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顔のない眼
Les yeux sans visage
    1960年、フランス・イタリア 
 監督   ジョルジュ・フランジュ 
 撮影   オイゲン・シュフタン 
編集   ジルベール・ナト 
 プロダクション・デザイン   オーギュスト・カプリエ 
 美術   マルゴ・カプリエ 
    約1時間30分 
画面比:横×縦    1.66:1*
    モノクロ 

LD
* 手もとのソフトでは1.33:1
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 本作は確か大昔にTVで放映された時に見た記憶があるのですが、むしろその後に読んだ下掲の澁澤龍彦のエッセイによって印象に刻みつけられました。とはいえレイザー・ディスク化されたのを見た際にはもう一つピンと来なかったというのは、こちらの見る目の問題はいうまでもないとして、おそらく超自然現象が起きないからかもしれません。かなりしんどい気分にさせてくれる場面があるのに、お化けが出てこないのではたまったものではありません。もっとも今回再見してみれば、主な舞台となる館内がなかなか面白い曲がりくねり方をしています。手短かにとりあげることとしましょう。

 撮影のオイゲン・シュフタンは、この後ロバート・ロッセン監督でポール・ニューマン主演の『ハスラー』(1961)に続き、同じロッセン監督による伝説的な作品『リリス』(1964)を手がけています。こちらも本作に劣らず実にいやあな映画です(下掲の稲生平太郎・高橋洋、『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』、2014、pp.97-101 を参照)。やはりお化けは出てきません。
 ジャン・ルドンの原作を本人たちとともに脚色したボワロー&ナルスジャックは二人組の探偵作家ですが、その作品がアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『悪魔のような女』(1955)やヒチコックの『めまい』(1958)などとして映画化されことでも知られています。双方お化けは出てきません。なのでいやあな感じが残ります。
 アリダ・ヴァリは『リサと悪魔』(1973)のところでも触れましたが、『第三の男』(1949、監督:キャロル・リード)や『夏の嵐』(1954、監督:ルキノ・ヴィスコンティ)などに出演しつつ、本作、後に『リサと悪魔』、『サスペリア』(1977、監督:ダリオ・アルジェント)などのいわゆるジャンル映画にも出演している(喜んでかどうかは知らず)奇特な俳優です。後の2つにはお化けが出てきます。『リサと悪魔』はいわずとしれたマリオ・バーヴァ後期の佳作、『サスペリア』は過剰な残酷描写がいやあな感じですが、アルジェントの他のジャッロとは違ってお化けが出てくるのでほっとできます。
 教授役のピエール・ブラッスールはマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』(1945)にも出ていた俳優さん。
 ヒロインを務めるエディット・スコブは後にレオ・カラックスの『ポンヌフの恋人』(1991)などの他、『ヴィドック』(2001、監督:ピトフ)や『ジェヴォーダンの獣』(2001、監督:クリストフ・ガンズ)といったこちら寄りの作品で助演しているそうです。いつか確認することといたしましょう。『ヴィドック』にはお化けが出てきます。こちらも残酷描写が過剰ですが、お化けのおかげで一息つけます。『ジェヴォーダンの獣』のお化けはたしか贋ものだったかと思いますが、馬鹿な映画なので許容できます。

 話を戻すと、タイトル・バックでは夜の道を走る自動車の窓から、後ろを見た眺めが流れていきます。モーリス・ジャールの音楽はどことなくサーカス風です。
 本編に入ればやはり自動車を運転するアリダ・ヴァリの姿が映される。彼女は死体を川に投げ捨てます。
 続いて医学教授(ピエール・ブラッスール)が移植に関する講義を開いている。彼の娘が事故にあったと囁かれます。
 教授は警察に呼ばれる。遺体安置室への廊下を主観カメラが前進します。
 パリの市街です。アリダ・ヴァリが部屋探しする娘エドナ(ジュリエット・メニエル)の後をつける。
 墓地です。教授の娘の葬儀が行なわれています。娘には婚約者(フランソワ・ゲラン)がいました。教授の共同研究者とのことです。またアリダ・ヴァリは教授の秘書。しかしまだ名前はわかりません。

 教授と秘書が車で門を入り、病院を通り過ぎてさらに奥、約17分にしてジェヌシエ教授の館が登場します。
 車とともにカメラが右から左へ動き、林に囲まれた館の正面が映される。左右を小塔にはさまれた、2階建てに窓つき破風の館です。手前には池がある。外観全景が映されるのはここだけでした。
 秘書をおろして車は館の右側に回ります。玄関部分から道がくだりになって車庫の扉が見えます。地下にあたるのでしょう。
 教授は車庫で車から降りて、左側の扉の中に入る。少し進んで数段上がります。あがった先にも扉がある。また階段の左には、粗石積みの低い石垣があり、その上に金属の手すりが立ててあります。手すりの右下はくるりと丸められている。その影が右の壁に落ちています。
 階段上の扉から入ると、また狭い一部屋をはさんで、先に扉があります。
 次いで左側の扉口から出てくる。右へ進みます。このあたりは内装が豊かに整えられています。奥にピアノの見える部屋への扉口が開いていますが、さらに右へ、階段室です。
 階段は進んできた廊下の正面にあって、まずやや右上へ上がり、10段ほどで踊り場となる。そこから左に折れていきます。ちなみに階段室の左側へ進むとおそらく玄関だと思われますが、そちらは映されませんでした。
 下からの仰角に換わります。階段は上でさらに左へと湾曲しています。奥の壁上方に方形の飾り窓が2つ並んでいます。天井から吹抜の半ばにシャンデリアが吊されている。
 階段をのぼりきると、あがって右にも扉がありますが、吹抜に面して左へと回廊が伸びています。その突きあたりの扉に教授は入っていく。
 中は少し進んで、また右に階段が上がっています。このあたりは先の階段室より簡素な佇まいです。階段は右上に10段ほど上り、踊り場を経て右へ折れます。
 また踊り場です。また右上に折れる。1階から2階への主階段といい、この副階段といい、筒状の空間をぐるっと回るように巡らされているようです。壁の上にはやはり飾り窓があり、こちらは抽象的な紋様でした。
 あがると左に少し進んで扉があります。3階ということになります。実は宏壮な古城等を舞台にした映画でも、2階より上が登場することは必ずしも多くありません。セット設営の都合などの事情がからんでくるのでしょう。本作では3階のみならず、先に出てきた車庫の地下ないし半地下-こちらは後にさらなる展開を見せてくれることでしょう-までふるまってくれるのですから、この点をとっても記憶に値するというべきなのでしょう。
 さて、部屋に入るとカメラだけが前進します。ベッドに娘クリスティアヌ(エディット・スコブ)がうつぶせになっています。彼女はしばらくの間後ろ向きのままです。教授が話しかける。追って秘書が仮面を手に入ってきます。約25分にして前向きになりますが、仮面をつけての姿です。秘書は自分の手術は成功したといって慰めますが、娘はけがだけだ、自分には顔がないと応える。

 教授と秘書が退室した後、クリスティアヌも部屋を出ます。扉の先は少し間を置いて腰板を張った壁です。廊下を進み、副階段をおり、2階回廊まで来ます。吹抜の下を見てから、回廊に面した扉から中に入る。
 中の向かって奥には暖炉とその上に大きな鏡があります。鏡は真っ暗になっている。その右に扉があります。暖炉の向かいに電話機が置いてある。電話をかけますが、相手の声だけ聞いて自らは話さない。相手は婚約者のジャックでした。見上げると大きな肖像画がかかっています。クリスティアヌがモデルなのでしょう。残念ながら達者な絵とはいえません。

 劇場か何かで切符を買うために並んでいたエドナに秘書が声をかけます。エッフェル塔の見える広場を経て、カフェで二人が落ちあう。秘書は部屋が見つかったといって、ドームを載せた3階建ての建物の前で車に乗せます。交差する鉄道橋の下をくぐり、森を抜ける。踏切にカメラが前進します。パリへ電車で20分とのことです。
 館の上階から教授が、下の曲がりくねる道を車が進んでくるさまを見下ろしています。エドナが館の前で車から降りる。館の向かいは丘です。館の前面を下から見上げます。たくさんの犬が吠えている。
 秘書に案内されて入るとピアノのある部屋でした。教授もいます。エドナは不安に駆られたのか、遠いのはちょっと、約束があると逃げだしたそうで、教授はさっさと麻酔薬をかがせてしまいます。


 2階回廊が下から見上げられる。暗い。クリスティアヌが見下ろしています。階段をおりてくる。右の壁に大きく欄干の影が落ちており、そこを抜けます。カメラは右・下へ振られる。
 エドナを抱えた教授と秘書が廊下の奥へ進みます。低垣階段を経て、車庫に入る。右奥に戸棚があります。奥は隠し扉になっていました。思わず喝采をあげたくなりますが、この後は皆当たり前のように出入りすることになるでしょう。
 エドナを中へ入れて二人は出てきます。車の影にクリスティアヌが身を潜めています。彼女は隠し扉の中に入る。奥はすぐ向かいに煉瓦壁が見えます。
 暗い廊下です。ゆるい半円アーチがいくつか横切っています。奥の突きあたりには7~8段あがって扉が見える。クリスティアヌは奥から手前へ進み、左に消えます。この廊下はまだ出番がありますので、覚えておきましょう。
 正面に大きな鉄扉が待っています。これは左へ滑る。中は手術室でした。扉口のクリスティアヌを右寄りに映した後、カメラは室内を右から左へとパンします。手術台が2つ並んでおり、左にエドナが横たえられている。並んだ手術台というと同年の『生血を吸う女』(8月30日イタリア公開、本作は1月11日フランス公開)や『亡霊の復讐』(1965)等のイタリア映画が連想されずにはいません(先立つフレーダの『吸血鬼』(1957)ではどうでしたっけ?)。
 背を向けたクリスティアヌが左から奥へ、エドナのかたわらでいったん止まり、またさらに奥へ進みます。通路に続いている。少し進むと今度は小さめの鉄扉があり、その中に入ります。
 灯りのスイッチを入れると、台形の柱+梁がいくつも横切る奥へ伸びた部屋が正面からとらえられる。中央を通路に、左右にはいくつも檻が並んでいます。檻の形が少し変わっていて、後の場面と合わせると、壁から浅い三角が突きでる部分を本体に、上方では上すぼまりになっているというものです。中央の床でその影が交わっています。
 檻には犬たちがいれられていました。クリスティアヌは一匹ずつ撫でていきます。仲好しのようです。
 手術室に戻ります。大きな椀状のライトがあります。仮面を外すと、エドナの顔を撫でます。エドナが目を覚まします。クリスティアヌの顔がぼんやりと映される。エドナは悲鳴を上げます。


 約43分、手術の場面です。いやに丁寧に描かれます。音楽はありません。顔の皮を剥ぎ、剥がれた顔も一瞬ですが映されます。これはしんどい。

 捨て犬を教授が受けとっています。あんなに集めてどうするんだろうと思わずにいられません。
 低くなった半円アーチの出入り口があり、奥まって扉口になっています。犬を連れて中に入る。
 廊下です。台形の柱+梁がいくつも横切っています。ただし檻の部屋よりずっと幅が狭い。この廊下も後で出番がありますので、先の半円アーチ廊下と区別して覚えておきましょう。1階の廊下、2階回廊、地下ないし半地下の廊下2種、後に3階廊下も映ります。この点をとっても記憶に値するというべきなのでしょう。
 床は浅い奥深の段がくだりになっているようです。手前を左に折れると、先に檻の部屋があります。
 連れてきた犬を檻の1つに入れます。犬をいじめるわけではありませんが、優しいというわけでもないようです。
 台形廊下から秘書が入ってきます。少なくとも日本語字幕では約51分にして、ようやく名前がルイーズだとわかります。教授は手術の結果に不安を抱いています。ルイーズがいつもしている首輪の下に傷跡の隠されていることもわかります。

 病室のベッドにエドナが横たわっています。頭部は包帯で巻かれています。殺そうというわけではないようですが、その後どうするつもりなのでしょうか。入ってきたルイーズをエドナは殴り倒し、半円アーチの廊下を通り、車庫に出ます。車庫の扉の下から戻ってきた車の光が洩れるのを見て、低垣階段の方へ向かいます。
 主階段が上から見下ろされます。壁に欄干の影が落ちている。2階回廊へ、次いで副階段をのぼるさまが上から見下ろされます。右の壁にやはり欄干の影が落ちています。光はやはり下にある吊されたランプからのものです。壁の窓は真っ暗に見える。
 逃れるエドナと交互に、ルイーズに知らされた教授が追ってきます。副階段についた時は下から見上げられ、この際は窓の紋様がきちんと見えます。
 幅の狭い廊下です。左右の壁には腰板が張られている。途中でカーテンが片側に寄せられています。突きあたりには扉が見える。左手前から教授が現われ、背を向け奥へ進む。半ばで右をのぞきこみます。
 その時悲鳴が聞こえてくる。さらに奥へ進み、また右に入っていく。子供部屋のようです。クリスティアナが使ったいたものでしょうか。窓が開いて風が吹きこみます。窓に駆けより下を見ると、エドナが倒れていました。ここまでで約54分です。

 教授とルイーズが墓地に行きます。クリスティアヌの納骨堂の床板をあけ、その中にエドナの死体を落とす。ルイーズは耳を塞いでいます。
 警察でエドナの友人が証言している。同じ部屋の別の机では万引き娘が訊問されています。


 館の食堂です。やはり後ろ向きで映されたクリスティアヌが約59分にして、仮面をつけない顔で映されます。目を見開いたような、いささか人形めいた強ばりを感じさせる。
 ルイーズが天使みたいというと、クリスティアヌは天使?そうかしらと答えます。本篇自体とは別の話になりますが、下掲の澁澤の解釈と合わせると、なかなかに感慨深いものがあります。
 教授は出かける前に、化粧したのかね?と問い、チェックします。何か不審げです。
 病院へと夜の道を歩む教授はルイーズに、手術は失敗だったという。
 動画ではなく静止した顔写真を連ねることで、症状が徐々に悪化してくさまが伝えられます。これもかなりしんどい。

 ルイーズが仮面を手に部屋に入ってきます。クリスティアヌは床でうつぶせになっています。
 手術室では教授が犬を実験台にしています。犬では全て成功したとのことです。
 クリスティアヌが肖像画の部屋に入ってきます。ジャックに電話をかける。ジャックの部屋にはピカソ展のポスターが貼ってあります。ルイーズが電話を切ってしまいます。クリスティアヌは死にたいという。

 警察にジャックが連絡します。首輪で傷跡を隠す女性のことをエドナの友人が証言したと聞いて、心当たりを覚えます。
 いったん放免された万引き娘(ベアトリス・アルタリバ)が召還され、囮になることを持ちかけられます。
 ブロンドに染め、入院します。名前はポーレットでした。
 教授とジャックが子供を診察します。この場面は本筋に関係ありません。どういう意図なのでしょうか?
 ポーレットが脳波検査等を受けます。
 教授は自室です。疲れているようです。
 異常がないと診察されたポーレットが退院します。バス停に向かうところをルイーズが車に乗せる。

 手術室です。ポーレットが手術台にのせられています。ルイーズが病院に客が来たと教授に告げる。教授は出ます。すみのソファでクリスティアヌがうずくまっています。
 客は刑事たちでした。ポーレットが退院したと聞いて退散します。ジャックも消沈気味です。ジャックも彼とともに捜査に乗りだした刑事たちも、結局本篇中では役に立たず仕舞いでした。

 手術室です。ポーレットが目覚めます。縛られていて動けません。クリスティアヌがメスを手にとって近づきます。ポーレットは悲鳴を上げますが、クリスティアヌは縛めを切って解放します。ルイーズが入ってくる。クリスティアヌはその首をメスで刺します。ルイーズは「なぜ?」と涙を落とし、壁の角にもたれかかる。そのまま崩れ落ち、首をがくっと落とします。この間クリスティアヌは口をききません。
 ポーレットは半円アーチの廊下を奥へ逃げていきます。
 一方クリスティアヌは手術室の奥へ向かいます。檻を次々と開けていく。犬たちは台形廊下へ走っていきます。
 戻ってきた教授が半円アーチ口の前で音を聞き止め、扉を開きます。飛びだしてきた犬に咬みつかれる。他の犬たちも追いつき、皆して教授を引き裂きます。
 台形廊下の手前・右には大きな鳥籠がありました。クリスティアヌはそれも開いて、鳥たちを放ちます。皆白鳩です。1羽だけクリスティアヌの肩に止まります。
 半円アーチ口からクリスティアヌが出てきます。手に鳩を止まらせています。そのまま木立を奥へ向かう。手に鳩を止まらせたままで、まわりにも鳩たちが飛び交っています。


 何度か触れた澁澤龍彦の文章は、クリスティアヌは仮面の力によって「人間性を脱却し、天使性に接近する」(p.372)と説きます。「すでにして、彼女は植皮手術を欲しない。…(中略)…殺人によって、彼女は完全に天使の属性を獲得する。さればこそ、物語の論理的必然によって、彼女はどうしても鳥籠の鳥を放ち、腕に鳥をとまらせなければならない(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)のである」(p.373)。
 この解釈はけっこう説得力があるように思われます。現実には逃げだしたポーレットが通報し、警察が来てルイーズや教授の死体を発見し、全てを知らされたジャックは何を思うのか……となるだろうことも想像できますが、映画は夜の森に鳩たちとともにクリスティアヌが消えるところで終わります。人でなくなった仮面の女は人ならざるものの世界へと移行する。そのための通過儀礼としてさんざんしんどいものを見せられてきたわけです。映画の中の世界をずるずると現実の世界に接続せず、すぱっと切断したことをこそ諒とすべきでしょう。
 敷衍してみましょう。クライマックスが半地下ないし地下の手術室周辺で展開するのも、通過儀礼の舞台というにふさわしい。地下とは冥界の謂いにほかなりますまい。一度死んだクリスティアヌは顔を奪われた。顔は社会に対し各個人が呈示しなければならない記号であり、つまりクリスティアヌがつけることになったのとは別の形での仮面です。ただこの時点では、コミュニケーションの媒体である声は残されている。その意味では人間の圏域に片脚を残しています。ただ婚約者との意思の疎通は封じられており、その点で社会からはすでに半歩はみだしている。クライマックスにおいてクリスティアヌが言葉を発しないのは、儀礼の最中は守らなければならない決めごとであるとともに、人間界からの離脱を示してもいるのでしょう。人間とは言葉を交わさないけれど、犬や鳩となら通じあうこともできるわけです。その際離脱を成就するためには、クリスティアヌにもっとも親身に接したルイーズを自ら手にかけなければならない。感情をうまく伝えられなかった教授は犬たちに任せておけばよい。いずれにせよすでに押しつぶされかかっていた二人を殺すことは、軛からの解放でもあるのかもしれません。
 手術室からは2つの廊下が伸びています。一方は半円アーチの廊下で、車庫に通じている。車庫は人間の社会につながっているのでしょう。だから解き放たれたポーレットはそちらに向かう。ただし車庫からうまく出られないと、エドナのように上階にのぼるしかなくなってしまいます。上階に出口はなく、脱出の方法は窓からの墜落のみなのでした。
 他方もう一つの台形廊下は森に通じています。犬たちがそこを走り、鳥たちとともにクリスティアヌが向かう森は、個別性、ひいては社会性・人間性を引き受けることのない仮面たちが交感する世界なのでしょう。
 とこんな風にまとめると、何となくわかったような気になってしまいますが、何より大切なのは、1階から3階、そして半地下ないし地下までの垂直の積層と、それらをつなぐ階段や廊下を人物たちや人外の仮面、そして犬や鳥が往き来すること、より正確にはそうした往き来を可能にするだけの空間の分岐があること、この点を忘れてはなりますまい。

Cf.,  澁澤龍彦、「仮面について-現代ミステリー映画論-」(1961)、『澁澤龍彦集成 Ⅶ 文明論・芸術論篇』、桃源社、1970、pp.367-374、とりわけ pp.372-373
こちらでも挙げました

同じ著者による→こちらを参照

澁澤の文章の本作に関する箇所はけっこう印象に残っていたのでしょう、下記の拙稿でも引きあいに出したことがありました;
『三重県立美術館ニュース』、no.145、2012.1.13、「三重県立美術館 カルトクイズ 第140回 回答」 [ <まぐまぐ!のサイト


The Horror Movies, 2、1986、p.76

黒沢清+篠崎誠、『黒沢清の恐怖の映画史』、2003、pp.161-165

稲生平太郎・高橋洋、『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』、2014、p.34、pp.39-40

Cathal Tohill & Pete Tombs, Immoral Tales. European Sex and Horror Movies 1956-1984, 1995, pp.22-23

Danny Shipka, Perverse Titillation. The Exploitation Cinema of Italy, Spain and France, 1960-1980, 2011, pp.266-269, 272

Jonathan Rigby, Studies in Terror. Landmarks of Horror Cinema, 2011, pp.100-101

Jonathan Rigby, Euro Gothic: Classics of Continental Horror Cinema, 2016, pp.75-78
おまけ  牧野修、「スキンダンスの階梯」、『ファントム・ケーブル』、2003、pp.193-225
《顔のない眼》なる者たちが登場します。

 
 2015/8/22 以後、随時修正・追補
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