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〈宇宙論〉と〈宇宙観〉など、若干の用語について

 鷲津浩子『時の娘たち』(2005)の第3章「暗合/号する宇宙 エドガー・アラン・ポウ『ユリイカ』」の冒頭の註2に、

コズモロジーを「宇宙論」ではなく「宇宙観」あるいは「宇宙像」であることを明記する必要性を指摘したのは、佐藤憲一(筑波大学大学院生)である(p.277)

とあったのですが、これが当初、まったくもってぴんと来ませんでした。
cosmologia (cosmology / cosmologie / Kosmologie …)-logia logos に由来するもので、通例「-論」とか「-学」と訳されることが多かったはずではなかったか。
 しかしふりかえってみれば、岩田慶治・杉浦康平編著は『アジアの宇宙観』(1989)ですし、荒川紘の2部作は『東と西の宇宙観』(2005)で、同じ著者による『古代日本人の宇宙観』(1981)、『日本人の宇宙観』(2001)と、「-観」づくしの相を呈しています。そもそも寺田寅彦によるアーレニウスの訳も『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(1944)でした。
 この区別についての説明として、中山茂『天の科学史』(1984)の第9章「結び-あなたにとって宇宙とは何か」の最後の節は「宇宙論と宇宙観」(2011年刊の文庫版、p.254)と題されており、そのまた末尾、

科学は宇宙の周辺部へ、どしどし視野を拡大していって、かえって心や自我との対応づけの問題は忘れてしまっていますが、それに対してまず自我を確立し、それから人間のまわりの環境との調和をとり、最後に宇宙の果てにいたるという物の見方、それを本来の意味でのコスモロジーというのです。私はこの本来のコスモロジーを科学的宇宙論に対して宇宙観ということにしています…(後略)…(同、p.261)

とありました。こうした区別がいつ頃成立したのかについては、上の引用からはわからないのですが、その少し前に、「戦前にはヴェルトアンシャウウンク(世界観)というドイツ語を用いたのですが、この宇宙時代にグローバルな規模の感じを出すために、コスモロジーと呼ぶのです」(p.260)と述べられています。歴史的経緯はともかく、「-観」というのは、確かにドイツ語の
-Anschauung に対応しているようです。
 ちなみに薗田坦「仏教の世界観について」(2011)によると、「例えばドイツ語では、『世界観』は
Weltanschauung ないし Weltansicht、『世界像』は Weltbild と、はっきり使い分けられ、それぞれの概念の意味する内容も明確に区別されています。同様に英語でも、World View(世界観)と World Image(世界像)という語は、区別して用いられているようであります」とのことで(p.3)、「世界観」は「世界というものをそもそもいかなるものとして見るか、あるいは人間の生きる道としての世界をいかなる性質のもの、いかなる成り立ちのものと見るか、そしてその限りで世界にいかなる意味づけを見出すかという場合」(pp.2-3)に用い、「世界像」は「世界をどのようなすがた、形のものとして捉えるかという、いわば世界(宇宙)の形状に関する見方」(p.2)で、「ただし『世界像』という言い方は、日本語ではあまり使い慣れてはおらず、その内容に当たるものは、むしろ『宇宙像』もしくは『宇宙論』という言葉によって言われているように思われます」(p.3)と記されています。なお、小説や漫画、アニメ、ゲームなどで用いられる〈世界観〉の語に関しては、大塚英志、『定本物語消費論』(角川文庫 お 39-2)、角川書店、2001、「Ⅰ/物語消費論ノート」、とりわけその「1 世界と趣向-物語の複製と消費('89・5)」を参照ください。
 話を戻せば、当方が〈宇宙観〉の語より〈宇宙論〉の語を自明視していたのは、もしかすると『古代の宇宙論』(1976)が個人的に教科書的な存在だったからかもしれないという気もしなくはないのですが、試しにその「訳者あとがき」を開いてみれば、「内容から見て『古代の宇宙観』もしくは『古代人の宇宙観』でもよいかと思われるが」(p.265)とあり、少し後にも「ここまで含ませると宇宙論よりも宇宙観と言った方が適当であるが」(p.267)と言った言い回しも出てきます。こうなると本サイトで挙げたようなものの多くに〈宇宙論〉をあてるのは、はなはだ分が悪そうなのでした。
 神話的・宗教的宇宙論が、往々にして始めから組織だった形で成立するものではないことを思えば、「-論」より「-観」というのもわからなくはありません。また自然科学以外の分野、たとえば文化人類学や哲学の領域で、時に〈コスモロジー〉等と片仮名表記されるのを見かけますが、これも、自然科学的宇宙論と区別するためなのかもしれません(この点については、坂本賢三、「コスモロジー再興」、『新岩波講座 哲学 5 自然とコスモス』、1985、p.4 参照)。
 とまれ〈宇宙論〉/〈宇宙観〉という区別が成立した事情は今のところわからず、それどころかこれらの言葉がいつ頃から使われるようになったか自体も不明ならば、こうした区別が日本以外ではどうなのかも不詳なのですが、ただ同じ cosmologia に対応させるのであれば、「-観」から -logia にさかのぼることは厄介で、「-論」と訳した方がわかりやすいということもあって、翻訳が本来一対一対応になるはずもないかぎりにおいてではあれ、ここでの地の文では〈宇宙論〉を用いています。

 ちなみに theologia は通例〈神学〉と訳されることがほとんどのようですが、時たま〈神論〉という言い方を見かけます。こちらも、特定の歴史的な神学への連想を避けるべく用いられているのではないかと思われます。
 また
astrologia は通例〈占星術〉と訳されますが、時たま〈星学〉という言い方を見かけます。こちらも、占いだけに焦点をあわせるのを避けるべく用いられているのではないかと思われます。
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 なお、〈宇宙〉の語については、戸川芳郎「生成論と〝無〟」(『漢代の學術と文化』、2002)によると

「宇宙」の語は『筍子』(解蔽篇)『荘子』(知北遊・庚桑楚(こうそうそ)篇)にみえるが、空間世界を「宇」、時間的ひろがりを「宙」として、時空的世界(「天地」)に理解したのは、『淮南子』に注した、後漢の高誘(こうゆう)である(「原道篇」注)( p.223)。

同じく「後漢期における氣論」(『漢代の學術と文化』、2002/『気の思想』、1978、p.192)には、『淮南子』天文訓の冒頭の一節として、

 道、始めて虚霩(きょかく)を生み、虚霩は宇宙(うちゅう)を生み、宇宙は元氣(ヽヽ)を生みて、□□に涯垠(がいぎん)有り、清・陽なる者は、薄靡(たなび)いて天と為り、…。(『太平御覧』一「元氣気」による)

「宇宙」は高誘の注で「()は四方・上下なり。(ちゅう)は、往古と来今なり」とのごとく、六合と古今つまり四次元の軸の立つ世界である(pp.28-29)

とありました。上掲の坂本賢三、「コスモロジー再興」、pp.13-14 もあわせて参照ください。
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 『古代の宇宙論』(1976)の「訳者あとがき」ではまた、「cosmogony という語も使われており、この方は宇宙発生論という。むかしは宇宙開びゃく論と言ったこともあるが、びゃくという字はむずかしいので使わない方がよい」(p.265)とあります。ジム・ホルト『世界はなぜ「ある」のか? 実存をめぐる科学・哲学的探索』(2013)には

宇宙の誕生にかんする理論は、宇宙進化論(
cosmogony)と呼ばれる。この言葉は、ギリシャ語で「秩序ある宇宙」を意味するコスモスと、「生み出す」を意味するゲノス(「性腺」を意味する英単語 gonad の語源と同じ)に由来する(p.32)

と記されています。手持ちの英和辞典では「-gony [ < L -gonia < Gk -goníā < gónos offspring]」(『岩波英和大辞典』、1970、p.740)となっていて、ゲノス/ゴノスが一致していなくてもいいのかどうかよくわかりませんが、これも手持ちの希英辞典(A Lexicon. Abridged from Liddell and Scott's Greek-English Lexicon, Oxford at the Clarendon Press, 1974)を見ると、

γένοςrace, descent … / kind, genus (p.140)
γόνοςthat which is begotten, a child, offspring / race, birth, descent / a begetting (p.144)
とあって、近くには関係あるのかどうか、
ゲネシス= γένεσιςan origin, source ; birth, race, descent (p.140)

ともあれ、上に出てくる〈-発生論〉〈-進化論〉、それに〈-生成論〉とあわせて、自然の自発的な展開というニュアンスになるし、といって〈-創造論〉では、多神教的な万神殿中の一柱によるものであれ一神教的な唯一神によるものであれ、また既存の質料からの創造であれ無からの創造であれ、何らかの働きかけというニュアンスが強くなるので、双方をカヴァーすべくということなのでしょう、〈-創成論〉とか〈-創生論〉といった形も見受けますが、ここはやはり、字が難しいなどと言わず、〈宇宙開闢論〉でいきたいところです。

 ちなみに、ブラヴァッキー『シークレット・ドクトリン』(1888)第1巻の総題は
cosmogenesis、第2巻は anthropogenesis となっています。前者については他に、Mubabinge Bilolo, Les cosmo-théologies philosophiques d'Heliopolis et d'Hermopolis, 1986 の第2章、 "2114. Le présent : problème de la cosmogenèse" で見かけたくらいでしょうか。

 -gonia のつく語ではもう一つ、theogonia がここでは重要になります。ヘーシオドスの二著の内一つの原題で、『神統記』、『神々の系譜』、『神々の始まり』などと訳されています。多神教が前提になっている時はそれでいいとして、問題はカバラーやイブン・アラビー、ヤーコプ・ベーメなど一神教圏の場合で、こちらは今のところすっきりした定訳は見当たらないようです。ちなみに薗田坦『無底と意志-形而上学-ヤーコプ・ベーメ研究-』(2015)の p.34, p.57, p.186 では「神生成論」、p.87, p.154 では「神成論」とされています。

 なお、〈開闢〉の語に関して、上記とは異なる、しかしまったく無縁とも言い切れない使い方をしているものに、

永井均、『私・今・そして神 開闢の哲学』(講談社現代新書 1745)、講談社、2004

があります。この本における〈開闢〉については、とりあえず第1章第4節「開闢の奇跡」あたりから。
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  澁澤龍彦の「宇宙と宇宙論」(1979)では〈宇宙形状誌〉(p.50)、 松山俊太郎の「古代インド人の宇宙像」(1976)では〈宇宙形態論〉(p.109)という訳語をあてられているのが、cosmographia です。山本義隆の『世界の見方の転換』(2014)第1巻、pp.314-317 には16世紀前後の用法が検討されており、その上で〈天地学〉という語を採用しています(pp.274-275、註p.23(84)も参照)。
 -logia /論が系統立った論述を指すのに対し、-graphia
γράφω(書き記す)に由来します。並列的に記述することを意味し、通例〈-誌〉とか〈-譜〉と訳されています。いずれにせよ〈宇宙開闢論〉や〈終末論〉などが時間的側面について述べるのに対し、空間的側面に焦点をあてる場合に用いられるようです。ここでは例によって、癖のなさそうな〈宇宙誌〉を選ぶことにしましょう。

 なお、
cosmography, cosmogony, cosmology の3語については、
Rémi Brague, The Wisdom of the World. The Human Experience of the Universe in Western Thought, 2003, pp.2-6
も参照ください。


 ついでにもう一つ、
Bentley Layton, The Gnostic Scriptures, 1987/1995
で訳された各文献の解題部分で何度か(索引によると5度;p.24, 87, 102, 122, 450)、しばしば〈宇宙開闢論 cosmogony〉と対になって〈uranography〉なる語が登場、後ろに括弧して「宇宙の構造の記述」と説明されていました。手もとの英和辞書では「天体学、恒星図表学、天体誌」、加えてすぐ後ろに〈uranology〉:「天体誌、天体学、天体論」、その次には〈uranometry〉:「天体測量、天体図、星図、星表」とあります。戻って〈uranography〉は直訳すれば「天界誌」でしょうか。

2014/06/21 以後、随時修正・追補
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