で、 「ある沙門・婆羅門たちは、過去の限界について考察し、過去の限界について見解をもち、過去の限界に関して十八の根拠によって種々の浮説を主張する」(p.16/第1章29) として、62の見解が挙げられる内、「我と世界とは一部常住であり一部は無常であると主張する」(p.21/第2章1)「一部常住論」の最初に、 「比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は消滅する。世界が消滅するとき、生ける者たちは、多くは、光音天に生まれる。かれらはそこに意によって生じたものであり、喜悦を食べ物とし、みずから耀き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間とどまっている。 比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は生成する。世界が生成するとき、生ける者の住んでいない梵天の宮殿が出現する。さて、ある生ける者が、寿命が尽きたために、あるいは福が尽きたために、光音天から死没し、生ける者の住んでいない梵天の宮殿に再生する。かれはそこに意によって生じたものであり、喜悦を食べ物とし、みずから耀き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間とどまっている。 かれはそこでただ一人で長いあいだ住んでいたので、楽しみがなく、『ああ、本当に、誰かがここにやってくればよいのに』という期待をもつ。他の生ける者たちも、寿命が尽きたために、あるいは福が尽きたために、光音天から死没し、生ける者の住んでいない梵天の宮殿に再生し、その生ける者と一緒に住む。かれらもまたそこに意によって生じたものであり、喜悦を食べ物とし、みずから耀き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間とどまっている。 比丘たちよ、かれらのなかで、そこに最初に再生した生ける者は次のように思う。『わたしは梵天であり、大梵天であり、勝利者であり、打ち負かされることがなく、すべてのものを見通し、支配し、自在者であり、創造主であり、化作主であり、最上の能生者であり、すでに生じたものとこれから生じるものとにとって自在な力をもつ父である。これらの生ける者たちはわたしによって化作された。それはなぜか。わたしが先に〈ああ、本当に、誰かがここにやってくればよいのに〉と思ったからである。このようにわたしが心のなかで願ったから、これら生ける者がこのようにやってきたのだ』と。 後から再生した生ける者たちも、『この貴き人は梵天であり、大梵天であり、勝利者であり、打ち負かされることがなく、すべてのものを見通し、支配し、自在者であり、創造主であり、化作主であり、最上の能生者であり、すでに生じたものとこれから生じるものとにとって自在な力をもつ父である。これらのわたしたちは梵天であるこのあなたに化作された。それはなぜか。なぜならわたたちはここに最初に生まれたあなたを見て、その後でわたしたちは生まれたからです』と考える」 (pp.21-22/第2章2~5。一字下げしていない改行は当方による)。 漢訳では『長阿言経』第14、「梵動経」および「梵網六十二見経」に対応(p.4)。〈蓮華台蔵世界〉が出てくる『梵網経』(→「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」で触れました)とは別物。 1-3. 一致点など さて、先の『パーティカ経』での該当箇所とほぼ一致しています。ただ『パーティカ経』では 「ふたたび世界が滅したとき、空虚な梵天の宮殿が現われます」(p.32/第2章15) とあったのが、 「世界が生成するとき、生ける者の住んでいない梵天の宮殿が出現する」(pp.21-22/第2章3) に替わっており、これは後者の方がわかりやすい。前者も間違いというわけではなく、あえて補うなら、「ふたたび世界が滅し、その後新たに世界は生じるとき」といったところでしょうか。また前者で 「わたしたちは、この梵天様によって作り出された。それはなぜか? わたしたちも知ってのとおり、この方が最初にここに生まれ、そのあとでわたしたちは生まれたのだから」(p.33/第2章16) とあったのは後者でも 「これらのわたしたちは梵天であるこのあなたに化作された。それはなぜか。なぜならわたたちはここに最初に生まれたあなたを見て、その後でわたしたちは生まれたからです」(p.22/第2章5) となっており、ともどもいささか理屈が通っていないような気がします。 また壊劫では光音天に、成劫では梵天の宮殿に、「そこに意によって生じたものであり」というのは、『パーティカ経』での「かれらは精神的な存在であり」という箇所と原語では同じなのか、それとも違っているのでしょうか? ともあれ後者では引用箇所の後、「キッダーパドーシカという名前の天人たち」(p.23/第2章7)、「マノーパドーシカという名前の天人たち」(p.24/第2章10)の話になりますが、これは前者での「遊蕩神」と「害意神」にあたります(前者、p.417 註40~41、後者の p.591 註51~52)。 2. 器世間 2-1. 外教の見解? ところで「異教の見解、異教の信仰、異教の目的、外れた努力、外れた伝承」、「ある沙門・婆羅門たち」による「過去の限界について」の「考察…(中略)…見解」とされるとはいえ、ここで説かれたような形でバラモン教なりヒンドゥー教のテクストに出てくるのでしょうか? 大梵天は自らを「全能者、自在天、造物主」だと言いつつ、実際には創造しないわけですし、梵天の宮殿がある天界よりも、上位の光音天が前提とされています。〈 宇井伯壽、「第三 六十二見論」、『印度哲學研究 第三』、岩波書店、1926/1965、pp203-302 は長部「第一経 梵網経」の六十二見を扱うもので、その中に 「この中第一については今いふた論文の中に於て旣に論じた如く所謂梵天創造説であつて、正統婆羅門の主張する當時の學説である。然し其中には明に正統婆羅門以外の説を取入れて居つて而もそれが十分に調和整頓せられて居ない爲に、正統婆羅門の特色たる轉變が明確になつて居らぬ」(p.224/第1-2) と述べられていました。引用中の「今いふた論文」というのはやはり同書中一つ前に収められた「第二 阿含に現はれたる梵天」で、そこでは 「これと關係してかゝる天界については諸所に説かれて居るが、之を死後生を受くべき理想の天となした點から考へて見るに、梵界を梵身天に當るとすれば、此梵身天以上の天界は如何にするもウパニシャッド系統の諸婆羅門の考出したものとなすことは出來ぬと思ふ。殊に師傳を重むずる婆羅門が師傳によって梵天理想論者となつて居ながら、梵天よりも一層上の世界を想定し、之を理想となす如きことは到底あり得べきことでない。もしあつたとすれば、その人は旣に正系の婆羅門ではないものである。 …(中略)… 然るに梵界以上の諸天を考出したのが婆羅門でないとすればそれは何人であるべきか。こは必ずや修定主義者の間で考出されたものでなけねばならぬから、明にウパニシャッド系統の婆羅門以外の修定主義者の間で考出したものと見ねばならぬことになる」(pp.158-159/七節)。 とありました。〈 渡邉楳雄、「立世阿毘曇論解題」、林彦明・飯田順雄・渡邉楳雄譯、竹村牧夫・片山一良校訂、『國譯一切經 印度撰述部 148 論集部 一』、大東出版社、1933/1977、pp.113(1)-135(23) 岡野 潔、「初期仏教のコスモロジーと善悪」、『日本佛教學会年報』、no.65:「仏教における善と悪」、2000.5.15、pp.225-238 などを参照いただくとして、以下ではとりあえず、『倶舎論』世間品を主な典拠とする 定方 晟、『須弥山と極楽 仏教の宇宙観』(講談社現代新書 330)、講談社、1973 などによります。 2-2. 器世間 さて、「〈 〈壊劫〉においては〈大の三災〉が起こります。大の火災で終わる一大劫が七回続き、八回目は水災、これが八巡りして、六十四大劫目には風災が起こります。そのつど滅する範囲も広くなる。これは宇宙の階層構造に関わってきます;
〈無色界〉は〈色=形あるもの〉のない世界、非物質界なので、色界の「上」にあると言えるのかどうかよくわかりませんが、とりあえず表のように記しておきます。ただ「仏教 Ⅱ」の頁の稲本泰生「東大寺二月堂本尊光背図像考 - 大仏蓮弁線刻図を参照して」(2004)へのメモでも触れたように(→あちら)、無色界の位置づけは、単純に色界より上位にあるというだけではないようです。 色界の初禅、二禅……や、無色界各層の呼び名が示すように、各階層は禅定の段階に応じています。また天界間の距離だか各天界の厚みだかは上に行くほど広くなり、また各界に住む有情=命あるものの身体の大きさや寿命もそれに伴って大きく、長くなります。無色界の有情も、大きさこそ超越していますが、時間には縛られており、最上層の非想非非想処では8万大劫と、おそろしく長くはあるものの、それぞれ寿命がある。これは地獄でも同じで、そこに堕ちた有情も下に行くほど寿命が長くなり、最も下層にある無間地獄では一中劫(一大劫の80分の1)とおそろしく長いにせよ、限りがあります。他方四禅天は大の三災によって滅びることはないようですが、そこに住む有情にはやはり寿命があります。最上層の色究竟天で1万6千大劫におよぶとのことです。 3. 宇宙史の一齣として 3-1. 『世記経』より:壊劫、七日、生天など 大梵天の誤認という出来事は成劫に起きます。世界が生成する成劫は、世界が崩壊する壊劫とある意味で点対称をなしている。 『世記経』、「三災品」、『現代語訳「阿含経典」 長阿含経 第6巻 世記経』、2005 によると、 「火災が起ころうとする時、この世界の人はみな正しい教えを実践し、…(中略)…このように正しい行為をなす時に、第二禅を体得した人がいて、身を踊らせて虚空に昇り、聖人の領域、天の領域、梵の領域に留まり、大声で叫ぶ。 …(中略)… この世界の人はその人が説くのを聞いて、覚も観もない第二禅を修め、命が尽きると光音天に生れる。その時、地獄の衆生は罪が尽き命終わって人間界に生まれ、さらに覚も観もない第二禅を修め、命が尽きると光音天に生れる。…(中略)…このようなわけで地獄界がなくなり、畜生・餓鬼・阿須倫から梵天に至るまでみななくなる」(pp.248-249)。 以上が壊劫の第一段階で、初禅天以下の世界から衆生がいなくなりからっぽになると、 「それから長い時間が経って大暴風がにわかに起こり、大海の水を吹く。海水の八万四千由旬の深さまで海水を二つにおし分け、太陽の宮殿を取って、地上四万二千由旬の須弥山の中腹に持って行き、太陽の軌道に置く。そういうわけで世界には二つの太陽が出る」(p.250)。 以後、太陽が七つになるまで同様の過程が繰りかえされます。 「七つの太陽が出て、その四天下と八万天下の山々、大きな山や須弥山王がみな燃えさかる」(p.254)。 「この四天下から梵天まで火が燃えさかると、その後に大地と須弥山はすっかり灰さえもなくなる」(p.255)。 「この大地を火が焼き尽くすと、地の下の水がなくなり、水の下の風がなくなる」(p.256)。 この後世界生成の過程が語られ(pp.256-262)、水災とそこからの回復(pp.262-266)、風災とそこからの回復(pp.266-271)へと続きます。水彩は二禅天まで、風災は三禅天までおよぶのですが、それぞれ八大劫ごと、六十四大劫に割り振られていることは『世記経』では述べられないようです。三千大千世界説は冒頭の「閻浮提州品」に出てきますが(p.77)、初禅天までが一千に二禅天一つ、二禅天一千に三禅天一つ、三禅天一千に四禅天一つという階層区分も見当たりません、たぶん。 ちなみに〈七つの太陽〉というイメージは、注に 「世界の消滅の際に七つの太陽が現れるという話はインドの『プラーナ』などにも見える(同書、147頁)。太陽が数多く現れる話としては、中国では羿(げい)が十箇の太陽のうち九箇を射落としたという話を思い起こさせる」(p.455 注39。引用中の「同書」は定方 晟、『インド宇宙誌』、1985) とありました。また滅劫の時点で地獄に堕ちた有情も皆昇天するという点は、ゾロアスター教パーラヴィ語文献において、世界の終末には、 「義者も不義者もすべての人間は復活する」(野田恵剛訳、「ブンダヒシュン(Ⅲ)」、『貿易風 - 中部大学国際関係学部論集 -』、no.6、2011.4、p.218(54)/『イラン版(大)ブンダヒシュン』、第34章7)。 「義者はガロードマーン(天国)へ連れて行かれ、不義者は再び地獄に放りこまれる。3日3晩地獄に行った肉体と生命は地獄で罰を受ける」(p.219(55)/同13)。 「そして火とエールマーン神は山の中の金属を溶かし大地の上を川のように流す。そしてすべての人はその溶けた金属の中を通って浄化される。義者には温かい乳の中を歩いているように思われるが、不義者にはまさに溶けた金属の中を歩いているように感じられる」(同上/同18-19) と、少なくとも人間に関するかぎり、不義者もいったん罰は与えられるものの、最終的には救われるとされた点が連想されます。ただしゾロアスター教では終末は一度きりで、救済は永遠のものですが、仏教ではいったん壊劫で二禅天まで昇っても、後の成劫・住劫でまた初禅天以下に堕ちる可能性が残されています。 もっとも 石川海淨、「長阿含世記經の成立に就て」、『日本佛敎學協會年報』、第8年、1936 によると、同本異訳とされる『大楼炭経』変災品では、 「天下の人が非法邪見を懐き十悪事を行ふが爲に火災の憂目に遇ふのであるが、第十五天(光音天)上の者のみ災難を免れ、それ以下の者は悉く破壊滅盡すると云つてをるのである。此等兩經に於ける『世間の人卽ち天下の人』の立場や所行が全く異つてゐるが如く見える。然し立世阿毘曇論卷第十火災品の立場から、之を考察すれば、世記、樓炭の兩經は倶に各々一面的の叙説をして他面を顧みなかつたものゝ如くである。故に兩者の叙説を綜合し折衷して始めて立世阿毘曇論の如き終始完結した論議が味ひ得る次第である」(p.188/2-3) とのことです。なお『立世阿毘曇論』の該当箇所でも、最終的には 「一切下界の衆生は第二禪を修して勝遍光天に上生」(林彦明・飯田順雄・渡邉楳雄譯、竹村牧夫・片山一良校訂、上掲『國譯一切經 印度撰述部 148 論集部 一』、大東出版社、1933/1977、p.348(212) することになります(pp.348(212)-352(216)。勝遍光天は光音天、極光浄天に同じ;p.254(118) 註45/巻の第6、云何品 第20)。次も参照; 岡野潔、「生きものが再びいなくなる時代 - 『大いなる帰滅の物語』第5章1節に見る正量部伝承 -」、『哲學年報』、no.68、2009.3.1、pp.13-14、注9-10 3-2. 『世記経』より:成劫 『世記経』に戻れば、「三災品 第九」では世界の再生が語られましたが、有情については後の「世本縁品 第十二」で綴られます; 「大火の災害が過ぎ去り、この世界の天地がまた形成されようとする時、ある多くの衆生は、福が尽き、営為が尽き、寿命が尽きて、光音天において死に、空虚なる梵天の住みかに生れる。そして、その地に対して執着心を起こし、そこを好きになって、他の衆生も、一緒に、その地に生れて来て欲しいと思う。 このような思いを起こすと、ある多くの衆生も、福が尽き、営為が尽き、寿命が尽きて、光音天において死に、空虚なる梵天の住みかに生れる。 その時、先に梵天に生れた者が、すぐに次のように思う。 『私こそ、梵王、大梵天界の王者だ。私を造り出した者は存在しない。私は自然に存在しているのであり、いかなる(外在的作用も)被っていない。千世界において、とりわけ自在を実現している。諸々の事柄の意味に精通しており、豊かであり、万物を創造することができる。私こそが、一切の生きとし生ける者の父母なのである』 後からやってきた梵天たちも、みずから次のように思う。 『あの先に生まれた梵天こそが、梵王、大梵天界の王者だ。彼は自然に存在しており、彼を造り出した者は存在しない。千世界において、最も崇高である。彼は、いかなる(外在的作用も)被っておらず諸々の事柄の意味に精通しており、豊かであり、万物を創造することができ、一切の生きとし生ける者の父母である。私は、彼によって存在させてもらっているのだ』 かの梵天は、顔も姿も、常に子供のようであったので、そのため、梵王は『童子』と名づけられる」 (前掲『現代語訳「阿含経典」 長阿含経 第6巻 世記経』、「世本縁品(1)」、pp.305-306。『』の箇所以外で一字下げしていない改行は当方による)。 エピソード自体は長部経典「第24経 パーティカ経」および「第一経 梵網経」でのものとほぼ同じですが、「異教の見解、異教の信仰、異教の目的、外れた努力、外れた伝承」、「ある沙門・婆羅門たち」による「過去の限界について」の「考察…(中略)…見解」といった枠どりはなされていません。「三災品」と「世本縁品」と、分かれてはいますが、前者で、壊劫を迎えるに際して、「第二禅を修め、命が尽きると光音天に生れ」他者たちが、「福が尽き、営為が尽き、寿命が尽きて、光音天において死に、空虚なる梵天の住みかに生れる」ことになったのだと、つなげて解するのは不自然ではありますまい。ただ上の引用に続いて、 「また、この時、この世界が再び形成されるにあたって、世の中の衆生で、光音天に生れるものがたくさんいる …(中略)… その後、この世界に、また異変が起ころうとするや、生き残った衆生のあるものたちも、福が尽き、営為が尽き、寿命が尽きて、光音天において死に、この(人間)世界に生れる」(pp.306-307) と語られます。最初の「この世界が再び形成される」はともかく、「また異変が起ころうとする」のがどんな時点なのかはよくわからない。さらに衆生の身体が「粗くて鈍くな」(p.307)る過程を経て、日(太陽)とその宮殿(pp.307-317)、次いで月とその宮殿の記述がなされます(pp.317-322)。この訳では「世本縁品(2)」と区分けされた後半で、また人間の歴史に戻る。 3-3. 『倶舎論』世間品より:七識住 長阿言の世記経は「おそらく紀元前2世紀から紀元後1、2世紀の間に成立した」とされています(p.4/解説1。また石川海淨、前掲「長阿含世記經の成立に就て」、pp.189-190/2-3)。次に挙げる『大いなる帰滅の物語』は12世紀で、その間と言ってはずいぶん開きますが、ヴァスバンドゥ(約400-480年:三枝充悳・横山紘一、『世親』(講談社学術文庫 1642)、講談社、2004、p.32、pp.78-88)の『倶舎論』世間品でも大梵天誤認のエピソードは出てきます。 山口益・舟橋一哉、『倶舎論の原典解明 世間品』、法藏館、1955 の章立てでは「劫及び四劫」を扱う第5章第2節の内、「第2項 成劫」に、 「…(前略)…壊れたる世間は、虚空のみ殘りて長時住す。再び次第に諸の有情の業の増上[力]によりて、虚空において諸の外器(bhājana)の前相となれる極めて微細なる(manda-manda)風が微動する(spandante)。…(中略)…それらの風が生ずるとき、巳説の如き風輪となる。それより後に、次第に水輪と、黄金所成の大地と、諸洲と、妙高山等が、巳説次第(krama)と方規(vidhāma)とによりて、一切が生ず。しかるに初めには梵宮が生ず。それより後に乃至夜摩[天宮 Yāmīyam vimānam]が生ず。それより後に風輪等なり。其[の時]をもって、卽ち、外器の成ずること(vivartanī)によりて此の世間は成じたりとなす。それより、或る有情が極光浄[天]より死して空虚なる(śūnya)梵宮に生ず。また餘の諸の有情も亦、其より死して梵輔[天]に生ず。それより後に梵衆[天]と他化自在[天]と樂變化[天]と、乃至次第に、北倶盧[洲]と[西]牛貨[洲]と東勝身[洲]と[南]贍部洲と、諸の鬼と諸の傍生と諸の地獄との中に生ず」(p.457-458) と、二禅天から初禅天への転生は語られますが、誤認の話は入っていない。他方『世間品』の始めの方、「第1章第3節 七識住」に、 「彼等[劫]初に起れる一切の者は、『我等はこの梵によりて生ぜり、』との、かくの如きの想あり。梵も亦、『これらの者は我によりて生ぜり、』とかくの如く思ふをもつて、相の動きの別異ならざることの故に、想の一なる者なり。大梵(Mahā-brahman)の高さ・廣さと、形身と、言語と、衣著とは、彼[の大梵]の眷屬[たる梵衆天]のものと比較して、相互に異なれるをもつて、身の異なれる者なり。經中に、『彼等[梵衆天]は「我等はこの有情が壽長くして長時住するを見たり。乃至、この有情がまた心に「ああ實に餘の諸の有情も亦、此處に我と同分に生じぜよかし」と、かくの如く願ひ、我等も亦此處に生じたるが故に」と、かくの如く知る、』と説かれたるとき、彼等[梵衆天]によりて彼[大梵天]は如何にして見らるるか。或る者は曰く『極光浄[天 Ābhāsvara]に住するときなり。彼等[梵衆天]は彼[極光浄天]より没せる者なり、』と」(pp.41-42) とありました。何が論じられているのかよくわかっていないのですが、 浪花宣明、『サーラサンガハの研究 仏教郷里の精要』、平楽寺書店、1998 によると、 「七識住は有情の分類法の一つとして阿含・ニカーヤから南北阿毘達磨に至るまで広く論じられている。…(中略)…識住(Skt. vijñāna-sthiti)とは業果として有情の識が次生に住する場所である」(p.380/第26章注12)。 同書第26章註16では前掲『倶舎論の原典解明 世間品』の「第1章第3節 七識住」からの引用に続けて、 「荻原・木村の註は一層分かりやすい。『こは婆羅門教の世界観を佛教的に解釈しての説なり。謂わく、劫初に大梵王ありてただ一人住したりしが、後その侍衛を欲して発願したるに、第二禅の極光浄天(光音天)之を憐みて自ら初禅に下りて梵衆天となれり。ここに於て大梵天王は是等の梵衆天を目して自らの生ずる所なりと思へば、亦、梵衆天も、大梵天によりて吾等はここに生ぜしめらりたりと思ふに到りて、即ち諸天が同一想となれるなり。然れども大梵天の威徳は重大にして梵衆天と異なるものあるを以て、形の同じからざる点に於て身異と称せらるる。』」(pp.382-383) とありました。「荻原・木村の註」というのは、同書のどこに出てきたのか今のところ見つけられないでいるのですが、検索してみたところ、荻原雲来・木村泰賢、『国訳大蔵経 論集部十一』(国民文庫刊行会、1920)のことでした。『国訳大蔵経 論部 第11巻』(→ここ [ < 次世代デジタルライブラリー ])では、p.499 で註144 に、「 「婆羅門教の世界観を佛教的に解釈しての説」の典拠は挙げられていません。ただ「後その侍衛を欲して発願したるに、第二禅の極光浄天(光音天)之を憐みて自ら初禅に下りて梵衆天となれり」という興味深い細部が加わっています。 なお先に引いた『倶舎論』世間品の第5章第2節「第2項 成劫」で、「初めには梵宮が生ず。それより後に乃至夜摩[天宮 ]が生ず。それより後に風輪等なり」とありました。「水輪と、黄金所成の大地と、諸洲と、妙高山等」を支える風輪よりも、初禅天や六欲天中の空居天四天の方が先に成立すると見てよいでしょうか。大の火災の際は二禅天以上、水災では三禅天以上、風災で四禅天が残る点からして、まず上から下への天界生成、次いで下から上へ、風輪・水輪・金輪(「黄金所成の大地」)・須弥山(妙高山)の生成という順になるわけです。この点は次の『大いなる帰滅の物語』で語られます。 3-4. 『大いなる帰滅の物語』より:成劫 岡野 潔、「新発見の仏教カーヴィア Mahāsṃavartanīkathā - 特に, Amrtānda 本 Buddhacarita に見られる, その借用について - 」、『印度學佛教學研究』、vol.43 no.1、1994.12 によると『大いなる帰滅の物語』という長篇詩は、「1172年には壮年期か恐らくは老年期にあったはずである」 詩人サルヴァラクシタ Sarvarakşitaによって著されました。「つまりこの仏教詩人の活動期は、イスラームの侵攻によってインド仏教が1192~1203年の間に壊滅的な打撃を受ける直前であった」(p.390)。上で第5章1節分に触れましたが、九州大学大学院人文科学研究院が刊行した『哲學年報』63号(2004.3)から71号(2012.3)にその邦訳が掲載されています(→そこ)。 序、仏伝、生類の成り立ちに関する外教の四つの見解とそれに対する反論を記した第1章に続き、第2章から宇宙史が綴られます。『世記経』三災品や『倶舎論』世間品第5章題2節では壊劫から語り起こされましたが、本作では成劫から始まります(岡野 潔、「『大いなる帰滅の物語』第2章1節〜3節に見る世界形成の正量部伝承」、『哲學年報』、no.66、2007.3.1、pp.5-7/第2章第1節、および pp.24-26/注4-15)。 なおこの論文では第一部として、『大いなる帰滅の物語』(略号:MSK)の第2章第1節 ~3節の梵文からの翻訳、および「蔵訳」と記された文献Xの対応箇所の訳が掲載されています。詳しくは論文全体を見ていただくとして、ここでは『大いなる帰滅の物語』の該当箇所を引用しておきます; 「〔2.1.1〕 世界が形成される時(成劫)、まず初めに生類の棲む場所の上方において、強く輝く創造神(大梵天)の宮殿が出現した。それは自ら存在する業の力によって生じ、太陽の円盤のように天空を飾った。 …(中略)… 〔2.1.2〕 すると、ある一人の生ける者が、アーバースヴァラ天(光音天)の住所から死後に転生し、それ(梵天の宮殿)に入り、業から生じた白浄の身体を有する者として、[宮殿を]飾った。まるで月が白浄の雲を[飾る]如く。 …(中略)… 〔2.1.3〕 禅定の快楽に満ちあふれた状態を得ながら、彼はそこで10劫の間、 専ら瞑想に耽った。 …(中略)… 〔2.1.4〕 その[10劫の]最期に、独りの者が『ああ、他の生きものたちもいたらよいのに』と、憂いの心をもって考えた時、[その時ちょうど]誕生を自分の家(宮殿)にもつ[多くの]自らの業の力で生じた神々によって囲まれて、[彼は]輝いた。まるで月が、誕生を自分の家(宿)にもつ[多くの]自らの業(働 き)の力で生じた星座たちによって囲まれて、輝くように。 …(中略)… 〔2.1.5〕 [大梵天は]自分の思考の力によって同時に生まれた彼ら(梵眷天)を 見て、『私は創造主である』と[思い]、高位に昇った。 …(中略)… 〔2.1.6〕 初めに生じた者、大神通力をもつ者としての彼を見て、[他の]神々も彼を創造者として認めた。 …(中略)… 〔2.1.7〕 善い業によって生じた他の多くの梵天宮殿によって、いっそう天空は体に化粧を施した(体を飾った)。まるで[天空は]それら(梵天宮殿)の誕生の眺めによって祝祭をなし(好奇心で時を過ごし)ていたかのようであったが、第11番目の劫がこの[劫の]後に続いた。 …(中略)… 〔2.1.8〕 家(宮殿)を有する梵天など[の神々の世界]をまるで鏡に写したよ うに、業の力によって、家を有するブラフマ・カーイカの神々(梵身天)が造 られた。 …(中略)… 〔2.1.9〕 [その後]虚空という鏡の上に、まるでそれら(ブラフマ・カーイカの神々の世界)の鏡像のように生じたブラフマ・プローヒタの神々(梵輔天、梵先行天) の宮殿は、その美を現し出した。 …(中略)… 〔2.1.10〕 まるで日傘によって飾られているかのように、高く位置するカーマ神(欲界の王マーラ)の住居群によって飾られている、ヴァシャヴァルティンの神々(他化自在天)の住居群が、欲界の存在者の業によって生じて、輝いた。 …(中略)… 〔2.1.11〕 それら(他化自在天の住居群)と競うかのように、自らの業により、ニルマーナ・ラティの神々(化楽天)の住居群がアプサラス(天女)たち[の存在] によって美しく飾られ、出現した。 …(中略)… 〔2.1.12〕 まるで虚空という海の中に漬けられて生じたかのような、泡の集積に似た、とても美しいトゥシタの神々(兜率天)の住居群が、[自らの]業の力 によって生じて、輝いた。 …(中略)… 〔2.1.13〕 さらにヤーマの神々(夜摩天)の住居群は、自らの種子(業)から生じて、まるで蓮の花々のように[その中に]群がる蜂のような神々や女神たちを有し、虚空という池を飾った。 …(中略)… 〔2.1.14〕 こうして、この時六つの天界(六欲天)が、先行するそれぞれ[の世界]から下へ下へと、一劫ごとに生じて、まるで創造神が[階段を一段ずつ]降りてきて、創造したかのように、[きちんと]分割された梯子の段の[形をもつ六つの]住処が、輝いた」 (pp.5-9。注4-21/pp.24-28 も参照)。 3-5. 『ローカバンニャッティ』より:成劫 この後、第2章題2節では「大地の住所[の成立]」、第3節では「山王に棲む神々の出現」と続き、さらに第二部として、『大いなる帰滅の物語』(略号:MSK)という正量部の伝承に最も近い記述を有する、先に触れた『立世阿毘曇論』のパーリ語への抄訳である『ローカパンニャッティ』の相当箇所が和訳されています; 「 L 犢子正量部の聖典伝承『ローカ・パンニャッティ』(Lokapaññatti) 中の成劫の出来事を説く部分(ed. E. Denis, I, 198.7-204.6) L 犢子正量部の聖典伝承『ローカ・パンニャッティ』 L1 《p. 198, l. 7》 世界が形成される時(成劫)が来る。さてこのことは常法であるが、世界が形成される時、ある生ける者は大梵天[の誕生]へ導く働きをする集積した業を有する。その[業は]すでに前世で確定している。物質的存在(色蘊)である四元素(四大)[の結合]により、梵天の宮殿が出現する。[それは]純白で真白であり、綺麗で壮麗できらびやかで美しく、まばゆく輝くものとして存する。その生ける者は、[生まれる]場所の獲得に導く働きをする集積した業を有する。物質的存在(色蘊)である四元素の[結合の]その因とその縁は、業の支配的な力である。このように、因をもち縁をもって、大梵天の住所である宮殿が出現する。これは古からの法である。その梵天のため、広い大きな、光り輝く、きらびやかで壮麗な宮殿が生じる。また梵天のために、梵天界という場所も[生じる]。これが古からの法であり、それは四方角[の広がり]ほどに、そのくらい大きい。〔cf. MSK 2.1.1〕 L2 [中陰の状態の]彼はその[場所]に対して執着(纏)を起こす。執着が生じた時、彼は[そこに]誕生する。〔cf. MSK 2.1.2〕 L3 彼はそこで10中間劫の間過ごす。歓喜を食べ、歓喜を食として、マナス (意)から成り、自ら[体から]光を放ち、安楽なる状態に住しつつ。〔cf. MSK 2.1.3〕 L4 《p. 199》 第10中間劫が過ぎ去った時、彼に渇望が生じ、憂いが現れる。 『ああ、ここに他の生ける者たちも生まれてくればよいのに』と、この生ける者の心に祈願が起こる。すると或る別の生ける者たちが、寿命が尽きあるいは[前世の]福徳が尽きたために、かの[アーバッサラ天(光音天)]から死後転生し、その生ける者(梵天)の友として生まれる。〔cf. MSK 2.1.4〕 L5 彼らはそこで独り先に生まれていた彼を見る。彼らはこのように考える。『この方はまさに梵天であり、私たちの創造者、化作者、最高者、発出者、 支配者であり、過去と未来に属する[一切の]父である。そして私たちはこの尊い方、梵天によって創造されたのだ。[そう思う]理由は何か。この世界にこの方が独り先に生じていたのを私たちは見た。私たちは後からこの世界に生じた』と。〔cf. MSK 2.1.6〕 L6 その尊い方も次のように考える。『私は梵天、創造者、化作者、最高者、 発出者、支配者であり、過去と未来に属する[一切]の父である。これらの者は私によって創造物として造られた。[そう思う]理由は何か。先に私の心に「ああ、ここに他の生ける者たちも生まれてくればよいのに」という誓願が起こったが、すると彼らがこの世界に誕生し、私は彼らを見る』。その生ける者(大梵天)はそれらの生ける者と比べて、より長寿であり、より美しい容姿、よりいっそうの偉大さ、より大きな神通力、より大きな威神力をもっている。 それらの生ける者たちは、その生ける者(大梵天)と比べて、より短命であり、 より劣った容姿、より劣った偉大さ、より劣った神通力、より劣った威神力を もっている。〔cf. MSK 2.1.5〕 L7 彼らによって[大梵天の]宮殿はいっぱいになり、[そこは]神々に溢れ、多くの神々を有する。〔cf. MSK 2.1.7〕 L8 さてこのことは常法であるが、世界が形成される時、物質的存在(色蘊) である四元素[の結合]より、[多くの]梵天たちの諸宮殿が別々に出現する。 [それは]純白で真白であり、綺麗で壮麗できらびやかで美しく、まばゆく輝くものとして存する。それらの生ける者たちは、[生まれる]場所の獲得に導く働きをする集積した業を有する。物質的存在である四元素[の結合]に依ってそれら[の諸宮殿]が出現する。物質的存在の[結合の]自因と縁は、業の支配的な力である。じつにこのように、因をもち縁をもって、梵天たちのその諸宮殿が出現する。これは古からの法である。彼らによってそれら[の諸宮殿]はいっぱいになり、[そこは]神々に溢れ、多くの神々を有する。 〔cf. MSK 2.1.8〕 L9 さてこのことは常法であるが、世界が形成される時、物質的存在(色蘊)である四元素[の結合]より、ブラフマ・カーイカの神々(梵身天)‥‥ブラ フマ・パーリサッジャの神々(梵眷天、梵衆天)‥‥ブラフマ・プローヒタの神々(梵輔天)の諸住処、諸宮殿が出現する。[それらは]純白で真白であり、綺麗で壮麗できらびやかで美しく、まばゆく輝くものとして存する。それらの生ける者たちは、[生まれる]場所の獲得に導く働きをする集積した業を有する。 物質的存在である四元素[の結合]に依ってそれら[の諸宮殿]が出現する。 物質的存在である四元素の[結合の]自因と縁は、業の支配的な力である。じつにこのように、因をもち縁をもって、ブラフマ・プローヒタの神々(梵輔天)のそれらの諸住処、諸宮殿が出現する。これは古からの法である。彼らによってそれら[の諸宮殿]はいっぱいになり、[そこは]神々に溢れ、多くの神々を有する。〔cf. MSK 2.1.9〕 L10 さてこのことは常法であるが、世界が形成される時、物質的存在(色蘊)である四元素[の結合]より、パラニンミタ・ヴァサヴァッティンの神々(他化自在天)‥‥ニンマーラ・ラティの神々(化楽天)‥‥トゥシタの神々(兜率天) ‥‥ヤーマの神々(夜摩天)の諸住処、諸宮殿が出現する。[それらは]金製・ 銀製・瑠璃製・水晶製であり、綺麗で壮麗できらびやかで美しく、まばゆく輝くものとして存する。それらの生ける者たちは、[生まれる]場所の獲得に導く働きをする集積した業を有する。物質的存在である四元素[の結合]に依ってそれら[の諸宮殿]が出現する。物質的存在である四元素の[結合の]自因と縁は、業の支配的な力である。じつにこのように、因をもち縁をもって、ヤーマの神々(夜摩天)のそれらの諸住処、諸宮殿が出現する。これは古からの法である。彼らによってそれら[の諸宮殿]はいっぱいになり、[そこは]神々に溢れ、多くの神々を有する。〔cf. MSK 2.1.10〕」 (pp.18-20。段落間などで一行あけたのは当方による。注58-62/p.34 も参照) 『ローカパンニャッティ』の原本である『立世阿毘曇論』は、先にも触れたように、 林彦明・飯田順雄・渡邉楳雄譯、竹村牧夫・片山一良校訂、『國譯一切經 印度撰述部 148 論集部 一』、大東出版社、1933/1977 で、渡邉楳雄による書き下し文が掲載されています。上に引いた『ローカパンニャッティ』L1~10に対応するのは、巻の第10・大の三災品第25・火災品第1 中の pp.356(220)~360(224)。 3-6. 上から下への諸天形成など 「この大梵天が抱いた自分は創造神であるという誤解については、どの部派の伝承も同様に伝える」(前掲「『大いなる帰滅の物語』第2章1節〜3節に見る世界形成の正量部伝承」、p.25 注11) 一方、〔2.1.3〕、〔2.1.7〕、L3などで、10中間劫という期間に触れられていました。これは正量部以外の他の部派には見られないとのことです(p.24 注7。また p.25 注13-14、pp.27-28 注20、p.33 注56)。また 「成劫時に神々の世界の形成が一つずつ上から順になされてゆく描写は、世記経にも有る(TI, 138c-139a)。ただしその天界形成のプロセスの詳細はかなり異なるし、MSKや文献Xに見られる正量部伝承のように、一つの天界の生成に1劫ずつかかるという記述は世記経(や起世経や起世因本経)の法蔵部伝承には無い。有部の論書にも無い」(p.27 注17)。 文中の世記経(TI, 138c-139a)は前掲『現代語訳「阿含経典」 長阿含経 第6巻 世記経』では、「三災品」、pp.256-258。最初の部分だけ引いておくと; 「どのようにして火劫から回復するのであろうか。 その後長い時間が経って大きな黒雲が虚空に生じ、光音天まで至り、至るところ雨降り、そのしずくは車輪のようである。こうして無数百千年雨降り、その水は次第に高くなって無数百千由旬になり、光音天に達する。すると四大風が起ってこの水を支えて留まらせる。四とは何か。第一に住風、第二に持風、第三に不動、第四に堅固である。その後、この水は百千由旬から無数百千万由旬まで次第に経る。その水の四面に僧伽という名の大風が起り、水を吹いて動かし、波を立て 以下、同じ文言に天の名だけ入れ換える形で、他化自在天宮、化自在天宮、兜率天宮、炎摩天宮と続きます(pp.257-258)。 引用中の「百千」は十万(p.458 注69)。「梵迦夷天 S. Brahmakāyika 」は梵身天。 法蔵部の『世記経』では梵身天、梵輔天、梵衆天、大梵天と四層の梵天界を数えます(p.236/忉利天品(2))。 説一切有部の『倶舎論』世間品では梵衆天、梵輔天、大梵天の三層(前掲『倶舎論の原典解明 世間品』、p.9/第1章第1節第3項)、 正量部の『大いなる帰滅の物語』ではブラフマ・カーイカ(梵身天)、ブラフマ・プローヒタ(梵輔天、梵先行天)、大梵天(『梵天の近侍である神々』(梵眷天、梵衆天)を含む)の三層(前掲「『大いなる帰滅の物語』第2章1節〜3節に見る世界形成の正量部伝承」、pp.24-25 注10、pp.25-26 注15、p.34 注59-61)。 3-7. 『大いなる帰滅の物語』より:成劫(2) 『大いなる帰滅の物語』に戻って、上に引いた箇所に続いて、第2章題2節「大地の住所[の成立]」として; 「〔2.2.1〕 その後、他の生(前世)を想起したヤーマの神々(夜摩天)は、[前世で見た]メールなどを見ようとする欲求によって、まるで太陽光線のように、 [神々の]住居群の下方に[降りて]いった。 …(中略)… 〔2.2.2〕 『ここに、スメール(妙高山)があった』『ここに、シャクラ(帝釈天)の都があった』『ここに、ユガンドゥラ(持双山)があった』『ここに、海があっ た』と、[前世の]記憶を伴いながら、彼ら(ヤーマ天)が再び[地上世界に]やって来た時、[ヤーマ天の]身体から風が出現した。 …(中略)… 〔2.2.3〕 上へ、下へ、周りへその風は吹き、最高に増大するに至った。 …(中略)… 〔2.2.4〕 その後、その[風輪の]上で、優美な動きをする綺麗な飾りである、 稲光りのつる草をもつ、荘重な[雷]音を轟かせる雲が、全方向に、すさまじく大量の水を放った。 …(中略)… 〔2.2.5〕 [溜まった]水は底知れないほど深かったが、暴風はそれを包みこみ、[流れ出ないように]支えた。 …(中略)… 〔2.2.6〕 そして、八方に天蓋のように広がったこの水は孔雀の頸のような青色をして、力強く、輝いた。まるで、着地することでそこに滞在地を得ようと願っている雲たちがいなくなった[青い]空が、下界にも現われるかのように。 …(中略)… 〔2.2.7〕 徐々に諸元素が堅実な状態になってきた時、水(水輪)の上で、冷えてゆく煮られた乳[に出来る乳膜]と同じような、泥の膜が生じた。内部の輝きをともなって、拡張しながら。 …(中略)… 〔2.2.8〕 すると、カルマ(業)という王[の命令]により活動を促された、風という工芸作家は、未だ刻印づけられていない世界を、まるで一度に百本の手を使うかのように液体状のこの泥から創造することにとりかかった。 …(中略)… 〔2.2.9〕 [世界の]真ん中に位置し[周囲に]海をもつ四角形のスメール山を造るために、[風は]吹く。インドラの[棲む]山は虚空に向かって頭を上げた。 まるで海とともに[巨大な]一つのリンガを形成せんとするかのように。 …(中略)… 〔2.2.10〕 同様に、[風は]自らを七つに分割することによって、はなはだ広く [世界の表面を]旋回しながら、[七つの]内海(溝状の海)に[下]半身が没した、ユガンドゥラ(持双山)を始めとする七つの山脈をも創造した。 …(中略)… 〔2.2.11〕 造った物[の大きさ]を自ら測ろうとするかのように、[風は]下方に位置している世界の円盤の周りを、[つまり]へりの地域を旋回することによって、チャクラヴァーラ(輪囲山)とともに外海を[世界の外縁に]沿って造った」 (pp.9-11。注22-34/pp.28-30 も参照)。 3-8. 『ローカバンニャッティ』より:成劫(2) 『ローカパンニャッティ』の対応箇所; 「L11 さてこのことは常法であるが、世界が形成される時、ヤーマの神々(夜摩天)はこの[地上世界を]想起する。譬えば、眠っていた人が目覚めて夢を想起するように、あるいは神通力をもつ人が前世の生存を[想起する]ように、まさしくその様に、ヤーマの神々はこの[地上世界を]想起する。彼らはこう思う。『[かつて]見た、かの場所に行こう』と。そこでこの [世界]に来て、いくつかのグループに分かれ、この[世界]を逍遥する。〔cf. MSK 2.2.1〕 L12 『ここに、スメール山王があった』『ここに、スダッサナ(善見城)があった』…(中略)…『ここに外海があった』『[ここに]大陸(洲)と中間の島々(中洲) が――チャッカヴァーラ山(輪囲山)があった』。『それを支えるものとして水(水輪)があった』『それ(水)を支えるものとして風(風輪)があった』。『その風が依拠するものとして虚空があった』。〔cf. MSK 2.2.2〕 L13 [風が]起こると、その風は増大する。増大し、いたる所に至り、最大に達する。厚さにおいて96万ヨージャナ[である]。その風(風輪)は直径1203450ヨージャナであり、周囲が3610350ヨージャナである。〔cf. MSK 2.2.3〕 L14 風の集まり(風輪)の上に雨が降り始める。アーマラカ果の大きさの 雨滴をもって、‥‥(意味不明)、多年の間、 数百年の間、数百千年の間。〔cf. MSK 2.2.4〕 L15 その水の集まり(水輪)の周囲にパヴェーサカー(摂持)という名の風たちが吹く。それら(風)はかの水を包みこむものとして、増大する。〔cf. MSK 2.2.5〕 L16 それら(水輪)は増大し、いたる所に至り、最大に達する。厚さにおいて48万ヨージャナ、直径1203450ヨージャナ、周囲が3610350ヨージャナである。〔cf. MSK 2.2.6〕 L17 マハーラサー(立世論:「大味」) という名の大地(mahārasā nāma pathavī)が初めてその[水の]上に存在し、位置する。柔らかな、ラサ[という]大地は(rasapathavī [or *rasā pathavī?])増大する。それ(大地)は 増大し、いたる所に至り、最大に達する。厚さにおいて24万ヨージャナ、直径 1203450ヨージャナ、周囲が3610350ヨージャナである。〔cf. MSK 2.2.7〕 L18 イーサダラ内海を生じさせ、イーサダラ山を隆起させるものとして[風は吹く]。…(中略)…外海を生じさせ、大陸(洲)と中間の島々(中洲)とチャッカヴァーラ山を隆起させて[吹く]。〔cf. MSK 2.2.8〕 L19 或る[風たち]は、まん丸い風として吹く。或る[風たち]は、四角の風として吹く。或る[風たち]は、車形になったものとして吹く。或る[風たち]は、半円の[風として]吹く。東ヴィデーハ洲においてはまん丸い[風が]、 西ゴーヤーナ洲においては半円の風が吹く。北クル洲においては四角の[風が]、ジャンブ洲においては車(sakata)の形に風が吹く。〔cf. MSK 2.2.12〕 L20 風が[ぐるり]均等に包みこむように吹く場合、山に峰が出来る。風がひとまとまりに吹く場合、四角にレイアウトされたもの(切り立った崖をもつ山?)が出来る。[風が]均等に包みこみながら、一方から退いていった場合、山の[内側に]空洞が出来る。[風が地を]捲き上げながら[地に]入りこみ、外に出ていった場合、山の洞窟(guhā)が口を開く。 L21 それら(大地を取り巻く風?)は周囲が3610350ヨージャナ[となり]、半円形(訂正:円形)である。この大地は軟らかく、扱いやすい。譬えば、泥や、最上等の牛乳粥や最上等の生バターやバターミルクのように、全くその様に、この大地は軟らかく、扱いやすい。その[大地の]中央に、生ける者たちが有する業の支配的な力によって、四角形に風が吹く。内側の大海(須彌海) を生じさせ、スメール山王を隆起させるものとして。或る風は[山に]吹きあたる。或る風は[山を]包みこむ。或る風は[山の]周りを生じさせる。或る風は[山頂の]峰峰を作り上げる。或る[風は]スダッサナ城(善見城)の掘を生じさせ、スダッサナ城を隆起させるものとして[吹く]。…(中略)…風が形成したそれらの山々の誕生によって、 この大地に[様々な]高さが現われる。[或る場所(スメール)では]8万ヨージャ ナの高さが現われる。[或る場所(ユガンダラ山)では]4万ヨージャナの高さが現われる。[或る場所(イーサダラ山)では]2万、[或る場所(カディラカ山)では]1万、[或る場所(スダッサナ山)では]5千ヨージャナ、[或る場所(アッサカンナ山)では]2千5百ヨージャナ、[或る場所(ヴィナタカ山)では]1千2百ヨージャ ナ、[或る場所(ネーミンダラ山)では]625ヨージャナ、[或る場所(チャッカヴァーラ山)では]312と半ヨージャナの高さが現われる」 (pp.20-23。段落間などで一行あけたのは当方による。注63-71/pp.34-36 も参照) 上に引いた『ローカパンニャッティ』L11~21に対応するのは、『立世阿毘曇論』巻の第10・大の三災品第25・火災品第1 中の前掲 『國譯一切經 印度撰述部 148 論集部 一』、pp.360(224)~363(227)。 先に触れた、上の二禅天から下へと下降してきた天界の生成が、最下層の風輪から大地最上層の須弥山へと切り換わる過程が描かれています。その切り換わり点が、夜摩天による『ここに、スメール(妙高山)があった』等の想起であるというのも、面白いところです。大梵天同様、夜摩天も擬似的な造物主の位置を占めるわけですが、しかしやはり大梵天同様、実際に世界を創造するわけではない。 またプラトーンの〈 それに対し「他の生(前世)を想起したヤーマの神々(夜摩天)は、[前世で見た]メールなどを見ようとする」(〔2.2.1〕)、「譬えば、眠っていた人が目覚めて夢を想起するように、あるいは神通力をもつ人が前世の生存を[想起する]ように、まさしくその様に、ヤーマの神々はこの[地上世界を]想起する」(L11)とあって、夜摩天の想起の対象はあくまで時間の中、過去において生じ、消え去ったものです。 そこに〈天の書〉的なイメージ、たとえば近代の神智学におけるアーカーシャ・クロニクルのような、記憶のアーカイヴを設定し、引いては時間を単一の流れではなく、いくつもの層が重なったものと見なすこともできるのかもしれません。とはいえこれは、仏教の宇宙論とは別の話になってしまいます。 3-9. 『大いなる帰滅の物語』解説・訳注などより:起点・終点としての大梵天 『大いなる帰滅の物語』はその後人間の出現と住劫の歴史をつづった後、第5章で壊劫に至ります。 岡野 潔、上掲「生きものが再びいなくなる時代 - 『大いなる帰滅の物語』第5章1節に見る正量部伝承 -」、『哲學年報』、no.68、2009.3.1 の序説に、 「MSK第2章第1節では、ひとりの大梵天(Mahābrahmā)の誕生から新しい宇宙の物語が始まった。大梵天が業の力によって生じた梵天宮に誕生することから宇宙の一大周期(大劫 mahākalpa)が始まり、衆生世界の形成が始まった。そして本稿が扱うMSK第5章第1節は、その大梵天の死で締めくくられる。大梵天の死をもって、この千世界の生き物すべての歴史が幕を閉じ、衆生世界の散壊が完成する。 インド初期仏教の宇宙論的歴史において、大梵天が実質的な起点であり終点である役割を担っているわけは、初期仏教成立当時のインドの土着の宇宙観において、大梵天が創造神としての役割を担っていて、仏教徒はその古い宇宙観を換骨奪胎するかたちで自分たちの教義を作ったからである。仏教徒は大梵天から創造神としての役割を奪ったが、宇宙の一大周期の実質的な起点・終点としての位置をそのまま残したままで、大梵天を仏教の中に取り込んだ。仏教において認められたその大梵天の役割とは、世界に最初に生まれた衆生であったために、後から生まれた者たちに創造神として誤解されたまま、梵天界に君臨し、一まとまりの宇宙(千世界)が帰滅する時期に最後のひとりの衆生となるまで生きて、梵天界より下方の世界の出来事をすべて目撃することである」(pp.1-2) と述べられています。 同 pp.10-11 注1 で「初期仏教の宇宙論の発展」について、 (1)「原始的な図式の段階」と (2)「三界というアビダルマの概念で再分類された段階」 に分けて整理されます。岡野 潔、前掲「初期仏教のコスモロジーと善悪」でも取り扱われ、上で引いた『梵網経』や『パーティカ教』が(1)に組みこまれていました。 pp.13-14 注9-10 は上記1-3-1 の末尾で挙げました。 pp.16-19 注19 で「大梵天が最後まで目撃するのは一世界なのか、それとも千世界のすべてなのか」、 pp.19-21 注21 で「帰滅するのは一千世界だけなのか、それとも三千 の大千世界が同時に帰滅するのか」、 pp.23-24 注37 では壊劫において命終していく有情たちの順序に関する「部派的相違点」 などの問題が扱われており、とても興味深いところです。全8回に分けられた翻訳の他の回でも随所で参考になる箇所がありますが、ここでは「第5章1節」分から一部列挙しておくだけに留めました。 4. 器世間:星々 4-1. 仏教の場合 「成劫時に神々の世界の形成が一つずつ上から順になされてゆく描写」というと、たとえば、「毎瞬生滅する讃仰天使の群れ/針の先で何体の天使が踊れるか」の頁(→あそこ)や「反転的グノーシス主義、その他 メモ」の頁(→あそこの2)で触れた、イブン・スィーナーなどイスラーム哲学の流出説が連想されたりもします。ただそこでは順々に発出する〈知性〉は、アリストテレース流のタマネギ状に重なる諸天球および各天球の霊とセットになっていました。対するに仏教の宇宙論では、日月以外の星々はあまり目立った地位を占めていないようです。『倶舎論』世間品では、 「またこれら日と月とは何に依止するか。風に[依止する]なり。[卽ち]一切の有情の共業(sādhārana-karman)の增上力によりて、空中において(antarikse)日と月と衆星とを運持する風を生じて、[その風は]妙高山(Sumeru)において風の輪あるが如くに、輪[狀]をなす。日と月とは、此處より遠きこと幾何か。 日月は妙高山の半においてあり。 …(中略)… 月輪の量は五十由旬なり。日輪の[量]は一を有する五十[由旬]にして[卽ち]五十一[由旬]という義なり。諸の星の天宮(vimāna)の中にて、かの小量なるものの[量]は、一倶芦盧(krośa)なり」 (前掲『倶舎論の原典解明 世間品』、pp.392-393/第4章題7節) とありましたが、これ以上の言及は見当たらないようです。なお「衆星」は「多くの星」の意。 『世記経』では、「世本縁品」で日宮について記す中で、 「では、なぜに、日の光は熱いのであろうか。それには十の理由がある」 (前掲『現代語訳「阿含経典」 長阿含経 第6巻 世記経』、p.312) という問いに対する答えの中で、第九の理由として、 「上方一万由旬に、星宿という名の天界の宮殿があり、瑠璃でできている。日の光が、そこを照らすと、ぶつかって熱を生じる」(同上、p.314) と述べられます。「星宿」の語に注を付して、 「天体の位置や運行を記すために考え出された天の座標系の一つであり、天の赤道を二十八分し、それぞれの主要な星座をもって代表させたものを『二十八宿』と言い、主として月の周天運動を記すため、および星占術に用いる」(p.503 注57) とありました。『大いなる帰滅の物語』では、第2章第4節、すでに人間史が始まった後で、 「[2.4.4] するとアシュレーシャー宿やシュラヴァナー宿と共に、太陽と月が、[東の大陸]ヴィデーハ洲とその反対(西の大陸)の中間に、突然出現した。流し目の視線を有する両目に似たそれら(太陽と月)をきわめて高きに持ちつつ、天空はとても輝いた」 (岡野潔、「『大いなる帰滅の物語』(Mahāsaṃvartanīkathā) : 第2章4節~第4章1節と並行資料の翻訳研究」、『哲學年報』、no.63、九州大学大学院人文科学研究院、2004.3.5、p.4) という事態が起こる。「アシュレーシャー宿やシュラヴァナー宿」に注を付して、 「太陽が出現した東のアシュレーシャー宿(柳)のちょうど百八十度反対側に、月が出現した西のシュラヴァナー宿(女)が位置する」(p.96 注6)。 これだけではよくわかりませんが、アシュレーシャー宿はインド27宿の9番目、シュラヴァナー宿は22番目とのことです(矢野道雄、『密教占星術 - 宿曜道とインド占星術 -』(東京美術選書 49)、東京美術、1986、p.51/3-1、図2 ; 同、『占星術師たちのインド 暦と占いの文化』(中公新書 1084)、中央公論社、1992、p.95/第2部第1章2」、表2 ; 同、『星占いの文化交流史』(シリーズ言葉と社会 Ⅰ)、勁草書房、2004、p.119/第6章2、表6-1)。 岡野 潔の上掲2004年論文には並行資料として、まずパーリ上座部の『長部経典』第27「アッガンニャ経」から; 「A5 ヴァーセッタ[とバーラドヴァージャ]よ、その時に、[地上世界すべてが]一つの水である状態があり、闇、全き闇があった。太陽も月も[未だ]知られなかったし、星々(星座)や星の煌めきも知られなかった。昼も夜も知られなかったし、[暦の]尽きも半月も知られなかったし、季節も年も知られなかった」(p.38)。 「A11 (生ける者たちの)自ら放つ光が消え失せると、太陽と月が出現した。太陽と月が出現すると、星々(星座)、星の煌めきが出現した。星々、星の煌めきが出現すると、昼と夜が知られた。昼と夜が知られると、[暦の]月と半月が知られた。月と半月が知られると、季節と年が知られた」(p.39)。 別訳として; 岡田行弘訳、「第27経 人間世界の起源 - 起源経」、中村元監修、『原始仏典 第3巻 長部経典Ⅲ』、春秋社、2004、pp.204-205 次いで上掲「第2章1節〜3節」論文(2007)同様、『ローカ・パンニャッティ』の対応箇所も訳出されており(p.51/L4、および p.52/L11)、またあわせて根本有部の『破僧事』(p.65/S8およびS11)、大衆部説出世部の『マハーヴァストゥ』(p.74/M5およびp.75/M14、pp.79-80/M40-41)も訳載されていますが、割愛します。なお『立世阿毘曇論』の対応箇所は巻の第10・大の三災品第25・火災品第1 中の前掲 『國譯一切經 印度撰述部 148 論集部 一』、pp.364(228)~365(229)。 この他に、「13世紀の終わり頃から14世紀の始め頃」のシダッタが著した、「パーリ上座部の教義を集大成した」『サーラサンガハ』(浪花宣明、前掲『サーラサンガハの研究 仏教郷里の精要』、p.1/序説)、その第40章「世界の形状」の6節「月と太陽」で、やはり人類史初期における太陽と月の成立のくだりに、 「(9)星たちは[月の]両わきを運行し、月は親牛のようであり、星は子牛のようである。 各々の星に近づいても、どの星も自分の場所を捨てない」(p.519) と述べられていました。 4-2. ヒンドゥー教の場合 とこうして日月を除いて、仏教の 「規範的な文書において、天体について多くは報告されていない」(Willibald Kirfel, Die Kosmographie der Inder, 1920 / 1967, p.189 / 2 Abschnitt, 3 Kapitel) ということのようですが、もとよりインド文化圏で星々が顧みられなかったはずもありません。この点は先に挙げた矢野道雄の著作や、同じく矢野道雄が訳・解説した 『アールヤバティーヤ』、『インド天文学・数学集 科学の名著 1』、朝日出版社、1980、pp.19-138 でうかがうことができます。なお著者のアールヤバタは476年生まれ(pp.29-30)。また ヴァラーハミヒラ、矢野道雄・杉田瑞枝訳注、『 を開いてみると、第3章から第20章までが、太陽、月、ラーフ、火星、水星、木星、金星、土星、北斗七星、星宿、惑星など(以上一巻)、第97章から第104章も星宿、惑星など(以上二巻)に関わる箇所でした。なお著者のヴァラーハミヒラは6世紀前半に活動(二巻、pp.183-184/解説1-1)。 ちなみに矢野道雄、上掲『密教占星術 - 宿曜道とインド占星術 -』で取りあげられる漢文の『宿曜経』は、759~764年成立とのこと(p.4、pp.9-12)。 宇宙構造論についても、ヒンドゥー教のそれは、『ヴィシュヌ・プラーナ』などを典拠とする 定方晟、『インド宇宙論大全』、春秋社、2011 によれば(pp.42-44、50-51、70-72、98);
「プラーナ時代、日月五惑星の知識が存在したことがわかる」(p.71)とも記されていました。同書 pp.28-29(第1部第1章)では、バラモン教時代の星のイメージに触れられています。また「5世紀頃になると、インドに西洋の天文学が伝わってきた」(p.88)こともおさえられています。プラーナ文献の年代を定めるのは一筋縄ではいかないようで、 「茲から有数なプラーナは西紀6世紀の始にその現形をとつたであろうということになる。これは、それらの最初の編集は既に数百年も以前に行はれたかも知れず、またはそれらに含まれている伝承は一部は更に数百年も古いかも知れぬということを何等妨げない。他方また多くのプラーナの原典は極めて新しい起源のものもあり、また一層古い書物の中にも尚後の世紀に附加や改変を蒙ったことも否定できない」 (ウインテルニッツ、中野義照訳、「プラーナ概説」、『密教文化』、no.40、1958、p.29)。 「その他の Purāna の年代決定よりも Visnu-Purāna の年代を決定する方が大分容易なということはない。Pargite が(Anc. Ind. Hist. Transl. P.80)それは5世紀以前でないと考えたのは正しいであろう。しかしそれよりもずっと後代とも考えられない」(同、p.64 註57)。 4-3. ジャイナ教の場合 ジャイナ教の天界論でも惑星は組みこまれています。定方晟、上掲『インド宇宙論大全』ではやはり前出の Kirfel, Die Kosmographie der Inder、および C.Caillat, R.Kumar, The Jain Cosmology, 1981 に基づくとのこと(p.347、351、353、362、373-375、382、386、391-393、400 など。〈非世界〉については、バリントン・J・ベイリー『時間衝突』(1973)・『シティ5からの脱出』(1978)より・『永劫回帰』(1983)メモの頁の→こちらで触れました);
4-4. 星々と須弥山など 太陽→月→星宿→水星→金星→火星→木星→土星→北斗七星→北極星、 ジャイナ教では 星々→太陽→月→星宿→水星→金星→木星→火星→土星 と、上下の配置が異なっており、また後者では最も高い土星で高さ900ヨージャナ、最も低い星々は、高さ790ヨージャナと、 「天体の高度がメール山の高さ(10万ヨージャナ)に比べて低いことに驚かされる」(p.386)。 ヒンドゥー教では「一ヨージャナは約15キロメートルである(ちなみに仏教徒の一ヨージャナはその半分である)」(p.44、p.46/第1部第2章)。 「ジャイナ教の『ヨージャナ』はバラモン教と同じ8,000ダヌ(仏教のは4,000ダヌ)」(p.348/第3部)、「一ヨージャナを15キロメートル」(同)。 ジャイナ教におけるメール山は150万キロメートルの高さで、 天体は1万1850から1万3500キロメートル、 なおヒンドゥー教ではメール山の高さ8万4000ヨージャナ=126万キロメートルで、 天体界は10万からプラス140万で150万ヨージャナ=150万~225万キロメートル、 仏教の 日月や星は須弥山の中腹を巡るので、高さ4万(2万)ヨージャナ=30万5000キロメートル、 『倶舎論』世間品では海上に8万ヨージャナ(海中にも同じ値、前掲『倶舎論の原典解明 世間品』、p.367/第4章第2節)、ヒンドゥー教やジャイナ教にそろえると4万ヨージャナ=60万キロメートル、 日月や星は須弥山の中腹を巡るので、高さ4万(2万)ヨージャナ=30万キロメートルとなる。 ちなみに日本語版ウィキペディアの「地球の大気」のページによると(→こちら)、 「大気圏と宇宙空間との学術的な境界は、何を基準に考えるかによって幅があるが、一般的には、大気がほとんど無くなる高度100kmのカーマン・ラインより外側を宇宙空間とする」 そうです。引用文中の 「カーマン・ライン」については; 「カーマン・ライン(英語: Karman line)は、海抜高度100キロメートルに引かれた仮想のラインである。国際航空連盟 (FAI) によって定められ、このラインを超えた先が宇宙空間、この高度以下は地球の大気圏と定義される…(中略)… カーマン・ラインの名は、ハンガリー出身の航空工学者・セオドア・フォン・カルマン(Theodore von Karman, 英語読みで「カーマン」)に由来する」(日本語ヴァンウィキペディアの該当頁→こちらの2)。 それはともかく、仏教において日月以外の星々が宇宙論にあまり組みこまれなかったと言ってしまってよいのかどうかはわかりませんが、先に触れた『宿曜経』のような占星術の領域では大いに活かされたのでしょう。「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「i. 図像など」で挙げた(→こちらの3)、 『古美術』、no.35、1971.12、pp.9-52:「特集 星宿美術」 林 温、『妙見菩薩と星曼荼羅 日本の美術 no.377』、至文堂、1997.10 なども参照ください。 エピローグ 劉慈欣『三体』三部作(2006-10)のメモの頁(→こちらの4)でも引きましたが、 山田慶児、『朱子の自然学』、岩波書店、1978 に、 「もともと、中国の天文学は惑星系モデルをまったく欠除している」(p.140/Ⅱ章3(5)) とありました。そのかぎりで、『淮南子』「天文訓」では、 「日月の淫気(溢れ浸みでる気)の精粋が、星辰となった」(劉安編、戸川芳郎・木山英雄・沢谷昭次訳、『淮南子 説苑(抄) 中国古典文学体系 6』、平凡社、1974、p.25/『淮南子』、「天文訓 第三」)、 「星辰は、天のより会う所」(同、p.26)、 「五星とはなにか」(同上) として、東西南北と中央に、木火土金水の五行や五つの星が割り振られ、さらに五星の運行が記述されていました(同、pp.26-27。山田慶児、上掲『朱子の自然学』、pp.24-26/Ⅰ-1 なども参照)。 他方、「反転的グノーシス主義、その他 メモ」の頁でも触れましたが(→そちら)、道教では、仏教における欲界六欲天・色界四禅17天・無色界四層のさらに上に、〈四種民天〉だの〈三清天〉を「加上」します。そこでは星辰はどのように位置づけられた、あるいは位置づけられなかったのでしょうか? 蓋天説や渾天説のような宇宙構造論とは関連づけられたのでしょうか? こうした「加上」は、後発のシステムが先行するシステムの高位の存在を格下げしつつ取りこむことで、自説の優位を訴える役割を果たしていました。仏教における〈大梵天の誤認〉というモティーフもその一例にほかなりますまい。グノーシス神話における造物主の倨傲なるイメージは、また別の例となります。グノーシス諸派の一部では、ヤルダバオートとか、プラトーンにならってデーミウールゴスと呼ばれる造物主と、彼が創造する天球以下の物質宇宙の上に、プレーローマが「加上」されます。仏教の宇宙論で欲界六欲天・色界四禅17天・無色界四層と天界が積み重なるさまは、ある意味でプレーローマの重層に通じると見なせるのではありますまいか。ただグノーシス主義のプレーローマは物質宇宙とは不連続であり、またその最奥には知られざる始源が位置づけられるのに対し、仏教の諸階層間は区分されるにせよ、不連続な二元論的亀裂で分かたれることはなく、また色界や無色界の最上層に至っても、絶対者に辿りつくことはありません。 他方グノーシス神話で、自らを唯一神と見なすという造物主の誤認は、そもそも、プレーローマに属するソフィアが犯した過ちに由来すると物語られます。そしてソフィアの過ちというモティーフは、直接の関連があるのかどうか、イスマーイール派におけるアブー・イーサー・アル・ムルシドの神話や、イスマーイール派から分かれたドゥルーズ派、戻ってイスマーイール派中のタイイブ派などで再登場することになります。この点はまた別の機会にメモすることができればと思う次第です。 |
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| 2026/08/12 以後、随時修正・追補 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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