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積木風構成、その他 メモ


 1 杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》(1930/昭和5)
 2 積木風構成など
 3 プラトーン立体と五輪塔など
 4 内藤春治《あかりのある噴水塔》(1928/昭和3)
 5 芹沢銈介《ばんどり図四曲屏風》(1957/昭和32)
 6 高次元図形、カラビ=ヤウ空間


1.杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》(1930/昭和5)
 右に挙げた杉田禾(か)堂《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》(1930/昭和5)は、元の勤め先で開かれた『東京国立近代美術館所蔵品による 名品でたどる近代工芸のあゆみ』(2005年10月5日~11月13日)(→2005年度年報の該当頁 [ < 三重県立美術館公式サイト ])に出品されていたのですが(出品リスト no.9→こちら)、いっかな憶えがないのはいつにたがわぬ仕儀だとして、手もとにあった二冊の本に挿図が載っていたりもしましたが、それを思いだしたわけでもない。なのに何やら気になるようになったのは、何かきっかけがあったというか、どこかで図版を見たはずなのですが、それすら思いだせずにいるていたらくです。少し前には《柳橋水車図》がそんな感じでした(→「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様」の頁の「流水、橋、〈柳橋水車図〉」)。とりあえずわずかながら、今回見る機会のあった文献の類を本節の最後に並べておきましょう。とまれ、

「図版中央の高さの異なる円柱を組み合わせた作品が『原始期』、
その右側の建築模型の一部を思わせるような、長方形で構成した作品が『過渡期』、
そして左側の四つの円で構成した作品が『完成期』である」
 (木田拓也、下掲「[作品研究]杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》について」、p.11。改行は当方による)。

「第11回帝展(1930年)に出品された作品で、当時この作品には《用途を豫期せぬ美の創案》というタイトルがつけられていたのだが、その後《用途を指示せぬ美の創案》へと改題された」(同上、p.12)。
杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》 1930(昭和5)
杉田禾堂(1886-1955)
《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》*
1930(昭和5)
鍛造、鋳造
左:(高さ)13.8 x (幅)27.3 x(奥行)9.1cm
中央:28.7 x 12.1 x 10.6cm
右:14.5 x 27.3 x 9.1cm
国立工芸館

*をつけた挿図のみ、画像の上でクリックすると別のタブで拡大画像が表示されます。
 杉田禾堂は1926(大正15)年に高村豊周(とよちか)らと結成した「无(む)型」に参加しており、《用途を指示せぬ美の創案》は、无型が結成した年に高村が発表した《挿花のための構成》(1926)などに通じるものと見なされているようです(右)。もっとも、

「《挿花のための構成》は連続的な展開の上にではなく、全く突如として出現したような感を受ける。この作品や杉田禾堂の《用途を指示せぬ美の創案》は、その時点での彼らに可能なかぎりのラディカルな表現であったことは確かであるが、それゆえにこそ孤立感と無縁ではない」(土田眞紀、下掲『さまよえる工藝 柳宗悦と近代』、p.164/第2章4節目3)

と位置づけられたりもしています。
 また「用途を予期せぬ」点に対し柳宗悦が批判を加え、杉田自身が反論したことも、本作を解説する際に触れられずにおかないエピソードで、その経緯自体、作品の一部と化しているかのごとくです(下掲の島津 京「工芸美とはなにか : 帝展の美術工芸に対する柳宗悦の批判と斎藤佳三、杉田禾堂の応答」(2024)など参照)。
高村豊周《挿花のための構成》 1926(大正15)
高村豊周(1890-1972)
《挿花のための構成》
1926(大正15)
真鍮
(高さ)29.2 x (幅)12.2 x(奥行)16.8cm
個人蔵
Cf., 『モダニズムの工芸家たち 金工を中心にして』展図録、東京国立近代美術館 工芸館、1983、p.69 / cat.no.46
 『日本工芸の青春期 1920s-1945』展図録、北海道立近代美術館、高松市美術館、姫路市立美術館、東京都庭園美術館、1996、p.47 / cat.no.30
 『20世紀日本美術再見Ⅱ 1920年代』展図録、三重県立美術館、1996、p.101 / cat.no.1-4-2
 『生誕110年記念 広川松五郎 高村豊周展』図録、新潟県立近代美術館、2000、p.66 / 「高村豊周」cat.no.9
 それはさておき、《用途を指示せぬ美の創案》において、
 中央の《原始期》→右の《過渡期》→左の《完成期》
という展開が、具体的にどんなことを想定されているのかは、もう一つよくわからない。中央の円柱群がそのまま、右の長方形の構成、そして左の四つの円に変化したとすると、ぱっと見てわかるような理屈は認めがたく、それぞれ別々に、各時期の範例的な様相と見なされているのでしょうか。
 中央の《原始期》では縦方向が強調され、それに応じて幅も狭いのに対し、右の《過渡期》と左の《完成期》は横に伸び、幅も広い。また《原始期》の円柱群が閉じた塊なのに対し、左右は双方、開いた線的なものです。左右で水平方向へ伸びようとする動きを、中央がかなめのようにおさえることで、遠心性と求心性を両立させています。その上で、右の安定した方形と、左の転がるような円の連なりが対照される。

 とこんな風に記すことができるとして、対比が強調された三点の組みあわせは、一かたまりをなす《挿花のための構成》に比べても、概念優先との感はいなめないかもしれません。他方工芸史の文脈から離れるなら、右の《過渡期》を、柳瀬正夢の写真しか残らない《建築的要素》(1925)(下左)と、中央の《原始期》を、時期は下りますが、長谷川三郎の《柱》(1940)(下右)と比較することはできるでしょうか。もっとも観念的性格の強い幾何学性からして、こうした例は他にも見出せそうです。
 
柳瀬正夢《建築的要素》 1925(大正14)
柳瀬正夢(1900-1945)
《建築的要素》*
1925(大正14)
Cf., 五十殿利治、『大正期新興美術運動の研究』、スカイドア、1995、pp.687-688、p.690 図40
 白川昌生、『日本のダダ 1920-1970(増補新版)』、水声社、2005、p.64
長谷川三郎《柱》 1940(昭和15)
長谷川三郎(1906-1957)
《柱》
1940(昭和15)
木
56.0 x 55.2 x 56.1cm
甲南高校
Cf., 『没後20年記念・特別展 長谷川三郎』図録、兵庫県立近代美術館、1977、cat.no.112
◆杉田禾堂関連文献抄
《用途を指示せぬ美の創案》の図版を掲載した展覧会図録;

 『モダニズムの工芸家たち 金工を中心にして』展図録、東京国立近代美術館 工芸館、1983、p.63 / cat.no.42

 『日本の眼と空間 もうひとつのモダン・デザイン』展図録、セゾン美術館、1990、p.34 / cat.no.VIII-33、p.241

 『日本工芸の青春期 1920s-1945』展図録、北海道立近代美術館、高松市美術館、姫路市立美術館、東京都庭園美術館、1996、p.51 / cat.no.36

 『生誕110年記念 広川松五郎 高村豊周展』図録、新潟県立近代美術館、2000、p111 / 「无型・実在工藝美術会」cat.no.13

手もとにあった本;

 土田眞紀、『さまよえる工藝 柳宗悦と近代』、草風館、2007、p.164 図73/第2章3節目
 (初出:『20世紀日本美術再見Ⅱ 1920年代』展図録、三重県立美術館、1996、p.230)

 木田拓也、「帝展が描き出す『工芸美術』の輪郭線」、「工芸」シンポジウム記録集編集委員会編、『美術史の余白に 工芸・アルス・現代美術』、美学出版、20084、pp.109-120
  その内 pp.110-113(p.111 図1):「『工芸美』の探求 - 杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案》」

同じ著者による;

 木田拓也、「[作品研究]杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》について」、『現代の眼 東京国立近代美術館ニュース』、544号、2004.2-3、pp.11-13

 木田拓也、「実在工芸美術会 1935-1940:『 用即美』の工芸」、『東京国立近代美術館研究紀要』、13号、2009.3、pp.37-64,121 [ < 東京国立近代美術館リポジトリ ]
  その内 pp.54-56:3節3項目「杉田禾堂:大阪府工芸産業奨励部と創工社」

この他、ウェブ上で;

 『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇』第3巻、ぎょうせい、1997、pp.723-726:第2章第13節関連事項11「杉田禾堂と大阪府産業工芸博覧会」 [ < GEIDAI ARCHIVES CENTER OF MODERN ART | 東京藝術大学 美術学部 近現代美術史・大学史研究センター ]
  その内 pp.724-726:芳武茂介「異色工芸家杉田精二」(『デザイン』、第37号、1962.10)再録

 宮島久雄、「アーティスト・デザイナー杉田禾堂の美術工芸指導論」、『デザイン理論』、61号、2013.1、pp.105-119 [ < 大阪大学学術情報庫 OUKA ]
 固定URL: https://doi.org/10.18910/53342

 宮島久雄、「アーティスト・デザイナー杉田禾堂の仕事 - 大阪府工業奨励館製作試作品を中心に -」、同上、pp.126-127
 固定URL: https://doi.org/10.18910/53411

 島津 京、「工芸美とはなにか : 帝展の美術工芸に対する柳宗悦の批判と斎藤佳三、杉田禾堂の応答」、『専修大学人文科学研究所月報』、330号、2024.10.31、pp.23-44 [ < 専修大学学術機関リポジトリ ]
 DOI : https://doi.org/10.34360/0002000923


2.積木風構成など

 《用途を指示せぬ美の創案》の発表当時藤井達吉は、

「杉田禾堂氏三部作は學校の教材然としてゐます。杉田氏の講義を聞いてゐる様です」(木田拓也、上掲「[作品研究]杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案 原始期・過渡期・完成期》について」、p.12、p.13 註4)

と述べたとのことです。「津の築山遊具など」の頁中の「積木状彫刻など」で触れたのと重複しますが(→こちら)、岡﨑乾二郎は、

「恩地(孝四郎)の抽象表現の下地としての可能性の二つ目は、フリードリッヒ・フレーベル(1782-1852)の《恩物(ガーべ)》に代表される幼児教育遊具(積み木などの玩具)の影響である」岡﨑乾二郎、『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房、2018、p.30)

と記していました。工芸史に劣らず教育学史もはなはだ疎いのですが、時期は下るものの、たまたま見る機会のあった

 玉成高等保育学校幼児保育研究会編、『フレーベルの恩物の理論とその実際』、フレーベル館、1964(昭和39)

をぱらぱら繰ってみると、下左の頁が見受けられました。

「第三恩物とは、第二恩物の恩物の立方体と同じ六糎の立方体を用いて、これを、縦、横、上下に各一度ずつ切って作られた、三糎立方の八個の小立方体である」(上掲書、p.87)。

「2. 建築遊び イ、連絡あるもの」とは、

「小立方体の一つを動かすことによっても、すでに前の形とは変わった形の物ができ、それがすべて、何らかの建築になっていることを経験させ、順序を追って全部の小立方体を動かすことによって、その一つ一つの動かし方を練習させて、つぎの個々の建築への準備ともなる、建築の遊びである」(同上、p.98)。
『フレーベルの恩物の理論とその実際』、1964(昭和39)、p.107:「第三恩物 c 遊び方順序 2. 建築遊び イ、連絡あるもの」
玉成高等保育学校幼児保育研究会編、『フレーベルの恩物の理論とその実際』、フレーベル館、1964(昭和39)、p.107:「第三恩物 c 遊び方順序 2. 建築遊び イ、連絡あるもの」
ソル・ルウィット《異なる三種類の立方体についての三個ずつの変奏全て》 1969
ソル・ルウィット(1928-2007)
《異なる三種類の立方体についての三個ずつの変奏全て
All three-part variations on three different kinds of cubes》
1969
ペンにインク・紙
73.5 x 58.4cm
Cf., Sol Lewitt, The Museum of Modern Art, New York, 1978, p.74 / cat.no.131
 この頁だけでなく、第一恩物から第十恩物まで、各パーツを組みあわせたさまざまな例を示す図がたくさん載っていました。順列組みあわせ方の図表という点で、たとえばソル・ルウィットによる 《異なる三種類の立方体についての三個ずつの変奏全て》(1969)などを連想することもできるでしょうか(上右)。最上段に左から
 (1) 固体の立方体
 (2) 向かいあう面を取り除いた立方体
 (3) 一面を取り除いた立方体
が示され、この三つを縦に組みあわせたさまざまな例が下に並んでいます。たとえば二段目はいずれも三種類使った組みあわせ、三段目は左端だけ(1)三個からなり、次の二つは(1)二個と(2)一個、最後の二つはやはり(1)二個に(3)一個といった具合です。この中から47の組みあわせをアルミニウムで立体化した作品も制作されました(Sol Lewitt, op.cit, p.75 / cat.no.132)。

 もっともこうした例は教育や美術の分野にかぎられるどころか、何より幾何学関連などでいろいろあるのでしょう。後に一例挙げることになります。それはさておき、

 尾崎信一郎、「堀内正和の彫刻 - 思考と手わざの間」、『堀内正和の世界展』、神奈川県立近代美術館 鎌倉、京都国立近代美術館、茨城県近代美術館、芸術の森美術館、2003-2004

では、ソル・ルウィットの別の図表が挿図(p.128 fig.2)に挙げられ、ルウィットと堀内正和

「いずれも出来上がった作品以上にそれを思考するプロセスを重視する姿勢…(中略)…作品を一つのシステムとしてとらえる姿勢」(p.127)

を共有するとした上で、相違点を論じていました。
ソル・ルウィットと堀内正和に関してはそれぞれ、拙稿

 「諏訪直樹の絵をみるために - 1970年代の美術より」、2020.3.21(PDFファイル < 「コレクションによる特別陳列 没後30年 諏訪直樹展」のページ [ < 三重県立美術館 ])

でも触れたことがあります(頁付け無し、p.11、図18 および pp.14-15、図28-31。前者;右、後者から図28-29;下左右)。1970年代、絵や彫刻をいったん、ばらばらの要素にまで分解した後で、あらためて組み立て直すことで、制作のあり方を問うという作業が、当時の日本のいわゆる現代美術において、少なくとも一つの潮流をなしていました。先行する作業の例として、ソル・ルウィットや堀内正和を引きあいに出したのでした。堀内は次のように書き記しています;

「点を空中に定着させるのはむずかしいので」おくとして、線、「それ以後、四角い平面、丸い平面、円筒、円錐、メビウスの帯、と進み、最後の立体を取扱うという順序であったがこの計画はおおよそ予定通りに進み、10年あまりで完了した」(『堀内正和の彫刻 アート・テクニック・ナウ 10』、河出書房新社、1978、p.6)。

 下左の《線B》(同、p.75、図7)は「幾何学形体組合せ練習の長期計画」(同上)をたてるきっかけになった作品で、実際の計画は続く《線a》(1954、同、図8)から始まったと位置づけられているようです。下右の《Exercise 8》は《四角と丸の組合せ》(1956、同、図11)のヴァリエーションにあたるでしょうか。
 
ソル・ルウィット《五つのモデュールに基づく立方体構造》 1971-74
ソル・ルウィット
《五つのモデュールに基づく立方体構造》
1971-74
塗装した木
各62.6 x 61.6 x 61.6cm
Cf., Sol Lewitt, The Museum of Modern Art, New York, 1978, p.66 / cat.nos.72-84
堀内正和《線B》 1954(昭和29)

堀内正和(1911-2001)
《線B》
1954(昭和29)
鉄
27.5 x 47.0 x 6.0cm
三重県立美術館
Cf., 『堀内正和の彫刻 アート・テクニック・ナウ 10』、河出書房新社、1978、p.40/図7、p.75
 『堀内正和の世界展』、神奈川県立近代美術館 鎌倉、京都国立近代美術館、茨城県近代美術館、芸術の森美術館、2003-2004、p.33 / cat.no.14
堀内正和《Exercise 8》 1956(昭和31)
堀内正和
《Exercise 8》
1956(昭和31)
鉄
44.0 x 54.0 x 45.0cm
三重県立美術館
Cf., 『堀内正和の世界展』、神奈川県立近代美術館 鎌倉、京都国立近代美術館、茨城県近代美術館、芸術の森美術館、2003-2004、p.39 / cat.no.23
 《線B》では、上の図版なら左でのいったん下がってまた上へ上がる部分でバランスをとりつつ、右斜め上へ伸びる方向性が強調され、その場から離れていって、物としての作品自体は動勢の出発点に留まります。縦軸で押さえつつ横にびよ~んと伸びようとする点で、杉田禾堂の《用途を指示せぬ美の創案》に通じている。
 《Exercise 8》では対するに、立方体に近い全体の空間は、その場に滞留します。浮きあがることなく台座に直接置かれる点も、その場に留まるあり方を強めることになる。個々のパーツは薄い板状なので、内側の空隙と周囲の空間に空気を通し、その上で四角と円の対置が緊張を走らせることでしょう。

 先の拙稿ではホルヘ・オテイサ(p.15、図32;右上)や高松次郎なども挙げました(同頁、図33-35)。オテイサについては短い解説を書いたことがありますが(川成 洋・坂東省次編、『スペイン文化事典』、丸善株式会社、2011、pp.206-207:4章18「ホルヘ・オテイサ」)、その「実験的試験室 laboratorio experimental」についても、堀内正和の〈ペーパー・スカルプチュア(紙彫刻)〉が並ぶさまなどと比較できるかもしれません。右下の4点は上掲『堀内正和の世界展』図録の p.103 から選んだものですが、当系列の図版を掲載した pp.98-111 全体を、右に挙げた Laboratorio experimental (2008)とあわせ、眺めてみるのも一興でしょうか。4点中上左の作品のタイトルについては、後にほんの少し触れます。

 積木的と呼ぶのは苦しそうな高松次郎の《点》(1962)、《紐》(1963)、《ネットの弛み》(1968-69)については、拙稿 p.22 の註80 に挙げた

 光田由里、『高松次郎 言葉ともの 日本の現代美術 1961-72』、水声社、2011、第1章「《点》と《紐》 - 『点と線』あるいは『針金と紐』」(pp.4-57)、第7章の1「《ネットの弛み》と《布の弛み》」(pp.190-204)

などを参照ください。《点》(1962/昭和37)についてのみ、後に少し触れることになります。
オテイサ 《最小限の単位の組みあわせ》〈実験的試験室〉より 1957-5
ホルヘ・オテイサ(1908-2003)
《最小限の単位の組みあわせ》〈実験的試験室〉より
1957-59
ブリキ、金属板など
一片20数cm以内
ホルヘ・オテイサ財団美術館、アルスーサ
Cf., Txomin Badiola, Oteiza. Catalogue raisonée of sculpture. vol.II Abstract Work, Fundación Museo Jorge Oteiza, Alzuza, 2015, p.867 fig.6 / chap.9-2
Cf. の cf., Oteiza: mito y modernidad, Museo Guggenheim Bilbao, Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía, Madrid, Solomon R. Guggenheim Museum, New York, 2004-05, pp.278-293
 Ángel Bados, Oteiza. Laboratorio experimental, Fundación Museo Jorge Oteiza, 2008, pp.362-365


堀内正和《正六面体(地)から出てきた正四面体(火)》 制作年不詳 堀内正和《正六面体胎内から出た正四面体》 1989
堀内正和《反転欠落立方体(立方体のそとがわ)》 1989 堀内正和《三つの立方体D》 1977
上左;堀内正和《正六面体(地)から出てきた正四面体(火)》 制作年不詳、紙(上掲『堀内正和の世界展』図録、2003-2004、p.103 / cat.no.PS-18)
上右;堀内正和《正六面体胎内から出た正四面体》 1989、紙(同、cat.no.PS-51)
下左;堀内正和《反転欠落立方体(立方体のそとがわ)》 1989、紙(同、cat.no.PS-53)
下右;堀内正和《三つの立方体D》 1977、紙(同、cat.no.PS-21)
 オテイサと堀内正和の作歴は1929年まで遡りますが、1962年以来のソル・ルウィットともども、20世紀後半の例として、先の拙稿では取りあげました。他方先立つ20世紀前半から、ロトチェンコ《空間構成》(1924、p.14、図25;右)、ミトゥーリチ《空間アルファベット》(1915-17、同頁、図26;下1段目左)、ファントンゲルロー《ヴォリュームの関係》(1919、同頁、図27;下1段目右)などを挙げました。

 ロトチェンコの一連の《空間構成》は、同じサイズなのかどうか、あらかじめ木の棒なり板をいくつも用意しておいて、いくつかのやり方で組みあわせ、釘だかネジで固定しています。ということは、実現した以外の組みあわせ方も、いくつも考えることができる、そうした可能性と一如なのでしょう。
 雛形(マケット)の作成は彫刻で普通の習慣だとして、上掲『堀内正和の世界展』図録の pp.2-3、p.78、p.134 の、〈ペーパー・スカルプチュア〉が並ぶアトリエの眺めや、整理されてしまっているとはいえやはり前掲 Oteiza: mito y modernidad , 2004-05, pp.288-293 の、オテイサの「実験的試験室」の写真と並べてみるのも一興でしょうか。

 ミトゥーリチの《空間アルファベット》では、立方体の表面にさまざまなパターンを描くことで、立方体は中の詰まった塊ではなく、各パターンが描きだす空間のあり方を内包する境界面と化します。その上で、外にひろがるからっぽの空間の中で、相互に干渉しあうことになる(→こちら(「近代など(20世紀~) Ⅲ」の頁のフレーブニコフのところ)でも触れました)。

 拙稿 p.22 の註77 で触れたように、堀内正和の『坐忘録』(美術出版社、1990)には、ファントンゲルローの類した作品が挿図として掲載、本文中でも言及されていました(p.322/「Ⅵ 講義篇2 現代彫刻への道」の2節目「直線形」)。表記は「ジョルジュ・ヴァントンゲルロー」で、《内接円と外接円のなかの構成》(1924)、下掲の Georges Vantongerloo, 1980, pp.54-55 / cat.no.27 にあたります。
ロトチェンコ《空間構成》 1924
アレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)
《空間構成》*
1924
木
Cf., Selim O. Khan-Magomedov, Rodchenko. The Complete Work, The MIT Press, Cambridge, Massachuusetts, 1986, p.101
 和多利恵津子(ワタリウム美術館)編、『ロトチェンコの実験室』、新潮社、1995、pp.62-63**
 河村彩、『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』、水声社、2014、pp.74-80

** p.62 の《空間構成22番》(1921年、ラフレンチェフによる再構築、木、40.3 x 39.8 x 30.3cm、cat.no.C-8)は上掲写真の右端2列目の作品と形が一致。
ミトゥーリチ《空間アルファベット》 1915-17
ピョートル・ミトゥーリチ(1887-1956)
《空間アルファベット》*
1915-17
12個の立方体、グアッシュ、インク・厚紙
各5.5 x 5.5 x 5.5cm
個人蔵
Cf., 『ダダと構成主義展』図録、西武美術館、西武つかしんホール、神奈川県立近代美術館、1988-89、p.92 / cat.no.III.17(no.59)
ファントンゲルロー《ヴォリュームの関係》 1919
ジョージ・ファントンゲルロー(1886-1965)
《ヴォリュームの関係》
1919
石
18 x 12 x 12cm
個人蔵
Cf., Georges Vantongerloo, Washington Corcoran Gallery of Art, Dallas Museum of Fine Arts, Los Angeles County Museum of Art, 1980, pp.47-48 / cat.no.14
 『デ・ステイル展 1917-1932』図録、セゾン美術館、兵庫県立近代美術館、豊田市美術館、1997-98、p.115 / cat.no.1-052
トーレス=ガルシア《純色での構成》 1929
トーレス=ガルシア(1874-1949)
《純色での構成》*
1929
カタジナ・コブロ《空間的な構成(4)》 1929
カタジナ・コブロ(1898-1951)
《空間的な構成(4)》 *
1929
 「津の築山遊具など」の頁中の「積木状彫刻など」で挙げたトーレス=ガルシアやカタジナ・コブロの作品はじめ(→そちら;上2段目左右)、20世紀前半における、いわゆる幾何学的抽象の領域には、積木風構成と呼べそうな作品がまだまだいろいろあることでしょう。
 時期は下りますが、同じ頁の→あちらで触れた野水信の〈羊かん彫刻〉も載せておきます(右)。ファントンゲルローの《ヴォリュームの関係》を連想させられたもので挙げたのでした。前掲『デ・ステイル展 1917-1932』図録中のファントンゲルローの作家解説には、

「このころの彼の抽象化の方法は、人体スケッチのプロポーションを幾何学的に解析して、全体のヴォリュームのバランスを調整しながら、直方体のブロックを組み合わせるといったものであり、多くは石が用いられている」(p.114)

と記されていました。野水信の場合、「幾何学的に解析」することをどこまで意識しているのかはわかりませんが、右の羊かん彫刻が《人間》と題されている点で、共通項を認めることはできるかもしれません。あるいは双方、分析的キュビスムにおける切子面(ファセット)を、ブロックに置き換えたと見なすことはできるものかどうか。量塊(ヴォリューム)としての人体をいったんいくつものブロックに分節し、その上でブロックどうしの配置や重力との関係が均衡を得るような、最適解を求める試行なのかもしれません。
野水 信《人間》(原型) 1952(昭和27)
野水 信(1914-1984)
《人間》(原型)
1952(昭和27)
羊かん
高さ40cm
Cf., 『野水信作品集』、名古屋造形芸術短大30周年記念実行委員会、1997、p.3(ブロンズ版)
 『ドキュメント しかしかしか 第3回なごや寺町アートプロジェクト』、名古屋造形大学、2020、表紙、p.5(ブロンズ版)、pp.22-23
 それはともかく、「津の築山遊具など」の頁では「積木風彫刻」と題しましたが、「彫刻」は「構成」に置き換えた方がいいかもしれません。石や木を削ることで形が残される彫刻 carving / taille であれ、粘土などをこねることで形を作りだす塑造 modelling / modelage であれ、表面を境にして、内側と外側が分離された単一の塊が基本になります。それに対し、ピカソの《ギター》(1912)あたり以来といっていいのかどうか、構成 construction では、複数の部分が組みあわされます。複数の部分を容れる空間が前提なので、個々の部分自体は三次元的な厚みを有するにしても、部分と部分の間に空間が入りこみ、内と外の区別は廃されてしまう。ファントンゲルローは1918年に、

「ヴォリュームは空隙(ヴォイド)をおのが補足として持つ……ヴォリュームと空隙は空間に属している……目に見えるものと見えないものは調和あるいは統一性の法則をもたらす」(Phil Mertens, "The first abstract sculptures 1917-1919. An appreciation of contemporaries in Belgium", Georges Vantongerloo, op.cit., p.30)。

「…一つのヴォリュームは空虚(ヴォイド)の一部を占める:そして空虚とヴォリュームは組みあわされて空間を作りだす」(同上)

と記していました。
 とはいえもとより、以上が理屈に過ぎないのは、彫刻制作の現場における内刳りや寄木造、凹凸が二度反転し、中が空洞となる鋳造、人間を象る場合の腕の処理、ヘンリー・ムーアの作品における穴、柳原義達の人物像における背中の凹みなどが示すところでしょう。対するに、あくまで複数のパーツを組みあわせる構成であるかぎりで、ファントンゲルロー《ヴォリュームの関係》では、ある程度量塊性が重視されていました。

 
3.プラトーン立体と五輪塔など

 「マン・レイは1934年から35年の間にマックス・エルンストに促されて訪れたポアンカレ研究所でもともと教育目的で制作された幾何学模型を撮影した。当時保管された約600の模型のうちマン・レイは34点を撮影したが、12点が『カイエ・ダール』誌のオブジェ特集号に掲載された」(木水千里、右掲論文、p.10(43))。

 右に載せたのはその内の1点です。単純な棒ないし直方体を組みあわせて作られたロトチェンコの《空間構成》などに比べると、素人目にはずいぶん複雑に見えますが、右の cf. に挙げた『真贋のはざま』中の「展示品解説 36 職人技術とデジタル技術」によると、

「クエン曲面 …(中略)…ガウス曲率がいたるところ負の一定値をとる曲面のひとつである」(p.382 / no.36-1)

そうです。ちゃんとした説明は数学だか幾何学の事典の類等を参照いただくとして、ちなみに杉本博司も、東京大学大学院数理学研究科が所蔵する数理模型を撮影しました。《観念の形》シリーズ(2004)で、東京大学総合博物館との共同企画とのことです(『杉本博司』展図録、森美術館、2005、p.273。数理模型による作品は pp.274-299)。
マン・レイ《数理模型》 1934-36
マン・レイ(1890-1976
《数理模型》
1934-36
ゼラチン・シルヴァー・プリント
29.5 x 23cm
ポンピドゥー・センター国立近代美術館、 パリ
Cf., 池水美都・増田智仁、「東京大学大学院数理科学研究科所蔵の幾何学模型」、西野嘉章編、『真贋のはざま デュシャンから遺伝子まで』、東京大学総合研究博物館、2001、pp.235-242
 また同書、pp.381-382:「展示品解説 36 職人技術とデジタル技術」
 『シンプルなかたち展:美はどこからくるのか』図録、森美術館、2015、p.94、p.180
 木水千里、「アンドレ・ブルトンによる『数学的オブジェ』の解釈から垣間見る美術史におけるシュルレアリスムの所在」、『成城文藝』、246号、2018.12、pp.10(43)-1(52) [ < 成城大学リポジトリ ]
 『モダン・タイムス・イン・パリ 1925 機械時代のアートとデザイン』、ポーラ美術館、青幻舎、2024、pp.116-117 / cat.nos.3-04~07
 先に触れたようにファントンゲルローも、幾何学的な解析に基づいて形を配置したといいます。実際ファントンゲルローには、《構成 y=-ax2+b+18》(右)だの《グループ y=ax2+bx+cy=2ax+by red, yellow, green》(1931、同、p.117 / cat.no.1-054)といった、数式をタイトルにした作品も欠いてはいません。ファントンゲルローの理論において本質的なものどもとは、

「霊的なものと物質的なものとの間に均衡を成しとげるための葛藤;霊的なものに対する欲望;[そして]客観性(オブジェクティヴィティー)の頽落(デカダンス)」

と定義されていたとのことです(Georges Vantongerloo, op.cit., p.31)。

「大いなる真実、あるいは絶対的な真実は、目に見えないものを通して、私たちの心の内に視覚化される。ヴォリューム、空虚、空間の真実は、それら自体においては目に見えないが、純粋な科学を通し、そしてシステムを通して、目に見えるものとなる」(同上)。

 ファントンゲルローにおいても、デ・ステイルでの同僚だったモンドリアンをはじめとする他の抽象美術の開拓者たち同様、幾何学的抽象の幾何学性とは、プラトーン主義の領域に属するものだったのでしょう。
ファントンゲルロー《構成 y=-ax2+b+18》(1930:1978/79に拡大再制作)
ジョージ・ファントンゲルロー
《構成 y=-ax2+b+18》
1930(1978/79年にマックス・ビルの監修で拡大して再制作)
真鍮、黒く着彩
90 x 55.5 x 33cm
個人蔵
Cf., Georges Vantongerloo, Washington Corcoran Gallery of Art, Dallas Museum of Fine Arts, Los Angeles County Museum of Art, 1980, p.69 / cat.no.60bis
 『デ・ステイル展 1917-1932』図録、セゾン美術館、兵庫県立近代美術館、豊田市美術館、1997-98、p.116 / cat.no.1-053(《構成 y=-ax2+b+18》、1978年に拡大再制作)、ブロンズ)
 
 プラトーン主義と積木といえば、「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様」の頁の「マッツォッキオ、透視画法、多面体」で触れたプラトーン立体が連想されたりもします(→あちら)。プラトーンの『ティーマイオス』では、プラトーン立体こと五つの正多面体の内四つには、土・火・空気・水の四大元素が割り当てられるのですが(上で挙げた堀内正和の〈ペーパー・スカルプチュア〉中の一点が《正六面体(地)から出てきた正四面体(火)》と題されていたのも、プラトーン立体と元素の対応に従っているわけです)、

「しかしこれが起こる前には、それらにはみな比例も尺度もなかった。火と水と土と空気は自分たちの本性の何らかの痕跡を持ってはいたが、それにしても全くのところ、神がいない場合にすべてがそうであると思われるような状態にあった。神は、万物を形造ろうとしたとき、それらは最初そのような状態であったので、まず形と数をもって秩序づけたのである」(泉治典訳、『ティマイオス - 自然について』、『プラトン全集 6』、角川書店、1974、p.223 / 53b)。

この「形と数」は、まず、

「物体の種類はすべて高さ[体積]を持っている。そして高さはまた、すべて表面[平面]に囲まれた性質のものでなければならない。その表面の直線は三角形から成っている」(同上、pp.223-224 / 53c-d)

として、三角形から五つの正多面体が作りだされることになります。三角形自体ができあがる段取りは勉強不足のためもう一つわからないでいるのですが、ともあれ積木における各部分、棒なり直方体を、四元のもとである三角形に比定することはできるでしょうか。
 そこから先の「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様」の頁で続いて触れたヤムニッツァーやシュテーア(シュトーア)などによるイメージというか、それらも含めた数学なり幾何学の教科書類などに掲載されたイメージ群が生まれたのでしょうし、マン・レイが撮影した数理模型はもとより、ここで見てきた20世紀前半の積木風構成も、そうしたイメージの集合と無縁ではないはずです。例はいろいろあることでしょうが、先の頁でも挙げたケプラーの太陽系模型の図(下左)とともに、同じケプラーの『宇宙の調和』(1619)から、第2巻25 の挿図より対応する元素を表面に描いたプラトーン立体の図を載せておきましょう(下右)。邦訳では下掲 Cf. に挙げた頁にあたりますが、下右の画像は英語版ウィキペディアの該当頁(→こちら)の"External links"でリンクされていた、Archive.org 所載の Harmonice Mundi の p.80 からコピーしました。
ケプラー 『宇宙の神秘』(1596)より太陽系のプラトン立体模型
ケプラー(1571-1630)
『宇宙の神秘』(1596)より
太陽系のプラトン立体模型*
 
ケプラー『宇宙の調和』(1619) 第2巻「25. 命題」の挿図より対応する元素等を表面に描いた五つのプラトーン立体
ケプラー(1571-1630)
『宇宙の調和』(1619)
第2巻「25. 命題」の挿図より対応する元素等を表面に描いた五つのプラトーン立体*

Cf., ヨハネス・ケプラー、岸本良彦訳、『宇宙の調和 不朽のコスモロジー』、工作舎、2009、pp.106-107
Cf. の cf.,  P.R.クロムウェル、下川航也・平澤美可三・松本三郎・丸本嘉彦・村上斉訳、『多面体』、シュプリンガー・フェアラーク東京、2001、p.57/第2章
 シュボーン・ロバーツ、糸川洋訳、『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』、日経BP社、2009、p.41/第1章
 上の段左 正八面体:空気(雲?と鳥)
 上の段中央 正四面体(ピラミッド):火(焚き火)
 上の段右 正十二面体:天(中央に太陽、周囲に星々、右下は月?)
 下の段左 正六面体(立方体):土(木の生い立つ地面、上に鋤と鍬、左に根菜)
 下の段右 正二十面体:水(水面か水中、中央に海老?、下に魚)
に対応します。ケプラーとプラトーン立体といえば、個人的には上左の図ばかり思い浮かびますが、上右の cf. の cf. にあるとおり、上右の図もけっこう知られているようです。とまれ描かれているのは具象的なイメージですが、ミトゥーリチの上掲《空間アルファベット》と比較できるのではありますまいか。
 プラトーン立体にからむといえるのでしょうか、

 宮﨑興二、『プラトンと五重塔 かたちからみた日本文化史』、人文書院、1987
    pp.109-114:「13 五大を見る」
    pp.126-135:「15 五輪塔になる」
    pp.136-143:「16 プラトンに聞く」

などで取りあげられている、〈五輪塔〉に触れておきましょう。

「五輪塔は、読んで字のごとく、正方形、円、正三角形、半円形、宝珠形の五輪図形を立体的に作って下から積み重ね、それぞれに、五大つまり地水火風空の梵字や漢字を書いたり彫ったりしたもの」(同、pp.127-128)

で、

「平安時代の末ごろから、わが国でオリジナルに考え出されたという説の強いユニークなかたちの立体的な墓石」(同、p.127)

とのことです。「~説の強い」との言い方からうかがわれるように、その起源や展開についてはいろいろ議論があるようで、とりあえずわずかながら、今回見る機会のあった文献の類を本節の最後に並べておきます。

 実例として江戸時代のものですが、自転車で5分前後のご近所に、ずいぶん大きな五輪塔の並んでいる場所がありました(下1段目右、下2段目左右)。藤堂家墓地とのことで、高いものは4mに達するそうです。
 
「石塔の名称」より「五輪塔」、小野勝年編、『石造美術 日本の美術 No.45』、至文堂、1970.2、p101
「石塔の名称」より「五輪塔」、
小野勝年編、『石造美術 日本の美術 No.45』、至文堂、1970.2、p101
 現場にあった解説パネルが
→「藤堂家墓地 26 基 津市指定史跡 所有者 寒松院」(2019.5.14 [ < Monumento(モニュメント) ])
に掲載されていました。他に、
 「藤堂高虎公の足跡5 市指定史跡 藤堂家墓地」、『広報津』、2008.9.1 [ < 広報津 歴史散歩 総集編(第1回~第100回) < 津市 ]。
また五輪塔が主題ではありませんが、
 池上 悟、「近世墓標の一形態 - 尖頂方形墓標の展開 -」、『立正大学大学院紀要』、no.30、2014.3.31、pp.23-48 [ < 立正大学学術機関リポジトリ ]
 http://hdl.handle.net/11266/5291
中の pp.39-42 で寒松院の藤堂家墓地が扱われています。
津、寒松院 藤堂家墓地 五輪塔 2026/05/11
津、寒松院 藤堂家墓地 五輪塔 2026/05/11*
寒松院 藤堂家墓地 五輪塔 2026/05/11 * 寒松院 藤堂家墓地 五輪塔 2026/05/11 *
上で五輪塔の図解を引いた

 小野勝年編、『石造美術 日本の美術 No.45』、至文堂、1970.2
(五輪塔については p.13 / 第16図、pp.72-72、pp.78-79 / 図98-100 、p.101)

の「石塔の名称」には、他に無縫塔、多宝塔、宝塔、層塔、笠塔婆、板碑、石燈籠、宝篋印塔、石幢が掲載されていました。いろいろ種類があるわけで、本文中にはさらに多重塔が挙げられています(見返し、pp.4-6/ 第6-8図、pp.68-74 / 第86-92図)。
 その内宝篋印塔(同書、p.12 / 第15図、pp.73-75、p.77、pp.79-80 / 第101-103図、裏表紙)から、ここではたまたま見かけた例を下に載せておきましょう。岡崎城の大手門近くにある浄瑠璃姫の供養塔です。高さは約1.6m。
 →「浄瑠璃姫の供養塔」 [ < 岡崎市観光協会公式サイト ]


浄瑠璃姫の供養塔 岡崎城大手門近く 2026/05/25
浄瑠璃姫の供養塔 岡崎城大手門近く 2026/05/25*
「石塔の名称」より「宝篋印塔」、小野勝年編、『石造美術 日本の美術 No.45』、至文堂、1970.2、p102
「石塔の名称」より「宝篋印塔」、
小野勝年編、『石造美術 日本の美術 No.45』、至文堂、1970.2、p102
◆五輪塔関連文献抄

 藪田嘉一郎編、『五輪塔の起原 五輪塔の早期形式に関する研究論文集』、綜芸舎、1967(1958刊本の複写版)
  川勝政太郎、「平安時代の五輪塔」、『古代文化』第12巻第6号、1941.6
  佐々木利三、「五輪塔の成立」、『龍谷史壇』、第28号、1941.12
  黒田曻義、「五輪塔の成形期に関する一知見」、1957.11.13
  村田治郎、「五輪塔の形の起原(改稿)」、『史迹と美術』、27輯7号、1957.8 を改稿
  藪田嘉一郎、「五輪塔の起原」

 藪田嘉一郎編著、『宝篋印塔の起原 続五輪塔の起原』、綜芸舎、1966/1988補考付
   宝篋印塔の起原;
      藪田嘉一郎、「宝篋印塔の起原」、1966.7.15
      藪田嘉一郎編並訳、「参考篇」
   続五輪塔の起原;
     田岡香逸、「石造五輪塔初現の年代について」、1965.1.4
     千々和 実、「初期五輪塔の資料三題」、1965.1.9
     藪田嘉一郎、「続五輪塔の起原」
  「宝篋印塔の起原」補訂、1967.7.4、7.29/1969.8.8
  「宝篋印塔の起原 補考」、1972.9.16、1973.8

 齋藤彦松、「佛教美術にあらわれた古代婆羅門教祭火爐形の美術史的研究」、『印度學佛教學研究』、5巻1号、1957、pp.164-165 [ < J-STAGE ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.5.164

 齋藤彦松、「唐代五輪塔の研究」、『印度學佛教學研究』、6巻2号、1958、pp.419-420 [ < 同上 ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.6.419

 齋藤彦松、「五輪塔内容と系列の研究」、『印度學佛教學研究』、8巻1号、1960、pp.182-183 [ < 同上 ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.8.182

 齋藤彦松、「醍醐寺五輪塔の美術史的研究 - 日本製立體五輪塔の成立問題を含めて -」、『印度學佛教學研究』、14巻1号、1965、pp.317-321 [ < 同上 ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.15.230

 齋藤彦松、「五輪塔資料の研究・仏教経軌編」、『印度學佛教學研究』、29巻2号、1981、pp.690-693 [ < 同上 ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.29.690

 齋藤彦松、「五輪塔成因の研究」、『印度學佛教學研究』、30巻1号、1981、pp.381-384 [ < 同上 ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.30.381

 齋藤彦松、「五輪塔資料の研究・日本仏典平安期編」、『印度學佛教學研究』、31巻1号、1982、pp.178-181 [ < 同上 ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.31.178

 齋藤彦松、「五輪塔資料の研究・日本仏典鎌倉吉野期編」、『印度學佛教學研究』、34巻1号、1985、pp.98-103 [ < 同上 ]
 DOI : https://doi.org/10.4259/ibk.34.98

 和田謙寿、「五輪塔の成立発展を考える」、『駒澤大学佛教学部論集』、8号、1977.10、pp.42-57 [ < 駒澤大学学術機関リポジトリ ]
 DOI : https://doi.org/10.69200/0002002322
、p.101

 河田 貞、『仏舎利と経の荘厳 日本の美術 No.280』、至文堂、1989.9、p.7 / 第11-12図、.p.38、p.40、pp.43-46 / 第63-69図

4.内藤春治《あかりのある噴水塔》(1928/昭和3)

 宝篋印塔は宮﨑興二の『プラトンと五重塔』でも、先に挙げた15~16章の後、「17 多宝塔をのぞく」(pp.144-152)をはさんで、「18 宝篋印塔が悩む」(pp.163-159)で取りあげられていました。
 柱状の部分がより広い、バルコニー的な縁のある部分をのせ、その上にさらに塔状の部分を頂く点で、シルエットが通じるといえなくもないかもしれないのが、右に載せた内藤春治の《あかりのある噴水塔》(1928/昭和3)です。
 他方、仏教を含むインドにおける元素観は勉強不足でよくわかっていないものの、それに則っているという点で五輪塔は、宇宙模型的な性格を宿しているわけですが、右の作品でも、バルコニーないし土星の輪のような縁に、いったん分解して組み立てなおした小さな球が配され、また主軸である大きな球の上半分が一部切り開かれ、内部が見えるなどの点で、渾天儀だか天球儀を連想させはしないでしょうか(たとえば右下)。先に触れたケプラーの太陽系模型も仲間に入れそうです。

 本作品には杉田禾堂《用途を指示せぬ美の創案》について、図録類を漁っている中で出くわしました。高村豊周や杉田禾堂とともに、内藤春治も无型に参加していたのでした。
 噴水やあかりなどの仕組みは、図版だけではよくわからず、今のところ調べるところまでいたっていません。『内藤春治展』(岩手県立博物館、1983)の時点で、

「現在岩手県庁前の設置されている」(同図録、p.6)

とのことでした(現在は岩手県立美術館に移管されています)。右上の画像は cf. で挙げた『モダニズムの工芸家たち』展図録に掲載されていたものですが、『内藤春治展』図録の参考図版では(下左)、石製とおぼしき囲いの中に置かれています。コピーしたものを画像化したので不鮮明ですが、噴水として機能していた際は、おそらくここで水を受けたのでしょう。
 同じ図録の参考図版には、3年後の《球を持つ噴水》も掲載されていました(下右)。上端の球のまわりにやはり土星の輪状の円が巡らされ、その円に図版では黒っぽい部品がいくつか、配置されているようです。
内藤春治《あかりのある噴水塔》 1928(昭和3)
内藤春治(1895-1979)
《あかりのある噴水塔》
1928(昭和3)
ブロンズ
95.0 x 57.5 x 45.5cm
岩手県立美術館
Cf., 『内藤春治展』図録、岩手県立博物館、1983、.p.31 / 参考図版8
 『モダニズムの工芸家たち 金工を中心にして』展図録、東京国立近代美術館 工芸館、1983、p.99 / cat.no.74



18世紀のイエズス会士の器械 『皇朝禮器圖式』(1759)所収のオレリー儀(説明用アーミラリー球儀) ジョゼフ・ニーダム『中国の科学と文明 第5巻 天の科学』(1991) p.268 第177図
18世紀のイエズス会士の器械*
『皇朝禮器圖式』(1759)所収のオレリー儀(説明用アーミラリー球儀)
Cf., ジョゼフ・ニーダム、協力=王鈴、監修=東畑精一、藪内清、訳=吉田忠、高橋雄一、宮島一彦、橋本敬造、中山茂、山田慶児、『中国の科学と文明 第5巻 天の科学』、思索社、1991、p.268 第177図
内藤春治《あかりのある噴水塔》 1928(昭和3) 『内藤春治展』図録(1983)参考図版8
内藤春治《あかりのある噴水塔》
『内藤春治展』図録、岩手県立博物館、1983、.p.31 / 参考図版8
  
内藤春治《球を持つ噴水》 1931(昭和6) 『内藤春治展』図録(1983)参考図版16
内藤春治
《球を持つ噴水》
1931(昭和6)
Cf., 『内藤春治展』図録、岩手県立博物館、1983、.p.32 / 参考図版16
 
 内部を見せるといえば、「オペラ座の裏から(仮)」の頁の「4-1. 劇場の〈断面図〉」で触れた建物の断面図なども連想されます(→こちら)。「怪奇城の隠し通路」の頁の「4. 隠し扉とからくり」で挙げた(→そちら)、

 橋本毅彦、『描かれた技術 科学のかたち サイエンス・イコノロジーの世界』、東京大学出版会、2008

にいう〈サイエンス・イコノロジー〉の領域とも交差するのでしょうか。ここでは上掲書の「Ⅱ 機械のかたち」中の「機械の劇場」(pp.48-54)で紹介されている、

 「ルネサンス・イタリアのエンジニア、アゴスティノ・ラメッリの著作」(p.48)、『さまざまな巧妙な機械』(1588)

から、「自動装置付きの装飾的な噴水」の図を載せておきましょう(上右)。橋本毅彦上掲書の後の箇所でも挙げられていました(第Ⅲ章4節目「精気の噴水」、p.104 図1)。
自動装置付きの装飾的な噴水 ラメッリ『さまざまな巧妙な機械』(1588)図186
自動装置付きの装飾的な噴水*
(ラメッリ(1531-1610頃)『さまざまな巧妙な機械』(1588)、図186)
"Ornamental Fountain with Automata", Agostino Ramelli(1531-1600), Le diverse et artificiose machine, 1588, pl.186
Cf., A. G. Keller, A Theatre of Machines, 1964/1965, The Macmillan Company, pp.56-57 / no.23
 橋本毅彦、『描かれた技術 科学のかたち サイエンス・イコノロジーの世界』、東京大学出版会、2008、p.104 図1/第Ⅲ章4節目
 機械つながりで、《空間アルファベット》があれば「機械のアルファベット」もある。スウェーデンの科学者クリストフェル・プールヘム(1661-1751)には、「機械のアルファベット」という一連の模型があるそうです。

「それは、複雑な機械を設計するときに『機械工』が精通し、心に留めていなければならないものとして、ポーレムの弟子のカール・クルーンステットが記した『機構』の模型であった(図5・17、18を参照)」(E・S・ファーガソン、藤原良樹・砂田久吉訳、『技術屋(エンジニア)の心眼』、平凡社、1995、p.172/第5章。「クリストファー・ポーレム」と表記)。
プールヘム《機械のアルファベット》の例 技術博物館(1947) ファーガソン『技術屋の心眼』、p.173図5・17
プールヘム《機械のアルファベット》の例*
スウェーデン国立科学技術博物館、ストックホルム(1947)
Cf., E・S・ファーガソン、藤原良樹・砂田久吉訳、『技術屋(エンジニア)の心眼』、平凡社、1995、p.173 図5・17
 右上に載せた文中での図5・17 は、先に触れたロトチェンコや堀内正和のアトリエの眺めに通じるところがあるのではないでしょうか。「機械のアルファベット」は「1700年ごろに確立されたポーレムの『実験室の機構学』に由来する」(同上)とのことで、オテイサの「実験的試験室」が連想されたりもします。マン・レイが撮影した数理模型が並ぶ研究室も、相似た様子だったかもしれません。ここには工学的な技術と比較することができよう幾何学的な作品の性格はもとより、模型というもの、展示というもののあり方など、食欲をそそる材料がいろいろありそうです。


5.芹沢銈介《ばんどり図四曲屏風》(1957/昭和32) 
 内藤春治の《あかりのある噴水塔》は積木風というには複雑に見えますが、上端の塔状の部分をのぞけば、柱状の部分も含めて、球の組みあわせからなっています。他方マン・レイが撮影したクエン曲面の模型は、何らかの数式に従っているものの、直観的につかめる範囲からはみ出た複雑さを呈しているように感じられます。とはいえしかし、この点には個人差があるのでしょう。そのかぎりで、『ふたつのコレクション展 芹銈介の仕事/筆と言葉 杉本健吉と本多静雄の交流』(豊田市民芸館、2026年2月7日~5月24日)のちらし、その表の上半に載った図版を見て、何やら大いに気になったのが、右に挙げた芹沢銈介《ばんどり図四曲屏風》(1957/昭和32)でした。
 何が気になったかといえば、平坦なひろがりを黒っぽい枠で分割した、いらないものを一切廃した地の上に描きだされた四つの「ばんどり」の、一目で把握できない不可解さにほかなりません。藁の編み目で細かく区切られている複雑さも、形を捉えようとする視線を細部に引きこんでしまうことでしょう。

「ばんどりとは、東北地方などで使われた、荷物を担ぐ際の背当ての一種」(右掲『生誕110年 芹沢銈介展』図録、p.106)

とのことで、柳宗悦が注目していました(『開館15周年記念 柳宗悦展 「平常」の美・「日常」の神秘』図録、三重県立美術館、1997、pp.160-161 / cat.nos.3-212~214)。

 実際に作られたものを写している以上、まったく不規則な形状ではありえず、実際本作に描かれた四点も、いずれほぼ左右相称をなしています。それがかえって、それぞれに正面性をもって地から浮きあがり、おのが相貌に視線を引き寄せようとする力を強めることになる。
 全体としての画面の中でしかるべき位置につき、他の要素と干渉しあうのではなく、画面全体に対して異物として浮きあがり、乖離しようとする。『それいけ!アンパンマン とべ!とべ!ちびごん』(1991)の頁でも触れた(→このあたり)、カンディンスキーの1930年代以降の作品における、奇怪とも過剰とも見える有機的なイメージが連想されたりもしなくもないかもしれません(右)。
芹沢銈介《ばんどり図四曲屏風》 1957(昭和32)
芹沢銈介(1895-1984)
《ばんどり図四曲屏風》
1957(昭和32)
型染・布
166.4 x 243.4cm
豊田市民芸館
Cf., 『生誕110年 芹沢銈介展』図録、名古屋・松坂屋美術館、横浜・そごう美術館、東京日本橋高島屋、MIHO MUSEUM、米沢市上杉博物館、2005、pp.106-107 / vat.no.135(東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館蔵)
 『豊田市政60周年記念企画展 祝い - くらしに息づくお祝いの民芸』図録、豊田市民芸館、2011、p.9 / cat.no.16



カンディンスキー《複雑=単純》 1939
カンディンスキー、ヴァシリィ (1866-1944)
《複雑=単純》*
1939
 
 なお本作にはいくつかヴァージョンがあります。右上の cf. 中の『生誕110年 芹沢銈介展』(2005)出品作は東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館蔵(1957、紬地型絵染、158 x 248cm)で、他に国立工芸館版(1957、絹に型染、178 x 250cm)、静岡市立芹沢銈介美術館版。他にもあるのでしょうか? 制作年はいずれも同じ1957(昭和32)年で、支持体が紬と絹の場合があり、寸法も微妙に異なる。上の豊田市民芸館版における、下辺沿いのグレーの縁取りは『生誕110年 芹沢銈介展』(2005)出品作には見られません。色味等については図版ではわかりませんが、型を使っているだけあって、図柄はほぼ一致するようです。ただ右端のばんどりで、明るい黄色ないし褐色の二叉になった部分を横切る黒っぽい横線が、『生誕110年 芹沢銈介展』(2005)出品作に比べて、豊田市民芸館版では、太めになったものが何本か混じっています。


6.高次元図形、カラビ=ヤウ空間

 形から受ける印象は受け手各人の経験や属する文化などによって変化するので、一概にどうと決めることはできません。それぞれの範囲内ではあれ、積木風構成などより、一目で構造が捉えられないほど複雑怪奇に映るだろうものといっても、クエン曲面の模型や《ばんどり図四曲屏風》どころか、数えきれないほどあることは言うを俟ちますまい。ここでは飛躍めくと承知の上で、高次元の形態に触れて結びとしたく思います。積木風構成をいったん形の初元に遡り、その上で点=0次元から線=1次元、面=2次元、空間=3次元へとたどり直す過程と見なすなら、そこから4次元以上へ至ろうとするのも、まんざら理にかなっていなくもないといえなくはないかもしれない。


 近代美術における四次元の問題については、何より;

 Linda Dalrymple Henderson, The Fourth Dimension and Non-Euclidean Geometry in Modern Art (revised edition), The MIT Press, Cambridge, Massachusets, London, England, 1983 / 2013

同じ著者による;

 リンダ・D・ヘンダーソン、富井玲子訳、「神秘主義、ロマン主義、4次元」、『現代思想』、vol.23-05、1995.5:「特集 高次元多様体」、pp.86-115

 また、

 速水 豊、「現代のだまし絵? - n次元的アプローチ」、『だまし絵Ⅱ』展図録、Bunkamura ザ・ミュージアム、兵庫県立美術館、名古屋市美術館、2014-2015、pp.15-23

 長尾 天、「ロベルト・マッタと P. D. ウスペンスキー──四次元における時間の空間化をめぐって──」、『WASEDA RILAS JOURNAL』、no.4、2016.10、pp.109-121

他にもあるのでしょうが、上に並べたものはいずれも欧米の事例を扱っていたので、ここでは前掲の拙稿「諏訪直樹の絵をみるために - 1970年代の美術より」とまた重複しますが(p.15)、日本における例ということで、高松次郎のテクストを挙げておきましょう;

「例えば、二次元に於て三次元を表現するような絵画のメカニズムを利用して、三次元に於て四次元(三次元+時間)を……これは未来派の彫刻の中に見出すことができるが……四次元に於てそれ以上の次元を獲得することはできないだろうか。(1966・9・17)」(高松次郎、「世界拡大計画へのスケッチ」、『世界拡大計画』、水声社、2003、p.95)

「      67・11・8
 未来派がかつて実現したように、表現としてなら、時間(=四次元)を二次元や三次元の中に移行することはできる。
 四次元以上の次元を、二次元、三次元、四次元の中に移行することはできるだろうか。
 四次元以上の次元が数学的(抽象的)にしか存在しないとすれば、それはあくまで不可能なのだろうか」(「断片的文章」、同上、p.151)。

「断面育成計画    68・1・19
  計画A
空間的断面及び時間的断面、すなわち、
一次元の存在(線)の断面、
二次元の存在(面)の断面、
三次元の存在(立体または空間)の断面、
四次元の存在(事物の動きまたは時間)の断面、
N次元の存在(抽象的多次元)の断面、
それらを捕える(設定する)こと、そしてそれ(ら)をより高い次元に向って育成(展開)すること
…(後略)…」(同、pp.153-154)。

「『問い』    68・3月

 ☆

 点・線・面・立体としての0~三次元、それに時空間として考えられる四次元、それ以外の次元を感受したり、認識したりすることはできないだろうか?

 0~四次元を、それとは別な次元の中に投げ入れるさまざまな方法によって、それ以外の、すなわち、マイナスの、あるいは五次元以上の、といわざるをえないような次元として感受したり、認識したりすることはできないだろうか?
 たとえば、
 0次元を一次元の投影として、
 一次元を二次元の投影として、
 三次元を四次元の投影としてとらえるような方法によって、
 X次元を0次元の投影として、
 四次元をX次元の投影としてという具合に。

 そしてそれらの投影を別の次元の中で再構成することによって、さらに別の次元を開拓することはできないだろうか?

 さらには、
 0次元を一次元の中で、
 一次元を二次元の中で、
 二次元を三次元の中で、
 三次元を四次元の中で再構成するような方法によって、
 X次元を0次元の中で、
 四次元をX次元の中で再構成することはできないだろうか?
…(後略)…」(同、pp.155-156)

 ヘンダーソンは前掲の The Fourth Dimension and Non-Euclidean Geometry in Modern Art (1983 / 2013)で、

「1919年まで第四の次元は一般に、同時代のエーテル物理学 ether physics の文脈で理解されていた;1920年代になると、しかし、科学における主たる参照源は相対性理論へと劇的に移行し、四次元の身元は空間から時間へと変わった」(ibid.., pp.94-95 / "Reintroduction")。

「アインシュタインの一般相対性理論は、第四の次元は空間ではなく時間であると定義し直したわけだが、その普及だけが、美術家や著述家、音楽家たちが、高次の空間次元を表現することができると信じた、この時代に終わりをもたらした」(Linda Dalrymple Henderson, op.cit., pp.97-98 / "Introduction")

と、第四の次元を空間とする「英国人チャールズ・ハワード・ヒントンが1880年代に展開した超空間哲学 hyperspace philosophy」(ibid.., p.120 / 第1章3節2項)などが、1920年以降、相対性理論の時空観にとってかわられると、折に触れ幾度か述べていました。四次元を時間と見なす点で高松次郎は、相対性理論をおさえた上で、さらに高次の空間を想定しているわけです。

 これらの覚書が書かれた1966~68年には、1964年以来の《影》の連作とともに、《遠近法の椅子とテーブル》(1966-67)や《ネットの弛み》(1968-69)などが制作されていました。上の最初の断章について光田由里は、「《遠近法のテーブル》を制作していた頃のメモだろう」と述べています(光田由里、前掲『高松次郎 言葉ともの』、p.120/第4章4)。
 テクストと作品の関係は光田由里の上掲書などを参照いただくとして、ここでは、これらの覚書に先立つ時期に制作された《点》(1962/昭和37)のみ触れておきましょう(下左)。この連作に関連するだろう高松次郎自身のテクストも、上掲『世界拡大計画』所収の「点について(その一~その七)」(1962、pp.106-108)、「私の仕事『点質体』について」」(1962、p.109)、「『点性体』について」」(1962、p.111)、「点について(その八)」(1962、p.115)などで読むことができます。テクストに記されたことが作品にそのまま置き換えられるはずもないかぎりで、照らしあうべきところではありますが、やはり光田由里の前掲『高松次郎 言葉ともの』、pp.17-35/第1章3~4 に任せることにしましょう。
高松次郎《点》 1962(昭和37) 第14回読売アンデパンダン展会場
高松次郎(1936-1998)
《点》
1962(昭和37)
第14回読売アンデパンダン展会場
Cf., 『もの派 - 再考』展図録、国立国際美術館、2005、pp.34-35 / cat.no.1(1961、ラッカー、針金、42 x 37 x 28cm、豊田市美術館蔵)
 光田由里、『高松次郎 言葉ともの 日本の現代美術 1961-72』、水声社、2011、pp.17-35/第1章3~4
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、p.30 図3-1-5 「乙部融朗の高次元多胞体の針金模型(その1) 東京大学数理科学研究科蔵」より右下隅の1点
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、p.30 図3-1-5 「乙部融朗の高次元多胞体の針金模型(その1) 東京大学数理科学研究科蔵」より右下隅の1点
 前掲の拙稿「諏訪直樹の絵をみるために - 1970年代の美術より」では、「堀内正和は上の引用で『点を空中に定着させるのはむずかしい』と述べていましたが、この点を逆手にとったのが高松次郎の《点》の連作だったと見なせるかもしれません。…(中略)…幾何学的な点が物としては実在しえない、高松いうところの〈不在〉のものだからこそそのまわりをぐるぐると探るかのようにからまる《点》」(p.15)と記しましたが、それはさておき、たとえば上右の図版と並べてみることはできるでしょうか。

 宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005

p.30 に掲載された図3-1-5 「乙部融朗の高次元多胞体の針金模型(その1) 東京大学数理科学研究科蔵」には20点の小図版からなるのですが、その一番右下のものです(p.31 にも図3-1-6 として「同(その2)」を掲載、円通寺蔵でやはり20点の小図版)。

「高次元空間の多胞体は、3次元空間内に、ふつう、多面体を外殻として内部にも稜を持った立体模型として写し取られる」(同、p.26/第3章1、3項目)。

「数多くのきわめて複雑な高次元多胞体の針金模型を作ったのがわが国の僧侶乙部融朗(1924~)である」(p.28/同、4項目)。

「その内容が高度にオリジナリティにあふれ正確である」(同上)

とのことでした。数式に基づくものだとして、高松次郎の《点》が何らかの図式によるのかどうかはさておき、ひろがりを持たない幾何学的な点が不在であるがゆえに、どうなっているのかわからないほどからまった相と、一つ以上増えた次元の分を投影することで、一見錯綜に錯綜を重ねたかのような高次元多胞体の針金模型の見かけを、比較することはできるものかどうか。

 上右の図は『高次元図形サイエンス』に掲載された図のほんの一例にすぎず、ほかにも多くの図が見られます。上右の図は入り組んでいるにしても、各稜線の関係は素人目には均等であるような気がしますが、何らかの数式に則っているにしても、やはり素人目にはいささか奇怪に映るものも少なくはない。
 たとえば下左は

「4次元正600胞体系の(1111)から得られるねじれ型の内部構造。…(中略)…胞による表示。作図は山口哲」(p.181)。

「3次元のアルキメデスの立体の中に、正多面体とは回転対称性は同じでも、鏡映対称性の異なるものが2種類加わっている。ねじれ立方8面体とねじれ12・20面体である」(p.178)。
その
「4次元空間内で」の「近似的なもの」(同)

とのことでした。当方の頭の回路では解きほぐせませんが、各自ご勘案ください。
 他方幾何学の本だけあって、系統樹めいた図表にも事欠きません。ほんの一例にすぎませんが、下右のものでは、

「上3段は3次元立方体の平面上へのさまざまな投影。…(中略)…下3段は4次元立方体の3次元空間内へのさまざまな投影…(後略)…」(p.24)

だそうです。先に挙げた『フレーベルの恩物の理論とその実際』における各恩物のパーツを組みあわせたさまざまな例を示す図や、ソル・ルウィットによる 《異なる三種類の立方体についての三個ずつの変奏全て》(1969)なども、こうした図表の集合のどこかに位置しているのでしょう。
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、口絵2頁目、p.181 図8-3-2
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、口絵2頁目、p.181 図8-3-2
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、p.24 図3-1-1
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、p.24 図3-1-1
 下左は

「3次元トーラス面の積層として表示された4次元球面のドーム状建築への応用 作図:田中浩也」(p.218)

とのことです。稜線が内側に繰りこまれるようにして何やら入り組んだ様子からは、以前から何とはなしに記憶の片隅に引っかかっていた、〈カラビ=ヤウ空間〉ないし〈カラビ=ヤウ多様体〉が連想されました(下右)。
 
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、口絵4頁目、p.218 図9-1-2
宮﨑興二編著、石井源久・山口 哲共著、『高次元図形サイエンス』、京都大学学術出版会、2005、口絵4頁目、p.218 図9-1-2
ブライアン・グリーン、林 一・林 大訳、『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』、草思社、2001、p.285 図8-9「カラビーヤウ空間の一例」 
ブライアン・グリーン、林 一・林 大訳、『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』、草思社、2001、p.285 図8-9「カラビーヤウ空間の一例」
(超)ひも理論の余剰次元にまつわる概念で、その手の解説書で何度か見かけました。

 F.D.ピート、久志本克己訳、宮崎忠監修、『超ひも理論入門』(上下)(ブルーバックス B831/832)、講談社、1990

では、上巻第6章6節目(pp.210-216)が「オービフェルドとカラビ・ヤウ空間」、下巻10章7節目(pp.176-179)が「カラビ・ヤウ空間」と題されていますが、カラビ・ヤウ空間の挿図はなし。

 ブライアン・グリーン、林 一・林 大訳、『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』、草思社、2001

に上右の挿図が見られます(p.285 図8-9/第8章9節目)。

「1919年、ケーニヒスベルク大学のテオドル・カルーザという無名のポーランド人数学者が、…(中略)…実は宇宙の空間次元は三つではないかもしれない。もっと多いかもしれない。そう唱えたのだ」(p.257/第8章1節目。日本語ウィキペディアの該当頁によると(→こちら)「Theodor Franz Eduard Kaluza」はドイツ人で、「カルツァ」と表記されます)。
「後にスウェーデンの数学者、オスカー・クラインがそれを明確な形で述べ、精密にした。それは、この宇宙の空間的織物には拡がった次元と巻き上げられた次元があるというものだ」(p.260/第8章2節目)。

「カルーザとクラインは、それと同じように新たな環状の次元は拡がった次元のすべての点に存在すると唱えた(見やすいように、等間隔に環状の次元の例を描くだけにとどめた)。カルーザとクラインが想像した空間の織物の微視的構造のクローズアップを図8-4に示す」(pp.262-263/第8章2節目。図8-4は右)。
ブライアン・グリーン、林 一・林 大訳、『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』、草思社、2001、p.263 図8-4「格子線は日常的に経験される拡がった次元を、円は新たな小さい巻きあげられた次元を表す」
ブライアン・グリーン、上掲『エレガントな宇宙』、p.263 図8-4「格子線は日常的に経験される拡がった次元を、円は新たな小さい巻きあげられた次元を表す…(後略)…」 
「物理学者は、小さな空間のなかに新たな次元がある可能性をカルーザ-クライン理論と呼んでいる」(p.264/第8章2節目)。

「空間次元を一つ加えることで、カルーザはアインシュタインの重力理論とマクスウェルの光の理論を統一したのだ」(p.271/第8章4節目)。

「カルーザの考えは鮮やかなものだったが、その後、クラインの貢献で強化されたこの考えを詳細に研究すると、実験データとの矛盾が深刻であることがわかった」(p.272/第8章4節目)。

しかし
「一般相対性理論と量子力科学との謎に満ちた矛盾」(p.273/第8章4節目)
を解決するために提唱されたひも理論において、

「1920年代の終わりに見捨てられたカルーザ-クライン理論は息を吹き返した」(p.273/第8章4節目)。

「ひも理論の新たな空間次元はどういう仕方にせよ『もみくちゃ』にはできない。理論から出てくる方程式によって、こうした次元がとりうる幾何学的な形が厳しく制約されるのだ。1984年、テキサス大学オースチン校のフィリップ・カンデラス、カリフォルニア大学のサンタバーバラ校のゲーリー・ホロウィッツ、アンドリュー・ストロミンジャー、エドワード・ウィッテンは、一組の六次元幾何学図形がこうした条件を満たすことを証明した。これらの図形はペンシルヴァニア大学のエウゲニオ・カラビとハーヴァード大学のシントゥン・ヤンに敬意を表して、カラビーヤウ空間(カラビーヤウ図形)と呼ばれている。それはこの二人の数学者がひも理論以前におこなった研究が、この一組の空間を理解するうえで中心的な役割を演じているからである。カラビーヤウ空間を記述する数学は複雑で難解だが、カラビーヤウ空間がどんな姿をしているか絵でつかむことができる。
 図8-9にカラビーヤウ空間の一例を示す。この図を見るときには、このイメージにはもともと限界があることを心に留めておかなければならない。六次元の形を二次元の紙の上で表そうとしているのであり、このために重大なゆがみが生じる。にもかかわらず、カラビーヤウ空間がどんな姿をしているか、おおよその感じがこのイメージで伝わるだろう、図8-9 に示した図形は、ひも理論から出てくる新たな次元の厳しい要件を満たす何万というカラビーヤウ図形の一例にすぎない」(pp.283-284/9節目)。

 先に「カラビーヤウ空間の一例」として上2段目右に載せたのが、図8-9 です。なおこの図は、
「インディアナ大学のアンドリュー・ハンソンが提供したもので、マテマティカ3次元グラフィックパッケージを用いてつくったもの」(p.537(38) 原註第8章9)。
「まずひも理論によれば、これまで予想されなかった次元が六つある。そしてそれらはおなじみの三つの拡がった次元のすべての点に巻き上げられて存在する。さらにその巻き上げられた形も図8-10 に示したようなかなり複雑に見える図形の一つとなっているのである。この六つの次元は空間の織物の不可欠で遍在する部分だ。それらはいたるところに存在する」(p.284/第8章9節目。右が図8-10)。  ブライアン・グリーン、林 一・林 大訳、『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』、草思社、2001、p.285 図8-10「ひも理論によれば、宇宙には余分な次元があって、カラビーヤウ図形のなかに巻きあげられている」
ブライアン・グリーン、上掲『エレガントな宇宙』、、p.285 図8-10「ひも理論によれば、宇宙には余分な次元があって、カラビーヤウ図形のなかに巻きあげられている」 
 竹内 薫、『超ひも理論とはなにか 究極の理論が描く物質・重力・宇宙』(ブルーバックス B1444)、講談社、2004

の「おわりに」では、

「余分な次元の『恰好』をマセマティカで描いてご覧にいれよう。
 小さく丸まったドーナツ形の空間で、数学者の名前をとって『カラビーヤウ空間』と呼ばれている…(中略)…
 この孔だらけの丸っこいものが、空間の各点に存在するかもしれないのだ。そう、おそらく、あなたの目の前にもそれは存在する」(p.244、p.246)

として挙げられた図59(p.245)が、右上の図です。「カバーCGはマセマティカで描いた『カラビーヤウ空間』」(p.2)とあって、右中・下がその図版(p.13、p.83、p.145 の各章扉にも掲載)。作成者は竹内 薫自身。また

 横山順一×竹内 薫、『宇宙の向こう側 量子、五次元、ワープト・スロート』、青土社、2008

に掲載された「カラビーヤウ多様体」の図も(p.97)、上のカヴァー裏下左のものおよび上中央のものでした。

 ところで竹内 薫が作図したカラビーヤウ空間は、均等に区分された白い座標中に配され、図形自体にも格子状の区切りが入れてあります。格子状の線はグリーン『エレガントな宇宙』でのカラビーヤウ空間、さらにその左に載せた『高次元図形サイエンス』、p.218 図9-1-2 でも見られました。これは作図が厳密な計算に則って行なわれたことを示しているわけです。しかしそれが、芹沢銈介《ばんどり図四曲屏風》における藁の編み目同様、形なり空間の一目で了解しがたい入り組み具合をいっそう強調しているといっては、こじつけめくでしょうか。
竹内 薫、『超ひも理論とはなにか 究極の理論が描く物質・重力・宇宙』(ブルーバックス B1444)、講談社、2004、p.245 図59「超ひもの丸まったドーナツ形空間」
竹内 薫、『超ひも理論とはなにか 究極の理論が描く物質・重力・宇宙』(ブルーバックス B1444)、講談社、2004、p.245 図59「超ひもの丸まったドーナツ形空間」

竹内 薫、『超ひも理論とはなにか 究極の理論が描く物質・重力・宇宙』(ブルーバックス B1444)、講談社、2004、カヴァー表「マセマティカで描いた『カラビーヤウ空間』」
同上、カヴァー表「マセマティカで描いた『カラビーヤウ空間』」

竹内 薫、『超ひも理論とはなにか 究極の理論が描く物質・重力・宇宙』(ブルーバックス B1444)、講談社、2004、カヴァー裏「マセマティカで描いた『カラビーヤウ空間』」
同上、カヴァー裏
 レオナルド・サスキンド、林田陽子訳、『宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す』、日経BP社、2006

の第10章6節目にまた別の図で「カラビ・ヤウ多様体の一部」(p.380)(下左)。図版クレジットはジャン・フランシス・コロナ、CMAP(Centre de Mathématiques Appliquées)(p.545)。
レオナルド・サスキンド、林田陽子訳、『宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す』、日経BP社、2006、p.380「カラビ・ヤウ多様体の一部」
レオナルド・サスキンド、林田陽子訳、『宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す』、日経BP社、2006、p.380「カラビ・ヤウ多様体の一部」  
ブライアン・グリーン、青木薫訳、『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』(下)、草思社、2009、p.192 図12-9(a)「カラビ=ヤウ図形の一例」
ブライアン・グリーン、青木薫訳、『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』(下)、草思社、2009、p.192 図12-9(a)「カラビ=ヤウ図形の一例」
 ブライアン・グリーン、青木薫訳、『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』(下)、草思社、2009

では、『エレガントな宇宙』とはまた別の図が載っていました(上右)。本文中の説明は変わりません(p.191/第4部第12章15節目)。やはり「図12-9(a)は、アンドルー・ハンソン作の画像をもとに作成したものである」(p.26(420)/原注第12章18)。

 下左の図は

 新海裕美子、ハインツ・ホライス、矢沢潔、『次元とはなにか 0次元から始めて多次元、余剰次元まで、空間と時空の謎に迫る!!』(サイエンス・アイ新書 SIS-203)、ソフトバンク クリエイティブ株式会社、2011

より。キャプションに「ひも理論ではこの宇宙は10次元で、余剰の6次元は小さく折りたたまれ、図のような複雑な形状をしているという(図は一例)」(p.185/第7章)。本文イラストは Yazawa Science Office(p.5)。また本文中には;

「カラビ=ヤウ空間の数学は構造がきわめて奇妙であるだけでなく、気が遠くなるほど入り組んでいる。そのため2次元で描写したときにようやくなんとかイメージをつかめる程度である。…(中略)…
 また典型的なカラビ=ヤウ空間にはドーナツのような穴が存在し、…(中略)…ドーナツの穴は1つだが、カラビ=ヤウ空間には多次元構造をとる穴がたくさん開いている。この空間に開く穴の数はさまざまで、3個、4個、5個、25個といったぐあいである。480個もの穴が開いた空間も知られている」(p.188)。
新海裕美子、ハインツ・ホライス、矢沢潔、『次元とはなにか 0次元から始めて多次元、余剰次元まで、空間と時空の謎に迫る!!』(サイエンス・アイ新書 SIS-203)、ソフトバンク クリエイティブ株式会社、2011、p.185 図2「カラビ=ヤウ空間」
新海裕美子、ハインツ・ホライス、矢沢潔、『次元とはなにか 0次元から始めて多次元、余剰次元まで、空間と時空の謎に迫る!!』(サイエンス・アイ新書 SIS-203)、ソフトバンク クリエイティブ株式会社、2011、p.185 図2「カラビ=ヤウ空間」
大栗博司、『大栗先生の超弦理論入門 九次元世界にあった究極の理論』(ブルーバックス B-1827)、講談社、2013、p.164 図6-7
大栗博司、『大栗先生の超弦理論入門 九次元世界にあった究極の理論』(ブルーバックス B-1827)、講談社、2013、p.164 図6-7
 上右は

 大栗博司、『大栗先生の超弦理論入門 九次元世界にあった究極の理論』(ブルーバックス B-1827)、講談社、2013

より。キャプションには「…(前略)…カラビーヤウ空間をある方向から2次元面に投影すると、このように見える」(p.164/第6章7節目)。本文イラストは斉藤綾一・大栗博司(p.2)。

 以上はたまたま見る機会のあった例にすぎず、他にもいろいろあるのでしょう。ともあれ、いかにも入り組んでいるように見えるにしても、いずれ厳密な数式に則っている、あるいは逆に、厳密な数式に則っているけれども、いかにも入り組んでいるように見えるというべきでしょうか。

 アルジャノン・ブラックウッド、紀田順一郎・桂千穂訳、「四次元空間の囚(とりこ)」、『妖怪博士ジョン・サイレンス』(角川ホラー文庫 509-1)、角川書店、1994、pp.453-489

は、数学の研究者が、四次元空間に入ったりそこから出たりする境遇に陥り、それをコントロールできないでいるという物語です。

「かりに四次元の空間というものが存在し、われわれの世界と接していて、その一部分がはいりこんでいるとしたら、必然的に、われわれはあらゆる物体を一部分しか見ていないことになります。真に完全な物体の姿を見ることはできないのです。三面までは見えても第四面は見えない。この新しい部分はわれわれの眼から隠されている。…(中略)…しかしいったん四次元空間をかいま見ることを覚えたら、物体は本当の姿を現わすでしょう。ただ、その場合は、まったく違ったもののように見えるでしょうが!」(同上、pp.470-471)。

「人や物体が気味の悪い姿で全部見えてしまうんです。それが本当の完全な姿でね。とても辛いんですよ。怪物の世界をかいまみるんですから。…(中略)…とにかく恐ろしいことには違いありません。とても人間の肉体とは認められない、こんなもの珍しい姿から、人間の声が発せられるのを聞くのは無気味ですよ。まったくぞっとします。あらゆるもの、あらゆるひとの内部をのぞいてしまうことは、一種独特の苦しさを伴う洞察です」(同、p.479)。

 もっとグロテスクなさまが描かれていたように記憶していたのですが、いつもの思い違いか、あるいはそうした別の作品があるのか。
 いずれにせよこれはもとより、三次元空間の中で知覚している地球の人類という条件に制約されているためであって、高次元に棲む存在からすれば、当たり前の状態でしかありますまい。
 ちなみに原著は1917年刊の短篇集に収められています。ヘンダーソンの先の区分に従えば、相対性理論の時空観が普及する以前、第四の次元を高次の空間と見なす、チャールズ・ハワード・ヒントンなどを参照したのかもしれません。

「空間てものはたったひとつの新しい次元でとまらないんですから。高次元へ高次元へとできるだけのびていくんですからね。そこには新しい次元が無数に含まれていると考えなきゃならない。言いかえれば、空間なんてものは存在せず、まわりの状況だけがあるってことですよ」(同、p.472)

というくだりも見られました。

 クリフォード・A・ピックオーバー、河合宏樹訳、『ハイパースペース・サーフィン 高次元宇宙を理解するための6つのやさしいレッスン』(Newton Science Series)、ニュートンプレス、2000

の
・p.29 の図版には「…(前略)…4-D生物。この生物は別々の部分から構成されているように見えるが、さまざまな構成要素は四次元でつながっていて、単独の生物を構成している」とのキャプションが付されていました。図に描かれた「別々の部分」というのは、生物図鑑の類から集めたようにも見えます。エルンスト・ヘッケルの『自然の芸術的な形』など「ドーバー・ピクトリアル・アーカイブから提供を受けた」(p.6/「謝辞と否認」)資料から選んだのでしょうか?
・p.92 図2.17 「4-Dモルモット」はオリジナルなのでしょうか?
・p.93 の挿図「四次元からの生物?」はエイプリル・ペイダセンによる漫画(p.6/「謝辞と否認」) 、
・p.134 図3.10 は「私たちの世界では4-D生物が一組の毛が生えた肉球と見えることをアーティストが表現したもの」、
・同じ頁の図3.11 は「4-D生物の空想的な描写」で、双方ミシェル・サリバンによるイラスト。
・p.244 図6.2 「4-D植物の断面?」と
・p.257 図6.4 「高次元の生物の断面」はやはり生物図鑑類から取られたようです。
また付録Gとして「四次元生物の進化」(pp.314-318)という項目が設けられています。

 さて、物体が怪物に見えるのだとして、カラビ=ヤウ空間のように空間自体が入り組むというのはどんな状態なのか、なかなか想像しがたいところです。さらに、カラビ=ヤウ空間の、いかにも入り組んでいそうなさまは、それが空間のあらゆる点で、巻きあげられているというのであれば、無限に小さな点の中に無限に錯綜した構造が組みこまれているということになります。数学的な点=0次元がひろがりを持たないがゆえに、高松次郎の《点》では、物理的には非在の中心のまわりに針金をぐじゃぐじゃとからまりあわせることになったと解してよいものであるなら、そのからまりあい具合こそが、存在しないひろがりが内包する無限を表わしているのかもしれません。高松の覚書から、「X次元を0次元の中で、…(中略)…再構成することはできないだろうか?」という「問い」を引きあいに出したくなったりもするのでした。

 他方、ひも理論と関連するブレーンワールド論に、〈バルク〉と呼ばれる高次元空間が登場します。たとえば;

「ブレーン - 高次元空間にある膜のような物体 - 」(リサ・ランドール、向山信治監訳、塩原通緒訳、『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』、NHK出版、2007、p.80/Ⅰ部第2章4節目)

「いまやふたたび物理学は、私たちを取り巻く三次元世界が高次元世界の三次元スライスでありうるとい考えに戻ってきている」(同上、p.84/Ⅰ部第3章1節目)。

「ここで重要なのは、余剰次元が小さいということである。余剰次元が丸まっているということは、余剰次元が見えない理由にはなっていなかった。
 ということは、別の可能性も考えられる。ひょっとしたら次元は丸まっていずに、ある有限の範囲内で終わっているだけではないのか。虚空に消えてしまう次元などというのは潜在的に危険だから - 誰だって宇宙の一部が端っこで落っこちてしまうのは嫌だろう - 有限の範囲には、それがどこでどのようにして終わるかを告げる境界がなくてはならない。そこで問題は、その境界に達した粒子やエネルギーがどうなるか、ということだ。
 答えを言えば、それらはブレーンにぶつかる。高次元世界では、ブレーンが高次元空間全体の境界になっている。この全体の空間を『バルク』という。ブレーンと違って、バルクは全方向に伸びている。バルクはあらゆる次元に及び、ブレーン上にもブレーン外にも広がっている。したがってバルクは文字どおり『バルキー』、つまり『かさがある』が、その点ブレーンは(ある次元では)パンケーキのように平らである」(同上、pp.84-86/Ⅰ部第3章2節目)。

 ブライアン・グリーンの前掲『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』(下)には、

「宇宙の『体積』(物理学者はしばしばそれを《バルク》(嵩)と言う)」(p.368/第5部第16章5節目)

と、

 ブライアン・グリーン、竹内薫監修、大田直子訳、『隠れていた宇宙』(下)、早川書房、2011

には、

「閉じたひもは空間のバルク(ヽヽヽ)(体積)をあちこち動き回ることができる」(p.173/第9章11節目)

とのくだりがありました。「バルク」の原語は"bulk"で、「大きさ、容積、かさ」などを意味する普通の名詞ですが、なぜこの語で呼ばれるのかなど、勉強不足のためきちんと把握できないでいます。あるいは

 マックス・テグマーク、谷本真幸訳、『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』、講談社、2016

では量子力学の多世界解釈による並行宇宙を「レベルⅢ並行宇宙」と呼び、

「私たちが住むおなじみの三次元空間のどこにあるかということでいうと、第六章で説明したレベルⅠ並行宇宙ははるか遠方にあるし、本章で説明したレベルⅢ並行宇宙は,ヒルベルト空間 - 波動関数が住む無限次元の抽象的空間 - のなかでは、離れた場所にある」(p.262/第Ⅱ部第8章9節目)

と述べています。

「数学的に最も単純な量子論では、『ヒルベルト空間』と呼ばれる無限次元の場所とその中にある『波動関数』が基本的な存在である」(pp.273-274/第Ⅱ部第8章「本章の要点」)

ともあって、多世界解釈にかぎらず、量子力学ではヒルベルト空間が出てくるのですが、数学的な概念であるヒルベルト空間が、物理的にどうした形をとるのか、勉強不足もあってわからないでいます。

「あの捉えどころのない数学的なヒルベルト空間」(p.267/第Ⅱ部第8章9節目)、

「前章では、あらゆるものは粒子でできていること、そしてそれらの粒子はある意味、純粋に数学的な対象物であることを見た。本章では、それらよりおそらくもっと基礎的と考えられる実体が量子力学では存在する、ということを見た。波動関数、そしてそれが住むヒルベルト空間と呼ばれる無限次元の場所だ。粒子は生成されることも消滅されることもあり、複数の場所に同時に存在することもあるが、波動関数は現在も過去も未来も常に一つで、ヒルベルト空間内をシュレーディンガー方程式に従って運動する。しかし、究極の実在が波動関数であるというなら、波動関数というのは一体どんな獣(けだもの)なのだろう? それは一体何からできているのだろう? ヒルベルト空間はどうなのだろう? 実は、分かっている限り、いずれも何からもできていない。それらは純粋に数学的な対象物なのだ!」(p.273/第Ⅱ部第8章10節目)

と記されたりしていました。
 なおレベルⅠ並行宇宙というのは無限に膨張する地続きのこの宇宙を指します(pp.146-161/第Ⅰ部第6章1節目)。レベルⅡ多宇宙は永久インフレーションによって多重発生する、レベルⅠ多宇宙の集合(pp.162-182/第Ⅰ部第6章2節目)。レベルⅡ多宇宙において、宇宙と宇宙の間はどうなっているのかも気になるところです。

 さて、ブライアン・グリーンの上掲『エレガントな宇宙』には、

「他に言葉の枠組みがないので、時間に関する言葉を使ってよければ、期待されるのは、この理論がビッグバンの前すなわちプレビッグバン期にあったかもしれない書き込みのない空白から出発して、コヒーレントひも振動の背景が現れ、通常の空間と時間の概念が生まれる形に発展する宇宙を記述することになることである。このような枠組みが認識されれば、空間、時間、ひいては次元は、宇宙を特徴づける本質的な要素ではないことがわかる。むしろ、空間、時間、次元は、基本的で原初的な状態から出てくる便利な概念なのだ」(p.503/第5部第15章2節目)

とのくだりがありました。また

 カルロ・ロヴェッリ、冨永星訳、『時間は存在しない』、NHK出版、2019

では、

「場は、素粒子、光子、重力量子 - むしろ『空間量子』と呼ぶべきか - といった具合に粒のような形で現れる。これらの粒状に振る舞う基本的なものが空間を埋め尽くしているのではなく、これら『空間量子』が空間を形作っているのだ。いやむしろ、これらの相互作用のネットワークがこの世界の空間を生み出しているというべきなのだろう」(p.123/第8章2節目)。

 橋本幸士、『ホログラフィー原理とはなにか 宇宙と素粒子を統一する最新理論』(ブルーバックス B-2325)、講談社、2026

から、

「…(前略)…『あらゆる時空の構成要素は、実は小さな量子もつれからできているのではないか』という考え方にもつながっていきました。つまり、量子もつれがあると、そこからホログラフィーのように時空が浮かび上がってくる(創発する)ということになります」(p.210/第8章5節目)。

「どんな科学でも、まず空間が存在していることを暗黙のうちに仮定し、そしてその空間の中での物体の運動などを記述します。
 ところがホログラフィー原理によると、空間はより基礎的な何かから創発するものであり、あらかじめ存在しているものではない、ということになります」(p.225/第9章5節目)。

 カラビ=ヤウ空間の入り組み具合はあまたある様相の中のほんの一つにすぎず、次元だの空間だの自体が、さらに入り組んだ何事かに由来するということなのでしょうか。そして空間以前、時間以前の何事かから、プラトーンの『ティーマイオス』で三角形が切りだされ、三角形から五つの正多面体が組み立てられたように、積木のブロックが積まれては崩され、また積まれ続けることになる。それが道具や機械であれ美術作品、建築であれ、物を作るということの、出発点でもあれば再開点なのかもしれません。
2026/10/14 以後、随時修正・追補 
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